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第3回科学技術会議生命倫理委員会議事録


1.日時    平成10年4月21日(火)10:00〜12:00

2.場所    帝国ホテル「菊の間」

3.出席者

 (委 員)

森委員長、石川委員、石塚委員、井村委員、熊谷委員、佐野委員、島薗委員、田中委員、永井委員、中村委員、藤澤委員、森岡委員
(事務局)

科学技術庁研究開発局長 ほか

4.議題

(1)クローン問題について
(2)その他

5.配付資料

資料3−1  クローン小委員会の設置について
資料3−2  クローン技術の可能性と規制の在り方に関する論点整理(クローン小委員会委員長メモ)
資料3−3  クローン技術の可能性と規制の在り方に関する主な論点整理
資料3−4  第2回科学技術会議生命倫理委員会議事録

6.議事

議題:クローン問題の論点について

 (委員長)

それでは、まだお見えでない方もおられるようではございますけれども、定刻になりましたので、始めたいと存じます。
今日は第3回の生命倫理委員会ということで御案内を差し上げましたところ、それぞれ大変御多忙の中、また、遠方からもお運びいただきまして、ありがとうございました。
1つ、御報告かたがた、おわびせねばならぬことは、前回、この次こそ橋本総理大臣に御出席を願って、委員の方々との間でいろいろ対話をしていただきたいという私どもの心づもりを申し上げました。事務局でも一生懸命努めてくれた次第でありますが、どうしても総理の時間の都合がおつきにならず、今日も御出席いただけませんでした。事務局としてはまだまだ努力を続けてくれるということでありますから、いつの日にか、それが実現することを望んでおります。お許しいただきたいと存じます。
御記憶の方も多いと思いますが、前回のこの会のときに、取り上げるべきテーマは幾つもあるけれども、差し当たってクローンということが、1つの、目の前にある事柄でありますので、それについて小委員会を設けていただき、そこでの御議論の結果をこちらに御報告いただいて、私どもでさらに議論しましょうという、そういうお約束をいたしました。幸いにして岡田委員が委員長をお引き受けいただきましてクローン小委員会を設置し、そして、何回かの御議論を経てまとめた論点整理メモを頂戴しております。今日はたまたま岡田委員の御都合がつかず、御欠席でありますので、そのかわりというと大変失礼な申しようでありますが、委員に御報告をお願いして、そこで皆様方の御意見を伺いたいという、それが本日のこの会での最大の事項でございます。場合によっては、その前に若干、事務局から状況の御報告があっても宜しいかと思っておりますけれども、そんなことで始めたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
そういたしますと、まず、事務局から資料の確認をお願いできますでしょうか。
(事務局)
事務局の方から配布資料の確認をさせていただきます。
資料を幾つかお配りしてございますけれども、資料3−1が、先ほど委員長の方からお話がございましたクローン小委員会の設置に関する資料でございます。
それから、資料3−2が「クローン技術の可能性と規制の在り方に関論点整理」でありまして、過去4回、クローン小委員会が開催されまして、それまでの御議論をこの時点までの御議論としまして整理した際の委員長メモでございます。
それから、資料3−3が、その委員長メモを少しコンパクトにポイントを抽出いたしました3枚紙でございます。
また、前回第2回の生命倫理委員会の議事録につきましては資料3−4としてお配りしております。
以上でございます。
(委員長)
どうもありがとうございました。以上の資料がお手元に渡っておりますでしょうか。
私どもの方の都合を申し上げますと、近いうちに科学技術会議の本会議が開かれることになっておりまして、それは橋本総理御自身が議長を務めておられる会議でありますが、そこでこのクローンの事柄も含めて、本委員会の現在の状況、あるいは現在までの検討のあらましを報告するつもりでおります。
さて、クローンでございますけれども、今申し上げましたように、前回、小委員会を設置し、議論を開始するということを皆様方に決めていただいて、事務局の方からも紹介がありましたように、既に4回ほど御論議いただいております。それで、最終的な結論ではないかもしれませんが、とにかく現在までにまとまったお考えを示していただいておりますので、先ほども申し上げましたように委員にまずその説明をしていただきたいと思います。その後、各委員の間で、場合によっては項目ごとといいますか、多少、中身を区分しながら御議論いただく方が進行上の都合はよいかもしれません。そのようなことでお願いしたいと存じます。
さて、この程度の前置きで本論に入ってよろしゅうございますか。何か、その前に御注意でも頂く必要があればと思いますが、よろしゅうございますでしょうか。
それでは、もし何なりと御質問があれば、全体的なことであろうと各論的なことであろうと、討議の途中、随時御発言いただいて結構でございます。
では、委員、恐縮ですが、お願いできますか。
(委員)
それでは、岡田善雄委員長が御欠席せざるを得ない事情があり、私がこの生命倫理委員会とクローン小委員会を兼ねておるただ一人の人間ですので説明をさせていただきます。また、全部の会に出席しているわけではございませんので、お伝えすることの中にも不備があるかと思いますが、一応説明させていただきます。
先週の月曜日に既に4回目の小委員会が開かれておりまして、5回目も予定されていると聞いております。かいつまんで申しますと、資料3−2は、かなりよくできておりまして、非常に具体的な点まで突っ込んで書いてあります。委員会の発言は議事録で各委員の名前も出るという非常にオープンな形で、全面公開という形で続けられてきているということをお知らせしておきたいと思います。資料3−2にありますように、いろいろ意見が分かれておりまして、いまだ結論には達しておらず、現時点において可能な限り論点を明確にするという、その論点の整理という形で御報告する段階にあるかと思います。そういうことでお聞き願いたいと思います。
(委員長)
その小委員会では傍聴者はお認めになったのですか。
(委員)
そうです。よほどのことでない限り、すべて公開ということで、そのときに傍聴者が列をなすようなことがあったらどうかというような話も出ましたが、そのときは裁判所と同じようにくじ引きではどうかとか、そういうふうな話も出たりしました。今のところ、一般の方というよりもむしろマスコミの関係の方も常時出席しておられたというふうに見ております。
資料3−2というのは細かく書いてありまして、資料3−3が大変要領よく論点が整理されていますので、それに従って御説明いたしたいと思います。一番大事なことは、最初から大上段に構えて、人間の尊厳とは何かとか、そういった観点から、論理的に事柄を運ぼうというような方向で議論を進めるのはむしろ避けたかと思います。もともとライフサイエンスというのは、医学部から、農学部、工学部までに及ぶような、広い範囲に関係する学問でありますし、そういう意味では宇宙科学、エネルギー科学、原子力などとまるで違った領域の問題を扱っている上に、その問題自身が、人間としての自分自身に直接関係してくることでもあるということで、議論が非常に多岐にわたり、いろいろな意見が出ました。現時点においては、その中で論理的に詰めるというようなことは一応さておいて、もっと現実的に議論しようということで、かなり個別的な形で問題点を整理した方がいいのではないかということになり、それが資料3−3という形でまとめられているわけです。
この中で、1つ、非常に大事なことは、今議論していることは決して、既に起こっていることとか、すぐにでも現実に実現されるようなものを扱っていることではなくて、かなり可能性といいますか、ある意味では仮想といいますか、そういったもの、しかし、現実化されることは大いにあり得るというような問題を委員たちが扱っているということです。そのことを絶えず頭に置かないと、どうもいろいろなことが、規制を含めて非常におかしなものになってしまうのではないか。問題のはらむこのような特別の性格が全面に出てきて、まず、現実的に個々の問題について議論を煮詰め、論点をまとめる方向でとにかく進めようという作業につながっていったものと思います。そんなことを前提にしてお話し申し上げたいと思います。
資料3−3は3−2のまとめということになっておりますので、資料3−3の各々の点に関して、より詳しい点はむしろ資料3−2を参照するという形でごらんいただければ、ある程度整理がついてくるのではないかと思います。資料3−3を御覧いただきますと、とりあえず整理し、人の場合と動物の場合とをはっきり分けた方がわかりやすいということで分けております。まず、3−3の下の方の動物の細胞を用いる場合について議論されたことを最初にお話し申し上げたいと思います。
この場合については、結論としましては、動物の場合はあまり問題はなくて、むしろ有用性の方が高いというようなことでございました。しかし、人のクローンとのかかわりが動物のクローン技術と全く関係がないかというと、非常に関係があることはご存じのとおりです。その評価ということで、研究上でも産業応用の面でも非常に高い有用性があるということでございまして、現実に我が国においても畜産等において既にクローン技術が動物個体の産生について行われているということで、私の記憶に間違いなければ既にかなりの牛へのクローン技術の応用が実施されていると聞いています。それは、非常にすぐれた性質を持った動物を、同じ性質を又はできるだけ近い性質を保持したままで数多く得ようという目的で行われているわけですが、それから、いわゆる遺伝子操作により、人に有効な成分を例えばというものを例えばミルクの中に産生させるというようなことも既にある程度行われています。例えば、ここでは血友病治療に用いる人間の血液凝固因子を母乳に多量に産生する動物の作出ということが実際に行われているわけです。こういった例で見るように、動物のクローン技術は、非常に有用性が高いということです。これに関してはあまり問題はないのではないかという見解です。
しかし、新聞にもときどき出ているかと思いますが、腎移植など臓器移植ということが現在、非常に問題になっていますが、動物の臓器を人に移植するという方向も、遺伝子操作技術も加わって将来考えられるのではないか。これに関しては安全性というものが一方において問題があります。例えば、ここの資料3−2にも指摘されてありますが、今まで動物の中でだけ存在していたウイルスが臓器の移植を通じて人にうつることがあるのではないかと想定されたりする。そういったことを1つとってみても安全性に関してはまだ非常に問題がありますし、拒絶反応を乗り越えるために動物の臓器を人間型に改変するということの可能性も十分ありうる。しかし、この観点に関しては十分に今後ともフォローしていく必要があろう。いずれにしても当面、特に問題になりそうな点はないのではないかということで、これに関しては特に公的な規制その他というものはあまり考えないでいいのではないかというのが、委員の間の一致した意見としてはまだまとまらないものの、一般的な感じとして皆さんが持っておられるということです。したがって、何回かやはり議論がされましたものの、当面、これに関しての規制はあまり必要でないのではないか、と今のところ論議が落ち着いているという段階です。
問題は、資料3−3の上の「人の細胞を用いる場合」ということで、これについて、非常に重要な点は、「人個体を産生する」、「つくり出す」という、その言葉のうちに既に問題性が端的にあらわれているという点であります。人が人をつくり出すということで、このことがいろいろな面でかかわってくるという認識です。これについて一般的に特に論拠を持って論理的にこれに対して何らかの結論を与えるということには、最初にも述べましたように非常に難しい点があります。我々の生きている、この日本の社会の現実をより踏まえて議論をまとめた方がいいだろうというような形でまとめられているのが現実であります。
以上のような検討を踏まえて、今ごらんいただいている資料3−3の2ページ目、「規制の在り方」につながってきます。「クローン技術による人個体の産生」が意味しているものは何なのかということがここでまとめられていますが、「科学的な意味」というところをごらんいただきたいと思います。ここでは、人個体の産生の科学的意味として「両性の関係なく子孫を産み出す無性生殖」であると。すべての今までの生殖は有性生殖でありますが、この場合は無性生殖であるということが科学的な意味としては非常に大事であるとしています。動物学者によりますと、動物のかなりのものはむしろ無性生殖が本質であって、有性生殖というのは生命の進化発展の後になってあらわれた現象であるというふうに言われていますが、人の場合には完全に有性生殖であることはご存じのとおりです。それが今や無性生殖に切りかわりうるということです。
その結果として、生み出された人の遺伝的な形質というものが、遺伝情報、つまり細胞、遺伝子を提供する人と遺伝的形質が同一であるということが起きてくるということです。しかし、これに関しまして一卵性双生児というものを考えてみた場合に、これは遺伝的形質が同じであるにもかかわらず、明らかに両者はその後の成長、置かれた環境その他によって、同一ということはない。人間存在としてのありよう、その他は生物学的なものとはまた違うということもまた事実であります。しかし、少なくとも遺伝的形質が遺伝情報の提供者と同一ということは生物学的な事実であるということです。
したがって、産み出された人の表現形質について、ある程度予見が可能であるということが出てきます。最初に私が申しましたように、無性生殖であって、しかも、そこにつくり出すという意図というものが入り込んでくるという点が非常に大きな点で、特定の表現形質を持つ人をある程度意図的に産み出すことが可能になってくるという、これが非常に重要な点であるというふうに議論がまとまってきています。
それから、科学的な意味で、この人クローンの場合には、これは最初に述べましたように現時点においては仮想の問題を議論しているというところがあって、したがって、安全性の問題等に関してはだれも何とも今は議論するところではないということです。また、クローンの問題に関しては、科学的には動物を使って十分に実験が行い得るところがあって、特に人を使って人クローンをつくる意味といいますか、それを人で行うことのその意義がつかめないということがあります。これがいわゆる人個体の産生に関する生物学的な問題の要約でありますが、さらにもう一つつけ加えておきたいのは、有性生殖では偶然性といいますか、偶発性といいますか、そういうものが生物学のレベルにおきましても、また、人間の存在としてのレベルにおきましても入り込んでまいります。それがほとんどなくなってしまう。生物学的に申しますと、有性生殖を経て産まれると、両親の遺伝形質が子供においては交じり合って、場合によっては遺伝的な欠損があるところも補い合ってくる。それから、遺伝子が偶然的な形でも交じり合うことによって人と人との違いというものが遺伝子的にも、遺伝的なレベルにおいても同一ではなくなってくる。偶然性とか偶発性というものが我々人間の存在に不可欠な形であるのを、無性生殖というものはそれが除外されていくということです。そのことが、裏腹的には、「特定の表現形質を持つ人をある程度意図的に産み出す」ことが可能になってくるということと結びついてくるわけです。
以上が、生物学のレベルにおけるクローン技術による人個体の産生にかかわる問題点です。
それから、人の場合におきまして、この小委員会で一番問題になって、特にこのまとめという形であらわれてきているのが、その次の「人間の尊厳の確保上問題」という形で、2点にわたってまとめられています。
1つは、最初に述べました、人を意図的に産み出すということが、個人の尊重という、人間の尊厳にかかわる問題、つまり、意図的に人をつくるということは人を道具とみなすというようなところに通じているということではないか。このことは非常に重要で、結局、憲法上の理念にもとることになるだろうというような形で議論の論点がまとめられています。
それから、先ほど述べました偶然性の介在、両性の関与というようなことで、これが人の生命というものがこれまで産み出されてきている根底であろうということで、人クローンは、これから大きな逸脱をもたらすことになるという、この二つの点が人間の尊厳の確保上、問題になる点であるというふうに論点がまとめられました。
また、仮にそういうことが行われたとしても、実際に産まれてくる人の側に立ってみると、生物的にも医学的にも安全は全く確保できていないということでして、これは、今言ったように問題が最初から仮想的な性格を帯びた問題であるということとも絡んでくるわけです。
それからもう一つは、移植用のクローン臓器の作製はどうなのかということが問題になりました。これは、人の胚を母体に移して、あるいは動物の体内に移して臓器を作製するためにクローン技術を応用するというようなことも含まれているわけですが、これは人個体の産生と似ていることから、やはり禁止のための規制を実施することが妥当であるというふうに結論づけられて、問題が集約されてまいりました。
それから、今の資料3−3の最初のページでは「人個体あるいは臓器を産み出さないクローン技術の応用」、つまり試験管内で細胞を増殖させて、それを使うというケースはどうなのかという、この第3の問題が議論されました。これに関しては特に、先ほど述べました人間の尊厳の侵害その他の問題には触れないということと、それから、科学的な研究でもそういった細胞増殖、現に我々はがん細胞を増殖させたり、人の細胞を、成人の細胞を増殖させているという研究が以前から現に行われていますし、非常に医学的あるいは準医学的な科学研究でも有用性があるということです。また、安全性が確認されれば、その細胞をもって治療に当てるということは現実に医学的な場において実際に行われようとしておりますし、また、一部行われているということで、非常に有用であるということです。そういうことで、例えば血液の中の赤血球が減少している人に、血液の細胞というものは骨髄でつくられるわけで、造血幹細胞、ステムセルといいますけれども、これからすべての血液細胞が産み出されてくる。赤血球、白血球、白血球にもいろいろありますが、それらが幹細胞から産み出されてくる。そういう源になる細胞があるということは昔から研究者によって仮想されていましたが、造血系の骨髄の細胞ではそれが実際に存在するということが最近になって認められてきたわけです。そういった幹細胞を用いて、赤血球、白血球の病気を持っている人に対して治療に用いるということは十分考えられる時代になっていますから、こういうことに対しては非常に有用であるということです。したがいまして、細胞を使った、あるいは、それから増殖させた細胞を研究し、又はそれを実際に人に関する医学の現実に応用するということに関しては、特に尊厳の問題にも触れないし、有用であろうということで、問題はないのではないかという結論になっています。
以上をまとめますと、動物の細胞を用いる場合にはほとんど問題ないと。それから、人の個体あるいは臓器を産み出さないようなクローン技術の応用、主として細胞自体を用いる研究、また、それの応用についても、安全性の確保は必要であるが、特に際立った問題はないのではないのかということです。最後に、クローン技術による人個体の産生という問題が残ってくるわけです。これに関しては、先ほど述べましたいろいろな面が現実に議論され、まとめられたものが2ページ目に述べられています。
それから、下の方に「クローン技術による動物個体の産生」とか「クローン技術の適用(細胞増殖)」、これに関しては特段の規制を行う理由はないし、しかし、適切な情報公開が必要であるということでは意見が一致しています。
そのほか、実際にクローン技術による人個体の産生に関しては、その2ページ目の上に述べたような点に問題が集約されているということで、これに関しては規制の在り方やその他に関しても、まだ本格的に議論する段階までには至っていないということです。
今日、御報告申し上げたのは、以上の現実的な問題・論点、議論になった点をまとめた段階というのが実際の小委員会の現状であるということです。
(委員長)
どうもありがとうございました。
今お聞きになりましたように、小委員会としても本当の意味での結論を得られたわけではない、現在での段階を報告するというお話でございました。このクローン技術というのは大変難しいことで、この中には医学、生物学以外の方もたくさんいらっしゃいますが、私自身、実はクローン技術に関する専門家か非専門家か、と言われれば非専門家の方に属しておりまして、非常に難解な事柄でございます。大変乱暴に私自身で頭の中を整理したり、あるいは人から質問を受けたときにお答えしておりますのは、クローンというのが、伺うと、もともと挿し木という意味だそうであります。この頃ではいろいろ技術が発達していますから、そんなことはありませんけれども、私が親などから聞いておりますところでは、昔、菊の展覧会をやったときには必ず人知れず番人がついていたそうです。それはなぜかというと、こっそり葉を1枚持っていかれ、それをうまく育てると、展覧会に出してある菊と同じ菊を自分の家でつくることができる。そこで、それを防ぐためにひそかに番人がついていたということを教えられました。植物の場合には挿し木という言葉がございますように、木の枝、あるいは場合によっては葉っぱ1つ、うまく育てれば、その個体全体が育って、それで見事な花を咲かせるということが昔から知られております。しかし、動物の場合にはそういうことがなかなか困難であった。ところが、最近になりまして、いろいろと技術が発達し、動物の場合であっても、その間、難しい操作はあるようで、指先の細胞1個を取って、ただ単純に培養すればといったような簡単なことではございませんけれども、非常に乱暴に割り切って言えば、体の細胞の1つを取って、それをうまいぐあいに育てれば、それが場合によっては植物と同じように、その個体全体に育つ可能性もある。それから、その中間的な段階として、細胞を増やすのはもちろんのこと、肝臓といったような臓器一つをつくることもできる。
そうすると、そういう近代的な先端的な技術を動物にどのぐらい使っていいのか。今、動物申しましたが、人間を含めて動物にどのぐらいまで使っていいのだろうかという、それが現在の問題であると理解しております。大ざっぱにはこういうことで宜しいのでしょうか。
(委員)
はい。
(委員長)
では、その場合に、まず、人間、それから人間以外の動物、特に人が利用するような家畜など、そのいずれにクローン技術を使うのかということです。こうして、2つに大きく問題点が分かれて参ります。
それからもう一つは、今のを縦糸のような意味での問題点の分け方といたしますと、今度は横糸のような問題点の分け方として、人間であろうが動物であろうが、1つの個体をそういう方法でつくっていいだろうか。それから、個体ということではなしに、体の一部である、例えば肝臓といったような1つの臓器をつくって、それを利用するということはどうであろうか。それから、さらにやさしいといいますか、小さな段階になって、人間なり動物の体の中を流れている、あるいは体を構成しているような細胞についてそういう技術を使っていいだろうかということがあります。そういう縦糸、横糸のような分け方がございまして、それぞれに問題をはらんでいると思います。こういうことについて小委員会では御論議いだたいた、あるいは、目下御論議いただいている最中であると理解いたしております。
これから、残っております時間で若干御討議をいただきたいと思います。ただ、小委員会自身でもまだ結論を得てはおられないという段階でありますから、今日ここでいろいろと御相談いただいて結論を得るということではございません。むしろ何なりと率直な御意見をいただいて、場合によっては、小委員会に対して、こちらから御注文申し上げるというようなことでもいいかと存じます。また、いろいろと御理解の難しいところがあれば、委員に質問してくだされば、委員がご存じの範囲の中でわかりやすく説明していただけると思います。
そういたしますと、報告全体についての前置きは大体こんなことでよろしゅうございますか。これから、多少、報告の中の個々の部分について質問なり御意見を伺うということにして、まず、全体的なことはこれでよろしゅうございますでしょうか。よろしいですね。
それでは、個々の事柄に参りましょう。そうすると、今、委員からいろいろとおっしゃっていただきましたけれども、大体、説明の中心として使われた資料が資料3−3であったように思われますので、やはりこの資料を中心にして御議論いただければと思います。冒頭に委員がおっしゃったことで1つ大事なことは、これは何も、今すべて起こっていることではない。それからまた、来年、再来年といったような、ごく近い将来に現実に起こり得ることでもない。むしろ、場合によってはSF(サイエンティフィック・フィクション)に近いようなことも中にはあるかもしれませんね。ですから、そういうことも含めての御議論であるし、それから、世間一般も、まるでSFの小説を書く、小説を読むといったようなレベルで議論が進められている場合もあるということでございますので、その点を1つ、念頭に置いておいていただきたいと思います。
そうすると、資料3−3の第1ページは、「クローン技術の可能性に関する評価」という全体の題がついておりまして、その中に、今私が申し上げましたように「人の細胞を用いる場合」というのと、それから、下の方に「動物の細胞を用いる場合」と、大きく2つに分かれています。
人の細胞を用いる場合というのが、大きく言えば2つの枠に囲まれておりますが、さらに細かくいえば3つに分かれておりまして、まず、人間としての個体をつくることがどうか。その次が、個体の一部である臓器、例えば肝臓といったものをつくることはどうであろうか。3番目に、個体でもない、臓器でもない、ただ、その細胞、例えば血液の中を流れる血球のもとのような細胞をつくることはどうであろうかという、そういうふうに分かれております。
動物の場合には、それほど細かく分かれておりませんで、むしろ一括しておられます。事実、動物の場合には臓器だけをつくる、あるいは細胞だけをつくるといったようなことは、現在、あまり問題になっておりません。研究上はいろいろありますけれども、少なくとも人間が利用するという意味ではあまり問題にもなっておりませんので、動物に関しては個体の産生ということがここに挙げられております。
いかがでございましょうか。この資料3−3の第1ページについて、御質問なり、あるいは御意見、どんなことでも結構でございます。
(委員)
大変初歩的なことなんですけれども、産生というのは英語だと何になるんですか。
(委員)
どうでしょうか。人間の尊厳ということに対して英語で何というかについても、また議論が分かれていまして、産生に関しては、あの委員会では最初はたしか資料に「作成」、「製作」とは言わないまでも「作成」というような言葉があり、非常に不適切な用語であるというようなことで「産生」になってきたという経緯があります。
(委員長)
「創成」とか「創出」という言葉も使われますね。
(委員)
ここの領域ですと、例えばリソース(資源)なんていう言葉をよく使いますでしょう。つまり、ああいう言葉は、英語の場合にはリソースでもまあいいとして、日本語にすると、すごくどぎついですね。だから、これはいずれよくお考えいただけると思いますけれども、こういう用語というのは非常に慎重にというか、説得力のある形でおつくりいただきたいということです。
それから、これは私どもの知識がないのですが、表現形質というのはどういうことですか。いろんな発現する可能性みたいなものですか。
(委員)
遺伝子は親から子に伝わっていきますが、どの遺伝子がどの程度、実際に動き出しているかという遺伝子発現についてのことで、結局、遺伝子そのものではなく、その機能の表れ方ですね。
(委員)
これは生物学の用語でございますか。
(委員)
そうです。フェノタイプといいます。ですから、実際に個体レベルでその置かれた時と場所に応じて、遺伝子が活性化してその作用をあらわしてくる、その全体のことを表現形と言っています。
(委員)
今議論になりましたけれども、人間の尊厳ということは難しい考えで、私も、例えば末期の患者なんかでは議論になるんですね。人間の尊厳とは何かというのはなかなか難しいのですけれども、英語ではどの言葉に相当しているんですかね。それと、この委員会でどういう議論が実際になされたか、ちょっとそういうことをこの委員会で説明していただけると非常に有り難いと思います。
(委員)
尊厳というのはディグニティではないでしょうか。
(委員)
それでは、アイデンティティはどういうふうに訳されるのでしょうか。
(委員)
アイデンティティというのはいろんな訳があるんですね。
(委員)
フランスの場合は尊厳というよりもアイデンティティというのが非常に問題でありまして、男女の両性を伴って初めてアイデンティティというものが確保されるということで、それがファミリーの単位になっているので、そのファミリーによって社会が形成されていくという階層構造になっていて、そこで初めて人のアイデンティティというのが成り立つという論理構造で、実際の禁止を求める倫理委員会のロジックの基盤になっているというようなことがあります。この尊厳と、アイデンティティというのは何なのかとかという議論もあります。ただ、この尊厳に相当するものについては、クローン小委員会での議論では、ただ今の質問の答えになっているかどうかわかりませんが、結局、憲法に求めるよりほかにどうにもならないというのが結論でした。
(委員)
それから、これは今日、委員からはあまり立ち入ったお話になりませんでしたが、結局、私は、この最後の社会的合意という問題も、何を基準にして社会的合意を求めるかというところになるので、それは今おっしゃったように、フランスみたいに非常に演繹的にやる場合には、そのアイデンティティとか、それはちょっと日本では無理だと思います。その場合にどういうふうにして考えたらいいかということを通して、多分、その合意形成ということを手続き上でうまくすれば、フランスのそういう大前提にかわるようなもの、あるいは欧米の基本的価値観にかわるようなものがうまく出てきて、しかも、世界的に説得力を持つようなものでできれば一番いいんですね。
(委員)
私が去年、偶然の機会にフランスの倫理委員会のセクレタリーを私の知人が知っていたものですから、その方に会ったことがありました。私はそのときには今のようなところにまさか将来関係しようとは夢にも思っていなかったんですが、その方に会ったときに、「フランスでは宗教との関連はどうなのですか。日本人のかなりの人々は、キリスト教というものが今回の禁止の基礎になっているというふうに理解していますが」というと、即座に「それは違います」と。「あくまで宗教は全く関係ないことで我々は扱っているので、アイデンティティという意味合いはそういうことなんです」ということでした。しかし、このアイデンティティに対して、あくまでもそこにはキリスト教のそういった深い流れがあって、そこで出てくる問題であると捉えている人もあり、自由とか、そういうような問題も絡んで、いろいろな議論が生じているのではないでしょうか。
それから、いわゆるヨーロッパ大陸での考え方とイギリスでの考え方は、昔から、明治時代からも問題がありましたけれども、イギリスの場合は法律的にも慣習法のように、そのときそのときに非常に具体的に柔軟に対応していくというようなところがあって、フランスの場合、ドイツもそうですけれども、非常にロジカルにシステマティックにやっていくというような色合いがやっぱり出てきていまして、実際にここの資料3−2にもありますが、どこから個体と認めるのかということで、イギリスでは、受精後、細胞が分裂していって何か表面に筋が出てくる段階、つまり原始線条、プリミティブ・ストリークといいますけれども、それが出てきたとき以降は扱っていないということになっています。
(委員長)
駄目ということは個体と認めるということですか。
(委員)
はい。現実的な、極めて生物学的なですね。それ以前は扱ってもいいけれども、それ以降は絶対いけないという、いかにもイギリスらしい対応の仕方をするというか、同じ個体に対する考え方も随分違った話になるんですね。
(委員)
私も、この人間の尊厳という言葉にこだわるんですけれども、人間の尊厳というのが実は人と動物とを分けるものになっていますし、それから同時に、ここに書いてある1と2の、ここの区別もする根拠になっている。そうすると、一体なぜ人の尊厳というものがそういう根拠になるのかということを考えてみると、やはり人間の尊厳というものについてどう考えるかという考え方が全くないと、これは極めて技術的な報告になってしまうのではないかという気が私はするんです。ですから、これから先検討するとすれば、この人の尊厳というものの考え方について、やはりかなり広く、いろんな人の意見を聞いてみるということは大事じゃないだろうかという気がいたします。これは非常に手間のかかる話で、同時に、いろんな人がいますから、なかなか難しいと思いますけれども、やはり一度そこのところはやっていかないといけないのではないか。
それからもう一つ、ちょっとそれに関連して思うことは、とにかく人の尊厳にかかわる問題はできるだけ規制しようという考え方ですけれども、もしそういうことで、人間の尊厳というようなものを軽く考えた場合に一体どんな社会が出てくるというふうに想定されるのか、このところも実は、大変難しいことですけれども、いけないという以上は何かそこに根拠がなきゃいけないわけで、そういう問題も考えてみる必要があるかなという気がいたしております。
(委員)
私も2つほどあるんですけれども、1つは、今、委員がおっしゃった人間の尊厳ということはやっぱりかなりよく考えておかないといかんのではないかと思うんです。それしかキーワードは結局ないかもしれませんけれども、例えば両性が関与しなくて子孫を産み出せるということが問題であるとか、全く同じ遺伝形質を持った個体を意図的につくるのが問題であるというふうなことは、実は人間以外の動物には我々はどんどんやっているわけですね。そうすると、そういう動物の尊厳は侵していることになるわけなので、なぜ人間だけがいけないのかということをきっちり説明できないとやっぱりいけないのではないかという気がします。特に霊長類などについて、果たしてやっていいのかどうなのか、この辺も非常に難しい問題になってくるのではないかという気がいたします。人間と霊長類とを何によって区別するのかということが問題になると思うんです。その点が1つです。
もう一つは、基本的に私も、クローン技術によって個体を産生したり、あるいは臓器移植用の臓器を、例えば脳は発達させないでおいて肝臓や腎臓、心臓だけつくるというふうな、そういう技術を使うことは反対なんですが、ただ細胞の増殖はよろしいと。臓器と細胞とを果たして明確に区別できるものなのか。現時点では多分、試験管内では細胞しかつくれないだろうと思うのですが、やがて、もっと高度な組織などがつくれるようになるだろうと。そうすると、その両方の違いは結局、母体、子宮に戻してつくるのか、あるいは試験管内でつくるのかだけの違いになるかもしれない。だから、その辺をどういうふうに表現するのがいいのか、それをちょっと考えていただく必要があるだろうと思います。
(委員)
小委員会の委員の方には大変御苦労いただいて、かなり論点を明確化していただいて感謝しております。
一番最初に委員がおっしゃったように、初めは人間の尊厳とか、そういうところから原理的な問題から出発してやろうということだったけれども、やっぱりそれだと現実的にうまくいかないということになって、現実的になろうということで論をお進めになったと、たしかそうおっしゃいましたね。大体、この手の委員会というのはそれが宿命じゃないかと思うんですね。その宿命のままでいいかどうかということをちょっと考えてみたいという気もするんです。
現実問題として考えたら、多分、先ほど申しましたように、これは非常に整理していただいていますけれども、恐らくは人の細胞の場合はいけなくて動物の細胞はいいという、こういう結論が出るということは、そう言ってしまうと失礼ですけれども、大体予測されるような線じゃないかと思う。これで安心していいのかということなのでございますけれども、むしろその原理的な問題だけをプロパーに考える委員会というものがこういうときには必要じゃないか、それによって少なくとも何か言う場合の論点がかくかくだという明確化が得られるんじゃないかという気がいたします。確かに人間の尊厳ということが、委員もおっしゃっていたように一番表面に出てまいりますけれども、例えば有用性という言葉がしきりに、私から見るとやや安易に使われているんですけれども、一体、有用性というのは何にとっての有用性か。医学的に有用性があるとか、こういう研究のために有用だとか、それはわかりますけれども、その有用性が、いつの間にか、何か人間そのものにとっての有用性みたいな感じで使われて議論が進められるということが、正直に申しまして、そういう点がどうも気になるということがございます。
諸委員の方がおっしゃったように、人間と動物の区別というのは非常に原理的にデリケートな問題が絡まってまいりますけれども、例えばこの資料3−3の2ページ目の、委員が言われたことを別の言葉で言わせていただきますと、「規制の在り方」と書いてある2ページ目の真ん中の「人間の尊厳の確保上問題」というのは「特定の性質を有する人を意図的に産み出すことによる、個人が個人として尊重される憲法上の理念にもとる」と。ここでも結局、憲法が一番最後のよりどころになっているようですけれども、「人の道具化」ということが書いてございますね。これは動物の場合だったら、完全に「生命の道具化」じゃないかと思うんですね、ここでやっていることは。生命の道具化をして、人間だけ、そこから免除するということが理念的に一体通用することなのかどうなのかというような疑問を持ったりいたします。先ほどの有用性のことに関して言いますと、結局、ここに有用性と言われているのは、人間のサバイバルというか、生物的に生存していくために有用だということに帰着するだろうと思いますけれども、そういたしますと、現代のすべての科学技術文明、機械文明のモチーフと全く同じ。言葉を変えて言いますと、一品種大量生産の思想なんですね、動物の場合に書いてあることは。動物の場合にこういうことをやっていて、人間の尊厳ということに関係してこないのかどうかという疑問を感じます。
全体として、やっぱり人の場合も動物の場合も含めまして、エロスのない一品種大量生産という理念が支配する社会を目指すのなら、全部よろしいよろしいということになるだろう。しかし、全部よろしいではちょっとやばいから、人間だけはちょっとやめておこうというような形になるんじゃないかと思うんですけれども、小委員会というだけではなくて、我々の委員会も含めまして、こういう問題を議論するときに、そのままで安住していていいかどうかということを、大変不遜な物の言い方ですけれども、正直申しまして感じました。
(委員長)
いや、おっしゃるとおりだと思います。
(委員)
こういう問題は、100人いれば100人の意見があると思うんですけれども、人と物とか動物とを分けるところで、あまりに単純じゃないかと思うんですね。例えば動物でも、ペットなんていうのは、これは人間、人の延長線上にあるような、そういう存在にすら感じられるわけです。ですから、ここで動物の細胞を用いる場合はいいということであれば、この「動物」は、例えば食用の動物とか実験動物に限るとか、そういうような限定もあり得るんじゃないかと思いました。
(委員)
最終的にどういう規制をかけようかということを議論する際に、ここでは科学的な見地から、有用性があるかないか、安全性がどうかということを議論し、そして、さらに第3に人間の尊厳という、この3つの要素が考えられていると思うんですけれども、この有用性については、あえて実施する有用性がないというような表現でございますとか、また、安全性については現状では治験がないといったような表現で、やや不確実性というものが気になるといえば気になるという感じでございます。
それから、人間の尊厳、これは先ほど委員からも徹底的に、日本が考えた場合の尊厳というのはどういうことかということを詰めておく必要があるというお話がございました。それは全くそのとおりでございましょうけれども、ただ、恐らくこの尊厳という問題は、民族、宗教、国の違いによっていろいろバラエティーがあるだろうという感じがいたします。したがって、そういったようなことから出てくる、最終的にどう規制したらいいかということについては、基礎研究をどこまでやっていいのかというようなことにつきましても、こういった科学的な視点あるいは尊厳ということから考えますと、若干、国によって差が出てくる可能性があるのではないか。
そういう意味で、この2枚目の一番最初に「規制は、国際的に協調したものとすることが適切」とございますが、これは非常に重要なことかと思います。私はこの「適切」という言葉は少し弱過ぎるんじゃないかと思うくらいでございますが、やはり国によって、あるいは米国の場合は州によっても違う可能性があるという話ですけれども、場所によってある研究ができる、あるところではある研究ができないというようなでこぼこができるということは非常に研究者にとって不都合なことで、国益とも関係してくることかと思いますので、この規制の在り方については国際的に、やはり国によって多少違うのであれば、その時点では安全側にとった規制を一律に網をかけて、そして、時間とともにわかったところから解除していくという、何かそういう規制に対する考え方というのをきちっと打ち出していく必要があるんじゃないか、そういう感じがいたします。
(委員)
動物の関係では、遺伝子操作も含めて、実際に何かある程度の動物の育種も含めて、いろんな規則が既にあるというふうに聞いていますが、その辺りについて、事務局からどのような具合になっているのか、お聞きできれば思います。
(事務局)
それでは、クローン小委員会において、動物について議論が行われた際のポイントだけ御説明させていただきます。まず、動物、人について小委員会はどこまで議論すべきかという議論があり、それは全体であるというところから始まりました。しかしながら、動物につきましては、動物の保護に関する法律が現在存在している、これは動物愛護なり動物保護なりの観点から既に定められているものでございましたが、クローン動物といえども、こういった一般的な動物の取り扱いに関する考え方の中で考えられるのではないかという議論が出てまいりました。このように、動物と人とは、社会的な認識として別に取り扱われているという点も根拠にして、動物についてはその既存の法体系の中で取り扱っていくのが一番適切であるという議論になってきています。その考え方は、資料3−2の5ページの一番下に論点として出ています。
(委員長)
法律の社会では動物の愛護とか、そういうこともうたわれているとは思いますけれども、基本的には、人間の社会の法律はあくまで人が対象であって、動物は全く別個のものでございますね。
(委員)
ええ、ただ、それについても、動物の権利とか植物の権利という発想が出てきて、人と動物との区別が必ずしも明確でなくなってきている面もあり、人と動物との関係が問題になっています。法的な観点からは、人間の尊厳とか個人の尊重ということをベースに考えるてよいと思いますが、この問題は人間の尊厳の基礎づけに関わるものでありますから、個人の権利云々ということとは違って、そういう法的な規制とか道徳的な秩序を成り立たせている根源、存立基盤に関係しますので、憲法の議論にいきなり結びつけて、憲法上の個人の尊重ということから一定の規制の正常化ということにストレートに結びつくかどうかは、理論的には、かなり、難しいという感じがします。
(委員長)
むしろそれ以前の問題ですか。
(委員)
ええ。法的な世界とか倫理的な世界をどういう形で捉えるかという問題が絡んでいまして、法的な規制はその次の問題ということですので、次元が違うという感じがします。
そちらの方ももちろん法的には重要なのですが、法的な規制を考える場合に、資料では、生まれてくる者の安全ということでは、安全ということが、生まれてくる者等、人に関連づけて論じられているのですけれども、これはむしろ他者危害といいますか、人間社会あるいは人という1つの種に対する危害、あるいは、一種のモラルハザード的なものとしてどういうものが出てくるかという、他者危害的な概念で考えた方が、法的な規制を考える場合にはわかりやすいというところがあります。個人の何々という形にまで還元して考える方法と、もう一つ、そういう他者危害とか、あるいは、あまり評判はよくないですが、パブリック・オーダー的な、現在の社会的、倫理的なシステムを混乱させないという観点からの暫定的な規制という方法の両方が考えられると思います。人間の尊厳という大上段に構えた根拠づけよりも、安全性ということから詰めていく議論の方が、詰めやすいことは詰めやすいという印象を持っております。
(委員長)
法律では、権利という言葉は出てくるでしょうけれども、尊厳という言葉はあまり出てきませんか。
(委員)
ええ。これは、ドイツ流の人間の尊厳という原理が日本国憲法にあるかないかということ自体が論争になっていまして、個人の尊重というのはあるのですけれども。人間の尊厳ということから一定の法的規制へというのはストレートには少し難しいところがあると思います。むしろ他者に危害を及ぼすとか、あるいは、パブリック・オーダーに混乱が生じるという方が、反対論は強いですけれども、法的な規制の仕方としてはやりやすいと思います。いずれにしても、やはり、両方とも検討する必要があるように思います。
(委員)
小委員会の委員の方には本当に御苦労をいただいたと思います。
この小委員会の任務をちょっと確認したいんですけれども、差し当たり、その法規制の問題というのが大変重要なので、それに対する答えを出す必要があるということだと思いますが、それを超えて、もっと大きなクローン問題に対する、そういう哲学的な地盤まで含めた議論が続けられていくということなのでしょうか。それとも、差し当たり、いわば応急的な答えを出されるということなのでしょうか。
(委員長)
それについて、何かお考えがありますか。
(委員)
とにかく急な場に出されたというのが現状で、問題点を要約するというのが精いっぱいのところじゃないかと思います。あと、もう何回か小委員会の開催を予定しておるようですけれども、規制の問題等は、今、委員が言われたように、詳しく議論すればするほど拡散していく面もありますし、現段階では、問題点を要約するというところじゃないかというふうに思います。
(委員)
予定としてはあと2、3回ということですか。
(委員)
あと1、2回は開催することになるのではないかと思います。本当は3、4回の会議である程度議論を煮詰めるはずでしたが、そうはいかないような形で延びているというのが現状かと思います。
ただ、小委員会の任務は何なのかというようなことは、いかがですか。
(委員長)
私個人の考えといたしましては、小委員会は、どちらかというと実際的といいますか、具体的なことを中心にして御論議いただいております。その周辺とか背景としては、人間の尊厳とか人と動物の違いとかということが当然起こってくると思いますが、当面、中心はどちらかというと実際的、現実的な問題について御議論いただきました。こうして、専門家としてのいろいろな御意見を伺って、今度はこの、いわば親委員会の方ではどちらかというと中心が人の尊厳とか人と動物の違いあるいは宗教上の問題というものであって、さて、では、クローンについてはどうしましょうかという姿勢です。ですから、お互いに随分重複すると思いますけれども、重点の置き方がやや違ってくるかと、個人的には思っております。
(委員)
私は本当は科学者側から自主的にこの問題に関してある一定の意見が出てもいいのではないかと思っていますが、最初に私が小委員会の報告をしましたように、ライフサイエンスというのが非常に広範にわたっていて、物理学者の世界とか化学者の世界と違って、ものすごく広範なもので、それをまとめるような組織も全くない、そういうような現状ですから、なかなか望むべくもない。しかし、一方においては、なるべく研究の自由といいますか、自己規制を伴って、なおかつ、きちんと研究をなるべく安心してやれるというような状況をなるべく早い時期に設定されることが望ましいということは、どの生命科学に関係する研究者も持っているというのが現状です。
ただ、私自身の考えを言いますと、やはりクローンの問題はライフサイエンスにとっては、極端な言葉で言いますと、結局、原子核の問題が今のような形になったのと同じような意味合いの、非常に深い重要かつ深刻な事件じゃないかと思います。抽象的に言いますと、我々は生まれて死ぬというような時間の不可逆性といいますか、そういうものを端的に感じているのが、それが可逆的になるのかというような、生物学的には非常に大きな問題を抱えています。やはりいろいろな問題があって、個の体細胞が本当に遺伝子として、元と同じような個体レベルにまでなりうるのかなどは、学問的にも大きい問題ですし、それから社会的にも、やはり原子核、核物理がたどったのと同じような道に入り込みつつあるのではないかという感じがします。
ただ、物理学者の世界では割合、まとまりやすくて、意見を自ら表明するというようなことがありましたけれども、生命科学に関してはそれが非常に広範にわたっていますから、今のところは望むべくもないというようなことが大きな問題かと思います。
(委員)
資料3−3の2ページ目に「5年程度の限時的な規制」ということで、そこにも応急性みたいなものが出ていると思うんですけれども、委員の方の御意見を伺ったり私自身感じたことなんですが、個々の具体的な指針としてはこれでいいのかもしれないと。人のクローンについて差し当たり法規制をするということについては問題ないだろうと思うんですが、それを説明する言葉が豊かになるためには、やはり時間をかけて我々の伝統的な、あるいは生活に根差した考え方、感じ方に即した表現が欲しいなという。
人間の尊厳というのも、いつごろ、どういうふうに日本の社会でそういう表現が成り立ったかということを検討して、その前にあった表現は何だったのだろうというようなことを見ていきますと、やはりちょっと借り物的な表現であるということがわかってくると思いますし、人間と動物の違いに関してもちょっと違和感がある。法的規制が差し当たり必要がないとおっしゃるのはわかるんですが、動物については問題がないというふうに言われると、そうかなと思います。生命に技術が介入していくということ全体がやっぱり問題なのだと思いますし、生物の多様性に対して人間が介入していくというようなことの問題もいろいろ考えなければいけないし、まだまだ考えるところがたくさんあるので、もしこれを何かまとめられる場合には、そういうさしあたりのということを強調される必要があるんじゃないかと感じました。
(委員長)
最近、私はたまたま委員のお考えと同じようなことを考えていることを発見しました。昔から白人の人たちは、恐らく宗教的な影響もあったと思いますが、思想的、もしかしたら直感的にかもしれませんが、人間と動物は明らかに違うものだという気持ちを持っていたと思います。我々はどちらかというと、違うけれども近いというか、基本的には、同じようなものだという気持ちが強かったと思います。最近、種々の生物学分野の研究が進んでくるにつれ、だんだんとその違いを言いにくくなった。むしろ、環境の問題も含めて似ているもの、あるいは分けては考えられないものだと言わざるをえないようになってきた。そういうふうに世の中全体が近づいているのではないかという印象を持っておりますけれども、大体そういう気持ちでよろしゅうございますか。
(委員)
私もそういうふうに感じておりますね。やはり人間がほかの動物とは違う特別な使命を持っているということがキリスト教の伝統で強調されるということは疑いがないことで、それに基づいて近代的な人間の尊厳というのがだんだん成立してきているということは確かだと思うんですね。ですから、アジア的といいましょうか、日本的な発想からすると、やっぱり違いが出てくるというのが当然であろうと思います。
(委員)
最初に2、3、教えていただきたいことがあるので、質問させていただいて、その後、コメントのようなことを申し上げたいと思います。
少し技術的なレベルに話を戻すようで恐縮なんですが、医療・治療という観点から見て、クローン臓器による移植治療と、細胞レベルの増殖だけを使う細胞治療との間には、適用の範囲とか有効性とか効果とかの面でどれぐらいの違いがあるものなんでしょうか。
(委員長)
むしろ委員の方がお詳しいかもしれませんが、私が存じております範囲では、例えば人間で肝臓が駄目になってしまったときに、正常の肝臓の細胞をばらばらにしてそれを増やして、それを必ずしももとの肝臓でなくても、脾臓とか、ほかの臓器に植えることによって臓器の代用ができるのではないかという研究が随分行われました。しかし、結局それはまだうまく進んでおりません。したがって、臓器によっては、個々の細胞を植えたのでは間に合わなくて、丸ごとの臓器を植えなくてはどうしても駄目だというものがたくさんあると思います。ただ、血液の病気などに関しては、それはいろんな血球の細胞のもとになるような、いろんな能力を持っている細胞を植えてやれば、かなりの能力を発揮すると思います。
(委員)
ありがとうございました。
2点目は、「人間の尊厳の基礎をなす人間の命の創造に関わる基本概念」というところに「両性の関与」ということと「偶然性の介在」ということが挙げられているんですが、両性の関与がどうしても人間の尊厳を保つ上で必要だという考え方をした場合に、不妊症に対するいろんな医学上の技術といいますか、そういうものが幾つかございますね。そういうものはどの範囲までになっているから許されるのだということになっているのか、素人には限界がはっきりしないということと、さらにわかりにくいのは、偶然性の介在ということで、これは人の生命、つまり子供というのは天からの授かり物と思えという考え方なのか。例えば、よく知りませんけれども、人間でも女性が妊娠しない期間とか妊娠しやすい期間があって、それを作為的に考慮して子供をつくるとかつくらないとかいうことを意図的にコントロールできるわけですが、そういうことを考えますと、そういうことも人間の尊厳にかかわってくるのかというあたりがわからないんですね。ですから、この両性の関与はともかくして、偶然性の介在というのは、人間の尊厳を保つ上での絶対的条件、あるいは基本的概念と考えないといけないというのが、少し私にはわかりにくいんですが、どう考えたらよろしいんでしょうか。
(委員長)
結局、遺伝子の組み合わせの偶然性ということですね。
(委員)
そうですね。偶然性という言葉が、あまりよろしくない点もありますね。何かいい言葉があればいいんですが。要するに人間の意図で操作できない、天からの授かり物というか。多少違うかもしれませんが。
(委員)
ありがとうございました。
3つ目は、半分質問で半分コメントなんですが、この1枚目に、「人の細胞を用いる場合」と「動物の細胞を用いる場合」と2つに大きく分けてあって、人の場合について「人個体の産生」と「移植用クローン臓器の作製」のようなものがこの中に入っているんですが、実は科学技術会議の政策委員会の席に日本学術会議の専門家の方がお見えになって、この生命倫理のお話をされたときに、私は何遍も実は念を押して質問したことがございまして、それは、「特定の臓器を、人の個体をつくることなしにつくることができるんですか」ということをお尋ねしたんですが、それに対して明確に「それはできるんです」というふうにお答えになっていたんです。それで、私は実は今までずっとそうだと思ってきたんですが、この小委員会での御議論をまとめられた資料3−2を拝見いたしますと、「現時点では、人の成体又はそれに近いものを産み出さずに特定の個別臓器のみを産生することは技術的に困難である」と、こう書いてあるわけですね。
それで、この人個体の中に一くくりに入ることになったのかと思うんですが、私の素人考えでは、クローン技術によって人個体を産生することは非常に大きいいろんな問題があって、これは規制をする方がいい、あるいはする必要があるというのは理解できる。それから、人の個体を産み出さない、細胞の増殖等のクローン技術の応用については研究をしてもらって結構であるということはわかるんですが、その間に、移植用クローン臓器の作製等は現状では人個体又はそれに近いものをつくらないとなかなか難しいということだけれども、原理的には将来はわからないという、第3番目の問題に分けられるんじゃないかという気が、素人考えですけれども、ちょっといたしまして、規制の問題まで考える場合でも、「人の細胞を用いる場合」についてもこの2つのくくりよりは、「人個体の産生」というケースと、それから「細胞の増殖」というようなレベルというかスケールの規制の問題、もう一つ、現状では人個体に近いものをつくらないと無理だけれども、可能性あるいは原理的には臓器だけのクローン技術による作製は可能になるかもしれないというのであれば、3つに分けられるのではないかという気がしています。国による統一的な規制、それから、そういう規制を行う必要はない、あるいは規制を行う理由が見つからないという部分と、当面、時限的に規制をして今後の規制の在り方を検討していくというような3つ目のものと、3つに分けるというようなことはどうなのだろうという気がします。素人考えですので、あまり自信はございませんけれども。
最後に、最初に委員がおっしゃったんですけれども、「生命の尊厳」と「人間の尊厳」というものの違いをやはりはっきりさせておかないといけないのではないかと私も思うわけです。生命の尊厳という場合には、無生物と生物とを分けた場合も、生命を有するもの一般が生命を持つと考えますと、動植物一般の生命の尊厳と人間の尊厳というものは区別して考えていいのだという、そこを一番基本の問題としてはっきりさせる必要があるのではないかという気がいたします。
(委員)
質問を2つほどしたいんですが、1つは、要するにクローン個体をつくるにしても移植用の臓器をつくるにしても、現時点では核移植をした胚を子宮に入れないといけないわけですね。だから、産婦人科医の手がそこにどうしても要るわけで、それなしにはできないわけですが、日本産科婦人科学会が、何かこのクローンに関して声明を出しているかどうか。もしあれば教えてほしいと思います。恐らく日本産科婦人科学会は病気の治療以外の生殖技術は使わないという基本姿勢であろうと思うんですけれども、ただ、そういたしますと非常に微妙なところがあって、例えばミトコンドリア病の場合には細胞は駄目ですけれども核は何ともないということなので、こういう方法を使えばミトコンドリア病の遺伝を阻止することができるとか、非常に微妙なところがあるんですね。だから、日本産科婦人科学会がどういう姿勢をとっておられるのか、その辺をちょっと1つ聞きたいと思います。
(委員長)
私たちは、特に情報を持っていませんが、事務局で、何か情報はありますか。
(事務局)
日本産科婦人科学会は倫理の問題につきまして、10年ほど前から学会の会告という形でいろいろな見解を取りまとめられ、発表されておられます。その中で80年代の後半に、体外授精技術が出てまいりまして、人の胚が体外でつくられるようになったことに伴いまして、それをどのように扱ったらいいかという学会としての考え方をまとめております。その中で、クローンについても言及されておりまして、クローンについては、これは遺伝子を操作するものもあるという認識のもとに、それをつくってはいけないということが記述されております。また、関連して、体外授精により生じました胚につきましても記述がございまして、胚は基本的には、子供を産み出すためだけに使うものであるという基本認識を示した上で、例外として、不妊症治療の研究等に役立つものであれば、受精後2週間に限っては研究をしてもいいという見解になっています。
(委員)
先ほど科学者の自己規制というような話が出たんですが、日本産科婦人科学会は非常に前から体外授精の問題で議論をしています。だから、ある種の自己規制ができていると私も思います。今すぐに日本でこういった実験がなされることは少し考えにくい状況であろうと思います。そういう技術を持った人は、全部、学会の中で議論をしていて、ある種の自己規制をしているわけですね。そういう状況であろうというふうに思います。
私のコメントは、先ほどからいろいろ議論が出ていて、それは非常に重要な問題だと思うんですが、もう一つ、次の世紀の医学を見ますと、やはり再生医学というのが大変重要になると思っています。それは、臓器移植法ができて半年たっても日本では一例も脳死臓器移植が行えないという状況、それを待っている患者さんは随分たくさんいるという状況を考えますと、やはり脳死臓器移植以外の手段でそういう人たちを救ってあげたい。そうすると、免疫学的に拒絶反応を起こさないような臓器や組織をつくって救っていくということは非常に大事なことであって、多分、次の世紀の非常に大きな医学上の課題になると思います。そういった研究は阻害しないように十分な配慮をしていただきたいというのが私のコメントです。
(委員長)
ありがとうございました。むしろ、ある意味での自己規制があった方が、さっき委員もちょっと言われましたように自由に研究できる結果につながるかもしれませんね。
(委員)
今の、両委員のお話に関係あるんですけれども、やっぱりその不妊治療もそうですし、それからバースコントロールといいますか、そういう分野が非常に発達してきておりますが、この3−3の2ページ目の「規制の在り方」のところに書いてあるクローンというのは、例えば予見可能であるからいけないというか、意図的であるからいけないというような、そういうようなところがどうもよくわからないんですけれども、今、相当、「子供が産まれる」というより「子供を産む」という言葉も使われているくらいに非常に意図的で予見可能で、それでは全く同じ人間ができ上がるかというと、それは遺伝形質が共通なだけで、育つ過程は同じであるはずがないわけですね。ですから、こういう予見可能で遺伝形質が同じものがなぜいけないのかというところの説明は素人にはよくわかりませんので、御説明をしていただけませんでしょうか。
(委員長)
私は先ほど、当面、資料3−3の1ページについて御議論をと申しましたけれども、今、皆様のお話を伺っておりますと、自然に2ページ、場合によっては3ページにも及ぶこともあるようでございますから、どうか、これからは1ページということに限らず御自由に御議論いただいて結構でございます。
(委員)
先ほど委員が言われましたけれども、組織と臓器の問題を分けるということは、それ自体は、意味がないのではないかと思います。日本産科婦人科学会では胚の操作は2週間以内という考えですね。これは中枢神経の原基ができるところをもって人間の生命を区別しているのと関係しているように思うんです。そうなると、脳をつくってしまうというのでなければ、組織であろうが、臓器であろうが、それでよいということになるような気がします。ですから、むしろ、組織や臓器をつくる方法が問題で、委員の言われるように、組織と臓器とに分けることはそれ自体は、あまり意味がないような気がいたします。
それからもう一つは、生殖医学の問題は今、厚生省でも生命倫理問題に関し議論されておりますけれども、非常に難しい問題がまだいっぱいあります。学会も一応いろいろ規制はするんですけれども、守られているかどうかということは別なんですね。それから、今一番問題になっているのは、出生時前診断で例えば障害児が生まれる可能性が高いというときに、人工中絶していいのかどうかといったことです。障害者団体の人に言わせれば、そういうことをやられたら自分たちの存在価値がなくなるわけですね。障害児で生まれても、ずっとそれで社会に適応してやっておられるし、むしろ社会が差別することが問題だということになります。そんな議論があって、そこまでいくとまた難しくなります。
(委員)
大変難しい問題は、例えば脳を発育させるような遺伝子を壊しておいて、それで個体をつくって臓器だけを移植しようということが、恐らくこれは可能になると思うんですね。それで、結局、私はやっぱり、もう一回母体へ戻してやるような操作はすべて禁止しないといけないんじゃないかと。臓器だけならよろしいということは言えない。ただ、試験管内でつくるということが将来可能になれば、それは私もいいんじゃないかと思っているんです。さっき再生医学といったのはそういうあたりでして、その辺が非常に微妙なところ、難しいところになると思うんですが、もう一度母体を使っていろんなことをやるというのはやはり非常に大きな倫理的問題になるだろうという気がするんですね。
(委員)
お医者様が「脳死は人の死である」と言われるのであれば、脳を含む人個体でなければ人間として見なくていいということにはならないんですか。「脳死は人の死」という考え方と矛盾しないですか。
(委員)
そのとおりですけれども、その脳をつくらないというのを人為的にするということに非常に問題があるんじゃないでしょうか。普通に核移植をして胚細胞を子宮に戻したら全部できるわけです。脳もできるわけで、それが一般になると大変になりますね。その場合に、脳をつくる遺伝子だけをつぶしておけば脳はできない。それは確かに人間でないというふうに考えられますけれども、そういうことをやっていいかどうかという問題は大変大きな倫理上の問題になる。それはやっぱりできないと私は思うんですね。だから、それをどういうふうに表現すればいいのか、非常に難しいところで、私も、将来は試験管内で臓器までつくれるかもしれない、じゃ、それはそれでいいんじゃないかと思うんです。脳死の患者さんを待って臓器移植するよりはもっと受け入れやすい、一般の人にも受け入れやすい医療だろうという気がするんですが、ただ、今のように脳をつくらなければ人間でないからいいといって脳をつくらんようにするということは、これは非常に問題があるだろうと思います。その辺をどういうふうに整理して表現するかが難しいところだろうと思います。
(委員)
今お話を聞いていて、これは下手に発展するとえらいことになるなという感じをますます強く持っているわけですけれども、つまりそういう重大な結果をもたらしかねないところがあるだけに、私は、科学者の立場から言えばどんどん進めたいと思うでしょうけれども、一般の社会はなかなかそれに慣れて受け入れるというわけにいかないと思うんですね。ですから、ここで「規制の在り方」というのが書いてありますけれども、どの問題についてということは非常に大事ですけれども、やはり規制についても非常に強い規制をかけるものとそうでないものとを区別されていいはずであって、その辺のところを確かめるということが私は大事じゃないだろうかという気がいたします。
それからもう一つ、これはちょっと私の勝手な理屈ですけれども、「規制は、国際的に協調したものとすることが適切」と、こう書いてある。私は、日本は日本で考えて、その考えた規制が国際的基準に適応しているということが望ましいんじゃないかという気がするんですね。初めから国際的規制というのを見て、できるだけそのとおりやろうというのは、これは少し情けないんじゃないかなという気がしますので、もうちょっと違った表現があった方がいいような気がいたします。
(委員)
委員にお伺いしたいんですけれども、母体内に戻すのはぐあいが悪いけれども試験管であればいいということを委員がおっしゃる場合、その根拠といいますか判断基準はどういうものを考えていらっしゃるんでしょうか。
(委員)
それはもちろん明確な一線を引くことはやっぱりできないですね。それはできないだろうと思いますが、母体内に戻せば、それは人間であろうという判断をすべきだろうと思いますね。だから、試験管の中であれば、今、試験管の中で胎児をつくることは不可能ですから−−しかし、それも将来は可能になるかもしれないので非常に難しい問題がありますけれども−−母体に戻して発育させるということは人間をつくるということになりますから、そういう点でその辺に1つの線が引けるかなということを考えているんですけれども。
(委員)
今のことなんですが、非常に仮想的な、今現実的に可能なこととそうでないものとはやっぱり違うので、それを一緒にまぜ合わせると本当にわからなくなってきて、今の試験管内の人間の創出と育成も、既にオルダス・ハクスレーが小説『ブレーブ・ニューワールド(すばらしい新世界)』の中で、試験管内でどんどん人間を生産しているんですね。そういう小説が既に書かれておりまして、そのころから既に頭の中での創作ではそういうことが行われている。その人間に対して社会が反撃するとか、そういういろいろな問題がそのころから起きていたと思います。非常に難しい。
(委員)
ただ、脳を誘導する遺伝子をノックアウトして子供をつくるということは、これは動物ではできているわけですね。だから、それを人間に適応しようと思ったら可能性はかなりあると思うんです。
(委員)
それはありますね。
(委員)
だから、それはやっぱり禁止すべきであるというふうに私は思うんです。
(委員)
ただ、それに関しては、小委員会でも議論がなされたのですが、遺伝子操作の規制がありまして、その領域に入るのではないかと。人の遺伝子の操作は、今のクローンの問題とちょっと違ったカテゴリーに入るのではないかという見解があったかと思います。いかがですか、事務局の方では。
(事務局)
そのような議論がございました。これについて、どれぐらい規制すべきなのかという議論も一方でございまして、遺伝子操作の方は現在ガイドラインでやっておりますけれども、人の個体をつくってはいけないというのがそのレベルのものなのか、あるいはもっと厳しいものであるべきなのか、その辺の議論はございました。いずれにしても、結論にはまだ至っておりません。
(委員)
脳のない人間というと何か非常にショッキングなんですけれども、臓器生産ロボットというようなものの研究というのはまだないんでしょうか。
(委員長)
少なくとも現存はしていないでしょうね。
(委員)
そういう方向性の研究というのはどうなのでしょうか。
(委員)
むしろロボット技術の方では人間の脳に近い機能を持ったロボットをつくりたいという方向に行っていて、インテリジェント化されたロボット、工学分野での方向はそっちの方です。
(委員)
今の問題はむしろ人工臓器ということになるわけですね、ロボットというよりも。臓器をつくるということは人間にもできませんから、ましてやロボットでもできない。だから、むしろ人工臓器ということになるんですが、最近の人工臓器の研究の流れは、人工材料と、それから、細胞とをハイブリッドにしてやっていくというのが1つの大きな流れです。そうすると、そのときに自分の細胞であった方が有利になるわけですね。というのは、他の細胞だったら体に戻したときにリジェクションしてしまいますから。そういうことで、試験管内では大いに研究をしないと、そういうハイブリッド型の人工臓器もなかなかできていかないということがあると思います。
それから、確かに現時点では胚細胞の遺伝子操作は禁止されています。ただ、核移植したときに、これは体細胞ですから、少し詭弁を弄すれば、これは体細胞の遺伝子操作であるということになってしまうという危険はあるわけです。しかし、それは胚細胞と同じに扱うということであれば、確かに胚細胞の遺伝子操作は国際的にも現在すべての国で禁止されていますので、それに合うかもしれません。
(委員長)
もう一つは、こういった種類の研究が必ずしも産婦人科医によって行われるとは限りませんね。
(委員)
もちろんそうです。
(委員長)
場合によっては医学関係者以外の、いろいろな人たちによって行われる可能性も否定はできません。
(委員)
最初にお伺いしておけばよかったんですけれども、動物の細胞を用いる場合は大体においてよろしいんじゃないかということに対して、小委員会のメンバーを拝見しますと、いろんな分野の方がいらっしゃいますけれども、反対意見若しくは疑問というのは全くございませんでしたか。
(委員)
特に際立って反対ということはなくて、ただ、考え方として、自然と人間の共存といいますか、動物との共生といいますか、そういうようなことに関しては若干いろいろな意見があったかと思います。ただ、それが前面に出てくるということではありませんでしたが、何も外国でなくて、先ほどの発言でもありましたが、日本独自の根拠は今少し考えるべきではないかと。しかし、それを求めようとすると議論が循環論になってきて非常に難しいという状況だったと思います。そういう意味では、先ほどの個体の尊厳も含め、別の委員会か何かでもう少し広範に議論する方が適切ではないかという意見がありました。やはり今の小委員会の能力の範囲を超えているのではないかというのが私の感じです。
(委員長)
いや、それで結構だと思いますけれども、実はこのご報告をちょうだいしたとき、私が最初に伺ったことは、その「動物は構わないということに対して反対の委員の方はおられませんでしたか」ということでございました。
(委員)
先ほどの委員の御発言ですけれども、現実に豚が非常に人間に近いということで、アメリカでは豚の臓器を人に移植しようという研究がなされています。そのときに拒絶反応を抑えるような遺伝子操作を行って、つまり、拒絶反応に関係する分子をなくするというような形で、実際に研究所の申請がなされていますし、現実にやっている研究者がかなりいるということで、日本でもそういう動きは出ているというのが現状で、それは動物の臓器を人型に変えるというわけですが、そういうことが現実化するのは、近いというふうに見てもいいのかもしれません。
(委員)
法的に規制したいという意見ではないんですけれども、身近な動物の命を自由に人間が操作するというか、そういうことを人間が経験すると、社会的にもやっぱりいろんな影響が当然ある。生命に対する感じ方が変わるわけですね。それで、身近に感情が通じるような動物に対して、何かかなり乱暴というか、人間の非常に勝手な理由で何かしていいということは、人間に対する態度にも影響を及ぼさないはずはないので、そういう問題が考慮されなければならないということは確かだと思うんです。ですから、法的規制に問題がないということと、動物に対して自由に何かしていいという、そこに全く問題がないというのは別のことであろうと思います。
(委員長)
動物の場合に有用性という言葉を使うとしても、人間がぎりぎり生存していくために有用なのか、あるいは、ただ互いの間の経済戦争に勝つために有用なのかで随分違ってくるかもしれませんね。
さて、大体予定していた時間が近くなってまいりましたが、あとお一人、お二人、もし御意見があれば、ちょうだいいたします。
(委員)
こういう生物の問題というのはわからないことが多いんですね。さっきの安全性の問題も可能性とかも全くわからないところがある。当分の間、人工臓器もできそうにないということで生物体を利用する。そうなると、みんなが将来へのおそれを持ち、それを規制するものは何だということになる。われると、結局、神の摂理とか自然というものの中で常に人間が共生するという、それが安全じゃないかとか、非常に漠然としたところへ行ってしまうんですね。そこで、総論ではなく、一つ一つの生命操作に関して検討して、現時点で考えて、確実で安全だという方法を選ぶということの議論にしかならないような気がします。
(委員)
今までの医学・医療の進歩の歴史を素人なりに振り返ってみましても、それぞれの時代で国民一般といいますか、市民一般の意識とか感情・感覚に合わない中で非常に頑張って新しい道を開いてこられた、そういう事実の積み重ねみたいなところがありますので、世論調査をやるとか国民一般の意識をとらえるということが、コンサバティブに安全性という点ではどうか知りませんけれども、唯一正しい道かどうかというのも考える必要があるのではないかという気がいたします。
(委員長)
場合によっては、コンセンサスというものは積極的につくっていくものなのかもしれませんね。
最初に申し上げましたように、実は今日ここで何を決めようとか、そういうことではございません。小委員会からの御報告を承って議論していただいて、場合によってはその内容を小委員会での御議論に反映していただこうということでございますので、今日はこれで終わりにいたしたいと存じます。また、本会議では、今日ここで頂戴しました御議論を要約して報告させていただきたいと存じます。
以上のようなことでよろしゅうございますか。何か事務局から連絡事項はありますか。
(事務局)
特にございません。
(委員長)
それでは、長時間、どうもありがとうございました。