人文学及び社会科学の振興に関する委員会(第6期)(第5回) 議事録

1.日時

平成24年1月13日(金曜日)16時~18時

2.場所

文部科学省3F2特別会議室

3.出席者

委員

樺山主査、田代委員、鈴村委員、岡本委員、伊井委員、大竹委員、鶴間委員

(科学官)
縣科学官、池田科学官、高山科学官

文部科学省

吉田研究振興局長、森本研究振興局担当審議官、永山振興企画課長、伊藤学術企画室長、高見沢学術企画室長補佐 その他関係官

オブザーバー

(有識者)
法政大学 山中教授
日本学術振興会学術システム研究センター 村松副所長

4.議事録

【樺山主査】

まだご出席予定の委員の方々、おいでになってない方もおいでになりますが、時間を回りましたので、始めさせていただきます。

ただいまから科学技術・学術審議会学術分科会人文学及び社会科学の振興に関する委員会第6期第5回ということになりますが、開会させていただきます。

それでは、まずでございますが、事務局に人事異動があったということでございますので、事務局の紹介をよろしくお願い申し上げます。

【伊藤学術企画室長】

紹介申し上げます。1月6日付で研究振興局長に着任いたしました吉田大輔でございます。

【吉田研究振興局長】

吉田でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

【伊藤学術企画室長】

同じく1月6日付で研究振興局担当審議官として着任いたしました森本浩一でございます。

【森本研究振興局担当審議官】

森本でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

【伊藤学術企画室長】

以上でございます。

【樺山主査】

ありがとうございます。なお、大臣がおかわりになる由でございまして、まだ認証式が終わらないとおかわりになったということにはならないということのようでございます。余計なことを申しました。

それでは、続きまして事務局から配付資料の確認をお願い申し上げます。

【伊藤学術企画室長】

机上に資料計7点、お配りしております。本日の資料といたしましては、資料1点目から4点目、本日ご発表いただきます山中先生、村松先生の発表資料を資料2、3ということとともに、前回までにご審議いただきました意見のまとめを参考資料1ということでお配りしております。計7点資料をお配りしておりますが、不足等ございましたら、事務局にお申しつけいただければと思います。よろしくお願いします。

【樺山主査】

ありがとうございました。それでは、議事に入らせていただきます。

本日は、3、人文学・社会学の国際化の推進(国際化)に関する発表と意見交換を行いたいと存じます。

また、議事の最後でございますけれども、平成24年度予算案につきまして、事務局より簡単にご説明していただきますので、よろしくお願い申し上げます。

なお、また今後の予定につきましても、議事の最後のところでもってご相談申し上げたいと思っておりますので、この件につきましてもよろしくお願い申し上げます。

それでは、意見発表に移りたいと存じますが、前々回、11月2日でございましたが、及び前回12月19日、この委員会での発表者の方々と委員の皆様方のご発言、ご意見等は、参考資料1にまとめておりますので、適宜ご参照いただければと存じます。

本日はお二方に無理を申し上げまして、本日お越しいただきましてご発表いただくことになっております。これまでと同じように、お二人方、相次いでお願いを申し上げまして、その後、休憩をとった後、私どもとの間のディスカッションを続けさせていただきたいと思います。それぞれご発表につきまして、各40分程度でお願い申し上げたいと思っております。

それではまず、山中先生からお願い申し上げます。法政大学能楽研究所の山中先生です。よろしくお願い申し上げます。

【山中教授】

よろしくお願い申し上げます。

まず最初に、3点、言いわけと確認をさせていただきたいと思います。私、人文科学や社会科学全体に通じる問題について意見を述べるようなことはできませんので、大変狭い分野ですけれども、私自身がやってきた能楽研究のことで話させていただきます。

それから、能楽というのは日本の伝統芸能ですから、能楽研究の中心は日本にあります。それで、ほかの例えば西洋の哲学などのように、世界に出て行って外国の研究者と肩を並べていくにはどうしたらいいかという話ではなくて、圧倒的に日本人が有利な分野なわけですけれども、非常に狭い、小さな領域でしかない、それをどう広げていくかということで、ここ六、七年考えてきたことを話させていただきます。

3つ目は、能楽研究は、能そのものと深く結びついておりますので、能楽研究を大きくしていくという話をしているうちに、能そのものを世界へ発信していくという話ともかかわってしまうと思います。その3点、よろしくお願いいたします。

能は世界遺産にもなっていますので、能楽研究ですとか、それから日本文学、日本の歴史、美術、そういう日本人が有利な学問を大きくしていくことができれば、それは日本がリードできる世界ですし、文化の輸出ともつながっていけるんじゃないかなという意味で、社会貢献にもなるかなと考えています。そう思ってやってきたことのご報告をいたします。

うまく時間内に終わらないといけませんので、先に本日の発表のあらましをお話ししておきます。

まず、能楽研究の現状と最近の動向についてお話ししたいと思います。それから、ここ数年の間に私がやってきたこと。1つは、国際日本学という法政大学で試みたプロジェクトの中での経験です。それから、もう一つ、文理融合研究というのを一生懸命やってきたのですが、やはり文科系と理科系と常識が違うところもありまして、うまくいかないことが多かったです。そのまずうまくいかなかったことをお話ししたいと思います。

そして、それからやっとうまくいきそうな、今やっている研究の話に入っていって、最後に、僣越ですけれども、能楽とか能楽研究の将来、どういうふうな方向に行くべきかなと思っているかという話をさせていただきたいと思います。

まず1点目、現状です。これは実は、うちの研究所が活動内容や年度計画を報告するプレゼンテーションのときに使う資料の1つです。X軸とY軸みたいな感じで、上と下、右と左で対立するものを考えています。

初めてプレゼンのこの資料をつくったのが大体2005年か2006年頃で、そのころ初めて、能楽研究の場では国際化、グローバル化ということが大きく言われるようになりました。私たちにとって、あるいは私にとって国際化とか海外へ向けて能楽研究を外に向けていくという方向が、決して能楽研究そのものを強くしていく、深めていくということと同じことではなくて、対立することとしてとらえていたということです。教育や広報、宣伝活動と研究そのもののバランスをどうとっていくのかを考える必要があるのと同じように、伝統的な、国内でも今まで評価されてきた能の研究を続けることと、国際化をするとか外国人とつき合いながら研究を進めていくということは、どうバランスをとるかが問題になる、そういう2つのものとしてとらえていたということを示したくて、この図を持ってきました。今でも多分、多くの能楽研究者の本音はそうではないかと思います。

次の資料は能楽学会という学会の学会誌です。能楽学会は、20年も30年も前から続けてきた研究会を学会にしたものなので、学会になってからは10年余りですが、それなりの歴史はあると思っています。そこの学会誌なのですけれども、第3号で海外における能楽研究という特集をやりました。特集といいましても、能に関する外国人の論文は一本も載っていません。載ったのは、外国人研究者を中心に五、六人で話した研究に関する座談会と、提言と講演記録のみです。それからあと数年後に、右側にある第8号で、やはり能楽研究に対する外からの視線というので、外国人の能楽研究、研究動向の紹介がありました。

今日配っていただいた資料、このパワーポイントの資料の後に、カレン・ブラゼル先生という、アメリカのコーネル大学の教授でいらした先生が、この能楽学会の雑誌の第4号に寄せられた文章の全文を載せておきました。能楽研究の国際化という、まさにそういうタイトルです。ブラゼル先生は、「とはずがたり」の翻訳が有名ですが、能の研究もたくさんしていらっしゃって、その方の提言が第4号に載っています。でも、この程度なのです。これで私たちは能の研究をするときに困らない状況です。

文化人類学の分野では、英米の研究者が中心で、ヨーロッパがその次で、それ以外の領域の研究者は周縁にいるのだという話を聞いたことがあります。周縁の学者にとって、中心で起こっている研究情報を知ることは必須のことだけれども、中心にいる側は周縁の情報など知る必要はないんだというお話でした。それで、これは能楽研究で、私たちが真ん中にいてあぐらをかいているのと同じだなと思いました。海外の動向に疎くても、今までは何の問題も生じませんでした。それは、日本の研究者が能の研究のヒエラルキーの頂点にいるからだと、そういうふうに自分たちが思っているからだと思います。それに対して、そんなことはない。今はいい研究がいっぱいアメリカでも出ているんだから、何とかそれを翻訳してでもいいから、読んでほしいというのがブラゼル先生の提言の1つの柱です。

次のスライドは、これも2006年の催しを2008年に本にしたというものを2つ持ってきました。何で2006年とか2008年とかが多いかというと、どこまでも内向きだった国文学の世界に、「海外へ」という視線が入ったのは、COEの影響が大きかったと思います。2002年にCOEが始まって、特に東京では能の研究者が多く集まる早稲田の演劇博物館や能楽研究所などがCOEに関わったせいで、能の研究においても急に国際化ということが言われるようになりました。

それまでも外国の学会などに行って発表される方はいましたが、能楽研究の中心がやはり内側を向いていましたので、そういう人たちの動向はなかなか主流になりませんでした。だから、何か変わるときに、大きなところが動くということは大事なんだろうなと思います。それから、お金がつくとか、政策として何かが動くということがすごく大きくて、このときは否応なしに、みんなが国際化ということに目を向けたんだと思います。

図の左側は、ドイツのトリア大学で、たくさんのヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、日本などの能の研究者、演劇の研究者が集まってやった研究集会と、その報告集です。右側は、アルザスにある日本研究の中心のCEJAというところと、演劇博物館が一緒にやったもので、これはフランス語の報告書になっています。

ただし、こうやって報告集は出ていますが、多分、この2冊の報告集を知っている人は、日本の能の研究者でほとんどいないのではないかと思います。私も実は、左側のトリアのほうは自分が行ったのでよく知っているんですけれども、右側の方は、つい数日前に、自分の研究室で見つけるまで、忘れていました。特に右側は演劇学のものなので、能に関する論文は少ないのですが、それでも日本の能楽研究を代表する人の原稿も載っています。ただ、見る人は少ないし、本人もこういうところに書いたということは言いません。日本人の研究仲間が外国に向けて何を言っているかについても、ほとんど関心を持たないという状況があります。むしろ、見ないのがエチケットみたいな部分もあるかと思います。

とにかく国文学の人は語学ができない。語学ができないから国文学をやっているという人が多いです。でも、受験ぐらいはしているので、辞書を使えば何とか読める部分もあるのですけれども、大変失礼な言い方かもしれませんが、やはり今まで私たちの経験でも、一生懸命時間をかけて読んだからといって何か新しい知識が得られるわけではないということで、無駄だ、読まなくてもいいと思っていたというところがあると思います。それに対して「今やそうじゃないんだよ」というのがブラゼル先生の指摘ですけれども、どちらにしても読んでいませんでした。

それから、もう一つ、能の場合は、どうしても能の研究を能そのものと切り離すことができないわけで、実演の場面でも、特に欧米の演劇関係者の中では、能に対する注目というのはたくさんあります。でもやはり、能面のようなものを使い能装束らしいものを使っていても、能とはかなり違う動きだったりするので、このような活動を高く評価しない傾向が私たちにはあります。能楽師にもあります。ですから、こういう人たちが日本に来て能について学びたいといっても、勝手にやってくれという態度が多かったと思います。

私は、こういう状況を変えたいと思いました。このスライドに載せたのは、法政大学のCOEの最終年度にやった「能の翻訳を考える―文化の翻訳はいかにして可能か―」のポスターと報告書です。2年かけて準備をして、学生たちを巻き込んで、謡曲を英訳を通して読むということをやり、それを踏まえて、外国の研究者をたくさん呼んでシンポジウムをおこないました。「英語はできない」と言ってないで、2年間ゼミをつぶして、英訳を通して作品を読むということをやってみました。

外国人の研究成果と真剣に向き合うんだという姿勢を強く打ち出して、そのかわりに、シンポジウムの当日は外国人の研究者の人たちにも全部日本語で話してもらって、報告集も日本語で書いていただきました。それによって、一般の人たちへのアピールも非常に強くて、このときはほんとうに盛り上がったいいシンポジウムになったと思っています。それが後まで続かないのが問題なのですけれども。

ただし、ここでもやはり、何か急に世阿弥の伝書の新しい解釈が生まれるというようなことは多くないのですが、参加した若い人たちが、「すごく目を開かれた」と言ってくれたことは大きな収穫でした。世阿弥の伝書だったらこの注釈書を読めばいいと思って済んでいたことが、英語での翻訳を読むと、たとえば世阿弥の「心」という言葉をどう英語で訳すかということで、一つ一つの心の用例で、全部英語が違ったりする。そういうことに触れていくということで、深く考えるようになったということを言っていました。

こういう経験がすぐに論文に結びつくかどうかわかりませんけれども、そういう実感ですね、外国の研究者と向き合うことによって目を開かれたというこういう体験を確かに若い人たちがしてくれたということは、良かったと思います。

ただ、この2年間、彼らは英語のほうに重点を置いたもので、この2年間に大学院のマスターにいた学生たちは、ほかの学年の学生よりも写本の読み方の習熟度が劣っているような点もあって、今となってみると、少し申しわけないことをしたような気がします。

でも、写本の読み方なんていうのは、後で取り戻すことができるので、従来とは違うタイプの研究を知っているということは、大きな財産になったと思いたいと思っています。

もう一つ、これもそのころやったことなのですけれども、法政の大学院生だけではなくて、よその大学、それから国籍もいろいろな学生が集まり、アメリカの先生を呼んで、あるいはオーストラリアの先生を呼んで公開ゼミナールというのをやりました。東大、芸大、早稲田、慶應、東京女子大、筑波、国籍もドイツ、アメリカ、ハンガリー、韓国、中国、スロバキア、いろいろな国の人たち、いろいろな大学の人たちが集まって、全く今までの能の研究とは違う、アメリカの大学でやっているような日本文学の研究の仕方で能のテキストを読むとか、いろいろおもしろいことのあるゼミナールになりました。このときに見ていて一番おもしろかったのは、目の前で初めて会った学生たちが、どんどんつながっていくことでした。外国の人の研究をちゃんと読もう、英語を勉強しようと思ってiPod 買っちゃいました、と言っていた若い人もいます。実は、早稲田の演劇博物館ではCOEのときに、助手レベルの学生を半年間、どこでもいいから、外国へ行かせて、別にそこで論文を書かなくてもいいけれども、外国人の研究者仲間、友達をつくってこいというのをやったらしくて、それは外で見ていてもとてもいいことだなと思いました。法政にはそういうお金やシステムはなかったのですけれども、このゼミナールや、先ほどお見せしたシンポジウムなどで横のつながりができたということは、今でも大きな財産になっています。

ただ、それがそこでとまってしまう。シンポジウムの報告集には院生の論文も載りましたが、その後、こういうことを踏まえて論文を書いてくれる人は、続かないのです。多分、iPodを買った学生も、今は多分、英語はやらないで、一生懸命古い資料を調べていると思います。何でせっかくこういう経験をしたのが活きないのかなと考えると、幾らこういうことをやっても、こういうことで論文を書いても、大学が採ってくれないからで、例えば能の研究をしている大学の先生たち、今いる有名な先生たちはみんな、僕は英語ができませんと自慢しているような人たちばかりで、そのかわり、たくさん写本も読める、立派な研究をたくさんしてらっしゃる方たちです。そういう人たちのもとで勉強しているわけですから、やっぱり、この先生たちみたいな研究をしないと、大学には就職できないのだと思っていると思います。だから例えばちょっとぐらいおおざっぱでも、日本人から見たらえっと思うような部分があっても、海外の大学でたくさん教えていて、幅広い演劇学の視線とか舞踊との比較などで能のことが語れるような先生が大学にいらしたり、それから、若い人の仕事でも外国人研究者の論文をきちんと踏まえているような研究が実質的に評価されて、就職に結びつくようになれば、そういう論文を書く人も増えるだろうと思います。

ほんとうは、日本人の日本文学の人にこそ留学しなさいと私は言いたいです。語るべきものはいっぱい持っているのだから、英語でも中国語でもいいんですけれども、外国語ができれば、外に伝えられるはずです。でも、今、自分の学生、マスターの学生に、いろいろな資料を読む勉強を捨ててとにかく外国へ行けとは言えません。行って帰ってきたら就職がなくて、悲惨な将来が待っているかもしれないと思ったら、言えないです。

でも、例えば「ドクター」のイメージは、私の若い頃と今ではまったく変わりました。30代の頃「早くとれ」と言われたときはとても違和感がありましたが、今となっては、ドクターを持ってなければ非常勤の口もない。そうなると、若い人もみんなどんどんドクター論文を書きます。

同じように、海外へ目を向けろとか、留学しろとか、英語で論文書けと言うのだったら、そういう要求に従った人たちを優先的に就職させてくれれば、事態は動くんじゃないかなと思っています。

以上が国際日本学でやったことのご報告です。

2つ目の話題に移ります。国際化を目指してやったもう一つのことは、やはり文系よりは、少なくとも国文学、能の研究よりは、理系の研究のほうが世界標準に従って動いているだろうなと思いまして、理系の視点を取り入れたいと思いました。

それこそ科研費の書類でも、いろいろな成果報告の書類でも、よく私の研究仲間、文句を言います。何でもかんでも理系のスタイルに合わせて、理系の様式に合わせて書かされるから大変迷惑であると。私、そのとおりだと思うんですけれども、でも、今は理系に合わせて、理系のおまけでお金がついているという言い方もできると思うのです。そのことに文句を言ってないで、理系のペースや常識についていかなくちゃいけないんじゃないかなと思ってやったのですけれども、やっぱりつらかったです。

これはセカンドライフ。今、インターネットで「セカンドライフ」を検索すると、「失敗」という言葉がたくさん出てくる仮想ウエブサイトです。ここに仮想の能楽研究所をつくって、その中に能楽研究所で持っているおもしろい絵画資料をデジタル化して載せました。でも、せっかく高いお金を出して時間をかけて、勧進能の絵巻なのですが、絵巻をずっと連続で見ることができて、英語と日本語で説明も入り、お囃子の音も入る、というものをつくったんですけれども、セカンドライフ自体が重過ぎて、普通の能の研究をしている文系の私たちのパソコンでは全然動かすことができませんでしたし、だれも見てくれませんでした。それで、これはあきらめました。今は、こういう絵巻に、人物や場所に関する文字情報をつけて、それを英訳して、もっとローテクで教育用のCDをつくろうということをアメリカ人の文系の先生と一緒に計画中です。

もう一つ、これは3DのCGで能面を撮影しました。よくデザイナーの人が車の写真を360度から撮って3DのCGにしたりする、その手法と同じもので、ソフトも安く買えるので、能面を360度から写真を撮って、それを3Dで復元するという文理融合研究でした。右側にあるのはiPadの図です。最終的に、データをiPadに入れました。どうなっているかというと、能面というのは、普通は、能楽師の人たちが拝んでから着けるようなもので、簡単に触らせてくれませんけれども、こうやって3Dになっていれば裏も見られるし、いろいろな角度に動かして表情が変わるところも見たりできます。今、ピサの聖アンナ大学院大学というところのサイトには少し、この能面ミュージアムが入っています。それから、それとまた別に、こうやってiPadに入れたので、iPadに入れると、iPadを動かすことによって能面がくるくる動きます。サンフランシスコにある法政大学の研究所の行事のときにこれを見せたら、大好評でした。一緒に行った能楽師の人も喜んだのですけれども、実は、このレベルでは能面の研究には使えません。ちょっとおもしろいですね、なるほどというレベルです。これだと、確かに動きますけれども、能面自体の再現が全然よくなくて、研究には使えないですし、それから例えば能役者の家にはすばらしい能面がいっぱいありますから、ほんとうはそういうものを全部入れたりしたらすばらしいことになると思うのですが、この程度のレベルだったら、自分のうちのすばらしい能面がこんな形で出るのは嫌だということになってしまいます。

これは私のやり方が悪かったのかもしれませんが、先ほどのセカンドライフにしても、この能面のときも、失敗が続いたとき、ほんとうに下りのエスカレーターをゆっくり上がっているようなもどかしさを感じました。もしこれがどこかで一気に上り切ることができたら、つまり、大きなプロジェクトで、すばらしい技術を使って、有能な研究者がいっぱいいて、一斉にやれば、能の家元級の家にあるようなすばらしい能面でも、こういう形でデジタル化することはできるかもしれませんけれども、なかなかそこまではいかないということで、とまっています。ただ、これを見た人がいつかやってくれるかもしれませんから、今はこれでしようがないかなというところです。

私はこれは失敗だと思うんですけれども、理系の人にとっては、iPadで見せる技術ができれば、一つの成果にはなるわけですね。でも、文系の私たちは、何か1つ新しいことを見つけても、だからどうなんだと言われて、ある1つの世界を構築しないと、研究をしたと認めてもらえません。だから、私にとっては、この能面のプロジェクトは、自分の時間を無駄にしてしまったという思いでした。

ただ、それは文系と理系のやり方の違いなのかもしれませんけれども、やっぱり新しいことをやるには、文系も理系の常識に合わせるところも必要かなと思います。

例えば理系だったら共同研究が当たり前ですが、今、文理融合のプロジェクトを手伝ってもらっているうちの大学院生たちは、一緒にやっている共同研究が研究業績として数えられません。少なくとも文学研究では、共同研究というのはしっかりした研究業績としては数えてもらえない。でも、そういうところが変わっていって、ちょっとこういうことにかかわったものでも、一緒にやった、何かが一歩進んだというだけでも業績になっていけば、変わっていくんじゃないかと思います。

ここまでが失敗例なのですが、やっと一つ、文系にも理系にも互いに利益があって、国際化や社会貢献にも役立つのではないかというテーマを見つけてやっているのが、この「工学的知見の活用による能楽「型付」の記述ルール及び技芸伝承システムの解明」という研究です。これは、異分野融合による方法的革新を目指したというプロジェクトで採択していただいたものです。

研究課題にある型付というのは、能作品の具体的な演じ方を記した資料で、どう舞うかという資料です。文字が書いてありまして、右側に「立」とか、「左拍子」とか、「正へ出」、「サシ込」とか書いてある。これが能の舞い方です。つまり、能の600年の歴史の中で、どう舞うかという技芸伝承、ビデオなどがない時代に、技芸伝承の核になってきたのがこの型付という資料です。スライドに載せた型付本は現在のもので、お金を出せば買えるものです。ここに出ている所作の一つ一つを3DのCGにして、例えば「サシ」といったらどんな動きか、「開」といったらどんな動きか、世界中のどこにいても見られるようにしたい。それから、この所作と所作をつなぐ法則を見つけて、ここが理系の領分ですけれども、つなげるツールをつくって、だれでもここに出ている順に所作単元、この一つ一つを並べると、舞いが復元できるようにしたいというのが私たちの目的でした。

もう何年も前に、モーションキャプチャーの技術が注目され始めたときから、世界中あちこちで、古典芸能、あるいは身体芸能の所作をこれで計測するという試みはされています。日本では有名なのは、立命館大学のプロジェクトですが、私たちがやろうと思っているのはそれとはすこし違います。まとめて、例えば名人上手の実演映像をキャプチャーして、それをアーカイブするということではないです。そうではなくて、能の所作をばらばらにばらして、一つ一つを分析したり、今演じているのとは違う組み合わせもつくることができるようにしたい。能の舞の仕組みを解明したいということです。

能のキャプチャリングとか数値化は能楽師たちから大変冷たい評価を受けがちです。数字で芸がわかるか、おれたちがやっていることを数値でわかられてたまるかという意見ですとか、ロボットに能を舞わせるといったことに対して、冗談じゃないと、そんなばかなことができるかと言われたりしました。私は数値化することにも意味があると思うのですけれども、能楽界と上手に協力していかなくてはいけないので、そのときには理論武装が必要なのだろうなと思っています。

今お見せしているのは、一つ一つの所作ごとに数値をとって、それをつなげた結果です。舞をキャプチャーしたのではなくて、一つ一つの型をキャプチャーしたものをツールでつなげています。まだ足が滑ったりしていますけれども。拡大・縮小もできますし、向きも変えることができますので、いろいろな方向から見ることができます。

こっちはその所作単元一つ一つを見ることができる辞書みたいなものです。どういうことかというと、私たちが型付を見て、「サシ」と書いてある。これはどんなものかなと思ったときに、このデータベースから選んで動かせばその所作を演じてくれる。それから、外国にはそんなに能の先生はいませんから、外国の人が、別に能をやらなくても、ダンサーとか演劇関係者が能の動きを取り入れたいとか知りたいと思ったときに、能の舞全体を見ても、どこがどうなっているのかわかりにくいと思うのですが、一つ一つ、分解したものを見れば、能の動きの仕組みはわかりやすいはずです。

ただ、この一つ一つの型の所作単元だけなら、能役者に一つ一つ、この型をやってください、この型をやってくださいと言って、それを四方八方からビデオで撮っておけば済むことですが、CGにしておくことによって、このツールを使ってつなぐことができるというのが大きな利点です。

能には、古い演出資料があって、江戸時代はこういうふうに舞っていた、室町時代の終わりにはこう舞っていたという資料が残っています。その資料にある舞を復元することもできます。そこに出ている単元を並べてこのツールで復元すれば、江戸時代にはこの同じ曲がこういうふうに舞っていたのだなとわかるだろうということです。

今、型付の順番に「立つ」「サス」「角へ行く」などの所作単元を選んで、折り紙みたいなものを並べてクリックすると人形が舞うというツールのサンプルをお見せしましたけれども、これはまだ試作中で、完成までにはもう少し時間がかかります。今年の3月までに、もっといいものにしたいと思っているのですが、ここでも文理の常識の差というのがありまして、文系だと研究というのは一人でやるもので、自分でやるんですけれども、理系の先生たちは、学生、大学院生の指導と研究が重なっていて、大学院生にやらせながら進めていくので、その大学院生があまり優秀じゃないと、待っていてやらなくちゃいけないようです。勝手にやってしまうと、その子の教育にならないし、その子の論文にならないので、待ってくれということになって、助成金をもらってやっている研究なのに…と、何度もけんかしました。

ともかく、このようなツールができたら、もしかしたら、能に関係のない人も、好きなようにつなげて舞がつくれるということで、遊べるわけです。そんなことをして遊ぶ人がいるのかという質問を予測して持ってきたのがこれです。これは「ニコニコ動画」に投稿されたもので、ネットの世界での人気キャラクターが「鶴亀」の仕舞を舞っています。ブーツを履いたまま能舞台に上がって舞っていたりするのですが、こんなアニメがアップされて、何万件ものアクセスがある。今の若い人たちは、こんなことをして遊んでいるわけです。

こういうものもあるくらいですから、私たちがつくったツールで遊んでくれるかもしれないと思っています。このツールで遊んでくれても、その人たちが能の観客にはならないかもしれないし、まして研究には結びつかないでしょうけれども、実は江戸時代だって、庶民は能なんてあまり見ないで、謡だけ謡っていたということもあります。ちょっと前の時代、例えば30年ぐらい前に、友達の結婚式に出たりすると、親戚の人が出てきて高砂を謡っていましたが、それは本当の能の高砂の謡とはかけはなれたものでした。でも、そういう文化があったわけです。すそ野が広いということはとても大事なことで、今は消えてしまった、伝統芸能を支えるすそ野の部分を、こういうコンピューターなどで代わりに支えることができるのではないかと考えています。

ただ、こういうことだけでは、社会奉仕のようで、やっていられないです。私たち能の研究者は、やっぱり国際化とは言っても、最初の話に戻りますが、一番気にしているのは仲間うちの評価ですから、ああいう遊びみたいなものをつくっているだけだったら、お金が切れたらやめてしまうと思いますが、さっき申し上げましたように、このツールを使うと、古い資料が読めるということがよくわかりました。これだけでは読めませんけれども、文献学のいろいろな方法とうまく組み合わせることによって、能の動き自体がどうやってできてきたか、それを記述する言葉、特殊な用語がどうやってできてきたかというのを探ることができそうだということがわかったので、私自身は、これはずっと続けていくつもりですし、若い人を育てていこうと思っています。こういう型付の仕組みなどがわかってくれば、ほかの西欧の身体芸術などとの比較も可能になってきて、いろいろと役にたつはずと思っています。

もう一つ、こうしてツールをつくって、何度も合成していきます。うまくいかないところは何度もやり直して、能役者が実際に舞う舞と比べたときに、いろいろな技術を使って一生懸命やっても、どんなに工夫しても、どうしても能役者のようには舞えないところがきっと出てくるはずで、そこのところが、能役者の暗黙知の部分なんだろうなと思うのです。その部分を客観的に記述することができたら、とてもいいなと思いますし、それは実は、今のところは、役者は冷たい態度をとっていますけれども、これは役者にとっても役に立つはずだと思っています。能役者の人の、おれはこうやって修行してやってきたんだという実感は、それはそれで正しいし、本質的かもしれないけれども、でも、別の知識を使ったり、こういうインターネットの技術を使ったり、能楽研究の方法を使ったりすることによって、能の舞とか動きというのは、もうひとつ別の言い方で、こういうふうに説明することもできるんですよ、というのを見せることができたらいいなと思っています。

たとえばこれは客観的記述の例ですけれども、5分ぐらいかかる能の舞を舞った軌跡が書いてあります。上の図は上から見たもので、それを横から見ると、下の図では、全く重心が動いてない。これは一目瞭然で、この図はいろいろなところで、イタリアでもサンフランシスコでもドイツ人に対してでも、日本人の能楽ファンの人たちに対しても、いろいろな人に見せましたけれども、みんなこれで納得します。「幽玄」とか「厳しい身体訓練」とか言わなくても、これを見せればわかってくれる。こういう形で客観的に示していきたいと思っています。このような材料を提供することで、外国のパフォーマーなどにも、もっと有効に能の本質的なところを使ってもらえるかもしれないと思っています。

ちょっと長くなりましたけれども、以上で終わらせていただきます。ありがとうございます。

【樺山主査】

山中先生、ありがとうございました。最も高度に古典的な日本の芸能をフィールドとして、さまざまな形で、また新たな形での国際的な発信や国際的研究、あるいはそれを理工学的な手段をも用いながら、新たな分析の可能性が見えてくるという、大変意欲的なご研究を進めておいでになります。それは違うだろうというお話も含めて、皆さん方、ご意見があろうかと思いますが、後ほどまとめて議論させていただきたいと存じます。ありがとうございました。

それでは、引き続き、休憩をとらずに、もう1件、村松先生からご報告いただきまして、その後、休憩をとった後、全体討論ということにさせていただきたいと存じます。

それでは、村松先生、よろしくお願い申し上げます。同じく40分前後でということで、お願いします。

【村松副所長】

村松でございます。よろしくお願いいたします。私もこういうときのためということで、パワーポイントを一応つくってはきたんですけれども、途中で失敗するかもしれませんので、内容的に実はほとんど文章、ここにピックアップして各スライドに書いた文章を読むということでございますので、要らないかなと思っていますけれども、後で討論のとき必要になったら使わせていただくということにしようと思います。

能の先生とご一緒だということだったものですから、やっぱり私自身が研究している分野と遠い人と、その反対のほうに私がいるのかなと初め思っていたんですけれども、お話を伺っていたら、いろいろ縁があることに気づきました。

カレン・ブラゼルという人は、私にとっては大変懐かしい方で、ちょうど30年前の82年1月だと思うんですが、雪の中を10人ぐらいの日本研究者、コーネル大学のスタッフが大勢でキャンパスから離れた酒屋でどんちゃか騒ぎをやりました。そういうことで連れていかれまして、一緒に随分話をしたことを思い出しました。ちょっと懐かしかったです。

それはそれとして、私からご報告いたしますのは、約2年前だと思いますけれども、文科省から学術振興会に、その当時は人文・社会科学と言っておりましたけれども、人文学・社会科学の国際化についてということで委託事業を委託されました。それで、その委託の内容ですけれども、左上の褐色のところにスライドの番号がありますので、この番号を申し上げながら話していきますけれども、この1ページに4つの項目が書いてありますけれども、国際的に活躍している研究者の数と業績、位置づけ、日本人の得意分野・不得意分野、国際発信における問題点あるいは障害ということ、研究者の研究拠点あるいはネットワーク、そういう問題について検討してほしい、そういう委託でございました。

それで、そのときにたまたま集まりやすかった学術振興会の中にある学術システム研究センターの研究員の中でやろうと言ってくださった方で、この調査研究を始めました。それが東洋史学の岸本さん、社会学の盛山さん、経済学の植田さん、法学の河野さん、それと私自身が政治学を担当するという形で調査を開始いたしました。

しばらく前、二、三カ月前ですが、ようやくこの報告書が出ましたので、この報告書の要約をするという形でご報告いたしますので、私自身が知っていないことをお話ししますので、後でご質問があれば、この報告者に相談しながらお答えするということになろうかと思います。

研究会を始めたんですけれども、研究会を始めるに際して、1カ月前にヨーロッパ――ドイツの大学ですけれども―で言語学を教えておられた、名前は出すなと言われたもので、T氏と書いておりますけれども、その方から、日本人の人文学・社会科学が国際的にどう見られているかということについてのご質問をして、1時間ほどの意見交換をさせていただきましたが、そのときにおっしゃられたことが1ページ目の下から3行目に、はじめに、1ページ目で、下から4行目にあるんですけれども、ちょっと読みますと、日本語で書かれたものもヨーロッパ語への翻訳はかなり行われている。しかし、これらの翻訳は、瞬間的に話題になるものが大部分で、その影響力は限られている。むしろ、翻訳された書物もほとんど話題にならない事例が多い。日本の議論は国際的レベルを舞台としていないのである。そのような国際的レベルでの議論が活発でない限り、日本独自の研究の蓄積水準の問題でもある。言語活動・学会活動においては、主張があり、批判があり、さらに批判への反論によって研究は進むものではないか。ヨーロッパから見ていて、日本ではそのような研究の手続が行われてきたとは思われないとおっしゃられて、中根千枝先生、土居健郎先生の話題になった書物などを取り上げて、これらには批判があった、韓国でも同じじゃないかという批判があったといわれたが、そのときに、再批判というものはなかった。そういうふうにして、より高め合うという努力に貢献してこなかったという厳しい指摘をしておられた。そして、その理由は、研究者のアンビションが小さいからではないか。日本は国際マーケットにおいてバイヤーであるが、生産者ではないと、そういうことをおっしゃられたわけであります。それが相当こたえまして、トーンとしては、国際化に向けてどういうように対応できるかというのが研究会のトーンになったように思いますけれども、しかし、決して、それならば、こういうふうにやっていこうという方向でのみ議論がされたわけではございませんで、東洋史学から始めて、各チャプターのご紹介をしたいと思います。

まず、スライド2に「一般的な関心」と書いてありますけれども、これはちょっと変なタイトルだなと思いますけれども、国際化というのをどういうふうに理解するか、それについては、諸分野がどの程度国際世界にexposeされているか、あるいは諸分野のpresenceの程度がどうかということだろうと考えておりました。そして、各チャプター、先ほどご紹介した各分野のデータと解釈があるわけですけれども、私が要約しますので、カット・アンド・ペーストでやっておりますけれども、必ずしもエッセンスを要約し得たかどうかはわからないところもございます。

まず、東洋史学から参ります。東洋史学は、中国史を中心に、ベトナム、韓国、カンボジアなど多数のアジア諸国が、西アジア、東アジア、中央アジアなども入っているわけですが、非常に多数の国が対象とされていて、そこには言語について2つ特徴があると自覚を述べておられます。

1つは、対象があくまで外国(史)であるということ。つまり、その国の言語を深く学ばなければならない領域であるということ。もう一つは、中国・朝鮮などの東アジア史における学問の伝統では、日本語は久しく共通語の1つであったという経緯があって、その意味はどうかというと、どれだけ英語を気にする必要があるか。先ほど能楽は日本が一番というお話でしたけれども、東洋史にも同様の意識があって、現状でもあると思われる。少なくとも、ある時期を区切れば、そういう現状があるやに伺っております。

言語は幾つやればいいのか。フィリピン、英語、タガログ語、ヒンズー語とかいろいろある。漢語圏でも、漢文の時代的な表現の違いとかいろいろある。そうなると、英語をやるよりは、その国の言葉をしっかりやっていくというほうが重要かもしれないという気持ちが常におありだと言っておられました。

それで、スライドの4ですけれども、東洋史の特徴は、今申し上げたように、非常にレベルは高いと。これは同じ分野の日本人学者からアンケート調査をしておられるんですけれども、高いレベルにあることは認められている。そこで、時間の効率から、どの外国語をどの程度やるべきかのトレードオフの問題は深刻であると言っておられました。しかし、それでも従来のままでは、国際的発信力は低下の方向にいろいろな兆候から見てあるので、やっぱり検討したいという、そういう姿勢でありました。

次に、スライドの5ですけれども、調査の資料として対象とされたのは、東洋文庫の論文、これはアニュアルレポートです。東洋史の各分野の代表的学者へのアンケート。Cambridge Historyの、これは著名なシリーズですが、その中における東洋史における日本人の執筆件数、それと外国人の東洋史研究者に、日本の東洋史研究のレベルについての評価を聞く。それと、他の領域でやっておりましたので、Web of scienceとgoogle scholarも念のためにやってみると、そういうことで資料をつくってみたわけですが、東洋文庫については、実は、配付してある厚い資料の51ページから53ページに棒グラフで詳細な言語の利用度についての分析があるわけですけれども、中国研究では日本語が多い。中央アジアや西アジア等では英語が多くなるということが全体としては言えるのではないかと思われます。

必ずしも英語で書かなくても、英語圏の学会で認知されるという状況が中国前近代史においては存在してきたという、先ほど私が申し上げたことの確認なんですけど、というこ とも読み取れます。

それで次に、Cambridge Historyですけれども、スライドの7ですが、本文の表を全てここに移せているかどうか忘れましたけれども、こういうようにして文献数を調査して、その中で、日本の研究者の業績は幾つあるか、その割合はどうか、それが日本語で表現されているか英語なのか、その他の言語かということで見ておられるわけです。

もう一つ、ついでにスライド8を見て下さい。Web of science、google scholarではどうかということで、これはよその国と比べているというようにはなっていません。日本人の学者が登場する頻度を比べています。どの程度出てくるかという話ですが、Web of scienceもgoogle scholarとも偏見が当然と推定して、結果を中国と台湾がそれぞれ中国研究に関しては文献検索データを持っておられるようでありまして、それとの比較をしておられます。一応google scholarなどで多い研究者は、中国、台湾でも注目される傾向があるという感じは出ております。右に、名前が出ておりますので、ご存じの方があるかもしれません。

まとめてみますと、Cambridge Historyからは、前近代の中国研究では、日本人の日本語による業績が多く収録されている様子が見える。Web of science、google scholarでは、研究の分析に関しては、岸本先生や東洋史では研究会がありまして、その方々の一緒に考えた見解だと思いますけれども、研究水準の高いと思われる業績の被引用件数よりも、啓蒙的なものの被引用件数のほうが多いと解釈しておられます。そこで英語圏と日本の東洋史学の基準が異なるのではないか。そうなると、一挙に英語でという気持ちになかなかなれないということが本文に書いてあります。

そのことをおっしゃっているのは、今のgoogle scholarの1番に出ている中国史、宮崎市定さんの引用されているのが実は「科挙」という岩波新書か中公新書で非常にハンディーで、読みやすい。第一線のものは多く読まれていないのではないか。ほかでもそういう傾向があるということを言っておられます。

しかし、その解釈が一番適切な解釈かどうかわかりませんが、東洋史学で見ると、一番重厚な研究というのが引用されてないというのは、やっぱり英語圏とは違うという印象を強く持たれている、そういう背景になっていると思います。

スライド9で、調査結果2と書いてある。これは今言ったところですね。

東洋史学の方の結論としては、かつては、これまでは何とかやってきたけれども、英語文献が影響力を持ち始めていることは事実だと。特に現代中国に近づくほどそうである、そういうことを言っておられて、対応を何とか検討すべきであるという時点にあるのかもしれないということで、実はここで、今はご紹介できないんですが、もし討論の機会にご質問などあれば、その辺の気持ちを文章にしているところを紹介したいと思っております。

最大の悩みは何かというと、アメリカやヨーロッパを含む諸外国から、かつては日本に留学してきた。日本語を使用した。博士号を取得して帰国し、確立した研究者となって、再び日本に滞在するという交流のサイクルがあったけれども、それが先細りになっていると。そこで世界の若者の日本における東洋史研究に引きつけるリソースが欲しいという、あるいは工夫しなければいけないと、そういうことを言っておられるわけです。その工夫の部分については、たくさんいろいろなことを書いておられて、スライドに書けなくて申けなかったんですけれども、後で時間があればご紹介いたします。

社会学に参ります。社会学は、戦前からあったという文言がありますけれども、それは実は、政治学のほうで最初、研究会で報告をして、戦前に政治学が日本にあったかという問題提起から戦後政治学が始まった―後から申し上げますけれども―という話をしたものですから、社会学のこの議論になるんですけれども、しかし、それでも戦後活発になった学問である。ただ、disciplineの中核があいまいであるために、研究対象やアプローチの多様性があって、焦点が定まりにくいところがある。ここでは社会心理学まで含めて検討されているというように、この社会学のチャプターの出発で述べておられるわけであります。

社会学の調査は、Web of scienceとgoogle scholarでやっておられます。スライドの12ですけれども、1990年から2009年にかけて、20年間ですが、主要な社会学専門誌を選ぶ。これは、フランス語、ドイツ語のジャーナルもそれぞれ二、三選ばれておりますけれども、そこで全論文数を数えると1万3千何がしである。そのうち日本人の論文数は118本で0.91%にすぎないと書かれています。そして、世界と日本の日本社会学会の会員数を比べてみると、それの比率でどうかというと、日本の学会はかなり大勢ですから、論文掲載率は、先ほどの0.91のさらに10分の1になる。この傾向は、この数年間も変化がないということを言っておられるわけです。

資料は、スライドの13と14です。ここでは、14のほうの終わりのほうには、ケルン大学、ハーバード大学、アリゾナ大学の社会学者、かなり著名な社会学者のケースがあって、それを参照基準にしながら、日本の社会学者を見ていく。日本の社会学者は、年齢のかなり古い人からずっと最近まで見ているんですけれども、赤く枠取りしてあるのは、特に意味はないんですけど、やや多いかなというところですが、それほど違いはありません。まァ、昭和20年代、30年代に少し国際的な発信をした方がおられるといった感じです。

全体としては、ヒット件数は極めて少ないということですけれども、しかし、スライドの15ですが、これを見ると、ナンバー64と68の方は大変に多い。参照している外国人の方々と比べても多いヒット件数である。つまり、その気になればやれないことはないんだというメッセージかと思います。

逆に、日本の研究水準を高めたと考えられている人(たとえば日本社会学会会長経験者)の国際発信が非常に少ない。それはなぜであろうか。日本では、日本で規模、質ともに適当なオーディエンスがあったということで満足感が得られているのかもしれない。そういうことで、英語で書くべきかどうかについては、社会学も研究会を持たれて、10名ほどの方の意見交換は行われたわけですけれども、はっきりこうだとはならなかった。2つの意見が分かれていた。もっと英語でという人と、しかし、英語でやることが実際に研究の質を高めるかというと、そこにはなお疑問があるとおっしゃる方もあったわけであります。

そういうことがスライドの16で書いていることなんですけれども、書こうとしたことなんですけれども、しかし、外国大学で博士号を取得した人の数は少なくない。外国で社会学を教えている人の数も、日本人の数もかなりあるということで、やりようであるというのか、ポテンシャルはあるというのか、迷っているというのか、そういう状態を文章でも述べておられます。

次に、法学に参ります。法学というのは、明治以降の近代化を背負って、制度の輸入をするということがあって、学術研究というときの仕事の内容、研究の内容は、外国制度の移植ということがミッションのように考えられているということがあると。それゆえに、日本の法学研究者にとって、国内マーケットで通用することが大切であって、そのためには、外国の文献、特にドイツの文献を研究するということが若い時代に行われている。そして、そのままずっとそういう傾向を持ってきたということを指摘しておられます。

そこで、Zeitschrift fur Japanisches Rechtという独日法律家協会の書誌情報のデータがあるのですけれども、その分析をしてみる。どういう文献が日本人による研究がそこで出てくるかということを見て、それがスライド19番目にある表でありますけれども、全体として多くないんですが、それでもE-6、E-7というあたりはやや多い。E-6というのは民事法、E-7というのは知的財産法など、新領域法学と言われている領域で、ほかには基礎法などがかなりあるんですけれども、そういうことで、全体としては少ないが、その少ない中でさらに特徴は、その次のスライドで20を見ていただきますと、本文の19で解説がいろいろしてありますけれども、独日協会の書誌分析でも、E、F、Gは、英語、フランス語、ドイツ語なんですが、独語よりも英語による日本人の公表論文が多くなっていると。2002年あたりが境になっているんでしょうか、多いということがあって、英語の重要性がかなり感じられているということであります。

Web of scienceとgoogle scholarでもやってみたということで、それがスライドの21でありますけれども、ここで所属大学と専門分野が書いてありますけれども、商法など、民事法ですね、国際法、労働法も、先ほどの意味で言うと、ある意味で経済関係に深く関係しているわけですけれども、租税法とか、そういう領域が概して多い。しかし、Web of scienceで見ると、ご自分で論文を投稿している方の数は極めて少ない。この表ででているよりももっと多くの数を調べていますが、極めて少数の人が積極的に投稿しているにすぎないというのが現状です。スライド22についてですが、東京大学の方が多い。ビジネスローと国際法、基礎法学の分野。

それと、法学における国際的な発信といった場合に、今まではヨーロッパ語と英語のことを考えているわけですが、漢語圏との交流には個々で議論しているのとは別の性格のものがあって、韓国と中国の研究者は、日本の法学研究を日本語でかなりよく読んでおります。日本語で読んでおります。そのことは、先日、1カ月ほど前、私、中国の清華大学と中国社会科学院というところに行ったんですけれども、そこでも感じられまして、日本の司法制度改革などについては、大変興味を持って研究しておられるやに見えました。

それと、途上国への法制度改革への支援というのが30年くらい前から行われておりまして、ここでは、当該現地語のニーズと英語という相手国との間で共通言語になる英語と両方が必要のようですが、相当これは深く日本法が浸透した国がありまして、法学分野における国際発信の1つの形態であるということであります。

それと、法学では、23になりますが、インフラの問題が指摘されております。それは、日本の法律が英語に翻訳されたのは比較的最近であります。しかも、各省庁ごとに法令の翻訳があったもので、同一性が外国人からわかりにくかったということがありました。そこで、小泉内閣のもとで、法令の英文化作業が内閣府で開始されて、法務省が今引き継いで、現在では対訳辞書も整備されていて、かなりのレベルに達している。けれども、なお問題がある。それは、最高裁判例が法学の研究に非常に重要、最高裁だけじゃなくて、地方裁判所などの判例も重要なんだけど、この判例の英訳が最高裁だけであるということと、よそから聞こえてくる声では、判例翻訳の質のチェックがされているかということです。 それで、経済学に行きます。経済学は、ここに何人も大先生がいらっしゃいますので、ちょっと言いにくいんですけれども、報告の中身のご紹介をすると、日本における経済学者の国際化という問題意識は、日本の経済学者の中にはかなり古くからあった。例えば戦前1920年代に既に経済学の国際的な研究動向への関心は極めて高くて、そして26年に英文雑誌Kyoto University Economic Reviewが発刊されていて、柴田敬という方の研究などは、国際的にも注目されていたという指摘を執筆者はしておられます。

そして、その後は戦後ということになりますけれども、経済学については、国際貢献度とか、経済学の国際社会における文献の蓄積の傾向について、文献がかなりあって、池尾さん、川俣さん、佐藤和夫さん、武者小路さんなどの研究があるので、それを紹介するという形で書いておられます。

それで、その方々の論文や本を要約すると、ここでは佐藤さんの引用をしておりますけれども、数理・計量経済学に集中する傾向があると結論のところに書いておられる。そのことは、武者小路さん、池尾さんのものでも同じであるということで、理論的計量的なものが多くて、実証的なものが少ないとされている。この言葉の意味することが完全には私、理解していないんですけれども、そういうように書かれております。

この傾向は若手でも続いているということで、次のスライドで27のページですが、表を見ていただきますと、A、B、C、Dと、これは雑誌の名前でしょうか、ずっと書いてありますけれども、下にその雑誌名が具体的に書いてありますが、2005年から2009年の若手を見ようということですけれども、若手の見方は、北米で博士号を取得した者の中での日本人の割合というのを数年間で見てみるということで、ここでもC、D、E、Fあたり、網かけのところがやや多いというところですけれども、C、D、E、Fあたりが多いと言っておられます。

最後に、政治学に行かせていただきたいと思います。政治学は、戦後に発展した。戦前には言論の制約があって、権力批判はなかなかできませんでしたから、戦後のものであると丸山真男先生が戦後、いち早くお書きになったことがあります。そうしたら、戦前も捨てたものではないということで、蝋山政道先生という一世代前の先生が大反論をして1冊の書物をお書きになりました。

読んでみて、確かに戦前の政治学研究も相当頑張っているという感じがいたしますけれども、ここで関心のある国際発信という点からは、戦前においては、やはり法学に似ていまして、国立大学の政治学が法学部にあったということが、かなり法学に引きずられているという感じがしますが、外国の先端を知るということが重要なテーマであったのではないかなと、ミッションであったのではないかなと感じます。

ただ、戦前のものを見ておりますと、私個人が見ていたのでも、ドイツ語論文で尾高朝雄さんがウエーバー論を書いていて、それがレイモン・アロンさんに引用されていたりして、探していくとかなりあるんだろうとは思いますけれども、しかし概して国際発信は、戦後のものではないか。そして、戦前に研究が盛んであったのはドイツ語文献。戦後もドイツ語文献の研究は、ここにもいらっしゃる方などを中心に、かなりやってはいるんですけれども、英語文献の参照が圧倒的に多いと私は見ております。

そこで、私ども政治学の行いましたのは、Web of science、google scholarというのを一応信用してみようということにして、スライドの31、32あたりになるわけですが、日本人の数人の方に相談して、外国発信が多いと見られる方を一人一人検索していきました。そうしたところ、スライドの31で、これは日本人なんですけれども、こういう形で専門と所属を見ることができますが、論文掲載数ヒット、被引用数などが多いのは、一番トップで外国で教えておられる方で、非常にお若い方です。あとは、政治学者が見ればわかってしまうようなことですけれども、何人か続いて、4番目の方が丸山真男先生ですけれども、ウェブ・オブ・サイエンスでは、0、0と。ご自分で特に論文を雑誌に投稿されたことはないんだけれども、翻訳が随分引用されてまして、上位におられます。そして、このページに数人の丸山先生と近い方々がおられまして、すべて日本の近代化の問題というべきでしょうが、を論じておられている、それが戦後日本における国際発信の第一波だと思います。

この日本人の引用数が多いか少ないかをやはり外国人の場合と比べてみようというのがスライドの32でございます。一番多く引用される人を推測し、つぎのランキングの人を推測し、ついで日本研究者を加えてつくった表です。結論的に言えば、こういう外国人のヒット件数に比べると、日本人のヒット件数は非常に少ないということになります。

ですが、その日本人の場合は、ここでは28人取り上げているだけですけれども、報告書を見ていただくと、165ページから168ページですけれども、60人を調べておりまして、その中のどういう性格があるか、どういう分野なのかということを調べておりますので、ご関心の向きは見ていただきたいと思いますけれども、全体として、アメリカ人が多い。しかし、スウェーデン人などでも、ノルウェー人などでも、英語圏を舞台とするという決意でいる国では、代表的学者は結構多くヒットしています。ここではオールセンという方が出ているだけですけれども、すぐ次には、そういう方がかなり来ています。

60歳代のドイツ人という、もしかすると70を超えましたが、クリンゲマンとマックス・カーゼ、ご存じじゃないかと思うんですけれども、この2名を選んでみると、やっぱり相当多くて、日本人の同世代は、非英米のトップランナーと比べると及ばないレベルであるという感じがいたします。

しかし、国際化、私、自分の専門の領域なものですから、やや詳しく見たんですけれども、国際化の第一波、丸山先生たちの近代主義のグループだった。これは、1950年代、60年代、アメリカ政治学会、社会科学の全体かもしれませんが、近代化ということがテーマとして社会諸科学に共有されていて、その近代化の関心とぴたっと符合していたわけです。それが日本人の近代化論にも、日本語を勉強して研究しようという世代を生み出して、ちょうどそれが私の世代なんですけれども、私の世代の政治学者は、アメリカ人で日本研究をプロパーにしている人が20人ほどいるんじゃないかと思うんですね。非常に多かったです。それに比べると、今、中国のほうに奨学金やポストがシフトしていて、大変な違いがあります。

国際化第二波というのは、丸山先生たちのグループが必ずしも実証的ではない議論であったために、それはもっと実証的であるべきだという主張をした世代であり、これは私よりちょっと前の世代から始まって、外国留学をして、オーストラリア、アメリカ、カナダに留学をして、そうしてその方法論を身につけてきて、外国で教えたり、あるいは日本に帰ってきて論文をお書きになった方々であり、私どもの二、三年前にもそういう世代がかなりたくさんいるんですけれども、それが第二波である。

しかし、最近はまたちょっと違って、日本にいるか外国にいるか、どちらであっても、統計分析の改良だとか、理論ですね。経済学のレポートでいう「理論的な」研究に近い研究で活躍される方が、数は非常に多いわけではないですけれども、目立ちます。

そういうことで、政治学の報告は終わりたいと思うんですけど、2つの傾向がある。社会学に類似していて、ここに60人の中に入っていない有力な日本の政治学のレベルを高めたと思われる学者が大勢おりますので、また先端的な日本の政治学者でも、google scholarでも決して多くはない人で尊敬されている方が大勢いますので、政治学は分かれていると思われるわけであります。

しかし、私自身は、もう少し英語等、読まれるように、広く読まれるように研究すべきではないかという関心を持っているんですけれども、これが自然の勢いでどうなるか検討がまだつきません。

要約してみると、33ページ、34ページあたりなんですけれども、英語による国際発信の状況と書いてありますけれども、現況というぐらいの意味で要約してみると、東洋史は自信がある。しかし、将来に対しては危惧もある。社会学は2つの方向に分かれている。法学というのは、最高裁というところで行き着くと考える傾向があるんですけれども、だからそれを内向きにさせるんですが、法学の知識は漢語圏とかソフト支援とか途上国支援とか、あるいは日本の経済力を反映するビジネスローとか、そういうところで自然にかなりの研究者の数も結構大勢でありまして、自然にそっちへ向いていく面もあるかと思います。

政治学会は二分化していますけれども、若い方のほうを見ていると、注目すると、英語への関心は社会学より強いという感じがしております。経済学は、社会科学では私は先端的だと思っておりまして、政治学の数理的なところに傾斜していくあたりも、経済学を追いかけているのかなと感じておりますけれども、よくわかりません。

そこで、さらに英語発信をしていくためにはどうしたらいいかということについて、外国人にも聞いてみたり、5つの分野で議論をしておられるわけですけれども、日本では、学者が、「時間がまとまってとりにくい国である」とされています。面接時間とか行政的に使う時間とかサバティカルとか、そういうもののルールがもうちょっと整備されるといいなということがあります。

自然科学の研究論文数が最近少なくなっているという評判がありますけれども、政治学やその他の社会学、そういうことがあるかもしれないと思っております。しかし、政治学の分野で一番問題になったのは、英語で書くインセンティブがあまりないと言っておられる点であります。それは、海外で活躍してティーチングもしておられた方が、帰国後に英語で論文を書いているのがゼロであるという方が多いんですね。それはなぜか。その方に聞いたら、私は、海外では競争せざるを得ないので、必ずしも自分の、そこでなきゃやりたいわけじゃない、もっと広くやりたいんだけど、そこで自分の特徴が出たので、そこでずっと勝負している。しかし、日本に帰ってきて、ずっと広くやれるようになって、幸い幸せであるということを言っておられまして、そこらを含めて、インセンティブの問題があるかもしれないと思います。

全体としては、東洋史でご発言があるんですけれども、外国人教員を採用したらどうか、もっと採用したらどうかという意見も出ておりました。まとめの最後ですけれども、ここがいろいろ混乱しているところがあるんですけれども、拠点といえば、拠点に関心がありました。東洋史を昨晩、読み直しておりましたら、例えば中国の孔子学院などの例を挙げて、非常に国の力を背景にしながら、中国語という言語を広めながら、中国研究を外国に対して奨励していると。ゲーテインスティチュートもブリテッシュカウンシルもそうであったのかもしれないということで、そういう意味の現地で研究を支える拠点とかいう意味にもなるかもしれませんけれども、そういうことはあるかなという議論があります。

しかし、政治学や社会学では、国際ネットワークの中に入っているということが重要で、常に海外と交流していて、何がそれぞれのディシプリンで共通のクエスチョンになっているかということについての議論にいつも加わり、一緒にイシューをつくり出すところへ参加すること、そうしたネットワークで研究をしていくということが重要ではないか。それは、社会学や政治学のWeb of scienceやgoogle scholarの中で高いヒットをしている人の研究動向からも、そういうことが言える。

しかし、日本人に聞くと、旅費など、そう柔軟ではないんだということがある。あるいは、論文でかなり英語ができるようになっても、エディティングの問題などがあって、経費の問題などがあるということも言っておられまして、政府統計の公開など、インフラ整備ということがかなり重要だということ。

特に日本の政府統計、これは今のところで丸をつけて、別な話題になりますけれども、日本人による世界に社会科学上の貢献をするために、日本の政府統計をもっと公開すべきであるという意見が日本人にも外国人にもあります。どれを指しているかは人によって異なるんですけれども、そういう希望が出ております。

それと、日本語論文、学会誌や紀要などでいい、これをPDF化して、日本語で読む外国人も多いのだから、ネットで読めるようにすればいいじゃないか。それは、コストも少ないし、技術的にもそれほどのことはないということで、著作権の問題というのが大きいかもしれませんけれども、そういうことで、要約し切れてはいないと思いますけれども、とりあえずご報告を終わらせていただきます。

【樺山主査】

ありがとうございました。

日本学術振興会において行われた研究会のご報告をさまざまな分析のご意見も含めてご報告いただきました。大変身につまされる部分、随分ありまして、後ほどまた皆さんからいろいろとご意見いただきたいと思いますが、少し長くなりましたものですから、当初の予定どおり、10分ほど休憩をとらせていただきます。ただいま5時10分過ぎということですので、10分お休みをとりまして、5時20分に再開させていただきますので、少し時間が詰まっておりますけれども、有益なディスカッションができればと思っております。それでは、5時20分にお席にお戻りくださいませ。

( 休憩 )

【樺山主査】

それでは、5時20分に、時間になりましたものですから、再開させていただきます。

今までお二人の方から、それぞれの視点からご報告をいただきました。これをめぐりまして、順序を問わず、それぞれのご意見をいただきたいと思いますが、今、5時20分で、予定の時間の6時まで40分程度しかございませんし、また、その後、ほんのわずかですけど、いろいろご報告申し上げるべきこともあるものですから、大変恐縮ですが、10分間だけ延長させていただきまして、話が細かいですが、6時10分までお時間をいただきたいと思います。もちろん、所用がおありになります方は一向に構いません。遠慮なく立っていただいて構いませんので、6時10分まで時間をいただきたいと思います。別に部屋は大丈夫ですね。

【高見沢室長補佐】

はい。

【樺山主査】

ということで、ディスカッションに入らせていただきますが、先ほど申しましたように、順不同、テーマとしてはどちらからでも結構でございますので、自由にご発言いただきたいと思います。挙手の上で、お願いします。

それでは、大竹委員どうぞ。

【大竹委員】

山中先生と村松先生に、それぞれ質問とコメントがあります。

山中先生に2つ質問があります。1つは、海外経験とか国際的な経験を持った学生たちがなかなか就職できないということをお話しになりましたが、例えば、大学設置審や大学評価の評価基準の一つに、大学が教員採用の方針として国際的な経験をもっていることを重視していること、というものを入れるという案については、どう考えられるかというのが1つ目の質問です。

2つ目は、文理融合の非常に興味深い研究をご紹介いただいたのですが、あのような研究をなさったきっかけというのは何だったのかということです。資金が一番大きいのか、あるいはまた別のきっかけがあったのでしょうか。これは大変おもしろい研究だと思うのですが、そういうお金を中心に新しい研究分野ができてくるということはいいと思うのですが、そういうのをどんどん増やしていくような研究資金の配分というのがいいのかどうか。あるいは、そういうことをだれが判断するのかということに関心がありまして、もし伝統的な研究者の基準であれば、全く新しい分野というのを評価しない、別にそんなことはしなくていいではないかということになってしまうかもしれません。伝統的な研究者の中だけで資金配分のあり方を考えると、そういう資金は増やすべきでないというようになってしまいがちな気がするのですが、一体どのレベルで考えればいいのかというのをお聞きしたいと思います。

それから、村松先生のご報告については、感想というかコメントなのですが、特に、人文・社会科学では、外国で国際的に関心がある研究テーマと、国内で関心がある研究テーマが必ずしも一致しないということがあると思うのです。先ほど、社会学の先生が日本に帰ってきたときに、国際的な研究成果を発表されないというのは、そういう事情もあるかと思いますが、国内での関心が高いものであっても、国際的に出していくということは必要だと思うのです。そこにどういうインセンティブをつけていくかということが大事なのではないかと思いました。これは感想です。

以上です。

【樺山主査】

それでは、お答えというか、すべてにお答えいただかなくても結構です。時間の制約がございますので。まず、山中先生からお願いします。

【山中教授】

海外留学をした学生が有利になるようにというのは、学生たちの目線で、例えばそういう有利なことがあれば彼らも行くんじゃないかと思っただけで、私は大学の設置審や評価のことに関してお答えできるような見識を持っていないので、文理融合のほうをお答えさせていただきます。

私たちは、最初は仕方なく、上からの命令で、初めてお見合いのように理科系の人を連れて来られて結びつけられました。そのときは、科研費の書類を書いて、通らなくても、とにかく科研費の書類を出せば学内の資金をもらえるということで始めました。ただ、その後で、せっかく会ったんだからということで仲良くなりました。すぐ何かを始めるというのではなく、お互い自分たちがどんな研究をしているかという話を毎月の研究会で紹介しているうちに、あっ、これはおもしろそうだというものが見つかりました。それで、その段階では、私はちょっとお金に目がくらんでいたのですけれど、理系の先生が、「そんなことはパソコン1台あればできるんだからやろうよ」とおっしゃって、それで、最初は萌芽研究にトライしました。科研費の挑戦的萌芽研究ですと、ちょっと変わったものでも採用してくれるので。ただ、そのときも、多分、理系のほうに出すと通らないと思ったので、能のほうに出して、非常に安いお金で、3年間で270万ぐらいでしたけれども、そこで始めました。まずは出会いをつくったほうがいい、我々は出会えて良かったと思います。

【樺山主査】

村松先生、どうぞ。

【村松副所長】

大竹先生、すいません。インセンティブの問題を言っておられたわけですよね。もう一度言っていただけますか。

【大竹委員】

人文・社会科学の場合、日本国内で大事な問題と、外国から関心を持たれるようなテーマというのは必ずしも一致しないことがあります。国内で大事な問題だから日本語で論文を発表するのも十分な理由があると思います。日本国内だけで関心をもたれる研究テーマというのは、特に法学の場合に顕著だと思います。それが、今まで国際化が進んでいなかった理由として大きかったと思います。しかし、当初は国内だけで関心をもたれるような研究であっても、将来、海外でも重要な論点になってくる可能性があります。そのような場合、日本語で国内向けだけに発表されていると、将来、その問題が国際的に重要になったときに、せっかくの研究が埋もれてしまいます。その意味で、国際的な研究成果の発表は、長期的にすごく大事なことだと思います。また、日本の学会の国際的なプレゼンスを高める上でも大事だと思います。研究上は日本国内だけの研究発表で十分であるような研究分野であっても、国際的な舞台での研究発表をあえてさせるために、何らかのインセンティブをつけていく必要があるのではないかというのが感想です。

【村松副所長】

やはり私どもが調べた研究者集団ですと、インセンティブというのは、自分の見解が、論文の質が受け入れられるということを目指していて、そのオーディエンスが日本に限られているという伝統の中でやってきたので、その惰性のようなものが続いているということが1つあるわけですね。しかも、その中に社会学の場合など、ほんとに社会学をつくった方々が皆そうで、英語の論文を書いておられないんですね。それなら、それでいいじゃないかというマインドもつくられる、学会の評価基準もそうなる。先ほど能学で言われていたのもちょっと関係あるんでしょうけれども、そういう傾向が政治学にもあって、政治学はやはり経済学のようにはなっていないですね。

例えば、バブルなんかについて、日本人はよく知っていたはずなんですよね。情報を持っていた。しかし、まとまった本というと、私の見る限り、外国人のもののほうが多いかなという。バブル自体の本は多いんですけれども、1人の人が一定の仮説を持ってモノグラフィーを書くというところまでやっているのは案外少ないので、そういう日本人の社会学、政治学のほうの修練の問題もある。だから、ここは一歩超えなきゃいけないという議論もあって、例えば東洋史学などでは、英語のものは実証的な点で弱い。だから、それと一緒に評価されちゃかなわないと思いながら、同時に東洋史の人が、新しいパースペクティブを示すような研究方法があり、それは別のアプローチだと感じると、英語文献を読んで、そう言うわけですね。だから、そういうふうにやっていくことに興味を持って、しかし、そういうのは今までの教育と多分違って、そういう思考方法があるんだよというようなトレーニングの問題かもしれないというようなことを言っておられるんですね。

私のお配りした付録の2番目に、そういうことを言っておられる方の言葉を引用しておいたんですけれども、中国古代史の方がそういうことを言っておられました。ですから、お答えできているかどうかわからないんですけど、そういう事情のように思います。

【樺山主査】

ありがとうございます。

それでは、どなたでも。高山科学官、どうぞ。

【高山科学官】

村松先生にお伺いしたいと思います。いろいろ調査をしていただいておりますが、雑誌論文と書籍が当然対象としてあるわけですけれど、歴史の場合は、―私、歴史を専門としているんですけれど―、かなり書籍の影響力が大きいように感じているんですね。

そこで、1つ目の質問ですが、Web of scienceとgoogle scholarというのは書籍も含んでいるのでしょうか、それとも雑誌だけなんでしょうか。

【村松副所長】

Web of scienceは雑誌のみです。Web of scienceを運営しておられるエディターたちの基準で雑誌を選んでいるようです。google scholarは著作、書物が非常に広く検索されています。

【高山科学官】

ありがとうございます。

もう1つの質問は、雑誌を扱う場合なんですけれど、代表的な雑誌というのは当然、どこかで選ばなくちゃいけないんでしょうけれど、その場合に気になるのは、雑誌が持っている特性といいますか、ある傾向があったり、好みがあったりしますよね。その点をどのようにお考えになっておられるのか。

それから、もう1つ。雑誌のエディトリアル・ボードに日本人がどれぐらい入っているのかを知りたいと思うんですが、そういうことは調査には入っていなかったんでしょうか。

【村松副所長】

不十分で申しわけありませんけれども、調査はしませんでした。Web of scienceが自然科学系で使われていて、自然科学系でも、ちょっと偏見があり過ぎるとおっしゃる方が多いんですけれども、流通してしまっているので、とりあえずそれでやってみようと。しかし、我々が偏見を感じるなら、こういう委員会にぜひ、日本でも検索するのに便利なデータベースをつくるべきではないかというようなことを提案してこいと言った方もあります。とにかく、相当偏見があるとおっしゃる方は大勢います。

【高山科学官】

どうもありがとうございます。

【樺山主査】

それでは、鈴村委員、いかがでしょうか。

【鈴村主査代理】

村松先生の学振での調査について、まずは経済学の観点からコメントをさせていただき、後半のほうでは論点をもう少し広げたいと思います。最初、経済学プロパーのことですが、資料を拝見しますと、経済学のカテゴリーに関するところでは既に本の形になっているか、あるいは論文の形でサーベイされているものを要約しているという感じで、対象が非常に古いのですね。佐藤先生の論文は1971年ですから、すでに40年以上前に発表されている。こういう調査を現在行う際に、我々が関心を持つのは、まさに人社の現状での国際化の状況を確認して、これをどうすべきかということだろうと思います。ほかの文献を含めて、対象とされている研究は相当古いものに限られていて、現在の経済学者の活動の実感とは遠いということがどうしても気になるということを、念のために指摘しておきたいと思います。

次に、先生の表1の下のほうに並んでいる英文の記載は、雑誌名とたしかおっしゃっいましたが、これは雑誌名ではなくて……。

【村松副所長】

あっ、そうですね。

【鈴村主査代理】

分野をカテゴライズする場合に、アメリカン・エコノミック・アソシエーションが標準的に使っている分類ですね。経済学に直接関連する事項はそこまでにして、もう少し一般的なことにわたって、2点だけ申し上げます。

第1に、国際化という際には、外国の雑誌への日本からのパブリケーションということだけではなく、世界における国際的な研究活動に対する日本の研究者の貢献という次元も、やはり非常に重要であると思います。例えば、国際学会の組織化への貢献という観点も、ご調査いただくといいのではないかと思います。経済学に限って言いましても、例えば、Econometric Societyという代表的な国際学会のオーガニゼーションに関しては、早くから日本が主催者として開催努力を重ねてきていますが、これなどは研究のプラットフォームという国際公共財の供給に対する貢献として、重要性を持つ活動ではないでしょうか。また、International Economic Associationという名称のとフェデレーション・オブ・ナショナル・エコノミック・アソシエーションズという性格の組織がありますが、この組織の日常的な運営にも、3年に一度の世界大会の主催にも、日本の研究者は早くから貢献してきています。こういう次元もつけ加えて判定するという作業も、役に立つステップではなかろうかと思います。

第2に、例えば北米における博士号取得者数というインデックスにももちろん意味があると思いますが、これは外国における研究組織の活動から裨益してきた日本人がどのぐらいいるかという観点に絞られています。これに対して、日本人の研究者が外国の研究機関でレクチャーをしている事例もたくさんありまして、そのなかには外国の研究機関で博士号を取った人のみならず、日本の純国産の研究者が研究業績を評価されて外国の研究機関で教育に携わるという例も、いくらでもあるわけです。そういう側面を調査なさることにも意味があることを指摘させて戴きたいと思います。

以上です。

【樺山主査】

村松さん、随分いろいろなご指摘もありましたけれども、どんなふうにお考えになっていますか。

【村松副所長】

これは、各班でやるということでやってきましたので、多分に執筆者のご意向が反映していると思いますが、一応、池尾さんの2006年があるものですから、そこで確認されているということであれば、1つの傾向をずっと追っていて、確認されているかなと私は読んだんですが、国際的な研究組織づくりとかジャーナルとか、そういうものにどういうふうにかかわっているか、どの程度かかわっているかというようなことも、経済学では非常に大きいように、私、多少知っておりまして、思いますが、他の領域では少ないです。ほとんどないんじゃないでしょうかね。だから、経済学については、もう少し調査したほうがいいなとも思います。

【樺山主査】

じゃあ、ほかの委員の方。それでは、伊井委員からお願いします。

【伊井委員】

ありがとうございます。お二人の話をお聞きしながら、ほんとうに身につまされるような、我々はどういうふうに人文学というものを世界において位置づけるのかというようなことを深刻に思うわけでありますけれども、日本人の海外における研究の存在感といいましょうか、そういうものがお二人のテーマにもなっているんだろうと思います。日本においても、例えば文学部において、私なんか現職にいたころ、ドイツ文学だとかフランス文学の学生が非常に少なくなったというので、絶えず先生方は嘆いていらっしゃったわけでありますが、もう英語一辺倒になってきていると。

同時に、それは海外における日本研究者の層というものも関係するんだろうと思うんですね。それはかなり戦略性といいますか、政治的な関係、歴史的な背景があるんだろうと思います。例えば、ドナルド・キーンさんが、戦前において、ニューヨークで初めて日本の『源氏物語』のアーサー・ウェイリーの翻訳を見て、それに非常に心打たれたことにより日本文学に入っていったとおっしゃっています。キーンさん以外にも、サイデンステッカーさんだとかイギリスのミルズさんだとか、戦後の日本研究の錚々たる方々が、いずれも政治的な日本の戦略のもとで勉強していった背景があるようです。そこで、山中さんにあえてお聞きするのですが、非常に奮闘なさっていることがよくわかり、そこにはなかば使命感のようなものがあると思うんですね。そうすると、何のために本研究を世界に知っていただこうとなさる意図があるのかというようなことが1つです。

もう一つは、戦前における、例えば、町や村においても、謡を習ったり文楽をしたり歌舞伎を演じたりする文化がありました。そのような支持基盤が弱くなり、必然的に能楽への関心も薄れてきているのは確かでしょう。舞台における演劇という視点では、国の内外を問わず、共通した性格を持っていると思います。そのような立場からの研究、また演劇の普及も考えていかなくてはならなくなるでしょう。それとは別に能楽書とか能楽作品、タイラーさんの翻訳なんか出てまいりましたけれども、そういう翻訳をなさったり、能楽書の研究というものは、今、海外においてどのように位置づけられているのかというようなことも教えていただきたい点です。

村松先生のも、感想的には、私なんかもよく聞きますけれど、戦前においては、東洋史学というのは、中国研究を含めまして、日本の研究は非常にすぐれていたということです。それはまさに、最初に言いましたように、戦争とのかかわり、政策とのかかわりがあったのだろうと思います。そういう流れからしますと、欧米を含めて現在は圧倒的に中国研究が注目され、増大しています。これはかなり政策的といいますか、政治的な背景があるので、いかんともしようがないところもありましょう。それでも、どういうふうにプレゼンスを高めていくのかというお考えがあればお教えいただければと思っています。

【樺山主査】

だんだん難しくなってまいりましたが、初めに山中さんからお願いしましょうか。

【山中教授】

まず、何のために奮闘しているかということなんですが、私はやっぱり、能という日本の文化的な財産を絶やしてはいけないし、絶やさないためには、どこまでも広げていくことも大事だと思っているからです。政策という意味で言えば、欧米の大学でも、もともと日本文学の研究をしていた研究室が、「極東」の研究で一緒になり、それからアジア全体に関する研究室になり、「アジア、アフリカ」で一緒になり…と、どんどん日本文学の研究者の居場所がなくなっている状況で、もっと広く演劇とかダンスとかというところと含めて、能の研究が広がっていってくれればいいという思いもあります。

何年か前に、ヨーロッパもアメリカも、中国の文化にばかり興味があって、日本の文化の重要性が相対的に下がっていると聞ききました。日本の文化の輸出ということなら、能は売れると思っています。もちろん、能を愛しているということもあるので、やっぱりその研究を絶やさない、広めていきたいという思いはすごくあります。

それから、能の研究は、以前は外国人の研究への評価が低い部分もあったのですが、たぶんこれからはそんなことはなくて、留学生でも原点をどんどん読める人が多くなっています。日本人の学生からも、「あの人たちなら一緒に読んで、同じ土俵で闘える」と思われているような留学生が増えて、またその人たちが国に帰って、大学教員の職についたりしています。もちろん日本では、やっぱり書物の研究が王道です、能の場合。すべてお答えしたでしょうか。

【伊井委員】

はい、結構です。

【樺山主査】

ありがとうございます。村松さん、どうぞ。

【村松副所長】

研究の後ろに政治というものがいろんな形で存在しているというのは、そうかなと思います。それでも、学術的な研究の太い線はやっぱりあるんだろうと思うんですね。ただ、どういう政治状況か、政府が後押しするかということが、例えば、中国の孔子学院でもそうですけれども、アメリカの占領軍の中にいた人たちが日本の政治研究をその後やるようになって、かなり立派な研究者になっておられるとか、いろんなことがあって、政治的な背景を見逃すことはできないだろうと思うんですね。その辺の関係は、私はちゃんとした見解がありませんけれども、このデータを見ながら非常に感じました。アメリカが第2次大戦後、世界で唯一リーダー国家だったということで、アメリカでは、これから近代化する国々を射程に入れて、近代化という議論をしようとした。民間団体ですが、人社では圧倒的に重要なfunding agencyであるSSRCという組織で考えたんですね、学者たちが集まって。そこで、SSRCの資金の一つの重点を近代化研究におきましたので。それが日本研究を後押ししたと。そういうような経緯を、これを読んでいて何度も感じました。

【伊井委員】

ありがとうございました。

【樺山主査】

それでは、縣科学官から参りましょう。

【縣科学官】

1つだけ。資料1で、人文学・社会科学の国際化の推進ということがありまして、課題が上がっていますが、国際化というときに、必ずインバウンドとアウトバウンドがあると思います。今日のお話は、アウトバウンドのことが多くて、しかも、何をインバウンド、アウトバウンドするかというと、情報と人というものがあると思います。、そう見ると、従来は、外国の情報をインバウンドするという意味での国際化は日本は非常にすぐれていたけれども、それをアウトバウンドするのはだめだった。逆に、人としてはアウトバウンドしていくことが多かったんだけれども、人のインバウンドが少なかったという分析に立つと、それが正しいとすると、今後はやはり情報をアウトバウンドし、人をインバウンドするという、そういう理解でよろしいのでしょうか。しかし、従来、得意だったところは今後も維持する、そういう考え方でしょうか。そこのところをお教え頂ければ、幸いです。

【樺山主査】

おそらく皆さん、それぞれ違うお考えをお持ちでしょうが、今日はお二人においでいただいているので、お二人、どちらからでも結構ですが、いかがでしょう。

【山中教授】

能の研究の場合は、昔からたくさん外国人が来ていますから、それが先生のおっしゃるインバウンドということですか。その人たちが何十年も前に来て、勉強した人たちが帰っていって、自分の国で教えて、次の学生をまた日本に送り込んできています。それに対して、日本人は全然行ってない、出かけてないということで、あんまりそういうふうに考えてみませんでしたけれども、やっぱり日本人も出ていって、世界を見てきたほうがいいとは、私は個人的には思っています。ただ、さっきも申しましたように、そういうことをしていると、国文学の場合は、研究の大切な時間を失ってしまうという問題がある。情報はもちろんどんどん出していくべきだと思っております。

【村松副所長】

今のご議論で、理屈の部分と実態の部分といろいろあると思うんですが、実態で僕が聞いている話の1つは、外に出ていっている間に就職戦線でおくれをとるというような問題が最近はあって、なかなか出ていかないというようなことがあって、マーケットという問題が1つ、いろいろな形で働いているなと思うんです。教員市場ですね。

日本人の外国情報、あるいは外国人研究者との行き来、接点、そういうものは分野によってほんとうに違っていて、今日、時間をとって申しわけありませんでしたけれども、一応ご紹介はしなきゃいけないと思って、いろいろ言ったんですけれども、今、山中先生のほうで言っておられたような東洋史がそうなんですね。来て、お帰りになって、また来るというサイクルなのかなと。それは人と情報がつながっている。経済学では、世界の舞台で切れ目なくやっておられるように見えるんですね。政治学、社会学には壁がちょっとあって、そこでおっしゃるような議論を考えたくなるようなところなんですが、結論的なところは私には何とも言えないです。どういうふうに申し上げたらいいのか。

【縣科学官】

今後、この推進を図るというときには、どういう認識でいるべきなんだろうかということです。

【村松副所長】

推進の方向でみんな考えたいという、5分野ともそういう感じは持っていました。しかし、具体的な方法となると、いろいろのことがありまして、何より先に、強い東洋史のような分野では、日本人の研究情報が外にちゃんと出ていくという、日本語であっても出ていくということをどうやって確保すべきかというようなことで、もしかすると拠点という問題になるんですけれども、そういうセンターが必要かもしれない。それは国際化に役に立つだろう。また、受け入れるというときにも、センターというものが働くのではないかというような議論だったように思います。

経済学は、そういうことは考えておられないと思うんですね。政治学や社会学が、そういうことを考える価値があるところであって、どうしたらいいでしょう。

【樺山主査】

わかりました。池田科学官、どうぞ。

【池田科学官】

鈴村先生のご意見とかなりオーバーラップするので、ちょっとつけ加える部分だけ手短に申し上げます。

経済学の部分ですけれども、やはりお使いになっている資料がちょっと古いということです。特に最近のデータというのは、この報告資料の中でも参考文献として上がっているもので、例えば、二神、神谷、太田の論文は非常に網羅的で新しいデータですので、それをお使いになって更新されればどうかなと思いました。

多分、そこから出てくることはというのは、以前は確かに理論偏重というところがあったんですけれども、2000年、多分、COEが始まってからだと思いますけれども、かなり実証的な研究が爆発的に出つつありますから、そういう動きも、私が今申し上げました資料からは出てくるんじゃないかと思います。

それから、もう一つ、国際化ということをとらえる視点としては、国際誌の発行ということがあると思うんですね。特に経済学の中では、幾つかの成功した国際誌の例がありますので、そういった観点から何がよかったのかということを考えるというのも1つかなと思いました。

【樺山主査】

というご指摘ですが、特にありますか。

【村松副所長】

承りました。これ自体のプロジェクトは終わっているんですけれども、しかし、研究の動向は一種の仕事になっておりますので、学振の仕事の一部として続けてみたいなという気はいたしております。

【樺山主査】

今、村松先生からも話がありましたとおり、この研究はこれとして、もちろん報告書が出て完結いたしましたけれども、実は、先ほど、鈴村委員からもご指摘がありましたとおり、単に雑誌論文だけではないと。学会の組織化であるとか、さまざまな側面が国際化には備わっておりますので、いま少し広い角度から、データ集積や、あるいは、5分野だけではなくてほかの分野とか、さまざまな形での研究の続行ということがあり得る、もしくは必要だという感じがいたしますけれども、その辺については、よそのことを伺って恐縮ですけれども、学振としては、何かその辺のことはお考えになっていますか。

【村松副所長】

この5分野をやり始めたのは、もともと文科省からの委託事業なんですね。それで、それは重要な研究だから、こたえた人が引き受けてくださったわけで、かなり時間を使っているんですね。ですから、細目で考えているんですけれども、現在、もうちょっと進めるべきだという意見はお互いに言ってますけれども、時間を使うことですから、何か特別なプロジェクトにならないと、なかなか進めないんですが、でも、やらなければいけないという意識はあります。

【樺山主査】

そうですね。かなりの時間を必要としましたし、また、これを担当した方々は、何でおれがこんなことをやらなきゃいけないのかというご不満も当然あったんだろうとは思いますが、こうなってみると、やはりかなり有効な情報集積にもなりましたから、できることであれば、視角も変えながら、しかし、この延長を続けていただけたらなというのが私の個人的な感想なんですが。

【村松副所長】

承りました。また、その節はご支援いただきたいと思います。

【樺山主査】

どうぞ。田代委員。

【田代委員】

両先生のご発表をお聞きしまして、ほんとうに人文・社会科学の国際化というのがいかに難しいかという悲鳴のようなものを聞かせていただきました。特に東洋史と経済学というのが両極端にあるというのは非常におもしろい指摘でございまして、私、日本史をやっているものですから、東洋史以上に、東洋史よりももっと端っこのほうにある分野だと思うんです。

【村松副所長】

真ん中にいらっしゃる……。

【田代委員】

それで、お二人の発表を聞いて、この会議が文部科学省というところで行われているので、何か学術行政面、あるいは政策面でもっとサポートしていただきたいということを主張なさっているような感じがします。推進の方法をもっと考えたい、もっともっとやりたい。しかし、いわゆる大学とか研究所とか個人のレベルではかなり問題がある。資金的なものもそうだと思うんですが。何か拠点とか組織というのがもっと必要になってくるのではないかと思います。

私、つい最近、韓国に行きましたが、向こうはほんとにすごい、国から研究費が投下されておりまして、研究所がどんどんつくられています。例えば、日本研究についてもすごいお金がおりてきております人文・社会科学についてみますと日本の場合は、理系と比べまして、組織化のサポートが非常に弱い感じがいたします。唯一あるとすれば、京都に国際日本文化研究センターがございますが、それがもし関東のほうにもあれば、もうちょっと事情は変わってくるのではないかなと思います。

そういった感想を持ちましたが、そういう組織とか拠点とかというもののサポートが、これからおそらく必要になってくるのではないかと思いますが、いかがでしょう。

【樺山主査】

村松さん、どうですか。

【村松副所長】

ヒューマニティーズ・コリアというのですよね、今ご指摘のは。そのプロジェクトはやっぱり成功で、韓流をつくったのではないかという気がしますし、政策が領域の発展に貢献するということは明らかだと思います。だけど、そういうのはなかなか発言しにくいですけど、小型のものは、ヘディティングとかネットワークの旅費とか、そういうことはたくさん出てきている。大型の拠点というのは、なかなか大胆には提言できなかったですね。

【樺山主査】

多少時間がつらくなってまいりましたので、岡本委員、鶴間委員と続けてご発言いただきまして、その後にお二人からということにさせていただきます。

【岡本委員】

今、お二人の先生のお話をずっとお伺いさせていただきまして、私なんかは、立場上、ビジネスの領域で調査研究をやっておりますものですから、国際化といった観点は、いや応なくやらざるを得ないとなって、インバウンドにしろアウトバウンドにしろ、やらざるを得ないという状況で入っていくケースというのは結構あるんだと思うんですね。

他方で、文部科学省さんのほうでやっていらっしゃる国際化の推進という政策をやっていくことになると、今日のお二人の発表の中にもあったんですが、インセンティブが研究者の側にないところの領域において、国際化の推進をやっていくということを言われているような局面は非常に多い。一部の経済学なんかは例外でしょうけれども、そうでないところについては。そういうところを政策的に、私は、田代先生のおっしゃっている、箱物とかなんとかをつくれというところに必ずしも賛成するわけではない部分もあるんですけれども、やはり政策を打つときに、研究者の現場と政策を考えると、何かマッチングしてないような気がずっとしておりまして、極論を言ってしまいますと、人文学・社会学の振興イコール国際化ではないはずですから、国際化しなくても振興すればいいじゃないかという領域があってもいいし、いや、それは国際化しなきゃいけないという領域もあると思うので、その辺の扱い、村松先生は、すべての学問領域において同じように国際化という観点から報告書をまとめられていらっしゃるとは思いますけれども、そのような、コメント的になってはいないんですが、そういう気がして仕方がないので、結局、よく考えますと、研究領域がどういう対象で、その研究をしたときに、どういうふうにしたら情報が集まってきて、研究した後、どのようにそれが評価されるかというところに、国際化があまり関係なければ、それは十分振興しているんじゃないかなと思うので、そういう学問領域もあるような気がしております。水を差すような意見で申しわけないんですけれども、そのように思いました。

【樺山主査】

ありがとうございます。鶴間さん、どうぞ。

【鶴間委員】

私自身、東洋史ですので、今日のお話を聞いて、私の立場から意見を申し上げますと、この調査、岸本さんが中心になってやられたと思うんですが、最後に、東洋史においては「自信と将来の危惧」という問題が出されていますね。東洋史の研究者としては、国際化というのは当たり前ですね。つまり、外国史研究をやるには、現地に行かなくてはいけない。現地の人と共同研究もやらなきゃいけない。そのレベルでは国際化というのは当たり前ですけれども、されているわけですね。

ただ、ここで多分問題にされているのは、例えば東洋史でいえば、かつて自信のあった東洋史研究が、最近、非常に将来がどうなるのかと危惧をしている。それは現実に言えば、例えば、東洋史、私の場合は中国史ですけれども、中国がアメリカとともに大変重要な国であることは今認識されているんですけれども、じゃあ、中国に対して親しみを持つかどうかは別にして、専門でやる学生が実は増えているのかというと、どんどん減っている。それは、東洋史全体にも言えるんじゃないかと。アジアは大事だけれども、アジアを研究者として研究する環境にはなくなってきている。じゃあ、それをどうするのかというところでは、多分、我々の議論が生かされると思うんですね。じゃあ、どうすればいいのかというのは、これは先ほどから出ていますけれども、学問というのはその時代を反映していますね。例えば、明治のころに、あるいは明治以降に東洋史が非常に発展したのは、先ほどから出ている国家的な要請も多分あっただろうし、それがある意味では正しいと思うんですが、じゃあ、今の時代、アジア研究、中国研究がどういう形でなされるのかというときには、研究者レベルは一生懸命やっているんだけれども、それが社会的に重要性を理解してもらうためには、我々は何を戦略としてやろうかというところは、いろいろ戦略があると思うんですが、ただ、1つ、今日の山中先生のお話の中で、やっぱり日本研究者と外国研究者というのがちょっと違うのは、日本研究者は、黙っていても外国人が研究してくれる。それから、私どもの大学でも、一番グローバルな国際化をやっているのは日本研究者なんですね。例えば、日本美術をやる研究者が世界から来る。それから、日本語の勉強をする研究者、若い人は、今、ほっとけばどんどん来る時代ですね。ただ、そのときに、日本研究者というのは、もちろん開かれた先生もいますけれども、ともすると閉鎖的になってしまう。外から来るからいいじゃないか。それは逆に言えば、我々は外の人間でその国の研究をするわけですね。そういう立場にいるわけです。

そうすると、我々の、外国人の研究のレベルが、その国で生まれ育って、文化で生まれた人たちに匹敵するような研究というよりは、いろんな意味の研究のアプローチの仕方だとか分析の仕方で、現地の人と対等にできるような、そういうことを目指しているんですね。ですから、我々は中国人と同じように中国語をしゃべって中国文化に浸ろうとは思ってなくて、でも、中国人と競い合うような研究をしたいと思っている。それは何かというと、やっぱり研究のアプローチの仕方、方法論ですね。それで、彼らにないものを我々は提供できるという。それはおそらく中国史ではやってきているんじゃないかなと。そのことが、若い研究者に広がっていくかどうかは我々も悩んでいますので、これから考えていきたいと思います。

【樺山主査】

ありがとうございます。お二人にと言いたいところなんですが、実は時間がぎりぎりになってしまいましたものですから、今、お二人のご意見をそれぞれの形でもって受けとめまして、今後、可能なときに、また改めてこの議論を続けさせていただきたいと思いますので、この場の議論としては、ここでもってお開きにさせていただきたいと思います。恐縮ですけれども、そうご了解ください。

なお、一、二、ご報告とお諮りしたいことがございますので、まずは事務局からお願いします。

【伊藤学術企画室長】

時間も限られておりますので、簡単にご紹介申し上げたいと思います。

平成24年度の予算案についてということで、お手元にお配りしております参考資料3-1をごらんいただければと思います。3-1から3-4まで枝番を付しておりますけれども、文部科学省全体の予算という全体傾向と学術研究関係の予算、人文・社会科学関係の予算の簡単な現況ということで申し上げたいと思います。

まず、全体についてということでございますが、参考資料3-4をごらんいただければと思います。文部科学省関係の予算案のポイントということでございますけれども、こちらにつきましては、平成24年度予算額、5兆6,377億円ということで、大変厳しい財政状況におきましても、未来への先行投資という観点から、対前年度949億円増ということで、今、予算案を編成しているところでございます。

次に、研究関係ということで申し上げますと、戻りまして、参考資料3-1というところをごらんいただければと思います。大きく3つに分けておりますが、基礎研究の振興というところでご紹介申し上げますと、科学研究費助成事業、こちらにつきましては基金化を始めておりますので、予算額というよりも、24年度に助成ができる見込額というところでご説明申し上げますと、対前年比103億円増の2,307億円という形で確保できているところでございます。

また、24年度に関しましては、平成23年度に基金化が始まりましたけれども、新たに基盤研究(B)、若手研究(A)の研究費総額500万円以下の部分でございますが、こちらについても新たに基金化を導入することができたということで、これによりまして、基金対象種目が5種目に拡大、そして、新規採択の9割近くが基金という形になる状況にございます。

そのほか、研究基盤の整備状況ということで、そして人材育成というところについても3番目の柱でございますが、特別研究員事業、こういったものにつきましても、対前年比1億円増の181億円はじめとしまして、所要の額の確保ができているというところでございます。

続きまして、人文・社会科学の振興関係の予算についてご説明申し上げたいと思います。参考資料3-2でございますが、こちらに関しましては、科学研究費助成事業も当然、人文・社会科学の振興対象の予算という形で使われるところでございますけれども、人文・社会科学等の振興に特化した研究費ということでご紹介申し上げたいと思います。

こちらに関しましては、平成24年予定額全額で5億1,900万ということで、こちらにつきましては、継続予算というところが中心の確保になっておりますが、ただ、今、継続的に支援しているところに関しては必要な額が確保できるという規模の予算が確保できているところでございます。

あわせて、次に参考資料3-3でございますが、こちらは新規で確保ができたものでございます。2回前のこの委員会でも、概算要求の状況をご報告申し上げましたけれども、その際に申し上げた人文・社会科学を中心とした東日本大震災に係る学術調査についての新規予算という部分に関しましては、こちらは予定額7,300万ということで同額の確保が、今、予算案という意味ではできた状況でございます。

簡単ですが、以上でございます。

【樺山主査】

ありがとうございます。あくまで、これは予算案ですので、今後、ぜひとも文部科学省の関係部署におきましても、奮迅、努力をお願い申し上げたいと思います。大臣もおかわりになりましたものですから、改めて新しい展開を私どもも期待いたしております。

それから、もう1件でございますけれども、次回以降の予定でございますが、まだ皆さんにお諮り申し上げておりませんけれども、1件だけ、ここのところ、メモでお書き取りいただきたいのですが、次回になるか、あるいは次々回になるか、まだ未定なところはございますけれども、この件については決定しておりますので、お願い申し上げます。3月22日木曜日ということになります。午後3時-5時をめどに、事によると、それが4時-6時になったり2時-4時になるかもしれませんけれども、一応、3時-5時ということでもってご予定いただきたいと思います。

実は、これまであまり、こういう会には外国人の方をお招きすることがございませんでしたけれども、今回、ちょうどいい機会でございましたものですから、イリノイ大学のロナルド・トビさんにおいでいただきまして、外国の研究者から見て、日本の歴史学をはじめとする人文科学のあり方、あるいは課題について辛口のコメントをいただきたいと申し上げましたところ、ご快諾いただきましたものですから。ただ、この日でないとできないということもございましたものですから、恐縮ですが、皆様のご都合を伺う前に決めさせていただきました。3月22日木曜日の午後ということでもってお願い申し上げます。

その前にもう一回、2月に行うかどうかにつきましては、まだ具体的に検討中でございますので、決まっておりませんけれども、決まり次第、ご連絡を申し上げます。

ということでもって、今後、3回もしくは4回、7月に至るまで、もう少し集中的に議論しなければいけないと思っておりますので、ぜひともその辺も含めまして、お含みおきいただきたいと思います。

10分とお約束申し上げたのですが、十数分回ってしまいましたが、本日の委員会、これにてお開きとさせていただきます。ご協力ありがとうございました。

【伊藤学術企画室長】

資料に関しましては、お名前を書いて机上に置いていただければ、郵送等いたしますので、そのような取り扱いでよろしくお願いします。

本日はどうもありがとうございました。

 

お問合せ先

研究振興局振興企画課学術企画室

(研究振興局振興企画課学術企画室)