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中央教育審議会

 1999/12 議事録 
中央教育審議会第228回 (議事録) 

 中央教育審議会  総会(第228回)

  議  事  録


平成11年12月16日(火)  14:00〜16:00
霞が関東京會舘      35階      ゴールドスタールーム


    1.開    会
    2.議    題
          「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」
    3.閉    会


出席者
委員
根本会長、木村座長、川口委員、坂元委員、田村委員、土田委員、松井委員、森  委員、横山委員
事務局
中曽根文部大臣、河村総括政務次官、小此木政務次官、佐藤事務次官、今村審議官(生涯学習局担当)、御手洗初等中等教育局長、佐々木高等教育局長、本間総務審議官、寺脇政策課長、その他関係官


○根本会長  それでは、時間になりましたので、ただ今から中央教育審議会第228回総会を始めさせていただきます。
  皆様方におかれましては、大変御多忙のところを御出席いただきまして、誠にありがとうございます。
  本日は、「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」の答申を中曽根文部大臣に提出いたしたいと考えておりますので、よろしくお願い申し上げます。
  それでは、今回の配付資料の確認を事務局よりお願いいたします。

<事務局から説明>

○根本会長  それでは、ただ今から中曽根大臣に答申を提出いたしますけれども、この際、会長として一言御挨拶申し上げたいと思います。
  中央教育審議会は、昨年の平成10年11月から、およそ1年をかけまして、総会及び小委員会、合計28回の会議を重ね、皆様方の大変に熱心な討論の結果、本日ここに答申を取りまとめたわけでございますが、この間、鳥居副会長、木村座長を初め、委員の方々、専問委員の方々の大変な御尽力に対して、会長より深甚なお礼の言葉を申し上げたいと思います。どうも本当にありがとうございます。
  この答申では、戦後おおよそ50年の日本の教育の進展状況につきまして、レビューをまずいたしました。その上に立ちまして、初等中等教育の本来あるべき姿、高等教育のあるべき姿につきまして討議を進めまして、その確認の上に、高等学校から大学への連携、それから接続を重視した大学入学者選抜方式の改善及び在り方、そして学校教育を終わりまして職業生活に入るその連携・接続の問題という、三つの視点から答申をまとめたわけでございます。
  私どもは、日本の教育の目標は、学生諸君の人格の完成という一点に尽きるのではないかと思っておりまして、そのために知育・徳育・体育といった三つの要素が好ましく調和している状態の方向に教育を持っていくべきではないかと考えております。したがいまして、この答申の中でも、豊かな人間性の完成をもたらすためには一体どうしたらいいのかとか、あるいは特に高等教育におけます教養教育の重視といったものにつきまして触れております。各高等学校及び大学におきましては、私どものこの答申の精神を受けて、これを実現できるように御協力いただきたいということでございます。
  また、文部省及び関係の行政当局におきましては、この答申の実現のために適切な行財政措置をとっていただきたいと思っております。
  また、先般の大臣とのお話し合いのときにも、各審議会から出ましたけれども、答申をこれまで随分いろいろとやってまいりましたが、これが実現しているかしていないか、その実現度について定期的にレビューをすることが、私どもとして大切ではないかと思っておりまして、そのレビューの結果を再び我々審議会のほうにフィードバックしていただければ、また私どもとしても協力の仕方があるのではないかと思っております。
  最後になりましたが、次のミレニアムがもうすぐまいります。21世紀に向けて子どもたちが健やかに成長していくために、何よりも国民の皆様方の教育改革に対する幅広い理解と熱意が不可欠でございます。本答申が一つの契機になりまして、国民の皆様方一人一人が家族と地域社会の協力を得て、この問題を自分の問題として取り組まれることになれば、私ども中央教育審議会のメンバー一同、誠に欣快とするところでございます。この点、何分大臣の御配慮を賜りたいと思っております。
  それでは、私の挨拶はこれをもって終わりまして、大臣に答申を提出いたします。
          〔根本会長から答申を中曽根文部大臣に手交〕

○根本会長  それでは、これより大臣に御挨拶を賜りたいと思います。よろしくお願いいたします。

○中曽根文部大臣  ただ今、根本会長から、皆様方に御審議をいただきました「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」という答申をいただきました。お話にもありましたように、この審議会におきまして、小委員会も含めまして28回の会合を重ねていただいて、熱心な御審議をいただき、また多くの専門家の方々あるいは関係者の方からもヒアリングをやっていただきまして、国民の皆様方の御意見を広く取り入れながらこのような答申をいただきまして、大変ありがとうございました。また、皆様方の御尽力に対しまして厚く御礼を申し上げる次第でございます。
  お話がありましたけれども、戦後50年余りの教育についてのレビューをされまして、このたびこのような答申をいただいたわけでありますが、初等中等教育と高等教育とのそれぞれの役割を大変明確にお示しいただいたわけでございます。また、この役割を前提として、今後の両者の連携の在り方、入学者選抜の在り方、それから学校教育と職業生活との接続等につきまして、具体的な提言をいただきました。この答申を受けまして、文部省といたしましては、この趣旨が国民の皆様方に広く浸透していくよう努力をするとともに、この答申を最大限尊重いたしまして、必要な施策をこれから行っていきたいと思っているところでございます。
  数々の答申をいただいて、その後、答申の効果がどのようにあらわれているか、実態がどうなっているか、レビューもしてほしいという会長のお話もありまして、私もこれは大事なことだと思っております。私どもも、これらが政策に反映し、また現場でどの程度実行されているかという点につきまして、レビューをすることは重要と思っておりますので、そのような努力もしながら、また皆様方に機会あるごとに御報告をしていきたいと思っているところでございます。
  委員の皆様方、専門委員の皆様方には、大変にお世話になりました。改めまして御礼を申し上げまして、大変簡単でございますが、御挨拶にさせていただきます。どうもありがとうございました。

○根本会長  どうも大臣ありがとうございました。大変過分な御挨拶をいただきましてありがとうございます。それでは、引き続きまして河村総括政務次官に御挨拶をお願いいたします。

○河村総括政務次官  御指名をいただきました総括政務次官の河村健夫でございます。貴重な時間でございますが、私からも一言お礼を申し上げ、御挨拶を申し上げる次第でございます。
  根本会長様初め、皆さんには、1年にわたって大変な御努力をいただいて、立派な答申をちょうだいいたしました。貴重な御提言をいただいたわけでございます。さきに中間報告がございまして、各新聞社も見出しにいろいろ頭をひねったようでありますが、落ちつくところは、やはり「選抜から選択へ」という見出しであった。私もそのように感じておったわけでありますが、選ぶほうも選ばれるほうもそうでなければいかんということでございました。考えてみたら、私どももそうでありましたけれども、しっかり勉強して、知識を詰め込んで、いい大学に入って、そして一流企業へ行こうという思いで、ひた走りに走ってきたような思いがいたしております。そして、経済大国という称号はいただきましたけれども、今になってみると、その間いろんな問題が起きておる。さあ、これからどうする。有名大学へ行くには、幼稚園から駆け出しているような現況が、今、あからさまになっておるわけでございます。そうした反省に立っておるわけでございます。
  実は先般から、大臣とともに小此木政務次官ともども御一緒いたしまして、経済団体の皆さんと懇談を続けてまいりまして、経済同友会、経団連、今日は日商の皆さんともやりました。そして、感じておることは、企業側もここまできて、さてと。人材育成の面から、これからは単なる学歴、いわゆる入社試験だけではなくて、何を学んできたか、どういう人物であるか、面接重視だということを本音で言われるようになったなという思いがいたします。
  そのような観点から見ていくならば、今回の答申は、まさにその要点が入っておるわけでございまして、これから求めていかなければいけない教育改革の原点がこの中にちりばめられておると感じまして、このことをいかに実行に移すかということが、我々文部省側の大きな責任になったわけでございます。
  経済団体の中にも皆さんのOBが何人かいらっしゃいまして、「委員会で随分いろんなことを言ってきたけど、果たしてそれがどの程度実行されているか。どうもスピードがのろいんではないか」とか、「ピンとこない」というお話がございました。これは根本会長、大臣もお触れになりましたように、実行と評価をどのようにするかというのはなかなか難しいんでありますが、これをフィードバックしていく。それはまた国民に対してもそうでありますが、そういうことをもっともっとやっていかなければいけないんだなということを感じておるようなわけでございます。
  ともかく1年間の皆さんの大変な御努力、これを無にしないように、立派に生かすように、文部省としても最大の努力をしていくということでなければいかんと思います。一言感謝の言葉にかえさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

○根本会長  どうもありがとうございました。
  それでは、引き続きまして、小此木政務次官にお言葉を賜りたいと思います。

○小此木政務次官  こんにちは。御紹介をいただきました小此木八郎でございます。
  大臣、そして総括政務次官が申したとおりでございますけれども、これまでの熱心な御討議でこの答申をいただきましたことに、心から感謝を申し上げます。
  また、私自身もこれを実施するに当たり、政務次官として、あるいはもっと広い意味で言えば、政治家として国民と深くさらにかかわり合いを持ちながら、全力で取り組んでまいる次第でございます。
  今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

○根本会長  どうもありがとうございました。
  それでは、せっかくの機会でございますので、ひとつ皆様の御発言を賜りたいと思います。

○  我が国の教育、小学校から高等学校、大学、高等教育機関をめぐる環境をつぶさに見てみますと、何といってもここのところの大きな変化は多様化ということだと思います。同世代人口の97%の子どもたちが高等学校へ行く。そのうちの半分近くが高等教育機関に進むということで、大変な多様化をしております。特に最近は、高等学校までの教育機関が非常に多様化している。ところが、大学の方が多様化がおくれてしまった。その辺の状況もあって、接続の問題は非常に難しいのではないかと思っておりましたが、幸い小委員会に所属しておられます委員の皆様、専門委員の皆様からいろいろお知恵をいただきまして、またヒアリングもさせていただきまして、何とかこのような形に仕上げることができたのは大変幸運であったと思っております。
  いずれにしましても、これからが問題でありまして、この多様化した状態をいかに新しいエネルギーを生み出すチャンスにするかということかと思います。
  話は飛びますが、フルブライト・メモリアル・ファンドという日本の全額出資のファンドがありまして、そこを通じて年間600人ほどのアメリカの小学校・中学校・高校の先生方を日本に招へいしております。200人ずつ3回に分かれて来られています。私、毎回キーノート・スピーチを90分ほどやらされておりますが、その機会にその先生方と議論をする機会があります。アメリカの教育は初中レベルで大きな問題を抱えているのですが、来ている先生のエネルギーといいますか、情熱にはすさまじいものがありまして、90分の間に100ぐらいの質問が飛んでまいります。ああいうのを見ていると、初中教育は日本のほうが優れていると言われていたんですが、これもまたアメリカに負けてしまうのではないかなという気がして仕方がありません。先生方の活力といいますか、そういうものを生かす方策も大事かなといつも感じております。

○  感想を二つでございますが、先ほどからお話が出ていますように、やることを決めたからには、それを実施することが大事で、しかも時間をかけて実施するのではなくて、できるだけ早く実施することが大事で、ぜひそこをきちんとやっていただきたいと思います。往々にして、ちょっとだけやって、やりましたという感じのことが世の中多いわけですけれども、やるからには全部きちんとやっていただきたいと思います。それが1点目です。
  2点目に、いろいろな改革  ―毎年、中央教育審議会は非常にいい答申を出して、それをベースに日本の教育も随分変わってきたというふうには思いますけれども、やり方として毎年少しずつ変えるということではなくて、何年か分まとめて、将来こういう方向になりますということで大きく方向性を出して、そのうちどこの部分を今年は変える、来年は変える、再来年はここをというようにプログラムを提示することが大事なのではないだろうか。
それによって、実際にそれをやる現場の方々あるいは親は、日本の教育が将来このようになるということがわかって、それを踏まえていろいろな行動をとることができるわけで、何となく毎年少しずつ変わっていくというのは、ある意味で余計不安定性あるいは不確定性を生むもとになると思いますので、このあたりで改革のやり方を考え直してみるというか、議論してみるというのもあるのではないかと思います。

○  結果としてバランスのとれたいい答申ができたのではないかと思っております。接続といいますと、とかく入学試験というところに集中して、入試の問題というように考えられる節があるんですが、そうではなくて、会長からもお話があったように、教育の戦後の歴史、沿革から始まって、初等中等教育の理想像、高等教育の理想像、それぞれの個性を生かすための取組、その間の接続について、カリキュラムであるとか、教育の方法とか、それぞれの機関が担当している活動をそれぞれの接続の相手に周知してもらうといったような働きまで含めた答申になったということで、バランスのとれた答申と思っております。
  全体の基調というのは、会長が常々おっしゃっておりますように、理想的な人間像といいますか、人間の教育が大事だということがあって、それはずうっと続くんですけれども、一方、21世紀といいますか、次のミレニアムになりますと、明らかに大きな社会的な変化が起こってくる。特に情報通信技術といいますか、そういう手段を活用して、社会生活が大きく変化をしていく。その影響を教育も当然受けるであろう。その辺のところに中間報告ではもう少し踏み込んでもいいと思っておりましたが、これは前回、皆さんの御意見があったのかと思いますが、情報通信技術の活用も織り込まれてきて、21世紀対応という色彩も出てきたなと思っております。
  例えば、「第3章  具体的な教育上の連携方策」の「高等教育を受けるのに十分な能力と意欲を有する高等学校の生徒が大学レベルの教育を履修する機会の拡大方策」に、SCSというのがございます。日本の116ぐらいの高等教育機関、大学の間で、通信衛星を使いまして、大学の授業とかゼミを公開することが行われている。日本中の大学に高等学校の生徒さんが来て、例えば琉球大学に琉球の生徒さんが来ると、東京大学の先生とか、北海道大学の先生から、何をやっているかというお話が聞けることになりますと、大学というのはすばらしいことをやっているんだなということで、大変広がりのある  ―答申には「大学の持つ幅広い教育機能を提供する」と書いていただいていますが、そういうことが現実にお子さんたちにもひしと感じられるだろうと思います。
  「第3章  具体的な教育上の連携方策」の「(4)入学者の履修歴等の多様化に対応して大学教育への円滑な導入を図る工夫」ということで、大学と高等学校とのかかわりの中で役に立つというトーンが出てまいりまして、世界が新しく向かっております高度情報通信社会の中での教育の在り方まで志向したものになったのではないか。ケルン・サミット以来、総理大臣も教育の情報化、文部省も「教育改革プログラム」で、大変お力を入れていらっしゃるわけですが、それにもう一つ大きなバックボーンがついたのではないかという感想を持っております。

○  今のお話のように、大変バランスのとれたよい答申ができたと自画自賛しているところであります。事務次官がおっしゃられておりましたが、画一的な日本の教育状況が、実態としては社会の変化で多様になっていたということをきちっと認めて、答申の形で出したということは、非常に重要な作業をしたのではないかと思っております。つまり、建前と実態を合わせたところから、実は次への改革が始まるわけでありまして、それをいいかげんに何となく建前だけで過ごしていると、ちっとも進んでいかないわけであります。そのことは十分に評価して大事にしなければいけないわけです。
  その際に、もしこれから審議を進めるということでポイントとして考えるとすれば、実態を明快にしたというところから、次にどのように進むか。教育の理念という話もあるんですけれども、いろんなことをはっきりとこれから実態に合わせて提案していく必要があるのかなと考えているわけです。
  実は、シンガポール政府が学校の代表を日本に送って、新年早々、日本の教育事情を視察するということで、国立大学の先生から中学校・高校の先生に至るまで10人ぐらいの代表者が、シンガポールの文部省の人が引率して日本の学校事情を見学に来るそうです。たまたま私どもの学校に見学に来るということが決まりまして、質問事項があるから、ちゃんと記載して準備をしておくよう御指示がありました。実は今日、来る前にそれを読んできたのです。
  そうしましたら、何と第1は「あなたの学校ではエリート教育をどうやっていますか」「そのエリート教育のために具体的にどんなことをやっていますか」と。いろいろ項目があって細かく答えるようになっているわけです。2番目が、「あなたの学校は科学技術教育のためにどんなことをやっていますか」「未来につながる科学技術教育開発をあなたの学校の段階でどういうことを具体的にやっていますか」という質問なんです。科学技術のほうはともかく、エリート教育のほうは考えてしまいましてね。どう答えようかなと思っています。
  この間、ある国際会議に出たら、もうエリート教育中心だと言う。日本は何も言わないで帰ってきたという感じをお持ちになったという話をお伺いしたんです。必要性はわかっているので、どこかが言わなければいけないということなのかなと思うのですが、実態がはっきりしたところで、これからどうやるのか。エリート教育だけを焦点に据えてやるという形ではなくてもいいと思うのですけれども、結果としてはそういうことはきちっと問題意識としてとらえていかないと立ちおくれてしまうのではないか。どのように考えたらいいかという問題を抱えながら、今日はこの場に出てまいりました。この答申がそういうことを考えるスタートになっていただけると大変ありがたい。画一的なのが多様になったわけですが、多様になったのはいいんですが、全体に下にって混沌にならないように、上も押さえる。世界をリードする人材をどうやって育てるかということも、問題意識として書いていくその次の段階があるのかなと感じて、今日お伺いしたわけです。どうもありがとうございました。

○  大変勉強させていただきました、また、立派な内容になりましたことを、大変うれしく存じておる次第です。
  個々の問題はさておき、もうちょっと先を見据えた方向づけという点で、今後を考えていく必要があるという率直な御指摘もありました。教育の問題で、一番重要なことは、先行きの理想像といいますか、方向づけが、いつでも、どこでも、だれでも口にできる、そしてある意味のコンセンサスが得られてくるというのが望ましい形だと思うのです。この意味ではまだ残しているところがあるかと思いますが、現状では100点満点と申し上げてよろしいと理解しております。
  今、私どもは社会が変わるとか大転換の時代に在るなど、いろいろな言い方をしておりますが、400万年前に人類が地球に出てまいりましてから、人類史上での初めての体験を致しております。この点が過去とは本質的な違いであると思います。よく考えますと、実はこの20世紀が本当の意味での初めての変革の時代と言ってよいのではないか。人間の力で世界を動かす、あるいは私どもの社会や生活を制御できる方法論をどうやら物にできた。自然からの受け身の姿勢を脱し独立の仕組みをつくり始めた、それが今世紀の評価だと私は考えております。
  そう考えますと、私共の社会や生活のすべてが境界のない時代になってきたという話は、正にそのとおりですけれども、私どもが日本という地域の人間集団として、あるいは民族や国家としての身元をはっきりさせ、一つの理想や高い志を持って推進することこそが、一番大きな願いではないかと常々考えているわけです。
  卑近な例として、100年ちょっと前に起こりました明治革命から、近代社会を形成する努力は確かに効果があったのですが、例えば科学技術史の立場から見ますと、目覚ましい成果というのはどうも明治末期から大正ぐらいに多く輩出しております。私の専門でもあります理化学領域では、10指に余る素晴らしい業績がいくつも出ており、今日ならノーベル賞を重ねて受賞されても不思議でない程の対象が多く出ております。ほかの分野、例えば、芸術分野を見ましても、同じように散見されるわけです。戦後の50年間はどうかということになりますと、確かにレベルはアップしましたが、先人と比較いたしましたときに、数と質において勝っているとは一概に言えない。もう一つパンチが足りないと感ずるわけです。
  これから社会が大きく変わると申しますが、人間の知恵が更に一層活用された社会になっていくという意味で大きな変革が起こるわけでありますから、エネルギー問題一つにしましても、あるいはどの局面を一つとってみましても、すべて今までの常識が必ずしも通用しない世界へ入り込んでいくわけです。その意味では教育こそが一番大事で、冒頭にも申し上げましたようにむしろ個々の問題というよりは、先行きの方向づけ、どちらを向いて行きましょうか、ある意味の理想像とコンセンサスを、ぜひぜひ具体化していけるように致したいものと思っております。

○  いろいろお教えいただきましてありがとうございました。大変勉強になりました。初等中等教育と高等教育との接続ということになりますと、高校と大学の単なる接続だけかと思ったわけでございますが、多様化の中で、それぞれの役割をきちんと明示していただいたことは大変ありがたいことでございます。そして、教育の目的とは何かとうことの共通理解をこれから持っていけるのではないかと考えております。こういう答申が出たわけでございますが、これをもう一度国民一人一人が理解していくことが必要ではないかと思います。私どもの組織は、小学校、中学校の保護者の組織でございますので、教育の目的を再度認識することを、この答申をベースにして広げていく必要があるのではないかと考えています。
  そういう中で、手前どもの組織の決定でございますけれども、「6月3日」を「教育の日」と定めまして、これは6・3・3制の「6・3」でございまして、みんなでもって教育を考えていこうという中でも、教育の精神とか、共通理解を持つ非常にいいチャンスを与えていただいたと考えております。
  そして、小学校、中学校、高校、大学と  ―職業ではキャリアパスというのがあるわけでございますが、学習のパスを通ずることによって、人格が完成されていくという形を、私自身はこの答申でうかがい取っておりますので、精神的なバックアップをしていただいたという感じがしております。本当にありがとうございました。

○  感想を4点ばかり述べさせていただきます。
  まず大きな問題ですが、中央教育審議会を初めいろんな審議会あるいは協力者会議で、改善策が膨大に出ているわけです。これは一口に言いますと、改革ラッシュのような感じで、全体を把握するのは非常に難しい気がするんです。ちょうど私がドイツにいたころ、ドイツも改革ラッシュで、『シュピーゲル』という雑誌が、「ドイツの改革はプラン・シュピールだ」と。シュピーゲルだからシュピールと言ったわけではなくて、日本語に訳せば「計画ごっこだ」と言った。文部大臣がそれを見て怒ったかどうかわからないんですが、そうではなくて、改革というのは大事なんで、我々は改革の改革をしなければいけないというので、『レフォルム・デア・レフォルム』という本を書いた。これまたおもしろいので、私は今でも持っているんですけれども、そういう状況も連想しました。
  この前、別の審議会で、ある委員が「勘定したら13も答申が出てたけど、その中でこの答申が一番いい」と言っていたんですが、こんどこれが一番いいと言わなければいけなくなったような気がします。いずれにしても各専門分野別に非常にいい答申が出ているんですが、全体としてどうなのか。内科で処理し、外科で手術して、眼科では何と、各専門分野ではいいんですが、人間全体としてどうなっているのか。国民の目から見て、子どもが行く学校や教育がどうなるのかという解説は、だれがどこでするのかなという感想が第1点です。
  第2点ですが、これも大きな問題ですが、日本の社会、経済は大体自由化路線で来ているわけで、日本の教育も平等から自由へシフトしているんですが、それでどんどん多様化されていく。それはそれでいいんですが、多様化され、それが認知されるということは、日本の教育制度の原則が多様化する。つまり、原則が肥大化するということです。その肥大化の中身を見ますと、今まで認めなかったことを認めるとか、例外的なことを認知するとか、そうなると、今度は新たな例外が必ず出てくるんです。その例外は何だろうかなと、私は暇なとき時々考えるんですが、たぶんそれはレベルダウンした何かが出てくるのではないかという気がするんです。といいますのは、自由化路線で規制緩和しますと、規制緩和は専門性緩和というのが私の持論ですが、必ずそういう例外が出てくるのではなかろうかと懸念するというのが、大きな問題の二つ目です。
  細かい問題で言いますと、新聞で、高校中途退学が増えたという記事で、高校中途退学が何か悪いことのように書かれているのです。中途退学という法令用語はないので、マスコミが使うのは勝手ですが、文部省ではあまり中途退学という言葉を使われないほうがいいのではないかと思います。むしろ転学と言うべきなのに、高校に行くのが善で、それから外れるのはみんな悪のような、そういう社会的風潮は直さなければいけないと何度も書いたりしているんですが、なかなか認めてもらえないんです。それを考えますと、ここでは縦の接続をやったんですが、横の接続というのか、連絡というのかわかりませんが、転学とか、そういう観点がどうなっていたかなというのをちょっと反省いたしました。
  それから、細かい問題の2番目ですが、今度の答申の目玉の一つに、「アドミッション・ポリシー」がありますが、大学が入学者受入方針を出す、これは非常にいいことだで、当面はいいのですが、五、六年たちますと、数の上ではどの大学でも入れるようになるということは、学生に迎合したアドミッション・ポリシーが出てきやしないか。これも例外になるかもしれません。そういう懸念を若干持っております。
  最後に、最近感じていることですが、ほかのところでも言いましたので繰り返しになるかもしれませんが、最近の教育を見ていますと、いつから教育が経済の植民地になったのかという気がするんです。企業の人から人材の養成、これはわかるし、私も当然そうしなければいけないと思うのですが、学者とか、研究者までが教育にマーケティング理論とか、市場性とか、そういうことを言い出して、これはどうなっていくのか。むしろそういう社会の変化に対応する教育というのは、社会の変化に適応する教育に堕しているのではないか。そうではなくて、教育というのは、社会の変化を創造するようなことをやらなければいけないのに、それがどうも不十分なような気がします。
  社会の変化に対応するというと、必ず情報化、国際化、何とかと出てきますが、社会を構成する人間がどう変わったかということをだれも言わないんです。教育というのは人間形成を目指しているのに、社会変化と社会を構成する人間がどう変わったか。例えば具体的に言いますと、豊かな社会になって、教育があらゆる点でおかしくなっているんですが、豊かさと教育についてといったような発想での研究がどうもないような気がするんです。いずれにしましても、社会を変革すると言うと大げさになりますから、社会を改造するような教育を皆さん心では思っていらっしゃるのでしょうが、そういうことをもう少し強く考えていく。自分の反省をも含めてですが。
  最後に、他の委員の方がおっしゃった「教育の日」の話ですが、私も賛成です。どこかに書いたこともあるんですが、栃木県で「教育の日」というのをやっていますね。

○  基本的には私も、多くの委員から指摘されていますように、初等中等教育と高等教育の役割を明確にした  ―これまでも教育課程審議会の答申とか、学習指導要領に、幼稚園、小学校・中学校・高校、大学を含めて、目的なり目標が明記されていたとはいえ、接続を重視するという立場に立って、それぞれの学校段階の役割をある程度体系的に明確にした答申は、最近見られなかったので、そういう点では大変よかったと思っております。
  なお、特に高等学校について、同年齢の97%が進学するという状況を踏まえて、「国民皆教育機関」という表現で位置づけているというか、状況的にはいろんな形でそういうことを言ってきたんですが、文部省の審議会として、現在の高等学校がすべての国民に開かれた今、だれもが進学できる国民的な皆教育機関というふうに明確に位置づけたことは、今日的な意義が高いのではないかということが一つ。
  特に「第6章」で、学校教育と職業教育との連携、接続ということを取り上げたのも、私の知る限り、数ある審議会の中でも本審議会の答申が初めてではないか。とりわけ現在、一つは、ここにも書いてありますけれども、フリーターの問題とか、あるいは今の企業のリストラという中で、高校卒業にしても、大学卒業にしても、就職内定率が戦後最悪を更新しているという中で、12年間なり16年間の教育を受けて、自立した社会人として職業生活に就き、家庭を築いていくということからいって、学校教育と職業教育の接続、連携というのは重要な課題であります。具体化という点では、まだ細かく記述されておりません。文部省内でも協力者会議がスタートしているということでありますので、今日的な就職難、あるいは一方でのフリーター志向という中で、正しい勤労観とか、職業観について、小学校の段階から発達段階に応じてキャリア教育を重視して、協力者会議等でこの答申を受けてもう少し具体的な施策として肉づけをしていくことが、今日的に急がれなければならない課題ではないかと思っております。
  私も、会長が強調されていますように、答申されたものがいかに具体的な施策として実施されていくのかということについて、それをレビューし、もし具体化しない場合は、何が問題で、要因がどこにあるのかということについてのフィードバックをしながら、さらに次の政策を考えていくということで、文部省で、これまでの数ある答申がどういう状況になっているのかということについて、早い機会に、レビューした結果について、できれば中央教育審議会にもぜひ提示をしていただきたい。
  それから、これは要望ですけれども、教育に対する関心が非常に高まっているし、また21世紀のこれからの日本の社会の国際化の中で生きていく方向をより確かなものにしていくために、教育は非常に重要であると一般的にだれもが言っていらっしゃるわけです。昨今の少子・高齢化の問題で、介護保険の問題、あるいは医療改革、年金改革、いろいろ社会保障についてはかなり議論されまして、数千億から何兆円という相当多額の金ですが、新しい制度化に伴ってこの財政難の中でも、介護保険にかかわって国が負担をするというようなことが数千億単位で出されてきます。やはり福祉と並んで教育についても、もっと具体化していくためのいわば先行投資的な、クリントン政権でも教育を重視して、具体的に教育条件の整備等について国が相当な公共支出をしているということから考えて、そうした点についても政府全体として、あるいは国会等でもぜひ検討していただきたいと思っております。
  なお、昨今のいろんな状況を考えて多少気がかりな点は、いろいろ提言がなされて、日本の教育を変えようとしている、また現に変わってきていることについて、多くの国民が認識し始めていますけれども、私自身も含めてかもしれませんが、小学校・中学校・高校、大学を含めて、社会や時代の変化に対して学校がどう対応していくかということについて、現場の教職員の戸惑いみたいなものがまだあります。私も現場に近いところで学習会の講師等で呼ばれていく機会が最近多いのですが、総合学習の問題一つをとっても、早くマニュアルを示してくれないとだめだという姿勢が、学習会の席上でかなり強く出たりしますので、全体としての改革の方向性、理念が現場に必ずしも定着していないのではないかということが非常に気がかりであります。反面、現在の多様化、あるいは規制緩和による自由化も教育の分野で取り入れていかなければならない点もあります。その一方でまた、人間として、社会人として自立していく上での共通に身に付けるミニマムエッセンシャルズという意味での教育における公共性という問題について、多様化、自由化、規制緩和という大きな流れの中で、果たして競争原理だけで教育の再生が可能なのかどうかというところについて、これからの教育のありようとかかわって相当議論をする必要があるのではないかということを、今後の課題の一つとして問題意識を持っていることを申し上げておきます。
  総会、小委員会を含めまして、意見をいろいろ言う機会を与えていただきましたし、全体としてはよく調和のとれた答申に最終的にはなっていると思っていることを申し上げまして、感想にかえさせていただきます。

○根本会長  どうもありがとうございました。
  それでは、佐藤事務次官、何か一言いかがですか。

○佐藤事務次官  大変すばらしい答申をちょうだいしまして、心より御礼を申し上げたく存じております。
  多くの委員の皆様方からお話がございましたように、それぞれの学校段階の役割分担をきちんと整理していただいたということは、大変大きな意味合いを持っていると思ってございます。臨時教育審議会以来、初等中等教育の改革につきましては、教育課程審議会、その他の場におきましてカリキュラムの改革、「生きる力」というものを目指した改革が行われましたし、また中高一貫といったようなシステムも導入されてまいりました。一方、高等教育のほうは、大学審議会を舞台にカリキュラムの弾力化でありますとか、あるいは専門大学院の提案などが出てきたわけでございますが、いかんせん両方のつながりぐあいがいささか不明確なところがございまして、どちらもそれまでの既存の入れ物の建前を前提に議論をしたような場面がございます。したがって、進学率の増加に伴って実態と建前が随分ずれていることをもう一度直視して、役割の整理をすることが今後いろんな議論をする上でも絶対に必要な作業だと私は思っておりまして、そういった意味で、今回の作業は本当にありがたく思うわけでございます。
  中間報告などで、あまりプレスにはいい評判を得られませんでしたが、これは私にも責任がありまして、むしろ最初のころから、接続は入試の議論ではなくて、まさに先ほどお願いしたようなことをぜひ進めてほしいと申しまして、入試につきましては、今回、その役割分担からきて、大学側からカリキュラムの接続を考えた注文が出せるとか、いろんな画期的な中身の答申をいただいておりますが、一般的な入試を見る目から見ますと、特効薬の処方せんがなかったと思われているのかもしれません。
  これは私がこういうことを言うのが適当かどうかわかりませんが、14期の中央教育審議会で残念な思いをしたことがございまして、14期の中央教育審議会は臨時教育審議会の直後に開かれた中央教育審議会でございますが、4年制の高等学校というやや変わった諮問をいたしました。この心は、高等学校の実態が随分変わったので、その在り方を見直してくださいという心だったのですが、4年制の高等学校はどうですかという質問でしたので、いや、4年制の高等学校はあまり意味がないよと簡単に御結論をいただきまして、むしろそれ以後、入試の議論にものすごいエネルギーを割いていただきまして、結局、何となく高等学校の本質的な議論が続けられなかったということもございました。今回、入試の出口の難しい議論に入り込んでしまうことがないようにという希望を強く持っておりまして、いろんなところでそういうことをお願い申したということもございまして、あるいはプレスの評判が悪いということになったのかもしれません。その辺は私も責任があるように思いますけれども、本当に今回の答申の中身は、今後のために効いてくる中身であると思うわけでございます。
  ところで、教育改革は2種類ありまして、一つは対症療法的な、西洋医学的と申しますか、あるいは激しく言えば頓服ですが、校内暴力やいろんな事件が起きたときに、それに緊急に対処するのにどうしたらいいのかということをお願いいたしますことも多うございますが、むしろ漢方薬と申しますか、体質を改善して、きちんと全体を整えていくというほうが中央教育審議会に主としてお願いしてきた多くの改革案であろうと思っております。そういった意味で、改革の中身が直ちに効果を示したりということにはなりませんで、多くのいら立ちを生んではございますが、辛抱強い作業を続けることによって、やっと体質が変わっていくのではないかと思っているわけでございます。
  今日、漢方薬と頓服の併用でいろんな対応をしているわけでございますが、考えてみますと、世の中の急激な変化、社会の変化によりまして、果たして今の漢方薬も成分がそれでいいのだろうかという新たな問題が若干生じているように思うわけでございます。漢方薬そのものも時に見直さなければいけないのかなということも感ずる昨今でございます。ただ、これは大変心静かに議論をしなければいけない話で、直ちにそれから具体的な処方せんが出てくるというよりは、物の考え方の整理にじっくり取り組むようなことが、いずれかの場所で必要になってくると感じているということを申し添えまして、御礼にかえさせていただきたいと存じます。どうもありがとうございました。

○根本会長  どうもありがとうございました。
  それでは、河村総括政務次官、お願いいたします。

○河村総括政務次官  いろいろ貴重な御意見を加えていただきましてありがとうございました。私も10年前に国会議員になって以来、文教政策に携わってきましたが今日初めて直接この席に座らせていただいて、大変うれしく思っております。
  これまで私どもは、日本の教育は少なくとも世界に冠たるものだという思いできておったんでありますが、皆さん方の意見をいろいろ聞いてみて、またさっき申し上げました経済界の方々の意見を聞いてみても、「いや、そんなことを言っておれないよ」という指摘が高まっておるわけでございます。これまではこれでよかったかもしれないが、既にいろんな意味でおくれをとっている。もちろん世界各国も教育改革だということですから、いよいよ来年は教育サミットを日本で引き受けるということになって、今、その準備が進められておるわけでございます。
  そんなことを考えますと、これからの競争に日本が勝ち残っていく、どうしてももう1回教育をという、それが国民的課題にもなってまいりました。その一番のよりどころとして、文部省はこれまでも中央教育審議会の皆さんの意見を中心に政策を進めてきたわけでございますが、先ほど来御指摘のように、これを少しスピードアップして、実際実効あるものにすることが大事になってきた。また、国民にもそういうことがもっとはっきりわかるように示していく必要が出てきたという思いを抱いております。
  それから、教育というのは、経済界に確かに奉仕した面もありますが、もっと深いところでなされていかなければいけない。今の若い者と言うと、私もその部類に近いのでありますけれども、いろんな面で昔の教育を受けた方と比較するときに、深い素養が非常に不足している。皆さん方ですと、例えば漢文であるとか、和歌であるとか、いざというときにはみんなそういうことをおやりになりますが、今の若い人にそんなことをやれと言ったって、なかなか……。こんなことで世界に行って、世界の首脳と互角にこれからやるような時代になる、政治家にしてもそうでありますが、こんなことができるんだろうかという心配もあるわけです。やはりきちっと教えるべきことを教えていく必要があると思います。
  最近は情報化でありますから、子どもたちを見ておっても、私どもから見れば、くだらんというようなことが大事になっていて、芸能界のこととか何とかは非常によく知っている。しかし、実際に知ってほしいようなことは知らない。例えば歴史的なこととか、教養的なことを知らないということが現実に起きておりまして、そういうものをどうするかという問題で、先ほど御指摘もあったように、現場の先生方も再教育しなければいけないのではないかという声もございます。これも当然やらなければならん。教員養成審議会のほうからもそういう御指摘をいただいておるわけでございます。
  それから、教育条件の整備の問題にしても、既に大学審議会等々からも、要するに教育現場の教育投資、特に高等教育において世界の各国と比べたときに、GDP比からいっても、日本の教育予算は低いという御指摘がございます。これなんかもこれまで教育に金をかけたつもりで、我々政治家もおったわけでありますが、事実そうでないという現実も突き付けられております。そういうこともやらなければなりません。30人学級の問題一つにしても、一つのネックはお金の問題であります。しかし、お金の問題で片がつくんならやれないことはないはずでありますから、そういう問題ももっと真剣に考えていかなければいけない時代を迎えていると思っております。
  今回いただきました答申でいろいろ御指摘されていることを、早く具体的に実行に移すように、我々としても最大限努力をする。これは当然のことだろうと思いますし、そのスピード化も当然やらなければならんと思います。
  エリート教育一つにしても、今まであまりそういうことを考えていなかったところがあります。何かそういうことをやることは悪いことのような、いわゆる画一的教育というのが蔓延してしまいまして、条件は確かに一緒でいいんですが、機会均等でいいんですが、結果はいろいろ違ってくる。人の能力によっていろいろな結果が出るということを、もっともっと教育の現場が意識してもらいませんと、ともかく画一的に、画一的にということでやってきて、何かエリートをやるのは悪いことのような、ややもするとそういう風潮さえあるような状況が、あったのではないか。そんな反省もしながら、教育基本法の問題についても、我が党でも深刻に考えておりますが、あの中のことは全部悪いことが書いてあるとだれも言っているわけではない。いいことが書いてあるけれども、現実にそれが実行されていない。人格の陶冶の問題等々も大事なことでありますけれども、それが本当に教育に生きているかどうかということも踏まえてやるということであります。
  これまでの皆さんの大変な御努力に改めて敬意と感謝を申し上げ、ともかく実行に移すことに全力をかけますので、皆さん方からも「遅いじゃないか。何をしておるんだ」とこれも叱咤激励をいただきますように、お願い申し上げる次第であります。ありがとうございました。

○  最後に、今まで言ってきたことの中で2点ほど、私から抽象的なことを申し上げたいと思うのですが、一つは、皆さんから御指摘のありましたように、こういう大変化の時代に対応するためには、右往左往するのではなくて、基本に戻るという姿勢が一番大切だと思っております。基本に戻るということを考える際に、情報通信革命とか、市場経済とか、いろんな大きな波がまいりますけれども、そういった変化する事象に対して、何十万年も、あるいは何千年も、何百年も変わらざるもの、人間社会にとって大事なものは何かというものを追求する態度が必要ではないかとかねて思っているわけでございます。
  そういう観点からいたしますと、今の日本社会が遭遇しているマイナスの問題というのは、これは言うなれば文部行政の外にあるような、一種の文明病というように思っております。当然、教育の問題がこれに直接・間接に関係はしてまいりますが、戦後の日本、あるいはアメリカを初めとして先進国が同じように悩んでいる文明病、そして、経済あるいは文明がある水準に達すると、その社会の人々の精神状況がやわになっていくということではないかと思うのです。
  そこで、一番の問題はやはり家族と、それから地域社会という問題が非常に大きな問題として浮かび上がってくるのではないか。したがいまして、家族と地域社会の連帯がなければ、どんな教育改革、ビューティフルな改革案を出しても、私は実現しないと思っておるわけでございます。これはまた河村総括政務次官の御意見もそうでございましょうけれども、政治と関係するところも非常に大きい。また、我々の経済界とも関係するところが大きいと思います。この文明病を日本が克服していければ、21世紀において再び日本は輝いた社会になっていくのではないかと思っております。それを教育的な見地からどのように考えていくのか、そんなような問題意識を持っております。
  特に個性重視ということが臨時教育審議会以来、あるいは今お話のございました教育基本法以来言われてまいりましたが、それはあの終戦後のいろいろな状況の中で、個性を重視しなくちゃいけないというものがあったわけですが、一方において、個に対する集団というか全体というか、あるいは自分に対して他人と連帯していかなければいかんといったような教育が本当に行われていたのかどうかということについて、個人的に疑問を持っております。これから21世紀に向かっては、仏教の言葉に「自他不二」という言葉がありますが、自分と他人は二つではない、そういったような抑制のきいた子どもたちを育てていく必要がある。幼児の場合は、御案内のとおり、絶対的な自己主義でございます。泣き叫べば、母親がそれに同調してくれる。成長するに及んで、自分のほかに他というものがある。他との対立を感ずるようになる。緊張を感ずるようになる。そうすると、自分だけではやっていけないということで、自分と他人との融合ということに気を使って、社会とか、あるいは公とか、そういうものに配慮するような子どもに本当はなっていくべきでございますが、その一種の弁証法的な発展過程が日本の教育において適切に行われてきているのかどうかという点で、私、自分の孫を見ながらいろいろ考えるところがございます。そういった一種の文明病の克服を我々は心しなければいけないということを、21世紀、2000年を目前にしまして感じておるところでございます。どうも大変失礼なことを申し上げましたが。
  それでは、長いことお付き合いいただいて1年間作業してまいりましたが、本日の会議はこれで終了いたします。
  どうも本当にありがとうございました。

(大臣官房政策課)

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