資料2 第2回 学術の基本問題に関する特別委員会概要(ポイント)

 科学技術・学術審議会 学術分科会
学術の基本問題に関する特別委員会
(第7期第3回)
 平成26年4月2日

 

第2回 学術の基本問題に関する特別委員会
概要(ポイント)


○ 科学技術基盤を上げるための国の政策への提言がこの委員会の本来の趣旨であることを踏まえると、事務局の案はストーリーの順序が違うのではないか。学術界の改革ではなく、国への政策の提言が先に来るべき。最初にどういう危機的状況を学術界として感じているのかということを明確に書き、その要因を分析すれば、自然と課題が挙がってくる。それに対する解決法として、最初に国、それから学術界、企業それぞれの改革案を考えていくというストーリーの方が研究者側は受け入れやすい。
最初の危機的状況には、厳しい経済状況の中で大学の学術環境が悪化し続け、それに伴って人材育成にも既に大きな影響が及んでいるということを書くべき。また、研究に対する財政投資がある程度行われてきたのになぜ効果があがっていないのかという質問ではなく、財政投資の投資方策についての検証が必要ではないか、というふうに言ってはどうか。
大きな危機感をもつ課題の一つとして、学術研究の土台を担い人材を輩出する大学が疲弊し、学術研究推進及び人材育成に影響が及んでいるというものがある。この要因は、まず基盤的経費の減少、デュアルサポートのゆがみが一番大きい。国の政策では、教員ポストを減少させても、競争的資金で得られたお金でポスドクや特任研究者を雇えばいいという論理だが、短期的な雇用では学生にとって魅力的には映らず、優秀な学生が大学院に来ない。将来的には、大学で人材育成を担う教員がいなくなってしまう。留学生を入れたらいいという声もあるが、留学生は母国に帰るので日本の優秀な教員を育成するということが難しくなってくる。
また、競争的資金の獲得、評価、社会連携などの色々な業務が増えて研究者の研究時間が非常に減少している。そのほかにも、少子化による学生の減少、研究環境の劣化、適切な評価等について問題把握と分析を経たうえで、解決のための方策を考えなければいけない。そこから、政府がやらなければいけない改革、学術界の改革、企業等の改革というふうになる。
さらに、少子化等を踏まえると、教育中心大学と研究中心大学とを分けることや必要大学数など、大学の在り方そのものについて踏み込んだことを考えなければいけない時期に来ているのではないか。そのうえで、財政支援策としてそれぞれに適した基盤的経費を支援する。また、学術研究を担う大学には、大学院生の給与型奨学金制度の創設やRA費の充実など優れた次世代の学術研究の担い手を育てるための支援策を講ずる必要があるのではないか。政府がそうした大学の在り方等に関する議論をする場合には、学術界も責任を持ってその議論に参加し、一緒に我が国に適した学術研究推進体制及びそれに伴う人材育成体制というのを考えて提案していくべき。
科研費は、ほかの資金よりは公正に審査されているがまだ改革することはたくさんある。その中で、例えば学会支配などはないとは言えないので、そういうことも真剣に学術界を取り込んで、さらによい制度に作り上げていくということは必要。
企業への要望としては、博士修了者の雇用促進を真剣に考えるべき。また、日本版NIHでは橋渡し研究をカバーするとなっているが、アメリカでは、橋渡し研究の半分は企業が投資している。でも、日本版NIHでは各省庁の研究費を合わせただけで企業のお金は入っていない。企業も公的資金に完全に依存するのではなくて、日本に橋渡し研究が薄いと非難するのであれば、それ相応の投資はするべき。

○ 一連の問題は、大学の問題と切り離して考えられない。大学は、学術だけでなく一般の社会にも優れた人材を送り出して、それが社会の活性化につながっているので、そこが強くなることが日本の力になる。
全体に関わることである以上、学術界がまず自己改革するという矮小化されたような表現ではなくて、国としてどういうふうに考えていくかということをまず議論することが非常に重要。

○ 強調していただきたいのは、基盤的経費が減少すると同時にほとんどの資金がプロジェクト的になったことにより、視野が広く基礎的な研究に資金が十分回らなくなり、すぐ結果を求める形にならざるを得ない状況になっているという点。

○ 人材育成という場合、グローバルな社会で経済的な側面で活躍していくべき人材と、イノベーティブ人材という二つのタイプの人材育成が要求される。それがうまくかち合うことによって、日本の発展というものが成り立つ。その方法として、全体的に底上げ的な方向性へ行くのか、あるいは一部の優秀な層の引き上げを狙うのかということがあるが、大学の在り方を考える際に、そういう峻別というのも不可欠になってきている。

○ 冒頭の委員の提案と事務局作成の案は必ずしも相反するものではない。資料では、「国力の源」というのを定義しているが、本当の源は何かということをさかのぼって考えれば、人材ということなのではないか。再度、国力の源とは何かということを考えることによって、提案の方向がより明確になるのではないか。

○ 国力というのは、現在から将来の世代にわたって、福祉の改善のための潜在能力をいかに養成していくかということだという御意見が前回あったが、それを行うのが人であるという意味で言えば、全くそのとおり。

○ これを誰に向かって出すかでストーリーは変わってくる。幅広く日本の社会から理解を得ようとするならば、少し難し過ぎるところがある。何よりも強調すべきなのは、日本人の優秀な人材をどうやって大学が作ってきたかということ。それが社会全体の倫理規範を作り上げ、仕事の精度も上げているというごく当たり前のことが余り議論されてない。大学が日本を支える人材をいかに育成してきたのか、そしてそれがまさに日本の活力を維持している、源泉になっているということをもう少し論点を整理して記述した方がいい。

○ 国際的に尊敬される学術のプレゼンスを持つとともに、それを支えていく人材を育てることが、国力を充実させる基であり、それを国や国民に認識してもらわなければならない。なお、国力というのは、その時々で国力のとり方が違うので、非常に注意しなければいけない言葉。

○ 反省と改革は常に必要だが、それだけで間違えた対策を導出していけば破壊に至る。

○ プロジェクト偏重や集中と選択が本当に良いものなのか。学術の側に改善が必要であれば、それは真摯に動かなくてはいけない。待ったなしではあるが、そもそも論はきちんと議論をして、拙速にならないようにする必要がある。

○ 本委員会の目的の一つに、次期科学技術基本計画に対してどう提言していくかということがあるので、政府の大きな目標とある程度の整合性は必要。今の政府の方向性は、基本的にはイノベーションであり、経済的価値が生み出されることによって人間が豊かになる、国力が出てくる、そして福祉も発展する、雇用も生み出す、そしてそれらがフィードバックして学術も発展するというチェーンを作ろうとしていることかと思う。
 そうなると、そのような方向性に対して、学術というのが本質的に重要であるというストーリーを全体として描いて、その上で必要な学術の在り方とは何かという議論をしていく必要があるのではないか。その際、人材育成や不連続な発展という観点からの多様な学問の必要性を述べていく必要があるのではないか。

○ うまく政府の論理に沿って学術も重要だといって支援を得てきたが、大学は疲弊してしまったというのも現実。だから、「学術も大事」ではなく「学術が大事」と言わないといけない。プロジェクト型の出口志向偏重のままでは日本は大変なことになると言ってもいいのではないか。

○ 一番大事なことは、本当に心からの危機感を持ちそれを共有するということ。本当に危機感を持って、ある意味ほとばしるような文章であってもらいたい。

○ 大学分科会との関係について、大学分科会は4年制だけでも700以上、短大も含めれば1,000以上ある大学全体の議論をしているので、学術研究の話をすると「関係ない」となる。研究大学と教育大学を分けるという話になるともちろん議論になると思うが、本気でこちらが思うのであれば、出すべき。そのぐらい学術の現状が、本当に危機的状態にあるということを共有すべき。大学分科会のことは気にせず、学術の基本問題を本当にきちんと語って提示すればいい。

○ トップダウンのプロジェクトを全部科研費に回して、大学には科研費と基盤的経費の二つにしましょうという提案をすれば、研究者はみんな賛成する。今、色々なプロジェクトが大学に来るが、はっきり言って現場では迷惑で、教員の研究時間や教育時間を減らしている。こういうことを言うと、全体のお金は減るかもしれないが、迷惑なお金は来なくてもいいんじゃないかという考え方もあり得る。こっちで○○プロジェクト、あっちで○○プロジェクトでは、もう破綻するというところまで私たちは来ており、共有すべきはその危機感。

○ 何かと民意という言葉を使うが、国民という実体は実はなく、何となく使っていることが多い。よく聞くと、これは経済界だということだったりするので、具体的なイメージの下で考えるべき。
ある新聞記事に「大学に入ったけれど最初から就職活動の教育ばかりされる」、「大学というのはもう少し学術を教えてくれるのかと思ったら、いかにして就職をうまくするかばかり教えてくれる。これが大学なのか。」と言うものがあった。これも民意の一つであり、やっぱり学術をすることこそが民意そのものであるという姿勢を崩してはいけない。

○ 人文学における知性は70~80年代でピークを迎え、グローバル化の進展とともにレベルダウンが起こった。最高度に知的なものを求める運動としてあったものが、もうそれを支える基盤が全くなくなってしまって、今、人文学の研究というのは「やっていますね、御苦労さま」というぐらいのレベルになっている。
危機感ということで言えば、団塊の世代は知的な期間に知的なものの喜びを経験できたある意味非常に幸福な世代と言えるが、それは非常に古い考え方の喜びであって、もう若い世代は全く別のパラダイムで考えている。そこから新しい知が出てくるということになった場合に、この議論そのものが、意味がないのではないかと思えるような危機感を覚える。
例えば、グローバルビジネスのトップを走り新たな世界を切り開いている知というのは、大学とは全く無縁のところから出てきて、そこが産業の繁栄を生んでいるという事実がある。そういう方向性の中で、学術とりわけ人文学的な知というのは一体どこまで意味があるのか。
人文学がやれることは、学問的な研究を徹底的に教養のレベルまで落とし込んで教養教育をすることであり、その受け皿としての教養大学は必要。そこではもう学術的なハイレベルのものは要求しないで、むしろ底上げ的なレベルで教養というものを徹底することが必要になるが、その教養も我々がイメージしている教養ではなく、今の若い10代、20代の人たちの問題意識を受け入れた上での新しい教養知。しかし、人文学の研究者がそれぞれの専門的なところで固まっている以上は、絶対に世代間の断絶は埋まらないから、自分の鏡に照らして「若い世代は教養がない」と言うのではなく、若者の持っている知的な構造や知的な体系を、我々がしっかりと受け止めた上で新しい人文知というものを作っていかないと、教養という概念や人間教育というものが成り立たなくなる。
人文学にはもう夢がなくなっているので、人材を育てる人文学は大事だということを国が言うべき。基盤的経費の中にそれが反映されるということが、メッセージにもなる。

○ 「大学は理学部と文学部と教育学部さえあればいい」と言う人もいるが、大学に求められるのは、短期的な利益ではなく知の根本を支える活動であり、そのために税金が使わなければいけないということ。

○ 昔は大学に行く人が限られており、エリート意識も高かったが、今の大学を取り巻く環境はそうではなく、大学の在り方は少しずつ変わってきている。そうした変化をきちんと踏まえて議論する必要がある。
  大学には科研費だけでよいという考え方もあるが、一方、社会とのインタラクションがあって発展する学問もある。ものづくりということから逆にフィードバックして新しいサイエンスの舞台を作っていくというものもあり、目的研究を行いながら基礎研究も一緒に輩出できている学問分野があるという意味での多様性も認識しておく必要がある。

○ 何でもかんでも学問はイノベーションのためにあると言ってしまうと、すごく狭い範囲の学問だけが育ってしまい民度が落ちるのではないか。国は、学問はイノベーションのためにあると言い過ぎている。発展途上の必死になってイノベーションだけで進めていくという段階でもないのに、強引にシフトし過ぎているのではないかという印象がある。
 人文学の研究者から、自分がやりたい研究と今の科研費制度が合っていないということをよく聞くが、それは全部競争的資金でやろうとしているからであって、昔のようにちゃんと基盤的経費があればそれで深い研究ができたということ。何でも競争的に、かつイノベーションにつながらないといけないというような、強引なバイアスを掛けられている。
そういう点からもデュアルサポートは必要で、何でも競争的に学問はやればいいということではない。両方含めて、国は学術が大事なんだと言ってほしい。人の役に立ちたいという若者は結構たくさんいるので、それでそういうふうに進めたところで、イノベーションの方に行く人はたくさんいるし、裾野も広がる。

○ 前提として、必ずしも政府は全ての学術研究がイノベーションに結び付くべきだとは言っていない。ただし、大型資金を取る場合には、タックスペイヤーに対する責任や国の政策の反映という観点があるので、それがしばしばイノベーションに結び付くという説明になる。科研費のように厳然と学術に特化した競争的資金もある。また、学術会議の議論では、大型資金であってもイノベーションにつながらないようなもの投資をしようということになっている。全ての予算や学術研究が、イノベーションに結び付かないとそのような財政的な支援が受けられないというのは非常に極論ではないか。

○ 日本版NIHに関する議論で、科研費から1,000億を取ろうという話が出た。研究者の反対により止まったものの、ああいう議論が時々起こるのは事実。
 また、第4期科学技術基本計画にはイノベーションの源となる大学というような表現が出てくるが、運営費交付金が無くなり大学が大変な経済状況になる中、さらに競争的資金の中からイノベーションにつながる方に分けようという話になることに危機感を持っている。

○ 運営費交付金が大学改革係数でどんどん削られることにより、既に基盤運営費交付金では給与は全部払えない大学もある状況。そのため、人件費を競争的資金の間接経費で賄うという形になってくる。次は恐らく人文・社会科学の崩壊。経営的な感覚で言ったら、文学部は要らない、外語大で一手に受けてもらえばいいということになりかねない。

○ 研究者に社会実装まで完璧に持っていけるようなイノベーションができる人はそんなにいない。大学の研究は基本的には要素技術。それが特性であり、限界でもある。それを越えて、iPadなどを作るようなイノベーションというのはできない。ただし、要素技術なしには新しいものはできないのだから、我々のできる限界というのをしっかり見定めて、我々の担っている力をもっと提示していかないといけない。

○ イノベーションに引っ張られて、国力の源という議論をすると、文系の存在価値が小さくなるので、「国としての品格」などの違うキーワードで表現をしていく必要がある。

○ 日本の繁栄を支えているという意味でイノベーションにお金が行くことは認めざるを得ないが、そこへどんどん特化していくと、最終的には本能しかなくなってしまう。本能はナショナリズム・自己肯定化に結びつく。本当に日本人として尊敬される、国力で示される成熟といったものがほとんど見えなくなってしまうのではないか、大人としての日本は消えてしまうのではないか、という危機感がある。だから、国は人文学を大事にしているという振りだけは示して欲しいと思う。

○ 「イノベーション=出口志向」と暗黙の了解で議論しているが、イノベーションには基礎学術も入るという考えもある。その点を整理して提言しないと、一方では学術も含めてイノベーションにはちゃんとお金を出していると言われ、他方で出口志向のところしかイノベーションには入らないと煙に巻かれてしまう。

○ イノベーションは一番気を付けなければいけない言葉。少なくとも「技術革新」とかそういう単純な言葉で終わっては大間違い。

○ 「多様性」という言葉は、非常に重要なキーワード。何をするにしても、どこから芽が出るか分からないというのが学問であって、そういう意味では多様性をいかに担保するかということが全体を伸ばすために必ず必要。しかし、これはともすれば「バラマキ」と言われかねないので理論武装はしっかりしなくてはならない。

○ 企業への改革要望として、例えばトランスレーショナルリサーチ等に関しては公的資金だけに頼るのではなく、企業自らも投資してほしいということを一つの方向性として書くことは大事だと思う。

○ 学会はあくまでも有志で作るコミュニティーである一方、大学及び大学院は研究者が給料をもらう組織であり、根本的に違う。したがって、例えば、大学等の在り方について学術界は責任を持って云々と言う場合、学術界・学術コミュニティーとは何かということをよく考えておく必要がある。

(以上)

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