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中央教育審議会

1997/2
中央教育審議会第2小委員会(第18回) (議事録) 

             中央教育審議会  第2小委員会(第18回)議事録

              平成9年2月24日(月)13:00〜15:00
              霞が関東京會舘  35F  シルバースタールーム

      1.開    会
      2.議    題
          「高齢社会に対応する教育の在り方」について
      3.閉    会

      出    席    者
        委  員
          木村座長                          草原生涯学習局長
          有馬会長                          辻村初等中等教育局長
          鳥居副会長                        工藤審議官(教育助成局担当)
          薄田委員                          高  審議官(高等教育局担当)
          國分委員                          板橋審議官(体育局担当)
          小林委員                          加茂川中学校課長
          坂元委員                          吉沢指導課長
          田村委員                          尾山青少年教育課長
                                                富岡総務審議官
                                                その他関係官
        専門委員
          青木専門委員
          河田専門委員
          小澤専門委員
          中  専門委員
          山極専門委員
          増井専門委員
○  それでは、時間になりましたので、ただいまから中央教育審議会第2小委員会の第18回会議を開催させていただきます。
  本日は、前回御案内申し上げましたとおり、「高齢社会に対応する教育の在り方」について、自由に御議論いただくことといたしております。
  それでは、子供たちの教育の在り方という観点からの御議論をお願いします。  ―気をつけていただきたいのは、高齢社会そのものを我が国でどうしていくかということの議論ではないということです。第一次答申のときに、国際化、情報化、科学技術の発展、そういう社会環境の中で、子供たちをどういうふうに教育していくかということを御議論いただき、答申を出しましたが、高齢社会に対応する教育の在り方は、いわば積み残しの議題となっています。くどいようですが、子供たちの教育の在り方という観点から、これをどう捉えるかという形で御議論をいただきたいと思います。

○  高齢社会に対応する教育の在り方について、例えば道徳の時間にいろんな施設を訪問しながら、思いやりの心とか、弱者に対する自分たちの在り方を学ばせるようなことはやっています。この中にも書かれてはいるんですが、その地域におけるいろんな面で才能のある高齢者の方々を学校に招き、先生とともに教えるということに関しては、地域の格差があり、そして学校の取り組み方があるので、なかなか取り入れてもらえないというのが現状です。これは校長先生や学校の取り組み方次第だと思いますが、しっかり徹底していただけたら、もっと触れ合いという面が多く出てくるんではないかと思います。
  また、厚生省と文部省とが協力し、特別養護老人ホーム、学校、保育園などの施設を一緒にした複合的な建物が今後ますます出てくるという話でありますが、ぜひともそういう施設においては、積極的に触れ合う場所を多くつくるような形で進めていっていただけたら非常にありがたいと思います。

○  幼稚園の事情は御存じですか。地域で高齢者との触れ合いみたいなことで、幼稚園や保育園で試みをしているという例はありますか。

○  私が住んでいる近くでは、保育園と老人ホームの施設が同じ敷地にあり、行ったり来たりは非常によくやっております。お年寄りを招いてのお遊戯会、またお年寄りのほうで催物をやるときには、子供たちが行くようです。たしか晴海中学をたずねた時にも、その空気に触れるだけでも子供たちにはいいんだという話がありました。子供たちの匂い、そして年寄りの匂い、お互いの匂いをかぐだけでも非常にいいんではないかと思います。

○  老人福祉に関する指導は、小学校、中学校ともいわゆる理念的な教室での指導は、社会科と家庭科、道徳で主に行われるわけですが、実際にそれが活動と結びつくとなると、特別活動の中の行事の部門で取り入れているのがせいぜいという段階です。
  ですから、ほとんどの学校で、例えば運動会とか、学芸会のときに、地域のお年寄りをお招きして、今の中学生の状況、小学生の状況を見ていただく、あるいはその場で色々な交流活動をするというのが、いわば一般的なことで、特別な例としては家庭科の時間に学校の外に出てとか、あるいは部活動で、例えばJRCであるとか、福祉クラブのようなものが、老人ホームなどを訪問するというような特殊例になってしまいます。
  あとは、移動教室の場合に、現地のお年寄りから昔のものを指導していただく。中学校1年生でも柄の小さいのがおりますから、おじいさんのひざの中に入り込んで、わらじを一緒になって編んでみるなどという、東京ではおよそ見かけないような光景がその中にあって、お年寄りも子供たちも非常に喜んだという例もありました。どうしても学校の外に出て何時間もかけてやるかというのは、特に都会の学校の中では色々な問題、例えば交通費の問題ですとか、危険の問題ですとか、教育課程の問題ですとか、色々重なり合って、実現できるのは特別な条件にある学校、例えば老人施設のすぐそばにあるとか、一つの学校の中の上のフロアに施設があるとかというような状況は特殊な例です。
  中学生ぐらいになりますと、本人たちが悪意ではなくても、廊下を例えばワッと走って飛び出したときに、お年寄りとぶつかるというようなケースも考えられますから、ハード面の対応が校長としてはかなり神経を使うところです。新しく学校を改築する場合に、それを見通して、そういう危険がない状態でということでないと、なかなか取り組めないという部分は、そういうところにも理由があるわけです。現在は知識的なことはかなりやっているが、実際の体験面では非常に学校差があるというのが実情だろうと思います。

○  青少年の家などを中心にしてやられているんですけれども、学校でもかなり先進的にそういう実践をやっているところもあるわけですね。

○  そういうことですね。

○  まず、先ほどの保育園の事例で、私が知っている事例を申し上げたいと思います。
  江戸川区では、保育園と老人ホームを一緒につくって、ホールを中心に保育園と高齢者施設が一緒になっているところがあります。そこではデザイナーの方がとてもいいデザインをしておりましたので、子供というのは壁がなくても、家具だけで間仕切りができるんですね、目線で。ですから、ホールを使って子供がお遊戯していると、そこを3段ぐらい上がったところで、デイケアを受けている地域の、あるいは施設内のお年寄りがベッドに寝そべってリハビリを受けているんですが、子供のお遊戯が見えるようになっている。しかし、子供が静かに学びをするときは、家具の間仕切りで非常に静かな空間ができる。それから、お誕生日会などの交流も行われています。また、慰霊室もありまして、子供が親しくなったおじいさん、おばあさんが亡くなったときは大変なんですが、それでも死を迎えるということを、そこで学ばせるということで、とてもいい事例があります。非常によい触れ合いをやっている。子供たちの相撲大会も老人ホームの方が一緒に応援するという形で、毎月の行事をきちんとやっていらっしゃる。もちろん管理システムはとても大事ですけれども、設計の仕方でカバーできる面も少しあると思います。
  それから、先ほどは小学校、中学校の例でしたけども、高校の家庭科の例では、最近、非常に多くなってきているんです。特に男女共に学ぶ家庭科になりましたから、男子生徒の考え方と女子生徒の考え方の違いとか、高齢社会に対しての違いがあるということを認識した上で、例えばシニア体験ということで、教室でお年寄りになってみるということをやった上で、今度は施設訪問をする。ただ、頭の中で考えるのではなく、お年寄りの身になったときに、本当に足が曲がらない、あるいは目が見えないというのは、どういうことなのかということをやった上で、施設訪問をするということで、これは相当いい効果を生んでいるようです。
  それから、高校には家庭クラブがありますが、そこでもボランティアは、実際に介護の仕方を実習としてやるとか、非常に進んでいるなと思います。
  それから、私の大学は推薦入学という制度を取り入れております。面接時に受験生は自分のやった活動をファイルにして持ってくるわけです。その中で、高齢者の施設でボランティアをやったなど、そういう事例が非常に多くなっていると思います。去年、一昨年から比べると、そういう子供たちがものすごく増えているということで、確実に学校教育の中では実践事例が増えていると思いました。日本の教師の方はとても優秀ですので、そういう実践事例が出てくれば、また自分の学校に取り入れるということを深めていかれるのではないかということで、期待できるのではないかと思っております。

○  そういう実践事例は、出版されているんでしょうか。

○  いえ、まだ公にはなっておりませんけども、個別の事例で私が集めたものもあります。
どうしても教科書を見ると、旧態依然とした家庭科の内容で、家事・裁縫科のイメージが強過ぎるんですが、実際にやっているところは、男子生徒が学びますから、そういうものではついてこないんですね、被服を縫うとか。ですから、今後は精選するということも大事ですけれども、新しい領域、やり方、そういうものが増えていますので、そこを見ていきますと、男子生徒も、生き方を学んだという、とてもいい感想文を書いています。やはり5教科だけが学びじゃないんだという感想文なんかも出ているのです。とてもいいことだと思っておりますが。

○  大学の理工系分野における独創性・創造性の育成という観点から、今、「実践事例集」というのをつくっております。理工系の大学ないしは高専に、どういう工夫をしているかということについて、アンケートを出しましたら、膨大な返事が返ってきました。今それを出版する準備をしております。そういうことで、いい実践事例集があったらそれを出版されると、今おっしゃったように、こういうところでこういうことをやっているのかというふうなことが広がっていくんじゃないかと思います。

○  今、おしゃられたことにちょっと関係するんですが、高齢社会というのは、老人にいろんな意味で関心を持つというか、年とることがどういうことかということを、子供たちに考えさせることにつながることだろうと思うんです。私が経験して、〈あ、これはいいな〉と思っているそれこそ実践事例ですけれども、シンガポールの日本人学校では小・中・高とも1年間に一定の日に、日本人墓地の清掃に行くわけです。そうしますと、それこそ明治よりもっと古くから来た日本人がいて、そこで亡くなっている。そういうのが墓石に彫ってあるわけです。それを別に掃除する人はいませんから、学生が行って掃除をする。そうすると、シンガポールの地域に昔から日本人が来て、亡くなったり、生活して、記録が残っているわけで、自然にそこで体験ができる。
  私立学校の場合は、創立者のお墓にお参りするということをやっているところはかなりあると思うんですが、それは年をとること、歴史とかを身近なものとして感じる、いい体験になるような気がするわけです。
  実践事例集でそういうことを示すと、老人ホームに行くのもいいですけれども、地域のお墓参りを―都会の子の場合は、ほとんどそういうことをしてないという状況が出始めてきていまして、これは悪いほうの実践事例ですが、かわいがっていたペットが死ぬと生ごみで出すというのが、今、非常に増えてきているわけです。昔ならどっかお墓をつくって埋めたんだと思うんですが、命についての気持ちが今の子供は変わってきちゃっているということの例だと思いますし、環境がそれをさせないということがあるかもしれませんし、別にお墓をつくらないという方もいらっしゃると思うんですが、命の尊厳ということを考えると、ペットが死んで生ごみで出すというのはどんなもんかという気がしますので、高齢化社会への対応というと、その辺から考えたことを、実践事例集という形でもどんな形でもいいと思うんですが、世の中に問う必要があるような気がするんです。

○  高齢社会と教育について、三つの観点から述べたいと思います。
  一つは生涯学習社会で、幼児期から高齢期に至る学習です。幼児期から高齢者に触れ合い交流し、理解するなど、生涯学習の各段階で、最適な教育を行うことの必要性です。また、将来、学校の教員になる養成段階のカリキュラムにおいても、老人介護、社会福祉施設での実習、ボランティア活動などを位置づけることも大切です。さらに、高齢者を積極的に活用する観点から、その専門性を生かす環境を考える必要があります。
  二つ目の観点は、家庭と地域との連携の中で、高齢者と交流し、高齢者の生き甲斐を高め、高齢者を尊敬する態度を養う活動を積極的に導入することです。
  三つ目の観点は、学校教育における高齢者との交流、理解です。学校カリキュラムの中に高齢者との交流の場を位置づける、高齢者や先祖を敬う心の教育を重視する、高等学校の必須科目として、例えば、「産業社会と人間」を設け、老人介護、社会福祉施設等でのボランティア活動等の体験的な活動、及び高齢社会の特質と人間の役割の理解等をそこで学び、それらの学習を通して、将来の進路選択、進路決定の動機付けにすることも大切かと思います。
  このように、生涯学習社会といった時系列の中で考える、家庭と地域社会との連携など学習の広がりの中で考える、さらに学校教育の中で具体的な実践活動として考える観点があると思います。

○  今のお話にありましたけれども、将来の進路決定の関連で、イギリスのナショナル・カリキュラムは、1988年の改訂で、クロス・カリキュラムとして五つのテーマがあります。私ども日本では環境教育のことが取り上げられがちですけれども、職業ガイダンスがクロス・カリキュラム・テーマとして挙げられているんです。日本の今の教育だと、そのまますぐ大学へ行くことが進路として決まっているような論調で議論されています。しかし、多様な職業があるんだということを、教科としてつくることはとても難しいと思いますので、普通科のほうでクロス・カリキュラム・テーマとして学ぶ機会が子供たちに必要じゃないかと思います。
  もう一つ、それに関連して、ヨーロッパでは、高校を出ると即大学ではなく、モラトリアム期間みたいなのがあるのです。そこで環境や、福祉、そういったところで働く制度、あるいは徴兵制との関連で用意されている場がありますけれども、そういったことも必要になるという感じがいたします。
  もう一つ、いろんな施設が先ほどから挙げられておりまして、アメリカで見ていますと、科学博物館とか、博物館で、結構御年配の方が働いていらっしゃるんですね。それがネクタイをするんじゃなくて、黄色いトレーナーを着たり、前かけしたりして、子供たちと接する。特にその場合は、低学年の子供(その施設を利用するとき、高学年は学校の先生が教科の内容、学ばせたい能力ということできちんとやっていらっしゃるんですけれども)については、御年配の方がそういったことで対応していくことがある。一方、アメリカの博物館、科学博物館では、高校生がポンチョを着て、「アスク・ミー」ってやっているんです。それは夏休みにきちんと研修を受けておりますが、そして子供と年齢が近いので、自分に聞いてくださいということで、子供たちに接触するという、そういう多様な接触場面というんでしょうか、そういうことも施設の中では求められるのではないかと思います。以上です。

○  高齢者の問題は、観点が三つあると思うんです。「年寄りについての教育」ということと、「年寄りのための教育」ということ、「年寄りを生かす教育」ということ、三つあって、私もこの種の問題の会議に出させていただいたときには、「年寄りについての教育」とか、「年寄りのための教育」という議論があるんですが、「年寄りを生かした教育」というところが、今日も御議論が出ていますけれども、バランスからいってやや少ないような気がします。
  私どもの伝統としては、お年寄りというのは生活の知恵を持っていて、民俗とか、習慣、民芸、文芸等に通じた方、もちろん自然に対する博識をお持ちの方がいらっしゃるんで、そういう御高齢の方を師として仰ぐチャンスを増やすことによって、お年寄りに対する尊敬の念が出てくるというようなことに少しウエートをかけていってもいいんじゃないかと思います。この審議会も、60以上を年寄りとしますと、たぶんお年寄りが日本の教育に対して知恵を出しているんで、どこのローカルな社会においても、お年を召した方はそれなりの経験をお持ちですし、しかも地域・家庭・学校の連携を第一次答申で言っていますので、その三つの連携というのは、年寄りの方が師の立場に立って三者の連携を生かす。もちろん相互作用がありますから、子供のほうについてお年寄りについての教育をすることも当然その中には含まれてくる。その辺の三つの立場のバランスを取るような書き方がいいかなと思っております。

○  先ほど科学博物館のお話が出ましたが、最近は日本でも随分増えてきていますね。多くのボランティアの皆さん、例えば大企業の退職者のような方が活躍されているようで、状況はよくなってきているように思います。

○  先ほど、学校や、いろんな施設をとおしての高齢者に対応する教育についてお話ししたんですが、ここの中においては、家庭教育というものをもっとしっかりと入れなければならないと考えます。今の子供たちが、「じじい」「ばばあ」など、汚いものにさわるような言葉で言うことに対しては、学校だけではなく、家庭の中で培っていかなければならないということをしっかり書いてもらわないと、連携と言うべきところに対し欠如してくるんではないかと思います。今の親がそれを示すような方策、いろんなところで家庭教育学級も起こっていますが、いろんな機関を通じて、そのベースになるところは家庭なんだということをしっかりと唄っていかなければならないと思います。

○  今、高齢社会になっているけれども、今の子供たちというのは核家族化の中で、お年寄りと生活する機会が少なく、またお年寄りが病んで、やがてはお亡くなりになるという場面に直面することはまずない。実体験としてないわけですね。お通夜や告別式に行くとは思いますけれども、そのときは正対しないわけです。従いまして、体験的に学習するということに文部省も力を入れているわけですけれども、私は幼稚園とか、保育園と  ―今、幾つかあるんですけれども  ―老人ホームをセットにするという方向を、これから積極的に進めていくべきだろうと思います。日常的に子供のときから一緒にお年寄りと生活する。ケアセンターなどでは時々お見えになるという形が多いかと思いますんで、日常的にそういう年配の人と一緒に生活するんだという意識を持たせていくのが大切なのかなと思っております。
  もう1点ですけれども、高齢社会というのは、長生きする社会なんですね。ですから、若い時代、今、18歳までに何とか自分の進路の大方針を決定しなければならないというのが、日本の社会の一つの仕組みになっているわけですけれども、そこのところを何かぶち破る、いい方策を打ち出せればいいな、この答申で出せればいいなと思うんです。
  私は体験的に承知しているわけではございませんけれども、欧米の国に比べて、青春時代における遍歴の自由というのが、日本の場合はなさ過ぎるんじゃないか。例えば、大学にしましても、大学生のほとんど、97〜98%が20歳か21歳までに大体入学していくんではないかと思うんです。欧米の場合ですと、もう少し年齢が上なんではないでしょうか。随分年配の方もいるというふうに聞いております。私は、これまで年齢へのこだわりを何とかぶち破っていかないと、日本の受験競争にしても、何にしても、解決できないというお話をさせていただいてきましたけれども、高齢社会というのは、人生長いんだから、そうあわてるなと。仮に大学に入っても、1年か2年、社会体験してくるのもいいよというような雰囲気の社会づくりをしていく、一つのきっかけにこの答申がなればいいなと思っております。

○  私は市町村教育委員会の取り組みの課題について、私の体験からちょっとお話し申し上げたいと思います。
  今年、平成8年度、私は地域の役員を任されて、小学校の児童たちが地域の老人たちから学ぶということで、老人たちと遊ぶ会というようなものに一日出させていただいたんです。見てみますと、出てくる子供たちは小学校の子供たちだけなんです。中学校や高等学校の生徒は、現在の段階では難しいところなんだと思うんですけれども、そこになぜ中学生や高等学校の生徒がいないのかなということを感じたわけです。
  実施した日というのは、第1と第3の土曜日のたしか第3だったかと思うんですけれども、小学校の児童たちは、老人たちから学ぶ一日にするために、授業は当然なかったわけです。そういう小学校の児童だけではなくて、中学校とか  ―もちろん、地域の中学校がなぜ出てこないんだという感じがそのときしたんですけれども、あんまりたくさん出過ぎたら、小学校、中学校の児童生徒が多過ぎてしまって、円滑に進めなくなるのが懸念されるためなのかなと思うんですけれども、これから週5日制になるわけですから、中学生や高等学校の生徒が、先ほどお話が出ましたが、老人を見る機会が非常に少ないので、むしろ土曜日に、中学校や高等学校の生徒たちが老人たちに触れる機会を何回かつくることは絶対必要なんだということを、今年役員をやらせていただいて感じたわけなんです。
  高等学校の生徒は、先ほども学習指導要領が出ておりますけれども、科目によって学ぶ機会はあるわけです。教室の中で学ぶ機会はたくさんあるわけですけれども、外に出ていくという生徒は非常に限られているわけです。ホームヘルパーの資格が必要なために、近くの養護施設に行って老人ケアをする。夏休みなどに5日間ぐらい行って、資格を得るための条件とするというようなことはあるわけです。あるいは、よく聞きますし、また行われていることなんですが、吹奏楽部の子たちが老人ホームを訪れて演奏をして、あるいはまた交流をするということがあるわけですが、それは数が非常に限られているということから、ぜひ市町村教育委員会が都道府県の教育委員会とタイアップした事業をもっと推進していく必要があるかなと。そういう観点からの取り組みが必要なんじゃないかという感じがしているわけです。感想なんですが、以上です。

○  教育との関係で、高齢化社会の問題ということですので、高齢化社会一般についての意見というのとは違いまして申し上げたいと思うんですけれども、これまでその他の先生がおっしゃった御意見も大変貴重な御意見ですし、勉強させていただいたんですが、一番大事なことは、老人といっても、老人には多様な老人がいるわけで、老人のプライドもありますし、すべて一緒くたに高齢者としてくくって、それをケアしなくちゃいけないということはやり過ぎだと思うんです。
  ただ、教育の点から見ると、一番問題なのは介護老人といいますか、介護が必要になった人たちをどういうふうにケアをしていくか。人間は老いていくということ、それから先ほどペットの話が出ましたけど、最近はペットも、かわいいときだけは飼っていて、あとは捨ててしまうとか。昔は犬を飼ってても、犬が死ぬまで面倒を見たわけですけれども、そういうことがあまりないような風潮があるというお話もどこかで聞きましたけれども、老いるということ、それからやはり死というものをどう位置づけるかという教育。
  それから、介護サービスについては、徹底して初等教育の中で実践活動をちゃんとすることですね。介護というのはどういうことをするのかということを、早い段階で生徒に教える必要があると思います。これからそれがますます重要になってくるわけで、若年であっても、我々は人工呼吸とか、色々と救助のことはある程度知っているわけですけども、介護ということを、救助も含めて、小・中学生の間にかなり学ぶ必要があると思います。具体的な実践活動みたいなものが入ってこないと、幾ら言っても、高齢者問題というのは、結局、古い衣を脱ぎ捨てて、過去を顧みないというのは、全体の変化の中で出てきた問題です。
  もう一つは、家族の変化といいますか、家族の問題に帰するわけで、あまり教育の側面だけで考えるわけにはいかないと思うんです。今日聞きましたら、いろんなことがされているということで、これはすべてそれを進めていただきたいと思うんです。
  ただ、介護関係というのは、子供が介護が必要になった人たちをどういうふうに助けるのかということを、ある時期にちゃんと実地に教えるようなことが必要だろう。そういうことをやらないと、これは幾ら口で言っても、あるいはいろんなことをやってもだめなわけですから、そういうカリキュラムといいますか、あるいはそういう実践教育をどこかで組み入れていく必要があるんじゃないか。
  ボランティアについては色々と言われているんですけれども、ボランティア活動を奨励すること自体は重要ですが、ボランティア活動だけに任せてはだめなんで、国民全体が介護について、何か必要なときはすべて、小さいときに学んだことが知恵としてあって、どういうことをやったらいいか基本的なマニュアルは知っているということが、これからの社会には必要でしょうね。これから介護のイロハを知らないがゆえに起こってくる問題は非常にあるんです。技術的な問題ですけれども、やはり技術は教えておく必要がありますね。
  僕はあんまり外国の社会というのは日本の社会の参考にならんと思うんで、アメリカはどうかとか、どこがということは引用しないで、そういう話はあまり意味がなくて、日本人が日本で考えなくちゃいけないと思っているんですけど、ただ、救助作業みたいなものですね。交通事故だというときに、パッと飛び立っていく。交通事故があって、犠牲者をサッと助けにいくのは、これはもう完全にアメリカ人なんです。アメリカ人は早い。日本で起こった事故のときでも、残念ながら横を歩いていたアメリカ人のほうが先に行ったんですよね。ああいうようなことは、小学校や中学校あたりの早い時期に、老齢化という、我々は年をとっていくという教育のところで、技術を教える必要があるんではないか。そういうことにも御配慮をいただきたいと思います。

○  65歳以上の年齢に私も入っておりますので、私自身がけさ、実は高等学校で1年生と2年生に教えてきて、老人を利用する教育の対象であるなと思ったわけです。
  それは別として、私の場合、相手が高校生なんですが、お年寄りと話したことがないと思います。案外、僕ひとりじゃないか、彼女らの知ってる年寄りというのは。御両親のほかに接する人というのは、先生以外に知り合いがないんですね。もう一つは、中学・高校生というのは非常に難しい年齢で、まさに自分が何だろう、これから何になっていけばいいんだということを考えて、答申の言葉をかりますと、「自分探し」をやっておりますから、非常に気難しいところがあるんです。1年生のとき、子供のような顔をしている子供が、2年の今ごろになりますと、結構一人前のお嬢さんみたいな顔に変わっていくころで、精神的に大変不安定であると思うんです。そういうときに、年とった人が接するというのは  ―若い先生も必要ですが、年とった人に接するというのは非常にいいことです。
  老齢化社会というのは弱った人が増えるんでなくて、元気な人が増える面もあるんですね。その元気な人を、利用するということをもう少し考えてもいい。これは前の中間答申にも出ているんですけれども。
  私は、ちょうど老人のための教育と、老人を利用する教育と両方をやっているわけで、老人のための教育では、近くの区民センターで毎月、「翻訳によるフランス文学を読む会」というのをやっています。ただ、これは老人とも言えないので。なぜかというと、女性の場合は、お子さんが中学、高校ぐらいへ行くと、手があきますから、女性のほうは若い方が多いんですが、男性のほうは全部私より年上で、皆さん非常にお元気で、本を読むと読みが深いですね。これを大学生に聞かせてやりたいと思う。そういう知恵というものを中学生に伝えたら、あまり老人を尊敬しろというようなことを言わなくても、「あ、偉いもんだ」ということがわかる。これが大事で、テーマとして老人を尊敬しろとか、感謝しろとかいうのは、それは大賛成なんですけれども、幾ら言ってもだめなんですね。ですから、接触をつくって、その場合、確かに死を見詰めるという面の勉強も一つあると思いますが、元気な老人が色々、学科だって教えてくれると思いますね。それで、「なるほど、あの人はできる」ということを見せる。こっち側に言わせると、見せつけてやるということが、尊敬される一番大事なことだと思います。
  そういう点では、死を見詰めるとか、年をとって衰えていくというのを見詰めるというのも非常に大事なんだけれども、そうでなくて、「やっぱり年寄りは偉いな」と思わせる実力を見せたい。老人の一人として、あんまり同情される立場よりは、実力で尊敬されるようになりたいと、老人の誇りを持って言うわけです。
  これは一つは、私は長い間、大学でボート部長というのをやっていたんです。ボート部のおもしろいところは、年寄りが全日本とか、京大戦とか、そういうときに出てきて、ああだこうだ言うわけです。最初は「大変だな、これは」と思ったんですが、学生は意外におもしろがっているんです。というのは、学生は同年世代の人の知り合いしかいませんから、20後半、30代、40代、50代、60代、70代、80代というのも元気で出てきて、いろんな話をすると、学生はほんとにおもしろがって聞いてるんです。大学生だからそれでいいと思いますが、中学生の場合だと、雑談ではなくて、ある程度、国語一つとってもよくできるとか、ちょっと英語聞いてもよくできるとか。
  事実、私が今、世田谷の区民センターでやっている中には、理学博士もいれば、商社のOBで世界じゅう駆け回ったという人もいるわけで、そういう話を、なぜ高校生ぐらいにされないかなと、残念に思っているんです。これを何か利用する教育というのをもっと考えてもいいんじゃないかと思います。

○  現場にいまして、日本人というのはすごいなと思うのは、阪神大震災をきっかけにしてというんでしょうか、あれを境にして、ボランティアが活動として定着しているという実態があります。つまり、今の青少年は、ある意味ではボランティアに行ったかどうかが友達同士の間で話題になり重視している状況があります。ですから、非常に普及し始めたというか。阪神のときも100万を超す人が行ったそうですが、今度の重油流出の問題が起きたときに、まだ集計はできてないようですけど、石川県とかああいうところに大変な数のボランティアが出ていっている。すごい普及しているという実態があるということ。この問題をお考えになるときは、それは大いに利用されたほうがいいんじゃないかという気がしています。

○  高齢化というものがすごいスピードで進んでいるということは、日本でも経験がありませんし、先進諸国でも経験がないわけです。そういうことが一つ。
  それから、日本の状況を見てみますと、昔は、おじいちゃん、おばあちゃんが一緒に住んでいて、そして自分のおばあちゃん、おじいちゃんの話をして、広いうちですと、その先祖の写真が飾ってあって、仏壇があって、先祖代々の霊をおがむというようなことが、かなり一般的に行われていたと思うんですけれども、今日の状況では、おじいちゃん、おばあちゃんがいないし、住宅事情から仏壇も設けないというようなところが増えてきたということで、単に高齢者ということだけでなくて、先祖代々というものについてのいい意味の意識がだんだん薄れているんじゃないかという気がするわけです。
  別に学校で教えなくても、自分の親、あるいはおばあちゃんたちが、年配の人、先祖代々というものを敬い、そして接する態度を見て、おのずから習得してきていたんだろうと思いますが、そういうことがなくなり、なくなったどころか、子供にばかり年寄りを大事にしろということでなくて、今の大人達が現実に自分の親をどういうふうに尊敬し、場合によっては扶養しということをやっているかというと、ちょっといかがなものかという実態がかなり多いように思うわけです。ですから、子供に対してももちろん大事なわけですけれども、今の年寄りを抱えている年代の人たちが自らそういうことを実践するということがなければいけないのじゃないでしょうか。やはり子供は親の後ろ姿を見て育っていくわけですから。じゃ具体的に何ができるのかというのは、大変難しいことですが、そういう視点が必要ではないのかなと思います。
  もちろん、学校でも、先ほど来議論がありますように、いろんなことをやってほしいというふうには思いますけれども、これもカリキュラムの問題やら、先ほどお話がありましたような事故の問題やら、交通費の問題やら、色々あるわけですし、しかも教育内容を精選しよう、厳選しようというときですから、学校でそこまでやる時間的余裕もないだろうと思いますので、それじゃどうするかということを考えていく必要があるんじゃないかと思います。
  それから、もう一つ言えば、長幼の序というもの、現在どういうふうに表現するかは別として、その延長線というか、今日最も必要なのが寝たきり老人であるとか、あるいは介護を必要とするお年寄りということになると思いますけれども、先に生まれた人に対する気持ちというものをどう育てていくか。そして、その延長線上に、やはり寝たきりの御老人、体の不自由な御老人というものがあるんではないだろうかという気がするわけで、教育を考える場合にもそれを考えなきゃならんだろうと思います。
  それから、活用の話でいけば、65歳以上を高齢者と言うとしても、個人差はありますけれども、基本的にはかなり元気なんですね。これを人材として  ―高齢者にとって三つの要素、経済の問題と、健康の問題と、生きがいの問題ということがよく言われますが、生きがい対策としても、言葉は悪いですけれども、活用する。これは先ほど科学博物館の例なんかもございましたけれども、いろんな分野はあると思いますが、教育の世界でもっともっと活用するというような手だてを考えていったらどうなのかなと思います。

○  皆さんのおっしゃるとおりでありますが、私は具体的に一つ提案があるんです。
  それは、元気な65歳以上でも、60歳でもいいですけれども、組織化する必要があると思うんです。今、私どもがやっているのは理科教育ボランティアで、私も1号だか2号だかになっているんですけども、かつて教育をやった方だとか、あるいは会社でもって技術を使っていた人、そういうのがみんな来てくれるわけです。このごろ、中学校や小学校の先生だった方たちを見てると、どうもそういうチャンスがないとおっしゃるんですね。結局、退職した後、あまり積極的にそういうところに行かないようなところがあるので、何らかの格好で組織する。組織と言うと言葉が悪いんですけれども、ボランティアがやりやすいようなものをつくるといいなと思いました。
  私の知っている友人なんかを見てても、大学の先生じゃないですよ、小・中学校の先生、高等学校の先生などをやった人でも、「校長先生をやったけども、あと何もすることがないんです」とおっしゃる方が大勢おる。そういう意味で、ぜひとも地域、地域でそういう人たちにお願いをして、子供さんたちに、あるいは子供だけじゃなくても、後輩に対して何らかの教育をするような格好での組織化をしたらいいんじゃないかと思いました。特に地方へ行きますと、そういう方が必ずしも十分なチャンスを与えられてないような気がするんです。そういう点で、何らかの格好で、今度それこそ5日制になったときに、子供たちが土・日をどう過ごすかということについて、地方社会に任せようということがあるので、そこを積極的に利用できるように、地域社会がその人たちの力を利用できるような格好で、何らかの便宜を図っておくことがいいんじゃないかと思います。

○  高齢化、少子化の問題を、広い視野から捉える必要があると思います。この問題を公立の小・中・高校の空き教室が増えてきた問題の対策、また一方では高齢化対応の施設の不足対策として考えるというだけにとどまるのは充分ではありません。
  学校の教室があいてきたことに対する対策としては、そのほかにもまだ色々な対策を考えるべきで、ミュージアムなどに転用していくことも考えられますし、それからまた払い下げて、私立学校を増やしていくことも考えられると思います。小学校は今、日本全体で2万5,000もありながら、全国に、私立の小学校は174校しかないという極めて少ない状況なんです。例えば、そういう問題の解決にも使えるはずだと思います。
  ところで、高齢化、少子化が進んだことによって、我が国の社会が失ったものがたくさんあると思います。各委員のお話にも出てきましたと思うんですが、日本の社会が失ったものは、やはり先ほどお話にありましたように、高齢者に対する尊厳、高齢の方々が持っている偉さや、すごさというものに敬意をはらうことを子供たちが忘れている。それから、長幼の序や、挨拶、あるいは宗教を通じて人の成長、老い、死というものを扱う方法を子供たちが忘れたということ。それから、自分たちの社会をつくってくれた歴史に対するレスペクトを忘れたということがあります。こういうものを取り戻すための対策はどうあるべきかということは、やはり中央教育審議会の大きなテーマで、これを校舎の中で、高齢者の施設と子供たちの教育が同居するという狭い問題に押しとめることはできないと思うんです。
  2番目に大事なことは、これも先ほど来、各委員の御発言に出ていますが、今の日本の教育で欠けているものの一つが、できるだけ色々なことを経験させるということです。英語で「アーリー・エクスポージャー・プログラム(  early  exposure  program  )=EEP」というのがあります。例えばEEPの一つとして、高齢者の施設に対するかかわりも取り入れるというのであればわかりますけれども、最初から高齢者と子供のつき合いというところに絞ってしまわないで、EEPという広い視野の一つというふうに捉えることはできないのかと思います。
  もう一つ、最後ですが、介護の仕組みは、一般の社会で誤解されています。公的な介護保険制度ができると、公の力でこれをやっていく時代が来たと、こう誤解されているんですが、これは全然間違いで、一番理想的なのは民営の競争が起こることなんです。資金の支出が公的に行われ、良質な介護サービスが民間で作られる。それがこれからの時代の目標になっているわけです。そうすると、いい介護というのは、いい民間企業や、民間のボランティア団体がやる時代になりますから、子供たちがそこにどうかかわるのかというのはとても難しいんです。市町村役場が開設する介護施設の場合には、子供たちは簡単にそこに参画させてもらうことができるわけですが、民営のものだとなかなか入っていけないんですね。これもこの問題を考える上で一つの問題です。答申の中でこのような点を配慮したいと思います。

○  私の少しの経験からいいますと、確かに日本は昔からあったいい伝統をなくしてしまったということはあるとは思いますが、英国の社会等と比べるとまだ救いがあるような気がするんです。英国では完全に子供と親が切れてしまっているんですね。親子が一緒に住んでいるというケースは、私は見たことがありません。親のほうは子供と住みたいんですが、子供のほうがそれをリジェクトしているということですね。
  合築の問題ですが、小学校と高齢者のケアセンターを合築するというのは、たぶん日本独特の試みなんでしょうね。アングロサクソンの世界だと若者と高齢者を切ってしまってますね。話が飛びますけれども、クラブなんかでも、まず子供は入れてくれませんね。高齢者の問題が今色々議論されていますが議論の中から日本的なソリューションが出てきて、先駆的になるんじゃないかなと、そんな気もしています。

○  今、おっしゃったことは全く賛成なんですけど、ただ、家族の問題と、それから個人個人が一種の弱い者を助けようとか、ボランティア精神という点で、また日本社会と逆の現象が向こうにあるんです。日本は、おっしゃるような保育園と老人の施設と一緒にするとか、これはすばらしいアイデアだと思うんです。ただ、個人として見た場合は、人が倒れてもパッと行かないですね。
  僕はもう一遍言わせていただくと、介護の技術の初歩ですよ。倒れたときにどうしたらいいか、あるいは老人が立ち上がれないときにどうしたらいいか、こういうのを小学校、中学校で教えてほしいと思うんです。

○  冬のワシントンで飛行機が落ちたときに、何人もの人がポトマック川に飛び込みましたね。ああいうことは日本人はできないのじゃないでしょうか。
  それから、きのうも電車で経験したんですが、西武線で、白いつえをついた方がおりてこられたんですが、誰もよけないんです。そういう光景があるたびに私が思い出すのは、アメリカの映画で、どうにもならないすれっからしの主人公の女性が、街を歩いているとき、白いつえをついている人と当たるんです。そうすると、平謝りに謝って、「申しわけない、申しわけない」ということで、「どこへ行くの?」て連れていく。先生がおっしゃったとおり、その辺の教育は徹底しているんだと思います。アメリカではシステムとしてそういうものができているので、日本もその辺は教育の上で相当考えて、実践していく必要がある。

○  それができれば、最強の21世紀社会ができると思います。
  この問題は、学校で「老人を大事にしよう」と幾ら言っても、それはわからないと思います。というのは、日本の老人は恐らく世界で一番自信がない老人じゃないかと私は思うんです。老人を尊敬しないというのが風潮としてあるというのは、一つは外的条件はあるんですが、同時に尊敬されるような老人がどれだけいるかというと、これは非常に少ないんですね。老人が、定年とかそのほかで社会の主舞台から引退すると、あと何もすることがないんですね。そういうときに、社会は非常に冷たいわけですが、それに対して自信を持ってにらみ返すような、人間として自信があるような生き方をあまりしてこない社会だったと思います、特にこの50年ぐらい。
  本当を言うと、弱者問題と老人問題というのは違うと思うんです。ですから、介護ということを重視するのは、弱者に対するということですから。それはむしろそっちのほうが重要だと私は思いますが、老人としては、今、先生がおっしゃったように、年をとっていくにつれて自信が逆に出てくるような、逆に老人教育をしなくちゃいけないんじゃないかと思います。
  それから、小学校とか、幼稚園とかが一緒になるというのは、ある程度年をとってくると、また学校へ入るというのはいいんじゃないかと思うんですよね。ですから、義務教育というのは、65歳で義務教育をもう一遍やっていただいたら……。サブジェクトによっては必要かなと思いますが。どうも失礼しました。

○  「老人よ、頑張れ」というのは、古川俊之先生の言葉ですね。絶対に老人のほうが強いんだと言ってらっしゃいますね。
  高齢社会の問題は本日が初めてということですが、活発な議論を頂き誠にありがとうございました。
  次回につきましては、前回申し上げましたとおり、また「一人一人の能力・適性に応じた教育の在り方と教育上の例外措置」について、前回私がお示しした「座長素案」に対していただきました御意見を踏まえて、さらに詳しくしたものをお出しして、それをもとに御議論をいただきたいと思います。
  なお、その関連で、既に新聞等で御承知のことと存じますが、社団法人日本数学会からこの問題に関する要望書をいただいております。この要望書につきましては、次回会議の際に御紹介をさせていただきますが、かがみに「第2小委員会の検討に対しての要望書であり、反対声明ではございません」との注釈がついております。新聞等ではこの辺は一切報道されておりませんで、数学会が反対したというふうな記事が出ておりましたが、次回御紹介申し上げますが、現実には、やや違っております。
  次に、総会についてでございます。2月27日に第20回の総会が行われますが、第1・第2両小委員会の審議状況を御報告いたしました上で、審議事項全般にわたる議論を行う予定にしております。第2小委員会の審議状況は、私のほうから報告させていただきますが、その際、「一人一人の能力・適性に応じた教育の在り方と教育上の例外措置」につきましては、前回お諮りした「座長素案」を配付して、説明させていただきたいと思っております。もちろん、これは第2小委員会で合意したというものではございませんで、審議の途中経過ということで御報告致します。
  また、本日御議論いただきました「高齢社会に対応する教育の在り方」につきましては、現段階では報告できる資料がございませんので、本日の議論の概要を紹介させていただく程度にしたいと思っております。
  次回の第2小委員会は、3月11日、13時から15時まで、霞が関ビルの33階でございます。「望星の間」でございますので、よろしくお願いをいたします。
  それから、今日御議論いただきました「高齢社会に対応する教育の在り方」の問題につきましては、次の次の会議、3月24日になりますが、また私のほうで「検討課題のメモ」を作成させていただいて、これについて御議論をいただきたいと考えております。
  本日はどうもありがとうございました。


(文部省大臣官房政策課)
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