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第4回科学技術会議生命倫理委員会クローン小委員会議事録


1.日時    平成10年4月13日(月)14:00〜16:00

2.場所    科学技術庁第8会議室(通商産業省別館9階)

3.出席者

(委 員)
岡田委員長、青木委員、位田委員、勝木委員、加藤委員、菅野(覚)委員、菅野(晴)委員、高久委員、武田委員、豊島委員、木勝(ぬで)島委員、町野委員
(事務局)
科学技術庁 青江研究開発局長 他

4.議題

(1)クローン問題の論点について

5.配付資料

資料4−1  クローン技術の可能性と規制の在り方に関する論点整理メモ
資料4−2  第3回クローン小委員会議事要旨

6.議事

議事:クローン問題の論点について

 (岡田委員長)

それでは、時間がまいりましたので、まだ高久先生などお見えになっていない方がおられますけれども、そのうちお見えになると思いますので、第4回科学技術会議生命倫理委員会クローン小委員会を開催させていただきます。
前回の小委員会では、議論の論点を集約したクローン技術の可能性と規制の在り方に関する論点整理のメモというのをお示しいたしまして、ご意見をお伺いしたわけでありますけれども、その第3回の結果を見ましても、クローン問題に関して、まだまだ種々のご意見があるということであろうかと思います。私といたしましては、本小委員会で考え方を集約していく際には、できるだけクローンに固有の問題に焦点を絞って、論点が拡散することを避けながらまとめていければ、何とかそうしていきたいと思っている次第です。
後でお手元の書類に関して事務局からチェックしていただきますが、論点メモというのは、こういう視点から前回の委員会及びそれ以降に各委員から私又は事務局にいただいたご意見を集約いたしまして、極力各委員の共通の理解を得られる内容となるようにまとめたつもりであります。当然ながらいろいろのご意見があろうかと思いますけれども、4月21日に開催予定の生命倫理委員会では、本論点整理メモに従いまして、本小委員会での審議内容を報告したいと思っている次第です。
そういうこともありますので、本日の論点では、本委員会として重要と考える基本的論点については、一応の整理の方向を示すところまで進めていただければ非常に有り難いと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、事務局の方から資料の確認をお願いいたします。
(事務局)
それでは、本日お配りさせていただいております資料について、ご確認させていただきます。
議事次第を除きまして、資料番号が打ってありますのが二つございます。資料4−1が、ただいま委員長からご言及のありました論点整理に関する委員長メモでございます。資料4−2は前回議事録でございます。そのほかに、お手元に、各委員の先生からいただきました資料のうち、お配りするようにという指示をいただいたものについて、二つ配ってございます。一つは、本日ご欠席の三上委員からの資料、1枚紙でございます。もう1枚が、本日ご出席でございますが、木勝島委員からの資料でございます。以上4点がお手元に配られてあると思いますが、もしございませんでしたら、早速配らせていただきたいと思います。
(岡田委員長)
書類の方はよろしゅうございますでしょうか。
きょう加藤委員がお見えになっておられますので、ちょっと自己紹介をお願いいたします。
(加藤委員)
京都大学の加藤尚武と申します。今まで忙しくて出席できませんで、申し訳ありませんでした。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。
それでは、議事に入らせていただきます。
まず、配付資料の「クローン技術の可能性と規制の在り方に関する論点整理(委員長メモ)」の内容につきまして、事務局からご説明をお願いいたします。
(事務局)
それでは、なるべく簡潔にご説明させていただきたいと思います。
この論点メモの内容は、全部で、前回もご討議いただきましたように三つに分かれております。一つがクローン技術の将来の可能性に関する評価に関する部分、二つ目がクローン技術の規制の在り方に関する部分、3点目がクローン技術に関する社会の合意形成の方法論に関する部分、この三つでございます。
まず、クローン技術の可能性に関する評価でございますが、ここは前回の委員会でかなり議論をいただいたこともあり、そこと変わったところを中心に、ご説明させていただきたいと思います。
全体を人以外の細胞を用いる場合と人の細胞を用いる場合の二つに分けてございます。人以外の細胞を用いる場合は、基本的に非常に有用性が大きいのではないかというような評価でございます。このうち動物の臓器を人型化して、人への移植用臓器に使おうというような技術については、クローン技術としては将来できるようになる可能性があるが、動物中に存在する未知ウイルスの存在で、まだ安全性の確保の観点から十分な有用性を考慮し得る状況にはない。けれども、今後引き続き十分なフォローが必要であるという評価でございます。
次に、人の細胞を用いる場合でございますが、これも前回とほとんど変わっておりません。クローン技術により人の個体を生み出すことにつきましては、科学的研究面、医学的応用面、いずれにいたしましても、現在あえて実施するだけの有用性はないという評価であるということが、まず第1点でございます。
第2点といたしまして、細胞の核移植や胚移植を行わず、人の個体を生み出さないようなクローン技術の適用、これは、前回の委員会での資料にはこの後の括弧内の記述が入っておりませんでしたが、ご意見によりまして、体細胞培養ということをはっきりしてございます。これにつきましては、いろいろな可能性があって、有用性があると評価できるというようなことになってございます。
前回ご議論がありました胚性幹細胞(ES細胞)につきましては、新しく別項を立てて記述すべしということでございましたので、改めてここに一つ論点を書いてございます。ES細胞、胚性幹細胞は、現在マウスで得られておりまして、確立されておりますが、人ではそのような系統はできておりません。したがって、ここから以後は将来の話になるわけですが、もし将来、人の胚性幹細胞が得られた場合を考えてみると、現在の知見から見ると、このような胚性幹細胞といえども、単独で分裂して人の個体を生み出すことはないということ、もちろん核移植や胚移植を伴えば別の議論になりますが、それだけで分裂して一つの個体になるということはないので、これを使う、いわゆる培養するということに限っては、体細胞培養と同様に考えてよろしいのではないか。その場合、体細胞培養としての重要性があると評価できるのではないかというのが、1点でございます。
ただし、胚性幹細胞につきましては、現在マウスで、他の胚とまぜて一種のモザイク胚をつくるということが重要な実験手法として確立されてきておりますが、このようなことを人の細胞で行うということになると、人間の尊厳上の問題が生じるものと考えられるということであります。
一番下の論点は前回と変わりませんが、人の個体を生み出すことが不可能なように、あるいは人の特定の臓器だけを発生するように遺伝物質を改変して、そこから育てていって特定の臓器を臓器移植用にとったらどうか、というようなことが仮想的に言われております。しかしながら、現在の技術では、人の個体に極めて近い形を生み出さずには、特定の臓器だけを産生することは技術的に困難であることから、人の生体又はそれに近い体を生み出すという点で、人間の尊厳と非常に深い関連を生じざるを得ない技術的状況にあると考えられます。したがって、そういったのを押して、あえて現実的な有用性を考慮するような状況ではないというような評価でございます。
以上が、クローン技術の可能性に関する技術的評価ということでございます。
二つ目が、規制に関する検討の部分でございます。
まず冒頭に、前回は入っておりませんでしたが、クローン技術の規制というのは、現在、世界各国で議論が進められており、いろいろな技術、いろいろな研究者の国際交流や意見交換が進む中で、どのような方法でこれを考えていくかということについては、国際的に協調したものとすべきである、というご意見がございましたので、ここに書いてございます。
次に、クローン技術を用いて人の個体を生み出すことでございますが、人の個体を生み出すことに、クローン技術を適用するといったことに固有なことはどんなことだろうかというのを最初に整理してございます。
まず、科学的実態といたしましては、当然のことながら男女両性の関与がなくて無性生殖であるということ。したがって、通常、配偶子の形成過程で起こる遺伝子、あるいは染色体の組換えが起こらずに、遺伝的形質が親と全く同一であること。その結果、もちろん成長過程での環境要因の作用がありますから、成長した方々に違いがいろいろ生じるのは当然でありますが、それでも生み出される方の表現形式は相当程度予見可能であるというのが、科学的実態であろうと思います。
またもう一つの側面として、社会的にはそういう方々がどう認識されるかということになりますと、科学的実態でありますように、成長過程でいろいろな環境要因の作用が起こりますから、必ずしも厳密に同一な人が出てくるわけではない。すなわち人格などが同じになるわけでは決してないわけですが、しかしながら、生み出される人は、生み出されたもとの遺伝形質を持っている人が既に社会の中に存在しておりますので、それを後から追ってクローンの人が出てくる形になりますから、一定の能力とか性格とか容姿などを有するオリジナルの人個体の複製であるという認識が社会に広範に存在するというのが、社会的な認識の実態ではなかろうかということでございます。
こういった実態なり認識なりに基づいて考えてまいりますと、まず一つ、人間の尊厳の侵害という形が考えられるということであります。これは、ここでは二つに分けて順々に議論しておりますが、人クローン個体として生み出される方の視点が一つ。もう一つは、人クローン個体を生み出す人の視点。この二つからそれぞれ議論をしてみようということであります。
まず、人クローンの個体として生み出される方から見たらどうかということでありますが、先ほどの社会的認識のところに出てまいりましたように、クローン個体として社会の中に出てまいりますと、その方にとっては、既にオリジナルの人がどこかに存在して、その方の複製であるという認識がどうしても避けられないであろう。したがって、そういうことを考えると、クローンの人の個体がもし生まれた場合には、生まれたその時点で、本来その人が人生を新しく築くということ、すなわち社会的な評価も新しくその人が築いていくということが通常あるはずでございますが、これが、オリジナルの人との関係において、当人と無関係に一定の物差しが社会的に既に存在をして、それに相当程度規定されてしまうというような社会的評価を受けることになるのではないか。したがって、その場合、個人として正当に評価される機会に制約を受けることになっているのではないか。こういったことになりますと、憲法では個人の尊重ということが定められておりますけれども、このような常にオリジナルの人との関係でしか評価されない状況に個人を置くことは、好ましいものではないというふうに考えられるのではないか。したがって、そのような事態を回避することに妥当性があるのではないかという考え方が一つあると思います。
また、次の項目では、人の尊厳は一体何によって考えることができるかという議論。これにつきまして、まず、非決定性というのが非常に重要ではないか。この非決定性というのは、二つの要素からなっているという考え方がございまして、一つは、あらかじめ他者によって性質を決められていないこと。二つ目は、DNA配列だけで決められず、環境や他の人間との相互作用の中で自らを形づくり、発展させていける自由を持っている。この2点の非決定性の中に人の尊厳があるのではないかというご議論がございます。これは、お配りさせていただきました木勝島さんの資料の中に、このような考えが一部出ていると思います。
こういったことを考えますと、クローンの個体を生み出すということは、あらかじめ他者によって性質を決められているような人の個体を生み出すという意味で、自由な存在としての人間の在り方を脅かすのではないか。したがって、認めるべきではないという考え方もあると思います。
しかしながら、こういう考え方に対しては、人のクローン個体が仮に生まれた場合を想定いたしますと、そのクローン個体の方にも、仮に社会的認識がいかなるものであれ、あるいは遺伝的同一性がいかなるものであれ、その人個人が自由に発想したり、発展したり、行動したりする可能性は当然あるわけであって、このことのみをもって個人として尊重される権利が否定されているとは言えないであろう。したがって、生まれてくる方の視点から見ると、クローンであるという状況は必ずしも好ましいものとは言えないということでありますが、その規制を考えるときには、生み出す側の視点も総合的に考えて、妥当なものとすべきであるということではなかろうかということでございます。
それでは、生み出す側の視点というのを考えてみると、そこに四つの場合が書いてございます。特殊な議論があればこの類型の中に当てはまらないものがあるかもしれませんが、おおむねこの中におさまっているのではないかということですが、一つは、クローン個体を生み出したいという動機を持つ者としては、国や企業やその他の組織、二つ目が研究者、3番目が不妊症のご夫婦、4番目がその他の一般の方で、自分や族の遺伝子を将来残したいと願う者。こういった方々の動機が、基本的に考えられるのではないかということでございます。国や企業の場合は、一定の目的のために特定な形質を持つ人を生み出したい。研究者の場合は、研究目的とはいえ、均質的な遺伝的形質を持つ人のクローン個体を生み出したい。不妊症のご夫妻の場合は、他の方法では子孫が残せない状況のときに、このクローン技術が使えないだろうかと願う場合。その他の一般の方は、ご自身の遺伝子を後世に残したいというような願い。
そういったような場合が考えられるのではないかということで、順次、それに対して考えてまいりますと、まず、国や企業、その他の組織、5ページでございますが、そういった組織が何らかの意図を持って、一定の目的達成のために特定の遺伝的形式を持つ人を生み出したいというような場合。これは、目的がどのような崇高なものであっても、生まれてくる方を、その政策目的達成のための手段として使っていることにかわりはないのではないか。人を手段として使うということは、使われる個人から見れば、その意思が無視され、政策目的達成のための道具としてとらえられてしまうことになるので、これは、個人の尊重という観点からは許されないのではないかというのが第1点でございます。
研究者の方が均質な人のクローン個体を生み出したいと願う場合、これについては、冒頭に出てまいりましたように、人のクローンの個体を使って研究を行わなければならないような必然性が極めて乏しいという現状の評価であったかと思いますが、それに加えまして、研究目的達成のための手段として人クローンの個体を生み出すということになるので、これも、先ほどの国が生み出したいというレベルとは若干次元が異なるかもしれませんが、研究目的達成のための手段としてしか人をとらえていないということに関しては、やはり個人の尊重を侵しているのではないかというのが2点目でございます。
3点目が、他の方法では子孫が残せないような不妊症のご夫妻の場合。この場合、特定の政策意図や特定の形質を持つ子孫を得たいといった意図が通常は示されることはないと思いますが、その意味で、生み出す側の意図としては純粋なものであると思われます。
これに対して様々な意見が存在すると思いますが、順次そこを整理してみた試みがございます。
まず第1に、先ほどのように生まれてくる方の視点からすると、社会的評価が既に存在して、それに対して常にはかられるというような意味で、個人として尊重される権利が脅かされている可能性、あるいは、あらかじめ個人としての自由な存在としての在り方が脅かされている可能性、そういった可能性があるので、そのような事態が生じることは好ましくないとの考え方が一つあると思います。
また、このような場合でのクローン技術の適用は、それが医療行為としてとらえられるかどうかという点がポイントであって、その是非はその判断によって決まるということなので、その点について今後の慎重な検討が必要であるという考え方もあると思います。
また、三つ目の考え方として、この場合、通常の受精と異なって、生まれてくる個体の表現形質が親にとっては予見可能、すなわち父親か母親かどちらかに表現形質が大変近い個体が出てくるであろうという期待が可能でございますので、親の側から見ると、特定の形質の子を得ることをあらかじめ期待して、クローン技術が使われることになるということがあると思います。通常の受精の場合には、両親といえども、子供がどういう形質を持つかというのは相当程度予見可能といったものでは全くなくて、ほとんど予見ができないものだと思いますが、この場合、予見が相当可能であるということですから、それを踏まえますと、両親にとっても、ある意味でクローン技術を使うことで、ある特定の形質の子供を得ることができるという手段として使う、そういうふうにとらえることもあるのではないか。その場合、先ほどの国や企業の場合と次元が異なりますし、また、研究者の場合とも次元が異なると思いますが、親の目的達成の手段として、一つの形質のわかった個体を生み出す、そういう点では同様である。したがって、許されないのではないかとする考え方もあると思います。
また、国民の大多数が、生殖というのは男女のかかわり合いによって子供が生み出されるもの。したがって、それ以外の方法によって人個体を生み出すことは、人間の尊厳をそもそもそういったこと自体が侵す、禁止すべき行為であるというような意見を持っているのではないかと考えられることから、そのような国民の意識を反映して、人クローン個体が生み出されないような措置を講ずるべきではないかという考え方もあると思います。
これらの考え方は、前回の委員会以降、委員の先生方から事務局にご示唆いただいたものを集約させていただいて、委員長が残すべきと思われたものを、ここに書いてあるというものでございます。
この場合については、以上のようないろいろな考え方がまだあって、直ちにこれをどうするという明確な結論を出すことは難しい。したがって、今後さらに検討が必要であるのだけれども、いずれの考え方に基づくにしても、慎重な対処が基本となるという点は共通ではないかということで、いろいろな検討をしていく間にも、人クローンの個体が生み出されないための措置を講じておくことには、妥当性があるのではないかということでございます。
また、先ほどの4番目の一般の方、不妊症のご夫妻とかではなくて一般の方が、自分の遺伝子や家族の遺伝子を将来残したいと願う場合につきましては、不妊症のご夫妻の場合に比較すると、その必然性はたかだか同等以下でしかないのではないかということで、クローン技術の適用は、不妊症のご夫妻の場合にもまして慎重に対処すべきだということになるのではないかというのが、最後の論点でございます。
以上が、人間の尊厳にかかわる論点でございます。
それと大きく別の議論として、安全性の問題の論点がございます。クローン技術を用いて人の個体を生み出した場合には、生み出された方の安全に関する保証が現時点ではできるような状況でないということで、そのような状況でクローン技術を適用することは問題だという視点でございます。
これらを総合して考えてみますと、現在ではクローン技術の人個体産生への適用については、人間の尊厳や安全性などの問題があり、かつ現時点では有用性がないということで、それらを総合判断すると、禁止のための規制を実施することに妥当性があるのではないかということでございます。
研究の自由との関係につきましては、前回とほぼ同様の整理でございますが、研究者がどのような研究を行うといったことは、無制限に自由ということではなくて、社会に対する責任との関係で議論されるべきであって、社会に対して負の影響がある場合、あるいは国民の間に幅広い反対意識がある場合等々は、研究者の方が社会的責任を自覚して対処することは当然であるけれども、それに適切な範囲で規制を設けるということを行っても、研究の自由の不当な制限であるとは言えないのではないかということでございます。ここは前回とあまり変わっていません。
そのような場合、規制をするといった場合に、規制の対象としてどのようなものが該当するのかというのが明確にされないといけないだろうということで、前回ございましたように、時系列に沿ってクローンの発生を考えていきますと、まず初期胚があって、胚移植があって、原始線条が出現して、出産、成長していくというような仮想の発生段階が考えられるわけですが、先ほどのようにクローンの人が社会の中に出てくる、そういったことが個人の尊重を侵すというようなことであるとすると、そういった社会的存在になるようなクローン技術の適用を規制すべきであるという議論になるのではないか。この場合、社会的存在にまで成長するかぎとなるプロセス、これはクローン胚の母体への胚移植の段階ではなかろうかということであります。したがいまして、ここでは、人クローン個体を母体への胚移植をしないという段階で禁止すべきではなかろうかということでございます。
なお、人の胚につきましては、諸外国でも、日本の産科婦人科学会等でも、原始線条が出現する段階を越えて培養するといったようなことについては一般的に問題があるとされていることについて、ここでも留意する必要があるというのを書き足してございます。
以上が人の個体を生み出す場合でございますが、生み出さない場合につきまして、次の1ページほどを使って論点が書いてございます。
人の細胞を使うんだけれども、人の個体を生み出さない場合、これにつきましては前回と同様でございますが、種々の科学的、医学的可能性が認められるし、今後いろいろな可能性、医学的可能性と認められて、安全性の確認に慎重な検討が必要であるといったようなことはあるだろうけれども、特段の規制をするまでの理由は見当たらないのではないか。ただし、人の個体を生み出さないと言いつつも、実際に特定の臓器だけを生み出すような遺伝子の改変をして育てるような場合であっても、先ほどの評価のところに出てまいりましたように、現時点では非常に人の個体に近いようなことになるので、そのような移植用クローン臓器の作成は、人個体を生み出すことと同様な人間の尊厳の侵害といったところに当たるのではないかということで、そこについては規制を行うべきではないか。そのクリティカルなプロセスとしては、これもやはり母体への胚移植が伴うことによって、そういうことが生じるということなので、そこを規制するというのが考え方としてあり得るという論点になってございます。
動物の個体につきましては、基本的には保護、管理については既存の法令がありますので、それを適用すればよいのではないかと考えられますが、動物の保護、管理の在り方そのものに関して、この小委員会でも若干議論がございましたが、これにつきましてさらに検討が必要であるということであれば、いわゆるクローンの問題とは別途の場を設けて検討すべきではなかろうかということでございます。
最後の論点は、哺乳類のクローン個体作成については、昨年、内閣総理大臣が定めましたライフサイエンスに関する研究開発基本計画の審議をしたときにも出てまいりましたが、適切な情報公開を進めることが社会の理解のために非常に重要であるということで、そこのところを再度記述してございます。
最後に、クローン技術によって人の細胞核を動物の除核未受精卵へ移植するといったような、いわゆる交雑胚をつくって研究をするというようなケースが考えられるわけですが、これは有用な科学的知見をもたらすというよりは、むしろ好奇的関心に引きずられていると考えられますし、通常は人間の尊厳を侵害する行為というふうにだれもが思うのではないかということで、このようなものについても規制が行われるべきではなかろうかということでございます。
規制の手法でございますが、ここも前回と趣旨は余り変わっておりません。幾つかの手法があるうちの、法令、国のガイドライン、学会などのガイドライン、個別の倫理委員会審査等々のレベルが考えられるわけですが、これに関連しまして、参考例といたしまして、今、現状で、例えば国のガイドラインといいますと、遺伝子治療の臨床研究の指針でありますとか、組み換えDNA実験の指針でありますとかいうのが存在いたしますし、学会のガイドラインとしては、体外授精、胚移植に関する見解等が存在するという参考例が、そこに補足してございます。
どのような規制の形態がいいのかということについては、国全体として統一的なものであるべきだという観点からは、法令又は国のガイドラインといったところが適切ではなかろうかということでございます。
また、この規制の内容につきましては、法令の場合でしたらこう、ガイドラインの場合でしたらこうというようなことが論点として書いてございますが、核となるような部分、すなわち人の個体を生み出すといった部分については禁止をする。その周辺については、それよりも若干緩い規制を行うといったような考え方になるのではないかという論点として書いてございます。
一番最後に規制の時限というのがあります。今回、先ほども出てまいりましたように、今後クローン技術に関しては動物クローンなどでいろいろな知見が蓄積されていくということで、安全性についての科学的判断もより確実になっていくであろう。また、先ほどのクローン技術と人間の尊厳との関係について、さらなる議論が続いていくであろうということ。さらに、いまだ可能性の段階にあるクローン技術の応用実例が、今後畜産の分野でかなり具体的にどんどん提示されていくであろう等々が起こってくると思われます。したがって、そういうことによって将来クローン技術に対する国民の意識、あるいはその規制の在り方をめぐる状況は変化する可能性もあるので、そういった萌芽的段階であるということもあるので、恒久規制というよりも、いろいろな知見が相当程度蓄積されてくる期間と考えられる5年程度の時限的な規制として、その間にさらに検討を進めるといったことが適切ではなかろうかということであります。
以上が規制に関するところでございまして、最後の半ページが、社会の合意形成の方法論に関する検討でございますが、これにつきましては今まで余り議論をしていただいておりませんので、今の時点では非常にシンプルになっております。当然のことながら、クローン技術をどうしていくかということを考えるときに、国民の意識を適切にとらえることが非常に大事であるということで、手段としてはインターネットとか、関係団体からヒアリングとか、世論調査とか、いろいろな手段が考えられると思いますが、この小委員会か、あるいは生命倫理委員会かわかりませんが、いずれにしても一定の考え方をきちっと示した上で、国民の意識をとらえていく。それの結果を最終的に反映したものとすべきではないかというのが、最初の論点でございます。
それから、最後は情報公開の方法論でございますが、ライフサイエンスに関する研究開発基本計画でも、哺乳類のクローン個体の作成は、少なくとも情報公開をしっかりして、社会の理解を得ていく必要があるのではないかということが言われておりますし、また、そのほかの研究につきましても、社会的関心が非常に高いことから、知的所有権に配慮しつつも、一定の公表義務の設定をしたり、あるいは公表された研究・応用例が一覧できるデータベースを設定したりというようなことを検討することが必要なのではないかというのが、最後の論点になってございます。
いずれにしても、この全体が論点メモでございまして、これに関していろいろなご議論をいただいた上で、その後に報告書の作成を始めていただくということになるのではないかと思っております。
(岡田委員長)
どうもお疲れさまでした。
これは三つに分かれていて、クローン技術の可能性に関する評価ということが1番ですが、これに関しては余り討議することはないのではなかろうかと思っております。それで、第2の項目のところにとにかく移ってみて、ここである整理の仕方がうまく生まれればいいと思っておりますが、それでよろしいでしょうか。
それでは、2の規制に関する検討、今、事務局から長い説明をしていただきましたけれども、ここに関してフリートーキングを行いたいと思います。
(加藤委員)
基本的な点で問題になるのは、コピー人間みたいな形になるかどうかという議論よりも、もうちょっと広い範囲の議論で、新しい医療技術が生まれた場合に、それを社会的に適用していいかどうかという議論をするときには、便宜的な利用と治療目的の利用に分けて、便宜的な利用は認めないという考え方があるわけです。例えば代理母というような新しい技術が開発されたときに、バレリーナが公演があるので代理母に子供を産ませるというのは便宜的な利用であるとか、それから、骨の中に金属を移植する技術を使って重量挙げの選手が体を強化するのはいけないとか、ドーピングはいけないとか、そういういろいろな考え方がありますが、そういう新しい技術が開発されたときには、医療目的であれば正当化は可能であるけれども、医療目的以外の便宜的な目的のための利用はいけないという、そういう考え方があるんです。実際にはそれが厳密に守られているわけではなくて、美容整形が行われたり、あるいはパイプカットが行われたりして、必ずしも厳密に守られていないわけですけれども、例えば代理母なんかの場合には便宜的な利用は認めないという考え方はかなり有力になってきていると思います。
ですから、コピー人間をつくっていいかどうかという議論一本やりで進むのは、かなり危ないというか、いわば可罰的違法性を構成するかどうかという議論になると、難しいところまで行ってしまうし、むしろ便宜的な利用は認めないという考え方を採用した方が、ずっと安全というか、通りのいい議論ができるのではないかと思います。
それと、治療的目的の場合にいいか悪いかという問題ですが、私は、治療的目的といったときにも二つに分けて、心理的な意味での治療目的と、不妊対策というような意味での治療目的というような議論になるのではないかと思うんです。そして、心理的な苦痛を解除するためのクローンの利用については、私は事実上禁止すべきだと思います。というのは、目的と手段の必然的な関係がない。これは遺伝子治療なんかの場合でも使われる論点なんですけれども、何かやってみようじゃないかといっても、目的と手段の関連性のない技術を使ってはいけないという考え方があって、クローンは必ずしも心理的な苦痛を解除する唯一必然的な方法ではないという論点は可能ではないかと思うんです。
問題は、議論全体としてみると、治療目的としてもうちょっと厳密な、心理的でない、例えば不妊治療の場合に、それを禁止しても、個人の医療をアクセスする権利を侵害しないかどうか、その議論に絞られると思われます。ですから、コピー人間もどきをつくっていいかどうかという議論をすること自体が、大筋でかなり無理な議論になってしまうのじゃないかと思います。
(岡田委員長)
今の加藤委員のお話は、多分、不妊のご夫婦というあたりのところが、ある意味で法規制の問題点として難しいところということになるわけでしょうか。このあたりでご意見をいただけますか。
(武田委員)
これは、こういうことが多分論点になるだろうということは感じ取っておりましたけれども、ただ、不妊の治療ということになりますと、今、専門家が行っています不妊治療というのは、有性生殖の範囲は越えていないんですね。だから、男女両性の合意で、両性の胚細胞を使って有性生殖をするということが、不妊症治療の原点のように思います。それから申しますと、先ほど加藤先生がおっしゃった不妊対策として、これが治療として認められるかどうかというのは、現時点では専門家の立場としては認めてはいないというふうにお答えすべきだろうと思います。
したがって、有性生殖、男女両性の胚細胞を用いて行う不妊症の治療は、あくまでも生殖の補助技術である。補助技術の範囲を出ていない。それを出るべきではないのじゃないかという感じを私自身は持っております。したがって、そういう論点からも、これは不妊症の治療とは言い難いというふうに、むしろ決めてもいいのではなかろうかという感じがします。
(町野委員)
どこまでが医療かという議論をすると、むしろ不毛な議論ではないか。要するに、これを規制すべきかどうかというのが第1の問題で、どの場合にそれを解除するかの問題だろうと思うんですね。そして、ある範囲については解除すべきじゃない、一律に禁止すべきかというぐあいに踏み切るかどうかということが、私は問題だろうと思います。ですから、もし不妊症だとか、他の何らの理由によって解除すべきであるという限定をつけるかどうかを、まず議論すべきだろうと思います。
(岡田委員長)
ありがとうございました。
今の町野委員のお話は、回答としては、武田委員からもう既にそれに対応する回答があったと、一応理解してもいいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
(町野委員)
私はちょっとその点は留保しますけれども、医療行為とは何か、治療行為とは何か、それ自体、非常に延々たるものでございまして、加藤委員のご発言にもありましたとおり美容整形手術が入るかとか、非常にわからない。それで、先ほどの武田委員のお話ですと、要するにこれは通常の不妊治療の域を越えている、今までやられているものの域を越えているということですけれども、越えては、なぜ治療行為と言ってはいけないのか。今、概念定義を変更してはいけないのかという議論に再びなるわけですね。ですから、私は、そちらの方に入ることの方が、むしろややこしい問題になるのではないかというぐあいに思います。
(岡田委員長)
不妊症の問題が重点であるわけではないという判断の中でのお話ということになるわけですね、結果としては。
(木勝島委員)
加藤先生の言われた、便宜的利用は認めないという原則でいったらどうか、複製ということだけでは規制の根拠にはならないのではないか、というご意見に私も賛成です。
私が一番気になるのは、3ページ、(社会的認識)というパートで、核の中の遺伝子のセットが同一だということは、個体として同一だということとイコールではないというのが科学的実態だと思うのですが、ここでは、クローンで生み出された個体はオリジナルの複製であるとの認識が社会に広範に存在すると書いてあります。しかしこれは確証された事実ではありません。それをどう確かめるかは、方法を考えると難しいと思います。
さらに重要だと思うのは、社会がそういう科学的実態とは違う認識をしているときに、それを社会現象として認めてしまうというのは大変疑問だということです。科学技術会議の使命は、科学的実態とかけ離れた社会の認識については、それはそうではないと正すことにあると思います。科学的実態の認識の共有を社会の中で図るというのも、この小委員会なり科学技術会議の大事な使命だと思いますので、複製であるとの認識が社会に広範に存在する現状をそのまま追認していいのか、私は非常に疑問に思っております。
その論点と関連して、4ページ目に、人クローンとして生み出された人がどうなるかということの中に、常にオリジナルとの関係において規定されてしまうから、当人にとっては制約を受けてよくないと記されています。ですが、「オリジナル」との関係で当人の人生が規定されてしまうというのは、通常の親子関係でもあることではないでしょうか。極端な例では、プロ野球の長嶋選手の息子さんはプロ野球選手として相当かわいそうだったと思います。彼は、常に父親と比べられて、普通の選手だったらそこそこいいレベルだったかもしれないのに、おやじさんのイメージがあるから、どうしても大きく評価されなかったと思います。
(加藤委員)
長嶋さんが子供を生むのは間違っていた。
(木勝島委員)
いえ、そういう意味ではありません。オリジナルとの関係において人生が制約されるということは、通常の親子関係でもあり得るということです。
この配布されたペーパーの記述についてはまだいろいろと疑問点があります。また後で申し上げたいと思いますが、もう一つだけここで申し上げます。
生まれた者の側の視点ということで、この論点整理が前提としていることで、非常に疑問なのは、例えば不妊治療という枠で行われる場合、その人が核移植技術を使って生み出されたという事実が、完全に世の中に伝わってしまっている、だれがクローン技術で生み出されたかがわかっているということが前提として書かれていることです。通常の不妊治療の場合、だれが他人の精子をもらって生まれたか、だれが体外受精で生まれたかということは、医師の守秘義務の範囲内のことと私は認識しております。クローン個体が生み出されたという、その生み出された側の視点として、自分はクローン個体なのだということについて、最初からそういうプライバシーが守られていない状況を前提とするのは、私はおかしいと思います。少なくとも仮に不妊治療の枠内で行われるのであれば、そのプライバシーは当然医師の守秘義務内に入るのではないかと思いますので、この論点は見直す必要があると思います。
(岡田委員長)
議論がどんどん発散していくと、まとめようがないと思います。一つの問題点としては、加藤委員がおっしゃった不妊の問題のことで、一つの例としての今のお話に関して、町野委員からお話があって、それで、武田委員からベースとしてのお話があったという格好で、ここのところをちょっとまとめておきたいと思います。
というのは、こういう会での議論のときに、虚構の中に虚構を乗せていくという形の、想像に想像を重ねていくということは、延々となるというのが、よくあることだと思います。しかし、武田委員のおっしゃった、5ページの不妊のところでの4番目に書いてある、男女のかかわり合いによって子供が生み出されるものという原則は、今の日本の社会環境の中では、そのような形の中で動いていることになると思うし、これを科学技術によってつぶしてしまった方がいいという議論にはならないと思っています。
いかに守秘義務があろうと、そこから外れているという形のことは、例えば戸籍の問題にしても何にしてもそうですが、今現行で動いている社会の流れというものをそれに合わせて変えていかなければいけないことが一杯出てくると思います。それよりももっと大切なのは、日本人のある社会通念という形のものというのは非常に大切にせねばならないものであって、技術がそれをひっくり返すほどのことになる必要があるかと言われると、私自身はそうは思いません。それは非常に大切なことであって、これは私自身の個人的な話ですが、根拠とするところは、日本の社会環境という形のものと整合性がとれるものだったらとっていこうということが必要なんだろうと思っています。科学技術を大上段に振りかぶることはないんだというのが私の感じです。
そういうことで、不妊症の問題に関しては、武田委員が産科婦人科学会というベースの中で、その判断の中で動いているとおっしゃったものは、現時点では非常に重要に思わねばならないことであって、これは社会通念との関係も含めて存在しているものだと思います。これが何年かたって、社会通念がずっとずれてくるということがあったときには、そこでもう1度考えたらいいことであって、そういう意味での時限というのが必要であろうと思います。今の時点で、今の社会通念をひっくり返さねばいかんほど、不妊症という問題が大きな問題として存在しているかということも考えねばならないと思います。
ここら辺は、どこかである集約をつくっておきたいと思いますが、やはりそれでは難しいですか。
(加藤委員)
そうであるならば、この論点のまとめのメーントーンといいますか、基調を、男女関係抜きで子供を産むことは社会通念に反するという基調でまとめるべきであって、コピー人間もどきだから危ないという基調でまとめて、しかも、最終的にどの発生の段階で規制を加えるかということまで、ここまでくるとコピー段階になってしまうから、だからここで規制を加えるという規制の段階まで絡む形でつくってありますね。これもやっぱり危ないんじゃないかと思うんです。ですから、そういうことを抜きにして、どこの段階で規制するかということは、また別個にすべきで、ただ、男女関係抜きで子供を産むのはいけないということが、禁止というところまで強く言えるという根拠があるかどうかという点は、問題が残るかと思うんですけれども。
(豊島委員)
今の面で委員長のおっしゃられたのは、結構現状としては禁止でいいのじゃないか。そういう方向でやるからこそ、例えば5年という時限を禁止条項のときにもつけたらいいという話になると思うんですね。
私の感じとしては、遺伝的な面から考えた人間の尊厳というのは、人工的に遺伝的な情報を決めた子孫をつくらないということが基本だと思うんですね。ですから、人間の場合は育種は許されていない。そのこと自体が今の社会通念で、今、社会通念と言われたのは、そのあたりで集約されるだろうと思います。その考え方が変わらない限りは、基本線としてクローン人間というのは禁止してもいいのじゃないか。だから、そのために一応時限を設けながら、議論は続けていくという考え方に私は賛成の方なんですが。
(町野委員)
私は、男女関係が関与しない子供をつくるのはよくないという格好で規制するのは、むしろできないだろうと思うんですね。どこが男女関係か私はよくわかりませんけれども、人工生殖だって、その意味ではそうかもしれないですね。だから、問題は、コピーをつくるのがよくないという議論ができるかどうかということだろうと思うんですね。
問題は、規制なわけですから、規制をするためには、規制する側に立証責任があるわけですね。不妊治療だから、これは許されるという議論の前に、とにかく規制できるかということを議論をしなければ、話は始まらないと思うんですね。
そして、先ほど委員長が言われましたとおり、不妊治療との関係で言われたことなんですけれども、人間の尊厳は、このペーパーの中にありました観点よりは、むしろ社会制度の問題だと思うんですね。人間が個人としてこの社会で、コピーでなくて唯一の個性を持った人間として存在するという建前で、この社会はでき上がっているわけですね。だから、それを守るのだということが、恐らく人間の尊重ということだろうと思うんですね。もちろんこれについては、コピーされたから、つまりクローンでできたからといっても、社会的に個性を持った人間は出てくるじゃないか、それぞれ後で違ってくるじゃないか、そういう議論はあり得ます。しかし、これはあくまでも建前の問題ですね。
だから、社会通念と委員長は言われましたけれども、この構造ででき上がっているわけですね。これは、普通の国家、あるいは社会が一夫一婦制ででき上がっていて、重婚を処罰しているということがありますね。それと似たようなものだろうと思うんですね。だから、もしこれを守るべきだということだとするならば、まさに人間を尊重している社会というのはこういうところだから、これは規制すべきだという議論になるだろうと思うんですね。それに対して、男女のかかわりのない個体の発生は認めないのがこの社会だということであるならば、これも規制できるということになります。しかし、恐らくこれはできないだろうと私は思いますね。
(加藤委員)
その場合、実際に人工授精で、ドナーによる人工授精が行われているわけですね。もしも男女関係によらない生殖は禁止できるという考え方に立つと、今既に行われているドナーによる人工授精行為を違法行為とみなすということにならざるを得ないんでしょうかね。
(町野委員)
それはまさに問題でございまして、私はそうならざるを得ないと思いますね。
前回の議論でも実はありました。どこから議論すべきかという議論があって、先端医療技術の全体からまず議論して、それでクローンの方に行って議論すべきだと。そういう考え方もありますけれども、ここでの議論はクローンは規制すべきかどうか、そっちから始まるという議論だったと思うんですね。しかし、後者のような議論から始めたとしても、前者についてのパースペクティブを欠いた議論は成立し得ないだろうと思うんですね。ですから、人工授精だとかその問題について、もし男女のかかわりのない個体の発生は禁止されるべきだということになるなら、当然そちらまでステートメントは含んだものにならざるを得ないだろうと思います。
(岡田委員長)
私の感じですと、卵子に精子が入り込むというその一つの組合せ、その組合せと、今度の核移植というあたりのところとの距離は非常に大きなものだと思うんです。それを同じ土俵で話をするかどうかというと、同じ土俵で話をするのは、私は少し無理があると思います。
(武田委員)
今議論になりましたAIDの問題ですね。例えば男性がかかわっていないというような論点からおっしゃいましたけれども、実際はそうではなくて、夫婦が産みたいという合意のもとに他人の精子を使っているということで、決してクローニングにつながるような方向ではないと私は思うんですね。それは不妊症の治療としての意義でありまして、たまたま男性なら男性の精子が使えない状態があるときに、男性の合意を得た上でそういう生殖技術が使われるわけですから、無性生殖と同じ方向で議論することはできないように思います。
(岡田委員長)
そう思いたいんですけどね。
今、町野委員のメモが配られてまいりましたけれども、ご発言ございますか。
(町野委員)
ございません。
(岡田委員長)
この間、私はえらいコメントをつけてしまったわけですが、今回もいろいろなコメントがついているのは、結局これを規制するという形のときの論点をどういう形で積み上げていくかというあたりのところでは、まだ相当幅が絞りかねているということでしょうか。
町野委員がおっしゃいました、とにかく今の社会通念を崩さずにやっていくぞという意思表示があればいいかと思っていましたが、それでも駄目だというお話でしょうか。
(町野委員)
そういう趣旨ではございませんけれども、意思表示、規制するかどうかですね。どういうことですか、意思表示とおっしゃられましたが。
(岡田委員長)
武田委員のおっしゃっている幅と、個体をつくるということでの幅を、とにかく武田委員のおっしゃっている土俵というところで守っていくんだ。それが大切なことなんだという説明のやり方。そのほか、細かいことがくっついてくるにしても、根本的な問題として、実はそんなことが必要なんだと思っています。クローン技術を使った人個体の作製は、実際上は具体的にはないものです。将来ともあるかどうかわからない。そのようなものを議論していくときに、どうするかということになってくると、方法としては、そういう方法はあり得ると思っています。
それは、ある意味で相当はっきりした態度表明であって、一般の人たちの全部の意思を聞かねばならないというデューティーは残りますが、そのようなことを前提とした上で、ある方向性というのは絶対存在している。政治というのはそうしたものなんだと思っていますが、絶対論はないと思っています。論拠を重ねていっても、絶対的な動かないものというのはあり得なくて、すべて相対的なものだと私は思っていまして、そういう意味では、どこかではっきりちゃんと意思表示をしなければいけないわけであって、意思表示なしに多角的に第三者として考えていって、全部がちゃんと成り立つということはあるでしょうか。私は、実際上はないことをあるように、世の中、格好つけているだけだと思っています。
(町野委員)
恐らく絶対なものはあり得ないと思いますけれども、今は自信を持って何か言わなければできないだろうと私は思います。つまり、何年か先の世代は別のことを考えるかもしれない。5年ぐらい先には別のものになるかもしれない。しかし、今はこれで妥当だという結論がなければ、私は規制はできないだろうと思います。
(勝木委員)
先ほど豊島先生がおっしゃったことに賛成です。皆さんの意見には遺伝子の非決定論というのが背景にあるように思います。もちろん表現型としての人格をどう見るかによって、随分変わってくるもので、普通は、確かにいろいろな人格が同じ遺伝子構成であっても出てくることは十分認めるものです。しかし、分子生物学者、遺伝学者として考えますと、それもある遺伝子の範囲内のことであって、その範囲内で考えますと、人格の幅は当然その中に含まれているものだと思います。したがって、大きな視点から見ますと決定論だと思うんですね。
それから、さらにもう少し具体的に申しますと、病気になりやすいとか、スギ花粉症になるのは人口の半分であるというようなことを考えますと、ある種の病気は遺伝子で決まっていることで、そうなりますと、保険に入るとか何とかということでも、実際上は遺伝子を調べれば、いろいろな既知の制度に不具合が生ずるということも事実だと思います。つまり、現在の社会においても遺伝子をあらかじめ知られていることが不都合である、それが唯一性、非決定性を基本とする人の尊厳を侵害することだというふうに思います。本問題の基本はそこにあって、コピーの問題が非常に大きな問題であると私は思います。
(岡田委員長)
クローンという限り、そこが一番のところになるんでしょうね。
(事務局)
町野先生にちょっと教えていただきたいことがございます。すなわち、町野先生のおっしゃっておられることと、武田先生がおっしゃっておられることがつながるのではないかと思えて仕方がありません。町野先生は、個人が個人として尊重される社会をつくるんだというふうに認識すれば、それに基づいて、社会的通念とかそういったものをベースにして一定の法規制のシステムを社会システムとしてつくるのはよろしいでしょうとおっしゃられるわけですね。そうすると、個人が個人として尊重される社会をつくるんだ。個人が個人として尊重されない状態とはどういうことなんだというふうに言いかえてみますと、両先生がおっしゃられたような状態、それは多分中間項、コピーといいましょうか、複製といいましょうか、それの概念を真ん中に放り込んでやりますと、その状態が個人が個人として十分に尊重されていない状態ではないかというふうに思えるのです。ですから、そこのところを一断片を切り取って、一定の行為規制を行っていきましょうというのがなぜできないのでしょうか。
(町野委員)
あるいは、そうなのかもしれないですね。私が申し上げたかったのは、個人の尊厳が尊重されていないというのは、個々の人の問題を越えて、その社会の問題だということなんですね。つまり、人間のコピーをつくることを認める、その社会は、全体的に見て個人を個人として尊重する社会とは言えないだろう。だから、そのような社会は我々の前提としている社会ではない。だから、規制することはできるということなんですね。
(事務局)
ということをおっしゃったのですね。
(町野委員)
要するに制度の保護、社会システムの保護という考え方なので、恐らくほかの皆様方と余り考えは違わないだろうと、その点でそう思います。
(事務局)
そのように思います。社会システムをつくる、それを科学的に若干の現実性を持って言いかえてみると、両先生がおっしゃられたことではないかなと。遺伝的な形質の問題と両性の関与の問題、そこで一応の外縁を規定し得るのではなかろうかということだけなのでございますが。
(岡田委員長)
私が気にしていたところは、武田委員のおっしゃった卵と精子の受精というベースから外れているという意味合いの問題を大きくしたいということです。それを中心にしたいと思ったのは、一卵性双生児はちゃんと認めなければならない。これを変に差別するみたいな言葉でクローンというのを出していってはいけない。そこまでする必要はない。これは非常に強く思っていまして、そういう意味では、受精という組合せの中から、ということへのウエートを高くしたいと思っています。それを社会通念という形のものとして考えたいということです。
(町野委員)
要するに合わせて一本ということだと思います。
(豊島委員)
これから先の科学というのは、何をしてもいい科学はなくなってくると思うんですね。全部社会との関連において考えられてくるというのがポイントになると思います。そういう観点からしたら、今のところ、基本線としては、人工的に遺伝的にプリセットされたものをつくってはいけないという一言で済むのじゃないかと思うんですね。だから、それに対してこれからどういうふうに社会の考え方が変わるかということ、これはプレディクトできないので、時限にしておくと。わりと簡単に考えた方が、物事は楽なんじゃないかなと思うんですが。
(高久委員)
今、豊島先生がおっしゃった人工的に遺伝的にプリセットしたものをつくってはいけないとなると、生殖細胞の遺伝子は駄目だということになりませんか。
(豊島委員)
生殖細胞の遺伝子をどうするんですか。
(高久委員)
先生の今の定義だと、生殖細胞の遺伝子治療も駄目だということになりますか。
(豊島委員)
いえいえ、生殖細胞は一つずつ違いますからね。だから、生殖細胞は全然問題ない。
(岡田委員長)
今、大体ある意味の雰囲気を私がつくったみたいなところがありますが、それに対してコメントがあれば、いただけますか。木勝島委員、ありますか。
(木勝島委員)
議論をしていて、「複製」という表現を事務方が余りに強調し過ぎなところが私はどうしても気になります。そうやって人は遺伝で全部決定しているとなると、勝木先生の言葉の中にはしなくも紛れ込んできたように、これから国民皆保険を廃止して、遺伝形質によって保険を差別しなければいけなくなります。それは極端な話としても、複製はいけないと一つだけの論点一本やりでいくと、核移植によって遺伝形質をあらかじめ決められた人間は、もうそれでその人の人生全部決まっているものなのである、人間というのは生まれる前から全部決まったものだという遺伝決定論になってしまいます。それを政策決定の場で強調すると、新たな遺伝差別を生む可能性が高いから、遺伝関連技術の規制論議においては遺伝決定論を押し出さないようにするというのが、国際的にも、先進国の間でも政策決定の場での越えてはいけない範囲として共通了解になっていると思います。
委員長のおっしゃる、クローンに関する社会通念とは何であるかということを、今この委員会で明確な言葉にしなければいけないのだと思います。その明確な言葉が、もう幾つかキーワードが出ていて、加藤先生の便宜的利用は認めないというのがありましたし、武田先生が出された、男女両性の生殖細胞を使わないのは認められている不妊治療の限度を越えているという判断基準も出ましたし、豊島先生が出された人の遺伝形質のプリセットはいけないという基準をもうちょっと言葉をつけ足して言えば、先ほど先生ご自身がおっしゃられた、人の育種はやってはいけないということになるかと思います。こうした規制の根拠が複数出てきました。それらの中で明確に、核移植による人個体の作製は、認められる人の遺伝操作や不妊治療の限度を越えているという結論が出せれば、遺伝生殖技術全般の規制政策全体としての整合性もとれるのではないかと思います。ただし、その先の規制の手法については、また議論が分かれるところかと思います。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。
(事務局)
一言だけなんですが、事務局のペーパーの件で今お話がありましたので、若干補足をさせていただきます。
ここでの議論をいかに論点としてうまく整理するか、議論を集約できるかという観点からまとめて、いずれにしても、本件のクローンの問題については、人間の尊厳を侵すと言われているわけですけれども、人間の尊厳とは一体どういうことなのかということが、なかなか難しいところです。抽象的に人間の尊厳とはこういうところというような言い方もあるかと思いますけれども、もう少しだれのどういうことが侵されるのかということまで立ち至って議論すると、わかりやすくないかという観点で、少し議論をしたいと思っています。単に遺伝決定論に立つとかいうことではなくて、そうしたものが議論としてわかりやすくないか、というところがあるか、ということをちょっと申し上げさせていただきました。
(岡田委員長)
ありがとうございました。
(位田委員)
今の議論をずっと聞いていますと、根拠の問題とクローン技術を利用する目的の問題とが一緒になって議論されているような気がするんです。委員長がおっしゃった社会通念というのは、事務局のペーパーにもありますように幾つかの要素があって、それが積み重なって、それはある意味では分析的であり、若しくは科学的な言い方をしてあるわけですけど、それが積み重なったものが社会通念である。それはそれで肯定できると思います。多分ここにおられる皆さん方は、積み重ねということであれば、一つ一つは取り上げるといろいろな問題が出てくる、若しくは例外が出てくるとしても、そういうことが積み重なってクローンは人間の尊厳に反するという、ある意味では原則的なところは合意ができるのじゃないか。しかも、それは、非常に大きく考えれば国民的合意とそんなに変わらないのじゃないかという気がします。
ただ、先ほど町野委員もおっしゃいましたけれども、どの場合に解除するか、若しくは解除するべきではないかということの方が問題で、それは、ある一つの要件に合致している部分があって、ここはこういう理由で、例えば治療行為としてなら、ここのレベルまではいいというところで、治療という目的もくしはそれに対するクローン技術の利用という手段、そこの関連を議論するべきなのだろうと思うんですけれども、今ずっとお話を聞いていると、どうもそれがあっちに行ったりこっちに行ったりで、なかなか一つにまとまらない。ある意味では、ここの議論は、まずどこを原則にして決めるかという問題だと思います。それから後で、例えば不妊治療だったらいいのか、若しくは悪いのか。不妊治療が仮にいいとしても、ここまでならよくて、ここから先は駄目だ。その場合には、従来の不妊治療として使われている技術との関連性みたいなものを議論するべきだと思いますけれども、今の議論は、余りにも全部を一緒に議論していると思います。少し段階的にまとめていっていただいた方が、これまでの何回の議論でもそうだと思うんですけれども。
(豊島委員)
今おっしゃったことは、確かにそうなんですが、全く逆に考えてみると、ここに出席しておられる委員の方で、今、クローン技術を不妊治療に使ってもいいと思っている方は一人もおられないような気がするんです。ですから、今おっしゃった議論は既に終わっていて、私が遺伝的にプリセットされていると言った言葉は、多分悪いんだと思うんですけど、そういうことじゃなくて、遺伝子だけで全部が決まるのじゃないということの言いわけから、そういった社会的条件から、いかにしてクローン技術による人個体作製を禁止するのを現時点において正当化するかということの問題点に絞られていると思うんです。
ですから、5年間の時限で置きたいということは、今おっしゃったようなまとめは5年先に延ばしましょうよ、今すぐに結論を出す必要はない。ただし、現時点ではこれをノーとすることにおいて大体皆さん一致しているし、社会も一致してくれるだろうという思いだと思うんですね。ですから、もしそれがいけないんだったら、いけないということをおっしゃっていただいた方がわかりやすいと思うんですけれども、もしそれでいいとしたら、どういう形でこれを収束するかということの問題に絞られると思います。
(高久委員)
私も豊島先生の意見に賛成でして、不妊治療の問題は、今議論しても余り意味がないと思うのですね。モラトリアムということを考えて言っているだけであって、現在の時点ではやはり禁止すべきだと思います。
それで、人権とかそういう問題を議論すると非常に難しくなると思います。ですから、むしろ単純に、卵子と精子の合体による受精以外の個人の作成を認めるのはおかしい、社会的理解が得られないという議論でいいのではないか。単純な議論の方が、すっきりするのではないかと思っていますが。
(町野委員)
私は、もし不妊治療として認められないということがあったら、どうして規制で言うのか、それがまだわからない。無意味だということで規制できることはないだろうと思うんですね。それがまさに学問の自由で、その当時はばかばかしいと思っているかもしれないけれども、学問の自由の範囲内として保障されるべきだろう。だから、規制するためには、何か理屈がなきゃいけないだろう。だから、不妊治療のことだけで──だから、先ほど合わせて一本と申しましたのは、それだけでは足りないという趣旨なのです。つまり、何で規制できるかというratioの問題をまず解決しなければ、私は駄目だろうという感じがいたします。
(木勝島委員)
私の認識としては、これまでの議論は配布された論点整理の2ページから6ページまでの、原則をどう詰めるか、規制するとすれば、その根拠をどう詰めるかということを話してきたのだと思います。その結果、幾つか論点が絞られて、四つぐらい出てきたかと思いますが、それ以上の単純化はもうできないのではないでしょうか──さっき申し上げた四つぐらいの判断根拠が出てきましたので、それ以上の単純化はあり得ないのではないかと思います。この後、その根拠・原則をどう細則として適用して、どこまで規制するかという線引きの問題は、論点整理の7ページから9ページに書かれていると思います。それは次の議論ということになるのではないかと私は理解しております。
(岡田委員長)
そういうことで理解はよろしいでしょうか。
そうすると、結局、今のことからいくと、最初のどういう理由で、というあたりの流れの問題として幾つか出てきた、木勝島さんがちゃんと幾つか出していただいたのを中心にした格好で、事務局で、ある形づくりというのができますか。
(事務局)
先ほどの事務局の説明のしぶりが悪かったのではないかと思っているのですが、先ほど木勝島先生に言っていただきました、例えば両性の生殖細胞を使うということが、今の社会通念となっているから、そのような社会通念に反するようなことは、社会システムを非常に乱すものだから駄目だというような視点は、5ページの下の方に、そういう考え方があるというのが、いろいろな論点の1本として掲げてある。こういう論点が幾つかほかにもあって、例えば便宜的利用は駄目ということに関しては、この二つ上に、これが医療行為としてとらえられるかどうかというポイント、これはきちっと詰めなければいけない。現時点ではそこは詰まっていないようですという論点があるとすれば、それはここに便宜的利用の論点が出ておりますし、人の育種は駄目というのは、例えば国とか企業が、何か特定の人を得たいという目的でやるようなことについては、また別途書いてあるということなので、論点としては、幾つか議論されておられるものもどこかに出てきていると思います。したがって、この論点のどれとどれとどれをとって、合わせて一本というふうに考えるのか、そのような整理をむしろさせていただければ、整理しやすいという印象を持っておりますが、どうでしょうか。
(木勝島委員)
その点で、一つだけよろしいでしょうか。6ページなんですけれども、町野委員がさっきおっしゃったことで、繰り返しになるかもしれませんが、「現時点で有用性が認められない」ということは国がその研究を禁止ないし規制する根拠にはならないのではないでしょうか。現時点での有用性の有無を規制の根拠として挙げてはいけないと思います。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。
そうすると、規制をすべきであるかどうかという論点のところでずっと述べてあるものについて、どれをとるかとらないか、どれは変えるべきであるかというような議論ができれば、それをやってもらうと、事務局の方は楽だという話ですね。
(事務局)
できればそのようにしていただければ、有り難く思います。どれか一つですぱっと切れるものではないという議論だと思いますので、いろいろな論点があって、現時点では駄目であるというような議論に多分なると思いますので、その根拠は、どれとどれとどれをもとに説明したらいいかということだと思います。
(岡田委員長)
そうすると、3ページの規制に関する検討というあたりのところからちょっと開いていただいて、最初の国際的に協調したものとすべきである──これはまあ、いいでしょうね。
それで、今度はクローン技術に適用することに固有なことはということで、科学的実態と社会的認識というこの二つの項目がありますけれども、ここのところはどうですか。
(加藤委員)
社会的認識のところは、コピー人間に近い解釈で書かれているわけですけれども、クローンに反対の議論はこれだけではなくて、特別なすぐれた人間を人工的につくることが社会的な公正に反するという考え方もあると思うんですね。これですと、個体性という尊厳をないがしろにするという観点だけが強調されていますけれども、人間が子供をつくるときの条件の公正さが損なわれるという観点もあり得ると思うんです。ですから、必ずしも社会的認識だけで書くというのは偏っているのじゃないかと思います。英語で言うと、natural lotteryという考え方があって、自然のくじ引はみんなが引かなきゃいけないという考え方なんです。
(岡田委員長)
このあたりで、最初の方で話があった社会通念のようなものが出てきてもいいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
(菅野(晴)委員)
社会的通念というのは非常に重要だと思いますね。
(岡田委員長)
現在の論点整理メモでは、はっきりと書き過ぎているのではないでしょうか。
(青木委員)
これは、先ほど豊島委員の発言にあったプリセットされたものはいけないという非常に単純な議論ですね。これを前面に出せば、社会的認識と通念的なことで行けるんだと思うんですね、そこの合意事項さえできていれば。加藤委員のこともわからないではないですけど、それを入れ込みますと、また後戻りしたりして、ごっちゃになりすぎるのじゃないかと思うんです。今、単純なというか、豊島委員の意見でやってみて、本当に不都合であれば、また変えればいいことであって、今までの非常に単純なところから始めることがいいと思っています。
(岡田委員長)
そういう格好でここをまとめてみたいと思いますが、よろしいでしょうか。加藤委員、よろしいですか。
(加藤委員)
はい。
(岡田委員長)
じゃ、そんな格好で、事務局の方で考えてください。
それでは、その次のところに進みたいと思います。これも、説明の仕方が相当具体的に書いてあるところが、難しさを呼んでいるような気がします。人間の尊厳性の侵害というあたりについては、どのようにすべきでしょうか。クローンというのが前面にぱっと出ると、どうしてもこのような論調になりそうで、そのあたりが少し気になります。
(青木委員)
仮定なんですね、ここは。仮定の論議になっているんで、ちょっと具体性に欠けるんですね。仮定的な問題として、できてないものをできたという仮定でやっているということですね。ここはうまく処理しないと、非常に誤解を招いてしまうのじゃないかと思いますね。
(岡田委員長)
このあたりについては、一卵性双生児との関係が私自身気になるところです。それを頭の中に置きながら議論を進めないと、規制したとしても、後で問題を残すようなことになりかねないと思います。
(豊島委員)
今のところですけど、5ページの上のところに、先ほどおっしゃった「国、企業その他の組織が、何らかの意図を持って、一定の政策目的のために」というのを書いていますよね。それを生かす形で、国とか企業とかだけじゃなくて個人もその中に入れて書いていけば、一応それでカバーできるんじゃないかなという気がするんですが。
(岡田委員長)
それを、この「生み出す者の観点から」というあたりのところに入れたら良いですね。
クローンという話になって、全体の流れを議論していくと、例えば大和民族はある意味でクローンなんですね。実のところHLAの分布をとってみると、非常に狭い範囲のところへ集まってくるわけなんですね。臓器移植のときに日本の方がアメリカよりよほど楽なのは、そういうことがあるからです。つまり、クローンという名前をぽんと出すと、何か出てくるんですね。きついなあと思っているのですが。
(事務局)
先ほど豊島先生が言われたご意見ですが、確かにこれは共通理念という意味がございまして、国、企業、その他の組織があると同時に、例えば研究者の場合にも、不妊症のご夫妻の場合にも、同様に同じような立場が出てくるというのは、今まで私どもが承っている限りではございまして、豊島先生がおっしゃるように、これを一つの共通理念として挙げるというなら、確かに考えられると思います。
事務局が整理させていただくための方針なんですが、一つは社会通念、社会を成り立たせている社会通念がこういうものであって、それに対して今あえて挑戦して、それを崩すことは好ましくないというのが一つ。もう一つは、豊島先生がおっしゃられたような、何らかの意図を持って人を生み出すことが非常に問題だという点と、さらには便宜的利用的なことが駄目、このあたりが多分共通項ではないかと思うんですが、先ほど木勝島先生からいただいた中に人の育種というのがありますけれども、育種は、今、豊島先生がおっしゃられた論点の中に多分含まれていると思いますので、理由として今まで承りました中では、多分その3点ぐらいが共通項として存在するのではないかと思いましたが、その辺、大きなこれとこれとこれというのを示していただければ、事務局整理がしやすいと思います。
(岡田委員長)
ということなので、よろしくお願いします。サゼスチョンをしていただきたい。
(青木委員)
ちょっと質問してよろしいですか。町野委員と位田委員に聞きたいんですけど、5ページの下に個人の尊重を定めた憲法の理念にということでありますけど、町野委員が先ほど人間の尊厳は憲法で保障されているということで、この憲法の理念ということ、これを前提にできますか。
(町野委員)
できるといえばできるんですけど、少なくとも私が先ほど言った意味で個人の尊厳という言葉が憲法の解釈であるかどうかは疑わしいということですね。ただ、前回申し上げたのは、規制し得るという根拠は、やっぱり恣意的なものでは駄目で、憲法という上位的な規範の中で認められているものでなければいけないだろうということで、もし言うとすれば、これしかないだろうということでございます。
(木勝島委員)
先ほど事務方が三つ挙げられたことと、もう一つ今日の議論で非常に重要だった論点は、男女両性の生殖細胞を使わない人の生殖は、認められる不妊治療の範囲を越えているという基準です。非常に明確なステートメントだと思いますので、それを加えて四つの論点が出てきたことになります。豊島先生のおっしゃられた、人の遺伝形質をあらかじめ固定してしまう技術は、やはり認め難いという論点の補足として、それが人の育種にもつながるから余計好ましくない、そういう構成になるのではないかと思います。
それから、これは世代的な問題かもしれませんが、私は、社会通念という言葉はよろしくないと思います。日本の社会の中で何か人の行動を制約しようとするときに、漠然とそれは社会通念であるからいけないという使われ方をしてきた言葉だと思うからです。ですから、私は、その言葉には大変なアレルギーを持っております。社会通念というのは、このクローンに限って言えば具体的には何であるかを明確に示すべきです。便宜的利用は認められない、人の遺伝形質のあらかじめの固定は認められない、男女両性の生殖細胞を使わない技術は認められる不妊治療の限度を越えている、そういう明確な言葉で、だからいけないのであるというロジックで、整理していただきたいと思います。
(岡田委員長)
そう理解します。
(加藤委員)
先ほど町野先生が便宜的と治療的というのは区別がはっきりしないとおっしゃったけれども、逆に便宜的な利用を認めてもいいという原則にしてしまうと、とんでもないことになるので、細かい論点を詰めると難しい問題は起こりますけれども、医療技術の便宜的な利用は認められない、治療の目的に限って認められるという考え方は、ここで述べて構わないのじゃないかと私は思うんですけど。
(町野委員)
論点の整理になるかどうかわかりませんけど、こういうことを言うと非常に法律家らしくて嫌らしいということになるかもしれないですけど、これは何回も繰り返しになりますけど、規制の理由がまず最初になきゃいけないだろう。そして、規制を解除する理由が次にくるだろう。その2段構えで議論しないと、非常にややこしくなる。
先ほどから、不妊治療の域を越えているというような漠然としたことで規制の論理とするのはおかしい、さらに、不妊治療の域を越えているからどうして規制できるか全然わからないじゃないかと言ったのはその趣旨でして、不妊治療の域を越えているというのは、確かに不明確で、若干気になりますけれども、解除の論理として使うなら、それは十分あり得るだろうと思います。
第2に、一定の目的のために人間を作成するのは認められない。これは乱用の根拠ですね。乱用される可能性があるから、これは規制の論理として私は用いることができるだろうというぐらいに、これで自分だけで整理できたと思っているのかもしれませんけれども、そういうことじゃないかなというぐあいに思います。
(加藤委員)
質問があるんですけど、安全性というのは規制の根拠として使えないんですか。
(町野委員)
それは使えると思います。ただ、現在のところ、安全性に非常に問題があるという抽象的な、まだ何もわからないわけですね、この段階で規制するときには、どれだけの強い規制ができるかという議論があると思いますね。例えば人を殺す行為を刑法で規制することは当然のことですね。しかし、何が起こるかわからない、危ないかもしれないから、ということでそれを全部処罰することはできないだろう。それをやるとしたら、事前的な委員会とかいろいろなところでのスクリーニングを経た上で、許容するか許容しないかを決める。その手続を経ないでやったときだけ処罰するという格好になるだろうと思います。
(位田委員)
もとに戻ってきて人間の尊厳というのが、大原則の一番基本になるのだと思うんですけど、確かに木勝島委員がおっしゃったように、社会通念と言ってしまうと、規制をする場合には非常に問題があります。社会通念で人間の尊厳はこういうものだというふうに考えられている。したがって、ある行為、ここではクローンですけど、クローンの規制については人間の尊厳に反するから駄目なんだ。問題は、その人間の尊厳とは何かという話ですから、そこで、先ほど事務局がおっしゃったような幾つかの要点、それに木勝島委員のものも含めて、そこでもう少し具体的な理由をつける。そういうふうな形にしないと、社会通念と言うだけでは、これまた問題が残るのじゃないかと思います。
(高久委員)
この委員会の題名を、木勝島委員が書かれているように核移植クローン技術というふうにした方が、はっきりするのじゃないですか。そうしませんと、岡田先生がおっしゃったように大和民族はクローンだという話になりますので、題名を変えた方がいいのじゃないかと思います。
(岡田委員長)
クローンということで、ずっと初めから悩んだわけですが。だけど、やらざるを得んわけですな。
(事務局)
一つの見方ということで、全く反論するつもりではございませんが、クローンはすべて悪いものだというとらえ方をされるのではなくて、クローンの中には、例えば細胞培養のような、個体を生み出さなくて非常に有用性が高いと評価されているものもあり、その中には当然核移植でないものも含まれているということがございます。したがって、クローンの中には有用な領域もあるということをきちっと出していくことも、またこの委員会の役割じゃないかと思いますので、それで両方書いてあるという趣旨かと思っております。
(木勝島委員)
今の事務方のご説明を聞いていて、原則の論点とは別に、論点整理の7ページから9ページまでにある、どこまでを規制するかという議論が必要だと思います。そちらの議論を今日はしなくていいのでしょうか。
(岡田委員長)
できれば進めたかったので、どうぞ進めてください。
(木勝島委員)
論点整理の7ページの結論では、人のクローン胚を子宮に移植することを禁止するとしています。そうすると、核移植技術で人間の胚をつくること自体は認めるという結論なわけですか。それを、まず一つ議論しなければいけないと思います。
もう一つは、禁止と規制と届出制と別途検討という四つの表現・カテゴリーがこの論点整理の中に出てきています。「別途検討」というのは、人のモザイク胚、キメラをつくることに対してで、2ページにあります。それから、人のクローン胚を子宮に移植することは「禁止」と7ページにあります。人と動物の交雑胚の作成は、8ページで「規制すべき」と書いてありますが、これは禁止ではないということなのでしょうか。それから、人の臓器のクローニングについては、9ページで「届出制に」とあります。そういうふうに大分幅をもたせた規制案が出されていますが、この線引きはこれでいいのかどうか。それも、今日配られたこの論点整理の内容についてきっちり議論すべきポイントだと思いますが、いかがでしょうか。
(岡田委員長)
ここら辺は、事務局の方でいかがですか。
(事務局)
まず、禁止と規制の両方が使ってあるということですが、禁止を含んで、どのような規制をするか、いろいろ多様性があると思われる分については、規制という言葉を使っていると思います。すなわち、極めて核となる部分、人の個体を生み出してはいけないとか、そういうところは禁止というふうに書いてあって、どちらかというとその周辺の部分について、どういう対応をとるかこれから議論するべきようなところは規制と書いてある、原則でそうなっていますが、部分的に違う用語がどこかで出ているかもしれません。
別途検討というのは、この小委員会はクローンの小委員会だというような守備範囲になっておりますから、クローンをある意味で越えている議論については別途検討、例えば動物の管理とかそういうものについては、別途検討というスタイルで書いてあるということであります。
あと、規制のところで、対応として例えばというところで、罰則を付したり、届出をしたり、公表義務をつけたりというのはありますが、ここについては、あくまでこういうのも考えられるというだけで、理由とか、その対象とかがはっきりしないと、実は書けないものだと思いますので、ここはあくまでもこういうものも考えられるというだけの例示にすぎないというものですので、届出とかそういう言葉に意味があるとは思っておりません。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。
そのような格好で、いろいろな言葉になっているというのは問題があるかもしれませんが、どっちにしろ規制の根拠のようなものをうまくつくり上げておかないと、その次のステップに行くことができないと思います。
(勝木委員)
どの時点で規制するかという問題で、一つは、受精後2週間以内は研究のために使うことができるという産科婦人科学会の規制がございまして、そこに同時に、核移植を禁止する条項が入っているんです。卵に対する核移植というものが、つまり遺伝子操作という一つの枠の中で、禁止されております。
(加藤委員)
核移植という言葉が入っていたんでしたっけ?
(勝木委員)
核移植という言葉が入っております。そのことが前提になりまして、そのもとのところは議論していないんですけれども、文部省のクローン問題分科会では、未受精卵への核の移植を含むところから当面禁止するということを書いて、議論いたしました。ですから、本分科会とは少し違う観点であります。
(岡田委員長)
7ページのところですね。
(勝木委員)
はい。
(岡田委員長)
7ページのところでは、そのあたりが相当簡単に処理してあるわけですが、ここでちょっと思っていましたのは、試験管培養をいつの時点まで認めるかというあたりのところは、ここで対応できるような問題ではなさそうだな、ということです。ただし、ここは多分、産科婦人科学会では随分いろいろな議論が出るところで、決めかねるところはきっとあるところだと思うんですが、そういう意味では、この小委員会である種の形ができたときに、ここのところに、ここに書いてあるように留意する必要があるという言葉でも書いておいた方が、あと、産科婦人科学会の方でのある形づくりのときに、少しは楽になられるかもしれないというような感じを、ちょっとここの文面では感じていました。ここのところは外しておいてもいいか、というような感じを持っていました。
(武田委員)
母体への胚移植を禁止するとなってございますね。これは、個体を産生するということでこういう言葉が出てきているのだろうと思うんですが、それと原始線条が出てきて2週間というのとは、幾分概念が違うわけですね。個体が発生するのは、もっと早い時期の受精卵で発生するわけですから、だから、個体を発生する手段はすべて禁止しようというこの書き方は、これでいいのではなかろうかと思いますね。
もう一つの留意するということですね。これは、実はこの間も私ちょっと申しましたけれども、産婦人科学会の会告の内容は少し変更されるのではないかということを申し上げたんですが、現状では不妊症の治療に限ってという前提がついてございまして、それに伴うものということで2週間を認めたわけなんですが、それがもう少し拡大解釈されることになりますと、この程度の文章がないと私どもはなかなか動きにくいんで、むしろ一般的問題があるから留意する必要があるということは、是非記載していただきたいと思います。
(岡田委員長)
そろそろ時間になってきましたが、これはこういう形になってしまいましたが、事務局としてはよろしいでしょうか。今日のご議論の中では、いわゆる核移植によるクローン人間をオーケーするという精神は全くないことははっきりしていることである、という中心点はいいとして、あとは、四つほどあった論点を積み重ねていく形づくりというのをやってみて、それを一応そういう形ということで、4月21日の生命倫理委員会で、中間報告としてはこういう流れになっているということで報告させていただくことになろうかと思いますけれども、それはそれでよろしゅうございますでしょうか。一応よろしいですか。では、そういうことにさせてください。
いろいろなご意見が出ていたわけで、原則的にはそういうのを書くとして、少数意見というような格好の併記、少数でもないかもしれないけれども、併記できるものは併記していくという形をとって、生命倫理委員会に中間報告をさせていただきたいと思います。
時間になりましたので、最後に、次の日程についての連絡をしていただきましょうかな。
(事務局)
それでは、今後の予定でございますが、4月21日に親委員会である生命倫理委員会の開催が予定されております。それに、今、委員長がお話になられましたようにこれまでの審議経過をお話しし、ご議論いただくということが予定されております。その後、科学技術会議の本会議がいずれかの時点で予定されると思いますので、そちらにも審議経過ということでご報告することになるのではないかと思っております。
今後のこの小委員会でございますが、そういった親委員会ないしさらにその上の科学技術会議本会議で議論なされたことを踏まえまして、さらにご議論を若干お願いしたいと考えておりまして、それは5月以降にお願いさせていただければと思っております。日程につきましてはまだ決まっておりませんが、是非もう何度かご議論をお願いしたいと思っております。
(岡田委員長)
どうもありがとうございました。
(武田委員)
おおよそどのくらい。5月中旬とか下旬とか。
(事務局)
それでは、僣越でございますが、事前に委員の方々のご予定をお伺いしている限りでは、5月14日の午後が一番出席率が高いというデータになっておりますので、その辺を念頭に置いていただければ、有り難いと思います。
(岡田委員長)
じゃ、そういうことでお願いいたします。
座長が不手際で、うまく進んだのか進まなかったのかよくわかりませんが、ある成果は得られたと思いますので、またどうぞよろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました。