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後期中等教育の拡充整備について (第20回答申(昭和41年10月31日))

昭和41年10月31日
生涯学習政策局政策課

20 後期中等教育の拡充整備について(答申)

(諮問)

昭和38年6月24日

中央教育審議会

文部大臣 荒木 萬壽夫

 次の事項について、別紙理由を添えて諮問します。

後期中等教育の拡充整備について

(理由)

 科学技術の革新を基軸とする経済の高度成長とこれに伴う社会の複雑高度化および国民生活の向上は、各種の人材に対する国家社会の需要を生み、また国民の資質と能力の向上を求めてやまない。このことは、今日、個人的にも、社会的にも、教育に対するきわめて大きな期待と要請となって現れている。
 義務教育後のいわゆる後期中等教育は、あるいは各種の教育機関に在学し、あるいはすでに社会人として職業に従事しているなど状況、環境を異にしている青少年を対象とするものである。これらの青少年は、心身共に重要な成長期にあり、個人的にみても、社会的にみても、この時期においてそれぞれの適性に従って能力を展開し、将来にわたる進路を選択決定する必要がある。このような青少年の能力をあまねく開発して国家社会の人材需要にこたえ、国民の資質と能力の向上を図るために適切な教育を行なうことは、当面の切実な課題となつている。
 今日、高等学校への進学者数はすでに義務教育修了者数の3分の2にのぼり、その他の各種教育・訓練施設に学ぶ者も少なくないが、このことも上のような見地から、すべての青少年を対象として後期中等教育の拡充整備を図るべき段階に至つていることを示していると思われる。
 以上の観点から、この際、後期中等教育について理念とあり方を検討し、その総合的、かつ、画期的な拡充整備を図る必要があると考える。

検討すべき問題点

1.期待される人間像について

 すべての青少年を対象として後期中等教育の拡充整備を図るにあたっては、その理念を明らかにする必要があり、そのためには今後の国家社会における人間像はいかにあるべきかという課題を検討する必要がある。

2.後期中等教育のあり方について

 すべての青少年を対象とし、個人の能力、適性、進路等に応じて後期中等教育の拡充整備を図るため、次の諸点を検討する必要がある。

(1) 目的、性格について

(2) 教育内容、教育方法、授業形態、教員について

(3) 教育機関の形態および教育制度上の位置づけについて

(答申)

昭和41年10月31日

文部大臣 有田 喜一 殿

中央教育審議会会長
森戸 辰男

後期中等教育の拡充整備について

 本審議会は、後期中等教育の拡充整備について、特別委員会を設けて審議を行なって得た結果に基づき、総会においてさらに慎重に審議し、別紙の結論に到達しましたので、付属資料を添えて、答申いたします。

目次

第1 後期中等教育の理念
1 後期中等教育の拡充整備の必要性
2 人間形成の目標としての期待される人間像
3 後期中等教育の目的・性格

第2 後期中等教育のあり方
1 高等学校教育の改善
2 各種学校制度の整備
3 勤労青少年に対する教育の機会の保障
4 社会教育活動の充実
5 その他の方策
(1) 特殊教育機関の拡充
(2) 普通教育の徹底
(3) 女子に対する教育的配慮
(4) 高等学校の単位の認定
(5) 就学奨励

第3 後期中等教育の拡充整備に伴う諸問題
1 中学校における観察指導の強化
2 入学者選抜制度の改善
3 小学校、中学校、高等学校の教育の関連性
4 特別教育に対する制度的考慮
5 教員養成に対する要請
6 学習成果の社会的公認
7 青少年に対する社会環境の浄化
8 継続教育としての社会教育の充実
9 教育に関する基礎的研究の拡充

「別記」 期待される人間像
まえがき

第1部 当面する日本人の課題
1 現代文明の特色と第1の要請
2 今日の国際情勢と第2の要請
3 日本のあり方と第3の要請

第2部 日本人にとくに期待されるもの
第1章 個人として
1 自由であること
2 個性を伸ばすこと
3 自己をたいせつにすること
4 強い意志をもつこと
5 畏(い)敬の念をもつこと

第2章 家庭人として
1 家庭を愛の場とすること
2 家庭をいこいの場とすること
3 家庭を教育の場とすること
4 開かれた家庭とすること

第3章 社会人として
1 仕事に打ち込むこと
2 社会福祉に寄与すること
3 創造的であること
4 社会規範を重んずること

第4章 国民として
1 正しい愛国心をもつこと
2 象徴に敬愛の念をもつこと
3 すぐれた国民性を伸ばすこと

第1 後期中等教育の理念

1 後期中等教育の拡充整備の必要性

 今日、世界各国は、開発途上にある国々はもとより、先進国家群も、自国の繁栄と国民生活の向上のために、こぞって教育改革に力を傾けている。これらの教育改革のめざすところは、それぞれの国情によって異なる点を含んでいるが、そのいずれの場合にも、中等教育の改革が共通に重視されていることは、注目に値する。このことは、新しい時代の発展に備えて、教育の機会均等の徹底強化を期するとともに、国家社会の形成者として、またその経済的、社会的発展のにない手として、もっとも大きな割合を占める青少年に対し、初等教育の基礎の上に、さらに充実した個性と能力を発揮させる機会を提供することが、今日の重要な国家的課題であることを示すものといえよう。
 現在、わが国の青少年は、義務教育修了後、その約60%が全日制高等学校に進学し、その他の者は勤労に従事している。この勤労青少年の約半数は、定時制高等学校、各種学校、各種職業訓練機関、青年学級等において教育訓練の機会をもっているが、他の半数は、まったくそのような経験をもっていない。しかも、その大部分は、職業または実際生活に必要な知識・技能あるいは一般的な教養を身につけることを希望しながら、さまざまな事情によって、その機会に恵まれない状態である。
 他方、義務教育修了者の約70%を受け入れている全日制、定時制および通信制の高等学校では、さまざまな生徒の能力と将来の進路に応じた教育が施されているとはいいがたく、教育課程をじゅうぶんに消化できなかったり、ほとんど職業に対する準備もなく就職したりする多くの生徒のあることが指摘されている。また、生徒の適性・能力が多様であるとともに、高等学校の卒業者に対する社会の要請も多様であって、一方では専門的な技術教育が要求されながら、他方では、一定の熟練度を身につけさせる技能教育の必要性が強調されている。
 さらに、勤労青少年に対する教育訓練機関についても、その質的な水準の向上を図るとともに、勤労青少年の生活の実態に即して、その修学条件と教育内容を改善することが強く要請されている。
 現在わが国の教育は、世界に注目されるほどの発展をみるにいたっているが、他面、上述のような要請にこたえて後期中等教育の拡充整備を推進するためには、わが国の教育界と一般社会とにしばしば見受けられるかたよった考え方を改める努力が必要である。すなわち、学校中心の教育観にとらわれて、社会の諸領域における一生を通じての教育という観点を見失ったり、学歴という形式的な資格を偏重したりすることをやめなければならない。職業に対して偏見をもち、人間の知的能力ばかりを重視して、技能的な職業を低く見たり、そのための教育訓練を軽視したりする傾向を改めなければならない。また、上級学校への進学をめざす教育を重視するあまり、個人の適性・能力の自由な発現を妨げて教育の画一化をまねくことは、民主主義の理念に反するばかりでなく、個人にとっても社会にとっても大きな不幸であることを、深く反省しなければならない。

2 人間形成の目標としての期待される人間像

 後期中等教育のあり方を検討するにあたっては、上述のような各種の要請について配慮するとともに、さらに一歩を進めて、今後の日本を背負うこれらの青少年に対する教育は、究極においてどのような理想をめざすものであるかについても考えてみなければならない。
 いうまでもなく、教育は人格の完成をめざすものであり、人格こそ、人間のさまざまな資質・能力を統一する本質的な価値である。すなわち、教育の目的は、国家社会の要請に応じて人間能力を開発するばかりでなく、国家社会を形成する主体としての人間そのものを育成することにある。
 それでは、主体としての人間のあり方について、われわれはどのような理想像を描くことができるであろうか。そのような理想像は、国民各個人がみずからの人間形成の目標として希求するものであるとともに、人間形成を媒介する教育の仕事に従事する者が教育活動の指針とするにふさわしいものでなければならない。それを、われわれは期待される人間像と呼ぶ。教育の究極の理想を探究することは、このような期待される人間像を追及することにほかならない。
 このような観点から、後期中等教育の理念を明らかにするため、今後の国家社会において期待される人間像はいかなるものかについて検討し、その公表された中間草案に対する各方面の意見も考慮して、別記の「期待される人間像」をとりまとめた。この検討にあたっては、わが国の憲法および教育基本法に示された国家理想と教育理念を根底にするとともに、われわれ日本人が今日当面している重要な課題はつぎの三つであると考え、これに対処できる人間となることを目標として、そのためとくに身につけなければならない諸徳性と実践的な規範とをあげて期待される人間像の特質を表わすこととした。
(1) 技術革新が急速に進展する社会において、いかにして人間の主体性を確立するか。
(2) 国際的な緊張と日本の特殊な立場から考えて、日本人としていかに対処するか。
(3) 日本の民主主義の現状とそのあり方から考えて、今後いかなる努力が必要か。
本審議会は、別記の「期待される人間像」が、広く一般国民、とくに青少年の教育に従事する人々が人間像を追求しようとする場合、あるいは、政府が基本的な文教施策を検討する場合に、参考として利用されることを期待するものである。

3 後期中等教育の目的・性格

 以上のような観点から、今後わが国において拡充整備すべき後期中等教育は、つぎのような目的・性格をもつものとすべきである。
(1) 15歳から18歳までのすべての青少年に対し、その能力を最高度に発揮させるため、義務教育修了後3か年にわたって、学校教育、社会教育その他の教育訓練を通じて、組織的な教育の機会を提供する。
 なお、将来において、18歳までなんらかの教育機関に就学する義務を課することの可能性について検討する。
(2) 教育の内容および形態は、各個人の適性・能力・進路・環境に適合するとともに、社会的要請を考慮して多様なものとする。
(3) すべての教育訓練を通じて、人間形成上必要な普通教育を尊重し、個人、家庭人、社会人および国民としての深い自覚と社会的知性を養う。

第2 後期中等教育のあり方

上述の後期中等教育の理念に基づきその拡充整備を図るにあたっては、国立、公立および私立の各種の教育訓練機関がそれぞれの役割を発揮できるよう、総合的、全体的な観点にたって、つぎのような具体的方策を講ずる必要がある。

1 高等学校教育の改善

(1) 普通教育を主とする学科および専門教育を主とする学科を通じ、学科等のあり方について教育内容・方法の両面から再検討を加え、生徒の適性・能力・進路に対応するとともに、職種の専門的分化と新しい分野の人材需要とに即応するよう改善し、教育内容の多様化を図る。
(2) 職業または実際生活に必要な技能または教養を、高等学校教育の一部として短期に修得できる制度を考慮する。
(3) 勤労青少年の修学を容易にするとともに、教育効果を高めるため、定時制と通信制の併修形態を拡大する。また、定時制と通信制の課程を併置する勤労青少年のための独立の高等学校の設置を計画的に推進するとともに、各課程ごとの学校についても、その整備充実を図り、必要に応じて独立校とする。とくに農山村等に定着する勤労青少年のための定時制の課程については、積極的に整備を図る。

2 各種学校制度の整備

(1) 各種学校の健全な発展とこれに対する指導育成の基礎を固めるため、その目的・性格を明らかにする。
(2) 各種学校のうち後期中等教育段階の青少年を対象とする課程については、必要な基準を整備し、各種学校としての特色を生かしながら全般的な水準の維持向上を図る。この場合、その卒業者が、できるかぎり各種の職業上その他の資格を取得できるよう配慮する。
(3) 前項の課程において充実した教育が行なわれるよう必要な奨励措置を講ずる。

3 勤労青少年に対する教育の機会の保障

(1) 15歳から18歳までの青少年であって、現にいずれの教育訓練機関(文部省所管以外の職業訓練施設等を含む。)にも在籍していないすべての者に対して、後期中等教育の機会を保障するため、別種の恒常的な教育機関を設置する。
 この場合における設置は、地方公共団体の任務とし、国はそれに対して必要な助成措置を講ずるものとする。なお、地方公共団体以外の者がこの教育機関を設置することを妨げない。
(2) この教育機関は、青年学級制度を改善して、主として勤労青少年に対し、その適性・能力・環境に応じて職業、家事などに関する知識・技能を修得させるとともに、その教養を向上させることを目的とする。

4 社会教育活動の充実

 各種の後期中等教育機関の拡充によって、この年齢層のすべての青少年をいずれかの教育訓練機関において教育すると同時に、それらの青少年の自主性を尊重して、有意義な集団活動を通じて心身を鍛練し、協同の精神と社会的能力を高める機会を提供する必要がある。
 そのため、青年の家その他青少年活動の拠点となる施設を整備し、青少年のための各種の研修事業を拡充し、青少年の団体活動を助長するなどの方法によって、これらの青少年を対象とする社会教育活動の充実を図る。

5 その他の方策

(1) 特殊教育機関の拡充
 盲学校、聾(ろう)学校および養護学校についても、中央教育審議会の「特殊教育の充実振興について」の答申の趣旨にそって全般的な充実をすみやかに実現するとともに、高等部の拡充を促進する。
(2) 普通教育の徹底
 後期中等教育の段階にある青少年は、心身の発達においてきわめて重要な時期にあるので、これに対するすべての教育訓練機関においては、普通教育のための教科の指導その他の教育訓練を通じて、豊かな人間性を育成するための教育指導を行なうものとする。
(3) 女子に対する教育的配慮
 後期中等教育機関の拡充にあたっては、女子に対する教育の機会は、男子と均等に確保されなければならないが、その教育の内容については、女子の特性に応じた教育的配慮も必要である。
 そのため、高等学校においては、普通科目についても、女子が将来多くの場合家庭生活において独特の役割をになうことを考え、その特性を生かすような履修の方法を考慮する。また、今後における女子の社会的な役割の重要性にかんがみ、その社会性を高めるための教育指導を行なうとともに、女子の特性に応じた職業分野に相応する専門教育の充実を図る。
(4) 高等学校の単位の認定
 後期中等教育機関の拡充に伴い、各種の教育訓練機関における学習の成果を一定の条件のもとに高等学校の単位として認定する道を開くことは、とくに複雑な事情のもとに学習しなければならない勤労青少年の向学心を高め、その学習の成果を学校教育制度の上で正当に評価できる効果がある。
 そのため、現在の高等学校と技能教育施設との連携制度の趣旨を拡大して各種学校や3で述べた勤労青少年のための教育機関にまでその対象を広げるとともに、認定できる科目の範囲を拡大する。
(5) 就学奨励
 後期中等教育機関を拡充するとともに、これらへの就学を容易にするため、つぎのような措置を講ずる。
 ア 高等学校およびその他の後期中等教育機関に在籍する者に対し、奨学制度の拡充その他の就学奨励の措置を講ずる。
 イ 勤労青少年が、週1日程度昼間に就学できるよう適切な措置をとることを検討する。なお、現状においても、それらの者が、夜間の授業に定時に出席できるよう措置を講ずる。
 ウ 雇用主の理解と協力のもとに、勤労青少年が一定の期間ごとに勤労と修学とを交互に行なうことができる方途を積極的に拡大する。

第3 後期中等教育の拡充整備に伴う諸問題

1 中学校における観察指導の強化

 後期中等教育の多様化に伴い生徒の適性・能力・環境に応じて、適切な進路を選択させることがますます重要となる。そのため、中学校において生徒の適性・能力を適確にはあくする方法を開拓するとともに綿密な観察を行ない、その結果に基づいて適切な指導を行なう体制を整備する必要がある。

2 入学者選抜制度の改善

 高等学校における入学者の選抜制度は、中学校における観察指導の結果を尊重するとともに、それぞれの分野にふさわしい適性・能力等を有する者を弁別できるよう改善する必要がある。
 大学における入学者の選抜制度は、高等学校教育のあり方に重大な影響を与えるので、中央教育審議会の「大学教育の改善について」の答申の中に述べられた大学入学者選抜制度の改善方策によって、すみやかにその実効をあげる必要がある。さらに、高等学校の学習成績が大学入学後における能力の発展と密接な関連のある事実にかんがみ、高等学校の調査書を入学者選抜の際に活用する方法について、関係当事者の間で積極的に検討する必要がある。
 また、高等学校の職業教育を主とする学科の卒業者が進学するのにふさわしい大学の学部学科においては、それらの高等学校の履修科目をいっそう考慮して入学試験科目を定める必要がある。

3 小学校、中学校、高等学校の教育の関連性

 小学校、中学校および高等学校の教育課程は、児童・生徒の発達段階に応じて編成され、相互に密接な関連をもつべきものであるにもかかわらず、その点において多くの問題が認められる。
 現在の小学校教育では、基礎的教育において徹底を欠くうらみがあり、中学校教育では、画一的教育に流れ、しかも教育課程は生徒にとって負担過重の傾向がある。
 これらの点については、高等学校における教育の内容・方法との相互関連を考慮して検討する必要がある。
 なお、中等教育を一貫して行なうため、6年制の中等教育機関の設置についても検討する必要がある。

4 特別教育に対する制度的考慮

 知的、芸術的その他の面で高度の素質を有する者に対しては、特別教育を効果的に行なう必要がある。そのためには、教育制度の弾力的な運用とその特別な教育方法について検討する必要がある。

5 教員養成に対する要請

 初等中等教育に従事する教員の養成については、教科に関する指導能力のみならず児童・生徒の人間形成の指導者としての資質をさらに向上させる必要がある。また、とくに中学校の教員については、生徒の適性・能力に応じた教育指導を行なうための観察指導の知識・技術をいっそう修得させることを配慮するとともに、高等学校に関しては、後期中等教育の多様化に伴い必要となる教員の養成確保および現職教員の再教育について検討する必要がある。

6 学習成果の社会的公認

 個人の努力によって身につけた能力を社会的に正しく評価することは、青少年の向上心を高め、自信と誇りを与えるとともに社会的要請である人材の開発を促進する道である。このためには、一定の知識・技能の水準を保持していることを公的に検定し証明する制度を拡大することについて検討する必要がある。

7 青少年に対する社会環境の浄化

 心身の発達期にある青少年に対するマス・コミュニケーション(映画・放送・新聞・雑誌等)の影響はきわめて大きい。
 映画、放送番組などについては、優秀で、教育上有益なものの制作を積極的に奨励するとともに、その鑑賞や利用の方法の指導について適切な措置を講ずる必要がある。
 またマス・コミュニケーションその他の社会環境のうちには、青少年に有害な影響を与えるものが少なくないことが指摘されているので、各業界の自主的規制を強化し、地域社会における対策を推進することなどによって、社会環境の浄化を図る必要がある。

8 継続教育としての社会教育の充実

 後期中等教育の拡充整備を推進するとともに、その成果をさらに継続発展させることができる教育的な環境条件を整備することは、一生を通じての教育という観点からきわめて重要である。
 そのためには、青年および成人を対象とする各種の社会教育の講座、社会教育施設、職場における研修などの充実を図る必要がある。

9 教育に関する基礎的研究の拡充

 後期中等教育に関する各種の施策を効果的に推進するためには、教育に関する基礎的、実験的な研究を必要とするものが少なくないので、すみやかにこれらに関する研究体制を整備する必要がある。

「別記」

期待される人間像

まえがき

 この「期待される人間像」は、「第1部 当面する日本人の課題」と「第2部 日本人にとくに期待されるもの」から成っている。
 この「期待される人間像」は、「第1 後期中等教育の理念」の「2 人間形成の目標としての期待される人間像」において述べたとおり、後期中等教育の理念を明らかにするため、主体としての人間のあり方について、どのような理想像を描くことができるかを検討したものである。
 以下に述べるところのものは、すべての日本人、とくに教育者その他人間形成の任に携わる人々の参考とするためのものである。
 それについて注意しておきたい二つのことがある。
(1) ここに示された諸徳性のうち、どれをとって青少年の教育の目標とするか、またその表現をどのようにするか、それはそれぞれの教育者あるいは教育機関の主体的な決定に任せられていることである。しかし、日本の教育の現状をみるとき、日本人としての自覚をもった国民であること、職業の尊さを知り、勤労の徳を身につけた社会人であること、強い意志をもった自主独立の個人であることなどは、教育の目標として、じゅうぶんに留意されるべきものと思われる。ここに示したのは人間性のうちにおける諸徳性の分布地図である。その意味において、これは一つの参考になるであろう。
(2) 古来、徳はその根源において一つであるとも考えられてきた。それは良心が一つであるのと同じである。以下に述べられた徳性の数は多いが、重要なことはその名称を暗記させることではない。むしろその一つでも二つでも、それを自己の身につけようと努力させることである。そうすれば他の徳もそれとともに呼びさまされてくるであろう。

第1部 当面する日本人の課題

 「今後の国家社会における人間像はいかにあるべきか」という課題に答えるためには、第1に現代文明はどのような傾向を示しつつあるか、第2に今日の国際情勢はどのような姿を現わしているか、第3に日本のあり方はどのようなものであるべきかという3点からの考察が必要である。

1 現代文明の特色と第1の要請

 現代文明の一つの特色は自然科学のぼっ興にある。それが人類に多くの恩恵を与えたことはいうまでもない。医学や産業技術の発展はその恩恵のほどを示している。そして今日は原子力時代とか、宇宙時代とか呼ばれるにいたっている。それは何人も否定することができない。これは現代文明のすぐれた点であるが、それとともに忘れられてはならないことがある。それは産業技術の発達は人間性の向上を伴わなければならないということである。もしその面が欠けるならば、現代文明は跛(は)行的となり、産業技術の発達が人類の福祉に対して、それにふさわしい貢献をなしがたいことになろう。社会学者や文明批評家の多くが指摘するように、人間が機械化され、手段化される危険も生ずるのである。
 またその原因は複雑であるが、現代文明の一部には利己主義や享楽主義の傾向も認められる。それは人類の福祉と自己の幸福に資することができないばかりでなく、人間性をゆがめる結果にもなろう。
 ここから、人間性の向上と人間能力の開発という第1の要請が現われる。
 今日は技術革新の時代である。今後の日本人は、このような時代にふさわしく自己の能力を開発しなければならない。
 日本における戦後の経済的復興は世界の驚異とされている。しかし、経済的繁栄とともに一部に利己主義と享楽主義の傾向が現われている。他方、敗戦による精神的空白と精神的混乱はなお残存している。このように、物質的欲望の増大だけがあって精神的理想の欠けた状態がもし長く続くならば、長期の経済的繁栄も人間生活の真の向上も期待することはできない。
 日本の工業化は人間能力の開発と同時に人間性の向上を要求する。けだし、人間性の向上なくしては人間能力の開発はその基盤を失うし、人間を単に生産手段の一つとする結果になるからである。
 この際、日本国憲法および教育基本法が、平和国家、民主国家、福祉国家、文化国家という国家理想を掲げている意味を改めて考えてみなければならない。福祉国家となるためには、人間能力の開発によって経済的に豊かになると同時に、人間性の向上によって精神的、道徳的にも豊かにならなければならない。また、文化国家となるためには、高い学問と芸術とをもち、それらが人間の教養として広く生活文化の中に浸透するようにならなければならない。
 これらは、いずれも、公共の施策に深く関係しているが、その基礎としては、国民ひとりひとりの自覚がたいせつである。
 人間性の向上と人間能力の開発、これが当面要請される第1の点である。

2 今日の国際情勢と第2の要請

 以上は現代社会に共通する課題であるが、今日の日本人には特殊な事情が認められる。第2次世界大戦の結果、日本の国家と社会のあり方および日本人の思考法に重大な変革がもたらされた。戦後新しい理想が掲げられはしたものの、とかくそれは抽象論にとどまり、その理想実現のために配慮すべき具体的方策の検討はなおじゅうぶんではない。とくに敗戦の悲惨な事実は、過去の日本および日本人のあり方がことごとく誤ったものであったかのような錯覚を起こさせ、日本の歴史および日本人の国民性は無視されがちであった。そのため新しい理想が掲げられはしても、それが定着すべき日本人の精神的風土のもつ意義はそれほど留意されていないし、日本民族が持ち続けてきた特色さえ無視されがちである。
 日本および日本人の過去には改められるべき点も少なくない。しかし、そこには継承され、発展させられるべきすぐれた点も数多くある。もし日本人の欠点のみを指摘し、それを除去するのに急であって、その長所を伸ばす心がけがないならば、日本人の精神的風土にふさわしい形で新たな理想を実現することはできないであろう。われわれは日本人であることを忘れてはならない。
 今日の世界は文化的にも政治的にも一種の危機の状態にある。たとえば、平和ということばの異なった解釈、民主主義についての相対立する理解の並存にそれが示されている。
 戦後の日本人の目は世界に開かれたという。しかしその見るところは、とかく一方に偏しがちである。世界政治と世界経済の中におかれている今日の日本人は、じゅうぶんに目を世界に見開き、その複雑な情勢に対処することができなければならない。日本は西と東、北と南の対立の間にある。日本人は世界に通用する日本人となるべきである。しかしそのことは、日本を忘れた世界人であることを意味するのではない。日本の使命を自覚した世界人であることがたいせつなのである。真によき日本人であることによって、われわれは、はじめて真の世界人となることができる。単に抽象的、観念的な世界人というものは存在しない。
 ここから、世界に開かれた日本人であることという第2の要請が現われる。
 今日の世界は必ずしも安定した姿を示していない。局地的にはいろいろな紛争があり、拡大化するおそれもなしとしない。われわれは、それに冷静に対処できる知恵と勇気をもつとともに世界的な法の秩序の確立に努めなければならない。
 同時に、日本は強くたくましくならなければならない。それによって日本ははじめて平和国家となることができる。もとより、ここでいう強さ、たくましさとは、人間の精神的、道徳的な強さ、たくましさを中心とする日本の自主独立に必要なすべての力を意味している。
 日本は与えられる国ではなく、すでに与える国になりつつある。日本も平和を受け取るだけではなく、平和に寄与する国にならなければならない。
 世界に開かれた日本人であることという第2の要請は、このような内容を含むものである。

3 日本のあり方と第3の要請

 今日の日本について、なお留意しなければならない重要なことがある。戦後の日本は民主主義国家として新しく出発した。しかし民主主義の概念に混乱があり、民主主義はなおじゅうぶんに日本人の精神的風土に根をおろしていない。
 それについて注意を要する一つのことがある。それは、民主主義を考えるにあたって、自主的な個人の尊厳から出発して民主主義を考えようとするものと階級闘争的な立場から出発して民主主義を考えようとするものとの対立があることである。
 民主主義の史的発展を考えるならば、それが個人の法的自由を守ることから出発して、やがて大衆の経済的平等の要素を多分に含むようになった事実が指摘される。しかし民主主義の本質は、個人の自由と責任を重んじ、法的秩序を守りつつ漸進的に大衆の幸福を樹立することにあって、法的手続きを無視し一挙に理想境を実現しようとする革命主義でもなく、それと関連する全体主義でもない。性急に後者の方向にかたよるならば、個人の自由と責任、法の尊重から出発したはずの民主主義の本質は破壊されるにいたるであろう。今日の日本は、世界が自由主義国家群と全体主義国家群の二つに分かれている事情に影響され、民主主義の理解について混乱を起こしている。
 また、注意を要する他の一つのことがある。由来日本人には民族共同体的な意識は強かったが、その反面、少数の人々を除いては、個人の自由と責任、個人の尊厳に対する自覚が乏しかった。日本の国家、社会、家庭において封建的残滓(し)と呼ばれるものがみられるのもそのためである。また日本の社会は、開かれた社会のように見えながら、そこには閉ざされた社会の一面が根強く存在している。そのことが日本人の道徳は縦の道徳であって横の道徳に欠けているとの批判を招いたのである。確固たる個人の自覚を樹立し、かつ、日本民族としての共同の責任をになうことが重要な課題の一つである。
 ここから、民主主義の確立という第3の要請が現われる。
 この第3の要請は、具体的には以下の諸内容を含む。
 民主主義国家の確立のために何よりも必要なことは、自我の自覚である。一個の独立した人間であることである。かつての日本人は、古い封建性のため自我を失いがちであった。その封建性のわくはすでに打ち破られたが、それに代わって今日のいわゆる大衆社会と機械文明は、形こそ異なっているが、同じく真の自我を喪失させる危険を宿している。
 つぎに留意されるべきことは社会的知性の開発である。由来日本人はこまやかな情緒の面においてすぐれていた。寛容と忍耐の精神にも富んでいた。豊かな知性にも欠けていない。ただその知性は社会的知性として、人間関係の面においてじゅうぶんに伸ばされていなかった。
 ここで社会的知性というのは、他人と協力し他人と正しい関係にはいることによって真の自己を実現し、法の秩序を守り、よい社会生活を営むことができるような実践力をもった知性を意味する。それは他人のために尽くす精神でもある。しいられた奉仕ではなく、自発的な奉仕ができる精神である。
 さらに必要なことは、民主主義国家においては多数決の原理が支配するが、その際、多数を占めるものが専横にならないことと、少数のがわにたつものが卑屈になったり、いたずらに反抗的になったりしないことである。われわれはだれも完全ではないが、だれでもそれぞれになにかの長所をもっている。お互いがその長所を出しあうことによって社会をよりよくするのが、民主主義の精神である。
 以上が民主主義の確立という第3の要請の中で、とくに留意されるべき諸点である。
 以上述べてきたことは、今日の日本人に対してひとしく期待されることである。世界は平和を求めて努力しているが、平和への道は長くかつ険しい。世界平和は、人類無限の道標である。国内的には経済の発展や技術文明の進歩のかげに多くの問題を蔵している。今日の青少年が歩み入る明日の世界情勢、社会情勢は、必ずしも楽観を許さない。新たな問題も起こるであろう。これに対処できる人間となることが、わけても今日の青少年に期待されるのである。
 以上、要するに人間としての、また個人としての深い自覚をもち、種々の国民的、社会的問題に対処できるすぐれた知性をそなえ、かつ、世界における日本人としての確固たる自覚をもった人間になること、これが「当面する日本人の課題」である。

第2部 日本人にとくに期待されるもの

 以上が今日の日本人に対する当面の要請である。われわれは、これらの要請にこたえうる人間となることを期さなければならない。
 しかしそのような人間となることは、それにふさわしい恒常的かつ普遍的な諸徳性と実践的な規範とを身につけることにほかならない。つぎに示すものが、その意味において、今後の日本人にとくに期待されるものである。

第1章 個人として

1 自由であること
 人間が人間として単なる物と異なるのは、人間が人格を有するからである。物は価格をもつが、人間は品位をもち、不可侵の尊厳を有する。基本的人権の根拠もここに存する。そして人格の中核をなすものは、自由である。それは自発性といってもよい。
 しかし、自由であり、自発的であるということは、かって気ままにふるまうことでもなく、本能や衝動のままに動くことでもない。それでは本能や衝動の奴隷であって、その主人でもなく、自由でもない。人格の本質をなす自由は、みずから自分自身を律することができるところにあり、本能や衝動を純化し向上させることができるところにある。これが自由の第1の規定である。
 自由の反面には責任が伴う。単なる物には責任がなく、人間にだけ責任が帰せられるというのは、人間は、みずから自由に思慮し、判別し、決断して行為することができるからである。権利と義務とが相関的なのもこれによる。今日、自由だけが説かれて責任は軽視され、権利だけが主張されて義務が無視される傾きがあることは、自由の誤解である。自由の反面は責任である。これが自由の第2の規定である。
 人間とは、このような意味での自由の主体であり、自由であることがさまざまな徳性の基礎である。

2 個性を伸ばすこと
 人間は単に人格をもつだけではなく、同時に個性をもつ。人間がそれぞれ他の人と代わることができない一つの存在であるとされるのは、この個性のためである。人格をもつという点では人間はすべて同一であるが、個性の面では互いに異なる。そこに個人の独自性がある。それは天分の相違その他によるであろうが、それを生かすことによって自己の使命を達することができるのである。したがって、われわれはまた他人の個性をも尊重しなければならない。
 人間性のじゅうぶんな開発は、自己だけでなされるのではなく、他人の個性の開発をまち、相伴ってはじめて達成される。ここに、家庭、社会、国家の意義もある。家庭、社会、国家は、経済的その他の意味をもつことはもとよりであるが、人間性の開発という点からみても基本的な意味をもち、それらを通じて人間の諸徳性は育成されてゆくのである。
 人間は以上のような意味において人格をもち個性をもつが、それは育成されることによってはじめて達成されるのである。

3 自己をたいせつにすること
 人間には本能的に自己を愛する心がある。われわれはそれを尊重しなければならない。しかし重要なことは、真に自己をたいせつにすることである。
 真に自己をたいせつにするとは、自己の才能や素質をじゅうぶんに発揮し、自己の生命をそまつにしないことである。それによってこの世に生をうけたことの意義と目的とが実現される。単に享楽を追うことは自己を滅ぼす結果になる。単なる享楽は人を卑俗にする。享楽以上に尊いものがあることを知ることによって、われわれは自己を生かすことができるのである。
 まして、享楽に走り、怠惰になって、自己の健康をそこなうことがあってはならない。健全な身体を育成することは、われわれの義務である。そしてわれわれの一生の幸福も、健康な身体に依存することが多い。われわれは、進んでいっそう健全な身体を育成するように努めなければならない。古来、知育、徳育と並んで体育に重要な意味がおかれてきたことを忘れてはならない。

4 強い意志をもつこと
 頼もしい人、勇気ある人とは、強い意志をもつ人のことである。付和雷同しない思考の強さと意志の強さをもつ人である。和して同じないだけの勇気をもつ人である。しかも他人の喜びを自己の喜びとし、他人の悲しみを自己の悲しみとする愛情の豊かさをもち、かつそれを実行に移すことができる人である。
 近代人は合理性を主張し、知性を重んじた。それは重要なことである。しかし人間には情緒があり、意志がある。人の一生にはいろいろと不快なことがあり、さまざまな困難に遭遇する。とくに青年には、一時の失敗や思いがけない困難に見舞われても、それに屈することなく、つねに創造的に前進しようとするたくましい意志をもつことを望みたい。不撓(とう)不屈の意志をもつことを要求したい。しかし、だからといって、他人に対する思いやりを失ってはならないことはいうまでもない。頼もしい人とは依託できる人のことである。信頼できる人のことである。互いに不信をいだかなければならない人々からなる社会ほど不幸な社会はない。近代人の危機は、人間が互いに人間に対する信頼を失っている点にある。
 頼もしい人とは誠実な人である。おのれに誠実であり、また他人にも誠実である人こそ、人間性を尊重する人なのである。このような人こそ同時に、精神的にも勇気のある人であり、強い意志をもつ人といえる。

5 畏(い)敬の念をもつこと
 以上に述べてきたさまざまなことに対し、その根底に人間として重要な一つのことがある。それは生命の根源に対して畏敬の念をもつことである。人類愛とか人間愛とかいわれるものもそれに基づくのである。
 すべての宗教的情操は、生命の根源に対する畏敬の念に由来する。われわれはみずから自己の生命をうんだのではない。われわれの生命の根源には父母の生命があり、民族の生命があり、人類の生命がある。ここにいう生命とは、もとより単に肉体的な生命だけをさすのではない。われわれには精神的な生命がある。このような生命の根源すなわち聖なるものに対する畏敬の念が真の宗教的情操であり、人間の尊厳と愛もそれに基づき、深い感謝の念もそこからわき、真の幸福もそれに基づく。
 しかもそのことは、われわれに天地を通じて一貫する道があることを自覚させ、われわれに人間としての使命を悟らせる。その使命により、われわれは真に自主独立の気魄(はく)をもつことができるのである。

第2章 家庭人として

1 家庭を愛の場とすること
 婚姻は法律的には、妻たり夫たることの合意によって成立する。しかし家庭の実質をなすものは、互いの尊敬を伴う愛情である。種々の法的な規定は、それを守り育てるためのものともいえる。また家庭は夫婦の関係から出発するにしても、そこにはやがて親子の関係、兄弟姉妹の関係が現われるのが普通である。そして、それらを一つの家庭たらしめているのは愛情である。
 家庭は愛の場である。われわれは愛の場としての家庭の意義を実現しなければならない。
 夫婦の愛、親子の愛、兄弟姉妹の愛、すべては愛の特定の現われにほかならない。それらの互いに性格を異にする種々の愛が集まって一つの愛の場を構成するところに家庭の本質がある。家庭はまことに個人存立の基盤といえる。
 愛は自然の情である。しかしそれらが自然の情にとどまる限り、盲目的であり、しばしばゆがめられる。愛情が健全に育つためには、それは純化され、鍛えられなければならない。家庭に関する種々の道徳は、それらの愛情の体系を清めつつ伸ばすためのものである。道を守らなくては愛は育たない。古い日本の家族制度はいろいろと批判されたが、そのことは愛の場としての家庭を否定することであってはならない。愛の場としての家庭を守り、育てるための家庭道徳の否定であってはならない。

2 家庭をいこいの場とすること
 戦後、経済的その他さまざまな理由によって、家庭生活に混乱が生じ、その意義が見失われた。家庭は経済共同体の最も基本的なものであるが、家庭のもつ意義はそれに尽きない。初めに述べたように、家庭は基本的には愛の場である。愛情の共同体である。
 今日のあわただしい社会生活のなかにおいて、健全な喜びを与え、清らかないこいの場所となるところは、わけても家庭であろう。大衆社会、大衆文化のうちにおいて、自分自身を取りもどし、いわば人間性を回復できる場所も家庭であろう。そしてそのためには、家庭は清らかないこいの場所とならなければならない。
 家庭が明るく、清く、かつ楽しいいこいの場所であることによって、われわれの活力は日々に新たになり、それによって社会や国家の生産力も高まるであろう。社会も国家も、家庭が健康な楽しいいこいの場所となるように、またすべての人が家庭的な喜びを享受できるように配慮すべきである。

3 家庭を教育の場とすること
 家庭はいこいの場であるだけではない。家庭はまた教育の場でもある。しかしその意味は、学校が教育の場であるのとは当然に異なる。学校と家庭とは協力しあうべきものであるが、学校における教育が主として意図的であるのに対し、家庭における教育の特色は、主として無意図的に行なわれる点に認められる。家庭のふんい気がおのずからこどもに影響し、健全な成長を可能にするのである。子は親の鏡であるといわれる。そのことを思えば、親は互いに身をつつしむであろう。親は子を育てることによって自己を育てるのであり、自己を成長させるのである。また、こどもは成長の途上にあるものとして、親の導きに耳を傾けなければならない。親の愛とともに親の権威が忘れられてはならない。それはしつけにおいてとくに重要である。こどもを正しくしつけることは、こどもを正しく愛することである。

4 開かれた家庭とすること
 家庭は社会と国家の重要な基盤である。今日、家庭の意義が世界的に再確認されつつあるのは、そのためである。
 またそれだけに、家庭の構成員は、自家の利害得失のうちに狭く閉ざされるべきではなく、広く社会と国家にむかって開かれた心をもっていなければならない。
 家庭における愛の諸相が展開して、社会や国家や人類に対する愛ともなるのである。

第3章 社会人として

1 仕事に打ち込むこと
 社会は生産の場であり、種々の仕事との関連において社会は成立している。われわれは社会の生産力を高めなければならない。それによってわれわれは、自己を幸福にし、他人を幸福にすることができるのである。
 そのためには、われわれは自己の仕事を愛し、仕事に忠実であり、仕事に打ち込むことができる人でなければならない。また、相互の協力と和合が必要であることはいうまでもない。そして、それが他人に奉仕することになることをも知らなければならない。仕事を通じてわれわれは、自己を生かし、他人を生かすことができるのである。
 社会が生産の場であることを思えば、そこからしてもわれわれが自己の能力を開発しなければならないことがわかるであろう。社会人としてのわれわれの能力を開発することは、われわれの義務であり、また社会の責任である。
 すべての職業は、それを通じて国家、社会に寄与し、また自己と自家の生計を営むものとして、いずれも等しく尊いものである。職業に貴賤(せん)の別がないといわれるのも、そのためである。われわれは自己の素質、能力にふさわしい職業を選ぶべきであり、国家、社会もそのために配慮すべきであるが、重要なのは職業の別ではなく、いかにその仕事に打ち込むかにあることを知るべきである。

2 社会福祉に寄与すること
 科学技術の発達は、われわれの社会に多くの恩恵を与えてきた。そのことによって、かつては人間生活にとって避けがたい不幸と考えられたことも、技術的には解決が可能となりつつある。
 しかし、同時に近代社会は、それ自体の新しい問題をうみだしつつある。工業の発展、都市の膨張、交通機関の発達などは、それらがじゅうぶんな計画と配慮を欠くときは、人間の生活環境を悪化させ、自然美を破壊し、人間の生存をおびやかすことさえまれではない。また、社会の近代化に伴う産業構造や人間関係の変化によってうみだされる不幸な人々も少なくない。しかも、今日の高度化された社会においては、それを構成するすべての人が互いに深い依存関係にあって、社会全体との関係を離れては、個人の福祉は成り立ちえない。
 民主的で自由な社会において、真に社会福祉を実現するためには、公共の施策の必要なことはいうまでもないが、同時にわれわれが社会の福祉に深い関心をもち、進んでそれらの問題の解決に寄与しなければならない。
 近代社会の福祉の増進には、社会連帯の意識に基づく社会奉仕の精神が要求される。

3 創造的であること
 現代はまた大衆化の時代である。文化が大衆化し、一般化することはもとより望ましい。しかし、いわゆる大衆文化には重要な問題がある。それは、いわゆる大衆文化はとかく享楽文化、消費文化となりがちであるということである。われわれは単に消費のための文化ではなく、生産に寄与し、また人間性の向上に役だつような文化の建設に努力すべきである。そしてそのためには、勤労や節約が美徳とされてきたことを忘れてはならない。
 そのうえ、いわゆる大衆文化には他の憂うべき傾向が伴いがちである。それは文化が大衆化するとともに文化を卑俗化させ、価値の低迷化をもたらすということである。多くの人々が文化を享受できるようにするということは、その文化の価値が低俗であってよいということを意味しない。文化は、高い方向にむかって一般化されなければならない。そのためにわれわれは、高い文化を味わいうる能力を身につけるよう努力すべきである。
 現代は大衆化の時代であるとともに、一面、組織化の時代である。ここにいわゆる組織内の人間たる現象を生じた。組織が生産と経営にとって重要な意味をもつことはいうまでもないが、組織はえてして個人の創造性、自主性をまひさせる。われわれは組織のなかにおいて、想像力、企画力、創造的知性を伸ばすことを互いにくふうすべきである。
 生産的文化を可能にするものは、建設的かつ批判的な人間である。
 建設的な人間とは、自己の仕事を愛し、それを育て、それに自己をささげることができる人である。ここにいう仕事とは、農場や工場に働くことでもよく、会社の事業を経営することでもよく、学問、芸術などの文化的活動に携わることでもよい。それによって自己を伸ばすことができ、他の人々に役だつことができる。このようにしてはじめて文化の発展が可能となる。
 批判的な人間とは、いたずらに古い慣習などにこだわることなく、不正を不正として、不備を不備とし、いろいろな形の圧力や権力に屈することなく、つねによりよいものを求めて前進しようとする人である。社会的不正が少なくない今日、批判的精神の重要性が説かれるのも、単に否定と破壊のためではなく、建設と創造のためである。

4 社会規範を重んずること
 日本の社会の大きな欠陥は、社会的規範力の弱さにあり、社会秩序が無視されるところにある。それが混乱をもたらし、社会を醜いものとしている。
 日本人は社会的正義に対して比較的鈍感であるといわれる。それが日本の社会の進歩を阻害している。社会のさまざまな弊害をなくすため、われわれは勇気をもって社会的正義を守らなければならない。
 社会規範を重んじ社会秩序を守ることによって、われわれは日本の社会を美しい社会にすることができる。そしてその根本に法秩序を守る精神がなければならない。法秩序を守ることによって外的自由が保証され、それを通じて内的自由の領域も確保されるのである。
 また、われわれは、日本の社会をより美しい社会とし、われわれのうちに正しい社会性を養うことによって、同時によい個人となり、よい家庭人ともなることができるのである。社会と家庭と個人の相互関連を忘れてはならない。
 日本人のもつ社会道徳の水準は遺憾ながら低い。しかも民主化されたはずの戦後の日本においてその弊が著しい。これを正すためには公共心をもち、公私の別を明らかにし、また公共物をだいじにしなければならない。このように社会道徳を守ることによって、明るい社会を築くことに努めなければならない。

第4章 国民として

1 正しい愛国心をもつこと
 今日世界において、国家を構成せず国家に所属しないいかなる個人もなく、民族もない。国家は世界において最も有機的であり、強力な集団である。個人の幸福も安全も国家によるところがきわめて大きい。世界人類の発展に寄与する道も国家を通じて開かれているのが普通である。国家を正しく愛することが国家に対する忠誠である。正しい愛国心は人類愛に通ずる。
 真の愛国心とは、自国の価値をいっそう高めようとする心がけであり、その努力である。自国の存在に無関心であり、その価値の向上に努めず、ましてその価値を無視しようとすることは、自国を憎むことともなろう。われわれは正しい愛国心をもたなければならない。

2 象徴に敬愛の念をもつこと
 日本の歴史をふりかえるならば、天皇は日本国および日本国民統合の象徴として、ゆるがぬものをもっていたことが知られる。日本国憲法はそのことを、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」という表現で明確に規定したのである。もともと象徴とは象徴されるものが実体としてあってはじめて象徴としての意味をもつ。そしてこの際、象徴としての天皇の実体をなすものは、日本国および日本国民の統合ということである。しかも象徴するものは象徴されるものを表現する。もしそうであるならば、日本国を愛するものが、日本国の象徴を愛するということは、論理上当然である。
 天皇への敬愛の念をつきつめていけば、それは日本国への敬愛の念に通ずる。けだし日本国の象徴たる天皇を敬愛することは、その実体たる日本国を敬愛することに通ずるからである。このような天皇を日本の象徴として自国の上にいただいてきたところに、日本国の独自な姿がある。

3 すぐれた国民性を伸ばすこと
 世界史上、およそ人類文化に重要な貢献をしたほどの国民は、それぞれに独自な風格をそなえていた。それは、今日の世界を導きつつある諸国民についても同様である。すぐれた国民性と呼ばれるものは、それらの国民のもつ風格にほかならない。
 明治以降の日本人が、近代史上において重要な役割を演ずることができたのは、かれらが近代日本建設の気力と意欲にあふれ、日本の歴史と伝統によってつちかわれた国民性を発揮したからである。
 このようなたくましさとともに、日本の美しい伝統としては、自然と人間に対するこまやかな愛情や寛容の精神をあげることができる。われわれは、このこまやかな愛情に、さらに広さと深さを与え、寛容の精神の根底に確固たる自主性をもつことによって、たくましく、美しく、おおらかな風格ある日本人となることができるのである。
 また、これまで日本人のすぐれた国民性として、勤勉努力の性格、高い知能水準、すぐれた技能的素質などが指摘されてきた。われわれは、これらの特色を再認識し、さらに発展させることによって、狭い国土、貧弱な資源、増大する人口という恵まれない条件のもとにおいても、世界の人々とともに、平和と繁栄の道を歩むことができるであろう。
 現代は価値体系の変動があり、価値観の混乱があるといわれる。しかし、人間に期待される諸徳性という観点からすれば、現象形態はさまざまに変化するにしても、その本質的な面においては一貫するものが認められるのである。それをよりいっそう明らかにし、あるいはよりいっそう深めることによって人間をいっそう人間らしい人間にすることが、いわゆる人道主義のねらいである。そしてまた人間歴史の進むべき方向であろう。人間として尊敬に値する人は、職業、地位などの区別を越えて共通のものをもつのである。

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-- 登録:平成21年以前 --