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中央教育審議会

1996/12
中央教育審議会第2小委員会(第14回) (議事要旨) 

                   中央教育審議会第2小委員会(第14回)議事要旨


日  時    平成8年12月4日(水)午前10時〜12時

場  所    霞が関東京會舘35F「シルバースタールーム」

出席者      (委    員)市川、薄田、江崎、川口、木村、國分、小林、坂元、俵、
                        鳥居、永井  の各委員
            (専門委員)河田、児島、中、山極、増井、牟田  の各専門委員
            (文部省側)辻村初等中等教育局長、雨宮高等教育局長、
                        佐々木体育局長、富岡総務審議官、鴫野政策課長
                        その他関係官

議事等
1.自由討議
    「一人一人の能力・適性に応じた教育の様々な取組と教育上の例外措置」について、自由討議を行った。その概要は次の通り。

○  「個性尊重」や「創造性」、「悪平等の排除」、「エリート教育に偏らない」と言葉で言っても、学校でいわゆる「できる子供」の個性をどう伸ばすかという話になってしまいがちである。社会はいろいろいろな職業により支えられており、初等中等教育では、いろいろなタイプの職業を尊重するような教育を行うことが大切である。

○  数学や理科の分野の他にも、文学的な才能などいろいろな分野の才能ということもあるのではないか。学校教育で全ての特別の才能を伸ばしていくことには限界があり、学校教育外で特別な能力を伸ばしていくことも考えていく必要があるのではないか。
  また、早期に特別な能力に着目して教育を行っても、あるところまでいって伸びなかった場合にどうするかという問題もある。

○  文学や芸術や体育などの分野は、学校教育外でも異才が出てくるのではないか。数学や物理は今の教育システムでは異才が出られないシステムになっていると思う。

○  学校教育は、特別の才能のある人間の個性や創造力を十分に伸ばしていないのではないか。
    アメリカでは、物理や数学の分野では大変ずば抜けた才能を有する者がおり、日本にもそういう能力を持っている人間が必ずいるに違いないが、そういう人間が伸びていないのではないか。物理、数学という分野は、科学技術の最も基本的なものであり、そういう人たちの才能を伸ばすことを考えていかなければいけないのではないか。

○  ごく一部の稀有な才能を有する者のために、大多数のそうでない者が、いろいろな影響を受けてはならないという配慮を、まず第一に考える必要がある。
    数学や物理の分野で才能を持っている子供を見つけだすためにも、これからは教師の資質が問われてくる。

○  小・中・高等学校の教育は、感性、知性、体力の3つの柱を全て学校に取り入れようとしすぎており、優れた者はオールラウンドでなければならないということにより、かえって足を引っ張られてしまうのではないか。

○  いろいろな分野に進む子供たちが、どの分野に行こうとも、その能力を評価されるような、自由な選択の幅の多い教育をすることが大事であり、その考え方の延長線上に、教育上の例外措置があるのだと思う。
    なぜ、数学、物理の分野で例外的な措置を設けるのかということをきちんと整理する必要がある。また、「稀有な」というのは一体どういうことをもって言うのかを、もう少しきちんと議論する必要があるのではないか。
    国際社会で活躍する人材を育成するためには、例外的な措置で育成するのではなく、例えば外国の先生に大勢来てもらって教育をしてもらったりするなど、いろいろなことで国際化社会に相応しい人材を育成することが必要ではないか。

○  一人一人の能力・適性に応じた教育には、「エンリッチメント(豊かにする・深化させる)」という面と、「アクセラレーション(促進する)」という面の二つの側面がある。
    小・中・高等学校の教育は、「飛び級」というのではなく、選択の幅を増やしたり、個に応じた指導を行うなどの「エンリッチメント」がベースである。同時に、これからの時代を考えたとき、高等学校から大学への進学において、今の18才という年齢制限を若干風通しをよくし、例えば、稀有な才能の人材に対して、17才から大学へ進めるという「アクセラレーション」の途も開くことが必要ではないか。そしてその「アクセラレーション」は、大学、大学院において一層促進していくものだと思う。

○  「教育上の例外措置」は、個性を伸長することが、同学年、同一教室という学校教育の制度によって制約されており、その制約を少し緩和し、自由度を伸ばそうということであり、それを現実にどの程度まで行うかという問題である。
    また、「生きる力」を育むためには、学校・家庭・地域が連携することが必要であり、芸術や体育、文学などにおける異才は、地域や家庭で伸ばしていき、学校では物理や数学における異才を伸ばすため、例外的な措置を行うということを考えてはどうか。

○  数学や物理などの分野では、特別の能力を持った生徒がおり、数学や物理の先生は、授業の中で、生徒のそうした能力を発見できるようだ。
    また、大学への入学を認めることの他に、それぞれの地域の大学が、週1日くらいに大学レベルの数学の授業を行う機会を高校生に与えることも、教育における選択幅の拡大の延長線上にあってもいいのではないか。その場合、高等学校の単位と認めてもいいのではないか。

○  生徒を、この子は「受験エリート」、この子は「稀有な才能」というように簡単に分けることはできないのではないか。実際には両者は重なり合っているのではないか。

○  例えば6年間で勉強することを、5年で終わる子がいてもいいし、7年かかる子もいてもいいということは、我が国では、進度の早い子、遅い子という形で、それが子供の人格まで裏付けてしまうような評価をしてしまうため、社会的に非常に難しく、国民世論の賛同が得られないのではないかと思う。
    かなり特定の分野に限って、義務教育段階ではなく、例外措置を高校と大学との間で考えていくことが一番妥当ではないか。

○  中学校段階では、選択幅の拡大など従来からの施策を進めていき、「教育上の例外措置」については、高等学校から上の問題として議論することが適当である。
    また、欧米においては、例外的に早期に入学したことの効果が上がっているのだろうか。

○  子供たちは、興味・関心を持てば、どんどん前に進んでいくので、興味・関心を持つことができるような状況をつくることが大切である。興味さえ持っていれば、学校以外でも、書物などで学習する手段もあると思う。

○  高等学校では、留年させるということは大変なことだという意識が強く、「飛び級」を導入する場合もそれと同じような問題が現場に起きてくるのではないか。
    稀有な才能は、高校の専門の教員である程度発見できると思う。高校側がその生徒を推薦し、大学のより専門的な先生が何日かその生徒を見れば、本当に稀有な才能かどうかがわかるのではないか。
    ただし、それを実際にやることは、戦後の平等意識の社会では非常に難しいと思う。

○  中学校では、教科選択の導入などで、生徒の個性を生かす教育に取り組んでいる。
  中学校教育は、生徒が自分の個性を見つけて、自分でどうやって伸びていこうかという、じっくり自分自身を探す期間であると思う。

○  数学や物理の分野は、他の分野と比べて、優秀な研究者を育てるために、優れた指導者の指導を受けることが特に必要な分野である。
    さしあたって、名古屋大学で行っているようなことを拡充する事がファースト・ステップではないか。

○  一つの観点は、基本的に学年と年齢を結びつけて考えるかどうかである。高等学校段階で個人の興味と関心によっていろいろな科目を取れる、さらに大学の講座も特別な才能がある場合には受けられるということなども、いろいろと考えていいのではないか。
    例外的な措置を考える場合、習熟度の遅い子供をどうするのかということをセットにして考える必要がある。

○  高等学校の中で、学校に一人ぐらいしかいない稀有な才能の者に、特定の教育サービスをするということは無理であり、大学で対応してもらう方がよいであろう。
    この場合、一般的な入試制度の改善とは別に、そういう稀有な才能を有する者について、大学の見識でどう選抜するかを考える必要がある。

○  文化には、古き良きものを愛するということと、新しいものを求めてやまない「創造」という2つのものがあると思う。後者の典型的なものはサイエンス・カルチャーであるが、それが日本ではまだ文化の一翼になっていないと思う。
    教育界は、改革によるリスクを取らなすぎるが、改革のリスクをとるということを認めないと、いろいろな改革はできないと思う。

○  例外措置を行う場合、絶対に受験競争を激化させないということを大前提として考えなければ行けない。
    それと、ある分野で大変な業績の残す人は、子供のころから非常に強い興味を持っており、そうした興味を持てるようにすることをシステムの中に組み込んでいくことを考えるべきではないか。


2.次回開催日
    第15回会議は、12月16日に開催し、本日に引き続き、「一人一人の能力・適性に応じた教育の様々な取組と教育上の例外措置」について自由討議を行うこととした。

(文部省大臣官房政策課)
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