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中央教育審議会

1997/12
幼児期からの心の教育に関する小委員会 (第8回)議事録 

       幼児期からの心の教育に関する小委員会(第8回)

    議    事    録

    平成9年12月5日(金)  13:00〜15:30
    霞が関東京會舘  35階  ゴールドスタールーム


    1.開    会
    2.議    題
        幼児期からの心の教育の在り方について(ヒアリング及び討議)
    3.閉    会


    出  席  者

委員 専門委員 事務局
有馬会長 青木専門委員 町村文部大臣
木村座長 明石専門委員 長谷川生涯学習局長
沖原委員 油井専門委員 辻村初等中等教育局長
河合委員 安藤専門委員 御手洗教育助成局長
川口委員 猪股専門委員 佐々木学校健康教育課長
河野委員 衣笠専門委員 富岡総務審議官
俵   委員 佐々木(光)専門委員 その他関係官
根本委員 里中専門委員
佐野専門委員
佐保田専門委員
末吉専門委員
山折専門委員
渡邊専門委員
和田専門委員


    意見発表者
      1  北  谷  雅  人  氏(奈良市立三笠中学校教諭)
      2  坂  上  頼  子  氏(スクールカウンセラー)
      3  綾  部  頼  子  氏(宮崎家庭裁判所家事調停員)


○  それでは、ただいまから中央教育審議会、第8回幼児期からの心の教育に関する小委員会を開催させていただきます。
  本日は、お忙しい中、本会合に御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。本日は、3名の方からヒアリングを行う予定としておりますので、通常の会議時間を30分延長し、15時半までとさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
  なお、きょうは、後半の討議の際に、町村文部大臣がお見えになる予定でございます。
  それでは、まず本日最初のヒアリングをお願いする方を御紹介申し上げます。北谷雅人先生と坂上頼子先生、お二方、同時にお席にお着きいただきます。
  北谷先生は、現在、奈良市立三笠中学校の生徒指導主任をお務めでございまして、文部省生徒指導総合推進校であります同校において、生徒指導の推進の中心となって活躍されておられます。
  また、坂上先生は、スクールカウンセラーとして、玉川聖学院や東大和市立第一中学校でカウンセリングに取り組んでおられます。
  本日は、お二人の立場や御経験をお踏まえいただきまして、北谷先生からは「中学校における生徒指導の取組の現状と課題」について、坂上先生からは「学校におけるカウンセリングの取組の現状と課題」についてお話しいただきたいと存じます。
  お二人にそれぞれ御意見をお伺いし、その後、恒例によりまして質疑応答を行いたいと存じます。
  それでは、北谷先生、坂上先生、よろしくお願いいたします。

◎北谷意見発表者    三笠中学校の北谷でございます。きょうはこういう場に出席させていただきまして、どうもありがとうございます。
  それでは、時間が限られておりますので、「中学校における生徒指導の取組の現状と課題」ということで、意見を発表させていただきます。
  資料に、私の要旨が大体まとめられておりますので、御参考にしていただきましてよろしくお願いいたします。
  最近の中学生は、1980年代前半のあの全国の学校が荒れたという時代から比べてみますと、今、そんなに校内暴力が盛んであるとか、校舎破壊が進んでいるというふうな現場での状況ではありません。そういうころと比較すると違った形で、今、中学生たちは生活をしているわけです。
  どういう中学生なのかということで、大きく三つにまとめてみました。
  自分のこと以外には無気力で無関心で、自己中心的な利益や関心を追求している。そういした中では、集団を高めたい、頑張りたいというリーダーが非常に出にくくなっている。
  それから、親密な友達以外とはなかなか交わろうとしない。非常に閉鎖的である。そして、強い者に対しては卑屈なほどに服従的で、逆に弱い者に対しては支配的であるという面を持ち合わせている生徒が増えてきているというとらえをしております。
  資料の5ページをご覧ください。最近の保健室利用と問題行動の発生ということでまとめてあります。私どもの学校は1,150人、合計30クラスを超える学校でありますけれども、去年の1年間に保健室を訪れた生徒は、延べで4,900人という多さです。疾病で訪れるというよりも、むしろこれは内的な訴えということで、吐き気がする、何となく授業に入りたくない、しんどいなということを訴える生徒で、いわゆる不定愁訴と呼ばれているような生徒ではないかというふうなとらえになっております。
  こういう子どもたちは心理的ストレスが大きくて、自力では自分の問題をなかなか解決できない、内的な葛藤を言葉で表現しにくい生徒たちが来室しているのかなというとらえもしております。
  それから、下のグラフは、私どもの学校のグラフですので、全国的にこれなのかということは別としましても、平成3年、今から約6年前の問題行動は多岐にわたっておりましたけれども、去年とことしに特徴的にあわれているのは、触法行為である万引きや窃盗、それから悪質ないたずらやいやがらせ、いわゆるいじめに近いような問題が突出してきているということです。
  このように生徒たちは、心情が複雑化して外側にあらわれてくるので、今までの価値観だけではなかなか推し量れないということがうかがえるようにも思います。
  私どもの中学校も10数年前は、例に漏れず校内暴力吹き荒れる学校でありましたけれども、何とか学校を立ち直らそうという取り組みが始まりました。6ページを見ていただきたいと思いますが、生徒を学校の主人公に据えた生徒会活動、子どもの力を信じて、子どもの力で学校を再生させるという学校づくりを進めてまいりました。これは、校則の検討や見直し、そして服装の自由化というふうに、子どもに考えさせて、子どもに責任を持たせるというような、自主的・自立的な学校づくりをしてまいったわけです。
  子どもたちが最終的に  ―校則のことがいろいろ挙げられておりますけれども  ―生徒会憲章ということでまとめたものを、今、学校の生活の規範として扱っております。マナーとか、ルールは普遍的なものでありますが、「決まり」とか、服装のことは、時代性とか、文化というものが伴いますので、どんどん変えていけばいいのではないかという柔軟なとらえをして、進めていきました。
  それから、子どもたちに本物を追求させるということで、よい講演に触れたり、よい文化的なものに触れたりということで、学校の枠を出まして、校外でそういう鑑賞をしたりということで、よいものに触れて感動体験をさせるという取り組みもやってきました。
  そして、共感的な関係を大切にしようということで、教師と子ども、指導される人と指導する人という関係ではなくて、人と人との信頼関係をつくるような共感的人間関係を実現していこうということで、教育相談の充実ということも行いました。ですから、学校の中に教育相談室をつくり、そして教育相談の研修も含めて、子どもたちに自分はみんなに支えられているんだという安心感をまず与えていこうということで始めました。
  それから、開かれた学校づくりということでは、地域とか、それから保護者の意見を、建設的な意見として積極的に取り入れていこう。往々にして学校というのは閉鎖的な社会でありますので、そういうものを取り入れていこうという気持ちがなかなか生まれないわけですが、そうではなく前向きに考えていこう。今後、地域住民からのモニター制度の活用も学校の中に定着させていこうという取り組みをしております。
  また、学年を取り払って、オープンクラスというものも考えて、1年、2年、3年生の異年齢縦集団の授業の展開ということで、学校の今ある問題を3年生が中心になって、1年生、2年生と共に考えるという時間の創設もしております。
  資料の7ページを御覧ください。いじめの問題についてですが、いじめが私どもの学校でも全くないとは言えません。いじめは人間として絶対許されない行為だということで、教師も、保護者も、毅然とした態度で取り組んでいます。中には心の叫びを自殺予告ということで、私どもに投げかけてきたことがありました。このことについては、新聞紙上でも取り上げられた時期があったわけですけれども、私どもが現実に半年前に直面したとき、「いたずらだ」ということで済ませてしまえば、そうかもしれませんが、いたずらだということではなくて、子どもが悩んだ末にとった手段であるならば、私たちはそのことをしっかり受けとめて解決をしてやらなければいけない。そして、結果的に何もなかったら、「ああ、よかったな」と。やっぱり子どもの気持ちをしっかり受けとめていく教師集団、そして保護者にならなければならないということで、一つ取り組みをした事例を報告させていただきました。
  それから、課題といたしましては、今、保護者や家庭の指導力の低下が非常に懸念されており、基本的な生活習慣が身についていないという生徒も多くいるということが言われます。本来、家庭での役割であろう食べることや着ることについてまでも、学校が今担っているということがあります。ですから、21世紀に向けて、学校はもっとスリム化を進めなければならない。真に親子がしっかりと向き合った家庭生活を送れるように、家庭教育の向上のために情報や資料の提供などの援助を行うという手段、それからそのことを学校だけが行うのではなく、地域社会や地域の青少年指導センターなどの公的な機関のかかわりに私どもは期待していきたいと思っております。
  子どもたちの行動・行為を単純に推し量ることが難しくなってきた今日ではございますけれども、不登校生についても、私どもは30クラスあるわけですけれども、各クラス1〜2人で、約60名の生徒がいます。全く学校に来れていない生徒も3、4名いるということで、不登校の問題も考えていかなければなりません。しかし、学校がすべてを抱え込み、指導を繰り返すより、児童相談所や適応指導教室などの公的機関や専門性の高いスクールカウンセラー、また医師の支援を受けられるように積極的に連携を図っていかなければならないとも考えています。
  それから、平成7年度から私どもの学校に導入されました  ―8ページですけれども  ―スクールカウンセラー活用調査研究委託事業につきましても、非常に大きな効果を上げました。その資料を御覧いただきたいと思いますが、グラフが見にくく申し訳ありませんが、一番上の円グラフは、「だれが一番活用しているのか」ということです。一番大きな割合を占めるのが保護者であります。今、子育てに悩む保護者が多いということで、私どもでも保護者の来室者が大きな割合を占めています。
  その下は、「どんな内容で相談があるのか」ということです。7割から8割を占めているのが不登校にかかわるもので、「うちの子どもが学校へ行きにくくなっている。どうしたらいいものでしょうか」という訴えであります。
  こういう事業は、一応2年で終えるわけですが、現場では継続した取り組みを強く望んでおります。将来的にはスクールカウンセラーの全校配置が必要でしょうが、暫定的にでも義務教育年限の9年間を通した支援体制の確立のために、少なくともセンター校的な役割の中で、スクールカウンセラーの加配、適正配置をお願いしたいと考えております。
  それから、私ども教師はゆとりのない毎日を過ごしています。そんな中で、生活指導などで今までは加配教員をいただいてきたわけですが、今後、心のケアや教育相談に力点を置いた加配を実現していただければ、その効果は極めて高いのではないかというふうにも思っております。
  心の居場所としての養護教諭、いわゆる保健室の役割は非常に大きいものがあります。先ほどの資料のとおり、訴えにくる生徒の数は御覧のとおりです。私どもの学校は30学級を超えておりますので、複数配置は実現していただいているわけですけれども、それが28学級だからもらえないということであれば、現場は非常に苦しい立場であろうということで、そういうことも適宜進めていっていただきたいと望んでいます。
  それから、適応指導教室も全国的にはまだまだ足りません。そんなことでまたお願いしたいと思っております。
  職員室の活性化について、最後に御意見を申し上げて終わりたいと思います。教師も高年齢化が進んでまいりまして、私ども64名の職員がおるわけですけれども、20歳代の教師は三人です。あとは40歳前後、それから50歳の教師ということで、子どもとの年齢差、それからベテランということはいいのかもしれませんが、そういう面で非常に心配です。地域には専門性の高い方々がたくさんいらっしゃいますので、地域ボランティアの講師の学校参加も積極的に進めながら、職員室の活性化、それから教職員の今までの経験などだけにとらわれないという意識の変革を促していけるように、できたら小・中・高の職員の交流も積極的にしていっていただければ、内に開かれた学校づくりができていくのではないかというふうにも思っております。
  非常に早口で、かいつまんだ意見となりましたが、その点、十分御理解御判断いただきまして参考にしていただければと思います。

◎坂上意見発表者    坂上でございます。よろしくお願いいたします。
  私のレジュメは、引き続きまして10ページと11ページにございますので、御参考に御覧ください。
  私は平成8年度から公立の中学校にスクールカウンセラーとして文部省事業で参っております。そこに至るまでの私の臨床現場といいますのは、10数年前に公立の保育所に入ってこられた障害を持ったお子さんを、保母さんたちがどう保育していったらいいかという自主的な勉強会に参加することから始まりました。その実践が現在では発展的に大きくなりまして、市の児童福祉課の療育教室に発展してまいりまして、現在では5日間オープンするという事業にかかわっております。ここが私の臨床のスタートでした。
  それともう一つ、私立の中高一貫の女子の学校で10年くらいスクールカウンセリングにかかわってきました。こちらは週2回ぐらいですので、週に16時間くらいかかわってまいりました。
  そういうところに、平成8年度から文部省のスクールカウンセラー活用調査研究委託事業にかかわることになりました。このお話をいただきましたのが6月ぐらいでしたので、さきの私の臨床の仕事がスタートしておりましたものですから、時間的にもかなり無理をしなければいけないということでちゅうちょいたしましたけれども、週に1回でもいいということでしたので、私の場合は原則をちょっと外れたりしましたけれども、週1回6時間、行ける場合には土曜日の第1、第3を利用いたしまして、週2回行くというかかわりで、この事業にかかわることになりました。
  しかしながら、この事業は平成7年度から始まって、まだ非常に大変な仕事だなということで、外から見ておりましたので、お話をいただきました6月から夏休みにかけて、心の準備ということが私の場合はとても必要になってまいりました。
  幸いにも夏休みには、私どもの臨床心理士会の主催する研修会がこの事業に合わせて何回か持たれまして、そこに参加することで、この事業の外枠の理解、どのような気持ちでこの事業に取り組まなければいけないのかということを学びながら、心の準備をいたしました。その研修会の講演で、学校臨床心理士の制度は、我が国の学校教育の歴史において極めて画期的なことであり、また、学校に初めて臨床心理士という異質のものを入れて一緒にやっていこうというのは、教育の国際化の始まりであるというふうなお話をお聞きしました。
  このような責任の重い仕事ですけれども、一人一人が自分の個性と自分の置かれた学校と地域、あるいはその地域のすべてを考えて、そこでふさわしいものを一人一人がつくり出していくようにと自覚を促されました。非常に心引き締まる思いで、9月から開始される相談活動に向かいました。
  この事業にかかわるときの調整役は、学校の中では教頭先生でした。学外では市の教育委員会の指導室の指導主事。私が初めて学校に顔合わせに6月に参りましたときにも、指導主事が私を連れていってくださいまして、校長先生と教頭先生に引き合わせるという場がございました。私も突然にかかわることになりまして緊張しておりまして、ちょっとこわごわ参りましたし、学校のほうでも新しい事業が始まるということで非常に緊張されておられまして、何かお見合いの席のようで、とても不思議な雰囲気だったことを覚えております。
  スクールカウンセラー配置ということですが、教職員の先生方の思いはさまざまであったようです。間もなく7月に入りまして、先生方に御挨拶するために、朝の朝会から半日学校に参加いたしました。その席では、「スクールカウンセラーを学校で試しに活用してみて、その効果のほどを見るという事業で私が送られてまいりましたので、お手やわらかによろしくお願いします」というふうに御挨拶を申し上げました。
  何となく私が感じました先生方の雰囲気ですけれども、何か目に見えないようなバリアがあるようで、職員室に席をいただきましていても、とても落ちつかないという感じがございました。平成8年度は、夏にO―157という恐ろしい学校給食の事件がございましたけれども、私も9月に配置されまして、9月、10月という時期は非常に緊張しておりました。そして、先生方の目に見えないバリアみたいなものも感じながら身を置いておりましたので、給食をいただいた後、午後になるとどうもおなかの様子がおかしくなって、2ヵ月間心配しながら苦労しました。
  そういう、体に緊張があらわれてきましたけれども、2ヵ月ぐらいたちますと、学校の流れというのも私自身つかめてまいりましたし、生徒さんを通じて先生方とのつながりもできてまいりまして、ようやくちょっと落ちついた感じで、学校に身を置くことができるようになりました。
  職員室の机の配置ですが、3年生の学年の一角に机をいただきました。隣の席には体育を担当されておられた生活指導部主任の先生がおられました。
  カウンセリング室の場所は、4階建ての校舎の1階の一番端のところが充てられておりました。長年倉庫として使われていたところを半分に仕切って、壁紙を張って、レースのカーテンをしつらえるというふうに用意されておりました。保健室の近くでもあって、養護の先生とも連携の取りやすい場所だと思っております。
  最初の職員朝会で御挨拶に伺った日に、教育相談係の先生、あるいは養護教諭の先生とも初めてお顔を合わせて、この事業についての打ち合わせをいたしました。生活指導部会というのもその最初の日に参加させていただいて、学校の方針、生徒さんたちの状況の説明を受けました。このような準備を経て、9月からいよいよ相談室がスタートいたしました。
  2番の展開期に入りますが、生徒へのカウンセリングの時間は、原則は昼休みと放課後ということです。この時間は自由に来談してもいいということで、グループで非常に伸び伸びと来談してくれたように思います。
  授業中は、保護者の相談、あるいは不登校している生徒が、教室には入れないけれども、カウンセリング室でカウンセリングを受けたいという生徒が定期的に通ってこられる。そういうふうに授業中の時間を使いました。
  担任が連れてこられた生徒も印象的だったんですが、「今は僕のクラスなんだけれども、ほかの生徒には保健室に行っているというふうに言ってるので、ちょっと話を聞いてほしい」というふうに、御自分の授業担当の時間を用いて連れてこられることもございましたし、「この子たちはどうも今この授業には、ちょっと先生とぶつかってて、出たくないって言ってるので、こちらで1時間預かってください」ということで、二、三人連れてこられるとか、そういう利用のされ方もございました。
  相談する生徒さんの人数ですが、一対一という面接はむしろ例外的でした。2人や3人以上のグループ来談が主流でして、予約なしにふらりと来ておしゃべりをする。そこからつながってくるというケースもございました。
  来談経路は、自発来談は昼休みや放課後ということですが、担任の先生、養護の先生、あるいは保護者の方に促されての来談ということもございました。学校では、非常にユニークだと思われるのは、廊下を歩いていて出会うということがございます。学校行事の場で出会うということもございます。私が非常に印象的なかかわりを持った生徒さんは、この廊下での出会いがきっかけでした。
  先生との交わり、かかわりですが、先生方からは、その日のうちにどの生徒が利用したかということを教えてほしいという要望がございましたので、必ず帰りがけには職員室に寄りまして、担任の先生にお伝えし、そこで先生と私とその援助に関して協力し合える部分は連携を取りたいということで、話し合いの時間を持ちました。
  あとは校内研修会で、いじめ、不登校の問題が行われるときのオブザーバーで参加させていただいたり、1回は講師として参加させていただきました。
  学年会からの参加の要望がある場合には、その都度学年会に参加して、その学年のお子さんの様子、相談室との連携を取ることに努めました。行事へも可能な限り参加し、生徒さんのふだんの様子を観察するいい機会になったと思っております。
  保護者の方のカウンセリングでは、授業中の時間を用いまして、これは一対一で継続的にかかわることができました。保護者の方がお見えになっている場合で、担任とか学年主任と連携を取ったほうが好ましいと思うときには、保護者の方の了承を得て、相談室に担任の先生、学年主任の先生に来ていただいて、みんなで子どもさんのことをどうしたらいいかということで、頭を突き合わせて話し合うというふうな方向で現在は進んでおります。
  PTAの講演会では、子育ての難しさをお母様方から質問を受けながら、啓蒙活動ということで、講演会も持ちました。
  そのほか、市内の教育相談室の相談員の先生方、あるいは健全育成センターで、個別指導ということで学習をしていただいておりますが、そのセンターの先生方とも連携を持ちながら、現在は進んでおります。
  この3月で私も2年目を終わることになります。1月から3月にかけて、この2年間の活用調査の評価と報告という義務がございますので、来年に入りましたら、この2年間の総括としてまとめの時期に入ります。
  2枚目の資料ですが、私はそういうわけで、今、実践の真っただ中にいるわけでございますので、はっきりとまとめと課題ということではまだ言葉になりませんでしたので、(1)から(5)に、まず感じていること、その中に課題も含めまして、思いつくまま書かせていただきました。
  (1)。この10年余り、赤ちゃんから高校生までの相談に取り組んできて、つくづく痛感いたしますのは、「ビジネスの原理」が家庭にまで入り込み、乳幼児ですら子どもならではの世界にどっぷり浸ることが妨げられているように感じていることです。このような「いのちの原理」が軽視されて、乳幼児期や学童期を子どもとして生き抜くことが許されない状況が広がり過ぎている昨今、相談室を訪れる生徒たちは、「生きていても仕方がない」とか、「何もなりたいものなんかない」「人って嫌い」とつぶやいています。人を信頼できず、未来にも希望を持てず、気力も奪われたような表情の乏しい顔をした子どもが増えてきているような実感があります。もともと持っているはずの「生きるエネルギー」や「自らを癒すエネルギー」をどう賦活化させられるかが大きな課題であると思います。
  (2)。「生きにくい」感じを抱いている子どもたちは、その時々に子どもなりにさまざまな信号(気になる癖、問題行動など)を出しています。立派な心をつくるために、私たち大人に助けを求めています。この信号を的確にとらえて、その心にこたえることができれば、ほとんどの子どもは心温かい立派な大人へと成長するはずなのに、子どもの示すその言動の理解がなかなか難しいのが現状です。大人の理解が及ばなかったり、それゆえに見当違いな対応に走ってはいないかと大人が常に自分自身を振り返る時間と心のゆとりがとても必要だと感じています。
  (3)。公立学校はその地域のほとんどの子どもたちが勉強し、生活する場であるので、問題があっても私どもの目に触れにくい非行傾向の子どもたちや、在籍はしているのに学校にも来ないし、種々の援助機関へも行かずにいる子どもたちを抱えています。このような日陰にいる親子の一番近くにいて、そして一番援助している大人が先生方であることを改めて発見した思いがしています。このように学校には親子を守るシステムはあるものの、外からの厳しい風当たりを防ぐあまりに、少し風通しが悪くなっているのかもしれません。そんなシステムに外から時々そよ風が吹いたことで気持ちが和み、ほんの少し何かが変わりつつあるのではないかと感じています。
  (4)。スクールカウンセラーとして学校の中に身を置きながら目の前の教師や生徒とともに考え、工夫し、支え支えられ、学び合いながらともに育ってきたように思います。その中で、さまざまなことを訴えてくる子どもたちに、一人で対応している養護教諭のサポート役を自然にとっていたことにも気づきました。また、不登校生徒や荒れている生徒を抱えて苦慮している担任教師に対しては、その生徒や親を援助する役割を分担しながら複数で抱えるなど、担任をサポートする人々をつなぐ調整役となることも必要になってきています。
  (5)。学校の流れの中に自然に溶け込むことを心がけて地道に歩んできましたけれども、スクールカウンセラーに関心のある近隣地域の学校や関連機関から講演や研修の講師依頼が2年目に入り急に増えてきております。そのすべてに応じられる状況ではないのですけれども、このような社会的なニーズの高まりが、私どもスクールカウンセラーのもとに寄せられてきていることもわかってきております。
  以上です。ありがとうございました。

○  北谷先生に一つだけお聞きしたいんですが、学校の活動や生徒の実態ですね。先ほど、開かれた学校づくりということで、積極的に外の声を聞くというふうなお話を伺いましたけれども、学校での子どもの実態を、保護者の方とか、あるいは地域の方にどういう形でお伝えしているか、また、そういうことでどういったような御協力を得ているか、その辺をお話しいただければと思います。

◎北谷意見発表者    先ほど私が申しましたモニター制を取り入れていくというのは、なかなか進んでおりませんが、地域の声をということでは、地域の指導協議会というような地域の育成連絡会的なものがございます。それを定期的に月に一度持っております。そこには地域のいろんな方々が御参加されていますので、保護者の立場、地域の方、それから小・中の教師、管理職、そして私どもの生活指導にかかわる者ということで、意見交流をしながらナマの声、「先生にも注意してもらったが、全然聞けへんねん。どうしよう」「言ったけども、食ってかかってくる。怖いねん」というふうな地域の声を聞きながら、私どもはすぐそういう声を、逆に地域からはこんなふうに期待されている、また地域からこんなふうに見られているんだということを子どもに返す。そういう受け渡し的なことで、私どもがすぐこういう指導をしようということではなくて、子どもに返して、子どもがまた学級討議をして、では信頼される学校づくりをしていこう、具体的に、交通マナーのことで注意を受けたら、安全委員会が道路に立とうよとか、そういう取り組みをしているところでございます。

○  二人の方に共通しているんですけれども、保護者の来談者がかなり多いというデータをいただいておりますが、保護者が来談に来るというのは、よくよく思って見えるのかなと思うんですけれども、保護者も生徒とともにカウンセリングを受けることによって、顕著な例といいますか、子どもが変わってきたような例、こんなことがあったというような  ―これは息の長いものだと思うんですけれども  ―事例がありましたら御紹介いただければと思います。

◎北谷意見発表者    坂上先生の御発表にありますように、学校の一角に相談機関がやってきたということで、学校というのは閉鎖的な場所でありましたので、異質な方が学校の中に入ってくるということは、教師もなかなか相入れられなかった時期がありましたが、来ていただくことになりました。ながら、やってきた。そんな中で、保護者も、学校の先生には知られたくない、それから友達の親にも自分の家の子どものことだけは知られたくないという形で、スクールカウンセラーの先生にならば心を許して相談ができるということで、学校の中にはございますけれども、カウンセリングルームは、他の子どもや保護者がやってくる場所でないところに設けながらやっております。
  親がなかなか話せない苦しさというのはあるみたいなので、話すことによって、親が非常に楽になる。私だけじゃないんだということを、私ども教員に逆に、「先生、私だけ言われへんし、どうしようかなと思ってたけども、話してみたら、意外とそんな悩んでる親がたくさんいるので、私もほっとした」というふうなことで、親の姿勢が変わると、子どもが変わります。ですから、子どもに対して一から十までついて回ってたようなことが、その辺は親の姿勢が変わりますから、子どもも余裕を持って生活をするということで、変わったということも一つございました。

◎坂上意見発表者    長男の家庭内暴力で骨折を二度負われたことのあるお母さんと面接をした経験がございますが、そのお子さんはほとんど学校に来ていない生徒さんでした。学校に来ているときは非常にソフトな感じで来ておりまして、お母さんもお子さんの行為は学校にだけは絶対知られたくないという事情があったようです。学年主任を通しての申し込みで、そのお母さんと3ヵ月かかわりました。その家はお父さんと息子さんがすれ違うような、顔を合わせないという生活をしていて、お母さんはその間の通訳みたいな形で、こちらから言われたことをこっちに伝えるという対応をとっておられたお母さんでした。
  カウンセリングというより、お母さんと私でそのお子さんを援助するという立場で、協力者という形でお会いしました。お父さんと息子さんが直接話せる場を家庭の中でどうやったらつくれるかということを相談し合いながら、だんだんお母さんがその場面をつくられて、1ヵ月で暴力はなくなり、3ヵ月目にはお父さんと息子さんが、かなりなぐり合いもございましたけれども、ぶつかり合ってでも、直接伝え合う場を持つことに、母親はそれ程不安にならずに見守っていることができるようになりました。進路のちょうど結末の大事な時期でしたけれども、ギリギリ間に合ったというケースがございました。

○  お二人に一つずつお聞きしたいんですけれども、北谷先生には、2ページ目で、最近の問題傾向を示した後、取り組みのところに、「生徒指導」から「生活指導」、そして「生活支援」へと変わっていくということが書いてありますが、その変わり方の基本的な考え方、あるいはこういう問題を持った生徒へのアプローチというか、かかわりで、どういうところが変化したのかというところを教えていただきたいと思います。
  それから、坂上先生には、実際にカウンセラーとしてやってこられまして、具体的にどんなお子さんたちが来ているのか。それから、二、三人で来る、グループで来談するという意味はどういうものなのかということを教えていただきたいと思います。

◎北谷意見発表者    今御質問のあった部分でございますけれども、今までは生徒指導、生徒を管理的な、直線的な方向に乗せていこうということで、子どもが不思議に思ったりとか、疑問に思ったりするところを大切にできていなくて、「決まってるからそうするんや」ということが非常に多かったと思うんです。
  その辺で、子どもたちの多様な心の動きというところから、まず子どもたちの背景に迫ろうということから、「生活指導」というところに入っていきました。「生活指導」というのは、基本的な生活習慣をしっかり身につけさせ、生きる力というか、生活する力、エネルギーをしっかり蓄えさそうということです。
  それから、「生活支援」という言葉は、最近使っているわけですけれども、子どもの気持ちや親の気持ちに参加するという私どもの姿勢がない限りだめだろう。そして、子ども、親が、〈先生も参加してくれてるんや。こんなしんどいのを先生わかってくれてるんや〉ということで、初めて人間関係ができれば、子どもも親も私どもに心を開いてくれる、私どもももっと迫った指導や助言、それから共に考える、生活を支えていけるということができるんではないか。だから、心に参加していくという姿勢ということで私は書きました。

◎坂上意見発表者    生徒さんの来談ですけれども、新しい事業ですので、どんな人がいるのかという、人を見るために、友達と連れ立ってくる時期が最初一、二ヵ月ございました。
  その後では、印象に残っておりますのは、3年生の男子生徒が受験期を迎えて、2学期からグループで来談しております。それは進路を決めるということで不安になっていて、気持ちがざわついているので、ちょっと落ちつきたいという気持ちがあるのも大きいのだと思います。非常に印象的だったのは、そういうグループで放課後や昼休みに来談していた生徒さんが、年度末の大掃除のときに、カウンセリング室をどうやって掃除したらいいかなと思っていると、「僕たち、やりますよ」ということで、数人の人がボランティアでやってきて大掃除をしてくれました。その生徒さんたちはこの1年間、掃除をサボってばかりいて、したこともない生徒さんばかりだったそうです。相談室の掃除ぶりは見事なもので、本当に窓ガラスまできれいに、バケツで水をぶっかけながらですけれども、ふき取って、本当に私は感動したんですけれども、担任の先生たちも驚いておられました。
  ことしになりますと、やはり同じ時期に3年生が不安定になります。私が月曜日に相談室を開けますと、私服で3人ぐらいのグループで窓をドンドンとやりまして、制服を着てませんから、教室に入れないわけです。「あら、どうしたの」と聞きましたら、家出をして、きのうは寝ていないということで、入れてほしいという来談を受けました。家出をして、学校に戻ってくるというのはなかなかおもしろいと思うんですけれども、どこにも行き場所がなくて、一晩本当に寒くて、凍えて、じっとしてられないので、歩き続けてクタクタで、とにかく気がついたらカウンセリング室の窓をたたいていたという利用もありました。
  女のお子さんは、仲間関係、友達同士でトラブルがあり、うまくいかないとか、グループができておりますので、入りづらいとか、そういう友達関係の問題が、多いようです。

○  それでは、お二方のヒアリング並びにそれに関する議論をこれで終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
  それでは、引き続きまして、次のヒアリングをお願いいたします。
  綾部頼子様でございます。綾部様は宮崎家庭裁判所で家事調停員として勤務される傍ら、宮崎県教育委員会が実施しております親や青少年を対象とする電話相談「希望のテレフォン」の相談員として活躍されていらっしゃいます。本日は、「電話相談の取組の現状と課題」について御意見を伺いまして、その後、再び討議をしたいと思います。
  それでは、綾部さん、よろしくお願いいたします。

◎綾部意見発表者    宮崎県の教育委員会に設置されております「希望のテレフォン」という相談電話の相談員の綾部でございます。よろしくお願いいたします。
  私のつたない実践でございますが、私が日ごろ感じていることを申し述べさせていただきたいと思います。
  初めに、「希望のテレフォン」について簡単に御説明いたします。レジュメのほうでございますが、この電話相談は昭和52年に、家庭教育の充実・向上を目的に設置されました。運営の概要は、レジュメのとおりでございます。また、過去10年間の実績は、後ろのほうの資料、それから相談内容の特徴についてはレジュメの「(2)   」「(3) 」に記したとおりでございます。
  相談にかかわる基本的な姿勢といたしましては、目的にもありますように、家庭教育はいかにあるべきかということを常に念頭に置くことに心がけております。これまで小さい子どもに関する相談であれば、人に迷惑をかけないとか、身体的に危険なこと以外はもっと伸び伸び育てることを基本的に助言しておりましたが、最近では相談内容が複雑多岐にわたっておりまして、特に心の問題に関する相談が多くなってきて、改めて家庭教育とは何かということを考えさせられる毎日でございます。
  そういう観点から、相談の現状と問題点について、事例を中心に申し述べてみたいと思います。
  平成8年度の相談状況についてでございますが、資料のとおりでございます。少し減少しておりますが、今年度は増加の傾向にあります。その特徴といたしまして、少しお話ししてみたいと思います。
  いじめ問題が起きましてから、親からの相談の多くは、いじめ、登校拒否に関する学校や担任への対応の不満です。もっと真剣に受けとめてほしい、具体的に動いてほしいというものです。青少年本人から、友達関係の相談の多くはいじめに関するもの、また友人ができにくいというたぐいの相談でございます。いじめに関しては、これまでは子どもの世界に大人は入るなとの考えのもとに、子ども自身に解決させるように助言してまいりましたが、最近のいじめの陰湿化、深刻化の現状では、子どもの耐性づくりとともに、大人がどこまでかかわっていけばよいのか、大変複雑な状況であることを実感しております。
  かつて自殺予告の電話があり、いじめが絡んでいるものでございました。幸い即時対応により、最悪の結果には至りませんでしたが、後日の報告によりますと、いじめた子どもは学校ではよい子であるということを聞いて、この問題の厳しい現実を知らされた思いがいたしました。今、一見よい子が多くなってきているように思います。反抗しないで育った大学生の悩み相談を受け、また考えさせられました。彼は、父親がまじめ過ぎて、遊んでもらったことがなかったそうです。また、父親の望むとおりにまじめにやってきたけれども、今、そのために友達づき合いができない、友達と話が合わないと、泣いて母親に訴えたというわけです。
  しつけの問題で、親が一番苦労しているのは、反抗期の子どもへの対応です。わがままで育った子どもは反抗が激しく、家庭内暴力に発展する事例もありました。これは親が子育てに関する一貫した考え方を持ち、小さいときから親の言うことにはどこかで聞かないといけないのだという親子関係が築かれていれば困ることはないと考えます。最近は複雑な家族関係が増えてきており、相談の背景にそのことを感じます。
  中学1年生の女の子の事例でございます。姉が自分にきつく当たるという単なる兄弟間の仲の悪さかと思っていましたところ、離婚した両親のこと、祖母の家で育てられているということがわかり、この子の寂しさをようやく理解したことでございました。
  続いて、乳幼児に関する相談の現状です。相談内容については、資料にまとめられているとおりでございます。その中で考えられることを申し述べます。
  育児に関しての情報過多なのか、しかることさえ子どもがひがむといけないとの考えからか、石を投げる子どもをどうしたらよいかとの相談。また、幼稚園・保育園に関する問題が多くなってきていますが、自分が育てるより専門家に育ててもらったほうがうまく育つのではないかという相談があったときは唖然といたしました。園問題の相談の多くは、園の先生、保母たちに対する不満や登園しぶりでございます。早くから入園させることに疑問を感じているところです。
  保母からの相談もあり、昼寝の時間をどれぐらいとればよいかとか、子どもの接し方はどうすればよいかなど、また中には、自分の園内の問題を内部告発ぎみに訴えてくる相談もあって、園の教育環境として疑問を感じる内容もございました。
  しつけに関しても、以前は排泄に関すること、食事のしつけ、基本的な生活習慣に関するものが多くありましたが、最近は資料にありますように、母親のそばを離れない、親の言うことを聞かない、要求が通らないと泣きわめくなど、乳幼児も何か満たされないものがあるのではないかと思われ、また、それらの状況にいかに対応すればよいかと悩む親の姿が浮き彫りにされているように感じます。
  また、最近、育児ノイローゼ、児童虐待が社会問題になっておりますが、母親に反抗してたたかれる5歳の男の子が、母親の余りのエスカレートに「殺してやる」と口走り、これからの母子関係が心配だという父親のケースもございました。
  私が以前から感じていることの一つに、子どもたちの遊びやいたずらに関する相談がほとんどなくなったことです。青少年自身からの「友達ができない」という悩みも、こんなところに原因があるのではないかと考えるところです。
  以上、現状について駆け足でございましたが、レジュメに沿って申し上げました。そして、今現在、私が相談員として感じていることは、レジュメの「2」の「(3)   」に書いてありますが、特に「4」のことについてお話ししたいと思います。
  これは最近の相談例ですが、息子の進路問題について悩んで相談してきた母親の口から漏れた言葉でございます。「息子の説得を母親任せにしている父親は、祖母に言わせれば、社会的地位もあり、自慢のよい子なんですよ」と。私はその言葉に、大人として成長していない父親の姿を想像してしまいました。
  終わりに、一つの事例をお話しして、私の話の締めくくりにさせていただきます。レジュメの終わりのところに書いてあります事例は、ある祖母からの相談です。電車の中で靴のままシートに上った孫を注意するように言った祖母に対して、「子どもの自主性に任せ、伸び伸びと育てる主義だから」と反発した母親の例です。核家族が進行して、子育てに戸惑っているのではないかという懸念もさることながら、3世代家族であっても、祖父母の助言が取り入れられなく、若い親流の間違った子育ての状況もあるようです。神戸事件以来、若い人の間には「子育てが怖い」とか、「子どもを産むことが怖い」というお話を耳にします。今こそきちんと子育てを学ばせる必要があるのではないかと思います。立派に教育された両親のもとで、幼い子どもの心が健やかに育つのではないかと思う次第でございます。
  以上でございます。

○  道徳については、あまり相談がないようなのですが、その辺はどういう状況なのでしょうか。  

◎綾部意見発表者    しつけに関する相談に関係するようなことじゃないかと思うんですけれども、親御さんからそういうしつけに関する相談が少なくなっている感じではあります。最近でございますけれども、大学生から、今から面接に行くんだけれども、どんな挨拶の仕方をして、礼儀を守ったらいいかという相談ございまして、〈あ、やっぱり小さいときから親御さんからしつけられてないな〉ということを感じました。親御さんの意識の中には、しつけをしないといけないということがないんじゃないかと、これは私の偏見かもしれませんが、感じます。

○  相談の仕方なんですけれども、1回限りで終わるのか、あるいは継続的にずっとなさるのか。あるいはテレホンを超えて、直接お会いして面談というかかわりがあるのかどうか。

◎綾部意見発表者    一応電話相談だけでございますので、面接のほうは違う相談機関をまた紹介しております。教育問題でしたら教育研修センターのほうに、今、いろいろと相談の電話ができていますから。
  継続してというのはあるんです。今、育児ノイローゼでずっとかけているお母さんがいらっしゃいますし、私たちは、言葉が悪いんですけど、お得意様みたいな感じで言っているんですが、ずっと続けてあります。
  それから、さっきいじめの問題で、自殺者のことをちょっとお話ししましたけれども、これとはまた別なんですが、高校生でやっぱり自殺したいという相談がございまして、それから26歳ぐらいになってでしょうか、「僕の声を覚えてますか」とかけてこられまして、こちらも忘れてたんですけれども、「実は……」という感じでいろいろ話してましたら、〈ああ、自殺したいと言った子どもなんだ〉とそのとき感じました。それから、登校拒否を高校生のときにいたしましたお嬢さんのお母さんが、3年間ぐらいたって「行くようになりました。その節はありがとうございました」というお礼の電話があったりして、私たちもそのときはほっといたします。結構継続してかけてくるお子さんとか、お母さんとかあります。

○  12ページの「親からの相談」の「小・中学生の『学校問題』」ということでは、学校や担任への不信・不満が一番多いということですけれども、何もしないということなんでしょうか。その不満等の具体的な事例を差し支えない範囲でお願いできればと思います。

◎綾部意見発表者    学校というところは、すぐ対応をパッと右左にはできない感じだと思うんです。先生方もいろいろ雑用がございますから。その間にお話ししても、「二、三日たっても何の連絡もないんです。どうしたらいいでしょうか」という感じなんですね。学校もそういう事情もあるからということで、いろいろお聞きしたり、こんなふうにしてもう一回学校のほうに連絡するなり、担任の先生にお話ししてみたらということで、私たちは実際に動くことができませんもんですから、そういうふうにして、もしまた問題があったら、またかけてくださいということでお話ししております。

○  先生のほうから学校へ行くとか、あるいは教育委員会を通じて行くということはないですか。

◎綾部意見発表者    私たちはないんですけれども、生涯学習課の中にございますから、すぐ対応しないといけないものは、県の学校教育課のほうに回して、実際に事務所とか教育委員会から動いていただいているみたいです。特にいじめ問題に関しては、早急に係の先生に回しておりますので。やっぱり自殺者を出さないということの意気込みで頑張っておられます。

○  今のことに関連しまして、子どもたち自身から、いじめについての相談があるということですが、いじめにはさまざまの形があると思うんです。そのことについて何か傾向的なものがくみ取れるのかどうか。

◎綾部意見発表者    マスコミでよく報道されているような、無視されるとか、持ち物を隠されるとか、破られるとか、何かマスコミが報道されているようなことが多いんですね。別に宮崎だから特別こうだということはないような感じでございます。どこも一緒なのかなと思っていますけれども。特別変わったことはないと思っております。

○  それでは、どうも綾部先生ありがとうございました。
  続いて討議をお願いします。

○  まず、少年の非行の考え方なんですけれども、これはあってはいけない行動ですが、何もかにもそれを否定的にとらえるというのではなくて、そこから出しているサイン、あるいは信号を大人が見抜いて、我々大人や社会、学校、あるいはもっと広い意味の教育ということを提起しているというとらえ方が必要なのではないかと思われます。
  この際の非行という場合には、幅広くとらえまして、刑法犯に触れる行為のみならず、虞犯行為といいますか、児童生徒が本来正しく育つのにふさわしくない行為も含めた概念として考えてみたいと思います。
  それから、私の現場ではおおむね14歳から19歳の少年たちを対象にしていますので、一応その対象を考えていきたいと思います。
  非行は、一つは、まず周りの人たちに大変な迷惑をかけます。学校の集団であれば、学校の秩序が乱れますし、社会全体も困ります。
  もう一つは、こっちが大事なんですけれども、そういうことを野放しにしておくことが、物を盗んだり、人をなぐったりする行為そのものが、本人のきちんとした調和的な発達を阻害するという点で、至急にこれに対応して教育、保護していく必要性がある。こういう両方のニーズがあるということになるわけです。
  非行のメカニズムについては、これはその個々人の問題と、それを含む環境との間ででき上がっていくということになるわけです。
  最近の少年非行の特徴について話したいと思います。最近、目立つのは、普通に育っているように見える子どもたちによる「いきなり型」の非行ということになります。事案も重大で、何の関係もない道路上を歩いている中年の男性を群れで襲うという結果になるわけです。そして、学校を怠けることもなく通っている高校生が、薬物を使用したり、いわゆる援助交際ということが行われている。
  この二つの中に、キーになる言葉があるんですが、要するに「普通に育っているように見える」という言葉と、「学校を怠けることもなく通っている」というところであります。以前、少年の非行と申しますと、「普通に育っていないように見える」といいますか、外からはっきりお父さんの酒乱とか、お母さんの浪費、あるいは家出、異性問題、そういったことで、子どもも非常に荒れた生活をしているということが言えたし、また、そういうことが現在も基本的には少年非行の背景になっていることは依然として変わりありません。しかし、そのような子どもたちの姿が相対的に少なくなってまいりました。
  もう少し具体的に言いますと、中学3年生までは大人の期待に応じて受験勉強を一生懸命しまして、高校1年生になったときに、突然「いきなり型」といいますか、群れをつくってワイワイと、さっき述べたような非行行動に走っていく。あるいは女の子であれば、一気にそういう関係に持っていくというところに、今日の子どもたちが見えにくいと同時に、我々としてもこの対応を真剣に検討して、分析して、その背景、原因をきちんと理解していく必要に迫られているわけであります。
  ここで、おおむね子どもたちと言う場合は中学生・高校生を指しますけれども、子どもたちの心の問題に、共通して言えるのは、こういったことが挙げられます。
  例えば、恐喝することが犯罪ではないと思っていたというような高校生もおりまして、これも結構、学校も怠けないで、高校受験に合格した生徒さえもこういうことを言うことに、私自身も、我々の現場でも非常に驚いているわけです。
  それから、被害者へのいたわりや、社会に迷惑をかけたという気持ちが乏しいということ。自分の勝手な理屈で非行を合理化していく。カツアゲ、集団でおやじ狩り等をした自分は  ―おやじ狩りというのは、つまり強盗ですね。いきなりなぐって、財布を盗むわけですから。それが発覚しますと、そういう行動をした者は本当の自分でなくて、別の人がやったんだと。本当の自分は受験勉強をバンバンして、大学へ行って専門的な仕事に入りたい。そういうまじめな自分であると。あたかも二人の自分がいるような分離した人格像といいますか。どうしてこういう子どもたちが育っているのかという分析もきちっとしておく必要があるとは思いますけれども、何かすべて世の中が学校化しまして、高校あるいは大学に入りさえすればいい人間だということで、子どもたちも、ほかのことはどうでもいいんだというような感じがしないでもないような気がいたします。
  身近な大人の目を絶えず気にしているということです。その前では、いい子  ―さっきも報告に出てきましたけれども、よい子、あるいはいい子として行動する。評価を気にしながら行動している。見えないところでは何をしてもいいんだと、こういうパターン化が子どもたちの行動をかなり絞ってきているようにも思われます。
  狭い校友関係とマスコミの間違った情報のもとで行動して、自分の限られた二、三人あるいは五、六人の者以外は、すべて無機質という関係で見ている。だから、血を流して助けを求める被害者は無機質であるという考えでいる。
  ある少年は蛍光灯で大人をなぐって、そのまま大学進学塾へ行った。10分後には予備校のいすに座って、ルート何ぼの計算をちゃんとやっているということも事例としてあったわけであります。
  いろんなところでたくさん言われておりますけれども、自分の生きる目標、学ぶ目標もあいまいだというのが特徴になっております。
  次に生活史の問題に触れたいと思います。
  大体、いい子の非行の「突然型」の場合には、教育熱心な保護者であります。家庭が職員室のようになっておりまして、子どものスケジュールの一覧表が書かれたりしている。子どもたちも電話で遊ぶ時間を打ち合わせしてから遊ぶというようなことで非常に忙しい。それから、子育ての外注化ということになっている。あるいは、親子の情愛が疎遠だということが指摘されます。
  問題なのは、先ほどの一見問題ない子どもにつながってくるんですが、次の育ち方の問題です。これは幾つか説明されているもので、説明することもないと思いますが、ポイントを絞れば、さっき「群れ」と私はあえて2回言いまして、これで3回目なわけですけれども、これはまさに子ども時代を失った非行という特徴があると思います。
  それはどういうことかといいますと、いわゆるギャングエイジ期、幼児期から学童期の時期というのは、まさにワイワイと群れをつくってやる時期でありまして、そこから間違いや失敗、あるいは社会性、それからここまでやるといけない、あるいはだれかがリーダーシップをとっていくということの多くを学んでいくように思われます。ところが、最近の教育熱心な親たちというのは、それはむだな行為として一切排除してまいります。
  そうしますと、子どもたちは失った子ども時代を、一応親の願いでクリアした高校生のときにそれを再現していく。それが非行という形で、あたかも小さい子どもがチョウチョウや小動物に対していろいろしていくような体験を、人間に対して向けてくる。個の発生は類的発生を繰り返すと言うけれども、やはり狩りという本能が何かあるんでしょうか。非常に子どもたちはそこに生き生きとしている。失った子ども時代を非行によって再現するなんていうのはこれまではなかった現象であります。そういう意味では、我々の生活史の中でむだと思っていたことが、そうではないということを、一番最初に申し上げた彼らの信号、サインとして、現在の大人に提起しているのではないだろうかと考える次第であります。
  最後に一つだけ学校のほうに申し上げたいのは、言葉でしっかりと表現する力、それから他人の意見を尊重してよく聞く。ここがこれからの非行防止上、教育の問題として非常に重要になっているのではないか。つまり、彼らの多くは受験知識はありますけれども、自分の葛藤や心の悩みをうまく表現できる力が非常に乏しい気がしまして、それが直接暴力、あるいはその他の非行というゆがんだ形で表現しているように思います。だから、作文教育をしなさいということではないんですけれども、日ごろから学校教育は、自分の意思をきちっと伝えるということが大事です。それから、他人の意見を聞くということ。これは交わる力が非常に弱まっているということでもあると思うんですが、この二つのところを提案したいと思います。ありがとうございました。

○  一つお伺いしたいんですが、敬う、恐れるという感情がほとんどないということですが、これはその子たちにとって、例えば自分の中で、ああいう人になりたいなとか、あの人は恐いという、そういう人が全く存在しないということですか。

○  まずほとんど存在しません。決まりきったように「あなたは、将来、どういう人になりますか」と聞くんですけれども、大体は高校に入ることが目的としてあるんだと。それ以降は、入ってから考えますという感じです。それから、尊敬とか、自然現象を超えたようなものを敬うという気持ちはほとんどありません。100%に近い現象だと思います。
  また、恐い人もいません。恐いことは、学歴社会から追放されるというか、ルールから落ちることが恐いということです。

○  非行から学ぶということをおっしゃいましたけれども、まさにそうで、否定的な姿が、今の問題点を端的にあらわしているというふうに、そのように本当に感じました。
  そこで、自分を言葉でしっかりと表現する力の教育。他人の意見を聞き尊重する態度の重視のことですが、その辺のところをもうちょっと突っ込んでお聞きしたいと思います。
  というのは、今までの諸先生の話からも、われわれ自身が人のせいにしてばかりいたり、子育てまで人にやってもらったりする傾向が強くなっている。それからお母さんや子どもたちの側から見ると、自慢のできる息子でも、いい年をしたどうしようもない父親だと思われていたりするなど、我々がズキンとくる問題があろうと思いますので、意見発表者としては、いいこと悪いことをもっとしっかり教えろとか、徹底しろとか、おっしゃりたい点があるのかと思います。もし感じていることがありましたら、率直に教えてください。

○  直接の答えにはなりませんが、教育熱心の中に、我々は二つ見なければいけないと思います。
  一つは、大人の目から見た外形的な事実、つまり、きちっと塾へ行かせた、スポーツ少年団に行かせたということをもって、これまで我々は教育熱心という言葉でくくってきました。
  しかし、もう一つ、その成長のプロセスの中で、子ども自身がそれをどういうふうに受けとめて、そのとき、彼は何を親のほうから感じ取ったのか。つまり、子どもの目から見た心理的・主観的な生活史というものを、これからつくり直さなければいけないのではないか。先ほどの先生の意見発表の中に「心の中に入る」というお言葉がありましたけれども、新しい生活史をもう一回見直すことが必要だと思われます。
  つまり、何を言いたいかといいますと、熱心が必ずしも子どもの心を充実させていないということです。逆に母親より背が高くなったら、ぶんなぐってやろうとか、わざと性的な逸脱をして困らせてやろうとか、必ずしも子どもは親の言うとおりに育っていないし、逆にそのことが子どもの心を非常に寂しくしているということもあるわけです。

○  私がとらえている中学生像とかなり重なっているところが多かったです。
  一つ、学校で、自分をことばでしっかりと表現する力の教育はかなりやっているんです。小学校でも同じだと思います。ただし、学校でやったとしても、家庭に帰るとほとんど会話はないです。学校の体験が家庭で生かされていないという状況も私はとらえています。
  それから、しつけは、まさに勉強さえしていればいいというような感じで、お母さん方はしつけということをとらえているようです。
  ちょっと話が変わりますけれども、受験のプレッシャーということですね。これは後で坂上先生にもお伺いしたい点ですけれども、これはいかがでしょうか。中学校では進路指導ということで変わってはいるんですが、まだまだ親御さんとしては、高校に入れればいいということが、子どもへのプレッシャーになっているのではないかと思います。坂上先生、どうですか。先ほど、受験のプレッシャーというお話がございましたけれども、そのプレッシャーの背景は、学校でしょうか、親でしょうか。

◎坂上意見発表者    そのお子さんに応じてどちらもあるように感じます。学校でのプレッシャーということでは、あるお子さんは三者面談で、先生から「もうちょっと頑張れば、もう一ランク上の高校に入れる。もうちょっと頑張れ」と言われたそうです。お母さんは「そうでしょうか」と答えられて、本人が「先生、もうちょっと頑張って、もう一ランク上の学校に入れば、私が幸せになれますか」というふうに問われたそうです。そういう場面がありました。
  親からのプレッシャーは、やはりあると思いますが、先ほどの家出少年たちも、日曜日に、この中3の大事な時期に受験勉強もしないで、友達と下らない  ―親から見て下らない遊びをしていた。楽器の演奏をしていたそうです。そこに親が乗り込んでいって、こんな時期に何が音楽だということで、勉強させようとされて、反発して家出をして、一晩帰らなかったということがございますし、双方であろうかと思います。

○  人を信頼するという気持ちがない子どもは、我々は「非行性」と言うんですが、非行傾向の根が非常に深いということになります。一番大事なことです。ですから、親あるいは親に代わるだれかがしっかり受けとめて本人を養育していくということが、少年非行の一番の薬になるわけで、この安心感がないと、思春期になって浮遊していく、たむろしていく子どもたちをつくっていくということになります。
  あとは、小学校からだんだんと思春期にかけて教育していくことになるのではないかと思います。

○  スクールカウンセラーの先生方が配置になりまして、非常に大きな効果を上げているわけです。ところが、先ほど、慣れるのに2ヵ月間かかってしまったというようなお話があったわけですが、学校現場というのは、北谷先生がいろんな問題の分布をあらわしたグラフにありますように、絶えずさまざまな問題が次から次へと起こっているわけです。それらに対して適切に対応していかなければなりません。例えば、長期間見ていかなければならないものは、坂上先生が担当されたのか。この点については担任を中心に、あるいは生徒指導主事を中心にということがあります。ある線を引いた組織的な対応をしたのか、そこらの対応の仕方についてお話ししていただけたらと思います。
  もう一つは、今後、我々としてはスクールカウンセラーをもっと配置をしていただきたいわけです。そこで、これからスクールカウンセラーになっていく方々のために、先生が学校現場で御活躍された体験を通して、もっとこういう勉強をするといいのではないかとか、先生御自身がこういう勉強も必要になったとかいうことがありましたら教えていただきたいと思います。私は、スクールカウンセラーになる方は、学校で教育実習のような形で、1ヵ月間くらい研修されるといいのではないかと考えております。

◎坂上意見発表者    大変重要な問題で、私もその辺はとても大事だと思っておりますが、学校の中で、内容によって役割を先生と私とで分担しているのかという質問ですけれども、私はむしろ学校の先生が生徒たちを抱えておられる姿に感動いたしました。職員室が開放されておりまして、子どもたちが休み時間に自由に出入りしておりまして、非常にくつろいでいるわけです。自然に先生と生徒さんたちが会話を交わしておられる姿に、私は新鮮な驚きを覚えました。そこで、子どもたちが先生といろんな問題を  ―我々のところに来る前の段階で、先生たちが相当受け取っておられるなということを印象として感じました。
  子どもたちはやはり家で緊張していて、教室でも友達といい関係を持って、はみ出ないようにということでかなり緊張していまして、私の見たところ、職員室だけくつろいでいるという、そういう印象を受けるくらい、子どもたちは先生に抱えられている姿を私は見ました。
  そんな中から、私は先生方の実践から学ぶことがむしろ多かったんですけれども、その中でも先生方から「子どもと会ってください」ということでお願いされたケースに、私がお会いしてきたということで、特別に集まりを持って、私が受け持つか、先生が受け持つかということはございませんでした。
  私の場合、資格を得る以前の勉強といたしまして、今回、公立の学校に入るのに非常に役立ったと思われますのは、私は大学では、社会人類学を専攻しておりました。公立の学校に入るに当たりまして、先ほどもちょっと冒頭申し上げましたが、異質なものが入り込む、違う文化の中に入り込むという意味では、社会人類学はまさにその分野の学問であります。中根千枝氏の『適応の条件』という本の中では、海外駐在員が海外に行ったときに、いろいろなトラブルとか、失敗とかしますが、その辺で日本人の文化的な特徴とか、システムの違いなどが非常によく書かれております。私は夏休みにもう1回その本を読み返しまして、異質な者として入るときには、学校のシステムを脅かさない形で、学校のシステムを大事にしながら、ゆっくり、邪魔をしない形で入っていくということを非常に心がけました。むしろ心理学のほかにも、そういう社会人類学的な下地が必要なのかなと、私は役立ちましたので、個人的な体験からそんなふうに感じております。

○  本日は、「論点整理メモ」を準備いたしました。15期、16期の前半に比べますと、かなり問題が難しいものですから、厚いものになっております。これはこれまで相当の審議を重ねましたし、またヒアリングでお招きした方から多数の貴重な御意見をいただいております。これをまとめたものでございます。このまとめについては、いわば意見を事項別に箇条書きのような形で整理してあるだけであります。
  皆様方の感想めいた御意見、それから専門家の方からの深い洞察並びにここで出ました対策、そういうふうなものがまじり合っております。これから御議論をいただきながら整理していきたいと思いますが、とりあえず項目として、1番目「我が国社会と心の問題」、2番目「乳幼児の心の教育」、3番目「青少年の心の教育」、4番目「情報環境と子どもの心」、5番目「国民への呼びかけ」という大きな柱立てにしております。
  きょうは、簡単にこの中身について皆様方に御紹介をしたいと存じます。
  最初の項、「我が国の社会と心の問題」の「(1) 」では、「我が国の社会全体の大きな変化の流れ」というキャプションにしておりますけれども、4番目の「○」のところで、戦後の我が国は、日本の伝統的な諸価値も大切にされなくなっている反面、そうかといって欧米流の個人主義的な価値観も十分に定着していない。いわば価値の空洞化というべき状況が生じている。そこで、心の問題ということが大きな問題になりつつある。
  社会意識としては、真ん中ほどですが、「会社よりも家族」「仕事よりも趣味」等、意見発表でお使いになった「プライバタイゼーション(私事化)」という現象が顕著になりつつあるという御指摘が出ております。
  それから、一番下の「○」で、メディア社会が到来して、人々の存在感や現実感に変容が見られているという指摘であります。
  2ページへまいりまして、「子どもの生活環境の変化について」の「i)」の「家族の構造・機能の変化」は、皆様すべての方がおっしゃっておりますが、家族構成の単一化といいますかね。小規模化、核家族化、単一化。したがって、それから生じてくる価値観の単一化みたいな現象が顕著になっているということ。
  それから、少子化・核家族化、女性の社会進出ということで、そこには「父親の不在」と書いてありますけれども、男女の役割に大きな変化が出てきたということの指摘がありました。
  それから、大事な視点として、4番目の「○」で、「ジェネラティビティ・クライシス(次の世代をつくり育てる心を失う危機)」というものに直面しているのではないかという御指摘であります。
  3ページで、いわば同じようなことですが、一番上の「○」、生活水準の向上、家族の構造の変化に伴って、家族に対しては「生活保持機能」よりも、心の安らぎを得る「精神的機能」が期待されるように変化してきているという御指摘がありました。
  次が、「家庭・家族をめぐる問題状況」。人間関係が非常に貧しくなっているということは、きょうのプレゼンテーションでも再三出ましたけれども、要するに家族同士が接触する時間、コミュニケーションする時間が減ってきているという指摘が再三出ております。
  それから、「家庭・家族をめぐる問題状況―過保護・過干渉と放任、しつけ」も、きょうの御発表にありましたが、一番上の「○」のように、保育が母子二人の密室保育となっているということ。その辺からくる危険性の御指摘が出ております。
  一番上の「○」、「家庭の学校化」です。家庭で子どもの順位をすぐ考える。「家庭の学校化」という現象が出てきているのではないかということ。
  次の「家庭・家族をめぐる問題状況―母親・父親の問題、夫婦関係等」で、これは母親でいらっしゃる方から異論があろうかと思いますけれども、出てきた御意見では、濃密な人間関係を経験していない。そういったことからくる育児の問題が指摘されております。
  それから、父親の存在については、そういうものが非常に希薄化しているということです。国際比較でも、日本の父親の存在といいますか、日本の父親の現状は、ほかの国のそれとはかなり違ったものになっているという御指摘であります。
  一番下、夫婦についてでありますが、相互理解、愛情の上に立って、共に生き、子育てに当たる姿勢が大事なんだろうという御指摘です。
  それから、地域社会については、先ほども御発表の中で地域社会の問題について触れていただきましたけれども、そこに書いてございますように、他人の子どもに無関心ということ、地域社会での人間関係が希薄化しているという指摘がございました。
  それから、随所に出てまいりますが、自然体験や生活体験ですね。きょうも皆さんのお話に出てきておりますが、そういうものが総じて減少してきているということであります。
  学校をめぐる状況についてでありますが、勉強さえできればいいということで、逆に勉強しないと落ちこぼれるという非常にネガティブなプレッシャーが強い。そういうことからくる、若者のいわゆるアパシーが顕著になっているということの指摘が出ております。
  それから、情報環境をめぐる状況については、いろいろありますけれども、テレビ視聴やテレビゲームなどの遊びに無制限に、家庭で子どもに放任状態にしている親が多いという指摘があります。
  それから、下から二つ目の「○」で、テレビゲームでよく遊ぶ子どもほどコミュニケーション耐性が低いという傾向があるという御指摘であります。
  それから、有害情報の反乱。これも言うまでもありませんが、二つ目の「○」に書いてありますように、調査によると、相当数の中・高生がアダルトビデオ、ホラービデオ等の映像メディアに接触経験があるということで、具体的な数字がそこに出ております。
  次が、「現代の子どもの行動と心の在り方について」ということで、家事や社会参加の時間が非常に少なくなっている。勉強、勉強、勉強という形ですね。その反面、家庭で放任されているということで、子どもちたの生活のリズムが非常に乱れてきているというのが我が国の特徴であるという御指摘であります。
  それから、私、個人的に気になりましたのは、「心の在り方―規範意識等」の上の二つ目の「○」の、読書量の低下ですね。これは欧米諸国の同世代の子どもに比べて猛烈に減っているのではないか、そんな気が個人的にいたしております。
  それから、「心の在り方―規範意識等」については、非常にショッキングなデータがあって、この統計の取り方について御異議も出ましたけれども、どうも子どもたちの規範意識が低下しているというのは本当ではないか。これが日本だけが突出して低下していると思われるようなところがあるということです。
  3番目、4番目のところに、日・米の比較、日・米・韓の比較などを書いてありますが、、マナーでありますとか、普遍的なものについて、日本は学校でも家庭でも学習していないのではないかという御指摘です。
  次のページへいきまして、「心の在り方―人間関係等」です。これでいきますと、人間関係づくりがうまくいかない子どもが増えているということ。さっき「群れ」という話が出ましたけれども、「群れ」をつくる時期が違っているというところと共通するかと思います。
  それから、「心の在り方―将来の夢など」では、国際比較をすると、日本の子どもは満足感、幸せ感が低い。そういう御指摘がきょうも出ておりました。
  8ページのところに、これは15期、16期の答申でも書いてありますけれども、現代の子どもは積極面もあるということで、積極面の指摘があります。国際問題やボランティア活動、社会参加活動への関心が非常に高いということがあるんではないか。
  次は、「少年非行やいじめ」の問題でありますけれども、これもヒアリングで非常にショッキングなデータをお示しいただきましたが、少年犯罪は戦後第4のピークに向けて急激な増加傾向を示しているということであります。
  それから、下から四つ目の「○」、非行の様相を見ると、最近はいわゆる「良い子」の非行が増えている。「いきなり型」ですね。こういう御指摘が再三出ております。
  次へまいりまして、10ページ、「乳幼児の心の教育」でありますが、これにつきましては、やはり乳幼児の段階でも「親との愛情ある触れ合い……」、「触れ合いこそ」と言ったほうがいいかもしれませんが、「親との愛情ある触れ合いを通じて基本的な信頼関係を形成する」ことが大事である。したがって、育児不安が大きいと、安心感、満足感、信頼感、確実感が子どもの心に根づかないという御指摘がありました。
  それから、一番下の「○」で、「家庭の学校化」というんでしょうか、最近の親は子どもの相対的な順位を気にする傾向がある。3歳以降、その傾向が非常に強くなるという御指摘であります。
  それから、2番目の「しつけ」については、しつけができていないということは再三指摘しておりますけれども、二つ目の「○」、「乳幼児から、節度、抑制力、社会性などを育てることが重要であって、親が自らの態度で示すことが大事」ということの御指摘がありました。
  次のページで、「様々な体験や遊びの意義・重要性など」のすぐ上の「○」でありますが、「心の発達課題やしつけの留意点について普及啓発を図るべき」であるということで、外側でシステムをつくっていく必要があろうということの御指摘であります。
  それから、「様々な体験や遊びの意義・重要性」では、遊びというものが子どもの世界から非常に少なくなっているということの指摘であります。
  次でありますが、「しつけ等の基盤となる望ましい家族の在り方」で、父親の問題が下から三つ目、四つ目の「○」で指摘をしてございます。
  「子育て支援」についても随分御意見がございました。育児不安は、どうも専業主婦のほうがフルタイムで働く母親よりも高い育児不安を持っているということの指摘があります。その下の意見はそれと相対する意見を書いてございます。
  それから、「子育て支援の体制づくり」でありますけれども、システムを国として社会的に整備するべきではないかということで、五つ目の「○」、「子育てについて些細なことでも気軽に相談し、悩みをくみ取ってくれる場が身近に欲しい」、身近につくるべきだと。「電話やインターネット等を利用した相談システムの整備を考えるべき」ではないかということであります。
  下から二つ目の「○」、これもきょうの御発表に関係がありますが、専門的なファミリーカウンセラーやファミリーセラピストを育成して、市町村の公共施設に配置すべきではないかということであります。
  それから、「家庭教育に関する学習機会、子育てに関する情報の普及」でありますけれども、二つ目の「○」のところに、現代の母親へのアプローチとして、母子関係を深める視点を持たせる、生き物や自然に接することを通して生きることのリアリティーを伝えることを指摘してございます。
  それから、一番下の「○」で、今の母親はマニュアル世代  ―「ハナコ世代」とおっしゃったと思いますが、説明すればわかるはずであって、国民に心の教育の在り方をわかりやすく提示し、問題提起をしていくことが肝要であろうということ。
  それから、「親となるための準備教育」で、一番最初の「○」です。大人になるまでの間に子どもとの接触時間が多い者は、そうでない場合に比して子ども好きな傾向があるということ。
  一番下の「○」で、ですから、思春期の青少年が小さい子どもと触れ合う機会を設けることが大事ではないかということであります。実体験としてこういうことを経験させることの重要性の指摘であります。
  それから、「社会システム」では、家族にやさしい社会をいかにつくるかということが重要であろうという御指摘であります。
  次へまいりまして、「幼稚園・保育所」については、幼稚園の役割ですね。基本的なしつけを行う場である家庭と連携することの必要性。
  それから、その下、「教育・保育の内容・方法等」で、幼稚園の教育内容については、心身の健康を培う活動や直接体験を積極的に取り入れるということの必要性、それから集団とのかかわりの中での自己実現が大事であろう。
  それから、16ページで、「開かれた幼稚園・保育所づくり」というのがありますが、これは地域との関係にもなりますけれども、保護者が積極的に幼稚園・保育所に参加していくといいますか、幼稚園・保育所での子育てに参加していくことが大事だという指摘がたくさん出ております。
  あと御覧いただきますと、かなり細かいところで指摘をしてございます。
  19ページ、「道徳教育」のところです。先ほど、日本の子どもたちの規範意識が低いということ、しつけができていないということがありましたけれども、19ページの徳育のところの四つ目の「○」、「家庭の機能の外注化」、先ほども出ましたけれども、子育てを専門家にやってもらうというお話がありましたが、そんなことの意識が親にあるという指摘がが出ております。
  それから、一番下のところで、これはきょうも御指摘がございましたが、子どもの中で遊びや何でもいいんですけれども、「仕切り屋」がいなくなった。昔だと「番長」と言ったんでしょうけれども、そういう「仕切り屋」がいなくなったということで、そういうものを育てることが必要ではないか。
  道徳教育については、やはり教師のクオリティーの問題があろうということですね。それから、副読本の中にはいいものもあるんだけれども、そうでないものがあるので、その辺のところを国として考える必要があるのではないかという御指摘がありました。
  「生徒指導・教育相談」についてでありますが、これは私は重要な提案だと思いますが、スクールカウンセラー等の四つ目の「○」、「カウンセラーの教育においては、危機介入テクニックや非行臨床的技術、精神医学との協力を学ばせることが重要である」という御指摘が出ております。
  それから、「いじめ・登校拒否、非行の問題」です。問題行動については毅然とした対応をとるべきではないか。そのためには、例えば校長が一人で悩まないように、校長の諮問機関などをつくって、地域住民の意思を反映させることも必要であろうという御指摘であります。
  それから、「4」の「情報環境と子どもの心」のところで、メディアがもたらす有害状況について、なかなか日本の社会では難しいところでありますが、例えば一番下のテレビのVチップの導入に日本のテレビの関係者は慎重だけれども、これについても考えていくことが必要ではないかという指摘がございました。
  一番最後の「国民への呼びかけ」ということで、要するに一番最初の「○」で、心の教育はすべての国民の心の問題であって、国民全体を巻き込んでこの問題に取り組むことが必要であろうという御指摘、その他幾つかの御指摘が出ております。
  それでは、これをもとに御議論をいただければと思います。

○  きょう、ヒアリングをお聞きして余計思ったんですが、やはり子どもが問題だけれども、要は大人も問題というか、そういう感じがして、結局、カウンセラーのところにも親がたくさんやってくる。そして、親の指導をしているうちに、子どももよくなったという例もありました。それから、先生方を支えているうちに、全体が変わってきたとか、そういう点で、親のことも考えていかねばならない。
  スクールカウンセラーについては、さっき事例がありましたように、非常に活躍してくださっており、私もうれしく思っておりますが、一般的にスクールカウンセラーというと、何か文部省が対症療法的にちょこっと入れたのではないかというふうに思われるので、先ほどのお話を聞いていてわかりますが、それによって子どもが変わり、親が変わり、学校が変わるようなすごいムーブメントに発展していくというところをもうちょっと御理解いただけたら、学校へ行ってない子を行かすようにしてるというのでなくて、もっと心全体、あるいは組織全体まで変わるほどのことをしているということを理解してもらう必要があるのではないかと思っております。
  そして、今、非常にうまく動いているんですが、もっと踏み込んでいくと、訪問してカウンセリングするということまで考えていいんじゃないかと私は思っているんです。ただ、これは非常に難しいんですね。よほどのベテランでないとできないんです。いわば向こうへ乗り込んでいくわけですから、よくできる人がしないとだめなんですが、私はできる人にはそういう訓練をだんだんしてきているわけですが、これを次に考えていただけたらと思います。
  それと、先ほどの報告でも出ていましたが、学校でなくて、地域でもう少し手軽に相談できる  ―要するに、非常に気の毒なのは、今の親は相談できる場所がないんです。自分の両親にはメンツがあって相談したくないんです、親には負けないと思ってて。そして、同じ学校に行っている父兄には、これは敵みたいなもんですから、言いたくないんですね。細かいことでも相談したいことがたくさんあるんだけれども、どこへ行ったらいいか……。結局、スクールカウンセラーのところでもどんどん来るようになってきたわけですが、それがもっと外へ出てですね。先ほどテレホンサービスの話があって、テレホンサービスへ随分言っていたということは、やっぱり電話は言いやすいんですね。ところが、テレホンサービスは、そこから次につないでもらわないと、続けてできないんです。ですから、テレホンサービスをしておられる方と連携してするとか、専門家の人がうまくつながっていけば、ボランティア活動なんかをしている人とうまく連携してできるのではないかということも私は思いました。

○  3点ほどコメントしたいと思います。
  一つは、今も御指摘がありましたが、日本の社会の在り方についての反省でございます。読み書きそろばんという光の部分では、日本は世界最高水準のところまできている。しかし、きょうも話しになっております心の部分について、非常に深刻な問題を抱えておる。ですから、今、総理が掲げている六大改革の中でも、私は教育改革というのが最大の改革であるべきだという意識を持っております。明治維新以来、膨大な金を日本は教育に投じて、そして今日の日本をつくってまいりましたが、やはりそのくらいの思いを持って教育改革に取り組まなければならないのではないかという思いでございます。
  社会の在り方の中で、一番問題になっておりますのは、アパシーの問題、人間疎外の問題。一体どうして無機質な社会が一面においてできてきたかということを反省いたしますと、一つには市場経済という仕組みが欲望と欲望の交換によって成り立っておるということでございまして、結局、欲望が正義だというような考え方が我が国の社会になきにしもあらず。それがまた拝金思想につながっていきまして、いい学校を出るために、子どもを一生懸命いい塾へ行かせる。そのためにはお金をどんどん使うというようなことで、エリート信仰というのが非常に強いのではないか。絶対にエリート信仰というものを打破する仕組みを考えるべきではないか。ということは、敗者復活という立場が私は絶対に必要だと思っております。
  同時に、今や情報通信革命の時代に入りまして、これはバーチャルリアリティーの世界ですから、目と目を見詰め合って物語るというような時間がだんだんなくなってくる。そうなりますと、これはまた人間性の疎外を促進するということで、よほど人間性を回復するという視点を置いて教育していかなければならないのではないかということが、第1点でございます。
  第2点は、我々はいかなる価値を追求すべきかということについての論議がまだ足りないのではないかと思います。いろいろな考え方がございますけれども、結局は自由というものを教育の面では教えますけれども、その対立項として規律というものを子どもに対して徹底的に教える。自由と規律。そして、全体のためには自分が犠牲になるような子どもをつくっていく。しかし、その根幹には人を愛するというね。我々の時代は、弱い者いじめというものは最も排斥さるべきものであるという教育を、僕らは小さいころに受けたんです。ところが最近を見ますと、いじめが非常にはびこっておるというようなこと。そしてまた、うそを言わない。先ほどのお話にもございましたが、子どもたちが二重人格化して、罪を犯した子がすぐ次のところへ行って勉強しているというようなお話がございましたが、こういった二重人格化を阻止する教育を考えなければならないのではないか。
  3番目は、幼児教育、小さい子たちの教育に主として重点を置いて考えますと、やはり遊ぶということの意味を相当に大きく考えなくちゃいけないのではないか。僕らは要するに、「よく遊び、よく学べ」ということで、今日まで育ってきたわけです。やっぱりよく遊ぶ子でなければ、よく学んでそれだけの成果は出てこないという考え方を私はいまだに持っておるわけです。遊びの中に自らのいろいろな工夫なり、独創性なり、あるいはいろいろな好奇心をかき立てられるということで、この遊ぶということに相当時間をかけるような環境をつくってやる必要がある。
  その遊びというものは、やはり自然の環境の中で遊べるような環境をつくってやるということでありまして、ここの中にも出ておりますが、地方の学校と都会の学校とがお互いに交換し合うとか、欧米でもいろいろあるようですが、我々小学校・中学校時代を振り返ってみますと、年間2ヵ月ぐらいは林間学校や臨海学校に行っておりまして、そういう中で非常に楽しい思い出もございましたし、また、いろいろな発見に出合うということでございまして、やはり自然との交流、そして遊びということを考えていく必要があるのではないか。
  それから、古典といいますか、歴史といいますか、そういったものを題材にした絵本なり、幼児に対して本当に価値のあるものを教え込んでいく。中学あるいは高校においては、古典と歴史というものは絶対に教え込まなければならないのではないかということで、特に私は自然と遊びと、それから古典的な価値のあるもの、そういったものを小さい人たちに教えてもらいたい。
  最後になりますけれども、敗者復活ということについては、企業も非常に責任がございまして、学歴社会をもたらしたということについてはよく反省しなくてはならない。就職協定をやめたということの背景の中には、そういう思いがあったわけでございます。

○  スクールカウンセラーの坂上先生がおっしゃったことを大変興味深く拝聴いたしました。
  その一つの印象は、カウンセラーの立場というか、位置づけの問題で、学校教育の中でまだ明確にされていないのではないかという印象を持ちました。つまり、カウンセラーがアドバイス、あるいは子どもの問題、親の問題を理解した場合に、それを学校当局へ対して進言する、アドバイスする権限とか、力というものがどれだけあるのか。あるいは、生徒に対してアドバイスする場合に、どういう立場でするのか。あるいは、生徒の親に対してアドバイスする場合に、学校制度の中でどういう位置づけで行うのか。それから、社会に対してどこがという問題があります。
  カウンセラーの重要性というものを非常に感じますところから言いますと、もっと明確な立場を文部省なりでつくっていただきたいと思います。カウンセラーが進言したこととか、アドバイスをしたことをきちんと守るという体制をつくる必要があるだろうと思います。
  そのほかにおっしゃったことで、先ほど図らずも坂上先生は、大学では社会人類学を勉強されたということであります。これは大変重要なことであって、心理学だけでは何の役にも立たんところもある。心理学と文化人類学を合わせると最強のコンビになるので、今の大学は、臨床心理士というものの資格がもらえるというので、臨床心理学に学生も殺到しますし、また文部省も非常に熱心ですから、臨床心理学の学科とか、コースをつくるのが非常に盛んでありますが、それだけではバランスを欠くのであって、坂上先生のような大変すばらしい例があるのと同じように、異質のものとか、他者を理解するための文化人類学的なアプローチ、つまり違った条件に適応していく力を与える、あるいは、学校から出て、家庭に入ってカウンセリングをするということは、いわば人類学の方法である参与観察法といいますか、自らその中へ入っていって、異文化の社会でその理解をするという方法が、今の学校教育には非常に欠けているわけでありますが、そういうことをいわば勉強された方がカウンセラーになることも、この際、非常に重要だと申し上げたいと思います。
  もう一つ気がついたことを言いますと、先ほど「マニュアル世代」という言葉が出ました、「ハナコ世代」ですか。その世代の人々はマニュアルを参考にする習慣があるの、話せばわかるというか、理解はするんだとおっしゃって、これが再三出てまいりましたが、これは全然違うのではないかと思うんです。マニュアルというのは画一的なことを教えるわけであって、こういうマニュアルを適用すれば、すべて同じ答えが出てくるというような行き方ですね。
  それに対して、今問題になっているのは、個性とか、自分の子どもであっても兄弟によって全部性格も違うわけですから、個別の子どもをどう理解するかということです。マニュアルで育った人たちはみんな同じ答えを要求するわけですが、実は子どもなんか全部個性が違うわけです。ですから、マニュアル的なものに過大な期待をかけますと、これは全く逆の効果を生み出す可能性もある。あまりマニュアルと書いてあるので、ちょっと気になりましたので、つけ加えさせていただきました。

○  「論点整理」を拝見していて、一つ思いましたのは、家庭の重要性についていろいろ述べられているわけですけれども、もう少し詰めて議論をしなければいけないのではないかという気がしたんです。
  どういうことかといいますと、家庭と家庭を構成する個人、あるいは家庭が個人との関係においてどうなのか、あるいは家庭を構成する個人が家庭との関係でどういうふうに位置づけられるべきなのかということの議論が詰まってないのではないかという気がしました。
  それは、例えばこの中に、女性が仕事を持って云々、あるいは男女の役割が変わってきているという話がありますけれども、家庭というのは、どこかに「川の字文化」という話もありまして、「川の字文化」に戻るべきだという御意見もありましたが、「川の字文化」が象徴するのは何かよくわかりませんが、家庭がユニットである、社会の基本単位であるということだと思います。そのような意味で、「川の字文化」がいいと言われているのであれば、恐らく今の社会の変化というのは、もはやそうではないと思うんです。「ネットワーク家庭」という話が出ていましたけれども、むしろ個人、個人が点として、家庭の中を構成するユニットとして重要なんだということをきちんと認識すべきではないでしょうか。
  多くの場合、男性は家庭を持つことと社会である役割を果たすことと矛盾をしませんので、あまりそういう意識はないのではないかという気はしますけれども、今、少子化とか、いろいろ言われているその背景には、女性が個人として生きたい、だけど家庭もあるということの矛盾が、結果的にそういう形であらわれていることも非常に大きいと思うんです。それから、子どもが個人として尊重されるということも、家庭の一員として大事なのではなくて、個人として重要なんだという認識もしておかないといけないと思います。ですから、親は子どもを育てさせてもらうということなのではないかと思います。その辺の家庭と個人を相互にどういうふうに位置づけていくかという議論が、必ずしも明確になっていないと思いまして、今後、議論をする過程で、もっとそこを詰めていく必要があるのではないかというのが1点。
  もう1点は、小さいことですけれども、道徳教育の中身について、私が申し上げたことが入ってないような気がしましたので、そこを入れていただければというお願いでございます。全体として議論した結果、それはふさわしくないということが最後のまとめの段階で各委員の意見となるのならいいんですけれども、今の段階は一応全部の意見が網羅されているわけなので。
  私がそのときに申し上げましたのは、社会あるいは組織の一員として社会あるいは組織にどういうふうに適応して行動していくかということももちろん重要ですが、そういうインスティテューションをつくり上げるユニットとしての個人の重要性を強調して、それが能動的に社会を変えていくということに責任を持つんだという部分が、道徳教育の内容としてないと、これからの社会では恐らく通用しなくなっちゃうのではないでしょうかということでした。そのことをぜひ入れていただきたいと思います。

○  先ほどからスクールカウンセラーの話が出ていますので、22ページの四つ目の「○」のところを、基本的には賛成していくという立場で、ちょっと意見を述べさせていただきたいと思います。
  きょうの御発表にあったように、これからますます学校カウンセラーの充実は私は必要だと思いますが、その際に、来談者中心の待機型のカウンセリングでは限界がある。そこで、危機介入テクニックや非行臨床的な技術等を学ばせる必要がある。これは重要な視点だと思いますので、今後、カウンセラーの教育・養成をしていく場合の基本として押さえておく必要があるのではないかと考えます。
  その理由は、来談者中心というのは、いわば成熟した成人が自らの問題を気づきながら、自分で問題解決のために主体的にかかわっていくという枠組みの中での話が中心になるかと思うんですが、学校カウンセラーの場合には、子ども自身はまだ社会的な枠組みというか、どういうようなところで自分の生活の在り方があるべきかというところが非常に動いているわけです。ですから、彼らに成人と同じようなところを期待して、来談を待つという発想では、今後は難しいのではないかという感じがしますし、次の4点ばかりで、学校カウンセラーの特異性の本質があるのではないかという気がします。
  第1点は、子どもの行動をどう変えていくかという点では、カウンセリング的方法と同時に、ガイダンス的な発想といいますか、適切なときに親や本人に適切な指導を施す。あるいは、場合によっては指示も含めた指導という、そのような枠組みの指示にも入っていかないといけないのではないかという気がするわけです。
  第2点は、危機介入のテクニックや非行臨床なんですけれども、子どもたちは自分の生きざまがわからないまま、いろんな問題行動、具体的にはだれかをなぐったり、家庭で暴れたり、非行化していくということを、さしあたってまずとめなければいけない。これが危機介入だと思います。そういうようなところのテクニックというか、きちんとそれを見定めて、学校の中でその問題行動を解決できるかどうか。できないとすれば、他の社会的なネットワークをつなげていけばいいのかどうか、そういうところを判断していく役目も必要でありますし、学校の中で解決できるならば、介入していく方法論をきちんと身につけていく必要があるだろうという感じがいたします。
  第3点は、もし学校内で無理とすれば、関係機関とどうつなげていくのかという、ネットワークというか、連携づくりという特異な能力が必要なのではないかという気がします。
  第4点は、彼を含んだ親や教師や友達関係のグループをどう動かしていくか。先ほどのお話で、二、三人が集まってきたとおっしゃっていましたけれども、子どもたちのグループだけではなくて、親も含んだ、あるいは先生も含んだ全体について、どのようにうまく糸をほぐしていくかというグループワーク的な力も必要になってくるのではないか。そういう面で、ここに書いてあるような方法が必要だと思います。
  最後に、「精神医学との協力」ということですが、これは思春期の子ども、特に中学生の場合には、今まで見えなかった問題が、この時期に顕在化しやすい年齢であるということなわけです。ですから、心の動きが本当に危ないというふうに感じて、お医者さんの診断を受けたほうがいいのではないかなという、その程度の教養が必要だと思いますし、医者の診断につなげていくような程度の、それを読み取る能力ぐらいは必要だという意味で、ここの「協力」云々の言葉があると思います。

○  「家庭の学校化」という言葉がキーワードで出ていましたけれども、もう一つ、「学校の家庭化」ということもすごく進んでいるような感じを持ちました。例えば、19ページに、「家庭の機能の外注化が進む中、親に多くは期待できないので、しつけは学校が」と書いてありますが、私はこれはあまりにも家庭を甘やかしているような気がしますし、お母さんもそのことはそんなに望んでなくて、自分が家庭で母親として教育できることを確保できる方向を望んでいるような気がします。自分ができないから外注するというのではなくて、自分が社会で働きながら、だけれども母親としてもきちんと家庭でしつけができるような環境というふうな、そっちの方向のほうが母親にとってもいいのではないかという感じを持ちました。
  それから、道徳を、学校の道徳の時間で教えるというのは、どうしても私は抵抗がありまして、学校でいい子を演じることができる子どもに、幾ら学校の授業で道徳を教えても、それは根本的な解決にならないような気がいたします。

○  学校では日々様々な問題が起こっています。例えば、子どもが急に髪の毛を染めて登校してくるとか、授業で一人生徒がいなくなったので探してみたらトイレの中に立てこもっていたとか、友達同士で家出を企て、それを職員も親も探し、寸前のところで保護したとか、このようなことが絶えず起こってきているわけです。その中で、カウンセリングにおける受容、共感的な指導は基本にしつつも、同時にガイダンス的なものが求められていることが学校現場では多いのです。そういった意味で、スクールカウンセラー等の上から四つ目の項に書かれてある御意見は、私も非常に重要な点であると思いました。

○  ここだけちょっと専門的なことが出てき過ぎているんで気になっているんですが、私の考えでは、学校カウンセラーというのはここに書いてあることができないと話にならないんでして、わざわざ書いてもらう必要はないと思うぐらいです。
  カウンセリングというと、来談者中心の待機型をやっているというのは、昔の、もう古い話でして。来談者中心の人が聞くと、「我々はそうでない」と怒ると思うんです。本当に来談者を中心に考えたら、こういうのを全部やるんだと言うと思いますので、単なる待機型カウンセリングは限界があるというのは結構ですが、むしろ、ここに書いてあることは絶対必要なんですね。こういうことをできない人がスクールカウンセラーになるのは間違っているいうぐらいに私は思っております。

○  家族の在り方についてまだ議論が深められていないとは思うんですが、最初のほうに書いてありますように、社会の変化というのが前提だと思うんです。21世紀に向けて、社会が変わり、家族が変わる。その中で、我々が失ってはいけないもの、あるいは新たに設定しなければいけないものを考えていくということだったろうと思うんです。
  先ほど御紹介があったときには、2ページ目の、今、「女性の社会進出が進み」というところで、男女の役割分担が変化したというふうにおっしゃっていただいたわけですけれども、プリントでは「揺らいで」と書いてあるんです。「揺らいで」ということよりも、恐らく「変化した」ということを前提にして、高齢・少子社会の中で、変化するんだ、せざるを得ないんだと。その上で、家族というものはどうしたらいいかということを考えていかなきゃいけないのだろうと思います。
  その中で、家族の在り方、あるいは家族がすべてを行うことはできませんので、これまでに「ネットワーク型家族」とか、あるいはきょうの4人の御意見のそれぞれの子育てにかかわるサポートのお仕事について、「外注」という悪い言葉ではなくて、外部の資源をどううまく連携させていくか、そこら辺が問題だろうと思うんです。
  具体的に言いますと、13ページ、14ページあたりにありますが、ほかにも自発的なものでは、「おやじの会」とか、「ママネット」とか、さまざまなものがあるわけですね。きょう、坂上先生のお話の中で、養護教諭のサポート役、あるいは調整役という言葉がありました。育児資源、あるいは子育て資源をコーディネートするのが、つまりネットワークをつくり上げていく人だろうと思うんです。それは地域の中にいるほうがいいのか。家庭教育コーディネーターとか、あるいはカウンセラーが学校の中に入っておりますが、その方がやるのがいいのか。そういうさまざまな育児資源をどう連携していくかということをこれから考えていく必要があるのではないか。あるいは親自身の自律した生き方、あるいは子育て責任ということを考えますと、親自身が的確な育児資源をコーディネートしていく。ただ塾にやるだけだということでなくて、キャンプにやるとか、的確なコーディネートができるような形で、親に働きかけていくことが重要ではないかと思いました。
  もう一つ、13、14ページあたりの、いわゆる支援、あるいは社会システムというところで、こういうことが出たんだろうと思いますが、細かいことで申しわけありませんが、14ページの上から二つ目の「○」の「母子関係を深める視点」で、「深める」というのは、先ほどから熱心なのはいいことでもない、悪いことにもつながることがあるよというお話がありましたけれども、これは「母子関係の質について考える」ということではなかっただろうかという気がいたしました。
  もう一つ、父親ということで申しますと、14ページの四つ目の「○」に、「公民館などだけでなく……」とあります。私などはこれは父親のことだなと考えるんです、「企業内で」と書いてありますと。ただ、これまでのいわゆる性別分業というこで言いますと、このページの最後の「○」にいたしましても、これからは男性にも対応したものであろう。それを特に強調して、「男性対応型の」あるいは「父親対応型の」ということをはっきり出したほうがよろしいのではないかと考えました。以上です。

○  最近、いろんな話をここでお伺いしたり、また、世の中を見ながら一番感じるのは、まず一番に、ある面で問題を持っている子というのは、自信がないとうことが一つあると思います。その自信というものをよく考えてみますと、私はいろんなものを学ぶためには体力が要るのではないか。7ページの一番下に書いてあるんですが、「子どもの体力・運動能力は総じて低下傾向にある」と。これは極めて大きな問題ではないか。
  最近、よく若い子の言葉の中に、「キレる」とか、「イライラしてむかつく」とか、非常に単純な言葉なんですが、よく考えてみますと、大人が今生きている中でも、これだけスピードの早い時代ですから、疲れる。としますと、子どもたちは疲れて当然ではないかということを考えます。最近、流行語になっておりますけれども、「ジベタリアン」という言葉があります。若い子が道端に座っている。階段に座っている。時々、そういう子に「なぜ座るの」と聞きますと、「立ってるのがしんどい」と言うんですね。
  そういうことを考えますと、確かにいろんなことを学ばなきゃいけない、いろんなことをしなきゃいけない、時間がせわしなく子どもたちの周りを回っている。そうしますと、ここのところで一番大事なのは、確かに頭というもの、心というものを教育しなきゃいけないんですけれども、ただそれだけで済むのかなと。やはり体という面からももう一度、小さいころから考える必要がある。先ほどおっしゃいましたように、やはり野外研修であるとか、そういうふうな時期を利用して、体力づくりというものもちょっと考えていかないと、頭だけの教育で果たしてそこまで対応できるかどうか。「低下傾向にある」だけでは済まないんじゃないか。これに対する対策も小さいころからもう少し考える必要があって、体力のない人間にはそれの限度があるということは、人間というのは動物ですから、仕方がないんですから、このあたり少し議論が欲しいかなと思いまして、意見を述べさせていただきました。

○  前半のほうの社会の変動の分析と申しましょうか、かなりまとまっているような感じがいたしまして、後半のほうの支援対策とか、システムづくりのほうは、点は発見できているけれども、線がないかなと。これから線をつくっていかなきゃいけないかなと思いまして、一つ申し上げたいんです。
  私は今の家庭の問題は、家庭内の新しい年中行事をどうするか。古いのではだめなので、先ほど「ネットワーク家族」という言葉がありましたけれども、ニューメンバーが来たときに、どのような年中行事で対応できるのか。いわゆるホームパーティーなんていう形をどうつくれるのか。その問題と、地域における新しい通過儀礼。昔から通過儀礼で成長する。いろんな儀礼的な場面、仲間行動がない。例えば、ギャングエイジというのは、ある意味では通過儀礼です。それが非常に体験不足になってきている。先ほども、非行少年の心の中で、恐れとか、敬うというのがないとおっしゃいましたが、自然への恐れとか、人のすばらしさを敬うというのも、自然体験できるだろうなと。
  例えば、こういうことはできないだろうか。高校を中退した子どもたちとか、いじめられっ子とか、不登校の子を集めた自立センター。昔は「若者宿」と言いましたけれども、これは古いんでありまして、今風の青少年の自立センターなんていう構想です。その場合は一人では無理でしょうから、大学生なり、短大生なりの学生ボランティアに来てもらって、お兄さんとか、お姉さんという役割を期待しながら、自分たちの力ではい上がっていく、そういうような地域社会のありようも考えられないか。いわゆる家庭と地域、学校とのシステムづくりということを考えていきたいと思っております。

○  今までのお話の中で、私どもは「遊び」の大切さについて、多く御指摘をいただいてありがとうございました。
  「心」、「心」と言って、「心」が育つわけではなく、体と心がバランスよく育っていくんだろう。その基本には、先ほどから御指摘の成長期に「遊び」をしっかりと踏まえていくことが大切であることを感じております。
  そのように基本的な考え方とか、どこでどうやって遊ばせればいいのとか、自然体験や生活体験などの情報について、「その話はどこへ行ったらわかるの」ということにつながります。多くの人々が身近なところで、必要な情報が得られる方法を具体的に考えることが大切と思います。
  資料の19ページに提案されておりますけれども、コンビニのような身近なところにそういう情報の拠点を置くことはできないものか。しかも、民間の力をかりた情報誌みたいなものを考えられないか。大変いいアイデアだと思いますので、具体化していく方策を考えていただいたらと考えます。
  もう一つは子どもを育てる上で大切なこと、基本的な考え方、遊びというのはどんな意味があるんだ、どこに行けば情報を得られるかということも含めて、テレビによって家庭に繰り返し働きかけるということも考えられないんだろうかという提案でございます。

○  御承知のとおり、英国でも教育改革をやっておりまして、ロン・デアリングという公務員の大変偉い人が審議会の会長をやって、付録まで入れると1,500ページにわたるレポートをまとめました。この間、彼が来て三、四ヵ所で講演していったんですが、その中で、私はこういう質問をしたんです。私は今、英国に住んでおりますけれども、英国でも、テレビゲームやなんかが随分売れているんです。クリスマスを前にして親が買っているのを見たものですから、そういうことを聞いてみたんです。子どもたちがそういうものに取りつかれないのかと言うと、確かに興味は示しているけれども、外で遊ばなくなったという傾向はないと言うんです。確かに言われてみると、御承知のとおり、どこにでも遊び場がものすごくあるんですね。日本はそれを全部なくしてしまったというところが問題ではないか。テレビを切って出てこいと言っても、出てくる場所がなかなかないものですから、その辺のところを国として工夫する必要があるのではないかと思っております。
  今後の審議スケジュールにつきましては、年内は、もう1回、9日に「地域における取組の現状と課題」についてヒアリングを行いますとともに、本日に続いて「論点整理メモ」を参考にしていただいて討議を行いたいと存じます。
  1月の日程については、2回の会議を予定しております。20日の第10回会議では、この「論点整理メモ」をさらに修正したものをお示しして、これについて集中して御討議をいただきます。
  それから、29日の第11回の会議では、「早期教育の現状」に関するヒアリングを行うとともに、「論点整理メモ」に基づく討議を引き続き行います。
  次回でございますが、12月9日、13時から、東海大学校友会館、阿蘇の間、33階でございます。よろしくお願いいたします。
  本日はどうもありがとうございました。

(大臣官房政策課)
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