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中央教育審議会

1997/2
中央教育審議会第1小委員会(第20回) (議事録) 

                 中央教育審議会  第1小委員会(第20回)
                            議    事    録

              平成9年2月5日(水)13:00〜15:30
              霞が関東京會舘  35階  シルバースタールーム

1.開    会
2.議    題
    「学校間の接続の改善」について
3.閉    会


    出  席  者

          委    員
            河野座長
            有馬会長
            鳥居副会長
            市川委員
            木村委員
            國分委員
            小林委員
            坂元委員
            田村委員

          専門委員
            油井専門委員
            佐々木専門委員
            薩日内専門委員
            那須原専門委員
            増井専門委員
            中  専門委員
            山極専門委員

            草原生涯学習局長
            辻村初等中等教育局長
            工藤教育助成局審議官
            雨宮高等教育局長
            佐々木体育局長
            石川高等学校課長
            早田大学課長
            富岡総務審議官
            その他関係官


                                                      
○  それでは,議事に入らせていただきます。
  きょうは,大学入学者選抜,高等学校入学者選抜の改善について,前々回,これは12月10日でございましたが,第18回会議で自由討議をお願いいたしましたが,それに続いて御議論をいただきたいと思います。前々回お話ししましたとおり,これまでの議論を踏まえて,私のほうで「メモ」を作成させていただきました。その「メモ」に基づいて御議論をいただきたいと思います。
○  申し上げるまでもなく,第一次答申で出しましたように,過度の受験競争の緩和というところを打ち出した際に,大学・高等学校を通じて,それぞれの大学あるいは高等学校レベルでいろいろな形での改善が試みられ,進められている。しかし,なお大学・高等学校両方について受験競争の緩和が進められない,しかもそれが低年齢化してきて,さまざまな影響を及ぼしているという点から,改善を考えなきゃならんということで,さまざまな大学あるいは高等学校で改善の積み上げは着々となされているけれども,ということに当たる部分を,具体的な事例としてお出ししたということでございます。
  こうした改善の方向,事例なども踏まえながら,さらに第二次答申に向けて中教審で取り組んでいくことのために,第1小委員会での検討の御参考という意味で,総会,それから前々回の論議でいろいろ出た御意見を,私なりに整理をしてみる形で,「検討課題のメモ」という形でお出ししました。
  これは今申し上げましたように,いろいろ進められている改善の例なども踏まえながら,それからこれまでに出た御意見の中で,改善の方向あるいは課題として考えられているものを整理したものでございます。そして,これについては,いろいろ現実に進められているということなどから見られる方向,そして実現の可能性があるというようなことなどを考えながらお出ししたものであります。これについていろいろ御検討をいただくわけですが,そのような形で私なりに整理をしてみた「メモ」でございますので,これをたたき台にして,これが改善の方向としては考えられる,あるいは重視すべきだ,これはあまり意味がないというようなことをどしどし御意見をいただいて,こうしたことの検討の上に立って,さらに抜本的な改善が必要ならば,それが論じられていくという形で進めていくことなのではないかと思いまして,本当のたたき台として「メモ」を出させていただきました。
○  この「検討課題のメモ」は,先ほども申し上げましたように,これまでの総会,そしてヒアリング,そしてこの委員会の前々回などにおいて出された御意見をもとに,私なりに整理をして,きょうのたたき台として出してあるものでございます。したがって,焦点化という点からはまだ不十分なものでありますし,先ほどもちょっと申し上げました抜本的な改革ということに関連して出されたような御意見があるいは入っていないかもしれません。しかし,中の項目立てのところではそういったことも含んでいるという受け取り方もしていただけるかなと思うような書き方をしてございます。
  そこで,これについて,きょうは自由討議という形で,いろいろ活発に御議論をいただければと思います。この点を強調すべきだ,あるいはこの点は消極的過ぎる,新たにこれを改善の課題としてつけ加えるべきだというふうな,いろんな角度からの御意見をいただきたいと思います。            
  そして,きょういただいた御意見をもとに,さらに整理をさせていただいて,この場合は焦点化ということを十分に考えながら,またもう少し具体化した,できれば文章化した「メモ」を出させていただいて,次回にはそうした焦点化された論点について審議を深めていただく形で進めさせていただきたいと思っておりますので,ただいまからきょうの時間をよろしくお願いいたします。
○  要するにポイントは,いい学生を育てる。世の中にとって重要なことは,いい学生を―別に成績がいいだけじゃなくて,いろいろと世の中で役に立つ人を育てることが一番大切だと思うのです。例えば分離分割をやったことによって,よかったと思うことが,自分自身の経験で一つあるわけです。後期日程で,今まで入ってこないような,優秀な英語のできる子が入ってくるとか,今までよりもはるかによく生物ができる子が入ってきたというふうないい面と,全く物理ができないやつがくるというふうな悪い面と,両方あるわけです。
  入試改善をしたとすれば,やっぱりその評価をきちっとしておくべきだと思うんですよ。そういう評価をした上で,この方式がいいんだということを我々は確かめていくべきだと思うんです。例えば,内申書,内申書と私も言うし,口頭試問のことも申し上げますけれども,じゃあ口頭試問をしたら本当によくなったのか。そういう例をきちっとどっかで踏まえておいたほうが,今後の入試改革において,高等学校も大学も含めて,いいことじゃないかと思うんです。その辺について,私,座長にお願いをいたします。ここで全部洗いざらし調べるというのは不可能だと思いますけれども,どこかできちっとお調べいただければ幸いであります。以上です。
○  議論をお進めになる前に,ちょっと確認というか,これができるのかどうかわからないので,提案なんですが,進学率が向上していく中で,学部の入学試験というのは大学の専権事項ではなくなったということを明快に言えるのかどうか。大学院の入試は大学の問題だと思いますけれども,同年代の世代の子供の半分以上がかかわるような試験は,大学が自治という名前で勝手に決めているわけではないと思いますけれども,時代の変化ということで,専権として認めていいのかどうか。中教審あたりで言わないと,はっきりしなくなるんじゃないか。私は個人的には,学部の入試は社会問題だと言ったほうがいいんじゃないかと思うんです。ですから,改善したら,国公私立問わず,それを利用してもらわなきゃ困るということを言わないと,ここで幾ら議論しても何にもならないような気がするんですが,いかがなものでしょうか。
○  関連してなんですけれども,例えば高等学校については,さっきの資料の説明にあり ましたように,文部事務次官通達を出して,全部一斉に一律にということではないけれども,おおむねそういう方向で,各県の高等学校の入試は改善されつつあるわけですね。まだまだ徹底する必要はあると思いますが,改善されつつある。しかし,大学の入試については,大臣の通達を出したって,あるいはまた出すのが適切かどうかという問題がまずあって,むしろ反発のほうが多くなる。だから,今,おっしゃったように,幾ら中教審で議論しても,今の仕組みの中では,個々の大学がその気になって取り組んでいただく。特に一番影響を持っている東大とか,京大とか,そういうところが,もちろん自分の大学,自分の学部で学ばせるにふさわしい人材を選抜したいというのは基本ではありますけれども,それが社会的にほかの大学,あるいは高校以下の教育にどういう影響を及ぼすかという認識を持って取り組んでいただかないと動かないんではないかという気がするわけです。
  もう1点,まとめていただいた資料で,欠落していると言うと大げさかもしれませんけれども,先ほどの資料の説明でも,国公立大学がほとんどなんですね。それから,このまとめもどちらかというと国立大学  ―準じて公立も入るかもしれませんが  ―を念頭に置いてまとめておると思うんです。今日,少なくとも私立大学の量的ウエートというのは圧倒的なわけですし,一部有力私大の入試の在り方が,高等学校以下の教育に大きな影響を及ぼしていると思うんです。ところが,私立大学については,大学ということと私学の自主性ということから,ちょっとタブー視して,神聖にして侵すべからざるというような感覚で皆さんがいるんではないだろうか。もちろん不合理な踏み込み方はいけませんけれども,もう少し踏み込まないといけないのではないだろうか。
  先ほどの事例で,幾つか特色ある入試をやっているという例がございましたけれども,全体として見ますと,例えば極端な言い方をしますと,文科系であれば英語,国語,社会1科目,理科系であれば英語,理科の中の1科目と何かというような限定したものだけを,しかもこれまた極端な言い方ですけども,マルチョイ式でですね。やむを得ない面もあると思うんです。大量の志願者がいて,一定期間の中にやらなきゃならないという制約がありますから。しかし,それをいつまでもほうっておいたんではどうもいかんのじゃないか。そういう視点がやはりこの中に必要かなと。もちろん国立は率先して何かやるべきでしょうけども,私学の入試の在り方も考えなきゃいかんのじゃないかという気がいたします。ちょっと長くなって恐縮です。
○  学部の入試の件ですけれども,私も基本的にはそういう方向を打ち出せればいいなと思っております。先ほど資料で御説明いただきました大学の入試科目は,いわゆる共通1次と言っていたときには,全ての大学が5教科7科目で決まっておりました。それがセンター入試になって,年々減ってきているわけです。大学の入学者選抜の在り方はどうしても高校以下の教育を規制いたしますので,入試から外された科目は,たとえ教育課程の中に位置づけられていても,生徒はあまり意欲的に学ばない傾向があります。教育というのは,自主性を尊重しなければいけないんですが,ある程度強制的にやらないと,自分自身の興味・関心にも気がつかないという面もあります。
  そういう意味で,センター試験などは,できれば5教科,―現在,6教科ですけれども,これを原則と。せめてそのくらいのことは高等学校で勉強してきなさいよと。それだけの常識は身につけた上で,自分の専門性を深めてくださいよと,こういうことが大学側のメッセージとしても必要なんではないかと思っております。
  したがいまして,大学学部の入試においては,その第1段階  −センター入試−では,高等学校の基礎的なものがどの程度到達しているか試すという意味もあるわけですから,できるだけ多くの科目を課していただきたいと思います。
  あわせて,個別試験については,できるだけ少ない科目に。専門性を試すということで,できるだけ少ない科目でやっていただきたいと思います。
  もう一つ,これは高等学校のところでお話ししたいと思っておりますが,大学についても,ぜひ私立大学について,国・公立と同じような,ある程度の影響力を持てるような答申になればありがたいと思っております。以上です。
○  中学校の場合は,高等学校というワンクッションがありますから,直接の切実な問題とは言えませんが,第一次答申でも指摘している今回の教育改革の本来の精神が,入試の在り方で完全にゆがめられてしまうことが気掛かりです。小学校や中学校でこれからの学校教育の在り方を求めて,課題を見つけて,自分で学んで,自分で考えてという,この考え方ですが,一生懸命頑張ったとしても,これが入学試験の在り方一つで,やっぱり従来の教育でなければだめだという認識を保護者や社会に与えてしまうことを非常に恐れます。このような理由もありますので,今,おっしゃったことと,全く同じ考えでおります。
  また,中学校の場合,卒業生を高校に送りだした後,中学時代には想像もできなかった変化をする場合がよくあります。高等学校での変容といいますか,成長といいますか,この可能性も十分に受け止めてもらえるような,選抜制度であってほしいと思います。
○  私学の問題点ですが,賛成でございますが,基本的な問題として,先ほどの大学の学部選抜というのは大学の専権化に関係があると思うんですけれども,資料の「メモ」を見ましても,「大学入学者選抜」と言っている。これはこういうタームで使っているんですけども,学生の立場,生徒の立場に立ちますと,「大学進学選択方法の改善」なんですね。その視点と,先ほどの専権化ということが絡まっているような気がするんです。つまり,生徒の立場に立つと,ここにも書いてありますように,平成21年で収容力100%になりますと。生徒が大学を選ぶということになるわけです。今は大学のほうが選択権があるので,いろいろな選抜方法を多様化したり,評価尺度を多元化したりしているわけです。
  学部や学科が,自分の個性はこうであると。つまり学生が学力から,やる気から,感性から,いろんな個性を持っているのと同じように,学部も学問に対して個性を持っている。そうすると,学部・学科が持っている個性と生徒さんが持っている個性とをうまくマッチングさせるのであって,形式的には選抜という表現をしておるし,生徒の立場からだと,どこへ行くかという進路の選択なんですね。そのマッチングという基本哲学といいますか,基本理念が前のほうにあって,それにのっとっていろいろな多様化が大学のほうで試みられているという,そんな記述が欲しいなという気がいたしました。
○  各大学で大きく変わってきているのは事実です。改善になっているのか,ただかえただけなのかわかりませんけど,とにかく変わってきています。いずれにしても,「良くなったか」という視点は非常に難しいと思います。生物ができる子が入ってきたから良くなったのか。私はちょっと違った見方をしていて,学部の入試は社会問題化しているから,その社会問題を解決するような方向で考えていくべきであろうと思っています。
  ついでに御指名を受けましたので申しますと,私どもで前期と後期の合格者について,追跡調査をしているんですが,かなり多様化していることは確かです。グループによって試験の方法をかなり変えていますが,明らかに差が出てきているんです。
  私は,なるべく個別の試験はやめたほうがいいと思っています。インタビューだとか,小論文だとか,そういうものをやって,大学の教師がどういう学生を採りたいかということを,世の中にはっきりわかるようなシステムにすべきじゃないでしょうか。いきなりはできないと思いますので,後期のほうでそれを工夫できるようなシステムをつくってみてはどうでしょう。現在,平均すると前期と後期の比率は7:3位ですか,有名大学はこれよりもっと少ないですね,これを例えば6:4にして,時間をたっぷりかけて,いろんな試験をしていただくということにすれば,子供たちに対するプレッシャーは少し弱まってくるんじゃないかという気がしているんです。
○  私も別に,先ほど生物ができる子が入ってきたとか,英語ができる子が入るようになったことがいいというふうに申し上げたわけではなくて,そのことによって多様化が起こったことは事実である。その多様化が果たして,国全体と言うと大げさですけれども,今問題にしている選抜にいい影響を与えているのか,それともむしろ旧来のやり方のほうがよかったのか,その辺について一度きちっと評価をしていただけるとありがたいと申し上げたわけです。
  それから,先ほど,私立にせよ,国立にせよ,高等学校,さらには中学校,小学校の教育に大きな影響を与えているという認識は,やはり大学にしっかり持ってほしいと,私はかねがね思っております。私自身はもっとやさしくしてでもいいから,多科目をやれということを昔から申し上げているので,繰り返して申し上げませんけれども,その辺の認識が必要であろう。だから,社会の人,父母に対して意識改革をと我々は言いますけれども,大学人,高等学校の人たちも,選抜ということに対して深く考えていただくべく意識改革が要求されるだろうと思います。
  そこで,具体的なことですが,大学入試センター試験が一番いいところだと思うけれども,もう少し高等学校の先生の御参加を得られないものであろうか。というか,今まで遠慮しているというか,要するに国立と地方の自治体との関係かなんかで,高等学校にあまりおんぶしてないと思うんです。個別の大学で特定の高等学校の先生にお手伝いいただくなんていうと,不公平だとかいって怒られる恐れもあるし,問題があるかもしれませんけども,大学入試センターであったら,高等学校の勉強したことが十分達成できているかどうかとか,難問でないか奇問でないかということを見る上でも,単に後でチェックしていただくんじゃなくて,もっと問題をつくるあたりから高等学校の先生に参画いただけないものなのでしょうか。
○  言いわけではありませんが,この「メモ」をつくるときに,具体的な改善にかかわることで,今出てきている幾つかの問題については,そういう趣旨からこういうことは考えられないかということで書いてございます。必ずしも体系的に引き出した改善の課題ということになっていないかもしれませんが。
  それから,これを考えるときに,これは普通に言われていることですが,例えば大学入試センター試験というものは,今出てきた論とどうつながるかわかりませんが,一つには何といっても高等学校の教育をどの程度身につけてきているか,これを見るのが主眼だろう。これに対して各大学学部が個別に行う試験というのは,その学部,大学に入って,どれだけのものを身につけ,学び取り,こなしていけるか,これを見るのが主眼です。その点から言えば,二つを組み合わせた入試の在り方が出てきているのだろう。それを基本に考えながら,「検討課題のメモ」をつくらせていただいたわけですし,具体的には,こういう点で風穴をあけられないか,もっとよくしていけないかということで,「改善」という言葉を使っているというふうに。少し言いわけになりますが。
  それでは,基本問題についてももうちょっと御意見をいただきたいと思います。
○  大学入試センター試験についてですが,大学入試センター試験は,選抜の機能と高等学校の学習の到達度を見る機能を兼ね備えていると思います。それならば,高等学校の教育内容の到達度を一番よく分かっている高等学校関係者も何らかの形で出題にかかわり合うことも大切であるかと思います。また,理科の問題のうち,例えば,「総合理科」を見ても,専門領域の寄せ集め的な問題が多かったり,「IBを付した科目」の問題も,この科目が探究活動や科学的思考力,表現力を重視した科目であるにもかかわらず,実際には,科目によっては知識中心といった感じも致します。出題者の問題作成能力とも関係していると思います。出題科目が多くなったので,大変であったことは理解できますが。
  高等学校の入学者選抜の改善や特色ある高校改革も,現在積極的に行われていますが,ややもすると,総合学科とか専門高校,普通科でもあまり進学校でない学校が中心で,いわゆる進学校と言われているところの改革は,まだ十分でないように思います。これらの学校にも改革の風穴を開ける必要があると思います。
  入学者選抜の改善で言えば,同一学校,同一学科の中で,複数の選抜基準を採用するなどです。例えば定員の3分の1は学力テストと調査書で入れる。3分の1は,面接や実技,小論文で入れる。残りの3分の1は教科外活動などで秀でた活動をした生徒を入れるなど,評価尺度の多元化を思い切って行う必要があります。
○  今の御意見に関連して,私,「メモ」をつくりながら考えておりましたのは,高等学校教育をどれぐらい身につけているか。これに関しては,入試センター試験が代表的なものだと思います。
  もう一つ,これまでの改善の論議の中で,いつも浮上してきてはあまり実行されなかった調査書ですね。これを「内申書」と呼ぶのかどうかもちょっと問題なんですが,この調査書を何とか活用する。そのためには,調査書をどのように改めていくか,あるいは高校に対する信頼度をどう高めていくか,そういうことも含めながら。それは高等学校教育をどの程度身につけているかという側面から考えられる改善案ということを考えておりまして,それが散らばっておりますが,いろんな形で出てきているということです。
○  大学の入試と高等学校教育との関係で言えば,数学は,高等学校での数学の目標と入試で求めているものとが非常に連動していますが,理科と外国語が困難な状況に在ります。
  高等学校の外国語の目標は,オーラルコミュニケーションを重視し,読むこと,書くこと,聞くこと,話すことをバランスよく学習することになっています。特に,聞くこと,話すことを重視しています。しかし,入試では,聞くこと,話すことは,あまり評価されません。
  理科でも,理科離れをなくし,科学的な思考力を高めるために,観察,実験,探究活動,課題研究等を重視し,学校でもその線にそった授業を行っていますが,入試では,そのような学習成果は殆ど評価されません。ペーパーテスト中心の選抜方法では,それらの評価はできにくいからです。そのため,理科では,観察,実験や課題研究で主体的な探求活動を行ったり,創意ある報告書を作成するよりは,問題集中心の授業が行われているのが実態です。
  そういう意味でも,個別試験では,学力テストも大切ですが,もっと日頃の学習の成果としての調査書を重視するとか,口述試験のとき,課題研究の成果としての報告書を提出させるとか,英語で論述試験や長論文を書かせるなど,もう少し時間を掛けて,丁寧な選抜を行う必要があると思います。生きる力を育てる入学者選抜を考える必要があります。
○  今のお話を聞いて,現場に関係された方はよくおわかりになっているという感じがしましたけども,英語の場合は,実は私,自分の体験がありましてですね。大学を出た後,銀行に勤めたんですが,今から40年も前の話ですが,そのときに外国勤務要員になって,英会話学校へ行かされたんですが,半年間外人の中で生活して,英語ばかりやらされたんです。そのとき,〈ああ,英語ってこうやって学ぶんだ〉というのを初めて知りました。40年前に,英語を学ぶときにテープレコーダーを使うということも初めて知りましたし,もらった教科書が全部発音記号で書いてあったんです。ヘエーッと思って,それがすごいショックだったんです。それで私は英語が好きになったんですが,それまで大嫌いだったんです。それ以来,入試問題が何か原因になるんじゃないのかなと思っていたんですが,そのとおり,いびつな学習という表現をされて,うまい言い方だなと思って感心したんですが。
  そういう意味では,入試の教科という問題でいうと,この点はぜひ何かの形で指摘をしていただかないと,理科も外国語も浮かび上がれないという感じがしますので,ぜひお願いしたいと思います。
  試験をなくすとまで言わないと考えていただけないというふうに思うもんですから,強く言うんですけども,内容が変わってくださればいいわけであって,どういうふうに変えられるのか。もう10年も20年も前から議論して,ちっとも変わってないんで,あんまり信用してないんですけども。英語の先生,今の入試問題を出しておられる先生はあまり信用してないんですが。これはだけど,本気になってやらないと,将来の子供たちに非常に大きな影響が出るんじゃないかと思います。よろしくお願いいたします。
○  先ほど基本的な問題として出されたものの幾つかについて,私の考えを申し上げたい。
一つは,指摘されるとおり,一部の私立大学に対する入試競争が全体を引きずっているという現象から抜け出すのは,非常に重要な問題だと思います。一部の私立大学の入試競争が激しい理由は,昭和30年代は,それぞれの学校に入りたいという競争だったと思います。ところが,40年代の後半ぐらいから,東大に入れないから仕方なく何々大学に入学するという考え方が蔓延してしまったと思います。今や改めて,本当に入りたい大学を受験する時代を回復しなければなりません。
  もう一つ,厄介なことは,30年代から40年代,つまり学園紛争で日本中の大学が荒れた時代がありました。最も甚だしかったのが,東京大学に入試がなかった年です。この時期は,実は国立大学から私立大学へ,定年を迎えられた先生が大量に移ったときと重なっていて,一部の私立大学生え抜きの先生と,国立大学から定年後に移られた先生の両方が学園紛争に共鳴した時期です。その時代が今終わって,新しい時代に入っています。改革はしやすい時期だといえます。
  ところが,新しい問題が起きております。経済学を例にとれば,理論経済学の中でも,極めて限られた分野に偏っていて,それ以外のものを受けつけない傾向が世界的に広がっています。せっかく大綱化をしてもっとバランスのとれた教育をしようと言う考え方と反対の現象が起こっていて,それが入試に色濃く反映しているんです。数学を受験科目に入れるか入れないかもこのことと関係しています。近現代史の入試も近現代の歴史に日本史も世界史も区別はないんですが,両方を問おうとすると受験者が激減するという状況です。時間をかけて世の中を変えないといけない。
  最後にもう一つ,非常に難しい問題なんですが,私立大学では授業料と入学金と合わせて学生納付金といいますが,その学生納付金が教育費用に占める割合は私立大学平均で約70%なんです。7割を入学金と授業料に依存して学校経営が成り立っているのです。したがって,入学金が減ることは私学にとって致命的です。受験してくれる人が多くないと,私学は生きていけないという状況に追い込まれています。受験生が記念受験と称する受験をするような入試状況が生まれたのはこの為です。この構造を直すインセンティブを,私学行政の中に仕掛ける必要がある。受験料や仮納付の入学金は減っても,そのかわりになるインセンティブがあって,学校が生きていけるような仕組みが必要です。
  私学について提起された問題は以上三点が一番大きな問題ですが,その関連で,これは国公私立全部について言えることですが,出題する大学の先生たちの一人一人の視野を広げることを考えないと,問題はますますおかしなところへいってしまいます。それからほとんどの大学は実は小規模大学です。国立大学でいうと,98校のうち,たぶん70〜80校が,また,私学でいうと425校のうちの350〜400校は小さな大学です。したがって,その中で,英語の先生は一人しかいないとか,国語の先生が一人しかいないといったことがあって,10年も20年も同じ人が問題を出題せざるを得ない。これを共通テストで切り抜けられるかという問題ですが,学部自治を主張する教授会がどう理解してくれるかという問題を抱えているのです。
○  今まで提起された幾つかに関連して何点か。まず,大学の私学の問題についてお話しいただいたんで,それを初等中等教育レベルでどう考えるか。先ほども出ていたわけでありますが,基本的に国公私が,国立は非常に数が少ないですから,公私が連携してタイアップしてやるというのは,当然,教育のためにいいわけなんですが,これも再三言われているように,大学入試というのが一部私学高,それもほぼ大都市に集中しているところから,有力大学に非常に多く行っているということが再三問題を指摘されているわけです。たしかに,そういう一部私学というのが,例外を除いては大都市やその周辺に集中をしている。したがって,地方からは有力大学に入りにくいという現実の状況があるんで,これは社会的に見て何としてもおかしい問題なんだろうなと。
  さて,それをどうするかということは,私がすぐここでどうしたいというふうなことは到底言えないわけですが,先ほど冒頭にもありましたように,中教審で,例えば高校入試をどうするかということを考えてみても,これが実際問題として,一部私学が  ―特に一貫校の一部私学というのはどことどこで数が幾つというのは微妙な問題があるわけですけども  ―らち外になっていたのでは,先ほど来出ているように,中教審として幾らやってもいうことが当然出てくる。世間にもある種の無力感が出る。したがって,その辺のところをどうするかというのは常に頭に置いて議論をしないと,根本的なことにはなりにくい。それは私学なんだから,独自性,建学の精神でやむを得ないと割り切っちゃえば話は別なんですが,社会的な影響を考えると割り切っちゃうわけにはいきにくいと思います。もちろん私は私学全体のことを言っているわけじゃないんで,ごく一部の影響が大きい。
  今後ともなおそうした影響を考えてみると,少子化の状況ですから,私学のほうは経営の立場から見ても,今まで高校しかなかったところが,全体の生徒数が減りますから,それを中学まで設けてやるというようなことになってきて,影響は余計大きくなる。小学校のほうに受験戦争が急激におりてくる,ますますおりてくる,そういう危機感をしばしば聞くわけでございます。言いたいのは,大学レベルもそうですが,初等中等教育でもその辺のところを十分認識して議論しないと,根本的な解決にはなりにくいということが一つ。
  あとは端的に申し上げますが,冒頭に効果という御指摘がございまして,ちょっと切り口が違うのかもしれませんが,例えば専門高校,これは工業科と考えてもいいんですが,御案内のように普通科志向が高まっていって,残念ながら普通科には入りにくい子供たちが行く傾向が強いということを,工業高校の先生方は大変嘆いておられるわけです。これについては,大学入試との関係があるんでというのが,従来の非常に難しい点があったわけで,突破口が開かれたということには確かになるんで,特別枠の問題とか,推薦入試とかありますけれども,これも効果という点から今の時点で考えれば,極端に言えば,まだ針の穴があいた程度だという意見も多いわけです。そうすると,逐次推進していけばそういうふうになるのかどうかということの将来的な見方,進め方が問題。それとこれは基本的に専門高校の必要性の問題との兼ね合い,工業でいえば科学技術教育重視,さらに場合によれば大学に直結をして,−  なかなか職業教育という面では難しいんですが,−科学技術立国,科学技術者養成という立場から見て,もっとそういった点を重視するべきだということの結果として考えていかないと,今の工業高校などは,普通科志向を打開するために特別枠をつくったり云々ということは決してないはずでありますけれども,その辺のところももう少し意識を高め,筋道をつくる。進路を拡げるということでないと,効果のほうの度合い薄くなっちゃうかなという気がしております。
  もうひとつ。1点刻みのというようなことがこの「メモ」にもだいぶありましたし,私もそれは避けるべきという意見を言ったこともあるんですが,センター試験の問題で,センター試験は大変中身のいい問題  ―そうは言うもののという御意見もありまして,それは当然内容的に少しでもよりいいものにするということがあるんだと思うんですが,仕組上,あれはどうしたって宿命的な限界があるわけで,全体としてはああいうやり方はやむを得ないし,非常によくやってきているという意見も多いと思いますが,やはり一発勝負だということ。それから,マルバツでやるということで,これは能力外の偶然性が作用するなどという宿命的なものもありますし,これを1点刻みで使ったのではちょっと問題がある。ということになると,最近はいろんな面で運用の是正はされているようですが,まさに資格試験化の議論に関わってくる。定義の問題で,一体,資格試験というのはどういうものか。実はヒアリングのときも盛んにそういうことが出ている。資格試験というのは一体何を意味しているのかちょっとわからないままの議論もままありますが,仮にそれをA,B,Cなどランクにくくるのか,あるいは一定以上取ればいいという資格的なものなのか,これは皆さんの御意見も伺わなければいけないと思いますが,センター試験をどうするか,大きく変えた運用をするかどうかというのは,この場でさらに十分議論をつめる必要があると思っております。
  ついでですから,もうひとつ。さっき高校と大学との連携というか,センター試験についてのというお話がありましたけれども,時間がないので,これも抽象的な言い方で恐縮ですが,今までも大学と高校間の連携というか,懇談会ということで,いろいろやられてはいるようですが,試験の内容,扱いの問題などについては,具体の継続的,恒常的な検討機関を置く必要もあるかなと,前から思っておりますので,つけ加えた次第です。以上です。
○  今,資格試験の話が出たんですけども,フランスとか,ドイツとか,イタリア型の資格試験というのは,破綻をしているわけですね。日本ではほとんど100%,97%ぐらい高校進学率があるんですけど,ドイツだと高校卒業率は25%ぐらい,フランスだと62%,昔は43%ぐらいです。高校を卒業する人数が少ない段階ですと有効に機能するんですが,それでも医学部,歯学部は,イタリアあたりですと,私立大学は入学試験をやりますし,ドイツでも選抜をしなくちゃならないということがあって,高校卒業率が上がるにつれて破綻をしているわけです。日本のように高校卒業がほとんど同年齢の97%になっている国には,全然当てはまらないような気がします。
  いろんな方がいろんなイメージで資格試験のことを言っておられるのですが,仮に大学の入学定員を固定したとします。もしセンター試験を資格試験としますと,今,足切りを一部の大学でやっているのを,全大学生に足切りをすることになります。  ―入学資格試験ということは,大学入学の資格だから,全部の大学志願者に試験をしなければならないわけです。私立大学へ行きたい人も試験をしなきゃ,入学資格試験にならない。
  ここで概念をクリアにしなければならないのは,「入学権利取得試験」なのか,「個別大学の受験資格試験」なのか,この辺が混同されて議論されているような節があります。もし個別大学でももう一度選抜をしなければならないということになると,入学資格試験ではなくて,大学志願資格試験であって,足を切っちゃうということになりますね。そうしますと,今ですとセンター試験で非常に点が悪くても,個別試験で入れた人は,今後,個別大学の試験を受ける前から入れなくなっちゃうというようなことで,門前払いを,一部の大学でやられているものを全大学にやっちゃうという形になってしまう。仮に57万人の大学定員で切りますと,その57万人からはみ出した生徒さんは,今ならどっかの大学に入れるのに,大学へ入れなくなる。トルコ,ギリシャ型のように,57万人に23志望とか,60志望ぐらい書かせて,ダーッと志望順に割り振っちゃう国があるわけですけれども,それはますます今の偏差値,輪切りを一般化することになってしまうわけで,時代に逆行してしまう。
  もし大学割り振りを,定員が固定していますから,入学資格試験だけでするとしますと,学校群制度ということも考えられるかもしれませんが,それは高等学校でいろいろなことがあって,御父兄の賛同が得られないんじゃないか。面接とか,論文とか,いろんなことで選びますよというと,今やっているものとそう変わらない。全部足切りをしちゃうという点が,逆に悪い点になってくるんじゃないか。そうすると,現在やっているセンター試験と,いろんなものを組み合わせる試験の方法というのは,問題点はいろいろあって,変えなきゃならないという議論をしているんですけれども,世界の中でもいいなと思うんです。
  定員をもし増やして,資格試験といいますか,共通試験で通った人が全部入れるようにということにしますと,これは今問題になっている有力大学への志願者がグッと増えますから,有力大学に全部吸収するという,別の入口広い論ということになりまして,入った大学で教授とか施設設備の対応はとてもできないし,一たん入りますと,日本の現状ですと,絞って落とすということはまずできない。高等学校でも,2%,9万6,000人が卒業できないことが大問題になっている日本ですから,特に大学にたくさん入ったら,何で出さないのかという圧力が出てきて,大学のレベルが機能しなくなっちゃうというおそれがありますので,定員を増やして,資格試験に通った人を全部入れるということは,これは入口広い論からどうもぐあいが悪いと思います。
  大学入学資格試験というのが,個別大学の受験資格を認める試験であれば,今は高等学校の卒業が大学受験資格になっているわけですから,高等学校の教育の権限を冒涜するという感じにもなってしまいますので,今の大学入試センター試験でやって,いろいろなバラエティーのある点を,大学がいろんなウエートで使われたり,傾斜配点をされたり,得点のウエートを変えられたりなさるような形で,大学が「こういう生徒さんが欲しい」というのを,センター試験と自分のところの試験と面接とか,いろんなものでプロフィールを書いて,「それに合う生徒さん,いらっしゃいよ」とやる形が,今現実にとっているんですが,一番いいような気がするんです。
○  いわゆる資格試験化ということについては,言葉の吟味,定義,使い方について,さらに詰めていかなけなければならない問題ですが,この「メモ」を出させていただくに当たっては,これは入試センター試験と個々の大学の行う試験との組み合わせで,入試センター試験の利用の改善といいますか,そういうこととして,この「メモ」では幾つかのことを提起したつもりです。
  そういう観点から,例えば,それぞれの大学が行う入試の在り方について,今やっている一期試験,二期試験という,二期に分けて行う試験の在り方については,センター試験の利用との関連で,例えば二期については,学力試験はやらない。そして,学力試験をやらないということについては,面接だとか,調査書の活用だとか,そういうことがあって,先ほど出ましたような調査書の活用も出してあります。
  そのためには,これは議論の中で出てまいりました,アドミッション・オフィスを一律に全部整備していくという考え方ではなくて,調査書を活用したことを入試でやっていきたい。そのためには,丁寧にいつも高等学校のことを見て,考えてもらっている,そういうスタッフもそろえたアドミッション・オフィスを,それぞれの大学の希望と申しますか,要望に応じて整えていくといったようなことが考えられないかという,具体的なことを「メモ」の中で提言しているのは,そういう趣旨でございます。
  そのことは,いずれにしてもしかし,一番初めに出てまいりました基本問題との関連で,これからどれぐらい次の「メモ」に向けて書いていけるか自信はございませんが,検討の「メモ」として,次回に何とかそれを整理してお出ししたい。つきましては,きょうお出ししましたような「メモ」で出している改善の課題については,これはもう検討は要らないとか,このことはさらに具体化に向けて検討していいんではないかとか,そのような段階での御意見をお聞かせいただければと思います。
○  高等学校側ができれば原則5教科ないし6教科と申し上げている背景ですが,かつて都立高校は9科目で入学者選抜を実施しておりました。それを学校群制度を導入するときに,国語,数学,英語の3教科にしたわけです。9教科で入ってきた1年生と,3教科で入ってきた1年生は,随分違うんです。社会科と理科の学習到達度にはっきりとした差が出ているわけです。どうしても入学者選抜というのは,それ以下の学校の教育に強い影響力を持ちますし,高等学校は健全な社会常識を育てるというのも教育目標の一つであるわけですから,そういう意味でも,できれば基礎的な力はあまり偏りなくしっかり身につけてほしい,勉強してほしいと考えます。その為に大学の入学者選抜にお手伝いいただくというのは,ちょっと本末転倒かもしれませんけれども,そういうような思いがあるということでございます。
  先ほど手を挙げましたのは,時々,センター入試の資格試験化というようなことが新聞の投書欄に出ることがあるんですが,そのときの「資格」という言葉の使い方は,それに合格したらどこの大学でも,あるいは複数の大学で受講できる,そういうような理解で投書の文章が書かれているように思います。そういう意味で,「資格試験」というような言葉の使い方は慎重に扱っていただかないと,誤解を与えるのではないかということをお話ししたかったのです。
  私は先ほども申し上げましたように,大学入試においてセンター試験というのはぜひ続けてほしいと思っておるわけですし,それとあわせて個別試験はやっていただきたいと思っているわけです。その場合,個別試験に記述式や論文・面接などの内容を持たせる場合に,どうしても何倍もの学生が受験してまいりますと,物理的な問題が生じてきますので,センター試験に各大学ごとの一つの目安,ボーダーラインが出てくるのはやむを得ないのかなと思っております。
  あとついでと言っては申しわけないんですが,大学入試の時期について,「メモ」の中に,9月入学についてということがあるんですが,ぜひ検討をしていただきたい。先般のヒアリングで,大学側としてはまだこの問題については全く考えていないというお答えがございましたけれども,ぜひ検討していただきたいと思っております。
  それから,特に高等学校の推薦入試についてでございますけれども,いわゆる6年制中等学校が仮に発足したといたしましても,一斉にということにはならないと思っております。したがいまして,高等学校の入学者選抜というのは,今後も当分の間続くのではないかと思っております。最近,全国的に推薦入試,普通科においても推薦入試が大幅に取り入れられております。私が昨年3月まで勤務していた学校も,約5割の生徒は推薦で合格させております。その選抜方法は,教育委員会の指導を受けながら,学校で作成した選抜の基準  ―これは中学校からいただく調査書,あるいは推薦文等をどのように評価するかといういわゆる選抜の基準をあらかじめ決めまして,その基準に基づいて選抜しておるわけです。中学校側から提出される調査書・推薦文の中には,当然,学校内での教科以外の特別活動の記録等についても,相当長い文章で説明がございます。それとあわせまして,学校外活動,例えばボランティア活動,あるいは市区町村等で  ―町村はございませんけれども  ―主催しているいろんな活動に,こういう形で参加して,こういう活躍をしたという形の内容も記入されております。そういうものをすべて総合して判断しているわけです。
  このまとめを見ますと,「例えば,推薦入試に当たって,学校外における生徒の活動状況等について,地域の社会教育関係団体,スポーツ関係団体」,いわゆる学校外の団体から,これは読み方によっては中学校を通さないで,推薦できるというふうに読み取れるんですけれども,もしそうであるとするならば,現在の推薦あるいは一般入試の在り方に大変混乱をもたらすのではないか。やはりそういう場合も,当然,中学校側その活動を把握しているわけですから,中学校長を通してぜひ推薦していただければありがたいと思っております。そういう意味で,高校入学者選抜の推薦母体といいますか,出願母体はあくまでも学校教育法に基づくところの中学校であるべきではないかなと,こんなふうに私は考えております。
  それから,もう1点ですけれども,この「メモ」の中に,改善についてまだ画一的な点が多くと書いてあって,「都道府県レベルにとどまらず,各高等学校の多様化・個性化を反映した学校レベルの選抜の多様化が必要」と書いてございますが,推薦入試については,都道府県それぞれ,各学校が相当多様化した形で選抜を行っているんですが,一般入試については,大体都道府県教委で統一した形で行われております。いろんな問題があるとは思いますが,学校によっては一般入試もその学校の責任で,公立学校も実施することがあってもいいのではないか。これは超えなければならない垣根はいろいろありますが,あってもよいのではないかと私は考えています。現に私立学校はすべてそうしているわけですし,公立学校がやってやれないことはないのではないかと思います。
○  私も同じなんですが,私学だけは一校一校,皆違う問題で入学させているのに,なぜ公立は皆同じ問題でやらなきゃならないのか。だから,みんなスライスされて,100点取る者と零点取る者を,どの県も上から順に並べざるを得ないという状況に必然的になってしまうのであります。
  そこで,私はそれぞれの学校で入学試験問題をつくって,合格させる。そうしますと,中学校側では,それぞれ学校の特徴がわかってきます。これは生徒がわかります。そして,例えば,私は工業,私は商業,私は農業のほうにというふうに,生徒が自主的に選べる。そういう雰囲気が自然に出てくると思います。今,「生きる力」を打ち出しておりまして,大学で論文を多く取り入れるようになったこと。私は大変うれしく思います。やっぱり自分で考え,判断,実行するというのは,マルバツではなかなかはかりにくいと思うので,論文形式,作文を書かせる。そして,生徒の考えを問うことが大事にされるべきであると思いますので,高等学校への入学試験もマルバツではなくて,書かせるべきであると思います。
  そうしますと,評価するために,どうしても時間がかかります。でも,それぞれの学校で問題を出すのであれば,責任を持って,困難でも,時間をかけても,一人一人のものを見て採点して,評価をしていく。それをやらなければ,いつまでたっても同じ結果しか出てこない。生徒を採用する高等学校側でも,途中を省略しない受験採用の方向を大事にしていかないと,いつまでもマルバツで途中省略をするようでは改善はおぼつかないと思っております。以上であります。
○  私も高校入試のときに,推薦入学はこれからどんどん広げられていいと思うんですが,
進学高校は,私の住む県などは推薦に関してはなかなか受け入れられないという現実があるんですが,なぜかなと思うと,入試の方法ですか,その辺がネックになっているのかなと感じるところです。以上です。
○  私はきょうの「検討メモ」の中で,ぜひ生かしていただきたいと思いましたのは,
「初等中等教育の改善の方向を尊重した入学者選抜の改善」,「中学校以下の教育の改善の方向を尊重した入学者選抜の改善」,この趣旨を生かしていただきたいことです。
  その理由は,受験する生徒の能力が年々多様化し,相当多岐に分かれてくる時代にきているのではないかと思うからです。具体的に言えば,一人一人の生徒に対する進路指導をいかにきめ細かに進めていくか,つまり,生徒にとって自分がこれから生きていく方向についての自己実現をどの程度まで図れるかという問題にかかわってくる大事なことと考えます。自分は将来,自分の持っているどんな力を,どんな場面で,どんな仕事で生かしたいかという,目標というか,希望や願いを明確に持って大学を選んでいく,あるいは高等学校を選んでいくという考え方を確立させたいと考えるからです。
  したがって,これから将来,自分の力量を発揮したい方向へ進む場合には,大学で何を自分がおさめればいいのか,何を勉強しておけばいいのか,そのためにはどこの大学に入れればそれが選択・履修できるのか,そういうような考え方に基づいて,あの学校に入ろうと進学先を決めていくことが,自己の能力に合った大学選択につながり,入試緩和とか,過激な競争を避けていくために必要だと考えるからです。
  したがって,どの大学で何をおさめれば自分の生きる方向に合致するのか。それはどこの大学へ行けば,単位履修が可能なのかという,各自の進路に合ったきめ細かな指導といいましょうか,相談といいましょうか,この辺を重視して,いわゆる個別の試験なり,あるいはセンター試験の資料が生かせるような進路指導が必要だと思います。
  そのためには,企業等も大学に対し,うちの会社ではこんなような人材が必要だという情報をどんどん提供していただくことが必要ですし,前回の聞き取りからも,企業のほうでもいろいろな情報を提供する時代にきているというお話がありました。そういった方法やシステムをぜひ生かしていただきたいということと,高等学校,大学に進む中での進路指導を重視してこの制度を進めていただきたいと希望します。
○  時間がございませんので,簡単に申し上げます。
  まず最初に,きょういただいた「メモ」は問題点をたくさん出してありまして,この中で,私が申し上げたことも随分採用していただいていますので,責任を感ずるわけであります。ただ,大学の入試について特に申し上げますと,問題点は,「メモ」の「自分で課題を見つけ,自ら考え,自ら問題を解決する能力などが十分に評価されて」いない。これが入学試験の最大の問題だと思います。とりわけ私立大学の場合,一日の試験を1日で採点してしまいます。私の大学でも,文学部の場合,5,000人余りの答案を1日で採点しますから,どうしても合っているか間違っているかということがわかるような問題しか出せないのです。そこで,やはりこれはもっと手間暇かけたほうがいいということを,中教審で強く勧告していただけるとありがたいと思います。
  また,「ゆったりとした入試日程の確保」とは「メモ」にもございます。これはしかしながら,入試選抜の時期が繰り下がってきますと,年間授業日数の問題も起こりますので,どこまで可能かなと思いますけれども,今の1日で1学部全部やってしまうというのを,もう少しゆったりと,2倍,3倍ぐらい。それで改善されるかどうか非常に危ういんですけれども,そういうことを強く有力な私大にお願いしたほうがいいのではないか。
  もう一つ,入試の問題は非常に多くのことが複雑にからみ合っております。ものには必ず原因があって,原因があるからこういう入試の現状がでているわけです。結果だけ見まして,今,非常に問題があるわけですけれど,それにはたくさんの原因があって,一つの原因だけ取り除いてもうまくいかないという相互連関が非常に大きいです。思いつき的なことは言えるんですけれども,責任を持って考えると,まずとりあえず上の問題一つに力点を置いて,有力私大が率先してそれに取り組んでいただく。それくらいしか,私には考えられません。先生の意識を変え,親の意識を変え,企業の意識を変え,生徒の意識を変えるには,一朝一夕ではできません。やるべきだと思いますが。
  最後に,私は先生方のご意見から非常に多くを学ばせていただいておりますが,1点だけわからないのは,英語の入試の評価です。例えばことしのセンター試験の英語の問題など,基本的なことだけを問うている。とてもいい問題だと思っているのですが,あれでもだめなのでしょうか。あれが悪い問題だというのならば,一体どういう問題を作ればいいのだろうか。その辺を徹底的に議論してみたいという気がします。
○  まず,アドミッション・オフィスの件ですけれども,アドミッション・オフィスというのはどういう概念であるのかよくわからないので,それこそ定義次第というところもあるわけですが,単に大学の中にそういうものをつくって勉強するというだけでは,屋上屋を重ねるようなものであって,先ほど来お話があるように,悪い意味の学部自治を打破して,大学として入試に関して社会的責任を果たしていくというんであれば,それは学部を押さえる権限を持たせるものでなければ,つくってもあまり意味がないんじゃないだろうか。ないよりはましでしょうけれども,という気がいたします。そういうものを果たしてつくれるのかというのが,私の意見でございます。
  それから,入試センター試験についていろいろお話がありましたけれども,本来ねらっているといいますか,自由に各大学がいろんな利用の仕方をするということだと思いますけれども,それにしてもあまりに利用されていない。また私学の話で恐縮でございますが,国公立大学はいろんな形で利用しておりますが,私学はほとんど利用してないと言っていいと思います。何大学が利用したといったって,学生数からいえば,入学定員の割合からいえば微々たるものであって,先ほど来お話がありますように,ある意味で高等学校での到達度を踏まえるという意味合いがあるとすれば,極端に言えば,国公私全大学で使う。ただ,それは偏差値につながるとか,特に私学の場合は財政の問題がございますから,いろんな工夫はしなきゃならないと思いますし,また受けなくても,別途の割合での入学定員があるというようないろんな配慮は現実にしていかなきゃならんと思います。そうすることによって,高等学校以下の教育がバランスのとれたものになるんじゃないだろうか。
  関連して,私学のことでいえば,そのツケを高等学校教育以下に回すということではいかんので,やはり何らかの解決策を考えていかなければいけないんじゃないだろうかという気がいたします。
  それから,次々で恐縮ですが,「高等教育全体を多峰型の構造にしていく」ということがあって,よく言われるわけですけれども,本当はおかしいんじゃないか。「峰」と言うと,高さの問題で,高いのと低いのとがあるんで,今日の状況では高い低いでなくて,多様な高等教育機関というんで,どちらが高いとか低いとかという,これは言葉だけの問題ですが,考え方としてはそういうふうにあるべきではないだろうかという気がいたします。そうしますと,それぞれの大学の入試というのは,その大学の社会的に果たそうとする役割によって随分違ってくるんであって,流れに棹差すようですが,ボランタリー活動とか,体験学習とか,それは大事でございます。しかし,研究者を養成しようという大学においては,その前提として,ある程度の学力水準とか,学力というのは単なる知識だけでなくて,いろいろ問題を解決する能力とか,そういうものも含みますけれども,そういうものが必要な大学と,それから別に研究者を養成するんでなくて,いわゆる一般社会に有為な人材,人柄のいい,いろんなことを経験した社会人を養成する大学とか,みんな違っているんじゃないだろうかという気がいたします。
  さらに言えば,大学全体の多様化だけでなく,例えば幾つかの有力大学において,早稲田でも,慶応でも,東大でも,京都大学でも,個々の学部でいろんな多様な入試をやる。ただ,力点の置き方は違うかもしれませんけれども,そうすることによって随分変わってくるんじゃないかと思います。
  最後に,これは,会長,副会長がおられますんで,皆さんはどうかわかりませんが,私の希望ですが,きょうの「メモ」でもいろんな問題が提起されております。それぞれの一つのテーマについて1時間ずつあっても足りないくらいな問題を含んでいると思いますので,今日,教育改革というのは政治課題になってしまいまして,いろいろな都合はあろうかと思いますけれども,議論だけは十分尽くすようにお願いしたいと思います。
○  大学入試センター試験及び各大学の入試問題,高校入試の問題は,先ほども意見が出ておりましたけれども,中学校学習指導要領,高等学校学習指導要領,あるいはそれをもとにつくられた教科書,そういったものを十分踏まえて問題をつくっていただきたいということを強く感じます。
  それから,もう1点は,高校入試の件にかかわるわけですが,先ほど資料の中に,静岡県の例が紹介されておりました。「メモ」にもありますように,中学校,小学校,そこでの教育の正常な営みが入試の中で正しく評価される,それでなければいけないと思います。
  そういう意味で静岡県では,第一段階では調査書の各教科の評定と特別活動の評定で募集定員の55%を,第二段階では観点別学習状況で募集定員の10%を,第三段階では面接結果と諸活動の実績で募集定員の10%を,というように調査書と面接で募集定員の  75%を決定する仕組みを取っております。この一つのよさとしては,高校入試テストの悪い影響を受けることなく,新しい学力観に基づく教育活動に生徒も先生方も打ち込むことができる現状が生まれてきております。そういった意味で,調査書(内申書)の重視は,今後,各都道府県でその割合を高めていくことが必要ではないかと思っております。
○  すいません,遅くなったところで。手短に申し上げます。
  今の入試改革というのは,大学も,高校も,基本的には画一性を排する,多様なということがキーワードになっているんだろうと思うんです。その場合に気をつけなきゃならないことは,学力低下というか,レベルが下がるという問題点だと思います。その点はきちっと中教審の答申の中に書き込んでおく必要があると思います。例えば,何か方法がないかなと思って考えたんですが,大学受験は17,18,19に限って,20歳以上は社会人入試にするとか,そういうふうにするのも緊張感を保てる方法かなと。できるかどうかは別としまして。低下させないような方式も考えて,入れておかなきゃいけないという気がしています。
  それから,御指摘があった英語の入試について,私もそういう意味では同じような疑問を持っておりまして,だからやめたほうがいいと私は思うんですが,先生はだからやったほうがいいとお考えで,これはまた大きな問題だと思いますが。
  最後に,申しわけないですが,一言。私立学校の中高の問題が出ましたので申し上げますが,現在,日本全体で言いますと,公立小学校は2万5,000,私立は160です。それから,公立中学校は1万5,000,私立は400です。ですから,数字の上で考えますと,基本的に私立がもっと増えたほうが,バランス上,いいんじゃないかと思います。弊害は弊害として直さなきゃいけないと思いますが,数は私立がもうちょっと増えたほうが,日本の教育全体にはいい意味での刺激が出るんではないか。ただだめだからつぶすというんじゃなくてですね。(笑声)そういう御議論をしていただけると大変ありがたいと思っております。
○  ありがとうございました。
  いろいろ出てまいりましたように,まだまだ全体の基本的な問題,理念にかかわるところの問題がきょう提起され,そして「メモ」という形で,幾つかの改善の具体的な方向案もお出ししましたが,これについてもいろいろ御意見をいただきました。
  そこで,何しろ入試の問題は社会的な期待も非常に大きいし,まさに第二次答申に向けての一つの中心的な課題でございますので,それに向けてはじっくりと慎重に,かつ緊急に対応していかなきゃならない。ここのところは難しいところだと思いますが,そのためには,きょうお出ししました「メモ」を,さらにきょういただいた御意見をもとに修正させていただき,次回にお出ししたいと思います。初めに申しました文章化してというところまでいけるかどうかわかりませんが,さらに次回に詰めた御論議をいただくための「メモ」を用意したいと考えておりますので,よろしくお願いしたいと思います。
  なお,先ほど御意見がございました,中学校を通らないで推薦ということに関してここへ出しました趣旨は,例えば不登校の子供については,第一次答申で中学卒業程度認定試験という制度を活用してというようなことを打ち出していることもございます。そこで,そうした子供たちに何とかもう一つの道をというような趣旨で,ここへ問題提起として出しておりますので,その点はひとつ御了解いただきたいと思います。
  そういうことも含めて,きょうお出ししました「メモ」について,さらにいろいろ,この点はという御意見がおありだろうと思いますので,修正していく上で,御意見がございましたら,メモ等でも結構でございますので,お寄せいただければ大変ありがたいと思います。
  さて,今後の中教審の審議スケジュールについては,文部省の「教育改革プログラム」を踏まえて,先日の総会で,本年6月をめどに結論を得ることになりました。これは御承知のところでございます。また,このため,第15期の任期である4月9日までに,できる限り議論を詰めた上で,次期の中央教育審議会に引き継ぐということになりました。これに関連して,第1小委員会としては,こうしたスケジュールを念頭に置きながら,引き続き精力的な審議を進めていきたいと考えております。どういう形で詰めに詰めていくのかという問題がありまして,どこまで詰まるかはわかりませんが,そのために精力的に審議を進めていきたい。
  次回は2月19日ですが,ここでは中高一貫教育の導入,そして次々回にきょうの議論を受けての大学・高校の入学者選抜の改善について,それぞれ「検討課題のメモ」を出させていただいて,御議論をいただきたいと思いますので,よろしくお願いいたします。
  それでは,本日の会議は以上でございます。
  次回は,2月19日,13時から15時,霞が関東京會舘,シルバースタールーム,35階,ここでございます。御審議いただきたいと思いますので,よろしくお願いいたします。
  きょうはどうもありがとうございました。御意見をお寄せいただく件をひとつよろしくお願いいたします。

(文部省大臣官房政策課)
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