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中央教育審議会

 2000/7 議事録 
中央教育審議会第232回総会 (議事録) 

 中央教育審議会

総会(第232回)

  議  事  録


平成12年7月12日(水)14:00〜16:00
霞が関東京會舘      35階  ゴールドスタールーム


    1.開    会
    2.議    題
          「新しい時代における教養教育の在り方について」
            有識者からの意見発表及び討議
    3.閉    会


出席者

委  員
根本会長、鳥居副会長、河合委員、木村委員、小林委員、田村委員、土田委員、永井委員、松井委員、森  委員、横山委員
事務局
大島文部大臣、鈴木総括政務次官、松村政務次官、小野事務次官、近藤官房長、崎谷生涯学習局長、御手洗初等中等教育局長、矢野教育助成局長、石川私学部長、清水審議官(高等教育局担当)、本間総務審議官、寺脇政策課長、その他関係官


          意見発表者
            梅原    猛  氏(国際日本文化研究センター顧問)
            広中  平祐  氏(山口大学学長)


○根本会長  それでは、定刻になりましたので、ただ今から第232回の中央教育審議会総会を開催いたします。
  大変にお忙しいところを御参集賜りましてありがとうございました。
  御案内のとおり、7月4日付けで環境庁長官に川口さんが就任されまして、本会の委員を辞任されました。とりあえず御報告申し上げます。
  本日は、お二人の方から、私どもに課せられましたいわゆる「教養について」のお話をいただいた上で、皆さんと自由討議を行いたいと考えております。
  初めに、新たに文部大臣に就任されました大島さんからお話をいただきたいと思います。それに引き続きまして鈴木総括政務次官、松村政務次官に、大変にお忙しいところを御出席いただきましたので、ただ今申し上げた順で御挨拶をお願いしたいと思います。
  それでは、大臣、よろしくお願いいたします。

○大島文部大臣  文部大臣を拝命いたしました大島でございます。第17期中央教育審議会委員の先生方に一言御挨拶申し上げます。
  かねてから教育は国の基礎をつくる仕事であると、このように私は思っておりました。産業、雇用、科学技術など、社会のあらゆる分野で大変激しい変化が起きております。我が国が活力ある国としてさらに発展を遂げていくためには、教育の果たすべき役割はますます重要である、不断に教育改革を進めていく必要があると、大臣に就任いたしまして文部省の諸君にもそのように申し上げておるところでございます。
  先生方には、「新しい時代における教養教育の在り方について」御審議をいただいておるところでございますが、今後、審議を進められる中で、人間として身に付けるべき社会規範なども含めた、新しい時代にふさわしい教養教育の在り方について、高い観点からの御論議をいただき、今後の方向性を示す御提言をいただきますよう心からお願いを申し上げます。文部大臣といたしましても、先生方の御提言を踏まえながら、文部行政の推進に最大限の努力をしてまいりたい、このように思っております。
  大変短うございますが、以上で私の挨拶とさせていただきますが、今後ともよろしくお願いを申し上げます。ありがとうございます。

○根本会長  どうも大臣ありがとうございました。
  それでは、引き続きまして鈴木総括政務次官に御挨拶をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

○鈴木総括政務次官  このたび、文部総括政務次官に就任いたしました鈴木恒夫でございます。
  国会に議席をお与えいただきまして私は10数年になりますけれども、昨今の社会現象を考えますときに、教育の重要さというものを殊さら痛感している昨今でございます。大臣をしっかり補佐いたしまして、教育の少しでも良い状況になりますように、渾身の努力を続けるつもりでございますので、どうぞ御鞭撻のほどを先生方におかれましてはよろしくお願い申し上げます。
  御挨拶といたします。ありがとうございます。

○根本会長  どうも鈴木総括政務次官ありがとうございました。
  それでは、松村政務次官に御挨拶をお願いします。

○松村政務次官  このたび、文部政務次官に就任いたしました参議院議員の松村龍二でございます。
  教育の問題は大変奥深い、重要な仕事であるということを認識し、そのような仕事にかかわらせていただくということで、大変光栄に存じております。
  審議会の皆々様の有益な御提言、御意見を踏まえまして、私も微力ながら文部行政に力を尽くしたいと思っておりますので、何とぞよろしく御指導をいただきますようお願い申し上げまして、簡単でございますが、御挨拶とさせていただきます。どうもありがとうございます。

○根本会長  松村政務次官どうもありがとうございました。それでは、6月15日付で新しく小野事務次官が就任されていますので、ここで一言御挨拶をお願いいたします。

○小野事務次官  恐縮でございます。6月15日付で文部事務次官に就任いたしました小野でございます。文部省は上層部がみんなかわってけしからんじゃないかとおしかりをちょうだいすると存じますけれども、私は3年間官房長の立場におりましたので、佐藤事務次官から事務引き継ぎを受けております。佐藤前次官同様、どうぞよろしくお願いいたします。今日は本当にありがとうございます。

○根本会長  ありがとうございます。
  それでは、今回の配付資料の確認を事務局にお願いいたします。

<事務局から説明>

○根本会長  それでは、審議を進めていきたいと思いますが、本審議会としては諮問事項について様々な角度からの検討が必要であるということから、7月中は関係各方面の有識者の方から幅広く御意見を伺ってまいりたいと考えております。
  また、その後のスケジュールは、芸術文化、スポーツ、学校教育関係も含め、幅広い方面の有識者の方から御意見を伺う機会を何回か持った上で、そこでの討議内容を踏まえまして改めて決めていきたいと考えております。
  本日は、大変お忙しいところを、国際日本文化研究センターの顧問でいらっしゃいます梅原先生と、山口大学学長の広中先生、このお二人をお招きしまして、教養についてのお話をいただくことにしております。
  梅原先生につきましては、皆さん御承知のとおりでございまして、現在、国際日本文化研究センターの顧問を務めていらっしゃいます。
  それでは、梅原先生、よろしくお願いいたします。

○梅原意見発表者  教養という問題で何か話をしてくれということでございます。その話がきたときに、すぐに私の頭にひらめいたのは、先日、NHKの教育テレビで放映しました日比工君という人との対談であります。これは親友対談という形で行ったのでございますが、この日比君は今いくつでしょうか、40歳くらいでしょうか、脳性麻痺でほとんど物が言えない。対話をするのでも、50音が書いてある紙の文字を差すという対話でございます。この番組をつくるに当たって、昨年、『魂の言葉』という本を日比君と私との往復書簡という形で出したわけでございますが、これがNHKの人の目について、対話になったのでございます。
  脳性麻痺という大変重い病気で、もちろん一人でも歩けないし、手も動かせない。その日比君が、教養が大変すばらしい。どうしてこういう人ができたのか私は不思議でしょうがないんですが、お母さんは日比君がとにかく読み書きができたらすぐに、ベートーヴェンやモーツァルトの音楽を聴かせて、そして小林秀雄やニーチェの本を読ませた。そういうことが本当に可能なのかよくわかりませんが、そういう教育のせいなのか、大変すばらしい詩を書くんです。お母さんが和文タイプをやっている。手がこう震えながらタイプが打てまして、すばらしい詩が出てくるんです。
  私が京都市立芸術大学の学長をしていたときに、聴講生で雨の日も雪の日も通った。私の『地獄の思想』という本を読んで感動して、ぜひ私の講義を聴きたいというので、私の講義を20年ほど前に、5、6年聴いたことがあるんです。
  そういう不思議な対話をこの間したのでございますが、どうして日比君が今の青年が持っていないような教養を持っているのか、私は大変不思議なんです。おそらく普通の学校へ行っていたら、こんな教養は得られないだろう。普通の教育を受けてないゆえに、本当の優れた芸術とか何かしかほとんど親しめない。それで日比君のような人ができたんじゃないかと思っています。
  そのときこんな対話があったんです。例の豊川の見知らぬおばあさんを殺した少年の話が出まして、日比君は「あれはドストエフスキーの『罪と罰』のラスコーリニコフのようなものだ」という話をして、それをどう思うかと私に質問があったんです。私はそれに対して、実は私もこの少年と同じような気持ちになったことがある、そういう危険な心に若いときになったことがあるけれども、あえてそういう犯罪を犯さなかった。それは私の周囲に私を愛するたくさんの人がいた。その愛、私の周囲の愛する人のことを考えれば、そんなことはできない。もう一つは、私はその少年より多少の教養があった。本をたくさん読んでいた。それでそういう危険なことを免れたのではないかというふうに日比君に言ったら、日比君も大いにそれは賛成をしてくれたわけです。
  犯罪を犯す少年のことが新聞にいろいろ出ますけれど、その少年は普通の少年ではないんです。どこか優秀なんです。どこか優れた才能を持っているんです。だから三島由紀夫を読んだり、大江健三郎を読んだり、そういう少年が何か今の社会が生きづらくて、今の社会で自分を発揮できない。そして自分を発揮するために殺人を犯す。ほとんどその殺人は無償の行為ですが、そういうことをするのではないかと私は思うんです。
  こういうことを話すと、もう一度、近代教育において教養というのは一体どうなっているのか。これは戦後の教育が問題ですが、戦後の教育のことを語るのには、近代日本の教育というものを考え直さなくてはならないのではないかと思うんです。
  近代教育を考える場合、教養と並んで重要な概念がもう一つあるんです。それは修養なんです。修養と教養。この二つがやはり教養教育には大事なのでございますが、近代日本において修養は初等教育で与えられた。いわゆる修身教育で与えられた。そして初等教育、中等教育では教養は十分に与えられていない。初等教育、中等教育はまだ修身なのです。そして、高等教育になって初めて教養というのが与えられるというふうな制度であったと思うんです。
  特に旧制高等学校教育というのが大事ですが、旧制高校は大体3年です。中等教育を終えまして、高等教育、大学教育へ入る。その3年では、ある意味で直接社会生活につながる学問を教えない。その3年間に集中して教養を与えるというのが、近代日本、明治以来の日本の教育の制度ではないかと思うんです。それが比較的うまくいっていた。修養と教養が別の形で与えられていたと私は思うのであります。
  それでは、一体、近代日本の教育というのはどういうものであったかといいますと、これは最近の研究で明らかでありますが、江戸時代における識字率は非常に高い。一番高いとされているフランスよりまだ高い。初等教育の水準は世界一高かったと思われるんです。だから、近代日本の教育というのは80点はつけられる。特に初等中等教育は大変優れていたと思います。大変優れていたと思う近代日本教育は、江戸時代の教育を大体継承している。江戸時代の教育のレベルの高さがそのまま近代教育のレベルの高さになっている。識字率が70%、90%、ほとんど100%になっていく。それも江戸時代の教育水準の高さにあったと思うんです。
  そうは言いますが、江戸時代の教育と明治時代の教育は違うんです。江戸時代の教育というものは武士と町人は分かれていた。武士は大体儒教の塾に通うんです。それで四書五経を覚える。それの合間に武士としての実用教育、例えば剣道とか、武芸とかというものを学ぶんです。あるいは本を読んだり、武士としての教養、あるいは実用教育をそこで学ぶのであります。武士の教養は各藩が大変熱心に行っていたのであります。
  ところが、町人のほうはそうではございませんので、町人は寺子屋で勉強した。寺子屋は何を教えたかというと、お坊さんは仏教を教えた。仏教プラス読み書きそろばんを教えた。これは商人としての実用教育ですが、それを教えたわけです。
  注意すべきことは、江戸時代の教育においては、教育の基本には宗教があった。武士の教育は儒教というものがある。儒教というのは2500年の伝統を持っていて、それ自身一つの文化、それ自身一つの教養なんです。そして、やはりそれは仁という徳。伊藤仁斎の考え方でございますが、儒教は仁というものを基本にしています。仁というのは哀れみ。人間が人間を哀れむことが道徳の中心である。そういう仁という徳を中心にした2500年にわたる教養の体系を学ぶわけです。その上にいろいろな実用の教育を受ける。
  仏教の場合もそうでございまして、ほとんど大乗仏教でございますが、大乗仏教は自利・利他。自分が利益をして、他人も利益する。これは菩薩というのですが、菩薩行というのは自利・利他の行なんです。これはすべての仏教に共通しますが、自利・利他という菩薩行を基本にした、やはり2500年の文化の体系があるわけでございます。それをまず学んで、それプラス読み書きそろばんを学んだということになります。
  ところが、近代日本教育はこういう宗教教育をやめにしてしまった。そのかわり教育勅語というものを道徳の根幹にして、読み書きそろばんの延長上ですが、西洋的な算数と国語  ―読み書きそろばんになると思いますが、算数・国語中心とする教育でございます。
  そこで、宗教教育はいわゆる国家主義教育、教育勅語が宗教教育の代用をした。これは戦前には確かでありまして、奉安庫というのがあった。奉安庫は神社や寺院の代用品だと思いますが、それが聖なるもの。そういう教育勅語を教えられて、教育勅語は修養の材料、修養の教科書、修養の聖書だという教育でございます。
  私はここで教育勅語を問題にすべきだと思っておりますが、森総理は教育勅語について発言されていますが、教育勅語にかわるべき指針が今の教育に必要であるということはわかりますが、教育勅語を復活しろというのは大変誤解を与えるし、私は復活すべきではないと思うんです。
  教育勅語は明治の日本に確かに必要な、ある種の道徳を与えているんですけれど、その思想はやはり折衷主義です。忠君愛国の思想を根幹にしました、近代西洋道徳もいろいろ入っている一種の折衷主義です。正直言って、聖徳太子の「十七条の憲法」というのもある意味で折衷主義なんです。だけど、「十七条の憲法」というのは見事に聖徳太子という立派な思想家の魂が、儒教も、仏教も折衷して一つの新しい道徳をそこにつくっていこうとする情熱がこもっている。それに対して教育勅語はそういうものが乏しいと思う。卑近な折衷主義であるように思われてしょうがないんです。これは元田永孚というのがつくったんですけれど、明治20年代につくるんだったら、当時の明治時代の英知を結集できなかったか。例えば福沢諭吉もいるし、幸田露伴もいるし、そういうすばらしい明治時代の人たちがいた。こういう人たちの英知を結集して教育勅語をつくったならば、もっといいものができたはずだ。そういう明治時代の人たちの知的レベルには到底及ばない。それを天皇の勅語として出したのは必ずしもよいことではなかったと思うんです。
  とにかくしかし、道徳はそれでできるんでございますが、この道徳は明治時代につくられたものですから、とても儒教や仏教のような2000年にわたる大きな文化体系を背後に持っていない。それでございますから、教育勅語は儒教や仏教の聖典にかわることはできない。教養というのがそこで落ちてしまう。そして、国家主義に基づいた忠君の道徳だけが表面に出てくるというふうになってまいります。私はこれはまずかったと思うんです。しかし、もちろんそれもないよりはいいのでございまして、ある種の役割を果たした。
  明治時代というのは私はそう思いますが、日本が列強の中にあって、列強の侵略を受けて植民地になってしまうかもしれない。植民地にならないためには、早く日本に力をつけなくちゃならない。そのために早く西洋の科学技術文明を取り入れて、日本を強い国にしていきます。日本の国力を一点に集中しなくてはならない。その一点は天皇。それが効果的な国づくりで、日本を植民地としない、西洋の強国と並ぶような国民になるには、エネルギーを一点に集中しなくてはならない。その一点として天皇崇拝というのを持ってきて、そのための道徳としていわゆる教育勅語ができたと解しなくてはならんと思うんです。だから、その時代としてはある意味で有効であったけれど、決してそれが今通用するとか、思想的にいいものであるというようなことは言えないと思います。
  このように私は考えると、明治時代の日本の教育において、修養と教養が分かれてしまった。修養は修身でいく。修身は教養というものを盛り切れない。それではインテリは困る。日本の国を背負って立つような人間は、教養が不足していたら、とても世界の人に追いつけない。世界の人にばかにされる。だから、本当に短期日で教養を取得するにはどうしたらいいかということで、これは意識的か無意識的か知らんけれども、旧制高校というのは、西洋の人が持っている、そして日本の初等中等教育では与えられない教養というものを、短期日で与えようとする教育の機関ではなかったかと思います。
  私も終わりのほうの旧制高校の出身でございますが、私より上の人たちは、旧制高校の教育はすばらしかったとよく言うんです。それはある種の猶予の期間、つまり中学校へ行ったら高等学校へ行かなくてはとてもエリートになれないし、うんと勉強して高等学校へ入る。大学へ行けば専門教育でダーッとやらなければならない。その前に3年間、実用教育から離れた一種の猶予の期間。そこで徹底的に教養というものを身に付けるということ。
  私どもが高等学校の寮に入ったときに、寮の2年生が歓迎してくれた。そのときに、冬でしたけれど、火鉢があった。「この火鉢が実在すると思うかどうか」と2年生が言って、入ってきた我々はびっくりした。「大変なとこだ」と思ってますからね。「高等学校は常識を否定するところだ」と言われて、大変なところへ入ってきたと思ったんですが、半年も過ぎるとすぐそんなことはわかりまして、次の冬には「火鉢は実在するかどうか」と言って1年生を脅したものです。そういう哲学をすることで、常識が否定される。だから、栄耀栄華が否定される。「栄華の巷下に見て」というのが一高寮歌にありますが、そういう空気があった。それがある意味でいうと、私ぐらいの旧制高校出身の人にとっては懐かしいんです。
  私は政治家の皆さんで親しい方がたくさんいますが、どうも旧制高校を出た人はどこかに広い見識がある。いい例は元総理大臣の中曽根さんですけれど、中曽根さんには旧制高校の寮の親分をやってたような、そういうところがあるんですね。それを政治家としてずうっと持ち続けたようなところがあります。だから、何でも一応そういうことについて関心がある。哲学にも関心があるし、絵画にも関心があるし、音楽にも関心がある。非常に広い意味の関心を持っているんです。私は若い政治家とも多少の付き合いがありますが、どうもそういうところが少ない。自分の専門的なことについてはすばらしい知識がありますが、広い人間的な知識というのが大変欠けているような気がします。旧制高校の教育はある意味を持っていたんだと思うんです。
  それが戦前の教育ですが、戦後どうなったかといいますと、修身教育がまずない。これは大変なことだと思います。学校教育で道徳が教えられない。道徳教育の時間をしますと、日教組が反対して、どうしても道徳教育が教えられない。道徳教育の時間がありますが、しっかりした教科書がない。そういう状況だと私は思います。きちんとやっているところもありますよ。ありますけど、道徳教育は大変おろそかになっています。修養の教育は欠如している。これは私は恐るべきことだと思うんです。これほど道徳教育をしていないところはおそらく世界にないと思うんです。我々は昔の道徳教育の遺産で食っているんですけど、遺産は今や尽き果てようとしている、そういう状況です。
  もう一つの教養教育は、旧制高等学校がなくなってほとんどなくなった。今の大学の教養課程はとても旧制高等学校の代用にならないです。これは立花さんなんかが言っていますが、東大法学部の学生がいかに本を読まないか。旧制高等学校では本を読まない人間は軽蔑されたんです。読まなくちゃならないいくつかの本がある。例えば、夏目漱石の小説とか、西田幾多郎の哲学とか、そういうものは読まなかったらばかにされる。ところが今や、東大の法学部という秀才の集まる場所において、そういう教養というものがほとんど欠如している。そうすると、結局どういう人が育っていくか。ただ実利の精神だけを持っているエリート。修養もないし、教養もない、そういう人たちがどんどん育っていく。私は今はそういう時期だと思うんです。
  ドストエフスキーが大変いいことを言っておりますが、やはり人類には宗教が必要だった。何らかの宗教的な情操のないところに人間はあり得ない。宗教が基本になって道徳というものがあるんだ。宗教が失われたら道徳も失われてくるだろう。それが現代世界の状況であるとドストエフスキーは言っておりますが、今、そういう時代に人類は入っていると私は思っております。こういう状況でいいのだろうか。私はそれでは困る。けれど、事態は甚だ絶望的であると思うんです。
  やはり本気でこの辺で心の教育を考えなくちゃならないだろう。心の教育というのは単なる修身教育ではないんです。それは教養をも含んでいる。人間としての必要な修養と同時に、教養を含む教育でなくてはならない。昔のように味もそっけもないような修身教育ではだめなんです。心の情操を豊かにする。それには芸術が何よりも必要だし、また現代教育に大事な環境も必要だ。そういう芸術教育、環境教育を含めた心の教育を、特に初等中等教育で本気で考えなくてはならないのではないかと思うんです。心の教育をどうするかということに日本の英知を結集すべきであると思うんです。
  以前、中曽根内閣が臨時教育審議会というものを設けた。中曽根さんはおそらくあのときに、教育の問題が日本の中心問題であるというように何かの危機感を感じていたに違いない。それで臨時教育審議会というものをやった。中央教育審議会よりもっと強い国家意思機関として臨時教育審議会というものをあえて開催した。その結果はどうだったかというと、これは遺憾ながら、中曽根さん自ら私に言いましたけれども、臨時教育審議会は失敗であったと。なぜ失敗したか。それはそのときに中曽根さんもまだはっきりした教育理念を持っていなかった。そして、臨時教育審議会の委員の中に、はっきり新しい教育理念を持っている人はあまりいなかった。教育学者とか、哲学者はほとんどいないんです。やはり哲学、教育学の学者こそ、このような問題になって中心的な発言をしなくてはならないけれども、そのような学者が遺憾ながらほとんどいなかった。それが結局、大山鳴動してネズミ一匹という結果に終わったわけですが、中曽根さんははっきり「あれは失敗であった」と言っています。
  小渕前総理が昨年またそういうことが必要だというふうにして、政府の教育改革国民会議をしたんですけど、私はそれはまずかったと思うんです。教育改革なんていうものは、いろんな人を集めてできることではないんです。政府が腹を固めたならば、何人かの識者に相談して、これはどういうふうに持っていくべきかというきちんとした作戦を持って、これは全部反対しても何とでも通すという、不屈の覚悟、不退転の決意でもってやるべきことなんです。いつも改革は少数の人によって、日本ではできたんです。今はそういう改革をしなくちゃならない時期なのに、全くそれはできないです。私はあれは教育改革を5年遅らせたのではないかという気がしてしょうがないんです。
  本当に大事な問題ですから、今、日本は英知を結集して、この問題に当たるべきではないか。心の教育をやるのだったら、どういうふうにやるか。まず先生からつくらなくてはならない。その先生をどう教育するか。本気でそういう問題に取り組まないと、ますます日本人の気持ちは荒れてくると思うのでございます。
  時間がきましたので、これでもって終わらせていただきます。御質問があったらお聞きしたいと思います。

○根本会長  梅原先生、どうもありがとうございました。
  それでは、早速でございますけれども、どなたでも結構でございますが、御意見なり御質問をお願いしたいと思います。

○  一つお伺いしたいのですが、先ほど梅原先生がおっしゃった江戸時代の修養には、武士も庶民も宗教というものが中心にあったということなんですが、現在の我が国では、どうすればいいんでしょうか。私自身も多少外国で暮らした経験があり、外国の事情については多少は理解しているつもりですが、では日本ではどうすれば良いのかは、私は全く解答を持っていないのですが。

○梅原意見発表者  この前、森総理大臣が神道連盟で「神の国」発言をしたときに、私も実は現場にいたのです。そこで私はお話をしまして、神道というのは縄文時代の宗教である。それはやはり森と人間が共存していた。森の中で生きとし生けるものと人間が共存していた時代の宗教で、木が神だったり、キツネが神だったり、そういう世界である。神道は人類と生きとし生けるものの共存とか、あるいは循環という。共存と循環の哲学を持っている宗教である。これは21世紀の世界に通用する。20世紀の神道は一つの形態にすぎないという話をしたんです。
  それが終わって、森総理大臣がパーティーに出てきてああいう発言をされたんですが、私はあの話は、巷間伝えられるようなことを言われたことは間違いないですけれど、森総理大臣の本当に言いたいことは、宗教教育が必要ではないかということなんです。それはちょっと私のような学者が言うのと違いますからね、誤解を与えたんですが、それはやはり大事なことなんです。だけど、一つの宗教を学校で教えられない。ではどのように教えるかということですが、いろいろな宗教を教えればいいんだと思うんです。キリスト教ではこんな話がある、仏教にはこんな話がある、神道にはこんな話がある、あるいは儒教にはこんな話がある。宗教というものは、いずれの宗教にしても深い人間の精神とつながっているんです。そういう深い宗教性を持たなかったら、思想も何も浅くなるんじゃないかということを教える必要があるように思うんです。個々の宗教は教えられませんが、宗教の共通な宗教的情操というようなものを子どものときから教育していく必要があるのではないかと思っております。

○  私は、梅原先生が長い間、新聞でお書きになっているものの愛読者の一人でありますから、梅原先生のお考えには私は全く共鳴しているのですが、問題は宗教とか、心の教育といいますと、生徒の心の中に踏み込んでいくわけなんですね。それはまた公教育としては相当重大な問題であろうと私は思います。私も戦前の中学校の卒業ですけれども、実は戦前の中学校には儒教の教育があったような気がします。少なくとも漢文というものがあって、儒教という題ではありませんけれども、実質的には漢文というもので儒教の教育を行っていた。今日、私が例えば「義を見て為ざるは勇なきなり」とか、「巧言令色、鮮なし仁」というのは、全部『論語』に書いてあることなので、私が発明したことでも何でもないわけです。ところが、今、それがほとんど教えられていない。といって、今、漢文を復活せよというのはまた大変な問題だと思うんですけれども、どういう形で具体化するかということについて、何か御意見があればお聞かせいただきたいと思うんです。
  私自身は、あそこで漢文を習って大嫌いになってしまったんです。というのは、押しつけられてしまったので。しかし、年とともに文庫本の『論語』などを読むと、いいことが書いてある。「これを習った」と僕は覚えているんですが、その深い知恵を子どものときに習ったということが非常に大事だと私は思うんですが、具体的にどうしたらいいかということで、何かいいお考えがあったらお聞かせいただきたい。

○梅原意見発表者  戦前の日本に儒教教育はあった。それはそうだと思います。けれど、その儒教教育は忠君忠孝という道徳を中心とした儒教教育だった。忠孝という概念で儒教を切り取るのが儒教の正しい解釈であるかどうか。これは相当矛盾です。
  それから、漢文は嫌いになられたそうですけど、今言われたものは、やはり子どものときから習ったんじゃないかと思います。私も中学は東海中学でして、浄土宗の知恩院派のつくった学校です。私の家は宗教の家ではございませんでしたけど、そこでやはり学んだんですよ。学んだときはそんなにおもしろい気はしなかったけど、どこかでだんだん思い出してくるんです。最近、浄土宗の法然という本を書きまして、9月に出ますけど、そういうのも暗に中学教育の影響じゃないかと私は思います。そのときはすぐには食欲が起こらなくても、人生生きているうちに、あっと思いつくような教育をすべきだと思います。
  例えて言うと、心の教育というのは、私は、心の中にかなり入ってこないといけない。今、ほとんど心をほうっておいて、子どもが悩んでも何にも教師がこたえられない。やはり心の中に入るような、非常に強力的だと思われるかしれませんが、強制的なほど心に入る教育が私は必要だと思うんです。
  修身教育、道徳教育のかわりに、例えば宮沢賢治の作品をずうっと読ませていく。あれは童話ですよ。童話なんですけど、その底に深い仏教思想がある。形の上では全くメルヘンですが、しかしその底に深い仏教思想があって、それが童話のいつまでも輝く魅力を失わさせない。宮沢賢治の童話なんかをパーッと教科書に使う。そういうことをすべきだ。
  例えて言うと、正直というようなことを教えるにはどうしたらいいか。それは夏目漱石の『坊っちゃん』。『坊っちゃん』は江戸っ子の正直さが、ずるい社会に対してなかなか生きていけない。正直という徳を一番描いているのが漱石の『坊っちゃん』だと思います。漱石の『坊っちゃん』を読ませる。正直ということはいいことかどうかということを教えていく。あるいは約束を守るということ。それはどういうことか。それはいろんなものでなくて、文学作品が一番いいんです。例えて言うと、太宰治の『走れメロス』というのがある。約束がいかに大事かという。そういうことを芸術教育を使いながら教えていく。道徳教育と芸術教育と環境教育が一体になった、そういうのが心の教育だと思うんです。これは3年ぐらいではできませんが、そういう心の教育をあえてしていかないと、もう日本人は救われないんじゃないかと思ってしょうがないです。私はもう75歳ですからね。私の生きてる間は日本は滅びませんが、これが50年や100年たったら本当に危ない。日本の滅びを救うためには、この辺で心の教育と、それから大学も改革しないとだめだと思うんです。

○  大変いいお話をありがとうございました。私自身は中学校・高校を麻布中学校・高等学校というところで習いました。これはキリスト教的な雰囲気を持っている学校で、それが非常によかったという思いがあるところで、お伺いしたいんです。
  宗教教育ということで言えば、ヨーロッパなどは最近、無神論者が非常に増えてきている。宗教教育の力がどんどん落ちているという話がございます。それから、基本的に日本人というのは原理原則のようなことを信じるところから始まる宗教になじみにくい民族なんじゃないかなという気がしてしょうがないんです。いろいろ考えているんですけれども。
  梅原先生のお話をお伺いしながら、一方、ルース・ベネディクトの『菊と刀』を思い出しますと、日本の伝統的な戦前の道徳を支えていたのは、「恥の文化」、つまりほかの人の目だということになりますと、自分の心の中にある原理・原則ではないということになります。しかし、そのことによって、日本人というのは世界的にもかなり珍しい正直者の多い、人がその辺に物を落としてもすぐ見つかるとか、ほかの国では考えられないことが戦前の社会にはあって、それが最近まで続いていたわけですが、最近、本当にだめになってきてしまったんですけど、それが続いていたということも考えますと、宗教教育は重要だけれども、伝統文化がつくりだしてきた「恥の文化」のようなものを、もう1回考えてみる。つまり、「恥の文化」という言い方がまずいとすれば、社会におけるルールづくりみたいなものを、宗教ほど深くいかなくても何かできないものかなという感じで、それだったら学校教育に割に素直に入れるんじゃないかという感じがあります。
  いくつかの学校が宗教教育をすることは大事なことですから、それはしたほうがいいと思いますけれども、平均的な、全国一斉のということを考えた場合は、何かそういう仕組みみたいなものを考えないとうまくいかないのではないかと考えております。その辺のことについて、梅原先生からぜひお伺いしたいと思います。

○梅原意見発表者  一つの宗教を教えるということは公共の教育ではできません。私立のキリスト教の学校とか、仏教の学校は、思い切ったそれぞれの宗派に基づく教育をしたほうがいいと思っています。私と同期の、例の吉行淳之介さんは、あれが語ることとどういうふうにつながっているかわかりませんけど、ああいう小説を書きながらどこかに品格の高いところがあるんです。そういうのは何か宗教性だと思いますけどね。ああいう新宿の女郎屋さんで遊んだと書きながら、今のいわゆる情痴小説よりはるかに品格が高いんです。そういうのはやはりどこかに宗教とつながっているような気がします。
  おっしゃるように、「恥の文化」というのは他律的だというふうにルース・ベネディクトは言ってるんですが、「恥の文化」というのは自律性を持っているんだと。私の友人の作田啓一君というのがベネディクトに反対しまして、恥というのは外からのものではなくて、自分の中にある。廉恥心というのは、「罪の文化」と同じくらい高い宗教性を持っているんだということを書いているんです。私は恥というのは非常に大事だと思います。今の犯罪者は恥知らずが多いんです。にせ宗教をやっている人の恥じるところがないんです。私の友人の山折君が、麻原彰晃は極楽浄土へ行けるかどうかということを書いている。極悪非道の人間こそ阿弥陀の恩寵で極楽へ行けるという説に従えば行けるはずだと言うんですけど、やはりそこに懺悔ということがなかったら行けないんじゃないかと言ってますけどね。やはり恥を大体失っている。恥というのは儒教的な道徳の裏返しみたいなものです。それがずっと日本人はあったのに、罪を犯しても恥を知らない。罪を犯してなくても恥はあるんです。そういう点で、廉恥心というのは大事だという、おっしゃるとおりだと思います。
  そういうことがすべての道徳、宗教に共通します。例えて言うと、うそをつくなという。うそをつけというような道徳を教える宗教はどこにもないと思います。あるいは、人を殺すなという。これはやはり大変なことだと思います。そういうのをちゃんと教えていく。仏教では、人を殺すなではなくて、生きとし生けるものをみんな殺すなという。こういうことをやはり教えていく。まあ、そういう共通のモラルみたいなものをね。おそらく宗教とどこかで触れますが、そういうようなモラルをつくっていく必要があると思いますね。それをしないと、もうもたなくなってきているということですけどね。

○  久しぶりにお話を聞かせていただきましてありがとうございました。
  お話にありました儒教というのは、私の考え方では宗教とは違うだろうと考えています。ですから、宗教の中からいろいろな考え方、哲学、道というものを引き出しながら教えるというようなカリキュラムができないか。さっきおっしゃいました昔の神道というのは、森と人間が共存していた時代の一つの考え方というか、宗教ですとおっしゃいましたけれども、確かにそうですが、これが現代にずうっとないかというと、ないわけではなくて、森が遠くなったことは、都市社会では確かです。もし東京に子どもが育つのが適当でなければ、そういうところに行かなきゃいけないのではないか。これを西洋では、例えばスピノザが汎神論というような言い方で、あらゆる自然の中に神を見るという考え方で、一種の近代化をいたしました。それから20世紀の初頭では、フランスのジャン・ジロドゥーという、これは外交官でもあったんですけれども、不世出の文学者、戯曲で有名ですけれども、「間奏曲(Intermezzo)」という曲を書きまして、宇宙の中の汎神論的な世界、宇宙の中の小さな人間というような哲学を編み出しました。そういう意味では、いろいろな知恵を引き出せる可能性が非常にあるように思いますが、いかがお考えでいらっしゃいましょうか。

○梅原意見発表者  確かに儒教というものは必ずしも宗教とは言えない。言えないけれど、これは2500年の伝統を持っている一つの文化体系なんです。それを教えることによって、中国に伝わる2500年の伝統を持つ、どこかに文化が触れるんですね。そういう教育が江戸時代にはあった。それがわずかに漢文教育に残っていた。それがなくなってしまう。仏教というものは2500年の伝統がある。それが親鸞なり、日蓮なり、どこかに残っている。それを寺子屋は教えた。そういう精神の輝きみたいなものを教えられなくなってしまったというところに、明治時代の教育の間違いがあったと思う。
  おっしゃるように、神道というものは縄文の宗教で、人間が生きとし生けるものと共存していたので、スピノザの汎神論につながるような、至るところに神を見るという思想だったと思うんです。ところが、それが明治時代に、結局、国家主義に神道を改造した。それが靖国神道だったと思いますけどね。こういう神道だということになると、国家主義にはプラスするけれど、精神の糧にならない。そういう神道をもとに戻して、例えばうそを言うなと。うそを言うなというのは、神道の非常に強いモラルなんです。夏目漱石の『坊っちゃん』というのを考えたときに、あそこにはっきりとうそを言う人間ほど汚いものはなくて、清  ―女中さんの名前が清ですが、清いということはうそを言うなということです。神道という形が、ああいう形で残っていたんじゃないかと私は思います。
  そういう各宗教が持っている精神の輝きというものを子どもに教える。なかなか今の子どもに入っていかないでしょうけど、それでも先生が粘り強く教えたら、どんなに子どもが変わってくるだろうというふうに私は思います。そういうことを、非常に困難だけど、始めないといけないのではないかというのが私の気持ちです。

○  いつも梅原先生の本を読ませていただきまして、今日、話を聞くのが初めてでございまして、非常によくわかりました。
  梅原先生の著書を見ておりますと、宗教というのは発生的に必然性があって、地域とか、家とか、そういう中で必然的に存在しているような宗教が、明治時代以前にだいぶあったような感じがするわけですけれども、最近、だんだん頭でもって宗教を考えるという形が多くなってきたような感じがするわけです。すなわち、哲学とか、倫理とか、道徳とか、そういう形にだいぶ近くなってきたような考え方が多いわけです。例えば、日本人の場合、特徴があるわけでございますが、宗教というものを今までは家庭とか、地域の中で教えられなかった。それを今度、学校という中でもって教えるときに、教える人という立場もまたいろいろ大きな問題が出てくると思います。というのは、宗教に対する勉強を全然していないわけでございますので、そこら辺を考えたときに、学校教育とか、教育の場のみで教えるだけではなくて、国全体での宗教のとらえ方をこれからどうしていくかということが重要だと思うのです。
  もう一つ、私、よくわからないんですけれども、哲学というものと宗教というものとはどういうところがどのように違ってきているのか、そこら辺を御示唆いただければありがたいと思います。

○梅原意見発表者  大変難しい問題ですけどね。私は宗教についていろいろ物を書いてますが、特定の宗教の信者ではないんです。空海も書いて、法然も書いて、先生、どっちかにしてくださいよと。真言宗なのか、浄土宗なのか、浄土真宗なのかというふうに聞かれるんですけど、私は一つの信者にならないところが哲学だと思っているんです。人間の精神の最も深いところに宗教があると思います。それに目がいかない哲学というのは非常に浅くなると思っております。例えば、ヘーゲルという人の考え方は、絶対精神というのが、宗教的なものが客観化されていく。主観的なものでなくて、客観化されていく。そうすると、宗教というのは哲学にならざるを得ないということを言っています。例えていうと、哲学や芸術に媒介された宗教というのが一番重要になってくるのではないかと思います。ちょっと難しいですね。
  それから、もう一つ何だったですか。

○  人が教えるというものでございますけれども、例えばずうっと歴史を見ると、自然発生的にいろいろな宗教が発生しておりまして、それは地域の中とか、あるいは家庭の中である程度必然的に教えられたもの、体得したものがあったと思うんです。ところが、ある歴史の流れの中から、それが日本においてはだんだん失われてきておりまして、それを今度は学校教育で教えなきゃいけないということになると、教える方法というのも歴史がないわけですね。その中で、どのように考えていったらいいかということ。
  もう一つは、当然、学校教育でやるということは、国全体でも考えなければいけないわけでございます。例えば学校教育の小学校、中学校、高校、大学で、先ほど先生のおっしゃったように、いろいろな宗教があることを教えればいいわけでございますが、実践とどう結びつけるか。この問題をどのようにとらえていったらいいのかお教え下さい。

○梅原意見発表者  そこは大変難しい問題ですけどね。これはドストエフスキーの言葉ですけれど、宗教というものがなかったら文明はなかったんだという。人類の文明で、つまり18世紀以前の文明で、いかなる文明もその文明の根底に宗教を置いていない文明はない。それはドストエフスキーの言うとおりだと思うんです。ところが、近代文明が出てきて、そして宗教を信ずる人がなくなった。だんだん西洋の人たちもキリスト教離れしている。そして、無神論というものが出てきてる。無神論の一つがマルクス主義だというふうに考えられる。ドストエフスキーは、それはやはり人類のモラルの崩壊ではないかという。モラルが失われたら、人類社会は成立しないのではないか、そういうことを憂えているわけです。
  おっしゃったように、日本の宗教というのは、日本の宗教精神が一番燃えたのは中世じゃないですか。鎌倉・室町時代でしょう。鎌倉時代にすばらしい宗教家がたくさん出た。法然、親鸞、一遍、栄西、道元、日蓮という、日本の宗教的英知はほとんど鎌倉時代に出てしまって、その後は、そういうすばらしい宗教家の精神の遺産で生きているという感じです。特に江戸時代になってキリスト教という、これまた熱情的な宗教がきて、キリシタン弾圧という島原の乱というのが起こった。それで江戸幕府はキリスト教を禁止した。禁止するために、日本人を全部仏教の各宗派の信徒にしたわけです。これで寺院は安泰になったんです。安泰だったけど、本当の宗教性というのは失われてしまった。坊さんはこれで生活は安泰になったんだけど。そして、一人の坊さんがほかの檀家を奪うということが許されなくなった。宗教活動がほとんど認められなくなった。私は江戸時代になって日本の宗教性は非常に衰えたのではないかと思っているんです。だけど、どこかにやはりそういう宗教の流れがあった。そして、どこかに仏教、儒教の流れがあった。
  例えば、西郷隆盛という人を考えるときに、西郷隆盛は本当に聖賢の国をつくろうと。聖人君子の国をつくろうと思って明治維新をやったわけです。聖賢の国ができんということがわかって、西南の事件を起こしたと私は考えているんですが、あれも理想主義か妄想か知らんけど、そういう人が出てくる。それは江戸時代の儒教精神がどんなにまじめであったかという一つのことですが、指導者はどこかに儒教的な道徳を持っていたんです。かの福沢諭吉もありますし、そして新渡戸稲造にもありますし、みんなそういうものを持っていた。また、一般庶民のほうはどこかで菩薩、寺子屋で教えられた「人のためになるんだ」という、自利・利他の教えをどこかに持っていたような気がします。そういうような道徳地盤があって、そしてまた教育が行われた。そういう教育が崩壊した。そこに非常に大きな問題があるような気がします。
  私が父や母に受けた道徳、うそを言うなと。うそを言ったために、私は押し入れへ入れられたことがあります。成績の悪いのには体罰を与えるでしょうけれども、うそを言って押し入れへ入れられたという例はないと思いますが、私の父や母はやはり高い道徳を持っていたので、それを私に教えたんだと思います。そういう道徳が私の子どもにも与えられない。私どもはちょうど戦中派でして、自分の教えられた修身道徳が全部崩壊して、道徳が全く180度ひっくり返ったという体験をしますと、どうしても道徳に対する回避論。自分ではある種の道徳がありますが、それを子どもに押しつけるということができない、道徳の回避論者なんです。回避論者に教えられた子どもは、道徳に対してあまり信念を持たないです。その子どもの子どもぐらいが今の若い世代になっているんです。
  こういうのは、どうやって生きたらよいか、何をすべきで、何をしてはならないかということが、家庭でも教えられない、学校でも教えられない。これは私は大変不幸なことのように思いますね。その精神を掘り直して、宗教から考えて、そういう宗教に基づいた教養体系、修養体系を考えてみる時期がきているのではないかと思います。

○  お伺いしたいことはたくさんあるのですが、時間の関係もあるようなので、二つだけお伺いしたいんです。
  一つは、人類に宗教が必要で、宗教に基づいた道徳教育ということをおっしゃいましたが、私もそのとおりだと思うんですが、日本で道徳教育、道徳の時間ができたときに、日本の道徳教育は宗教に基礎を置かない点で先進性があると言った学者がいます。これは社会学者ですが、宗教に基礎を置かない道徳教育は難しいと思うのですが、どのくらい可能なんでしょうか。ドイツでは憲法で宗教教育を学校でやれと言っている国ですが、最近、無神論者が増えて、宗教教育でない道徳教育という言葉が出てきたりするわけですが、宗教に基づかない道徳教育の可能性と、どうしたらいいか。先生のようにいろいろな宗教にお詳しい方は可能でしょうが、普通の学校の先生では非常に難しいような気もするんです。そのことが1点。
  もう一つは、今、日本の学校ではカウンセラーの問題が非常に重要になっております。そのときに賛否両論あるんですが、今、心理学の関係者がカウンセラーをやっていますが、私は宗教の、そういう面からのカウンセリングが必要だと思うんですが、それについてはどうお考えになるか。

○梅原意見発表者  私は宗教を直接教えろとは言いませんけど、やはりドストエフスキーの言うことは正しいと思うんです。少なくとも今までのあらゆる道徳は宗教の裏づけがあった。だから、宗教を失ったならば、道徳も失われる。道徳が自立できるかどうか、大変難しい問題だと思うんです。そこから教えていかなくちゃならない。新しい道徳は可能かもしれませんよ。可能かもしれませんけど、少なくとも今までの道徳はどこか宗教です。宗教のものすごく美しいところが道徳になってきた。それをやはり教えていかなくてはならないと思います。そこを教えないと深い人間洞察はできないと思います。
  それから、もう一つ何だったでしょうか。

○  カウンセラーは心理学だけでいいのかどうか。

○梅原意見発表者  例えて言うとこういうことがあるんですよ。宗教家が宗教に自信を失っているんです。だから、老人クラブへ行く、あるいは明日死ぬような人のところへ行く。そういうときに、今までだったら坊さんが行って、あなたは阿弥陀浄土へ行くんだ、阿弥陀浄土ではあなたのお父さんやお母さんが待ってるから、阿弥陀浄土へ行くんだ、お念仏しなさい。必ず阿弥陀さんがお迎えにくるから、阿弥陀浄土へ行きなさい。これは浄土真宗の思想ではそうですが、また帰ってくるんです。また人間になって帰ってくるんです。帰ってくるときは念仏の行者になって帰ってくるんです。だから、あなたはこれで消えてしまうんじゃないです。あちらへ行ってまた帰ってくるんです。そういうことを死ぬ人に言う。それは瀕死の病人は大変喜ぶわけで、そして、死を苦しまずに死ぬわけです。
  ところが、戦後の真宗の坊さんは、あの世へ行くなんていうのは、これはどうも迷信だ。科学を信じてると、そんな極楽浄土へ行くなんていうのはあまり信じられない。そしたら一体死に行く人に対してどういうふうに坊さんは言うんですか。言いようがないです。慰めようがないんじゃないですかね。そこにも宗教家が宗教性を失っている。宗教はカウンセラーとして役に立たないという、そこが問題だと思うんですよ。
  やはり人類は信じてきたんですよ。これは仏教以前から、あの世はある。あの世でやはり御先祖が待ってるんだ。お葬式のときにそう言うでしょう。あれはもう1万年前からの日本人の信仰なんです。あの世へしばらく行って、またこの世へ子孫になって生まれかわってくる。そういうことを信じてたんです。それを宗教家が言えなくなった。それは決して迷信ではないんですよ。生きとし生けるものは、長い生物の進化の中で、アメーバから生物が生まれかわって、生まれては死に、生まれては死に、その生命が自分という生命になる。ということは死ぬに違いないですから、また次の生命になって生まれかわってくる。これは決して科学的に誤謬ではないんです。むしろ遺伝子科学から見れば、こっちのほうが真実なんです。そっくりそのまま私が出てきて、また生まれかわるということはないですが、しかし私のような人間がまた出てきて、また生まれかわってくる。そういう長い生命の中で、やはり生命を考えているんです。近代主義というものは現世だけに生命を限ってるんです。宗教が教えたことはむしろ今の点では科学的なんです。そういうことは教えなくちゃならないわけです。だから、心理学のほうに宗教的なものが入ってきたら、それは非常に強いカウンセラーになると思うんですけど、この委員の中の方も恐らくそういうことを考えているんじゃないかと思うんですけどね。ユングをあれしたんだけど、だんだん仏教をやっていかなくてはならない。

○  一言だけ言いますと、他の委員の方が言われているとおり、すばらしい宗教家はみんなカウンセラーだと思います。今までそういう宗教家がカウンセリングもしていたわけです。ところが、梅原先生が言われるとおりで、それができなくなってきた。我々はだから教えてるんじゃなくて、むしろ今は聞いてるわけです。来られた人が自分で宗教性を発見していかれる。それをお助けしているという考え方です。だから、こちらから教えないけれども、お聞きしている。ただし、聞いたときに、出てきた考えが宗教的なことであることとか、それは今までの宗教で言えばどういうことだとか、そういうことをやはり我々は知っていなかったら、カウンセラーとしてはだめだというふうに思っています。

○  「恥の文化」についてどうお考えか。

○  「恥の文化」は、私は梅原先生が言われたのと非常によく似ています。ベネディクトは全くキリスト教的な発想から物を言っているから、「恥の文化」は他律的と非常に簡単に言ってしまっているわけだけど、内在している恥というものがあるわけですし、そういう点から考えていけば、「罪の文化」と「恥の文化」をベネディクトが言ったような分け方をする必要はないと思っています。

○根本会長  梅原先生にはありがとうございました。
  それでは、次に広中先生にお願いしたいと思います。

○広中意見発表者  実は教養ということで何か話してくれとおっしゃるので、教養とは何だろうとこの1週間ぐらい考えていたんですけど、僕みたいな人間が教養というような主題で呼ばれるということは、たぶん全く教養のない人間が教養をどういうふうに考えているか、そういうことを知りたいということだろうと思いますし、またひょっとしたら、失礼かもしれないけど、委員の先生方のように一般の人から見るとものすごく教養のある人でも、教養というのは何かわからない。要するにブラックボックスみたいなところがある、ひょっとしたらそうかもしれないと思います。
  どういうことかというと、数学でいうと境界条件というのがあって、例えて言いますと、琴とか、三味線とか、弦を引いて両方の端を固定しておく。その弦をいろいろ奏でたりして、いろいろな音楽をつくったり演奏したりするわけです。境界条件というのは、どの強さで、どこで端から端と決めて固定しておくか、これが境界条件です。山崎正和氏の書いたものを読んでいたら、教養ということよりも教養人ということかもしれませんけど、二つの境界条件を述べておられる。一つは、「物知りというだけでは教養人と呼べない。」、これが左の端の境界条件。もう一つの端は、「知識の裏付けのない人格は教養人と言わない。」、これが右の端の境界条件。その間に弦が引かれて、いろいろな作曲家がいろいろな曲をつくって、またすばらしい演奏家がそれを奏でて、そして中でいろんなことが起きるわけですけど、何が起きるのか、何ができるのか、そういうことはだれも予言もできないし、むしろクリエーティブな作業でもあるし、あるいはただ聞いて、発見して、感心する。まだまだこれから何が出てくるかわからないというのが、二つの境界条件の間に挟まれているところではないかと思います。
  教養というときに、教養のない人間がこう言うと申しわけないんですけど、エリートという人たちのための教養というのか、あるいはすべての人というか、庶民のための教養ということを考えておられるのか、それによって考え方が違ってくると思うんです。これも両方の極端になるわけです。ここでエリートというのは何かというと、ちょっと難しいんですが、僕が今頭に描いているエリートというのは、クリエーティブな作業をする人たち、あるいはそれを本命とする人たちと考えます。これも限定されたエリートかもしれません。
  庶民というのは定義のしようもないんですけど、ちょうど政治家の先生方が国民のためとか、国民の声とおっしゃる、国民というのとよく似ているわけですが、とにかく社会を構成するたくさんの様々な人たちということだと思います。そういう意味で、エリートのためなのか、庶民のためなのか、その辺で議論も違ってくるのではないかと思います。
  いわゆるクリエーティブな人たちという視点で言うと、あえて僕は境界条件として提示したいのは、一つの端は先端信仰です。先端というものを最高と考える一種の信仰です。これは特に理工学の人たちにあらわれます。例えば、科学技術基本計画なんて言っても、基本的には先端技術を言っておられます。先端というのが最高であるという一種の信仰があるわけです。これが左の端、あるいは右の端かもしれませんけど、一方の境界条件です。
  その逆のほうには、これはタコつぼ現象というのですけど、タコつぼ現象というのは、とにかく今の状態を変えたくない。ちょうどタコがタコつぼの中にかじりつくように、揺さぶれば揺さぶられるほどますます固くかじりつく。そして、特に大学の先生の中で自分は研究者だと言っておられる方々で、本当にタコつぼに入って、外から理解もできないほど専門的に狭く狭くなって、かじりついておられる。日本の大学の先生方は論文の数が非常に多い。だから、日本は相当進歩しているんだ、あるいは前進しているんだ、立派な先進国だと言いながら、その中で一度も読まれていないような論文が、特に理工系では山ほど出ているわけです。本人さえも引用しないというような論文がたくさん出ているわけです。これが一つの端っこだと思います。ここまでいったら、これ以上はだめですよという一つの境界だと思います。
  僕は米国が長いのですけど、米国で特に文化の研究をしたわけでもなければ、日米比較のためにいろいろ頭を使って、あるいは論文を書いてというようなことをしたことは一度もない人間です。あの当時は数学だけやっていた人間ですから、僕の言い方が正しいかどうかわからないんですけど、どうも米国では、僕の個人的な感触では、教養というのはコモンセンスではないかと感じます。
  それを二つここで引用しておいたんですけれども、トーマス・エジソンといったら偉大な発明家で、理論的にも、もちろん科学技術、発明、そういう点ではすばらしい方で、エリート中のエリートと言ってもいいわけですが、最もクリエーティブな人の一人だと思います。彼は、大切なことの中に、一つはコモンセンスと言っております。実際にはハードワークといって、一所懸命頑張って、だれよりも勤勉に働くということも必要ですし、また粘り強く、一旦問題にかじりついたら最後まで粘り上げるというようなことも言っているわけですけれども、それと同時にコモンセンスと言っているわけです。
  このコモンセンスというのはどういうことかというと、どんな発明であれ、そのときは奇抜な発明、常識を破るなんていう表現を使うわけですけど、50年たっても、100年たってもまだ常識を破るような発明だったら、これはろくな発明ではない。100年たったら、例えば電気のように普通の人にとっても全く常識だ、そういうものが本当のすばらしい発明なんだ。だから、コモンセンスというのが必要だ。コモンセンスは自分だけの頭の中で考えてできるものではない。たくさんの人が住んでいる世界に住んで、社会の中で肌で感じて、いわば浸透圧でにおいとか、ケミカルが体の中へしみ込んでくるように自分の中に入ってくるものだと、そういうことなんです。それがないと本当のクリエーティブな作業ができない。本当のクリエーティブなエリートとも言えないのではないかということです。
  ところが、また一方、アメリカではいろいろな著書があって、僕は読んでないんですけれども、タイトルだけ見ると、コモンセンスに関する著作というのは結構たくさんあります。コモンローに関係したコモンセンスの考え方、建国当時からコモンセンスというタイトルの著作もあります。ここで言っているのは、ボストンのエアポートに着いて、ハーバードのほうに向かって車に乗っていくと、バーンと大きな看板が見えるんですけれども、マーク・トウェインの「Common   sense is most uncommon.」という言葉です。この言葉の背後にあるのは何かというと、世の中というのは民主主義で多様性を尊重して、それぞれの個性をも尊重して、したがって、一本調子あるいは画一的にはできないけれども、民主主義という考え方に基づいて何らかの社会の安定をつくっていく。そのためには、庶民の教養が必要だ。それは実はコモンセンスなんだ。場合によってはそれはコンセンサスという形になるのかもしれないけれども、それを身に付けていることが教養なんだという考えが、この背後にあるんだと僕は理解したわけです。
  そこで、最後に一つだけ。いろいろ言いたいことはたくさんあったんですけど、一つだけこういう場で申し上げておきたいことは、先生方、いろいろ日本の教育の方向、あるいは研究も含めた日本の在り方に関与しておられるんで、僕は数学者ですけど、当然科学には興味を持っているし、一番真剣に勉強したのはサイエンス、物理学とか、化学とか、生物とか、もちろん数学です。そういう人間なんですけど、今度、国立大学協会で声明を出した最後のところです。日本は科学技術基本法、科学技術基本計画、科学技術、科学技術と言うけど、もっと人文、文芸ということを考えなければいけないのではないか。人文基本計画とか、文芸基本計画なんていうのは聞いたことがないではないか。これは何かおかしいのではないか、そういう考え方です。
  一つ、アメリカで、物理学とたしか化学だったと思うんですが、ノーベル賞を受賞した数人が集まって、新しいサイエンティストを育てる特別なハイスクールをつくろうと。たしかシカゴの南のほうだったんですが、残念ながら名前を忘れましたけれども、ハイスクールをつくったんです。そのハイスクールでは、最初の1年は一切サイエンスを教えないというんです。古典、芸術、そればかりをやる。そうすると、もともとサイエンティストになろうと思ってるし、その方面での生まれもった才能を持った連中ですから、2年にはがむしゃらにサイエンスのほうに打ち込んでいく。こういう高校をつくっているんです。また、そのことがいわゆる先端信仰ではないということなんです。先端というのは、明日がないというところなんです。今の先端技術というのは、30年後、40年後にはもう陳腐になっているか、過当競争をしているか、そういうところなんです。
  アメリカがITでこれだけ強くなったのは、まだ先端でないときに一所懸命やったからです。既に先端になったときに、日本は一所懸命になった。しかし、先端宗教ではないけど、先端信仰というのを見直すべきではないか。それの一つの重要なアンチテーゼは、教養主義ということです。人文主義ということです。それを国として真剣に考えるべきではないかと思います。

○根本会長  ありがとうございました。
  なかなか興味深い御意見でございますが、どなたか御質問ありますか。

○  日本は戦後学制改革により、新制大学をつくりました。その一番の目玉は教養教育ということで、はじめは2年間をそれにあてる制度でした。つまり、専門偏重に過ぎたから教養ある人間をつくるという理想でした。その後50年が経ちまして今日、日本中高度の教養人ばかりとなりまして、国中に溢れている状況とも言えますが実際はどうでしょうか、本当にそうでしょうか。
  現実はそれとは逆の状態が現出されており当面これをどうしようというのが、あらゆるところで問題になっており、これの克服なしに日本の将来はないと心配する人も多いわけです。
  そこで、お話に関連して端的に広中先生にお伺いするのは、戦後の状況をつぶさに御覧になっておられまして、只今先生のお話と対比しましたとき、大学の教養課程とは一体何であったのか。今日大学へ行く人は、数え方にもよりますが、同年者の中の50%を超える状態でありながら、ここで新に教養を問題にしなければというのは、今までの教養教育のどこが問題であったか、どう考えるべきなのか。根元からの検討が必要かと存じます。この点今日のお話に関連して率直な御指摘を御意見を伺えますと非常にありがたいと存じます。

○広中意見発表者  どういうふうに思っておられるか知らないけど、今までの日本の教養というのは他の国と比べて、例えばアメリカと比べて低いとは思わないです。そのかわり、努力の仕方が少し問題があったとは思います。特に大学の場合ですけど。例えば、大学の教養部というのは、戦後しばらくして、とにかくつくりなさいというので、いろいろな大学につくったわけです。これを数年前から、あれはやめなさいというので全部やめて、渋々やめたところもあるわけですが、いずれにしても一つか二つ残して、ほとんどなくなった。僕もよく知らないけれど、ほとんどやめました。
  あの教養部というのは、実を言うと問題があったんです。それはどういうことかというと、大学の中に、セカンダリー・シチズンという、何と言うんだろう、要するに学部の先生方は上で、教養の先生というのは二流だという考え方がいつの間にかできていた感じがあったんです。
  実を言うと、学長になって一つ提案をしたんですが、どういうことかというと、定年になった先生の中で、ちょうどアメリカのアドホック・コミッティーのような学長を座長とするコミッティーをつくって、僕のところは定年が63歳なんですけど、65歳まで延長する。そのかわり学部を離れて、全学教授になる。そういう選ばれた人が教養課程を教えるという方針を出したんですけど、事務の人に言わせれば、文部省はなかなかそんなことを考えてくれない。実際に我々の人事課を通してやっていると、最後にはだめだめと、こうなってくるんです。答えにならないんでしょうけども。

○  ひとこと附言させていただきます。似たような時代を過した私も、教養課程での経験を率直に申し上げます。先生に恵まれたと思いますが、正直に申しまして私は非常に興味を持ちました。例えば社会文化史や文化人類史のお話を伺ったとき、2時間の講義をわくわくして、まるで違った世界に連れ込まれた感じで、例えばフランス革命が一体どう今日の社会や人類生活に影響しているかという生々しい話から始まり、大変に感激させられました。
  また、法律も勉強させていただきました。主に憲法の話でしたが、第9条がどうのという話ではなくて、憲法は一体何を規定するのか、なぜこんなものを勉強し、理解してなきゃいけないのかという具体的な話から入り、とにかくその当時、4単位1年間でしたが今でも覚えておりますし、いま先生の講義の時の表情まで思い出しながら申しているわけですが、それは素晴らしいお話でした。
  そういう体験がいくつかありまして、それで私の人生や、考え方が決まったような気がしております。もちろん私は理科専攻の人間ですから、その後も専攻分野をずっと通してきておりますけれども、教養課程の講義内容が私の人間形成に非常に役立ったと今でも思っているわけです。
  先ほど申し上げましたように、日本中教養いっぱいの人で溢れ返っているはずなのに、実はその教養が何も無かったという話に昨今傾いてきておるわけですが、一体、制度上の問題か、考え方の問題なのか、それとも人の選び方を間違ったのか、一体何が原因だったのかを反省をしながら、これからの話を詰めてゆくべきであるという気がいたします。
  広中先生の御意見にお言葉を返す意味ではなく、これらについて先生は一体どうお感じになっているのかを率直に伺いたいのです。確かに制度や予算も問題に違いありません、セカンダリー・シチズンが大学で教えたのが問題であった。それも間違いないが、講義を聞いた私の先生方ほとんどは他界されましたが、多大の感銘を受けたのも事実です。
  人がいなかったのではなく、居たけれども、それらの講義が市民生活や日常の考え方や行動、つまり常識としての素養や知的人間的規範の形成に役立たなかった講義はなぜかという点についての御見解を伺う質問をさせて頂きました次第です。広中先生のお立場から御覧になりました教養課程の在り方の問題点という御見解を披瀝賜らばと存じました。

○広中意見発表者  お話の途中だけど、あの教養課程がいいかげんだったとは僕は思わないです。だけど、あの当時と今では世の中が変わってきているんです。世の中が変わるというよりも、子どもたちが変わってきております。だから、あの当時の教養課程でまじめに講義を聞いてくれるかどうかわからないと思います。先生が感銘を受けられたような立派な教養の先生もいらっしゃったわけで、残念ながら50年という歴史の間に、初めはそうではなかったと思うんですけれども、次第に次第に二流市民というような雰囲気になってしまったわけですね。それは人事の問題です。人事で失敗したとも言えます。それがずうっと50年たまってきたわけです。
  今の若い連中で元気のある人は、入ったらすぐ専門をやりたい、だめだったらまた教養をやりたい、そういう感じの人たちが多いわけですから、かつてのように今の大学生たちに教養を2年間とか無理やりやっても、あんまりいい効果は出てこないのではないかと思います。だから、あの教養部をなくしたのは、ちょうどなくすべき時期だったと思います。

○梅原意見発表者  広中さん、ちょっと教養の問題を離れますけど、文部省の方がおられる席上でぜひお伺いしたいことがあるんですよ。私が心配なのは、初等教育において心の教育が欠如している。もう一つ、高等教育における先端信仰というのか、創造信仰だな、そういう信仰というのが欠けてるんじゃないか。日本の大学では世界の学界を相手にして本当に独創的な仕事をする人を生み出すことができないんじゃないかという気持ちがあるんですよ。
  例えて言うと、私の文科系ですれば、中村元先生は日本で最高の仏教学者だと思うのですが、80歳になって「奴隷の学問をよせ」ということを言った。80歳になって「奴隷の学問をよせ」と言った先生は立派ですけど、80歳になるまで奴隷の学問をやってたのかと、逆に言えば。それは20歳代に言うべきことなんで、80歳で出すのは遅過ぎるんじゃないかと言うんですけど、人文科学はほとんど奴隷の学問をやってんですよ。私のような独創的な学問をやろうなんていうのは、「あれはほら吹きだ」というんで、最初から孤立無縁の道を歩まないと本当に自分の仕事ができないんです。それが日本の学界の現状なんですけどね。私は自然科学でもそういうことがあるんじゃないか。
  例えばノーベル賞でも、それはほとんどアメリカの学界で、アメリカの大学で、そしてアメリカの大学は競争社会ですから、非常に競争して、競争に打ち勝って、ノーベル賞にしても、フィールズ賞にしても、そういう賞を獲得するので、日本の学界にはそういう競争原理がないのではないか。そこに日本の教育の置かれた一番の問題点があると思うんです。それを   端ということですけど、残念ながら、日本の一流大学であればあるほど、一部の人は別として、大多数の学生たちが修士のころからどんどん論文を書くけれど、それがいわゆる先端のつけ足しなんですよ。そのほうがカッコいいというか、手っ取り早いんです。高いところに1センチくっつけたほうが、「ここにいますよ」って人に言えるわけです。だけど、基礎のところではだれも見てくれませんからね。それから、そういうものが評価されない。この雰囲気は非常にまずいです。一所懸命やっていて、つまらないことをたくさんやっているという感じがするのですが。

○梅原意見発表者  どういうふうに変えたらいいでしょうか、それ。教育制度そのもの、大学をどういうふうに変革したらいいんでしょうか、そこを聞きたいのですが。

○広中意見発表者  もっと大学をおっぽり出すんですね。自由にやらせて、競争して、つぶれるところはつぶれて、残るところをどういうふうにするかということを考えるべきでしょうね。

○根本会長  お二人のスーパー対談になってきて、大変に感銘を受けておりますが、今、先生から独創性の問題に関連して、アメリカの高校が古典、芸術を最初に相当やるというお話が出ました。私は、先般、北京に参りました。大体外国へ行きますと、代表的な大学を訪問することにしておりまして、今回は清華大学へ行き学長に学生たちに対してどういう教育をしているのかという質問をしたところ、日本と同じように知育・体育・徳育、これは絶対必要だということでした。そこで彼が言ったのは、美意識ということを強調したんです。理工科系だけれども、感性というものが豊かでないと科学技術にチャレンジできない。
  それでは美意識を養うにはどのようなことを具体的にしているかというと、それは音楽とか、芸術の問題もございますでしょうが、そこで強調しておりましたのは古典教育なんです。卒業するまでに80冊の古典を読ませることにしてますと。「その古典はどういう古典ですか」「じゃ一緒に図書館に参りましょう」といって見ましたですが、そこに80冊の本が棚にございまして、その中にマルクス、レーニン関係は5冊ぐらいしかないです。あとは梅原先生のお話の中にも出てまいりましたが、中国の古典集、孟子、孔子、荀子をはじめとしてそれがずうっとございまして、その中に『紅楼夢』もございましたので、「これは何ですか」「いや、これは貴国の『源氏物語』でございます」というようなお話がございました。そのほかに、ヘミングウェイの『老人と海』とか、トルストイの『アンナ・カレーニナ』とずうっとございまして、シュペングラーの『西洋の没落』もございましたが、やはりギリシャ哲学なんかの本がかなりあります。そして、「日本国はいかがですか」と言ったら、「ここにございます」と言って、川端康成さんの『雪国』が1冊あるんです。これはちょっとね、がっかりした。これは川端さんに申しわけないけれども、果たしてこれが日本国を代表する古典と言えるのか。あえて言えば、芭蕉の『奥の細道』ぐらいがあればいいなと思いましたけれども。いずれにしても、中国の社会主義国家ですら、学生たちにそういう教育をしているということは、これはもう日本がよほど考えなければならないことである。
  北京大学に参りましたときも、中国には兵役制度がございますから、これは韓国でも同じでございますが、団体教育というようなものを授けることができる。また、創造力、品性の豊かな人間をつくらなければならないとも言っておりました。同時に、やはり古典教育ということについて、北京大学の古典研究所というのは世界的にも相当なもののようでございますが、そういう視点で子どもを育てておるということでございます。
  それから、ソウル大学の総長も、まず第1は、抽象的な言い方ですけれども、グローバル・シチズンシップということを言いました。それから、やはり品性の豊かさ、韓国式儒教主義ということを言ったんです。これは具体的にどういうことかというと、「それは、家族主義だ」と。つまり、家族の価値を子どもに十分理解し直してもらいたい、そういう思いですと。そして、4番目に、ソウル大学としては中国語に非常な重点を置いておりますと。やはり近隣の地政学的な理由もあって、英語とか何とか世の中は言っておるけれども、韓国にとって大切なのは、やはり中国語だと。それぞれの大学がしっかりとしたビジョンを持っておる。
  梅原先生の言われた宗教教育でございますが、イギリスで1997年に来るべき20年間の英国の高等教育について、ロード・デアリングという人が提言しておるんです。デアリング卿にお会いしていろいろお話をしたときにも、5,700万人の英国人の将来を考えると、いずれ中国は10数億、今ですら12億とか13億ですが、これが18億ぐらいになる。それから、インドが20億ぐらいにいずれなってしまうだろう。そういう人口的なバランスの中で、5,700万人の英国がいかにサーバイブするかということを考えると、結局、ラーニング・ソサエティーという言葉を使いましたね。要するに、揺りかごから墓場まで、みんなが学習する社会をつくらなければならないんだと自分は思ってますと。その中で、非常に大きな問題となってきているのは宗教の問題。キリスト教、ユダヤ教、仏教、ヒンズー教、シーク教、それから回教。この六つの宗教がそれぞれ一体どういう宗教なのかということを、子どもたちに教えなければ、これから国際社会でサーバイブできない。そういう問題意識を持ってやっておるということでした。
  皆さんが言っていることは、これは教養教育の原点だと思いますが、リベラルアーツというものの原点は、広中先生が言われたように、要するに「汝自身を知れ」と。いかに自らが無知であるか。「無知の知」とでも申しますか、そういうところから科学は出発しているんだと思いますが、そういった謙虚さを知ることによって、人間社会としてあるべき姿を追求していく。そういう知恵を授けることが教養教育の目的ではないかと思っております。そのことはかなり広範な教育、天然の摂理を学ぶとか、あるいは古典、それから勤労、働くということの尊さとか、芸術、スポーツを含めて、全人格的な教育をすることが教養教育ではないかと私は個人的に思っておりますけれども、もし何かコメントでもあれば承って最後といたしたいと思います。

○梅原意見発表者  先ほど戦後の教養教育というのは失敗じゃないかと。旧制高等学校の遺風をどこかで受け継いだ。それが教育の原点だと思いますが、広中さんが言ったように、暫時その精神が衰退してきた。教養といっても、あれは英語と、あとは人文社会、自然の中から3科目取るということです。そういう意味で言うと、旧制高等学校でも組織全体が教養というものを大事にするというような雰囲気を失っていた。それに広中さんが言ったように二重組織になっていまして、先生方も誇りを持たなかったというところがありまして、暫時形だけになってしまった。教養は盛んのように見えたけど、本当に教養ある人間が育っていなかったということは言えると思うんです。
  私は、心の教育は非常に大事ですが、もう一つ、先ほど広中さんが説明したような、これは大学の独立行政法人化ともつながっておりますが、日本の大学には真の意味の競争原理がないんです。一遍教授になったらずうっと、助手になったらずうっとところてんでいくんです。私のように一遍外れたら、ずうっと外れてしまいます。国際日本文化研究センターというのは私がつくった組織で、これは文部省の理解を大変得まして、私は日本一の創造的な組織だと思いますが、そういうものを新しくつくらんと、創造的な学問が育っていかないんです。そういうことを私は大変心配しているんです。広中さんのような天才がもう出ないのではないか。東北大学の学長だった西澤さんは、かつてノーベル賞を取った日本人の学者のレベルは高かった。ところが、今はノーベル賞に値する人も少なくなっている。それにレベルも低くなった。湯川さんのような方は、近代科学の中で永久に歴史に残るような仕事をしている。湯川さんとか、今西さんというのは、原則そのものを考えた人だと思いますが、そういう人がなくなっている。
  広中さんの今のお話を引きますと、湯川さんも西田哲学を大変勉強したんです。西田哲学の「場の理論」というのがどうも湯川先生に影響したのではないかと言われている。今西さんに至っては、学生時代はほとんど生物学の勉強をせずに、西田さんの本を読むのと山登りばかりしていたという。すみわけ理論というのは「場の理論」が影響していますが、人文科学の発想によってああいう偉大な仕事をしたんです。
  広中さんでも、湯川さんでも言っていますが、数式というものは、真実というのは美しいんだと。数学でも、物理学でも、簡単な数式で、非常に美しい数式であらわされる。美しいものは真実であるということを湯川さんが言っておられましたけれど、おそらく広中さんもそういう……。私は広中さんの数学は、いつか説明を聞いて、何遍聞いてもわからない。初めからまた教えられて、また聞いたんですけど、わからんですから、非常に巨大な思弁の体系。しかし、恐らくその思弁の体系は数式にした場合、大変美しい数式になるのではないかと思うんです。
  その意味でも、今日のお話にありましたように、自然科学の最先端をやる人にも、ちゃんと文科系の教育をすることが大事じゃないかということは私はよくわかります。そんなことです。

○根本会長  ありがとうございます。広中先生、何か最後に一言。

○広中意見発表者  僕たちが何か仕事をしようというときに、これは国の仕事であれ、大学の経営であれ、あるいは個人の人生設計であれ、理想的には方向をはっきりさせて、方向がいい方向であって、そしてその方向に向かってプロダクティブに進んでいく。これが一番理想なわけです。方向を間違って、あるいは方向について何の議論もしないで、がむしゃらに頑張るというのは、日本人はよくやったんです。僕の兄貴は23歳でニューギニアで戦死しているんです。日本はものすごく頑張ったわけです。僕の兄貴だってものすごく頑張ったわけです。一所懸命アメリカの兵隊を殺したかもしれないけど、自分も殺されちゃったわけです。僕はマッカーサーのほうがよっぽど賢いと思うんです。「アイ・シャル・リターン」とか何とか言って、フィリピンからサッと引き上げて、日本がそろそろおかしくなったと思ったらワッと攻めてきて、最後には日本の占領軍の大将になっているんですよ。どちらが賢いんですか。何か方向性ということを真剣に考えるべきなんで、そのためには時間軸なんです。方向というのは何かの時間軸のイメージがないとですね。
  ところが、政治家の先生もいらっしゃいますが、政治家の先生の最大の欠点は、時間が任期中なんです。教育の問題というのは、百年の計というわけです。もちろん、文部省にも問題があるんですよ、文部省の役人も頭のいい連中ばかりなんだけど。いつの間にかヒエラルキーができて、無謬主義というのがあって、間違いがないように、間違えないように、間違えないということを、三重にも四重にもすると、最後には身動きもできないようなことになるんです。当たり前のことまでできなくなる。常識さえ通らなくなる。そこまで固くなってしまう。これはヒエラルキーをつくって、ヒエラルキーは50年も何十年もたつと必ずできるんです。これはソ連の組織だってそうだった。
  ところが、一方では今度は政治主導といって、4年の任期で何かやらなきゃいかんという感じでやると、日本の教育はガタガタになりますよ。ここのところで文部省の人たちも自信を持って、本当に教育というのはどうあるべきか、百年の計を考えて、政治家も一緒にそのことを考えて、むしろ文部省とか官僚の欠点を補完して、一緒に長期的な計画をつくるべきです。そのことが一番大切なんです。

○根本会長  ありがとうございました。松村政務次官、何か御発言はございませんでしょうか。

○松村政務次官  本日は、大変貴重なお話を伺って勉強になったんですが、私も初めて文部省に参りまして、私自身、昭和32年から36年まで東京大学におりましたが、大学の入試のときまでに8科目をある程度修めてしまったわけですから、それ以上何を重ねてくれるかということで、全く無為な時間を2年間過ごしてたなというような、全く無為とは言いませんが、そんな時間も過ごした気がします。
  信賞必罰ということがなくなって、人を殺したらいけない、人を殺したら死刑になるという江戸時代の行刑もないということで、それをみんな知らんふりして過ごしていることで、少年が人を殺しても何ともないというようなことにもなっているのではないか。
  戦後、いずれにいたしましても、ともかく豊かになろうということで、多くのことに目をつぶってきたことがあると思いますので、今日はせっかく参加させていただきまして、広中先生、梅原先生、また中央教育審議会の諸先生のお話を洗礼といたしまして、今後、しっかりやりたいと思います。どうもありがとうございます。

○根本会長  ありがとうございました。お二人の先生には感謝申し上げます。それでは、どうもお忙しいところを本当にありがとうございました。これで閉会といたします。

(大臣官房政策課)

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