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中央教育審議会

2000/11/21 議事録
中央教育審議会  総会(第239回)  議事録

10:00〜12:00
グランドアーク半蔵門4階
富士の間

1.開    会
2.議    題
「新しい時代における教養教育の在り方について」ヒアリング及び討議

3.閉    会

出席者
委   員
根本会長、木村座長、内永委員、河合委員、坂元委員、志村委員、
高木委員、田村委員、土田委員、永井委員、松井委員、横山委員

事務局
松村政務次官、御手洗初等中等教育局長、工藤高等教育局長、
本間総務審議官、寺脇政策課長、その他関係官

意見発表者
ドナルド・キーン   氏(コロンビア大学名誉教授)

○根本会長    これから第239回の総会を開催いたします。本日は、私どもずっと期待しておりましたドナルド・キーン先生にお忙しいところを御出席賜りまして、お話を伺った上で自由討議をしたいと思っております。
   それでは、最初に配付資料につきまして、事務局のほうから確認をお願いします。

〈事務局から説明〉

○根本会長    ありがとうございました。
  それでは、ドナルド・キーン先生を御紹介したいと思います。どうも先生、今日はありがとうございます。
  資料に先生の御略歴をまとめてございます。私から御説明するまでもなく、先生は大変にユニークな立場で、日本の文学、古典、伝統に通じられまして、特に私個人的には、『百代の過客』に非常に感銘いたしまして、私の書棚にいつも置いてあるということでございます。特に芭蕉を通しての先生のお考えに大変に感銘を受けてきたものでございます。これまで7月の梅原猛さんから始まりまして、10名ほどの方に御意見を承りましたが、今日が11人目でございます。
  それでは、先生のほうから御意見の御発表をお願いいたします。
○キーン意見発表者    どうもありがとうございます。正直に申しますと、今日どういう話をしたらいいかよくわからないのです。あるいは、全く的が外れるような話になるかもしれませんけれども、私はいろいろな友達とつき合って、多くは今の若い日本人が伝統を知らな過ぎるとか、そういうような話を何回も聞いたことがあります。それで、伝統はどういうものかという根本的な問題から話を始めようと思っています。
  伝統を持たない国民はまずありません。全くないと思います。また、ほかの国民が自分たちの文化をどう思っていても、自分たちの伝統をどう思っていても、その国の人たちにとっては大変大切なものであるはずですし、また誇りでもあります。例えば、首狩りの民族なら自分たちの習慣を大変いいことだと思って、別に恥ずかしく思っていないです。
  伝統には幾種類もあります。一つは国語、言葉です。宗教、食べ物、音楽などがあります。そして、もしある国に二つの伝統がある場合、けんかあるいは戦争になることがよくあるんです。ユーゴスラビアがいい例です。ユーゴスラビアの場合は、国語、言葉は同じ言葉です。食べ物あるいは音楽は大体同じですが、宗教が違うんです。
  ベルギーの場合は、宗教が同じですし、食べ物も同じですけれども、国語が違いますから、フランス語をしゃべる人とオランダ語をしゃべる人との仲は大変悪いようです。そういう場合には、大体において自分が話している国語が一番いいと言い張ることがあります。ベルギーがそうです。オランダ語をしゃべる人たちはフランス語を軽蔑したりして、フランス語で何か話しかけたら答えない。逆にフランス語の人は同じような反応を示します。しかし、それではどこの国の言葉が一番優秀かという質問は全く意味がないと思います。
  中世のヨーロッパでは、教養のある人だったら、自分の大事な論文をラテン語で書いて、論文だけではなくて、文学、詩歌をラテン語で書いていました。割合に最近まで、つまり19世紀の末までフィンランドのヘルシンキ大学の講義は全部ラテン語で行われていました。日本でも日本語でない国語、つまり漢文とか、そういう国語が教養の一つの印になっていました。漢文で物を書く、あるいは漢詩をつくるというのが教養のある人の証拠になっていました。特に士族の場合はそういうことがはっきりしていました。日本語で書くことは何となく女々しいとか、日本の文字は女文字だとか、そのように軽蔑していました。イギリスでも同じことがありました。中世では、英語で物を書く人たちはばかにされていました。やはりラテン語でなければ一流の文学作品ができないと思っていたんです。
  日本で、明治時代ですが、文部大臣だった森有礼は日本の国語として英語を採用すべきだと唱えました。彼が暗殺されたことは皆さん御存じです。また戦後になって、文学の神様として尊敬されていた志賀直哉は、フランス語を日本の国語にすべきだという説を持っていました。彼が本気だったかどうかよくわからないんですが、耳を傾ける人はいたらしいです。しかし、もし本当にフランス語を日本の国語にしようと――フランス語はきれいですし、長い伝統もありますから、フランス語を日本語のかわりに一般の人の国語にしようと思ったときに、どういうふうにできたかということです。
  例えば、もしフランス軍が何百年間も日本を占領して、すべての出版物をフランス語だけにして、日本語を禁じてすべてのテレビやラジオ放送をフランス語だけにして、あらゆる教育をフランス語でやるように命じたら、あるいは日本の国語をフランス語にさせることに成功するかもしれません。しかし、それでも日本語は死なないと思います。ヨーロッパの例から申しますと、フランス軍が英国を制覇して何百年もフランス語を宮廷や裁判所の唯一の国語にしていましても、英語は死ななかったです。現在のアルザス地方では、教育は大体フランス語で行われていますけれども、家庭では依然として変わらずにドイツ語を使うことが続いています。
  また、仮に国語がなくなりましても、以前からあった文化の記憶は必ずしもなくならないです。アイヌ語を日常生活に使う人は至って少ないと思います。アイヌ語を復活させる運動があっても、どんなに広まっているかわかりませんが、あることは有意義だと思います。アイヌ語ができましても、現在の社会であまり役に立たないとしか言えません。アイヌ文化は世界の文化からいいますと、目立たないものです。そして、アイヌは日本人の名前を持っていましても、ふだん日本語を話しても、過去のアイヌの文化に対して強い憧れがあるようです。要するに、国民は容易に文化あるいは伝統を捨てないんです。
  宗教の場合でも同じことが言えます。日本の隠れキリシタンは250年間禁じられた宗教を守っていたんです。その宗教がばれたらみんな死刑に処せられたに違いありませんが、裏切る者はいなかったです。が、だんだん宗教的な儀式やキリスト教でない様子がいつの間にか入ってしまいました。また、ラテン語の「オラショ」という讃美歌の意味が全くわからなくなりました。現在、歌う人たちはその意味を全く知らないし、特別に関心がない。音そのものを大切にしています。現在、隠れキリシタンはほかのカトリック教の信者と違う教会を持っています。独立した文化の運命と言えるでしょう。動物の場合は、100匹以下なら絶滅に瀕すると言われています。人間の場合でも同じことかもしれません。
  伝統と習慣を区別することは難しいです。例えば、これはつまらない例ですが、帽子のことです。平安朝の貴族は帽子をかぶらなければ非常に恥ずかしかったんです。人の帽子、烏帽子をとったら、その人に対して大変悪い行為だったんです。中世のいつからか私もわからないですが、帽子をかぶる習慣がなくなりましたが、明治時代に入ってからまたその習慣が始まりました。例えば、夏目漱石の『道草』という小説に、「帽子をかぶらない男」という人物がいます。非常に珍しいことです。帽子をかぶらないことだけでも、ほかの人物と区別できたんです。あるいは、石川啄木は現代的な人物だと思いますが、彼にとって帽子をかぶることは非常に自然なことで、帽子そのものが外国のもので、帽子をかぶることは江戸時代にない習慣だったということを全然考えなかったです。また、終戦直後の日本の写真や映画をみると、ほとんどの男性は帽子をかぶっていません。現在かぶる人はほとんどいないです。どちらが伝統であるか、どちらが習慣か、あるいはファッションか、私はわからないですが、それほど人間の日常生活に伝統とかそういうものは影響を及ぼしていると思います。
  もっと大切な伝統に変化があります。あるいは、全く否定されることがあります。戦後の日本では軍国主義が強く否定されました。「武士道」はそのときまで非常にいいことだと思われていました。新渡戸稲造が『武士道』という本を英語で書きましたが、アメリカのルーズベルト大統領は非常に気に入って、内閣の人全部にその本を配ったし、そしてほかの人に50部ほどあげました。あまりにもすばらしいものですから、どうしてもほかの人にも分けたいと思ったようです。それほど「武士道」は、日本だけではなくて、外国でも尊敬されていた道だったですが、現在、「武士道」の話をする人はまずいないです。刀に関するような秘伝あるいは雰囲気もだんだん捨てられたようです。
  そして、封建的なものに対する強い反発が戦後から始まりました。子どもたちが親たちのやっていることを嫌いだというときに、「封建的だ」と言っていました。「封建的だ」と言ったのは、鎌倉時代を思わせるとか、そういう意味でなくて、ただ自分の嫌いなものは封建的だと思っていたのです。その結果の一つとして、日本に長く伝統のあった儒教はだいぶ捨てられたんです。親孝行とか、行儀のよさとか、あるいは義理人情とか――これは日本的な発展でしたが――そういう理想が否定されて、日本に不必要な思想だと思われていました。あらゆる方面の伝統が否定される時代でした。
  私はこういう経験がありました。清水焼で有名な清水六兵衛さんに会いましたとき、土が嫌いだと言っていました。自分の作品はなるべく金属的につくりたいとか、土が嫌いだという陶工は、本当に矛盾したような道に入っていると思います。そういう考え方が非常にありました。あるいは、漢字を嫌う人が随分増えて、漢字の制限だけでなくて、自分の名前を片仮名で書くとか、そういう反発を示す人があって、日本の文化を否定していました。   確かにこれは新しい現象ですが、それに対する反発もあります。新鎖国主義といいましょうか、それがあります。鎖国時代の日本にはあらゆるものがありました。何も外国から輸入する必要はなかったんです。あるいは、鎖国時代の日本はヨーロッパよりも進んでいたとか、そういうことを論じる人もかなりいます。しかし、インテリに限られていると思います。
  私は、留学生として京都に留学したのが昭和28年でした。あのころの学生のほとんどは左翼主義者だったです。当時のインテリの印として、どうしても『マルクス・エゲルス全集』とか、あるいは『世界』という雑誌を手に持って歩くことが大切だったようです。当時の人の常識では、革命があるかどうかということではなく、革命がいつあるかということだけが問題に見えました。そういう人が大変多くて、はっきりと反対している人は非常に少なかったです。例えば、三島由紀夫はその一人だったのですが、多くの人は仮に革命的な思想を嫌っても、日本的に成就した革命であるべきだとか、そのように言っていました。しかし、日本の伝統を捨てるということについては、大体意見が一致していました。当時の私は、そういう若い人たちを見て、この人たちにもう一つ、民主主義とか、私の好きな自由を尊敬させることができないかと思っていたんですが、何も名案はありませんでした。しかし、景気がいいことだけで、その思想が自然に変わったと思います。
  ともかく日本の伝統は一時大変強く否定されていましても、案外強靭なものだったと思います。一番つまらない例を挙げましょう。それは食べ物です。戦争が終わるまでは「無敵海軍」という言葉がありましたが、現在は「無敵日本料理」となりました。日本人が外国へ行って、例えば私の知っている人で、40歳代の男ですが、彼はパリのホテルに泊まって、食堂で食べるよりも、自分の部屋でインスタントラーメンを食べたほうがおいしいと思っていました。あるいは、中国へ行って脂っこい料理に困ったとか、あるいはアメリカの食べ物の大味に困るとか、そういう話を何回も聞いたことがあります。そして、日本人は今でも日本的な食べ物を喜ぶんです。それは外国の人の目から見ると、大変質素な料理です。おいしいでしょうけれども、不足している国民の料理だと。つまり、物がないときにつくる料理です。一例を挙げますと、ざるそばがそうです。外国人でざるそばを喜んで食べる人がいると思います。間違いなくいると思いますが、多くの人はフランス料理を断ってざるそばにすることはまずないと思います。外国人はざるそばもいいでしょうけれども、それだけではおなかがふくれないとか、あるいは味が単純であるとか、そういうことです。しかし、日本人はその伝統をずっと守っているんです。そういう伝統は私に言わせると大変結構なものです。つまり、不足を我慢するということではなくて、不足を喜ぶということは大変すばらしいことだと思います。嫌われている儒教に大変近いという感じもします。
  私は今まで、いい伝統とか、理解できる伝統の話をしてきましたが、悪い伝統もあります。捨てるべき伝統もあるんです。外国人は日本の社会を見るときに、よく文句を言うんです。この場合は私の話ではないんです。私は50年前から日本に来ていますから、自分のことを外国人と思っていないんです。しかし、多くの外国人は日本の社会を見て、大きな組織になっているという感じを持っています。組織になっているけれども、個人を尊重することはあまりないんです。私は自分の話をしないと申しましたが、一つだけ例外として申しますが、私は今から15、6年前に朝日新聞の客員編集委員になりました。私は非常に喜んでいました。というのは、朝日新聞は大変いい新聞だし、私の書きたいものを何でも書けたんです。しかし、一つ大変な残念なことがありました。そのときまで本当に親友としてつき合っていた毎日新聞の人が、私と絶交しました。それは私には信じられませんでした。組織が違うから絶交することがあり得るのかと思いました。しかし、間違いはありませんでした。彼から手紙がありまして、そうはっきり書いてありました。そういうことが日本にあり得るんです。
  そうすると、日本では個人が十分尊敬されていない、問題にされていないということも言えるかもしれません。外国人は、よく日本人の先輩後輩の関係を悪く言うんです。つまり、それは日本人にとって大切かもしれません。同じ大学を卒業した人で、自分より2年前の人は自分より少し上だとか、それも儒学的な考え方だと思います。しかし、結果としてよくない面もあります。私の友人の息子さんが早稲田大学を、経済学だったですが、2位で卒業しました。そして、彼は日本銀行に勤めたいと思っていたんですが、日本銀行へ行きましたら、「ここは東大の縄張りだ」と言われまして、彼はそこに入ることをあきらめたんです。それは外国では考えられないことです。人の力といいましょうか、知識力といいましょうか、それを無視しして、彼がどこの大学を出たかということを大きく言うのは大変おかしいです。学閥というものがあります。
  話がまた戻りますけれども、私はコロンビア大学で教えていますが、なるべくコロンビア大学出身の人を雇わないという方針です。つまり、違う教育を受けた人がおもしろいと思われている。コロンビア大学の卒業生は確かにいるんですけれども、過半数の人はよその大学を卒業した人です。
  同じ大学で学んだとしたら、やはり組織に団結力があるということは言えるでしょう。みんな同じ東大だったら、いざとなるとみんな固まって方針をとるということがあり得ると思いますが、これは必ずしもいいことではないと思います。仲間の意識が非常に強い国です。仲間でなければわからない言葉もあります。ある会社にこういう言葉があるんです。その会社に属していない人はわからないだろうと思います。会社の話をしなくてもいいんです。すし屋へ行って「お茶をください」と言ったら、軽蔑されます。すし屋では「おあがり」と言わなければならない。言わなければ仲間の一人ではないという証拠になります。そのような例は無数にあります。専門家、仲間の人でなければわからない別名は非常に大切です。あらゆる場合にそうです。歌舞伎を見に行って「幸四郎」と呼んだら、みんな驚くでしょう。そういう別名、仲間の言葉は非常に大切です。
  外国人に対する態度の伝統は私はいい伝統ではないと思います。外国人に対して悪い待遇をしているとは思いません。むしろ日本人同士よりも外国人を親切に取り扱っていると思います。しかし、いつも意識しているということはよくないと思います。外国人を意識すると、仲間ではないということがわかります。例えば私は実は50何年前から日本語を学んできました。けれども、私が講演する場合、多くの聴衆は私が日本語を読めないと思っています。いくらしゃべっていても日本語の文字を全然知らない、外国人が日本の文字を覚えることは不可能だと思っています。生理的に不可能と思っているようです。もしも私が講演の間に何かの理由で黒板に漢字を書きますと、「ハアッ?」という声が聞こえます。あるべきことではないと。外国人が日本の文字を書いては困るとか、あるいは漢字という塀があって、外国人がその塀を上って押入れの中へ入ったら困ると思っているような態度です。そういう態度、そういう伝統は、今でも生きている伝統ですが、よくないと思います。一番ひどい場合、私が1時間半日本語で講演しましても、終わってから片言の英語で何か聞くんです。あるいは、「うちのカーのドライバーがガレージで待っている」とか、そう言うと私がわかりやすいだろうと思っているんですが、私にとってはそれは親切ではないです。
  逆に日本人が外国へ行っていろいろ学ぶことがあります。特に外国に数年間行ったら、大変いいことがあると思います。しかし、大体は短期滞在です。たぶん日本の全人口の半分ぐらいは一度ぐらい外国へ行ったことがあると思いますが、行って何を覚えるかというとブランド製品です。どこのハンドバッグがいいか、グッチがいいとか、フェラガモがいいとか、そういうことを覚えて、外国の知識があると思って、そういう知識を持っているほかの日本人と一緒に仲間になります。そういう小説がまた多いです。現在の日本の若い作家が外国のことをよく書きますが、どこの料理がおいしいかとか、どこの店の手袋が上等かとか、そういう知識をどうしても見せびらかす必要を感じるんです。
  しかし、私が特別に日本人を非難する理由はないんです。御存じでしょうか、私の一生の仕事が日本研究で、後悔したことはないです。悪い伝統があるからそう言っていますけれども、悪い伝統がなくなることもあります。一例を挙げますと、これは大変大切ですが、以前は私がどこへ行っても見られていたという感じでした。京都のレストランへ行きますと、みんな私のナイフとフォークの使い方を見学していました。そうすると、私は上がってわからなくなることもありました。しかし、それがなくなりました。どこへ行ってもだれも見ていないという感じです。どんな山村へ行ってもだれも見ていないです。それは大変な変化です。私はそういう変化を褒めたいです。日本人が例えばアメリカの山のほうの町に行ったら見られると思います。しかし、逆に日本ではそういうことがないことは大変な進歩だと思います。
  ほかにもいろいろ挙げられますが、日本には様々な伝統があって、古いものだけがいいとは言いたくないんですが、もともとの私の話題、日本の伝統が十分覚えられていないという問題に戻りたいと思います。もしそれを希望したとして、日本のよい伝統をどのようにして復活させることができるかということです。一つは非常に簡単で、人間はそれについて何もできないですが、危機がありましたら直ります。何か危機がありましたら、日本人はシャンとすると思います。
  何年前でしたか、この話をしては申しわけないんですけども、ちり紙がなくなったことがありました。店へ行ったら、どこにもなかったんです。そのときこそ日本人は喜んでいたんです。つまり、自分たちの不足の文化にあるような強いものを見せることができたんです。私はあのときのテレビ番組を覚えています。あるおばあさんが出てきて、彼女はインドネシアにしばらく暮らしたことがあると言っていましたが、インドネシアではちり紙を使わないで、水でやっているとか。そのときこそ何となくうれしそうだったと思います。そういう危機への伝統が日本人には確かにあります。
  しかし、危機を願う人はいないです。だれも嫌うんです。私ももちろん嫌うんですが、あったら日本の伝統の問題は自然になくなるんです。そういう場合はどうすればいいか。まず教育です。私は3年ほど前ですが、私にとって全く信じられない体験がありました。東京大学に外部評価があります。私は国語、国文、国史に参加しました。大学院の学生たちに会って、彼らの悩みや希望を聞いたり、いろいろやりました。その中に、日本人は一人もいませんでした。要するに、東京大学の大学院で、日本語、日本史、日本文学を勉強している人が、あの時点でいなかったか、それとも何かの理由で外部評価の人たちの前に現れたくなかったのかもしれません。どういう人だったかというと、圧倒的に韓国人が多かったです。2番目は中国人でした。西洋人も幾人かいましたが、日本人が一人もいないことは全く不思議でした。要するに、自国の文学、歴史、自国の国語に興味がないのだろうかと思いました。ほかの大学の先生に聞いたら、国文学を専攻している学生は非常に少ないという返事でした。どこへ行ってもそうだったのです。また、その中に国文学の一つとして映画とか、アニメとか、そういうことを勉強する学生がいましても、古典文学を勉強する学生はほとんどいないということだったんです。それは本当に信じられないことでした。
  どうしてそういうことになるのか。一つ考えられることは、仮に国文学で学位を取ってもいい就職ができないという常識があるかもしれません。それが一番大きいかもしれません。もう一つの可能性は、高校生あるいはその前に国文学をやったときの、あれは苦しいものだったという記憶があるからだと思います。要するに教え方、あるいは教科書がだめだったということしか言えないです。日本の国文学、日本文学は大変優れた文学だと思います。それはお世辞ではないです。私は50何年前からそれを勉強してきましたから、専門家としてそれは言えます。しかし、私の知っている限り、日本文学、例えば『源氏物語』にしても、『平家物語』にしても、文学として教えていないんです。文法として教えています。ここにおもしろい例外があるとか、ここは「こそ」があるから最後は已然形だとか、そういうことを厳しく教えています。どうしてかというと、やはりそういう問題が入学試験に出るだろうと思っているからです。
  私の考えでは、高校生あるいはもっと前に、学生・生徒たちはわかりやすい現代語訳で読むべきだと思います。そして、わかりやすいと申しましたのは、特に国史の場合はそうですが、わかりにくい部分もあります。読み下しというところがあります。あれは固有名詞が非常に多い。あるいは発音しにくい名前が出ても振り仮名がついていないとか、それを喜ぶ若い人はいないと思います。まず若い人が日本の文学、日本の歴史を愛するように考えなければならないと思います。問題は日本文学を愛することです。日本語の文法ではないんです。文法はどうでもいいと思います。いずれそのうちに文法の誤りは自然に直ると思います。
  また、教科書を見て不思議な現象に出会いました。どの教科書を見ても、西鶴の傑作、好色物は全然出ていないし、近松の世話物も全然出ていないんです。どうしてかというと、遊廓の話が出るから、子どもたちの教育に悪い影響を及ぼすんじゃないかという心配があるからです。とんでもない話です。子どもたちは漫画本を買っているし、テレビを見ていますから、西鶴が考えたこともないような悪いものを平気で読んでいます。どうして子どもたちに西鶴を読ませないか、私、さっぱりわからないんです。読んでも大したことはないんです。そして、子どもたちはもっともっと悪いことを既に知っているんです。
  日本の歴史の場合は、おもしろいところから教えたらいいと思います。足利義詮の特徴が何であったか知らなくても結構だと思います。しかし、足利時代にどういうふうに日本の文化が変わったかとか、一般の日本人がそのときまで知らなかった優雅な生活をどうして知るようになったか、そういうことを話したらわかります。華道とか、庭園とか、そういうことを話しましたら若い人にもおもしろいでしょうが、足利歴代の将軍の名前を順序で覚える必要はないと思います。
  ほかに私に何か推薦があるかというと、私の推薦はみんな意外なことばかりですから、びっくりなさる方がいらっしゃると思います。まず、数学を少なくしたほうがいいと思います。小学校の算数だけでいいんじゃないかと思います。今の機械で、ほとんどの数学の問題はすぐ返事がわかるんです。子どもたちはそれがあったらいいと思います。数学の好きな人、あるいは自然科学に興味を持つような人は、もちろん数学をもっともっと勉強すべきだと思いますが、私の経験から申しまして、私は高校生としては、アメリカの名門ではなかったですが、いい高等学校でした。その高等学校で勉強できる数学を全部やりました。目的は簡単でした。私はどうしても奨学金が要りました。ほかの学問の場合は100点満点を取れないんですが、数学の場合だけそれが可能でした。私は数学を随分やりました。その後、一度も役に立ったことがないです。一度も数学を勉強したことをうれしく思い出したことがないんです。今、完全に忘れました。忘れたことを恥ずかしく思いません。むしろ高等学校に対する気持ちが悪いです。どうして私はそれを勉強しなければならなかったかと思います。
  次の問題は、英語です。私は小学生に英語を教えて、嫌いだったらそれで終わってもいいと思います。小学生で好きだったらずっとやればいいんです。しかし、今のところでは中学校に入ってから英語を始めるし、また入学試験とかそういう問題でどうしても英語を知らなければならない。英語の文法。私、時々新聞に出ている問題を見て、「この文章に誤りがあります。誤りを指摘してください」といっても、誤りがないように思います。考えてから「あ、こういうことか」と思って、要するに罠です。罠に慣れるような人をつくることはよくないと思います。そういう時間がないんです。子どもは日本語以外に外国語があるという程度のことを知るべきだと思います。
  しかし、英語の教え方にも問題があると思います。例えば音楽で教えたらどうか。つまり、流行歌といいましょうか、その文句を覚えさせたらどんなにいいだろうと思います。子どもたちも喜んで覚えるでしょう。仮に内容がよくなくても、自然な英語で歌うようになると思います。実は私は時々ラジオで、日本人がアメリカの音楽を歌っているのを聞くことがありますが、何のなまりもないです。偉いと思います。そういうふうに教えたらどうかと思います。文法より先に音楽教育をやったらどうかと思います。
  もし数学がなくなって、英語もなくなって、どういうことにするかということです。私の趣味からいうと書道がいいと思います。書道をやって、芳名録に自分の名前を書くことだけじゃないと思います。書道は日本文化と深い関係にあると思います。書道ができて、美術がわかるようになります。この線は太過ぎるとか、この線は濃く書くべきだとか、そういうことがわかったら、陶器の形とか、書道を勉強するとき、こうすれば竹になる、こうすれば蘭になるとか、そういうことを教えられますから、それが日本の美術と深い関係があるんです。もし書道が時代おくれという判断だったら、日本の倫理としての儒学をもっと勉強すべきだと思います。わかりやすく例を日本の過去からとって、必ずしも孔子、孟子に触れなくてもいいんです。
  私の望む結果として、日本に独特の文化があって、日本語がいい日本語になって、そして日本人は自分の文化を誇っていましても、他国の文化を軽蔑しないということです。つまり、私の希望は国家主義ではないんです。戦時中の日本はモデルにならない例だったです。しかし、自国の文化の大切さを保存して、なるべく若い人たちに伝えることが大切だと思います。これはいい例かどうかわかりませんが、現在、ヨーロッパでECができまして、以前からいうと大変な敵であった国が一緒になる。フランスとドイツの歴史を読みますと、絶えず戦争が行われていまして、フランスと英国も百年戦争がありました。そういう国が一緒になることは大変すばらしいことだと思います。そして、その場合、英国人は英語を捨てないんです。フランス人は決してフランス語を捨てないです。フランス文化を大切にしています。それでも自分たちはヨーロッパ人だと。私の希望は、未来の日本人が世界人になることです。そして、日本人だけでなくて、すべての人間が世界人になっていただきたいです。
○根本会長    大変に示唆に富んだお話を承りましてありがとうございます。
  せっかくの機会でございますので、皆様のほうから何か御質問なり、この際ぜひともキーン先生にお伺いしておきたいということがございましたら発言をお願いいたします。
○  大変に示唆に富んだお話をありがとうございました。キーン先生のおっしゃりたいエッセンスはよく理解したつもりですが、例えば数学の話で、数学は小学校だけでもいいとおっしゃいました。キーン先生は数学を一所懸命勉強されたけれども、その後、それから得るものはなかったとおっしゃいました。しかし、数学を学ぶことによって、数学の考え方みたいなものがどこかで身について、その後それが生きてくることもあるのではないかと思うんですが、その辺いかがでしょうか。
  もう一つ、例えば書道を教えろとおっしゃいましたね。日本の教育は、先生御承知のとおり、義務教育で国民の最低のスタンダードをつくろうと考えています。その中で数学もやめてしまって、書道を教えろということになると、なかなか実現が難しいと思うんですが、その辺についてコメントをいただければと思います。
○キーン意見発表者    私は自分自身の精神分析をやったことがないですから、数学をあれほどやったために、自分が合理的な人間になったかどうかよくわからないんです。実は私は合理的でないんです。むしろ私は直感的に物をやります。そして、私は芸術家ではないんですけれども、芸術家の特徴がそうです。合理的ではないです。小説を書く人でも、絵を描く人でも、彫刻をつくる人でも、合理的な考え方で偉くなったという人はあまりいないと思います。まあいるでしょうけども。レオナルド・ダ・ヴィンチとか、そういう人はいましたが。しかし、子どもとしても、どっちの方向に向かっているという傾向はあると思います。文学が好きとか、芸術が好きとか、それとも自然科学が好きとか、それがあります。今のところでは大嫌いであっても数学をやらなければならないです。そういう人には絶対にためにならないと思います。
  いや私の話で大変恐縮ですが、私は物理学も高校生としてやりました。さっぱりわからなかったですが、記憶力は抜群でしたから、私は物理学の教科書を暗記しました。結果として、私の成績は物理学をよく理解する人よりも上だったです。私は全部覚えていましたから、教科書のとおりに書けました。それがいい教育だとは思わないです。数学を書道にすることは難しいという御意見はよくわかります。しかし、考えるべきことだと思います。そういう可能性が本当にないかということです。
  芸術的に特別に優れている子どもがいるんです。絵を描いたり歌を唱ったりしている子どもたちに同じ教育をさせる必要があるだろうか。そういう子どもたちが大学に入りたいと思ったら、同じ入学試験が合理的かどうかということを考えなければならないと思います。みんな数学をやるというのは何のためにもならないと思います。専門にするような人、物理学とか、そういう学問をやる人はもちろん大変役に立ちます。あるいは論理とか、そういうようなことに興味がありますと数学も役に立つし、哲学的なこともあります。しかし、芸術に向いているような子どもに無理やりに数学を教え込むことは、私に言わせるとためにならないんです。むだな時間になります。そのためにその子どもがもっと合理的に考えるかどうか、私は本当はわかりません。私はそうでないと思います。
○  今の委員の方からお話があったことと全く同じことを私は考えていたんですけれども、今御質問がありましたのでそれはあれとしまして、先ほど日本人は仲間意識が非常に強いということをおっしゃったかと思います。世界の中の人間になっていくことが、私も大事だと思うんですけれども、これはなかなか難しいんではないかと思います。仲間意識というのを壊さないで、世界のほかのいろいろな文化を受け入れていくということをするためには、どういうことを考えなければいけないかということをちょっと教えていただければと思います。
○キーン意見発表者    仲間意識が非常に強いということがわかっています。そして、いいか悪いかは私には言えないんです。私の専門外ですからわかりません。しかし、ひどい場合があります。つまり、東大を卒業しなければ人間ではない、そのような意識があることはあります。私の友達にそういう日本人がいるんです。それは仲間意識の行き過ぎだと思います。そういうことは芸術の世界にむしろ少ないと思います。つまり、だれそれの弟子だから、別の人の弟子より上だと思わない。本人の力、本人の芸術性によって、彼の位置が決まるんです。
  私は日本の社会を壊すつもりではないんです。長くいろいろすばらしい結果がありましたから、壊さないほうがいいと思いますが、みんな同じような教育を受ける必要はないと思います。芸術だけやる人は軽蔑される人物ではないと思います。芸術も人間にとって必要です。そして、そういう教育を受けて一人前として社会に出ることは大切だと思います。どこそこの大学を卒業したとか、あるいは私にとって一番不愉快な現象は、何年間も浪人して、やっとのことでいい大学に入るということは非常に好ましくない傾向だと思います。それよりも本人の本当の力、その人の趣味といいましょうか、その人のできることによって大学を決めたらいいと思います。みんな同じような数学とか、同じような外国語の試験を受ける必要はないと思います。それは私個人の意見で、無責任かもしれません。
○  非常に楽しく聞かせていただきました。賛成ばかりでちょっと残念なんですが。文学を文学として教えるというのは私は大賛成なんですが、アメリカの場合は、アメリカ文学であれ、日本文学であれ、文学は文学としての楽しみを教えるということをやっておられると思うんです。そういう場合、学生の評価をどういうふうにしておられますか。文法で評価をすると、すごく点がつけやすいんです。点の差が出てきて、罠でひっかけられて。ところが、文学の楽しみがよくわかっている人と、わかっていない人というか、その辺の評価の問題をお聞きしたいんです。
○キーン意見発表者    御存じですけれども、幸い人間は皆違う趣味があるんです。私にとっておいしいものは、必ずしもほかの人にとってはおいしくないかもしれません。日本人は例えば昼御飯にざるそばを食べてとてもおいしいと思うし、間違いではありません。しかし、例えばフランス人に同じものを食べさせたら、おいしくないとか、こんな味のないものをよくも日本人は我慢するものだとか、そういうことを考えるでしょうから、全部同じめどで決めることは不可能だと思います。
  もう一つ、私が話さなかったことですが、私よりも御存じですけれども、人は変わるんです。若いときに文学に全く興味がなくても、大人になってから始めて、そのよさを知るようになるとか、逆に若いときに文学ばかり好きで、漫画本ばかり読んでいたけれども、大人になってから物理学のおもしろさがわかるという可能性があります。ということで、あるいは今の制度がいいかもしれません。つまり、大人になってから始めて、大学に入る時点で初めて専攻することを決めるということです。しかし、私の感じでは、いろいろなものが現在は犠牲にされています。特にこれは危ない話ですが、私は日本人の一番の特徴は何かというと、芸術性が非常に進んでいる国民だと思います。その芸術性を増やすということでは、激励するか、あるいはそれに冷たい水をかけるか、それは大きな問題だと思います。もし芸術性のある子どもだったら、どうしてその子どもに英語を教えなければならないかと思います。その子どもが陶器をつくっても、絵を描いても、すばらしいものができます。日本の宝物をつくれるんです。みんな同じ教育をすることは必ずしも公平ではないと思います。
○  お話の内容はもちろんでございますけれども、全体の発想が非常に自由で、具体的で、いい意味で過激なことをおっしゃるというところに大変感銘を受けました。
  一つ御質問をさせていただきたいんですけれども、私もキーン先生が日本に過ごされたほどではありませんが、やはり長い間アメリカに住んでおりましたので、先生がおっしゃいましたように、日本の社会がグループ単位であって、個人が埋没しがちであるということを常々感じております。ところが、近ごろの若い者ということを私はなるべく言いたくないんですけれども、近ごろの若い人たちの多くは、他方、自己中心で他人に対する思いやりがないということも言われております。そういう現実の中で、日本社会に非常に欠けている、しっかりした一人一人の個の確立を、教育だけではもちろん無理だと思いますけれども、特に我々は教育を検討しておりますので、教育の分野でどのように伸ばしていくことができるか。キーン先生のお話の日本文化のよい伝統をもっと重視し、尊重せよとおっしゃるのは大変賛成ですけれども、個の確立という面では少し違う要素も必要ではないかと思います。
○キーン意見発表者    おっしゃるとおりです。どんな理想があっても、もう一つの面もあるんです。よくない面があります。全部いいというような理想はないでしょう。つまり、今の若い日本人は伸び伸びしていると言えます。以前の日本人と比べると、自由に自分たちの好きな職業を選んで、また以前になかったような創造力もあるかもしれません。それは言えますが、逆に迷う人が随分増えました。どっちのほうがいいか。ある意味では、これは私が言うべき話ではないんですが、戦争中の日本は一番よかったかもしれません。つまり、みんな一緒だったです。みんな同じ意識があって、みんな同じねらいがあったです。戦争に勝つことでした。そのために自分を犠牲にする人がたくさんいたんです。自分を犠牲にすることは難しいです。今の社会では特に難しい。だれも自分を犠牲にしたくないんですが、ああいう時代がありました。そういう意味では、当時の日本人は一種の幸福がありました。皆さんと一緒に何かすばらしいものをつくっているというような快感があったと思います。今は皆別々です。違う目的があって、違う専門もありますから、戦時中の日本のように、皆同じ理想のために自分を犠牲にするということはないんです。
   どっちのほうがいいか、私はなかなか言えませんが、私自身はアメリカ人として、仮に悪い結果があっても、自分の中にある可能性で発想すること、それを外に出して世界のために何か物をつくることはいいと思います。アメリカの美談としても、昔の人は何か悪いことをしていじめられたことがあったんですけれども、そのために何か発見がありました。そういう気持ちになったんです。そういうことがあるんですが、私はなるべく人間は自分の望むような道を選んで、自分の望むような発展をして、自分が選んだ目的に対して進むことがいいと思います。幸い人間にはあらゆる種類がいます。私にとって全く意味のないような勉強をしている人もいます。私にとって一番勉強したくないようなことを喜んで勉強する人が幸いいます。だからそういう自由があったほうがいいと思います。仮に失敗する例があっても、みんな同じことをするよりも、そういう個性を育てることはいいのではないかと思います。あるいは、私の今の発言はアメリカ人としての発言かもしれません。つまり、私の一生は日本研究にささげてきたんです。死ぬまでそれが続くと思います。しかし、私はアメリカで生まれて、小さいときからいろんなものを覚えましたから、その中で、みんなそれぞれの道で進むということですが、間違いかもしれません。
○  冒頭、宗教文化のファクターの違いで、いろいろな対立がというお話がございましたが、ハーバード大学のハンチントンさんが『文明の衝突』という御本の中でおっしゃっておられますことは、キーン先生がおっしゃった日本の伝統・文化等はコスモポリタンというコンセプトとはなじまないんだ、日本文化あるいは日本の伝統というのは、そういった意味でインターナショナルな普遍性を持てないんだという分析をされているように思うんですが、このハンチントンさんのような見方についてどのようにお感じなのか、お考えを聞かせていただければと思います。
○キーン意見発表者    おっしゃるとおりです。しかし、極端な例もあります。例えば、どこかで読みましたが、グリーンランドに200人のエスキモーが小さい村に住んでいまして、自分たちは世界のすべての人間だと思っていました。ほかに人間はいないと思っていました。そして、彼らがつくった文化は大変変わっていました。ほかに人間はいない。どこまで行ってもほかの人間に出会うこともない、そのような考え方がありました。しかし、現在の多くの人は、自分たちの文化を愛しているし、合理的だと信じているし、ほかの文化はそれほどよくないと思いたがることもあるし、そういうことを知って大変憂うつになることもあります。人間はこんなに長い歴史があっても、まだ殺し合っているとか、あるいは現在ヨーロッパで殺し合いをやっているんです。見た感じでは全く同じ顔で、食べるものは同じですし、風俗は同じですけれども、宗教が違うから殺す、あるいは言葉が嫌いだから殺す。それがまだ続いています。そういうことを知って大変悲観的になりますが、私は未来にもし今の傾向が続きましたら、もっといい世の中になると思いたいです。一番いいことは、もし火星に人間がいたら一番いいです。地球人がみんな団結して、火星人の脅威に対してみんな一緒に働くのは最高ですが、私の知っている限り、残念ながら火星に人間はいないんです。それが今年一番がっかりした事実です。いたらどんなによかったかと思います。
○  今日は本当にいいお話をいただきましてありがとうございました。  一つお伺いしたいことは、ここで教養教育という議論をしているわけです。つまり、日本人の生き方みたいなことが知識に裏づけられるというその知識の議論をして、生き方にかかわるという話になると、知識というよりは、どちらかといえば、ユングの言うところの「ヌミノース」というんでしょうか、「聖なるもの」とか、「呼ばれようと呼ぶまいととにかく神は存在する」という考え方が基本にないと、人間としての生き方は常に問題が出てくる。畏れをもって生きるという部分が最終的には問われてくると感じているところです。
  実は戦前の不幸な歴史があって、日本民族にはその部分についてはいわゆる神道というのがありまして、八百万の神という考え方で、畏れるもの、人間を超えた存在を伝統的には感じてきたわけです。それが一番日本人には感じやすいというか、考えやすいものではないか。いろいろな宗教が外国から入ってきたんですけれども、結局、それらの宗教がいろいろな形で神道の影響を受けていることは歴史が証明しているわけです。その際、神道についてのキーン先生の御見解といいましょうか、これから先、日本人が国際社会に生きる場合に、シントウイズムといいましょうか、一種のアニミズムでもあるんですが、そういう考え方に対して先生の御評価は、積極的に評価されるか、あるいはむしろマイナスに働くんじゃないかとお感じになっておられるか、もしお聞かせいただければと思います。
○キーン意見発表者    戦時中のことですが、日本にかなり長く宣教師として滞在したことのあるアメリカ人が、『神道/征服されていない敵』、日本人にあってそれは非常に危ないことです。仮に大東亜戦争でアメリカが勝っていても、その敵がまだ存在するだろうという本を発表しました。そういう見方もあったでしょう。しかし、私はあまりそう思わないんです。私は一時、平田篤胤のことをかなり詳しく調べたことがあります。彼は狂信的な神道の信者であったんです。時々読んでおかしくなるくらいそうですが。しかし、現在、多くの日本人にとっては神道は親しみやすい宗教です。何もしなくても、年に1回ぐらい明治神宮へ行って柏手をすれば十分だと簡単に済ますんですが、やはり神道の影響はいろいろあると思います。日本人は仏教を信じていますし、仏教の影響を大変受けたに違いないと思いますけれども、神聖なもの、清いもの、そういうものが仏教よりも神道にあるということで、神道から日本全体に広まっていったんです。日本人は意識的にそれが神道だと考えなくても、自然に清潔であることは大切であると信じているんです。それは神道から得た影響かどうか全然問題ではないです。しかし、いろいろな面で神道の影響が広まってきたんです。ほとんどの日本人は何かの形でそれを信じていると思います。しかし、天照大神を信じる人がいるかどうかそれは別問題です。それは国家神道といいましょうか、一部分ですが、多くの人は清いものとか、そういうものを喜んで、神道の思想を継いでいると思います。
  こういう話をしてはいけないと思いますが、私の考えでは韓国とか中国とかなり違うんです。同じように三つの国、三つの文化に仏教の影響は大変強いものだったですが、神道は日本のもので、その点では日本人の清潔好みとか、そういうものが挙げられると思います。いろいろな意味で日本人は神道の影響を受けて、初詣の新記録のために大勢の人の一人として明治神宮へ行くとか、そういうこともありますけれども、もっと深いところで日本人の好みは神道と密接な関係があると思います。それこそが日本人の趣味だと思います。けばけばしいものよりも、複雑なものよりも、質素なものを喜ぶということは、日本の大変大きな特徴ではないかと思います。
○  キーン先生は日本では非常に有名な方でありまして、私は著書を何冊か拝読した経験がかつてございますが、お目にかかったりお話を肉声で聞くのは今日が初めてであります。率直に感想を申し上げますと、私ども以上に温かい気持ちで日本の文化を御理解になって、一々御説明をいただけたと思っておりまして、非常にうれしく感じました。
  私は理科系の仕事に携わっておりますので、ちょっと違った考えを持つのかもしれませんが、先ほど数学のお話とか、いろいろ出てまいりました。率直に私自身が感じたことでございますが、今、日本の教育界、あるいは日本人の多くの人が合い言葉のように言っておりますことは、独創性のある、つまり世界を創造するような、夢を持たせるように努力しなきゃいかんというところで、一つの最大公約数を縛ろうとしておるわけだと思うんです。キーン先生のお話を聞きまして、あまり難しく考えないほうがいい。むしろ率直に自由度を、もっとフレキシブルな意味で、個性に還元した形で伸ばしてやるように進めていけばいいのではないかというように私にはとれまして、我が意を得たりという気持ちになったわけでございます。日本人同士で話していても、このようにピッタリと感覚が合うといいますか、そういうことは多くはないのでございます。その意味で非常にありがたく思っております。
  ですから、あまりこだわらなくても、芸術の面でも、あるいは文学、あるいは宗教の問題も含めまして、自然科学、あるいは技術、工業というような問題に至るまで、根底にあるものはやはり豊かな人間性をどうやって育てるかということだと思います。
  そうすると、遠くにある目標、人間としての目標、社会としての目標、あるいは日本というのが一つの国家とか、民族であるとすれば、理想像はたくさんあって結構ですけれども、少なくとも一つや二つの理想を掲げて、遠くにあって、すぐに実現できなくて結構だと。そういうような生き方をまじめに考えていかなければいけないのかなということを、短いお話の時間の中で、私自身そういうことを強く感じました。
  先ほどの委員の方がおっしゃっておられました神道というのは、確かに先生の御解釈のとおりでございますが、今の大多数の日本人は年に1回ぐらい行くだけなんですけれども、そういう形式的なことで神道の本質というのをあまり感じてないのではないか。つまり、髪の毛一本にも神様がいるとか、表現はいろいろでございますが、指一本一本に神様がいる、あるいは人間を超越したものが存在するんだという畏れを常に教育の中で持ち続けてきたというのが、今日の日本人のある姿だと私は思っております。したがいまして、それを無視して新しい骨格をつくろうというようなむだなことをやるよりは、むしろ自分のよさをよくごらんなさいよというようなお教えを受けたかなと受けとめたわけでございます。
  ですから、神道という言葉でたまたまあらわされたわけでございますが、私どもが連綿として持ち続けてきた一つの意志といいますか、あるいは崇高で超越した存在を、何も神とか、仏とか、あるいはイエス・キリストという形で具現する必要はなくて、私なんかは自然科学をやっておりますから、自然科学の研究そのものが神に近づこうとしていることなんだ、そのために謙虚な努力をしなければいけないと自己を律してはおるわけです。いろいろな形があってもいいと思うんですけれども、キーン先生の御指摘は、日本人に対する、あるいは日本の文化に対する非常な愛情にあふれた、しかも何もかも御存じで、よく要所要所を御指摘いただけたことに感謝申し上げると同時に、お話を伺いまして自分自身の自信と申しますか、うれしい気持ちで、お話を大変うれしく承ったわけでございます。
  私どももぜひそういったところに着想の原点を置いて、特に言葉という問題が大事でございますので、国語の推進ということと、それからもう一つ大事なことは、原点へ戻るという意味で、昔物語とか、童謡とか、あるいは日本には昔から伝統的に神話というものがたくさんある。これは夢をたくさん含んでおるわけです。独創ということも、そういうことを幼時に十分――もちろんそんなことは架空のこと、あるいはうそのことだという言い方も言えますし、歴史的な背景を含んでいるという見方もできると思うんですけれども、そういうことを幼時に母親が教育するとか、あるいは父親からゆっくり機会を得て話を聞くことで、思春期を経由して成長するわけですが、そういうときにそれまでの説明とか、見解を否定しながら自分で成長していくことができる。それがなしで、最初からつくられたものを与えられる。むしろ石ころとか、木の葉っぱをおもちゃに育つということと、プラスチック、その他でできた立派な玩具を最初から与えられるというのとの根本的な違いにつながるのではないかと思うんでございます。
  そういった私の意見に対して一言何かおっしゃっていただけたらありがたいと思うんでございます。
○キーン意見発表者    まず、大変御親切なお言葉に感謝しています。長いこと私は日本研究家として大変つらい身分だったんです。要するに、外国人だからわからないだろうとか、外国人だから日本人と同じような感受性がないとか、そういうことを言われて、私は証明しなければならなかったです。私はこれこれをわかっているとか。しかし、今でも私を疑う日本人がいるんです。50何年前から日本語を勉強してきましたけれども、漢字を知らないとか、日本の習慣を知らないとか、そう思っている人がまだいるんです。
  私は逆に非常に恵まれた人間だと思います。私は若いときに偶然に、戦争という恐ろしい偶然だったですが、日本語を覚えました。戦争が終わったら、戦時中に日本語を覚えたアメリカの若い人のほとんどには、もう日本語は役に立たない、日本語は負けたからためにならないという常識がありましたが、私は好きでたまらなかったのです。絶対やめたくないと思いました。それ以来、戦争が終わってから55年ですか、私は毎日何かの形で日本語あるいは日本文化と接触してきたんです。私にとって外国の文化とかではないんです。私の日本語に変なところもまだあるとわかっていますけれども、私は話しながらそれを考えてないです。ただ自分の気持ちを伝えたいと思っています。
  私は日本文化を選んだ、あるいは日本文化に選ばれたと言ったほうがいいかもしれないですが、これは私の一生の幸せです。一番うれしいことです。まだやっています。78歳ですけれども、まだ元気で、私はこれからいろいろ計画があります。私の最終的な目標は、外国で私と同じように日本文化を尊重すること、日本文化を愛することです。私は多少その目的に近づいたという気もします。私は堅い研究も少しやったことがありますけれども、自分の一番大切な仕事は一般の人のための研究です。そして、外国で以前は日本が遠い国だとばかり思っていた人たちが、案外同じ人間だ、同じ感受性があるということがわかって、日本は未知の国でなくなりました。日本文学を愛するような外国人は珍しくないんです。本は広く読まれています。そして、演劇も外国でしばしば上演されています。それを考えると、私は非常に恵まれた人間だと思います。そういう時代に、自分の趣味に合うようなことで、人々を助けることができました。日本についての無知に対して少し明かりをつけることができました。
  私は時々思うんですが、どうして以前に私のような仕事をやる人が少なかったか。本当に日本文化は魅力的です。それは異国趣味という意味ではなくて、人間をうまく表現したという意味です。これは御質問の返事になりませんが、私はこの年になっても思い出すことは、本当に運のいい男だと思います。ちょうど適当なときに私の特別な才能を見つけることができました。もし違う世界になったとすれば、もしどうしても物理学が必要だという世界であったら、私はあなた方の前に出ることはなかったと思います。
○  日本は戦前に閉じ込められた個人主義を、戦後、解放されたまま長い年月を過ごしてきました。そこで、今、これは以前、意見発表していただいた梅原猛先生からのお話ですけれども、修養というものが足りない。倫理教育をきちんとすべきだというお話もありました。また、もう一つ科学的に考えますと、地球という自然の限界もあります。これは足るを知るということにもつながるかと思います。倫理教育、あるいは哲学の教育、あるいは価値教育、それから参画する市民の教育をどのようにしたらいいのかということで、もしヒントがあればお教えいただきたいと思います。
○キーン意見発表者    日本のデパートへ行って、工芸品売り場へ行きますと、私はいつもびっくりします。つまり、私は日本の現代の芸術に十分慣れているつもりですが、びっくりさせるものが必ずあります。つまり、日本人にそういう可能性があるんです。芸術を好む民族だと言ったら、それは証拠がないとか、証明ができないことですが、日本人にそういう長い伝統があって、それが日本人の特質だと思います。そういう特別な繊細さといいましょうか、それには悪い面もあると思います。人に対して敏感でありすぎるということもあります。心配しなくてもいいようなことを心配するとか、そういうことは日本人にあると思います。しかし、芸術となると、世界を制覇したという面もあります。特に私の好きな陶器の場合は、世界中の若い陶工が皆日本に来たがるんです。そして、自分たちは日本人のつくったものをまねしていないです。しかし、ここに来まして、自分の中にあるものを発揮できると思っています。そういうことは日本の風土と関係があると思います。それに向いているような文化だと思います。
  世界に様々な文化があって、戦争のためでしたが、私は日本文化を選んで、今まで随分長く勉強してきたことが自分の一生の一番の喜びです。私にとって大変うれしかったです。もちろんどの文化にも矛盾もあるし、難しいところもあるし、若い人たちは過去の文化に対して反発することもあるし、それはいろいろ予想できますが、今の時代にデパートの工芸品を見たら、私は一種の安心感を持ちます。まだ日本人はこういうものができる、こういうものをつくっていると思って。あるいは、工芸は文化の最高峰ではないかもしれません。あるいは、文学とか、宗教とか、絵画とか、そういうものがより大切かもしれません。しかし、どの方面でも日本人は貢献しています。
  この50年で一番変わったのは、日本人は自信がついたという感じです。つまり、外国へ行っても圧迫を感じない。自分の文化と同じようなものだとか、あるいは違っていても理解ができる。それは大きいです。日本人は西洋の文化を勉強して、よく覚えて、消化しました。それで自分たちの文化をより豊富なものにしたと思いたいです。文学の場合が一番わかりやすいと思いますが、幕末の文学を読みますと、下らない作品がほとんどでした。いいものがあったとすれば、河竹黙阿弥の歌舞伎だけだったでしょう。しかし、外国からの刺激とか、影響があって、それを消化して、夏目漱石とか、森鴎外ができた。それは日本人独特の力、あるいは消化力によることです。私は今、一番いい時代だと思いません。もう少し前だともっと私を喜ばせる時代でしたが、しかし絶望していないです。またいい時代が来るのではないかと思います。
○  ありがとうございました。私も今、毎日、キーン先生の『おくのほそ道』の英文を棚の上に置いて読んでいるんですけれども、今日は初めてお会いしましたがありがとうございました。
   何点かあるんですけれども、2点お願いしたいと思います。一つは、日本人は仲間意識が強い社会ということですけれども、外国人と接するときはかなり意識をしていると。そういうときに自然体で外国人と接するようなことが真の国際人ではないかということを御指摘だと思いますけれども、特に青少年にとってそのために何が必要なのか、御示唆があれば教えていただきたいと思います。
   もう1点は、書道ということでございます。大変インパクトを受けたわけでございますけれども、文字がコミュニケーションの手段として記号化されていく傾向がかなり強い中におきまして、今後、日本の中で若い世代に文字の持つ文化について、書道を通じて、精神的なものを含めましてどのように関連を持たせていったらいいか、その点を教えていただければありがたいと思います。
○キーン意見発表者    まず後者から。書道は、私は芸術として考えてもいいと思います。実は文字に意味があるんです。しかし、絵にも意味があります。人の顔を描きましたら、その人の顔の表情とか、その裏にあるものを何か感じさせるんですが、文字の場合、日本の書道、中国の書道もそうですが、大変優れた芸術だと思います。これからの日本人がコンピュータとか、ワープロを使って、自分で字を書かなくてもいい時代になっていっても、私は予言者の資格は一つもないんですが、たぶんある時点で、文字、漢字のよさを再発見するのではないかと思いたいです。それは一例にすぎません。日本の文化にはほかにいろいろな面もありますが、一時廃止させても、また復活する可能性があります。書道がいい例です。筆を持つこと自体が大事です。書道の場合は油絵の筆と違いますけれども、筆に違いないですから、その習慣を育てることも大切だと思います。
  いつか私は写真を見たんですが、それは小学生たちの写真でした。みんな景色を見て絵を描いていましたが、一人だけほかの子どもたちを描いていました。絵を描いている子どもを描いたんです。そこまで芸術性が進んだと思います。
  次に、最初の質問ですが、おそらく今の青少年は、外国の同じ年の青少年と全く自由に接触できるのではないかと思います。言葉の問題はあるんですが。しかし、私が初めて日本にいたころは全然違っていました。変な話ですが、私は中央公論社を訪ねたことがあります。初めて行ったときに、社員たちは普通の人より教育がありました。みんな大学を出た人ばかりでしたが、私という若者、まだ32、3歳でしたが、入るとみんな直立不動の姿になって、大変な緊張だったです。外国人を見ると全く麻痺されたような感じでした。私はそういう人物ではなかったです。しかし、今それが随分少なくなったし、あるいは全然なくなったと思います。また、以前は外国人に対して、どうしても英語を使わなければならない。使わなければ絶対わからないという常識がありましたが、今は必ずしもそうではないです。外国人でも日本語を覚えられるということがわかっています。私は日本の若い人が外国へ行って、外国が好きである場合、嫌いである場合、いろいろあるんですけれども、以前のようなコンプレックスはなくなったような気がします。それは大変いい傾向に違いないと思います。
○  キーン先生、どうも今日はありがとうございました。大変強烈な印象を持ってキーン先生のお話を伺ったんですが、一つだけお尋ねさせていただきたいと思います。
  最初の部分で、日本が儒教とか、日本の伝統を、封建的なものということで切り捨ててしまったというお話をされました。確かに戦後改革の中でそういう面があったことは、歴史的に見れば事実だと思います。だからといって、戦前のそういうものに直ちに復帰するというのも、50年もたっていますし、今の若い人の意識から見て大変難しい面もあると思うんです。かつてのそういうもののいいところを継承しながら、先生の御指摘された悪いところの捨て去るべきものを捨て去って、新しいものをつくり出していくことが大切だという感じをもってお聞きしたんです。
  今、日本でも伝統とか、日本文化を尊重すべきだという議論がかなり強くあります。それはある意味で当然な動きだとは思うんですけれども、そういう伝統的なもののいいところを継承するということと、一方で国際化が非常に進んでいくボーダーレスの社会の中で、地球市民的な一つの生き方といいますか、規範意識を持つことをどのように調和させていくかということが非常に難しくて、学校教育の中でそれをどのようにやったらいいとお考えなのか。もし先生のお考えがあれば、短いコメントで結構ですけれども、お教えいただければと思います。
○キーン意見発表者    おっしゃるとおりです。大変難しい問題です。要するに戦前の日本の子どもたちは自信があったし、大和文化は世界一だということを信じていたようです。そして、戦後になって自虐的な立場になって、日本にいいものは何もないとか、日本から出たいとか、そういう態度もありました。もし自虐的でもない、優越的でもない、ちょうど真ん中のところの文化ができたら最高にいいですが、残念なことに人間には弱いところがあります。人間は必ずしも合理的に行動しないんです。そういう弱いところがありますから、自虐的なこと、優越主義なことを考えたり、どっちかに偏ることがあることはあります。私は何も名案がないです。
  ただ、私の立場から言うと、日本文化を学校で正しく子どもたちに伝えたらいいと思います。日本文学は文法の例外だけでもないです。内容もあります。大変優れた文学です。そしてそれを読んで喜ぶ学生がいるし、それがあるから例えば『宝島』を読まないとか、そういうことにはならないと思います。両方やればまず日本人として、また世界人として責任を負うことができると思います。もう以前のように鎖国はあり得ないです。精神的な鎖国もあり得ないと思います。未来の日本人は、今でも日本人はいろいろな国で働いて、その国に永住するような人もたくさんいるし、そこの人と結婚して子どもができて、そういうことはますます強い傾向になるでしょうが、国内ではなるべく真ん中のところで、すべての人をねらうような真ん中のところで、自国の文化に自信があって、また世界の文化を軽蔑しないというところが一番望ましいと思います。できるかどうかわかりません。
○松村政務次官    一つだけ質問をさせていただきます。
  この中央教育審議会におきまして、日本人が教養を身につけるには教育の中でどうしたらいいのか。外国へ行ったときに外国人と意思疎通ができる、そして単に言葉を知っているというだけでなくて、日本の歴史、あるいは日本のことも知っておって、中身の点でも外国人と語り合える。また、西洋の歴史も知っておる。このような教養を身につけさせるにはどうしたらいいかという一つのテーマがあろうかと思うんです。この正反対の道としては、専門的な自分のやりたいことを追求させて、その中でその人の内なる要求からどんどん勉強して、教養を身につけさせていくという両方の考え方があると思うんです。
  『徒然草』に、お坊さんになる人が、馬に乗らないとお坊さんになれないので馬を覚えて、やはり酒席でお酒の相手もしないといかん、その勉強をしたら、お経を習うことを忘れてしまったという話があります。キーン先生御自身がこのような最高の教養を身につけられたゆえんが、幼時の教育にあったのか、家庭の教育にあったのか、あるいはDNAとしてそういうことを追求するような素質をそもそも持っておられるからそうなってきたということなのか、大学教育がよかったのか、その辺、一言コメントをいただきたいと思うんですが。
○キーン意見発表者  私の家族の背景に東洋のものは何一つなかったです。一応日本という国があることは子どもとしても知っていたんですが、初めて日本にある意味で出会ったのは、9歳か10歳のころでしたが、子ども向きの百科事典がありました。三つの外国について特別に1冊がありまして、その三つはフランス、オランダ、日本。どうしてその三つだったかわかりませんが、私はその本が大好きでした。何回も読みました。ところが、私は日本よりもヨーロッパに引かれていました。父と一緒にヨーロッパへ行って、私はフランスが特に好きでした。子どもとしてぜひフランス語を覚えたいと言っていましたが、だんだん家族がお金に困るようになりましたから、私が望んでいるような家庭教師を雇うことはできなかったです。学校でフランス語をやっていました。また、父がスペインで商売をするようになりました。私はスペイン語を勉強しました。まだ東洋のことを全く考えていなかったです。
  ところが、大学1年生のときに、学生たちがある教室で、ABC順序で席が決まったんです。私の名字キーンは「K」、隣は中国人リー、「L」でした。そして、毎週、月曜日から金曜日の9時から10時まで中国人のそばで勉強して、彼の国にも、彼の言葉にもだんだん興味がわきました。彼に文字を教えてくれるように頼んだんです。翌年、大学2年生から昼御飯は毎日中華料理屋で食べて、食べてから彼は私に文字を教えていました。それが始まりでした。
  その後、1941年(昭和16年)の夏、私はアメリカ南部の山の別荘に呼ばれたんです。条件は日本語を勉強することでした。つまり、私の知人は、家庭教師を雇って日本語を勉強したかったんですが、一人だけだったらサボるだろうと思っていました。3人か4人が一緒だったら、お互いに刺激し合ってできるだろうということで、3人でしたが、私たちが勉強したのは日本の小学校の1年生、2年生が使う教科書でした。そのうち2人は途中で、難しいということでやめました。大学でも私だけが頑張って日本語を勉強し続けたんです。
  戦争が始まって、私は海軍の日本語学校に入って、そこで11か月の集中勉強で、一応日本語を覚えたんです。その後、戦時中、毎日何かの形で日本語を話したり、日本語を読んだりしました。戦争が終わったら、ほかの人たちは、もう日本はだめだとか、立ち直るには少なくとも50年はかかるだろうと思っていました。しかし、私は日本語が大変好きでしたから、大学で勉強を続けて、あるいは一生就職できないかもしれないと心配していましたが、好きなものをやりたいと思ったんです。そういうことで、私は日本語の勉強、日本文学の勉強、日本の歴史の勉強を始めたんです。それ以来、現在まで何かの形で日本研究をやってきました。
  私の友達にビルマ語を覚えた男がいるんです。彼は私に大変不思議なことを言いました。ビルマに関することは全部知っていると言いました。勉強することは何もない。本当にそうだったかどうかはわかりませんが、彼はそう信じていました。しかし、私の場合はいつも、もっともっとあるという。それは日本研究の豊富さ、掘れば掘るほどもっと深いところに金が隠れているという感じです。そういうことで、私は大変恵まれた生活ができたと思います。
○  いやいや、大変長いことありがとうございました。
   最後に一言、私も御意見を承りたいと思うんです。せっかくの機会でございますので。アメリカの社会におきましても、社会的なデパーソナライゼーションと申しますか、人間性疎外の傾向が出てきているのではないかと思っております。大体歴史というのは、パーソナライゼーションとデパーソナライゼーションが交互に行き合っているようなものだと思いますが、最近になりまして、特にIT革命、それから遺伝子革命(ジェネティック・レボリューション)が強く表に出てまいりまして、日本国においてもこれを国家戦略にしようということになっておるわけでございます。これから21世紀をにらみまして、この二つの要素は、あくまでも人類のツールであるということだと思いますが、これがもたらす影の部分は当然あるわけでございまして、そういうものをにらんで、アメリカの教育がリベラルアーツというか、教養教育にどのような配慮をしておるのか、その辺、何かヒントがございますでしょうか。
○キーン意見発表者    全く申しわけございませんが、私は、存じません。私は定年になってもまだ教えています。習慣になってやめられないです。しかし、私が教えているのは日本文学です。日本文学を勉強する学生は以前と比べると数が増えましたが、現在でも特殊な学生です。一般の学生と違います。みんな何かの目的があって日本文学を勉強しています。何となく勉強しているというわけではないです。必修科目でもないんです。だから、私は現在、一般の学生、学部の学生たちの教育がどう変わっているか、よく存じません。本当に申しわけないんですけれども、アメリカが新しい時代をどのように迎えているか、私はよくわからないです。狭いところ、日本文学だったら自信を持ってお答えできます。
○根本会長    どうもありがとうございました。大変長い時間、誠にありがとうございました。
  今日は大変有意義なヒアリングだったと思いますが、これをもちまして本日の会議を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。


(大臣官房政策課)

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