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中央教育審議会

 1998/2 議事録 
幼児期からの心の教育に関する小委員会 (第12回)議事録 

 幼児期からの心の教育に関する小委員会(第12回)

    議    事    録

    平成10年2月3日(火)   13:00〜15:00
    霞が関東京會舘   34階  ロイヤルルーム


    1.開    会
    2.議    題
        幼児期からの心の教育の在り方について
    3.閉    会

    出  席  者

委員 専門委員 事務局
木村座長 明石専門委員 長谷川生涯学習局長
有馬会長 油井専門委員 御手洗教育助成局長
川口委員 安藤専門委員 富岡総務審議官
土田委員 猪股専門委員 杉浦政策課長
根本委員 佐々木(光)専門委員 その他関係官
佐保田専門委員
末吉専門委員
那須原専門委員
服部専門委員
平山専門委員
牟田専門委員
渡邊専門委員
和田専門委員


○  それでは、ただいまから中央教育審議会・幼児期からの心の教育に関する小委員会、第12回を開催させていただきます。
  本日は、お忙しい中、本会合に御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。
  本日は、これまで皆様方からいただきました御意見を踏まえまして、それを私のほうで取りまとめて、小委員会の中間報告に盛り込むべき主な事項を整理した資料、「小委員会中間報告の骨子案」と呼んでおりますが、それを提出させて頂きました。今後、私としてはこれをたたき台として討議を進めていきたいと考えております。前回申し上げましたように、この「骨子」はあくまでたたき台でございまして、委員の皆様方の合意事項という性質のものではございません。今後の審議で皆様方からいただきます御意見を踏まえまして、よりよいものに改めていきたいと考えております。
  本日御説明申し上げる資料は、従来の答申のスタイルとはかなり変わっております。2ページを御覧いただきますと、本文がそこで切れまして、「〈資料・分析の例〉」という欄が入っているのがお分かり頂けるかと思います。これが各所に入っております。我々の扱っている問題が特殊であり、難しい問題ということで、この委員会では大変多くのヒアリングを行ってまいりました。総計28団体・人という大変な数にのぼります。これらのヒアリングで、非常に貴重なデータを出して頂いておりますし、また私どもが今まで気がつかなかったような御意見も頂いておりますので、そういうものを資料あるいは文章としてわかりやすくまとめて、その「〈資料・分析の例〉」というところに入れてはどうだろうと考えました。
  それから、骨子案の特徴の2番目でありますけれども、冒頭に、「日本人としての誇りを持って、創造的で活力ある社会をつくっていくため、前向きに取り組んでいく『生きる力』を持った子どもを育てよう」と述べておりますが、それを基調に置いております。
  それから、これまで大変難しいということで、避けて通っておりました家庭におけるしつけの在り方の問題についても、この中で随分御発言がございましたので、具体的な提言に持って行きたいと考えております。
  さらにまた、学校の道徳教育の見直し、地域社会での取り組みその他様々な施策についても具体的に提言を致す積もりです。
  この資料をもとにして、少し御議論をいただければと存じます。どなたからでも結構ですが、いかがでございましょうか。

○  二つほど質問をしてよろしいですか。最近のいろんな事件に対することにたぶん世の中では非常に関心があると思うのですが、きょうの座長案はよく書けていると思いますが、特に殺傷事件とか、そういうことについてはそれほど大きく取り上げていないという感じがします。これは意識的におやりになったかどうか。この点が1点。もう少し分析をしてからやったほうがいいと私も思うんだけれども、世の中はそこに関心があるので、その点をどう考えていったらいいか。
  それから、もう一つの質問は細かい質問です。学校のスリム化という言葉が最終ページにあるけれども、学校のスリム化とはいかなることを意味するのであるか。これをちょっとお伺いしたいと思いました。あとは非常によく書けていていいと思います。

○  最初の御質問につきましては、個々の事件の原因がどこにあったかなどについて、軽々に判断できない状況というものがあると思います。そういう状況の下、この委員会で、いろいろな専門の方、あるいは委員の皆様方から様々なご意見、データを出して頂きまして、個々の事件に対してはともかく、全体については問題がこういうところにあるのではないかということが、漠然とではありますが、何となくつかめてきたような気がしています。そういうことで、その辺のところを資料の部分に入れさせていただいて、それで全体的な問題提起をしてみてはどうかと考えております。
  それから、学校のスリム化の問題につきましては、一番最後のところになりますが、11ページの「v)」で「ゆとりある学校生活で子どもたちの自己実現を図ろう」ということにしてあります。これはここのところで、一次答申、二次答申の内容をまとめて具体的に再度入れるということでございまして、特別の意味はございません。全体的な整合性を考えて、ここへ持ってきてみたということであります。そのために、例えば入試のことも少し入ったり、その他簡単でありますけれども、項目を拾って入れてあります。

○  かなり踏み込んで書いていただいて、とても満足しております。まさに社会に向けて提言するのが適切ではないかと私は思います。
  混迷の時代と言われておりますけれども、これからの時代をこの審議会でいかに先見できるか、先見することを求められているんだろうと思います。そういう意味で、社会全般の危機感のなさというか、全般的に言うとそういう方向にまだあるような気がいたします。その辺をタイトルの中に、「次世代を育てる心を失う危機」という形で書いていただけたのは大変結構だと思っております。
  責任というか、どこに原因があるのかということを考えていくと、今までいろんな事件がありましたけれども、どの事件を見ても、原因は非常に明らかであって、それは我々大人社会がつくったこと、それをまさに子どもがそっくりまねをしてくれていることだということでありまして、そこを言うのでしたらば、大人の責任というか、我々大人自身が意識改革をしなければと、その辺を表現したらどうかなと思います。
  それから、個々のことでちょっと申し上げますと、ボランティアということの記述ですけれども、1ページ目の「(2) 」のところでございますけれども、「i)」から「vi)」の全般をボランティアは意味している部分があるというか、ボランティアの私のイメージとしては、「i)」から「iv」にかかるようなイメージを持って考えておりますので、その書き方はどうなのかなという点がございました。
  それから、家庭に踏み込むということが何といっても重要だと思います。子どもに、家庭という小コミュニティーの中での役割をはっきりさせようという方向もあっていいのではないかと思いましたが、後のほうで、意識的に子どもに仕事をあげていくというか、そういう提言がありましたので、この辺をもっと強調していくべきだと思います。
  それから、社会貢献の心をはぐくむボランティア活動の振興ということでございますけれども、まさに私は倫理とか、命の問題、人権の問題、そういう基本的なことを学習する体験学習であると位置づけておりますので、もう一つここのところの書き方を工夫していただければということを考えました。
  社会の危機感のなさを反映して、今の学校がこのままでいくと、塾がもう少し先を行って、塾自体が先に変わっていくのではないか。それは知育に偏することではなくて、子どもたちに体験をあげたりするいろんなメニューが開発されて、逆に塾が先行して、学校がそれを後追いするような結果になりかねない。そういう危機感を私は持っておりまして、そういう意味で、学校自体がいかにこれから改革されていくかということが大きな課題ではないかと考えております。

○  今の2番目の御意見の家庭を小コミュニティーとして考えるという考え方は、5ページの「v)」のところに、家庭の中にルールをつくって、その中で子どもを一人の構成員として考えようというところに入れられるかと思います。

○  これはよくまとまっておると感心しておりますけれども、私どもの申し上げてきたことが大体含まれておるわけですが、ちょっと感想めいたことを申し上げますと、大変な変化の時代に直面しているわけです。そういったときに一番大事なことは、基本に返るという思考方法が一番大事なのではないか。
  その場合に、どういう思考方法をとるかといいますと、私は、我々がおる今の時代をどういうふうに認識をするのか。あわせて、私どもが住んでおりますこの社会、そういったものが一体どういうことになっているのかという認識をすることが大事だ。そして、その認識の上に、一体どういう価値を我々は追求すべきなのかという討議が大事なことになってくる。そして、3番目に、具体的にその価値を実現するための処方せんを一体どうするのか。その行動計画はどうなのか。こういう段取りになると思うんです。
  この提言は、大体それを全部カバーしたようには見えますが、私は第1の時代認識ということにつきまして、今の日本の社会というのは、社会心理学的にどういう状況にあるのかということの掘り下げをもう少しやってみる必要があるのではないか。つまり、これをやりながら、ここのところ中学生のバタフライナイフ事件がどんどん起きているわけでございまして、結局、その辺の時代認識は一体どうなっているんだということをいろんな人が言っておりますけれども、その辺の認識をどうすべきかということについて、もう少し掘り下げられないかということが一つでございます。
  それから、今起きているいろいろな問題を考えますと、新しい時代を開拓していく子どもを育てるためにというまさにそういうことですが、これはややマクロ的な対応であって、今ここにある危機をどういうふうにして脱出していくのかというミクロ的な対応は絶対に必要なわけでございまして、その辺をどういうふうに考えたらいいのかということでございます。
  私は、6大改革の中で、教育改革の取り上げ方が少し弱いのではないかと思います。「教育改革」というよりも、「教育社会改革」というような視点で、恐らくほかの諸改革よりもよほど重大な改革だと私は思っております。まさに大人を含めた日本社会の心の問題がよい方向に行かなければ、ほかの改革は槿花一朝の夢と化するのではないかという感じがしております。
  この教育改革をもう少しグレードアップといいますか、例えばその具体的な処方せんにしましても、いつまでに何をやるのか。ほかの5大改革は2003年とか、2001年と明記してございますが、一体ここに提示されたこの処方せんを、いつまでにどういう方法でどうやるんだという論議はなされていないわけでございますね。その辺、文部大臣がこれをもらって、わかりましたというようなことで、これを事務局に検討しなさいということでまた戻すのか。これだけの立派な答申のもととなる骨子案ができているわけですから、これを本当にやり通してもらいたい。やり通すためには、一体どういうスケジュールをつくって、いつまでに何をするのかということについて、もう少しはっきりしたものにできないのかという感じでございます。
  いずれにいたしましても、大人の社会をまねているという今の御指摘、大人がしっかりしなくてはいかんというのは全くそうでございますけれども、我が国にはいろいろいいところもあるわけでございまして、これを一体どうするのかということについて、これをベースにもう一段掘り下げられないかということを申し上げます。
  最後に、子どもたちの教育ということで、前から私は、よく学びよく遊べ、敗者復活戦だとか、あるいは自然体験をやらせろとか、いろんなことを申し上げてまいりましたが、私はいろいろ考えてみますと、古典というものに親しむこと、それから天然というものに学ぶこと、それから勤労の意義、そういったものが心の問題の核心に迫るものがあるのではないかということを特に強調いたしまして、コメントしたいと思います。

○  時代認識でありますとか、そういう点については、前の答申との関係があるかと思います。第一次、第二次答申ではその辺をかなり書き込んでありますので、ここへ改めて持ってくることが難しいという側面があります。その辺についてはは少し考えさせていただきたいと思います。
  それから、ミクロのことですが、これはなかなか難しいところです。教育の問題というのは、世界的に見ていても、いついつまでに何をやろうというのはなかなか難しいのではないでしょうか。殊に我々の問題は心の問題ですから、相当時間がかかる。そういう意味で、心の問題について我々の議論の中でこんな議論が出てきましたよということを国民にアピールすることが重要ではないかと思います。そのような意味もあって、先ほど説明しましたように、資料とか、解説とか、そういうところを設けようと考えたのです。この点ついては、いろいろ御議論のあるところだと思いますが、私個人的には、対症療法というのは無いのではないかという強い印象を持っております。

○  9ページのところに、「幼稚園・保育所の役割を見直そう」というところですが、具体的になりますが、ここで挙げられているテーマは、ほとんど3歳以上児をイメージしたものとなっています。保育所の役割も含めますと、誤解を生じやすいことが出てきているのではないかと思っています。
  最近のいろいろな事件を見ましても、問題とされているのは、先日の先生方の御説明にもありましたように、人工的ないい子、パターン化されたいい子という問題です。ゼロ歳、1歳、2歳時に、どう愛され、どう十分に依存が満たされたかという発達課題のテーマがあって、初めてここで課題にしているような3歳以上の生活習慣の問題とか、倫理観という、社会性やルールの問題が積み上がってくるということをいつも感じています。
  そこで、ゼロ・1歳児への愛着形成の問題と母子の関係がいかに大事であるかということを、ゼロ歳から2歳までのかかわりの問題と3歳以降の問題をしっかり分けた形での表現がほしいと思います。
  それから、9ページ、上から8行目あたりに「3歳未満児の幼稚園への登園日を設けて集団生活になじませよう」という表現があります。ここは未満児を対象としておりますけれども、「母子二人の閉ざされた保育とならないよう」ということはよくわかりますが、ゼロ・1・2歳児を「集団生活になじませよう」という表現は誤解を生じやすいので表現の工夫をお願いし、それから、「預かり保育」という表現があります。これは補助金制度のネーミングですので、やむを得ないと思いますが、―ここは心の問題をテーマにしているものですから、保育園もよく「お預かりします」という言葉を使いますけれども、最近は1時間幾らでお預かりするものですから、荷物を預かるという感覚との誤解を生じかねない、心を問われるような問題が起こってきています。そこで、誤解を生じないような工夫をお願いできないでしょうか。

○  その辺は大変悩みの多いところであります。例えば5ページの「iv)」のところ、家庭の問題のところですが、「子どもの個性を大切にし、未来への夢を持たせよう」というところの最初の小見出し例で、「幼児期から子どもの平均値や相対的な順位にとらわれる」と書きましたが、子どもの年齢ごとに応じてどう対処していくのかということを、この中にどう入れ込むかというのは非常に難しくて、非常に悩んでおります。大変貴重な御意見をいただきましたので、うまくいくかどうか自信がありませんが、少し工夫してみたいと思います。具体的に文章を検討致します際には、是非御相談に応じていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

○  人間が育つというのは時間軸が非常に重要でございます。ですから「もう一度家庭を見直そう」という「第2章」の「i)」番の、全体を見直す基本的視点のようなところに、「人間の発達段階にふさわしい子育てをしよう」ということがやはり入れられる必要があるという気がいたします。
  というのは、例えば「手放しつつ見守る姿勢」という言葉がございますが、これは思春期がまさにそうなんです。ところが、一、二歳に「手放しつつ見守る姿勢」であっては大変困ることになります。つまり、「保護」と「自立」というのは二律背反のところがございます。必要な段階はたっぷり保護をし、たっぷり愛をかけねばならない。それがあって、次の自立があるんだという、その順序を、先ほどの幼稚園の段階でまた書かれるのもいいと思うんですが、まず総合的に、一つは人間の発達ということを親御さんにわかりやすく示してあげることが、混乱を防ぐ一つの方法かなと思います。
  もう一つは、先ほどお話がございましたが、人間の発達というのは、原始的な段階からだんだん洗練され、深みを持ち、成熟をしていくものですが、これも時間をかけてなされていくものだと思います。ですから、表面的な姿形にとらわれず、本質的な成熟を目指そうというようなこと。これは私は一番申し上げたいことですが、例えば善悪の判断は、我々大人期になっても非常に危ないわけですから、それが三、四歳の子どもにできるなんていうこと自体がおかしいと思うんです。先生の目の前で意地悪をしないとか、おててがつなげるということが、人間を受け入れ仲良くなったことであるというふうに周りが思い、本人が思うというのは非常に危険だと思うんです。
  道徳教育というのは、例えば二、三歳のころというのは、いけないことをいけないと教えるのはいい。だけど、すぐあなたにわかるはずはないから、悪いことをしたときに必ず注意してあげるよというふうに、例えばあなたの心が悪いんじゃなくて、それは覚えることだから、時間がかかるから、悪いことをしたら、例えば人をいじめたりしたときは、いけないことをしているんだと注意してあげるということが大切です。それでも子どもは何度も何度もいけないことをやり、注意されても子どもはやるんです。しかしこのやる段階が要るんです。そこでストップして、悪いことをやらなくなって、二、三歳でいい子になられてしまうと困るんです。そう言って注意をすることが必要で、注意をされても、されても、子どもはいたずらをしたり、禁止区域に入り込んでやっている。その経験がずっと続いているうちに、あるとき自分が痛い思いをしたり、自分自身のつらい体験を重ね合わせたときに、〈ああ、やっぱりこれはしちゃいけないことなんだ〉と、自分の内側で初めて悪いことの意味が自分のものになる。その間、時間軸が要るんです。その時間軸を忘れることが教育の危なさと思います。だから、姿形も大事ですが、内面が育つには時間がかかるということを、親御さんに示してあげることで、自分の子どもをすぐいい子にしてしまわないですむと思います。先生の前、親の前だけで、姿形の美しい子どもができてしまうことのむしろ怖さを知らせることが大切です。
  そう言いますと、それなら言わない方が良いことかと思われる。それは違うんです。何度も何度も、いけないことはいけないと言う必要はある。あなたがだめだというのではない、この行為自体がいけないことだといつかはわかる日がくるから、今注意しておいてあげるから、よく聞き置いてねという姿勢が、幼児期から必要だと思います。発達段階ということと、人間の姿形の完成を急がないということ、自分から育っていくことが大事ということを少し入れていただけたらという気がいたします。

○  いろいろ提言をしていこう、それから家庭に踏み込んでいこう、それから大人に問題があるということを言おうというのは、基本的に結構なことだと思いますけれども、親が見てどう思うだろうかという立場から幾つかコメントがありまして、一つは副題の「次世代を育てる心を失う危機」というのは、いろいろ考えられたかと思いますが、わかりにくいと思うんです。読んでいくと、初めてこれは大人のことを言っているとわかるんですけれども、私は最初に見たときに、子どもがさらに次世代を育てるからということで、子どものことを言っているのかなと一瞬思ったくらいでして、副題というのはわかりやすいというのが命ですから、わかりやすいほうがいいのではないかという気がいたしました。
  それから、家庭について踏み込んでいくというのは非常にいいと思うんですが、日本の家庭もさまざまあるので非常に難しいと思いますけれども、どれぐらいの家庭をターゲットにして我々がこれを考えるんだろうかということを思いました。それはどういうことかといいますと、これをしたらいいでしょう、あれをしないほうがいいでしょうというのを事細かに、例えば親は子どもに本を読んであげたらいいでしょうと。これはほとんどの親はやっていると思うんですけれども、はしの上げ下げと言うと言葉は悪いかもしれませんが、事細かに書き過ぎてあって、エッセンスとしてもう少し絞っていいのではないかという気がいたしました。形だけのいい子というのがありましたけれども、形だけのいい家庭をつくることに関心があると思われてしまうのではないだろうかという気がしました。
  それとの関係で、家庭で一番迷うことは、自由と規律ということをどういうさじかげんでやったらいいかというのが、子育てをしていると一番迷うことではないかと思うんですが、それをどう考えるかという答えが、何をやりなさい、何をやってはいけませんという中からは、くみ取ることができないという気がいたしました。突き詰めていけば、自由と規律というのは、ある意味で同じことを言っているのではないかと私は思うんですが、自由というのは責任がある中での自由ということですし、規律・規範を厳しくするというのは、他律的なものでなくて、自分で考えて内在的に自己を規律していくということですから、両方個人のところに責任があるという意味では、つながるものがあると思うんです。いろいろな考え方があるんでしょうが、そういう考え方をどこかで書かなければいけないと思いますし、家庭についていろいろ細かいことを書くよりは、むしろ親に「信念と自信を持て」と言ったほうが、私ははるかにいいのではないかという気がいたしました。
  それから、家庭について、例えば4ページに、「父親の影響力を大切にしよう」ということが書いてありまして、「見出し例」でございますから、これからいろいろ詰められることになると思いますが、どういう家庭像をいい家庭像だと思っているのかということがはっきりしないことが問題かなと思います。前にも申し上げたんですけれども、ここに「ネットワーク家族」というのが書いてありますが、昔の家庭と今の家庭は、社会環境、経済環境が変わっていますから、変わらざるを得ないのであって、例えば「父親の影響力を大切にしよう」というのが、これは父権の復活なのか、父権の創造なのか、そういうこともこれだとはっきりしないので、新しい時代の家庭ということをベースに書いていただく必要があるのではないだろうかという気がしました。
  それから、先ほど「3歳未満の集団生活」とか、6ページの「母子保健の機会を積極的に生かそう」というのがありますけれども、「母子保健の機会を積極的に生かそう」というのは何に生かすのかということもよくわかりませんし、それから3歳未満の集団生活というのは本当に必要なんだろうか。むしろ家庭に自信を持たせてやる、あるいはそれは家庭が決めることであって、どこまで踏み込むのか  ―例えば本を読みなさいということと並んで、どこまで書くかというさじかげんが非常に難しいのではないかという気がいたしました。
  それから、地域、家庭、大人の問題、学校の問題と書いてありますけれども、ウエートをどこに置くのかという問題はあると思います。同じというふうに考えるのか、やはりここのところにより大きなウエートを置くというふうに考えるのか、そこがはっきりしないという感じがいたしました。
  それから、さっき家庭で自由と規律の問題と言いましたけれども、全く同じことが学校についてあるわけでして、学校がそこをどう考えるかという考え方がなくて、何となくやるべき姿、あるいはあるべき姿、こうしましょうということだけが書いてあるというのが印象でございます。

○  誰を相手にして物を言うかというのは非常に難しい問題ですね。確かに問題の無い家庭もかなり多いと思います。しかし、問題が深刻であるという認識は、大方の国民がお持ちなので、出来るだけ広い層に読んでもらいたいと考えております。従って、ただいまのご意見のように、細か過ぎると思われることまで書き込んだ次第です。その辺については、是非ご理解を賜りたいと存じます。
  それから、ウエイトの問題なんですが、それにつきましても、この審議会でどこにウエイトを置くかについて、コンセンサスを得ることはなかなか難しいと思います。その意味で、どこが大事だと、読み手が判断できるような書き方にしたいと考えております。

○  中教審の報告というのは、そもそも文部大臣に報告することになると思うんですけれども、初めのほうに、これは一般の人に問いかけているんだとうことをはっきり書いたらどうかと思うんです。その点をつければ、今言われたことはある程度解決するだろう。相手方をはっきり広くとって、社会の人がみんな注意してくれよということをはっきり言ったほうがいいと思います。その点、お考えいただければ幸いです。

○  私としては、大変わかりやすい呼びかけ型の提言にしていただいて、大変ありがたいと思っております。今までのお話も含めて、少し細かいことになるかもしれませんが、3点ほど言わせていただきたいと思います。
  一つは、6ページの「第3章」のところで、「地域で子育てを支援しよう」。これは私どもの立場ですと大変大事なところですが、この中の、今御質問になりました「母子保健の機会」というのは、乳幼児健康診査とか、いろんな機会で、小児科系の医者とか、保健婦とか、助産婦とか、栄養士とか、そういう人たちが親と直接面接をする機会が何回か定期的につくられておりますので、そういう場を上手に利用することが大事だと思います。
  それから、この中に書いていないことで、先ほどもボランティアのお話が出ましたが、地域の中の大人がやってくれているボランティア活動の中に、御存じのように子ども対象のものが幾つか全国的にございまして、例えば母親クラブとか、愛育班活動とか、子ども会とか、スポーツクラブなどがありますが、こうしたものをうまく育成して、言葉は悪いですが活用させていただいて、例えば3世代交流の場をつくるとか、そうしたことを積極的にやっていただけると効果的ではないかと思いました。
  具体的にどうするかというお話も出ていましたけれども、こうした地域の中の具体的な事柄は、例えば昨年も子育て支援に関して、厚生省の児童家庭関係と文部省の生涯学習関係から、同じテーマについて、同じ日に課長通知を市町村の保健課関係と教育委員会関係に流していただいたりしていて、その辺の連携をうまく取っていただくと、地域では混乱せずに一緒にやっていただけて、あれは大変ありがたかったと、わきで拝見して思っておりました。
  第2点は、カウンセリングのお話が出ておりましたが、10ページに、「教員はカウンセリングマインドを身につけよう」ということがございましたが、地域の関係から言いましても、例えば医学教育、医者の養成コースの中で、カウンセリング技術に関係したものは今までは少なくとも入っていないんです。例えば、患者さんとはこういうふうに話をしましょうとか、こういうふうに接しなければいけませんという、イロハのことを医学教育のコースの間にはまず習っていない。医者になってから、先輩を見ながら、何となく経験で身につけていくというのが今までだったと思います。これはやはり医療の関係者としては大変困るんで、医者の適性問題も絡みますけれども、そうした意味で、教師のみならず、直接親や子どもに関係する医療関係の人たちの教育の中で、こうしたカウンセリングマインドあるいはカウンセリング技術の初歩をぜひ盛り込んでいただきたいとうのがお願いになります。先ほどの地域の中で母子保健に関係する人たちは、皆こういう人たちでございます。
  第3点目は、先ほど来、3歳未満の子どものお話がございましたが、私も3歳未満の小さい幼児については、直接の保護者、つまり家庭というのが最も大事な時期なので、保育所ではむしろ親に家庭で子どもをどうやって見てもらうか、育児態度などをむしろ指導していただく場になっていただくとありがたいと思っております。

○  全体として大変よくまとまっていて、感心し、またありがたく思っております。
  そこで、私はマクロな見方もまたいずれはお話ししなければならないと思うんですけれども、きょうは10ページの、非常に細かいところの話をさせてください。
  10ページの「iv)」ですけれども、「問題行動に温かくかつ毅然として対応しよう」と書いてありますが、これは私の意見としては、「毅然として」が先にきて、「温かく」が後ではないかと思います。その理由は、問題行動そのものは温かく認めるわけにいかないので、毅然と対応する。しかし、そのような行動を起こした子ども自身については、温かくその心をつかみながら指導していこうと、こういうニュアンスで書いたほうがよろしいのではないかと思いました。
  そこで、「小見出し」の幾つかについて、私の考えを述べます。
  2番目に、「良い子」の「いきなり型」とありますけれども、これは私もこの場で報告させてもらって、「良い子」としましたけれども、いろんな人からいろんな意見を聞いてみますと、むしろ「良い子」としないで、「一見問題がないと思われる『普通の子』」、あるいは「これまで大きな問題行動がなかった『普通の子』」というふうに直したほうが、誤解のない受けとめ方をされるのではないかと思います。「良い子」と言いますと、親や教師から評価を得て、過度に順応して、自分が何なのかというのが見えなくなってしまった、抑え込んでしまった子どもということになると思うんですが、そういう説明をしていますと非常に長いものですから、今説明したようなことで、「一見問題がないと思われる『普通の子』による『いきなり型』非行」という呼び方の方がよいかと思われます。
  それから、「見逃さないようにしよう」だけではいけないと思いますので、「見逃さず、その状態や、状況などに応じた適切なかかわり方をしよう」とつけたほうが、より生きてくるのではないかと思いました。
  四つ目に、「麻薬」云々と書いてありますけれども、これは細かいことですが、「薬物乱用」という言葉の中に麻薬が入るわけです。現在の中学・高校生たちは、麻薬というのはあまりないものですから、私は次のように表現したらいいと思います。「シンナー、覚せい剤等の薬物乱用について」、こういうふうにしたほうがいいのではないかと思いました。そして、「知的理解を深めよう」というだけではなくて、知識として覚えただけではだめなので、薬物乱用についての「有害性、危険性の理解を深めさせよう」とか、「深めよう」というふうにして、できれば、表現が長くなるんですが、「絶対に手を出さない子どもたちを育てよう」というふうにしたほうがいいかなと思いました。
  それから、同じく「性をもてあそぶ考え方」だけを正すのではなくて、現にいろんな行動が見られますので、「考え方や行動を正そう」というふうに入れたほうがよろしいのではないかと思います。
  次に、「中・高等学校では、地域住民」云々とありますが、次ページの括弧の中に「校内暴力」とか書いてありますけれども、最近、統計によると増えていますので、「……問題行動」の前に、「校内暴力等の問題行動」云々というふうに具体事例を挙げたほうがいいのではないか。
  それから、同じ項目ですけれども、この内容を読みますと、「地域住民や保護者の意見を聴」くことと、「全校一丸となって」かかわることが、一つの文脈で二重に指摘されているんですね。そこで、一つは、全校一体となって校内暴力等の問題に対応しようというセンテンスにして、もう一つは、地域住民や保護者の意見を聴いて、協力し合って対応しよう、というふうに、二つの取組を分離したほうがよろしいのではないかと思います。
  基調はこれでいいと思いますが、いろんな不幸な事件があったものですから、たぶん多くの人たちがここを読むと思いますので、少し細かいところを申し上げました。

○  骨子案を拝見しまして、大変よく整理されていると思いました。特に「第1章」については、詳しい内容まで触れられているということで、大変参考になっております。
  「第2章」以後、「小見出し」ということでありますので、この詳しい内容が今後出てくる中で、また小見出しのタイトルも多少変わっていくのかなとも考えております。教育改革の関係ですが、私がいただいた関係図によると、教育改革を一番根底に置いて書かれているんですよね。学校関係者としては、そういうふうに理解をして、教育改革を根底にということで意識を深めているんですが、ぜひ政府一体になって、一番根本は教育改革にある。そして、その中での財政金融とか、構造改革に発展していくんだということをぜひPRしていただきたいと思っております。
  それから、この答申は文部大臣になされるものでありますけれども、各界に提言をしたいということで、そういう視点で書かれていることは大賛成であります。今、実際におつき合いをしている幼稚園児や小学生の両親、特にお母さん方が多いですけれども、子育てに悩んでいる方々がいるわけで、ここに書いてあるような内容を、多少は〈余計なことよ〉と思う人もいるし、〈あ、そうか〉という人もあるということが現実にあるものですから、ここに盛られている内容については、ぜひ敷衍していっていただきたいと思います。
  それから、「学校を見直そう」という「第4章」ですけれども、「(2) 」以降のことは、中教審の第一次、第二次答申の中での整合性、それから教育課程審議会との関連ということについても書かれていくのかなと思っております。

○  あれだけの議論、あれだけのヒアリングの中身をどういうふうに整理されるのかと思って、かたずをのんでいた部分がございます。しかしながら、お見事でございます。実は私、幼稚園とか、小学校とか、中学校とか、地元のPTAとのつき合いが大変長いわけですけれども、30年ぐらい前までは、我々が抽象的な言葉で物をしゃべっても、何となくわかったような顔をしてくれたんですが、最近10数年は、全然わからないんですよ。
  例えば「親子仲良くしてください」という言い方をしても、どういうことだかわからない。そこで、私は具体的にこんな紙をよく配るんです。「朝起きたらみんなで『おはよう』と言ってください」「ニコニコ笑って『行ってきます』と言ってください」「家庭の記念日をつくってください」「誕生日の日は手づくりで記念品をつくってください」「我が家の『父の日』でもつくったらどうですか」「おしゃべり日記をつけたらどうですか」「連絡ノートを台所に置いたらどうですか」「年賀状は自分でつくったらどうですか」とか、本当に具体的に事細かに言わないと、今の人たちの半分以上、大多数は理解してくれない。そういう見地から見ますと、今度のまとめの素案は、わかりやすいという点では大変いいと思います。ですから、このベースで、大多数の国民への呼びかけなんだという認識で仕上げていただければ、私は大変ありがたいと思います。
  しかし、中身を読んでみますと、まだまだ難しい部分もあるわけです。特に、幼稚園・保育所の問題、あるいは子どものゼロ、1、2、3、4、5歳の発達にふさわしい対応などということを詳しく書きましたら、これは量的にも大変な問題になるのではないかと思います。しかしながら、「母子保健の機会」からというのは、これはまさに胎教からという意味ではないかと思いますので、全部クリアされているような気もいたします。
  それから、子どもを育てることというのは最善のシステムで育てなければいけないわけですけれども、そういう事柄一つをとって議論しても大変な問題になってしまって、まとまりがつかなくなってくるわけです。幼稚園は子育てに最善なのか、保育所は最善なのかということを言い出しますと、きりがありません。ですから、常識の範囲でまとめざるを得ないのではなかろうかと思います。
  いずれにせよ、最近の数字を見ますと、問題点が本当に浮き彫りになっています。数字は現実をよく表明しています。暴力で感情を表現したり、札束で感情を表現したりする人間が増えているという、数字的、データ的に現れた事態を重く見てつくったという感じがいたしますので、目的はほぼこれで第一次は達せられるのではないか。今後また次々とより深いことを考える機会をつくればいいような気がいたします。

○  これまでの話し合いを、このような非常にわかりやすい形にまとめていただきましてありがとうございました。私は、このような形にまとめあげられたものを、増し刷りさせていただいて学級懇談会や地区懇談会などで使えるようなものになれば、非常にありがたいと思っております。
  一読させていただいた後、気になったことが2点ありまして、既に皆さんから出ているわけですが、人間の発達、幼児期からの心の成長をどのように入れ込んで扱っていくのかということが、一番気になりました。あちこちでつまみ食いのような形で触れたとしても、読んでいる方が、人間の発達のありようを総合的にとらえられるかどうかという問題があるわけです。ですので、どこかで一つの項目を設けていただいて、〈あ、子どもというのは乳児期から青年期にかけて、こういうような発達課題を抱えながら、心の成長を図っていくのか〉ということを国民にとらえていただく。このことは教師自身にもしっかりとらえてもらうという意味でも、非常に大事なことだと思っております。
  もう1点は、「次世代を育てる心を失う危機」というこのサブタイトルがうまく見えてこない。私は、「(3)」の「社会全体のモラルの低下を問い直そう」というところと、「(4)」を一緒に書いてもいいのではないかと思いました。
  あと、「〈資料・分析の例〉」をこの中に入れ込んでいただくということですが、この入れ込み方をかなり上手にやらないと、読んでくれない、見てくれないことも起こってくるように思います。だから、どういう入れ込み方がいいのか。それぞれでまとめて出してしまうと、逆にそれを見なくなってしまう。小見出しごとに入れることが可能ならば、そのほうが読み手のほうは目にとめて、中身を見るのではないかと思いました。

○  今の最後の点については、相当工夫をしてみないといけないと思っております。逆に、「〈資料・分析の例〉」のところは、拾い読みしていただいてもいいという程度にしようと思っております。全部読んでいただく必要はなくて、目にとまったところを読んでいただくことで良いと考えております。
  それから、「次世代を育てる心を失う危機」というのは、「ジェネラティビティ・クライシス」という、我々にとって耳新しい言葉で、しかもかなりショッキングな言葉がヒアリングの御意見の中にありましたので、それを入れさせて頂いた次第です。確かにこのまま見ると、「心を失う危機」って何だろうかということで、ちょっと工夫が要るかも知れませんね。しかし、「次世代を育てる心」というキャプションは大切にしたいと考えております。

○  子どもの心を育てるという命題は、国民運動的な課題だろうと思いますので、提言型の答申という形をとっていただくことは大変ありがたいと思いますし、賛成でございます。
  いま、この座長案を拝見しまして感じますことは、先ほどからお話がありますように、ゼロ歳児、1、2歳児、3歳児以降、それから小学校ぐらいのところについては、わかりやすく提言がなされていると思いますが、中学校・高等学校年齢の、青年前期・後期、その辺の一番難しいところはどう育てていくのか、どうすればいいのか、この辺にもっと触れることが必要ではないかという気がしております。
  一つの提案としては、大人社会に参加することの認証といいますか、社会的な認証が今行われているのかどうか。成人式などのセレモニーだけではなく、自覚と責任を持って大人社会に参加する、受け入れる側も大人として受け入れるというところの社会参加活動などについて触れなくていいんだろうか。
  ということは、刑法上の責任とか、民法上の責任なども関係しますので多方面にわたるとは思いますが、いま、国民的な関心が集まっているとき、中教審の立場から提言して、そういう問題を考える時期にきているのではないかということも含めての呼びかけはできないものだろうかと考えます。

○  その辺は非常に難しいところですが、今の御趣旨で書くとすれば、「第1章」のところをもう少し膨らますか、そういうことになろうかと思っております。

○  呼びかけということで、私自身の感想は、抽象的でどこまで届くかなと。つまり、「本を読みましょう」と言いますと、今、小学生の低学年では「本読みカード」というのを持ってきまして、子どもが本を読むのを聞いて、親がハンコを押すんです。私どもも共働きで、少しはということで、頑張ってやるんですけれども、〈頑張ったな〉と思って保護者会へ行きますと、「おたくは1桁違います」ということなんです。あまりにもやり過ぎるので、「1日にハンコは1回です」と書いてあるんです。そういう状況がありまして、こういうことが届く家族というのは、そういう家族かなという気がします。もちろん非常に大事なことが書いてありますから、先生がおっしゃったターゲットとしての家庭にどう届けるかということが、次の課題になろうかと思いました。
  もう一つ、呼びかけということで、いいことばかり書いてあるんですが、2点申し上げたいと思います。
  一つは、しかしながら、同時に社会としてやれることも、こういうことは社会の仕組みとしても考えなければいけないですねと。それは例えば6ページの最後の「※」の「厚生省と協力」あたりから、後のページの「※」を追いますと、すべてではありませんけれども、社会の仕組みについて社会が努力し得ることが書かれているかと思います。社会の側でもこういうことをこれから考えていきたいと思っております、皆さんも一緒に考えていきましょうというようなことも言わないと、ただ人々の心にだけ訴えようとしても、なかなかいかないのではないか。
  もう一つ、私は家庭のところを興味を持って読まさせていただいたんですが、4ページの、先ほども指摘がありましたように、「父親の影響力」ですが、「影響力」よりも、もう少しやわらかく何か言葉がないかなということを感じました。
  次のページですが、「思いやりのある子どもを育てよう」で、1行目に「祖父母を大切にする親の姿を見せよう」とあります。これも非常に大事なことですが、家族が変わっている、流動化している、国際化している、高齢化している中で、つまり我々がターゲットにしている子どもがとりあえず幼児期から小学校あたりだとすれば、その祖父母はまだ60前後で、ピンピンとしております。非常に元気なわけです。もちろん、離れていても大切にする方法はあるでしょうし、それを見せることが大事なんだろうと思うんですが、ここで「思いやりのある子どもを育てよう」ということからいえば、恐らく祖父母のところは高齢者であって、高齢者を大切にする大人の姿を見せよう。自分の老親だけではなくて、社会の困っている高齢者、介護が必要な高齢者を大切にする大人の姿を見せようということではないだろうか。自分の親だけだということになりますと、10数年前の福祉の含み資産としての家族というところにまた逆戻りいたしますので、そこはちょっと心配し過ぎかもしれませんけれども、そのように少し広げたほうがよろしいのではないかと考えました。
  それとの関連で、私自身思い出しますのは、社会の仕組みでどういうことがあるか。例えば、職場保育などの場で、私はボストンのMITのすぐそばで企業内保育を見てきたんですが、そこはインター・ジェネレーショナル・センターなんです。社員の赤ん坊を預かると同時に、地域の老人を預かっているんです。それは社員の親ではないんです。地域の老人です。地域の老人と社員の子どもたちが出会えるようなオープンスペースという形で、インター・ジェネレーショナル・センターとなっております。
  最後のほうに、「臨床心理学分野の大学院段階における養成の充実等」と書かれております。ということで言いますと、いわゆるインター・ジェネレーショナル・リレーションといいますか、世代間関係の学問はまだそこでも育っていない。実験段階で、ボストンのある大学と提携しながら、今やっているという話を聞いてまいりましたけれども、世代間関係についても、その学問領域を育てるという形ですね。
  それから、企業については、高齢者を大事にするということですけれども、どこかに電車で席を譲るというのがありましたが、私、いつも気になるのは、飛行機の搭乗開始のときに、アメリカの国内便では必ず赤ちゃんと老人、ハンデキャップに対して、最初に「どうぞ」と入れるわけです。それからファーストクラスを入れる。日本はやりません。殺到します。だから、アメリカは子どもや老人を大事にしているというふうには直接的に結びつきませんが、一つの工夫として、企業に働きかける具体的な例としてあるのではないかと思いました。

○  先ほどの「父親の影響力を大切にしよう」という点については、弁解をさせていただきますと、前回、とにかく論点整理の項目が多過ぎる、これを整理しろというお話がありました。その点については、かなり努力いたしました。かなり私の主張を入れながらそれをやったんですが、どうしても「父親の影響力を大切にしよう」という問題提起については、そこだけポコッと残ってしまうというところがあったのです。心は、「夫婦間で一致協力して子育てをしよう」ということです。全体的には、文章として書きますと、その辺は問題がなくなるだろうと思っております。

○  私も皆さんと同じ印象で、かなりまとまっているかなと思います。先ほどサブテーマについて触れられていましたが、「次世代」という概念をどこかで説明すれば、今回の答申のキーワードになるかなと思います。
  私はこれを、「関係性」と申します。今後、縦の関係、横の関係が乏しい。世代を超えて、次の世代を育成するんだという意識が非常に乏しいんです。家族には育てられる養育家族と、次の新しく家族をつくる、生産家族というのがあります。人間は、二つの家族を経験するんだけれども、ややもすると一つの家族しか経験しない。「今あればいいんだ」という意識が強く、次の世代はあまり眼中にない。先が見えない社会においては、そういう意識が生じ得る。そういう意味で、「次世代を育てる心を失う危機」ということを出してもいいかなと、私個人的にはそう思っております。
  もう1点は、提案型と申しましょうか、これまでにない中教審のスタイルだと思うんです。この利点をうまく活用していきたいと思っております。ということは、これまでの中教審からだけ出すワンウエーでなくて、実は一方を出して、皆さんの意見をツーウエーで保障しますという型です。そのためには、もう少しマスメディアの力をかりながら、ツーウエー文化を伸ばしていく。ツーウエー文化を起こしながら、国民運動を起こしていく。皆さんにわかりやすい形でアピールしており、その辺は非常にいいかと思います。

○  9ページの「学校を見直そう」というところですが、さっき、小学校が出て、あと中・高のあたりが、このタイトルを見る限りはっきり出ていないような感じがいたします。例えば「道徳教育を見直そう」というタイトルがあるわけですが、その部分で、小学校ではこうだ、中あるいは高等学校ではこうだと、そういう感じで書き込んでいただくといいかなと。例えば、カウンセリングとか、問題行動とか、特別な例は書き込んであるけれども、普通の教員が読んで、〈あ、こういう指針でいくのがいいのか〉というふうな書き込みというか、表現をしていただくといいなという感じを持ちました。
  それから、4ページの家庭のところですけれども、これは「小見出し」だけですから、その中にたぶん入っていくんだろうと思いますが、この前、パターン化されたような子どもを育てるのはあまりよくないという感じのことをヒアリングで伺ったんですが、家庭でこういう方針を持って子育てに臨むといいんだということが、その文章の中で読み取れるような表現がたぶん出てくるだろうと思うんですが、そういうことに私は期待をしております。

○  率直に感想を申し上げます。すばらしいお取りまとめをいただけたとに感謝申し上げます。これが世の中へ出たときの印象はどうかという立場から考えますと、御評価いただけると信じますが、昨今御承知のような問題もあり、教育は百年の大計ではありますが、今日、明日の問題への対応も言及する必要があります。具体的に何をやるんだという提案があれば、もっと納得していただけるのではないかと思います。
  それから父権の強化という意味は、お母さんとの役割の違いとして、子どもが変なことをやった場合に、口だけでなく、パチンと一発お見舞いするぐらいのことはやるべきという御意見でしょう。今までの教育が一方にかたよりすぎと思う人は多いのです。大人社会へ入っていくための認証という手順を具体的にどうするかを考えなければいけないのではないか。護身のために刃物を持っていた。腰につけたピストルを持ったおまわりさんを見たらむらむらと欲しくなって、ズバリと刺してしまうという、極めて単純で、まるで漫画ですが、それが現実の問題です。
  これの対応はどこがやるのか。議論の結論、とりあえず学校で何とか対応をとなるのが落ちでしょう。きれいごとではありません。「百年河清を待つ」という言葉もありますが、遠い理想論もさりながら、現実にどうするか。やはり答申の中に具体的な対応について発言あるいは提案すべき時期ではないでしょうか。
  つい最近までは子どものしつけと申しますと、極めて反社会的な、提言のように白い眼で見る、あるいは、論客がたって滔々の弁を展開して、焦点をそらすことが多かった。日本が悪くなった一番の理由はそれなんだという発想や強い意見もございます。私どもは歴史をよく見直しまして考えるべきです。そこまで踏み込んで答申に書いていただくべきではないか。提案すべきではないか。現場の先生方も、行き過ぎだと、それとも我が意を得たりとお思いになるのか。気に入らないから先生なんかやっちまえというので、ズブリとやる例が、現実に日本の学校で起こっているわけです。その問題の重さ、それから重大さを、私どもは軽く見過ぎているのではないか、もっともっと深刻に考える必要がある。百年先は百年先で、こう考えるが、今どうするのか、明日どうするのかを論ずる必要がある。国民共通の理念、理想像を議論すべき時は今だと考えます。
  せっかくここまでかみ砕いた、しかも項目も今までと違った形で、認識できる体系に改めていただけましたので、この中にすぐ改業や提言をつけ加えていただくことをぜひお願いしたいと思う次第です。

○  私も、中教審でここまで家庭の在り方を見直そうということで提言されるということは、大変興味深く、内容的にもわかりやすいという印象があります。
  先ほどのお話を聞きまして、人間の発達段階にふさわしい子育てがあるということも提言してはどうかということがあったんですが、そのお話を聞いて、〈なるほど、子どもというのはそういう過程を踏んで育っていくんだ〉ということで、大変参考になりますので、ぜひそういうことも書き添えていただければというのが感想です。
  もう一つ、「地域社会の力を生かそう」ということの中で、子どもたちが育つ段階では、小学校段階では子ども会の廃品回収とか、地域の運動会などを通じて、それでもまだ地域の中で生活をしますので、家庭以外に地域の方と交流しますので、まだまだ地域という認識があるんです。しかし、中学校、高校になりますと、全く家庭と学校の往復になってしまって、どうしても地域の中にいる自分の存在が希薄になってきまして、どういうかかわりをするかということがもう少し具体的にあってもいいかなというのが感想です。中・高校生のボランティア活動の拡大ということですが、中・高校生、ちょうど思春期の子どもたちがどういう形で社会の中で育っていくかというのも触れられるといいかなというのが感想です。

○  座長の私案ということでお出ししてあるんですが、ただいま抜けているのではないかと御指摘のところは、委員会でほとんど御発言がなかったところなんです。例えば、中学校と高等学校の部分については、「議事録」をひっくり返してみましたが、あまり御発言がないので、落ちてしまったということです。その辺につきましては、ぜひ今後の議論の中で御発言をいただきたいと存じます。それを伺って、採れるものは採って行きたいと思います。
  それから、非常に大きな問題で、今直ぐ何か出来ないのかという問題ですね。それについてはもう少し考えさせていただきたいと思いますが、これをうまく盛り込むのは非常に難しいだろうと思っております。社会的なシステムを変えて行くこと、括弧のアステリスクのところが大体そういうふうになっておりますけれども、その辺のところはすぐ施策として打ち出せるのではないか、国としてやっていけるのではないかと考えております。個人的には、そのような施策が、ある意味では速効性に結びついていくのかなという気がしております。ナイフの事件等個々のケースを、ここでどう取り扱うかという点については、まだ私も成案を持っておりません。もう少し考えさせていただきたいと思います。
  今後、取りまとめに向けまして、さらに精力的に皆様方の御意見をいただいて審議を積み上げてまいりたいと存じておりますが、ただいま申し上げましたように、国民の関心が大変高いということで、「骨子案」をたたき台にして議論をしていくに当たりまして、私の責任において、座長の私案を再び報道関係者に対して公表させていただくこともあろうかと思いますので、御了承をいただきたいと存じます。
  それでは、次回は2月17日、火曜日、13時から、この霞が関東京會舘・ゴールドスタールーム、35階でございますので、よろしくお願いいたします。

(大臣官房政策課)

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