研究活動の不正行為に関する特別委員会(第6回) 議事要旨

1.日時

平成18年6月23日(金曜日)16時~18時

2.場所

学術総合センター中会議場3、4

3.出席者

委員

石井主査、中西主査代理、磯貝委員、金澤委員、末松委員、坂内委員、寺西委員、松本委員、水野委員

文部科学省

吉川科学技術・学術総括官、江﨑企画官

4.議事要旨

(1)研究活動の不正行為に関する特別委員会報告書(案)について

 主査及び事務局から資料2-1及び資料2-2について説明があり、意見交換が行われた後、意見募集のための報告書(案)のとりまとめが主査に一任された。主な内容は次の通りである。(○:委員、△:事務局)

○ 現状の研究、特にライフサイエンス関係の研究の環境での話として指摘しておきたい点がある。資料3-2の14ページの2の(1)予備調査のところで、生データ、実験・観察ノート、試薬等の保存期間というのを研究機関が定める保存期間として今まで議論している。ライフサイエンスの研究の中に、病院で倫理委員会等の承認を受けて人から採取したサンプルを使って行う臨床研究等がある。ここでは多くの場合に倫理委員会の規則できちんと申告した内容以外のことに使われないように、通常サンプルを破棄したり、それを求めたりするケースがある。研究機関の中でも、例えば基礎研究に関するものの保存期間はこうであるとか、臨床研究に関するものはこうであるというところで、同じ機関内でも規則レギュレーションが異なってくるケースもあるので、それはその規則に従うという理解で良いのか。

○ それは病院が研究機関である場合か。

○ 病院の場合であるが、病院と医学部が倫理についての機能が分かれていないケースがほとんどで、大抵の場合、そういうIRBと呼ばれる倫理委員会や承認機関は学部に入っていることが多いと思うので、そのような指摘をした。それに対する研究費も非常に大きなものが動いているが、今の話は人からいただいた試料を多目的に使わないために破棄を求めるものであり、それはどの研究にも必ずついてまわる現状があることを記録に残して欲しい。

○ 最小限それはそうするが、それは実験の再現のために使うことが目的外になるのか。

○ 具体的に言うと、遺伝情報の研究において、ある薬に対して非常に感受性が高い場合に、特定の遺伝子だけを調べて、この人はある特定の薬に非常に敏感である可能性が高いので注意して使おうという検査を行う場合や、基礎的な研究対象としてそのようなことを調べるケースもある。ところが、そのサンプルをとっておくと、同じサンプルから全く目的と違う遺伝子の配列等の研究を行おうと思えばできる。それは倫理委員会から厳しい制約を受けていて、通常、目的を達したらサンプルは破棄するのが原則になっているので、それはその研究機関の規則あるいは省庁が定める別の決まりがあり、それに従うものと思い、ここを読んだが、そのような理解で良いか。

○ 良いと思う。ここで書いてある「研究機関」という言葉が、1つの研究機関が1つの何かを作るのではなく、研究分野ごとにある種の年数でも何でも決めるのであれば、それぞれ1つの研究機関でいろんなルールがあっても良いと思い読んでいた。

○ 実際問題として、「保存期間」と書いてあるところの1行前に、「各研究分野の特性に応じた合理的な保存期間」と書いてあるので、修正の必要なしと理解した。

○ 告発をした者の扱いについて、その委員会で認定するとされたことについては、もう少し手を加えた方が良いと思う。容疑者と名指された者の人権ほどもろいものはなく、放っておくと我々の社会は魔女狩りにしてしまう。被告発者が魔女狩りの対象になることについては、かなりきちんと手続を踏むことになっている。例えば説明責任という形ではなされているが、逆に言うと、説明責任を果たすことは反証の機会を与えられているということでもある。ただ、今度は告発者が判明して認定されてしまうということになると、その告発者が悪意だということの判明については、同じ委員会が認定できるとした場合、その適切手続が保証されているかどうかというのが少し危ういと思う。例えば、資料2-2の14ページで、「予備調査で悪意に基づく告発と判明したときは、調査機関はその旨を通知する」とあるし、16ページでも、「告発が悪意に基づくものであると判明したときは」とある。同じように20ページ4のところで、「悪意に基づくものと認定された場合」とあるが、これらの判明や認定は、簡単に分かるものではないはずだと思う。つまり、そこでの適正手続が十分に保証されて、告発者側でも十分に自衛の機会、自分が悪意ではないという反証の機会を与えられた上で認定される必要があると思う。もし、この委員会の認定が必要であれば、それらの手続を少し書き込んで欲しい。危惧であるので、その委員会に委ねるという形にしても良いが、これが機械的に適用されると、不正行為の認定については十分気を付けても、悪意だという認定については、悪意か不正行為かどちらかを認定しなくてはならないと調査委員会がうっかり考えてしまうリスクもあると思う。悪意だという認定も、不正行為の認定と同様に非常に慎重に行わなくてはならないことを、どこかに書き込む必要があると思う。それから、悪意だという認定をした後、13ページに、「悪意に基づく告発であったことが判明したときは、氏名を公表すること、懲戒処分や刑事告発があり得ることなどを機関内外に周知する」とあるが、懲戒処分や刑事告発があり得ることなどを機関内外に周知することは、いいかげんな告発が行われないための脅しとして良いと思うが、懲戒処分や刑事告発を発動するときには、それなりの手続が必要なので、あり得るというのはそれなりの手続が踏まれることを含意しているのだと理解をするが、氏名の公表は自動的に行われると書いてあり、人名を公表することだけでも非常に大きな制裁である。告発者が、自分は正当に告発したつもりだったのに、その調査委員会が動いていて、不正行為を調査していると思っていたら、いつの間にか自分が悪意による告発者であると氏名を公表されてるという、一瀉千里にいってしまわないかという危惧がある。その辺りについて、慎重に適正な手続が行われて、魔女狩りも防がなければならないが、魔女狩りの魔女狩りも防がなくてはならないわけで、そちらの手続についても慎重な書き込みが必要だと思う。告発が悪意に基づくことを証明するのは相手側である。不正行為に関しては、不正行為でないということを研究者自身が証明するのが原則であるという違いがあるので、手続は当然、告発が悪意であるということを相手側がきちんと証明しなければならないのは当然のことだと思っている。それに則って文章をどのようにしたら良いか、後で教えて欲しい。

○ 資料2-2の16ページの一番下の行の「(上記(2)2)も同様とする」という括弧書は必要ないと思う。上記(2)の2は2つの大きな文章からなっていて、両方を言うのか前半だけ言うのか分からなくて、同様とする括弧の中身は、どちらのことを言っているのか、両方のことを言っているのか。

○ これは、上に書いたことであるという注である。

○ (2)の2には大きく2つの問題を書いてあって、その両方を含んで言っているのではなくて、前半だけ言っているのではないかと思ったが、全部を言っているのか。

△ 2の全部が入っている。

○ 全部入っているとすると、該当しない場合も含めて2全部という意味か。

△ 2つの大きな文章からとなっているというのは、ただし書きとその前のことだと思うが、ただし書きというのは、前の文の、例外もあるという例外以外のことも書いてあり、これも含めての話である。

○ 了解した。

○ 「5年ないし10年」というのは、「5年から10年」に直したが、あまり気に入らない。「ないし」というのはもともとそういう意味しかない。このような場合はどうするのか。「5年以上、10年以下」と書くのか。「から」というのが気になるので、修文のときに直すかもしれない。

○ 「ないし」という表現では、どのような誤解があり得るのか。

○ 「ないし」というのは「または」と理解さる場合がある。

○ そうすると、これだと2年か4年と読む人がいるのか。このような文章ではあり得ないと思う。

○ これまで認定する3者アカデミーと配分機関とは少し任務が違うのではないか、配分機関の独自の考え方で上がってきた答えに対して何か考えるべきだと言ってきたが、それについて、今回の中で何カ所かで配慮されているので、色々なところで配分機関は配分機関で、必要に応じて独自の考え方で問題を整理できるようになったと思うので良かったと思う。

○ 資料2-2の1ページの4行目、直されたアンダーラインのところはよく分かるが、その後ろを続けて読むと、「地球規模での課題への対応等が課題」と、「課題」、「課題」となっているので、後ろを「必要」としてはどうか。

○ さらにその下に、「従来にも増して増大」等、色々あるので、最後に全文を整理する。

○ 2、3ページについて、1の(2)において、科学研究には2つあるということを言って、トップダウンやボトムアップはこのように書きかえられて良かったと思う。その上で、後の研究の類型として、政策目的を達成するための研究という分類が2ページと3ページにも明確な政策目的のもとに行われると書かれているが、ミッションオリエンティドというのは、政策目的を念頭に置いたものもあるが、おそらく研究開発のうちの応用研究や開発研究は、政策研究だけでは必ずしもないと思う。そこら辺のことをきちんとするためには、政策目的ではなく、より広い社会的目的という文言等を入れた方が適切だと思う。

○ 政策研究では狭いというのは、指摘の通りだと思う。
 社会の方へ持っていくのか、もっとぼやっと一定のとか、開発目的というのもある。

○ 個人的な印象で言うと、ぼやっというのが一番良いと思う。

○ ミッションオリエンティドというのは、例えばこのロケットを飛ばすためにというミッションだ。それは政策目的でもないし社会的目的でもない。

○ 一定のということで言った方が良いかもしれない。

△ 学術研究の対象として比較的よく用いられるものだから、分かりやすくしただけで、全てを包含する言葉が見当たらなかったので、このような表現にしている。

○ 一定のミッションをという言い方もあるとは思うが、あまり片仮名を使わない方が良いという考え方もある。

○ 一定の目的という形ならば、政策も当然入ってくる。

○ 2ページの「研究者の自由な発想等に基づく」の「等」というのはどういうものが入っているのか。

△ これは、興味関心や好奇心等がよく使われるが、長くなるので「等」とした。

○ そういうものを全部をひっくるめて自由な発想と考えているが、いかがか。

○ 必要ないかもしれない。それから、5ページの下の方の「同じ研究室においても、他の研究者がどういう研究をどのように行っているのかわからないという状況が現出している」というのは、このように書いて良いか。「一部には」という限定をつけた方が良いかもしれない。この問題を議論していたときに、「もし疑われたら自分のところの全研究者を動員して、みんな再現の実験に取り組ませる」と言う研究者がいたので、それは「やれ」と言えばやれる体制にあると思ったが、どうか。

○ 研究室で研究をしている人間としては、奇異には感じないので、これで構わないが、ただ、どこの研究室でもこのようなことがあると受け取られるとすれば、少し行き過ぎかもしれない。もしそれを避けるなら、「わからないという状況さえ現出している」とするなど、ニュアンスを緩めた方が良いかもしれないが、これはしょっちゅうあることである。

○ おそらく研究室という考え方の定義や概念によると思う。

○ 最近問題になっている某国立大学の工学部の先生のケースは、1人の教授の下で全然お互いに分からない状態だったそうで、「研究室」というぼやっとした言い方にしているが、「講座」とも言えない。

○ 「講座」と言えば、もっと問題になる。

○ 工夫すれば研究室の定義が少しぐらいぼやっとしても許されると思う。

○ ガイドラインを全体でもう1回見渡したときに、4ページの「研究者、研究者コミュニティ等の自律」に、若い研究者を育てる指導者自身がこの自律ということを理解し、若手研究者や学生にきちんと教育していくということが重要であると書かれている。実は研究と教育はきちんと線を引けない部分があって、初めて研究をやる若い人たちにものを教えていく、その若い人が研究を実際にやり始めて、魔が差して不正行為を行った場合、完全にFFP(捏造(Fabrication)、改ざん(Falsification)、盗用(Plagiarism))で作ってしまった場合と、きちんと認定できないケースもあると思う。それを正直に指導者に言った場合、まともな指導者であれば、その出してしまった論文を取り下げる行為を普通行う。その一番大きな意味は、サイエンスのコミュニティで、自分の研究室から出した論文に間違いがあって、最初にやらなければならないことは、だれが悪いかではなくて、その情報が国際的に全部広がっているから、それは間違いであるということをいち早く外国も含めたコミュニティにきちんと言うことがある。それを妨げるような規則になってしまうと非常に良くないので、最初にやらなければならないことは、調査委員会を開いて、だれが黒で、だれが白かということを決めることではなくて、間違ったデータを出してしまったという行為がきちんと国際的なコミュニティに伝わるということが非常に重要だと思う。例えば自分が指導している学生が仮に不正行為を行ったときに、指導者がしなければならないことは、これは間違いなので、取り下げるということである。それが今までは働いていたと思うが、このガイドラインができた後にそのような自浄行為が何か微妙な抑制がかかる可能性がないかを考えながら、この報告書をもう一度見る必要があると思う。教育に関わるところでこのガイドラインがそのようなものを妨げるものではないと。悪意というと、先ほどの悪意と間違ってしまうが、実験結果としては正しいが、解釈が間違ったものを自ら申告して取り下げる行為は、このガイドラインの外の話だから、そこが分かるように、きちんとどこかにその文章を入れた方が良いと思う。大抵の場合、それを自分から「間違いだった」と言って取り下げると、その研究者はその分野で信用されなくなり、大変なことになる。逆に言うと、自分の学生が過ちを犯したと言うことは非常に勇気のあることである場合もあるから、そこをきちんと区別できるような文章はどこに入れることを、考えておかなければならないと思う。

○ 本特別委員会で問題にすべき不正行為と科学上の誤りが、しばしば混同とまではいかないが、すれすれのところで発言がすれ違っているところがある。だから、きちんとデータはそろえてあるが、基本的に科学的に間違いを犯している場合が、不正行為ではない。これは、研究者の良心の問題というとよく分からないが、科学上の一種の作法だと思う。そういう問題であるというふうに定義のところで何か整理できないかと思っていたが、いい知恵があれば、教えて欲しい。

△ 16ページに「不正行為か否かの認定」というのがあるが、これは原案ではそのようなニュアンスのこと、つまり「誤りと不正行為というのをちゃんと峻別する」ということを1行入れていたが、修正を加える間になくなってしまっているので、それを改めて記述すれば良いかもしれない。

○ 認定のところか、ガイドラインの目的や定義のところに記述することになるのか。

△ 定義のところの対象となる不正行為に、「故意でない誤りは不正行為から除外される」と記述されている。

○ 先ほど委員が言われたことは、不正行為ではなく、全く勘違いした場合のことか。

○ 原則的にはそうであるが、例えば、ある学生が本当の意味の不正行為を行ったが、それはその学生しか知らず、論文が発表された場合、世間的にはそのFFPを見抜けなかった教授にも責任があるので、一緒に罪を甘んじて受けなさいという仕組みになる。そうすると、もしそういうものが見つかったときに、自浄的に「私のところの学生がこういう過ちを犯したので、この論文は引用しないでください、使わないでください」とそれを同じ研究分野の人たちに対してきちんと情報を流すことがサイエンスの場合は非常に大事なことである。それに対して抑圧がかかる恐れがないかということも、先ほどの意見の中に少し入っている。

○ しかし、それに気がついてなかった人が制裁を受ける。気がついていて、模範どおりのことを行わなかった人は不正行為にあたる。だから、その立場でこのガイドラインは書かれてあるので、良心的な指導者の行動を抑止する結果になるかもしれないという意味が分からない。

○ このガイドラインを巨視的に見てそういう頭でずっと読み返す必要があるということか。

○ 一度はチェックする必要があると思う。

○ 学生の不正行為を見逃して云々というものと、自分自身がやってしまうのはどうか。

○ これは完全にアウトである。つまり、例えば指導者たる者が直接関与して不正行為を行った場合は完全に黒だと思う。

○ しかし、それを何かの勘違いで行った場合、これは不正行為としないことになるがどうか。

○ 境目がはっきりしない部分というのは、論文を出した後に発覚して、これは同じ研究分野の人たちに迷惑がかかるから、すぐに取り下げようと、まともな指導者は思うが、それを行うことが、このガイドラインによって抑制を受ける可能性がないかと考えた。もう少し具体的に言うと、19ページの5の「告発者及び被告発者に対する措置」というところの一番下に、「不正行為が認定された論文等の主たる著者(以下、被認定者等という)が所属する研究機関は、当該被認定者等」と書いてある。例えば、学生が明確なFFPを行い、それが論文を出したときには分からなかったが、論文を出した後にそれが分かった場合、今までであれば、通常その指導者に当たる教授がその論文を取り下げる。しかしながら、それはすごく勇気のあることで、そうすると当然、学生がFFPを行っているから、それの調査委員会が開かれて、調べていけば当然、その学生と指導者の教授に監督責任があるから、両方とも黒になってしまう。ここの19ページの「当該被認定者」というのは、主犯が学生の場合、その教授も当然黒になる。何もしなければ、その教授が何もしないで表に出さなければ何も分からないということにならないかどうか。

○ だから、それが露見したときには不正行為になるが、自らそれを申し出て、論文を取り消したら、その行為によってその人は不正行為でなくなる。

○ そのことがこの文章で分からないと思う。

○ そのような恐れがあるかどうかという頭で文章を読み返すこととする。

○ 例えば、今のようなケースは、論文を取り下げているから。告発という事態はない。だから、これは告発によって何かの作業が始まるわけで、そういう意味ではこれに該当しないが、そのときに最初の学生は、このガイドラインで処理するような問題でもないと思う。それは研究機関の自律的な問題に任せておけば良いので、それもこのガイドラインには入ってこない。つまり、だれが告発しない限り、このガイドラインは動き出せないというのが自分の理解で、研究者が自律的に間違えたり、身内の適切でない処理について、自らが自らを律してきちんとすれば、それはこのガイドラインが適用される以前に問題は解決していると理解して読んでいる。だから、今のようなケースでも学生がこのガイドラインで何か制裁を受けることはないと理解している。

○ 自分もどちらかというとそちらに近い考えである。つまり、指導教授が本当に目を光らせて、見つけていたらもともと出なかった。そこでもって内部で教育的指導が行われるという状態に戻ったと理解できる。法律の例を持ち出すとまた混乱するが、「自首」というのがある。自首というのは別に罪がなくなるわけではなく、罪が減らされるというだけの話だが、こういう場合にはむしろ、教育的な指導がそれによって学生が身にしみれば、それで良いのではないか。あまり犯罪の場合の類推は使わないほうが良いかもしれないが、普通の犯罪のケースで言えば未成年者扱いになると思う。まだ一人前の研究者ではないから、本当に悪いのは指導を十分行わなかった先生かもしれないと思っておけば良いわけだし、それを形式論的に言えば、告発がないのだから、職権によって行うことはできるとここに書いてある。しかしながら、そのように研究機関が自発的に懲罰権を発動しない方が適切な事案であると思う。

○ ただ、どこかに最初の方に基本的には自律的に行うべきだという文章があったほうが良いかもしれないということはあるが、全体としては私は自律的に動いている部分は、このガイドラインの範疇外だと思って読んでいるし、そういう心配があるということであれば、後ろの手続論ではなく、最初の方に書いておいた方が明快だと思う。

○ 告発があってから動き出すので、その問題は問題にならないとは必ずしも思えない。措置の対象者で不正行為に自分が手を染めたものについては、このような措置を受けるのは当然だと思うが、先ほど指摘があった2の不正行為に関与したと認定されていないものの「不正行為があったと認定された論文等の主たる著者」というのは少し危ないと思う。これはもう少し留保をつけて、「著者で不正行為の存在を知るべき立場にあって、そのとき適切な措置をとらなかった者」というように少し構成要件を足した方が良いと思う。例えば3ページの不正行為とは何かというところの後段に、不正行為とはこのようなものであると書いて、後で念のために「学問というのはさまざまな誤り、試行錯誤に基づいて発展していくものであって、広く正誤については科学上の自由競争に委ねられる」という文言を入れて、それから「自主的に誤りが判明した場合には、これを積極的に明らかにしていくことが科学者の倫理の1つのものとして強く要求される」という文章をこの不正行為のところに入れ、このガイドラインが対象とする不正行為はこのようなものとは一切関わりがないという文章を入れておくと良いと思う。

○ 最後のラストオーサー、それを一律に扱い得るのかというのが一番難しい問題だと思ってきた。だからといって、適切な何かを怠ったという構成要件をつけ加えると、それについての判断は難しくなる。

○ 先ほどの意見に賛成で、一番注意しなければならないのは19ページの一番下の部分、「不正行為が認定された論文等の主たる著者(以下、被認定者等)」と、「等」が入っている。この「等」はそういう意味で拡大解釈される可能性がある。その後ろが非常に曖昧で、「当該」、「当該」と続くが、1つの案として、「所属する研究機関は、不正行為に関わった被認定者・関わったと認定された者」とか、「当該」という表現は使わない方が良いのではないか。それから、「等」というのも、ケース・バイ・ケースで、直接FFPに関わった人と関わってない人というのを、機関の調査委員会できちんと分けられるのであれば、白か黒かに関しては、そこに委ねることになる。

○ この「等」ははっきりしていて、ここは前に2つ並んでいて、後者も含むという意味であるから良いと思うが、「当該」が良いかどうかは別の問題である。

○ 例えば「当該被認定者等に対し、ただちに当該競争的資金」というと、その学生が不正と認められた研究に関わる研究費の停止のことだと思う。

○ その研究室には研究費を出さないということである。

○ その研究室への研究費全部が止まってしまうということではないのか。

○ 止まるというつもりで書かれている。

○ 「当該」という言葉で書いておけば、そこがどういう仕切りになるのか。

△ まず、「被認定者等」というのは定義をしていて、それは不正行為への関与が認定された者、それから関与は認定されていないが、不正行為が認定された論文等の主たる著者という、この2者が「被認定者等」となっていて、その後も同じ定義になっている。それから、「当該競争的資金」については、例えば、科学研究費補助金として1億円が交付され、不正があった場合は、この1億円全てが「当該競争的資金」に当たる。

○ その研究室に対して研究費を止めてしまうという意味か。

△ そうである。

○ その大学院生に研究費を止めるだけでなく、「等」と書いてある、つまり認定されなかったが、主たる著者である人も入っているからである。

○ つまり、今、研究費というのは非常に目的別にきちんと切り分けて使うことになっていて、その複数の研究費を実際に動かしている研究室や研究機関は数多くあると思う。そこで、FFPに直接関わっている全ての研究費を止めるのは当然だと思うが、その研究と関係のない研究費も全部止めることになるのか。

○ そうではなく、当該競争的資金の支出を止めることになると思う。例えば、厚生省と文科省と両方から交付され、一方のチームは厚生省の研究費で行い、もう一方のチームは文科省の研究費で行われ、主たる著者は共通だというときに、仮に文科省の科研費で問題が起きたら、そちらを止め、厚生科研は自動的に止まらないという理解で良いか。

△ その通りである。

○ この点は意見募集を行うときに非常に重要なポイントになると思うが、例えば文科省の研究費でも、目的の違う研究費として、あるものは日本学術振興会から来たり、文科省から直接来たりする中で、特定の学生が行ったFFPで、不正行為が認定されて、その研究費だけが止まるのか、それとも直接関係のない文科省関係の研究費も全部止まるのか。

○ 前者である。

△ それに関連して、措置というのは2段階になっていて、今、委員が言われた19ページの措置というのは、不正だと認定され、その後に、配分機関が委員会を作って措置を決めるが、その前の段階でとりあえず止めるというのが19ページの支出の中止である。

○ 一種の仮処分にあたる。

△ その措置の中には、22ページに競争的資金の打ち切りがあって、例えば、1の4行目以降、「なお、不正行為があったと認定された研究が研究計画の一部である場合、当該研究計画に係る研究全体への資金配分を打ち切るか否かは、委員会が判断する」と、不正行為に関わった人のみが打ち切られ、他の研究に影響を及ぼさないようにできると書かれている。

○ 19ページの一番下の2「認定後の措置」というのは、「認定後のとりあえずの措置」というようにしないと、分かりにくいと思う。また、「調査中における一時的措置」「認定後の」も一時的になってしまうので、違うと思う。

○ 「措置」という言葉で全部一緒にしないことが一番分かりやすいと思う。「処分」という言葉は、後で本格的になったときに使うことで良ければ、そこで使い、これは一時的な措置であるということを分かるように書き分ける方法はあるかもしれない。誤解が生じないような確認は、最終的に行えば良いと思っていたが、意見募集のときに誤解を招いて混乱することは避けたいから、できる限り改善をしてから意見募集を行いたいと思う。

○ 4ページ目の5の3行目の「自律」という言葉にはオートノミー(自律性)とディシプリン(規律)の2つの意味があって、この場合はディシプリンのような意味だと思うが、それが分からないので、「自己規律」とした方が良いと思う。

○ その方が分かりやすいと思う。これはセルフ・ディシプリンのことである。

○ 5ページ目の2の2に「研究者は使命感を基礎に」と書いてあるが、その前の前の行にも「使命感」、その前にも「使命感」とあって、「研究活動の本質を理解し、それに基づく作法や倫理を身に付けている」というのは使命感なくても、普通の人間であれば当たり前だと思うので、「使命感を基礎に」というのは削除してはどうか。

○ 先ほどの発言の部分について、「規律」には、オートノミーと自己規律という2つの意味があって、自己規律ということになると、5の3行目の部分が、現状では「大学・研究機関の自律に基づく自浄作用」となっているが、この「自律に基づく」というところが「自己規律に基づく」となる。自己規律は意味として必要なことで、それと別の意味としてのオートノミーとは、自己規律がうまく運用されるための前提条件の1つかもしれないと思った。なぜならば、対応するときに、まず例えば政治的影響力等を排除して、科学者集団が自らの責任でそれを行う。そのような条件が担保されていないときに自己規律を謳っても、あまり意味がないと考えた。それゆえ、自己規律という面とオートノミーという面は、そのような意味で共に盛り込んでおく必要があると思ったが、いかがか。

○ 自己規律と自律性という別の言葉で並べるはどうか。

○ 自律と自己規律、あるいはオートノミーと言っても良いのではないか。

○ オートノミーと自己規律との関係というのは、今の発言のような方向の問題と、自己規律がないところにオートノミーはないというのもあるわけで、どちらが原因で、どちらが結果であるかということになると、そこの面をどうここに投影しているかということである。

○ 生データ、実験・観察ノート、試薬とあるが、ノートにつけずにコンピュータの中にノートを作っている人もいる。また天文学を研究している人は観察したものをノートには写せないので、ノートは、「記録媒体」等ほかの言葉に変えた方が良いのではないか、あるいはこのままにして運用で変えられるのか。

○ 「ノート等」とするか。電子媒体は、改ざんの恐れがある。コンピュータで色々仕事をするが、最後はきちんとバインドしたノートに写したり、画面を見ながらそういうものに書いて、きちんと記録したりするのが作法だと言う先生もいて、最後のよりどころは、差し替えのできない紙媒体が大事だと聞いたこともあるので、ノート、ノートと呼んでいる。

○ ただ、いつそのファイルを作ったかという作成日が残るから、それがうまく残るような形であれば良いのではないかと思ったが、いかがか。

○ それは、自分のところだけで行っていると改ざんできる。例えば研究機関でまとめて1つデータベースのようなものを用意して、そこに一度通信してはどうか。

○ それは難しいと思う。

○ セキュリティの問題があるから難しいのは分かっているが通信をすれば跡が残るから可能ではないか。自分の研究室のコンピュータだけで行っていると、問題なので、どう考えたら良いのか、このガイドラインの範囲内かもしれないが、その議論を始めると切りがないので、今まで何もそこには触れてなかった。

○ 「実験ノート等」としてはどうか。

○ そこに何かうまい表現があって、容易に改ざんができないものだという定義や形容詞がつけられると一番良いが、何か良い知恵はないか。要するに後からいじることができないものということである。「ノート等」何とやらとしたいと思っている。

○ これがガイドラインとして設定されると、それを受けて大学や研究機関ではきちんとしたものを作ると思うが、趣旨が合っていれば運用で多少は柔軟性を持たせることができると理解して良いか。

○ できるという理解で良いと思う。

○ 調査期間も30日、50日に柔軟性を持たせるとか、調査についても予備調査と本調査をどこかに委託するなどを行っても良いか。

△ それは、これに因らないこともできると措置のところに書いてある。ガイドラインというのは、あくまでこれを参考にしてくれということで、これに則らなければならないという趣旨ではない。

○ 3ページの「不正行為とは何か」という先ほど議論があった部分について、その3行目の「正常な科学的コミュニケーションを妨げる行為に他ならず、研究者倫理に背馳する行為である」との記述は、研究者倫理に背馳する行為が不正行為であるというのは同じ言葉の繰り返しに聞こえる。言葉で言うと、「研究者集団の自己破壊につながるような」といった表現がFFPとして念頭にあると思う。つまり、そこが崩れると科学の営みというのは品質が保てないと思う。だから、そのことを明確に伝えるためには、不正行為の定義の部分で、研究者倫理に背馳するということをもう少し砕いた形にして、研究者集団の自己破壊につながる行為であるということを言えば、うまく伝わると思う。

○ 何らかの不当な被害妄想、精神的に加害の衝動に駆られた学生が、その論文の研究室のトップを陥れるために、不正行為を故意に行った場合、そのことが発覚したことによって、ねらい通り、研究室のトップの研究費が全部止められる事態をきちんと防げるような書きぶりになっているのか。

○ それは、先ほどの場合には学生の方に悪意がなくても、間違いが起きてしまったという場合や、単純に自分の功名心のために不正行為を行い、教授がラストオーサーとして見抜けないで出してしまった場合に、それに気付けば、すぐに取り下げれば良く、それが1つの救済の道である。もう1つは、自分が結局気付かず、告発されたときにどうするかをどこまで考えておくかということだと思う。それはまさに悪意の告発になってしまうから、準じた形で問題回避できないか。つまり、今言われたのは他人を陥れるための悪意の不正行為のことか。

○ そうである。それを発見できない場合が現場では数多くあり、実際に、そこまでやられてしまうと思う。

○ 今まで例があったかどうかを考えれば良く、2、30例があった中に、不正行為はあったが、だれを陥れる行為はなかった。それは論文は自分に不利益になるので、論文の不正ではなかった。実際に、ある国立大学で、アイソトープをばらまかれたことがあったが、それは上の責任者への嫌がらせのための行為はあった。論文ではそのようなややこしいことはしないと思う。

○ おそらく、論文が正しいかどうかという問題と、資金配分機関がそれを全体としてどう判断するかという問題を分けて欲しいというのは、そのようなことも考えれば、一体何だったのかというあたりは、科学者としては論文の作成プロセスに何か問題があったかどうかを明らかにせざるを得ない。しかし、それを全体として研究費というレベルで見たときに、どこに問題があるのかという話と少し分けて欲しいと言ったのは、ずっと単純につながっていくものではないのではないかということを考えて言ってきた。だから、そういう問題があったら資金配分機関がきちんと独自に判断すれば、しかるべき答えは出てくると思っている。ただ、そんなに融通を効かせて良いかはまた別の問題で、このガイドラインがあるわけだから、ガイドラインに沿って進めるにしても、極めて稀な想定できない問題は、そこで最後は処理されると思っている。

○ そうだと思うが、それをひっくり返したようなケースで、今のは直接の下手人は学生が悪意を持ってやった場合であるが、そうではなくて、トカゲのしっぽ切りを先生が行う場合もある。「おれは知らなかった。不明はお詫びするが、私は不正行為をやるつもりでやったわけではない」という場合もあり、そちらの方が怖いくらいかもしれない。結局、最後は、研究者の自己規律の精神が、研究機関の調査機関ないし調査委員会の中で働くことに期待をかける以外にないのではないか。こういう場合はどうだ、こういう場合はどうだということには、必ず裏がある。ちょうど裏返しの問題も心配しなければならない。冤罪を防ぐことは必要なことだが、それは同時に、かご抜けをやりやすくすることにもつながり易いので、二重、三重に、例えば学会の方で見ていれば、これはトカゲのしっぽ切りだけというのが分かるものではないのか。要するにそれが自浄作用だと思う。だから、この委員会自身が自分の仕事、あるいはできる範囲についての自己認識をしっかり正すことが必要であり、かつ、そういう言い方をして良いのか分からないが、自己限定をして、限界があるんだということを、少なくともアカデミアの研究者の世界にはきちんと発信した方が良いかもしれない。ここで完璧なガイドラインを作って、参考にしてやってくださいという態度は避けるべきだと思う。

○ 先ほど委員から指摘のあったところで、7ページの2「防止のための取り組み」のア)の「大学・研究機関、学協会においては」、ここを、これは案だが、「実験・観察ノート等の記録媒体の作成・保管」となっているが、「作成」の前に「様式」というのを入れてはどうかと思う。そうすれば、少なくとも我々の研究フィールドでは、例えば家計簿のようなノートで紙が外れず、ページの番号が全部入っていて、そして空欄を全部バツにして、そこに書き込めないようにするなど幾つかの様式がある。ただ、それをここで文言を全部書いていくのは不可能に近いし、フィールドによって違うと思う。だから、研究機関がそういうものを、様式を決める義務がおそらくあると思う。

○ 研究機関単位ではなく、研究機関の中で、例えば、医学部はこうであるということか。

○ そうである。そういう規則を、研究機関が実際に何か問題が起きたときに調査する以上は、やはり研究機関がそれをきちんと自律的に決めていく責任があると思うので、そこを、今言ったような形で「実験・観察ノート等の記録媒体の様式・作成・保管や」とすれば良いと思う。

○ 紙の帳簿でなければだめだというのもあれば、コンピュータでも良いというところもあるということか。

○ それはケース・バイ・ケースで全部違うと思う。

○ そこまで書くのはどうかと思う。なぜかというと、これは守ってもらわなければならず、実行が可能かどうかである。これは例えば医学部、理学部という学部単位で行っても不可能に近い。

○ しかし、実験ノートはこういうものだよという実物があって、先生が毎日それをつけたり、先輩の助手や先生が記録することが大事である。だから、様式というのは何も明文で決める必要はなく、100年も前から行っている、こういうものだというものもある。

○ 一般的に「様式」という言葉が入ったときに何を考えるか。普通の実験ノートというのは書いてあるので、実験ノートで十分ではないかと思う。実験ノートの作成というのは、書き方も含めて作成なので、敢えて「様式」という言葉を入れなくても理解できる。だから、「様式」という言葉が入っているという意味は何だろうかと思われてしまわないかと感じた。

(2) 今後の予定について

 事務局より今後の予定等について説明があった。

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