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中央教育審議会

 2000/3 議事録 
中央教育審議会第229回 (議事録) 

 中央教育審議会  総会(第229回)

  議  事  録


平成12年3月14日(火)13:00〜15:00
霞が関東京會舘        34階      ロイヤルルーム


    1.開    会
    2.議    題
          「少子化と教育について」
    3.閉    会


出席者
委  員
根本会長、河合座長、木村委員、小林委員、志村委員、田村委員、松井委員、森  委員、横山委員
事務局
寺脇政策課長、吉田政策企画官、その他関係官


○根本会長  第229回中央教育審議会総会を開催いたします。
  御多忙のところをお集まりいただきましてありがとうございます。

<事務局から説明>

○根本会長  それでは、議事に入ります。

○  少子化が進んでいくことをどのようにして最小限に抑えるかということと、教育に及ぼすマイナスの影響をどのように最小限に食いとめるかということで、教育以外の政策面も含めて数多くの提言がなされているということで、基本的には河合座長をはじめ、小委員の皆さんのこの間の健闘に敬意を表したいと思います。
  いくつか感じていることを申し上げたいと思いますが、私が申し上げることはひょっとしたら的外れの点もあるかもしれないと思いますが。
  一つは、小学校の本務教員1人当たりの児童数の推移についてで、この間の教職員定数改善計画の効果も含めていることと関連しながら、「最低限の教育条件の整備はなされていることを前提として、個々の学校や地域の特色ある取組に対しきめ細かな資源配分を行うという方向に転換することを検討する必要がある」とあります。
  基本的に私もそのことを否定するものではありませんけれども、確かに教育条件について、今まで特に公立の義務教育等については、国庫負担等も含めまして全国一律に教育の機会均等という考え方に立って整備されてきた。また、数次の改善計画の中で、ある程度それが充足されてきているという面はあるんです。したがって、今後、個に応じたきめ細かい取組をするということも、軸足をそっちのほうに移さなければならないということは、私もそうだと思うのですが、取り方によって、今、現場の教師職員の中には、いわゆる40人学級を30人以下とか、少人数の学級にすることに対する期待が大きいわけで、とにかく全体としての水準は満たされているので、個に応じた教育のほうに重点を移してしまうというように言い切ってしまうと、やや全体の水準を上げるということがおろそかにされるのでないか。必ずしもそういう意味で言っているのではないということはよくわかるのですけが、ちょっとそういうことに受け取られかねないようなくだりがあるということで、文章上もう少し工夫をしたらどうか。
  それから、その数行下の「諸外国に比べて不十分といわれている教育分野に対して教育資源を重点化するといった発想も必要となる。」というのも確かにそのとおりだと思います。GDPに占める日本の教育費用というものは、国際的に見てそこそこの水準にはいっているのですが、トータルとして教育に対する投資  ―という言い方が適切かどうかですが  ―を増やしながら、しかもこれからはそれを重点配分することが必要ではないかと思います。「教育資源そのものの拡大とその重点的な配分」といいますか、そういう表現にしたほうがより適切ではないかというのが一つです。
  それから、少子化の影響で、小規模学校、少人数学級というのが特に過疎地域において顕著になってきておって、私もいくつか回ったところでは、最近、学校の統廃合といったようなことが地域で大きな問題になっている。先だって私は大分に呼ばれていって、実情を聞かされて、あそこは平松知事が一村一品運動などで地域の活性化に意を使われているわけですけれども、統廃合がこれから非常に進みそうだということがあります。
  ここでは、少子化が教育に及ぼす影響としてマイナスの面とプラスの面を書かれてはいますが、学校規模が小さくなったから安易に学校を統廃合して、三つあった小学校を二つにするとか、二つあった中学校を一つにする、地域によってはそこは慎重にやられているところもたくさんあるんですけれども、きめ細かい個に応じた指導なり特色ある学校をつくるために、あるいは地域の活性化を考えた場合に、子どもの数が減って小規模校になったから学校の統廃合するということについては、安易には行わないほうがいい。それなりに小規模学校のまた持ち味といったものを十分生かしていく工夫が、中学校・高校の連携校とか、小学校・中学校間の交流とか、隣接校の交流とか、あるんですけれども、その辺のところをもう少し補足できればということを感じているところです。

○  まず、私は、文部省が教育担当の官庁として、少子化について発言するんだから、「仕事と子育て」ではなくて、「子育てと仕事」というふうに順序を逆にしたほうがいいのではないか。これは胸を張って文部省として「子育てと仕事」としたほうが存在感が出るのではないかということが第1点。
  それから、「仕事と子育て」に関連して、「働きながら」ということで、「ながら」というのが出てくるんですが、「働きながら子育て」なのか、「子育てしながら働く」のか、この「ながら」というのは国語学上非常に難しい、論争になる解釈なんです。これはどっちでもいいと言う人もいますし、どっちか修飾語だと言う人もいますが、関連すればそういうことではないかと思います。
  それから、「子育て理解教育」というのがあるんですが、これはなかなかいいことなので、これをもう少し強調してもいいのではないかという感じがいたしました。「子育て理解教育」。目玉になる言葉があまりないんですが、「社会の宝」とか、「社会のふところの豊かさ」とか、感じは少しずつ出ているんですが、何か一つアピールするものがほしいので、文部省に託児所ができるなんていうのは新聞で書いていますけれども、ああいうのだけではちょっと困るので、それが一つです。
  次に,幼稚園の教育活動の充実とそれを支える教育環境の整備の推進や、幼稚園における家庭・地域と連携した子育て支援の充実、幼稚園と小学校との連携、幼稚園と保育所との連携など各般の施策を体系的に盛り込んだ、プログラムを「幼児教育振興プログラム」というのはそのとおりで、まじめな言い方をしているのですが、厚生省は「新エンゼルプラン」とか、インパクトのある言葉で言っているので、「幼児教育振興プログラム」というのを何か別の、「新エンゼルプラン」に対抗するものが何かないかなという気がします。
  前後しますが、大事なことを先に言いますと、これも私、前に一度、審議会で申し上げましたので、これで皆さんいいとおっしゃれば我慢しますが、「学習機会の提供など出産や子育てを終えた」という、この「子育てを終えた」という表現をどのように定義するのか。いつ終わるのかこれはわからないので、むしろ「子育ての負担が少し減った」とか、「子どもがある程度自立したと思われる」とかにしないと、いつ子育てが終わるのか、私はむしろお伺いしたいという気がします。
  それから、「仕事と子育て」の言葉の使い方で、教育面以外においても「仕事と子育て」でいいんだとおっしゃればそれでいいですけれども、その問題と、在宅勤務の問題。トヨタ自動車をはじめ、子どもが学校へ入るまで在宅勤務を可能している企業がいくつかあるので、そのことをどこかに書いたらどうか。かなりの企業がこれからやっていくんで、そういうところを表彰するというのはわかるけれども。一所懸命やっているところを表彰するという、もっと具体性を持たせたらどうかということです。
  ちょっと前後しますが、地域社会のことで、今、生涯学習教育で「全国子どもプラン」というのをやっていますね。その言葉が一言も出てこないのですが、これだけ子育て支援と言っているときに、どこかに出てきてもいいのではないかと思うのですが。「全国子どもプラン」というのを大々的にやっているんです。あちこちの会議に出ると、この説明を聞きます。

○  「全国展開している『子どもセンター』等を活用して」というのがありますが。

○  いや、「子どもセンター」はありますが、「全国子どもプラン」というのが出てこない。
  それから、あと希望的なことを二、三申しますと、これはどうしようもないことだと思うのですが、私の持論なので、一言だけ言ってやめますが、留意点が第一に結婚、出産等についての判断は、個人の自由な選択に委ねるべき問題。第二に子育てを支援するための環境整備を行うに当たっては、子育てについての理念が人々の間で共有されることが重要。
第三に子どもたちは社会全体ではぐくまれていくものであることを再確認し、大人一人一人が考え社会のあらゆる場で取り組んでいく必要があることを改めて認識することが必要。第四に男女共同参画社会の形成を促進する観点から検討することも重要とあります。私はこれ以前にもう一つ大事な問題があると思います。それは親の意識変革ということです。何度も同じことを言いますが、現在、自分がこの世で自由を謳歌できるのは、親が産んでくださったからだという、種の保存と個の関係です。今、個の権利だけ主張していますが、そういうことではないということをどこで教育するのか。「命は限りなく続く」とか、いろいろ似たような表現はありますが、親の意識変革ということが一つ。
  それから、家庭教育の中で、もう少し「親」というのを強調してもいいのかなと。親は人生最初の教師たる自覚がないと思います。

○  中央教育審議会の今までのいろんな答申の中のものも組み込んでいただいておるということは大変ありがたいと思います。
  今日、テレビに河合座長が出演されてまして、私はそれを見てきましたので、非常に助かったわけでございます。これは全体的な感想で、私どもの考え方としては、子育てが楽しいという雰囲気にならないと、これからの子どもたちが、結婚したい、あるいは家庭を持ちたい、子どもを持ちたいという気になれない。まさに我々が明るい雰囲気でもっていかない限りは難しいのではないかと思っていたところ、河合座長がそのようなことを言っていただきまして、非常にありがたいことでございます。
  文部省で「子どもプラン」をいろいろ提言しています。私どもはこの「子どもプラン」を全面的に展開しようということでやっているわけでございますが、報告の中でそういうものが載っていれば、実践しやすいだろうということがありますので、ぜひそういうものを入れてもらえればという感じがします。
  もう一つは、私どもの団体としては、家庭教育キャンペーン、少子化キャンペーンをやって、我々がとにかく明るく生活していく、我々が一歩踏み出さない限りは、我々の子どもたちも一歩を踏み出せないという形で、一歩踏み出そうという運動をやっているわけでございます。これが今回の報告全般にわたっていますので、そういう具体的なものがこの中から出てくればいいなという感じがいたします。
  それから、今回のキーワードというか、社会全体で子どもを育てていこうと、子どもは世の中の宝という形で、社会全体、特に地域を巻き込んで子育てをしていこうということが出ているような気がします。それをもっと前面に出してほしい。
  併せまして、特にPTAというのは子どもがいなければPTAの会員ではないわけでございますが、もうそういう時代ではない。子どもがいてもいなくてもそういう組織をつくらなければいけないと実感しまして、オーストラリアですとPCA(Parents   and Citizens Association)ということで、両親と市民の会という形でもって、子どもがいてもいなくても参加する人がいればだれでもできるということになっておりますので、そんなようなことを我々自身も考えていかなければいけないと思っております。
  最後に、税の問題ですが、以前、税の控除ではなくて、「子ども1人いたら年間100万円ぐらいくれろ」と。そのかわり私どもが老人になったときは年金は要らないという形の税体系は出来ないのでしょうかと言った質問を聞いたのですが、結局、将来の年金の財源というのは、私どもの子どもが将来つくるわけでございますので、そういうことを考えていった場合、そういうメリハリのある体系を考えてもいいのではないか。今、1人の子どもに2,000万円ぐらいかかるそうでございますから、少なくとも年間100万円ぐらい子どもについて与えてもらえばいい。そのかわり、これはできるかどうかわかりませんけれども、将来、我々が老人になったときは、子どもたちに面倒見てもらうから、年金は要らないよというぐらいの思い切ったものができないのかなという感じがしたわけでございます。

○  大変いいことがきちっと整理されていて、河合座長のつくられたものですから、楽しみに今日はお伺いしましたが、非常に勉強になりました。
  さすがに名文句がいくつもちりばめられているわけでございまして、例えば「子育て理解教育」なんていうのはいい言葉だなと思いました。それから、豊かさが少子化をもたらしたとすると、その豊かさがもたらすものに注目するというような言葉も、これも非常に含意のある意味の深いことであります。
  内容的に大変いいわけでありますが、これはもしできればということですけれども、いろいろな分野にわたっての提言がされているので、大体包括的にできているという感じですが、例えば、家庭に対してならば、両親とおじいさん、おばあさん、あるいは家庭を囲むいろいろな環境とか、具体的に呼びかけ対象が少しずつ違うものを並べて書いてもいいのではないかという気がします。
  小学校でも、あるいは中学校、高校、学校段階でも先生に要望することと、それから学校の周りにある地域社会に要望すること、あるいは従来のPTA、お父さん、お母さんに要望すること。この間も地域のある小学校の協議会に出てみたんですけれども、結局、先生がいるとPTAは何も言わないんです。地域の人がワアワア言って、非常にいい話があるんですけれども、やっぱり遠慮があるのでしょうか、従来のことが続いている。だから、呼びかけを少しきめ細かくしたほうがいいのかなという感じがします。実際難しいとは思いますけれども、その辺のところを整理すると、はっきりするかなという感じが多少いたしました。
  最後に、他の委員の方のお話で、私も実はそう思っておりました。「エンゼルプラン」に対抗して、何かそういうような、例えば良寛さんという人がいるわけですから、「新良寛プラン」とか、日本語でやったらどうか。そういう対応もあるような気がします。それはプラン全体の提言の意味を伝えるには非常に役に立つわけでありますから、「一茶さん」でもいいんですけれども、我々の歴史にもいっぱいそういう方がいるわけですので、というようなことを感じました。

○  私もこの審議会に出させていただいて、いろいろな方々の大変興味深い有益な御意見を伺ってきましたが、これをおまとめになる方の御苦労は大変だと思っておりましたが、さすがに非常によくまとめてくださって、とてもいい報告になっていることをお礼申し上げたいと思います。
  私は何回かにわたって特に女性の未婚化・晩婚化ということをあまり強調しすぎることへの危惧とか、個人の選択と社会的な関心とを分けて考えることとか、それから女性だけではなくて、男性の責任、仕事社会の企業の責任というようなことについて、折々発言させていただきましたが、それらがすべて強く含まれていることを大変うれしく思いました。
  さらに二、三申し上げさせていただきますと、一つは例えば社会全体で子どもを育てるということは、大変に重要なよい視点であって、それを強調してくださったことに賛同いたしますけれども、いろんな制度づくり、各種団体の連携とか、学校に地域の方々をお招きするというような制度づくりももちろん大事ですが、地域または社会全体で子どもを宝として育てるというのは、やはり一人一人の意識改革が大事であって、そこへどうつなげていくのかというのがもう一つ見えてこないような感じがいたしました。
  それから、もう1点は、日本は少子化で確かに非常に大きな問題を抱えておりますが、世界全体ではまだ人口がどんどん増えていて、それが問題になっている国、地域のほうがずっと多いわけです。もちろんそういうことはこの審議会のテーマではないのですが、全く日本だけに目を向けているのではなくて、国際化の社会ですので、どこかに一言でよろしいですから、「地球社会の人口の問題はあるけれども、先進諸国、特に日本などでは少子化……」というように一言入れていただけたらなという感じがいたしました。
  同じように、国際化という視点で、子どもを育てるときに家庭の一員、社会の一員、国民としてというように並べてありましたところにも、「地球社会の一員として」というのを入れたらという感じがいたしました。

○  私は小委員会のメンバーでございますので、むしろ書いたものの責任者のほうでございますから、批評という立場ではないと思っておりますが、多少のコメントを申しますと、専門委員の方の大活躍もありまして、非常に活発な議論をしました。今回は私もこれでいいのではないかと自画自賛をしているわけでありますが、多少残る問題があって、これはまたこの次の段階のことであろうと思っております。
  どういうことかといいますと、子どもが少ないという場合に、経済的に援助を与えるという独創的なお考えを示されたわけですが、実はフランスでは第2次大戦後にそれをやりました。子どもが2人以上のときにはかなりの補助金を出して、それによって子どもが非常に増えたということが実績にあります。この点はひとつ研究課題ではないかと思います。
  今回の報告では、一つ、今までもあったとは思いますけれども、特に強調したいところは、子どもを育てるのは基本的には親ですが、地域全体の宝であるという視点を強く打ち出したところではないかと私は思っています。ただし、その場合、この報告をどのように具体的な形に表すかというと、幼稚園、保育所、小学校段階は特にそうですが、学校あるいは幼稚園などの先生方が創意工夫をもって地域との連携を図る努力をどうやってしていくかということは、ここにはまだ書いていないわけです。
  中央教育審議会の性質上、基本方針でございますから、こういうことがあり得る、こういうことがあり得るというところまで書き込めないわけでありますけれども、私がもしも幼稚園あるいは小学校の校長であったならば、「これは大変だ。私の地域の小学校の学区では何をやろうか」ということを一所懸命考えなければならなくなってきているのではないか。そういうことは必ずしもここに書いていないんですけれども、それを具体化するためには、小学校や幼稚園などがどのような工夫をするか、あるいは工夫をしてほしいということが、どこかにちょっと書いてあればよかったなと、今ごろになって気がついたわけであります。
  もう一つは、先ほど座長から御紹介いただいたわけですけれども、それぞれの委員、専門委員がメッセージを書くということで私は書いたのですが、後ろのほうの統計表を見ますと、「婚外出生割合の国際比較」というのがありまして、日本が異常に低いパーセントであります。これは一つは、婚外児を持つということを日本では女性がためらうのだろうと思うので、それをためらわずに持てるような風土をどうつくるのだろうかという問題が、この次の段階の問題として残っていると私は思っております。ただ、委員の中には、婚外児が増えることは必ずしも幸せでないという御意見をはっきりおっしゃった方もおられましたので、今回はそういうことが文言の中には入っておりませんけれども、これが一つこれからの問題として残っているのではないか。
  もう一つは、人間が減ってきますと、日本の場合は急激な人口減少が問題であろうと思うのですけれども、夢みたいなことを申しますと、非常に優れた外国人に日本人になってもらうというプランがどこかで考えられないか。なぜそんなことを申すかといいますと、古代の日本はそういうことをやってきたわけで、古代の日本史をちょっと読むとおわかりのように、渡来人、帰化人というのがたくさんおります。このパーセントはばかにならない。少なくとも平安朝時代の『新撰姓氏録』という本を見ますと、氏のうち3分の1ぐらいが帰化人、渡来人の氏です。非常に優れた外国人に日本人になってもらうという計画を考えることも必要ではないかと、私は夢みたいなことを申していますが、そんなことをこれを議論しながら考えました。
  婚外児の問題、それから外国人というと、必ず移民労働者が増えるということを考えるんですが、そうではなくて、外国人が日本人になりたくなる社会にしてしまうというのが、一つの総合政策として、また教育政策としてあり得るのではないかという感想を持っております。

○  二点だけコメントさせていただきます。アメリカはよく分かりませんが、ヨーロッパを見ておりますと、大学前の学校、日本でいうと高等学校を出た時点で親と別れるというのがごく普通で、要するにカルチャーになっています。ですから、私の友人なんかもその時期を一所懸命待ってるんですね。そこまできたら自分の務めは終わりだということです。従って子育てからくるストレスも日本よりは小さいのではないかという気がしてしようがないんです。難しいかもしれませんが、そういうカルチャーを日本でもつくっていく努力も必要ではないかと思います。
  次に日本の高等教育に対する支出の問題です。先ほど他の委員の方のおっしゃっていたことですけれども、日本はアメリカと並んで高等教育に関しては家計支出が50%を超えている世界でただ二つの国です。はっきり覚えておりませんが、10年ぐらい前までは家計と国費が1対1で、50%すつでずっときていたのですが、突然あるところから、家計のほうが直線で上がり、国費のほうが完全に横ばいになるという状況が起きた。この辺を変えていかないと、少子化の問題はなかなか解決が難しいのではないかという気がしております。その辺のところが少し入ればいいと思った次第です。

○根本会長  最後になりましたので、一言申し上げたいと思いますが、日本の教育という膨大な一つの固まりがあって、それに少子化というメスを入れて論じられたのが、この報告だと思うわけでございます。したがいまして、当然のことながら、日本の教育の最も問題とすべき点にこの報告が立ち至っているのではないか。それは家庭意識の問題、それから地域社会の共同体意識の問題という社会意識の改革問題、そこを河合座長は鋭く突かれているわけでございまして、まさに社会の力で子どもたちを育てていこうという、そこの地域社会というのは、おそらく村とか、町とか、あるいは区といったような、身近な地域社会ではないかと感じております。これは全く日本の教育にとって一番欠けている点でございまして、ここを実際に地方自治体との連携で一体どうしていくのかというのが次のテーマになってくるのではないか。ここで書かれております少子化の影の部分、しかし少子化がすべて悪いのかどうか。この中にも光の部分といいますか、少数精鋭主義でコンパクトなクオリファイド・ネーションをつくっていくという行き方もあるわけでございます。その辺を我々はよく理解しながらやっていく必要があるのではないかというのが私の感想でございます。
  いずれしても、内容的には大変立派なもので、これをどうやってオペレーションしていくのか、ここが非常に大きな問題であるという認識をいたしました。
  どうも本当にありがとうございました。この取扱いにつきましては、河合座長、鳥居副会長とも相談して、皆さんからさらに何か御意見があればそれをいただくことにした上で、取りまとめたいと思います。
  それでは、皆さんお忙しいところをありがとうございました。

(大臣官房政策課)

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