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中央教育審議会

 1998/4 議事録 
今後の地方教育行政に関する小委員会 (第16回)議事録 

 地方教育行政に関する小委員会(第16回)

  議  事  録


  平成10年4月15日(水)  13:00〜15:00
  霞が関東京會舘  34階    ロイヤルルーム


    1.開    会
    2.議    題
        今後の地方教育行政の在り方について
    3.閉    会


  出    席    者

委員 専門委員 事務局
河野座長 安藤専門委員 富岡生涯学習局長
有馬会長 石原専門委員 近藤審議官(初中教育局担当)
市川委員 大山専門委員 御手洗教育助成局長
薄田委員 岡田専門委員 徳永地方課長
國分委員 小川専門委員 早田主任体育官
小林委員 小澤専門委員 高   総務審議官
坂元委員 金剛専門委員 杉浦政策課長
田村委員 佐々木(初)専門委員 その他関係官
横山委員 佐野専門委員
藤波専門委員
堀内専門委員
森元専門委員
山極専門委員
和田専門委員


○  それでは、ただいまから、第16地方教育行政に関する回小委員会を始めます。どうぞきょうもよろしくお願いいたします。
  それでは、ただいまから議事に入ります。
  前回の小委員会では、御記憶のように、「学校の自主性・自律性の確立」の問題の中で、学校と教育委員会との関係について御審議をいただきました。
  本日は、前回申し上げたと思いますけれども、「学校の自主性・自律性の確立」の残りの問題全体について、御議論をいただく予定でございました。しかし、考えてみますと、「学校の自主性・自律性の確立」の問題は、今回の我々の論議の大きな焦点でもございます。非常に重要な問題でもありますので、これはもう少し時間をかけて審議をしたほうがいいのではないかという御意見もいただきましたし、私もそのように考えました。そういうところから、「学校の自主性・自律性の確立」の残りの問題については、きょうと次回の2回に分けて御討議をいただきたいと思います。そして、「地域コミュニティの育成と地域振興に教育委員会の果たすべき役割」及び「学校以外の教育機関の運営の在り方」については、したがって、次々回の小委員会で御討議をいただくことにしたいと考えておりますが、よろしゅうございましょうか。ぜひ2回をかけていろいろな御論議をいただきたいと思います。
  本日は、「学校の自主性・自律性の確立」のうち、この間も御覧いただきましたが、中間報告の「学校の管理運営組織の在り方等」を中心として討議を行いたいと思いますが、その前に、事務局から審議の参考になる資料を用意しておりますので、説明させていただきたいと思います。
  なお、本日、事務局が用意している資料は、きょう御討議いただく「学校の管理運営組織の在り方等」に係ること及び次回に主に御審議いただきたいと考えております「地域住民の意向の把握・反映などの連携協力体制の充実」に係るものとなっております。きょう御論議いただきますのは前者でございますが、もちろんこの二つの事項は互いに関連する部分も多いことでございますので、きょうはその二つを一括して説明していただくことにいたします。
  (事務局から説明)  

○  これから討議をお願いしたいと思いますが、改めて申し上げるまでもございませんが、今、いろいろ検討を進めている「学校の自主性・自律性」の問題は、どなたかが使われた言葉をかりて言えば、今回の中間報告でも出しております、これからの地方教育行政の在り方についてのいわばキーワードである。そういう点から、前回、教育委員会と学校の関係について御議論をいただきました。
  そして、本日、学校の管理運営組織の在り方等について、資料をもとに説明をお願いしたわけでございます。お聞きいただきましたように、そしてファイルで御覧いただきましたように、主に校内組織の在り方の見直しの問題とか、校長・教頭への適材確保のためのこと、それから教員以外の専門性を有する人材の活用の問題、あるいは学校事務・業務の共同実施のこと、さらには教員の処遇改善とか、給与とか、関連する制度について、データを挙げながら説明を伺いました。そして、もう1点、この次にかけて御論議をいただきます住民の意向の把握・反映にかかわって、これもいろいろ御議論をいただいている途中でございますが、そういう組織といったようなものはどのように考えられるか、そういうことについての資料を説明してもらったわけでございます。
  ただいまの説明をもとに、これから討議をお願いしたいと思います。御質問等もおありかもしれませんが、これはひとつ御議論の中に含めてお出しいただければと思います。きょうと次回の2回をかけて、この問題についての御検討をお願いしたいと思うわけです。学校の自主性・自律性の中での学校の管理運営組織の在り方を中心のテーマにして、これから御議論をいただきたい。なお、学校の管理運営組織ということ以外の問題も含めて、広く学校運営の問題全般について御議論をいただければと思いますので、よろしくお願いいたします。

○  実は前回の委員会で、学校の自主性・自律性ということで、学校長に権限を大幅に与えたらどうかという意見が、一方で大変強かったように思っておるんです。私自身もそういう方向については、もちろん大賛成なんですが、実は幾つか問題点がある。その一つが、学校長が意思決定をする際に、一体どういうことが行われているかということですけれども、ありていに言えば職員会議というのがございまして、実際上は職員会議でいろいろなことが決まっているという実態があるわけです。
  これから私が申し上げたいのは、ある地方の高等学校の校長さんに職員会議に関してアンケートをした結果ですけれども、一地方の、しかも高等学校の校長さんの無記名のアンケートの結果だということですので、それが全体ということにはもちろんならないわけですし、地域、地域で地域差があったりするということは当然なわけですが、御参考のために申し上げさせていただきたいんです。
  職員会議というのは、一体だれが招集するのかというアンケートですが、この地方には207校の高等学校のうちで校長が招集するというのが39.1%、残りはその他ということで、職員会議の議長というのが決まるとその議長がやるというのが大半でございました。
  それから、いろいろ調査があるんですけれども、司会をだれがやるか。つまり、議長をだれがやるかというのは、校長がやるというのはゼロでございまして、大方は議長として選ばれた教員が司会をするというようなやり方になっているようです。
  それから、職員会議を一体どんなふうに位置づけているのかということですが、当然のことですけれども  ―当然のことですけれどもと言うのは、常識から言うとあまり当然ではないんでしょうが、事実上の意思決定機関となっているというのが79.7%でございまして、校長から意見を尋ね求められた場合に答える機関となっているというのが11.1%、連絡調整の機関であるという認識が9.7%という状態でございました。
  さらに、職員会議で校長の意に反する決定がなされた場合、どういうふうにしているのかというのは、校長権限で変更するというのが51.2%、そのほかは例えば覆さないというのが10.6%、再度職員会議で検討してもらうというのが36.7%というようなことでございます。
  幾つかまだ項目があるわけですが、今申し上げたように、職員会議が実際に物事を決定するんだというのが大方の見解あるいは考え方であります。したがって、予算あるいは人事権を大幅に校長に渡しなさいという話は大賛成なんですけれども、権限を任された校長が実際は決めることは少なくて、職員会議  ―事実上の意思決定機関で物事が決まっていくというようなことが一つあるわけだと読み取れるわけです。
  もう一つは、これも前回に幾つか御意見が出ていたんですが、学校というのは管理職は校長と教頭さんと、それからこの地方では一部、事務室長というのを置いておりまして、これは管理職を充てているわけです。50人、60人の組織の中で、管理職が2人ないし3人ということになって、いわゆるなべぶたの組織になっているわけです。したがって、自分でこういうふうに判断して、こういうふうにやりたいと校長が思って、リーダーシップを発揮しようと思っても、それがなかなか難しい。職員会議がまして最高意思決定機関であるということになっている学校においては、全くそういうことで立ち行かない状態がある。
  これに関して、ではどういうことが考えられるのかということですけれども、先ほどの説明にもありましたように、学校には主任という、例えば教務主任という職が置かれているわけです。法的に規定がないわけではなくて、「置くこととする」ということで、置くことになっているわけですが、それが輪番制になっている。違った調査ですと、どういうことが実際に行われているのかといいますと、例えば主任をどうやって選ぶかというのは、校長が自主的に選ぶんだというのは、先ほどの調査で4.8%です。教務部なら教務部というところに自分が割り当てられると、そこの中で互選をするというのが56.9%ぐらいです。したがって、校長が任命するのではなくて、みんなで、言葉をかえて言えば民主的にというのでしょうか、選ばれるということなわけです。
  したがって、一つの考え方としては、校長、教頭、その下に主任  ―これも前に御意見があったんですが、今の主任というのを1回全部御破算にして、考え直してみたらどうかというのが、一つ意見としてあり得るのではないかと私は考えております。
  まだほかにも、例えば校長、教頭へどうやって任用していくかということについても意見はあるんですけれども、私は職員会議と主任制についてだけ意見を述べさせていただきました。

○  今のお話を大変興味深くお伺いさせていただいたんですが、私立学校の状態をちょっと申し上げてみたいと思います。私立学校の場合は、まさに校長が全権限を持って運営している学校と、それから今おっしゃられたような民主的運営をしている学校とはっきり分かれております。どちらかというと、伝統的に安定していると言っていいんでしょうか、あまり変わることのないような学校の場合は、民主的運営と言われている仕組みでやっている学校が多いですね。新しいことに取り組んでやろうという必要性がある学校とか、新設校とかいうような場合には、または新しい教育目標を持ってやろうという学校の場合には、校長のリーダーシップが非常に強いという、実情としてはそんな感じがございます。
  私が学校の自主性・自律性を高めるというときに、ちょっと思い出したのは、イギリスで義務教育学校でトータル・グラントエード・スクールとかいうシステムがありまして、議論されたかもしれませんが、それは義務教育学校で校長が自分でやりたいというふうに手を挙げた学校は、教育委員会がそこを調べて、十分にできると認定すると、一定の期間、校長に全権を委任する。そうなると、そこでは校長が全部責任を持ってやるわけです。たしか3年だったか2年だったかの時間があるんですが、その時間を置いて、教育委員会がもう1回そこを調べて、うまくいっていない場合はその権限を取り上げるという形で、非常にうまくいっている学校が幾つかありまして、その幾つかを私は見学させてもらいました。校長と話していると、公立の校長とは全く思えない。女性が運営している学校でしたが、すごいやり手の女性で、経営者という感じが本当にしまして、びっくりしました。
  もう一つの学校のほうは、若い男性、どう見ても若手の経営者という感じで、「きょうは夕方からゴルフに行く」と校長が言うので、びっくりしたんです。日が長いですし、ゴルフ場が近くにあるということもあるんでしょう、そういうことが平気でやれる。そのかわり、ものすごく教育はうまくいっている。地域からも支持されているという学校が公立の中にあって、びっくりしました。
  ですから、自主性・自律性を考える場合は、校長に手を挙げさせるという仕組みが必要ではないか。つまり、与えるのではなくて、自分からやるんだという仕組みをまず一つつくっておく。それから、自主性・自律性が要らないという学校はあると思うんですね、今までどおりで十分だという学校は。そこは無理してやることはないんで。ただし、その状況は公表する。自主的にやりたいという学校はここで、そうではない学校はここだということを世の中に知らせておく必要があるだろう。またはそういったことが、地域社会なり周りから意見として学校に反映されるような仕組みはつくっておく必要があると思うんですが、無理やり全部一律に自主性・自律性という必要は全くないのではないかという気がして、この問題を考えていたんです。ちょっと御参考になったかどうかわかりませんけれども。

○  若干抽象的な話になるかと思うんですけれども、学校もしくは学校経営と言ったほうがいいと思うんですが、自律性ということを考えた場合に、恐らく論点としまして三つのダイメンションといいましょうか、次元の異なる問題があるのではないかといつも思っております。
  一つは、「自律性」という言葉を仮に使った場合に、当然ながら対する言葉として「他律性」という言葉が成り立つと思うんです。要するに、今の学校を考えた場合に、どういったような実態、あるいは組織が学校に対して他律的に働いているのかということを見極める必要があるのではないか。この委員会での論議としましては、中間報告のほうを主として考えられると思うんですけれども、対行政との関係で教育委員会等が学校に対してどういう他律的な存在になっているのかという問題の整理がなされるだろうと思います。
  これからはもう少し次元を異にしまして、一般的な外部団体、例えば組合であったり、地域の団体であったり、場合によっては地域の住民とか、親も、学校の枠の取り方によっては他律的な主体になってくる。これを中に取り込むかどうか、教員団体の問題も、親の場合も両面があると思うんですが、その辺の整理を一つはしなければいけないだろうとというのが1点目です。
  二つ目は、これも以前に申し上げた気がしますけれども、経営条件といいましょうが、経営の要件的な問題を考えた場合に、通常、我々は「3M」とか、「4M」という言葉を使うんですけれども、人であったり、お金であったり、物であったり、それからマネジメントの様式ですね。こういったものがどういった形で学校に裁量として与えられていくのかということを考えなければいけない。人、物については、これまでもいろんな形で論議されたと思うんですが、一番大きな問題がマネジメントのやり方、学校運営の仕組みを学校がどこまで独自に確保できるのかというところを詰める必要があるのではないかと思っております。
  例えば、学級編制の問題であったり、教員の内部の任用の問題であったり、各自治体、特に府県レベルで割と大きな枠をつくって、同一歩調でやらせているところがあろうかと思います。それはある意味では確かに同じ水準で学校教育をしていくというメリットもあるんですけれども、これからの展望を考えた場合には、やはりマイナス要件も多くなってきているのではないかと思います。個別に、例えば規模であったり、地域社会の状況であったりというところから、学校がどこまで今言ったような条件について自主的に裁量権を持つことができるのか。管理運営規則の問題ともかかわると思うんですけれども、その辺を少し実証的にも考える必要があるのではないかと思っております。
  三つ目の問題ですけれども、今言ったような自主性とか、自律性を確保する上で、最後に問題になるのが、学校自体がどれだけ専門性を持つことができるのかということだと思います。これはマスコミ等で大変論議されていますように、校長を民間から任用するとか、そういった論議もあるわけですが、まだこの委員会でもあまり論議はされていないと思いますけれども、一般に教員あるいは教職としての専門性という言い方では理解できているところがあるんですが、学校経営等の経営専門性をこれからの学校はどう持つことができるのか。これが大変弱いわけですね。
  きょうも、校長の任用資格等のお話がございましたけれども、言ってみますと、ベテランの教員が経験則にのっとって学校運営をしていくという見通ししかないわけです。先ほどイギリス等の例も御紹介されましたが、それプラスアルファの経営専門性というのは一体どういう形でついて回るものなのか。変な例で恐縮ですけれども、プロ野球でいいますと、ベテランのプレーヤーが決していい監督になるとは限らないという例があるんですけれども、違う職能として経営というのを考えなければいけない。ただし、これがいきなり民間云々という形で、教育畑ではないところの経営専門性ということになるかどうか。これは大変難しいところだと思うんです。
  ですから、問題なのは、教員あるいは教職ということをベースにしながら、プラスアルファの経営専門性を、今後、日本の社会の中でどうつくっていくのか。これは資格の問題であったり、あるいは研修の問題であったりということになると思うんですけれども、その辺の詰めた論議が必要ではないかと思っています。
  最初に申しましたように、抽象的な論議で恐縮ですけれども、これから考えていく際の枠組みとしましては、この三つをどう組み合わせていったらいいのかというところを押さえないと、何か一つだけアピールしてしまいまして、民間登用みたいなことだと思うんですけれども、今までと違うから目新しいということになりがちではないか。それは決して学校が具体的に自主性・自律性を持つことにはどうもつながらないような危険性があるのではないか。そういうこともちょっと感じておりますので、少し論議していただくときに整理をしていただければありがたいと思っております。

○  ただ今のお話がこれからの審議の総論的なことでしたので、私も個別的な問題について意見がいろいろあるんですけれども、それに入る前に、これからの審議にかかわって、質問も含めていろいろお聞きしたいことがあるので、意見を述べさせてください。
  というのは、これまでの中間報告のメインというのは、「第2章」「第3章」が中心で、どちらかというと国レベルの法制度の改正を含めた課題を中心に審議してまとめてきたわけですけれども、ある意味ではかなり具体的な法令の見直しとか、改正を対象にしていたこともあって、「第2章」「第3章」の審議とか、まとめの作業というのは、目標がはっきりしていてやりやすかったような気がします。
  ところが、「第4章」以降の「学校の自主性・自律性」のテーマにかかわっては、審議の進め方とか、まとめ方というのは、いろんな意味で難しいのかなという感じがします。なぜそうなのかというと、確かに学校の組織編制とか、経営の問題とか、学校と親との関係というような問題については、国の法令に関係する部分もありますが、加えて国の法令に関係ない地方や学校レベルでの裁量とか運用に多くゆだねられている面もあるので、法令部分と自治体及び学校レベルでの裁量・運用にゆだねられている面をどのように区分けしつつ、それぞれどのように詰めていくかというのは、交通整理しながらやらないとなかなか難しい面があるのかということを感じます。
  そういう点で、ちょっとお聞きしたいというか、意見も兼ねてなんですけれども、一つは法令に関係ない領域ですね。つまり、地方とか、学校レベルでの裁量とか、運用に多くゆだねられている領域の問題を、中教審のこれからの審議と6月の答申のまとめの作業の際に、どのように扱っていくのかというのは、私、正直言ってよくわからないんですよ。というのは、例えば先ほど説明があったように、校長とか、教職員の定期的な広域人事の在り方については、例えばこれまでの審議の中でも、校長の順送り、年功的な人事とか、在職年数の短縮化ということについては、いろいろ出てきたわけです。例えば、こうした校長とか教職員の定期的な広域人事の在り方というのは、国の法律云々という前に、地方の裁量で行っている部分がかなり多いわけで、こうした地方の裁量とか運用の実態の問題について、中教審で審議して、中教審の内容として取り上げて何らかの改善方策を地方のほうに提案するという性格のものとしてまとめていくのかどうか。
  そういうことはやらないで、それは地方の問題だということで、そういうことについてはあまり触れないで、基本的にこれからの審議とか、答申に向けての問題は、国の法令とか、仕組みの問題に焦点を絞ってやるのかというところについて、方針をはっきりさせていただければなというのが一つです。
  二つ目は、今の問題にかかわるんですけれども、例えば今度、学校運営協議会とか、学校評価のようなものをつくるみたいなことを提案していますけれども、こうした提案のような事柄を、最終答申でどう扱うかということについても、少し方針をはっきりさせていただけないかなということです。つまり、学校運営協議会とか、学校の自己評価なんかを、一つのアイデアという性格のものとして提案して、やるかやらないか、どんな仕組みでするかしないかというのは、あくまでも地方の裁量とか、地方の判断に任せるという形で答申をまとめるのか。それとも、どんな仕組みをつくるかは地方に大部分任せるとしても、そうした仕組みを設ける何らかの法令での規定をつくるかどうかということですよね。
  例えば、大学の自己評価が問題になったときに、その辺もいろいろ議論されて、最終的には大学設置基準の第2条に自己評価の規定をつけ加える。つまり、大学というのは自ら点検及び評価を行うことに努めなければならないというような、大学の努力義務という性格のものとして大学設置基準に明記したわけです。
  今回、中教審で提案するような学校運営協議会とか、学校評価という提案は、あくまで提案ということで、やるかやらないかは地方の裁量、判断に任せるという姿勢でいくのか。今言ったような大学の評価に見るように、何らかの努力義務のような法規定をつくるのか、または任意規定という形でするのかとか、さらにはもっと強めて、そうした仕組みをつくるということを法令の何らかの形で義務づけるとか、いろんな選択肢があると思うんですけれども、そうしたことも含めて、審議ないしは答申ではいろいろ配慮しながら議論していただければという感じがします。
  いろいろ議論があるんですけれども、個別的なテーマについては次回に述べたいと思います。

○  先ほど他の委員の方から、高校の校長のアンケート調査の報告がありましたけれども、最近、いろいろ報道されている中で、ある高校の問題が大きく報じられております。あれを見ていて、どうもおかしいなと思うところが、私も事実関係を詳細に知っているわけではありませんし、新聞報道で知っている範囲ですけれども、根本的には、例えば卒業式、入学式というものをどう見るか。学習指導要領にあるから、ないからということでなくて、学校の行事としてどう見るか。あるいは、国旗、国歌の問題をどう考えるか。あるいはまた、学校の管理運営に高校生が参画する、あるいは決定権を持つというようなことをどう考えるかというような問題はあるわけです。そしてまた、マスコミの報道はどうも生徒に応援を送って、快挙であるかのごとき報道と、一部識者がそれを支持するようなことを言っているというのはどうもおかしいと思うんです。
  それは別としまして、今のテーマに即して考えますと、職員会議というもの  ―この辺から若干報道されていない部分があるので、推理もまじるわけですけれども、長年にわたってその高校では卒業式、入学式というものがきちっとした形では行われていない、生徒主導みたいな形で行われてきて、新しい校長が「それではいかん」ということでやったところが、たぶん職員会議で反対されたんだろうと思います。そして、入学式に職務命令を出して  ―これ自体が正常な形ではないと思いますが、職務命令を出して、入学式に職員の参加を要請するということは、ほっておけば出てこないということだろうと思います。したがって、形の上では校長の指示に従った形でも、言うならば面従腹背的なことで、校長の方針に全教職員が一致して協力するということでなくて、むしろ生徒サイドに立って支援しているというか、あおっているというか、そういうような形がああいうことになったのではないか。これは私の推理も入りますので、あるいは違うのかもしれませんが、たぶんそうだろうと思うわけです。
  そこで、職員会議というものは、別に最高意思決定機関ではない。もちろん職員の意見を十分に聞いて、物事を最終決定するまでには議論を闘わして、そして最終的には校長の責任において決めるということは、当然、これは学校に限らず、役所だろうと、会社だろうと、組織体として意思決定をする以上は当然のことであり、あるいは個人的に不満があっても、最終的に決まったらそれでもってその目標に向かってみんなが努力するということであろうと思うんですけれども、それが行われていない。なおかつ、最高意思決定機関であるかどうかというような、いわば不毛の論争  ―不毛の論争ならまだいいんですが、現実にいろいろな害をなしているということであるならば、前にも申しましたように、職員会議の位置づけというものを法令上明確にして、そういう争いは終止符を打つ。
  そして、一旦決まったら、全教職員がそれに向かって努力するというようなことでなければ  ―たまたまある高校は校長が頑張ってああいうことになって、表面化したので、頑張らないでいれば表ざたにならないわけですから。また、頑張った校長さんを県教委が支援  ―これは教育委員会の支援体制ということにもなろうかと思いますが、いわば目下のところ少なくとも全面的に支援しているというような構図であろうと思うわけです。その辺は、きちっと今回の答申に書き込む必要があるのではないだろうかというような気がいたしております。

○  ただいまの意見と私は多少違う意見なんですが、先ほどの別の委員の方の説明で、私も実は驚いたんですが、職員会議を校長が招集している学校が半分以下である。それから、77%が意思決定機関だと思っている。これは現実としておかしいと思うんです。校長は責任を持たなければいけない。教頭は教頭なりの責任を持つので、一般の教員とは違うと思うので、職員が全部決めちゃうというのはおかしいと思うんです。
  それははっきりさせておくんですけれども、同時に先ほどの高校のことです。学生が勝手なことをやろうとしたときですね、簡単に言いますと。そのときに、〈これは困った〉と一番思うのは、校長だと思うんです。それは責任がありますから。しかし、同時に、校長は年寄りなんですね。私も年寄りで、この委員会はみんな年寄りが集まっているんですね。この中教審の最初の第1回目に、こんな年寄りが集まって大丈夫か」とおっしゃった方がいらっしゃいましたが、私はまさにそういう問題が教育にかかわると思うので、私が見ていますと、大体、年寄りというのは若者がやっていることを、「とんでもないことをやる」というのが第1反応なんです。私も年寄りですから、ああいう記事を見ると、第1反応としてはびっくり仰天。しかし、教育というのは、そこにもう一つ第2反応がなければいけない。何で学生はそんなことをやりたがるんだ。何で厳粛な式をしないで、楽しくやりたいのかというのを考える。これがないと教育にならないんですね。そうしませんと、学校というのは単なる管理の対象であって、生きた人間を育てる場所でなくなってしまうというのが、私の考えなんです。
  私はいつも学生から、とんでもないことを言われたりするんですけれども、すぐ怒らないで、「ちょっと私の今の考えでは受け入れられないな」と言って、しばらく考えて、なぜ厳粛でなければいけないのかとか、そういうことを考えたほうがいいと思うんです。そのときに、管理責任だからおれが決めるというのは、経営マインドがなさ過ぎる。企業だったならば、若い社員がとんでもないことを考え出したときに、これは企業内の規則だからだめだと言って、業績が上がらなかったら出世できなくなってしまうんですね。ところが、学校というところは管理の対象としてだけ扱って、降格するとか、窓際に行くということがないところですから、逆に言うと経営マインドがなさ過ぎると私は思うんです。
  その辺のところを考えて、もうちょっと折れ合えなかったか。あんな強行して、特に来ないと入学させないぞというような脅かし  ―これはみんな報道ですから、私は報道というのは怪しげなことが多いことを十分知っておりますから。特に何年かやってしまった後の場合には、きちんと話をつけて、校長ならば先生を説得し、先生は学生を説得するというような形が整わないと、ああいう対立が起こるだろう。私はそう思うんです。
  ですから、何かとんでもないことが起こることに対して、そんなに恐れてはいけない。この前も、5%ぐらいの学校でとんでもないことが起こったときに、教育委員会や校長はあわてるなということを申したと思うんですけれども、何%までとんでもなくなってきたらどうするかという問題はあると思うんです。ですから、法的には確かにこれはおかしいと思うんですが、具体的に東京都の小学校、中学校、高等学校で、とんでもないことはそんなに起こっていないですね。ですから、職員会議を意思決定機関と認めるのはぐあい悪いけれども、意見を吸い上げる機関として大いに活用して、それをできるだけ校長は広い心でくみ込むことをしないと、これは教育機関にならない。そうしませんと、管理としては100%確立しますが、同時にそこで学校はものすごくつまらなくなる。
  それを国際的な比較をしますと、私の場合はフランスですけれども、フランスの学校のほうがおもしろいのは、校長がもっと教育者である。管理者であるという以外に、教育者であるという面があるので、その辺を考えませんと、法令と運営の方法だけを考えていきますと、けしからんことが起こった、責任は校長だ、校長が特に責任を取りたくない場合、「やめろ」「命令」というふうになってしまうんですね。それは経営マインドがないのではないか。その辺のところを少し考える必要があると私は思います。

○  学校にいる立場で。今、ある高校のことがかなり話題になって、私も注目して見ていました。特に入学式に関して言えば、私は校長先生を応援したいなと思うんです。ひとつ儀式としての入学式はきちんとおやりになった。生徒主導のものにもちゃんと出席をなさって祝福をしているという姿勢に対して、どうもその辺のところのマスコミの報道の仕方が薄いなと。前者ばかりやっているということを、私は大変残念に思っておりました。どういうことで対立かということはあれですけれども、聞くところによると、国旗・国歌の扱いについてが一番ネックだということを聞いておりました。
  これは別ですけれども、学校の自主性・自律性の確立ということは、様々なところで言われています学校の特色化の推進ということで、私たちは受けとめていきたいと思っているんです。そのために、他の委員の方がおっしゃったような思い切った方法もあると思いますし、またそのために、支えていただく条件はきちんと整備していくようなことをぜひお願いしたいと思うんです。例えば、職員会議の位置づけに対するシステムの在り方であるとか、あるいは実際子どもたちの指導に当たる教員の人事の管理の仕方などについても、かなり不都合なことがあっても、保護者からかなり苦情がきても、校長としては何とかこれをかばうといいますか、指導をしますけれども、指導の限界にきている教員に対しても、何らかの別な方法で手当てすることも必要でしょうし、また財政的には厳しいものもありますけれども、前回、他の委員の方がおっしゃったようなある程度自由な枠組みの中での予算の流用といいますか、使い方の中での特色化の推進も、今後、詰めていただきたいと思っております。
  ちなみに、職員会議に関しましては、初めて私が校長になって島の学校へ着任するときに、校長と職員とが対立をしている学校だということを聞いて、先輩から「決して君たちの意見を尊重するとは言うな。参考にすると言え」というような含蓄のあるお言葉をいただきまして、3年間乗り切ってきたという経験がございます。

○  学校の管理運営のことでございますが、今、主任制、学校の職員会議の問題等が議論になっておりましたが、私は先ほど他の委員の方がおっしゃった現状は何も高校だけでなく、全国的に公立学校の一つの典型だろうと思っております。その中で、基本的に管理職の存在感、力量も非常に大きなものがあるだろうと思っております。管理職がきちんとした考えのもとで、当初、はっきりと方針を明確化し、それを言えるかどうか。そこがだめだと1年間だめ、3年、4年いてもだめということで、人事異動したほうがいいと思うのです。
  そのときに、管理職が基本的に責任を回避しないということと、学校にきちんといるということが大切だと思うんです。前にもここで少しお話がありましたが、校長になりますと孤独だとか、あるいは何かそういうことで外に出歩くことが非常に多くなります。もう一つ、校長会等、任意団体の研究会で、3分の1から半分くらい校外においでになる。私どもから見て、学校が非常に問題でも、うまくいった学校は、やはり校長がしっかりしているんです。しっかりしているのは、学校をよく知っている。先生方のいろんなことを熟知し、地域のこともよくわかり、そのことにおいて、どういうふうに教員組織を扱ったらいいのか、保護者とどう距離をうまく保ちながら対応したらいいかということについて、きちんとした対応ができる。そういう学校は、職員会議等も結果としてうまくいっております。そういう意味では、管理職の任用資格の見直しとかございましたが、それは非常に重要なことであると思っております。
  ただ、現状においては、都道府県教育委員会が任用のことについては全面的にお決めになるわけで、極めて限られた範囲しかできないという問題があります。民間登用も含めて、もっと幅広い任用の資格を見直すことによって、つまり、一つはずうっと同じ仲間の中からよく知った方がなるということは、メリットもありますが、デメリットもある。これから管理職になる方は、地域によって差がありますが、かつての主任制闘争などの中枢になった方たちがほとんど管理職になります。その方が今度いろいろなことを言っても、なかなか難しいという問題が出てまいります。
  また、違った形で力量のある方が入ると、それは組織として一つの緊張感を持つ。その中で、それがうまくいく場合には、学校組織はもっと活性化するのではないかと思っております。その意味では、任用資格が単に教職のベテランというだけでなく、もっと幅広い人が任用できるというシステム  ―それをどうするかはまた別ですが  ―は必要ではないかと思っております。
  もう一つ、学校運営の透明性を確保できるということが、学校組織が活性化する一つの手だてだろうと思います。閉鎖的であればあるほど、学校は職員会議等で、結局、先ほどのお話のような形で、いろんなことが決められていきます。現状において、校長は教諭の代表で、学校が合議制による運営がされているという中での校長のリーダーシップを確保するための手だてをきちんと考えていく必要があるのではないかと思っております。教諭の代表というよりは、教諭をきちんとまとめていける人をという視点がもっと強く出るような任用資格の見直しが必要であると思っております。
  もう一つ、中間報告が出まして、国の関与が縮減されるという報道が盛んになされました。結果として、現場はますます画一的になるだろうという印象を実は持っております。市町村教育委員会もそう思っております。といいますのは、結局、都道府県レベルの基準がますます画一的になり、そのことによって運用されていくというシステムになるのではないか。そういう思いを持つ状況が現実にある中で、国の関与を縮減することが、実質的に学校が活性化し、地方が活性化するという点については、さらに慎重な配慮をいただきたいと思っております。
  また、小・中の学校の規模が大変異なっております。私どもも14名ぐらいの生徒しかいない学校から、1,000名以上の学校までございますが、それらが同じ規則で運営されるわけでして、もう少しめりはりがついたほうがいいのではないか。1,000人の学校を運営する能力と、14〜15人を運営する能力とは非常に違いますし、逆に小さいところほど、僻地だとか、いろいろなところで、手当は大規模よりも高くなるようなシステムがございます。そういう意味では、権限と責任と処遇がきちんと対応できるようなことも、本来なら校長がまた意欲を持って学校運営ができる一つのシステムではないかと思っております。
  また、「教頭」という言葉ですが、私ども国際交流してみますと、よく「副校長ですか」という質問を受けます。学校が組織としてもう少しきちんとする、いわゆるフラットな組織から組織体としてきちんとした意思決定のシステムや責任の所在を明確にし、管理職というのはかつてのような管理職が権力のどうのというのではなく、組織として管理職がきちんとするときに、校長の補佐という意味の副校長みたいな位置づけも、教諭の代表の教頭よりもこれからはむしろ必要ではないか。特に大規模校においては、そういう視点も大事ではないかと思っております。

○  一つの組織体としての組織や人事やそれを運営するための会議体やそのルール、会社であればいろんな問題点が起こったり、業績が不振になった場合には、ある意味ではダイナミックに動かすわけです。そのときに、申し上げるまでもなく、何のためかというのが大事でございまして、その軸を持たないと、それぞれ歴史を持ち、ないしはいい点悪い点を持っているわけで、「やっぱり今がいいね」ということになりがちであります。
  そういった点で、私自身は、今の各学校それぞれにおけるもろもろの組織等の改革のテーマを、三つほど思っております。
  一つは、地域社会とのかかわりの強化。私自身のささやかな経験ではありますが、私は横浜に住んで、実は小学校のときから東京の小学校に通っておりました。私立でございました。振り返ると、その小学校の6年間は、うちとごくその周りのご近所の子どもたちと、あとは個としての東京の小学校の社会だけでございまして、そこにあるのは学園社会とでもいうんでしょうか、そんなもので小学生時代を過ごしたわけです。
  社会へ出て、私は今、横浜を本拠に仕事をしておりますが、仕事のかかわりを持つ横浜の、例えば同世代の連中に会いますと、特に公立の小学校から上がってきた連中が大きく私と違うのは、地域社会に同級生という友達や、地域社会の文化や歴史やいろんなことをよく知っている。ある意味では、地元の社会に溶け込むのに私も苦労した。
  これを裏返してみると、特に今回の議論は、とりあえず公立であるとするならば、公立学校の大きな特色として、地域とのかかわりを極めて大事にするような、今もいろいろ御努力があるわけですが、さらにそれを強めていくというのが、改革の論点の一つだなと思います。
  二つ目は、先ほどある高校の議論もありましたが、議論のもろもろの中に、私が素人だからなおさら感じるのかもしれませんが、知識とか、技能としての教育があまりに軸にあるような気がしてならないわけです。私はこの中では比較的若い世代だと思っております。しかし、これは心の教育の小委員会にもかかわるんですが、私はしつけとか、そのことをもっともっと大事にすべきだ。特に公立の義務教育、特に小・中学校においては。
  最近の経営ノウハウ、経営現場の最前線でも、今、しつけという問題が実は大きくクローズアップされておりまして、例えば約束を守ることとか、始末をするとか、思いやりを忘れないとか、責任を逃れないとか、良心に反することはしないとか、こういうしつけというものを、学校と家庭と地域社会とが、昔でいえば教育勅語ではありませんけれども、大きな軸として国民的なコンセンサスを得て、みんなで寄ってたかってしつけをしていくという、その軸がとても大事だなと。恥を忍んで申し上げますと、私も決してできのいい学生ではございませんで、中学生のときにちょっと道を外れかけたことがございまして、そのときは私の経験では、やはり親が戻してくれましたし、実はごく近くの八百屋さんのおやじさんにえらいしかられて、ふと気がついたり、またある仲間に注意をされたりして、まだ戻ったとは言いがたいかもしれません。ちょっと余談ですが。
  私は、スキルとしての教育以外に、家庭も、地域も一緒になったしつけを大事にするという視点も、二つ目にぜひ改革の軸として据えていただきたいと思っております。
  三つ目が、言うまでもなく学校の自主性と特色化のための制度や校長の権限の強化ということではないかと思います。
  私自身はそんなことを踏まえて、四つほどの提案を、前回申し上げたことも含めて申し上げさせていただきますと、一つは具体的に申し上げると、各学校は予算規模がいろいろありますけれども、各経費項目を例えば1割ずつカットして、それを校長自主予算というふうに定めてしまって、それを1割ずつ各項目に戻して普通どおりやるのも結構でしょうし、ある目的のために使うことも必要だろうと思うわけです。そんな制度を取り入れることも一つかなと思います。
  二つ目の提案は、これまたかねてから申し上げておりますが、PTCA。校長に権限、財源がきても、一人ではなかなかやりづらい。先ほど来の経営マインドというのは、組織体が自主的にやろうとしていることや、やるべきことをどこかに説明するいわゆる説明責任を持ち、やったことが正しく報われて、厳しく評価される。こういうのが経営マインドだとするならば、そういう場を持たなければならない。そういったときに、各学校づきのPTAに地域を加えて、場合によっては教育委員会の方が加わってもと思いますが、校長の自主性や、その基本的な教育の方針やらをある意味では評価し、そこで説明を受け、ある意味では相談し、参画をする、そんな機能があるべきではないか。
  三つ目は、先ほど来いろんな御意見がありますが、私は先ほど来の組織を見ましても、校長についていろんな資格がありますが、ただし教育委員会が認めた場合には、任命できるというか、その条項を加えてもいいのではなかろうか。恐らくその条項を加えても、いいかげんな方が校長になるわけが  ―なったとしても、それは排除する力はあるかと思いますし、恐らくそういう方を特別に任用する場合には、何らかの問題点ないしは特別なその学校としての必要性が恐らくある場合に限られるだろうと思います。何よりもそういう経験や資格はなくても、ふさわしいと思う人材がいて初めてそれができると思うので、そのあたりは拡大できるような法律の変更が必要ではないか。
  四つ目は、これはこの後の議論にもなると思いますが、学校施設の思い切った地域社会への開放、そのためのいろんな制度やそれを可能にする学校内の組織ないしは責任管理体制の整備ということになると思います。

○  中間報告では、国、地方レベルの問題で処理がなされてきたと私は思っているんですけれども、これからの後半のところにはメインになるものとして、今、「PTCA」という言葉が出ましたけれども、地域の住民や保護者たちの意向を大いに取り入れていかなければならないということを、ぜひともひとつメインにしていただきたいと思っているわけです。いろんな報告の中で、何度も「連携していかなければならない」と書かれていながら、それがその言葉だけで終わってしまっていたというところを、ぜひとも今回、一歩進めてほしいと思っております。
  先ほど、いろんな方々のお話の中で、透明化も必要だということもありました。本当に開かれた学校づくりをするためにどうしたらいいかということを、学校サイドだけで考えるのではなくて、もちろん校長が手を挙げて行うことも必要なことだと思います。しかし、下からの積み上げによって行われることも十分に考えていかなければならない。それがPTAC、運営委員会ということになるのかどうかということはわかりませんけれども、とにかくそういう組織体をしっかりとつくり上げてほしいと思っております。
  いろんな事件があると、先ほどからのある高校の問題にしても、学校と生徒の中であって、そこに地域が全然入っていないみたいです。この問題に対して、もう少し早目にいろんな方々との話しいができていれば、もっと何とかなったのではないだろうかという思いもあります。二、三日前、教師がテレクラの仕事をやっていたという、とんでもないようなことがありました。しかし、それをどこでやっていたかというと、教員住宅でやっていたということでございます。そして、奥さんもかかわっていたような話。同じところに住んでいる者が、特殊な何百万もする機械を入れて、そこでやっていることを知らないなんてことは絶対なかったはずだと私は思っているわけですけれども、そういうものについても、多くの意見やお話を取り入れる機関がぜひとも必要ではないかと思っている一人であります。
  連携を図りながら、そして自分たちのまちの学校は宝物だというようになるように、みんなでつくり上げていく。前章のほうでは、国から地方へということで、法改正とか、そういうものですけれども、こちらのほうではぜひとも下から積み上げていく。そして、住民サイドの考え方、透明感を出すということに、ぜひとも心がけてほしいものだと思っております。

○  今のお話と連係するんですけれども、この中間報告、あるいは今まで議論になった開かれた学校、あるいは保護者、地域との連携は非常に大事だし、これからもまた詰めていくことになると思うんです。
  ただ、地域との連携、地域の人材活用と言っても、いろいろな人がいるわけですね。いつも学校に協力的な地域の人とは限らない。しかし、これからは非常に大事になるだろう。であるだけに、やはり学校の中がきちっと組織的にしっかりしていなければいけないと思うんです。地域との連携をより一層深めていくためには。
  そういう面では、先ほどからお話がありましたように、学校の管理職はそれこそ教育的な識見を持った今まで以上の人を登用することとあわせて、管理職が本当に力を発揮できるような管理運営組織を学校でつくっておく必要がある。先ほども職員会議の問題があった。こういったことも、戦後50年もたてばきちっとしておく。あるいは、主任制の問題も、たらい回しとかなんかでいいかげんになっているとしたら、これも見直すとか、場合によっては職階制ぐらい導入するとか、そのように学校の中を組織的にきちっとしておく必要があるのではないかと思います。これはほかの社会と同じような状況に学校もしておく。その上で、それぞれの先生方が自分たちの専門性を発揮する、あるいは学習指導等々に全力投球をする、あるいは地域との連携を深めるといったものにしておく必要があると思うんです。学校の管理組織がいいかげんな形で、やれ地域との連携だなんて言っても、今よりも場合によってはもっともっと混乱するということだってあり得ると思うんです。
  そういう面で、前回の教育委員会と学校の関連で言えば、学校におけるそういったアンフェアなことに対しては毅然として教育委員会が指導するという姿勢、ある部分においての緊張関係を学校と教育委員会が持っていくことは必要ではないかと思っております。

○  一番最初に、校長に権限を持たせるという話が出たときに、私もそれは大事なことだと思った反面、一つふと不安があったんですが、それはこの会でもお話ししてきたんでありますが、先ほどから出ているように、現在、校長にいろんな権限がないから、学校の中がきちっとまとまっていかない、そういうことを改めるための、つまり不正常な状態を正常にするために、大きな権限を与えようとしたのか。それとも、いやいや、最近はどの学校も落ちついているから、もっと校長先生に権限を与えて、学校をよくしていこうというふうにしたのか。そこが私は一番不安であって、この小委員会でも、権限を与えるということの前に十分に考えてみなければならないことがあるのではないかということをお話ししてきたわけであります。
  今までのお話を聞いていますと、例えば職員会議一つとっても、まだ職員会議が学校運営の決定機関だなどという考えを持っておるのだとすれば、しかも、それは高等学校だけではなくて、小・中学校でもまだ全国的に結構あるんですよというのだとすれば、それは私の心配が当たっているわけでありまして、そういう状態の中で、校長に権限だけを負わすことに対する問題はあるわけであります。私は、あたりまえのことがわからないのであれば、法令でも何でも、職員会議というのは決して決定機関ではないのだということを明確にしていく。そういう中で、初めて学校というのはうまく運営されていくのではないかと私は思っています。ですから、民間から登用したにしても、せっかく登用した者が、すぐに力を出せないような学校の状況ではまずいのではないかと考えております。
  なお、最後に、ずっと中間報告を読ませていただき拝見しまして、特に「校内組織の在り方の見直し」の「ア」「イ」「ウ」等については、こういう難しい中で、これぐらいきちっとまとめていただければ、私は大変いいのではないかと思いました。例えば、校長の権限についても、「校長の方針の下に」ということで、「円滑かつ機動的に行われるようにする観点」ということをピシッとうたってくれております。透明性の確保、あるいは保護者とのかかわりとか、あるいは学校の管理運営組織について見直しをしてみようということで、心配していたよりもずっと安心して読ませていただいたということであります。

○  私どもに市民20名からなる生涯学習まちづくり推進委員会というのがございまして、これは前にもお話ししましたが、女性10名、男性10名で、委員のメンバーは20代から各年代おりまして、つい最近、提言をいただきました。これは市に対する提言と、市民に対する提言、自らの委員会に対する提言があります。普通は提言というと、行政に対して提言されるのが多いんですけれども、我々市に対しては正確な情報をタイムリーに出してくださいとか、あるいは職員が問題意識を持って仕事をしてください。市民には、行政に関心を持ちましょう、あるいは自分たちでできることはやりましょう。それから、自分たちの委員会は、開かれた委員会にしましょう、公開しましょうと、そういう提言がございました。
  私は、みんなでやっていかなければ、まちづくりというのはできないのではないか。今、特に都市間競争の激しい時代でありますから、昔のように、あのまちでこういうものをつくったから、うちもこういうのをつくろうなんて言っていたのでは、金太郎あめみたいなまちばかりできてしまうわけであります。
  そういったときに、市民を変えるには、私は、まず職員が変わっていかなければ、市民を変えることはできないと思っております。ですから、学校とか、教育員会と住民との関係も、一方通行であってはならないわけであります。相互交通でなければいけないと思っております。「教員以外の専門性を有する人材」の問題とか、あるいは「地域の活力の導入」というのは大いにかかわりがあると思いますが、私は生涯学習の視点でこういうことは進めるべきであると思っています。
  特に、生涯学習は総合行政としてとらえていくべきでありまして、その点では、首長部局と教育委員会と学校との連携も大いに必要なわけであります。そうすることによって、学校も特色のある学校をつくっていく。こういうところに校長先生の権限を与えていただきたいと私は思っております。前にもちょっとお話ししましたが、例えば午後は選択できるような科目で、そこに地域のいろんな人たちも指導者として取り入れていく。そういうことによって、個性のある子どもたちも育っていくのではないかと思っております。

○  きょうは、貴重な御論議をいただきましたが、これはこの次に申し上げていいことかと思いますけれども、いろいろ御議論いただく中で、中間報告で出しております「学校の自主性・自律性」以降の問題については、基本的な大きな方向性を出している。しかし、それだけではございませんで、十分御承知のように、例えばこんなことは考えられないかということで、具体的な改善策を出してございます。それについて、中間報告後の、きょう、そして次回にかけての御論議の中で、さらに具体的な改善方策をということで、きょういろいろお出しいただいた。
  伺っておりまして、大体まとめられていく方向の御論議をいただいていると思いますので、次回にかけてどしどしお気づきの具体的な改善方策にかかわることをお出しいただいて、それを議論していただく。それをもとにまとめさせていただくという方向でお願いしたいと思いますので、次回にかけてどうぞよろしくお願いいたします。
  今後の会議スケジュールは、次回、4月24日の第17回小委員会におきましては、「学校の自主性・自律性の確立」のうち、地域住民の意向の把握・反映などの連携協力体制の充実を中心に御討議をお願いいたしますが、きょうとのつながりということがございます。ですから、先ほども出ております、地域に開かれたとか、地域という視点に立ちながらも、もう一度学校の管理運営組織の問題にまで戻って検討がなされるということも出てこようかと思います。
  また、次々回にお願いすることになりました5月13日の第18回小委員会では、主に「地域コミュニティの育成と地域振興に教育委員会の果たすべき役割」、そして「学校以外の教育機関の運営の在り方」について御討議をお願いしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  きょうはこれでよろしゅうございましょうか。

○  一言だけ。大変具体的な御意見を賜りましてありがとうございました。私は、大学の運営と似ているところがあると思うんです。単科大学というのが、たぶんきょう御議論になったところと非常に似ていると思うのですが、総合大学ですと、複数学部がある。複数学部がありますと、そこに教授会と学長との間に、法令上ではっきり決まっているわけではないですが、学部長会議というのがあって、それが学長を大変助けてくれます。教授会がいろいろ独自に判断をするということが常に問題になるのですけれども、学部長会議が極めて良識的に動くということで、学部長会議というふうなものを、今後、大学関係としてはきちっと認めていく必要があるだろうと思っているんです。もう一つ、評議会があって、これが相当良識的になる。
  特に、大きな大学の場合は、最近は副学長プラスアルファの補佐会議というものを随分やっていると思うんです。補佐会議というのが学長に対して重要なアドバイスをしてくれる。
  そういう意味で、きょうのいろいろな御議論を承っていて、校長さんを何とかして助けてあげる組織をつくるべきである。これはどのくらいの人たちを使うのが適切かわかりませんけれども、5人いたらいいと思うんですね。教頭さんが1人、それプラスアルファで5人いると、仮に今日何人かの方が触れられたような高校の問題が起こっても、そこで十分議論できる。そういう意味で、私は何とかして校長先生に対する補佐役をきちっと認めてあげることができないだろうかということを、きょう、つくづく感じていました。先ほど中間報告を読み直していたんですが、どうもそこまでは書いてありませんね。ですから、何とか補佐役ということをお考えいただけないかということ。
  もう一つ、大学の例で申しますと、参与会というのが、卒業生であったり、地域の人たちの御意見を承るのにはいいんですね。そういう意味で、ここにも、地方の方たち、自治体の人たちを入れた参与会に近いものを、校長先生を助ける格好で導入したらどうかという話があるんですけれども、ちょっと強く言いますと、これは日常の運営に必ずしも役に立たない。ただ、地方の意見、あるいは産業界の意見を聞くには非常にいいんですけれども、具体的に何か決断をしなければならんというときには役に立たない。ただ、「こういうことを考えているが、どうだろう」という意見を聞きますと、参与界の人は「ぜひやれ」とか、「これはちょっとやめておけ」とか、1年に1回か2回ですから、そういう意味で相談に多少乗れるけれども、決断をしようというときに役に立たない。何か決断をしようというときに、一番役に立つのは、繰り返しになって申しわけありませんが、補佐会議と学部長会議でした。そういう意味で、校長先生が何か困ったときに、親身になって相談できる人を自分の学校の教職員を中心に、場合によってはプラスアルァでも結構ですが、つくってあげたらば随分役立つだろうと思いました。

○  それでは、これで本日の会議は終了いたします。
  次回の小委員会は、4月24日、金曜日でございますが、13時から霞が関東京會舘のロイヤルルーム、34階で開催しますので、よろしくお願いいたします。
  

(大臣官房政策課)

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