資料1 「哲学」の現在(鷲田清一 大阪大学総長ご発表資料)

 

  • 「学問の女王」か「虚学中の虚学」か?
    ――実学の意味、再考
  • 二つの誤解
    1. 「哲学の言葉は難しい」
    2. 「テーマが浮世離れしている」
  • 「基礎学」(Grundwissenschaft)か「教養」(Bildung/Kultur)か?
  • 知を媒介してゆくもの
    ――専門主義を超えて
    アカデミズムを超えて
  • 大学における哲学教育
    ――大学院における教養教育
    初等・中等教育における哲学教育(思考の作法)の教員養成
    debateよりもdialogueの練習をこそ!
  • 価値の遠近法
    ――「ニーズ」の吟味
    価値の尺度(あるいは評価の規準)について判断するという仕事
  • 市民をエンパワーする専門性?
    ――産業経済への貢献と内閉的なアカデミズムのはざまに取り残される市民
  • 「哲学」はこの国ではまだ始まっていない。

カール・レーヴィットより

 ナチスの台頭とともに大学を追われ、しばらく仙台に身を寄せ、東北大学でおよそ5年にわたって哲学とドイツ文学を講じていたが、やがてこの地においても身辺に危険を感じ、アメリカに亡命して、そこから日本の雑誌「思想」のために長大な論文「ヨーロッパのニヒリズム」を送る。戦後、おなじ題でこれを含めた論文集が筑摩書房によって編まれたときに、それに付した「日本の読者に与える跋」という文章である。これは、戦後五十余年、われわれが今日、日本語で思考するわれわれのその〈哲学〉のあり方を考えるにあたって、どうしても味読しておかなければならない文章であると思われる。
 この文章はヨーロッパ文化論としても優れたものであるが、日本の言論界に対してここで厳しく指摘されていることがらは、今日のわれわれにとっても未だたいへんに耳の痛いものである。
 日本人はロシアにおよそ百年遅れて欧化の道を踏みだした。と同時に、ヨーロッパの優勢を拉ぐことを目標としてその道を歩みつづけた。つまりヨーロッパ的な技術や科学を用いてヨーロッパに逆らおうとするのだから、「日本人の西洋に対する関係はすべて自己分裂的になり、アンビヴァレントになる。西洋の文明を歎賞し同時に嫌悪するのである」。レーヴィットがこのようなメッセージを日本の読者に送ることになったきっかけの一つにこういうことがある。東北大学在任中に頼まれて添削をした論文の多くが、まるで「ヨーロッパからすでに何もかも学んでしまって、今度はそれを改善し、もうそれを凌駕していると思って」おり、そういうヨーロッパ文化の超克という掛け声とともに結ばれているのに驚いたことである。ここにあるとんでもない思い違い、とんでもない皮相さに、レーヴィットはヨーロッパの〈哲学〉の何たるかをあらためて確認する必要を感じたようだ。
 「前世紀の後半において日本がヨーロッパと接触しはじめ、ヨーロッパの「進歩」を歎賞すべき努力と熱っぽい速さをもって受け取った時は、ヨーロッパの文化は、外的には進歩し全世界を征服していたとはいえ、内実はすでに衰頽していたのである。しかし、十九世紀のロシヤ人とは違って当時の日本人は、ヨーロッパ人と批判的に対決しなかった。そして、ボードレールからニーチェに至るヨーロッパの最上の人物がさすがに自己およびヨーロッパを看破して戦慄を感じたものを、日本人ははじめ無邪気に、無批判に、残らず受け取ってしまった。日本人がいよいよヨーロッパ人を知った時はすでに遅かった。その時はもうヨーロッパ人はその文明を自分でも信じなくなっていた。しかもヨーロッパ人の最上のものたる自己批判には、日本は少しも注意を払わなかった。……日本の西洋化が始まった時期は、ヨーロッパがヨーロッパ自身を解決しようのない一箇の問題と感じたのと、不幸にも同じ時期であった。外国人にそれがどうして解決できようか」(柴田治三郎訳)。
 ヨーロッパの文明は「必要に応じて着たり脱いだりすることのできる着物ではなく、着た人のからだのみならず魂までも変形させる気味わるい力をもったもの」であるのに、日本人はその最上の部分のみを採り、みずからのうちの最上の部分とそれをつなぎ合わせれば、ヨーロッパに優越できると信じられないほど安易に考えている(レーヴィットは森鴎外を例にあげている)。が、ここに欠けているのは、ヨーロッパ文明がほんとうに重視してきた〈批判〉の精神である。「何か他のもの、知らないものを体得するには、あらかじめ自分を自分から疎隔すること、すなわち遠ざけることができ、それから、そのようにして自分から離れたところにいて、他のものを知らないもののつもりでわが物にする、ということ」である。レーヴィットのいう〈批判〉の精神とは、「世界と自己自身を観る客観的な即物的な眼差、比較し区別することができ、自己を他において認識する眼差」のことである。
 これに対して、日本の哲学研究者たちは「ヨーロッパ的な概念――たとえば『意志』とか『自由』とか『精神』とか――を、自分たち自身の生活の言語にあってそれらと対応し、ないしはそれらと食い違うものと、区別もしないし比較もしない」。つまり彼らは他から自分自身へ帰ることをしない、ヘーゲル流に言うと、他在において自分を失わずにいることがない、だから自由ではないのだ、そうレーヴィトは言うのである。ここから彼の有名な比喩が出てくる。日本人は言ってみれば二階建ての家に住んでいて、一階では日本的に思考したり感覚したりしているが、二階にはプラトンからハイデガーにいたるまでヨーロッパの学問が紐に通したように並べてあるという、あの痛烈な皮肉である。これはおそらく、日本人の講壇哲学者たちが二階で研究者として使用する言語と、ひとりの生活者として一階でいわば前学問的に使用している言語との、ほとんど架橋不可能な断絶への警告でもあった。現代日本におけるポストモダン論議や「近代の超克」論を見ていると、西欧人による西欧の自己批判をそのまま鵜呑みにし、それに乗ってみずからの立場の伝統的西欧への優越を感じるという愚を、レーヴィットが苦言を呈したちょうど五十年後のいまもわれわれが免れていないことを思い知らされるのである。
 レーヴィットのいう〈批判〉の精神とは〈否定〉の精神であり、「否定することの建設的な力、古くから伝えられて現に存在しているものを活動の中に保ち、さらにその上の発展を促す力」のことである。「およそ現存するもの、国家および自然、神および人間、教義および偏見に対する批判――すべてのものを取って抑えて質問し、懐疑し、探究する判別力、これはヨーロッパ的生活の一要素であり、これなくしてはヨーロッパ的生活は考えられない。その(ヨーロッパじしんもしばしば失うことがあった)精神をこそ体得せねばならないと、レーヴィットは伝えたのであった。

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