研究活動の不正行為に関する特別委員会(第2回) 議事要旨

1.日時

平成18年4月7日(金曜日)16時~18時

2.場所

三菱ビル964・965会議室

3.出席者

委員

石井主査、磯貝委員、金澤委員、坂内委員、末松委員、中西委員、松本(三)委員、水野委員、村井委員

文部科学省

小田科学技術・学術政策局長、吉川科学技術・学術総括官、江﨑企画官

4.議事要旨

(1)研究活動の不正行為の対応についての論点別考え方について

 事務局から、資料1の「1.本委員会の任務(総論)」、「2.不正行為に対する基本的考え方」及び「3.不正行為が起こる背景」について説明があり、その後、意見交換を行った。主な内容は次の通りである。(○:委員、△:事務局)


○ 本来は総論の部分で不正行為の定義が出てくるべきだと思うが、いろいろな流れからデータの捏造等というところで定義をされているのはそれで結構だと思う。一番下の「司法手続継続中」とは、どういう意味なのか。「調査中」ということではないか。

○ 「司法手続継続中」とは、研究機関が仮に不正行為があったと認定し、不利益処分を本人に対して行い、それを不服として本人が裁判所に提訴した場合、その間どうすべきかということである。要するに、機関の対応措置に関する異議を司法機関に申し立てているという場合に、一種のペンディング状態になるが、それをどうするのかということである。

○ 現実に研究費の審査をしていると、申請書自体に、例えば論文の引用で間違いや虚偽が問題になるケースがある。これはある種の非倫理的な行為だと思われるが、そういうものは本委員会で扱う必要はないと思われるものの、どう処理するかということをどこかにまとめられれば良いと思う。

○ 研究の本質や発表がどういうものなのかという定義めいたものを最初に書いているが、これに照らすと、研究費の申請の手続は研究そのものではなく、その公表でもないので、少し次元が違うと感じている。ただ、ファンディングエージェンシーに対して間違いを犯しやすい状態をつくり出す行為でもあり、また余分な手間をかけさせるということで、好ましくない行為であることは言うまでもない。これを研究活動における不正行為として今回の議論の対象にするかどうかは、消極的である。

○ ここで議論する必要はないということはその通りである。これは各研究費配分機関において事実として確認できるはずなので、各配分機関に任せれば良いと思うが、不正行為の中にはそういうものもあるという理解をどこかでしておいた方が良いと思う。ただ、研究活動は立案、計画、申請、実施、報告等からなると日本学術会議の報告にも書かれており、一貫してそれらを研究活動と言えば、それぞれのプロセスで何かが起きるということはあると思われるので、本委員会ではどれを扱うかを最初に言っておけば良いと思う。

○ 2.に三点気になるところがある。一つは(5)の研究者、研究者コミュニティ等の自律というところの2番目の○であるが、研究室・教室単位から学科・専攻、さらに学部・研究科レベルにおいても重要な課題として認識されることは良いと思うが、ここは責任をとれないと思う。認識することは大切だが、これらの責任の認識というところまで発展させない方が良いと思う。二つ目は、(6)の2の防止のための取り組みの部分であるが、実験ノートや観察ノートの作成は当然のことで、基本的なことを行ってなかったことは十分反省すべきである。ただ、これをわざわざ規程等として定めるべきとするのは恥ずかしい。反省するということで良いとも思える。それから、(6)の2番目の○の最後のところの研究者倫理に関する教育や啓発等、研究者倫理の向上のための取り組みが求められるというところは、抽象的な気がするので、具体的に書くことがあれば書いても良いのではないか。

○ 2番目の指摘について、試料、試薬の保存やノートの作成は「作法」に含めたつもりである。最も重要なことはルールをきちんと決めるということで、指導者が、研究というものはこういうものだという「作法」を教えることだと思っている。

○ 本来、2.の(6)の2の防止のための取り組みの中で強調しなければならないことは教育、特に指導者の教育だと思うが、その教育が2の最後に一つ出てくるだけなので、指導者の教育という点を少し強調すべきではないか。

○ 2.の(5)の二つ目の○の、教室や学科で責任をとれるかということについては、責任という言葉の意味にもよるが、まず教育ということではないか。自浄作用あるいは自律と書いてあるが、自ら律するということをきちんと教えることが前提であり、教授が学生も含めて、研究者に仕立てていこうとする場合にきちんと教えるということ自身が、その教授にとっての自律でもあると思うので、表現が不十分であったことは委員の指摘の通りだと思う。また、自分自身の経験に照らせば、責任はとれると思う。

○ 2の(3)の不正行為とは何かの最後の行の非倫理的行為という表現について、研究にとって不正行為をするということは非倫理的であると同時に、自己破壊の営みになると思う。品質管理が全く出来ない知の痛みに事実上なってしまうので、倫理的ということはもちろん、自己破壊につながるということも考えると、少し広がりのある問題の設定の仕方が出来るのではないかと思う。それから、2.の(6)について、全体の見取り図をつくって、本委員会ではこういうことをやるのだということを明らかにしておく必要があると思う。当然その中には本委員会と日本学術会議の行動規範委員会との関係も明示する必要があると思う。研究者倫理と言うと、研究者個人の問題に帰着させておけばそれで問題は済むような感じを受ける。研究者倫理というのは恥ずべきことであり、第一に考えなくてはならないが、同時に研究者と研究活動そのものの仕組みをきちんと適正に保つという両面があってしかるべきではないかと思う。そのこととのつながりでいうと、日本学術会議の初期の段階の議論として、FFPといわれる剽窃や捏造は、ある研究によると分かり易く、すそ野はもっと分かりにくく深刻なものであるので、何がコアであるかということを明確にする必要があるという話があった。不正行為かどうかのボーダーラインケースは膨大にあって、そういう状況に対して我々はどのようなスタンスで臨むのかということはどこかに書いておいた方が良いと思う。

○ 全体の見取り図の中で不正行為と定義したものをターゲットに対応を含めて議論するのであるが、そこのボーダーラインを示すのは難しいと思う。それは、基本的には各研究機関での判断時の問題として提起してはどうか。ただ、議論しなければならないと思うし、しっかり把握することは必要だと思う。これは、不正行為をしたのではないかと疑われている人自身の対応によっても違ってくると思う。不正を否定した時にボーダーラインのところまで議論が行ってしまって、なぜ他の人は良くて自分だけ糾弾するのかという具合いに逆ねじを食わせる議論に使う人も中にいる場合もある。それで最終的に司法機関まで行くことになる。そうなると研究者の倫理自体が云々することさえ出来ないような事態になるのではないか。本来は司法手続まで行かないで、きちんと研究者の世界において処理されなければならない。問題は非常に難しく、どのように扱っていくか考えていきたい。

○ 2の(6)の2の防止のための取り組みについて、この委員会で細かい部分までガイドラインとして示すかというところがあるが、多種多様な研究者が増えてきて、ある研究機関にいる人が何年か経って別の機関に移るという現状を考えると、実験・観察ノートの作成・保管というのは当たり前のことだが、最低これだけはきちんとやってくださいと書かざるを得ない状況になっている現状もあると思う。例えば、2年ぐらい働いた研究者が次の機関に行くという場合に、研究ノートのオリジナルを主たる研究活動を行った場所に残していき、昔の仕事を何年も熟成させた後、論文を書くことがあると思う。その場合に、コピーをどういうふうにとるかとか、そういう細かいことも、文章をつくっておく方が良い。それから、それを防止のための取り組みとして書くのではなくて、自己破壊を招かないようにする、自分を守るためにこれが必要だということをきちんとガイドラインに明記することが必要だと思う。関連して、1の総論の研究者が複数の機関に属している時の対応や認定の取扱いについて、論文ができあがり、公表された時に、その論文の内容の責任を負うコレスポンディングオーサーの認識が、研究のフィールドや学部等によって異なると考えられこの点の議論をしておかなければならないと思う。

○ コレスポンディングオーサーという概念はプライマリー・インベスティゲーター、つまりPIとは違うのか。

○ 少し違う。多くの場合、助成金をとってきて、その助成金のテーマに一致した教室の教授がコレスポンディングをとり、自分のイニシアチブで研究を引っ張っていた若手の研究者が、論文を実際に書いて中の仕事のメインのところもやり、トップオーサーとなるのが普通だが、今では、どの人が一番その仕事に貢献したかというのが必ずしも明快でない場合がある。それは学際研究や違うフィールドの人たちが入って、ファーストオーサーが3人いるような論文もあり、ネーチャーやサイエンスでそのようなやり方をしているケースもある。論文の責任を負う一番重要な人はコレスポンディングオーサーだと思うが、そのコレスポンディングオーサーがどういう責任を果たすべきなのかが明確に定義されていないので、その場合に、特定の論文の不正行為が問題になった場合にそこをどのように考えるかが難しい。雑誌に載った論文に何かそういうシリアスな間違いがあったり、FFPにかかることがあった場合に、仲間うちから見たらどう考えてもおかしいということは雑誌に出た後すぐに分かるケースはほとんどないと思う。その論文を世の中に出そうとした時に誰が責任が重いのかというと、その中身をきちんと理解してコレスポンディングオーサーがその責任をとるのがあるべき姿だと思う。

○ オーサーシップは、分野、学部で大変違うし、大学間でも動機づけにより違うことがある。誰が責任者で、誰がファーストオーサーで、誰がコレスポンディングオーサーであるかはまちまちだと思う。

○ その問題点は、まちまちであるものを一々追いかけて、こういう場合はこうだと、それぞれのケースについて対応を考えるということではないと思う。一言で言ってしまえば倫理ということだと思う。研究者倫理ということで個人の問題にすり替えてしまう心配は確かにあると思うが、研究者倫理という言葉は、コミュニティも含めた研究に携わる人間という、個人ではなくて、そのまわりの組織やコミュニティが大事であるということをここでは指摘したつもりで、必ずしもある特定の個人というものを問題にしているわけではない。誰がその責任をとるのかという問題については、さまざまな研究の形態や組織の形態があるわけで、そこをどういうふうに一つ一つ処理していくのかは、その研究機関であろうと思う。ガイドラインでは、そこまでの問題点は指摘する必要があると思うが、こういう場合にはこうだということを一々言う立場にはないのではないかと思う。

○ 論文に名前が載っているからには、論文のどこに寄与したかというのはある程度明らかにならないといけないと思うし、関係ない人を名前に入れるということは不正だと思うので中で、程度の差こそあれ、全員が何らかの責任を持つべきだと思う。

○ 若い研究者が不正を行った場合、その人だけが責められて、その指導者が余り問題視されないことは問題である。指導者の責任は非常に重い、意図的であろうとなかろうと見過ごしてきた責任は非常に大きいというニュアンスを出すべきである。研究を進めていく過程で、実際に研究をしている大学院生やポスドクにばかり目を向けるのではなく、それを指導している、若い人たちを教育する立場の人を教育するということを大学などのトップが考えなければならない。

○ 例えばクオリティのない論文を公表してしまった研究者は、それ以後の仕事に対しては仲間からの信用を得ることが出来ないと思う。他方、ピアレビューシステムが正常に機能しているかどうかは、それとはまた別の独立の事柄であると思う。従って、両方をきちんと見すえた形で問題を設定していく必要があるのではないかと思う。それから、論文について誰が責任をとるかというのは、例えば、実験系の分野では、コオーサーが100のオーダーで存在する場合がある。そうすると100のオーダーのコオーサーにどのように責任を分配するかは実際にどうするかとなると難しい。そういう中で本委員会として、どういうスタンスで、どこまでのことを、どのように言っていくかという見取り図とそれに対する立場を明確にしておいた方が良いのではないか。

○ 例えば、アメリカの研究公正局が余りうまく機能しなかった。ヨーロッパではより大学レベルでの措置にしているなどの事例や、それぞれの国で作成されている不正行為防止方法のガイドラインなども参考にしてみてはどうか。ここで一から設計するというよりは、そういう事例と比較して、日本にも適用できるようなものであれば、そういうものを参照することによって、国際的な基準にキャッチアップできるようなものを我々としても提示できるのではないか。

○ この委員会は立法機関ではないと思っている。立法はそれぞれの研究機関が成すべきであり、この委員会は、それを促し、かつその立法に際して注意すべきこと、あるいはカバーすべき事項というものを提示することが任務である。それは非常に技術的な問題ではあるが、それの背後にある、そもそも研究というのは何なのか、研究を発表するということはどういうことなのかということが、広い意味での倫理の問題であり、誰が責任をどこまで負うべきかということを判断する際の一つの材料として非常に重要な意味を持つのではないか。我々としては、リアリティーについて十分な理解を深めていく必要はあると思うが、リアリティーを追いかけて、一々それを全部うまくカバーできるような規則をつくるということは必要ないと思う。最高裁のようなものとして文部科学省の委員会を考えるべきでないし、具体的に立法して従わせることでもない。我々が言えるのは、こういうものもある、こういうものを適宜参照しながらきちんと各研究機関でやってくださいということなんだろうと思う。ただ、それを小手先だけではなく、きちんと根本に遡って、それに従った、基本的な考え方をメッセージとしてきちんと出していくことが、本委員会のミッションだと考える。本委員会の最小限の仕事は、ファンディングエージェンシー、文部科学省も含めてそういう間違いを犯した研究者に対してお金を支給していた場合にそれをどうするかということである。そのような人にそもそもお金を出したことについての審査がどうだったのかという問題もあるかもしれないが、それをどこまで取り込むかは別にして、最低限ここでは、公的なお金の正しい有効な使い方をどうするかということだろうと思う。

○ 今の発言には異論はない。この委員会の本論は、4以下のところの議論になると思う。先ほど申し上げた海外の事例の参照は、むしろ1、2、3のレベルのことで、どのようにミスコンダクトの申し立ての処理をするかという立法の形ではなく、むしろ生データやデータの処理、保存方法などの基準の話で、むしろ倫理一般の話である。具体的な不正行為についての措置については、各大学等の機関において、かなり任さざるを得ないものだと思っている。

○ ミスコンダクトというのはどういうものか、それを防ぐためにどういう措置が必要かということも、きちんと決めておかなければならない時代になってきたと考えられるが、各研究機関でやるべきことであると思う。

○ 不正行為とは何かという枠の問題と、どういう人を対象にするかというもう一つの問題があると思う。例えば、2ページの(5)の○の二つ目であるが、基本的にはここでイメージしているのは文部科学省傘下の大学というのがイメージされているが、一方で研究費配分というシステムからいうと、企業にも科学研究費は開放されており、あるいはいろいろな省庁も研究機関の配分という立場からいうと出てくる。ここで議論するのはそういうところではなくて、文部科学省傘下の研究員か、あるいは研究成果が対象であるということで良いのか。その辺の仕分けの考え方を整理しておく必要があるのではないか。もしどこでも入るとすると、こういう学部とか研究科という表現はうまくはまらないので工夫が必要である。

△ 基本的にこの特別委員会で議論していただくのは、まずは文部科学省が所管している競争的資金を活用した研究活動に関する不正行為への対応が主たる目的である。当然、この競争的資金は、企業のような大学以外のところにも配分されているので、その部分についても対象になるという理解で議論していただきたい。

○ 研究機関にメッセージを発する時に、他省庁の機関まで一々考えて言及するより、このようなことは他省庁所管でも同様にやってほしいと書き添えれば良いと思う。

○ 今の点は非常に大事である。4ページの4以下では文部科学省が対応する場合の具体的検討事項が出てくるが、1から3まではこういう検討をやらざるを得なくなった全体であり、出来ればこんなことを防止したいという思いが整理されており、余り文部科学省という単語が出てこない方が良い。どこにでも通用するような形で書いておくべきではないかと思う。その理由は、2ページの(6)の1に日本学術会議のことが記述されているが、日本学術会議では平成15年と17年に報告を出している。また、アメリカでも非常に良いガイドラインをつくってる。これには、研究者に考えさせる想定問題などもあり、答えがあるようでないような非常に良いものになっているが、不正行為はなくなっていない。つまり、ガイドラインをいくら出しても、単に出すだけでは駄目だということである。まとめて予防策まできちんと書いた形で、罰則のようなものまで含めて出すというのが多分仕方がない最後の手段ではないかと思う。全体を通して通用することを前提としてつくる必要があると思う。

○ 当面、我々は、内容的には普遍的であるが、大学的な組織を念頭に置いて文章は書いていき、最後にこれは全部他の研究機関にも共通するものですよということになると思う。

○ その一言があるかないかは大違いである。

○ 今の意見に賛成である。つまり、1から3まではできるだけ普遍的な表現をとっておいて、その中で4以降のプラクティカルな話はこの中のこの部分についてこういう手続でやるんだという、書き分けみたいなことを意識して書かれていると思われる。それははっきりそういうふうにしておいた方が良いと思う。普遍的な部分、3の研究者の意識の一番最初の部分に、本来研究者の自由な発想と知的好奇心・探究心に基づき行われるものであるが、生活の糧として研究をするという意識を多くの研究者が持つようになってきているのではないかという項目がある。これは、同じことは研究現場の現状にあるのではないか、こういう意識と対応するような客観的状況というのが存在するということはきちんと盛り込んでおいた方がいいのではないのかなというふうに思う。例えば、研究者の自由な発想、好奇心というのは基礎研究が中心であるが、基礎研究というのは、今日明日役に立つか分からないからやってるわけで、分かったらやる必要はないわけである。これとファンディングシステムの中で、あるいは評価システムと行っても良いが、要するに役に立つということが非常に重視されているという部分とが混同されているきらいがあると思う。明らかに役に立つものとしてファンディングされたものが役に立つ成果を出していないのならば、これはもちろん評価が下るのは当たり前であるのだが、基礎研究も同じ評価システムに対応するというのはまずい部分が出てくるのではないかと感じている。基礎研究の成果というのは長期的な結果なので、短期的に成果を出さないと予算がつかないということになると、どうしても成果を急ぐことになる。それが極端にいってしまうと不正につながる背景として存在するのではないかと思う。このように、役に立つ研究と基礎研究の間の仕分けをきちんとしてファンディングなり評価をしていくことが求められているのではないかと思う。研究現場の現状などでは、そういう客観的な状況のようなことをきちんと盛り込んでおく必要があるのではないかと思う。また、研究費の獲得のために研究をする、研究費獲得が最終目標だと勘違いすることはあってはならず、研究現場の現状として書き込んでおくべきである。それから、4ページの最後に、研究の本質とそれに基づく作法・研究者倫理というのはどういうものかということを学生や研究者、場合によっては教える側も十分教育を受けていない。我々も、そもそも研究というものはどういう営みなのかということをきちんと教えられていない。徒弟的な形で技能伝承していくのはもちろん大事ではあるが、同時に研究現場の現状を考えてみると、こういうものについて大学院教育の中に教育プログラムを組み込むという発想があっても良いのではないかと思う。

○ 背景として、現場の現状と研究者の意識というように、二つに分けてあるが、研究機関の意識というか問題点というような形で幾つかまとめてくくり出すというのが適当かもしれない。(1)の研究現場の現状というのは、研究組織というよりもまさに今の日本における科学研究が置かれている社会的な状況みたいなものが現場にどういうプレッシャーとしてかかってきているかが書かれているわけで、最後のところで自浄作用が組織の中で働きにくいと書いてあるのが若干今の発言に関連する項目ではあるが、組織の問題として書かれているわけではない。やはり組織の問題を一つの項目として立てて、自浄作用が働きにくいという以前に、そもそも教育をきちんとしていないということと、例えば、ネズミをとるネコが良いネコだという考え方が研究組織機関の管理者の間に、最近強まっていると言い換えても良いかもしれない。

○ 全体の流れは非常にすっきりしたと思うが、3の研究者の意識の○の1の大学等を中心に行われる学術研究のくだりは、全体の記述が普遍であってもぜひ書く必要があると思う。学術研究の本質というか使命感が薄れてきているということをきちんと指摘すべきであり、生活の糧として研究していたとしても構わないのではないかと思う。むしろ学術研究というのは自由な発想に基づいて、次の世代の価値をつくるという使命があり、その使命感が最近希薄になって、単に生活の糧となっているところが問題ではないかと思う。この辺になると企業の研究はその企業がもうかるようにというようないろいろな意見が出てくるが、大学の学術研究の使命をリマインドして、世の中のセクターの中でここのポイントがほかとは違う期待をされていて、単に役に立つことだけでは済まないような語れば長い深いものを持っている。その使命感みたいなものが希薄になっているというところの方が大事で、生活の糧としてプロの意識を持ってやってもらうのは構わないのではないかと思う。

○ 研究活動の本質のところにくどいかもしれないが、使命感というものを書いておいてはどうか。

○ さきほどの教育という言葉の表現のし直しをすると、これは余り良い表現ではないが、悪の連鎖をつくっていく危険性があると思う。上の人がいろいろなことを見逃していくと、下の人間はみんな見ていて、それがまた下へ行って、また下へいってという形で連鎖が繰り返される危険性があるということをどこかで指摘できないかと思う。

○ 連鎖とエスカレーション、増殖ということか。

○ エスカレーションも当然あると思う。一回そういうことが起こると後またいろいろ出てくるということである。

○ 本人がそういうことをやってしまう、あるいは誰がやったことを見逃すとか、黙認するかということか。

○ それをどう表現したから良いか難しいが、そういう表現をどこかに入れば良いのではないか。

○ 結局大学固有の話になってしまうかもしれないが、大学の研究室でそういうものはきちんと教えられないと困るということである。つまり、大学の教授や助教授などの学生を指導する人間がだらしないと、どんどんだらしない研究者が出来てしまうということになる。

○ 背景で少し気になるのは、若者の研究者離れが非常に世界的に進んでいるということがある。全体として多分成功者モデルや研究者に対する尊敬が足りないということがあると思う。この中で研究者は悪いというトーンが多いので、研究者は良い職業だなという感じが少し見えるトーンが必要だと思う。

○ さきほどの使命感という議論について、そこをうまく膨らませていくと、崇高な仕事だという話になると思うが、崇高なだけで吸いよせられるかどうかは難しい点であると思う。

 事務局から、資料1の「4.不正行為への対応の具体的検討事項」について説明があり、その後意見交換を行った。主な意見は次の通りである。(○:委員、△:事務局)

○ 4ページ目の4の最初のところにプロジェクト型研究という言葉がある。これの定義が良く分からない。

△ 念頭にあるのは、こういった研究をしてくださいというような形で、公募を行わずに特定の機関に研究をしてもらうようなものが念頭にある。

○ ただ、今言われている学術的な研究、ボトムアップ型の研究、運営交付金以外の研究は全て競争的資金という理解ではないのか。

△ このペーパーには書かれていないが、ここで言う競争的資金とは、文部科学省の中で競争的資金として登録された13制度のことであり、実際に今回ガイドラインとしてルール化したいのはその13制度の競争的資金ということである。つまり、それ以外のものについては今のところ今回のルール化の対象とならないということである。

△ ここで言っている競争的資金というのは、先生がお考えの一般名詞ではなく、特定された固有名詞と考えていただきたい。そのほかに委託の形で契約をするものもあるが、それはここでいう競争的資金には入っていないから、委託のような形で公募するようなものもプロジェクト型研究で読むということである。きちんと定義をしたいと思う。

○ 手続的なことで、妥当性審査がいわば上級審に当たるものと考えて良いのか。そう考えると、不服申し立ての手続が6ページの(4)の直近の上のところにあり、調査委員会そのものに対しての不服申し立てだけしか書いていないので、いわば上級審についての保証は全然ないことになる。それから、妥当性審査の必要な場合の1のところでは、不正行為とされた場合に妥当性審査が始まるという書きぶりであるが、7ページ目の4のところでは、不正行為の認定以外に不正行為ではないとの認定、悪意に基づく告発の認定があった場合にも妥当性審査が働くという書きぶりになっており、そこに矛盾があるような気がする。それから、司法裁判が始まった場合、その司法裁判との関係をどのように考えるのか。恐らく司法裁判の結論が出れば、それは最終的な判断ということにならざるを得ないと思うのだが、それとの手続的なことが良く分からない。それから、ガイドラインの対象範囲と矛盾するものが、最後の9ページの上の二つ目の○に応募する際の根拠論文に故意に不正を行った場合としてある。本ガイドラインの対象外になってくる問題がここに含まれている。それから、特に全額の返還について○の2のところに書かれているが、返還についてはさまざまな疑問が山のようにある。法的根拠を例にとれば、法律をつくらないとすれば、行政処分で行うということなのか、あるいは民間機関の場合にはあらかじめ契約という形にでもしておかないと無理ではないかと思う。それから、詐取となると制裁になってくるが、研究費は個人あてに支給していなくて、いわば使途を限定して大学に交付している場合にどうなるのか。詐取となれば刑事手続との関係も難しくなってきて、あるいはそちらに任せた方が良いのかという気もする。

△ 不服申し立ての関係で、今のところ新たに第三者的な上級審のようなものはイメージしてない。基本的には、調査・事実確認を大学・研究機関が行う場合であれば、ここの中で不服申し立てを行っていただきたいというのが今の設計である。それから、妥当性審査については、確かに不正行為と認定された場合というようなことが少し強調されているが、実際はどのような調査結果が出ても妥当性審査は行った方が良いと考えている。それから、裁判の関係や研究費の全額返還の場合など、かなり難しい問題をはらんでいるところであるが、返還も含めて競争的資金の公募要項等にこういった場合は返還を求めるなどの記述をきちんと書くということがまず第一ではないかと思っている。確かに不正使用や不正経理のように補助金適正化法のような根拠法はないが、契約で行うなどのイメージは持っている。

○ そもそも文部科学省に何か最高裁みたいなものをつくるのが良いかどうかには疑問があるものの、今の議論においては、いろいろな考え方が示された方が良いのではないかということで、この部分については議論していただきたいと思っている。一方で、認定は大学や研究機関が行い、最終的にそれに対する不服があればそれは司法機関の方にいく。そこで確定した判断に基づいてファンディングしたお金をどう扱うかということをここが考えておけば良いという構図もありうるが、どちらが良いか、次回に議論していただきたい。それから、研究費の返還を求めるところまで考えれば、それがいかなる条件を整えたら可能なのか、妥当なのかということも考える必要があると思う。

○ 先ほど議論になった1から3までのことを踏まえて考えると、本委員会で何が出来るのかということと同時に、この委員会では何が出来ないのかということを明確にしておく必要があると思う。最終的には科学的な知の品質管理がどの研究者もみんな背負っている責任だと思う。そこに対してどこまでいき届いた議論、あるいはいき届いていない議論なのかという、何が出来ないかということも同時に明確にする議論を希望する。

○ 本日説明があった部分について追加の意見があれば事務局に指摘していただきたい。それから、次回欠席の場合には次回の議論についてもっと具体的な示唆をいただければありがたい。

(2)その他

 事務局より、今後の予定等について説明があった。

お問合せ先

科学技術・学術政策局政策課

(科学技術・学術政策局政策課)