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中央教育審議会

 1998/4 答申等 
「新しい時代を拓く心を育てるために」−次世代を育てる心を失う危機− (中央教育審議会(中間報告)) 

     
  
第1章  未来に向けてもう一度我々の足元を見直そう

第2章  もう一度家庭を見直そう

第3章  地域社会の力を生かそう
  
第4章  心を育てる場として学校を見直そう

第1章  未来に向けてもう一度我々の足元を見直そう

(1)「生きる力」を身につけ、新しい時代を切り拓く積極的な心を育てよう

  我が国は、自由で民主的な国家として、国民が豊かで安心して暮らせる社会を形成し、世界の平和に貢献しようと努力を傾けてきた。また、我が国は、継承すべき優れた文化や伝統的諸価値を持っている。誠実さや勤勉さ、互いを思いやって協調する「和の精神」、自然を畏敬し調和しようとする心、宗教的情操などは、我々の生活の中で大切にされてきた。そうした我が国の先人の努力、伝統や文化を誇りとしながら、これからの新しい時代を積極的に切り拓いていく日本人を育てていかなければならない。
  21世紀は、科学技術の発展や高度情報社会の実現により、社会の姿が大きく変貌する中で、地球環境問題・エネルギー問題・食糧問題など人類の生存基盤を脅かす問題が更に厳しさを増していく時代となることが予想される。しかし、このことは、21世紀が人類にとって厳しい危機の時代であることを意味するだけではない。我々は、「人間環境の改善を図り、人類が共に平和と幸福を享受して生きていける世界を創っていく」という夢のある大きな課題を与えられているとも言うことができる。
  このような認識に立つとき、次代を担っていく子どもたちが、未来への夢や目標を抱き、創造的で活力に満ちた豊かな国と社会をつくる営みや、地球規模の課題に積極果敢に取り組み、世界の中で信頼される日本人として育っていくよう、社会全体で子どもたちが「生きる力」(自分で課題を見付け、自ら学び自ら考える力、正義感や倫理観等の豊かな人間性、健康や体力)を身につけるための取組を進めていくことが大切である。

(2)正義感・倫理観や思いやりの心など豊かな人間性をはぐくもう

  子どもたちが身につけるべき「生きる力」の核となる豊かな人間性とは、

  i)   美しいものや自然に感動する心などの柔らかな感性
  ii)  正義感や公正さを重んじる心
  iii) 生命を大切にし、人権を尊重する心などの基本的な倫理観
  iv)  他人を思いやる心や社会貢献の精神
  v)   自立心、自己抑制力、責任感
  vi)  他者との共生や異質なものへの寛容

などの感性や心である。このような感性や心が子どもたちに確かにはぐくまれるようにするため、我々大人が、大人社会全体、家庭、地域社会、学校の足元を見直し、改めるべきことは改め、様々な工夫と努力をしていこうではないか。

(3)社会全体のモラルの低下を問い直そう

  子どもたちに豊かな人間性がはぐくまれるためには、大人社会全体のモラルの低下を問い直す必要がある。我々は、特に、次のような風潮が、子どもたちに大きな影響を及ぼしていると考える。

  i)  社会全体や他人のことを考えず、専ら個人の利害得失を優先すること
  ii) 他者への責任転嫁など、責任感が欠如していること
  iii)モノ・カネ等の物質的な価値や快楽を優先すること
  iv) 夢や目標の実現に向けた努力、特に社会をよりよくしていこうとする真
摯な努力を軽視すること
  v)  ゆとりの大切さを忘れ、専ら利便性や効率性を重視すること

  このような大人社会全体のモラルの低下を背景に、新しい時代への夢を語り、未来を切り拓く大切さを伝えようとしない大人、子どもに伝えるべき価値に確信を持てない大人、しつけへの自信を喪失し、努力を避ける大人、子どもを育てることをわずらわしく感じる大人が増えている。子どもの心を育てるべき大人社会が、こうした「次世代を育てる心を失う危機」に直面していることこそ、我が国の抱えている根本的な問題である。
  今日、心の豊かさを求める機運が確実に広がってきている。今後、我々大人が率先してモラルの低下を是正し、よりよい社会を目指したひたむきな努力や勇気を大切にしていくことにより、この危機を乗り越えていこうではないか。

(4)今なすべきことを一つ一つ実行していこう

  子どもたちの「生きる力」を育てるために、今なすべきことは多岐にわたる。我々は、この報告において、家庭、地域社会、学校、さらには企業やメディア、そして国や地方公共団体のそれぞれが子どもたちのためにどのような取組をしてほしいか、広範にわたる提言を盛り込んだ。それらは一見ごく当たり前のことと受け取られるかもしれないが、実行するには相当の努力が必要なものばかりである。我々は、意を新たにして、それぞれの立場から今なすべきことを一つ一つ実行していこうではないか。
  既に、教育改革について国民各界の理解と協力を得たり、その意識改革を求めるなど、教育改革の輪を広げる取組が始まっている。各地域や学校、地方公共団体や国においても、様々な意見交換や学習の場、フォーラムやシンポジウムなどの機会が多数設けられつつある。我々は、迂遠なようであっても、このような取組を積み重ねていくことが危機を乗り越える足取りを確かなものにすると考える。

第2章  もう一度家庭を見直そう

i)  家庭の在り方を問い直そう

(a)思いやりのある明るい円満な家庭をつくろう−子どもたちが真にそれを望んでいる

  家庭の在り方を問い直すに当たって、まず子どもたちの願いに目を向けてみよう。調査によると、子どもたちは、小学生から高校生に至るまで、等しく家庭の最も大切な働きとして「家族のみんなが楽しく過ごす」ということを一番に挙げている。また、自分の家庭に望むものとして、このことを挙げている子どもが圧倒的に多い(資料2−1)。
  家庭における人間関係は、良い面でも悪い面でも子どもの心の成長に極めて大きな影響を与える。相互に思いやりのある明るい円満な家庭をつくることは、すべての家庭にとって、最も基本的な目標であり、当たり前とされてきた事柄である。しかし、こうした願いに現れているように、子どもたちは、我々大人たちが本当にそうした家庭をつくるために努力をしてきたのかという問いかけをしているように思われる。子どもたちの切実な願いにこたえ、その心を豊かなものに育てていくために、まず、相互に思いやりのある明るい円満な家庭をつくることを出発点にしてほしい。  

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★  家庭の精神的機能−「コンテナー家族」から「ネットワーク家族」へ
  家庭の持つ機能は生活保持機能と精神的機能の二つに大別されるというが、今日では社会全体として、生活水準の向上等を背景に、生活保持機能よりも、家族同士が愛情を通わせ、心の安らぎを得る精神的機能がより期待されるようになっている。調査によれば、多くの人々が家庭の役割として、「休息、安らぎを得る場」、「互いに助け合い、支え合う場」、「家族がお互いに成長していく場」といった主に精神的機能にかかわる事柄を挙げている(資料2−2)。また、子どもを持つ親に対して、子どもがいるということについての考え方を聞くと、多くの者が「家庭が明るく楽しい」、「生活のはりであり生きがい」を挙げる一方で、「家のあとつぎ」、「老後のささえ」との回答は極めて少なく、子どもの存在に精神的な価値・情緒的な価値をより強く見いだすようになっている(資料2−3)。
  しかしながら、現実には、家庭の精神的な機能はむしろ低下してきている感がある。その状況を、「コンテナー家族」から「ホテル家族」への変容としてとらえる見方がある。すなわち、「容物(コンテナー)」としての家庭の中で、一緒に暮らし、温かい情緒の交流を行うような家族から、同じ家で起居しながら、生活時間はまちまちで互いに何をしているかすら知らないホテルの宿泊者のような関係の家族へと変化してきていると言われる。
  日本人は、自分の属する「場」を大切にし、「契約」よりも「縁」を重んじてきたという。そうした価値観が、増加しつつあるものの国際的に見てまだ低い離婚率などにも現れているように、アメリカなどで深刻な問題となっている「家庭崩壊」のような現象を一般化させず、社会の安定の基礎になってきたとも言う。しかし、家族のつながりを「契約」のように意識化せずに、「縁」としてとらえる家族観は、ともすれば「家庭という場の中にいるだけで自然に情が通い合い、子どもも自然に育っていく」という思いこみを我々に生じさせてこなかったであろうか。そして、現実に進行している「ホテル家族」化とも言うべき家庭の空洞化を直視しようとしない雰囲気をつくってしまったのではないだろうか。
  これからの社会では、社会の基本的な単位として個人の重さがますます増していくであろう。我々は、思いこみの上に安閑とすることなく、家族一人一人が一個の人格として存在することを認識し、互いに意識的にコミュニケーションを図り、心を伝え合う家族(「ネットワーク家族」)の在り方を模索していくべきときを迎えているのではないだろうか。相互に思いやりのある明るい円満な家庭をつくるというこれまで自明とされてきたことを、家族同士の意識的なネットワークづくりを通して努力して実現するということが今日的で切実な課題となっている。
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(b)夫婦間で一致協力して子育てをしよう

  子育ては夫婦が相協力して行うものである。しかし、専ら母親に子育ての責任がゆだねられ、父親の存在が希薄であるなど、夫婦が共同で子育てに携わっているとは言い難い家庭も多く見られる。父親の存在の希薄化は様々な問題を生じさせるが、最も大きな問題の一つとして、母親の心の安定を脅かしかねないという点が挙げられる。
  国際比較調査を見ると、日本の父親が子どもと一緒に過ごす時間は対象国中で最も少なくなっている(資料2−4)。また、父親の果たす役割・努力が十分でないことも伺える(資料2−13)。一方で、子育てに関する不安感や負担感を覚える母親(資料2−5)が目立ってきているが、その大きな要因の一つには、母親に対する父親の無理解や非協力があると考えられる。
  特に、幼少期が心の成長にとって極めて大切な時期であることを考えると、母親の育児不安は見過ごせない問題である。親との触れあいを通じ、「自分は愛され守られている」という安らぎの感情を得ることは、乳児期に最も大切なことである。本来、母親は、子どもにとって「心の安全基地」であるが、そのいらだちや不安が大きなものになれば、子どもの心の安定は脅かされてしまう。そして、その後の子どもの人間関係づくりや人格形成に深い影響を及ぼすことにもなる。
  これからの社会では、父親がこれまでの仕事一辺倒の生活を見直し、もっと家庭の中での役割を積極的に担っていくことが望まれる。その際、特に子育てにおいては、夫婦間の足並みを揃えることが極めて重要である。しつけの方針が父母の間で一貫していなければ、子どもは混乱し、その成果も挙がらない。夫婦が相互理解と愛情の上に立って、共に生き、一致協力して話し合いながら子育てにあたってほしい。

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★  育児不安の諸相−専業主婦と働く母親
  育児不安の背景をさらに子細に見てみると、概して働く母親に比して専業主婦の方に育児不安の高い者が多いという傾向が見られる(資料2−6)。専業主婦は、子どもと接する時間が長いだけに育児のみの狭い世界に閉じこもりがちであり、そうしたことが逆に不安を高める要素の一つとなっている。特に、これまで社会の中で働いてきた女性は生活の落差が大きく、家庭外で自己実現を求める気持ちなどと葛藤し、焦燥感や不安感も強まる傾向がある。また、育児や家事という仕事は、大きな責任が伴う一方、仕事をやり遂げたという達成感の得にくい面もある。こうしたことから、相談相手の乏しい中、育児不安を抱えがちな現代の専業主婦に対して、夫は十分な理解を持って接することが望まれる。
  家庭の外で働く母親については、子どもと接する時間は短いが、その時間に心を集中させて子どもと深く触れあったり、しつけを行っている場合も少なくない。しかし、育児と家事を両立させることや、子育ての相談がしにくいことに悩む。女性の社会進出がますます進んでいくことを踏まえると、夫は、男女の固定的な役割分担にとらわれずに、家事・育児の役割を積極的に担っていくことが一層求められる。
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★  深刻化する子どもの虐待
  今日、我が国においても子どもの虐待の問題が顕在化しつつあり、児童相談所に寄せられた相談件数も平成8年度には4000件を超えるなど急増している(資料2−7)。最も信頼を寄せるべき親からの虐待は、子どもの心に大きな傷を与えるものであり、深く憂慮すべき問題である。子どもの虐待の問題は、様々な要因によって複合的に生じるものであるが、その一つとして、夫婦関係が不安定で、互いに理解し支え合う姿勢が欠けていることが指摘されている。
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(c)会話を増やし、家族の絆を深めよう

  夫婦間あるいは親子間の心の絆を深め、家庭が精神的な機能を果たし、子どもの心をはぐくむ場となるためには、家族の間で豊かな会話がなされることが大切である。
  とかく我が国の人間関係では「以心伝心」がならいとされてきた。これはこれで大切なことであるが、その反面、家庭の中で言葉に出して会話することの大切さが余り意識されてこなかったのではないだろうか。調査によれば、我が国の場合、夫婦間で子どものことを話し合う頻度について、「よく話し合う」とする家庭の割合が、アメリカや韓国に比して下回っている(資料2−8)。親子の間について見ると、父子間の会話が少なく、また、子どもが成長するにつれて、親子の会話の頻度も少なくなる傾向が見られる(資料2−9)。そうしたことも背景に、我が国の青年は、諸外国に比して、悩みや心配ごとを親に相談しない傾向が見られる(資料2−10)。逆に、親から子どもに何かを相談するようなことも少ない(資料2−11)。
  家族間の会話を増やすためには、例えば、家族全員が夕食を共にする日を決めるなどコミュニケーションの時間を確保して、お互いにその日にあったことを伝え、会話することなどは有意義であろう。特に、父親については、家庭で過ごす時間を確保することが何よりも重要である。また、子どもが部屋にこもったり、テレビやテレビゲームにのめりこんだりしないようルールをつくり、できるだけ家族が顔を揃えるような環境をつくる努力も欠かせないだろう。
  改めて家族間の会話を増やすよう求められても、どう手をつけるべきか戸惑う家庭もあるだろうが、そうした家庭では、例えば、朝のあいさつをしたり、子どもに家事の役割を与えたり、一緒にスポーツをしたりして会話のきっかけをつくるなど、会話を増やしていくための工夫をしてほしい。
  それぞれの家庭で、こうした具体的な取組を通じて、家族同士の会話の量を増やし、その内容を深めていく意識的な努力をしていってほしい。

(d)過干渉をやめよう

  調査によれば、我が国においては、家庭の教育力が全般的に低下していると指摘されているが、その理由として最も多く挙げられるのが「過保護、甘やかせすぎな親の増加」である(資料2−12)。子どもが自分で気づき、考えるという習慣をつくる大切さを忘れ、子どもが考える前にすぐ介入してしまうようなことは、その主体性や自主性を育てる上で、大きな妨げとなる。子どもには、ゆっくり自分で考える子どももいれば、素早く判断して行動する子どももいるというように、それぞれ個性がある。親は、自分のペースを子どもに押しつけたり、他の子どもとの比較に目を奪われて速さを子どもに求めたりするというようなことはやめようではないか。
  また、過干渉や過保護は、子どもへのこと細かな干渉としてだけでなく、遊びや自然体験活動、冒険的な活動など子どもの成長に欠かせない大切な機会を制約してしまうといった行動にも表れる。これらも子どもたちの個の確立や心の育ちにとって好ましいことではない。
  こうした過干渉の問題を認識し、それぞれの家庭での子育ての在り方を省みてほしい。なお、父親の不在と母子の過度の密着は、過干渉の問題を助長するものであり、そうした家庭の在り方を見直してほしい。

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★  親にとっての子どもの位置づけと過干渉の問題
  過干渉等の問題は、親にとっての子どもの位置づけが変化したこととも深くかかわっている。今日の親は、「神のように人智を超えたものから子どもを授かった」という思いが薄れ、「子どもは親の計画的な決断によって生まれてきたもの」という認識が強くなっている。そのため、時には子どもは、親の生産物、持ち物のようになり、子どもの希望や個性よりも、親の趣味や嗜好、自己愛や虚栄心の方が優先されてしまっている。「いい学校=いい会社=幸せな人生」といった既に崩れつつある図式を頑なに信じ、早い時期から過度に知育に偏った教育に邁進して、子どもの生活を細かく管理しようとする親の姿にそうした意識を見ることができる。親は過干渉を見直し、意識を変えていく必要がある。
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★  過干渉の問題と子どもの発達段階
  過干渉の問題を実際に見直すに当たっては、子どもの発達段階を踏まえるという視点が重要である。乳児期においては、母子の愛着の絆を確固としたものにすることがその後の人間関係づくりの原点となるのであり、たくさんの愛情を注ぎ、温かく乳児を受け入れていくことが大切である。それらは甘やかしや過保護とは異なる。その後、幼児期での自立感の達成、少年期での活動性や積極的な意欲の形成、青年期の自発性の獲得といった発達課題をきちんと達成していくためには、子どもの行動に注意と関心を払い、大事な基礎的なしつけはきちんとしながらも、徐々に細かな口出しをせずに見守るという姿勢を強めていくことが求められる。
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(e)父親の影響力を大切にしよう 

  父親の存在が希薄化する中、子どもたちについては、ともすれば母親の顔色ばかりを気にし、母親にとっての「良い子」になろうとする傾向があるが、我々は、そうした子どもたちの姿を見つめ直してみるべきである。そして、家庭から父親の姿が後退し、「友達のような父親」像をよしとする雰囲気が広がる中、社会における善悪のルールなどに関するしつけがおろそかになってきたという指摘に耳を傾けなければならない。
  父親の家庭教育への参加が次第に進んできていると言われるが、依然として教育に無関心な父親、あるいは意識的か否かは別にしても、それを避ける父親は少なくない。国際比較の観点から、父親の子育て分担の内容を見ると、我が国の父親は、「生活費を負担する」以外では、「しつけをする」、「悩みごとの相談相手になる」などほとんどの項目について、必ずしも十分な役割を果たしていないことが伺える(資料2−13)。
  それぞれの家庭では、父親・母親がどのように役割を分担し、子育てに当たっていくべきか、互いの個性や家族観を踏まえながら模索していく。その際、父親が、しつけに関する基本的な考え方を共有しながら、母親とは異なった視点や手法で子育てにかかわっていくこと、密着しすぎになりがちな母子関係を修正する役割を果たすこと、すなわち、夫婦で複眼的な子育てをしていくことを大切にしてほしい。
  また、父親が適切な影響力を発揮できるよう、母親は、パートナーとしてそれが可能となる環境づくりに配慮すべきである。よく言われることであるが、母親が子どもの前で父親を誹謗したり、見下したりする態度を示すことは、子どもの父親像を歪め、多大な悪影響を及ぼすことは明らかである。父母が互いの人格を尊重し、敬意を持つことが極めて大切であり、そうした姿を子どもたちに示してほしい。

(f)ひとり親家庭も自信を持って子育てをしよう

  ひとり親家庭の多くの親は、仕事に就いて生計をたてながら、並々ならぬ努力により子育てをすることになる。乳幼児期の子どもとゆっくり遊んだり、青少年期の子どもの様々な相談に乗ってあげたりしたくても、実際にはそのゆとりがなかなか確保できず、大きな悩みを持っている。
  ひとり親家庭となった事情は様々であろうが、いずれにせよ、子どもの心に及ぼす影響は大きい。子どもはその親の姿をしっかりと見、その言葉をよく聞いている。過去の様々な事情や経緯に心を留めるのでなく、よりよい将来へと歩みを進めていく親の姿に接し、子どもは心の痛手や寂しさなどを乗り越えていく。親が困難に立ち向かいながら懸命に生き、子育てに前向きに努力する姿は、必ず子どもたちの心に響くはずであり、そうした自信を胸に子育てにあたってほしいと切に願う。
  また、親は、悩みを抱え込まずに、祖父母や親類をはじめ、身近な友人・知人の協力を得たり、地域の親同士の子育てサークルの輪に入ったり、場合によっては、母子福祉センター、母子相談員、児童相談所などの機関等を活用するなど、様々な子育て支援の人的ネットワークや社会的な諸制度を積極的に利用することも大切であろう。一人で子育てのすべてを担おうと無理をせず、開かれた姿勢で子育てに当たることを考えてよいであろう。

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★  ひとり親家庭の状況
  ひとり親家庭については、平成5年度時点で100万世帯近く(母子家庭は約79万世帯、父子家庭は約16万世帯)となり、全世帯の2%余りを占めると推計される。ひとり親家庭となった理由の多くは、配偶者との死別ではなく、離婚などの生別によるものである。我が国の離婚率は平成8年に戦後最高(21万組、人口千人対比で1.66)を記録するなど上昇傾向にあり、先進諸国の例に照らしてみても、今後更に増加する可能性が高いと思われ、ひとり親家庭が増えていくことが想定される。
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ii)  悪いことは悪いとしっかりしつけよう

(a)やってはいけないことや間違った行いはしっかり正そう

  子どもたちの規範意識の低下が顕著になっている。中学生の規範意識について行われた調査でも、例えば、「放置してある他人の自転車に乗る」、「自室でタバコをすう」、「他人のカサを無断でさして帰る」ことを悪いと思わない子どもが全体の4分の1ないし3分の1に達し、10年ほど前と比較するとその割合は増えている。また、「他人の体育館ばきを無断で使用する」、「友達の優勝を祝ってお酒を飲む」ことなどに至っては、悪いと思わない中学生が約半数に上る(資料2−14)。
  日本の高校生を、アメリカ・中国の高校生と比較した調査では、「学校をずる休みすること」、や「売春など性を売り物にすること」などについて「本人の自由でよい」と答える者が我が国に際だって多く、恐喝、盗み、万引き、麻薬の使用などの犯罪行為についてさえ、日本の高校生は約1割もの者が「本人の自由でよい」と答えている(資料2−15)。
  子どもたちの規範意識の低下は、人々が安心して暮らせるよりよい社会をつくっていくためはもとより、何よりも子どもたちの健やかな成長を期するため、決して見過ごすことのできない問題である。
  この問題の背景には、大人社会のモラル全体の低下という状況がある。不正やルール違反を許容してしまう甘い風潮、義務・責任を忘れ、自由と利己主義とをはき違える風潮、そして、正直さ・誠実さ・まじめさなどの価値を軽視する風潮は、家庭におけるしつけのゆるみを招き、子どもたちの規範意識の低下を助長している。調査において、非行の原因の最たるものとして家庭の問題が挙げられていることも、家庭でのしつけの大切さを示唆している(資料2−16)。

  家庭では、こういった社会の風潮に流されず、
(ア) 父親・母親自身がまず、「自分さえよければいいというような考え方をしない」、「ルールに反することをしない」といった当然のことを、日常生活の中で自らの姿をもって子どもたちに示していくべきである。
(イ) そして、善悪や正邪の区別をわきまえさせるよう、幼少のころからしっかりとしつけを行っていってほしい。今日の親は、とかく子どもを甘やかす傾向があると言われるが、やってはいけないことや間違った行いに際しては、本気で叱るなど、これをしっかりと正すべきである。
(ウ) 思春期以降、他人から叱られて必要以上に傷ついたり、あるいは「切れる」と形容されるように逆上してしまう場合も見られるが、きちんと叱られた経験を子どもたちが欠いていることがその一因になっていると考えられる。幼少期から、悪い行いがあれば直ちに正す、物心つかないうちは根気強く注意する、言葉が理解できるようになれば理由をはっきりと言って叱る、気分や感情に流されず一貫性を持って叱るといったことに心がけてほしい。
  なお、しつけによって子どもの正義感や規範意識を内面化し、確かなものとするためにも、平素の温かい愛情の絆と信頼関係が大切である。また、そうした内面化の営みは時間をかけて行うものであり、子どもに粘り強く繰り返し働きかける姿勢が大切であることをここで強調しておきたい。

(b)自分の行いには責任があるということに気づかせよう

  子どもたちに自己中心的な行動が多く見られたり、自立の遅れが生じてきているとの指摘がなされるが、その背景には、自分の行いに伴う責任について考えず、自らを律しようとしない「自己責任の考え方の欠如」という問題がある。
  様々な人間の徳性がどのように獲得されるかを調査した結果によれば、日本の高校生は、アメリカに比して、家庭の日常生活の中で父親や母親から学ぶことが少ないという傾向が見られるが、「自分の責任を果たす」、「自分勝手なことをしない」などといった点についてもそれは顕著になっている(資料2−17)。また、しつけについて、「5歳の時に一人でできるもの」という観点から調べると、「行儀よく食事ができる」、「遊んだ後の片づけができる」といった基本的なしつけが十分なされていない傾向が見られる(資料2−18)。こうした調査は、我が国では、自分のことは自分でするという習慣を身につけさせ、責任感を持たせるようなしつけが十分になされておらず、子どもを甘やかしがちな親が多いということを示唆している。
  家庭でのしつけに当たっては、自分の行いには責任を持つということを自覚させる努力が一層求められる。身の回りの後かたづけをきちんとさせるというような小さなことに始まり、家庭でのルールをつくって家事を担わせること、異年齢集団での遊びや様々な地域の活動を体験させることなどの取組は、子どもたちに責任感を持たせ、自立を促していく上で欠かせない。
  「自分のことは自分でする」、「他人に迷惑をかけるな」といったことを繰り返し子どもにしつけている家庭もたくさんあることを我々は知っている。まず、そうしたことを第一歩として、自分の責任を気づかせるしつけを始めていこう。

(c)自分の子だけよければよいという考え方をやめよう

  大人の利己主義の一つの表れとして、「自分の子だけよければよい」と考え、他人の気持ちを思いやれず、極端な場合は他人に迷惑をかけることさえ気にしない親が目立つ。この「自子主義」とも呼べる傾向が、今日の家庭でのしつけにおける最も大きな問題となっている過干渉や過保護、甘やかしなどの根底をなしていると考えられる。そのような親の考え方が、思いやりの心、正義感や社会のルールを守る心などをはぐくむ上で、子どもたちに好ましくない影響を与えることは容易に想像される。例えば、公共の場でのマナーを無視する子ども、友人がいじめられていても「自分には関係ない」と傍観する子どもの背後に、「自子主義」の親の影を見ることもできよう。親は、そうした考え方を改めるように努力してほしい。

(d)思春期の子どもから逃げず、正面から向かい合おう

  思春期は、子どもたちが心身ともに急激に変化し、自らの内面を再構築する大切な時期である。思春期にある子どもたちが示す言動は、親を当惑させたり、混乱させたりすることもしばしばであり、ともすると親は思春期の子どもに対して腫れ物に触るような接し方になってしまう。思春期は、親子関係の再構築が迫られる時期でもある。
  子どもたちを「手放しつつ、見守る」という親の姿勢は、思春期において大切である。単に手放すだけの放任に陥り、子どもたちのありのままの姿や心の変化から目を背けてしまっていないか、あるいは逆に過干渉に陥り、「良い子」でいさせ続けることに躍起となっていないか、自立を促し、自らの責任を自覚させることがおろそかになっていないか、大いに反省してみることが望まれる。
  例えば、中学生を対象にしたある調査によれば、飲酒、喫煙、万引き等といった行動について、子どもの経験率とその保護者の認識には相当のずれが生じていることが示されている(資料2−19)。こうした調査結果からも伺えるように、少なからぬ親は、子どもから目を背け、子どもの発する様々なサインを見逃しているのではないだろうか。

(e)「普通の子」の「いきなり型」非行の前にあるサインを見逃さないようにしよう

  最近の少年非行の特徴の一つとして、「普通の子」の「いきなり型」非行が増えてきていると言われる。表面上、おとなしく見える子ども、普段問題行動を起こさないと大人から思われていた子どもなどが、「いきなり」対教師暴力や強盗などといった非行に走る例が少なくないと言われる。
  しかし、一見したところの「普通の子」であっても、必ずその前に、心身の不調を訴えていたり、些細なことに過剰に興奮したり、周囲の人に対して甚だしく攻撃的になったりするなど、サインを発しているはずである。問題は、それを親が見逃している、あるいは、気にはなっているが目を背けているということにある。懸念されるサインに気づいた時には、夫婦間でじっくり家庭での子どもへの接し方について話し合い、サインの意味を考えてほしい。子どもと会話を交わす糸口を見つける努力をしてほしい。さらに、必要な場合には、時機を逸することなく、相談機関、学校の教員・スクールカウンセラーに相談をすることも大切なことである。

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★  深刻化する少年非行−戦後第4の上昇局面
  少年非行は、戦後3回のピークがあり、3回目のピークである昭和58年以降は減少傾向にあったが、近年、再び量的にも質的にも深刻化してきている。平成9年の刑法犯少年の補導人員は約15万人に達し(前年比14%増)、少年人口千人あたり16人に上っている(資料2−20)。非行の内容を見ると、強盗等の凶悪犯や恐喝等の粗暴犯(資料2−21)、薬物乱用、性非行の増加が顕著になってきている。また、非行の主体に中・高校生が多くなってきたこと、「遊ぶ金欲しさ」を動機とする非行が増えていること、マスメディアや周囲の友人に引きずられる「模倣」型が目立ってきていることなども特徴的である。
  こうした少年非行の深刻化だけでなく、犯罪の被害に遭う少年の問題を見逃してはならない。平成9年度は凶悪犯、粗暴犯などによる被害が大きくなっており、特に性犯罪被害(強姦、強制わいせつ)が深刻になってきている。
  このような状況は、我が国社会全体の安定を脅かしかねない深憂すべき問題で社会全体での様々な取組が早急に求められる。
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(f)身の回りの小さなことから、環境を大切にする心を育てよう

  今日、地球温暖化、オゾン層の破壊、砂漠化など様々な地球環境問題が深刻化するとともに、大気汚染、騒音問題、水質汚濁、ごみ問題など都市・生活型公害の問題も大きな課題となっている。こうした中、環境を大切にする心を育て、一人一人が環境の保全やよりよい環境の創造のために積極的に行動する力を育成することが大切となっている。
  このためには、身近な家庭生活の中で、例えば、ものを大切にしてゴミを減らす、海や山でゴミを捨てない、水や電気を無駄遣いしないなどといったことを小さいころからしっかりと習慣づけるようにすることが大切である。時には、新聞の記事や学校で教わったことなどを材料にして、環境のために何ができるか、何をなすべきかについて家族で話題にすることも有意義であろう。そうした身の回りの小さなことの実践が、子どもたちの環境を大切にする心を育て、やがては地域の環境美化の活動等への参加の気持ちをはぐくみ、さらに進んで、地球規模の環境問題への関心につながっていく。

iii)  思いやりのある子どもを育てよう

(a)祖父母を大切にする親の姿を見せよう

  祖父母は、長い人生経験の中で、子育てを含め、人間として生きていくための様々な知恵を培ってきており、それぞれの家庭では、祖父母の経験と知恵を子育てに積極的に生かしていくことが期待される。また、祖父母は、子どもにとって、経験と知恵を学ぶべき対象であるだけでなく、高齢者として思いやりをもって接すべき存在でもある。
  子どもたちが祖父母から学び、思いやりの心をはぐくんでいくようにする上では、まず、祖父母が大切な存在であるということを子どもによく理解させることが欠かせない。子どもは親の姿を見て多くのことを学んでいくのであり、親が率先して祖父母を大切にする姿を示すことが望ましい。
  親が自らの親である祖父母を大切にする姿を示すことは、子どもたちが親という存在の大切さを実感する契機ともなる。親に感謝し、親を思いやる心は、広く他者を思いやる心の基ともなる大切な心である。日・米・中の高校生に対する問いに対して、我が国は「どんなことをしてでも親の面倒を見たい」と回答する高校生が際だって少なくなっている(資料2−22)。我々大人たちは、自らの親への接し方や、思いやりに欠ける社会の在りようを、子ども自身から問われていると考えるべきである。

(b)手助けの必要な人を思いやれるようにしよう

  社会には、体の弱い高齢者や、障害のある人々など、他者の手助けを必要とする人々がたくさんいる。これからの我が国においては、創造的で活力ある社会を形成することと同時に、人間的な優しさのある社会をつくっていくことが求められている。
  思いやりの心は、幼少のころからの日常生活における身近な実践を通じてはぐくまれる。しかしながら、例えば、電車で高齢者に席を譲るといったことを取り上げてみるとどうであろうか。小・中学生を対象とする調査によれば、「乗り物でお年寄りに席をゆずること」に関しては「全然していない」、「しないときが多い」と7割近くが回答している(資料2−23)。
  まず、親自らが率先してやってみせながら、子どもたちが自然にお年寄りに席を譲ることができるようしつけを行うこと、そして、そうした日常生活での実践から、高齢者など手助けの必要な人を思いやる大切さを理解させ、自然と行動に現れるようにしていくことが大切である。

(c)差別や偏見は許されないことに気づかせよう

  平等で民主的な社会を支え、発展させていくためには、一人一人が他者に対して公正、公平であり、その人権を重んじること、そして、差別や偏見を許さないということが不可欠である。
  親は、自分の子どもがいじめに加わっていたり、言われなく他人を差別し、おとしめるような言動をしていることに気づいたときには、そうしたことが人間として許されないということをしっかりと教え諭す必要がある。
  また、この問題は、大人自身の価値観を問い直すことが強く求められる問題である。子どもたちは、小さくとも親の言動をよく観察しているものであり、親の差別的な意識は、その言動を通じて、子どもの心の中に再生産されてしまう場合が少なくない。まず、親自身が偏見を持たず、差別をしない、許さないということを子どもたちに示していくことが何よりも大切である。

(d)生き物との触れあいを通して、命の大切さを実感させよう

  今日、核家族化により、子どもが祖父母など近親者の死を目の当たりにすることは少なくなっている。このことは、子どもにとっては、死という厳粛な問題について考えたり、人間の生命の有限さ、かけがえのなさを理解する機会が失われるということも意味している。その一方で、子どもたちは、むやみに殺人の場面を繰り返すテレビ番組やビデオ、テレビゲーム等を通じて、虚構の世界の中で作り上げられた「死」に頻繁に接しており、命の重さに対する感性が希薄化している。
  こうした状況を踏まえると、今日、子どもたちに対して、生命の大切さを実感する機会を意識的に設けることが必要となっている。例えば、自然の中で子どもたちを大いに遊ばせたり、家の内外で動物や草花を大切に育てたりするなど、様々な生き物と触れあう機会を意図的に用意することを求めたい。
  また、日常生活の中で、子どもが虫などの生き物を残虐に殺したり、草花を粗末に扱ったりするのを見たとき、親は子どもの心に積極的にその意味を問いかけることが大切である。

(e)幼児には親が本を読んで聞かせよう

  子どもにとって読書は、想像力や考える習慣を身につかせ、豊かな感性や情操、そして思いやりの心をはぐくむ上で大切な営みである。読書の楽しみを知り、読書に慣れ親しむようにするには幼少時の体験が重要である。
  まず、幼少時から本を読んで聞かせてあげることから始めよう。親のぬくもりを感じながら、優れた絵本に接し、一緒に共感しあうひとときは、子どもの感性や心を豊かにする貴重な時間となる。読書を習慣づけるためには、たとえ1回の時間が少なくとも、毎日本を読み聞かせることが望ましく、例えば、食事の時間、昼寝の時間などと同じように、「本の時間」を設けて本を読み聞かせるといった工夫をしたらどうだろうか。また、子どもが眠る前に、添い寝をしながら本を読んであげることは、親にとっても充足感を覚えることであるが、子どもの心の成長に計り知れない恵みをもたらす。
  本の選択については、子どもの発達に応じるということが大切である。知育のみに目を奪われ、難し過ぎる本を読ませたり、文字を早く教え込もうとするようなことは、子どもを本嫌いにしてしまったり、親の焦りによって子どもの心にストレスを与えることにもなりかねず、そうしたことのないよう注意を求めたい。

iv)  子どもの個性を大切にし、未来への夢を持たせよう

(a)幼児期から子どもの平均値や相対的な順位にとらわれることをやめよう

  平均値との比較や、偏差値などに現れる相対的な順位にとらわれ、子どもの個性を大切にしようとする姿勢を失っている親、子どもによい成績をとらせることが中心的な関心事になっている親が多く見られる。ペーパーテストの偏差値に表されるような尺度が家庭の中に持ち込まれ、いわゆる「家庭の学校化」が生じているとの指摘がある。
  乳幼児期においても、身長や体重等の身体面の発達、あるいはことばの習得などの知的な発達の面で、他の子どもとの比較に一喜一憂する親が少なくない。知育に偏った早期教育に走る親に見られる考え方も、しばしばこれと軌を一にしている。
  こういった状況は、親と子ども双方に決して好ましい影響を及ぼさない。子どもの成長に対する親の満足度を国際比較すると、日本の親は「満足」とする者の割合が他国のそれを大きく下回っている(資料2−24)。その原因については様々な解釈が可能であるが、一つには、親が他の子どもとの比較に目を奪われたり、自分の期待感を優先し、専らそれを評価の尺度にして、子ども自身の個性に応じた着実な成長を軽視してしまうことに問題があるのではないだろうか。
  親の不満感は、子どもの心そのものにも影響を及ぼす。小学生の自分についての評価を国際比較すると、「勉強のできる子」、「友達から人気のある子」、「正直な子」、「親切な子」など、いずれの項目に関しても「とてもよくあてはまる」と自分で評価する者の割合が対象国中最低になっている(資料2−25)。こうした自己卑小感や自尊感情の乏しさは、子どもたちの個性が大切にされず、評価されてこなかったことの結果としてとらえられる。
  親は、まず、幼児期から子どもの平均値や相対的な順位にとらわれることをやめ、子どもの個々の成長にしっかりと目を向け、それを大切にしていこうではないか。形式的な平等を重視した画一的な教育から、個性尊重の教育へと転換を図るという教育改革の理念は、家庭からその実践が始められなければならない。

  それぞれの子どもたちのよさや個性を伸ばしていくためには、親がそれらを見いだし、上手にほめることが必要である。ほめられることによって子どもは喜びを感じ、自尊心や自らへの誇りを持つようになり、生き生きと自分自身のよさや個性を伸ばしていく。
  しつけについて、「七つほめて三つ叱れ」と言われるが、実際はそれを怠ってはいないだろうか。親は、もっとたくさん子どもを本気でほめるということに意識的に努力する必要がある。子どもを「本気で」ほめるためには、子どもをよく見、その子のよさを伸ばし、よりよい人格の形成を促そうとする姿勢を持つことが欠かせない。それは、単に子どもを甘やかしたり、その言いなりになることとは異なる。
  子どもをほめる契機をつくるためにも、子どもに家庭の中で役割を担わせることは有効であろう。家事を手伝った子どもをほめ、「自分は人のために役に立ち、誰かに喜んでもらえる存在である」という感覚(自己有用感)を持たせることは、子どもの成長に寄与するところが大きい。
  同時に、叱り方についても注意したい。横並び意識などが根強い我が国でしばしば見られるが、他の子どもと比較して叱るということは、子どもの自尊心をはぐくむ上で好ましくない。
  こうした点に留意しながら、叱るべきところはしっかり叱る、ほめるべきときは本気でほめるということの大切さを改めて強調しておきたい。

(c)人間としての生き方やこれからの社会について子どもに語りかけ、子どもの将来の夢と希望を聞こう

  今日の我が国の子どもは、自分について低い評価を下すとともに、将来に向けた夢や希望を持たなくなっている。6か国の小学生に、「どんな大人になれそうか」と尋ねると、「皆から好かれる大人になる」、「有名な人になる」、「お金持ちになる」等、いずれの項目でも、日本の子どもは「きっとそうなれる」と思う割合が対象国中、最下位となっている(資料2−26)。こうした将来への自信のなさや、将来に向けた夢や希望を持たないということは、その実現に向けてまじめに努力することを放棄したり、その大切さを認めない姿勢につながってくる。そして、目先の楽しさを求めるようになってしまう。人の暮らし方に関する青少年の意識調査によれば、「その日その日を楽しく生きたい」という回答が上位にあること(資料2−27)、あるいは「今よりも将来のために努力する」ことに同意する者が他国に比して少ないこと(資料2−28)などにもそれは現れている。
  将来に向けた積極的な心を育てるため、親は、自分自身の経験や、よりよい社会づくりに汗を流している様々な人々の生き方などを題材にしながら、人間としての生き方について語りかけることが大切である。また、社会が急速に変化する中、我々がどのような課題に直面しているのか、そしてどのように自分たちがその課題にかかわっていけるのかといったことについて話題にする機会を是非持ってほしい。そして、その時は、子どもたちの夢や希望に耳を傾け、励ます姿勢を示すことを求めたい。さらに、子どもが成長してきたら、「自分がどんな人間であり、どんな人間になりたいのか」ということを深く考えるよう促してほしい。

v)  家庭で守るべきルールをつくろう

(a)それぞれの家庭で生活のきまりやルールをつくろう

  子どもたちは家庭のルールを守ることを通じて、基礎的な対人関係の在り方を学んだり、社会のルールの大切さも学んでいく。家庭でのルールには、例えば、就寝の時間、門限、テレビを見てよい時間、あいさつなどといった生活上のルールもあれば、「他人に迷惑をかけない」、「うそをつかない」などといった道徳上のルールもある。それらを各家庭できちんと決めることは、しつけに一貫性を持たせ、その成果を挙げるためにも大切である。元来、我々日本人は、明確なルールを掲げ、それに基づいて物事を処するということにあまり積極的でないとも言われるが、しつけという観点から、家庭でのルールづくりの大切さを改めて考えてほしい。
  いずれの家庭にあっても、基本的に大切にすべきしつけというものがあるが、その際、どのような面に特に重点を置くかについては、家庭ごとに相違があろう。しつけに当たって、「我が家ではこうする」というきまりやルールをしっかりと示すことが大切である。夫婦がよく相談し、それぞれの家庭にふさわしいきまりやルールを創りだしてほしい。また、子どもが成長してくれば、ルールの意味や大切さをよく話し、子どもの理解を促すことも求めたい。
  我々が本章で呼びかけている様々な提言を、各家庭においてルールをつくる際の基本的な視点として考えていってほしい。

(b)幼児期から小さくとも家事を担わせ、責任感や自立心を育てよう

  利便性や効率性が追求される中、家庭生活においても家事の機械化・合理化が著しく進み、子どもが担うにふさわしい家事が減ってしまった。また、塾通いなどで親が子どもの生活からゆとりを無くしてしまっている。そして、子どもが家にいるときも、目の前で勉強している姿さえ見れば安心するという親も多い。こうしたことを背景に、家事を担わせることに熱心でない家庭が増えてきており、調査によれば手伝いの体験をしていない子どもの割合が増えてきている(資料2−23)。
  家庭の中で、子どもが小さなことであっても一定の家事を分担するようにすることは、親子の会話を確実に増やすとともに、子どもの心に、自分に与えられた役割をしっかりと果たす責任感や自立心、皆のために役立っているという自己有用感などをはぐくむ。そして、単に与えられた役割をきちんと果たすのみならず、社会的な役割に気づいて、進んでそれを果たそうとする前向きの心を育てることにつながっていく。
  親は、そうした子どもの成長における家事の分担の大切さをよく認識し、幼児期から家事を手伝う習慣が身につくよう根気強く取り組んでいってほしい。その際、少々の失敗があっても親がすぐには手を出さないようにすること、きちんと役割を果たしたときには言葉に出してほめることなどに特に配慮してほしい。

(c)朝の「おはよう」から始めて礼儀を身につけさせよう

  礼儀は、他の人と協調して社会生活を営んでいくために身につけなければならない大切なことである。礼儀は、頭で理解するだけでなく、毎日繰り返すことによって自然に表現されるようになる。
  礼儀の中でも、とりわけ生活における基本として重要なものは、あいさつである。あいさつをするということは、相手を重んじ、大切にする姿勢を示すとともに、親愛の情や人とのかかわり合いを望む気持ちを表現する行動・作法である。対人関係を広げ、深める最初の一歩はあいさつに始まると言ってもよい。
  実際には、ふだんからあいさつをしている子どもが数多くいるが、そうでない子どもも少なくない(資料2−23)。朝の「おはよう」に始まり、「こんにちは」、「いただきます」、「ごちそうさま」、「ありがとうございます」、「いってきます」、「いっていらっしゃい」など、毎日きちんと親や身の回りの人々に声を出してあいさつできるよう、小さいころからしっかりとしつけを行ってほしい。また、子どもたちの言葉遣いが乱れてきていると言われるが、あいさつをすることと同時に、目上の人に対して正しく敬語を使うことも、習慣づけてほしい。
  親自身が、毎日子どもにあいさつをして、声をかけることを忘れないようにしてほしい。特にあいさつをかわしたときの子どもの様子は、その心の動きに関する大切なシグナルとなる。また、あいさつは子どもとの会話を広げるきっかけとなる。
  なお、地域ぐるみで「あいさつ運動」に取り組んでいる例があるように、地域の大人たちが子どもたちにあいさつしたり、あるいは子どもたちのあいさつに対して適切な言葉かけをすることなども望みたい。

(d)子どもに我慢を覚えさせよう−モノの買い与え過ぎは、子どもの心を歪める

  モノの豊かさが実現し、子どもをめぐる物質的な環境も大きく変化してきた。現代の子どもの持ち物を見ると、様々な情報機器が上位に入ってくるなど実に豊富になってきている(資料2−29)。しかし、モノが豊かになり、生活が便利になる一方で、それによって失われる大切なことについて、我々日本人はあまりに無自覚であったのではないだろうか。
  モノを安易に買い与えることによって、子どもは、自らの欲しいものを得るために努力し、我慢することを忘れ、かえって欲求を際限なく膨らませてしまったり、それを制御する力を失ってしまったりする。「もったいない」という言葉は、今日半ば死語になってきている観があるが、これは同時に、この言葉の背後にある事物に対する畏敬の気持ちが忘れられつつあることを示しているとも言える。我々は、「子どもを不幸にする一番確実な方法、それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」というルソー(1712〜1778  フランスの思想家)の言葉を思い返すべきであろう。
  周囲との横並びに惑わされずに、子どもに必要以上にたくさんのモノや高価なモノを買い与え過ぎることをしない、小遣いは多過ぎず子どもに相応な金額にする、そして決まった額の小遣いの中で自分の責任でやりくりさせるといったことから取り組んでいってほしい。「お金を使わず、心を使う」ことによって、親と子の関係を深めていくことが大切である。

(e)家庭内の年中行事や催事を見直そう

  家庭内では、正月、ひな祭り、節句、七夕など様々な年中行事や催事が行われている。そこでは、家族が集まって食事などをしながらコミュニケーションを図ったり、家族のみならず様々な人々とのかかわりやつながりができたり、家庭内から地域社会へ目が向く契機となる。また、古くからの行事の体験は、我が国の文化・伝統に親しむ非常に良い機会ともなる。
  ある地域を取り上げて、家庭内の行事がどのくらい習慣として残されているかを調べると、8割以上の家庭で「年越しそばを食べる」、「暮れの大掃除」、「家族の誕生日を祝う」、「クリスマスの行事」が実施されており、これに墓参りや節分などが続いている。さらに、子どもたちの地域への愛着心と家庭内行事の実施率との関係を見ると、総じて地域への愛着が強い方が行事の実施率も高くなっている。この調査結果(資料2−30)は、家庭内行事が家族との触れ合いを深めるだけでなく、さらには地域社会との絆を強くするという役割を果たしていることを示唆する。
  また、宗教的な情操をはぐくむ上で、我が国における家庭内の年中行事や催事の持つ意義は大きい。日本人の宗教観や倫理観は、日常生活そのものと深く結びついている。我が国の伝統的な家庭内行事は、例えば、初詣や節分で無病息災を祈ったり、家族一緒に墓参りをして先祖と自分との関係に思いを馳せることなどを通じて、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めるなど、宗教的な情操をはぐくむ貴重な契機となってきた。
  こうした意義にもかかわらず、効率性が追求され、親も子どもも「ゆとり」を失いがちな現代社会において、家庭内行事はおろそかにされつつあるように思われる。また、モノが豊かになる中、例えば、お祭りにおける「御馳走」などを通じて得られた喜びや家族の一体感などの効用も保持しにくくなってきている。
  今一度、我々は、様々な家庭内行事の意味やその在り方について再評価してみるべきではないだろうか。
  また、日本固有の伝統的な行事を大切にするだけでなく、例えばアメリカ等で盛んなホームパーティーは、よりよい人間関係をつくる力を子どもにはぐくむ一助になると言われているが、それぞれの家々で新しい催事を創り出すことも大いに試みてほしい。

(f)子ども部屋を閉ざさないようにしよう 

  家庭におけるルールづくりに当たって、特に留意すべき点として子ども部屋の問題がある。調査を見ると、多くの子どもが部屋を持っており、「自分の一人部屋」について見ると、小学生で約4割、中学生になると約6割の者がこれを持っている(資料2−29)。今日、子どもたちが子ども部屋に閉じこもってしまい、親の注意が行き届かなかったり、親子の会話が減ってしまうというようなことも目立ってきている。親の気づかない間に、もしくは目を背けてきた間に、子ども部屋が犯罪の場になってしまう例さえ見られる。
  我が国では、子ども一人一人に個室を与えられるようになったのも比較的最近のことであり、子ども部屋をいつどのように与えるかということについて、必ずしも親が十分な配慮をしていないように思われる。欧米の家庭には、例えば、子ども部屋があっても子どもはできるだけ居間にいるようにする、ある年齢になるまで子どもは自分の部屋に鍵をかけてはいけない、友人が遊びに来ても個室に入るまでに必ず親に紹介するなどといった様々なルールが決められている家庭が多く見られると言う。
  こうした点を大いに参考とし、親が子ども部屋の様子をしっかり把握するようにしようではないか。親は、子どもに部屋を与えるのであれば、そこに親が入ることは親の当然の責務であるということをまず子どもに納得させるべきである。
  子どもは、その成長に伴って内面世界が広がり、様々な「秘密」を持とうとするものである。親としては、子どもの発達段階を踏まえて寛容さを示すことも大切であるが、子どもの様子をきちんと把握するということが、部屋の問題を含め、子どもへの接し方の前提となる。このような認識に立って、各家庭では、子ども部屋に関するルールづくりをしてほしい。

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★  子ども部屋と家の間取り
  子ども部屋の閉鎖性の問題を助長する要素の一つには、家の間取りの問題もあると言われる。個室に入る前に必ず居間を経由する構造が多い欧米に対し、我が国の家屋は、すべての部屋が廊下で直接玄関につながるような形が多く、子どもが孤立しやすい環境にあると指摘されている。親子の対話を促し、子ども部屋を閉ざさないようにする観点から、家族団らんの場として居間の役割を見直すなど、可能な範囲で家屋の在り方も考えてみてはどうだろうか。
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(g)無際限にテレビやテレビゲームに浸らせないようにしよう

  子どもたちが自分専用のテレビを持つようになりつつあり、その視聴は、子どもたちの生活時間の中で大きな比重を占めている。ある調査では、小・中・高校生の平日のマスメディア接触時間は、平均3時間前後であり、テレビの視聴時間は約2時間となっている(資料2−31)。また、幼児に関するある調査では、過半数の者が2〜4時間もの時間をテレビの視聴に充てている(資料2−32)。
  テレビゲームやビデオについても今や大多数の家庭に普及しており、多くの小・中・高校生がこれらを頻繁に利用している(資料2−33、2−34)。また、幼児が早くもテレビゲームを身近に利用し始めていることも目につく。
  高度情報社会では、子どもであっても、大人と同様に、多くの多様な情報に簡単に触れたり発信したりすることができ、両者の垣根は極めて低くなっている。このことをよい方向に生かせば、子どもたちの知性や感性を触発し、日常生活の幅を広げ、それを豊かにすることができるであろう。例えば、インターネット等による外国人との通信に多くの子どもが意欲を持っているというようなことは大いに喜ばしい(資料2−35)。
  しかし、その一方で、情報メディアへの過度ののめり込みは、屋内への閉じこもりに表れるような人間関係の希薄化、直接体験の不足、心身の健康への影響などの問題に拍車をかけるおそれもある。そして、その結果として、人間関係をつくる力、他人に共感して思いやる心などが子どもに十分はぐくまれないことや、空想と現実との混同、死や生に関する現実感覚の希薄化が生じることなどが懸念される。  
  このため、(qどもたちが心から楽しめる魅力的な遊びや自然体験などの直接体験の機会を用意し、これにもっと参加させるという積極的な姿勢をとること、(テレビやテレビゲーム等に子どもたちがのめり込まないよう各家庭でルールを設け、それを守ることを習慣づけるようにすることが必要である。
  家庭でのルールをめぐる現状を見ると、例えば、テレビに関する調査によれば、時間量や時間帯について決まりを設けている家庭は半数足らずであり、テレビの「見方に対するしつけは厳しい方」という家庭はわずか2割程度にとどまっている(資料2−36)。
  親は、テレビやテレビゲーム等の利用についてのルールづくりについて、小さいころから専用の機器を与えることが適当かどうかも含め、よく考えてほしい。また、なぜそういうルールが必要か、子どもたちによく話してほしい。

(h)暴力や性に関するテレビ・ビデオの視聴に親が介入・関与をしよう

  今日、暴力や性に関する情報など、子どもたちに好ましくない影響を及ぼす有害情報が、様々なメディアを通じてあふれている。これからの社会では、有害情報をはじめ、誤った情報、不要な情報などにのめり込んだり、惑わされないようにすることが必要であり、子どもたちにそうした力を養うことが求められる。また、同時に、大人が子どもを有害情報に近づけないよう努力することも併せて必要である。
  例えば、テレビについて、どの程度親が注意を払っているかを調べると、「見てよい番組を決めて見せている」という親は3割足らず、「見る時間量を制限している」親は半数足らずと少数になっている(資料2−36)。さらに、有害性の判断基準に関しても、日本の親は、外国に比して暴力的なテレビ番組等に寛容であるといった問題が指摘されている。
  親は、子どもたちがどのような情報に接しているのか注意を払い、有害な情報と判断する場合は、子どもが自らそうした情報に接しないよう促したり、接することをきっぱりと止めさせることが必要である。

  このためには、特に次のような取組を各家庭でお願いしたい。
(ア) 親が具体的に子どものテレビ番組やビデオの視聴等に介入し関与すべきであること
(イ) 極端に暴力的な場面や露骨な性的描写が盛り込まれていたり、人権を軽んじるような内容のテレビ番組やビデオ等は親の判断で子どもに見せないようにし、それを家庭でのルールにすること
(ウ) 他方、子どもにとってよいと考えるテレビ番組やビデオを子どもと一緒に視聴する時間をとり、その内容を話題にして子どもとの会話を深めること
  なお、テレビゲームやパソコン、インターネット等については、子どもが個室を閉ざすことを許しながら、子ども専用の機器を安易に買い与えるようなことは、特に戒めてほしい。
  また、子どもの友人がある情報機器を持っているから買うことを認める、あるいはある番組を見ているから見ることを許す、といった安易な考え方を改めるようにしてほしい。

vi)  遊びの重要性を再認識しよう

(a)「遊び」が特に幼児期から小学生段階で大切なことを認識しよう

  友人との遊びは、子どもの心の成長にとって様々な面で大切な役割を果たしているが、幼少期においては格別である。幼児は、遊びを通して、感覚を働かせたり、運動をしたり、物をつくったり、想像したりするようになる。そして、他人を思いやること、我慢することなどを徐々に身につけていく。また、小学生段階では、その成長に応じて人間関係をつくる力、集団のルールを守る心、忍耐心や責任感、積極的な意欲や自発性などが子どもたちにはぐくまれ、少年期の健全な発達が達成される。  
  しかし、子どもたちの遊びの現状を見ると、遊びの機会そのものが減少するとともに、屋外で皆が駆け回って遊ぶようなかたちから、屋内での「孤立型の遊び」が目立つようになるなど、その態様は大きく変化してきている。例えば、調査において、小・中学生の「よく遊ぶ友人の数」は「2〜3人」の割合が増える一方、「6人以上」の割合は低下しており(資料2−37)、友達集団の中で切磋琢磨することが行われにくくなってきている。また、幼児についても、テレビは好きだが玩具で遊べない、母親に密着して集団の中で遊べない、外遊びが苦手である、想像力が求められるままごとのような遊びができないなど、「遊べない子ども」が現れるようになっている。こうしたことは、同時に「遊ばせない親」、「子どもと上手に遊べない親」の存在を示唆するものと考えられる。
  幼児期から小学校段階の子どもを持つ親は、まず、この時期の遊びが持つ意義の大きさを十分認識してほしい。この時期の遊びの意義を軽視し、ひたすら勉強をさせるなど、子どもの生活を親の思い通りにしようとし過ぎると、子どもの心の成長は歪められてしまう。今日、知育に偏った早期教育にのめり込む親が見られるとともに、「小学校へ入ったら勉強が第一、遊びは終わり」というような誤った意識への切り替えをしてしまう親も少なくない。こうした知育優先の考え方を改め、子どもたちが小さいころは、友達と一緒にのびのびと遊ばせようではないか。

(b)自然の中で伸びやかに遊ばせよう

  今日の子どもたちについては、自然の中での遊びの機会が失われてきており、遊びの態様も屋外から屋内へと変化してきている。小学生の遊ぶ場所を見ると、自分の家あるいは友達の家での遊びが増えてきていることがわかる(資料2−38)。こうした状況は、子どもの心身の成長に望ましい傾向とは思えない。大人は、子どもがテレビばかり見たり、テレビゲームなど屋内での遊びに子どもがのめり込まないように注意することも大切だが、それと同時に、野外で遊ぶ楽しさを子どもたちが実感できるような積極的な環境づくりをすることが必要である。
  子どもたちは、自然の中での遊びから多くのことを学ぶ。自然の中での遊びを通じて、驚きや感動を体験し、豊かな感性をはぐくむ。また、自然や環境について知り、それを大事にする心が養われたり、忍耐することの大切さを学んだりする。さらには郷土や国土への愛着を持ったり、人間を超えたものへの畏敬の気持ちがはぐくまれるよい機会ともなる。
  親は、できるだけ子どもを自然の中に連れ出して伸びやかに遊ばせ、動植物など自然との触れ合いを促し、その楽しさに気づかせる努力をしてほしい。学校だけでなく地域でも自然に親しむ活動が行われるようになりつつあるが、そうした活動に小さいころから家族ぐるみで参加したり、時には親から離して子ども一人で参加させるようにしていくべきである。
  また、親自らも、地域社会の一員として、そうした活動が地域で活発になるよう、専門的な知識が無くても臆することなく、ボランティアとしてその手助けをしていこうではないか。

(c)心の成長を歪める知育に偏った早期教育を考え直そう

  今日、小・中学生の塾通いは全体として増えるとともに、その低年齢化が進んでいるが(資料2−39)、そうした知的な教育を早くから始めようとする動きが、幼児期においても生じている。都市部の幼稚園・保育所の子どもを対象に行われた調査では、学習塾に通う者は約1割、通信教育を受けている者は約2割となっており、10年前に比して大幅に増加している(資料2−40)。こうした調査から伺えるように、都市部等ではかなり早い時期から知育に力を入れようとする親が少なくない。
  知育に偏った教育を施そうとして、幼児の遊びや様々な体験活動の機会を減らしてしまうことは好ましいことではない。幼少期からひたすら勉強をさせられた子どもが、小・中学生の段階から疲れてしまい、自発的な学習意欲を失ってしまう場合も少なくない。
  更に重要なことは、早期教育が行われるときの親子関係の変化である。すなわち、親の側が、他の子どもとの相対的な比較に目を奪われてしまうこと、早く成果を挙げようと焦り、いら立ってしまうこと、自分のペースで自由に考えることを大切にせずに予め定められた答えを性急に求めること、生活全体にわたって過剰に干渉することなどによって特徴づけられる「早期教育的雰囲気」は子どもの心の豊かな成長を歪める。
  子どもの個性に応じ、じっくり時間をかけて育てていくことの大切さをかみしめ、知育に偏った早期教育に走ってはいないか、家庭の中に「早期教育的雰囲気」を醸し出してはいないか、立ち止まって省みてほしい。 

(d)子どもの生活に時間とゆとりを与えよう

  子どもたちの遊びが質・量ともに貧しいものになっている状況は、子どもの生活における時間とゆとりの乏しさと深くかかわっている。小学生から既に多くの者が腕時計を持っていることにも象徴されるように、子どもたちは、学校、塾やおけいこごと、自宅での勉強などで時間に逐われるようになり、遊びの時間は削られ、その内容も屋内での孤立型の遊びが主役になっていく。
  遊ぶゆとりの失われた今日のような状況は、子どもたちの育ちにとって決して好ましいものではない。調査によれば、「夜眠れない」、「疲れやすい」、「何でもないのにイライラする」といったストレスを訴える子どももかなり見られる(資料2−41)。
  子どもたちは、ゆとりのある自由な時間を与えられることによって、はじめて心から遊びを楽しみ、自分なりに遊び方を創意工夫し、のびのびと個性や創造性を伸ばすことができる。
  これからの社会が子どもたちに求める最も重要なものは、自ら学び、自ら考える力、豊かな人間性、健康や体力からなる「生きる力」である。そして、学校や企業も「生きる力」を評価し、大切にする方向へと確実に変化しつつある。こうした力を身につけるためには、ゆとりの中で、子どもたちが試行錯誤をしたり、遊びを含む多様な体験を積み重ねることが不可欠である。小さいころから一刻を争い、ひたすら知識を詰め込む勉強だけでは、「生きる力」ははぐくまれない。親は、是非とも、そうした世の中の変化に目を向けて、勇気を持って子どもたちに時間とゆとりを与える努力をしてほしい。そして、学校週5日制によってもたらされる自由な時間を、子どもたちの遊びの再生にも大いに生かしてほしい。

vii)  異年齢集団で切磋琢磨する機会に積極的に参加させよう

  身近な地域のボランティア・スポーツ・文化活動、青少年団体の活動、地域の行事に積極的に参加させよう

  異年齢集団の中で、子どもたちは人間関係についてたくさんのことを学ぶ。年少の子どもは、ルールを守ることや我慢することの大切さなどを身につけていく。また、年長の子どもは、思いやりの心や、集団をリードしたり、積極的に役割を果たしていく責任感が養われる。
  身近な地域のボランティア・スポーツ・文化活動、青少年団体の活動は、それぞれ社会貢献の心をはぐくんだり、心身を鍛えたり、情操を豊かにするなど様々な活動の目標を持っており、異年齢集団の中で子どもたちが切磋琢磨する大切な機会を提供している。また、それぞれの地域では、伝統的な祭りや町おこしの行事、スポーツやレクリエーションの大会、環境美化や防災の活動、図書館・公民館や福祉施設での催し、外国人との交流行事など、様々な活動が盛んに行われるようになってきている。こうした活動は、子どもたちが地域の伝統や文化に目を向けたり、地域の自然や人々とのつながりを実感して愛着を深める上でも大切な役割を担っている。
  しかし、現実には、こうした地域の活動への子どもの参加が十分に行われているとは言い難い。例えば、小・中学生を対象にしたある調査では、「特に団体などには入っていない」とする者が小学生で約3割、中学生になると約8割にも達する(資料2−42)。また、地域の行事等についても同様の傾向が見られる(資料2−43)。

(ア) 親は、改めて異年齢集団での活動の大切さについて見直し、身近なこれらの地域の活動に積極的に子どもたちを参加させるようにしてほしい。
(イ) また、地域の活動は、地域住民のボランティアによって支えられている。一部の親だけにそうした役割を期待するのではなく、それぞれの親自身が能動的に参加し、子どもと共に学ぶようにしていくことをお願いしたい。
(ウ) さらに、地域では、「あいさつ運動」や「小さな親切運動」などの取組が行われており、それらへの積極的な参加・協力もお願いしたい。

第3章  地域社会の力を生かそう

(1)地域で子育てを支援しよう

(a)どの親も通過する母子保健の機会を積極的に生かそう

  望ましい子育ての在り方について考え、学ぶ機会を、地域で様々に工夫して親に提供していくことは極めて重要である。そうした家庭教育を支援する工夫の一つとして、各市町村において、どの親も通過する母子保健の機会などを積極的に生かす取組を是非ともお願いしたい。
  そのような機会としては、まず、母子健康手帳の交付時がある。法律上、妊娠した者は、市町村に対して必ず届け出を行い、手帳の交付を受けることとなっている。また、出生後には、1歳6か月児健康診査、3歳児健康診査が実施されており、対象者の9割前後が受診するなど、事実上ほとんどの親がこれらを経験する。また、小学校入学前に行われる就学時健康診断にはすべての親が関係することになる。

  これらの機会を活用して、次のような工夫を市町村等にお願いしたい。
(ア) 母子健康手帳の交付時には、両親学級の案内や育児不安への対応など産前・産後に必要な情報提供が行われているが、更に幅広く乳幼児期の望ましいしつけの在り方や家庭の在り方について学習できるよう、家庭教育に関する様々な学習の機会を紹介したり、参加を促すこと
(イ) 1歳6か月児や3歳児などの集団健診の場合、その時期と場所を併せて、子どものしつけの在り方について識者の講演を聞いたり、ビデオや映画等を視聴できる機会を設けること、親同士が意見交換をする場を用意すること、市町村教育委員会が主催する家庭教育学級を開設すること、家庭教育相談のコーナーを設置すること
(ウ) 乳児の個別健診の場合には、ビデオ等の視聴覚教材を活用し、親が医療機関を訪れる際に、随時しつけの在り方を学習できるようにすること
(エ) こうした母子健康手帳の交付時、あるいは1歳6か月児や3歳児などの健康診査の際に、地方公共団体が、家庭でのしつけの在り方や心の成長に関して配慮すべき点を盛り込んだ家庭教育の資料を、読みやすい簡便な冊子(例えば「親子手帳」、「家庭教育手帳」、「しつけ手帳」など)として作成して親に渡したり、家庭教育相談の窓口についてカード等で案内をしたり、様々な家庭教育の学習機会への参加を呼びかけるなどといった情報提供を行うこと
(オ) 小学校への入学に際して、市町村教育委員会が学校の施設などを利用して実施する就学時健康診断に関しても、乳幼児健康診査の場合と同様の様々な取組を進めること
  これらの取組に当たっては、文部省と厚生省、市町村等の母子保健の担当部局と教育委員会、あるいは教育委員会内の関係部署が連携を密にすることが必要であり、そのための一層の努力を求めたい。
  なお、地域によっては母子健康手帳の交付時に、副読本として作成した「父子手帳」を一緒に配布するといった取組もみられる。父親の育児参加、家庭教育参加を促すため、ここで挙げた様々な機会をとらえて、父親の在り方や子育てへの積極的な参加の必要性に関する啓発的な資料をもっと作成・配布することを特に望んでおきたい。

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★  母子保健事業と家庭教育事業の連携
  平成9年に改正母子保健法が施行され、母子保健事業の実施主体が市町村に一元化されたことを契機に、市町村教育委員会等が実施する家庭教育事業との連携が大いに進展することが期待されている。現在のところ、母子保健部局で実施する両親学級で家庭教育資料を活用したり、乳幼児健康診査に併せて市町村教育委員会が主催する家庭教育学級を開設したり、教育委員会が作成した家庭教育電話相談の案内カードを母子健康手帳の副読本に添付したりするなどの工夫が一部でなされているが、いまだ取組の広がりは十分とは言えない。今後、各市町村において、母子保健部局と教育委員会が更に密接な連携を図り、各種の事業を幅広く実施していくことが求められる。
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(b)24時間親が気軽に悩みを相談できる体制づくりをしよう

  核家族化や都市化が進む中で、子育てに対する不安を感じる親が増えている。また、いじめや不登校などの問題で悩みを抱える親も少なくない。そうした親は、通常、配偶者や親・兄弟姉妹、友人などに相談することが多いが、それだけでは十分ではない。各地方公共団体において、公的な機関や様々な団体の連携協力によって相談体制の充実を図ることをお願いしたい。
  現在、学校やスクールカウンセラー、幼稚園や保育所に相談する場合は別にして、乳幼児期については、保健センター、保健所、青少年期については、教育センター、警察の少年相談窓口、児童相談所、精神保健センターなどが各地域の主な相談機関となっている。様々な民間企業や団体も子育て相談に携わっている。

(ア) 各地方公共団体で、まず、気軽に親が悩みを相談できる体制が十分に整っているかどうか見直しをしてほしい。昼間に一定の時間の枠を設けて、相談機関を訪れる親に対して面談するといった形だけでは、多様な相談のニーズに十分こたえられない。いつでも気軽に悩みを相談し、必要な助言が得られる体制をつくることが重要である。特に、電話、電子メール、インターネットなどを利用して、24時間子育ての相談に対応できる体制を、関係機関の連携の下、ボランティアの協力も得ながら作り上げていくことが望まれる。一部の自治体では、フリーダイヤルカードを親に配って気軽に電話相談ができるような工夫がされており、こうした試みが広がることも期待したい。
(イ) また、相談機関の間の連携は果たして十分であろうか。各機関では、相談者のニーズに応じて、より適切な相談機関を紹介したり、必要な情報を他の機関に伝えるなど、連携を密にしてほしい。そのため、今後、各地域において、相談機関の連絡会議を充実したり、関係機関の家庭教育支援事業に関する情報収集やそうした事業の企画等の役割を担う「家庭教育支援センター」を整備することなどを期待したい。
(ウ) さらに、子どもを持つ親や地域の子育て経験者と交流する機会や、親同士が子育てについて学び合う機会を設けたり、地域の人々が助け合う子育て支援グループを育成することも大切である。行政にあっては、情報提供、活動の場となる施設やニーズを持つ親の紹介、専門家の斡旋を行うほか、そうした活動の中核となるような人のために学習の機会を用意するなど、子育てネットワークづくりを支援してほしい。

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★  子どもに対する24時間相談体制
  子どもに対する24時間相談体制を整え、子どもたちからの悩みの訴えに対して助言したり、いじめ問題などに的確かつ機敏に対応したりすることの意義は極めて大きい。
  この分野で先進的な取組を行っているイギリスでは、民間団体「チャイルドライン」が、昭和61年の設立以来、24時間フリーダイヤルにより60万人以上の子どもの悩みを受け止めてきた。子どもたちの電話には、約800人に上るボランティアの相談員が対応している。
  電話等による24時間相談は、我が国でも一部の地方公共団体の取組や、社会福祉法人による「いのちの電話」といった例が見られる。また、国立教育会館の「いじめ問題対策情報センター」では、夜間における留守番電話やFAX等による24時間受付体制を整えている。今後は、こうした取組の一層の充実
が期待される。
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(c)家庭教育カウンセラーを配置し、子育て支援に活用しよう

  子育ての悩みや不安を抱える親に対して、相談の時間や窓口を充実し、きめ細かく適切な助言をすることができる体制をつくるには、相談員の質と量を確保することが必要である。このため、退職教員や子育てを経験した地域の住民などに研修の機会を提供し、ボランティアとして協力を得ていくことが望まれるが、それだけでは十分とは言えない。今日、子どもをめぐる社会環境が急速に変化し、家庭の環境も多様化してきている中、子どもたちの心の問題はますます複雑さを増してきており、これまでの教育や子育ての経験だけでは適切な助言をすることが難しい場合も多くなってきている。
  そこで、臨床心理士や精神科医など、臨床心理学、発達心理学、精神医学等に関して専門的な知識や技能を備えた人材で、子どもの健全育成に対する使命感を持った者を「家庭教育カウンセラー」として活用することを提唱したい。家庭教育カウンセラーは、家庭教育電話相談等を実施している相談機関等に寄せられた様々な悩みや不安のうち、より専門的なカウンセリングが必要なものを一般の相談員から引き継いで対応することや、一般の相談員がどのように親に助言すべきか悩む場合に、今後の対応方法について指導・助言を行うことなどの役割を担うことが期待される。また、相談内容にふさわしい別の相談機関などを適宜紹介することにより、関係機関間の連携をより密接なものにしていく役割も期待される。

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★  家庭教育カウンセラー活用調査研究
  家庭教育に対する悩みや不安を抱える親が増えてきていることから、文部省は、平成10年度より「家庭教育カウンセラー活用調査研究委嘱事業」を実施することとしている。この事業は、従来の家庭教育電話相談等と連携して、専門的な知識や技能を有する「家庭教育カウンセラー」を活用し、相談体制の充実強化を図るための調査研究を各都道府県に委嘱するものである。具体的には、臨床心理士や精神科医などが、公民館等の社会教育施設等で専門性を生かしたカウンセリングを行い、相談者の深刻な悩みや不安を和らげ、問題解決を支援する役割を担うこととしている。また、家庭教育カウンセラーの資質向上や実効性ある相談体制の在り方について研究協議を行う場を設けることとしている。今後、こうした事業の成果を踏まえて、家庭教育カウンセラーが有効に活用されていくことが期待される。
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(d)中・高校生がもっと乳幼児と触れ合う機会をつくろう

  今日、子どもに対する愛情を欠いている親や、親になるということの意味や責任を十分に自覚しない親も見られる。特に、子どもへの愛情を持つことは、子育ての基本であるが、子ども好きではないという母親が相当いることなどが懸念されている。その背景の一つには、親の子ども時代における乳幼児とのかかわりの問題があると指摘される。子ども時代に乳幼児と触れ合う機会の多かった者は、子ども好きになる傾向が見られるという。
  現在の子どもたちに目を向けると、少子化によって兄弟姉妹の数が減少する中、新生児の誕生から乳幼児を育てる親の姿を見る機会や、自分が乳幼児を世話したり、触れ合う体験が少なくなり、そのかわいさやぬくもりを感じ、生命の尊さや育てることの苦労を学ぶ機会が少なくなってしまっている(資料3−1)。
  学校における家庭科教育で親として大切なことを子どもたちに教えることは大切であるが、こうした問題については教室等の中で知識を教えるだけでは十分ではない。子どもたち、特に多感な時期の中・高校生が実際に乳幼児と触れ合い、遊び、さらに進んで世話をするといった体験を意図的に与えていくことが必要である。このため、幼稚園、保育所、市町村保健センター、保健所、乳児院等において、中・高校生が体験学習やボランティア活動を行う機会が拡大するよう、地域における関係者の努力をお願いしたい。また、高等学校では、それらの体験活動を積極的に学校の単位として認定することも考えてほしい。

(e)家庭教育の学習機会を幅広く提供しよう

  今日、家庭教育に関する学習機会としては、公民館などの社会教育施設等において提供されている家庭教育学級やビデオ教材、テレビ放送等があるが、より一層幅広く地域の親たちが学習機会に接することができるよう工夫していくことが必要である。

例えば、
(ア) ほとんどの若い親が訪れる1歳6か月児・3歳児健康診査等の機会を生かして、家庭教育学級や講演会を開いたり、ビデオや映画等の視聴覚教材を活用した学習機会を用意したり、わかりやすい家庭教育資料を配布するなどの取組を進めること
(イ) 思春期の子どもを持つ親に対する家庭教育の学習機会を一層充実すること
(ウ) パソコン通信やインターネット等の新しいメディアを活用して、家庭にいながらにして手軽に学習できるようにすること
(エ) 父親の家庭教育への参加を進める観点から、父親への働きかけを強化すること。例えば、「出前講座」として父親の職場である企業内に家庭教育の学習の場を積極的に設け、父親の受講を促す取組を一層推進すること。また、共稼ぎの家庭が増えていることを踏まえ、土・日曜日や夜間に設定する時間を増やし、両親一緒に参加してもらうこと
(オ) 祖父母等が孫の教育にかかわることは大いに意義のあることであり、最近の家庭や子育ての変化、子どもの心の問題などについて祖父母が学ぶことができる機会を積極的に設けていくこと
が望まれる。
  以上はいずれも各地方公共団体が、地域の実情に応じて今すぐできることであり、教育委員会を中心に、関係部局の連携により、積極的に取り組んでいくことをお願いしたい。

(f)企業中心社会から「家族に優しい社会」への転換を図ろう

(ア) 仕事一辺倒で家庭のことを省みようとしない企業中心の価値観が、主として男性の側に浸透しており、また、「男は仕事、女は家庭」というような固定的な性別役割分担意識が依然として根強く存している。そうした社会的な意識や価値観にも支えられ、社会全体にわたって企業中心のシステムが構築・運用されてきた。しかし、心の豊かさを求める機運が高まり、また、男女共同参画社会の実現が求められるようになる中、そうした企業中心の社会の在りようについては大きな見直しが迫られている。
  子育ての環境という点でも、企業中心の社会システムの下、夫婦が時間的・精神的なゆとりを失なったことも一因となって、若い世代を中心に子育てに対する負担感が大きなものとなるなどの問題が生じている。こうしたことは少子化を招来する背景の一つになっている。
(イ) これからは、父親が家庭教育にもっと参加し、母親も社会の中で自己実現を目指すことができるような社会、夫婦が「ゆとり」を持って楽しみながら一致協力して子育てをできるような社会、すなわち「家族に優しい社会」をつくっていくことが必要である。そのためには、仕事と子育ての両立ができるよう、労働時間を短縮すること、育児休業や長期休暇の取得を促進すること、フレックスタイム制等の弾力的な労働時間制度の普及を図ること、育児のために退職した者の再就職を支援すること、我が国に特徴的な単身赴任を少なくすることなどの方向を目指して、社会全体で取り組んでいくことが必要である。特に企業に対しては、その積極的な取組をお願いしたい。

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★  単身赴任と高等学校の転入学
  経済活動の広域化や国際化等の一層の進展に伴い、父親の単身赴任は増加している。配偶者を有する30〜59歳の男性の単独世帯数の推移を見ると、昭和50年には14万1,000世帯であったが、平成6年には32万1,000世帯へと2.3倍に増えている。
  一般に、勤労者が自宅通勤の不可能な地域への異動を命じられた場合、子どもが小さい間は家族を同伴する帯同赴任を選択するが、子どもが成長するにつれて単身赴任が増える傾向がある。その背景の一つには、親の転勤に伴う高等学校における生徒の転入学等が円滑に実施されていないことが挙げられてきた。
  このため、各都道府県や高等学校では、転入学等の受入れ機会の拡大、受験手続きの簡素化・弾力化、特別定員枠の設定、情報提供体制や相談窓口の整備等に取り組んできている。例えば、平成10年度の公立高等学校における特別定員枠について見ると、26都道府県の約2,000校がその設定を予定している。文部省は、転入学者等の受入れの一層の促進を図るため、平成9年12月、特別定員枠をあらかじめ設定し、積極的に情報提供を行うことなどを求める通知を各県等に対して発出したところであり、今後、子どもの転校の困難を理由とする単身赴任が解消されるよう、各都道府県や高等学校での更なる努力が期待される。
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(2)異年齢集団の中で子どもたちに豊かで多彩な体験の機会を与えよう

i)  長期の自然体験活動を振興しよう

(a)民間の力を生かして長期の自然体験プログラムを提供しよう

  自然体験によって、子どもたちは自然の美しさ、神秘性、厳しさなどに触れ、感動や驚きを覚えるとともに、自然や環境への理解を深めていく。また、異年齢集団の中で行われる自然体験活動により、思いやり、自主性、協調性、忍耐力、社会性などが一層豊かに養われていく。
  しかし、今日の子どもたちについては、自然体験が著しく不足してきている。ある調査によれば、例えば「高さ1000メートル以上の山に歩いて登ったこと」、「野外でテントに寝たこと」が1回もない子どもが半分以上おり、自然の中で遊んだり、生き物とかかわったりする様々な自然体験が年を逐うにつれて乏しくなってきている(資料3−2)。
  かつての時代と異なり、そのまま放っておけば子どもたちが自然の中で豊かな体験を持つようにはならない。我々は、親や社会が意図的に子どもたちに自然体験を促していかなければならない時代を迎えている。このような認識に立って、我々は、自然体験の機会をより幅広く子どもたちに提供していこうではないか。

  自然体験プログラムの充実に当たって特にお願いしたいことは次の点である。
(ア) これまで、自然体験プログラムは、学校、地方自治体、青少年教育施設、民間団体によって提供されてきたが、全体を通じて、わずかに1泊2日程度という日程のものが大部分を占めていると見られる。しかし、ゆとりのないプログラムでは、様々な自然体験活動の意義が十分に発揮されない。今後は、少しでも期間の長期化を図ること、また、時には欧米の例にも習い、1か月以上の長期にわたって、親と切り離し、異年齢の子ども同士が自然の中で切磋琢磨するような体験プログラムを積極的に提供していくことが必要である。
(イ) 我が国では、学校引率中心の自然体験プログラムが広く見られるが、長期のプログラムの実施となると、学校に頼ろうとしても限界がある。学校を含む公的な機関によるプログラムも重要ではあるが、今後は民間の団体や企業の役割に期待したい。青少年団体や野外活動団体が企画・運営するプログラムはもちろん、社会教育の指導者等が指導に当たり、例えば、自然体験活動を提供する民間教育事業者や、旅行業者・観光業者等の民間企業が運営の主体となるような形態の自然体験プログラムが大いに提供されていく必要がある。とかく我々は、公益性の高い活動について公的機関がほとんどすべてを担うべきであると考えがちであるが、子どもたちに多彩なプログラムを幅広く提供していくためには、そうした在り方だけでなく、民間の商業ベースの事業も大いに推進し、親が相応の負担をするシステムも積極的に取り入れていくべきである。
(ウ) 長期自然体験プログラムを提供していくためには様々な条件整備が求められる。活動の場については、既存の公的な施設を積極的かつ弾力的に活用していくべきである。また、民間団体等は経営体制や組織基盤が強固とは言えない状況にあるため、行政は必要な支援を行っていくべきである。例えば、現在、学校引率の事業については旅費を地方公共団体が負担しているが、それと同様の支援が望まれる。
(エ) プログラムの内容の充実を期し、国レベルで官民が協力して、よりよいプログラムの研究開発に取り組んでいくことが必要である。
(オ) 指導者の確保を図るため、従来から実施されている様々な指導者養成・研修の事業を推進するとともに、指導者養成プログラムを開発することや、より長期的な視点から、高等教育レベルでの専門的な指導者を養成するコース等を更に充実することも望まれる。
(カ) 長期自然体験プログラムについては、子どもを親から切り離すことがその自主性や社会性を養う上で大切であると考えるが、親と子どもが一緒に参加して共に学ぶことにも意義があり、両方のプログラムを親や子どもたちが適宜選ぶことができるようにしていくことが望ましい。

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★  アメリカのキャンプ
  全米キャンプ協会(ACA)発行のガイドに基づいて、アメリカのキャンプの全体的な状況を概観すると、全米のキャンプ場約1万1千のうち、ACA公認の宿泊型キャンプ場は約1500である。これを実施主体別に見ると、ボーイスカウトやYMCA等の青少年団体が4割強を占め、これに非営利機関、宗教団体、私企業が続く。公的機関は1%あまりと極く少数である。
  キャンプのプログラムは、夏期休暇に行われるサマーキャンプが圧倒的に多い。各キャンプ場は、2週間、4週間、6週間等いくつかのコースを開設している。4週間のコースを開設しているキャンプ場は全体の約2割、8週間のコースを開設しているキャンプ場も1割以上あるなど、アメリカの子どもは長期のプログラムを享受する機会に恵まれていると言える。
  キャンプで重点が置かれている活動には地域性が見られるが、総じて水泳、乗馬、キャンプ技術、冒険活動、カヌー等が多い。また、最近は環境教育プログラムが増えてきている。
  なお、夏のキャンプでは、子どもの自主性を重視し、親の参加は認められないのが一般的である。
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(b)親と離れて子どもたちが集団生活を営む「長期自然体験村」を設置しよう

  大人・子ども共に休みが長く、長期自然体験活動が盛んな点で世界有数の国であるフランスを見ると、ヴァカンス・余暇センター(CVL)が、集団生活を営む場として中心的な役割を果たしている。
  我々は、そうした例を参考に、豊かな自然環境の下、1か月程度の期間にわたって親と切り離し、異年齢の子どもたちが寝食を共にして、自然体験、環境学習、掃除や洗濯、農作業等の勤労体験、スポーツやレクリエーションなどを一緒にしながら暮らせる「長期自然体験村」を設置することを提唱したい。

(ア) 施設・設備については、できるだけ自然環境を生かした活動の場となるようにすることを基本とすべきである。そして、新たに大がかりなものを設置するという構想を採るよりは、既存の公的な青少年教育施設の充実を図ったり、多数に上る各省庁、地方公共団体の施設を有効かつ弾力的に活用したり、古い民家を借り上げたりしていくことが重要である。また、民間企業が所有する施設、ユースホステル等の民間の宿泊施設、さらには山林や田畑を有する農家などの協力を幅広く得ることが大切である。
(イ) 運営については、専門的な社会教育等の指導者を確保し、さらに地元の住民からボランティアとして協力を得ることなどが重要であろう。
(ウ) 行政としては、こうした活動の場を用意するため、適切な支援措置について検討すべきであるが、その際にすべての経費を賄おうとするのでなく、受益者負担の考え方を踏まえて、親に応分の負担を求めていくことが適当である。
(エ) 活動は、夏休み等の長期休業期間に行われることになるが、そうした時に子どもたちが安んじて参加できる環境をつくることが必要である。特に、親にあっては過度の学習塾通いを考え直すこと、学校にあっては宿題が過剰となっていないかどうか見直したり、部活動の運営や行事・登校日の設定等について配慮することなどが求められる。
(オ) このような構想を実現するために、行政において所要の調査研究の推進を求めたい。

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★  フランスのヴァカンス・余暇センター
  フランスでは、6月末から9月初頭にかけて60日にも及ぶ休暇が子どもたちに与えられる。親が働いている7月中はヴァカンス・余暇センター(CVL)で友人と過ごし、8月には家族で貸別荘やヴァカンス村などに滞在し、余暇を楽しむ子どもが大勢いる。
  子どもの長期自然体験活動の中心的な拠点であるCVLは、フランス全土に2万以上設置されており、年間約100万人の子どもが利用している。これは、4〜18歳の子どものうち10人に1人が利用している計算になる。
  CVLは、対象年齢によって、幼児CVL(3〜6歳対象、宿泊期間1週間)、
少年CVL(7〜13歳対象、宿泊期間2〜3週間)、青少年CVL(13〜17歳対象、宿泊期間3週間)に大別される。CVLは長期の宿泊に必要な施設設備を備えており、ほとんどの場合、定員は100人以下である。
  CVL自体は寝食が中心の施設であり、球技、水泳、カヌー、登山、自然探求活動などといった様々な野外活動は、CVLから10キロ周辺以内に設置されている専門の活動施設で行われる。どの施設でどういった活動をするかは子どもの選択にゆだねられるなど、子どもの自主性を尊重した運営がなされている。また、CVLには一定の資格要件を満たしたアニマトウール(男性)、アニマトレス(女性)と呼ばれる指導員が配置され、生活面及び活動面での専門的な指導を行う体制が整えられている。
  CVLの経営主体にとしては、市町村や関係団体の他、一般企業が大きな役割を果たしている。フランスでは、従業員50人以上の企業には「企業委員会」の設置が義務づけられており、CVLの運営を含め、従業員の子どものための休暇事業の実施を担っている。例えば航空会社・エールフランスの委員会は、国内外に20近いCVLを運営している。
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(c)「山村留学」や「国内ホームステイ」の取組を広げよう

  長期の自然体験活動を振興する際、夏休み等におけるプログラムの提供のみならず、もっと長い期間にわたる体験の機会を用意することも積極的に進めていくべきである。都市部の子どもたちが親元を離れ、山村など自然環境の豊かな地域で暮らしながら、その地の学校に通学したり、自然体験や勤労体験など様々な体験活動をしたりする「山村留学」は意義あるものと考える。これまで、「山村留学」は徐々に募集校・参加者の数を増してきたが、広がりがあるとは言い難い(資料3−3)。
  「山村留学」の取組を一層進めるため、今後、受け入れ側では、単なる過疎地の零細校対策としてでなく、町や村をあげて中長期的な展望を持って事業に取り組んでいくことが必要である。例えば、生活面の指導者の確保、宿泊施設の整備や「里親」の確保、情報提供などが強く求められる。
  また、「山村留学」では「里親」が子どもを預かる場合も少なくない。異なった家庭の中で、親とは違った視点から適切なしつけを受けたり、農業や家事を手伝ったりする経験を通じて、子どもは、家族との触れあいの意味を改めて考え、自立心を身につけていくことが期待される。将来的には、「山村留学」とは別に、期間の長短を問わず、国内で異なった家庭で過ごす体験をする「国内ホームステイ」の取組を広げていくことも望まれる。子どもを送り出す家庭と受け入れる家庭との仲立ちをするなどのシステムについては、今後の研究課題の一つと考える。

ii)  ボランティア・スポーツ・文化活動、青少年団体の活動等を活発に展開しよう

(a)自分の大切さに気づかせ、社会貢献の心をはぐくむボランティア活動を振興しよう

(ア) 子どもたちは、自ら主体的に参加したボランティア活動を通じて、他の人々や社会のために役立つ体験をし、自分が価値のある大切な存在であることを実感する。また、ボランティア活動の中で、子どもたちは社会とかかわり、様々な人々と接する体験をし、他人を思いやる心や社会生活を営む上での規範やルールを学ぶ。さらに、ボランティア活動は、国際協力、環境保護、高齢社会への対応といった様々な社会問題に対する子どもたちの問題意識に広がりと深みを与え、社会貢献の心をはぐくむ。今日の子どもたちをめぐる状況を踏まえると、こうしたボランティア活動の体験学習としての意義は極めて大きい。
(イ) 近年、大規模な災害に際して多数の若者がボランティア活動に参加し、様々な面で重要な貢献を果たしたことは記憶に新しい。しかし、我が国のボランティアは、社会の中で十分に広がり、定着したとは言い難い。調査によれば、青少年の中でボランティア活動を体験した経験がある者は全体の3割程度にとどまっている(資料3−4)。また、高校生等を対象に国際比較を行うと、ボランティア活動を現在行っている者の割合は、米国が6割を超えるのに対して、日本はわずか4%となっている(資料3−5)。
(ウ) 現時点ではボランティア活動に参加している子どもは多くないが、調査によると、若い世代では多くの者が今後活動に参加したいという意志を持っている(資料3−6)。今後は、一層多くの子どもたちがボランティア活動に気軽に参加できるよう、行政や民間団体が活動の機会や情報を十分に提供していくことが必要である。
  なお、こうした働きかけの際には、「ボランティア活動は特別なことでなく、誰でも日常的にできることである」という考え方を伝え、子どもたちが身構えず、自然にボランティア活動を行えるようにすることが重要である。
(エ) また、学校でのボランティア体験活動は、そうした考え方を広げ、子どもたちが息の長い活動を行っていく契機となるものであり、特別活動や総合的な学習の時間等を活用して、その一層の充実を図ることを望みたい。

(b)スポーツ・文化活動や青少年団体の活動を積極的に展開しよう

(ア) 今日の子どもたちは、総じて体力・運動能力が低下してきている(資料3−7)。スポーツ活動は、健康でたくましい体づくりに資するとともに、ルールを守り、公正さを重んじる精神、思いやりの心、忍耐心や克己心を涵養するなど、子どもたちの心の育ちに寄与するところが大きい。また、子どもたちは、文化活動を通じて、美しいものに感動する豊かな情操や、我が国の伝統文化を大切にする心をはぐくむ。こうした意義を踏まえると、地域社会においてスポーツ・文化活動を積極的に展開していくことは極めて重要であり、その活動を支えるスポーツ団体や文化団体の果たす役割は大きい。
  また、地域では、スポーツ・文化団体のみならず、ボーイスカウトやガールスカウト、子ども会等の青少年団体において、異年齢の子ども同士が切磋琢磨し、豊かな心をはぐくむ様々な活動が展開されている。
(イ) これらの団体は、参加者数の減少や指導者の確保の困難といった問題を抱えるところが多くなっており、行政としては、指導者の養成、情報提供の充実など、団体活動の一層の振興を図る必要がある。また、各団体においても、子ども自身が活動内容を考え、自主的に企画を行う機会を増やすなど、子どもたちにとってより魅力的な活動の場をつくる努力をお願いしたい。
(ウ) また、地域におけるスポーツ・文化活動等を振興するためには、団体活動を支援するほか、スポーツ・文化施設の整備充実を図ったり、それらの施設で提供されるプログラムをより多様で魅力あるものとすべく努めていくことが必要である。さらに、子どもから大人まで定期的・継続的にスポーツに親しめる総合型地域スポーツクラブなどの育成を図っていくことが必要である。

(c)学校は、学校外活動に関する情報提供を行い、参加を奨励しよう

  子どもたちが学校外活動に積極的に参加するようにしていくためには、社会教育施設や民間団体などから子どもたちに働きかけるだけでは限界があり、学校が学校外活動の普及に積極的に協力することが望まれる。学校は、ともすれば外部の機関や団体の活動に協力したり、あるいは学校が担ってきた機能をそれらにゆだねることに消極的な傾向がある。

今後、学校においては、次のような取組をお願いしたい。
(ア) 学校は、学校外活動に関する情報をもっと子どもたちに積極的に提供し、それらへの参加を奨励すること
(イ)学校自身が学校外活動について理解を深め、情報提供等の役割を適切に果たせるようにするため、市町村の地域教育活性化センター等が必要な情報を収集・整理して、各学校を支援していくこと
(ウ)各学校において学校外活動に関する情報提供や参加の奨励を行う際に、保護者(PTA)や学校外の有識者の意見を聞いたり、必要に応じて助言を求めるなど、連携の在り方を工夫すること
(エ) 学校において、学校外活動への参加の意義を認め、例えばボランティア活動、スポーツ・文化活動といった体験活動等を積極的に評価すること。その一環として、高等学校における単位認定について各学校が前向きに取り組んでいくこと(調査を見ると、国民の多くもこうした方向を支持している(資料3−8))。
(オ) 学校の部活動が、ともすれば子どもたちの学校外活動への参加を制約してしまっているとの指摘もある。部活動については、地域で活発な活動が行われ、学校に指導者がいない場合など、地域社会にゆだねることが適切かつ可能なものはゆだねていくとともに、運営に当たって、学校外活動に参加したい子どもの希望に応じて、できるだけ部活動との両立が可能となるような配慮をしていくこと。

(d)自由に冒険のできる遊び場をつくろう−「ギャングエイジ」にふさわしい遊びを

(ア) 子どもたちは、小学校高学年のころになると、親の言うことよりも仲間との約束を大切にするなど、仲間との情緒的な結びつきが極めて強くなる。子どもたちは10人弱くらいの仲間同士の集団をつくり、自分たちで約束事やルールを決め、役割を分担しながら活発に群れ遊ぶ。そして、時には悪さを伴う遊びに夢中になる。そうした姿がギャングを連想させることから、この時期は「ギャングエイジ」とも呼ばれる。その在りようは、友人関係において、悩みを共感しあうなどの精神的なつながりを重視する青年期とは違った独特の様相を呈する。「ギャングエイジ」での仲間関係を通じて、子どもたちは、心身のエネルギーを発散させながら、ルールを守る心、役割を果たす責任感、人間関係をつくる力などを培っていく。
(イ) このように、本来、この時期の遊びは子どもの成長にとって大切な意義を持っているが、現在の子どもたちを見ると、ギャングという形容にふさわしい仲間集団での活発な遊びは影を潜めてしまっている。その背景には、子どもの生活から時間のゆとりが失われていることとともに、遊び場をめぐる問題がある。今日、遊び場は大きく減少し、子どもたちは、遊びの「時間」、「仲間」さらには「空間」という「三つの間」を失っている。また、その内容を見ても、自然と触れ合える遊び場がわずかになり、公園のように人工化・管理化されたスペースの比重が大きくなっている。
(ウ) 今後は、自然と触れ合いながら、自分の責任で自由に遊べる空間を子どもたちにもっと提供していくことが必要である。その意味で、整然とした都市公園だけでなく、自然をありのままに生かした、子どもたちが自由に遊ぶことのできるプレーパークのような遊び場を各地域に用意することを大いに進めるべきである。地域住民が行政と協力しながら遊び場の運営に主体的に取り組む動きも見られるが、そうした取組の広がりにも期待したい。また、遊び場で子どもたちを見守り、遊び方を伝承するプレーリーダーの活動を支援することも検討されてよい。

iii)  地域の行事や様々な職業に関する体験の機会を広げよう

(a)地域の行事に子どもたちをもっと参加させよう

  都市化や過疎化が進み、人間関係が希薄化する中、文化や規範を共有する場である地域社会の基盤は揺らいでいる。しかし、そうした状況であればこそ、地域の人々が自分の住む地域に誇りと愛着を感じ、地域の大人たちが手を携えて子どもたちを育てていく環境をつくる努力が強く求められる。
  各地域では、市町村、町内会、商店街、青年会議所、地場産業などが、伝統的な祭りや町おこしの行事などを様々なかたちで実施しており、年々盛んになる傾向がある。我々は、これらの町おこしの活力を子どもたちの豊かな心の育成に是非とも生かしたいと考える。
  子どもたちは、年齢が上がるにつれてそれらの活動への参加に消極的になる傾向が見られるが、今後は、もっと積極的に子どもたちが参加するよう、子どもと一緒に活動するプログラムの在り方を考えていく必要がある。調査によれば、多くの子どもたちは自分が住んでいる地域を好きだと感じている(資料3−9)。地域の大人たちがそうした子どもたちの気持ちをとらえ、様々な行事を工夫して子どもたちに適切に働きかけることにより、地域の伝統文化を理解し大切にする心、地域社会のために積極的に貢献しようとする心を子どもたちに養うことが十分期待できると考える。
  「子どものために企画された行事」が、ともすれば「子どもを使った大人の行事」となってしまう場合が少なくない。地域の行事を子どもたちにとって魅力あるものとし、その参加意欲を高めるため、例えば、子どもたちが行事の企画に携わるようにしたり、責任を伴う役割を受け持つようにするなどといった工夫をすることを望みたい。

(b)会社や工場での子どもたちの見学・体験活動を広げよう

  子どもたちが、夢や希望を抱いて、将来の自己の進路についてよく考えることを手助けすることは大切である。しかし、子どもたちの間には、自己卑小感、将来への自信のなさ、冷ややかな現実認識が広がっており、そうした中、仕事の中身へのこだわりが少なくなり、仕事を単なる生活の糧を得る手段と見なす考え方が強まっている。卒業して社会に出ることについて学生に聞いてみると、「仕事を持って社会で活躍するのが楽しみだ」とする者は半数に満たない一方、「生計を立てるためには仕方がない」、「社会に出ることを考えると憂鬱だ」とする者が相当数に上る(資料3−10)。
  こうした状況をみると、子どもたちが、働くことの大切さ、自分の希望や将来の職業について考える契機として、地域の教育力を活用し、様々な職業の活動を幅広く見たり体験する機会を子どもたちに提供していくことが重要である。学校行事、地域の主体的な活動、個々の企業における従業員の家族の見学などといった様々な方法を通じて、子どもたちにそうした機会を提供してほしいと考える。

  その際、特に次のような取組をお願いしたい。
(ア) 企業の中には、子どもたちがものづくり等についての理解を深めてほしいとの思いを強く持ち、積極的に事務所や工場を開放する機会を設けているところも少なくない。そうした機会を一層充実すること
(イ) 商店や農家等において、ものづくりの作業や商業活動、農作業などを子どもたちが見学・体験する機会を提供すること
(ウ) 地方公共団体の各分野の施設では、子どもたちが実際の作業等を見学・体験できる機会を積極的に提供していくこと
(エ) 専門高校でも、中学校の進路指導に協力して中学生に対して門戸を開くに止まらず、積極的に子どもたちに農業教育や工業教育など様々な産業教育の姿を見せる機会を設けていくこと
(オ) 行政としては、例えば、子どもたちのために門戸を開けている公的な機関や企業等の施設に関し、学校や地域住民への情報提供に努め、学校行事の実施や家族・子どもたちの参加を奨励していくこと

(c)職場見学の機会を拡大し、働く父母の姿を見せよう

  今日、親が働く姿は子どもの目に映りにくくなり、親の働く姿を見たり、それを手伝うことを通じて、働くことの意味を子どもたちが自然に体得するということが一般的に難しくなっている。そして、社会体験や生活体験が不足している今日の子どもたちは、家の中での情報メディアを通じた仮想現実の世界で生活するような状態になっている。そうした子どもたちに対して、親が「自分は懸命に働いているから、その後ろ姿を見せていれば大丈夫」というように考えていては、働くことの意味を十分に理解させることはできない。親は、子どもたちに対して、一所懸命に働くことの大切さを子どもたちの心の中に刻みこむ意識的な努力や工夫をしなければならなくなっている。

(ア) 各家庭においては、まず、子どもたちに家事を手伝わせ、家事をする親の姿に子どもの目を向けさせたり、子どもとの会話の中で会社での仕事について話したりすることが大切である。さらに進んで、自分の仕事での体験を通じて、社会がどのように変化しているか、どのような課題に直面しているかといったことを話題にしてみることも意義がある。
(イ) そうした家庭での工夫に加えて、更に子どもたちの心を動かすような体験が必要と考える。すなわち、企業等にあっては、従業員の子どもたちが職場を見学し、社会の中で働く親に接することができる機会を積極的に設けていくことが望まれる。
  子どもたちは、そうした体験を通じ、社会の中で様々な人々とかかわり合いながら勤勉に働くということ、社会の課題に前向きに挑戦していくことの大切さについて理解を深めていく。そして、家で接する親とは違った一面に気づき、それにより親子関係が深まることにもなる。特に、家庭で存在感が希薄化している父親の場合、職場で活躍する様子を見ることで子どもたちは新鮮な驚きを覚える。企業等では、そうした意義を理解し、職場見学の機会の充実に向けて前向きに取り組んでいってほしい。

iv)  情報提供システムを工夫し、子どもたちの体験活動への参加を可能にしよう

    コンビニや郵便局等の身近な生活拠点を活用し、子どもの学校外活動に関する情報を提供しよう

(ア) 多くの子どもたちが、自然体験・ボランティア・スポーツ・文化活動、地域の行事や様々な職業に関する体験の機会などといった学校外活動に参加できるようにするためには、親や子どもたちがそれらに関する情報を容易に入手し、利用できるということが不可欠である。しかし、現状では、親や子どもたちは、親同士の「口コミ」を除けば、市町村の役所や社会教育施設等に出向いたり、あるいは、各家庭に配られる自治体の広報誌の片隅に注意を払うといった方法でしか情報を得ることができないが、それらは情報を簡便に入手する方法とは言えない。子どもたちに色々な体験をさせたい、例えば休業土曜日に塾へ行かせるのではなく、野山を駆けめぐるような自然体験を活発にさせたいと考える親は少なくないが、どこでそうしたプログラムに関する情報を得られるかがわからないまま、時機を逸してしまう場合も多い。
  このため、親が情報を簡単に入手できるよう、学校外活動に関する情報提供システムを一層工夫・改善していくことが大切である。その一環として、学校がもっと学校外活動に関する情報を提供して、子どもたちの積極的な参加を働きかけることや、インターネットなどの情報通信ネットワークを活用して、家にいながら必要なときに地方公共団体の発信する情報を入手できるようにすることなどが望まれるが、さらに、我々は、そうした取組にとどまらず、身近な生活拠点を活用することに着目したい。
(イ) 今日、人々が頻繁に足を運ぶ場所としては、都市部を中心に日常生活にとけ込んだ存在となっているコンビニエンスストアや、全国くまなく設置されている郵便局などがある。各地域において、子どもたちの学校外活動に関する情報誌を定期的に作成し、これらの場所に置くようにすれば、そうした活動の情報が極めて容易に入手できるようになる。
  その際、情報誌の在り方について、従来の自治体の広報誌の延長線上にあるものとして狭く考えるべきではない。民間の情報誌は、人々の求めるものを的確にとらえ、創意工夫を凝らして娯楽やレジャーに関する様々な情報を提供している。そうした民間企業の実績を踏まえ、学校外活動に関する情報誌の作成に当たっては、民間活力を大いに導入していってはどうだろうか。その場合、情報誌を無料とすることにこだわらず、公的な支援を一部行い、有料化して作成・頒布することも積極的に考えられてよい。

(3)子どもの心に影響を与える有害情報の問題に取り組もう

(a)テレビ・ビデオ等の関係者による自主規制などの取組を進めよう    

  有害情報に関する法規制には、刑法によるわいせつ物の頒布等に対する刑事罰や、各都道府県における青少年保護育成条例による有害図書、ビデオ等の販売等に関する規制がある。しかし、それらの法的な規制の対象となるのは、ごく一部の図書類等であり、子どもが日常的に接するテレビ番組やビデオ、図書、雑誌等については、関係業界による自主的な規制にゆだねられている。

(ア) テレビ番組については、例えば民間放送については、「(社)日本民間放送連盟」において放送基準が定められ、青少年への配慮、暴力表現、性表現等について規定を置いている。また、各放送局毎に放送番組編集基準を定めるとともに、放送番組審議機関を設けることにより、自主規制を行う制度となっている。しかし、現実には、あまりにも多くの過激な殺人場面、性的描写などが放送されている実情にあり、極めて多くの親がテレビの子どもへの影響を心配している(資料3−11)。
  このような現状を改善していくためには、まず第一に、放送を送り出す側の自主規制などの良識ある取組を求めたい。
(1)番組制作現場に至るまで放送基準の趣旨が生かされるとともに、放送局内でのチェック機能を充実していくこと
(2)PTA等子育てに携わっている関係者、団体等の意見が反映されるよう、関係団体の放送倫理向上のための組織や、各放送局の審議機関で積極的な取組を行うこと
(イ) ビデオについては、映画化されたものは「映倫管理委員会」において、それ以外は「日本ビデオ倫理協会」において、それぞれ作品の審査を実施する等の自主規制を行っている。しかし、現状では、協会に参加していない製作者も多いことや、特にホラービデオなど暴力、残虐シーンの多いビデオに対する審査が必ずしも十分ではない。したがって、今後は、次のような取組の充実を求めたい。
(1)未加盟者への働きかけにより、協会への加盟が促進されること
(2)15歳、12歳など一定の年齢区分によってきめ細かく審査を実施し、その年齢に達しない子どもには貸し出さないなどの取組を促進すること
(ウ) テレビゲームについては、「コンピュータエンターテインメントソフトウエア協会」が倫理規定を設けているが、暴力を肯定したり、人命を軽視するようなゲームについて自粛すべく、きめ細かいガイドラインを策定するなど更なる自主規制を求めたい。
(エ) インターネットなどのコンピュータネットワークについては、接続サービス提供事業者等からなる「テレコムサービス協会」が自主的な運用方針のガイドラインを策定したところであるが、有害情報が子どもの目にふれないよう、更にその取組の促進を求めたい。
(オ) 出版物については、出版業界の自主規制を図る組織として、「出版倫理協議会」が結成されており、露骨な性描写を中心とする雑誌に関しては、出版社の判断で成人向けの識別の表示を行い、小売書店等において一般雑誌と区分して陳列販売することを促す対策等を講じている。しかし、同協議会に参加する出版社が少ないこともあり、実際には成人向けのマークを表示した雑誌等は大変少ない。今後、書店等の関係業界と連携協力を図りつつ、取組を広げていくことを求めたい。
(カ) レンタルビデオショップ、書店、スーパーやコンビニエンスストア、自動販売機、通信販売などにかかわる事業者の取組も必要である。諸外国では、書店等において、成人向けの雑誌等は子どもたちの目に触れないよう、売り場を区分するといった配慮がなされている。我が国では、そうした配慮が不十分であり、そのことは、ポルノ雑誌やアダルトビデオが目につく場所として、相当数の子どもたちが、書店、スーパーやコンビニエンスストア、レンタルビデオショップを挙げている調査結果からも伺える(資料3−12)。それらの店舗では、次のような取組の充実を求めたい。
(1)成人向けの雑誌やビデオと一般のものとを並べて陳列するようなことのないようにすること
(2)身分証明書の提示を求めるなど、未成年者に成人向けの雑誌やビデオ等を入手させないことを徹底すること
(3)レンタルビデオ店には、自主規制を組織的に行うための団体が結成されていないことから、そのような団体の結成に向け、今後関係者による検討を促進すること

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★  子どもたちの有害情報への接触と規範意識
  子どもたちは、有害情報にどのように接触しているのであろうか。ビデオに関する調査によると、ホラービデオについては小学校段階で既に約半数が接触しており、アダルトビデオについては中学1年生ごろまでに26%(男子)、高校2年生ごろまでに77%(男子)が接触している(資料3−13)。
  また、同じ調査によれば、そうしたビデオへの接触経験がある者あるいはその頻度が高い者は、経験がない者に比して、犯罪への罪悪感が乏しいことをはじめ、被害者への同情が薄い、攻撃性が高い、性行動に許容的であるなどといった傾向が見られる。
  こうした調査結果は、有害情報が氾濫する状況の問題性を改めて我々に提起している。もちろん、「アダルトビデオ等を見れば規範意識が低下する」というような一方向的な因果関係の存在を即断することはできないが、有害情報への接触と規範意識は、互いに因となり果となるような関係、相互に影響しあうらせん的な連鎖をなしていると考えるべきであろう。
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(b)業界団体とPTA等の教育関係団体との定期的な協議の場を設けよう

  今後、テレビ、ビデオ等の関係者が自主規制の取組を進めていく上で、それらの業界団体と、PTAや子ども会その他子育てに関わる全国的な教育関係団体との間で幅広い意見交換の場を持つことが必要である。
  現在、「(社)青少年育成国民会議」が中央レベルで放送関係者を含むマスコミ関係の団体との間で懇談会を開催し、有害情報についての問題等について協議を行っているが、PTA等の教育関係団体と業界団体との間で定期的に協議を行う場は設けられていない。今後はそのような協議の場を設定・充実することとともに、効果的な話し合いが行われるよう工夫していくことが必要である。その際、教育関係団体においては、傘下の組織の意見を汲み上げたり、会員からアンケート調査を行うなど意見の集約を図るとともに、担当の組織を設け、日ごろから番組のモニターを行うなどして番組内容を十分調査研究し、協議の場に反映する努力が求められる。他方、マスコミ関係団体においても、それらの団体の意見に真摯に耳を傾け、具体的な改善に努めることが必要である。
  また、PTA等の教育関係団体が、広告主の団体や、必要に応じ、個別の番組のスポンサーと改善に向けて話し合いの機会を設け、要請を行うなどの取組も求められる。
  さらに、地域における対応が求められる問題については、上記のような会合を地域レベルで行うことが必要である。例えば、書店、コンビニエンスストア、レンタルビデオ店等と地域のPTA等の教育関係団体が一堂に会し、青少年に対する有害図書やビデオの販売や貸出し規制について協議を行う場などを設けることが有意義である。

(c)有害情報から子どもを守る仕組みをつくろう

  有害情報から子どもを守るためには、情報を発信・媒介する業界関係者における自主的な規制や住民による様々な取組が求められるが、同時に、家庭の中で、親が有害情報と判断するものを子どもに触れさせないということが重要である。そのためには、親が子どもにそれらを見せないというしつけや家庭でのルールづくりをすることが基本であるが、それと併せて有害情報を排除する適切な選択が可能となる仕組みについての検討が必要である。

(ア) テレビについては、暴力的な場面や露骨な性的描写などが盛り込まれた番組を子どもに視聴させない具体的な手立てが考えられる。諸外国を見ると、例えば、イギリスやフランス等では、子どもに不適当な番組をあらかじめ画面上警告する事前表示が制度化されている。また、アメリカでは、親が子どもに不適切と判断する番組を見られないようにする装置(Vチップ)をテレビに装備することが義務づけられ、その実施の準備に入っている。こうした取組は親や子どもが番組を適切に選択する上で大きな効果を持つと考えられる。
  我が国でも、これらを参考にしつつ、我が国におけるテレビの影響の大きさを考え、焦眉の課題として、事前表示やVチップの導入について、放送業界や郵政省などの関係省庁において前向きかつすみやかに検討を進めることを強く要望したい。この点については、PTAや子育てにかかわる教育関係団体においても幅広く議論の輪を広げていくようお願いしたい。
(イ) 近年急速に普及しつつあるインターネットなどのコンピュータネットワークについては、ネット上のわいせつ画像の流通に十分な対応がなされていないなど、見過ごすことのできない問題が生じている。
  今後、受信者側において有害情報を阻止できる技術(フィルタリング技術)の更なる開発とその普及に向けて、関連業界と関係省庁が連携するとともに、インターネットの特質を考え、諸外国の関係機関とも積極的に協力して取り組んでいくことを要望したい。

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★  アメリカで導入されるVチップ制度
  アメリカでは、「1996年電気通信法」の制定(平成8年2月8日成立)により、テレビに暴力や性的シーンの多い番組が自動的に映らないようにする装置(いわゆる「Vチップ」:Vは「VIOLENCE(暴力)」のV)を装備することが義務づけられた(今後製造される13インチ以上のテレビについて、1999年7月1日までに半数、2000年1月1日までにすべてのものにVチップ機能を装備することとされている)。Vチップ導入の背景には、暴力事件が多発する中、テレビ番組の暴力シーンが子どもの行動に悪影響を及ぼすことを懸念する国民の声の高まりがある。
  Vチップは、次のような過程を経て機能を発揮する。
i)  放送事業者は自主的に暴力や性的シーンの多い番組のレベルを格付け(レイティング)し、番組と共にその情報を電波に載せて各家庭に伝送する(現在、暴力や性描写等の類型別に、視聴者の年齢に応じて6段階に分類する格付けが行われている)。
ii)  各家庭において、親はどの段階までの番組を子どもに見せるかをあらかじめ選択して、テレビにセットしておく。
iii)  Vチップは、この親の選択に基づき、自動的に子どもに見せることが適当でない番組をテレビ画面に映らないようにする。
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(d)有害情報の問題についての住民による積極的な取組を進めよう

  青少年にとって好ましくない有害情報から子どもたちを守るため、親や地域の大人による住民運動が全国各地で展開され、これまでも多くの成果をあげてきた。例えば、教員や保護者が中心となって始めた「青少年に好ましくない雑誌を買わない、読まない運動」が全市民的な運動として盛り上がり、ポルノ雑誌の自動販売機の撤去に成功するなど大きな成果をあげた地域もある。
  こうした有害環境の浄化運動を効果的に進めていくためには、住民の中での幅広い体制づくりが極めて重要であり、PTA関係団体、子ども会等の青少年団体、婦人団体、少年補導員、学校等が連携を密にして、共通の具体的な目標を設定して活動を展開することが望まれる。例えば、ポルノ雑誌、アダルトビデオやホラービデオに関して、店舗等での販売や貸出しについて自主規制を求めたり、更に進んで条例そのものの制定やその運用の見直しを目標とすることが考えられる。そして、そうした目標の実現に向けて、警察や青少年保護育成条例の担当部局など行政機関とも協力しながら、住民による環境浄化パトロールや署名運動、ミニ集会等、広範な活動を展開していってほしい。
  各都道府県において制定されている青少年保護育成条例も、住民運動の貴重な成果の一つである。条例においては、青少年に有害なものとして知事が指定した図書類(雑誌、ビデオ、CD-ROM等)等の販売の禁止等が規定されている。しかし、各都道府県によって実際の指定件数等に相当の差異があるなど、その運用が各県で異なっているとともに、指定がなされた時は既にその図書類等が流通し終えてしまっているなど、十分な効果が上がっていないとの指摘もある。

  このため、次のような取組を求めたい。
(ア) 条例の運用に当たって、速やかに指定を行えるよう、例えば教育関係団体の協力を得ること
(イ) 条例による規制や関係業界の自主規制と併せて、ブロック内の各県の条例の運用担当者間の連携や情報交換を密接にしていくこと
(ウ) 総務庁など関係省庁が協力して、各県における条例の運用状況等関係情報をデータべース化して提供するなど、各県の取組に対する支援を充実していくこと
(エ) 条例の内容や運用の問題を含め、よりよい法的規制の在り方について、関係省庁において更に一層の検討を進めること
  なお、有害情報の問題に対する国の対応としては、単独の省庁で問題解決を図ったり、関係業界への要請を行うだけでは限界があることから、文部省、総務庁、警察庁、通商産業省、郵政省など関係省庁が密接に連携して取組を進めることを強く求めたい。

第4章  心を育てる場として学校を見直そう

(1)幼稚園・保育所の役割を見直そう

(a)幼稚園・保育所で道徳性の芽生えを培おう

  幼稚園・保育所において、幼児は、家庭での成長を踏まえて外の世界に足を踏み出し、友達との様々な体験を通じて自立への歩みを進め、人とのかかわり方を学ぶ。幼稚園・保育所は、「生きる力」の基礎をつくる重要な役割を担っている。
  家庭は、親との関係を軸に、愛情としつけを通して人間形成の基盤を形成する場であるが、家庭でのしつけを見つめ直すためにも、友達との集団生活の場である幼稚園・保育所の寄与するところは大きい。しつけは本来家庭で行うべきものであるが、幼稚園・保育所においても、家庭と連携して、幼児が、日常の生活に必要な習慣を体得するようにすること、人としてしてはいけないことがあるということに気づくようにすること、何がよくて何が悪いかを考えるようにすることが大切である。幼児の発達段階を踏まえつつ、教員や保育者が幼児期の道徳性の芽を伸ばし、育てる適切な働きかけをしていくことをお願いしたい。

  こうした考え方に立って、特に次の点に留意した取組をお願いしたい。
(ア) 幼稚園・保育所の教員・保育者は、幼児の主体的な活動や遊び、多くの友達との触れ合いの中に現れる一人一人の姿をよく見、例えば、我慢を知らずすぐに暴力に訴える  ような振る舞いが見られる場合などには、きちんとその心に働きかけてほしい。
(イ) 幼稚園・保育所は、子どものありのままの姿や、家庭での育て方が直接的に現れる場である。同時に、幼稚園・保育所については、例えば毎日の送り迎えの時など、親と教員・保育者との日常的な接点を多く持っている。教員・保育者は、そうした機会を積極的にとらえて、園内で一人一人の子どもが発するサインを親にしっかりと伝え、家庭で行われるべき大切なしつけが欠けている場合は、それがなされるような働きかけをしてほしい。
(ウ) 一部に見られる知育に偏った教育は、こうした集団生活でのしつけ、あるいは幼児の主体的な活動を損なってしまうものであり、幼児の心の成長という観点から好ましくない。
(エ) 遊びの意義を取り違え、幼児が自由に遊ぶのに任せればそれでよいとするような考え方も一部に見られるが、それでは基本的な生活習慣を形成したり、道徳性の芽生えを培うことはできず、自立を助けることにはならない。

(b)体験活動を積極的に取り入れよう

  都市化や核家族化、少子化が進行し、家庭の中にも情報機器が普及する中、幼児についても間接体験が増加し、その反面、自然との触れ合いや野外での遊び、高齢者など幅広い世代との交流といった直接体験が減少してきている。さらに知育優先の風潮がこの傾向に拍車をかけている。
  このため、人間形成の基礎を培うべき幼児期における体験をより豊かにしていく努力が必要である。幼稚園・保育所においては、自然体験や社会体験の機会を充実させ、幼児の心に響く豊かな活動を展開していく必要がある。例えば、園庭で動植物を飼育・栽培する活動、地域の行事に参加する活動、高齢者と触れ合う活動、少年自然の家などの施設や自然公園を利用した活動などをもっと積極的に取り入れていくことが大切である。その際、幼児が自分の力でやり遂げる喜びや充実感を味わうとともに、自立心や責任感がはぐくまれるような体験を得られるようにすることも重要である。それぞれの幼稚園・保育所での積極的な取組をお願いしたい。

(c)幼児の自然体験プログラムを提供しよう

  親と離れ、友達と寝食を共にしながら自然の中で活動する体験は、子どもたちに感動や驚きを与え、豊かな感性をはぐくみ、自主性や協調性、忍耐力などを培う。そうした機会は、小学生以上の子どもだけでなく、屋外での遊びが不足しがちな幼児の心の成長にも大きく寄与する。
  幼児は、5歳ごろから外界への興味・関心が強まり、行動半径も広がり、母親からの自立行動を顕著に見せはじめる。幼児のキャンプについては、体力的、情緒的に難しいのではないかという考え方もあるが、幼児にも個人差があり、本人の意欲があればこれに参加させることは十分に可能である。海外では幼児キャンプが定着している国もあり、例えば、フランスでは、年間4万人あまりの6歳以下の子どもが、ヴァカンス・余暇センター(CVL)など、自然体験活動が行える施設を利用している。我が国でも民間団体等の取組が一部にあり、親たちの当初の不安にもかかわらず、登山や炊事などを含む活動を、幼児が自分たちの力でやり抜き、しかもそれを楽しんでいる姿が見られる。そして、母子関係の過度の密着が問題とされる中で、幼児キャンプは、幼児が健全な「親離れ」をする機会となるだけでなく、親の側に子どもの成長の見直しと「子離れ」を促す契機にもなる点が評価されている。
  我々は、とかく幼児の能力を過小評価しがちであるが、こうした意義を持つ幼児キャンプなどの自然体験プログラムの機会を増やし、安全面にも十分配慮しつつ、子どもたちを参加させていくべきであると考える。特に、親元を離れて子どもが宿泊するような活動は多くの親にとって初めての経験であり、その理解と協力を得るためには、幼稚園や保育所からの働きかけが大きな意味を持つ。このため、各幼稚園・保育所が直接幼児キャンプを企画・運営することは困難であっても、それらが民間団体等と連携して、幼児キャンプに園ぐるみで参加したり、個々の幼児の参加を促していくことが期待される。
  今後、行政においては、各幼稚園の自主的な取組を促すにとどまらず、民間団体との仲立ちをしたり、教員等を対象とする幼児の野外教育に関する研修機会を用意するなど、必要な支援を行っていくことを望みたい。

(d)幼稚園・保育所による子育て支援を進めよう 

  子育て支援に当たっては、安心して子どもを生み育てることができるような環境を整備すること、そして、家庭における子育てを支えるためのシステムを充実していくことが重要である。
  女性の社会進出が進む中、子育てと仕事の両立を支援していくための多様な保育サービスの提供が重要な課題である。保育所には低年齢児保育、延長保育、一時的保育などの充実が求められている。幼稚園には、通常の教育時間終了後に、希望があった場合に引き続き教育を行う「預かり保育」への要望が高まってきており、保育時間の設定や保育室の確保などの面で幼稚園における弾力的な対応が求められる。また、幼稚園と保育所は、それぞれの機能を更に充実させて、地域住民の多様なニーズにこたえていくとともに、地域の実情に応じた両施設の合築等による施設の共用化について弾力的な対応が望まれる。
  また、最近の親の子育て不安の増大や孤立感の深まりを踏まえ、家庭での子育てを支援していくこともますます重要になってきている。このため、幼稚園・保育所においては、親子登園日の設定や園庭・園舎の地域への開放のほか、親同士が交流する子育てサークルの活動を支援すること、子育て公開講座の開設など家庭教育の学習機会を提供すること、カウンセラーの配置や嘱託医との連携によって子育て相談の充実を図ることなどが求められる。

  特にここでは、次の3点について各幼稚園・保育所の積極的な取組をお願いしたい。
(ア) 保護者自身の学習のため、その保育参加を広げることをお願いしたい。親が自分の子どもの通う幼稚園・保育所の保育活動に、教員・保育者の指導の下で参加することができれば、しつけや子育ての方法に関する体験的な学習機会として大きな意義があろう。また、自分の子どものことしか目に入らず、過干渉に陥ったり、マニュアル通りの育児をしようと焦る親も少なくないが、保育参加により、親の視野は広がり、子どもの個性が多様であることを理解し、これまでの子育ての在り方を見直す契機ともなるであろう。さらに、例えば、幼稚園においては、父親の積極的な子育てへの参加を促す観点から、「父親の日」や「父親と遊ぶ日」などを設けるところも多く、そのような活動の充実が望まれる。
(イ) 未就園児やその保護者を対象に、幼稚園における親子登園日や保育所における体験入所の機会を設け、子どもが同年齢の幼児と活発に遊んだり、親同士が親交を深め、子育ての在り方を話し合ったりできる場を用意することは、母子二人の閉ざされた保育とならないようにする上で大きな意義があり、多くの幼稚園・保育所でこのような取組をお願いしたい。
(ウ) 様々な生活体験が不足している若い世代、とりわけ多感な時期の中・高校生が乳幼児と触れ合い、時には世話をする体験をすることは重要であり、将来の親となるための学習の一環として、幼稚園・保育所がそうした機会を積極的に提供することを望みたい。

(e)幼稚園・保育所の教育・保育と小学校教育との連携を工夫しよう

  幼稚園・保育所から小学校への接続が円滑に行われるようにするため、情報提供の充実や教育内容の一層の連携が求められる。
  幼児の親の間には、例えば、「読み書きを覚えさせないと小学校でついていけない」、「小学校で英語教育が始まるから英語教室に通わせる必要がある」、「小学校へ入ったら遊びは終わり」といった不安や誤解もあるといわれる。小学校は、幼稚園・保育所との連携を図りながら、実際の学校の姿や教育活動の目指す方向などについて積極的に情報を提供していく必要がある。
  幼稚園・保育所での活動の中で大きな比重を占める遊びや体験活動は、小学校教育においても効果的に取り入れられていくべきである。そうした点で、小学校低学年で導入された生活科での取組は成果を挙げつつあり、その一層の工夫改善が期待される。他方、幼稚園・保育所においては、卒園近い時期に、小学校への入学を念頭に置いて、皆と一緒に教員や保育者の話を聞いたり、行動したりすることができるように指導することも必要である。こうした教育内容・方法についての連携を進めていくためには、教員や保育者相互の交流や共同の研修の機会を増やし、相互の理解を深め、具体的な改善の方途を共に考えることが必要である。
  行政において、幼稚園の教員、保育所の保育者、小学校教員との合同の研修を一層充実していくことが必要である。また、各幼稚園・保育所と各小学校間でも、合同の校内研修を実施したり、行事に際して互いの子どもたちを招待するなど、相互の交流に努めてほしい。

(2)小学校以降の学校教育の役割を見直そう

i)  我が国の文化と伝統の価値について理解を深め、未来を拓く心を育てよう

(a)我が国や郷土の伝統・文化の価値に目を開かせよう

  我が国が活力ある文化国家として発展していくためには、国民一人一人が、国や郷土の伝統・文化に対する理解と愛情、それらを尊重する心を持つことが大切である。21世紀において、国際化が進む中で、日本人としての自覚を持って主体的に生き、未来を拓いていく上でも、自らのよって立つ国や郷土の伝統・文化の価値を子どもたちが深く理解することは極めて重要である。また、物質的には豊かになった今日、人々自身も、心の豊かさをむしろ希求するようになっており、国や郷土の伝統・文化を継承し発展させようとする機運が社会の中で確実に高まってきている。
  このため、学校において、国や郷土の伝統・文化や歴史に対する理解を深め、尊重し、さらに継承・発展させる態度の育成を図るという視点に立って、各教科や道徳、特別活動での取組を進めていくことが必要である。
  学校での指導方法については、国や郷土の遺跡や文化遺産、伝統工芸や芸能などに直接触れ、親しむような体験学習を積極的に取り入れるべきである。その際、学校だけですべての教育を担おうとするのでなく、こうした分野に造詣の深い地域の人材の協力を得るなど、地域の教育力を大いに活用すべきである。
  なお、教員自身が我が国や郷土の伝統・文化に対する理解と愛情を持っていなければ、それらを子どもたちにはぐくむことはできない。教員が、我が国や郷土の伝統・文化に親しむ学習に積極的に参加できるよう、研修の機会等で配慮することが必要である。

(b)権利だけでなく、義務や自己責任についても十分指導しよう

  民主的な社会及び国家の発展に努め、進んで国際社会に貢献できる主体的な日本人を育成していくためには、自由と権利、そしてそれらに伴う義務や自己責任といったものの大切さを子どもたちが正しく理解することが不可欠である。しかし、子どもたちを取り巻く社会的な風潮として、義務を果たすことをおろそかにしたり、自らの選択・行動の結果に責任を負わずに他者へ転嫁したり、他人のことを顧みずに自分の権利だけを声高に主張したり、無際限な自由を追求したりするような傾向が見られる。
  そのような風潮の中で、今後は、自由や権利について、それを行使することの意義を教えるとともに、同時に、他者の自由や権利を大切にすること、自らの行動には自分で責任をとらねばならないこと、公徳心をもって社会のルールを守ること、進んで義務を果たしていくべきことなどについて教えることを一層重視する必要がある。
  今後、各学校においては、社会科をはじめとする各教科、道徳、特別活動など教育活動全体を通じて、責任や義務ということの大切さを子どもたちが理解するように意を払っていくことが求められる。

(c)よりよい社会や国づくりへの参加と国際貢献の大切さに気づかせよう

  子どもたちには、自ら努力して社会をよりよくしようとする積極性が乏しくなっている。ある国際比較調査によれば、我が国の約半数の青年は社会に対して何らかの不満を持っているが、不満を持ったときの態度について聞くと、我が国の場合、「積極的な行動はとらない」及び「かかわり合いを持たない」とする割合が増加傾向にあり、その合計は対象国中最も多くなっている(資料4−1)。
  次代を担う世代のこうした冷めた意識に対し、我々は大きな危惧を抱かざるを得ない。子どもたちが、一人一人の力には限りがあっても、自分のできる範囲で夢や理想に向かって努力し、他の人々と力をあわせていくことによって社会も国もよりよいものとなる、さらには国際社会への貢献も可能となるという認識を持つようにしていくことが大切である。そして、よりよいものへと既存の枠組みを変えていこうとするチャレンジ精神を子どもたちにはぐくんでいかなければならない。
  そうした積極的な心をはぐくむためには、日常の生活で子どもたちが家庭で家事を担ったり、地域で親子一緒にボランティア活動をするなどの体験から始めていくべきであるが、それとともに、学校においても、子どもの発達段階に応じて、国や社会の成り立ちや仕組み、参政権の行使等により自らが社会や国づくりへ参加することの重要性、我が国や世界が直面している課題と国際貢献の大切さ等に関する理解を深めるよう努力していくことが必要である。

(d)人の話を聞く姿勢や自分の考えを論理的に表現する能力を身につけさせよう

  今後学校で重視されるべき学習方法の一つとして、ディスカッション及びディベートの重要性を特に挙げたい。教員の助言を受けながら、あるテーマの下に子どもを中心に話し合い、よりよい問題の解決の方向を見いだしていく体験は、子どもたちの積極性や主体性を引き出し、問題解決能力を育成する上で大きな効果を持つと期待できる。また、子どもたちは、そうした学習方法を通じて、人の話をよく聞く姿勢、自分の考えを論理的に表現する能力、的確な批判精神と相手を説得する力などを身につけていくことができる。
  こうした意義を踏まえ、今後、小人数のグループディスカッション、パネルディスカッション、ディベートなどを、指導の中に大いに盛り込んでいってほしい。なお、その際に、教員が適切な助言ができなければ、単に子どもたちが感情をぶつけ合ったり、思いを声高に言い合うだけの展開に陥ってしまう懸念もある。このため、教員研修等において、ディベートやディスカッション等の効果的な指導方法の在り方について教員が学ぶことができる機会を設けていくことが望まれる。

(e)科学に関する学習を生かし、驚きや自然への畏敬、未来への夢をはぐくもう

  子どもたちには、驚きや感動の体験が乏しくなっているが、科学に関する学習を生かすことによって、そうした体験を与えることが期待される。学校では、例えば、理科教育について、観察・実験、探求活動などの問題解決的な学習、体験的な学習を重視し、感動を覚え、疑問を感じ、推論するといった学習の過程を大切にしていくことが必要である。その際、自然観察や環境を調べる学習等を一層重視していくことは、科学の原点である自然の神秘への探求心、さらには自然に対する畏敬の念をはぐくむ意味でも極めて望ましいことである。
  現在、理科教育では、そのような方向で改善の努力が進められているが、特に次のような点について関係者の努力を求めたい。

(ア) 学校において子どもたちが観察や実験などの活動をより多く行うことができ、また、いわば決まりきった実験ではなく、試行錯誤しながら実験を行うことができるよう、教育内容を厳選し、ゆとりある教育活動を展開できるようにするとともに、専ら知識量の多寡を問うような入学者選抜を改め、選抜方法・尺度の多様化を推進していくことを望みたい。
(イ) 科学に関する学習の場を学校の中だけにとどめず、博物館、青少年教育施設、研究所、工場等での見学・体験学習、科学セミナーへの参加など、様々な学校外での学習の機会を活用していくことが求められる。また、そうした機会の提供についての受入機関側の配慮を望みたい。
(ウ) 理科等の教員の指導力の向上を図るとともに、科学技術の第一線にいる研究者や技術者等が子どもたちに直接語りかける機会を積極的に設けていくべきである。  
(エ) 子どもたちにとって楽しく、魅力的な実験の試みを取り上げる科学教育関係団体等が行う全国的なコンクールなどを通じ、優れた教育実践を顕彰し、その普及を図っていくことが望まれる。
  なお、科学技術は文明の発展に寄与し、人類に多くの恵みを与えてきたが、その一方で、環境問題やエネルギー問題などといった人類の存続を脅かす地球規模の問題なども招来してきた。そうした文明の影の面をいかに克服するかということを含め、科学と人間や自然とのかかわりに関する学習を進めることも重要であり、理科だけでなく、技術・家庭科、社会科、国語科等と、相互に関連を図りながら指導の充実を図っていくことが大切である。

(f)子どもたちに信頼され、心を育てることのできる先生を養成しよう

  子どもたちからの敬意や信頼を得ることなくして、教員が子どもたちの人間性を豊かなものへと育てていくことはできない。教員については、いつの時代にあっても、教育者としての使命感、人間の成長・発達についての深い理解、子どもたちへの愛情、教科等に関する専門的知識、広く豊かな教養、そしてこれらを基盤とした実践的指導力が必要である。今後もこうした考え方に立って、教員の養成・採用・研修等の各段階を通じて教員の力量の更なる向上を図っていく必要がある。

(ア) 教員養成カリキュラムについては、教え方の指導や子どもとの触れ合いを重視する観点から、発達心理、教育相談、道徳の指導法、教育実習などを含む「教職に関する科目」の改善・充実を進めていくことが必要である。さらに、福祉体験・ボランティア体験、自然体験等の体験活動をカリキュラムの中に積極的に取り入れていくことが求められる。
(イ) 採用に当たっては、強い使命感を持ち、豊かな人間性を備えた指導力のある人材を確保するという観点を特に重視すべきである。これからの子どもたちに「生きる力」をはぐくむ教育を行っていくためには、人間的な魅力にあふれた教員を確保していく必要がある。このため、知識の量を問うような筆記試験に比重を置き過ぎることなく、選考方法の多様化等を一層進めていくことが必要である。例えば、面接の重視はもとより、ボランティア活動や自然体験活動の経験の有無を採用の重要な資料とすること、社会教育関係団体やスポーツ団体等からの推薦などにより地域での実践活動を評価すること、選考に当たって地域の有識者等を起用することなどといった人物評価重視の取組を各都道府県等において積極的に進めてほしい。
(ウ) 現職研修については、初任者研修、教職経験5年目・10年目等の研修、各教科や今日的な教育課題に関する研修などが体系的に整備されてきており、それらの一層の充実を図るとともに、学校外での長期の研修として、大学院レベルの現職教育や、民間企業等での体験的な研修を更に充実していくことが望まれる。また、若い世代の教員を中心に、自然体験や生活体験が希薄な者も少なくないことから、教員のライフステージに応じて、自然体験活動、福祉・環境保護ボランティア等の社会貢献活動、郷土の学習などを研修内容に盛り込んでいくといった工夫が求められる。さらに、社会人を学校現場で一層活用するため、特別免許状制度や特別非常勤講師制度のより積極的な活用を期待したい。

ii)  道徳教育を見直し、よりよいものにしていこう−道徳の時間を有効に生かそう

(a)道徳教育を充実しよう

(ア) 学校における道徳教育は、人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を具体的な生活の中に生かし、個性豊かな文化の創造と民主的な国家及び社会の発展に努め、進んで国際社会に貢献できる主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標としている。
  道徳教育は学校の教育活動全体を通じて行われることとされているが、小・中学校では、これを深めるための「かなめの時間」として「道徳の時間」が設けられている。なお、高等学校では、公民科、特別活動を中心としながら学校教育全体を通じて道徳教育を行うこととしている。
(イ) 道徳教育には各地域で優れた実践も見られる一方で、問題点も少なくない。「道徳の時間」については、取組に学校差や教員による個人差が大きいが、まず、大きな問題点として、授業時間が十分に確保されていないということがある。「道徳の時間」の標準年間授業時数は35時間程度であるが、実際の平均授業時数はそれに達しておらず(小学校33時間、中学校29時間)、35時間程度を確保した学級は小学校で全体の6割、中学校で2割にとどまっている(資料4−2)。
  授業の内容を見ると、子どもの心に響かない形式化した指導、単に徳目を教え込むにとどまるような指導も少なくない。そして、その傾向は、学年が進むにつれて、また、小学校から中学校へと進むにつれて強まっている。ある調査によれば、「道徳の時間」が「楽しい」あるいは「楽しい時もある」とする子どもは、小学校では全体を通じて9割程度、中学校では1年生で7割を超えるが、2・3年生になると5割程度となってしまう。「楽しい」とする子どもは、学年が進むにつれ明らかに減少し、小学校低学年では約半数いるが、高学年では約2割、中学校3年生では5%にまで落ち込んでしまう(資料4−3)。また、楽しくないと感じる理由を聞くと、小学生の場合、「いつも同じような授業だから」、「こうすることがよいことだとか、こうしなければいけないということが多いから」、「資料や話がつまらないから」、「始めからわかっていることしかないので、感動したり考えたりすることが少ないから」といった点が多く挙げられており、中学生の場合もほぼ同様となっている(資料4−4)。
(ウ) こうしたことから、各学校においては、次のような方向で道徳教育の現状を見直し、充実を図っていくことが必要である。
(1)「道徳の時間」の時間数を確保するなど、指導体制を整えること
(2)特別活動等における体験的・実践的活動との関連を重視して、子どもが自ら考えることを大切にした道徳の授業を実践すること
(3)教材等を工夫して、子どもの心に響き、感動を与える授業を行うこと
(4)子どもに結論や答を教えて「良い子」を作ろうとするのではなく、「子どもと共に考え、悩み、感動を共有していく」という考え方で授業を行うこと。そのためにも、教員はもっと学級経営などの力量を高めるよう自己研鑽する必要があること
(5)道徳教育は、週1時間の「道徳の時間」だけでその目的を達せられるものではなく、学校教育全体を通して徳育が重視されなければならないこと。「道徳の時間」は、その「かなめの時間」として一層活用される必要があること
(エ) また、教員が道徳教育の実施に消極的であったり、その意義に無理解であっては、道徳教育の成果を挙げることは期しがたい。まず、教員一人一人が道徳教育の重要性についてしっかりと認識することが極めて重要である。調査によれば、道徳教育の充実を図る上で特に重要な課題として「道徳教育に対する教員の意識の向上」を挙げる学校が最も多くなっており、校長はリ−ダ−シップを発揮して教員の啓発に努めることが特に求められる(資料4−5)。
(オ) さらに、保護者や地域住民が、学校の道徳教育の実施状況について十分な関心を払い、学校の求めに応じて積極的に協力していくことをお願いしたい。

(b)もっと体験的な道徳教育を進めよう

(ア) 道徳教育が子どもたちの心に響かないものになってしまっている例を見ると、教室内のいわゆる座学によって、単に徳目を一方的に教え込むような指導に頼っている場合がしばしばある。道徳教育によって道徳的価値が子どもたちの心に内面化するようにするためには、徳目に示される内容を子どもたちにきちんと伝えるとともに、子どもが自ら考え、感じ取り、態度や行動に表すといった過程をとることが必要である。道徳的価値の大切さの自覚を促すために、日常の生活や体験に即して子どもたちがそれについて考えていくようにすること、そして、道徳教育で学んだことが日常生活に生かされ、実践に結びつくようにしていくことが強く求められる。
  例えば、「道徳の時間」において、礼儀の大切さを取り上げる場合に、日常の生活の中でのあいさつや言葉づかいに関する体験から、人々の生活における礼儀の意味を考えることを促していくということが考えられよう。あるいは、「道徳の時間」で自然とのかかわりについて取り上げる場合に、理科の自然観察活動や、社会科での公害の防止など環境の保全に関する学習などと関連づけをして、より深く自然のかけがえのなさを知り、それを守ろうとする心情を育てていくことも考えられる。
  このように、学校における日常的な生活や身の回りの体験を踏まえ、各教科等での学習活動との関連を図りながら、子どもが自ら考える道徳教育を実践していく工夫をお願いしたい。特に中学生については、発達段階に即した興味・関心を喚起できる課題を設定するなどの工夫が求められる。
(イ) さらに、道徳性を養う体験活動として、ボランティア活動、自然体験活動、郷土の文化・伝統に親しむ活動などを、学校や地域の状況に応じて一層活発に展開していくべきである。これらの活動は、学校行事や総合的な学習の時間、あるいは各教科でも行われるが、「道徳の時間」は、そうした体験を踏まえて子どもたちが様々な道徳的な価値に気づき、その意味や大切さについて考えを深める「かなめの時間」として重視していくべきである。
  なお、我々は、ここで特に、生や死の問題について考える体験を促す工夫を各学校にお願いしたい。これからの高齢社会を展望すると、老いや死について考え、思いやりやいたわり、生命の大切さ、限りある人生をいかに生きるかなどについて考える契機として、高齢者福祉施設や病院を訪れ、介護活動を自分の目で見、体験することなどは大いに意義がある。人々の死を看取るホスピス関係者、医師や看護婦などから、直接話を聞く機会を設けることも考えられてよいだろう。また、新生児の誕生に立ち会ったり、乳幼児に触れる経験の乏しい今日の子どもたちが、幼稚園、保育所、保健所、乳児院等を訪れることも、思いやりや生命の尊さを学ぶ貴重な機会となる。
(ウ) 各学校においては、様々な創意工夫を凝らして、道徳性の涵養に資する体験活動を大いに取り入れていくことを改めてお願いしたい。なお、体験活動と言いながら、訪問するだけで事足れりとするような活動とならないよう、その活動のねらいとする道徳的価値について学習する事前事後の指導をしっかりと行うことが大切である。

(c)子どもたちの心に響く教材を使おう

  道徳の授業を子どもたちの心に響くものにするためには、体験的・実践的活動と関連した指導を大幅に取り入れるとともに、教室内での授業を改善していくことが欠かせない。その際、特に大切なことは、教材をいかに適切に選び、活用するかということである。調査によれば、相当数の子どもが道徳の授業を楽しくないと感じる理由として「資料がつまらないから」ということを挙げており、教材の在りようが道徳の学習に対する子どもたちの興味・関心を失わせる大きな要因になっている(資料4−4)。
  このため、資料などの教材がもっと子どもたちの心に響くものとなるよう、その改善を図っていくことが必要である。現在の資料は、物語作品が多くを占めているが、その内容が子どもにとって結論の見え透いた空々しいものも少なくなく、例えば、実話を題材とするなど子どもたちに自分で考えることを促すようなものへと改善を図っていく必要がある。また、物語だけではなく、偉人の伝記等を再評価したり、名作、古典、随想、民話、詩歌、論説など様々な資料を発掘して活用するなどの取組が望まれる。その際、学校図書館などをもっと活用したり、読書指導と組み合わせたりする工夫も求められる。
  これらは、教育関係者が主体的に検討し、大いに創意工夫することが求められる課題である。そして、行政は、国や都道府県段階で、地域の特色を生かした優れた教材の研究開発、各地域・学校で用いられている優れた教材に関する情報の収集・提供などを進め、各学校の取組を支援していくべきである。
  さらに、適切な教材を選択しても、その内容を一方的に教え込むような指導を行ったり、教材を読んで作文を書かせる指導のみに頼っていては、効果が挙がらない。その意味で、例えば、「道徳の時間」と特別活動等の時間とを組み合わせるなどして、教材等を基に「正義とはどういうことか」といったテーマを掲げてディスカッションやディベートなどじっくりと話し合うことを重視した学習を進めることが有意義である。

(d)よい放送番組ソフトを教材として有効に活用しよう

  「道徳の時間」では様々な教材が用いられているが、読み物資料が中心となっている。しかし、テレビやビデオに小さいころから親しんでいる今日の子どもたちの実態を踏まえると、いわゆる活字メディアの教材だけではその心に響くような指導は難しい。テレビやビデオなどについては、これを漫然と流すことに終始しないようにして、教材として積極的に活用することが望まれる。
  学校で活用されるテレビやビデオなどの教材を見ると、例えば、いじめ、交通事故、薬物乱用等の問題を扱った番組、日常の学校生活を描きながら道徳にかかわるテーマを盛り込んだ番組など様々である。それらは、学校教育で使用される目的で作成・放映されたものが中心になっており、優れたソフトも多い。しかし、そうしたソフトだけでなく、一般のソフトに目を向けてみることも有意義であろう。深い感動を与え、心を揺さぶるドラマ、先人の偉大さや生き方に触れることのできる歴史番組、社会の成り立ちやその課題について考えさせるドキュメンタリー番組、未来への夢を与える科学番組、あるいは温かい家族生活を描いた子ども向けのアニメーションなど、教材として活用する価値のあるソフトは様々あろう。各学校においては、放送教育ソフトはもちろん、そうした一般の優れたソフトを「道徳の時間」等で積極的に活用していくようにすべきである。
  これらの多様な優れたソフトを各学校が随時有効に活用できるよう、例えば、都道府県や市町村の視聴覚センター・ライブラリー等において、放送番組ソフトを一層整備充実し、各学校に積極的に貸与する取組の充実が望まれる。その際、著作権者等の許諾をいかに円滑に得るかが重要な問題となるため、国において、利用者側の団体と権利者側の団体との間で著作権処理に関するルールづくりについて協議するための場を設けるなどの支援を行ってほしい。

(e)「ヒーロー」・「ヒロイン」がテレビやインターネット等を通じて子どもたちに語りかける機会を設けよう

  子どもたちは、自分の夢や希望を具現化した大人に対して尊敬やあこがれの気持ちを持つ。子どもたちは、その高みに一歩でも近づこうと努力をする中で、人間としてよりよく生きようとする意欲や克己心、人生に対する積極的な姿勢を身につけていく。
  今日の子どもたちが、冷ややかに現実を見、熱い夢や希望を抱かなくなってきているということを踏まえると、学校の授業の中で子どもたちがそうした尊敬やあこがれの対象となる大人に接し、心揺さぶられるような感動を体験できれば、非常に大きな意義がある。
  尊敬や憧れの対象となる大人、「ヒーロー」や「ヒロイン」とも言うべき人たち、例えば、オリンピックで活躍して国民に感動を与えた選手などが、子どもたちに対して、目標に向かって努力する意義、ルールを守ることや礼儀の大切さなどについて語りかければ、その言葉は子どもの心に深く刻み込まれる。人類の未知の世界を旅する宇宙飛行士、前人未踏の地を切り開く冒険家、美を創造する芸術家など、様々な「ヒーロー」・「ヒロイン」が子どもたちに語りかける機会を数多く設けることが望まれる。
  そうした機会を提供していく場合、「ヒーロー」・「ヒロイン」が学校現場に直接来ることは難しいことが多い。そこで、子どもたちに語りかける「ヒーロー」・「ヒロイン」の姿をテレビ番組化したり、ビデオやCD−ROM等のソフトにして、各学校の利用に供するシステムをつくることが考えられる。また、将来的に全小・中・高等学校に整備されていくインターネットやテレビ会議システムを活用して、遠い地にいる「ヒーロー」・「ヒロイン」から多くの子どもたちが学校にいながら話を聞いたり、問いかけをしたりすることができる、臨場感のある双方向のシステムをつくることも望まれる。今後、各都道府県や市町村の教育委員会で取組を始めるとともに、国にあっては、県を超えた全国的なシステムの在り方や支援の方途について検討していくべきである。

(f)道徳の時間に子どもが一目置く地域の人材の力を借りよう

  道徳教育の内容は広範にわたるものであり、また、その指導に当たって子どもたちに感動を体験させることが重要であることを考えると、教員が一人ですべての指導を行うという考え方に固執すべきではない。
  もとより、すべての教員について道徳教育の指導力の向上を図ることは重要であるが、それだけでは限界があり、子どもたちが一目を置く地域の人材の力を積極的に活用していくことが必要である。例えば、地域のスポーツ活動の指導者、伝統文化の継承者、企業の専門家など様々な職業の第一線で活躍している人、あるいは外国人留学生などが、それぞれの実体験に基づいてわかりやすく語りかける機会を設けることが大切である。そうした機会は、子どもたちに深い感銘を与え、ルールを守る大切さ、伝統や文化、地域や国への誇りと愛着、異質なものとの共生、勤労の尊さなどを身につけさせる一助となると大いに期待される。
  地域の人材の活用形態については、特別非常勤講師制度の活用などにより、授業の一部分をゆだねるかたち、あるいは、学期単位などまとまった期間の授業をゆだねるかたちなどが考えられる。各学校においては、様々な方法によって地域の人材による指導を大幅に取り入れていってほしい。
  教育委員会については、各学校が地域の人材の活用を積極的に進められるよう、それにふさわしい地域住民を「学校支援ボランティア」として人材バンク化することをはじめ、必要な支援を行っていく必要がある。

(g)地域住民や保護者の助言を得て道徳教育を進めよう

  道徳教育の充実を目指して、体験的な学習を取り入れたり、地域の人材を活用するなど取組を進めていくためには、学校が地域住民や保護者の協力を得ることが不可欠である。地域においても、道徳教育に協力しようという住民は少なくない。各学校の道徳教育について家庭や地域社会の理解と協力を得るための具体的な取組に関しては、調査によれば、「学級、学年、学校通信等を通して行った」、「学級、学年保護者会、PTA総会等の諸会合を通して行った」といったものが多い(資料4−6)。その一方で、「全校的な道徳の授業参観を通して行った」、「道徳性を養う学校行事に参加を求めて行った」とする学校は2〜3割程度にとどまっているが、今後、こうした取組を一層積極的に進めていくことが重要である。
  さらに、各学校において道徳教育を進めるに当たっては、どのような内容に重点を置いて進めるか、どのような教材を用いるかなどといった点について、地域や子どもの実情等を十分に踏まえて検討していくことが求められる。例えば、人間関係が希薄な都市部の学校において、礼儀や思いやりを大切にすることを重点的な狙いとして位置づけていく、あるいは、自然に恵まれた地域の学校において、そこにある山や川、動植物を教材として生かしていくなどといったことが考えられよう。そのような道徳教育の重点の置き方や教材の工夫などの点について、地域や子どもの実情等をより的確に反映したものとするためには、校長がリーダーシップを発揮して、保護者(PTA)や学校外の有識者の意見を聞き、必要に応じて助言を求めるようにしていくべきである。こうした取組は、一部の教員の恣意によって道徳教育の内容が偏ったものになったり、「道徳の時間」が形骸化してしまうことがないようにする上でも有効と考える。

iii) カウンセリングを充実しよう

(a)スクールカウンセラーに相談できる体制を充実しよう

(ア) 今日、学校においては、いじめや校内暴力、不登校など、子どもたちの心の在りようとかかわりの深い様々な問題が生じている。このため、子どもたちをはじめ、保護者の抱える悩みを受け止めるよう、都道府県、市町村、学校等の様々な段階で教育相談の取組を充実していく必要がある。
  学校においては、個々の教員がカウンセリングマインドを持って相談に応じているか、教職員間の連携は十分に図られているか、相談部の機能が活用されているか、学校外の相談機関との連携は密になっているか等に関して、校長を中心に不断の点検と見直しをまずお願いしたい。
(イ) 近年、文部省では、学校におけるカウンセリング能力の充実を図るため、臨床心理士などの心の問題について高度に専門的な知識・経験を有する専門家をスクールカウンセラーとして学校に配置する実践的な調査研究を推進してきた。それらの学校において、スクールカウンセラーは、子どもたちや教員あるいは保護者に適切な助言を行ったり、保護者と教員との間の仲立ちを行うことなどを通じて、重要な役割を果たしてきている。
  子どもたちや保護者から見ると、教員や友人に知られたくない問題でも、スクールカウンセラーならば心を許して相談することができるという場合も少なくない。また、教員は、スクールカウンセラーから指導方法に関する専門的な助言を得たり、カウンセリングマインドの大切さを学んでおり、その存在は、とかく閉鎖的とも言われる学校の教職員組織の中に新しい息吹を吹き込んでいる。
  このように、スクールカウンセラーの果たす役割は極めて重要であり、子どもたちの心の問題の多様化・複雑化という状況を踏まえると、すべての子どもがスクールカウンセラーに相談できる機会を設けていくことが望ましいと考える。このため、スクールカウンセラーのより効果的な活用方法に関する調査研究を進め、その上で、スクールカウンセラーの今後の在り方について検討を行うことを求めたい。
(ウ) また、子どもたちが、ゆったりとした心休まる雰囲気の中で、スクールカウンセラー等にうち解けて相談できる環境をつくることが重要である。このため、余裕教室などを利用して、「心の教室」とも言うべきカウンセリングルームの設置を進めていくべきである。その際には、スクールカウンセラーのみならず、養護教諭、学校栄養職員、学校医、退職教員、青少年団体指導者、ボランティアなどの協力を得て、子どもの相談に応じることができるようにすることが望まれる。さらに、パソコン通信等を活用して、関係機関との連携の下に相談活動を行うことも意義があると考える。

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★  スクールカウンセラー活用調査研究
  文部省では、学校におけるカウンセリング機能を強化するため、平成7年度から「スクールカウンセラー活用調査研究」事業を実施している。この事業では、臨床心理士など高度に専門的な知識・経験を有する「スクールカウンセラー」を小・中・高等学校に配置し、その活用、効果等に関する実践的な調査研究を行うものであり、学校外の専門家を学校に本格的に配置する初めての試みとして大きな意義を持っている。また、この事業において、スクールカウンセラーは、児童生徒へのカウンセリングをはじめ、教職員や保護者への指導・助言、カウンセリング等に関する情報収集・提供などを職務として活動することとなっている。文部省では、事業の創設以来、その拡充を図ってきており、対象学校数は平成7年度の約150校から9年度の約1000校へと大幅に増加している(平成10年度は予算規模として1.5倍程度の拡充を図る予定)。
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(b)スクールカウンセラーの養成の充実を図ろう

  現在、スクールカウンセラーの約9割が臨床心理士である。臨床心理士は、心理学を学び、その知識や様々な技法を活かして、心の問題を抱えている人々の性格や発達段階等様々な条件を考慮し、適切な方法で接することによって心の健康回復を助ける「心の専門家」である。その資格は、財団法人「日本臨床心理士資格認定協会」が、基本的に心理学等を専攻した大学院修士課程修了者を対象として資格審査を行い、認定を行っている。
  今後、スクールカウンセラーの養成の更なる充実と質・量の確保を図っていくためには、臨床心理士等の専門家の高等教育機関における養成の充実を図っていくことが必要である。とりわけ、臨床心理士等の養成に関する大学院について、社会人入学にも配慮しながら、その充実を図ることが望まれる。
  また、心の問題を抱えている人々やその家族等が安心して必要な支援を受けることができるようにするためには、大学院レベルの専門性を備えた「心の専門家」の確保を図ることが必要である。このため、職業としてのより一層高い専門性の確保のため、臨床心理士の国家資格制度の創設について検討すべきである。

(c)教員はカウンセリングマインドを身につけよう

  スクールカウンセラーの配置が進められても、学校において日常的に子どもたちの身近にいるのは教員である。教員が教科指導などの力量の向上に努めるべきことはもちろんであるが、それとともに、子どもたちの様々な相談に応じること、問題行動の予兆となるサインに気づき、適切な手だてを講じること、問題行動等を通じて周囲の助けを求めている子どもに的確なケアをすることなどが今後ますます大切になっていく。
  こうした役割を果たしていく上でまず重要なことは、教員がカウンセリングマインドを持つということである。例えば、相手の話をじっくりと聞く、相手と同じ目の高さで考える、相手への深い関心を払う、相手を信頼して自己実現を助けるといったことがその中心をなしている。教員は、こうした姿勢を備えることによって、初めて子どもたちとの間に共感的な関係をつくり、子どもたちから信頼される相談相手となり得る。
  しかし、子どもたちに悩みや心配事の相談相手を聞くと、小学生では2割程度が教員に相談するとしているが、年齢が上がるにつれてその割合は減り、高校生になると1割にも満たなくなる(資料4−7)。教員は、カウンセリングマインドを持って子どもたちの悩みを受け止めることの大切さについて改めて認識してほしい。
  行政は、カウンセリングマインドを持ち、教育相談に関する力量を備えた教員を確保すべく、養成・研修の各段階を通じた取組を更に進めていくべきである。教員養成カリキュラムについては、教育相談やカウンセリングに関する学習がより重視される方向で改善が図られることとなっており、教員養成を担う大学においては、その充実のために格段の努力をお願いしたい。また、生徒指導に関する専門的・実践的な研修においても、教育相談やカウンセリングに係る内容を更に充実していくべきである。  

(d)「心の居場所」としての保健室の役割を重視しよう

  保健室を訪れる子どもたちの中には、身体面だけでなく、学習面、友人関係、家庭事情など様々な訴えを持って相談を求めてくる者も相当いる。また、内的な悩みや葛藤を言葉で表せずに、身体的な不調として訴えている場合も少なくない。
  子どもが小・中・高等学校の保健室を訪れる理由を見ると、心の問題や心の悩みを挙げる者も少なくなく、特に中学校では多くなる傾向が見られる。また、養護教諭が「心の問題」への継続的な支援を行っている事例のある学校の割合は、小学校で約半数、中・高等学校で8割近くとなっており、増加傾向も見られる(資料4−8)。さらに、学校に登校しても授業には出席せず、保健室で時を過ごすいわゆる「保健室登校」という現象も目立ってきており、そうした子どものいる学校の割合は中学校で4割近くに上っている(資料4−9)。
  このように、保健室は「心の居場所」とも言うべき姿になってきている。そして、養護教諭は、悩みや訴えを聞いたり、身体的不調の背景に目を向けることを通じて、子どもの発する様々なサインに早くから気づくことができる立場にある。薬物問題、性の逸脱行動、いじめ、不登校などの心身の健康に関する現代的課題の深刻化を踏まえると、養護教諭の健康相談活動(ヘルスカウンセリング)の役割はますます重要となってきている。
  こうした考え方の下、各学校は、養護教諭から子どもたちの様子について日ごろからよく話を聞くようにし、養護教諭と他の教員、スクールカウンセラーとが連携・協力して心の健康問題に適時適切に対処していく体制を整える必要がある。また、心の健康問題への対応を強化する観点から、養護教諭を保健主事に登用することを含めその活用を図るとともに、養護教諭の複数配置を着実に進めることなどが重要である。
  さらに、今後、養護教諭の養成カリキュラムの改善や体系的な現職研修の一層の充実により、基礎的なカウンセリング能力の育成、現代的な心の健康問題への理解の促進など養護教諭の資質向上を図り、子どもたちの心の健康問題への適切な対応を図ることが必要である。

iv)  不登校にはゆとりを持って対応しよう

  不登校は心の成長の助走期ととらえ、ゆとりを持って対応しよう

  不登校については、年々増加する傾向にあり、平成8年度間に「学校ぎらい」を理由として年度間に30日以上欠席した子どもは小・中学校あわせて約9万4千人(対前年度比15%増)と、調査の開始以来最多に達しているなど、大きな問題となっている(資料4−10)。また、その態様の内訳を見ると「無気力で何となく登校しない」場合や「登校の意志はあるが身体の不調を訴えて登校できない」場合などが高い比率を占めている(資料4−11)。

(ア) この問題に取り組むに当たって、まず基本的に大切なこととして、不登校の子どもは、心の成長の助走期にあり、周囲の人間がゆとりを持って対応する必要があるということを特に強調したい。早く登校できるようになるということにこだわるのでなく、子どもが不登校を克服する過程でどのように個性を伸ばし、成長していくかという視点を持つことが求められる。
  こうした基本的な考え方に立って、学校は、家庭と手を携えて不登校の問題に取り組んでいく必要がある。学校においては、教員がカウンセリングマインドを持って相談に応じること、スクールカウンセラーや都道府県・市町村の教育相談員など学校内外の専門家や教育相談機関と緊密な連携を図っていくことなどが大切である。
(イ) また、この問題については、学校のみで解決することに固執すべきではない。適応指導教室の一層積極的な活用を図ったり、民間の指導施設との連携を図っていくことなどをためらわない、開かれた学校運営を行っていくことが大切である。さらに、適応指導教室等や家庭での学習を支援するため、マルチメディアを積極的に活用して補充指導などを行っていくことは重要であると考える。
(ウ) さらに、不登校の子どもたちが、漠然とした不安や無気力といった心の問題を乗り越えていく上で、野外体験活動などがその手助けになると指摘されており、様々な関係機関・団体における効果的なプログラムに関する実践研究の推進が望まれる。
(エ) なお、これまでに、転校を弾力的にできるようにしたり、「中学校卒業程度認定試験」を不登校の子どものためのバイパスとして活用できるようにするなどといった措置が講じられてきたが、これらが有効に活用されていくことが望まれる。
(オ) また、本審議会は、高等学校の入学者選抜の際の選抜資料として、不登校の子どもたちには調査書に代わり、生徒や保護者がその学校へ進学したい動機や、そこで学びたいこと、中学校時代に主体的に学んだ事柄などを記述した資料を用いることについて提唱してきた。こうした工夫は既に一部でも試みられているが、更に幅広い取組を期待したい。

v)  問題行動に毅然として対応しよう

(a)「まじめさ」や「異質さ」に対する不当ないじめを許さないようにしよう

  いじめの問題は、学校として取り組むべき最も重要な課題の一つである。いじめは、力の弱い者を攻撃の的にすることが多いが、ここでは、特に「まじめさ」や「異質さ」に対するいじめという問題を提起したい。
  いじめの問題は、いじめる子どもの側に第一義的な責任があり、その心の在りようがまず問われなければならない。ある調査によれば、子ども全体に比して、いじめた体験のある子どもは、正義感やルールを大切にする心、思いやりの心が希薄であることが伺える(資料4−12)。規範意識に着目した別の調査によっても、いじめたことが「何度もある」子どもは、万引き、喫煙、飲酒などについて「とても悪い」と考える割合が他の子どもに比して大幅に少なくなっており、規範意識が低いことがわかる。逆に、いじめられたことが「何度もある」子どもは、その割合が他の子どもを相当上回っている(資料4−13)。こうした調査結果から、規範意識の低い子どもが規範意識の高い真面目な子どもをいじめの標的にしている姿を見ることができる。一所懸命授業を聞こうとする子ども、まじめに努力する子ども、向上心を持って生きようとする子どもなど、高いモラルを持つ子どもたちがいじめを受け、不当に虐げられるようなことを許すことはできない。
  「まじめさ」に対するいじめが横行する背景には、異質なものを排除しようとする「同質へのとらわれ」がある。特に中・高校生については、友人同士で群れて行動する姿をしばしば目にするが、そうした小集団では、ともすれば構成員各自の個性は内側に押し込められ、「同質」であることが強調される。そして、「自分たちと異質なものは認めない」、「一人だけいい格好をするな」、「仲間から抜けようとすることは許さない」といった姿勢や態度が多く見受けられる。子どもたちの間に、仲間と群れていないと不安を覚えたり、いじめを受けないための防御行動として仲間と同じように振る舞おうとするような雰囲気が広がってきている。こうした人間関係の中では、向上心を持ったまじめな子どもをはじめ、主体性を持って生きようとする子ども、周囲に付和雷同しない子どもなどが「異質」と見なされ、いじめの標的になってしまう。
  学校は、このような不当な行為であるいじめを許さないよう全校一丸となって校内での指導に当たることを強く望みたい。そして、正義感や倫理観、生命や人権を尊重する心、互いの個性を大切にし、差異を認め合う態度を子どもたちが身につけ、前向きに切磋琢磨し合う人間関係が築かれるよう、積極的な働きかけをお願いしたい。

(b)教師の努力でいじめをなくしていこう

  いじめの問題の解決のためには、家庭でのしつけ、地域でのスポーツ活動や体験活動などを通じて、子どもたちに基本的な倫理観や思いやりといった豊かな人間性をはぐくむことなど、家庭や地域での努力が大いに求められるが、ここでは、学校での教員の役割の重要性について強調したい。
  いじめを受けている子どもは、担任に知らせることについて、更にいじめがひどくなることを危惧するなど、ためらう場合が少なくない。また、教員の側においても、果たして自分が関与・介入することによっていじめの解決に寄与できるか不安を抱く向きがある。しかし、いじめを受けた子ども自身に対し、担任が対応した結果、いじめがどうなったかについて問うと、相当の者が「いじめられなくなった」と回答しており(小学校48%、中学校44%、高等学校37%)、事態が悪化したとする者はわずか2%前後となっている(資料4−14)。
  我々は、いじめの問題の解決を、教員のみに頼るべきではないが、現実に教員の努力によって解決に向かう場合が多いということを改めて認識しようではないか。すべての教員が、「どんな理由があっても、いじめは絶対に許されない」との認識に立ち、自らの影響力に自信を持って問題解決に取り組むことをお願いしたい。
  さらに、我々は、次のような調査結果を示したい。クラスでいじめを見聞きしたことのある子どもに対し、どのように他の子どもへのいじめにかかわったかを尋ねると、「できるだけかかわらないようにした」者が約半数に上ることは残念であるが、その一方で、「やめるように言った」者や、「後で先生にいじめのことを話した」者も相当いる(それぞれ小学校約3割、中学校1〜2割)(資料4−15)。このように正義感に富んだ、勇気のある子どもも決して少なくない。勇気を持って頑張るこうした子どもたちを応援し、いじめを許さない仲間の輪を広げることにより、学校からいじめを無くしていこうではないか。

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★  いじめと家庭の在り方
  いじめの問題については、そのサインを的確にとらえ、学校と家庭が連携して取り組むことが重要である。しかし、親がどの程度いじめに気づいているかを調べると、自分の子どもがいじめられているということを知らない親が多い。そして、更に注目すべきは、自分の子どもがいじめを行っているということを知っている親が非常に少ないということである(資料4−16)。また、担任とのかかわりについては、いじめに気づいた保護者であっても、相談する者が3〜4割とそれほど多くはない。
  また、いじめた体験のある子どもの家庭環境を見ると、家での生活を楽しくないと感じている者が比較的多く、家庭での会話が不足している傾向も見られる。親の側も「子どもの考えていることがわからない」とする者が比較的多い。
  今後、いじめの問題の解決に資するためにも、親子間あるいは担任と親との間で、意志疎通が一層図られることが望まれる。
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★  いじめの問題への対応
  家庭・地域社会・学校においてそれぞれ具体的に取り組むべき対策やその指針については、近年、文部省等が次のようなかたちで提示している。これらをぜひ参照し、それぞれの立場で取組を進めていってほしい。
○「いじめの問題について当面緊急に対応すべき点について」[初等中等教育局長通知](平成6年12月)
○「いじめの問題の解決のために当面取るべき方策等について」[初等中等教育局長通知](平成7年3月)
○「いじめの問題への取組の徹底等について」[初等中等教育局長通知](平成7年12月)
○文部大臣「緊急アピール〜かけがえのない子どもの命を守るために」(平成8年1月)
○「いじめの問題に関する総合的な取組について」[初等中等教育局長・生涯学習局長通知](平成8年7月)
○児童生徒の問題行動等に関する調査研究協力者会議報告「いじめの問題に関する総合的な取組について」(平成8年7月)
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(c)薬物乱用等の危険性についての理解を深めよう

  中・高校生の覚せい剤乱用による補導人員が過去最悪に達するなど、子どもたちの薬物乱用の問題は極めて深刻な状況になっている(資料4−17)。その背景には、近年、覚せい剤などの薬物を容易に入手できる状況が生じたことに加えて、薬物乱用に対する罪悪感が希薄化し、青少年の間でこれをファッション感覚でとらえる風潮さえ見られるようになったことなどが挙げられる。
  小・中・高校生の覚せい剤などの薬物に対する意識を調査すると、まず、薬物に対する印象については、「心や体がぼろぼろになる」、「1回でも使うとやめられなくなる」等の否定的な印象が多いが、学年が上がるほど「よい気持ちになれる」、「ダイエットや眠け覚ましに効果がある」といった肯定的な印象も増えている(資料4−18)。また、薬物の乱用や所持が「法律により罰せられる」ことを知っている者の比率は学年が上がるにつれて高まるが、高校3年生でも1割近くが正しく認識していない。さらに、薬物の乱用について、「絶対に使うべきではないし、許されることではない」と回答する者の割合は学年が上がるにつれて低くなる一方、「他人に迷惑をかけていないので使うかどうかは個人の自由である」と答える者の割合は高くなっている(資料4−19)。  
  各家庭において、子どもたちが薬物を手にすることのないようしっかりと注意を払うことが重要であるが、学校でも、子どもたちに対し、体育・保健体育等の教科、道徳、特別活動など教育活動全体を通じて、薬物乱用の危険性・有害性や違法性について正しく理解させ、「薬物乱用は絶対に行うべきではないし、許されることではない」という認識を身につけさせることが必要である。その際、学校の教員が指導資料等に基づいて話をするだけでは、十分に理解を深めさせることは難しい。このため、薬物乱用防止教室の開催を推進し、この問題に取り組んでいる学校外の専門家(例えば警察職員、麻薬取締官OB、医師、薬剤師等)、薬物依存症患者の更生に取り組む関係者等から子どもたちが学ぶ機会を積極的に設けていくことが望まれる。こうした人々が、自ら目の当たりにした体験を基に、薬物依存が心身を崩壊させる恐ろしさ、本人や周囲の人間の苦悩の深さなどについて語りかければ、子どもたちにとってそれは鮮烈な印象となり、自己規制を働かせる大きな力となるに違いない。
  なお、こうした取組については、薬物乱用の問題が低年齢化する傾向があること、マスメディア等によって子どもたちが小さいころからこの問題を見聞きしていることなどを踏まえ、各地域や学校の実情を考慮しながら、小学校段階から着手されることが望ましい。

(d)性をもてあそぶ考え方を正そう

  少年非行の中で、女子による「遊ぶ金ほしさ」の性の逸脱行動も目立ってきており、近年は補導人員が年間2千人を上回っている(資料4−20)。また、子どもたちの間で、テレクラ・伝言ダイヤル・ツーショットダイヤルを利用したり、大人の異性との交遊を通じて金銭を得る(いわゆる「援助交際」)などの行動が相当の広がりを見せている。

(ア) この問題の背景の一つには、子どもたちの規範意識の低下の問題がある。ある調査結果を見ても、我が国の高校生は「売春など性を売り物にすること」を本人の自由でよいとする者の割合が大きいなど、性の問題に許容的な傾向が伺える(資料2−15)。我々大人は、こうした子どもの行動や考え方を踏まえて、とかく正面から語ることを避けてきた性の問題についても真剣に考えることが求められている。
  思春期の子どもにとって性は、あこがれ、怖さや不安、羞恥など様々な感情の対象であり、精神のコントロールを突き崩すものともなる。それは自立への大切な過程であるが、時には、様々な心の葛藤や遊びに傾斜する心と結びつき、性的逸脱の行動として表れることもある。教員や親は、逸脱的な行動の非を諭すなど、子どもたちに毅然として接しながら、そのような行動に至る場合の背後にある、充実感の得られない無規律な生活の在りよう、よりよく生きようとする目的意識や自尊心の希薄さ、内面のストレスや葛藤に目を向けていくことが大切である。また、機会をとらえて、どう性の問題を考え、受け止めているかについて子どもから話を聞くことによって、性行動の在り方を子どもがよく考えてみる契機をつくることも意義があろう。
(イ) このような接し方に留意しながら、それと同時に、現在広がりつつある具体的な性の逸脱行動の問題にいかに対処していくかを考える必要がある。いわゆる「援助交際」については、ディスカッションなどの方法により、(1)性的な関係を持つことによって金銭を得ることは法律で禁じられている売春にほかならない人間として恥ずべき行為であること、(2)薬物乱用に走ったり暴力団に利用されるなど様々な犯罪に巻き込まれる危険を伴うこと、(3)望まない妊娠や性感染症を招くおそれもあること、(4)将来の人生を生きていく上での大きな心の重荷となることなどに気づくよう働きかけていくことが大切と考える。また、子どもたちが人間関係の在り方を深く考えるよう促し、友人が誤った行いをしようとしているとき、本人の自由と称して無関心であってはならないということにも気づかせることが求められる。
(ウ) さらに、この問題に関しては、子どもたちよりもむしろ大人の側に大いに反省を求めたい。売春などの性の逸脱行動に走る子どもの姿は、金銭欲や性的な欲望をあおる大人社会の風潮そのものを映し出している。各都道府県においては、青少年保護育成条例の淫行処罰規定等を厳正に運用し、買春にかかわる大人を罰していくなど、警察の一層の取組をお願いしたい。

(e)一所懸命に努力する学校・教員を支えよう

  最近の中・高等学校では、いじめや不登校とともに、様々な校内暴力が急増してきており、平成8年度は約1万件に上り、調査開始以来、最多となっている(資料4−21)。その内訳を見ても、生徒間暴力、対教師暴力、器物損壊などいずれも前年度に比して大幅な増加が見られる(資料4−22)。学校ではこれらの行動への対応に苦慮しているが、残念ながら、授業が成立しない教室が見受けられるなど、極めて大きな問題となっている。
  こうした問題のただ中にあって、多くの学校や教員が生徒の心の悩みや葛藤を正面から受け止め、心の成長を目指した積極的な働きかけを行ったり、授業や学級運営を円滑に進めていくための工夫や努力を重ねている。我々は、そうした取組が不十分な学校や教員に対して改善を求めていく必要があるが、それと同時に、情熱を持ち、毅然とした姿勢で力を尽くしている学校や教員を支え、励ましていかなければならないと考える。
  昨今、何か事があれば、個々の事情や経緯にかかわらず、まず学校や教員に非難の矛先を向け、その謝罪を求めずにはすまないという風潮がある。そうした中、教員が萎縮し、問題行動への対応に当たって、毅然とした対応を避け、当たり障りのない無難な対応を採ろうとする雰囲気が学校内に広がってしまう場合がある。そして、一所懸命に取り組もうとする教員が周囲の支えを失ってしまうような状況も生じている。また、生徒がこうした構図を察し、学校や教員の足元を見るかのように暴言を吐いたりする例さえ見られる。
  このような状況を乗り越え、学校や教員が萎縮することなく暴力的な行動に対処できるようにしていくためには、従来のように教育委員会の支援を受けるだけでなく、学校の置かれた状況や学校側の改善の努力について平素から保護者全体によく説明し、その理解と協力を支えにしていくことが重要である。
  このため、校長は、日ごろから保護者(PTA)や学校外の有識者からの助言を得ながら、学校の生徒指導に関する基本的な方針、問題行動への対処の方針、警察等関係機関との連携の方針などを確固としたものとしておき、問題行動が生じた際に迅速かつ果断に対応していくべきである。学校、そして各教員は、このような保護者や地域の支えによって確立された方針に基づき、自信を持って毅然とした対応をとることができるようになると考える。

(f)警察や児童相談所等の関係機関とためらわずに連携しよう

(ア) 子どもたちの問題行動に関し、学校ができる限りの努力により、その解決を目指すことは当然である。
(1)ナイフを持ち歩くこと、他の生徒等から金品を盗んだり脅し取ること、暴力を振るうこと、薬物を使用することなどが、あやまった違法な行為であることは、まず家庭が責任を持って子どもに認識させるべきものであるが、学校においても様々な教育活動の場を通じて理解を促すように努めることが重要である。
(2)また、ナイフあるいは覚せい剤などの薬物を校内に持ち込んでいることが分かったとき、あるいは、目に余る暴力行為が見られるとき、学校は、「社会で許されない行為は子どもであっても許されない」という考え方に立ち、全校一丸となって毅然とした態度をとるべきである。その際、必要な場合には、校長の判断により、出席停止等の措置をとることもためらうべきではない。
(イ) しかし、残念ながら、こうした学校での対応では十分な成果が挙がらないことも少なくない。学校においては、平素から警察等の関係機関と連携を深め、信頼関係を培うこと、そして、学校での対応が著しく困難な場合には、ためらわずに関係機関に相談し、適切な対応を求めるようにしていくべきである。
(1)学校と警察との連携については、日ごろから、学校内外の問題行動に関して情報交換を行ったり、警察の少年相談専門職員・少年補導職員等と意見交換を行うこと、更には規範意識の啓発を図る機会を提供すること(薬物乱用防止教室の開催など)がまず重要である。
(2)また、いかに生徒への働きかけを行っても、他の生徒の学習を著しく妨げたり、さらには心身の安全を脅かすような行動を起こす生徒が現れることもある。教員が毅然とした態度で指導しようとして、かえって心身に危険が及ぶ例さえ見られる。そのようなとき、校長の判断により、警察の少年部門と相談することや、場合によっては警察官の定期的あるいは随時の学校への訪問を求めること、そして必要なときには、すみやかに警察に対して連絡・協力要請を行うことなどに決してためらうべきではない。
  問題行動を起こす生徒に対する教育的配慮が大切なことは言うまでもないが、「子どもたち全体が安心して学ぶことのできる環境を確保する」ことは、学校に課せられた責務である。学校外の反応を気にするなどして、時機を失した措置にならないよう校長の的確な判断を求めたい。
  なお、具体的な警察との連携協力に当たっては、学校が教育の場であることを配慮した対処がなされるよう、学校と警察との十分な意思疎通を図ることが必要である。
(3)家庭環境が多様化・複雑化する今日、問題行動の背景に家庭での養育の問題が存している場合がしばしば見られ、専門的なケアが求められる子どもが少なくない。児童相談所は、児童福祉司、スーパーバイザー、相談員、心理判定員、セラピスト、医師等の職員を擁する専門的な機関として、非行相談への対応、家庭裁判所から送致された少年に関する調査や指導などを行っており、学校が問題行動への対応の在り方について相談していくことが期待される。
(ウ) 学校が警察や児童相談所をはじめ様々な関係機関とどのようなときに、どのような方法で連携して取り組んでいくかといった方針について、あらかじめ保護者や地域住民の理解を得ておくことは、学校が果断な行動をとる上で大いに力となるであろう。そのためには、校長が日ごろから保護者(PTA)や学校外の有識者と十分な情報交換・意見交換を行うなどにより、問題行動への対応についての共通認識を持つよう意思疎通を図っておくことが大切である。  

vi)  ゆとりある学校生活で子どもたちの自己実現を図ろう

(a)教育内容を厳選し、自ら学び自ら考える教育を進めよう

  学校は、勉強をする場であるが、子どもたちにとって一所懸命勉強することは、いつも楽しいというわけにはいかない。しかし、目標を持って、勉強やスポーツに打ち込み、友達と交流することができれば、子どもたちの生活は生き生きとした充実したものとなる。子どもたちが友達や教員と共に学び合い、活動する中で、存在感や自己実現の喜びを感じられるような学校づくりを目指して努力することは、心の教育の充実という観点からも欠かせない。  

(ア) このためにも、知識をひたすら教え込むことになりがちであった教育から、自ら学び、自ら考える教育への転換を目指し、教育内容を厳選していくことが必要である。教育内容の厳選そして、学校週五日制の推進によって生み出されるゆとりの中で、子どもたちは、様々な試行錯誤をしたり、多様な体験的学習を積み重ねることを通じて、「生きる力」をはぐくんでいくことができる。
  こうした考え方に立って、現在、国においては、本審議会の「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の第一次答申を踏まえ、教育課程の基準の改善に関する具体的な検討が進められているが、そうした基準の改訂とともに、各学校においても自校の教育課程を絶えず見直し、指導内容の精選を図りつつ、できるところから教育活動の改善を図っていく必要がある。
(イ) 今日の子どもたちの積極性の乏しさ、自尊感情や自己有用感などの欠如といった状況を踏まえると、子どもたちのよさを評価し、その能力・適性、興味・関心に即して個性を伸ばす教育を展開し、子どもたちが成就感や達成感を感じられるようにすることが重要である。
  このため、各学校において、個別指導や補充学習など個に応じた指導を進めるとともに、ティームティーチング等の指導方法の改善、教材の工夫、学習の進度の遅い子どもやつまずきの見られる子どものための繰り返し学習などを一層進めていくことを望みたい。
(ウ) また、自分の好きなことや興味・関心を持つことにじっくり時間をかけて取り組むことができるよう、もっと子ども自身の選択を生かすという視点に立って、学校の教育活動の在り方を見直すことが重要である。例えば、子どもたちが自らの興味・関心に応じて授業を選択できるような幅は十分にあるか、体験的な学習が十分に取り入れられているか、部活動に関して、参加を強制したり、勝利至上主義的な運営に陥っていないかなどといった点を見直していくことが求められる。
(エ) さらに、子どもたちが学ぶためのゆとりを確保することと同時に、教員と子どもとが語り合うためのゆとりを確保するということも大切である。様々な行事や会議あるいは研究などにより、教員が学校を離れるなど、教員と子どもとが触れ合う時間が確保しにくくなっているとの指摘がある。行政の側において、学校からの報告や届け出を求めたり、あるいは学校に対する伝達を行うに当たって、地域や学校の実情等に応じて、その精選等必要な改善や見直しを図る必要があるが、同時に、学校の側においても、行事や会議の運営、研究や研修の在り方について、必要以上の時間を費やしていないかを吟味するといった見直しが求められる。

(b)トライ・アンド・エラーが可能で、多様な努力を評価する入試改革を進めよう

(ア) 学校において教育内容の厳選を進め、自ら学び自ら考える教育を進めていくためには、過度の受験競争の緩和を図る観点から大学・高等学校の入学者選抜の在り方を見直すことが不可欠である。これまでにも入学者選抜の改善に向けた様々な努力が払われてきたところであるが、今なお、専ら知識量の多寡を問うようなペーパーテストによる学力試験が偏重されるなど、自ら学び、自ら考える力に対する評価や多様な個性への対応が十分とは言えない。子どもたちが、様々な試行錯誤をしたり、多様な体験を積み重ねることを通じて、「生きる力」をはぐくみ、豊かな人間性を培っていくために、更なる改善の努力が求められる。
  この問題について、昨年、本審議会では、「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の第二次答申において、個性尊重の基本的な考え方に立って、選抜方法・尺度の多様化を進める観点から様々な具体的提言を行った。例えば大学入学者選抜については、調査書・小論文・面接等を活用した丁寧な選抜の実施、履修科目等指定制の導入、ボランティア活動など様々な活動経験の評価、各大学・学部における複数の選抜基準の導入、秋季入学の拡大、高校の調査書の一層の活用、大学入試センター試験の改善などを提言した。
  また、高等学校入学者選抜については、学力試験の実施教科の多様化、同一高校での複数の選抜基準の導入、子どもや保護者の自己申告書の活用、推薦入学の推進などを提言した。子どもたちの心を豊かにはぐくむためにも、これらの提言に基づいて大学・高等学校の入学者選抜の改善が図られるよう、各大学をはじめ、関係者の努力をくれぐれも望んでおきたい。
(イ) 過度の受験競争の問題は、学(校)歴偏重社会の問題と深くかかわっている。企業や官公庁が採用等において形式的な学(校)歴を重んじてきたこと、多くの親が「いい学校=いい会社=幸せな人生」という図式を信じてきたことなどが、受験競争の過熱化に拍車をかけてきた。しかし、これからの変化の激しい時代では、18歳の時点での試験の合否は、かつてほどの大きな意味を持たず、その後の人生においていかに学び、真の実力を身につけていくかが問われることになる。現実に、企業や学校も「生きる力」を重視し、それを評価していく方向へと確実に変わりつつある。各学校においては、進路指導の機会等を通じて、親が現実の社会の変化に気づき、横並び意識、同質志向、過度に年齢にとらわれた価値観などを変えていくよう働きかけをしてほしい。そして、社会全体がこうした価値観や形式的な平等主義を改め、真の生涯学習社会を実現していくよう努めていく必要がある。
(ウ) なお、今後、我々は、少子化による18歳人口の減少に伴い、入学の門戸が広がり、子どもたちが多様な高等教育機関の中から自分にふさわしい学校を選択することが可能な時代を迎える。その意味でも、小さいころからひたすら知識を詰め込むのでなく、一人一人の個性を大切にしてのびのびと育てていくことが極めて重要になるということを付言しておきたい。

(c)子どもたちに読書を促す工夫をしよう

  読書は、豊かな感性や情操、そして思いやりの心をはぐくむ上で大切な営みである。しかし、今日、小・中・高校生の読書の状況を見ると、読書量が減少し、全く本を読まない子ども(不読者)も増加しつつあることなどが伺える(資料4−23)。そうした「本離れ」の背景には、子どもをめぐる情報環境の変化や生活からのゆとりの喪失などが指摘されている。今後、家庭において幼児期から読書を楽しむ体験を子どもに与えるとともに、学校においても読書を促す工夫をしていくことが必要である。

(ア) 学校においては、まず第一に、子どもが感動する本を用意することが大切である。感動こそが読書習慣の形成を図る要となる体験である。そのために、例えば、司書教諭をはじめ学校の教員自身が子どもたちによい本の情報を入手するようにすること、子どもの読書ニーズの把握に努めること、学校と公共図書館等の連携を図ることなどが望まれる。
(イ) また、読書の楽しさとの出会いをつくることが重要である。例えば毎朝「10分間読書の時間」を設けて、自由に本を読ませる試みも見られる。学校独自の読書週間を設けたり、読書会を行うことや、司書教諭や学級担任など教員が自分の読んだ本を紹介したり、その一部を読み聞かせることなども工夫の一つである。各教科等において本などで「調べる学習」を重視していくことも読書との出会いのきっかけになるであろう。
(ウ) さらに、教員には、読書を楽しむ子どもの心に共感する態度も求められる。読書を通じて子どもが感じたこと、考えたことについて教員が耳を傾け、話し合うことは、読書の意欲を喚起する上で有意義である。そして、読書体験を一層深める観点から、読書で得た感動を子どもたちが表現する様々な方法を工夫していくことも望まれる。例えば、広く行われる読書感想文などの方法だけにこだわらず、読んだ本を基にした物語の創作、劇遊びなど多様な手法が試みられてよいであろう。
(エ) 本との出会いづくりを豊かにするために、学校図書館にゆったりとしたスペースを設けたり、談話室を隣に設けたり、学校図書館を「心のオアシス」として活性化し、日々の生活の中で子どもたちがくつろぎ、進んで読書を楽しむために訪れるような環境づくりをしてほしい。そのため、常時開館して子どもたちを迎え入れる体制を整えること、図書購入予算を確保して、魅力ある図書資料を充実することに努めてほしい。また、図書の選択に当たって保護者や子どもの意見を反映することもよいと考える。
(オ) 子どもの読書を促す際には、学校での取組と家庭での働きかけとの連携が望まれる。家庭においては、特に、親子の会話を増やし、深める契機として読書をとらえていくことをお願いしたい。また、保護者が学校支援ボランティアとして学校図書館の活動に参画していくことも好ましいことと考える。

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★  自然と共生するゆとりと潤いのある学校環境づくり
  学校は、子どもたちが一日の大半を過ごす生活の場であり、学校環境は、子どもたちの心の発達に大きな影響を与える。学校環境の整備に当たっては、特に、自然との触れ合いに配慮すること、子どもたちが集い、友人や教員と語らうことのできる場を確保することが重要である。
  各地方公共団体においては、緑地の中に学校を位置づけたり、校庭に小川を流したり、築山や芝生の広場、木登りの森を設けるなど、身近な自然環境との触れ合いに配慮した学校環境づくりが進められている。また、木材を積極的に活用した温かみのある学校施設の整備も進められている。あるいは、子どもたちの語らいの場にも利用できるオープンスペースの整備などが進められている。
  一方、国においては、自然体験学習などが行えるよう校庭に木や芝生を植えることや、余裕教室を改造して温かみのある木の部屋やプレイルームを整備すること、校舎に多目的に使用できるスペースを整備することについて、地方公共団体に対して財政措置を講じている。また、環境を考慮した学校施設(エコスクール)の整備について、屋上の緑化やビオトープ(生物の生息空間)の学校敷地内への設置など、先導的な取組に対する支援を行っているところである。
  今後、子どもたちの学校生活に一層のゆとりと潤いを与えるためにも、自然と共生するゆとりと潤いのある学校環境づくりを推進していくことが重要であり、国及び各地方公共団体の更なる取組が期待される。
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(大臣官房政策課)

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