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中央教育審議会

1997/11
今後の地方教育行政に関する小委員会 (第4回)議事要旨 

       地方教育行政に関する小委員会(第4回)

          議    事    録

    平成9年11月10日(月)  13:00〜15:00
    霞が関東京會舘  35階    ゴールドスタールーム


    1.開    会
    2.議    題
        今後の地方教育行政の在り方について
    3.閉    会

    出  席  者

委員 専門委員 事務局
河野座長 安藤専門委員 長谷川生涯学習局長
木村委員 石原専門委員 辻村初等中等教育局長
市川委員 岡田専門委員 御手洗教育助成局長
薄田委員 小川専門委員 徳永地方課長
國分委員 尾木専門委員 富岡総務審議官
坂元委員 小澤専門委員 杉浦政策課長
田村委員 佐々木(初)専門委員 その他関係官
横山委員 蓮見専門委員   
   藤波専門委員   
   堀内専門委員   
   鱒渕専門委員   
   森元専門委員   
   山極専門委員   
   和田専門委員   
  
  
  
○  それでは、ただいまから地方教育行政に関する小委員会、第4回を開催いたします。
  積極的な地方教育行政の展開、あるいは開かれた学校づくりを進めるということのためには、地域住民の意向を教育行政や学校運営に反映し、また地域住民の協力を求めることが極めて重要であることは言うまでもございません。
  そこで、本日はまず地域住民と教育委員会との関係、そして学校との関係について検討していただき、さらに教育委員や教育長の適材確保の方策、あるいは小規模町村の教育委員会の在り方をも含んだ教育委員会の組織・体制の在り方、こういった問題について検討を進めていきたいと思います。
  検討に入る前に、事務局から説明していただきたいと思います。
(事務局から説明)

○  ありがとうございました。
  それでは、ただいまから御議論をいただきたいと思います。きょうは、地域住民と教育委員会、そして学校との関連といったところから入って、できれば教育長の適材確保方策といったところまで進めてもらえればと思います。

○  今、方向をお示しいただきましたように、地域住民と教育委員会の関係を主眼にというのがきょうのテーマでございますが、私はここ数回の議論を通じて、一つ、「地域に開かれた学校づくり」というのが大変大事なキーワードになるなということを感じさせていただいております。
  私は教育に携わっている者ではないのでございますので、言葉が不適切になるかもしれませんが、今の状況を思いますと、学校という施設そのものも地域にオープンになっているかというと、必ずしもそうではございませんし、仮にハードをオープンにしても、問題は中身でございます。大変失礼かもしれませんが、先生方も必ずしも社会の御経験が豊富だというふうには言えないわけでございますし、一方、親も意識としては子どもを学校に預けて、あとは学校にお任せということもございます。また、PTAも先生と親の関係ということがございますし、できればうちの息子にはいい点をと、そんなような意識の中にあることも否定できないかなかと思います。したがって、おのずからその枠を越えない。
  教育委員会も、大変言葉は悪いかもしれませんが、大変小じんまりと、しかし活発な活動をやっているとういうのが、一言で言えば現状ではないかと思います。偏差値社会から生涯学習社会へといいますか、どこで学んだかよりも何を学んだかという流れの中で、例えば体験学習をやろうといっても、今の先生とそういうシチュエーションにある親との世界では、体験学習といってもなかなか難しい。
  これを解決する一つのありようとして、「地域に開かれた学校づくり」というキーワードで、それを一歩でも実現させるためにということで、例えば教育委員の公選制の問題が出ておりますが、これも私見でございますが、幾つかの問題点がありますし、必ずしもなじむことではないと思っております。仮にそれを理想どおりできたとしても、根本的な解決にはどうもなりそうもない。
  また、校長や現場に裁量権をもっと与えようと。私は大賛成でございますけれども、今度そこに出てくる問題は、余りにも一人の裁量権が増すと、責任も重いですし、いろんな問題点も起こる。教育委員会へのさらなる権限委譲という問題も、やはり同じような問題が起こる。
  すなわち、どうも必要なのは、何らかの開かれた公正な決定機関といいますか、そういう機関が今必要なのではないか、そんな気がしております。つまり、「地域に開かれた学校づくり」を目指すとき、地域に開かれた人たちによる決定機関が必要だと考えております。
  ちなみに、私が数年前まで所属しておりました青年会議所という組織では、本年度から教育改革の特別の委員会を設けまして、やはりテーマは「開かれた学校づくり」ということで、いろいろ議論を重ね、ことしの7月には全国750以上の地域の青年会議所の代表を集めた総会で、その一つの手段として「PTAからPTCAへ」という提言をして、これについては具体的に各地域でモデル実験をしてみようということが決議されている経緯があります。
  これはどういう意味かというと、「親」と「先生」に加えて、「C」、すなわち「コミュニティー」を加えていったらどうだろうか。コミュニティーといいますのは、地元の企業であったり、町内会であったり、場合によってはロータリークラブの方であったり、青年会議所のメンバーであったり、そういうような方に加えて、卒業生や同窓生、元PTAの方、いわゆる幅広く地域という視点で学校運営そのものに参加される、そんな組織をつくったらどうかという提案がなされております。
  もちろん、このベースには、ヨーロッパ型のかなり権限を持った、場合によっては先生の任免まで口出そうと、そんなような組織も意識しているようでございますが、そこまでの組織がなじむかどうかはともかくといたしまして、要は今後の方向である裁量権の委譲ですとか、そのような問題を踏まえたときに、何らかの地域に開かれた決定機関といいますか、そんなものが必要なのではないかと思っております。

○  ただいまの意見は、そのとおりだと私は思っております。今、「PTCA」という言葉が出てきたんですけれども、いじめ問題の解決のために対策委員会とか、それから学校週5日制に伴う学校開放に向けてというようないろんな問題が起きてきている中で、それぞれの学校において、例えばいじめならばいじめ対策委員会を設置して、それに取り組むべきだということが文部省のほうからも言われておりまして、実際にそれに取り組んでいる学校もかなりあったわけですし、私どもの学校でもそれをやっておりました。そういう中においては、地域の方々がかなり入られ、そして私たちが入り、そして学校側が入り、一つの問題についてはやってきたわけです。
  これからは、例えばいじめとか、学校週5日制に伴う学校の開放とかというだけでなく、すべての面で入ってきて、いろんな意見の交換をやりながら進めていくということが望まれているのではないかと思います。
  私も、例えばPTAの会長にしても、長がつく人というのは、いつも最後には一人なんですよね。それは皆さん方もおわかりかと思いますけれども、そうすると、それを助ける、支える役割をだれがしなければならないかといったら、それは先ほどのお話のように、地域の住民や保護者の団体、そういう方々が学校長とともに支える側にならないと、開かれた学校づくりというのはなかなかならないのではないかと思っているわけです。
  先回の会議の中で、学校と住民の橋渡しをしているのが教育委員会だというような話がありましたけれども、その後、いろんな話の中で、一般の住民の方々は教育委員会というものをあまり御存じないということが実際で、学校と住民の橋渡しをということに関しては、ほとんどがそういうふうなものを持っていない。頭からおりてくるものだという思いを抱いているということがありました。
  開かれたということになりますと、教育委員会は学校により近づかなければならないだろうし、学校はより住民に近づかなければならないだろうという、そういう一つ一つのことを考えていったときに、先ほどの話のとおりに住民の協力を得ながら、それがどういう形がいいのかというのはまだわかりませんけれども、学校の運営をつかさどるような機関が学校自体に組織をされて、それこそおらがまちの学校づくりを自分たちでやろうということが、開かれた学校づくりということになってくると必要になってくるし、そうしなければここまでの改革はできなくなってくるのではないかと思います。臨教審以降、大きな改革ではなく、「緩やかな」という言葉が使われてやってきたわけですけれども、もうある程度英断を下していかなければならない時期になっているのではないかと思っております。

○  開かれた学校づくりのためには、私は地域住民との信頼関係がまず大切であると思います。それと学校の教育機能を  ―さっき開放のお話がちょっと出ましたけれども、やはり開放していく。同時に、逆に学校が地域の教育資源を導入していくべきだと思います。
  実は、私ども平成元年、2年に文部省の補助をいただきまして、生涯学習の推進事業を行いました。このときの事業が学校開放講座です。最初は1校で七つの講座を行いまして、今、私ども小学校が10校、中学校が5校ありますが、全校でこの学校開放講座を、本年度は39講座行っております。3年前には、県内の小・中学校で行った開放講座の約2割を私どもの学校で行いました。この学校開放講座の講師は、学校の先生が約7割を占めております。平日の夜とか、あるいは土曜日の午後等に行っております。
  もう一つは、私どもで「生涯学習まちづくり出前講座」というのをやっているんです。これは平成6年度に全国に先がけてやったんですが、現在、全国の自治体で60ぐらいやっているというふうに話を聞いたことがあるんですが、これはどういうのかといいますと、市役所の各課、各施設からいろいろなメニューを出してもらって、それに対して市民の皆さんが、別に市民でなくてもいいんですけれども、10人以上集まってもらえば、朝9時から夜9時までの間どこへでも出張していってお話をしますよという制度なんです。これは「行政編」だけでは、市民の需要になかなかこたえられないということから、「市民編」「企業編」「公共機関編」、もう一つ学校の先生の「教員編」というのをつくったんです。
  実はこの「教員編」の在り方というのは、26名の方が登録してくれまして、校長先生が3人、教頭先生2人で、いろいろメニューを考えていただいたんですが、そのメニューの中では親子と一緒の講座が大変多いんです。この前、横浜へ視察に行ったときに、横浜の中学校でも親子スポーツ大会をやっているという話がありましたけれども、そのように親子で共に学ぶということが必要ではないか。そうすることによって、学校との関係もうまくいくのではないかと思います。
  実は、私どもの中学校が昨年、時事通信社の教育奨励賞、あわせて文部大臣の奨励賞をいただいたんですが、なぜもらったかというと、この前、神奈川県の視察で行った県立神奈川総合高校ではいろんな教科が選択できるということがありましたが、私どもの中学校でもそういう制度をつくりまして、細かく分けてやった中には、地域の指導者にも担当の先生と一緒にやってもらったケースがあるんです。
  ですから、そういうふうに学校から先生方が出ていくというやり方、あるいは地域から学校へ入ってきてもらうというやり方、この往復がなければ、私は開かれた学校づくりはできないのではないかと思っております。
  私どもの例を挙げましたけれども、もう一つには福祉関係で、中学生がお年寄りに手紙を書いたり、あるいは給食サービスで給食を配達したりということも必要だと思います。手紙を書く例なんかですと、3年生が書いて、その3年生が卒業しても、次の3年生がまたやれば、これは永遠に続くわけです。地域に開かれた学校づくりということでは、生徒もそういうところに一緒に関与していく。そして、将来のそういった福祉問題についても、小さいときから考えていく、自ら考え、自ら判断し、行動する力を養っていくことが、開かれた学校づくりにつながるのではないかと思っております。

○  開かれた学校づくりとか、地域の連携というのは、今までもよく言われているし、いろいろと学校で工夫しておるわけですけれども、地域住民といったって、そんなみんなが学校に関心を持っているわけでもないし、忙しい人たちもいっぱいいます。となれば、具体的にもう少し各学校で運営委員会組織といいますか、もっときつい言葉で言えば、これからの主体的な能動的な学校づくりの中で、内部外部評価委員会というか、そういったようなものをやはりつくっていくべきではないかと思います。
  PTAも非常に大事なんですけれども、あれは子どもが卒業してしまえば、学校とはあまり縁がないという側面もあるんですが、もちろんPTAも含めて、地域の住民からなる運営委員会組織というか、そういう恒常的な組織をつくって、そういったところでは場合によっては学校教育目標から、特にそれぞれの学校で行われた教育効果について評価していく。あるいは、基礎学力テスト行った場合の分析、どうしてそういうような状況になっているのかという分析も含めた、もう少しそういう専門的で恒常的な組織を各学校でつくっていくことが必要かなと思います。その間には、地域の住民の意向なんかも学校に反映するし、学校から積極的に情報を発信していくことが大事かなと思います。
  場合によってはそういう運営委員会組織の中から、時によっては行政手腕のたけた優秀な人材を学校長に登用する。何も学校長というのは、教頭とか、教育委員会から行くだけではなくて、そういったところからも登用するぐらいの道をつくっていく。それによって初めて開かれた学校だとか、学校の主体性とか、学校の責任性とか、そういったものがつくられていくと思うんです。

○  私もただいまのお話の中の恒常的な組織の充実ということに非常に共感を持っています。
  私に一つの記憶がございまして、その起こった出来事自体はあってはならないことであり、悲しむべきことであったんですが、御案内のように、昭和54、5年から昭和60年にかけて全国的に校内暴力の問題で、大変苦しんでいる学校が非常にありました。その学校が非常に緊急な課題に直面したわけでありまして、例えば一夜のうちに一つの学校のガラスが数百枚たたき割られるとか、あるいは電気が一夜のうちに使えないような状態になるという事態が、目に見えるような状態で起こるわけでありますから、地域の方々も切実な課題意識を持って学校に顔を向ける。全国でそういう学校の周りでは  ―先ほど申し上げましたように、その事例自体はあってはならない、大変悲しむべきことではあったんですけれども、非常に好ましい形で連携協力の組織がそういう学校の周りにでき上がってきたんです。
  多くの学校が困難な事態に立ち至ったんですけれども、早い学校は数ヵ月、遅い学校でも1年から2年ぐらいの間に見事に立ち直っていく過程で、学校も巻き込んでいく、教育委員会もかかわる、それから保護者、地域の方々も一体になっていく。その組織が非常に機能したということがあったように思いまして、それが現在、非常に示唆を与えているように思います。
  そこで、なぜそういう学校と一体になる組織が機能を果たし得たかということを分析的に考えてみますと、まず一つは、そういった関係の間に機能する組織というのが、一つは地域の実態、あるいは当面する課題に直結した形ででき上がっていった。ですから、今もそういう組織がないことはないわけではありませんけれども、その組織が機能しないのは非常に形式化されているんです。パターン化されていて、そういう組織にはこういう人とこういう人とこういう人がいて、1年1回総会をやってという形になって、それが形式化された場合には機能しないんですけれども、そこに一つ切実な課題意識が働く場合には、その課題に応じた機能的な組織ができ上がるというところに一つヒントがあったように思います。
  もう一つは、その組織の中で、学校も自分たちの課題を提出する。それから、保護者の方々も要望を提出する。それが単なる依存ではなくて、その中でともに課題に対して一緒に頑張ろうということが自然のうちに出てきたところに、そういう機能があの当時、非常に成功したように思います。
  したがって、今後、今話題になっている恒常的な組織を考えるとするならば、一つはその組織の中から教育委員会、学校に提言し、また組織が今度は逆に家庭・地域にさまざまな問題を提出していって、それを話し合うだけではなくて、お互いの役割分担と補完ができるような形にそれが機能していくことが、恒常的な組織の重要な要素になるのかなと。現在においては、これからどうやって新しい学校教育の活性化を図っていくのか、それからこの審議会の当面の課題で言うならば、教育委員会と学校と地域が一体になって新しい教育をお互いにつくり上げてやっていくということの課題がその中核にあって働くような、そうした恒常的な組織ができ上がるならば、新しい展望が開けるんではないかと考えるわけであります。

○  最初にキーワードということで、「開かれた」ということがあったんですけれども、同じような見方をしますと、私としては住民あるいは親と学校という関係におきまして、「参加」というキーワードをどう考えたらいいかということを、一つの課題として持っているわけです。
  先ほどの事務局の御説明として、教育委員会制度の変遷がございましたけれども、その中で、例えば公選制の教育委員会制度が任命制にどう変わったのかという御説明があって、それなりに理解が十分できたと思うんですけれども、そのときに、例えば代表制の問題ですね。要するに、市長であったり、議員であったり、そういったところに代表制がゆだねられていて、そこに担保されているがゆえに、公選から任命制に切りかわって、よしとするという御説明があったと思います。
  一つ制度的に考えた場合に、御存じのように教育委員会あるいは教育行政につきましては、教育基本法の第10条で「直接責任」という言葉が書かれているわけです。これをどう考えていったらいいんだろう。確かに終戦直後のいろんな問題状況の中で、未成熟のままで公選制に入ったという気は私もしているわけですけれども、50年たちまして、やはりいろんな形の参加というものが、今の市民社会の中で成熟してきたのではないかという認識を持っています。教育だけそこが何かエアポケットになってしまっていて、大変ゆがんだ形で親と学校、あるいは教師と親という関係がつくられてきたのではないだろうか。
  先ほど、いじめ等の事例の紹介があったんですけれども、例えばいじめが起こりまして、自殺者が出ちゃうと、我々がマスコミで見る限り、親がまさに直接責任を求めて学校になだれ込んで、かんかんがくがくな論議をしていく。大変異常な光景として映るわけです。なぜああいったことが日常的に行われないんだろう。問題が起こって初めて親がそういう形で登場してくる。平素は一体どういう形で親と教師や学校のかかわりがあるんだろう。
  現職の教員からよく聞きますことは、今の先生方というのは親を大変気にしているわけです。たぶんここにいらっしゃる方々が思う以上に気遣っている面があると思うんです。例えば、いろんな行事を行う、あるいはカリキュラムについて新しいことをやろうとする。まず、親がどう考えるのかと、これを我々が考える以上に気遣って、上司にも相談するし、学級懇談会でも説明をするという気遣いをしているわけです。
  逆に言いますと、教師からして、親が一体何を考えているかわからないという状況があるわけです。ですから、従来どおりのことをやるならば、別に自分の責任は問われないけれども、何か新しいことをやろうとして、40人の親の一人でもそれに対して異議申し立てをしたら、教員としての対応の仕方がないというわけです。こういった状況というのは、今、いろんなところでかなり起こっているんじゃないだろうかという気がします。
  結局それも考えていきますと、代表制権能というものを発揮していく組織なり場というものが、今、教育や教育行政の中になくなっているんじゃないだろうか。PTAというのは確かにそういう組織としてあるんですけれども、言うまでもなくそれは制度的な代表制権能を持っていない。制度的には、最初に御説明がありましたように、首長であったり、議員にありますよと。これを我々もあたりまえに理解していると思うんですけれども、例えば我々が投票行動をするときに、すべて教育問題で首長や議員を選んでいるわけではないわけです。これは国政段階でも同じことです。たまたま今、総選挙をした場合、あるいは首長の選挙をした場合に、地域の開発であったり、防衛問題であったり、そういうったことで論点がありまして、それに向かって政党を選んだり個人を選んだりする。
  ところが、自分の子どもがこういう状況にある、だからこういう教育を願っているという観点で、投票行動をする  ―中にはあるかもわかりませんが、必ずしもそれは一致してこないのが普通だろうと思います。例えば、今言いましたように一人の首長を選ぶというときに、その首長は例えば経済問題では大変優れている。だけども、教育問題では違う候補のほうが自分としては好ましいと思っているというのは、ごくごく普通にあるわけです。それがゆえに、教育に対する直接責任ということをここでうたっている。公選制という一つのアイデアとしては、今言ったものを具現化してと思いますけれども、それにこだわらずに、何らかの形で親や住民の教育の意識をどう直接的に学校教育、あるいは広い意味での教育行政に反映していったらいいのかという制度の見直しを、今、考える段階にきているんじゃないか。そうした場合に、広い意味での参加という問題をどう考えたらいいかというテーマを、我々は今突きつけられているんじゃないだろうかと私は思っているわけです。
  先ほども言いましたけれども、今の状況を考えた場合に、日本の社会は、経済は非常に混乱をしていますけれども、豊かであるし、またいろんな意味合いで、戦後50年の中で成熟しつつあるだろうという認識を持っています。ですから、50年前あるいは30年前と同じ状況で、住民の意識あるいは親の意識を考えるのは、少し間違いを起こすことになるのではないか。
  何度も言いますけれども、大変ゆがんだ形になっていますので、親の意識も少子化状況の中で、いわゆる我が子意識に偏ってしまって、なかなかニュートラルなところにいかない、あるいはより成熟した段階で教育問題全体を考えるほかないという、二律背反的な状況に陥っているのではないだろうかという認識を持っています。それだけに、何らかの形でより広い観点で、親の意識、あるいは地域住民の意識を学校あるいは教育行政に反映できるような参加の形態を、今の制度の中で、あるいは制度を見直す中で考えることが一番重要ではないだろうかという意見を持っております。

○  開かれた学校づくりということで、実は学校においていわゆるアカウンタビリティーといいますか、これから学校が地域住民に対して学校の責任をきちんと説明することは大切なことだと思っております。
  実は私どもの地域では、魅力ある学校づくりの支援校という制度を設けまして、学校が地域に開かれた取り組みをするものに対して、35万から70万の研究委託料を出しておりますが、その中で、ことし、幾つかの学校が自主的に取り組んだ試みがございます。
  それは各学校で自分のところで  ―これは小学校ですが、クラスがことし1年間どんな学級経営をするのか、そしてどんな授業をしていくのかを含めて公開発表をし、学校のほうで地域に出したパンフレットには、「地域の人々、保護者の皆さん、地域の学生さん、大学の先生方、御意見を聞かせてください」ということで、授業を実際に見ていただき、そこで自分たちのこれからの1年間の教育計画や研究授業を説明しております。大変新しい試みで、当初、学校のほうはむしろ失敗したらどうしようか、ということでしたが、地域の方から「初めて学校がこういうふうに教育をしていくのかということがわかった」という御意見もいただいております。このようなことがむしろ広がったほうが、実質的に地域の方が責任を持ち、自分の目で見、自分で判断し、意見を述べる機会があったほうがよいのではないかと思っております。
  もう一つ、地域住民の意向の反映の中で、調査研究協力者会議が既に指摘しておりますように、教育委員会の判断によってこの仕組みをそれぞれの地域の実情に応じてつくれるようにしたほうがよい、これは大変重要な点ではないかと思っております。と申しますのは、大都市のような匿名性のあるところはまた別ですが、地方都市において非常に濃密な人間関係の形成されているところでは、地域住民と保護者は、あることについては対立しがちになります。ひとくくりに地域住民と申しても、地域住民の代表者はだれか、どういう方が地域住民の意向を反映するかということは大変難しゅうございます。
  実は私どものところで、通学区域につきまして、自分の通学区域に学校がないというところがあります。つまり、その学校の周囲の子どもさんは別の学校に行くという、極めてイレギュラーな通学区域があるのですが、これは戦後50年の町会の変遷の経済や、地域住民の意向を重視した中で、自分の地域に自分の学校がなく、別の地域に行くという結果になっております。
  保護者からも、生徒からも、校長からも、教職員からも、これはおかしいということは、それぞれが個人的な立場で言いますが、公にはなかなか言えないことなのです。それはなぜかといいますと、地域の意向を重んじる必要があるからです。今度、通学区域の弾力化が文部省から通知がありましたので、それをきっかけに通学区域全体を見直すということを、むしろ教育委員会が強力にしない限り、そのことについては校長もなかなか言えないし、地域も今までのいきさつから言い出し得ない中で、地域住民と保護者が対立するようなことのないような一つの仕組みをつくっていくことが大切ではないかと思っております。
  また、教育委員の選任と数についてですが、執行機関であり、合議制であるということを踏まえるならば、弾力化の人数には私は上限があるのではないかと思っております。例えば、20人も30人も教育委員がいるというのは審議会になるわけです。議決機関ではないので、その点で、合議制、執行機関であるということがより機能するための人数の上限は、基本的にきちんと決めるべきではないかと思っております。
  なお、教育委員が選任される過程におきまして、通常、議会では説明を省略し、採決をしておりますが、今のような時代の中で、教育委員がどのような考えや見識を持っているかということを公にするほうがよいというのであれば、説明をするということも必要ではないかと思っております。
  また、地域の開かれた学校づくり、あるいは開かれた教育委員会という中で、基本的に学校のことについて地域の方がすべて評論家であっては、学校はきちんとした教育力を持つことができません。子どもの問題は大人の問題であるという現状認識と、そういう視点から、地域の教育力を育てていくことが大切ではないかと思っております。その意味では、改めて地域が社会として成立していくための教育力を担っていく社会教育機関の充実、在り方について、再度21世紀を展望する中での社会教育機関と学校教育機関の連携についても、この際、きちんとその仕組みも含めて検討ができたら、地域に開かれた学校づくりを社会教育の面からきちんと支援できることが可能ではないかと思っております。

○  地域住民と教育委員会ということになりますと、直接はなかなかつながりにくいのかなと思っております。しかし、地域に対しては教育委員会は学校を通してつながる、これが強いのではないかと思っています。その他の地域とのつながりは、社会教育であるとか、生涯学習であるとか、体育、スポーツ関係、それから文化事業、こういった面では、教育委員会は直接地域につながって、相当な力を出していると思うんですが、学校については教育委員会はどちらかといえば制度上も条件を整備してやるという基本線があるわけであります。
  地域に開かれた学校については、学校の組織というものがきちっとあって、教育委員会は学校のそういったことに対してああだこうだという内容までは言わないほうがいいのではないかと思うのであります。
  開かれた学校ということになると、学校では地域にもいろいろ働きかけたりということがあるわけですが、もう一度、学校の本来の目的を考えてみますと、学校は子どもたちに知識をしっかりと与えていく。こういう基本的な目的があるわけでして、何でもかんでも学校に、それ社会教育だ、それ生涯学習だと、これもなかなか大変であろう。ですから、今までもずっと話されてきましたが、校長にどれぐらいの権限なり、あるいは学校にはどういう役割なりを持ってもらうのか、そのためにはどういう組織を考えてやればいいか、あるいは学校の役割をもう一度どのように位置づけてやればいいか、こういうことを考えていく必要がある。地域住民と教育委員会という場合に、私はやっぱり学校と地域、ここのところをしっかりと見ていく必要があるのではないかと考えます。

○  前回の委員会で、学校にできるだけ権限をという議論があった際に、それは一つの流れであろうけれども、そしてまた反対するものではないけれども、条件整備がやはり必要だ、それは学校内、あるいは学校外において、権限を持つということは責任を伴うことであるので、校長が責任を果たせる体制をつくってあげなければいけないのではないかということを申し上げたわけでございます。
  その際、本日の議論と関連しまして、先ほど恒常的な委員会、あるいは外部評価委員会というようなお話がございましたけれども、PTAというのがありますが、親御さんというのは学校になかなか物がストレートに本音のところでは言いにくいということがありますから、もちろん保護者が入る必要はありますが、もう少し幅広い人たちが入った委員会という言葉がいいのかどうかわかりませんが、組織をつくって、学校にいろいろなアドバイスをする、あるいは時には意見を言うということが必要かなと。ただ、それが直ちに外部評価委員会までいけるかどうか、まだそこまで日本ではなじみがない  ―もちろんそれが有効に、あるいは適正に機能すればいいですけれども、なかなかそこまではいきにくいので、例えば、現在、大学がやっておりますように自己評価、自己点検という形で、しかも、その結果を外部に発表するということを、最近ではほとんどの大学がやりだしたわけでございます。まず第1段階としては、学校自らが一定の教育方針等を示した上で、それに沿った教育活動がどういうふうになっておるかということを自己点検し、評価し、そして例えば先ほどの委員会あたりに報告する、あるいは公表するという形でやっていく。将来、適正な外部評価ができればいいんですけれども、第1段階としてはそういうところがスタートのあれなのかなという気が私はいたしました。
  ただ、先ほどお話がありましたように、教育委員会は学校についてはまさに学校を通じて開かれるという面があるわけで、それが直ちに、教育委員の公選制というところにつながってしまうのかどうかというのは、ちょっと私は疑問を持つわけです。50年前とだいぶ意識も違っておるというお話がございましたけれども、やはり現実にはいろいろな政治的な対立が教育委員の選任に持ち込まれるということがあり、また現に、中野区でやっているのも、年々、投票率が下がって、下がれば下がるほど、一定の組織を持った人しか  ―あれは参考にするということでしたけれども  ―当選できないということになると、果たしてそれが本当に民意を反映するこになるのかどうか。またそういう実態になると、「教育委員にしたい」という人は、まず手を挙げないという状況になると、立派な人が果たして選べるだろうかという疑念をぬぐい去ることができないような気がいたしております。
  それから、思い切って校長先生に民間の人を起用したらどうか。あるいはまた、今、評価委員会のしかるべき人を校長さんに起用したらいいんではないかという御議論がございましたが、それが大勢になるとどうかという気はいたしますけれども、やはり部分的に例外的に非常にマネジメントの優れた人などは大規模校などに  ―ただ、教育経験が十分でないわけでしょうから、それを補佐する体制、教頭なり、学校の中でそれを補える体制を整えた上で、マネジメント能力のある教育界以外の人を校長などに起用することも考えていいのではないかという気がいたします。

○  大きく二つあるんですが、一つはいろいろ御議論が出ておりますことで、
今までの仕組みでうまくいっているところはうまくいっているんで、そこは前にも申し上げたけれども、そうした情報の流通とか、その情報を上手に教えてあげるというやり方をやるべきだと思いますが、21世紀を迎えて新しい試みをして、日本の教育を改革していかなければいけないというときには、今までの仕組みと違った仕組みをまた考える余地が出てくると思うんです。
  昨年の第一次答申の場合でも、学校・家庭・社会の三者連携で、全部の国民が一致して次世代の子どもたちを教育していこう。その中で、三者連携する場合に、地域活性化センターだとか、地域教育連絡協議会のファンクションを、これが法的に位置づけられているのかどうか、私、素人でよくわからないんですが、それを法的に位置づけて、予算措置も裏づけて、全部を変えるのではなくて、今まででうまくいっている例が幾らでもありますから、今までの仕組みは温存をしておいて、いわゆる新幹線方式で、旧鉄道でうまくいっているところはそれでやって、新方式もとれるよという形で、地域活性化委員会で学校を地域に開いていく。
  それを教育委員会の中なり、あるいは教育委員会の連合に位置づけて、社会教育と学校教育とを上手に絡み合わせる形の動きができるような弾力化といいますか、そっちに統一するという必要は必ずしもないんだろうと思いますが、これは6・3・3制を6・6制にしてみたり、私も前回言ったように、学校をある種の広域学区制にしてみて、学校間にコンペティションを持ち込むとかですね。そして、学校なり、地域なりに独自の教育活性化をもたらすような刺激を与えていくことができる。それぞれの地域がそれぞれの地域の産業であるとか、文化であるとか、マイナスの問題を抱えておるわけです。そういうものは地域教育連絡協議会とか、地域活性化センターというところで処理をする。
  私はできれば地域教育カリキュラムまでそうした組織がつくれるようになればいいなと。学校教育のカリキュラムは指導要領で全国共通につくりますけれども、それを地域の家庭・学校・社会の連携の中で生かすときには、新たなるその上にかぶせる地域固有の地域教育カリキュラムがつくられるべきだし、それに関する自己評価、自己点検が伴って行われていいだろう。それを支えるような予算、法規の整備が伴ってくればいいなと。これは大きな検討課題ではないかと思うんです。
  そうすれば、地域社会の人材が学校に入ったり、学校の子どもたちが地域社会に出て、異年齢の集団と、しかも特に60以上の高年齢者で、いろんなノウハウなり技術なり知識を持った人と切磋琢磨する。障害のある方ともいろいろと触れ合うという大きな教育運動が起こるし、それの仕掛けとか、仕組みを、法的、予算的な措置で何とか考えられないか。
  もう一つ、それを進めていきますときに、学校が地域だけに開かれるのではなくて、世界じゅうに開かれるという時代が21世紀にはきているわけです。これはインターネットなり、ビデオ・カンファレンス・システムなり、衛星を通して、学校が外へ開かれていく。今、一番大きな問題は、権限が学校にあるときに、校長が外に出ていていないという時間がめちゃくちゃに多い。朝、朝礼をしたら校長は外へ出ちゃう。それでは責任を持った学校運営ができませんので、そうした情報のネットワークがあって、校長ができるだけ学校にいながら研修であるとか、事務連絡ができるようなシステムを整備していく。これは21世紀ですから、当然できるだろう。
  今、アメリカのクリントンさんの教育顧問の、エデュケーション・テクノロジーというか、インターネットの総仕掛け人が来ておられるんですが、その人とお話ししていましたら、来年の1月からインターネットを使うときに、教育レートというのでネットワークの利用料をうんと下げる。10%から90%引きぐらいまでを考える。財源をどうするかのかといいますと、ユニバーサルサービスという部分のタックスを入れてそれをやるんだと。なかなかタックスペイヤーが同意するかどうかわからんけれども、と言っておりましたが。NTTなり電信会社に「安くしろ」と言うとか、政府がそのお金を出すとか、いろんなやり方があると思うんですけれども、教育税みたいなものの提案ぐらい何かできないだろうか。そうすると、校長さんも学校にいられるし、子どもたちも学校から地域社会なり世界じゅうと連絡を取って、いろんな作業ができる。
  さらにまた、地域活性化センターとか、協議会で地域の住民のいろんな代表が活躍されますと、そういう方々が教頭、副校長でまず仕事をして、学校運営の体験を持ち、そこから将来の校長が生まれる。副校長を3年か5年ぐらい体験されて校長になられる道が開けることは、私は大変いいことだと思うんです。主流はやはり教育の関係者が校長になるべきだと思うんですけれども、そうしたいろんな道筋を法律とか予算の裏づけをもって検討していく。つまり、今ある仕組みのここをこう変えるということも大事なんだけれども、21世紀の教育というのは、地域・家庭・学校の連携でどうあるべきかというのを考えた上で、それに合うように新しい法律の整備とか、予算の裏づけをするとどうなるかという見方の検討を、有識者がここにたくさんいらっしゃるんで、ぜひしていただければありがたいと思います。

○  きょうの今までの議論については、方向性としては基本的に私も同意するものです。特に「地域に開かれた学校」というキーワードですね。この考え方に沿って住民の意向を具体的に学校運営なり教育活動にどう生かすかという点では、基本的に賛成なんですが、これまで日本の学校はどっちかというと地域に閉鎖的な社会だと言われる面があって、それはそれなりに内部で一生懸命やっているんですけれども、必ずしも学校でやっていることが地域に知らされていなかったり、最近では川崎なんかオンブズマン制度を学校にも取り入れられるとか、情報公開の問題等でかなり開かれてきつつありますけれども、もっともっとシステムとして開かれた学校にするということ。
  同時に、中教審で言っているように、これからそれぞれが特色を持った学校にならなければならないというので、開かれると同時に、それぞれが特色を持って、隣の学校とうちの学校はどこがどう違うということがはっきりする必要があります。その意味では、学校の教育目標をそれぞれの年度に職員会議等で決めるわけですけれども、年間の到達する教育目標を設定したら、そういう機関で  ―ただ、公正な、地域に開かれた人々による恒常的組織ということには全く同意ですが、決定機関の「決定」というのは、どこまでの権限を持つのかということについて、まだ厳密に議論をしないと、イギリスとか、イタリアとか、これまで歴史のあるところでは一定限度権限を持っているわけですけれども、少なくとも教育目標を決める際に、地域のいろいろな団体、有識者、保護者、PTAの代表とか、教職員の代表を集めて、協議をして決定して、そして1年間努力して、その結果がどういうふうな到達をしたかということを、3月期末なりにその機関で協議をして、結果としてこうなったということを評価というのはなかなか難しい点があると思うんですが、広報紙などで住民や保護者の代表全員に、年間の学校の教育活動はこういう目標のもとにこういう活動をしてきた、結果はこうだ、次年度にその反省を生かさなければならないということを含めて、住民に情報を開示するというようなことをもって、恒常的な組織をつくることについては原則的に賛成なんです。
  しかし、人事権なりを仮に持たせるとすると、これは日本の場合、一気にそこまではいかないんじゃないかという気もしますから、教育目標なり、それに基づいた教育活動について、広く地域から意見を聞くという形で当初は性格づけをしたほうがいいのではないかと私は思っています。
  なお、私も別に公選制そのものについては、本来的に一つの考え方として住民の意向を参加という視点から、それを具現化する一つの方向として、戦後間もない時期に行われたけれども、結果として十分成功しなかった。中野の準公選についても、投票率が低下するというようなことも含めて、住民の意向を反映しきれたかどうかという点については問題なしとしないということでもあります。それが地域的に可能な、また努力をしている、一時期、大阪の高槻とか、北海道の一部の地域とか、今も準公選運動などをする市民団体もありますから、可能な地域においてはそういういろんな方法を模索をし、一概に国の法律でもってこういう選任の方法が望ましいというふうに画一的にするよりは、多様な方法を模索できるようにするというのも、今日的、現実的に可能なあれではないかという気がいたします。
  ただ、この前、私も神奈川県の教育委員会、横浜の教育委員会を視察したときにも、現在の教育委員会制度のもとでも30年近くたっていますし、800万とか、数百万という政令指定都市の中で、直接選挙で選ぶという選挙方式でもって、本当に教育委員に適材を確保することができるのかどうかということになると、現在、そういうことに携わっている行政機関の方々からは、否定的な意見が非常に強いということを、実際に神奈川に行ってみて思っていますので、これはまだまだ議論を詰めなければならないのではないかという感じがしています。
  それから、教育委員の数については、弾力的にということは横浜の教育長も賛同されておりました。ただ、その場合に、先ほどありましたように、20人も30人もということはありませんから、上限を10人なら10人として、5人から10人の範囲内で地域の実情に応じて選任するというような弾力化が、現実的には可能ではないかと考えております。そういうことを申し上げておきたいと思います。

○  今、公選の話が出ましたので、その問題に絡めて発言させていただきます。
  私自身も、戦後初期の公選制をどう評価するかということについては非常に微妙な問題がありまして、選択肢の一つとして全面的に否定するというわけではないんですが。ただ、教育委員の公選か任命かという議論をする前提として、これは協力者会議の議論の際にも発言したんですが、教育委員をどういう形で選ぶかという議論の前提には、教育委員の仕事とか、教育委員の活動ぶりに、どんなレベルないしはどんな質の仕事や活動を期待するのかという、こうした教育委員像が必要な気がするんです。
  少なくとも素人である教育委員というふうな制度原理ですよね。今、非常勤で、パートで、ほかに仕事を持った素人の市民だというふうな、そうした教育委員の基本的な条件を前提にして、どこまで教育委員に仕事や活動を期待しながら、それに合った選び方をするのかということをもう少し詰めたほうがいいような気がするんです。
  教育委員の公選制というような議論は、教育政策の決定とか、教育政策の執行に際して、かんかんがくがくの議論を期待して、そして教育委員会事務局をある点ではイニアシチブを取ってリードするというふうな教育委員の活動とか仕事ぶりを期待するような考え方がどうしてもあるような気がするんです。
  しかし、実際、そうした教育委員に対する期待というのは、なかなか非現実的なことであるし、教育政策の決定とか、教育執行の在り方について、かんかんがくがくの議論をするというのは、むしろもっともっと議会のレベルでするべきであって、議会のレベルでのさまざまな政策決定の論議を踏まえながら、基本的には教育委員会の仕事は大所高所に立って、教育委員会事務局の行っている執行に誤りがないかとか、偏りがないかとか、そういう点でのチェックをしていくことをむしろ教育委員の仕事として期待していったほうが現実的ではないかという感じがします。その点は、今ある任命制というシステムでも、教育委員のそうした基本的な仕事を期待できるのではないかという感じがします。
  ただ、どうしても教育委員が任命制ということであれば、言葉はよくないんですけれども、教育委員会の事務局に対してなかなか物が言えないとか、さまざまな教育情報は事務局を通じてしかなかなか入ってこないというか、そうした制約もありますので、教育委員の教育に関する情報収集とか、さまざまな考え方が教育委員のほうに入ってくるような仕組みは、これから少し工夫していいのではないかという感じがします。
  そういう点で、私自身もこの間、いろんな教育委員会に調査に入って知ったことですが、教育委員ないしは教育委員会事務局の運営でアイデアとして、埼玉県の久喜市で行っている教育アドバイザー制度とか、教育モニター制度は、大変参考になるものでした。
  教育アドバイザー制度というのはどういうふうなものかというと、教育委員を補佐するというような意味と、教育委員会事務局に対して物を申すという二つの機能を持って、市内の市民の中から15名前後、教育委員会のほうでお願いするものです。教育アドバイザーとして選ばれた15名程度の委員の方が、教育委員会のメンバーと教育委員会事務局を交えながら、年5回ないし6回ぐらいにわたって定期的に、ある問題についてもテーマ設定して議論したり、またフリートーキングしたり、ないしは市の教育施策についてのさまざまな提言をする。そうした教育アドバイザー制度は教育委員の勉強にもなるし、教育委員会事務局にとっても非常にいい刺激になって、市の教育施策にとっては大変に貢献しているというお話を聞きました。
  さらにもう一つ、教育モニター制度というのは、自分たちが決定し執行した教育施策について、客観的な評価ないし批判がなかなか耳に入ってきませんので、そうした施策について定期的に評価・点検してらう御意見番を選んで、定期的に批判とかいろんな意見をお聞きするモニター制度みたいなことも導入しているということを聞きました。
  教育委員の選び方ないしは仕事の問題は、さっき言いましたように公選か任命かという議論もありますけれども、基本的には任命という制度のもとでも、今言ったようなシステムの工夫をすれば、教育委員の仕事を漸進的に改善していけるような面はかなりあると思いますので、そうした点をいろいろ知恵を出しながら工夫していく必要があるのかなという感じがします。

○  私、別に教育委員を公選せよと言っているつもりは全くありませんでして、原則的には今の制度の中で、中教審のこの会議そのものが地方分権という大きな流れの中に位置付いていると私は理解しているわけですけれども、国が画一的に制度として市町村の委員の選任まで決めるということに対しては、もっと弾力化していいんじゃないか。
  都道府県、市町村という二層制を持っていますので、都道府県については、私は今の制度がいいかなと思っています。ただし、市町村になりましたら、ずっと論議がありますように、規模から、対応から極めて多様性を持っている。そういった中で、教育委員会のシステムも全く同じにしてしまう。御存じのように、今の地教行法は市町村と都道府県の区別をほとんどしないわけです。これは大変非現実的だろう。
  教育委員の問題について言った場合には、市町村が住民に一番密接した公共団体でありますので、住民の意思を反映できるような仕組み、委員の選任ならば公選制を排除しない範囲で、任命ももちろんあるし、準公選もあるし、あるいは委員の増員というお話がありましたけれども、仮に増員した場合には、公選の委員と任命の委員を半々にするとか、そういったいろんな組み合わせも含めたことを各市町村に任せることも一つの案ではないだろうか。それが私の論点です。
  その次に、公選を初めから排除するというのもどうだろうかという考えを持っていますけれども、公選を全面的にやるということは私も全く考えていないということが一つです。
  それから、参加というお話をさせていただいたんですけれども、具体的な話にまでいきますので、大ざっぱな話で終わったんですが、言うまでもなく教育行政レベルの参加の問題と、学校もしくは学校経営レベルの参加の問題と、これは質が違うだろうと思っています。今お話ししたのは前者のほうの教育行政レベル、すなわち委員会制度を前提にする場合には、委員の選任は一つ大きな問題になってくるということだろうと思います。
  学校レベルの問題で言いますと、諸外国の例も御披露あったと思いますが、一般に学校協議会だとか、理事会というふうに言われているようなものを参考にしつつも、この場合、住民というのは親が直接だと思いますが、親が当事者としての意識をどう持つのか。当事者としてどういった権限を法的に保障されるのか、それに伴って当事者責任をどう果たすのか、これはその意味ではセットだと思います。
  先ほど事例的に紹介させていただいたのは、当事者責任というところがどうもピッタリこないんですね。極端な言い方をしますと、我が子意識で、こういったことをしてもらいたいという要求はいっぱい学校に持ってくるんですけれども、それに伴う責任論は一体どうなってくるのか。学校の教師が一番困るのはそこだと思うんです。
  ですから、参加という問題は、別に一方通行の問題ではなくて、常に逆方向においての責任も伴ってくるということで、一定程度安定した運営の基礎をつくっていく。これが今求められている参加像だろうと思っています。そういった意味合いで、学校経営のレベルでは、親が当事者責任を果たすべき参加の形態を検討していくべきではないか。そういったことが申し上げたかったことで、補足させていただきました。

○  先ほど、21世紀の校長は学校にいても事務が十分できるようになる、またそうすべきだという話があったんですが、私は実はこういうところで言うのはなんなんですが、就任以来、校長会やら何やらで「校長は学校にいてくれ」ということを口が酸っぱくなるほど言っているわけです。
  これは余談といいますか、まとまりのない話になりそうなんですが、実はいろんな事故報告なんかを読んでいますと、必ずと言っていいほど何か事故が起こったときに校長がいなくて、教頭が対応をして、翌朝ならまだいいほうで、翌日の夕方ごろやっと校長がつかまってというような話があるものですから、それがパーセンテージが非常に高いものですから、私はぜひ校長は学校にいてほしいなという話を何度も言ってきたわけです。
  ただ、そうは言っても、教育委員会にも反省すべき点はあるんでして、何かというといろんな研究会をつくったりして、例えば高等学校の入選問題を検討しようやというときに、校長なり教員をそのメンバーに加えて、それで会議をやるということもありまして、一概に校長ばかりを責められないんですけれども、そのほかにも教育研究会みたいなものが幾つも幾つもあるようでして、その辺は3時過ぎからそういう会議をやるとか、そういう工夫も必要なのではないかと思っているんです。21世紀ではなくて、できるだけ早い時期から校長は学校にいるべきだと。開かれた学校という話が出てきましたけれども、そういうことになると、ますます校長は学校にいなければならないというふうになってくるんだと思うんです。
  その続きの話をしますと、では、開かれた学校にするには、やっぱり裁量権といいますかね、それがたくさんあればあるほどいいんだろうけれども、そうすれば責任が重くなるみたいな話があります。ただ、今、実質的にどうということはないんですけれども、形式上、何でもかんでも教育委員会に報告をしたり、あるいは届出をしたりということが多過ぎるわけでして、そういった部分を根本的に学校のほうにお任せする。どうしても教育委員会で押さえておかなきゃらないようなことだけを、学校管理規則なら学校管理規則で決めておくというほうがいいのではないかと思うわけです。
  そうなると、また責任の問題が出るんですが、最前からいろんな委員の先生方から、外部評価委員会ですとか、あるいは委員ですとか、何とかということで、校長をバックアップするものをつくろうではないかというお話が出ていたんですが、それをうまく活用することによって、ある程度は責任が重くなった分を相談をしたり諮ったりすることができるのではないかという気がしておりました。
  また、ちょっと数字を調べてきたんですけれども、中野区の公選制は第1回目がたしか昭和56年です。そのときは投票率が43%ちょっと切れる、42.99%。2回目が昭和60年で、これが27.37%。その次が平成元年で25.64%。その次が平成5年で23.83%というような調子なんです。中野区のほうで制度を変えまして、候補者を選ぶのではなくて、推薦しましょうということで、今、そういうやり方をしているんですが、その関係した人といいますか、投票数という言い方をしてもいいんだと思いますが、それが4,600人程度なんです。中野区の有権者数は26万7,000ぐらいありますから、今やっている区民推薦制度に参加した人のパーセントは極めて低いということが言われるわけです。
  確かに選択の趣旨として残しておくのがいいというのが御意見もありますが、大都会とか、人口が700万も200万もいるようなところでは、これよりもっとひどいことになるのかなという気がしますけれども、あるいは小さい町村ではこういう制度が生きるのかなと。しかし、逆を言うと、人口が500とか、伊豆七島の島のように人口が300とかいうところでは、みんな顔見知りなわけですから、改めてそういうことをしなくてもいいのではないか。私は、制度として残しておいてもいいんじゃないかという御意見もあったんですけれども、残していても使えるのかなということについて、現実問題として若干疑問に思いました。

○  先ほどお話がありましたアカウンタビリティーということについては、今後とも私たちが真剣にやっていかなければならないということについて、校長会の内部でも確認し合っているところでありますし、現在、私が勤務しているところでは、年度当初に自己申告を教育長に提出しております。項目が四つ五つほどある中で、今年度はこういう目標を立てて、このことはぜひ遂行したい。そして2月の段階で自己評価をして申告をするという制度をとっておりますが、保護者、地域の方へのそういう説明責任はまだしていません。教育委員会に対しての説明責任は制度としてやっているという現状があることを御紹介しておきたいと思っております。
  また、校長あるいは学校の機能を支えるということで、教育委員会は現状においてはかなり機能していると私は理解しております。ただ、対応する課題が非常に多くなってきているというところで、教育委員会もかなり手狭といいますか、指導主事さんが現実に学校になかなか来られない、あるいは私どもが指導していただきたいということについて、即答がいただけないというところがございます。その辺のところを支援できる人材の確保ということが一つあろうかと思います。
  それから、保護者の方、あるいは地域住民の方は、教育委員会というものは学校をしかる機関というように多少短絡的に考えていらっしゃる面もありまして、先日も電話がきて説明していても、「結構です。教育委員会に話します」ということで、ガチャンと電話を切られるということがあるわけです。ただ、教育委員会としてもそれぞれへの対応はなかなか大変なのではないかと思います。学校の運営等に関して第三者的な公正な判断をする機関、あるいはオンブズパーソン制度というようなものの設置も、今後、住民の方々の要望を受けとめていく、あるいは学校への指導も含めて、そういう機関も必要になるかなと考えております。
  それから、学校の責任者である校長の人材登用については、マネジメントに優れた方という御意見もありましたけれども、私は、現在、学校教育法の中で教頭の職務というものが、校長を助け、校務を整理するという大きな役割の中で、現在、教頭にかかる事務量というのは非常に多いものがございまして、多少マネジメント的な補佐、あるいは指導的な補佐ということで、教頭が複数にならないかなと、そんな希望も持っております。

○  私は教育委員会制度の中にドップリつかって、ずうっと人生を過ごしてきた立場でございます。そのために、教育委員会制度のどこに欠陥があるかというのがよくわからないんですけれども、そういう立場で、委員の皆さん方がおっしゃっていることを現状に当てはめてどうかなということは、いろいろ考えられます。そういう観点で、四つばかり申し上げたいんです。
  1点目は、校長は学校にいるべきというお話で、そのとおりだと思いますが、実はきょうも私、午前中、会議がありまして、午後はここに出させていただいて、他の校長は、東京都の同和教育の関係で別のところにまた集まっている。実態としてはそういうことがあります。こういうところへ出てくるときには、常に私は悪いことをしているなあという認識で、いつもそういう観念から逃げることができない状態であります。私のような立場は、今後、できればもう少し何か考えていただくと、例えば教頭複数配置とか、普通の校長の立場とやや違うかなという気もしますが、そんなことがあります。
  2点目ですが、開かれた学校というのは今後進めていかなくちゃならないと思うんですけれども、土曜日、日曜日が連休だったわけですが、土曜日は定時制が主催する公開講座がありまして、その公開講座と一緒に学校にいました。それから、たまたまですけれども、きのうは、これも定時制関係なんですが、ロードレースがありまして、これにつき合いました。そんなようなことがありますので、開かれた学校とか、あるいはクラブ活動なんかを考える場合に、例えば学校をソフト・ハード面で開く場合に、人間の動きがどうなるのかということもよく考えてシステムをつくっていただければありがたいと思います。
  3点目ですが、自己点検・評価の仕組みは非常に賛成する部分が多く、そちらの方向でやっていただければいいかなということを感じました。
  4点目ですが、先ほどお話のあった校長の職務権限のことについてでありますが、教頭がマネジメント面でもう少し力をつけてもらえると、いろんな点でいいかなと、そんな感じを持っております。教頭は実務的な面をたくさん処理しなきゃならないことがありますけれども、その上にということになりますけれども、マネジメント的な能力もぜひつけるようなことも、今後必要かなと感じております。

○  二、三お話をさせていただきます。まず、教育委員会と地域住民の関係と申しますと、どの都市でもそうでありましょうが、審議会であるとか、委員会であるとか、懇話会であるとか、懇談会であるとか、協議会だとか、各般の委員会や懇話会ということで、住民の皆さん方の御意向を反映する場を持って、そこで場合によっては諮問をし、御答申を受けて、それで教育行政に反映していくという仕組みを随分持っています。これは特にスポーツ振興法の例えばスポーツ振興審議会であるとか、社会教育委員会議であるとか、生涯学習、社会教育、あるいはスポーツの関係ではそういうのが制度的にできているわけでありますが、学校教育の場面でいくと、実はそういうものがなかなかないわけです。それぞれの自治体が、あるいは教育委員会が任意にいろんな形の取り組みを恐らくなさっておられるんだろう。一つには学校というところと、それから教育委員会が聞く場面として、あるいは住民の御意向といいますか、御意思を反映する場を持っていると思います。
  私どもの場合で言いますと、学校教育問題懇話会というものを持っております。校長、あるいは教職員の方々、さらにはPTAの方々、あるいは市民の方々からなる、もちろん学識経験の方も入っていただいておりますが、学校教育問題懇話会というのを持って、学校の教育の問題について多方面から、まさにフリーな形の中から御意見をちょうだいしながら、それを教育行政の中に生かしていく委員会を持っているわけであります。
  学校は学校でいろんな形でやっているわけでありますが、実は古くから学校が一番頼りにしていましたのはPTAの皆さん方でして、ここではある意味では仲間意識といいますか、学校とPTAが同じスクラムを組んで、子どもたちのためにということが中心的であったわけであります。ところが、教育を取り巻く環境が非常に変化をしてまいりまして、特に地域の方々と連携なくしては学校というのは、先ほどもお話がございましたように、開かれた学校というか、学校がやろうとしている事柄は、子どもを中心として地域と学校が育っていくという観点からすれば、地域の方々の御協力なしには物事はいかないわけであります。
  特にいじめの問題であるとか、不登校の問題であるとかという教育課題を、学校だけではなくて、保護者、特に地域の方々を取り込んで、学校を核として地域・保護者と連携をしながら子育てをしていくことが必要になっています。私どもの場合には、「ふれあい活動推進協議会」というのを各中学校区につくらせまして、これは女性会、老人会、体育協会、子ども会、青少年健全育成協会であるとか、場合によっては消防の方から、警察の方も加わっていただいた組織を各学校で活動いたしております。
  私どもがその取り組みの中に入れましたのは、子どもをその中に入れなさいと。児童生徒がわかってもわからなくてもいいから、必ず入れなさいと。中学校、高等学校になりますとかなりの部分意見表明ができますが、それから小学校5年生、6年生が入ってくるわけでありますが、それはそれなりに意見を随分言う機会もございます。そこの中では、例えば通学服の問題であるとか、あるいは地域のまちづくりをどうするかということ、あるいはいじめの実態を地域の方々や保護者の方々に出して、子どもからも、地域の方もいろいろ意見をお出しいただく、そういう場を実は持っているわけです。
  実態的には、全国的にもそんな組織を各学校でお持ちだろうと思いますが、いろいろ御意見がございました中に、例えば評価委員会であるとか、あるいは若干アドバイザー的なものだとか、あるいモニターだとか、そういう仕組みの中で、あるいは先ほど言いましたように、スポーツ振興審議会だ、社会教育委員会だというレベルのものが、各学校単位に制度上できる仕組みがあれば、やればいいかなと実は思うわけであります。
  一方で、実は学校もそうでありますが、私どももそうであります。理念的あるいは理想論ではよくわかるわけでありますが、一番嫌うのは、学校の教育内容にああせいこうせいということをおっしゃる、そのことを聞くのが非常に聞きづらいというのがございます。さらには、教授法といいますか、指導法といいますか、そこをとやかく言われるのは、学校の体質の中で大変嫌な部分を持っております。
  実は苦情の部分、あるいは学校、教育に対する要求であるとか、要望は、そこが一番多いわけであります。特にあの先生のやり方が悪いとかいいとか、あるいはこの学校の教え方がいいとか悪いとか、そういう評価にかかわる部分、さらには学校はこういうことをおやりなさいということを頻繁にお話をされる。そういうことは、学校もそうでありますが、体質的に教育委員会も、私どももそうであります、経験上非常に苦手な部分であります。そういうことを、中教審の答申等を踏まえて、さらに学校もそうでありますが、地域の方々、保護者の方々が共通認識に立った上で、21世紀の教育をどう進めていくかということを、まさに議論し合える場が学校単位でも要るでしょうし、教育委員会の中にもそういう形のものが要るのではないかということについては賛同いたします。
  教育委員さんは私どもは5人いらっしゃいますが、大変お忙しい方々ばかりでありまして、そこで御議論いただくのもほとんど教育長が専決をしました事柄をむしろ報告するような形でありまして、活性化したといいますか、教育委員の闊達な意見がなかなか出にくい状況があります。また、任命の仕方に問題があるのでありましょうが、お忙しい方ばかりでありまして、5人の委員の方におそろいをいただくというのはなかなか難しゅうございます。特に定足数が足りないことが場合によっては起こる可能性がありまして、私どもは5名いらっしゃいまして、3名ギリギリでやっちゃうということも実はあるわけであります。できるだけ5人の方においでいただくところを組むわけでありますが、なかなか難しい。そういう意味では、大都市あたりでいきますと、教育委員の数は少し多いほうがいいのかなと。例えば7人ぐらいにしていただくとか、そういうのも一つの方策かなと思います。
  それから、指導主事でありますが、私どもの実態論が実はあるんですが、私も指導主事の経験がありますが、指導主事の専門性を生かせるような指導はほとんどできませんでしたね、自分が思います理想論は。校長の経営だとか、運営にかかわって御指導申し上げるという場面がなかったわけでありまして、どちらかといえば予算の処理だとか、議会の答弁をつくらせていただくだとか、あるいはまさに事務的といいますか、県の教育委員会からまいりました通知文を傘下の各学校へお配り申し上げる。その印刷から始まって、そんな雑務に終わるということが経験上あります。
  そこのところで、先ほど事務局からも資料の御提供をいただきましたが、指導主事にはその専門性を生かしながら、教育委員会の中で主体的な仕事をさせるのはとても大事なことではないかと私は思います。そういう意味で、指導主事の任用の仕方も少し工夫が要るのかなと私どもも思います。実は校長を指導するというところまでなかなかいかない部分があるんです。若い、将来教頭ぐらいになるかなというところで、私どもは指導主事を任命しておりますので、もう少し豊かな経験を持った、場合によってはすぐにでも校長に登用できるような指導主事といいますか、登用の仕方にも工夫が要るんでしょうけれども、専門性を持った指導主事がもっと働きやすい場をつくってやる環境といいますか、そういう制度といいますか、それが要るのではないかと思います。
  それとまた、小さな町村あたりには指導主事が配置されておりません。いわば事務職員よりもそういう専門性を持って、校長が相談をしたいとか、あるいは校長に対して、学校に対して、地域住民に対して、教育長のかわりぐらいでもいいんですが、教育長のかわりぐらいで、そういうことができる専門性を持った指導主事が、町村あたりにも置かれたらいいのではないかと実は思います。

○  まず、学校を支えるという意味で、組織の内部のものとしてPTA活動、その組織は非常に必要だなという感じでいます。ただし、先ほど来、先生方からありますように、学校教育に口出しをしている、支援どころか足を引っ張るというような一面も見られます。特に純農村地区とか、学校が既にあって、そこへどんどん住民が入るというようなところでは、お互い学校を支援する立場として率直な意見、こうあったら学校運営がいいんじゃないか、プラス志向で意見をいただけるわけですが、住民があって、そこに新しく必要性があって学校が建てられるという場合においては、今話した逆の立場で、いわゆる自己中心的であって、自分の子、我が子がかわいいということで、その子のためにこうしたほうがいいんだと。親なりの考えで進めてしまうという傾向がよくあると聞きます。そんな意味で、本来のPTAというのはどうあるべきなのか。その辺、学校の教員と保護者が手を取り合って、日常の教育活動のプラス方向へ進めることが、非常に必要だなということを痛感しています。
  ある例では、年度当初にある教員が産休になるというのがわかっていれば、早目に知らせてほしいとか、それから運動会をやれば、放送や花火などいろんなものがうるさくてだめだとか、そういうことで、本来の学校行事あるいは運営が支障を来しているということも聞いています。その辺、PTAだけではなくて、地域の方の協力も必要になってくると思います。そのためには、まずPTAでガッチリ手を結ぶというのが大事かなと。
  二つ目に、開かれた学校、そして今ちょっと触れました地域の方の協力は、いろんな面で必要性があると思います。特に学校の開放については、施設面は体育館とか、校庭などもありますが、その他の特別教室などの開放についても、これから建てられるところは開放に対応できていると思いますが、既存の建物については、施設面管理的な面がそれに伴ってできていないということで、管理面をどうするか。小規模な町村でありますと、管理人を雇うことがなかなかできない。したがって、学校にかぎの管理などを依頼する、そういうところも段階的にあるようです。ですから、お金があって思うようにできるというのが一番でしょうが、その辺、小さなところでも管理人を雇えるような予算措置ができればなと。
  それと絡めて、人的な開放ということで、教員を地域の方への講師としてどうかということもあるわけですが、先ほど校長先生の出張ということがありましたが、その他の教員においても、研修会とか、出張も絡んできます。したがって、やるとすれば夜間とか、土曜の午後です。その辺の調整がいかにできるのか。その辺は、教育委員会と学校側とよく検討していく必要があると思います。
  それから、幅広い学習機会提供に当たっては、公的なところだけではなくて、民間、あるいは大学が近くにあれば大学に依頼して、公開講座の開設などで連携を取ることが、地域コミュニティー育成の上で大切なことかなという感じがします。

○  今日いただいた資料の中で気になりました点がいくつかあります。
  一つは、市町村の教育委員会では、指導主事の置かれている数は非常に少ない。しかし、社教主事はかなりの広がりで置かれている。そのあたりに市町村の教育委員会が実際にやっておられる仕事の投影があるのかどうかということです。
  二番目は、教育委員会の広聴会等ということで、広聴会とか、アンケートとかをやっておられる状況についてですが、この数字は多く行われていると見るのか少ないと見るのか簡単には判断しにくいと思います。単年度の数字ですから、例えばアンケート34%というのは、3年に1回やるのであれば100%行われていることにもなる。そういう見方もできるかと思いますので、必ずしも少ないということはできないと思います。けれども、広聴会で首長部局の行うものを利用しているという場合が意外と少ないという感じがします。つまり、首長部局が行う市民と語る会というようなところに教育委員会はあまり出張っていかれないのではないか。そこに自治体における教育委員会の置かれている位置の一端が現れているのではないかという感じもするわけです。
  三番目に、開かれた地方教育行政ということにかかわるのですが、今、市町村の役場では住民に対する窓口は相当整備されて入りやすくなっているわけですが、教育委員会はそういうところに窓口を開けておられない。大体第2庁舎とか、第3庁舎とかの、ちょっとわかりにくいところに置かれていて、住民からなかなかアプローチしにくいところにあるのではないか、そういうあたりの位置づけについても考えてみる必要があるのかなという気がします。
  教育委員会の事務局については、人数が出ていましたが、事務局の方たちがある種の専門性をどの程度持っておられるのか、つまり、他の部局から何年ぐらいで回ってこられて、何年ぐらいおられるのか、教育委員の数もあまり多くない、事務局のスタッフもそう大勢はおられない、その中でどれだけの専門性が保てるのかということも考えてみる必要があるのかと思います。
  もう一つ、教育委員会制度をめぐる動きという資料でちょっとびっくりしましたのは、戦後から昭和31年の地方教育行政法までは、いろいろな曲折があり、教育委員会制度について検討され、整備されてきたようですが、その後は61年の臨教審答申まで何もない。この間30年どうなっていたのかなと思うのですが。この点に、教育委員会のあり方をどう扱ってきたのか、どう考えてきたのかということが現れているのだろうかという疑問が浮かびまして、この点少しびっくりしているわけです。
  もし30年もの空白があるのでしたら、今ある制度をどういじるかといった観点ではなくて、全く新しく21世紀の教育のあり方にふさわしい地方教育行政制度は何かという、全然別の切り口で議論をしないといけないのではないかという感じがいたします。

○  先ほどの自己点検・評価の問題は、今、大学でやっておりますけれども、そのときにやり方があるかなと思っております。大学ですから、学生にまず「私の授業はどうか」ということをやっています。ただ単にマルバツでは、学生自身がどうだったかという反省もないんですね。やはり記述式できちんと書いて、学生自身の学びの態度がどうで、それで私を評価してもらうと、自分自身の反省を得るという。ですから、これはエバリュエーションとアセスメントをきちんと分けて考えていく必要が一つあるかなと思います。
  それから、21世紀ということで、第一次答申でありました課題を考えますと、そこでの地域で開かれたということで、単にPTAとしての住民が入るのではなく、その自治体にいろんな専門家の方がいらっしゃって、その方が学習内容をサポートしていくという仕組みが私は重要ではないかと思っているんです。そのときに国のカリキュラムと、その専門の方が学校カリキュラムに対応できるように、5日制の土・日をどう使えるかというそこの議論がなかなか行われていないので、その議論がないと、ただ文句を言いにいくとか、自分の体験の狭い範囲の中で、方法とか、教育内容に対する批判だけを無責任にするということになりますので。
  イギリスの例ですと、プロジェクトをつくって、その専門家集団、チャリティー団体とか、専門の学会とか、そういったところが国のカリキュラムに対してどうサポートできるか、それから例えばまちづくりということが出ていますけれども、それに対して先生がどういう質問をしたら子どもたちを巻き込んでいかれるかとか、あるいは子どもたちの資質を伸ばすことができるか、そういうマニュアルをつくるのだって、その地域の専門家の起用の在り方だと思うんです。そこがどうも日本の専門家は、一人が呼ばれて一コマだけ授業をやっても、子どもに何を話したらいいかということがあります。子どもはよくわかる場合とポカンとしている場合があるわけですね。ですから、5日制の土・日を地域の中で親もサポートし、そして専門家が専門性をもって支援していかれる仕組みをつくったほうがいいのではないかと考えます。

○  私ども教育委員会を見ていて、現状、教育委員会の方々の学校現場に対する考えというのは、行政組織の末端という意識がかなり強いという感じが率直にいたします。
  例えば、校長は学校にいたほうがいいというお話が出ましたけれども、それは悪いけれども教育委員会が決めることではなくて、現場が考えて決めることになっているべきだろうと思います。つまり、もし私立学校ですと、校長がいなくて、その学校の評判が悪くなれば生徒が来なくなりますから、まさに自己責任なんですね。その部分が具体的に機能しないために、いる、いないという議論が出てくるのではないかという気がしました。
  要するにアカウンタビリティーという話がありますけれども、行政の末端という部分は否定できないんですが、学校教育が活性化するためには、先ほどキーワードとしておっしゃられた「開かれた学校」ということを考えれば、これは行政組織の末端という機能だけでは、学校としての機能に地域住民が満足しないということにつながる結果になるんじゃないかと思います。その辺の組織をどうやったらいいかよくわかりませんけれども、要は開かれたということは、情報公開を含めて、いろいろな人の意見を学校に反映させる仕組みをとる。それから、うまくいかなかったら責任をとらせる。ボーナスをとるとかですね。首にするわけにはいかないでしょうけれども。そのかわり校長にそれだけの権限を与えるというぐらいのことをしませんと、うまくいかないような気がします。ちょっと余計なことを申し上げたような気がしますが。

○  一つだけ。成績の悪い会社は会議が多くなるわけでございまして、私もほかの幾つかの審議会やその他に出ることがありますが、この議論はとかく、落ちつくところが新たに組織をつくる  ということになりがちでございます。具体的に言えば、本来は校長先生が裁量権を発揮して、責任を取るために、それの手助けになるという位置づけの何らかの組織が、しかもそれぞれの学校の自主性という大前提をもとに展開されるべきではないかと、そんなふうに思っております。

○  これは事務局のほうにお願いなんですが、先ほど来、校長先生がいない、いないという話がありましたけれども、どういう用件で、どんなふうなのかですね。私ども、頭の中ではわかるんですが、もしデータでもあれば  ―これから調べるというんだと、また学校が忙しくなって、校長が忙しくなりますので、それはやめてほしいんですが、既存のもので何かあれば、一度出していただきたい。わかればの話で結構ですが、よろしくお願いします。
  それから、最後に一言。「開かれた学校」ということが議論されましたけれども、私はその前に一つ、「開かれた教室」ということも念頭に置かないと、先ほど教育内容についてはみんなおっかなびっくりだというお話がありましたけれども、少なくとも校長には「開かれた教室」でなければいかんじゃないかなと思います。

○  それでは、きょうは以上にさせていただきます。いろいろ貴重な御意見をいただいて、ありがとうございました。私のほうでさらにそれを検討しながら、論点を絞らせていただいて進めさせていただきたいと思います。
  この委員会の今後の審議の進め方でございます。次回、第5回小委員会以降の審議の進め方については、前回、関係各団体からヒアリングを行いながら、ヒアリング団体と関連する論点について、さらに検討を深めていくということで御了承をいただいております。具体的なヒアリング対象団体等につきましては、資料のように考えております。
  すなわち、次回、11月18日、第5回小委員会でございますが、ここでは教育委員会関係の5団体からヒアリングを行います。そして、各団体と関連するテーマであります、「市町村・都道府県・国の関係」、それから「地域住民と教育委員会の関係」及び「教育委員会の組織・体制の在り方」について討議を行っていただきます。
  12月12日の第6回小委員会では、各学校ごとの校長会、教職員団体等の学校関係の団体からヒアリングを行って、関連するテーマであります「学校と教育委員会の関係」及び「地域住民と学校との関係」について討議を行います。
  12月17日、第7回小委員会では、PTA関係の団体、社会教育・体育・文化関係団体及び私学団体からヒアリングを行い、関連する「地域住民と教育委員会、学校の関係」、それから「私立学校と地方公共団体との関係」及び「地域コミュニティーの育成と地域振興」、この問題について討議を行いたい。こういう進め方としたいと考えております。
  なお、第6回以降の具体的なヒアリング対象団体等については、引き続き私のほうで考えさせていただきたいと思います。
  それでは、本日の会議は以上でございます。
  次回の小委員会は、11月18日、火曜日、13時から、霞が関ビルの33階の「望星の間」で開催しますので、よろしくお願いいたします。

(大臣官房政策課)
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