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国語審議会 第1委員会(第14回) 議事要旨

1.日時

平成10年5月8日(金曜日) 午後2時~4時30分

2.場所

尚友会館会議室

3.出席者

委員

徳川副主査、新井、井出、宇治、神谷、川邊、篠田、中西、山口各第1委員会委員 (計9名)
清水国語審議会会長、水谷第2委員会主査
霜鳥文化部長、鎌田国語課長ほか関係官(浅松、清水、氏原、野村)
文部省関係官

4.議事要旨

〔経過概要〕

  1. 前回の議事要旨を確認した。
  2. 今期の報告案作成について、意見交換を行った。
  3. 協議における主な意見は次のとおり。

<「1.コミュニケーションと言葉遣い」について>

○ 1.については、aとbとの二つの案が用意されている。aは前回の委員会の御意見等を基に「論議の概要―6.1」を修正したもの、また、bは現代社会の状況の指摘といわゆる「べき論」を合体させて、構成を改めたものである。

○ 前回の総会で、状況の指摘と「べき論」が別々の箇所に書かれていると分かりにくく、また重複した印象を受けるとの御意見があった。そもそも状況の指摘そのものがある種の問題意識に基づくので、「べき論」との境界はどうしてもあいまいになる。また、一般の読み手にとって、どちらが分かりやすく親切かということもある。

○ 世の中に出たときどちらがよいかということだ。

○ 「はじめに」には、「円滑に進むというものではない」とか「不十分と言わざるを得ない」など否定文が多い。「敬語だけでなく様々な敬意表現を含めて考えるべきだ」のような言い方にしてはどうか。

○ aとbではbの方がすっきりしている。また、「(3)性差」の最後の1文の「それでもなお生じる両性間の言葉遣いの違いは云々」は削除してよいと思う。

○ 「(4)世代差」に「若者文化の優勢」とあるが、「優勢」は不要であろう。また、「(6)国際化」に「日本語の文化としての婉曲な言い回し」とあるが、婉曲な言い回しを日本語の文化として評価することは疑問だ。aとbでは、bが分かりやすい。

○ 「(2)地域社会」では方言をプラスに評価しているが、共通語の価値も書くべきではないか。また、「(8)マスコミュニケーション」でテレビ等の言葉を悪いとして価値判断を入れているが、いかがか。

○ 「(1)都市化」のところに、都市化した社会では共通語使用が必然的だということで共通語のことが出ている。「(2)地域社会」は(1)に連続する事柄であり、別々に書くと矛盾するような印象を与えるので、更に工夫したい。

○ 「(6)国際化」で、外国人が日本語を学ぶときは日本語の文化的側面を理解すべきだということと、彼らの母語の影響やアイデンティティーを考慮せよということとは矛盾するのではないか。

○ 日本語を話す以上、日本語の言語習慣を理解してほしいが、コミュニケーションの基本として相互に母語や母文化を尊重し合うことが必要だということであるが、確かに分かりにくいかも知れない。

○ 日本人に求められる言語運用能力というのは、日本語のことか英語のことか。

○ 日本語のことである。高齢者と若者がそれぞれの立場に配慮して言葉や表現を選ぶのと同様、外国人と日本人も相互に理解しやすい言葉を選ぶよう配慮する必要があるという趣旨である。

○ その趣旨であれば理解できるが、この書き方では分かりにくい。

○ aとbとではbがよいが、そもそもこの答申は国民一般に呼び掛けるものなのに、このようにカタカナ語を濫発してよいのか。最初のページから「コミュニケーション」という語がずらりと並んでいる。こんな外来語が分かるのは日本人のうち少数であり、知識層の独善だ。「会話」「対話」などのように、文脈によって言い換えるべきだと思う。

○ 国民に受け入れられなければ意味がない。外来語を極力排除するよう検討する。

○ コミュニケーションという言葉は中学生なら分かる。原案のコミュニケーションを日本語に置き換えるとかえって分かりにくくなるのではないか。

○ コミュニケーションという概念が日本語に存在しないように受け取られるのは情けない。コミュニケーションに該当する現象は存在する。意思の疎通、円滑な対話などとすればよい。

○ 敬語や敬意表現はコミュニケーションを円滑にするために必要なのだということを前提にしているのだから、論理の展開上コミュニケーションという語が使われるのは当然である。本文に全く書かないわけにはいかないのではないか。

○ aとbではbが簡潔でよいが、何が問題なのか舌足らずなところもある。「マニュアル敬語」については、それによる言葉遣いの具体例を出してはどうか。新聞記事に書く場合、例が必要である。

○ bの方がすっきりして分かりやすい。

○ 学校教育では敬語の指導に関して、学習指導要領と現実のギャップにむなしさを感じている。敬意表現とすることによってコミュニケーションを円滑にするための言語運用というように概念が広がり、生徒の言語生活に適応する。今まではやむを得ず「心を届ける」というようなとらえ方で敬語とは別に指導してきた。敬意表現ならそれを敬語と一体化して教えられる。

○ 敬語は知識としてだけでなく、場面を想定してロールプレイなどの方法で身に付けさせることが望ましいが、その場合も敬意表現というとらえ方の方が適当だ。

○ 2は「様々な人間関係と適切な言葉遣い」とすればよい。aとbでは、bがよい。

○ bは今後IIIを書くことを前提に考えると、まとまっている。2の(1)から(8)の項目は、本論とのかかわりの大きさ等を勘案して、配列を考え直してはどうか。

○ 3.ができたとき、1.や2.の内容を改めて修正することはあり得るが、現時点においても説明できるような配列をすることが大切だ。

<「2.敬意表現の在り方について」について>

○ 「貸してくれる?」のようなクエスチョンマークは使うべきでない。日本語の表記では「?」や「!」は使わないのが普通だ。イントネーションを示す記号は日本語の表記法にはないのである。また、p.6に「アイデンティティー」という語が使われているが、これはコミュニケーション以上にごく一部の知識人にしか分からない言葉だ。言い換えるべきである。

○ 「敬語の分類」に、以前は「美化語」があったと思うが、なぜ割愛されたのか。

○ 「美化語」は敬語小委員会の御提案で「論議の概要―5.5」(10.2.27、第1委員会第12回提出)には載っているが、その後主査の御指導で外すこととし、3月18日の第8回総会に報告した「論議の概要―6」以降は尊敬語、謙譲語、丁寧語の3分類になっている。外された理由は、美化語が学校教育等においてまだ一般的でないこと、今回国語審議会がこれを取り上げれば、それなりに権威付けされてしまい、影響が大きいのではないかとの配慮からである。次期に3.を御審議いただくとき改めて御検討いただくことになろうかと思う。

○ 「美化語」は中学校の教科書5社のうち、1社だけが採用している。

○ 「8 敬語の働き」に敬語を使わない場合の効果について書かれているが、不要ではないか。

○ 「上位の人」より「目上」の方が分かりやすいのではないか。

○ 子供は親を目上だと意識しているが、親に対してほとんど敬語を使わない。敬語を使う対象はやはり「上位者」の方が適当だと思う。

○ 今の子供は目上、目下という言葉自体実感がない。立場上の上位者ということで、「上位の人」でよいのではないか。

○ 敬語の働きの中にに「敬う」という言葉がないが、よいのか。「尊敬」という概念が若い人にどういうふうにあるのかが気になる。若い人が尊敬するのはスポーツ選手などだろうが、敬語を使うことはないような気がする。

○ 「敬語の働き」は、書き方が及び腰である。国語審議会として、敬語にはこういう働きがあるから使うのだというふうに書きたい。

○ 次期に3.を具体的に書いてみればはっきりするのではないか。今期の1.と2.は「在り方」の抽象論なので、ある程度あいまいになるのは仕方がない。

○ 見通しがあってこそ3.が書けるとも言える。容認した事実に対してははっきり「……べきだ」と言いたい。

○ 「敬語の働き」は事実関係とべき論とを併せて書いているが、イ、ウ、エの最後の1文は削除してよい。

○ 一貫して流れているのはコミュニケーションを円滑にするために敬意表現を使おうということである。慣用の尊重はもっと強く言うべきか。

○ この報告が、ディスクリプションなのかプレスクリプションなのか、つまり描写なのか処方箋なのかという問題である。中間段階だから多少詰めが甘くてもよい、遠慮せずに処方を書くべきだ。国民のニーズは示唆やガイダンスがほしいと思っている。躊躇せずに書くべし。

○ 「アイデンティティー」という語は使わなければならない。21世紀に向けたイデオロギーは多様性の共存であり、その中でアイデンティティーというキーワードが必要である。新しい概念であるから、「自己同一性」などの翻訳語では意味を表せない。

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文化庁国語課

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