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中央教育審議会

 1998/4 議事録 
中央教育審議会第214回総会 (議事録) 

       中央教育審議会  第214回総会議事録

    平成9年9月30日(火)10:00〜12:00
    霞が関東京會舘    34F    ロイヤルルーム


      1.開    会
      2.議    題
          今後の地方教育行政の在り方について
      3.閉    会

     出  席  者
委員 専門委員 事務局
有馬会長 油井専門委員 町村文部大臣
薄田委員 安藤専門委員 森田文部政務次官
河合委員 佐々木(初)専門委員 長谷川生涯学習局長
川口委員 里中専門委員 辻村初等中等教育局長
木村委員 シェパード専門委員 御手洗教育助成局長
河野委員 末吉専門委員 佐々木高等教育局長
國分委員 那須原専門委員 工藤体育局長
小林委員 山極専門委員 徳永地方課長
木委員 和田専門委員 富岡総務審議官
田村委員    杉浦政策課長
俵  委員    その他関係官
土田委員      
横山委員      


○  ただいまから中央教育審議会第214回総会を開催させていただきます。
  本日は、後ほど町村文部大臣に御出席をいただきまして、「今後の地方教育行政の在り方について」、新たに大臣から諮問をいただくことに予定をしておりますが、閣議の御都合により、到着されるのが若干おくれます。大臣が御到着され次第、諮問をいただくとともに、諮問理由について御説明いただくことにいたしたいと思います。
  正式な諮問につきましては、大臣がお見えになってから諮問文を手渡していただきたいと思いますが、あらかじめ諮問文を事務局から朗読していただきたいと思います。
(事務局が諮問文を朗読)
  それでは、自由討議を始める前に、事務局のほうで参考となる資料を用意してくれておりますので、説明していただきたいと思います。
  地方教育行政の在り方につきましては、本年1月に「21世紀に向けた地方教育行政の在り方に関する調査研究協力者会議」が文部省に設置され、以来、論点整理等が行われてきているところです。本審議会におきましては、同協力者会議で行った「論点整理」を基礎的な資料として参考としながら、これにとどまらず幅広い観点から、この問題についての最終的な方針を御討議いただくことになろうかと思います。
  そこで、去る9月19日にまとめられました同協力者会議の「論点整理」の概要を今後の審議の参考としていきたいと思いますので、後ほど御説明をいただきます。
  また、本日は、地方教育行政制度について初めての審議を行うために、地方教育行政制度の概要についてもあわせて説明を行いますので、お聞き取りいただければ幸いでございます。
(事務局から説明)
  町村文部大臣、森田政務次官が御到着になられました。
  町村大臣、森田政務次官から、諮問文の手交及び諮問理由の説明に先立ち、御挨拶をいただきたいと思います。

◎町村文部大臣    文部大臣の町村でございます。けさ、閣議がございまして、遅くなりましたことをまずおわびを申し上げます。
  この中央教育審議会の総会に出席をさせていただきますのは、就任以来初めてでございますので、一言だけ御挨拶をさせていただきます。
  審議会の皆様方におかれましては、平素から我が国の教育の在り方につきまして、基本的な問題が数多くあるわけでございますが、熱心に御審議をいただき、また御答申もいただいておりまして、皆様方の御協力に、まず心から感謝をしております。
  つい先般、8月4日に、「幼児期からの心の教育の在り方について」、これは前大臣からでございますが、既に諮問をさせていただいたところでございますが、本日は、後ほど私のほうから御説明をさせていただきますけれども、「今後の地方教育行政の在り方について」ということで、改めて諮問をさせていただきたいと思っております。
  何といいましても、今まで文部省の行政に対するいろいろな批判の中に、あまりにも中央集権的であるというような批判もあったかと思います。今、地方分権の時代を迎え、特に初等中等教育の段階で、地方の時代といいましょうか、地方における教育をいかに生き生きとやってもらうか。裏返せば、文部省がどこまで、特に初中段階の教育に関与していったらいいかという、ある意味では基本的な、戦後の日本の教育の在り方について、皆さん方にひとつお考えをいただければと、こういうことでお願いをするわけでございます。
  橋本内閣も「六大改革」ということで、教育改革がその一つになっております。昨日も衆参の本会議で、その基本方針の御説明を所信表明という形で、国民の皆様方にお話をしたわけでございます。この中央教育審議会の皆様方にはいろいろな面で御労苦をおかけしているわけでございますが、ひとつすばらしい御答申をいただきますよう、大所高所からの御意見を賜りますように心からお願いを申し上げまして、就任の御挨拶にいたします。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

○  それでは、引き続きまして森田政務次官より御挨拶を賜りたいと思います。お願いいたします。

◎森田文部政務次官    皆さんおはようございます。文部政務次官の森田でございます。
  今後の教育において、幼児期の心の教育が非常に大事であるということは、常日ごろから言われております。また、それと同時に、今後の教育においては、家庭、それから学校、そして地域社会が一体になって、教育に当たっていかなければならない、そのように言われています。また、最近は何か事あると、責任転嫁にどうしても走りがちでございます。そうであってはならない。自分の立場をしっかりと認識し、自覚し、そして子どもたちのために、教育のために、私たちは当たらなければならないと、そのように認識しております。
  どうぞ皆様の積極的な御審議をよろしくお願いを申し上げます。ありがとうございました。

○  ありがとうございました。
  それでは、これより町村文部大臣から、本審議会に対して新たな諮問をしていただきたいと思います。その後、大臣からは諮問理由の御説明をいただきたいと思いますが、まずは大臣、それでは諮問文を手交していただければ幸いです。

◎町村文部大臣    次の事項について、別紙理由を添えて諮問いたします。
      今後の地方教育行政の在り方について
        平成9年9月30日
                                  文  部  大  臣    町  村  信  孝


○  それでは、文部大臣より諮問理由について御説明をお願いいたします。どうぞよろしく。

◎町村文部大臣    本日は、御多忙のところ、御出席をいただきましてありがとうございます。
  我が国が豊かで活力ある社会として発展していくためには、すべての社会システムの基盤である教育について、その改革を一層推進していくことが強く求められております。
  先般、中央教育審議会からは、「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」2次にわたる答申をいただき、[ゆとり]の中で子どもたちに[生きる力]をはぐくむことを目指し、個性を尊重した教育を展開していくという今後の教育の在り方をお示しいただきました。このような基本的な考え方に立って教育を展開するためには、今後、全国各地域において、教育行政機関、地域社会、学校、家庭のそれぞれが手を携え、教育改革を積極的に進めていくことが不可欠であり、そのために地方教育行政が果たすべき役割は極めて重要であります。
  さて、教育委員会制度を中核とする我が国の地方教育行政制度は、教育行政の中立性と安定性の確保を図りつつ、教育の機会均等の実現や教育水準の維持向上などに大きく寄与してきたところであります。しかしながら、来年で教育委員会制度発足50周年を迎える今日、地方分権の推進などの理念を踏まえつつ、新しい時代に対応すべく、地方教育行政の在り方全体の見直しを行い、教育委員会等がより一層主体的かつ積極的な行政を展開できるよう、改善を図っていくことが必要となっております。
  このような観点から、先ほど事務当局が朗読中であったんでしょうか、今後の地方教育行政の在り方について諮問することとした次第でありますが、今後の審議に当たり、特に留意していただきたい点について申し上げさせていただきます。
  まず第1は、主体的かつ積極的な地方教育行政の展開方策に関してであります。今後、社会の変化、時代の進展へ迅速かつ積極的に対応するとともに、地域の特性を生かした教育を一層推進し、地域住民の多様な要請に応え、地域の振興に寄与していくためには、都道府県や市町村がより主体的に施策を展開していくことが不可欠であります。このため、教育行政における国・都道府県・市町村の役割分担や関与の在り方を全面的に見直すとともに、地方教育行政に地域住民の意向を反映する様々な仕組みについて検討していただきたいと存じます。また、地方分権推進委員会の勧告を踏まえ、教育長の任命承認制度の廃止と教育長に適材を確保するための方策について、教育委員会の機能の一層の充実という観点から御検討をお願いいたします。
  第2は、学校等教育機関の役割と運営の在り方に関してであります。今後、学校においては、地域や子どもの実態に応じて工夫を凝らした特色ある学校づくり、また、保護者をはじめとした地域住民に開かれた学校づくりを進めていくことが重要であると考えます。そこで、学校の自主性・自立性の確立という観点から、教育委員会の学校への関与の在り方を見直すとともに、学校運営において校長がリーダーシップを一層発揮できるようにしたり、保護者や地域住民の意見を反映したりする仕組みなどについて、幅広く御検討いただきたいと存じます。
  第3は、地域住民との連携協力に関してであります。地域の特性を踏まえた活力ある教育を展開するとともに、生涯学習や文化・スポーツの振興を図り、地域の教育力を向上させるためには、学校や教育行政機関と地域住民とが一層連携協力を図っていくことが重要であります。このような観点から、学校の教育活動や文化・スポーツ・青少年団体等の活動への支援などに地域住民の協力を得るための仕組みについて幅広く御検討いただきたいと存じます。
  以上、今後の審議に当たり特に御留意をお願いしたい点について申し上げましたが、検討に際しては、できるだけ幅広く関係者の意見を徴され、地方分権に係る政府全体の動向などに十分留意しつつ、様々な観点から審議を深めていただきたいと思います。
  会長、副会長を初め、委員の皆様方におかれましては、以上のような趣旨をおくみ取りをいただき、十分御審議くださるようお願い申し上げまして、私の御挨拶といたします。どうぞよろしくお願いを申し上げます。大変にありがとうございました。

○  大臣、政務次官は公務が大変御多忙でいらっしゃいますので、ご退席になります。
  それでは、今後の審議会の公開方法についてお諮りしたいと思います。本審議会は、これまで、詳細な議事録による公開を行うことといたしました。会議そのものは、しかしながら非公開をするといった方針で運営をさせていただいた次第であります。
  私といたしましては、運営懇談会のメンバーの方々とも御相談し、今回の諮問に係る審議においてもこうした方針を踏襲し、詳細な議事録による公開を行い、会議そのものは非公開とすることについて、改めて御確認いただきたいと存じます。会議を非公開とする理由につきましては、今後の地方教育行政の在り方につきまして、幅広い観点から審議を深めるためには、各地方公共団体における特定の組織、団体等の活動や特定の事例等を取り上げ、評価などを行うことが不可避でございます。会議そのものを公開した場合、そうした率直な発言ができなくなるという危惧がございますので、会議そのものは非公開といたしたいと存じておりますが、いかがでございましょうか。
  なお、従来と同様、会議終了後に記者会見を行い、審議の概要について私から御説明いたしたいと存じておりますが、「幼児期からの心の教育の在り方について」の審議と同様、マスコミ関係者の参考用といたしまして、審議の概要を簡潔に整理したメモを配付したいと考えております。その作成につきましては、私に御一任いただければ幸いでございますが、いかがでしょうか。
  この2点に関しまして御相談申し上げる次第であります。御了承賜れますでしょうか。
  ありがとうございます。それでは、そのような方針で対処いたしたいと思います。
  ただいま申し上げたようなことで、会議そのもは非公開にさせていただきますが、その日の記者会見の際に、この会議で行われました審議の内容について、なるべく詳しく説明をいたしたいと思っておりますので、この点、御了承賜れれば幸いでございます。
  それでは、今後の地方教育行政の在り方について自由討議に入らせていただきますが、討議に先立って、今後の審議の進め方についてお諮り申し上げます。
  まず、今後の地方教育行政の在り方につきましては、拙速を避けて幅広い観点から議論を行う必要がありますが、先月改訂されました「教育改革プログラム」におきましては、その審議スケジュールについて、「教育長の任命承認の廃止と教育委員会の活性化方策等については、平成9年度中を目途に取りまとめる」とされているところであります。これに関しましては、文部省当局から、「平成10年の通常国会が終了するまでのできるだけ早い時期に地方分権推進計画を作成」するという、政府全体の地方分権推進のスケジュールを踏まえたものであるとの説明を受けておりますが、その趣旨はよく理解できるものであろうかと存じます。したがいまして、私といたしましても了承した次第でございます。したがって、今後、「教育改革プログラム」に掲げられた審議スケジュールを念頭に置いて、教育長の任命承認の廃止や教育委員会の活性化方策等スケジュール等が設定されている事柄につきましては、本年度中をめどに何らかの形で審議の成果を取りまとめることといたしたく、精力的に審議を進めていきたいと存じておりますので、よろしくお願いいたします。
  次に、前回の総会で了承いただいたとおり、今後、二つのテーマについて並行して審議を行っていくことから、具体的な審議を深めるため、小委員会を設けて議論を行うこととしたところでございます。「幼児期からの心の教育に関する小委員会」につきましては、9月19日から既に発足いたしたところでございますが、これに加えて、本日の諮問に対応して、「地方教育行政に関する小委員会」を10月6日から発足させたいと考えております。
  また、幅広い観点から、今後の地方教育行政の在り方に関する審議を深めますために、専門委員を追加することとし、会長として事務局と相談の上、第1回小委員会までに文部大臣から新たな専門委員を任命すべく、準備を進めてまいりたいと考えているところでございます。
  したがって、「地方教育行政に関する小委員会」は、現在の委員・専門委員のうち、この小委員会に所属することになっている方々と、新たに発令される専門委員の方々によって構成し、具体的な審議を進めていただくことをお願いいたしたいと思っております。
  なお、前回の総会で説明いたしましたとおり、委員・専門委員の小委員会への分属を明確にいたしまして、所属する以外の小委員会への御出席を御遠慮いただくとともに、総会につきましては、委員の方々は全員に御出席いただきますが、専門委員の方々につきましては、大変失礼と存じますけれども、その時々の審議事項に応じて御出席をいただくかどうか、私が会長として審議の状況を見ながら考えさせていただきたいと存じます。
  こうした取り進め方で御了承、御理解賜れますでしょうか。いかがでございましょうか。  ありがとうございます。
  それでは、今後の地方教育行政の在り方について、自由に御意見をいただきたいと存じます。諮問内容につきましてまず御質問があれば、それについてもどうぞ御発言いただければ幸いです。

○  「論点整理」の一番最後に書いてあることなんですが、地域コミュニティーとか、教育に関して、大学がもっと積極的に連携していくほうがいいのではないかと思います。国立大学の教官が今まで連携するという場合は、一度講演して帰ってしまうということが多いので。
  だけど、1回の講演というのは、だれでもいいことが言えます。そうじゃなくて、もっと入り込んだ連携、一緒に悩んだり考えたりするような連携をもっとやるべきだと思っております。

○  2点ほどあります。
  一つは、最近、保育園に関して法律が変わって、自由になりまして、どこの保育園に行こうかというのをこちらから選べるということになっておりますけれども、小学校、中学校ぐらいまで、一定の地域の中でそれぐらいの自由があるようになってもいいのではないかというのが1点です。
  それから、教育長ですけれども、これから高齢化社会にもなりますし、識見もあり、かつ時間的に余裕のある方が、肉体的な年齢としては若くというより、精神的な年齢としては若くと申し上げたほうがいいかもしれませんけれども、大勢、各地域にいらっしゃるようになるので、できるだけ教育に対する関心をかき立てるようなことをそれぞれの地域でやっていただければ、おのずからすばらしい方が選ばれるようになるのではないかと思います。

○  どこの国でも、教育を所掌している中央政府と地方公共団体のかかわりの問題は非常に大きいように思います。どの国でもあまりうまくいっているとは思われませんけれども、外国の例を少し参考にしてみるのもいいのではないでしょうか。
  もう一つ、地域住民との連携協力の問題については、心の教育の小委員会も大いに関係してくるところだと思っています。教育ということになると、日本の場合は聖なるものという感じがあって、お金というものをあまり介在させないような雰囲気があるんですね。しかし、フランス、英国、ドイツなどを見ていますと、こういうものも民間の活力を利用して、経済的にペイをするような形でやっていますね。ボランティアだけというのは  ―もちろんボランティアの方の協力も必要だと思いますけれども―  とうてい無理なことで、社会の仕組みとして経済的にペイするような形にしていく必要があるのではないかと思っています。
  もう一つ、長のリーダーシップについてですが、これを発揮させるためには、それなりの大きな権限を与える必要があろうと思います。もちろん、それがネガティブの効果を生むこともありますが、今まで日本人は、みんなで渡れば怖くない方式でやってきたのですが、そういう時代は済んだのではないかと思います。見識の高い方に長になっていただいて、その方がリーダーシップを発揮できるようなシステムを日本の社会につくっていく必要があるのでないでしょうか。

○  実務的にというか、実質的なことはあまりよく知りませんので、印象論だけで、的外れかもしれませんが、私の友人で市町村の教育長あるいは教育委員等を仰せつかっている人の話を聞きますと、もちろん建前は非常勤で、ここにも言葉が書いてありますが、「レイマン・コントロール」という言葉が使われる現状で、形式だけ整えられているけれども、教育委員の方々が自立的・主体的なアクションあるいは発想で、いろいろな議論に関与する部分がほとんどないのではないか、そんな感想みたいなことを聞いたりしたことがありましたので、その辺のことが一つのポイントではないか。
  もう一つ、これは論点メモにも整理されて書かれておりますが、市町村の規模の違いによりますが、一市町村の中に小学校一つ二つ、中学校一つぐらいの市町村から、何十あるいは100を超える以上の……。そういう意味では、広域化といいますか。このニーズは、もちろん教育の分野だけではないわけですけれども、教育の分野でも、効率というのはどれだけ入っていいのかどうか難しい面もあるのかもしれませんが、この広域化という発想はかなりのレベルで、今後、入れていく必要があるのではないかと思います。

○  教育委員会が、たった5人だということを初めて知ったとき、それまで抱いていた教育委員会というもののイメージと、5人の非常勤というのがすごくイメージの落差があったことを思い出しました。たぶん地域の方々も、もっとたくさんの委員の人がやっているのではないかというイメージを持っているのではないかと思いました。つまり、一律5人というのは、いかにも少ないようなイメージを持ちました。
  それと地域との連携を密接にしていくということから言うと、選ばれるところから何らかのかかわりを地域の方々と持つべきなんじゃないかと思います。私は学生時代、中野区に住んでいたんですけれども、選挙で勝手にと言ったら変ですけれども、選挙で立候補する人がいて、「私はこんな教育をしたいんです」というふうなことを街角でいろいろ語りかけていたりして、それはここに書いてある法律とは全然違うので、それがどういう形になったのか、その後わかりませんが。何らかの形で、こういう考えを持った人が、こういう経緯でなったんだということがオープンにわかったほうが、その後の運営もスムーズにいくのではないかと思います。

○  今まで行政というと、攻撃の対象になったり、違ったイメージで見られることも多かったのですが、こと教育行政に関しましては、いろんな議論を煮詰めて具体化していくためにも、具体的な教育行政の在り方が非常に重要だと思います。教育委員会、あるいは教育長の制度が根づいたものになっていくことは好ましいのですが、先ほどのお話の中にもありましたように、それぞれが独立した形で運営できるのかどうかが非常に心配です。選挙でやれば独立だというのも問題でございます。要するに運営よろしきを得ることが肝心だと思います。
  特に教育予算につきましては、どこかからちょうだいするかという発想も当然あるわけで、そこにはいろんな葛藤も生じてきます。政治的配慮もできてくるわけで、その在り方は、コミュニティーの大小とか、地域差あるいは貧富の差も具体的にあるわけですから、一律には言えない。それに国家的な見地から考えていくことも必要です。地域限定で合意された理念を実施、実現する教育行政を、特に教育委員会に極限して考えるとすれば、具体的にある程度の教育税をコミュニティーで認めて、各地方自治体が独立に徴収していく。そうすると、自分たちで自分たちの教育をやっているんだという認識も高まってまいりますでしょうし。ただ、なかなか難しい問題だと思いますが。
  もう一つ、追加させていただきたい。学校行政に権限を持っていただく校長先生は当然専門家が当たるのは当然ですが、教育長の場合には、校長経験者だけから撰ばれるのではなく、むしろ教育畑の専門家でない人でも適材をすぐって教育長に思い切った選択をしていただきたい。
  行政というのは何の分野でもそうですけれども、命がけでやっていただける人―変なふうに命がけでも困りますけれども、とにかくそのぐらいの意気込みでやっていただける人が得られるかどうかにかかっております。正直言ってなかなか難しい。しかし、それなりに地方の信望を集める方たちがおられると思いますので、是非そういう観点からの方向づけをお考えいただければありがたいと思います。

○  学校管理規則について、私どものところでは、例えば校外活動実施届、勤務時間の割振りに関する届出、補充教材として副読本及びこれに類する図書の届出など様々な届出が求められております。校長が自信を持って創意ある学校経営を行っていく上でも、もっと校長の責任に任せる。校長の権限の拡大を行っていく必要があるのではないかと思います。

○  先ほどの意見を聞いておりまして、教育委員会というとものすごく大きな存在だと思ってきたわけですけれども、子どもを学校に預けている母親にとっても、いろんなことがどんなふうに決められているのか知らないまま、子どもを社会に出してしまう。それで、教育委員会がこう言ってるとか  ―本当は何も言ってなくても、こう言ってるとか、こう決まっているとか、誤解の上に成り立って時を過ごしているのだと思います。
  やはり、中野区で何か選挙で行われているようなことを聞いて、大変すばらしいなと思いましたが、地域の方々の協力も得るとか、連携してとかあっても、実際に各市町村に住んでいる人はどうやってかかわったらいいかわからないまま、年老いていく人がすごく多いと思うんです。これも日本人の癖なのか、教育の結果こうなったのかわかりませんが、わからないことを自分から聞きに行くという姿勢があまりありませんので、「私はこういうことを考えているんだが、こういうことはどこで生かせるんだろう」なんていうことをわざわざ聞く方はあまりいらっしゃらないんですね。
  ですから、各地域で、こういうものを投げかけるときに、例として選挙で選んでもいいですよとか、校長が気に入らなければみんなで取りかえてもいいですよとか、簡単な例を出して、冊子をつくって見せると、対応しやすいのではないか。こういう仕組みを何も知らない人間にとっても、わかりやすい形で投げかけていただければうれしいなと思います。
  あと、教職員免許をだれが与えて、なぜいつまでも有効なのか。途中で取り上げても構わないと。取り上げるという言葉は大変乱暴ですけれども、免許制度に関してもこれまでどおりでいいのかということも、いろいろと話し合いたいと思っています。

○  これはちょっと理論的なことになるかもしれませんし、ここ2年間のお話もこのコメントに含まれているかもしれませんが、最初から「ゆとり」のある教育、「生きる力」のある教育、一人一人の個性を尊重した教育、そしてきょうの文部大臣のほうからのお言葉の中にも、一人一人の個性を尊重した教育を全国各地域で活発に展開していくことが必要となっているとか、あるいはまた地方分権を目標としていろいろすべきであるとか、そういうことをずっと議論してまいりましたが、それを本当に発揮するためにどうするか、あるいはそれをどこまで持っていくかということは、ここの中であまり議論していないのではないかと思います。それを認識するためには、外国、あるいはほかの社会の中でどういうことをやっているか、対象になるようなものと比較するのが非常によいのではないかと存じます。
  例えば、教育委員会の場合でしたら、教育委員の候補が選挙に出て登用されるというのもいいんですが、権限がなければ何も意味がない。それと具体的に教育の中で最終的に我々が求めているのは、一人一人の学生、一人一人の人間の育成、教育のことですから、その一人一人の子どものニーズを満たした教育をしたい。しかし、それがどこまで一人一人のニーズを満たすのか、どこまで対応するか、というのは非常に難しいことではないでしょうか。
  例えばある一人の子どもの才能を見て、「この子は数学に非常にタレントがある」というので、その子のために特別のクラスを設けなければなりません。特にアメリカの高校生の場合には、その生徒が「すぐ近くのコミュニティーカレッジとか、大学の数学コースを取ることを検討していいのではないか」と、すぐ教員のほうで考え、親と相談し、いい意味での課題として提案し、その時点でこれを解決しようという哲学、やり方があります。
  さて、日本でこのやり方を持ってきて、同じようにできるのかというと、文化的なことを考えると難しいのではないか。ですから、日本でそういうふうに持っていくには、才能のある人が見つかった場合には、すぐ教員がその子どもの能力を認めて、さてどうするか、どこまで持っていくのかを、親とすぐ話し合って、「じゃ、隣の大学のコースを取れるようにしましょう」というようなフレキシビリティーがなければ、本当の意味の一人一人の個性を尊重した教育はできないのではないかと思います。
  アメリカでは中央政府と地方政府、具体的には州、それからその下の市や町や村のガバメントとの関係は、教育に関して、州・市・町・村の地方分権が確立しているという点で、日本と対照的なのではないかと思います。アメリカの場合は、この地方分権という点で日本だけではなく、世界中の教育制度から見ると、極端に違うものかもしれません。前にも話の中に出ましたけれども、例えば私がずっと住んでいたワシントン州のシアトルでしたら、シアトル市の教育委員会、地域が権限を持っているわけです。州のほうでカリキュラムとか、方針とか、そういうことを決定しますけれども、本当に権限を持っているのはその地域、スクール・ディストリクト(学区)です。
  ですから、クリントン大統領がいろんなことを言いますけれども、それを地域のほうでどこまで受け入れて、さてこれをしようというのは非常に難しいことです。今、アメリカのほうでは、基準についてもっと共通化するように頑張っているんです。例えば、5年生と8年生に試験を設けるという話の中でも、それに反対している教育者が結構いるわけです。
  ですから、この話の中で、外国の経験を持ってくるのもおもしろいということだけではなくて、ためになるのではないかと思います。その中で、どこまで日本ではやりたいのか。アメリカのように極端に地方分権を設けることはたぶん望んでいないと思いますが、日本でどこまでやりたいのか、どこまでそれを持っていきたいのかという議論は、非常に重要なことではないでしょうか。

○  私は、地域で活動しております立場から、三点ばかり意見を申し上げます。
  第一点は、私ども青少年団体として学校外の活動を主に行っております。そういう立場からみておりますと、教育行政の大部分が学校中心であります。「学校」「家庭」「社   会」、この三つの連携は、言われているほどには実態として、重視されていないということです。この際、第一次答申、第二次答申でも触れたことでもございますので、家庭、社会、生涯学習という視点を、地域教育行政の中でどのように位置づけ、どのように振興していくかという視点をぜひ大きく取り上げていただきたいと考えます。
  第2点は、私どもは、山村地域まで含めて地域活動を行っておりますので、教育委員会を訪ねてみますと、大変ご苦労されている様子がうかがえます。教育委員も5人でしょうが、職員も5人程度のところがあります。そういう体制で、何を重点に行われているかというと、それは学校中心におやりになっている。
  それは人口が少ないのですから、やむを得ないということかもしれませんけれども、しなければならない仕事は、人口の多い少ないにかかわらず、その質においてはそんなに変わるものではないだろうと思います。とするならば、ハードの面は当面、市町村の管轄下にあるとしても、ソフトの面で広域で連携できるところは、少なくとも教育事務所単位ぐらいに、人材を集めて、有機的に動くというようなアドバイスはできないだろうかと考えます。
  第3点としては、先ほども教育税というお話がありましたけれども、財政の面だろうと思います。人件費も含めて学校にお金がかかることは十分理解いたしますけれども、第1点の立場も踏まえますと、生涯学習、地域社会の活性化のための振興費などについて御議論いただきたいと思います。特に地方交付税について積算と執行との実態を把握して御検討いただければと考えます。

○  きょうのお話で、いかに校長先生は自由がないのかというのを聞きまして、なるほどと。今までPTA活動をその地域でするときに、学区単位ということで、いろいろな行事、お祭りとか、運動会をするんですけれども、そのときに学校の施設をお借りしたいとか、いろいろな協力をお願いすると、ここまではいいんだけれども、あとはどうしても御協力できないということが随分あります。例えば運動会なんかしますと、運動場だけは使ってもいいけれども、遊具は一切使わないでほしいとか、トイレもちょっと困るとか。とにかく学校そのものは、いろいろ協力いただきたいと言いましても、責任の所在が明らかでない時点で、御勘弁願いたいということが多々あるものですから、これで本当に三者で連帯ができるのだろうかといつも感じていましたが、きょうのお話を聞きまして、なるほど、校長先生も大変気の毒なんだなというのが実感なので、その辺がもう少し改善されればと思っております。

○  2点ほど質問と意見を申し上げさせていただきたいと思います。
  一つは、先ほど、教育長の承認制の廃止の問題と教育委員会の活性化にかかわる部分については、平成9年度中、つまり平成10年の3月いっぱいぐらいをめどにというお話がありました。これはこれで、地方分権推進計画を1月25日前後から開かれる通常国会終了までに策定をするという政府の方針がありますから、それに間に合わせるという意味で十分理解をしているつもりですが、そのほかの問題が、地方教育行政の在り方ということで、多岐にわたって議論できるように包括的な諮問になっていると私は理解しているわけです。そうすると、全体が3月までにということは到底考えられないんですが、我々の任期があと1年半ぐらいあるわけですけれども、ほかの部分について任期いっぱいかかってやるという意味なのか、それとも心の教育も、拙速を避けるけれども、ほぼ1年以内をめどにとなっていますが、両方合わせた形で答申を出すということになるのか、残った課題はどういうふうにするのか。その辺、どのように理解したらいいのか、というのが一つです。
  それから、今ありましたように、教育委員会制度は来年で制度ができて50年たつということで、これはいろんな経緯がありまして、できた当初は、アメリカの第一次の教育使節団の勧告みたいなものに基づいて制度ができているということで、基本的にはアメリカの制度を一つ大きな参考にしていると思います。ただ、アメリカ自体も、その後、いろいろ状況は変わってきて、方向としては全体は逆に、ナショナルミニマムみたいなもののスタンダードをつくるという方向に、むしろアメリカやイギリスは向かっていると私は理解しています。
  そこで、基本的に見直すということについては賛成ですが、先ほど来お二人ぐらいから意見があったように、教育委員会が当初できたときほど活性化していない。特に市町村、市といっても200万近い政令都市と人口5万を割っているような二、三万の市もありますし、町や村に至っては二、三百人の人口というところまであるわけです。私も村の教育委員会を訪ねますと、教育長さんが一人と職員が四、五人というような教育委員会というのがかなりあるんです。したがって、規模によってどういうふうにするかというのは、一方の介護保険の問題と絡んで、広域行政とか、組合化するという問題もあるんですが、その辺のところも含めて議論する必要があると思います。
  その際、財政問題で、教育委員会の権限といった場合に、ほとんど市町村長、首長との協議といっても、実質的には枠が決まっているようなもので、その枠をそう変えるということはできないわけです。ただ、全体の財政構造改革との関係でどこまで議論ができるか別にしまして、これからの少子・高齢化社会における学校を含めて、地域なり家庭教育を含めて、教育全体にかかわる費用のパイをどのように大きくしていくかということについて、これからの議論の中で相当重視をして議論をしていただきたいという思いを持っているということを、申し上げておきたいのが一つ。
  それから、学校運営の自主性の確立というのは非常に大事なことで、学校運営について保護者や地域住民の意見を反映する仕組みというのは、イタリアとか、イギリスのように、学校評議会とか、学校運営委員会みたいなものが外国にはあるわけで、そういうものをどこまで、日本の政治的風土をも含めた違いの中で、一気にはいかないと思うんですけれども、最近のいろんな状況からすると、保護者や地域住民の意見を学校運営の中に生かす方向は、どこまでできるかということはありますけれども、やはり大いに議論する必要があろだろうと思っていることを、意見としてこの機会に申し上げておきたいと思います。

○  私は学校におりますので、その中で仕事をさせていただいている立場であります。そういう関係で、今こうしたいというのは、そんなにたくさんあるわけではありません。皆さん方の御意見を伺いながら、実態とあわせて発言させていただければと、そんなふうに思っております。

○  一つには、地方教育行政の活性化と言った場合に、非常に多角的ですけれども、地方教育行政そのものがもう少し政策立案機能とか、あるいは政策分析能力、情報収集発信能力等々の力をどのようにしてつけていくか。そのために、どういう人材を集めていくかという視点は非常に大きいかと思います。
  同時に、学校がより一層自律性・主体性を生かしていく、校長のリーダーシップを発揮させていくための人的・財政的な支援は非常に大事です。校長あるいは学校に権限を持たせることとあわせて、学校の教育効果をどう評価していくのか。結果責任をどのようにそれとあわせて持たせていくのか、これも同時に考えないといけないと思います。イギリスではナショナル・カリキュラムに変わってきていますけれども、御存じのように、7歳、14歳、何歳というところで公的テストを行い、そのテスト結果を公表しているわけです。そこまで厳しいある種の学校評価までやっている。日本でどうするかは別にしても、教育効果、結果に対する責任と、それから学校へより一層の主体性を持たせることも、あわせて考えていく必要があるかと思っています。

○  教育委員等の選挙のお話も出ているわけで、大変夢のあるお話です。ただ、現在の教育委員会制度がなぜできたかという点について、もう少し私たちは勉強する必要があるのではないか。過去においては、選挙、財政も教育委員会で一切持っておった、そういう時代があったわけです。その点についての勉強も深めながら審議を深めていく必要があると、そう思っています。

○  一つは、これから学校としては預かったお子さんをどういうように育てていくか、また育てたかという責任について考えていかなければならない。そのために、学校として整備していくべきこと、権限のこと、特に財政的な面については、中教審の第二次答申でも触れていただいていますけれども、その辺の確立についてぜひお考えをいただきたいと思っております。
  また、教育長の人選については、それぞれの組織の中でさまざまでありますけれども、教育長がかわるとかなり変わってきています。そういうような点で、優れた人材が得られるような方策をぜひお願いしていきたいと思っております。また、例えば、小さな島のようなところでは、若い教育長が一人で奔走しているようなところもあります。そういう事務的な応援ができるような体制も、今後、考えていかなければならないと考えております。

○  最近の例で、私の勤務地のすぐそばで、地区の人口減による小学校の統廃合が実際にありまして、多少それにかかわりがあったもんですから、非常に大変だということがよくわかります。結局、地域住民の意見を聞いていると、統廃合は全くできないわけです。授業を一クラス一人でやるというようなところが起きてきている。結局、最後はそこまでいって、しょうがなくてあきらめたという学校があって、これはなかなか難しい問題なんだなという気がしております。ただ単に地域住民の意見を聞けばいいというわけにもいかないんだろうという気がします。その辺を解決するかぎは、公開するということが原則だという気がしております。情報公開を含めて、論議を公開し、負担者にそういった議論をPRしていくことが、解決には非常に大事だなということを実感いたしました。
  その意味でいくと、今の仕組みではなかなか公開というようなことがうまくいかないように教育委員会の仕組みがあるということを、接触してみましてつくづく思いました。教育財産ということで聖域になっていますし、そのことの扱いについては専門性が非常に強く言われまして、なかなか公開されない。議論を公開するというか、経過を公開するということが十分にできない。これは仕組みの関係があるなとつくづく思いました。
  先ほど、学校評価の問題が出ましたが、学校が責任を持つのであれば、当然学校評価をされて、それを公開するということがその一面になければ、主体性を学校が持つということが社会的に成り立たなくなると思いますので、その仕組みまで踏み込んで考えて議論する必要があると思っているところであります。アメリカにおいても、イギリスにおいても、それぞれの学校の主体性を中心に教育改革をしているところでは、すべて結果についてはいろんな形で公表して、それを評価して、結果についてもその学校に責任を持たせる。チャータースクールをスタートしても、だめなら、そこで取り消すとか、そういうことも実際にやっています。その辺のところまで議論するのかどうかよくわからないんですけれども。
  もう1点は非常に重要なことで、まだこれはどういう方向でいったらいいのかよくわからないんですが、私立学校と教育委員会の関係の問題がございます。これは非常に大きな長い歴史がありまして、例えば私立学校の教員というのは、身分保障という点で言うと、労働三法の下にあるわけです。つまり、ストライキができるわけです。ところが、公立学校の先生方というのは身分保障されていますので、労働三法ではない特別な扱いになっている。そういうところは触れないでおくという前提で、制度は変えないというお話なんだと思うんですけれども、そうすると、私立学校のほうではいろんな意見が出てくる。
  ただ一つだけ、これは実際に全国的にできるのかどうかよくわからないんですが、都道府県に私立学校に関しては私学審議会というのがあります。それから、教育委員会が都道府県・市町村にあるわけですが、その委員の交流みたいなことができないのかなと思っています。その辺から手をつけていくのも一つの案かなと思います。つまり、教育委員会の委員が少し増えるのであれば、私学審議会のメンバーの中の人がそこへ一人ぐらい入る。私学審議会の中にも教育委員会のメンバーが入るということで、意見交流をしていくということも、第1段階の仕組みかなと思っています。なかなか教育委員会と私立学校の接点というのはないのです。例えば、教育統計一つとっても、教育委員会では私立学校は対象にならないのです。これは私はおかしいなと思っているんです。そこのところをどういうふうにしたらいいか、非常に微妙な問題がいっぱいございますので、また今後、審議の流れの中で御説明をしたいと思っています。

○  総論的なことを申し上げます。
  一つは、議論を進めていく上で、制度と運用ということをきちっと分けて考えないといけないんじゃないかと思います。今の教育委員会制度というのは、中立性であるとか、安定性であるとかということと並んで、やはり地方自治という理念でできているわけでございます。そういう視点から言うと、教育長の任命承認とか、幾つか例外的に通常の一般行政とは異なる点はありますけれども、制度あるいは法律がこうなっているから困ったという経験はあまりないんですね。それはいろいろ問題があるのは、むしろ運用の問題、あるいは運用に当たる人の意識の問題というのがかなりあるんじゃないだろうかというので、制度と運用、あるいは運用する者の意識を分けて考える必要があるだろうというのが一つ。
  それから、マスコミあたりでいろんなことが報ぜられる場合に、これは何も教育に限りませんけれども、特別の特殊なケースをややもすると一般化してしまうという議論の仕方がよくありますので、その辺も議論する際に心がけていかなければならない点かなと思うわけです。
  それから、今まで出ましたお話に関連して、各論にわたることで2点だけ申し上げたいと思います。一つは、いわゆる弱小市町村と言われているところ、特に人口規模の非常に少ない町村の問題がいろんなことで問題になり、それが教育委員会制度全体に対する一つの意見になってしまうという嫌いがあります。弱小市町村ですと、人口も少ない、あるいは財政力もないということから、まず教育委員に人材が得られない、選ばれた教育委員がいわば形骸化して、何やってんだという議論になる。教育長についても同じようなことがある。専門的なスタッフが足りないから、どうしても県の教育委員会あるいは教育事務所の応援を得ざるを得ない。そうすると、教育委員会の主体性がなくなってしまうということにつながっていくわけで、先ほど出ましたように、広域化といいますか、町村合併ももうほとんどできないような状況になっておりますので、そういう仕組みを考えていけないものかなと。これは地域にとっては大問題になるわけですけれども、そこのところを工夫していく方法がないかというのが一つでございます。
  もう一つの各論は、私も個人的には学校に主体性を持たせて、できるだけ権限を校長さんにゆだねるということは、方向として望ましい方向だと思っております。ただ、問題は、権限があるということは責任があるということでございますから、それが学校の評価ということになるのかどうかはわかりませんけれども、やはり権限と責任は伴っていくものだということと同時に、学校は校長一人でやっているわけではないんで、校長一人が全部やれるわけではないので、その問題に踏み込むと、学校の組織というものに議論をしていかなければならないという点があるのではないかと思っております。

○  難しい問題だと思います。地方分権の推進と規制緩和の流れの中で考えていかなきゃならないことである一方で、戦後の教育委員会制度は、アメリカをモデルにしたとか、押しつけられたというとらえ方はあったにしても、夢があったと思うんです。その夢が現実のいろいろな問題の中で、プラス面、マイナス面をとって、今日に至っているという経緯がございます。その中で考えながら、我々は中教審の特に第一次答申を出した。そこは21世紀を展望したという言葉にあらわれておりますように、やはり夢ですね。こうしたこととの関連を考えていく側面が非常に大事なのかなと、一つは思いました。
  そして、その中で、恐らく全体を通じて出てくる問題は、中教審でこれまで議論してまいりました共通性の確保と個性尊重というこの二つが、一つのキーワード、あるいは分析の枠組みになるのかなと。
  もう一つは、委員の方々の何人かから出てまいりました、協力者会議の「論点整理」でも、地域コミュニティーという考え方をとっている。これは学校週5日制の中での家庭・学校・地域の連携ということにかかわって、その中で、第4の領域の充実といったようなことまで、地方教育行政の中においてとらえる。そうすると、これは戦後の教育委員会制度が発足したときとかなり大きく違ってきている点は、我が国が言うところの生涯学習社会に入っているということで、生涯学習社会の中での地方教育行政の在り方というふうに広げてとらえていくことが必要なのではないか。
  その点に関連して、かつて中教審で打ち出したことがあると思いますが、広域化の問題と絡んで、市町村単位の行政区とか、そういう考え方だけにとらわれないで、もう少し広くとらえて国民の文化活動から、文化圏というふうな取り上げ方をしていたことがありましたが、ああしたところまで関連させ、さかのぼってとらえていくことも大事になってくるのかなと思います。

○  今後の地方教育行政ということで、全体的に言えることは、民間、すなわち地域住民、それにかかわる人たちとより近寄る方策が望まれていくのではないかと思います。いろんな委員の方から出ましたけれども、各論においては、教育委員さんが5名というのは、私は不条理なものだと思っております。その地域の規模とかそういうものよってそれが選ばれないで、大でも小でも5人ということ。それを先頭に学校の組織の中でも、校長先生は一人でもいいかもしれませんけれども、教頭先生が大きな学校でも一人、小さな規模の学校でも一人。これなんかもどんどん考えていかなければならない。地域住民との交わりをもっと積極的に取り組むのであれば、校長、教頭の頭だけで回らないところを、それを回すように組織体の変化も求められているのではないかと思います。
  また、学校の施設開放などにおいては、私たちもいろいろ経験したんですけれども、開かれた学校をつくるとか言いながらも、物をお願いすると、いや、それは施設のほうだとか、管理のほうだとか、それは社会教育の分野のほうだとか言われて、たらい回しにした結果、結局はパーであるということになってきているということを、実感として私らも受けていますので、そういう縦割り行政、組織の構造をちゃんと考えていかなければならない。
  それについては、責任と権限ということで、校長先生に権限をと。非常に思ったことは、校長先生によっても非常に違うんだということ。校長先生によっては、「わかりました」と言って積極的に取り組んでくれる。自分が行政機関に対して物を言って、その方向に持っていってくれる人。それと同時に、裏返してみますと、そういうものがあると、なるべく自分からは遠ざけようとする。そういう資質の問題も、取り組みの姿勢を見ていると、あるように思われてなりません。
  そういうことを考えると、各県に任されている教員の採用試験というのがありますけれども、一たん免許を取得すると、ずうっと生涯、その教員免許がついて回るという形がありますが、民間においてはそういうのはちょっと考えられない。より民間との格差を縮めるためにも、そして、民間から理解をされるためにも、そういうものも改善していかなければならない。その試験を受けたときには適格であったかもしれないけれども、年齢がいき、経験がいくとともに、不適応な方向になるかもしれない。そういうものは常に新しい目で見ていかなければならないと私は思います。

○  ありがとうございました。
  これで本日の会議は終了いたします。次回総会の日程は未定でございますが、地方教育行政に関する小委員会の初会合は、10月6日、月曜日、来週早々、13時から霞が関東京會舘、霞が関ビル34階で開催させていただきたいと思います。
  また、幼児期からの心の教育に関する小委員会の第2回会合は、10月7日、火曜日、13時から霞が関東京會舘、霞が関ビルの35階でございます。
  きょうは、大変お忙しいところを御出席賜りまして、熱心な御審議を賜りましたことを感謝申し上げます。
  では、きょうの会合はこれで終わらせていただきます。

(大臣官房政策課)

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