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中央教育審議会

1997/2
中央教育審議会第204回総会 (議事録) 

                 中央教育審議会  第204回総会議事録  

        平成9年2月27日(木)10:00〜12:30
        霞が関東京會舘  34F  ロイヤルルーム    

      1  開    会
      2  議    題
          「一人一人の能力・適性に応じた教育と学校間の接続の改善」及び
          「社会の変化に対応する教育の在り方」について
      3  閉    会

          出  席  者

          委  員
            有馬会長
            鳥居副会長
            河野第1小委座長
            木村第2小委座長
            市川委員
            薄田委員
            河合委員
            川口委員
            高木委員
            田村委員
            俵  委員

          専門委員
            油井専門委員
            佐々木専門委員
            薩日内専門委員
            末吉専門委員
            那須原専門委員
            蓮見専門委員
            増井専門委員
            牟田専門委員
            小澤専門委員
            中  専門委員
            山極専門委員

            井上事務次官
            草原生涯学習局長
            遠藤審議官(初等中等教育局担当)
            工藤審議官(教育助成局担当)
            雨宮高等教育局長
            中西審議官(学際局学術国際担当)
            板橋審議官(体育局担当)
            富岡総務審議官
            その他関係官

  冒頭,第1・第2両小委員会の審議状況について,それぞれ河野座長,木村座長から報告があった。

○  本日は,第1・第2両小委員会における審議を踏まえまして,御討議をいただきたいと思います。
  ただ,それにちょっと先立ちまして,今後の審議の進め方についてお諮りいたしたいと思います。
  今後の審議の進め方などについて,運営懇談会のメンバーの方たちとも御相談した結果,第1・第2両小委員会の審議状況を踏まえると,4月上旬の第15期の任期までに意見を集約して,中間報告の形で公表することは困難であろう。特に入試の問題などがありますので。そういうことを考えまして,対外的には,公表されている「議事要旨」「議事録」及び会議の日時や議題を取りまとめたものを添えまして,会長談話という格好でまとめさせていただきたいと思っております。それは公表いたします。
  それから,第1・第2両小委員会の審議事項は,相互に密接にかかわり合うものでございますので,これらを一本化して第二次答申として,「教育改革プログラム」に定められておりますように,6月をめどにこれを取りまとめたいと思っております。
  私といたしましては,諮問の際には,必ずしもいつまでということはありませんでしたけれども,今回,文部大臣を中心にして「教育改革プログラム」をつくられ,そこに6月をめどということがありますので,これは改めて諮問されたようなものであるという格好で,ここまでに決めるよう努力をさせていただきたいと思います。
  第一次答申の場合と同じように,第二次答申の例えば約1ヵ月前には,したがいまして5月の末ごろかと思いますけれども,広く国民や関係団体の御意見を聞くため,「審議のまとめ(その二)」をまとめて発表させていただきたいと思っております。
  「審議のまとめ(その二)」の構成は,全体の総論となる「一人一人の能力・適性に応じた教育の在り方」を,最初の章に据えます。
  続いて,各論に入りまして,「大学・高等学校の入学者選抜の改善」「中高一貫教育」「教育上の例外措置」「高齢社会に対応する教育の在り方」の章を設けたいと思います。
  こういうことを素案としては考えておりますが,こうした前提で,第15期としてできる限りの御審議をお進めいただき,第16期に引き継いでいきたいと考えております。
  こうした審議の進め方に対していかがでございましょうか。御意見ございませんでしょうか。
  こういう行き方でお許しいただけますか。  ―ありがとうございます。
  もししかし,御意見があれば。今期のうちにまとめろ(笑声)とおっしゃる方がおられればどうぞ。御遠慮なく。
  よろしいでしょうか。では,これを御了承いただいたことにいたしたいと思います。
  以上申しましたような方針で,今後の審議を進め,第16期に引き継がせていただきたいと思います。
  それでは,「審議のまとめ(その二)」の構成について御了承いただいたところでございますが,その総論に当たる最初の章につきましては,本日,ひとつ「素案」をお示し申し上げたいと思います。先ほどの第2小委員会の審議状況の報告の際に,「座長素案」中の「(1)  一人一人の能力・適性に応じた教育の在り方」が,総論のたたき台ともなり得るものである旨,既に御紹介がございましたが,これを踏まえまして,運営懇談会メンバーとも相談し,私の責任で作成させていただいております。
  本日は,第1・第2両小委員会における審議やこの「会長素案」を踏まえて,「一人一人の能力・適性に応じた教育の在り方」「大学・高等学校の入学者選抜の改善」「中高一貫教育」「教育上の例外措置」「高齢社会に対応する教育の在り方」といった審議事項全般にわたりまして,ほぼ1時間程度御審議をお願いいたしたいと思います。
  なお,本日は,総論部分は「会長素案」としてお配りしてございますが,それぞれの各論部分を議論する必要がありますので,そちらのほうを主に御意見を賜れれば幸いでございます。

○  中高一貫教育につきまして,「座長素案」という形でおまとめいただいている内容を拝見しまして,私も賛成でございます。この中で幾つかの制度的な改善をして,これを実現していく必要があるということが挙げられておりますけれども,関連する問題の一つとして,教員の問題があると思います。
  御案内のように,中学校の教員と高等学校の教員と免許状は別になっておりますが,現在のところは実態としましては,免許の取得について差があまりありませんものですから,中学校の免許を取る方はほとんど高等学校の免許も取っている。逆もまたしかりという状況になっておりまして,実態としては,中高一貫教育が実現した場合に,両方の教員が相互に乗り入れをすることが今はできるんだろうと思っております。
  ただ,以前にありました議論の中に,中高一貫教育の場合には,それ専門の教員を育てる必要があるという議論が行われた時期もあったように聞いております。そのことをどう考えるのかということが一つの問題であろうと思います。
  もう一つ,今,教育職員養成審議会のほうで,教員養成の改善について議論をしているのでありますけれども,その中の議論の一つに,今,中学校で特に生徒指導の問題で非常に難しい状況が起こっているだけに,高等学校と中学校とがほぼ同じような資格要件でよろしいのかということが論じられております。中学校については,どちらかといえば小学校教員に近いような形に少し直したらどうか,例えば,教育実習の期間でありますとか,あるいは教科専門科目と教職科目の比重でありますとか,そういうものについて,どちらかといえば小学校に近い形に持っていったほうがいいのではないかという議論をしております。
  これはまだ審議の途中でありまして,方向が出ておりませんけれども,もし中学校と高等学校とが若干違った資格要件になりました場合に,この中高一貫教育の学校においては教員は両方の免許を取らなければならないということになってくるであろう。そのあたりについてどう考えるのかという問題は,やはり議論をしていただきたいと思いますし,ある種の方向を示していただいたほうがいいのではないかという感じもしております。
  私の個人的な考え方では,あまり両者に差をつけるのは適切ではないだろう。中高一貫の学校というのはそう一律に設けるわけではないと考えられているわけでありますけれども,方向としては,両者をむしろ緩やかに連続していくような考え方が今回の議論の全体の基調でありますから,そういう意味では,教員についても両方の流動が十分にできるような方向を考えるべきなんだろう。その場合に,今の中学校の現状を考えたときに,教員養成にどういう改善をしていくのかということを,中高一貫とのかかわりで若干御議論をいただければありがたいと思っています。

○  中高一貫,大学入学年齢の特例,別個にそれぞれ論議をしてきた面もあるのかもしれませんが,恐らく双方が実施をされることになりますと,かなり連動して機能し始めるものではないかということが予測される中で,相互作用みたいなもをあらかじめ予測するというか,もしいろいろ問題が予見されるならば,事前にその穴ふさぎといいますか,そういう部分も含めて,この問題の連動というところの議論が必要ではないかという思いを非常に強く持つわけでございます。
  この第15期の中教審の一次答申で,かなり広範に将来の教育についてのイメージを出してきたわけでございますけれど,後段の各論の部分に入りましたら,「一人一人の能力・適性に応じた教育」という言葉の中で,いわゆるよくできる子のための手だてに論点の中心が置かれているように思えてなりません。確かに高校進学率95〜96%。けれど,大学へ行く人はまだその中で半分。あとの半分の人たちの世界の論議は,それはまた次の期でやってもらったらいいというお話なのかあれでございますけれど。そういう意味では,その辺の論議を,この第二次報告なるものでどんなふうに吟味,処理されるのか,それについてもどこかで議論をぜひお願いをしたいものだと思います。よろしくお願いします。

○  大変いいポイントをありがとうございました。したがいまして,この総会をきょう開かせていただいておりますので,第1小委員会,第2小委員会のつなぎというか,両方合わせた御議論を賜りたいと思います。
  それから,晩成型と言っていいかしら,ゆっくり勉強していく人々に対しても,非常にきめ細かく今後対処していただくことが必要だと思いますし,先ほどの座長からの報告の中にも,その点についてはお触れになっておられます。
  もう一つ,非常に重要だと思って,私も賛成ですが,半分ぐらいの,高等学校を出てすぐ社会に入っていく人々に対してどう考えるか,このことについても御議論をいただければと思います。

○  ただ今の御意見は,第2小委員会でも,多少ニュアンスは違っていたようには思いますが,お述べになったように覚えております。
  確かに御指摘のとおり,中高一貫と17歳入学は連動してくると思います。ただ,中高一貫校をどのぐらいつくるのか,それから17歳で,どのぐらいの数を大学に入れるのか,その境界条件が決まらないと,なかなか議論が難しいところがあるんではないかと思っております。今後の議論で,具体的な数が少しはっきりしてきた時点で,この議論はさらに詰めていく必要があろうかと思っております。
  それから,半分しか大学へ行かないではないかという点については,中教審ですでに単線型はまずいということをうたっておりますので,その線で何か工夫を打ち出していくしか,今のところ方法がないと感じております。

○  第一次答申とのつながりでございますけれど,私が今とても心配なのは,「総合的学習の時間」という記述をしたわけですけど,それを最終答申の中にどのように盛り込むか。会長が立てられた柱立ての中で盛り込めるところがあるのかなというふうに,今,ちょっと考えたんですけれど,その辺を考えていただけたらなという気がします。
  もう一つ,今この時期にとっても重要だと思うのは,情報化の影の部分ですね。テレビを見て,また本まで買っちゃったんですけども,『インターネットはからっぽの洞窟』というあれを読んで意を強くしたんですが,そういう意味での教育における例えば情報機器の問題ですね。この辺のところを,教育関係者としては子供たちが錯覚を持たないようにしっかり記述していただけたらなという気がしております。
  この2点ですけれども,そういうことから考えると,会長のおつくりになったこの「素案」は大変にすばらしいと思うんですが,例えば一番最初のところの「試行錯誤を経ながら様々な体験を積み重ね」というところですけど,体験の前に「実」を入れていただけないか。間接体験とか,そういう体験ではなくて,「実体験」であるということを強調していただけたらなという気がいたします。以上でございます。

○  中高一貫教育を取り入れることについては,私も賛成です。「素案」をなるほどと思って読んでおりました。ただ,すべてをそうしないという理由として,「多様化」,それから「選択的」あるいは「複線化」という言葉で説明しておられるのですが,それだけが理由になっているというのには少し違和感を感じました。
  といいますのは,選択肢があるという場合は,それぞれに「A」「B」,メリット・デメリットがはっきりしていて,選べるから,選択的ということに意味があると思うんですが,これを読む限りでは,どうも中高一貫教育がよさそうな感じがするんですね。中高一貫教育のデメリットについても多少書いてあるんですが,1ページの下のほうにあるようなデメリットを自分が受けるなと感じる人は,そういないと思うんです。生徒集団が長期間同一メンバーで固定されて,自分はなじめないんじゃないかと思う人は,選択する前にはほとんどいないと思います。
  ということは,おおむね,「A」「B」あるんだけれども,「A」のほうが明らかによさそうだというときには,「多様化」という言葉や,「選択肢」が二つあるんだよという説明をしても,それだけでは違和感を感じてしまうんですね。この筆者も薄々それを感じていて,(笑声)希望者が多い場合を想定して,どうやって定めるかということについては書いておられるんですが,希望者が少ないということは全然心配しておられなくて,そういったあたり少し説得力に欠けると言ったら失礼なんですけれども,それだけではないような感じがいたしまして。素朴な感想なんですが。
  一遍に実現するというのは,確かに不可能だと思うんですね。ですから,徐々にやっていって,大変よければ,それは将来的には増やしていこうと思うのであるとか,そういうふうな理由も少しあるのではないかという感想を持ちました。

○  大変いいまとめができたと思って,本当にありがとうございました。全体的に大賛成な内容で本当によかったと思っております。
  ただ,これができるかどうかちょっとわからないんですけれども,「会長素案」の内容というのは,考えてみると,教育だけじゃなくて,これからの日本の国づくりの基本を示していると感じるわけです。ですから,教育はそのために準備をするということなんだと思います。とすれば,文部省だけじゃなくて,すべての省庁がこれについて理解をして,国づくり,いわゆる六大改革と言われている改革の流れの基本がここにあるんだというような,大乗的に構えた書き方ができるのかどうかですね。
  これはちょっとわからないんですけれども,クリントンの「教育白書」の書き方を見ると,非常に大乗的に書かれているんです。省庁の枠を越えて全体的に書かれているんで,非常に感動するんですが,文部省のお立場ですから,ほかの省には口出せないということがあるのかどうかよくわからないんですが,六大改革の一つという立場からすると,あんまりほかの省に遠慮することはないなということが言えるんじゃないかという気がしますので,そういうことを書けるのかどうか。すべての日本の社会がこういう形に変わっていくということだと思うんです。今までは自分の大事なお金を預けるときに,お金を預ける銀行や信用金庫がつぶれるかどうかということを日本人は考える必要はなかったんですけど,これからは考えなきゃいけないわけですから,そういう意味で言うと,ここに書いてあることは,国づくりの根幹みたいなことが述べられていると思うんですが,そういうことを書けるのかどうかなんですが,できたら私などは書いていただけないかという気がするんです。

○  きょう御説明いただいた文章についての考え方は,私は大賛成でございます。
  その上で,若干気になりましたことを3点申し上げたいと思いますけれども,一つは中高一貫教育のところで,いろいろお書きでいらっしゃるんですが,形をどうするかということの議論に推移しているんではないだろうかという気がいたします。そういうことができるようになるというのは大変に結構だと思いますし,制度を変えることが中身を変えることのきっかけにはなるという意味で評価をいたしますけれども,実際に一貫教育の学校ができたとして,そこでどういうような中身の教育を実際にするかということによって,その制度が生きるかどうかということが規定されるわけでございますから,そこの議論をするべきではないだろうかというのが1点。
  もしその中身についての議論が,この場のスコープの外にあるということでございましたら,少なくともそういうことを認識すべきであるということについての記述があるべきではないだろうかという気がいたします。そういう意味では,哲学は非常によくて,形式あるいは制度についての言及も私は非常にいいと思うんですけれども,その中間のところが少し薄い,あるいはないんじゃないかとう気がしました。
  あとの2点は,全く同じようなことでございますけれども,大学の入学試験について,いろいろ書かれていて,これも一つ一つは結構だろうと思いますが,その過程で,高等学校の入学者選抜の改善の基本的方向というようなことで書かれていますけれども,やはり大事なことは,文字どおり甲乙丙丁つけがたい高等学校が幾つか存在をすることになることでございまして,そこのところをどうするのかということがないと,制度の話だけしてもしょうがないんではないか。これは第1点目と考え方としては同じようなことでございます。
  3点目も同じようなことですが,企業,官庁の採用について,私は必ずしもデータを持っているわけではございませんが,今,学歴だけで人を採ろうとしているというような企業が世の中にあるとは私は信じられないんでございますね。全くないというだけのデータは持ってないですけれども,どこかで聞いた話で,学歴をむしろ隠して人を採用したところ,ふたをあけてみたら,より偏重があったというような話もあります。企業の実態,あるいは前にも申し上げましたけれども,ずうっと企業が存続をしていくための努力の根幹は人でございますから,人を採ることについてはものすごく真剣にやっているわけでございまして,数字のデータをお示ししないで,こういうことを申し上げるのは申しわけないと思いますけれども,これもやはり甲乙丙丁つけがたいような,という意味は,同じという意味じゃなくて,さまざまな魅力に満ちた大学及びそこからの卒業生がいればということでございますから,そういう実態が大事でございまして,制度のことだけで,しかもこれの背景のデータを十分に示さないで議論をしてみても,空論になるのではないだろうかという気がいたします。以上でございます。

○  もっと早く言うべきだったかもしれませんが,一人一人の能力を生かすということと,
それから晩成型の人を生かすという意味で,大学院は非常に大事だと思ってるんです。我々も実際にそういうことをたくさん経験しておりますが,大学を出てから社会へ入って,もう一遍研究しようと考えた人,特に教育とか,臨床心理というようなところは,社会的経験が非常に物を言いますので,学部とは全く違う大学院に入ってこられて,伸びていっている人が非常に多いんです。大学院教育ということが,一人一人の個性を伸ばす,それから一度一つの大学に入ったらずっとそこへ行ってしまうという考えを破っているという意味を,どっかに書いていただくとありがたいなと思っておるんです。実際にこれは起こっていることですし,大学院の社会人入学というのもありますから。

○  全体的によくできているというふうに私も読ませていただきました。で,「会長素案」について,2ヵ所ほどお尋ねしたいところがあるんです。
  まず,「あらゆることについて『全員一斉かつ平等に』という発想を『それぞれの個性に応じた……』」とございますけれども,基本的にはこの方向でいくべきであると私考えております。
  と申しますのは,私,30年余り,教育の現場で若者の指導に当たっておりまして,どうも戦後の教育においては,ここにも書いてございますように,どちらかというと平等ということにウエートを置き過ぎていた嫌いがあったのではないかと考えております。実際に現場では,長所を伸ばすより欠点をなくせということが重視されておりまして,できない科目の補習をやってくれるのがいい先生ということになっていたわけです。したがいまして,現場では,不得意な科目の補習は熱心にやっても,得意な科目を伸ばす講習には反対するという空気がありました。私はこれを機会に,ぜひそういう空気は改めていくべきではないかと考えておりますので,ここのところに括弧づきでお書きいただいたことは,大変良いことだと思っているわけです。
  ただ,「それぞれの個性に応じた」とありますが,ここだけ「能力」が消えているんですね。普通,「能力・個性に応じた」と言うんですが,それは何か意味があるのかということが1点でございます。
  もう1点,先ほどもお話に出ていましたが,自己責任ということが書いてございまして,同時に「他者尊重」や,あるいは「他人への思いやり」ということが書いてございますけれども,ここのところをもう少し強調しても良いのではないか。どうも今の若者を見ていますと,自分のためにというか権利意識が先に立ちまして,社会だとか,公という意識が希薄になっており,他人のために,公のために何かやるという意識はそれほど強くないんではないか。ただ,阪神・淡路大震災だとか,重油流出事故を機会に,高校生の間でもこういう意識が随分広がってきているように思います。大変いい機会だと思いますので,ぜひここのところをもう少し強調していただけたらありがたいと思います。
  もう1点は,中高一貫というか,6年制中等学校ができた場合の件ですけれども,できた場合に,小学校から中学校への入学者を決定する,定める方法に,学力試験は行わないと。これは基本的に大賛成でございます。ただ,「特に,義務教育制度の実施を担う地方公共団体が設置する学校にあっては,原則として学力試験は行わないこととし」とありますと,いわゆる学校法人が設立する私立の6年制中等学校においては,学力検査があり得る,実施しても良いというふうに読めるのではないでしょうか。現状の過熱した受験競争,そして低年齢化の最大の問題は,やはり学校法人の設置する,あるいは国立の附属中学校等で行う入学者選抜における学力試験なんですね。そこで出題される問題が問題なんですね。ですから,これについてもう少し踏み込んだ記述が必要だと私は思いますが,いかがでしょうか。
  そうでないと,せっかくこの審議会が目指している[ゆとり]だとか,あるいは過度の受験競争をなくそうとか,そういうねらいが実現できないのではないかと考えておるんですが,ここのところの記述の仕方について,もう少し工夫いただければありがたいと思います。以上でございます。

○  ここの「特に,義務教育制度の実施を担う……」というあたりは,「原則として」と書いてあるんだから,取っちゃって,「……不可欠と考える。原則として学力試験は行わないこととし」というのでは,まずいでしょうかね。

○  そのことと関係してくるのは,国立に対しては随分厳しく言えると思うんですが,私立の在り方ということになりますと,これについては,あくまでもこの趣旨に基づいて御協力をお願いするしかない。だから,せめて問題の出し方のところで,そういうところから逸脱した高度な問題が出ているということは改めていただかなきゃならん。そういう意味での御協力をいただくという趣旨の中に,そういったことをはめ込んでいるということで,これは今後,さらに議論の中でどういうことになっていきましょうか。これは難しいですね。

○  意見を申し上げさせていただきます。というか,一部御質問に答えていただく面もあるかもしれませんが,1年早く大学に入れる意味,意義を積極的に評価する面と,またそれによって出てくるであろうマイナスといいますか,デメリットといいますか,いろいろあると思いますが,パイロット事業で効果がある人たちが見出されたということと,諸外国でもいろいろ例ありと。そういう意味では,複線化,多線化の一としてあっていいじゃないかと。ただし,それも「稀有な才能」という言葉をかむらせておられる。
  1月に六つの改革の中にいろいろ書かれた。その中にこういうものも書いてあるんでね。6月には仕上がる予定だみたいな表現で書かれているから,無理やり何か一つ二つ仕上げんといかんのじゃないかと。うがち過ぎなのかもしれませんけれど,そんな見方がちょっと……。そういう意味では,本当に1年早めてやる意味,意義といったものについて,全体でやっぱりそういうこともわかるなとは,私,ちょっと思えないと思ってるんです。そういう意味で,私個人的な意見ですが,これはあまり無理しないほうがいいんじゃないかなという感じを持っております。何かお答えがございましたら,よろしく。

○  何回か申し上げたことですが,中学校の立場としまして,中高一貫教育の場合に,中 高一貫教育はメリットがあるということを言われれば言われるほど,公立中学校はいけないんだというような表現になってしまいます。すなわち,入学者選抜の影響を受けずに,[ゆとり]のある安定した学校生活が送れる。そうすると,一般の中学校というものは,[ゆとり]がなくて安定しない学校生活なのだと。それから,6年間にわたった継続的,計画的な指導が展開できないではないか。そうすると,そこに行くのは,都会の場合には,経済的に恵まれた子供たちは中高一貫教育の恩恵に浴する。それから,公立としてつくった場合にでも,入学者を定める方法で,例えば抽選等で選抜したにしても,公立中学校に行くのはお金がなくて,運の悪い者が行くところ,という読み返し方になってしまいます。
  したがって,うがった見方をする者は,「これは6年間の義務教育を行うための布石として考えているのではないか」と言うほど不自然な印象を受けるわけです。したがって,前から申し上げていますように,あくまで制度の多様化・複線化構造の試みという建前で押していただけませんかということが,まず1点です。
  もう1点は,公立中学校の場合には明らかに義務教育です。特に大都会などでよく起こる問題ですが,中高一貫教育をうたった私立の生徒が,公立中学校にしばしば戻ってまいります。戻ってくるのは,まず問題行動生徒,これが一つあります。いわゆる自主退学という建前できます。高校の場合には,受け皿はそのままというわけにいきませんけれども,公立中学校の場合には,住民票のあるところに必ず来ます。昭和56年以降,これでもって生徒指導上,大変混乱をした公立学校がたくさんありました。
  またもう一つは,3年生の2学期後半に転入者が時々参ります。要するに,付属高校への進学は無理です,うちの学校の高校には推薦できません,という時点で,ほとんど3年生の教育課程が終わろうという2学期の終りのころに,公立学校に転入させてくださいという生徒が参ります。その意味で,中高一貫を標榜して採ったのなら,最後まで責任持ってくれないかな,というのが私どもの要望ですけれども,このような実情もありますので,知っていただきたいと思います。以上でございます。

○  中高一貫について,第1小委員会の場でまたいろいろ御議論があろうかなと思うんですが,一,二だけ申し上げたいと思います。
  ひとつは中高一貫について,内容についての議論が足りないんじゃないかという御意見がありましたが,私も第1小委員会でさらに検討しなきゃいけないだろうと思っております。教育内容についてタイプの例示がありますが,それぞれについての効果はどうか。特に専門学科なんかは幾つも並んでいますので,それぞれについてどうかということについて,もうちょっと議論しなきゃいけないなと。それに,少し別の問題ですが,例えば,芸術のうちの音楽というのは,これは芸術高校なんていうのも現にあるわけですが,これはあるところにいくと,ほとんど一対一ぐらいな教育になっているとも聞いている。果たしてそれが学校と言えるのかどうかなんていう疑問もなきにしもあらずという現実もある。それを中高一貫にするということはどういうことになるのか。そのことが基本的に是否にかかわるわけじゃないかも知れませんが,そういう実態もよく検討したい。
  2番目に,同じ中高一貫で申し上げると,入口のあり方のことで入学者を定める,その定め方の問題。ここでは詳しくは申し上げませんが,その定め方のいかんによっては,高校まで義務教育化することの布石になりかねない。きちんとした整理が必要で,入口のあり方については第1小委員会でさらに議論を詰める必要があると思っております。
  もう一点は,今の審議と関わりないので,こういう席で申し上げていいのかどうかちょっとわからないんですが,危惧していることは,最近の選挙の投票を見ますと,投票率が若い人になるに従って大変悪い。これはいろんな要素があるんだろうなと思いますし,別に何も中教審で若い人の投票率を高めろなんて言う必要は全くないんですが,自分の生活というか,自分のことは自分でという自己責任の中に,そういったようなことも当然含まれていくことなんで,どうしたものかなと。これは提案というよりも,ちょっと考えあぐねているということでございます。
  ほかにもございますが,時間の関係上,この程度にいたします。

○  中高一貫の導入については,多線化,複線化という,いろんな形を設けようということですが,選ぶということが本当にできるのは,ある程度の数がなければできないのです。例えば試験的な県に二,三校あったところで,それは選ぶことができるといっても,実際的に選ぶというような数ではないので,それが本当に選べるものになるような一層の推進を行ってほしいと思います。
  次に,大学入試選抜の改善については,多くの親は,いろんな問題の根源は,大学入試制度の改革にあると考えています。それを改革することによって,ほかの問題のすべてが解決してくるではないかということが常に言われてきました。私たちの論議の中でも言われてきたことですが,入りやすく卒業しにくい大学ということが話の中には出ていたのですが,「メモ」を見ますと,そういうことが書かれていない。表現の軽重はあるとは思いますが,何とか組み入れてほしい点です。

○  「教育上の例外措置」について,「受け入れ方法はどうするか」ということが述べられています。稀有な才能を有する者の選考で,[生きる力]のいわゆる人間性の部分も重視していただきたい。多くの方々が観察され,評価をするので,大丈夫だと思いますが,他者尊重の精神,思いやり,正義感などを持ち,ボランティア活動にも積極的に参加する,そういう生徒であって,なおかつ稀有な才能を有する者を選考していただきたいと思います。人間性の部分をどこかに書き入れていただいたらありがたいと思います。
  2点目は,おくれがちな生徒,ゆっくり進む生徒についての配慮を,もう少し具体的に中身の検討までこれからしていく必要があるのではないかと感じております。ここに書かれてあることは,中学校現場で努力しているにもかかわらず実践がなかなか難しい現状にあります。やはり集団的な教育システムの中で動いておりますので,一人一人に合った手だてを差し伸べていく部分が欠けてしまっているわけです。そういった意味で,ぜひ稀有な才能を持った子供に対する対応,それから遅れがちな生徒,ゆっくり進む生徒,あるいは遅れを取り戻したい生徒に,具体的にどのように対応していくかということももう少し盛り込んでいただきたいと思います。
  3点目は,大学入学者選抜にかかわることです。過日のヒアリングでは,経済同友会,市町村教育委員会連合会,都道府県教育委員会連合会などから大学入試センター試験をどうするかということが出されました。また,大学入試センター試験を大学入学のための資格試験化する議論も各方面から出されています。大学入試センター試験のデータをもとに,各大学・学部・学科が偏差値でもって序列化されている現状の中で,大学間の序列を改善していきたいといくら言っても,実際にはなかなか改善することはできないのではないかと思います。このような要請や現状に対して説得力のある解答をどのように行っていったらよいのでしょうか。

○  中高一貫のほうですが,私たち親の立場で,中高一貫に対してまだよく理解されないんですけれども,新しい教育の方向として中高一貫が始まるんだという内容で受け取られると思うんです。まだきっと親のほうもどう受け取っていいのかわからなくて,普通高校が中高一貫になるんだろうとか,さまざまな議論を呼ぶことになると思うんですが,私としては新しい教育の方向としてはいい方向だなという受け取り方をしております。以上です。

○  本会のテーマである「一人一人の能力・適性に応じた教育と学校間の接続の改善」と
「社会の変化に対応する教育の在り方」についての御提案により筋が通った気がいたします。「素案」の内容も理解が深まり,趣旨も明確にされたととらえています。
  中高一貫教育等につきまして,小学校が懸念している問題に関して申し上げます。
  「座長素案」で示されているよう,中高一貫校が利点を中心に強調されて,新たな学校が選択肢の一つとしてでき上がっていくよう,ぜひ推進していきたい。ただ,懸念されることとして,小学校の進路指導は十分できないんじゃないか,困難じゃないかという御指摘がありますが,小学校においては進学指導は現在はやっていませんが,進路指導は,一人一人の個性やよさを伸ばす教育として進めているという自負を持っています。
  小学生も高学年になると,個性・能力がややはっきりして,特に運動面,あるいは音楽的な面,作文,あるいは絵画の創作とかの面では,その子らしい個性・能力の特徴が出てきます。これまでは子供のよさが認められながらも,子供たちが過激な受験競争の中で,自分の持っている力を発揮できない状況に陥ってしまっているわけです。しかし,今回新たな中高一貫の学校ができれば,また選択肢も増えていく機会が生まれると思います。多峰型の構造ということで,今までの中学校3年,高校3年の学校と,それから6年制の中高一貫学校と,それから国立や私立学校と選択肢が増え,新たな重要な方針が樹立されるということではないかと思います。
  しかしながら,選択をする立場からすると,これまでの中学校3年,高校3年の学校のよさや利点と,今回の中高一貫校の利点と,それから国立や私立学校が持っている利点とを同時に強調していかないと,中高一貫校だけが強調され過ぎ,エリート校になるのではないかという懸念が出てしまうのではという心配があり,そのバランスをどう図ったらいいかということを感じています。
  それから,中高一貫教育の出現によって,受験競争の低年齢化を招かないようにするという観点から,「小学校教育の趣旨を逸脱した出題を行っている,一部の国私立中学校に対しては,その改善を強く求めたい」と書いてありますが,このことも強調して入試の実施方法を改善していくことはできないのか。新しい中高一貫校で考える方法と同様になれば,受験戦争に子供たちが巻き込まれることなく,能力・適性に応じた進路を選択していけるのではないかと考えています。中高一貫校でねらうことの一つは,高校入試段階で入試がないということであり,この機会に中学校へ進む段階で,入試が緩和されることが重要なことであります。

○  二つございます。一つは,先ほどからもお話がありましたが,第2小委員会のほうの,
稀有な才能を持っている生徒は伸ばすべきということですが,私も,稀有な才能を持っている生徒は伸ばすべきである。むしろ足踏みをさせるようなことはすべきでないと,基本的に思います。そのことであまり世間に対して遠慮することはないと思っております。
  二つ目ですが,今,学校といいましょうか,教育の現場では,小学校も中学校もそうですが,親も子供も大きな夢とか,理想とか,そういったものがない,失っているというふうに感じております。それらを育てていくのがこれからの教育で非常に大事であると思っております。ただ,今は教育が,例えば授業でもそうですし,それぞれの学校でもそうですが,平均化して,先生方自体にも個性が薄くなっているんじゃないかと思っております。これの改善が図られていくであろうということを,「素案」を読んで感じました。そういった意味で,この「素案」を読んで,これからの教育に楽しみみたいなものを感じます。以上であります。

○  第1小委員会で取り上げていただいております,大学・高校の入学者を定める方法のところで,自己推薦とか,団体推薦は,現状の流れでは大変難しい考え方なのでしょうが,検討課題として取り上げていただいたことは,大変ありがたいと思います。「会長素案」は,基本的なことは全部踏まえていただきましたので,ありがたいと思っていますが,一つだけ申し上げますならば,学校教育と社会教育は車の両輪であると常に言われており,この度,中教審の立場でこのことを真っ正面から取り上げていただいたことは,大変意味のあることと考えます。
  新しい価値観を持った社会を構築するということは,大変な歳月とたゆまぬ努力がなければなりませんが,何よりも子育てを人任せ,学校任せにするのではなく,自分自身の問題として強く認識し,かつ責任をもって行動する必要があります。このためには,生涯学習の一層の充実提供が望まれるわけですので,制度の面からも,財政の面においても,現場に応じたきめ細かな施策を行えるよう努めることによって,車の両輪論が形になってゆくことを期待いたします。

○  私も大学のほうが忙しくて休みがちだったのですが,全体が見えてきて,少し考えることができるようになりました。多様な選択が増える,そして自己決定を重視するという論調には賛成です。
  ただ,全体のニュアンスが,大学を一直線に目指していくという流れが少し強過ぎるという感じがいたします。先ほど,前の方からお話がありましたように,高校から即大学でなくても,いろんな選択の道があるんだという,そこのところがどうも書き込めてないような気がします。
  それから,これは「高齢社会に対応する教育の在り方」のところでまた出てくるのかもしれませんが,デンマーク,北欧,ドイツなどでは,国民高等学校という生涯教育的なものが開設されていて,それは短期間でも,あるいは8ヵ月とか長い期間でも,泊まり込みで学び,そこで自分探しもできる場が用意されている。あるいは,高校を卒業したときに,福祉とか,環境といったところの職業に就く,その補助が国からも出ている。これらを参考に,もう少し大学だけという論調を和らげるような書き方も必要ではないかと思います。
  それから,高校義務化ということを私も頭に入れて中高一貫というのを見ていたわけですけれども,第一次答申のときには少し内容を精選するということで議論されていましたけれども,今のまんまでいきますと,皆アップアップになってしまう。それと[生きる力]ということを考えますと,もう少し横断的・総合的な見方を検討する内容論的なことが議論されないといけないのではないかと思います。
  それから,大学入試に関して多様な入試形態があることはいいことだと思いますが,私も大学に勤めまして20年たちましたけれども,改革すればするほど入試はおかしい方向にいくのかなという感じも一方で持っています。かつ,面接とか,推薦ということを増やしていきますと,大学教官はものすごい時間を取られてしまいます。教官は教育と研究と,その上に入試のほうまで対応しなくてはいけないということで,大変な時間を浪費することになってしまう。何のために私は大学にいるのかわからなくなるようなこともあり得るということになりますので,その対応も少し考えていただければありがたいと思います。

○  私も非常に心配していて,もし極端に忙しくなり過ぎるならば,場合によっては大学の先生は入試をやらなくてもいいということがあり得ると思うんです。それが,一つありました,アドミッション・オフィスという構想かと思うんです。

○  いろいろ御意見をありがとうございました。きょういただいた御意見をもとに,第1小委員会としては,きょうお出ししました「座長素案」というところまできました「中高一貫」の問題について,さらにこれを深めていただくための,「座長素案」の次は何になりますか,それをお出しして,また御議論願いたい。
  それから,「大学入試・高校入試選抜」の問題については,きょうお出ししました「検討課題のメモ」について,実は前回の第1小委員会で貴重な御意見も伺っております。きょうまたいろいろ御意見をいただきましたので,これをもとにして,次に「座長素案」としてお出しできるような形で深めていきたいと思います。
  感想的なことになりますが,いろいろお伺いしておりまして,きょう「会長素案」として出されたものは,いわば第一次答申との整合性ということが非常に問われるところでして,いろんな方向を出していただきましたし,また御意見もいただきました。
  それから,第2小委員会で検討されてきました,両方を通じて一本化する場合の枕になるといいますか,総論になるところは,第1小委員会でいろいろ議論している中で,「学校間の接続」の問題ということでいきなりテーマを立てて論議しているのではなくて,その背後に「一人一人の能力・適性に応じた教育」が総論として二つの小委員会にかぶっている問題だと。それをきょう第2小委員会からお出しいただいたわけです。
  第1小委員会でそのことを感じますのは,例えば「大学入学者選抜・高等学校入学者選抜の改善」の問題については,「一人一人の能力・適性に応じた教育」を志向していくんだからという観点が貫かれていれば,もう少し説得力のあるものになっていくだろうと思いますし,そのことを考えながら,これからの審議に入っていきたい。
  それから,きょう御指摘のあったことで,これから特に大学入試の改善の問題については,大変だろうと思いますが,これは何としてもやらなきゃならない問題ですので。その中で,「大学入試センター試験と……」という部分が,昨今の問題とも関連して,いわば社会的な大きな問題にもなっておりますので,この点について,今,私の個人的なあれで申し上げましたが,「一人一人の能力・適性に応じた教育」を基盤にして考えた場合に,どういう新しい改善の方法の工夫ができるか,そんなこともこれから検討していただきたいと思っております。以上でございます。

○  第2小委員会の「素案」についての御質問が出ましたので,お答えいたします。
  第2小委員会としては,文部大臣が6月にまとめるとおっしゃったから,あわててやるというような雰囲気はないのではないかと思っております。第一次答申の前に,何度も何度もメリットクラシーということが出ておりまして,それについては後半で議論しましょうということにしてありましたので,そういう雰囲気は全体としてはないと思っております。
  それから,理工系の分野に関していいますと,専門教育課による協力者会議が走っておりまして,そこでいかにして独創性・創造性を育てるかという議論をずうっと続けてきております。その会議では,大学側よりも,むしろ外の世界,つまり企業の側から,どうしてもそういう人材を育てなければいけないという御要求が強くて,大学が押しまくられているという感じであり,先程おっしゃったようなことについては,私個人の受け取り方は少し違っております。
  それから,ここでも再三御紹介申し上げましたが,現在,大学院  ―これは理工系だけだと思いますが―大学の3年次からの大学院進学をやっておりまして,これが今後,日本の社会に大変大きな影響を及ぼすのではないかと私は思っております。現に大学全体の雰囲気も変わっております。年齢で輪切りするという社会が急速に壊れているという気がいたします。この点について社会一般の方の御理解を得ることは,御指摘のとおりなかなか難しいので,もっと議論をする必要があろうかと思いますが,やはり日本の社会にとっては必要なことじゃないかと思います。
  それから,稀有の才能の持ち主と人間性の問題については,永遠の謎だと思いますが,いかがでしょう。その辺,もう少し議論をする必要があるのではないでしょうか。世の中を変えてきた人たち,数学者にしろ,物理学者にしろ,人間性という面でどうであったか,その辺はちょっと問題のあるところでありますけれども,中教審という立場から,その辺のことも書き込む必要はあるのではないかと思っております。

○  第1小委員会と第2小委員会において,熱心な御議論をいただきましたことを感謝申し上げます。また,二つの小委員会の座長に御礼を申し上げたいと思います。
  両小委員会で,私が再三発言してきたことですが,中央教育審議会がバランスの取れた検討を進めているということを,広く国民にわかってもらう必要があると思います。その意味で,国民に今,小・中・高校・大学の教育の構造を正確に理解していただくデータをつける必要があると思います。
  高校は全体で約5,500校,中学は1万1,000校です。そのうち私立の中学や高校の数ですが,中学校約1万1,000校の中で約650校が私立中学です。一方,高校は5,500校のうち約1,300校近くが私立です。ですから,全く違う構造ですから,提案されているような中高一貫校をつくった場合に,どこが改善されるのかは,具体例でもって考えていかないといけないと思います。
  一方,今回は視野に入っていませんが,小学校は,全国2万5,000校の小学校のうち,私立は174校しかないんです。その174校のところに受験生が殺到しているという異常な状況をどう考えるかという問題もあります。
  今申し上げた2万5,000校の小学校,1万1,000校の中学校,5,500校の高校において,人生の進路が分かれていくことを納得しないで,いつまでも同じ大学を目指して最後まで競争しているというのは,むしろ社会として愚かなことだということをわかってもらって,ここで言う複線化というものをもっと具体的に,人間味のあふれた意味でわかってもらうような答申に持っていくべきだと思います。
  その中では,私が再三発言していますように,いわゆる偏差値競争では遅れをとっている人たちこそ,むしろ世の中では大事な仕事をしているわけですから,その人たちがもっと早い段階で誇りを持てるようないろいろな複線化を考えるべきだと思います。
  最後に,稀有の才能ですが,稀有の才能というのは,いろんな稀有の才能のパターンがあると思います。今回は物理と数学に絞っていますから,これでいいと思いますし,第1段階としては17歳入学でいいと思います。もっと早い段階から稀有の才能が花開く場合もあるわけで,17歳に限ることはない。むしろそれよりも,何歳でもいいですから,稀有の才能が花開いたとき,その萌芽が見られたときに,それを受けとめる学校,お師匠さんの仕組みといいますか,そういうものが日本の社会の中に育ってないことのほうが問題。
  ある有名なバイオリニストは,5歳のときにアメリカに渡って,6歳前に才能を見出されて,ほとんどジュリアード暮らしだったわけです。彼女は今,24歳で,改めて大学に入っているわけです。20歳ぐらいまではバイオリン以外やったことのない人が,バイオリンでまさに世界随一の一人になった後で,大学に入学して,今度は人間としてのバランスの勉強を始めているというケースもあるわけです。そういうことは日本では不可能なわけです。ですから,先ほどのような物理や数学でも,最初のうちは多少変わった人でも,そのうちに人間としてのバランスもまたつけられるような仕組みも必要であると思います。

○  大変いい御意見をありがとうございました。
  それでは,一応これで御議論は終わらせていただきたいと思います。
  第15期の日程につきましては,既にお知らせ申し上げたとおりでございまして,今後,お忙しいでしょうけれども,3月中に第1・第2両小委員会をそれぞれ2回,両方お出になりますと4回開催させていただくことになります。その後に,4月に締めくくりを行いたいと考えております。
  26分ばかりおくれてきょうの会議を終わらせていただきます。少し議事の進行がまずくて,時間を大幅に超過いたしましたことをおわびいたします。きょうはどうもありがとうございました。



(文部省大臣官房政策課)
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