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中央教育審議会

1997/12
幼児期からの心の教育に関する小委員会 (第9回)議事録 

       幼児期からの心の教育に関する小委員会(第9回)

    議    事    録


    平成9年12月9日(火)     13:00〜15:30
    東海大学校友会館  33階  阿蘇の間


    1.開    会
    2.議    題
        幼児期からの心の教育の在り方について(ヒアリング及び討議)
    3.閉    会


    出  席  者

委員 専門委員 事務局
有馬会長 明石専門委員 長谷川生涯学習局長
木村座長 油井専門委員 近藤審議官(初中局担当)
沖原委員 安藤専門委員 御手洗教育助成局長
河合委員 猪股専門委員 尾山青少年教育課長
高木委員 里中専門委員 その他関係官
土田委員 佐野専門委員
佐保田専門委員
シェパード専門委員
末吉専門委員
那須原専門委員
平山専門委員
牟田専門委員
和田専門委員


    意見発表者
      1  恵  美  三紀子 氏(日本スポーツ少年団常任委員)
      2  杉  原      正   氏((財)ボーイスカウト日本連盟総コミッショナー)
      3  佐  藤  初  雄  氏(国際自然大学校校長)
      4  天  野  秀  昭  氏(世田谷ボランティア協会職員/プレーパーク・プレーリーダー)


○  それでは、時間になりましたので、ただいまから第9回の中央教育審議会の幼児期からの心の教育に関する小委員会を、開催させていただきます。
  それでは、早速でございますが、ヒアリングに入らせていただきたいと存じます。
  ヒアリングに際しましては、意見を御発表いただく方から御提出いただきました資料を、お配りしてございますので、適宜御参照ください。
  それでは、きょうはお二方ずつお願いしますが、初めに恵美三紀子様と杉原正様を御紹介申し上げます。
  恵美様は、秋田県のスポーツ少年団の指導に当たられておられましたが、現在はスポーツ少年団の全国組織であります日本スポーツ少年団の常任委員として、子どもたちのスポーツ活動の振興に尽力をされておられます。
  また、杉原様は、ボーイスカウト団体の全国組織であります財団法人ボーイスカウト日本連盟の総コミッショナーとして、指導的なお仕事をしていらっしゃいます。
  本日は、お二人のお立場や御経験をお踏まえいただきまして、恵美様からは「地域におけるスポーツ団体の活動の現状と課題」について、杉原様からは「地域におけるボーイスカウト活動の現状と課題」についてお話しいただきたいと存じます。
  それでは、恵美様、杉原様の順番で、お話を伺いたいと思います。その後、質疑応答を行いたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
  それでは、恵美様、よろしくお願いいたします。

◎恵美意見発表者  「地域におけるスポーツ団体の活動の現状と課題」ということで、私がかかわってまいりました日本スポーツ少年団のことを中心に発表させていただきます。
  日本スポーツ少年団は、地域の子どもたちにスポーツを通して心身の健全な発達を図りたいということで、1962年に創設されました。資料を訂正いたします。それ以来35年になりますが、一人でも多くの子どもたちにスポーツの喜びをということと、スポーツを通して地域の大人が地域の子どもたちを健全に育てようということで活動を続けてまいりました。ただいま、全国47都道府県すべてに組織されておりまして、団の数が3万4,300、団員がおよそ97万4,000人、指導者が17万600人ということで、我が国における青少年スポーツ組織としては一番大きいのではないかと思っております。
  このスポーツ少年団の団員の年齢ですが、小学校の1年生から高校生まで組織されております。一番多いのが小学生で、団員の90%が小学生で占められております。全国の小学生の人数から見ますと、およそ10%がスポーツ少年団に加入しているということになっております。
  このスポーツ少年団の活動でございますが、大体週に3日から4日ぐらい、1回1時間半から2時間ぐらいの活動を地域で行っております。地域で活動している場所は、学校が50%ぐらい、あとは公的な公民館ですとか、広域スポーツセンターのようなところで活動をしておりまして、商業的なところ、それから塾のようなところを使っておりますのが、およそ3%ぐらいということですから、ほとんどが学校と公的な施設を使っているということになります。
  活動の内容ですが、スポーツ少年団は、特別の子どもたちが集まるわけではございませんで、スポーツをやりたい子どもたちはだれでもということになっておりまして、ここで生涯スポーツの基礎づくりをしたいということを目標に置いておりますので、複合種目を進めております。複合種目と申しますのは、一つの種目に偏らないで、いろいろな種目をシーズン別に行いましたり、月別に行いましたり、青少年の心身の発育・発達の一番盛んなときに、いろんな体の動きを覚えてもらおうということで、複合種目を進めておりますが、この団がおよそ20%。それ以外は、野球、サッカーというような子どもたちに人気のある種目が続きまして、ただいまは47種目が登録されております。
  この指導をする指導者ですが、これは地域の大人の方にお願いしておりまして、当然素人でいらっしゃいますから、少年スポーツを扱う上での注意事項などを勉強していただくことになっておりまして、6単位14時間の勉強をしていただいた上で、認定を受けて、認定指導員という形でかかわっていただいております。本来ですと100%認定指導員にお願いしたいところですが、強制力がございませんものですから、まだ50%程度。あと50%の方々は御経験をもとに指導をしてくださっているということになります。
  子どもたちは、いろいろな目的で参りますので、必ずしもスポーツの得意な子どもだけではありませんので、指導者の方々はいろいろな工夫をなさりながら、そしてスポーツによる傷害、事故、けがなどを起こさないように気をつけながら、活動を続けていてくださっております。
  ただいまのスポーツ少年団の課題と申しますのは、女子団員の少ないことと、女子の指導者の少ないことでございます。女子団員は大体3分の1、女子の指導者は指導者のうちの1割ということになっておりまして、女子のスポーツをもう少し広げていかなければいけない。これは女の子がスポーツが嫌いなのではなくて、女子に向いた種目が少ないということ、もう一つは女子の指導者が少ないということに原因があるようでございます。それで、ただいまは女子指導者を増やすために、地域活動を進めているところでございます。
  それから、もう一つは、このスポーツ少年団の組織されている率でございますが、高いところは子どもたちの30%ぐらいが加入している。低いところは大都市圏でございますが、10%に満たないというようなところがございますので、これからはやはり都市の子どもたちにもっとスポーツ活動ができる場をということで、ただいま特別プロジェクトチームをつくって、大都市のスポーツ少年団の活動を盛んにすることを、今、計画しております。
  これからは、指導者の在り方によりまして、子どもたちがスポーツ嫌いにも、それからスポーツに親しむことにもなりますので、指導者の資質の向上、それも特別な技術指導ではなくて、子どもたちに体を動かす楽しみを教えられる指導者を育てていかなければいけないと思っております。そのためにも、指導員の方々には幅広い知識を持っていただきまして、今はどうしても単一種目で育っていらした指導者の方々が多いものですから、レクリエーション活動ですとか、文化活動、奉仕活動のようなものになかなか手が回りかねておりますので、その辺のところを重点的に研修をしていただくことと、この中に女子の指導員が入ってまいりますと、文化活動、学習活動、奉仕活動というところにも目が届くようになりますので、団員の御父兄を中心に女子の指導者を育てたいと思っております。
  もう一つは、スポーツ少年団では、子どもたちのスポーツだけではなくて、子どもたちのスポーツ少年団を支える母集団という組織がございますが、その母集団の御父兄、お父様、お母様方に、スポーツ少年団活動の中に一緒に入っていただいて、一緒に運動を楽しんでいこうということで、母集団自体もスポーツを楽しみましょう。これがやがては地域のスポーツクラブに発展していくのではないか、そのようなことを考えております。

◎杉原意見発表者    ボーイスカウトのほうの総コミッショナーという形で、教育の責任を持っております杉原でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
  お手元の資料の4ページからが、与えられました「地域におけるボーイスカウト活動の現状と課題」ということでございますが、ボーイスカウト運動はイギリスで始まりまして、ちょうど90年になります。日本で組織をされましてから75年ということでありまして、私どもは世界的な組織でございます関係で、今現在、217の地域と国で、約2,600万人の若者たちがこの活動に参加をしておりますが、日本の中では少しずつ人数が減ってまいりまして、現在、24万人という状況でございます。
  特にアジア地域におきましては、学校教育と連動して学校の中にスカウト活動を設けているところがたくさんございますので、インドネシア等では1,000万人のスカウトがいるというところもございますが、工業先進国ではスカウトの伸展はかなり厳しい状況にございます。
  私どものスカウト活動の大きなねらいといいますのは、まず基本的には自発活動である。自分が参加をするということ、そして自らの健康を築いていこう、そして社会に奉仕できるような能力と、人生に役立つ技能を学んでいく。その上で、誠実とか、勇気とか、自信とか、そして最後に、国際愛と人道主義を把握し、実践できるようにするということを大きな目標にして、この活動を続けさせていただいております。
  現状を申し上げますと、6ページにございますように、私のところは幼稚園の年長児の子どもたちから大学年齢の青少年を含めまして5段階に区分いたしまして、活動をいたしております。現在、23万という数で、昨年末から比べますと1万4,000人ほどが減っているという状況で、これは各地域でも同じような状況が続いておるわけでございます。それぞれの子どもたちに対しましては、小さい子は小さい子なりに、また青年は青年なりに、それぞれの活動目標を設けてしておるわけでございますが、基本的には余暇の善用ということでございますので、活動は土曜日とか、日曜日とか、祝日であるとか、あるいは学校の休みという時間を使って、この活動が進められているわけでございます。
  ただ、残念なことには、昨今、この少子化の問題を含めまして、ピーク時から比べますと、約3分の1減りまして、今、24万人ぐらいの人数になっているということでございます。
  特に、ボーイスカウト運動が世界的な動きという中で、私どもは75年に当たりまして、社会に貢献するスカウト教育を考えましょうということで、本年は特に目を外に向けて、スカウトたちが国際貢献をしようということで、難民の問題に取り組んで、自分たちの気持ちを難民の子どもたちに伝えようという形で、「平和の小包み(ピースパック)」という表現をしておりますけれども、地球上に住む同じ子どもたちのことを考えましょうという形で、そういう活動も進めているわけでございます。
  今、課題としてありますのは、子どもたちの減少であります。一番大きな問題は、子どもが少なくなったということが大きな原因のように思われますが、実は入ってくる子どもたちは2万5,000人から3万人入ってまいります。しかし、抜ける人間がそれだけ多くなっているということであります。大きな原因は、学校の上進時期に抜けております。言い換えれば、中学に入る段階においてかなり多くの者が抜けております。同様に、中学校から高等学校、あるいはそういう状況で抜けているということと、それから青少年の団体がたくさん増えてまいりましたので、私どものように全人格的な人間形成をしようというところよりは、短期的に目標を達成できる、何かできるとか、何か身についたというところの活動のほうに、どうも親御さんの目が向いてしまっているというところがあります。特に学校教育との関連で、塾とか、あるいは習い事にかなりの者が時間を割いているということも、子どもたちの現状を見ますと、「塾があるから」とか、あるいは中学生になりますと、部活動が土曜日・日曜日にございますので、ほとんど出られないという状況で、歯が抜けるように抜けてきてしまっているという問題があります。
  この活動で途中から抜けていくという部分の中では、御父兄等が長期的な人格形成というよりは、短期的なもののほうに目がいってしまって、こういう活動にはなかなか興味を持てなくなった。そういう面で、私どもは幼稚園、あるいは小学校の低学年・中学年のお母様、お父様方に対して、一番大事なものは何かということをきちんとお伝えするという作業が、指導者にとっては子どもたちのお世話をする以上に大きな課題ということになっております。そういう面では、心の問題は早い時期ほどいいというふうに考えておりますので、私どものほうも小さい年代からそのことについて考えていっているのが現状でございます。
  もう一つは、指導者がいないというわけでございます。これはボランティアとして奉仕するのであれば、もっとほかのところに奉仕をしたい。青少年団体よりはもっとほかのところに奉仕をしようという方がどうも多いように見受けます。そういうことも含めて、子どもたちの活動に御奉仕するという方が少ないという傾向が、私どもいろいろやっておりますと見られます。
  それから、御父兄にいろいろ御協力をいただいたり、リーダーとして御奉仕いただくということもお願いしておりますが、やはり自分の時間は自分のために使いたい。極端に申し上げれば、ほかの子どもの面倒を見るようなことについては、あまり関心を持たないという状況がございます。
  そういう関係で、この活動に入って、現場でお世話をされる方の指導者の年齢がかなり高年齢化してまいりました。特にこの活動はいいプログラムをつくりましても、そこにいます指導者が子どもたちに近い年齢でありませんと、この活動は活性化しないという現状がございます。特に大学生は都市のほうに出てしまいますので、都市以外のところでは若い指導者がいない。あるいは、都会の場合でも、若い指導者たちは、企業という中で、なかなか時間が取れないという形で、指導者の確保という問題が非常に難しい状況であります。
  指導者の養成の問題につきましては、先ほどお話がございましたので、割愛をさせていただきたいと思っております。
  私どもが持っております大きな目的を達成するためには、一番大きな問題は、心をどうやって育てるかということが一番大きな課題になっているわけであります。特に基本であります「ゆとりある生活」がないということで、心をなかなか育てていくことができていないのではないかと思うわけであります。非常に急いで結論を出したり、あるいはよく子どもたちの話を聞くとか、あるいは観察することが非常に少ないということで、子どもたちを本当に受けとめていないのではないか。大人の都合で、大人の考え方で、物事が進んでいないかということで、もう1回原点に返って、子どもが何を我々に訴えようとしているのか、もっと時間をかけて話を聞いて、よく観察をすることが大事ではないか。
  そのことが一番典型的にあらわれる場所が野外であると思います。野外の中で子どもたちが伸び伸びと仲間たちと楽しくやっていくという中で、大きな心の動きが始まり、自信とか、協力とか、勇気というものができていくのではないかと考えております。特に、“なぜ”“どうして”という感動する機会が少ない子どもたちには、自然の中で、自然の営みを体験させることが大事ではないか。
  それから、お父さんやお母さんを含めまして、挨拶のできない方が多いというということも感じます。私はやはり挨拶するということが、子どもの心にはすごく大事なことだと思います。子どもが親から、周りから、「ありがとう」とか、「ごめんなさい」という言葉を聞いていないから、子どもが言えないという現状もあるのではないかと考えております。基本としては、子どもを本当に受けとめるというような姿勢が足りないのではないかということを感じております。
  最後になりましたけれども、一人の子どもをそれぞれの分野、家庭、学校、地域という部分で支えなければならない段階のものが、今はある面においては少しバラバラではないかということで、我々はもう少し地域社会との連動、あるいは学校との連動、家庭との連動をしていかないと、心の成長には大きな力にはなっていかないのではないかと考えております。

○  スポーツ少年団も、ボーイスカウトも一生懸命やっておられる姿をお聞きいたしまして、ありがとうございました。
  幼稚園では、年長組になりますと、こういったところの説明や勧誘を一生懸命しておりますけれども、これを幼稚園だけではなくて、幼稚園、小学校、学校で協力することがいいのではないか、もっと協力しなければならんのかなと思ったわけであります。特にここ十数年来、自分中心の人が増えてきて、物心ついてくるとみんな出ていってしまったりする。やはりこれは今の教育のシステムの悪いところというか、問題点のところが出てきてしまっているような気がしてならないわけであります。ここも影響を受けている。子ども会にしても、同じように小さいときは入っているんですが、親の協力やお手伝いが大変になってくると出てしまったり、勉強が難しくなってくると出ていってしまったりして、今、地域によっては壊滅的になってきております。ぜひ学校教育の現場では協力していきたいと思います。御奮闘をお祈りいたします。

○  大変おもしろいお話をありがとうございました。恵美さんのほうに単純な質問がございますけれども、先ほど女の子たちのほうからの参加が少ないとおっしゃいましたが、その一つの理由が、女子に向いたスポーツがないとおっしゃいましたけれども、女性が参加できないスポーツというのはあるんですか。

◎恵美意見発表者    一言で申し上げますと、野球のようなものですとか、サッカーのようなものは、やはりまだまだ男性中心で動いておりますので。女子もぼつぼつ入ってはきておりますが、残念ながら女子を指導するための指導者が  ―やはり男性が多うございますので、女子に対してどう指導していいのか戸惑いを覚えているところがございます。その点でも、お母様方にどんどん入っていただいて、女子の指導をしていただきたいと思っているところでございます。

○  やはり女子の指導者が足りないということでしょうかね。

◎恵美意見発表者    例えば、先日もちょっとお話を伺ったんですが、女の子たちは新体操のようなものをやりたいと思いましても、地域にはそれを指導してくだされるような方がいらっしゃらない。女子特有のスポーツがなかなかスポーツ少年団の種目の中に入ってこないということがございます。あとは複合種目がもっともっと増えますと、女子も一緒に活動ができるのではないかと思っております。

○  ボーイスカウトの皆さんと一緒に私も随分活動させていただいたりしておりますが、さっき御指摘もあったような、学校とか、そういうところでの評価が、とてもまだはっきりしていないと思うんです。そういうことは子どもにとっていいということがわかっているんだから、学校、あるいは幼稚園などが評価していくことが重要だと思います。
  それから、一番心配なのは、行政とのかかわりといいますか、これは資金面にもかかわってきます。ボーイスカウトの方々は、いろんな行事があると、旗を持ったりなんかして、そういうときは使われるんだけれども、それ以外の協力は行政からもあまりやられていないみたいなことがあるので、資金面でどういう御苦労がおありになるのか、ちょっと聞かせていただきたいと思います。

◎杉原意見発表者    私どもの活動は、基本的には自分の活動については自分たちがお金を支弁してやるということが原則になっておりますので、多くはやはり地域で活動をしております。それ以外に、一部には宗教的な団体とか、私立学校とかが育成の資金を担っていただくことがございますけれども、基本的には子どもたちの御父兄とか、あるいは地域の有識者の資金的な援助という形で、この活動が行われております。
  今、お話がございましたように、行政によりましてはかなり御協力をいただいており、指導者養成のための経費について一部補助をいただくとか、会場については利用料を免除していただくとかというケースはございます。しかし、私どもの活動自身は自分たちのお金でやっていこうということで基本的には進めておりますので、経費的な面では参加する方々に負担がかかるという部分は否めないだろうと考えております。
  特に海外のスカウト活動を見ますと、寄附金というのが全体の収入の中での大きなウエイトを占めているんです。こういう活動に行政だけでなくて、一般の企業とか、若者の育成のために資金を出していただいているということもございますけれども、まだまだ日本の場合には、経費の8割ぐらいは自分たちが賄っているという特性があるということで、それぞれが苦労しているというのが基本でございます。
  指導者は全部ボランティアでございますから、手弁当で自分でお金を出してやっているということになりますので、そういう面でも、指導者の方には、肉体的にも、精神的にも、財政的にも御負担をかけているというのが現状でございます。

○  ありがとうございました。学校外の活動ということは理解できました。恵美さんのほうですが、中学校の外部の指導者ですね、これをお願いするときに非常にネックになっていますのは、技術的な指導はある程度専門的にスポーツをやっていれば可能なんですけれども、中学生という非常に難しいときですよね。生活面での面倒を見てくれる方が欲しいんですね。そういったことで、学校現場でも適切な指導者を手に入れるということで苦労しております。何か指導者養成ということでいいお知恵があればと思いまして。
  もう一つは、中学生の参加が少ない。これは私も実態としてとらえておりますけれども、どうなんですか。私どもでも野球とサッカーという地域スポーツがありますけれども、どうも親の方がチームのコーチ等に、まずか勝つこと、技能的なことをかなり要求しているようです。その点、コーチの方はこぼしていらっしゃいますが、そういったあたりも、何か御体験をお話しいただければと思います。

◎恵美意見発表者    一つ目の、技術指導をする人はいるけれども、心の指導といいましょうか、その面のサポーターがいないということでお話しくださいましたが、そのとおりだと思います。
  私どもは、そこを育成母集団のほうで、お母様方にお願いをしておりまして、大抵のところのスポーツ少年団は、お母様方がお当番で子どもたちの面倒を見るために出てきてくださっています。その方々は生活指導のほうを見てくださる。例えば、運動着の脱ぎ方、それから靴のそろえ方という細かいことから、あとは子どもたちがいざこざを起こしたようなときの仲裁役とか、そういうことで、ついてきてくださっているお当番のお母様方にそういう面の御指導を自然のうちにやっていただいております。つまり、母親といいますのは子どもを育ててまいりましたので、その辺のところはごく自然にできるのではないかと思います。
  それから、もう1点の、勝つことを要求する親。全くそのとおりで、先ほどもボーイスカウトの先生がおっしゃいましたように、私どもは今、子どもたちの指導よりも、親の指導のほうに力を入れなければいけないと実は思っております。スポーツ少年団も、スポーツを通して子どもたちに仲間意識を育てるとか、自分たちの自立する心を育てるという、そちらのほうに重点を置いてまいりましたんですが、どうしても単一種目になりますと、競技のほうに走りがちで、それを見ていらっしゃる親御さんのほうも、勝つ指導者がいい指導者だという評価をなさいますので、今、指導者は大変苦労しております。
  認定講習会、それから年の一、二回の研修会も持っておりますが、そのたびに、よい指導者とはどういう指導者かというお話をしておりまして、勝つ指導者じゃない、子どもたちが楽しく、また来ようという気持ちになっていけるような指導者がいい指導者なんだというようなことをお話ししておりますが、それを今は育成母集団の研修会にもそのテーマを持ってまいりまして、指導者の方に対する見方を変えていただこうとしているところでございます。

○  ボーイスカウト・スポーツ少年団でも全人格的な育成という息の長いことに対して、大人、親が気短になっていて、ゆっくり構えられなくなっている。年少期には、親も期待している。ところが、ある年齢になると、どんどん抜けていってしまうという。すべての人がとは言いませんが、青年期まで続けるという中で育つものが多いんだろうと思うんです。
  そこへ持っていくためには、親の意識の問題、家庭・学校・地域、行政も含めての連携が十分であるか、その認識が共通であるかと指摘されたと思います。どんなふうにすれば、そのことが期待できるんだろうか。お考えがありましたらお聞かせいただきたいと思います。

◎杉原意見発表者    大変難しい問題なんですが、実は高校生とか、大学生の年代の若者たちが自分で考えて、判断をして行動できるような活動を、我々がしてきたかどうかという実は反省点があるわけです。どちらかというと、指示的、いわゆる若者が受け身の形でこの活動に参加をしていなかったかどうか。基本的に若い時代、小学生とか、中学生の場合には、自分の興味とか楽しいことをするということを喜びとしていいと思います。ただ、これから先のスカウト運動を考えていく場合には、他人の喜びを自分の喜びとするような価値観を持つ若者をどうやったら育てられるのかということが課題だと思うんです。
  そういう部分の中で、これまでかなり細かいことを決めていたものを、若者たち自身が選んでプロジェクトを考えていく方向に変えようということで、自分が考えて判断をするというようなものを、今まではどちらかというと、枠を決めた中から選ばせていましたけれども、それをもっと広くしようではないかということで、今、私どものほうは、環境の問題とか、国際的な視野、あるいは地球社会の一員としてというところで、もう少し視野を広くして、自分たちが役立つことを喜びとするような視点を、高校生とか、大学生の年代までにどうやってやるかということが課題ではないかと考えています。

◎恵美意見発表者    スポーツ少年団のほうで申しますと、実はリーダーというものがございまして、これはシニアリーダー、ジュニアリーダーというのを養成しております。シニアリーダーは高校生から大学生ぐらいまでです。その人たちを上手に養成し、活動を場を与え、子どもたちの活動に結びつけていきたいというふうに考えております。
  ただいまリーダーが全国で5,000人で、17万人の指導者から比べますと大変少のうございますが、今、徐々に育ちつつありまして、上手に活動しているところは、今、ボーイスカウトの方がおっしゃいましたように、リーダー自身に団活動の計画を立てさせ、そして指導を任せる。指導者のほうはそれを傍らから見ていて、何かのときにアドバイスをする。そういう体制が整いつつある団もございますので、これをどんどん伸ばしていきたいと思っております。

○  先ごろ文部省で、保健体育審議会の答申を出されたのを拝見したんですが、あの中に、生涯を通じてスポーツを楽しむ、体を動かすことの大事さと同時に、地域の中でのリーダーといいますかね。今もお話が出ていました、そういう方の人材を得ることが大事だと書いてあったんですけれども、文部省のほうでそういうことをおっしゃるのは、スポーツ少年団などを念頭に置かれて書かれているのか。それ以外に、何か地域のリーダーを育成するというほかのプログラムもあるのかどうか。今のお二人の御説明と直接関係ないんですけれども、その辺のかかわりを教えていただけると参考になってありがたいんですが、いかがでしょうか。

◎恵美意見発表者    私、実は保体審のほうの生涯スポーツ特別委員会のほうに出させていただいておりまして、審議経過はずっと伺ってまいりましたが、特に私どものスポーツ少年団を念頭に置いてというわけではなかったと思いますが、そのほかにも、レクリエーションを中心とした地域のグループもございますので、スポーツ少年団とか、そういうところを念頭に置いてまとめられたのではないかと思っております。

○  ありがとうございました。先ほど、スポーツ少年団もボーイスカウトも、中学生ぐらいから参加が非常に少なくなるというお話をいただいたわけです。それぞれの課題の中に、中学校で行われている部活動へ子どもたちが参加しなければならない。そのため、やめることも非常に多くなっているということが挙げられています。今、部活動の自由加入制も幾分かは進んできているわけですが、まだ、全員加入制がかなり高い率で行われており、そのあたりに一つの問題があるのではないかと思います。そこで、中学校のこのような在り方に対して、御要望とか、御期待等ありましたら、御意見をいただきたいと思います。

◎杉原意見発表者    学校との関係というのは非常に難しいわけです。特に本人との話以上に、私のほうは実は親御さんとの関係のほうが難しいんです。子どもたちは、ざっくばらんに言いますと、続けたいと。しかし、これから進学をする場合には、クラブ活動とか何かをきちんとしていないと、なかなか評価が悪いというようなことを、やっぱり親御さんがおっしゃるんです。ですから、本人がやろうと思っても、そういうところについて、なかなか御理解いただけないと思うんです。これは我々のほうも力不足がございます。私どもは、そういう問題を持っている子どもたちが非常に多くなりましたので、個人個人に親御さんに話すしかないという部分に迫られてきているわけです。これはなかなかうまくはいかない部分のほうが多いんですけれども、言い続けなければならないと思っております。正直なところ、クラブ活動で抜けるというケースがほとんどと言っていいぐらいで、土曜日・日曜日ということは、我々の活動するときと全く同じときになりますので、ジュニアリーダーを育てようと思いましても、なかなかそこまでいかないというのが現実でございます。

◎恵美意見発表者    確かに、部活動で小学校で終わってしまう、中学へ行って部活動をするからというのが多うございます。
  ただ、ここから先は、私個人の意見でございますが、中学校へ行ってスポーツが楽しめるのであれば、私はそれはそれでいいのではないかと思っております。ずうっとスポーツを続けられて、また地域に帰ってきて、リーダーになり、指導者になってくれれば、私はそれですばらしいことだと思っております。
  ただ、部活で私が残念なのは、どうしても学校という単位になりますと、勝つことのほうに重点が置かれてしまいまして、あまりスポーツが得手でない子どもたちが、部活に名前は入っていても、実態は動いていない、もしくは寂しい思いをしながらその時間を過ごしているのではないかという懸念がございますので、私といたしましてはそっちのほうが心配になります。ただ、その子どもたちがスポーツ少年団のほうに帰ってきたいと思いましても、一応部活のメンバーになっておりますので、休むわけにいかない。そういう子どもたちをどう考えていくかというのが、これからの問題ではないかと思っております。

○  今のお話で、スポーツは確かにおっしゃるとおりですけれども、ボーイスカウトみたいなものは、完全に部活と干渉しちゃいますよね。ですから、スポーツができるからいいということにならないのではないかと、私は日本の社会を見ていて思っているんですけれどもね。
  都会で加入率が非常に減っているということで、現在、プロジェクトを展開中だとおっしゃったんですが、日本の場合には、都会で幾ら頑張っても、場所がありませんよね。その辺はどういうふうにお考えになっているんでしょうか。殊にヨーロッパの社会と比べると、決定的に違うのはそこだと思うんですが。

◎恵美意見発表者    おっしゃるとおりだと思います。場所がない。特に屋内でやらなければいけないスポーツ、屋内が活動の場になるスポーツは、大変やりにくいと思っております。しかし、一つは考え方ではないかという気がいたしまして、スポーツ少年団では、場所はそれぞれに合ったところで活用しましょうと。ですから、広場があって、そこが使えるのであれば、そこで活動もできる。学校開放も進んでおりまして、校庭もかなり使えるようになっております。それよりも都会でスポーツが進まないのは、指導者ではないかと考えております。場所も確かにございますけれども。

○  もう一つ、ボーイスカウトはもちろん外国と共通性があるんですけれども、今のスポーツ少年団みたいなものは、外国の御事情をお調べになっておられますか。

◎恵美意見発表者    日本スポーツ少年団では、ドイツと交流を行っております。もう20何年になるかと思いますが、毎年、団員を交互に同じ数だけ派遣し合っておりますし、ただいまは中国、韓国とも交流活動を開始しております。

○  ドイツなんかは私は多少存じ上げているんですが、ドイツでの活動の現状と日本の状況を比べて、どういうふうにお考えになるかということをお伺いしたかったんですが。

◎恵美意見発表者    理想はドイツのスポーツ・ユーゲントのような組織だと思います。日本の場合には、先ほど申し上げましたように、どうしても小学生中心で、地域の小さい方からお年寄りの方までが一緒に活動するというふうにはまだなっておりませんので、将来的にはスポーツ・ユーゲントのように、地域の方たちが年齢を超えて活動できる、それを日本スポーツ少年団でも目指しております。

○  本日は、どうもお忙しいところをありがとうございました。
  それでは、引き続きまして、次の発表者のお二方を御紹介申し上げます。佐藤初雄様と天野秀昭様であります。
  佐藤様は、子どもを対象に自然体験プログラムを提供する民間団体「国際自然大学校」の校長先生でいらっしゃいます。また、そうした活動を行う団体や指導者等のネットワーク組織であります「日本アウトドアネットワーク」の事務局長もお務めでございます。
  また、天野様は、世田谷ボランティア協会の職員であり、子どもたちの自由を尊重した遊び場である「プレーパーク」におけるプレーリーダーとして、子どもたちのさまざまな活動を支援する取り組みを実践していらっしゃいます。
  本日は、お二人のお立場や御経験をお踏まえいただきまして、佐藤様からは「民間の自然体験活動の現状と課題」につきまして、天野様からは「野外での遊びの現状と課題」についてお話しいただきたいと思います。
  それでは、佐藤様、天野様の順番で、御意見をお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

◎佐藤意見発表者    国際自然大学校の佐藤と申します。
  お手元のほうの資料では9ページになっております。そちらのほうを御覧いただければと思います。
  まず、民間団体における自然体験活動の現状ということでございますけれども、別の資料、資料3のほうの2ページ、そして4ページのところにも、私どもの関連する記述が多少ございますので、そちらのほうも御参照いただければと思います。
  国際自然大学校というのは民間の小さな団体でございまして、1983年に設立されました。目的は、アウトフィッターの育成ということで、「人間や自然とのかかわりの中で、前向きに人生を生きている人」の育成を目的にし、設立されました。主に「育む」、そして「挑む」というようなことをキーワードに、自然体験活動を行っております。
  現在、常勤スタッフが13名、そして学生あるいは社会人スタッフが約40名、さらに年間にはおよそ2万5,000名の参加者を得て、事業を行っております。
  対象は、幼児から一般社会人までを対象にしておりますが、活動のおよそ6割が小・中学生を対象にしております。
  主な事業といたしましては、「子供体験教室」。これは月に1回程度の土曜日・日曜日を使いまして、郊外におきまして自然体験を実施しております。長期休暇にはキャンプなどを実施し、年間を通じた形での自然体験プログラムを提供しております。もちろんこれに関しましては有料で行っております。
  そして、大人のほうでは「アウトフィッターコース」、そして「リフレッシュコース」等々の自然体験活動を提供しております。
  さらに、3番目といたしましては、指導者の育成ということで、主に学生さん、あるいは社会人スタッフ等々、40名近い方々の知識や技術の向上のためのコースも実施しております。
  そして、受託事業といたしましては、千代田区、あるいは板橋区、文京区等々からの委託を受けまして、千代田区におきましては小・中学生90名、板橋区におきましては中学生が40名、そして文京区におきましては小・中学生が60名ということで、これも基本的には月1回の自然体験活動、そして長期休暇にはキャンプなどの通年活動を実施しております。
  その中の「あしなが育英会キャンプ」は、いわゆる阪神大震災のときの遺児の子どもたちを連れた4泊5日のキャンプを実施しております。
  さらに、小・中学校の自然教室等々、約40校近い学校の指導のお手伝い等も行っております。
  次に、全国的なネットワークということで、私どものような団体が、ここ5年ほどの中で急速に伸びてまいりまして、現在は約110名、そしておよそ90団体の北は北海道、西は西表までの、私どものような民間の団体が生まれまして、それをネットワークする形で、「日本アウトドアネットワーク」という全国ネットワークを発足させております。
  そして、これらに関連するような全国フォーラムとして、例えば社団法人日本環境教育フォーラム、これは環境庁の自然保護局の所管による団体でございますが、自然体験活動を推進するような提言や指導者養成等々をしている団体でございます。
  野外教育全国フォーラムにつきましては、文部省のほうの主催で行われたもので、民間と行政という形での全国フォーラムが、ことし初めて開催されました。
  さらに、自然活動ネットワークということで、野鳥の会、自然保護協会、森林インストラクター、日本キャンプ協会、日本オートキャンプ協会、ユースホステル協会、歩け歩け協会等々、14団体が参加をいたしまして、全国的な展開をしているネットワークの団体が同じテーブルに着いて、自然保護教育あるいは自然教育、野外活動等々の推進について協議を始めたところでございます。
  さらに、海外では、ここにございますような、第4回の国際キャンプ会議、あるいは第25回国際会議が行われております。一つは、「International Camping Fellowship」というネットワークの中で、ことし9月に700名ほどの参加を得まして、ロシアで開催されました。それから、「Association for Experiential Education」、経験教育という協会がアメリカにございまして、つい先ごろ、11月に1,750名、27ヵ国の参加を得て、こういった団体の世界的なネットワークの活動もございます。
  続きまして、自然体験活動の意義でございますけれども、まずこうした活動は、総合的な教育であろうということが考えられます。右の図のように、多様な価値観、あるいは他者とのかかわり、あるいは自然環境とのかかわり、こうした双方向のかかわりを見詰めることが大事ではなかろうか。その中でも発達段階に応じた「in」「about」「for」という、特に「in」ということでは、自然の中へ入り込むことがもともと大事なんである。そういう機会が非常に失われているのが昨今の状況ではなかろうかと思いますが、こういったところを私どもの民間の事業者が提供させていただいているということでございます。中でも内なる自然、そして外なる自然との調和、こうしたところが一つの切り口ではなかろうかというふうにも考えております。
  先ほど来の議論の中にもございますように、子どもが今、こうした時間が取れなくなっているということが現状であると思われますが、そういう中で考えますと、期待される効果の中では、とにかく自然の中へ行って、ゆとりを感じ、リラックスをし、安らぎ、癒し、こうしたことの時間をまずは持つことが一番大事であろうと思われます。
  3番目の民間団体における自然体験活動の課題でございますけれども、まずは指導者の不足ということで、これにつきましては、4番目の「より大きな視点での課題」というところの「(2)  」にありますように、高等教育機関におけるこの分野の人材養成コースが、日本にはまだありません。そういうことから、ぜひとも高等教育機関の中で人材養成もされるようになれば、指導者の不足ということに関しても少しは課題が解決されるのではなかろうかと考えております。
  それから、効果的なプログラムを実施できる場の不足ということですけれども、これにつきましては、全国に少年自然の家等々のたくさんの施設はございますけれども、規制が多いため、私ども民間事業者が使えるような状況にまだまだなり得ていないのかなと思われます。
  さらに、5番目でございますけれども、非日常的な体験を日常化させるための支援が不足ということでございますが、これは4番の「(3) 」にございますように、民間、地域、学校、行政との連携が不足ということでございます。こういったことの連携がもしできるならば、私どものような非日常的な体験を日常化させるための一つの役割を期待できるのではなかろうかというふうにも考えております。
  その下にあります、大きな視点での課題でございますが、特にこの分野の調査研究が不足しているということでございますけれども、この中では、最近、日本環境教育学会、あるいは日本野外教育学会等の新しい学会も設立されまして、今後はこうしたところの学会に研究成果を期待していきたいと考えております。

◎天野意見発表者    天野です。とにかく結論から先にお話をしていけたらと思います。
  書いてあることは、お目通しいただくような形で、省いていくようにしまして、「プレーパーク」というのは子どもの遊び場なんですけれども、「自分の責任で自由に遊ぶ」というモットーを立てて、一切の禁止事項を解除した遊び場です。通常の遊び場にあるような業者がつくったような遊具だとか、おもちゃのたぐいは一切置いていません。すべてが手づくりで行われている遊び場で、素材になっているのは、土とか、火とか、水とか、木とか、あと工作をしたりとか、そんなようなところです。
  運営の形は、話していると長くなってしまうんですが、特徴的なのは地域住民が運営をしているということと、プレーリーダーという大人がいるということです。このプレーリーダーについてあまり書いていませんので、一言お話ししたいと思います。
  「プレーリーダー」と言うと、直訳すると「遊びの指導者」みたいな言い方になるんですけれども、実はこれはイギリスのほうから輸入するときにこの言葉を直接輸入してしまったので、そういう言い方になっているんですが、僕たちは活動を続ければ続けるほどに、子どもの遊びの世界に大人の指導者は不要だという感じを強く持っています。むしろ大人がいることで、大人が指導者になってしまうと、遊びの世界の中では困ったことは起きても、なかなかいいことは起こらない。どうしてかというと、子どもの遊びには大人が最後までついていけないことがたくさんあるんですね。
  例を挙げると、トンボの羽むしりとか、そういうのを僕らが子どもと一緒にむしりながら楽しんでいられるかというと、これはなかなか危ないものがありまして、そういう遊びは一緒にはできないわけですね。大人がいることで、「そういうのはかわいそうだから、やめなさい」とか、そういうことを言ってしまうのであれば、むしろいないほうが増しなんですよ。
  こんなことがあったんです。世田谷のかなり大きなお寺で、世田谷の中でもカブトムシがとれるかなり珍しい場所があり、子どもがそこへ「カブトムシをとりに行こう」というふうに僕に誘いにきたわけです。昼間の開いている時間に行くのかと思ったら、そうではなくて、夜に仕掛けて、朝方とりにいくというんです。つまり、忍び込むわけなんです。大人としてはその誘いにはついていけないわけですね。子どものほうはよく知っていて、何時ごろには坊主がどの辺を掃除をしていて、和尚がどの辺にいるから、もし万一見つかったときには、墓石があそこにでかいのがあるから、あそこに隠れれば絶対つかまらないと言って、一生懸命説得をしてくれるんですが、万一のことを考えると僕は一緒に行かれないわけです。だから、その子どもに言ったのは、僕ができるのは寺の塀の外にいて、異変が起こったときには大声で叫ぶ、そのままおれは一気に駆け抜けるから、つかまってもプレーパークという名前と天野という名前を絶対出すなという話ぐらいしかできないんです。要するに、そこまでが限界なんですよね。
  例えば、子どもが寺に忍び込むということは、僕は、本来許される話だというふうに思っていて、大人がそれを差しとめてしまうのではなくて、大人が見て見ぬふりをするというか。例えば、大人が一緒に行ってしまうと犯罪になるわけだけれども、これが子どもだけでやったときには、見つかれば当然しかられますが、「コラッ」というようなところで、バチンと1回げんこでなぐられるかどうか、そのレベルで終わるわけですね。子どもには子どもでなければできない体験が実はたくさんあって、子ども時代を精いっぱい生きるということの中でしか身につかないことがたくさんあると思っています。これについては大人は関与ができないのです。そういう点では、子どもの心というのは、本質的な部分は子どもが自ら育てていくべきものであって、最後の最後まで大人が何とかしようとして何とかなるという話ではなくて、大人が何かをしようとすればするほど、子どもの心はスポイルされていくのではないかと思っています。それは指を食わえて見ていればいいという話ではないんですが。
  今の子どもの状況を見ていると、さっきから時間の話がたくさん出ているんですが、本当にそのとおりです。プレーパークに来る子どもたちも、「今、何時」とか、「何時になったら教えて」とかっていうのがあたりまえですね。塾とか、習い事がいっぱいあるわけです。僕らは絶対教えてやらないんです。その塾とか、習い事が何のためにやられているかというと、よくよく見ると、やっぱりそれはみんな子どもを評価することにつながっていく時間帯なんですね。お金をかけて親も行かせているし、そこから成果を求めるわけです。何を得てきたか、何を学んできたか。やる側のほうもそういう評価をもちろん考えるわけですよね。その時間がいかに有効に使われたかということを最終的に評価していくわけです。
  子どもというのは、大人たちから嫌われたくないですからね。親からは愛されたいし、教師からも目をかけられたいし、こんなのはあたりまえの話なんだけれども、そういうことで、子どものほうは一生懸命大人が喜ぶことをやろうとするわけです。だけど、大人の側は子どもをどういう目で見ているかというと、常に評価の対象として見ているわけです。子どものほうは大人に評価される子ども像というのを自分の中にかなり小さいときからつくり上げていく。
  今、子どもたちを見ていてすごく気になるのは、他人が自分をどう見ているかということをすごく気にするわけです。評価というのをとても気にするわけです。やっぱり僕は〈これは違うな〉という感じを受けていているんです。
  例えば、遊び場なんかですごくおもしろい遊び方をする子どもがいるんだけれども、どちらかというと、往々にしておもしろい遊び方をするやつというのは、学校的には評価が悪いんですね。あるときもそういうような遊びをしてて、いろんな子どもがそこに寄ってきたときに、その子と同じクラスの、たぶんよくできる子なんだと思うんだけれども、その子がそいつを指して、「この間も、算数のときにね、零点とったんだ」という話を遊び場の中でしだすわけです。
  子どもが同じクラスの子どもを点数によって評価をするというのは一体どういうことだと、僕は非常に疑問に思ったというか、腹立たしく思った。だから、言われた側に向かって、「おまえ、あんなこと言わしておいていいのか」と言ったらば、「ほんとだからしょうがない」って意気消沈してしまうわけですね。それは本当だというふうに思って僕も言っているわけだけれども、子どもが子どもを評価する、そんなことが一体どういう意味合いがあるのか。ましてや遊び場ですからね。そういうような言い方をされる筋合いは全くないはずなのに、そういう評価が子ども同士の間でも起こってくる。
  でも、残念ながらよく考えてみると、子どもを評価しているのは常に大人なわけですよ。だから、子どもがそういう価値観を自分の中にすり込んで、そのことで同じ子どもを測ろうとするというのは、これはしょうがないことかなと感じます。
  だから、そういうことをなるべく取っ払って、自分たちの主観で何が大事なのか。何を本当に自分はやりたいのかということを、子どもがそれぞれの中にきちんと持てるようにしていかないといけないのではないか。それはもっともっと遊び込んでいくことで  ―評価のために時間を削られている子どもは自分を見失うというか、それはあたりまえというか、何をやりたいかを見失うというのは本当にそのとおりだと僕は思っています。そういうことを早いうちからやらせるような状況がどんどん出てきているので、僕は小学生の間は、学校は午前中だけで十分だと思っているほうなので、むしろそれよりも、子どもが子ども自身であれる時間をもっともっと長くとらないといけない。自分であれる時間というのは、だれからも時間の使い方を指定されない、制約されない。要するにその時間帯は自分が自由に使えるというね。まさに自分自身であれる時間。その時間の確保こそ、ものすごく重要だと思っています。
  もちろんそれだけで子どもの状況というか、遊びが、残念ながら今の子どもたちを見ている限り、すぐに回復するわけではないので、そこにどういう大人が加わって  ―子ども時代を許してくれる大人ですよね。子どもを監視する大人がいたのでは話にならないですから、そういうことを共有してもらえるような大人がいて。子どもが本当に好きなことをやり始めると、大人というのは基本的には嫌がりますからね。子どものやりたいことをやらせまいとする社会の力から、時には子どもを守っていったり、時にはぶつかっていったりとか、そういうふうにしていく大人の存在がすごく重要なのではないかと感じています。

○  どうも貴重なお話をいただきありがとうございました。私も学校というところに勤務している中で、子どもたちの時間というものを大事にしたいと思う反面、またコントロールせざるを得ない立場もあります。
  天野さんにお伺いしたいんですけれども、自分の責任で遊ぶ、事故は自分の責任だということが、この世田谷のプレーパークでは徹底しているかなと思うんですけれども、仮にそういう事故が起きたときに、周りの方々、あるいは保護者がどういうリアクションを起こすのか。学校では校内で何か事故があったときに非常に過敏にならざるを得ない。いわゆる施設に瑕疵があった、ちょっと変だったからということをかなり訴えられる状況もあります。それから、佐藤さんの場合には、ある程度保険などもおかけになっていらっしゃるのかなとも思うんですけれども、そういう事故に対する対応、また保護者の意識はどのように……。特に世田谷の場合は、改善されているところもあわせて伺えればと思います。

◎天野意見発表者    一つ、先にお断りしておいたほうがいいと思うのは、自分がやりたいことをやったことで自分自身が負うべき責任と、あと賠償責任に類する社会的なシステムの問題とははっきり違うというふうに僕は受けとめているんです。このことを混同してしまうことで、子どもの責任を奪っているというか、子どもが自分自身でやりたいことをやって自己責任を負っていくというチャンスを奪っているんですよね。大人の側は賠償責任を怖がってやらせないという形でとるけれども、基本的には全く異質のものだと考えています。
  プレーパークでは、自分自身がやりたいことをやって構わないけれども、当然そこからついて回ってくる自分に対する責任があると、そのことを言っているんです。賠償責任の問題は大人社会の話ですから、子どもに関係する話ではないと僕は思っているんです。だから、大人社会の中でこじれる話があれば、それは大人社会の中でどうやって解決するかということを考えていけばいいんだけれども、そこに子どもを巻き込んではならないというふうには思っているんです。
  ただ、現状をいえば、自分の責任で自由に遊ぶというプレーパークの考え方は、地域の中にはかなり受け入れられてきております。ですから、事故が起こって、その子どもを医者に連れていったり、手当てをもちろんするわけですが、そういうことをすると、今はほとんどの場合は、逆に菓子折りを持ってきて感謝をされるというような形になってきています。

◎佐藤意見発表者    私たちは民間の事業として行っておりますので、その辺、非常にシビアに考えております。ただし、今、天野さんが言われたように、私どもも自然の中へ行くわけですから、不可抗力的なことが起こり得る。こういうことに関しては、ある意味では短期的な、非日常的な体験ですので、まず私たちは親御さんと事前の説明会をきちんとさせていただいております。その中で、私たちはこういうスタッフで、こういう意図で、こういうプログラムを何日間やってきますと。そういうことで同意をいただけるようであれば、ぜひ参加をしていただきたい。こういうふうな保護者とのある種の契約をきちんと交わさせていただいて、基本的な私たちのスタンスとしては、天野さんが言われたような自己責任なんだよと。自然の中へ行って、もし枝や切り株があったときに、転ぶか転ばないかは自分の責任でやるんだよということを、子どもの前でもプログラムが始まる前にオリエンテーションとして説明をいたします。
  先ほど保険の話が出ましたが、私たちのネットワークのほうでも、このネットワークに加わるためには、必ず賠償責任と傷害保険、この二つの保険に加入をしてくださいということを一つのルールにしております。

○  今の質問ですが、恵美さん、事故が起こった場合、どういうふうに対処されていますか。同じケースだと思うんですが。

◎恵美意見発表者    日本スポーツ少年団は、全員、スポーツ安全保険に入っておりますし、指導者は賠償責任保険に加入しております。

○  非常に意味のあることをしておられて感心しておりますが、結局、これは心の問題に関係してくることなんですが、こういうことに日本人はもっとお金を使うようにならないとだめだと思っているんです。今、物を買うことばかりに金を使っているんですが。そういう意味で、経営基盤が脆弱であると書いておられるんですが、日本人がもっとこういうことを自覚すれば、こういうところにどんどんお金を使うのがあたりまえじゃないかというふうに考えると思うんです。そして、ここのリーダーというのは相当な人間でないとできないと思うんです。これは大変難しいことをしておられるんで、そういう人の待遇なんかも相当よい待遇でないとおかしい。大学の先生よりも難しいぐらいのことをやっておられると私は思います。そういう点をどういうふうにこれから改善しようとしておられるのか。
  それから、人材養成コースが日本にはないと書いていますが、外国にはあるんでしょうか。そういうことをちょっと知りたいと思います。
  それから、プレーパークのプレーリーダーの話ですね。これはそのとおりだと思います。結局は大人が何もしないでいるというのが一番大変なんですね。大人は何かするのが大好きで、すぐ余計なことをするわけです。私は似たようなことをやってるんですが、私の仕事の本質というのは「何もしないことに全力を挙げる商売」と言っているんですけれども、プレーリーダーはまさにそれで。しかし、そういうことができるためには相当な訓練を受けてないといけない。そうすると、その人の待遇も本当はもっと高くないといけないというんで、経営のことをもっと書いていってほしいなと思うんですが、その辺の見通しとか、それからリーダーの養成コースの外国の状況とか、その辺をお願いいたします。

◎佐藤意見発表者    まず経営のことでございますけれども、これは非常に脆弱でございまして、私どものような13人というのは、一般的に言えば非常に小さいんですが、この分野におきましては大企業になっております。ただ、その待遇はというふうになりますと、みんな仙人のような生活を強要されております。ただ、大事であるということは、ある種の社会的な使命感の中で何とか今までやってきておりますけれども、おっしゃられるとおりの状況であります。
  今後の方向性としては、一つは、大手の企業が社会貢献とか、あるいはこれからその企業の在り方の中でこういう活動を支えていくという、フィランソロピー的な視野で私たちのような団体を支えてくれるような方法も一つはあろうかと思っております。
  もう一つ、私どもの多くの団体は、参加者から負担を求めますと非常に高額になってしますので、行政にそれを支援していただいているのが実情でございます。でき得るならば、こういう御時世ですから、いつまでも行政や企業に頼るのではなくて、受益者負担ということでの在り方が理想であろうと考えますが、その辺はこれから私たちの運動の展開の仕方にもよるのではなかろうかと考えております。
  それから、人材養成コースのことでございますけれども、これにつきましては、海外、特にアメリカにおきましては、今、数字が手元にないんですけれども、各大学に養成コースがございます。これはアンダーとマスターのコース、それからドクターのコースが、40から50を超える大学に設置がされております。
  また、民間団体の人材養成につきましても、さきにもちょっと触れましたキャンプ関係のほうのインターナショナル・キャンピング・フェローシップ、あるいはエクスペリエンシャル・エデュケーションのような団体のところでも、指導者養成コースと称して人材育成を行っておるのが実情でございます。残念ながら、我が国におきましてはやっとその緒についたところではないかと私は感じております。

◎天野意見発表者    プレーパークは世田谷区の事業に一応なっています。ただ、運営は住民たちが責任を持って行っていますので、運営の内容には世田谷区は一切の口をはさんできません。ただ、予算面もそちらのほうで基本的に措置していただいているんですが、それだけでは全然足りなくて、全体を100とすれば、70ぐらいが区からのお金で、30ぐらいは住民たちが自分たちが稼いでいます。そのお金を住民たちが一生懸命稼いでいるということですね。
  プレーリーダーの養成についてなんですが、ヨーロッパのほうには専門のコースがあります。ですが、向こうのプレーリーダー養成コースを見ていると、例えばドラマであるとか、音楽であるとか、要するに点数として評価できないものを、学生たちがいろいろな形で表現していくことを、その担当の教員が徹底的にやり合っているんですね。点数で評価をするのではなくて、そのプロセスをどう考えるかを評価するし、何のためにあなたはこれをやっているのかということを評価する。そういうことから、何がやりたくて君はこれをやっているのかというあたりのことを、みんなに投げ返していく。あなたのやりたいと思っていることと、社会の課題とどういうふうに結びついているのかというところをまた評価していく。これは学生とのやりとりの中で進行していくような状況で向こうは養成されているので、日本のように点数でしか評価をしないような状況とはおよそ現実が違うというところがあると思います。
  では、日本の場合はどうかというと、当然、そうようなプログラムは全然なくて、プレーリーダーも全くのど素人を採用しまして、とにかく子どもに鍛えてもらう。現場でとにかくひたすら鍛えてもらうということで、たたき上げるというやり方をとっています。

○  私も同じような関心を持ちまして。実は、千葉大の教育学部で、平成11年度の概算要求で青少年教育コースを設けるんでございます。そこで、怖いなと思っていることは、教員養成のありようと青少年指導者の養成の在り方を変えなきいけないと思っています。そこで、先ほどの天野さんの意見が非常に参考になりまして、佐藤さん、もし教育学部で青少年教育コースの人材育成をする場合に、どういうところに配慮したらよろしいでしょうかということなんです。言うならば、教員と青少年指導者の違いを  ―共通点は多いと思うんです。多いんだけれども、違いはここなんだということを、もし実践をしながら要望がございましたらお願いいたします。

◎佐藤意見発表者    その分野におきましては、私、専門ではございませんので、正直言って、具体的に答えるのが難しいんですけれども、学校の先生というのはやはり一つの規制というんですか、枠があると思いますので、その中でできることというのがあるのではなかろうかと思います。むしろ民間のほうの、いわゆる青少年教育という視点で考える場合には、逆にその枠がなくなるので、基本的にはかなり自由にできる部分もあるかなとは思います。
  ただ、どうでしょうか。心の問題というところに視点を置いたときに、私たちは遊びとか、野外活動、自然体験をさせる人間でありますけれども、それ以上に子どもたち、あるいは対象となる人たちのとらえ方というんですかね、そこの勉強をしっかりとする必要があるかなと。当然、技術的なこともたくさん、安全管理とか、特に自然の中に出た場合にはあるんですけれども、それはオン・ザ・ジョブ・トレーニングで何とかなっていく部分がある。それよりも、大学という中においては、ぜひともそのとらえ方みたいなところを、教員あるいは青少年教育にかかわる方々にも  ―どういう授業科目になるかわかりませんけれども  ―そこのあたりはしっかりとしていただけたらありがたいと思います。

○  今、言われたことを私なりに考えますと、「教員」というと、どうしても「教員」ですから、「教える」ほうが好きなんです。「教育」は「育」のほうがありまして、先生が「教える」のではなくて、子どもが「育つ」。だから、子どもが「育つ」ほうに重点を置くというふうに考えられたら、すごくわかると思うんです。どうしても日本人は「教える」のが好きな人が多過ぎて。私はだから言ってるんです、「教師」という言葉があるけれども、「育師」という言葉がないと。しかし、お二人がやっておられるのは「育師」のほうをやっておられる。「育師」になる人をどう教育するかというのがまた問題なんですけれども、そういうふうに考えたらいいと思います。

○  今の問題なんですけれども、幼稚園の場合も、「何々遊び」とか、「何ごっこ」とか、先生と一緒に遊ぶんです。それが終わると、子どもが「先生、遊びに行ってもいい」って、こう言うんですね。そこで、そういう教師というのが幼稚園では最も忌み嫌われて、そういう教師であってはいけないということで、子どものあるがままとか、子どもの意欲だとか、子どもの主体性を大事にしてやりなさいと言われているので、教員免許の中では、今のお話の「育師」に近い部分があるわけなんです。
  しかし、やはりけがが怖いんですね。先ほど、菓子折りを持って親がお礼に来ると言われましたけれども、私のほうは菓子折りと金一封を持って謝りに行くわけです。そういう差があります。
  特に、自分の責任で自由に遊ぶ。子ども時代を精いっぱい生きる。これは大変すばらしい。私が小学生だった戦前は確かにそうだったんですけれども、これは命がけです。というのは、近所の畑に砂利穴があって、その砂利穴で遊ぶんですが、実は雨水がたまってて、僕の友達が2人なくなりました。命がけなんです。ですから、これは行政のほうではたぶんハラハラしてるんじゃないかと思うので、行政から何か言われているかどうかということをお聞きしたいわけであります。
  それから、指導者というのは、幼稚園では教員がいるんですが、真の指導者は子どもの邪魔をしないというふうに、幼稚園の免許の課程では教えられております。ですから、真の指導者は子どもの邪魔をしないというところを、小・中・高の先生がもう少し理解すればこれは解決するのではないか。口で言うのは簡単ですが、実際にはそうもいかない部分があると思います。またいつも言っているように、幼稚園の教育要領をちょっと見ると、何か解決のヒントがあるのではなかろうかと思って、あえて発言させていただきました。

◎天野意見発表者    おっしゃるとおりだと思います。行政は、とんでもないことを始めたというふうに思っていると思います。これはもともとが住民運動だったんですね。それを1979年の国際児童年のときに、たまたま世田谷の行政の中に、その住民の動きに対してバックアップをしようというふうに腹を決めた役人がいたということがきっかけになって、誕生していったんです。
  ただ、非常にハラハラはしていると思いますが、今、世田谷ボランティア協会というところにプレーパーク事業というのが委託になっていて、区の直轄ではなくなっているわけです。ですから、ボランティア協会のバックアップが一つあるということと、もう一つは住民の側の大きな実績なんですが、過去に一度も役所に責任を問わせたことがないんですね。今、「羽根木プレーパーク」が始まって19年目になります。一番新しい、三つ目の「はらっぱ」というところが10年たつんですが、今まで起こったことの中で、一度も行政の側にそういうのを持っていったことがない。やはり全部住民たちの手で解決してきたというのが非常に大きな実績になっていると思います。

◎佐藤意見発表者    私どものほうも行政からの委託業務として、受託をさせていただいておりますが、正直言って、担当者は常に切腹覚悟という感じの状況があるかもしれません。ただ、私どもはこういう分野で15年やっておりますので、専門家である。その専門の集団であるということが一つあると思います。役所との契約というのは、現場における責任はすべて私どもが取りますという項目になっているんです。その責任については一応そういうふうにはなっているんですが、最終的に主催者がどこかということになれば、最終的な責任を問われるのは行政のほうが問われていくわけなんですが。そういう契約状況はともかくとしても、先ほども言いましたように、特に親御さんとの関係をきちんとつくるということがとても大事であろうと感じております。
  2点目のことで、ちょっと触れておきたいんですけれども、アメリカのほうのエクスペリエンシャル・エデュケーションについては25年の歴史がありまして、いわゆる経験教育ということの学校の先生もたくさんいらっしゃるんですけれども、その進め方について、一つの考え方とやり方を実践しているところがあります。そういうことをぜひ大学の先生、あるいは大学が教員養成、人材養成をする際に、一つの考え方としてこれを取り入れていただいたらいいのではないかと考えております。これはまた別な形で報告書もできると思いますので、ぜひまた御覧いただければと思います。

○  大変おもしろいお話をありがとうございました。私も羽根木のそばに住んでますから、よく拝見をしてましてね。あそこは散歩コースなんでして、よく見てます。どうもありがとうございます。
  一つ、中教審の立場を申し上げておくと、中教審は極めて強く子どもたちに遊ぶ時間を持たせるべきだということを主張しておりますので、この点は御了解いただきたい。決して勉強一辺倒ではございませんので。
  そこで、特に週5日制をいよいよ2003年から行うわけでして、そうすると、ますます子どもたちが遊んでくれるだろうということを我々は願っているわけです。そのときに親御さんたちがみんな塾に行かせるなんていうことになると困ると思っていますので、ぜひぜひ御活躍をいただきたいと思います。
  そこで、二、三、私も質問を申し上げたいんですが、今申しましたように、特に小学校以前の子どもたちとか、小学校の初年級という子どもたちに対しては徹底的に遊ばせてやりたいというのが中教審の考えなのですが、親御さんたちがどうも勉強させたいという、これをどうしたらいいのか。これが第1点。
  しかし、遊ばせながらも、家庭でやるか、どこかでしつけということはやっていかなければいけない。社会で生きていくための一番基本的なしつけをどこでやるか。私たちは、家庭でやれということを盛んに中教審では言っているんですが、社会にもお願いしなければいけない。その辺を遊びと絡ませてどこがやればいいか。これが2番目であります。
  3番目には、私自身の経験から、せめて一生に1ヵ月ぐらいはどこかキャンプみたいなところで、できる限り自炊に近いような生活をやらせたほうがいいと思っているんですが、こういうことに関してはどうお考えでいらっしゃるか、この3点についてお伺いいたしたいと思いました。

◎佐藤意見発表者    すごい御質問をいただきまして、これは私も具体的に即お答えできるかというのは自信がないんですけれども、個人的な考え方の中で、どうしたらいいかというところに関しましては、親御さんがどうしてそういうことを考えるのかなというのは、やっぱりいい生活をさせてあげたい。つまり、いい会社に就職させることが究極の目的のために、塾にやらせ、いい学校に行かせるというのが、どうも根底にあるのではないかと思うんです。ただ、昨今の世の中の状況を見ていると、これから必ずしもいい学校を出たからいいところに行って、いい生活ができるとは限らなくなっていくだろう。私は強くその辺は信じているんですけれども、親御さんに対して、「これからどうなんでしょうね。いい大学に行くことが、あるいはいい企業だけが、本当にいい生活ができることになるんでしょうか」というような、一つの価値観みたいなことをぜひ理解をしていただくような運動みたいなことが必要なのかなと考えております。
  2番目のしつけについてですけれども、当然、家庭の中でやるべきであるというのは、よく言われますようにお父さんが  ―私自身もこういうことを言いながら、ほとんど家におりません。3人も子どもがいて、人の子どもの面倒はよく見ているんですけれども、自分の子どもをキャンプに連れていったことがあるかと聞かれますと、15年間やっていますが、まだ1回もないんですね。そういうことを考えると、まずお父さんがきちんと家庭の中に戻るという考え方がもっともっと広まる必要がある。そのための仕組み、社会がきちんとならなければならないだろう。
  よくしつけの問題のところで、1ヵ月のキャンプというふうになるんですけれども、これまたアメリカでは、こういったキャンプというのは、ボーイスカウトとか、たくさんの活動がアメリカにはあるんですが、一番最初に連れていかれるのはお父さんに連れていかれるんです。いわゆる家族でキャンプ活動をして、向こうのフロンティアスピリッツとか、パイオニアスピリッツを伝えるのは、お父さんの役割なんだと。そういう役割を担えるような社会環境があるということは、すごくうらやましいなと思います。
  つまり、これは大きく言ってしまうと、みんな社会が悪いんだ、大人が悪いんだということになりかねないんですけれども、どうも私たちの一番底辺でやっている活動から見ても、その辺が変わってこないと、こういう形のものも評価されないのかなというふうな個人的な感想を持っております。

◎天野意見発表者    遊ばせてやりたいという希望を中教審の皆さんは持っていらっしゃるかもしれませんが、親はというか、基本的に大人は本気で子どもが遊ぶことを嫌がっているんです。要するに、大人が見ててニコニコできる遊びの範疇はいいんですよ。だけども、子どもがすごく遊びに悪乗りしてきたり、時には子どもの状況によっては、さっき言ったような残虐な遊びをやったりとか、反社会性を帯びていたり、非社会的な状況が起こったりということも、遊びの世界の中ではあるんですね。あとは子どもの世界というのは大人のような秩序はないですから、大人から見ると、何をどういうふうに見ていいのかわからないというか、混沌としているというか、だから、だんだん我慢がならなくなってくるんですよ。あとは社会全体が管理されていますから、例えば公園で子どもが基地をつくったときに、その基地をほうっておいてくれるかというと、決してそうではなくて、必ず苦情が入って、公園からそれを取り去るという形になっていくわけです。
  基本的に、大人というのは、子どもが自分の手の平で自由にしていてくれる分にはありがたいけれども、子どもが自ら本当に好きなことをやりだしたときには、非常に嫌がるものだというのが僕はベースとしてあると思っています。まず、そこをはっきり大人は自覚しないといけない。遊びの世界を見るのであれば、そのことが大事だなと思っているんです。
  親をどうしたらいいかということについては、親を遊びの主役に引きずり出すという以外に手がないような気がします。子どもに遊ばせるという発想があるからだめなんだと思うんです。遊びというのは大人にとっても実は楽しいもので、親が遊ぶというか、親が自ら生き生きと日々を過ごしていれば、子どもはそういう姿を見て、確実に遊び心を学んでいくというふうに思っているんですが、何かをさせよう、させようと常にしていることが、子どもにとってはいい迷惑だったりするんじゃないかと思っています。
  だから、プレーパークでは、本当に年齢層は、親もいっぱいいまして、最初は自分の子どもにくっついて歩いている親が、何回か来るうちに、次第に自分で楽しみを見つけて、子どもから目が離れるようになるんです。そうすると、親もその場所で生き生きしてくるし、子どもももっともっといろんなことがやれるという状況になってくるので、親自身が遊びの主役になれる体験があれば、随分いろいろなことが変わってくるのではないかと思います。
  しつけについては、子どもに何をしつけないといけないんですかね、という気持ちが実は僕はあるんです。本当に子どもがやってはならないということは、例えば命を傷つけてはならない、差別そのものがどういうことなのかということを考えなければならないとか、人としてやってはならないことというのは、たぶんそんなに数多くないと思っているんです。人としてやってはならないことというのは、大人だから子どもに教えるというよりも、人と人との間できちんと伝え合っていかなきゃいけないことだと思っていて、僕らプレーリーダーというのはだから、大人として子どもをしつける形でかかわっているのではなくて、自分が生きていく上で、このことは許せないということについては、ガンガン子どもともぶつかるわけですね。それはぶつからなければならないと思うんです。そういう点では、親もそうであっていいというふうに思うし、教師もそうであっていいと思うし、立場、立場で若干違うでしょうけれども、本当に子どもに伝えなければならないことは、そんなに多くはないと思っているんです。あと情報が非常に混沌としていますので、何をどうしつけるのかという具体的なことについては、難しいかなという気がしています。
  キャンプについては、全くおっしゃるとおりだと思っています。もっと生きるか死ぬかぐらいの体験をしてもいいなというふうに思っております。

○  何をしつけるかということについてむしろ逆に御質問があったけれども、やっぱり最低限のことはあると思うんですね。今おっしゃった命を大切にするとか、差別をしないとか、人に対していじめをしないというふうなことがありますね。ですけども、子どもたちに勝手に遊ばせておくと、いじめが必ず起こる。これはどういうふうになさいますか。ほっておいて、お互いにいじめっ子同士がけんかをしても許すのか、それともそこのところは適当な指導をするのか、その辺はどうしておられますか。

◎天野意見発表者    いじめの関係というのは、プレーパークに関して言えば、確実に学校から引き継がれてきているものです。ですから、プレーパークの中でのいじめというのは、基本的には見たことがないというか、そういう意味では。要するに、意地悪というのはあるんですよ。遊びの中ですから、意地悪みたいなことはしょっちゅう起こるんですね。ただ、常に関係が固定しているとか、常に一対幾つかの人数でやられているとか、そういうような関係というのは、大体学校から引きずられてきます。
  ですけれど、遊び場の中では、同じクラスの子どもとだけ遊んでいる必要なんか全然ないですから。僕たちの遊び場には学校も何校からも来ているし、学年もめちゃめちゃですので、いじめられている子どもというのは、ほかのところの子どもとくっついていけるんですね。ですから、関係を固定させることがないという点で、一つは救われているのと、あといじめそのものが、これはめったにないんですが、頻繁に遊び場の中で繰り返されるような場面では、僕たちもいじめている側に対して腹を立てます。子どもに対して「どういうことだ」ということをちゃんと言います。

○  佐藤さんにお尋ねするんですが、いただいた資料の10ページの「3」の「(5) 」に「非日常的な体験を日常化させるための支援が不足」と書いてありますが、これをもうちょっと具体的に。どういうたぐいの非日常的な経験をどうすれば日常化というふうにあなたはとらえられておられるのか、その辺、御説明いただきたいと思います。
  天野さんですが、有意義な過ごし方なんていうのは、大人が勝手に考える話だと。中教審の答申等を見ても、「有意義な」という言葉が多く使われているわけです。そういう意味では、おっしゃられる意味が何となくわかるような気がするところが多いんですけれども、何か御感想でもあれば聞かせてほしいと思います。

◎佐藤意見発表者    私のほうの資料で、ちょっと説明が飛んでしまっているんですけれども、非日常的な体験というのは、先ほども言いましたように、日常とは切り離された中、特に自然の中へ行ったときには非常にリラックスしたり、ある意味では親の目から逃れられる、学校の目から逃れられたところで、その子らしい姿が見やすいのが、実はキャンプなんかの生活なんです。先ほどいじめの問題もありましたけれども、実は私たちのキャンプの中でもいじめがあります。ただ、そのいじめがあったときに、その場での対応でしかなくなってしまうんです。つまり、キャンプのようなものは期間が限られておりますから、その期間の中でのおつき合いしかされていない現状があります。
  そこで、私たちが一つ考え出したのが、年間を通じてつき合っていこう、せめても年間でつき合っていこうよというところからの活動で、毎月1回ですけれども、通年活動にしていった経緯があるんです。ただ、それでも家庭との連絡というんですかね。それから、もし許されるならば、そういうことがあったよということを、ぜひ学校の先生にも伝えるような機会があったらいいなということを感じております。その辺、キャンプでこういうことがあったんですよということを、御家庭とか、あるいは学校、あるいはその地域社会のスポーツ団やなんかに所属している人たちと連絡が取れるような仕組みがないものですから。そんなのは単に連絡を取り合ってやればいいじゃないかということだとは思うんですけれども、その辺の体験を日常の生活の中に生かしてもらえるような……。
  どうしても子どもだけですと、せっかく非日常的な体験をして、ある意味では子どもにとってもすごくよかったなと思えることがあっても、「ただいま」と帰った途端に、日常の顔に変わっていくんですね。その辺のところを何かできないだろうかということで、ジレンマに陥っているというのが正直なところでございます。

◎天野意見発表者    有意義ということなんですけれども、メモのほうにも書いたんですが、だれにとって有意義かということですよね。それがどういうふうに語られているのかというのが、いつも僕は心配になるんですね。大概の場合には大人にとって有意義というか、大人が「こういう時間の使い方をしてくれて、うちの子は本当に優秀だわ」と思える感動を味わいたいというか、そういう感じではないかと思うんですよ。それは違うなという気はします。その子にとって有意義なということは千差万別ですから、どういう使い方をしたら有意義なのかということは全然わからないわけですよね。その何をもってして有意義かと言っているのかが、僕にはいつもわからないんですね。そこら辺が文章になってワッと出てきちゃうと、特に影響が大きいですから、疑問がいつも残るということです。

○  大変大事なお話をいろいろありがとうございました。一ころ、マスコミが言い出したんですけれども、子どもの骨折がこのごろ増えているということから、子どもの体がおかしいんじゃないかという言い方をされたことがありまして、私はむしろ子どもの遊びが少ないから、身のこなしが下手になっているんじゃないかしらと。親も乱暴なことをしてほしくない、けがしてほしくない。学校や幼稚園も無事におうちへ帰ってほしいと思っておられるもんですから。
  そういう意味で、きょうのお二人の先生のお話は、こういう冒険遊びを含めて自由に遊べる場所を提供したり、機会を提供していただいているという意味で、大変参考になりましたし、自分の責任でという部分も、ぜひ日本でも定着させていただきたいと思うんです。今の話の中で、子どもたちの身のこなし方、例えば転び方が下手とか、そんなような実感を持ちかどうかだけ教えていただきたいんです。

◎佐藤意見発表者    実際、私たち自然の中へ行ってさまざまな活動をする中で、骨折事故等は非常に多いです。その中で、身のこなし方というのもよく言われるように、転ぶときに普通だったら手を出すのに手が出ないとか、そのまま顔面制動してしまうような状況も確かにあります。恐らく一つには、自然遊びをまだまだたくさんしていないから、身のこなし方がということの考え方もあると思うんですが、もう一つは食生活がもしかすると関係してないだろうか。今の子どもたちは非常に好き嫌いが激しくて、必ずおやつというと短絡的なおやつということで、味覚的にも魅力のあるようなものを好みたがる性質があって、御飯というと食べない、特に朝食なんかを食べない子どもも出てきたりしていて、食生活による影響はどうなんだろうかということを、私たちはキャンプの中でもよく議論をしております。

◎天野意見発表者    きちんとしたデータで取っているわけではないんですが、ずっとやってきた経験的な感じからいうと、けがをする子どもというのは、プレーパークに来始めてから数ヵ月たった子どもか、時々来る子に多いです。初めて来た子とか、ずうっと来ている子というのは、そうめったに大きなけがは起こしません。初めて来た子は、プレーパークは平らなところがほとんどなくて、地面がでこぼこしているので、走るの一つにしても確実に五感を使ってというか、自然にそういうふうにさせないと、間違いなく障害物にひっかかったり、穴ぼこに足けつまずかせたりして転ぶわけです。場そのものが明らかに危険に満ちているというか。そういう点では、初めて来た子はかなり慎重に動くんじゃないかと今のところ考えているんです。だけど、時々来ている子は結構慣れ始めていて、体を動かすんだけれども、そこまで能力がついていかないみたいな。いつも来ている子は多様な状況にごくごく自然に対応しているように感じます。

◎恵美意見発表者    私は低学年の子どもをずっと見てまいりましたもんですから、その範囲でお話しさせていただきますと、そういう実感は持っておりません。小さいうちは結構動いていると私は思っております。

◎杉原意見発表者    小さな子どもの場合と少し成長した場合と違うと思います。ただ、全体的に体力がないという表現はおかしいんですが、例えば木にぶら下がる腕力とか、そいう力がないという部分は、いろいろ見ますと、私はやはり食生活がかなり影響があるんではないかということは、実感としては非常に持っております。特に持久力がありませんから。その辺のところは専門家ではありませんけれども、かなりのデータから見ますと、けがの率は多い。ざっくばらんに申しますと、指先を使っていないということが非常に大きな要件だと思います。切り傷とか、けがというのがかなりありますけれども、これは手先を使っていないということが一番大きな原因だということと、五感を使うことがないということがバランスを悪くしているんじゃないかということを感じます。

○ なお御質問もあろうかと思いますが、これで終わりたいと思います。本当にありがとうごとうございました。大変参考になるお話をいただきまして、心から感謝いたします。
  それでは、討議に移りたいと思いますが、その前に事務局のほうで、「自然体験プログラムの現状と課題」について資料を準備していただいておりますので、これに関してまず御説明をお願いしたいと思います。
(事務局より説明)

○  二つポイントをお聞きしたいんですが、一つは、自然体験のためのさまざまな授業は、教育課程の中でとう取り扱われているかという点。さっきお話しになったのかもしれません。
  もう一つは、参加費というのはどうなるのか。この辺についてお伺いしたいと思います。

◇  学校教育の中で実施されておるものといたしましては、主なものとして最初に申し上げました集団宿泊活動、特に林間学校、臨海学校というようなものが一つ。それから、文部省の補助事業でもございますけれども、自然教室というような形で、いろんなところで実施されております。
  それから、特に学年ぐるみ、学級ぐるみということもございますけれども、少年自然の家でございますとか、一部青年の家を活用されることもございますけれども、そういう青少年教育施設を使って2泊3日とか、3泊4日とか、そういったような自然体験をされているところがございます。
  青少年教育施設を使っていただく分につきましては、公立施設は一部有料のところもございますが、ほとんど無料に近い。国立は無料で実施をいたしております。行政が行われる事業の中では、実費をいただいておるというところもございます。しかし、額的にはそれほど高い額ではございません。民間事業者の行われる事業につきましては、経営の問題もございますので、行政が行うものに比べればかなり高額になっておるところでございまして、その辺が一つ、民間の事業者の方々にとっては課題になっておるところかと理解しております。

○  それでは、資料を御覧いただきたいと存じます。前回お示しした「論点整理メモ」と全く同じものでございますが、御意見が随分出ましたものの、まだそれは時間の関係で盛り込んでおりません。その後、お気づきになったこと等がございましたら、この際、お伺いをしておきたいと思います。いかがでございましょうか。

○  さっきの議論と関連するんですけれども、自然体験というのは大事なことはみんなわかっているわけですね。問題は、教育課程への位置づけとか、経費の問題とか、指導者育成をどうするか。その次、方法論をどうするかという問題があると思うんです。
  例えば、学校の場合に自然教室をやっている。これはたぶん教育課程の中に位置づけられるし、学校も出やすい。いかんせん、私の偏見かもしれませんけれども、学校というのはワンセットの場合はうまいんだけれども、多様なプログラム育成が難しい。そうすると、地域社会の青少年団体とか、民間の活力と申しましょうか、さまざまなプログラムを提供してもらって、それを学校に送るというシステムを今後つくっていかなければいけないかと思うんです。
  その場合に、もう少し身近な、先生方がすぐ行きやすくて、例えばインターネット上にそのプログラムを紹介するとか、例えば身近なコンビニの中に雑誌として、民間と先生方がつくっておいて、『ぴあ』のような情報誌の形で、すぐ先生方とか、お母さん方が使えるような情報提供の方法も考えたらいかがかなと。
  今後はそういう形の、いい意味での公と民間の協力体制をしていかないと、地域社会における心の問題は、学校だけにおんぶしてはいけないということを言いたかったんでございます。

○  論点の中に、乳児期の発育状況について、ここ一、二年の変化を記述し、教育の視点から0歳・1歳児の親と中学・高校・大学生に対する親になるための準備学習などについて検討していただきたいと思います。
  育児環境の変化についてはすでに多角的に報告されておりますが、ここ数年の0・1歳児の発育状況は更に心配されます。
  心の育ちと一体である身体的発育の基礎が揺らいでいます。出生時体重2000g代が一般化している今日、親のダイエット志向が影響してか、全体的に小柄で肌が乾き大人びた顔つきで表情が堅く、周囲に敏感に反応するか無反応の乳児が多くなりつつあります。動物としての乳児本来の運動神経・反射神経についても、自身を守れないほどに衰えている乳児が目立ってきています。

○  「整理メモ」を読ませていただきまして感じたことなんですが、論理構成として、問題点、実態、あるいは背景の分析が一つあって、その次に対応策の理論とか、理念というものがあると思うんですが、その次に具体策がくるんだろうと思うんです。
  その2番目の理念に関連してのことなんですが、例えば2ページの「○」の8番目に、「西洋に追いつき、追い越せでなく、国に新しい理念が必要ではないか」という御指摘がありましたり、14ページの「○」の6番目、「今の母親は……」というところからずっと右のほうへいって、「国民に心の教育の在り方をわかりやすく提示し、問題提起していくことが必要」だという表現があります。
  この間の御発言にも、我々はいかなる価値を追求すべきか、そこが大事だという御指摘があったように思うんですけれども、そういう観点で、この中で、例えば心の育て方の理念について項目というんでしょうか、そのあたりについて、今までのヒアリングの中で随分いろんな御発言があったように思うんです。そういうものをまとめて示す必要がありはしないかということを感じましたので、申し上げました。

○  先ほどのヒアリングをはじめ、これまでいろんな人からお話をお聞きしたわけですが、その中で、いろんな活動に指導者がいないと言うんですが、あらゆる分野の活動に指導者を求めていくと、何にも対応できないんじゃないかと思うんですね。何でも文部省で指導者を養成してやれというと、親は要らなくなるわけです。最大の指導者は親だという共通認識は必要なのではないかと思うわけです。
  そうすると、その親の役目を教えるところが、幼稚園から大学までにあるかというと、母親論、父親論は、まあ、家政科等にはあるかもしれませんけれども、さほど重視されていないような気がする。ですから、子育て論とか、父親学、母親学、この辺のところを、もう少し学校で教えてもいいような気がしないでもない。これは最大の指導者ということで考えると、根幹はこの辺にあるような気がいたします。
  それから、先ほど何をしつけるか、何を教えるかというのが、今の理念の問題とかかわってきますけれども、私ども小さいときから育ってきた中に、東洋の宗教にも、西洋の宗教にも、慈悲や愛、広い心、こだわらない心、傷つけない心、差別しない心、殺さない心奪わない心、こういうことも、こういうふうにしなさいということではなくて、こういう理論がありますよということだけを教えたほうがいいように思うわけです。それをそのままやみくもに実行しろということではなくて。それは難しいんですけれども、理念をショックを与えずにやんわりと出すには、その程度のやり方がいいのかなと思ったわけであります。
  みんなこれを学校でやれなんて言ったら、これも無理な話なわけですけれども、学校で教える部分は、やはり父親、母親の役割でしょう。それから我々が提示する実例の一つとして、今のようなことをインパクトのある方策で提示する方法があるのではないかなと、さっきから議論を聞いていまして感じました。

○  小平ウタさんからヒアリングしたときに、ドイツ語には「心の教育」という言葉はない、「Herzensbildung」「心をつくっていく」ということだとおっしゃったんですね。私もいつも思っておりますのは、「心の教育」をやろうというのは、極めて東洋的で、しかも日本の特徴ではないかという気がしてしょうがないんです。英語で「心の教育」を何と訳されますか。

○  直訳したら「Education of the Heart」。これは意味がないこともないんですけどね。だけど、アメリカではそういう表現はあまり聞いたことが  ―あまりでなくて、聞いたことがないですね。
  心の教育の話の中でも、また前にも私は似たようなことを何回か申し上げたことがあると思いますが、あまりにもアメリカのやり方と対照的になるので、どの観点からコメント、質問すればいいのか迷ってしまいます。というのは、アメリカでは塾は一般的にはないし、受験がない。それらは関連していることだと思いますが。それを取り除くと、いろんなポシビリティーが出てくるわけなんですよね。
  私がアメリカで一番長くいたのはワシントン州のシアトル。私の子どもが中学校、高校まで生まれ育ったところです。その中で、先ほどの御発表にもありましたように、私の息子はボーイスカウトに参加しました。塾がないからといいましょうか、もちろん宿題があって、それをしなければならないという基本的なことは、うちの家庭の中でもありました。だけど、塾に行かなければならないというのがない。
  アメリカのほうで前提になっているのは、当然、親のしつけ、やり方は多様化されて、いろんなやり方があるということです。だから、塾みたいなところに行かせる親もいれば、全然そんなことをやらない親もいる。それがマジョリティーであるということです。うちの子どもを例として取り上げますと、私の娘も息子もそうですけれども、キャンプでしたら教会のキャンプ、ボーイスカウトのキャンプ、さまざまなキャンプに夏に行かせる。それは夏だけではなくて、冬にもある。週末にはコミュニティーのスポーツ活動に参加します。ボーイスカウトでしたら、夜に、すぐ近くの教会の会議室を使っていろんなことをやりました。
  ですから、アメリカの場合には、塾と受験の問題がないことで、親としては自分ですべてできないから、ある意味では自然へ出てくるのかのかなと。自然というか、そういう伝統があるということですね。ですから、コミュニティーのほうにもいろんなポシビリティーがある。いろんなことを選択できる。リリジャンの教会があれば、ほかのスポーツ協会とか、そういうコミュニティー協会がある。ですから、サッカーとか、野球とか、そういうものでしたら、それは女子、男子を問わず、シアトルでしたら夢中にやっています、コミュニティーのほうで。ちびっ子サッカーから、ちびっ子野球から、ちびっ子アメリカンフットボールまであるんですよね。
  もう一つは、先ほど資格の問題が出ましたけれども、それもまたアメリカではそんなに出ないんです。もちろんアメリカにも資格があって、先ほどおっしゃったとおりに、幾つかの大学で、各種の資格がいっぱいあるわけです。だけど、コミュニティーの中では、だれかボランティアがいるか。関心があって、勢いがあって、例えばキャンプだったらキャンプでも、洋裁だったら洋裁でも、何でもかんでも、その中で特に資格というものが先に出るんじゃなくて、まず親というか、大人の中でそういうリーダーシップ、指導できる、やりたい人がいるか、それから出発すると思うんです。
  私のコメントはちょっとバラバラになったと思いますけれども、日本で本当の意味での心の教育またはゆとりを与えるんでしたら、文化・社会に基本的なものを考えざるを得ないのではないかと私は思います。ということは、週末、あるいはアフタースクールのときに何をやるか。塾を完全に取り消すということはたぶん不可能だと思いますから、じゃそれでどうするかということは、当然、我々の中で議論しなければならないと思います。

○  塾を完全になくすことは、私もできないと思うんですけれども、大学の入試の方法を変えたら、今みたいな点数刻みというのは、かなりなくなると思うんですね。アメリカが多様化しているのは、例えばカルテクみたいな大学でも、全米でも恐らくナンバーワンかナンバーツーの大学でも、学生を確保するのが大変なんですよね。800人しか採らないんですけれども、1,600人採らないと800人抜けちゃうんですよ。やっぱり多様化なんですね。自分はカルテクを受けたけれども、行かない。州立大学へ行く。そういうチョイスが彼らははっきりしているんですね。

○  私は受験の問題について、関心があります。それだけでも変えればいろいろと響いて、塾とか、そういうものが変わっていくと思います。ということは、例えば入学選抜のほうで入試だけではなくて、高校のときに何か自分で、これはどこでもいいんですけれども、ボーイスカウトでも、特別プログラムでもいいんですけれども、自分で何かを実験したとか、自分でサイエンティフィック・エクスペリメントをやって結論が出たとか、音楽のほうだったら何か特別パフォーマンスをやったとか、いろいろありますね。スポーツの中でもいろいろあると思います。それも一つのアドミッション・クライテリアとして取り上げれば、すぐまたいろいろと出てくると思うんです。一つの例ですけれども、ものすごく大きいと思いますね。

○  きょうは、「論点整理メモ」について議論する時間がございませんでしたけれども、それでも三、四点、非常に貴重な御意見をいただいたと思っております。この「論点整理メモ」については、さらに御意見を参考にリファインをさせていただきたいと存じます。
  次回でございますが、1月20日、火曜日の13時から、虎ノ門パストラル、鳳凰西の間、新館1階でございます。次回は、「論点整理メモ」に基づき、集中して討議を行います。本日はどうもありがとうございました。

(大臣官房政策課)
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