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クローン技術に関する基本的考え方について
(中間報告)

平成10年6月15日 
科学技術会議生命倫理委員会 
クローン小委員会 


目 次

はじめに

1.クローン技術をめぐる最近の動向

1.技術的動向
2.各国の対応
3.我が国におけるこれまでの対応
2.クローン技術の可能性に関する評価
1.人以外の細胞を用いる場合
(1) クローン技術による動物個体の産生
(2) 人型表面抗原を有する臓器を持つ動物の産生
2.人の細胞を用いる場合
(1) クローン技術による人個体の産生
(2) 人個体を産み出さないクローン技術の適用
(3) 胚性幹細胞(ES細胞)の取り扱い
(4) 胚移植を伴う移植用クローン臓器の作製
3.規制に関する検討
1.クローン技術の人個体の産生への適用
(1) 科学的意味と問題点
(2) クローン技術の人個体産生への適用についての規制
(3) 研究の自由との関係
(4) 国際的な協調
(5) 規制の対象
(6) 規制の形態
2.クローン技術の人個体を産生しない目的のための適用
3.クローン技術の人以外の動物の個体を産生するための適用
4.クローン技術以外の生命関係技術
4.情報公開

5.用語の定義

クローン小委員会構成員


はじめに

近年の生命に関する科学技術の発展は目覚ましい一方、こうした科学技術の進歩に伴い、これら科学技術と人間・社会との接点も拡大しつつあり、いわゆる生命倫理の問題として国内的にも、また、国際的にも大きな課題となってきている。 
特に、クローン技術については、昨年2月に英国において、核移植の技術を用いて、羊の体細胞に由来する核を持つ子羊の誕生が報告されて以来、世界各国で、動物を用いたクローン個体産生に関する研究が進んでおり、昨年7月には人の血液凝固因子関連遺伝子を組み込んだ羊の産生に成功する等、世界各国において、クローン技術に関する研究が推進されている。 
しかし、一方では、本年2月には、米国の研究者が体細胞の核移植による人の個体の産生を計画中であるとの報道がなされる等、世界的にクローン技術の人個体産生への適用の可能性及びその実施の是非について種々の観点からの議論が起こっている。 
本中間報告書は、こうした状況に鑑み、クローン技術の現状と展望を総覧し、かつ、これまでの我が国及び世界各国の本問題に関する議論や取組みの内容を吟味しつつ、我が国として採るべき考え方と方策について、中間的にとりまとめたものである。 
本中間報告書については、今後、更に、その内容に対する国民の意識を的確に捉え、最終報告書に反映させていく必要がある。 

1.クロるーン技術をめぐ最近の動向

1.技術的動向

平成9年2月28日付の英国の科学雑誌に、英国ロスリン研究所の研究グループが、成体の乳腺細胞からの核移植によるクローン羊の産生に成功したとの成果が発表された。同研究は、雌の羊の成体の乳腺細胞の遺伝子を含む核を、別の雌の羊から得た、核を取り除いた未受精卵に移植し、さらに別の雌の羊の子宮に戻して、発生、誕生させたものである。この成体の体細胞を元にしたクローン羊は、ドリーと名付けられたが、ドリーは、遺伝的には片方の親と全く同じ遺伝的形質を持った複製個体という性格を有することから、世界的な注目を浴びることとなった。また、その後も、人の遺伝子の導入を行ったクローン羊の産生や、牛の胎児の体細胞を用いたクローン牛の生産など、哺乳類におけるクローン個体産生の新たな手法が相次いで報告され、大きな反響を呼んでいる。 
成体や胎児の体細胞を元にしたクローン個体の産生に関する研究は、すでに40年以上の歴史を有しており、昭和45年には、英国のJ.B.ガードンらがアフリカツメガエルのおたまじゃくしの腸上皮細胞を使った核移植によるクローン個体の産生に成功している。今回報告されたクローン羊やクローン牛の産生手法も、これら両生類等におけるクローン研究の成果に基づくものである。 
哺乳類においては、従来、この手法によるクローン個体の産生は困難とされ、一般には初期胚細胞核を元にした産生手法が用いられてきた。成体の体細胞核を元にしたクローン個体産生手法は、表現形質が既知の個体と同じ遺伝的形質を有する複数の個体の産生を可能にするという点で、初期胚細胞核を元にした産生手法とは一線を画するものである。 

2.各国の対応

今般のクローン羊の誕生を契機として、欧米を始めとした各国及び国際機関において、クローン技術の人への適用の規制について種々の検討が行われた。 
米国においては、まず、平成9年2月24日、クリントン大統領から国家生命倫理諮問委員会に対し、90日以内の検討が要請されるとともに、3月4日に、人のクローン産生に関する連邦資金の支給を当面禁止する大統領令が発せられた。同年6月7日には同委員会の答申が出され、これに基づき、同9日には、クリントン大統領から議会に対し、 
1)公的機関あるいは民間機関を問わず、体細胞の核を用いて胚を作製し、それを母体に戻すことで、子供を産み出すことを禁止する、 
2)細胞中のDNAのクローンや動物のクローンは禁止しない、 
3)法律は、5年後に見直しを行うこととし、国家倫理諮問委員会は、引き続き本件について検討し、4年半後に報告を行う、 
ことを主な内容とする法律案を議会に提出した。また、同大統領提案の法律案のほかにも、人の体細胞に核移植技術を用いることを永久に禁止すること等を内容とする法案等も議会に提出されている。 
一方、西欧諸国の多くは、従来より生殖医療・医学関連の国内法において、人の胚の取扱に関する規制を行っており、人のクローン個体の産生についても禁止の措置が採られている。 
フランスにおいては、平成9年2月27日にシラク大統領が、生命科学と医療のための国家倫理諮問委員会にクローン技術の人への適用に関するレビューを行うことを指示した。同年4月24日には、同委員会から、生殖に男女の両性が関与し、かつ、偶然性が介在することにより、各個人の唯一性が確保されることが、人間の尊厳保護の基本的要件であること、クローン技術により産生される人は道具化され、他者の目的のための手段として使われる可能性があり、こうした視点から人のクローン個体を人為的に産生することは倫理的に許されるものではないこと、人のクローン個体の産生については、既存の法律で禁止されていると解釈できること等の報告がなされた。 
イギリスにおいては、平成9年2月27日に、ヒト遺伝学諮問委員会が、核移植による人の胚のクローン作製が「人の受精と胚研究に関する法律」(1990年)における禁止対象に含まれることを確認、次いで、同年3月20日には下院科学技術特別委員会が、同法律における、成体体細胞由来核の除核未受精卵への移植による人のクローン個体産生の位置づけを明確化するため、所要の改正を行うべきであるとする報告をまとめた。 
欧州評議会においては、平成9年4月4日に、研究目的での人の胚の作製の禁止等を内容とする「人権と生物医学に関する条約」が調印された他、同条約の追加議定書として、平成10年1月12日に、遺伝学的に同一の人間を作り出すことを目的とするあらゆるクローン技術の使用の禁止に関する「人権及び生物医学に関する条約追加議定書」が調印された。(いずれも未発効) 
また、平成9年5月14日には、世界保健機関(WHO)が、遺伝情報が同じ生物を人工的に作り出すクローン技術に関し、人間への応用は容認できないとする決議を採択した。 
更に、平成9年6月22日には、デンバーサミット8ヶ国首脳宣言において、子孫をつくりだすことを目的に体細胞核の移植を行うことを禁止するために適切な国内措置及び緊密な国際協力が必要である旨の表明がなされた。 
このほか、ユネスコにおいても、同年11月11日に「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」を採択し、人間の尊厳に反する許されざる行為として、人のクローン個体産生を例示している。 
以上のように、体細胞由来の核移植によるクローン羊の誕生を契機として、人のクローン個体の産生については、少なくとも当面は、これを禁止することが世界的な趨勢となっている。 

3.我が国におけるこれまでの対応

我が国においては、クローン研究に関連して、まず、平成9年3月7日に、文部省の学術審議会が、科学研究費補助金について、人のクローンに関する課題の採択を当面差し控えることを決定した。続いて、同年3月21日、科学技術会議政策委員会が「ヒトのクローン研究に関する考え方について」を決定し、人のクローンに関する研究については、当面、政府資金の配分を差し控えることが適当であるとするとともに、国以外においても、当面、そのような研究を差し控えることを期待する旨表明した。これらを受けて、文部省が、同年3月26日に「ヒトのクローンに関する研究について」を大学等に通知したのを始め、科学技術庁、農林水産省、通商産業省等も、関係研究機関に対する周知徹底を行った。しかしながら、このような人のクローン個体の産生に対する政府資金の配分の当面の停止は、安全面、倫理面等から議論を尽くすのに必要な時間的猶予を得るための措置という性格を有していた。 
このため、科学技術会議は、引き続き、「ライフサイエンスに関する研究開発基本計画について」(平成8年6月24日付け内閣総理大臣諮問第24号)の審議においてクローン技術に関わる問題を採り上げ、平成9年7月28日に検討結果を答申としてとりまとめた。 
同答申においては、クローン技術を用いた動物のクローン個体の産生や個体を産み出さない人の細胞の培養等については、「畜産、科学研究、希少種の保護、医薬品の製造等において大きな意義を有する一方で、人間の倫理の問題等に直接触れるものでないことから適宜推進することとすべき」とする一方で、クローン技術を用いた人の個体の産生については、「現在、我が国を含む多くの国において」「社会的に容認されていないと考えられ、さらには、人為的な手段により特定の遺伝的性質を持つヒト個体を選択的に産み出し、人間としての人格を作り出そうとする点等で人間の尊厳にかかわる種々の倫理的問題を内包していると考えられること、また、産生される生物個体にかかわる科学面、安全面等の基本的な知見も十分に蓄積されていないことから、これを実施しないこととすべきである」とし、政府資金の配分を差し控える等の「現行の決定を当面継続すると共に、法的規制の必要性等具体的方策については、生殖技術等の観点から議論を尽くしていくべきである」とした。 
この答申は、そのまま「ライフサイエンスに関する研究開発基本計画」として、同年8月13日に内閣総理大臣決定されたが、同答申を受け、文部省においても、「大学等におけるクローン研究に関する考え方」を公表した。 
科学技術会議は、更に、同基本計画において、「倫理的、社会的問題について、国としての姿勢を内外に示すべき場合もあり得ることに備え、情報の収集・分析・検討を積み重ねていくための適切な組織の在り方について、積極的に検討すべき」こととされていることを受け、平成9年9月25日、生命倫理に関わる課題について幅広く受け止め、広範な価値観を集約し、人文・社会的な観点をも含めた幅広い観点からの検討を行う常設の審議機関として、新たに生命倫理委員会を設置した。本クローン小委員会は、新設された生命倫理委員会が、クローン問題について専門的に検討を行うため、同委員会に平成10年1月13日設置したものである。 
一方、人のクローン個体の産生という行為には、個人あるいはその子孫の身体の安全に直接関わる医療行為という側面や、未知の可能性を追求する基礎研究としての側面があり、それぞれの観点からの科学的・専門的な検討も必要である。 
このため、厚生省においては、厚生科学審議会に先端医療技術評価部会を置き、クローン問題を含む生殖医療技術の在り方に関する審議を行っている。 
また、文部省の学術審議会においても、平成9年4月18日に「クローン研究における新たな倫理的問題等に関するワーキンググループ」を設置し、大学等におけるクローン研究の今後の在り方について、その規制の方策をも含めた検討を行っている。 
このように、クローン問題については、関係機関においてこれまで種々の議論がなされてきてはいるが、こうした関係機関における議論を集約し、我が国全体として、クローン技術に対してどのような対応を行っていくかについて、幅広く議論する必要がある。本中間報告は、こうした認識に基づき、クローン技術の科学的可能性を検証し、科学、哲学、宗教、法律等の種々の立場からクローン問題に対して我が国として採るべき考え方と方策について、その規制の在り方を含めて検討を行ったものである。 

2.クローン技術の可能性に関する評価

クローン研究は、元々は、両棲類の核移植による発生・分化に関する生物学研究から発展してきたものであるが、近年では、畜産分野において、育種理論に基づいて生産性のより高い品種を作り出すという課題の下、同一の遺伝的形質を有する子畜、即ち、一卵性多子の効率的生産や能力既知の成体からのクローン産生を目的として開発が進められてきた。ほ乳類における最初の核移植によるクローンの成功例は、昭和60年にマウスで報告され(米国)、ついで、昭和61年に羊(英国)、昭和62年に牛(米国)で報告され、我が国においても、既に、300例余りの牛クローン個体が生産されている。これらの成功例は、いずれも、発生初期段階の細胞の核移植によるものであるが、成体の体細胞を用いるものとしては、妊娠中であると報告されている例を除き、英国のドリーの例が唯一の実際に出産にまで至ったものである。 
このようなクローン技術は、学術面、応用面の両方において、優れた形質を持つ畜産用、研究用動物の効率的生産等のために大きな意義を持つ画期的技術として評価されている。 
一方、哺乳類におけるクローン個体産生手法の進展は、人への応用を容易に想起させるものとして、新たな問題を提起している。とりわけ、ドリーの産生の成功は、家畜の育種・改良上画期的な貢献をもたらす反面、その手法が人へと応用されれば、現存する人と同一の遺伝子を持つ新しい人個体の創造さえ可能であることを示唆している。クローン研究に係る最近の報告が、大きな社会的関心を呼び起こしたのもこのためである。 
種々の分野におけるクローン技術の可能性については、空想的なものも含めて多く語られているが、本委員会としては、冷静にその技術的可能性について評価し、その上で、規制の在り方について考慮した。 

1.人以外の細胞を用いる場合

(1)クローン技術による動物個体の産生

今次、体細胞核移植による高等動物のクローン個体産生に成功したが、これにより、優れた品質の畜産動物、特殊なタンパク性医薬品を母乳等の中に多量に産生する動物、生物学の試験研究用に有用な均質な医学実験用動物、絶滅直前の希少動物等の動物が一度産生されれば、その動物の体細胞の核移植を実施することにより、同一の遺伝的形質を持つ多数のクローン個体を産生することが可能となると考えられる。これらは、産業、研究の両面において、非常に高い有用性を持つと評価される。 
また、体細胞が核移植の過程を経て、生殖細胞と同様な状態にリセットされるという現象自体の解明を進めることにより、細胞周期監視の分子機構、胚・組織の細胞間の分裂同調機構、染色体構築の分子機構、細胞分裂回数の制限プログラムのリセットの機構、等の様々な生命現象の理解が進むこととなることから、生物学の基礎的研究の推進にとっても寄与するところは大であると評価される。 

(2)人型表面抗原を有する臓器を持つ動物の産生

上記(1)のうち、クローン技術を用いて、人型の表面抗原を有する臓器を持つ動物を多数産み出し、それらのクローン動物から臓器を得て、人に対する移植に用いる手法について、諸外国で研究が精力的に進められている。この手法に関しては、クローン動物の産生の段階については、近い将来技術的に可能となると考えられるが、人への移植の段階については、動物中に存在する未知ウィルスが移植人体に悪影響を及ぼす可能性が否定できず、また、移植される体の拒絶反応についても十分な知見がないことから、現時点では、安全性の確保の観点から、現実的な有用性を考慮し得る技術的状況にはない。しかし、将来の可能性については引き続き十分なフォローが必要であると評価される。 

2.人の細胞を用いる場合

(1)クローン技術による人個体の産生

核移植技術を人の体細胞に適用し、人のクローン個体を産み出すことについては、理論的には、人の発生過程におけるゲノムの修飾とその生物学的影響、寿命・形態等の決定要因、体細胞の細胞サイクルの初期化と生殖細胞の分化との関係等に関する科学的研究、及び、ミトコンドリア異常症を有する母親等の不妊治療への応用等の医学的応用に用いることが考えられる。 
このうち、科学的研究への適用については、人間の尊厳を侵害するとの観点から下記3.の問題があることに加えて、現時点では、人以外の動物細胞を用いることにより必要な研究が十分に実行可能であることから、人の細胞を用いて行う必然性に乏しく、敢えて実施するだけの有用性はないと評価される。 
また、医学的応用についても、人間の尊厳の侵害の観点から下記3.の問題があることに加え、現時点では、産まれてくる人個体の安全な成長が保証されるだけの科学的知見がないという意味で実用的な技術とは考えられず、敢えて実施するだけの有用性はないと評価される。 

(2)人個体を産み出さないクローン技術の適用

細胞の核移植や胚移植を行わず、人の個体を産み出さないようなクローン技術の適用(体細胞培養)については、人個体を産み出さないことから人間の尊厳の侵害の問題に触れることがないことに加えて、同一の遺伝的形質を持つ細胞や組織の利用が可能になることから、均質な研究材料の確保等の種々の科学的研究での有用性が認められ、また、今後、安全性の確認に慎重な検討が必要であるものの、細胞治療用のクローン細胞の作製、クローン細胞からなる移植用組織の作製等の医学的可能性も認められることから、有用性があると評価される。 

(3)胚性幹細胞(ES細胞)の取り扱い

マウスで確立されている胚性幹細胞(ES細胞)は、いずれの種類の細胞にもなりうるという意味で全能性を有するものであり、発生初期段階の胚の細胞と同様な性質を有するが、現時点では、人では得られていない。将来、人の胚性幹細胞の系統が得られた場合を考えると、現在の知見では、胚性幹細胞といえども、核移植や胚移植を行わない限りは、人の個体を産み出すことはないことから人間の尊厳の侵害の問題に触れることがないことに加えて、それを、体外で培養して適度に分化させれば、均質な研究用材料の確保、細胞治療用のクローン細胞の作製、クローン細胞からなる移植用組織の作製に活用する可能性があることから、上記と同様、有用性があると評価される。 
なお、マウスでは、胚性幹細胞を、他の発生途上のマウスの胚と混ぜて、一種のモザイク胚を得ることが可能となっていることから、同様の過程を、人の胚性幹細胞で行うことも理論的には考えられる。そのようなモザイク個体を産み出すことも、種々の問題を生じるものと考えられるが、本件は、クローンの問題とは別のものであり、本検討とは別に改めて検討すべきである。 

(4)胚移植を伴う移植用クローン臓器の作製

また、人個体を産み出すことが不可能なように(人の特定の臓器のみを発生するように)細胞の核の遺伝物質を改変し、当該細胞核の核移植により胚を産み出し、その母体への移植を通じて特定の移植用クローン臓器を作製することも理論的に考えられるが、現時点では、人の成体又はそれに近い体を産み出さずに特定の個別臓器のみを産生することは技術的に可能性がないと評価される。したがって、人間の尊厳の問題と深い関連を生じざるを得ない技術的状況にあり、人個体を産み出す場合と同様、現実的な有用性を考慮し得る技術的状況にないと評価される。 

3.規制に関する検討

1.クローン技術の人個体産生への適用

(1)科学的意味と問題点

人個体の産生にクローン技術を適用することは、科学的視点からは次のような意味のものと考えられる。 
○男女両性の関与が無くても子孫を産み出せるという無性生殖の途を開くものであること 
○この場合、通常の受精ではその配偶子形成過程で起こる染色体組換えが起こらず遺伝的形質が遺伝情報の提供者と同一となること 
○その結果、成長過程での環境要因の作用による違いは生じるものの、産み出される人の表現形質が相当程度予見可能であること 
○更に、予め表現形質が相当程度予見可能であることから、特定の表現形質を持つ人を一定程度意図的に複数産み出すことが可能であること 

このように、人のクローン個体の産生は、従来の人の生殖が、先端医療技術を用いる場合を含め、全て、有性生殖の過程を経て行われてきたのに対して、遺伝的に同じ個体を、意図的に産み出せるものであるという点で、これまでと全く異なる人の生命誕生の在り方を開くものであり、その特徴を踏まえて、適切な対処が必要である。 

1)人間の尊厳の侵害
クローン技術の人個体の産生への適用については、以下のように、人間の尊厳の確保の観点から問題がある。 

○動植物の育種と同様、クローン技術の特色である予見可能性を用いて、特定の目的の達成のために、特定の性質を持った人を意図的に作り出そうとするものであり(人間の育種)、また、如何なる者が用いるにせよ、人間を特定の目的の達成のための手段、道具と見なすものでもある(人間の手段化・道具化)ため、そのようなことを容認する社会は、人間の個人としての自由な意志・生存が尊重される社会とは言えないこと(個人の尊重される権利の侵害) 

○遺伝的形質が予め決定されている無性生殖であり、男女両性の関わり合いの中、子供の遺伝的形質が偶然的に定められるという、人間の命の創造に関して日本人が共有する基本認識から著しく逸脱するものであること(人間の尊厳の基礎をなす人間の生殖の在り方に関する社会的認識からの大きな逸脱) 

○クローン技術を、不妊症治療等のための生殖医療に使用し得る技術と捉えた場合であっても、その人個体の産生への適用は、上記のような、人間の育種、手段化・道具化との側面を否定し得ない上、日本人が共有する人間の生殖の基本認識をも大きく侵すものであること 

○クローン技術を医療以外の目的に便宜的に用いる場合(一般人が、自分の遺伝子を将来に残したいと願う場合等)には、上記にも増して、その人個体の産生への適用は、人間の育種、手段化・道具化であるとの側面を否定し得ない上、日本人の共有する人間の生殖の基本認識をも大きく侵すものであること。 

2)安全性の問題

クローン技術を用いて人個体を産み出した場合、正常の受精に比較して、高頻度で障害児が生まれたり、成長過程で障害が発生する可能性を否定できない現状では、産まれてくる人個体の安全性の確保は保証できず、そのような状況下で、クローン技術を適用することには問題がある。 

(2)クローン技術の人個体の産生への適用についての規制

クローン技術は、原子力や宇宙開発のような高度の施設設備や巨額の資金を要する巨大技術と異なり、現在既に国内研究機関や病院等で一般的に使用されている顕微鏡下細胞取扱技術や人胚培養技術等を用いて、一定水準以上の能力を持つ医師や生命科学研究者が、比較的容易に実施し得る可能性があること、また、現実に米国でクローン技術を用いた民間の不妊症治療計画が発表されるなど、現時点ではその実態は存在しないものの近い将来問題が現実化する可能性があること、等を勘案すると、我が国としても、この問題を放置しておくことは適切でない。 
クローン技術の人個体の産生への適用が、上記のように、人間の尊厳、安全性の両方の観点から問題があることを総合的に判断すると、人クローン個体が産生されることを禁止することが妥当である。 

(3)研究の自由との関係

研究者がどのような研究を行うかは、無制限に自由であるものではなく、社会に対する責任との関係で議論されるべきである。上記のように、人個体を産み出すようなクローン技術の適用には必然性が乏しい場合、更にそれに加えて、人間の尊厳上の問題がある、安全上の問題がある等社会に対する負の影響があると考えられる場合、或いは、それに対して国民の間に幅広い反対意識がある場合等には、研究者自身が社会的責任を十分に自覚して対処しなければならないことは当然であるが、更に、適切な範囲で規制を設けても、研究の自由の不当な制限につながるとは言えない。 

(4)国際的な協調

クローン技術の規制に関しては、世界各国において議論が進められているが、技術や研究者の国際交流・移転が国際的に進む中、我が国のみが、特別に緩い(国外の医師・研究者の我が国でのクローン技術適用)又は厳格な規制とならぬよう、国際的に協調したものであることが必要である。 

(5)規制の対象

人のクローン個体の産生に対する規制は、現在の科学的知見では、人の胚は、母体への胚移植の過程を経なければ、出生、成長する可能性がないことから、人クローン個体を産み出さないため、人クローン胚の母体への胚移植を禁止の対象とすることが適切である。なお、人の細胞の核を人以外の動物の除核未受精卵に核移植して交雑胚を作製し、それを人又は動物の母体内に胚移植し、成長させること、についても、人のクローン個体を産み出すという点では、人の細胞の核を人の除核未受精卵に核移植する場合と変わらず、禁止のための規制を行うことが妥当である。 
また、上記に加え、人個体を産み出すことを目的としない場合、或いは、核の遺伝物質の改変により人個体を産み出すことができないとされる場合にあっても、母体への胚移植を伴う移植用クローン臓器の作製は、現時点では、人個体を産み出すことと同等の実態を含むことから人間の尊厳を侵害し得るものであり、禁止のための規制を行うことが妥当である。 
なお、人の胚については、一般的には、生殖医学発展のための基礎的研究並びに不妊症の診断治療の進歩に貢献する目的のための研究に限って、取り扱うことができるとされ、また、原始線条(中枢神経系の原基)が出現する段階を越えて体外で培養することは問題があるとされていることに留意する必要がある。 

(6)規制の形態

1)クローン技術に関する規制の形態
クローン技術に関する規制の形態としては、 
・法令に基づく規制 
・国によるガイドラインによる規制 
・国による研究資金配分の停止の規制 
・学会等によるガイドライン等による医師、研究者の自主的規制 
・個別の医療機関・研究機関等における倫理委員会審査等による自主的規制 
等が考えられる。 
クローン技術の規制については、技術的に単一の考え方に基づいて統一的な規制が行われるべきであること、官民問わず全ての医師、研究者等に対して共通的な規制が行われるべきであること、具体的な実効性を伴う規制が行われるべきであること、を考えると、少なくとも、国によるガイドライン設定以上の公的な規制を行うことが適切である。この場合、クローン技術を用いた人個体の産生の禁止(及びそれに関連して規制されるべき胚移植を伴う人臓器のクローン産生の禁止)を含め全ての規制を国の定めるガイドラインに基づいて行う方法と、少なくとも、クローン技術を用いた人個体の産生の禁止(及びそれに関連して規制されるべき胚移植を伴う人臓器のクローン産生の禁止)については、規制の核心部分であるとして法律に基づき禁止し(その違反に対して罰則を設定)それ以外の部分について国の定めるガイドラインに基づいて規制する方法、の両方が考えられる。この両者の間には、規制の強制力、規制の柔軟性等の面で違いがある他、いずれの方法が日本の社会にとって適切なものであるかは、体外受精等の他の生殖医療技術が法律により規制されていないこととのバランスの問題や、科学者や医師に対する国民の信頼感の問題にも関係することから、社会各般の考え方を的確に把握した上で、最終的に判断すべきである。 
なお、クローン技術の適用に関しては、胚移植を伴わない人クローン臓器の作製等実施が許容される場合にあっても、人個体の産生に技術的に近い一定の研究・応用に対しては、情報公開を行いつつ進めることが重要であるため、知的所有権に配慮しつつ、法律あるいは国のガイドラインに基づき、それらの研究・応用に関する公表義務の設定、公表された研究・応用例が一覧できる公表データベースの設定等を検討することが必要である。 

2)規制の時限
クローン技術に対する規制に関しては、今後クローン技術に関する知見が蓄積するとともに安全性についての科学的判断も確実になっていくこと、クローン技術と人間の尊厳との関係について更なる議論が行われること、現在未だ可能性の段階にあるクローン技術の応用実例が今後畜産の分野等で具体的に提示されるようになること、等により、将来、同技術に対する国民の意識やその規制の在り方を巡る状況が変化する可能性があるため、現時点では、恒久的な規制でなく、知見が相当程度蓄積される期間と考えられる5年程度の限時的な規制とし、その間に規制の在り方について更に検討することが適切である。 

2.クローン技術の人個体を産生しない目的のための適用

クローン技術を人個体を産み出さない目的のために適用すること(体細胞培養)(全能性を有する胚性幹細胞の系統が人において確立された場合において、同細胞の人個体を産み出さない体外での培養を含む。)については、上記1.で示したように、種々の科学的・医学的可能性が認められ、今後、医学的応用には安全性の確認に慎重な検討が必要であるものの、クローンの観点からは、特段の規制をする理由は見当たらない。 

3.クローン技術の人以外の動物の個体を産生する目的のための適用

人以外の動物個体の保護、管理等については、一般的に、現在「動物の保護及び管理に関する法律」による規制が適用されており、クローン動物の保護、管理についても他の動物と異なる規制を適用しなければならない理由はないことから、当該規制が適用されると考えるべきである。 
なお、動物の保護・管理のあり方そのものに関して更なる検討が必要であれば、本小委員会とは別途の場を設けて検討すべきである。 
哺乳類のクローン個体の産生については、その推進にあたっては、知的所有権に配慮しつつも、公表された研究・応用例が一覧できる公表データベースの設定等による適切な情報公開を進めることにより、社会の理解を得ていく必要がある。 

4.クローン技術以外の生命関係技術

人のクローン個体の産生は、上述のように、従来の人の生殖が、先端医療技術を用いる場合を含め、全て、有性生殖の過程を経て行われてきたのに対して、遺伝的に同じ個体を、意図的に産み出せるものであるという点で、これまでと全く異なる人の生命誕生の在り方を開くものである。その意味で、他の生命誕生に関わる技術とは、質的に全く異なる影響を人間社会にもたらすものであり、現時点において、人の生命誕生に関わる他の技術とは異なる強い規制が必要であると考えられる。 
しかし、生命の誕生に関わる技術は、体外受精技術のように、既に一般化した技術もあるし、今後の技術的進歩により、予想を越えた技術が出現してくる可能性もある。上記、2.2.(3)で記述したキメラやハイブリッドと呼ばれる人と動物の交雑胚の問題、生殖細胞のゲノムの改変や診断の問題、他の生殖医療技術の取扱いの問題等については、今後の対処の方法についての更なる検討が不可欠であることは明らかである。これらの問題には、それぞれに固有の技術上、倫理上等の議論が存在することから、一概に、クローン技術に関する議論を適用できるものではなく、改めて、詳細に議論を行う必要があり、生命倫理委員会等における更なる検討が望まれる。 

4.情報公開

クローン技術に対する国民の関心は、近年、極めて高くなっているが、その一方で、その高度化、専門化に伴い、その正確な実態が、一般の国民にとって容易に理解し難いものとなっており、実際には不可能な空想科学的な事態も直ちに現実化するかのような議論も現れ、国民の意識に、正確な情報の不足から来る不安を生ぜしめている。したがって、クローン技術については、技術の適用が許容される場合においても、知的所有権の経済的価値を考慮しつつも、高度情報通信ネットワークの活用等により、情報公開を行いつつ進めることが重要である。また、クローン技術を用いる研究者等に対しても、自らの行為が、真に人間、社会、自然と調和しているかについて、不断に省察することが求められる。 

5.用語の定義

本中間報告で用いる生物学用語の定義並びに適用範囲は以下の通りである(五十音順) 

・核移植: 
核を除去した細胞に別の細胞の核を挿入する技術。英国で成功したクローン羊の例では、核を除去した羊の未受精卵に他の羊の体細胞からとった核を挿入した。 

・幹細胞: 
機能分化した細胞を生み出す源となる細胞。体のそれぞれの組織に対応する幹細胞が存在する。例えば骨髄には、赤血球、白血球、免疫系細胞、血小板などすべての血液細胞の源になる幹細胞が存在する。ただし、生殖幹細胞と胚性幹細胞(ES細胞)は全ての細胞に分化する能力(全能性)を持つ。 

・クローン: 
一般に「核遺伝子が同一である個体(の集合)」をクローンと呼ぶ(例えば、「クローン動物」。)。最近では、「細胞のクローン」(一個の体細胞が有糸分裂を繰り返して増殖した結果として生じた細胞の集合)、「DNAのクローン」(均一のDNA配列の集合)の意味にも用いられる。 

・生殖細胞: 
卵子と精子の呼称。有性生殖を通して、次世代の個体にその生物種の遺伝子を伝える役割を持つ。 

・体細胞: 
生物個体を作り上げている細胞のうち、生殖細胞を除く全ての細胞の総称。体細胞は、その個体一代限りのものである。但し、特殊な無性生殖を行う動植物及び人為的に産生したクローン個体は例外で、体細胞の遺伝子が他の個体に伝えられる。 

・胚: 
多細胞生物の個体発生の初期の状態である。 


クローン小委員会構成員

 
(委員長) 岡  田  善  雄 (財)千里ライフサイエンス振興財団理事長
 

青  木      清

上智大学生命科学研究所所長
  位  田  隆  一

京都大学大学院法学研究科教授

 

勝  木  元  也

東京大学医科学研究所教授
  加  藤  尚  武

京都大学文学部教授

  菅  野  覚  明 東京大学文学部助教授
  菅  野  晴  夫

(財)癌研究会名誉研究所長

  高  久  史  麿

自治医科大学学長

  武  田  佳  彦

東京女子医科大学名誉教授

  豊  島  久真男

大阪府立成人病センター総長

 

永  井  克  孝

株式会社三菱化学生命科学研究所所長
 

木  勝  島  次  郎

株式会社三菱化学生命科学研究所主任研究員
 

町  野      朔

上智大学法学部長
  三  上  仁  志 農林水産省畜産試験場企画調整部長
 

村  上  陽一郎

国際基督教大学教授
 

森  島  昭  夫

上智大学法学部教授