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人材委員会(第24回) 議事要旨

1.日時

平成16年2月16日(月曜日)15時~17時

2.場所

文部科学省ビル10階会議室

3.議題

  1. 博士号取得者等のキャリア・パスについて
  2. その他

4.出席者

委員

小林主査、安西副主査、石田委員、大久保委員、小野委員、児島委員、小平委員、所委員、鳥居委員、鳥井委員、中嶋委員、中津井委員、西野委員、濱田委員、美馬委員

文部科学省

丸山大臣官房審議官(研究振興局担当)、河村科学技術・学術政策局政策課長、合田高等教育企画課長、倉持基盤政策課長、川端計画官、平下国際交流官、舟橋企画官、今井総括上席研究官(科学技術政策研究所) 他

5.議事要旨

(1)博士号取得者等のキャリア・パスについて

 今井総括上席研究官(科学技術政策研究所)より、資料1に基づき説明の後、質疑。主なやりとりは以下の通り。(以下、○は委員、△は事務局の発言)

○ アメリカでは官僚にドクターが多いといった状況があるが、データを分析してみて日本ではどうなのか。

△ まだ不明な点も多いが、保健系を除いた理工農系についてみると「公務」全体で223人、3.9%となっているが、これは地方自治体も含めた、いわゆる行政官等に就職した人である。

○ 日本のデータで研究生・無業者等とあるが、無業者も多いのか。

△ その内訳の詳細も不明。ある大学に問い合わせたところ、この研究生・無業者等の部分にポスドクになった者の人数を計上しているとのことであった。

○ アメリカのデータを見ると無業者というカテゴリーはないように思えるが実際はどうなのか。

△ アメリカでは、S&E分野のいわゆる博士号取得者が65万人という数字があるが、そのうち大体8万人くらい、12%が無業者という状況。

○ 日本の場合にはかなり比率が高いということなのか。

△ 日本のデータは大学院博士課程を卒業した時点での値なので、実際には、その後に就職する者もいるので、この無業者というのは実際にはもっと減ると思う。

○ 国家公務員で各省庁の試験研究機関に属した博士はどこに入っているのか。

△ 公務の中ではなくて、サービス業の中の科学研究者が該当する。

○ 博士号取得者の年齢はわからないのか。企業の中にいて、社会人としてドクターを取ってそのまま企業にいるケースもあるが、日本の場合、大抵はドクターまで学部からずっと行くケースが多いと思う。

△ 年齢については不明。

○ 日本のデータで、死亡・不詳の者というのがあるが、不詳の者というのはフローのデータでこんなに多いのか。

△ このデータは年度末に聞くため、実際にはその後に博士号を取ったり、就職先が決まっていくというケースもあり、その辺が反映されていないのではないかと思う。

○ 研究生・無業者等にポスドクが含まれているというのが一つ救いのような印象を受けるが、ポスドクの割合はどうなのか。

△ 本データにおけるポスドクに関する内訳は不明。

○ アメリカのデータでは社会科学の分野に法学は入っていないようだが、これはロースクールということで別扱いをしているということか。

△ アメリカの分類だとS&Eの分野には法学は入っていない。また、経済学は入っているが、経営学は入っていないという分類になっている。

 引き続き、倉持基盤政策課長より、資料2、資料3に基づき説明。安西副主査及び事務局より資料4に基づき説明の後、意見交換。主なやりとりは以下の通り。

○ 博士課程の目的は、高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及び豊かな学識ということで、その中で独創性などが無視されているとは思わないが、「高度に専門」というのは狭い分野で専門化していくことや、独創的とは全然違う分野に高度に専門性を持った人たちが出てくるかもしれない。創造力や独創性といった知の創造をきちんと意識し、なおかつ博士号を取得する人というのは重要な役割を期待されているということになると、博士課程の目的についても、もう少しきちんと考えないといけないのではないか。また、研究より教育面が欧米に比べて貧困な印象があり、教授陣の在り方も重要であるが、博士号取得者が大学等に行く比率が減っており、それがティーチングという分野についてレベルが低くなっているということを一方で示唆していないか。博士号取得者に対する民間の意識も、独創性などを期待する企業からすると、もともとあまり期待していないため、あとは自分たちの企業の中で鍛えていくという感じがする。

○ 本委員会では、独創的な人材を養成するということに主眼を置いてきたが、いくら養成しても少なくとも日本国内の評価や受け皿が変わらないと混乱が起こるだけであり、大学院の目的そのものを見直さなければならない、あるいはそれだけでは済まないようにも思う。
 日本では、博士をとっている人材があまり評価されない風潮があり、これを放置すると、アメリカ、欧米との国際的通用性のみならず、アジア諸国においても通用しなくなる。また、学歴社会を変に斜めに見る風潮もあるが、学歴は非常に大事であり、それに対するきちんとした社会的評価をする必要があるのではないか。
 また、日本の大学に大学院教授にふさわしい教育・研究実績を持っている人が多数いるかという問題(特に人文社会科学系)もある。そもそも博士課程の教育そのものがかなりおざなりのため、その中で育ってきた博士を社会において評価しないのは当然。アメリカなどでは、学位を取るまでのプロセスが非常に厳しく、その数年間を経て国際社会で堂々と活躍する人がどんどん出てきている。

○ 今の大学院のシステムは未だに知の創造というより、知の活用という明治以来の状態を引きずっているが、日本の産業界を含めて社会システムが21世紀型に変化する中、大学もそれに即応できる形に変わっていくと思う。その原動力となるのは、社会として知の創造が必要であり、創造者を特に大学院に育てて欲しいというニーズを明確にすることではないか。

○ 知の創造を大学院で行うということを真っ正面に掲げるのには非常に抵抗があり、そういうことができる先生と、そういうことを受け取れる学生がそろったときに初めて成功するのであって、大学院の目標については現行どおりでいいと思う。アメリカの学生を見ると、大学院に進学しようとすれば、できる人には大学院に奨学金が必ずある。日本では大学院を出ると、5年間、6年間職についている同級生におくれ、就職しても給料が安い。結局、いい人が進学しないので、結果として社会が受け容れない。その入り口の問題は、大学院の学生に奨学金をつけないことだと思う。

○ 博士課程を卒業してからのキャリア・パスというのも、企業に入ってそれから博士をとる人など、ストレートできた人とは違うキャリア・パスが今後考えられるのではないか。そうした中で、博士とはどういうものなのか、修士とはどう違うのか、そこで求められる教育とか育成とは何なのかということを考えていく必要があると思う。

○ 博士号を取得した人がどこへ進むかに当たり、産学官の人材の流動性をいかに保つか、そのためにシステムをいかにつくっていくかが重要。例えば、大学の研究者が科学技術政策に関わるような在外の大使館に出て行ったり、小中高の教員になっていくなど、外に出て行くことが創造的人材の育成全体の底上げにもなる。こうしたことが可能になる制度、あるいは人材交流という枠組みが必要ではないか。

○ 高度の学歴を持った人を在外公館の科学技術担当官に起用することは可能だが、各省庁の行政官の方が使いやすいといった実態があるのも事実。また、今の公務員全体の給与、退職その他を見ると、少なくとも金銭に関しては流動しない方がいい仕組みになっている。非常に大変ではあるが、不利益が出る人がないようにしながら徐々に直していくというのは、努力しなくてはいけない方向だとは思う。また、知の創造は大学等に関することであり、知の活用は産業界・社会一般に関することであるとあまりに明確に二分してしまうのはいかがと思う。

○ 知の創造者というのは、そんなにたくさん日本社会に必要なのか。日本の知的レベルの分布からして、ドクターコースを出た人がみんなそのようになることは可能なのかという気がする。そういう意味で、ドクターコースの修了者、即、知の創造者というような考え方は少し問題がある。知の活用の中にも非常に大きな創造性が必要であり、それは学術の創造性と全く違った意味での創造性というものが必要なのかもしれない。

○ 教育現場では、知の創造ということは大きな問題。将来に対する学生のポテンシャリティというか、将来これは大丈夫ということを先生が判断して自主的にその基準を決められればいいが、必ずしもそれが一般化できないことから、プロセスをもう一度見直さなくてはいけないという気がする。

○ 単に高度な専門性というだけでなく、自ら将来の課題を探求し、その課題に対して幅広い視野から柔軟かつ総合的に判断して解決する能力も重要。博士号取得者にもいろいろなキャリアパスがあって、供給者側だけの議論で進めていいのかという問題がある。供給者側と需要者側の両方の意見がまとまってきて、現状はどうだから一歩進めるとどうなるという議論していかないといけないのではないか。

○ 法科大学院を出ても卒業者の3割前後くらいしか法曹界への道は開けていないため、こうした問題も視野に入れて検討して欲しい。人材を育てて、その後どうなっていくのかというデータをまずそろえて分析しないことには手の打ちようもない気がする。その点、アメリカは非常にきちんとやっているような印象を受けたが、日本においてもその辺の体制を変えていく必要があると思う。
 日本では、学ぶことと働くことがあまりにも分かれ過ぎている。高額の授業料を納めながら博士課程に行き、あるところから急に、専門職、教育研究職ということで給料がもらえる。そこがオール・オア・ナッシング過ぎる。頑張って成果を上げそうな人材には奨学金のような形でサポートする体制が必要ではないか。就職できなかった者についても、もう少し社会的に活用できるようにしないと、社会全体としても無駄が多すぎるという感じがする。いろいろな分野に行った人たちが、成果を上げたときに、継続教育、あるいは大学院の教育に今度は教育者として関わってもらうという、柔軟で広い専門家のコミュニティのようなものが厚みを持った形で広がっていくことが重要ではないか。

○ 大学院にも、理学系、技術系、工学系、人文系、社会科学系があり、さらに専門職大学院、法科大学院もが出てきているが、それぞれで受け入れ側も、歴史も非常に違う。それを全部一緒にして議論していると、各委員のイメージも違うし、また常に意見が錯綜しているような感じがする。抽象的なレベルで全体論をずっとやっているような印象があり、ある程度具体的に議論すべきと思う。

○ いかに優秀な人が博士課程に進むことができるようにするか、また、博士課程あるいは修士課程の卒業生に対して品質保証をどこまでできるかが重要。本当に優秀な人であれば企業も採用するであろうし、行政官庁も採用する。今のままでうまくいかないのであれば、例えば奨学金の受給や特別研究員への採用の経験など、博士の資格プラス何らかのもので品質保証するようなシステムを少し考えていく必要があるのではないか。

○ 産業界がどういう人を求めているのかをきちっと国や学校がサーベイすべき。また、企業は企業の価値観のみで考える傾向があるので、国立の機関もいろいろあるが、どういう人たちを日本の将来のために養成し、配置しなくてはいけないかという視点も重要。

○ ドクターを出て、職がなくて小・中・高等学校の教員になるという人が多いため、学校サイドから見るとやや腰掛け的になっている印象がある。むしろドクターを出たような人が子どもたちの教育に当たるというのが大変重要であり、子どもたちに自然などとの関わり方の一番おもしろい部分を指導できるのではないか。現状では人文科学や社会科学系は多いが、自然科学系の人がもっと学校に来てくれることが教育全体の底上げに大きくつながってくると思う。

○ 学士、修士、博士、ポスドクと一応自動的に高いレベルにつながっていくはずという前提で考えてきたが、博士課程修了者については本当にそうなっているのかという問題もある。また、大学その他の教育機関が知の創造で、産業界は知の活用という単純な整理でなく、知の創造は双方が絡んでやっていくべきものなので、こうしたことも踏まえて、博士課程の目的や博士に期待されるものは何かを一度きちんと整理すべきかもしれない。

(2)その他

 事務局より、資料5に基づき総合科学技術会議科学技術関係人材専門調査会における審議状況について報告。次回日程について説明の後、閉会。

(以上)

お問合せ先

科学技術・学術政策局基盤政策課

(科学技術・学術政策局基盤政策課)

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