人文学及び社会科学の振興に関する委員会(第6期)(第2回) 議事録

1.日時

平成23年6月27日(月曜日)16時~18時

2.場所

学術総合センター 特別会議室

3.出席者

委員

樺山主査、鎌田委員、小谷委員、田代委員、岡本委員、金田委員、瀧澤委員、伊井委員、大竹委員、加藤委員、鶴間委員

文部科学省

倉持研究振興局長、戸渡研究振興局担当審議官、常磐科学技術・学術総括官、永山振興企画課長、田中学術企画室長、高見沢学術企画室室長補佐 その他関係官

4.議事録

【樺山主査】

 予定をしておりました午後4時、16時になりましたので、まだお二方ほどご到着になっておりませんけれども、おいおい見えるということでございますので、開始させていただきます。

 ただいまより、科学技術・学術審議会学術分科会、人文学及び社会科学の振興に関する委員会第6期第2回ということになります、を開催させていただきます。

 それでは、まず事務局から、配付資料の確認をお願い申し上げます。

【田中学術企画室長】

 それでは失礼いたします。お手元の議事次第のもとに配付資料を一覧にしておりますので、そちらをご参照いただきながらご確認をお願いいたします。

 まず資料1でございますが、前回の議論を踏まえまして、本委員会の審議事項例を修正した資料をご用意させていただいております。

 また資料2につきましては、5月31日の科学技術学術審議会総会におけます決定事項に関します資料を用意させていただいております。

 資料3でございますが、これも前回の会議でご議論いただいたものでございますが、24年度の概算要求を見据えまして、人社事業のあり方につきましての資料、多少修正したものを用意させていただいております。

 資料4につきましては、今後の本委員会の大まかな進め方につきましての資料の案でございます。

 資料5でございますが、本日、第4期の人社委員会の主査をお務めいただきました伊井委員のほうから、第4期の人社委員会の報告、あるいはそれを踏まえた課題等につきましてご発表いただく予定でございます。その関係の伊井先生の資料を用意させていただいております。

 また参考資料といたしまして、前回お配りさせていただいたものに多少データを加えました関連データ集をまた用意させていただいておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 なお、欠落などがございましたら事務局までお申し出ください。よろしくお願いいたします。

【樺山主査】

 ありがとうございます。欠落等がございましたら、その都度、お申し出いただきたいと存じます。

 それでは議事に入らせていただきます。本日でございますが、第4期の人文学及び社会科学の振興に関する委員会で主査をお務めになりました伊井委員でございますけれども、伊井委員から、今までの人文学・社会科学の振興についての議論及び討議等々の経緯についてご説明いただきまして、その発表を踏まえて、前回に引き続きまして、審議事項についての共通理解を図りたいと考えております。

 それをお願いしてございますけれども、その意見発表に先立ちまして、まず第1ですが、「人文学・社会科学の振興に関する審議事項例」、お手元に資料がございますが、これにつき、事務局から簡潔に説明をお願い申し上げます。関連する事項についての説明もあわせてお願い申し上げたいと存じます。それではお願いします。

【田中学術企画室長】

 それでは、失礼いたします。

 まず資料1をごらんください。この資料1につきましては、前回、審議事項例ということで資料をお示しさせていただきまして、ご議論をいただいたところでございます。特に審議事項例につきましては、第5期の審議経過報告、さらには第4期の人社委員会の報告に基づいて取りまとめをさせていただいたものを前回お示しさせていただいたところでございますが、前回、さまざまなご議論、あるいはご意見、ご質問を含めましてございまして、改めて、この審議事項例につきまして、より詳しい形で、例えばこの後ご発表いただきますが、第4期の人社委員会の報告にどのようなことが書かれているかということも含めまして、改めて審議事項例をより詳しく修正をさせていただいたものでございます。

 前回と同様、審議事項例、3点に整理しております。1点目が「人文学・社会科学の学問的発展」、いわゆる人社そのものの発展ということでございます。その中で、特に現状と課題というものを新たに加えさせていただいておりまして、これが第4期の人社委員会の報告、あるいは第5期の学術分科会の審議経過報告で言われている事項をより詳しく記述をさせていただいたというものでございます。

 例えば1の学問的発展のところの現状でいきますれば、欧米の学者の研究成果の学習や紹介が研究活動の中心となっていて、日本の歴史や社会に根ざした研究活動が十分とは言えないといったことが、第4期の人社委員会の報告などで、現状あるいは課題として指摘をされているところでございます。そういう現状・課題を明記した上で、前回ご提示させていただきました、その下の検討すべき事項、いわゆる審議事項例を改めて整理させていただいたということでございます。

 なお検討すべき事項につきましては、1のところにつきましては、一番上から4番目の・までは同様でございます。そして前回のご議論、ご意見を踏まえまして、一番下の・でございますが、「人文学・社会科学の特性を踏まえた研究評価のあり方の検討」ということを新たに加えております。この点につきましては、第4期の人社委員会の報告におきましては、いわゆる定量的な評価というものが人文学・社会科学については難しいという面もある中で、定性的な評価というものについて、そのあり方を検討していくことが必要であるといったことが提言をされているところでございます。そういった提言でございますとか前回のご議論を踏まえて、新たにこの項目を加えております。

 また2番目の「政策的課題や社会への貢献を視野に入れた人文学・社会科学の機能の強化」につきましても、現状と課題を加えて整理をしております。そして特に現状のところの第2段落でございますが、「さらに」という部分でございます。「さらに、東日本大震災の現状を踏まえ、『社会のための、社会の中の学術』という観点からも、人文学・社会科学の社会への貢献が求められている」ということを記述しておりますが、これにつきましては資料2をごらんいただけますでしょうか。資料2につきましては、これは今回の東日本大震災を踏まえまして、今後の科学技術学術政策の検討の視点につきまして科学技術学術審議会の総会で議論が行われまして、5月31日に審議会として決定をしたものでございます。いわば今後の、東日本大震災を踏まえた政策の検討についての視点というものを審議会全体として共有して、各分科会あるいは各委員会において、この視点も踏まえながら検討を行っていくということが示されているところでございます。

 ポイントといたしましては、第3段落、「その際」のところでございますが、これまで以上に社会のための社会の中の科学技術という観点を踏まえて、科学技術・学術の総合的な振興を図ることが必要であると。「特に」のところでございますが、特に自然科学者と人文・社会科学者との連携の促進には十分配慮することとするということが明記されているところでございます。

 そして、その上で5つの観点が示されております。特に本委員会にかかわるものといたしましては、2ページ目でございますが、2の「課題解決のための学際研究や分野間連携」のところにおきまして、これは先ほどの本文の総論のところにも示されているところでございますが、学際研究あるいは分野間連携という観点からも、自然科学者と人文社会学との連携の必要性ということが指摘をされているところでございます。こういったことも踏まえまして、お戻りいただきまして、資料1の現状あるいは課題、課題につきましては、2ページ目の(2)から(4)にかけましては、この総会資料も踏まえた観点も新たに入れているところでございます。

 その上で、その下でございますが、検討すべき事項の例ということにつきまして改めて整理をさせていただいております。基本的には前回資料で提示をさせていただいたものに多少の文言の修正をしているところでございますが、特に下から2つ目の「課題解決のための研究促進」のところにおきましては、先ほどの総会決定も踏まえまして、社会貢献の推進等の観点からの取り組むべき課題の検討、あるいは研究評価や成果発信の改善等といったことを括弧書きで明記をしているところでございます。

 そして3点目の「人文学・社会科学の国際化の推進」につきましても、現状や課題のところで、具体的なあり方、具体的に指摘されている事項につきまして明記をさせていただいた上で、国際的な役割・機能のために検討すべき事項の例ということを改めて整理をさせていただいているところでございます。

 以上が資料1、2の説明でございます。

 なお資料3につきましては、前回ご報告をいたしましてご議論をいただきました課題設定型事業のあり方の、特に競争的資金の見直しなどを踏まえて、24年度概算要求に向けた方向性ということにつきまして、前回のご議論を踏まえまして、多少文言の修正はしておりますが、基本的には前回ご議論いただいたものと同様のものでございます。前回ご議論をいただき、一定の方向性につきましてご了解をいただいたと認識をしておりますので、改めてこの資料を提示させていただいた上で、今後、概算要求に向けて取り組んでいきたいと考えているところでございます。

 続きまして、資料4でございますが、これは今後の本委員会の進め方につきまして、大まかなスケジュールを整理させていただいたものでございます。まず前回と今回の2回でございますが、審議事項例ということを中心に、第4期の人社委員会の報告の課題なども踏まえながら、全体的な審議、全般についてご議論いただきたいと考えております。その上で、その審議事項例に基づきまして、それぞれのいわゆる各論につきまして、年内を目途に、ヒアリングも含めまして、それぞれの事項について審議を深めていくということを考えております。

 その上で、「平成24年」と書いているところ以降でございますが、23年度中に中間まとめといったものを取りまとめて、24年の夏ごろ、いわゆる次の概算要求に向けて最終まとめというものを取りまとめていきたいと考えております。

 事務局といたしましては大まかに以上のような進め方を考えたいと思っているところでございまして、この点も含めましてご意見をいただければありがたいと考えております。

 資料1から4までの説明は以上でございます。よろしくお願いいたします。

【樺山主査】

 ありがとうございます。資料3につきましては、前回の会議でいただいたご意見を踏まえて、文言等を若干の修正をしていただきました。方向性につきましては前回の会議で確認されておりますので、特段ご意見がなければ、課題設定型事業の改善等につきましてはこの方向で進めていきたいと存じます。

 まだ会が、全体としてこの委員会が始まったばかりでございますので、全体の見通しにつきましては、それぞれ皆さん方、確実なものをお持ちになっていない、実は私も持っていないのですが、ということでございますので、おいおい、議論を進めながら、全体として整合的な形に進めていけばと考えております。これはあくまで出発点であり、これが決着点、ゴール地点ではないのだとご理解いただきたいと。出発点がなければならないということと、また前回、第4期、第5期以降の経緯に基づいてこの第6期があるということで、一応これを前提、念頭に置きながら今後の議論をお進めいただきたいという趣旨でございまして、すべて物事が決まったというわけではないということは、当然のことでございますけれども、ご確認いただければと存じます。

 なお、今、ございましたとおり、資料2、3、4ですか、それぞれ資料がございますけれども、いずれも以上のような、これまでの経緯、あるいはほかの委員会、上部委員会との関係でもってでき上がっておりますけれども、あくまで当委員会としてどのような形で進めていくかということは、おいおい、議論の過程でもって固まっていくものだと考えておりますので、その点につきましてもご確認いただければと存じます。

 また、資料4にございます人文学及び社会科学の振興に関する委員会の進め方でございますけれども、これも、進めたいという趣旨はよくご理解いただけるかと思うのですが、年内につきましても、各論についての意見発表、検討とございます。あるいはまた平成24年につきましても、中間まとめ及び最終まとめについての検討等が記載されておりますけれども、どこまで、どんな形で進むかということはやってみなければわからないというのが率直なところでございますので、一応これをめどに進めさせていただきたいと。その間に、私といたしましては、また今後、皆さん方とさまざまな形でもって調整を図りながら、この進め方を具体化していきたいと考えておりますので、差し当たりはこうした方向で進めるということでもって、緩やかなご理解をいただきたいと考えております。

 以上でございますけれども、特に何か、特段のご意見等はございませんでしょうか。

 ありがとうございます。それではそのような方向で進めたいと存じます。先ほど申し上げましたけれども、特に資料4につきましては、おおむねですが、このような方向もしくは形で検討の順番を頭に置き、本委員会を進めていきたいと考えております。よろしくお願い申し上げます。

 それでは、先ほど申しましたが、今回は、前々期ですか、第4期の人文学・社会科学に関 する当委員会で座長をお務めになりました伊井委員……、イが4つ続くんですね。無駄事を申しましてすみません。人文学・社会科学を取り巻く問題点等々、第4期の議論等々も前提に踏まえながら、ご報告をお願い申し上げたいと思います。一応めどとしては30分程度ということでお願い申し上げ、その後、皆様からご質問なりご意見なりを賜るということで、本日は進めていきたいと存じます。

 それでは伊井委員、よろしくお願い申し上げます。

【伊井委員】

 それでは、失礼いたします。

 今後の方向を考える1つの参考としてお聞きいただければと思っているわけでござい(おり)ますが、資料5に1枚だけの資料を一応用意いたしました。それを参考にしながら、しばらく話をさせていただこうと思っております。

 まず経緯ということにつきましてそこに書いておりますが、第4期の科学技術・学術会議におきまして、それまでの日本の学術研究のあり方、具体的な施策とか提言等につきまして審議をしてまいりましたが、人文学・社会科学についても論議されてきたとはいえ、社会的な重要性にかんがみましても、さらに別に委員会を設置しようではないかということになりました。その結果、人文学及び社会科学の振興に関する委員会が平成19年5月に設置されたという次第です。それ以前の平成19年2月からは、学術分科会で、この委員会の設立についての内容等が審議されまして、5月に発足することになりました。

 この委員会は、具体的には、2年足らずのうちに24回会合を持つというかなりハードなものでした。そのほかにも別に学術分科会は継続して審議していましたので、私は両方に出ておりましたものですから、折々に、その人文学の委員会の途中経過だとか審議状況を報告しまして、助言などもいただいたところでした。

 人文学及び社会科学の研究のあり方につきましては、ゼロからするのではなく、既に学術審議会におきまして、長期間にわたる専門家によります討議や審議の経過がありました。その蓄積結果や経過を受けまして、私どもは人文学及び社会科学の振興に関する委員会を発足させた次第でありました。

 やはり現在の研究の現状を知る必要があるということで、1年目は社会科学、2年目は人文学を中心にして、各界の専門の研究者をその委員会にお招きいたしまして、現在の所在、提言等、さまざまいただきました。数例示しますと、例えば社会理工学だとか、経営学だとか、イスラム研究、心理学、哲学、外国文学、日本研究、政治学といった、それぞれの最先端の研究の方々にご発表いただきまして、詳細にお聞きすることができました。当時の委員は20名いたのでありますが、異分野の勉強もしながら、この委員会をしたわけでありますけれども、私どもは内容の深い理解はできませんでしたが、それなりに共通する研究の課題とか問題の提示をしていただいたわけであります。これらの意見や提言をまとめたのが先日配付していただきました「人文学及び社会科学の振興について」とする報告書であったわけです。

 第5期科学技術・学術審議会では、この委員会は準備できないままになっていたようですが、今の第6期の審議会におきまして継続することになったものと思われます。科学技術・学術審議会おきましても審議されている内容を、なぜことさら別の委員会を設ける必要があったのかというのは、それだけ日本の学術研究の分野におきまして、科学技術、この用語は初めから問題があるわけでございますけれども、その科学技術の研究に比しまして相対的に低下しているという認識は、もちろん人文学・社会学の方も深刻に思っていますが、多くの自然科学の研究者からも提起されていたというところもあったわけです。

 科学技術の分野は、基礎学は別にしまして、共同による研究体制、それは世界規模であるのですが、膨大な費用を伴います。国の政策ともかかわることが多々あります。現在問題になっております原子力政策、また人類の夢を託すような宇宙工学、海洋開発、新素材や医薬品の研究など、さまざまあります。しかもそれらは、文部科学省の範疇だけではなく、省庁を超え、また企業の収益とも密接にかかわりますだけに、さまざまに資金が投入されていくわけであります。

 目に見える成果が生まれることもありますだけに、国民はそれなりの予算の投入を容認しますけれども、これが人文学や社会科学になりますと、国民的な合意とか理解を得るのは容易ではありません。それだけに、予算措置にしましても埋没しかねませんので、文科省の1つの提言としましては、この研究分野をどのようにすべきなのか、国民にも理解していただき、具体的には財務省への予算要求の正当化を図り、研究者に付託し、社会への還元等もして、国内外の現代、さらにはその将来の世代へも継承していきたいというのが本来の目的でもあるだろうと思います。

 それで、前回配っていただきました報告書の内容の概略を申し上げますと、2年前の1月に答申しました報告書は全体4章から成っておりました。第一章は、「日本の人文学及び社会科学の課題」としまして、研究水準、研究の細分化、学問と社会との関係などを取り上げました。前回の委員会で、研究の細分化は当然ではないかとの発言がありましたが、それは言うまでもなく当然でもあります。これは科学技術の自然科学でもそうでありまして、人文学などでも細分化し続けております。そうでなければ学術雑誌に発表することもできませんし、研究者としても認知されることはなかなか容易ではありません。

 それは、前回申しましたように、人文学の場合で申しますと、現在、充実しつつあります科学研究費だとか、所属する研究機関を通じて、限度はありますけれども、新しい発想と独自の研究成果を発表していただけるようになっているのでないかと思います。国際性という話題にしましても、別に海外で発表し、認知されればよいと言っているわけではなりません。またこれは後に述べることにいたします。

 第二章としましては、「人文学及び社会科学の学問的特性」としまして、対象、方法、成果、それと評価の問題を取り上げました。科学技術であれば、直接的に人間の健康や福祉に役立ち、社会の効率化に貢献し、そこから次のステップへと進むことができるわけであります。それは熾烈な競争であり、先進性が求められてもいます。

 しかし人文学・社会科学は、それとは世界が異なります。紀元前のギリシアのプラトンを今でも読んで、そこからさまざまな教えを受け、日本でも奈良時代の万葉集を味わい、現代の人々の感動を受けるわけであります。経済は、過去の事例を参考にするとはいえ、失敗は繰り返し、経済政策は必ず正しいわけではありません。法律でも、時代によって、国によっては異なりますし、判例を基本にするといいましても、全く同じ事件が生じるわけではありませんので、そっくり適用できるわけではありません。この研究分野は、すべて対話をしながら進めていると言えるだろうと思うんです。

 そのような前提のもとに、第三章は、人文学及び社会科学の役割・機能についてまとめました。これには、どの研究分野でも同じなのでありますが、学術的な役割・機能と、社会的な役割・機能があります。評価にしましても、あくまでも現在の研究集団の体制による評価でありまして、科学のような絶対的な今の評価ではありません。社会的な評価・機能となりますと、研究成果が社会に還元されることもありますし、社会現象が研究に問いかけることも多々あります。

 科学技術と相互補完しながら、環境問題、貧困問題、社会福祉の問題なども解決していかなければなりません。例えば3月11日に東北大震災が発生し、悲惨な状況が生まれています。国や行政組織も全力を挙げて支援活動や復帰を目指していますが、それとともに、ボランティアの人々の献身的な働きも注目するところであります。

 西洋では義勇軍などもボランティアの1つですし、日本でも古くから自治組織がありました。ただ、この言葉がクローズアップされるようになったのは、日本では1980年代になってであります。とりわけ顕著になりましたのは、1995年1月の阪神淡路大震災以降のことでありまして、大学でもボランティアの講座が設けられ、参加者にはキャリアとしての単位認定、企業もそのための休暇を与えるという社会現象もあらわれたわけであります。

 これはやはり人文学・社会科学の分野の問題でもありまして、対話によって多くの人々の教養を高めていった背景があるのでありましょう。異なる価値観を結びつける役割、それが対話であります。高等教育や生涯学習の実現でもあるわけであります。

 具体的な行動を起こすだけではありません。震災直後に、盛んに1つのコマーシャルが流れました。そこにも挙げておりますが、金子みすずの詩によります「こだまでしょうか」、「『遊ぼう』っていうと、『遊ぼう』っていう」といったものでしたし、あるいは「『こころ』はだれにも見えないけれど、『こころづかい』は見える。『思い』は見えないけれど、『思いやり』はだれにでも見える」といったフレーズであります。

 また、永六輔作詞・中村八代作曲の「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように」とか、「見上げてごらん、夜の星を」といった歌でありました。それは音楽の力、言葉の力でもあるわけであります。自然科学にはあり得ない、社会の不安をいやし、人文学特有の力を持っているわけであります。まさに人文学は、社会への貢献を言葉によって、音楽によって果たしていると言えるだろうと思います。それがまさに対話であるわけであります。

 このような背景のもとに、第四章「人文学及び社会科学の振興の方向性」としまして、対話型の共同研究、政策や社会の要請にこたえる研究、卓越した学者の養成、研究体制、研究基盤の整備・充実、成果の発信、研究評価の確立などにつきまして、具体的に提言をしていきました。政策や社会の要請というのは、これでは研究が受け身ではないかとの意見も前回ありましたが、人口減に伴う社会問題をどうするのか、高齢化社会におけるあり方1つにしましても、人文学・社会科学の果たさなければならない課題は多いはずであります。

 6月9日に、バルセロナでのカタールニアの国際賞の受賞スピーチで村上春樹は、効率化を求め過ぎた結果が原発問題の根底に存することを述べました。世界の幸福度指数におきまして、国民の95%が幸福と感じているのがブータン、日本は95位だそうです。経済大国と言われてきました日本、現在は中国に抜かれて3位になっているようでありますけれども、確かに生活は便利で、いつでも電化製品は使用でき、飛行機や新幹線で移動もできます。これほど低い幸福度とは何なのでありましょうか。効率の悪かった江戸時代のほうがまだましだったのではないかとも思うほどであります。

 自然科学は真実の探求に努め、絶対的な1つの存在を求めるでしょうが、人文学・社会科学の場合は、答えは複数か、さらには無限に存在するわけであります。それをどのように現在の問題に意識化して人々に提供し、選択してもらうか、それは私どもの責任でもあると思います。

 それで、研究推進事業の具体化について申し上げますと、前回の報告を受けまして、文科省としましては、その具体的な実施におきまして、国際共同に基づく日本研究推進事業の予算項目を立てていただきました。そして予算化されました。早速公募しましたところ、各研究機関から多数の応募がありまして、その研究計画を詳細に読ませていただきました。最終的には6チームのヒアリングをしました結果、「欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料とそれによる日本及び日本観の研究」、もう一つは「ボストン美術館所蔵日本古典籍調査」、3つ目が「日本サブカルチャー研究の世界的展開」の3件を採用しました。

 これらは、単に海外に所蔵されております日本の美術品を調査するだけではありません。今月8日、たまたま「NHKスペシャル」では、「浮世絵ミステリー」という番組で、ギリシア国立コルフ・アジア美術館に所蔵されております肉筆の東州斎写楽によります扇面画の発見が紹介されていました。これまで知られていなかった貴重な存在で、日本とギリシアの研究者が共同で調査しておりました。共同によって研究することが大切で、これにより、日本の絵画や、さらに文化にも地元が関心を持っていくことでありましょう。欧州の仏教美術の調査にしましても、リーダーが外国の方であります。日本と海外の大勢の研究者によります共同チームであります。

 ボストン美術館の書籍調査でも、若いアメリカの研究者が加わっております。

 日本のサブカルチャーは、日本の漫画のフランスにおける調査研究です。

 個人個人はそれぞれ詳細で、極めて専門的な研究をしているわけでありましょうが、前回、私どもが報告書を作成し、それを受けて文科省で予算化し、公募されましたことによって、多くの研究者は国際的に共同して研究課題を応募されたわけであります。

 このような研究は、成果が出たとしましても、すぐに社会の役に立つとか、人間の幸福につながるものではないかもしれません。しかし、そのような連携を図って研究し、情報を発信することは、対象物との対話であり、社会への対話を呼びかけることにもなるわけであります。

 これは、個人的な研究振興の方向性としてそこに書いたわけでありますが、そこにコピーもいたしましたが、私の手元に、つい先日、『TOSA MITSUNOBU』という大型のカラー写真入りの多数挿入されました300ページ近い本が送られてきました。メリッサ・マコーミックという、ハーバード大学の中堅になりましたか、日本美術史の女性の方の研究成果であります。土佐光信という江戸期の絵師の作品研究、絵巻や屏風等でありますが、私はたまたま古くから知り合っておりましたものですから、このような成果が生まれたことが大変うれしく思いました。

 アメリカではまだ日本研究は盛んでありますが、ドナルド・キーンさんは今年90歳になられます。ご健在とはいえ、サイデンステッカーさんは4年前に86歳で亡くなりました。戦後、きら星のように多数いました日本研究者は少なくなり、とりわけ日本の古典文学を研究する方は激減されているわけであります。

 もう30年ぐらい前になるでしょうか、私は数カ月、オーストラリア国立大学に招かれて滞在し、その間、キャンベラだけではなくメルボルンとかシドニーにも出かけまして、日本研究者との交流を持ちました。研究集会にも参加しました。それほど数多く、院生も研究者もいたわけでありますが、現在は消滅したのではないかと思われるほどいなくなってしまいました。研究機関も廃止されている大学もあります。それは、逆に言いますと、中国研究にシフトしてしまっているわけであります。

 日本の場合は、近年は様相が異なってきていますが、1つの講座が設立されますと、学生は少なくても、学問の維持ということで、予算も一応そのままつき、研究室も存在し続けますけれども、西欧では改廃、やめたり新しく起こしたりすることなどをいとも簡単に進めているわけであります。

 このような日本研究の減少はヨーロッパでも著しく、イギリスも、私どもの知っている研究者が退職しますと、後任を採用しないで、別の専門家を入れています。オランダでも、イタリアでも、フランスでも、ロシアでもそうで、同じ分野の研究者が数人か、ほとんどいなくなったと、それぞれの国の方が嘆いていらっしゃいます。

 このような傾向は日本の大学でも同じことで、私がいた大学の文学では、フランス文学とかドイツ文学の講座はだんだんと希望する学生が少なくなり、哲学でも、インド哲学とか中国哲学は、1年に学生数がほとんどいなかったり、1人から2人という傾向もありましたが、それは仕方のない趨勢でありましょう。それでも古い大学や私どものところでは、全体で支え、学問の継承を維持してきました。しかし新しい大学になりますと、学生獲得のために、そう言っておれない状況でもあります。

 日本研究の国際化というのは、研究が国際的に認知されるというだけではなく、日本研究の人口を増やし、特別な研究ではなく、ありふれたことにすることであります。このような国際支援の研究を海外の方と共同ですることによって、関心を高め、そのすそ野を広げていくことであります。

 研究の細分化は当然であり、それがないと研究の進展はあり得ません。しかし、日本の携帯電話のガラパゴス化というのが言われますけれども、内向きの志向とともに、広く見渡すことのできる人材も養成しなければなりません。私の文学の分野で申しますと、あまりにも詳細なことをしていますと、それなりに成果は上がっているわけでありましょうが、それが理解できるような人は数人しかいないといった実態もあります。大学教員の採用としましては、そのように専門過ぎると、審査する者も評価できないと敬遠されかねないわけであります。かといって、一般的なことだけをしているのがいいかといいますと、また別になってまいります。深い専門研究者であるとともに、教養人であることが求められているのだと思います。

 これを1つの例として挙げましたように、幾つかのこれらは繰り返す論議になりますけれども、思いつくまま5つのテーマを挙げておきました。例えば、人文学・社会科学研究の活性化の方策としましては、これは自然科学でも同じでありましょうけれども、人文学・社会科学ではなおさら必要なことと思いますが、例えば安永8年、1779年に平賀源内がエレキテルを用いたのは歴史的に画期的なことだとしましても、現代からしますと、まさにおもちゃのようなものでありましょう。ところが、ほぼ同じ時代の本居宣長の『古事記伝』は、今なおこれを読み続けておりますし、人文学の研究の分野につきましては、この『古事記伝』を超えるものは現在でもないわけです。

 あるいは、科学研究費との役割分担でありますけれども、科学研究費は、他の費用に比較しますと増加していると言えるだろうと思います。それなりに自由度も増しています。もちろん審査員がいますので、あまりにも奇抜過ぎるのは採用されないかもしれませんが、個人とか共同のアイデアによります研究は自由にできるはずであります。それと国の施策としての研究振興費用は、おのずからそれぞれの目的を持ち、その方向に研究の振興を図る手段と思います。それがこのような委員会の答申によってどれか1つでも予算化されることは、研究水準を全体として維持し、高めていく効果にもなるだろうと思います。

 3つ目としましては、研究の次世代への継承ということであります。現在、深刻なことは、学部卒でありましょうが、就職浪人という言葉があります。大学院の博士課程の修了者などはポストがなくて、ほかにつぶしがきかないため、アルバイトとか非常勤で過ごすしかないありさまでもあります。そりわけ私立大学は、人文学や社会学の学部とか専攻を時代に合わせた学部などに編成がえし、そのために教員を必要としないため、ますますじり貧になっていきます。

 そのような様子を下級生は目の当たりにしますものですから、そのような苦労をするのであれば進学もしないでおこうと、優秀な学生は早く別の世界に向かっていきます。これでは研究水準を維持していく研究者養成の道がふさがれてしまいます。極めて憂慮すべき状況になっているだろうと思われます。

 そういう意味で、4番目としまして、研究者養成ということが急務だろうと思っているわけであります。これまでと同じようなレベルを維持するか、大学院の研究水準、現在の大学がすべて同一レベルとは言えませんけれども、これも何とか維持をしていかなくてはいけないと思っているわけです。そのためには、大学院の修了者のポストをどう確保するかということは国の施策としても考えざるを得ないだろうと思っております。

 5つ目としては、これは先ほど言ったことと同じでありますが、国内外の研究者への支援でありまして、昨年度の研究振興にも通じますし、先ほどの土佐光信の研究も、その証左であります。日本という存在、また社会や文化がいかに尊敬され、研究の対象となるかは、今後の国際化において重要なことになってくるだろうと思います。日本研究というのはごく当たり前の研究になるということでありまして、受動的ではなく、また積極的に、我々も情報を流していく必要があるだろうと思うわけであります。

 私としましては、このようなより広い人文学・社会科学という視点で、この委員会の討議を深めていくのが1つのあり方を示すものではないかと愚考しているわけでございまして、過去の経験者として、おおけないことでありますけれども、申し上げたという次第です。

 ということで、ほぼ30分ということで、失礼いたします。

【樺山主査】

 伊井委員、大変ありがとうございました。既に前回からご説明申し上げておりますけれども、当委員会は前回第5期に存在いたしませんでした。4期から間が飛んだものですから、基本的にはいわゆる継続性が十分図られていなかったというのは残念でございますけれども、引き継がれず、したがって間があいたまま、実は私ども、この委員会に出席をしているということで、大変心もとない思いをいたしておりました。実は私も第4期にゲストとして伺ったことがあるだけでございまして、全体の議論の方向であるとか雰囲気も含めて承知をいたしておりませんでしたものでしたから、ただいまのご報告を伺いまして、大変時間をかけ、しかも大変な回数をあわせ、ご議論いただいたということがよく理解できたように思います。

 それでは、今、ご報告いただいた事柄を中心といたしまして、時間の許す限り、フリートークをお願い申し上げたいと思いますが、既に幾度も申し上げておりますとおり、私どものこの委員会、少し長目のスパンの中で物事を考えておりますので、多数決で物事を決するというような進め方ではなくて、時間をかけ、さまざまな観点から、それぞれ皆さん方の自由なご発言をいただきながら、全体として具体的な方向を見出すことができればという、そんな進め方を考えておりますので、どうかよろしくご理解のほどをお願い申し上げたいと思います。

 それでは、ただいまのご報告でございましたので、これらについてご質問、ご意見等を自由にいただきたいと思います。なお、先ほど資料をご紹介申し上げましたけれども、その中の資料2がございます。お手元をごらんいただけますでしょうか。「東日本大震災を踏まえた今後の科学技術・学術政策の検討の視点」ということでもって、審議会総会で決定されたものがございます。ついこの前、5月31日に決定されたものでございますけれども、具体的にどれこれということではございませんが、この趣旨等も念頭に置きながらご議論いただくことができればと考えております。

 それでは、たっぷりと時間もございますので、さまざまなご意見を遠慮なく、場合によっては脈絡がなくても結構でございます、ご発言いただくことができればと思いますが、今、伊井委員のご報告につき、いろいろな角度からご発言いただければと存じます。いかがでしょうか。どうぞ、挙手の上でもってご発言ください。

 伊井先生、既に皆様にお配り申し上げておりますけれども、第4期の報告書がございます。かなり大部なもので、これを全部読むこと自体がなかなか大変なのですけれども、大変周到に作成されたものでございまして、できれば皆さん方、すぐとは申し上げませんけれども、お時間がある折に全体を見渡して、きょうのお話の具体的な内容もそこからくみ取っていただければと考えております。その辺もよろしくお願い申し上げます。

 どなたでも結構です。ございませんでしょうか。それでは大竹委員からどうぞ。

【大竹委員】

 伊井委員から前回の報告書の精神と背景を丁寧にご説明いただきまして、よく理解できました。全体の趣旨には、同意できる点も多い報告書だと思います。お聞きしていて一番難しいと感じた点を1つと、それから、これから大事だと思う点をお話ししたいと思います。

 1つは、今回の課題でも、前回の報告書でも、人文・社会科学系というのが今まで社会からの要請にあまり応えてこなかったという問題点があって、そういったものに対応できるような研究資金をどうやって出していくか、それから評価のあり方はどうかということを明らかにするのが大きな目的だったと思うのです。ただその一方で、今、伊井委員からのご説明でもあったとおり、研究の次世代への継承というのが大事で、研究上、継続していくためのものが必要であるという点もおっしゃるとおりです。しかし、この両者は実は対立する概念です。新しい課題に対して人文学・社会科学系が対応していくということと、今まで行ってきたことを継続していくということは、リソースが限られている上では、やはり対立してしまうところがあります。今までやってきたことであっても厳しい研究評価というのがないと、やってきたからいいということだけでは、新しいところにリソースが動かないという問題点もあるのではないかと思いました。

 もちろん人文学・社会科学系全体のリソースが今まで少な過ぎたために、重要なものであっても研究が継続できない、人材育成ができないという面はあったかと思いますが、そこについては、継続の点も大事ですが、やはりそれを精査していくという態度も必要なのではないか。そこはかなり難しい論点を含んでいるのではないかというのが1つの感想です。

 もう一つは、伊井委員のご発言の中で、海外での日本研究がどんどん閉鎖され、少なくなってきているというご指摘がありました。これは現状そのとおりで、経済でも、日本から中国にどんどん関心がシフトしています。もちろんその一方で、日本文化についての関心は高まっているというのも事実なので、そこはやはり日本の文化、ブランドというものをつくっていくということで、海外での日本研究、日本文化についての関心を高めていくために研究資金を増やしてく必要は今以上に高まっているのではないかと私も思いました。

 今回の震災でも、日本の科学や日本のブランドの大きな低下がありました。そういう意味で、逆に、日本のブランドイメージの再構築という点から、人文・社会科学系も含めて、国内・国外両方に、日本文化についての研究振興というのは今まで以上に必要になるのではないかという印象を持ちました。以上です。

【樺山主査】

 ありがとうございます。

 具体的に今のご議論をどうやってくみ上げていくか、おいおい、私どもとして共同で考えることにいたしまして、差し当たりは、それぞれ委員の方々、当面お考えの事柄を自由におっしゃっていただければと存じます。どうぞ挙手をお願いします。鎌田委員お願いします。

【鎌田委員】

 あまり建設的な意見というわけではないんですが、私も伊井先生のお話を伺って、大変深く考えられているということで感銘を受けました。その中で、日本研究のあり方の問題と研究者養成の問題、大竹委員もその2つを取り上げられたので、この2つについて、ある意味で質問でもあるんですけれども、日本研究のほうでは、つい最近、私はこういうことを言われたんです。最近、外国における日本研究の対象が、日本文化の研究よりも、むしろ戦後日本のあり方に対する関心というのが非常に強くなってきている。そのときに、外国のそういう意味での日本研究者が日本と共同研究をしたいというとき、日本側の窓口がない。どこへ行けばそういう意味での日本研究のパートナーを見つけられるのかということで、非常に困っているという話を聞きました。

 それは、現在、日本でやっている人文・社会科学、自然科学も含めてかもしれないけれども、全部日本研究の対象だから、日本において日本研究学みたいなものがあるのがおかしいというふうに言うのが1つの正解かもしれないんですけれども、日本研究における国際協力みたいなものを進めていくときに、外国の人は、そういう、特に戦後日本とか、現代日本について研究をしたいというときに、カウンターパートというんでしょうか、パートナーに当たる研究機関のようなものとして、どこにアプローチしていいのかというのをもう少し見えやすくするというのが1つ工夫の余地がある部分かなということを、つい最近、そういう議論の中で感じました。それ以上は何も考えていないので、そういう点について何かお考えがあれば教えてもらいたいなと思います。

 もう一つは研究者養成で、私は法律が専門ですけれども、法律の分野でも、研究者養成に関しては危機的な状況だと感じています。この参考資料1の中に年齢別の表が入っていたのを拝見して、6ページですけれども、この表を見ると、人文科学は社会科学よりもっと深刻だなという感じを持ったんです。現在、法律系の教員の中では、いわゆる団塊の世代に当たる人たちが非常に大きな山をつくっている。私自身も団塊の世代ですけれども、我々の世代から見ると、20年ぐらい上に、昭和26年ですか、旧制と新制度が同時に卒業したぐらいの年代の人を中心とする非常に大きな研究者の集団があった。で、団塊の世代にも大きな集団があった。まあ、20年に1回ずつぐらい、かなり大きな研究者の集団がないとなかなか研究維持できないのに、我々より20年下にはそんなに大きな塊はないし、それより下にもあまりない。若い人で研究者を志望する人がどんどん減ってきている。こういう状態でいくと、この団塊の世代がみんな現役を退いたときに、その穴を埋める人材というのは、今、そろっていないと、これから育てるのはもう間に合わないのではないか。そういう危機感を持って、どうやって研究者を養成していくかというのは我々の分野でも非常に大きな課題になっています。

 この人文科学の世代別の表でいくと、逆にもうちょっとましですかね。社会科学よりも40前後の人の数が比較的多いはと言えるんですけれども、50代、60代の人が占める比率で見ると、社会科学よりもその比率がもっと大きいように見えるので、この集団がいなくなった後の人文学をどういう人たちが支えていくのか、それについてのある程度の展望がわくような研究者養成、あるいは若手養成のシステムというのはできつつあるのかどうかということがかなり気になっているところで、その辺についても何か教えていただけるところがあればと思います。

【樺山主査】

 適切なご指摘をいただきましてありがとうございます。こういう議論をゆっくりしていていいかどうか私も自信がないのですが、今の後半の部分、研究者養成の点について、皆さんもう一度、今ありました参考資料1の6ページのカラフルな表をごらんいただければと思います。

 実はこの表も私は拝見いたしておりまして、幾つかのことが大変印象的でした。1つは、人文科学に比較して社会科学の研究者数が、この20年間ぐらいの間にかなり顕著に伸びているということは、これは以前から言われておりましたけれども、一時の、一時的な伸びではなくて、20年間にわたって継続的に伸びているということ、このことは、とりわけ社会科学の研究者の方々は力強く思っていただけると同時に、なぜか、これに対する対応はどんな形であり得るかということについて、少しお考えいただきたいというのが1つです。

 2つ目は、今、鎌田委員からお話がございましたとおり、大体年齢に均等に広がっているなという感じではありながら、実は微細に見てまいりますと、かなりそうではないところがあると。とりわけ人文科学の平成16年、19年ぐらいのところを見ておりますと、総数はそんなに動いておりませんけれども、確かに65歳以上が減っているのは、これは当然のことかもしれません。ただ、その下に参りますと、必ずしも通常の人口構成、つまりピラミッド型とは言わないまでも、比較的若目の25歳、30歳、40歳という、いわゆる若手研究者の数が必ずしも安定しているというわけではないという、これはいろいろな議論、読み取り方があるかとは思うのですが、そんな感じがいたしております。

 そして現実には、このとりわけ5年、10年、あるいはより短く5年、3年といった短いスパンで考えますと、現在の経済状況、あるいは学問の世界における就職状況といったことを考えますと、人文科学、まあ、広い意味での人文科学でありますけれども、こうした人たちが、実は大学院の博士課程以上について、進学、進路を選び損なっている、あるいは選びかねているということがかなり現実になっているということに、私もかなり危機感を持っていたということ。

 他方で、これはごらんになってわかりますとおり、なぜか人文科学の場合には、55歳から60歳未満、つまり上から3つ目の群れですけれども、この上から3つ目のところが、私たちの経験からも知られているとおり、非常に多いんですね。だれかれとは申しませんけれども、こうした方々は、もちろん成熟度から見ても、あるいは教育能力等々から見ても、極めて信頼するに値するのですが、しかし、ということは、今後10年あるいは20年後に、これが大変大きなインパクトを与えることになってしまう、つまりこの方々が不在になったときに一体どうなるのかというような。そうした世代継承の問題ということから考えますと、この表は、少なくとも人文科学に対してはかなり強い警告を含んでいるなという感じが実はしておりました。

 社会科学のほうは、総数が伸びているということでもって、あまりそのことは顕著ではありませんが、でもこれも傾向としては同じことがありますので、若手研究者が積極的に、大学院博士課程あるいは若手研究者として参画していく余地が少なくなっていくということは、今後10年もしくは20年後に大きな結果をもたらしてしまうぞということがこの表から読み取れるということを、実はかねて考えておりました。

 ということで、今、鎌田委員からご指摘がありましたことは、今後、私たちにとってもかなり重要な問題であるなという感じがするということを私から申し上げておきたいと思いますが、この件につきまして、何かご意見等がございましたらいただけますでしょうか。瀧澤委員、どうぞ。

【瀧澤委員】

 ありがとうございます。今、鎌田先生、樺山先生のご指摘のとおりだと思うんですが、人文学・社会科学でこういった研究者の継承の問題は大きいと思うんですが、自然科学のほうでもやはり同様なことがございまして、理学系は総じてそうですけれども、例えば応用物理学、もう少し応用に近づいたところですね、ナノテクとか、そういう非常に高度な技術分野でも、なかなか企業側の受け皿がなかったり、あと創薬分野ですね、今、1つ薬を開発するのに1兆円と言われているそうですけれども、日本の場合は特に製薬会社になかなか体力がなくて、欧米の大規模な産業と比して、そういう優秀な人材をせっかく大学で養成しても、その受け皿がないと。

 自然科学の場合は外国に就職するという口が、学問としての一般性というのが比較的あると思うんですが、そういった問題は、やっぱり国としても、人文学もその問題は非常に大きいと思いますけれども、国全体としてぜひ考えていただきたい問題だなと常々考えております。

【樺山主査】

 ありがとうございます。実はその問題は、今、ご指摘のように、自然科学、実はその問題は、今、ご指摘のように、自然科学、工学等々、ほかの分野についても多かれ少なかれ妥当していると。細部を見ますと、そうでもない分野もあることはあるんですけれども、全体としてはその議論は当たっているなという感じがいたします。

 日本学術振興会で、今、特別研究員という制度がございまして、一般的にはずっと安定的に供給されておりますけれども、実は特別研究員(PD)へのアプライの数、申請数が、実はここ数年間、激減とは言いませんけれども、顕著に減ってきています。あれは一応競争率がありますので、支給をする対象が足りなくて困るということはないんですけれども、しかし当然のことながら、競争率が落ちてくるということは、質的に問題が起こってくるということでもあります。

 そういうことで、この数年間、特別研究員(PD)に対する申請数が減ってきていることに対して、根本的な対応をしなければならないのではないかと。私、この制度を検討する委員会の委員を承っているものですから、ここのところ、毎年毎年この議論が登場し、しかも毎年毎年深刻になってきています。

 ということは、つまり自然科学も含めた、高度な研究を念頭に置いて参画する若手研究者の数も、あるいはその意欲も含めて減退ぎみであるということは一体なぜなのか、これに対してどのような対処方法があるのかということについては、私たちも一度本腰を入れて考える必要があるなという気がいたしております。

 ごめんなさい、それでは、どんなご意見でも結構です、ほかにございませんでしょうか。岡本委員、どうぞ。

【岡本委員】

 今の6ページのグラフで、私も自分の限られた狭い世界の印象論で申し上げるので、ちょっと違うのかもしれませんが、社会科学のほうは全体が増えてきて人文科学は横ばいであると。なおかつ社会科学は、例えば55歳以上の方が最近増えてきているというのは、いわゆるアカデミーの世界と外との交流という観点が社会科学にあらわれてきているのかなと。それは、社会科学はだから安泰だというのではなくて、むしろそういう影響が出ているのかなというのは、私がシンクタンクという部門に、今、身を置いているものですから、そういう気がします。ということは、いい意味だなと思うんですが、他方で、若手研究者というところがなかなか増えていないというところがむしろ深刻かなと。人文科学あるいは自然科学の状況がどうかというのは私はよくわからないんですが、そういう感じがするということが1点あります。

 それから伊井先生がご説明されたこと、私はそのとおりだと思うんですが、我々の目から見ると、確かに対話型の共同研究ということであったり、あるいは政策や社会の要請にこたえる研究というのは、言葉がちょっとあれですけれども、いわゆる学問のユーザー的な立場にある方との交流というところを想定すると、例えば社会科学のようなところは比較的そういうのがあらわれやすいんですが、ほんとうはもっと望まれているのは、もう少し広い、例えばこの震災後、特にそういう意識が強くなったと思うんですけれども、日本社会はどうなるんだというところから、歴史・伝統というようなところが非常に注目されているときに、じゃあ、それが学問研究の中にあるのかという観点から見ると、なかなか……、というようなところがあるのではないかという気が、すみません、樺山先生がおっしゃるとおり雑駁な意見で大変恐縮ですけれども、そういう印象を持っております。

【樺山主査】

 ありがとうございます。よくわかりました。

 今の問題に続いております問題、あるいはそれ以外の問題でも結構です。ご発言ございませんでしょうか。金田委員、どうぞ。

【金田委員】

 どこかでも同じようなことを話したような気がして大変恐縮で、あまり建設的な意見でもないんですが、むしろ自爆的な意見になるんですけれども、特に人文科学の場合、あるいは人文学の場合ですが、一定の実力のある創造的な仕事をすることができるような状態に達するまでの時間が非常に長いような気がするんですね。そして一人前になった後でも、実際の仕事をできるような時間が結構長いと思うんです。ただ私は一方で自然科学のことを知りませんので、そのあたり、自然科学も同じことで時間がかかるんだと言われると、ああ、そうですかとしか言いようがないんですけれども、しかしながら、人文学のほうに身を置いてながめていると、そういうふうに思われます。

 一方、社会的な要請というのは回転がどんどん速くなっておりまして、社会支出をするわけですから、それに対する評価が必要なことは十分理解できるんですけれども、ただその評価のサイクルと、それから研究者が一人前になり、かつ広がりのある、特に広がりのある研究をするための時間とが、今のところ非常に大きなギャップを来しているのではないかなと思うんですね。

 そのギャップをどうしたらいいのかというのが非常に重要な点だろうと思うんですが、特に急な解決策はないんですけれども、そのことを日ごろ非常に強く思っておりまして、人口の問題というのは不可避的というか、人口を増やさないと研究者を増やせないという議論になってしまうと非常に困るので、状況としてはそうなんですけれども、しかしながら、研究の特に広がりとか深みを醸成するためには、特に人文学の場合はそれが必要だと思うんですが、そのためには評価とのギャップをどのようにして考えるのかというのが1つの大きなポイントになるのではないかと思っております。

【樺山主査】

 ありがとうございます。金田さんおっしゃるとおり、確かに人文学の場合、分野によって違いはありますけれども、一般的には成熟するまでに時間がかかると。成熟してからかなり長い期間にわたってその成熟が続くというか、平たい言葉で言うと、年をとっても十分に仕事ができる、という趣旨がありますね。社会科学もそうかもしれないけれども、社会科学の場合には、社会的な事情の転変に応じて次々とフェーズも新しくなっていきますから、年をとればいいという話ではないという、その辺の違いがあることは間違いないと。

 ただし、そうであるとすれば、今、人文科学にこれから参画をする、勉強しようとする若手の研究者たち、大学院の修士からドクターにかけての人たちにとって、実は君たち、これから勉強するという人たちは、昔よりもはるかに時間がかかるんだぞ、しかもそこに行くまでの道は極めて険しいぞ、食っていけないかもしれないぞと、こういうアドバイスというか、逆のアドバイスをしばしばやらざるを得なくなっていますね。そのことが結果として、数も含めた、あるいは質も含めたことになるのかもしれませんけれども、その辺に響いているのではないかという議論を私たちはしばしばするんですけれども、どうでしょう。

【金田委員】

 今のお話のとおりで、同じような実感を持っております。大変変な話ですけれども、私どもの若いときなどは、そういう科学研究費などのようなシステムはかなり不備な状態でしたから、こつこつとやらざるを得なかった。しかしそのために、研究する時間、タイムスパンは長かったんですね。そして一定の年齢になると、ポストにつくことの可能性は狭いにしろあって、それであくせくせずにやることができたという、マイナスとプラスが常に、どこの場合でもそうですけれども、背中合わせに存在すると。

 今の学生たちは、指導するほうも、早く学位をとらせるために、短期的に結果が出るような仕事をさせる、あるいは選ぶと。それを選んで仕事をするんですが、短期的には結果が出て学位のレベルまでは行くんですけれども、そこで次の段階の広がりや深みという点において非常に大きな問題を生じていく。特に人文学の場合はそれが顕著である。

 しかも就職できる可能性のあるポストはすべて任期つきであって、数年の間にまた新たな展開をしなければできないということになりますと、人文学の場合、非常に難しくなってしまうという……、プラスとマイナスが常に存在するということは事実だとしても、そのこたえ方というか、それの響き方が非常に大きいというのが人文学の1つの特徴だろうという認識はしております。

【樺山主査】

 ありがとうございます。

 ほかに、皆さん、いかがでしょうか。どうぞ、田代委員。

【田代委員】

 ただいまの評価のことで、発言させていただきます。私は歴史を専門としておりますが、いつも学生に言っておりますことは、学問には分野ごとの蓄積があり、特に歴史の分野では今までどのような学問実績があったか、自分がやろうとする過去の研究成果を全部理解した上でないと新しい研究にとりかかることはできないということです。そのことを理解するまでにかなり時間がかかるということで、一人前になるための時間が長くかかるというのはそういうことです。このため新しい研究を始めるまでに、例えば修士課程でもなかなかできないという現状があります。

 あるいは史料調査が好きになった学生などは、博士課程に行くのをやめていきなりシンクタンクに行きますと就職を決めてしまう学生がいて、これは実際に昨日私が経験したことです。特に人文科学、あるいは社会科学もそうだと思いますが、紙媒体で評価がなされるということ、これが非常に重たいことです。自然科学の方たちにはあまりご理解いただけない面かもしれませんが、論文など成果は簡単にウエブで発表すればよいかというと必ずしもそうではないことを分かっていただきたいです。そうした人文科学の評価の特性を知ったうえで議論していただきたい、というのが私は非常に気になるところです。

 それから先ほど伊井先生のお話の中に、日本研究が国際的に低下しているというお話がありました。これは戦後の日本研究の第一世代であるドナルド・キーンさんはじめ、その世代の方たちが次の世代の研究者を輩出するのに少し失敗なさっている部分があるのではないかというところを私は感じます。

 これはキーンさんご自身からお聞きした話ですけれども、キーンさんが日本語を覚えあれほどの日本研究ができたのは、戦時中に日本人の捕虜が身つけていたメモや日記を読まされて、翻訳させられた経験があり、その日本人が、どう考えてどう行動をとっているかを深く考えさせられたそうです。戦争という不幸なことではありますが、これが生きた資料となって日本のことを知り、考え方や文学・歴史を知りたいという気持ちにかられたそうです。

 最近の欧米の若者たちが日本に興味を持っていること、あるいはなぜ興味を持ったのかを聞いてみると、たまたま日本に旅行した、あるいは親の転勤で日本に住んでいた経験があるなどという、非常にまれな体験で日本研究にはいろうかとしているようです。

 私は若手の育成をむしろ日本側から仕掛けていかなければいけないのかもしれないと思っています。現在、日本が世界的に注目されているのはやはり先の東日本の大震災の問題、福島原発の問題です。日本人というのはこの災害時にどのように行動したのか、日本のコミュニティ、社会はそれにどう対応しているのか、そういった環境はどうなのか、災害の中で文化財保護をどうしたのかという事柄に非常に関心が高まっています。災害じたいは大変な悲劇ですが、これに対して人文社会科学がどうかかわれるのかということを、特に世界の若者へむけて逆にこちら側から提案してみてはいかがかなと思います。最後に国際的という場合、私たちは常に欧米の方々を頭に浮かべて考えていきます。しかしむしろ日本に興味を持っている国際人は、アジアの人々が多いです。特に北東アジアの韓国、中国、そしてロシアです。東南アジアの方も多いかもしれませんが、北東アジアの方たちが特に日本の文化、歴史に非常に関心を持っています。

 そこで欧米だけに目を向けないで、若者を育成していく場合にはもっと身近なアジア諸国から日本への興味を向けさせるという視点が重要ではないかと考えます。

【樺山主査】

 ありがとうございます。今、田代さんがおっしゃった最後の部分ですけれども、おっしゃるとおりだと思いますね。正確な統計があるわけではないのですが、日本研究者と言われている方々のうちかなりの部分は、実は今は北東アジアの方々です。日本語の書籍が購買される、あるいは日本から報告書等々があちら側に渡って、読む方々の過半は実は北東アジアの方々であって、むしろその方々がどうやって読んでいるのかということを、適切な情報の把握と情報提供がなければいけないということ。

 そのことについて、これまでかなりの分野でもって欠落があったということだと思いますので、今後はほんとうに私どもが、人文科学あるいは社会科学における国際関係、国際性ということを論ずるに当たっては、今のようなご指摘を十分に念頭に置いて考える必要があるということは繰り返し繰り返し言わなければいけないと思います。ありがとうございます。

 ほかにいかがでしょうか。鶴間委員、どうぞ。

【鶴間委員】

 伊井先生の報告はいろいろな問題を含んでいますので、まとまった形では発言できないんですが、思いつきですけれども、1つは、今の日本研究というのは、確かにお話しのように理解しましたけれども、僕は外国研究と区別してはいけないのではないかなと。つまり日本人が日本研究をし、日本に関心を持つ、これは若い学生もそうですけれども、そのことと、外国に関心を持ち外国を研究するということを、何か日本人はどうも線を引いて、国際ということで、日本と外国とを分けてしまうんですけれども、日本に関心を持つということと外国に関心を持つということは非常に関係が深いのではないか。

 ですから、日本の、確かに浮世絵にしても、これは世界じゅうに、今、分散して、ヨーロッパ人も関心を持っているけれども、1つ考えなければいけないのは、なぜ彼らがそういうものに関心を持つかということですね。確かにすばらしい美術だと思いますけれども、それぞれの国の人たちは、その文化の中で多分日本文化を学んでいると思うんです。ですから私たちも、外国を知るということと日本を知るということは密接な関係があるということを知っておきたいと思いますね。

 日本の若者たちは、今の若者はだめだということは言いたくありませんけれども、若い研究者たちは、外国研究、いろいろな国の研究を歴史の分野でやっています。それで若い優秀な研究者がたくさん育っていますね。語学ができなければだめだという時代ではなくて、若い人たちが、数は少ないけれども、いろいろな国に入り、その言語を学び、対等に近い形でその研究者たちと現地で学んできているという、それは評価しなくてはいけない。ただ、彼らが日本に帰った場合に、我々に受け皿がない。むしろ外国にいたほうが研究はできるという状況があるかと思います。

 それからもう一つの、やっぱり今回の大震災で、一体人文学が社会に何が貢献できるのか。我々も研究者仲間でいろいろ根幹を考えてきましたけれども、私は歴史学をやっていまして、2008年に四川で大地震があったときに現地の人たちと交流を持ちました。私は古代史をやっているものですから、四川にいる考古学者たちは、すぐ地震の翌日から動き始めました。それは何をやったのかといいますと、中国的な、もちろん政治的に日本と違うということもあるんですが、中央から指令が飛んで、とにかく遺跡の破壊がどれだけあるのか調査しろ、それから同時に地震の博物館をつくれ、そのための資料を集めろということで、考古学者が動きました。

 そうすると、北川県といいますか、まち全体をそのまま博物館に残そうというので、そこにいる人たちを外に強制移住させまして、北川県というまち自体を歴史的に残そうということを彼らはやりました。それから四川全体でどれだけ遺跡が破壊されたのかという調査をやりました。それはおそらく後々への1つのアーカイブズといいますか、記録の保存に当たるのだろうと思います。

 今回、歴史学者、考古学者がどういう形で動いているのか、まだ私には見えないんですけれども、人文学としてやることは多分たくさんあるだろうと思っています。私自身も、歴史学がどう役に立つのかは、これからいろいろな分野の人と議論しながら考えていきたいと思っています。

【樺山主査】

 ありがとうございます。今の四川地震に対応する東日本大震災に関する日本側の事情ですが、ご承知のとおり私も博物館におりますものですから、この問題には半ば直接にかかわっておりますけれども、文化財レスキュー隊を構成するということでもって、既に活動に入っています。ただし、当然のことながら、発掘作業、とりわけ行政発掘が非常に増えたおかげでもって、自治体に籍を置いている、あるいは関係を持っている考古学者の数は非常に増えてきました。5,000を超える数千のオーダーですけれども、の方々がいます。

 この方々が先頭に立ってレスキュー隊に参加しようとする、そのための制度的な、あるいは法的な制度が実は極めて不備であって、身分を移すことができないとか、出張の措置をしなければいけないとか、あるいは、どこかに破壊された、あるいは破壊に瀕している文化財がある場合に、それをどこかに移す。とりわけ指定文化財の場合には、移すための措置も実は極めて複雑で、文化庁の了解が要るんですけれども、そうした事柄についての制度上の整備が極めておくれているということで、実はボランティアを含めて、さまざまな形でもって、考古学者が、今回、支援を行いたい、活動したいと考えているにもかかわらず、実際に成果が上がりにくい形になっているということがあるということで、それも含めた今後の対応が必要だということを私たちも考えております。

 日本博物館協会、日博協がかなりの形でもって提言をいたしておりますけれども、そうした部分が、人文系の研究者、この場合、考古学者を含む文化財関係の方ですけれども、こうした人たちの活動分野に当たっても、これまで十分な意識や認識を展開していなかったということは、さまざまに反省させられますし、今後の活動方向がそこから見えてくるという感じもいたしております。これは、ここで何らかの形の提言あるいは結論が出るかどうかは別にいたしましても、やはりどこかでもってこの議論はする必要があるなと考えております。

 ほかにいかがでしょうか。どうぞ、小谷委員。

【小谷委員】

 戦後の日本や現代日本について海外の方が興味を持たれているが、窓口やアクセスの仕方がわからないというお話を聞いて、とてももったいなく感じました。今、理系でも、人文系・社会科学系の方の知識が必要な方向に研究が発展しており、そのようなおり、どのようなかたが、どういった方法で答えてくださる可能性があるのかというのがわかりにくいところもあります。

 情報の発信については、理系ではわりとスタンダードな方法が確立されているように思うのですが、人文系・社会科学系では、またそれぞれに違う形があると思います。それを、例えば海外なら海外、もしくは理系なら理系にアクセスしやすいようにするために、例えば大学や、国や、その他いろいろなところがどのような支援をすればよいのかを教えていただくと大変ありがたいと思います。

【樺山主査】

 なるほどね、わかりました。

 いかがでしょう。どうぞ、岡本委員。

【岡本委員】

 すみません、2回目で大変恐縮ですけれども、この資料の18ページに、博士課程修了直後の職業内訳という研究分野別に載っているグラフがあるんですが、そこに解説で書かれている、「人文社会の分野については、大学教員(専任その他)になる者の割合が高い」ということで、確かに他分野よりも多いんですが、他方で、そこにも書いてありますが、不明とその他をあわせると、半分前後の方々がわからない。

 きょう、伊井先生のご報告の中に、研究者の養成というのが非常に重要なテーマ、課題だという、研究者という言葉の中で、どういう姿を想定されている……、多分おそらく大学の教員ということになるんでしょうが、世の中の受け皿としては、研究者という受け取り方が、ここは非常に狭くなってくるのがまず1つの問題と、他方、研究者というのは、私なんかからすると、ニーズというか、要請が非常に高いにもかかわらず、大学以外のところに必要とされる研究者というものが浸透していないという感じがします。

 それから、他方、先ほどの金田先生のお話に関係するんですが、半分もどこにいったかわからないとか、回答がないという、これはどう読んでいいのか、むしろ非常に深刻と言っていい……、これを見せられると、この分野に入っていこうというこれからの人たちということになると、なかなかそうならないのかなと、これはあくまでも印象論ですけれども、そういう気がして、特にこの分野は気になるなと。何となく2つの分野は違うように思うんですけれども、この数字だけ見ると割合は似通った構成になっているかなと、これは共通の課題かなという気はいたしました。

【樺山主査】

 おもしろい現象に気がつかれたなという感じするんです。これは文科省の方々、どう考えますか。

【田中学術企画室長】

 前回のご議論でも、できるだけデータに基づく議論が必要だということで、今回、こういったものも含めてご用意させていただきました。ただ、人社に特化して何か調査をしているというのがない中で、いろいろなものの中から、人社部分のものについて、こういう網かけとか、そういうものをしているという状況でございます。

 そうした中で、幾つかの課題といいますか、特徴といいますか、そういったものも浮かび上がってくると思いますし、この研究者の部分で言うと、次の19ページのところにおきましても、いわゆる常勤・非常勤、これは大学だけではなくて、例えば初等・中等教育における非常勤講師なども入っていると思いますが、人文系につきましては常勤の割合が低く非常勤の割合が高いといった、大学だけではないですが、そういった傾向も、課題といいますか、読むことができると思います。

 そういう意味では、キャリアパスということにつきましては、別に人文・社会科学のみならず、特に博士課程につきまして課題となっているわけでございますが、そうした中で、人文・社会科学につきましても、若手研究者を育成するというほかに、キャリアパスというところでどういうふうに考えていくかということ、いわゆるその他ですとか、不明ですとか、それから、それとも関連があると思いますが、いわゆる非常勤という形態といったものも含めて考えていくことも必要になっていると言えるのではないかと思います。

 その中で、このデータにつきましても、その他や不明が、これ以上、データを当たってのわからない状況でございまして、そういう中で、人文社会に特化した調査とか、分析とか、そういったものもあわせてやっていくことも必要だろうと思っております。以上でございます。

【樺山主査】

 その他・不明で50%を超えるという、統計値としては意味がないなということなのですが、実はこれは日本学術振興会でも同じ現象がありまして、事情は全く同じです。この事柄について実は議論したことがあるのですが、結論は出ませんでした。

 ただ、私どもの経験に基づいて申しますと、自分の教え子たちの現象を見ておりますと、非常勤で行ったまま、この人は何をやっているかわからなくなっていると。非常勤をあっちでは2年、こっちでは3年と継ぎながら、40まで、あるいは45まで働いているという、これは若手研究者と呼ぶべきでしょうが、この人たちが非常に多いことは間違いありません。

 それを私たちは何と呼んでいいかわからないものですから、その他もしくは不明と言ってしまうんですけれども、これは私の経験がごく狭いのか、あるいはほかの方々がどうなのかということも議論いたしましたけれども、皆さん大体、ああ、いるいると、考えてみればこんなふうにたくさん、自分の教え子でもどこかに行っちゃっているけれども、顔はわかっていると。どこかで非常勤を3つぐらい継ぎながら生活しているよ、時には塾の講師をしながらやっているよという人たちがいることは確かでして、こうした人たちの研究条件を何とか保障もしくは改善しなければいけないという議論につながりました。

 でもこれは、一般的にそうであるかないかということについては自信がありませんので、そういう解釈もできるなということで申し上げておきます。何かほかにご意見、あるいは経験等がおありになりましたら。伊井さんのところはどうでしたか。

【伊井委員】

 直接的にお答えできないかもしれませんけれども、私も研究者というのを非常に狭く考えているわけではないんですが、これまでもいろいろ話をしてきたのでありますけれども、例えば美術館だとか博物館とか、あるいは行政機関においても、そういう専門家を受け入れるという余地を、職域を広げるべきではないかということは前からも議論がありました。

 それと、これは日本の文明史的な観点かもしれませんが、若者、今の学生が留学しなくなったという現象もあるわけですけれども、昔は無謀に行って戻ってくるということがありました。それも、日本の今の社会的な環境が、戻ってくると職がなくなると不安に駆られ、早目に安定しておこうと、そういうふうな、今の言葉で言うと草食的なと言いましょうか、安定志向が入っているのかもしれません。

 そういうのを、これからどのように社会全体を変えていかなければいけないのかということも我々は考えていかなければいけないのではないかと思っているわけですが、私の教えた学生は、学部卒は高校の教員に大体みんな落ち着いているとか、企業に入っているのと、院生は研究職についているというのが大方でございますけれども、これもだんだんと先細りというのは、先ほど申し上げましたように、研究機関そのものがほんとうに少なくなってきていることが背景にあると思われます。

 そして私立大学は、小さい大学はどんどん変わって、学部が変わって、目先の、いわゆる就職をしやすいような学科とか学部になってしまって、我々がしておりますような文学的なものは要らないということで、就職しておりましても、その学部がなくなったからといって首を切られている現状なんですね。これは悲劇的ではないかと思っております。

 社会全体からというのは、これは効率化を求めているところもあると思いますが、私は東京にいるときから委員にはなっていたんですけれども、山片蟠桃賞という、大阪府が出している、外国人で日本研究をした人に対する研究奨励というものが、司馬遼太郎さん(など)が(提唱して)始め(られ)たものですが、第1回がまさにドナルド・キーンさんで、10回がサイデンステッカーさんでした。このような賞は、きわめて有意義だと思います。

【樺山主査】

 ありがとうございます。

 ほかの問題でも結構です。何かございますでしょうか。どうぞ、加藤委員。

【加藤委員】

 政治学を専門とし大学で教えている経験に基づいての印象ですけれども、今お話に出てきたこと2つが非常に気にかかります。1つは博士号取得者が期待したように増えない。あともう一つは、留学する人が減っている。特に博士課程では、留学しようと思っている学生自体が減っていると同時に、留学しようとする学生も国際競争に負けて留学できないという現象があります。

 私はちょうど日本で社会科学では学位が取れるようになった過渡期に日本の大学院におりまして、アメリカ合衆国の大学で博士号をとっています。資料にもあるように女性研究者の数は今でも少ないのですが、当時は、就職はまず無理だろうと大学院に行ったときに言われました。たった1つの方法がある、それは学位をとることで、学位をとるにはアメリカ合衆国の大学に行くことと言われ、留学をしました。帰国してみたら、私の1年後輩が博士論文の審査を受けていて、その頃には日本でも博士号も取れるようになっていました。

 留学しないと学位が取れなかった頃に比べれば恵まれた環境になった訳ですが、その後、順調に、日本で人文・社会科学系の学位が出るようになったかというと、資料を見てもそのようになっていません。先ほどお話があったように、早く学位をとるために書きやすいテーマを選んで論文を書くというところもあるかもしれませんが、どちらかと言うと、書かないという方がもっと多いと思います。これはやはり私から見ると非常に不思議な現象であります。

 学際的な研究をやって気がついたのですが、理系の多くの場合は、実験室、ラボで、共同で研究をして、実験をして結果がまとめられるようになれば一応学位までは行きます。一方、先ほどご指摘がありましたけれども、人文・社会系では、自分で何か完成できない限り学位論文を書けません。専門家としての一定の基準を満たせば学位は取れる、その後、一人前の研究者、例えば教授やラボのチーフになれるか、それは全く別問題ですという理系とは、大学院教育の仕組みが違っていると思います。

 話が散逸してしまいましたが、1つ言えることは、学際的な分野は増えてきていますけれども、やはり理系と文系と伝統的に分けられるようなところでは、大学院教育とか博士号の取得について、もう少し違ったアプローチをしたほうがいいのではないかと思います。理系の場合は、ある程度人数を増やしても、大学外にも需要があります。先ほどお話がありましたけれども、人文学・社会科学系でももっと学外にポストがあるべきですけれども、それでもある程度まで限度があると思います。ですから、もう少し人文学・社会科学系の大学院生を絞って丁寧に教育するということがあってもいいのではないでしょうか。

 こういうことを言う理由のもう一つは、私が留学をしたころには、アメリカ合衆国の大学は奨学金をとって行かなければならなかったのですが、現在、トップスクールの多くは、博士課程に入学した学生の生活費も、授業料も全部奨学金でまかなってくれます。日本にいるよりずっといい条件で勉強できるということで、そういう条件があまりよくない学生に強く勧めているわけですけれども、言いかえると、入学の時点で育てるということをきちんと考えてとっています。

重点化して大学院の定員は増えましたが、戦力になる人の割合が減って来ています。これは、資源という意味ではかなり無駄遣いになってしまいますし、日本の財政事情の厳しさを考えれば、もう少しそういった点を考えたほうがいいのではないかと思います。

 米国の大学院の話がでましたので、次の点に移りますが、国際化といったときに、留学生を入れるということも重要ですが、やはり外に出ていく人が理系・文系をあわせてこれだけ減ってしまうと、かなり危機的に感じます。それは翻って、将来の日本の高等教育に影響を与えるということになりますので、こちらにもう少し力を入れてもいいのではないかでしょうか。まとまりのない意見になってしまい恐縮ですが、こうした印象を持っております。以上です。

【樺山主査】

 ありがとうございます。今、最後から2番目でおっしゃった件ですけれども、つまり大学院生に対する教育、博士号取得を含めた教育のあり方について、必ずしも現在は満足すべき状態にはない。丁寧ではない、手を抜いているということだけではなくて、現実にも、大学の教員にとって、自分個人の仕事以外に、教育の過程でもって博士号をとらせるための膨大な労力を提供しなければいけないということについては、皆さんかなり腰が引けているというところがなくはないと。

 もっと丁寧にやるべきだというのはそのとおりですが、現実には博士課程の定員を増やして、一時よりもはるかに重点化でもって増えました。これは私立大学も含めると膨大な数になりましたけれども、その結果として、博士号の取得率は落ちました。これは、博士号の取得数は増えましたけれども、定員がそれに増して増えたということで、取得率が減ってきているというのが現状なわけですので、一体これをどこからどういう形でもって現状変革をしていくことができるのかという、これは頭の痛い問題だとは思うんですが、よく現場では議論されていますね。ご自身にはともかくとしまして、ご自身の周辺、東京大学法学政治学研究科では、言えないこともあるかもしれませんけれども、いかがですか。

【加藤委員】

 職場を移ったり,他の大学の話を聞いたりした上での印象ですが、定員を増やして数年はよいのですが、だんだん取得率が落ちていくというのが、一番よく見られる傾向であると思います。多分、重点化をして定員を増やせば、競争によって学位取得者が増える、定員を増やすことでよい方向に行くはずだったのですが。もちろんシステム自体の問題もあるのでしょうが、学生数が増えるということによって起こる、社会的な効果のようなものを見誤ったような気がします。

 非常にわかりやすい言葉で言ってしまいますと、大学院生同士が仲良くなり、それはいいのですが、その結果、危機感を持って勉強をするという雰囲気ではなくなってしまうのです。みな博士論文を書いていない、みな就職していないと言う状態では、そこから抜け出そうとする強い動機づけを持てない雰囲気になってしまいます。能力的には優秀な学生が、このようにして、学位も取得しない、就職もしないというのは、見ていて大変もどかしいものがあります。

 私の経験ですと、危機感のあるなしは結果にかなりの違いをもたらします。アメリカ合衆国の大学院に入学した時には、私のような帰国子女でない留学生は、言葉もアメリカ人の学生と比べたら明らかに劣っていて、英語を母国語とする学生のほうが先に博士号を取得するはずなのですが、4年で取得した例外的に早い方の次に、もう一人の同級生と一緒に5年半で学位を取ることができました。日本でも、最初は言葉で苦労していたような留学生が、日本人の同級生より早く博士号を取ったりするのを目にします。一言で言うと、ビザが切れたらいられなくなる、いられなくなったら学位がとれない、といったような危機感で、たとえ言葉で不利であっても、結果が全く違ってくるのです。

 動機づけを高めるためには、例えば安心して勉強できるような環境にするとか奨学金を出すことにプラスして、何かもう少しの工夫が必要ではないかなという感じがします。これは、指導する側から危機感を持ちなさいと言っても無理です。持ってきた草稿の指導はできますが、何か持ってくる前には指導ができないので、もどかしい限りで、その点はかなりきめ細かに見ていかないと難しいかなという感じがいたします。

【樺山主査】

 時間が多少残っておりますが、ほかにいかがでしょうか。どうぞ、金田先生。

【金田委員】

 先ほど評価についての個人的な意識を申し上げましたが、今のお話に出た大学院生の仲よしクラブになってしまうという話ですが、仲よしクラブであるかどうかわからないんですけれども、私自身が、博士課程の大学院教育のシステムを整備しようとしていろいろやって、成功したと思った瞬間はあったんですが、成功したと思った瞬間にだめになったという経験があります。

 それはなぜかというと、学生のほうが、その成功した積み上げ方式がない段階の学生はチャレンジングでみんな頑張ったんですが、それで成功したように思ったんですけれども、そうしたら、その次の学生は、そのプロセスからどこかでちょっと外れてしまったら、自分勝手に崩れちゃって、それしかないというふうに思ってしまう学生が出てきたというところが私には予想できなかったことです。ですから最終的には、要するに完成したようなリジッドなシステムはできるだけつくらないで、できるだけルーズなシステムで、どこからでも何でもできるような形にせざるを得ないというのが最終的な私の実感なんですけれども、特に人文学の場合は非常に難しいと思います。

 今のご指摘にもありましたが、指導すればできるというだけの話ではなかなかなくて、そのモチベーションというか、意識をどのように持つのかというところ、おそらく一番大きいのはそこだろうと思いますけれども、別の形で同感いたしましたので、つけ加えさせていただきました。

【樺山主査】

 ありがとうございます。

 きょうは、当初予定していたわけではございませんが、主に研究者養成のあり方についてのご議論をかなり重点的にいただきましたけれども、あくまでここは全体の問題の1つでございますので、それ以外につきましても、きょうでも、あるいは今後、幾度かの会の中で、別の問題についても重点的に考えていくということだと理解しております。

 何かほかに、今後こういう議論もしたいということも含めてご発言等ありましたら、よろしくお願いしたいんですが。鎌田委員、どうぞ。

【鎌田委員】

 これも今後議論するテーマ全体から言えば非常に小さな話になるんですが、先ほど金田委員のおっしゃられた中で、研究者になるまでの段階でも短期間での成果が期待されていることの問題点が指摘されましたが、研究者になった後について、科学研究費その他でも、かなり短いタームで一定の成果を上げなければいけないというシステムの中に組み込まれているのではないかということが少し気にはなるんですけれども、人文学の観点からいくと、今の研究振興策が、そういう時間に追われるとか、あるいはいろいろな事務手続に割く時間が多過ぎて、なかなか成果に結びにくいような仕組みになっているとか、そういう研究振興策との関係で、何か人文学の観点からのご意見があればお伺いしてみたいなと思います。

【樺山主査】

 金田さん、どうぞ。

【金田委員】

 すみません、ちゃんとお答えはできないと思いますけれども、例えば先ほど研究費部会のほうで話になった件もあるんですけれども、熟成した研究成果の公表というのが自分にとって非常に大きな要素だろうと思いますけれども、一方で、一時期、日本語の研究書に出版助成をつけるのはおかしいという議論が理系のほうから出てきた時期がありまして、私は非常に遺憾に思いまして大分強く反対しましたけれども、やはり特に人文学の場合に、熟成して、その広がりと深みをきちっとつくるというのが非常に大事だと思います。

 そういう点からすると、やはり短期的な評価、あるいは研究成果を求められるというシステムは、だめだとは言わないです、ものによってはそれが非常に効果的な場合もありますので、だめではなくて、大変いい場合が多いんですけれども、しかしながら、それだけしかないという形は非常にぐあいが悪いのではないかなと思います。

 先ほど、教育に、よく言えばフレキシブル、悪く言えば穴だらけの、どこからでも参入できるほうがいい、あるいはリカバリーできるほうがいいという話を実感として申し上げましたけれども、実は教育だけでなくて研究そのものもそうで、いろいろな道があると思いますので、その多様性をいかに確保するかというのが、実は人文学の場合だったら非常に大きなポイントになるのではないかと思っております。余計なことですが。

【樺山主査】

 ありがとうございます。私はそのとおりだと思いますが、多様性をもとにして、しかし研究評価をしなければならないと。多様性をもとにして研究評価をすることの難しさというのは、私ども、大変深刻に考えておりますので、しかしできなければならないということもありますから、今回でこの問題が解決するとは思っておりませんけれども、できればどこかの段階で、いま少し立ち入った議論が可能であればという気がいたしますね。

 ありがとうございます。いろいろと実は脈絡なく議論してきた感じではございますけれども、先行き長いということもございまして、今回を含めて、少しこうしたフリートークを繰り返しながら問題を絞っていくことができればと存じます。

 審議官がお見えになっておりますので、一言でも結構でございます、もし何かご意見等、ご発言等がありましたら、よろしくお願いします。

【戸渡審議官】

 大変ご熱心にご議論をいただきましてありがとうございました。人文学・社会科学の持つ特性といいますか、そういったものを踏まえて、これからまた先生方に熱心なご議論をしていただきながら、私どももこの振興策について何かまた取りまとめを行っていければと思って思いますので、引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。

【樺山主査】

 ありがとうございます。

 それでは、時間がほぼ近づいておりますので、本日の会議はこのあたりでということにさせていただきます。本日のご意見等も踏まえながら、事務局で審議事項を整理していただきまして、次回から、審議事項例の各項目を中心としながら、順次、議論を進めていきたいと存じます。

 今後どういう方向でということ、あるいはどんな形で、具体的にどの日付でということにつきましては、事務局とご相談しながら早急にご連絡を申し上げますので、よろしくご理解いただきたいと思いますが、この件につきまして、事務局、次回等々につきましてはどんなふうに考えたらいいでしょう。

【田中学術企画室長】

 失礼いたします。

 今後の進め方につきましては、冒頭、説明させていただきましたとおり、資料4に基づきまして、前回、今回、いわゆる第4期の報告も含めまして、全体的な課題等について幅広く審議いただいたと。それを踏まえて、次回以降、いわゆる各論ということにつきまして、それぞれヒアリングを含めてやっていきたいと思っております。そのあたりにつきましては、次回、いつ開催するか、どのようなやり方をするかも含めまして、主査とご相談の上、また皆さんにご連絡をさせていただければと考えております。

 また、先ほど冒頭のほうで資料3につきましてご説明をさせていただきましたが、当面、24年度の概算要求につきましては、前回ご議論いただきました資料3に基づきまして対応してまいりたいと。いわゆる競争的資金の見直し等の流れの中で、いわゆる内局事業とJSPSの交付金事業等を一本化し、その中で、例えば先ほども評価という話がございましたが、課題設定型事業につきましては、いわゆる人文・社会科学の特性を含めた評価というものと課題設定型事業の評価のあり方というのはまた違うものがあると思いますし、そうした中、評価の充実等も、このペーパーの中で、前回の会議で説明させていただきまして掲げているところでございますが、当面24年の事業につきましては、資料3のような方向性で進めたいと思っております。その上で、資料4、大まかなスケジュールでございますが、に基づいて、中間まとめ、最終まとめというものを、25の概算要求に向けて取りまとめができればと考えているところでございます。以上が今後のスケジュールでございます。

 なお、本日の資料につきましては、お手元にございます封筒にお名前をご記入の上、机上に置いていただければ、後日、事務局より郵送させていただきますので、よろしくお願いいたします。以上でございます。

【樺山主査】

 今、ご説明ございました資料3の件は、前回もご説明いただき、ご確認いただいたのですが、平成24年度概算要求にかかわる件でございますので、今というよりは、既にその時点で決定しなければいけなかったというところがあって、早目に皆さんにご確認いただいたということでございます。概算要求でありますので、当然相手がある話ですから、このとおりいくかどうかは全く別問題ですが、こうした形で進めながら、他方では、その先、平成25年度以降のあり方についても念頭に置きながら、ほぼ1年間に近い日時をかけて議論を進めていくというスケジュールになっております。その辺をご理解いただければと思います。

 それでは、次回以降のスケジュールあるいは内容等につきましては、私も手元に腹案が多少ございますけれども、事務局の皆さんとご相談しながら、後刻、皆さんにご連絡を申し上げたいと思います。いまは6月の末ですが、7月、8月という夏休みの時期は、通常はどうなっているでしょう。

【田中学術企画室長】

 通常は避けておりますので、そこら辺は先生方の日程も踏まえながら、主査とも相談させていただきながら設定させていただければと。特にこの2回で、きょうの研究者養成も含めてございますが、全般的なご意見をいただきましたので、そこら辺を整理して、改めて、各論にしてどう進めるか、連絡をさせていただきたいと思っております。

【樺山主査】

 普通は日程についての照会が、皆さん、多分ほかでも行っているかと思うんですが、今、来ないということは、7月・8月はないなと皆さん高をくくっておいでになるかと思うんですが、ほぼそういう方向でと。しかし決まったわけではございませんので、さまざまな事柄を考慮に入れながら、日程につきましても皆様の事情を伺わせていただきますので、その節はよろしくご検討くださいませ。

 それでは、本日は第2回ということでございますが、いろいろとご議論をいただきました。こういうふうにして議論していると楽しいんですが、各論に入って、いま少し詰めていくようになりますと、なかなか議論も厳しいところもございますので、どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。

 本日はご協力ありがとうございました。これにて本日は散会といたします。

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