1997/10 |
今後の地方教育行政に関する小委員会 (第2回)議事録 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
地方教育行政に関する小委員会(第2回) 議 事 録 平成9年10月20日(月) 13:00〜15:00 霞が関東京會舘 35階 ゴールドスタールーム 1.開 会 2.議 題 今後の地方教育行政の在り方について 3.閉 会 出 席 者
○ 本日はお忙しいところをありがとうございます。ただいまから第2回地方教育行政に関する小委員会を開催いたします。今日は第2回目でございますが,地方教育行政の在り方について自由な討議を前回に引き続いてお願いしたいと思います。 今後の地方教育行政の在り方について,こんな点を主に深めていきたい,自分としてはこんな点を主張していきたいとお考えになっている向きについて,忌憚のない御意見をお聞かせいただきたいと思います。 ○ 一つ,学校の自主性というようなテーマがあると思いますが,これについて,校長会ですとか,あるいは教員と話をしていますと,例えば人事についてもう少しコミットさせてくれ,お金についてもう少し予算を自由に使わせてくれというような話がございまして,お話を一通り聞くんですが,大変気になるのは,例えば人事みたいなことでも,いい人は長く置いてくれ,問題のある教員はすぐにでも引き取ってくれと,こういうような話になるのが一つ。 それから,予算も,一体どういうお金が必要なのかというと,使いやすい予算,つまり旅費でございますとか,そういうものを余計によこせ ―よこせとはさすがにおっしゃらないんですが,要するに,人はいい人を多くよこせ,お金は使いやすいお金をつけてくれというような話になるんです。そういう観点からだけの自主性みたいなことを言っていても,これは問題ではないかという気が一つしております。 最近,アメリカでチャータースクールというのが,いろいろ資料なんかを読んでみますと,そういう意味では,自主性,自律性というんですか,そういう経営の仕方を求めて,そういう制度が運用されているというんですが,そんな話をチラッとそういった集まりの場で話しますと,「とてもそこまでは……」というような話にもなるわけでして,この辺,どういうふうに考えていくのかということが,一つ重要なんじゃないかという気がします。 それから,前にも発言が出ているのかもわかりませんが,学校に関して2点ばかり申し上げますと,一つは,校長先生がいろんなことを判断されていく場合に,相談する相手,もちろん相談する相手というのは教育委員会なんでしょうけれども,これまでのいきさつがいろいろあって,なかなかできにくいみたいな部分があるわけで,そういうことを相談する,例えば教員の懲戒処分の具申をするというような場合でも,なかなか一人では責任を負い切れない部分,あるいは判断に迷うような部分もあるのではないかという気がしていまして,そういったものを相談するようなものを考えられないのか。 それと同時に,相談するような機関ができたとすれば,例えば最近,体罰の問題,あるいはいじめの問題等で,学校に直接調べてくれというのではなくて,いきなり教育委員会なり,あるいは議会のほうへ物を申すというようなことがあるわけでして,そのこと自体は決して悪いというふうには思いませんのですけれども,やはりそれは学校で起こったことですから,学校に物を申せるようになることが必要なのではないか。そういう場合に,校長の相談機関であると同時に,そういう機関がそういう問題を取り上げられないのか。助言を受け,あるいは住民の意向を受けるような形のものができないのかなということを一つ考えております。 もう一つは,これは前にも発言したことがあると思うんですけれども,校外事業というんですか,学校行事 ―卒業式とか,入学式は,当然,学校がきちんとやっているわけですが,昔ありました,今でもないことはないんですけれども,夏休みの間に林間学校へ連れていくとか,海へ連れていくとか,あるいはもっと日常的なことで言えば,部活動で遠征をする,あるいは対外試合をするといった場合に,先生たちが忙しいということで,なかなか十全についていけない,あるいはついていっても大変に低い謝礼しかもらえない。謝礼をもらうのが目的じゃないんだとは思いますけれども。 そうであるとすれば,これだけ民間の野外活動の団体があるわけでして,そういったところにお願いをして,そういうことを請け負っていただくことが考えられないのか。そうすれば,無理やりに教員についていかせるとか,あるいは無理やりに部活をずうっとやらせるとか,そういうことが少なくなってくる。これはもちろん大いに反対される先生方もいらっしゃるんだろうとは思いますけれども,そういったことが今後考えられないのかということを,学校に関して三つばかり考えているところでございます。 ○ 私は前回,「論点整理」の総論の御説明と,もう一つは,私自身,特に関心のあったことという形で,簡単に御意見を申し上げました。 皆さん,大体のことはおっしゃっておられるし,私が言っていることも繰り返しになるわけですけれども,私が協力者会議で,委員の皆さんの御意見のメモをとりながら考えて,気になるなと思っていたことを3点ほど申し上げたいと思うんです。 一つは,何度も出た議論は,小規模の自治体における教育委員会の運営という問題だろうと思います。小規模の教育委員会におきましては,人的スタッフについても,予算についても,学校というのはお金がかかるところなんですね,いろいろ困難があると。指導主事を配置するにも困難がある。そういう前提で考えているときに,例えば合併という方向で解決できないかとか,あるいは学校についての共同システムというようなものを考えられないかということが随分出ておりまして,小規模の自治体における教育行政というのが大きなテーマだなと感じたことを改めて申し上げたいと思うんです。 もう一つは,これは全体の「論点整理」にも,雰囲気は強く出ていると思うんですが,その中で,委員の一人から非常に強く出た御意見ですけれども,この方向で学校長に権限が向かい,市町村教育委員会の自主性が高まっていくというときに,やれる地域とやれない地域があるということなんです。私は,全部,だんだんにはやれるんだろうと期待をしておりますけれども,現状において困難な地域があるということも確かだと思うんです。校長先生と職員会議の関係が期待されたように運営されるかどうかということは,大変なことなんですね。そこで大混乱が生じた場合に,ある程度はしょうがない。頑張って乗り切ってもらわざるを得ないと思うんですけれども,そこはあんまり大きな実験を学校でするわけにもまいりませんから,やれるところがいいモデルを示して,〈ああ,あれならやれる〉ということで,後でついていくとかいうことになると思うんです。そういう実施の手続について慎重な配慮が要るんだろうと思います。その委員の方の意見が強く,私はここでそういう発言をしようということもお約束しまして,そういうことを御紹介申し上げたいと思うんです。 今,お話があったように,校長先生がやっぱり孤独だろうと思うんです。相談をしたいということがある。そのときに,どういうサポート体制ができるかということです。これは前回,二,三の委員からも御発言があって,そのとおりだと思っていましたけれども,この問題が議論されなければいけないと思っております。 それと関係があるわけですけれども,そのときに,結局,地域か,父母か,そういうところで何か支援体制ができるんではないかということが,可能性としては一つあるんだろうと思うんです。教育委員会がやる。教育委員会でやりにくいことがあれば,そういう新しい仕組みが必要なのかもしれない。これは今後の検討の問題でしょうけれども,地域と学校との関係については,この間も御指摘がありましたけれども,いま一つ情報が少ないかなと思いまして,実地見学なり,ヒアリングなりをするところかなと私は思っておりました。 ○ 意見というよりは疑問なんですが,この前も申し上げましたように,私はこの問題について,まったく素人なので,その素人の疑問を出させていただきたいのです。今まで私たちがいたしました議論は,例えばいじめの問題をどうするかとか,過度の入学試験競争をどう緩和するかとか,現実にだれの目にも明らかな問題があって,議論がある意味で白熱したわけです。 今度の,教育委員会の制度というのは,都道府県から市町村までありまして,どこがうまくいっていないのかということを,まず教えていただきたいと思います。私のようによく問題をつかめない人間にとって,どうして直すのかということを。そうすれば,議論が白だ黒だといろいろ出てきて,また高まるんではないかと思うんです。その点は大変わがままでございますけれども,この前伺ってみますと,皆さん非常に立派な御意見をお持ちなんです。それはよくわかったんですが,何が問題なのかということ。 一つだけ私が了解しておりますのは,地方分権とのかかわりにおいて,地方教育行政を考えるということはあると思いますが,それでも今,うまく機能していないなら直す必要があるけれども,うまく機能しているならばそんなに大改革する必要はないのではないか。どなたかぜひよろしくお願いいたします。 ○ 私,もともと勉強しておりました事柄とのかかわりの中で,市町村の自治体には時々お邪魔をさせていただいて,いろいろお話を伺わせていただく機会がかなりございました。市町村を拝見していまして,先ほどお話がございましたが,格差が非常に大きいわけです。非常に大きな市もあれば,大変小さい村もあるということで,教育委員会の在り方もかなり大きく違いがあるんじゃないかという感じがいたします。 もう一つは,そのことと直接にはかかわらないと思うんでありますが,機能的な面でもかなり違いがあって,バラツキがかなり大きいのではないかと感じております。場所によっては,教育委員会というのは市町村の役所の中でも大変寂しいところに置かれていて,日の当たらない場面に置かれているところもありますし,逆に,今回の諮問といいましょうか,あるいは協力者会議の中でも御検討なさった事柄にもおありになるわけでありますけれども,地域の活性化とのかかわりの中で,かなり積極的な働きをしておられるところもあるんです。例えば,公民館の活動を首長部局の中にかなり強力に位置づけておられるところもあって,そういうところですと,教育委員会と首長部局とががっちり組んで,地域づくりに積極的にかかわっておられるところがある。それは非常にいい面と悪い面と両方あると思いますけれども。 機能的にも,規模的にもかなり大きな違いがあるのではないかという感じがしていますので,そう細かい議論をするわけにはいかないだろうとは思うんですけれども,都道府県の教育委員会と市町村の場合とは少なくとも分けて議論しないと,話は恐らく混乱するのではないかとも思いますし,それから市町村の中でも,かなり規模の大きい,あるいは機能的にもかなりいろんなことをやっているところと,そうでないところとをどうするのかということについては,少し分けた議論をしなければいけないのではないかということを感じております。 どういう点で今の地方教育行政がうまくないのか,ということなんでありますけれども,今,全体としまして地方の自治体行政も国の行政もそうでありますけれども,機能が非常に膨らんできているというのが全体的な状況だと思うんです。それだけに行革が検討されなければならないわけです。そういう中で,果たして教育委員会が50年たってきて,この形でいいのかどうかという問題があるのではないかと思うんです。 もう一つは,全体としまして,分権化とか,あるいは住民参加ということが,行政各般にわたって進んできている中で,教育行政についてはどう考えるのかという問題がたぶんあるのだろうと思うんであります。協力者会議の「論点整理」を拝見しまして,非常に幅の広い議論をなさって,大事な論点は既に十分尽くされているように拝見をいたしました。その中で,積極的に新しい方向を示そうというお考えと,いや,非常に困難な条件もあるので,あまり改革を急ぐべきではない,慎重に行うべきだという議論と,両方の論点が含まれている。慎重論も大事だとは思うんでありますけれども,今,地方教育行政としてどういう在り方が望ましいのかということを,それはそれとして議論をして,それを実現するのに難しい点があるとするならば,だから消極的な方向に行くのではなくて,むしろそれを実現するための条件整備をいかにするのかということを考えていくべきではないのかということを感じております。 協力者会議の御意見を拝見しまして,私の感じていることはそんなことでございます。 ○ 先ほどの指摘はすごく重要だと思うんですが,私は直接それには答えることではなくて,これから「論点整理」をベースにして,さらにいろんな論点を取り上げてほしいということで,これまで「論点整理」で十分触れられていなかった点について,こういうことは重要じゃないかということを二,三つけ加えさせていただきたいと思います。 一つは,前回述べたことなんですけれども,やはりこれは重要だと思いますので。前回も言いましたように,基本的には市町村とか,学校という,教育行政や教育実践活動の基礎レベルに,権限とか事務を委譲するということが一つの見直しの方向ですので,そうした市町村自治体とか,学校レベルの教育実践活動や教育行政活動を下から支えるような体制づくり,教育条件整備というのは,教育予算が厳しい中でも,何とかそこら辺に目配りをして,そうした体制をきちっと取ってほしいというのは前回も言いましたけれども,非常に重要なところだと思いますので,今回も同じことを繰り返させていただきます。 二つ目は,それと関係することですけれども,学校内部の問題について,こういうふうな論点でもっと議論をしていただけないかということです。学校長ないしは学校への事務とか,権限委譲にかかわって,基本的には学校の自己完結性とか,学校の総合性を高めながら,学校の教育実践活動を質的に高めていく,質的に改善していくという視点が,これからの教育委員会と学校との間の権限見直しの中では非常に重要な視点だと思うんです。 そういった場合に,学校の経営能力とか,経営責任をどのように高めていくのかということにかかわって,先ほど述べた条件整備の問題のほかに,もう一つは教職員の配置の問題とか,教職員の組織の在り方も,もう少し大胆に見直すことができないのかなという感じがします。きっと批判があると思うんですけれども,例えば教頭というのはこれまでのような登用の在り方でいいのかということとか,あと教頭の職務規定が非常にあいまいになっているということもいろいろ言われていますけれども,教頭の職務の分担をもう少し明確にするとか,あと学校経営の上で非常に重要な中堅教師の扱いにかかわって主任制の問題も,今の場合はほとんど充て主任という形でもって,一般教員が兼務するということが普通ですけれども,そうした主任制の在り方も,当然,学校経営の見直しを考える上では重要な問題になってきます。さらに,教頭との絡みでいえば,学校事務職員の職務とか,配置の問題等,学校事務職員制度の問題も,当然,学校事務の効率化とか運営という点では見直されるわけです。そうした教頭とか,主任制とか,学校事務職員制度等の問題は,学校経営の能力を高めていくという点では,どうしても不可欠な検討課題だと思います。 この点については,これまで正直言って,文部省と日教組との間に非常に大きな考え方の違いがあるわけですけれども,そろそろそうしたものをもう一度吟味し直すとか,検討し直すということをやられていいのではないか。そうした問題も検討されていかないと,学校経営の向上とかといった課題も,なかなか進まないのではないかという問題が,二つ目です。 三つ目は,これは中教審でなじむかどうかわかりませんけれども,都道府県と市町村の教育委員会の関係です。今回の「論点整理」にも書かれていましたし,地方分権推進委員会の第4次勧告までの答申を見てもわかるとおり,都道府県と市町村との関係は,これからかなり多様化する方向です。例えば,政令指定都市,中核市に政令指定都市並みの権限委譲をするとか,また第4次勧告を見てちょっとびっくりしたんですけれども,人口20万程度の特例市(地方分権推進特例市)にも権限委譲するとか,あと広域連合の問題があります。ですから,都道府県と市町村の関係をちょっと考えただけでも,五つか六つぐらいの関係のバラエティーが出てくる。果たしてそのように都道府県と市町村教育委員会の関係を多様化の方向に持っていくのが,都道府県教育委員会と市町村の関係を考えていく際にいいものなのかどうか。せいぜい中核市レベルまでにそうしたものはとどめておくべきなのか。これから都道府県と市町村の関係が多様化してくると,都道府県教育委員会の役割もかなり変わってくるような気がしますので,そのあたりも,市町村教育委員会の制度運用の見直しを図っていく際,少し視野に入れておいてほしい点です。 ○ それでは,先ほどの御質問に答えるような形で申し上げたいと思うんですが,学校への教育委員会の支援につきまして申し上げたいと思います。 日常の教育活動と地教委とのかかわりで申し上げたいと思いますけれども,教員がいわゆる指導主事という仕事に就きまして,日常の教育活動については学校訪問等をしまして指導に当たっています。東京の場合は区・市,かなり整備されており,小さな市でも指導主事がおりますけれども,地方の場合を見ますと,小さな市町村ではどうなんでしょうか。地方事務所単位で,指導主事が研修に当たるというようなことは伺っておりますけれども,日常の教育活動につきまして,先ほど御指摘がありましたが,校長の相談相手とか,あるいはよその学校のいい教育を見習うとか,そういう情報収集ですね。これは指導主事という立場の者が,学校に日ごろから出入りしていれば,そういう情報も得られますし,また,そういうときの相談相手にもなるわけです。この指導主事が小さな市町村では十分整備されていないという実態がありますね。 もう一つ,指導主事の最近の状況です。これは学校を訪問して指導に当たるというのが非常に厳しい状況があるようです。東京の場合を見ましても,いわゆる事務の仕事が多くなって,学校訪問をして具体的な指導に当たるという時間がなかなか取れない。また,「もっと勉強したいんだけども」ということをよく指導主事から聞いております。指導主事の仕事の内容についても,もう少し整理するということが必要ではないかと思います。これが1点です。 もう一つは,前回にも申し上げましたけれども,完全学校週5日制実施に伴って,地域社会と学校との連携をどう図っていくか。現状では,ほとんど教頭が窓口となって,地域とのかかわりの仕事をしておりますけれども,教頭だけではやり切れない部分が多いと思います。そういうときに,地教委が学校と地域との間に立って,具体的にどういう仕事をするか,新しいかかわりが必要なのではないかと思いますが,そういうことも現状では大きな課題になっております。 ○ 私も同じような考えであります。先ほどお話がありましたが,校長の相談体制,支援体制という中で,生徒指導,教科指導の点では,指導主事さんの果たす役割は大変大きいものがあろうかと思います。各自治体に所属する指導主事は,小さいところは2名あるいは1名という体制もあり対応が難しいでしょうが,指導主事さんがもっともっと学校のほうに出向いてくれる,あるいは我々が行ったときに応じてくださるという体制も,より多くとっていただきたいと思うことがあります。 また同時に,校長としては,地域のお子さん方をお預かりしている立場にありますから,どういうようなことを教育活動として進めていくかという説明責任が,今後,もっともっと厳しく問われるのではないかと思うわけです。その中で,校長として1年間あるいは数年間を見渡した説明責任を果たしていく上で,行政的なサポート,あるいは教科の指導的なサポート,あるいは人的にもスタッフがさらに加えられればということが望まれます。そんなところを組織整備の中で,委員の先生方のお考えも聞かせていただきたいと思っております。 同時に,校長として経営していく上で,地域の支援は極めて大きいものでありますから,学校運営委員会と呼んでいるかどうかわかりませんけれども,イギリスあるいはニュージーランド等では,住民代表の方も入って学校の運営の在り方について話し合っているというケースも聞いております。現段階ではPTA活動,PTAの役員さん,あるいは委員さん,あるいは保護者の方々との話し合いの中で,学校ではそれなりの工夫はしておりますが,そうした機関を,ある程度の位置づけというようなことも今後考えていったらどうかなと考えております。 ○ 先ほどから校長先生のお話,教頭先生の問題がいろいろ出ておりますが,私も強く感じますのは,校長先生というのは学校で本当に孤独な立場だと思います。いろいろな職業でもトップの方は孤独という意味で,校長先生も孤独だなと常日ごろ思います。そういう意味で,校長先生の相談役ですとか,ブレーン的なそういうサポートする体制はどうしても必要ではないかということを感じます。 それとともに,教頭先生というのは,いろいろお聞きしますと,校長先生のサポートだけでなく,本当に細々としたことまで,日常の生徒の面倒からPTAとの対応ですとか,それでくたくたになっているということをよく聞きますので,教頭先生の処遇も見直すことが大事なのではないかと思います。 また,学校教育というのを原点で考えてみますと,子どもにとってすばらしい教師をいかに確保できるかということが,学校教育の原点ではないかと思います。そういう意味で,これは地域によって非常に差があると思いますが,俗に言うサラリーマン教師が非常に増えているということが,現代の学校教育における問題ではないかと思います。学校に居残りして夕方遅くまで子どもの指導をする先生と,自分の用事が終わったらサラリーマン的にパッと帰ってしまう先生と,処遇として一緒だということは,頑張る先生がやる気をなくしてしまうような体制が今の学校教育の体制ではないかと思いますので,こういうこともそろそろ何らかの方法で考えていくことが,教育委員会がどこまでそういうことを支援できるかということも含めまして,地方分権という視点からは外れた話かもわかりませんが,大変大事なことではないかと考えております。 ○ 「地域住民と教育委員会,学校との関係」ということで,話をさせていただきたいと思います。 前回の会議でも申し上げましたけれども,私どもの町では3,000年前の縄文の,恋人同士が呼び合ったという土笛が出土いたしておりまして,それを何とか町おこしに生かしたいということで,教育委員会,学校,住民を巻き込んで,「縄文ページェント」というのを1,100人が出演して,300人がスタッフということで,ことしも8月16日にやったわけであります。これは学校教育,社会教育がまず連携する必要があるということで,学校の教務主任の先生を生涯学習奨励室分室員に委嘱いたしまして,学校教育,社会教育が連携してこの事業に取り組んだわけであります。 まず,学校の先生 ―先ほど学校の先生がサラリーマン化したというお話もございましたが,学校の教師と教育委員会,公民館の職員が先頭に立って,子どもたちを包み込んで頑張らないとということで,実行委員会というのを地域住民にお願いいたしましてやってまいりました。そういうことで,4,000人も5,000人も,東京のほうからも見にきてくださっさ方もいらっしゃるわけですが,町民が子どもを巻き込んで一丸となって,一つの目標に向かっていくという,こういった町づくりこそが生涯学習でないかなということで,先生方と再三にわたって話し合いをしてやってまいりました。 もう一つは,先ほど小さい教育委員会の広域化というお話がありましたが,私どものほうでは,隣の二つの町と3町で,教育委員会の職員を研修交流ということで,半年とか,1年,各教育委員会と交流をしているわけであります。今言いました「縄文ページェント」といったような事業も,何とか3町で一緒にやれないかというお話をしております。町村合併のお話が地方分権で出ているわけでありますが,私どもは6,800の人口ですが,施設も同じようなものが建っていっているということで,これも教育委員会が話し合って,例えば体育館とか,文化施設とかは一緒にやれないか,そして事業も一緒にやれないか。これはたぶん,これからできていくんじゃないかと思ったりいたしております。 ○ 高等学校で私は教頭を今しているわけですが,校長のサポートをすることから,父母,生徒の指導まで,教頭先生方はいろいろ大変だという話を伺ったわけですが,そのことについて簡単にお話しさせていただいて,その後また私の別のことをお話しさせていただきたいと思います。 例えば,けさ,校長のほうから,「実は警察のほうからこういう講演をしたいということなので,調整しなさい」と。これは学校行事やなんかには入っていないことでありまして,年間の行事計画を学校では大体立てておりますので,そういうところから外れたもの,しかし地域の警察ですから ―具体的には覚醒剤のことで,この前も大きな反響を呼んだ調査結果が報告されましたけれども,そういうことについて,警察のほうから講演をしたい,ビデオを見せたいというようなお話がありました。先ほどお話ししましたように,行事予定の中に入っていないものをポンと入れることは非常に難しい。そういうものを調整するという仕事が,教頭に一つ任されるわけです。実際には非常に難しい,実現性の高いものではないんですが,そこのところは警察のせっかくの御好意で,つぶしてはいけませんし,また学校としても,今,非常に問題になっている覚醒剤やなんかの問題について啓蒙を生徒にしていかなければならない。そういう調整があるわけです。 また,保護者の方から生徒のことについて相談をされて,担任がどうしても答えられない。例えば担任が答えられないならば,学年主任とか,そういった人たちがきちっと答えられれば,これは教頭としてそんなに苦労することはないんでありますが,そういう対応ができる教育が不十分な場合もありまして,そういう人たちが主任になっているような場合もあります。ですから,保護者からの生徒指導に関する苦情やなんかについても対応しなければいけない。 これは言ってみれば,しなければいけないということで,逆に否定的にはとらえられていますが,実際は教頭の大切な仕事でありますので,ほとんどの教頭先生方は,それがつらいとかということは全くないのだろうと思います。そういう仕事が教頭にはたくさんありまして,調整の仕事から指導の仕事まで,また先生方の家族の健康のことだとか,いろいろ気を使ってあげて,連休やなんかのときに気持ちよく休んでいただくとか,そういったような気持ちを持たなければならないということで,あちらこちら気を使わなければならないということも確かにあります。いずれにいたしましても,そういうことが十分できるように,そうしていくことがまた学校が活性化していくことにつながると思いますので,教頭の仕事は大変大事だろうと感じております。勉強しなければいけないと思っています。 もう少し時間をいただきたいんですが,私が申し上げたいことは,このまとめの中にもありましたけれども,学校との関係,地域との関係なんですが,私は3年前まで5年間,県の教育委員会の指導主事としてお世話になっていたんですが,そのちょうど中間ぐらいに,平成3,4,5年でしたけれども,県のほうで前の教育長が,県立高校と地域との結びつきをしっかり固いものにして,学校運営にも役立てていきましょうということで,「オーナー会議」というのを持ちましょうと。図書館とか,博物館などには,運営審議会というのがありますけれども,地域の声を県立高校に生かすという審議会,会議というものはなかなかないわけでありまして,それをとにかくつくってやってみようということで,教育事務所単位に毎年九つの高等学校を選んで,その中には町の教育長さんだとか,あるいは中学校の校長先生だとか,あるいはもちろん選ばれた県立高校の教頭と校長も入るわけですが,町の会社を経営する方とか,保護者の方とか,いろんな方が入って,十数名の運営委員会ができるわけです。その学校について,いわば県民の代表でオーナーですから,「私たちはこういうふうにこの学校になっていってもらいたい」という,学校運営に対する要望をまとめて出していただいたわけです。そういうシステムが今から4年前にあったわけです。3年間で,試験的に毎年九つという,県立高校164校の中で限られておりますので,その評価は難しいんですが,ともかくも学校の運営審議会をつくって,地域の声を学校に生かしていきましょうと,そういうシステムができたわけです。 結果的には,その要望の中には,学科転換だとか,将来的にその学校を見ていって,こういう学科が必要である,時代の変化とともにこれを入れていってもらいたいとか,そういうことから外国人講師をもっともっと取り入れてもらいたいとか,さらにこれは実現はできなかったですが,地域の不便なところにいる子どもたちにスクールバスを導入してもらいたいとか,そういう要望を集めたり,その学校の将来のことを考えていただいた要望を出していただいたわけですが,そういうシステムだったわけです。幾つかのことが実現されまして,特に学科転換でその学校の活性化を図るということで,学科転換などが大きな動きだったわけですが,学校が活性化されたということは確かにありました。 そういうことで,今後は,市町村と市町村立の学校の結びつきが強いんですが,地域の中にポーンと置かれている県立高校というのは割合距離があるかなという気がするんです。そういう意味で,今申し上げましたような学校の運営審議会のようなものをつくることによって,校長が学校運営に生かすヒントを得られるのではないかという感じが強くしております。また細かくは後でお話ししたいと思います。 ○ ただいまお話があったとおりに,教頭先生の仕事の大変さ,指導主事さんの大変さということは,私も遠くから見ていて,そういうふうに思っている一人であります。 「学校運営について父母や地域住民の意見を反映する仕組みの確立」ということが書かれておりますけれども,保護者のほうとしては何か問題があると,まず自分の担任の先生にお話をするんですね。それがうまくいくと教頭先生に伝わり,校長先生に伝わり,そして問題が大きければ市町村の教育委員会に伝わるというのが普通の流れだと思っているんですけれども,私の経験からすると,その流れがよくない。担任の先生にお話をしたけれども,そこからは上がっていかない。そういうことが積み重なって,保護者のほうがとってくる行動というのは,いきなり学校を抜けて教育委員会にお話をするという,非常に悪いパターンをどんどんつくっていくことになっているわけです。教師―教頭―学校長という流れがよくないと,そこから生まれてくる問題というのは,子どもは社会の宝だと言いながら,学校はだれの宝なんだと。地域の宝であらなければならないのが,父兄として学校は敵なんだという見方になっては,これは連携をするパイプとしては非常にまずいものになっている。 この間も私はお話をしたかと思いますけれども,いろんな権限があっても,それをやるかやらないかは,その人なりなんですね。ですから,その資質というものの大切さ,そしてそれぞれが持っている役割の大切さを実感してもらわなければならない。サラリーマン教師であってはならないんだということを私は強く言いたい。それによって,教育委員会とのつながりもよくなるし,もちろん父母や地域住民との学校とのかかわりがその中で非常によくなる。学校はみんなでつくるものだと。校長先生によっては,学校はおれのものだという思いをしている人もいるのかもしれませんけれども,私は一番ベターなのは,そこの地域の小・中学校は地域の宝であるというような思われ方をしない学校には,反映はないと思っています。ですから,一般の教師―教頭―校長という流れをよくしてもらうことが,連携を深めるために一番重要なところではないかと考えております。 ○ 私は企業経営者でございまして,素人でございますが,それなりに家庭でも,そしてまた企業でも教育者を自負しておりまして,それは「国は人なり」と同じように,「企業は人なり」だからでございます。先ほど来の皆様のお話も伺いつつ,二つほど,むしろお教えいただきたいという点での問題提起をさせていただきたいと思います。 今後の地方教育行政の在り方ないしは日々現場でいろいろ起こっているであろう問題をどう解決するかという議論をする大前提として,地方教育行政,地方という在り方を考えるときに,大きな流れである地方分権をどのようにとらえるかというのがどうしても必要である。地方分権はいわば地域主権と言い換えることができるわけでございまして,釈迦に説法でございますが,私なりに考えますと,要は戦後,列強に追いつき追い越せということで,文部省を中心に大変すばらしい教育をしてきた。ある家庭でいいますと,おやじが一生懸命働いて,子どもたちに同じように食べさせて,豊かにしてきた。時代が変わって,子どもたちは「そろそろおやじ,僕も好きなことをやりたい」というニーズも多少ありますし,その一方で家庭も,そろそろ自立してもらわないと成り立たないという時期にきた。 こういう状況からすると,一つは,地域主権を考えたときに,どうしても受け皿 ―これは一概には言えません。県,政令指定都市,市町村,もろもろあって一概には言えませんけれども,要は受け皿たる地方の覚悟が本当にできているのかという問題点でございます。これは話せば長いわけでございますが,私は実はバラ色の地方分権とは思っておりませんが,これはせざるを得ない流れなんだと思っております。したがって,地方分権論者でございます。 しかし,あたかもそれぞれの地方が望んでいるかのように思うのは大間違いで,私,実は7年前に日本青年会議所で2年間,地方分権を担当した常任理事をさせていただいたときに,全国を回りまして,私自身は150ぐらいの首長さんにお会いしましたし,手分けをして約740の首長さんに地方分権のインタビューをいたしました。1990年でございましたが,その当時で,いろいろニュアンスの違いはありましたが,約6割が反対でございました。しかし,4割が賛成しているという見方もできるわけでございますが,象徴的なのは,ある首長さんが「あんた方は地方分権と言うけれども,それをやられちゃ困るんだ。国が決めた制度で,補助金つきで,いろいろ施策を出してくれなければ,議会も通りづらいし,おれは一体全体何をやっていいかわからない。おれはもう一期やりたいから,しばらくそっとほっといてくれ」と,そういうようなお話があったりするぐらいでございます。例えで言うならば,子どもたちの自立と言うけれども,まだ甘えとその怖さを知らない。しかし,時代の趨勢であるとするならば,この議論の大前提として,親のほうから地方分権ないしは地域主権を大前提として叫んでしまうある意味のコンセンサスづくりも必要かなと思っているんです。要は,そんな地方の覚悟でございます。格差は生まれましょうし,独自性も出てくる割に,困ってしまうところも出てくるということでございます。 二つ目は,国側の改革でございます。ますます国のエージェンシーとしての役割は重要になるだろう。ただし,その役割が違ってくる。御用聞きという言葉があります。要は,地方がそれぞれ独自にやりたいことに対するサービス。例えば,教育者へのさまざまな教育と言うとまた語弊がありますが,いろいろ実践的経験を積むような機会の提供でございますとか,先ほどもどなたかおっしゃっておられましたが,全国各地のうまくいっている事例の提供でございますとか,やはり教育にも限界がございますので,専門的分野にふさわしい方の派遣等のお手伝いですとか,場合によっては省庁縦割りの枠を越えて,ほかの省庁に関するサービスも各市町村の現場に提供する窓口になるとか,要は許認可する,指導する立場から,徹底的に現場のためにサービスする。そういうありようへの改革も議論されるべきではなかろうかなと,僭越ながら思っておるわけでございます。 そんな上で,私も企業経営の立場で言いますと,この中にも,学校の地域への開放ですとか,そういった問題も出ておりますけれども,学校の施設そのものが大変もったいないように見えてならない部分がございます。これは小・中・高,その学校のありようによって変わりますけれども,学校施設を規制緩和という観点から,もっと思い切って開放するという大きな柱がないかなと。そのことが教育のある種の専門性や多様性,それから地域との一体化,はたまた開放の仕方によっては財政を改善するという点にもつながるのかなと,そんなふうに素人ながら考えております。 ○ 私も今の御意見は,そのとおりだと思っております。つまり,第一次答申の中の,「生きる力」を子どもたちにはぐくむという発想からいくと,基本的には21世紀の教育の在り方は子どもの側から発想していこうという意味で,一つのパラダイムの転換を図っていこうというのが基本的な考え方であります。そのために特色ある学校づくりを初めとして,学校の創意を強めていこうという構図になっております。地方教育行政の在り方は,そういった学校の創意なり何なりを助成していくというような形に変えていくのが基本的な考え方ではないかと思います。 今までは,どちらかといえば,国から学校へつないでいくリンケージ・システムみたいな形で,政策の浸透という形が割合強く,そういった発想から地方教育行政はとらえられていたんですけれども,学校の創意を助成していくという意味でのサポーティング・システムとして,どのように切りかえていくか,ウエートを少し変えていくというのが,地方教育行政を検討する上での基本的な問題だろうと思うわけです。 そういう意味で,「論点整理」のところにもありましたけれども,これまでの学校管理規則というのはそういう点から見て,どういう問題があるのか。また,先ほどお話に出ました指導行政というのは一体どういうふうな形になるのか。それから,学校にとっては,今,新しいことをやろうとしても,研究情報なり何なりが手に入らない。こういったものを助成するのが教育委員会の役割だろうと思うわけです。そういった意味でのサポートしていく体制を整えていくというのが,学校側が行政に一番望む点ではないかと思うわけです。 もう一つ,これと絡みまして,例えば特色ある学校づくりを言い出しますと,学校教育施行規則の第26条第2項に言う研究開発学校みたいなものを,国だけではなくて,都道府県レベルで設けられるようにして,都道府県で特色ある学校,例えばカリキュラム開発ができるとか,そういう意味で変えなければならない部分がたくさん見えてくるのではないかと思います。 もう一つは,「論点整理」で大変興味深かったのは,地域コミュニティーづくりでありまして,こういった動きが,最近,いろんなところで出てきています。岩手県の胆沢町なんかは「日本一の田舎まちづくり」ということで,文化を中心とした田舎まちづくりをして,その中に子どもを巻き込んで,まさに第4の領域をやっているところがあります。それから,親のしつけの問題と学校の生徒指導上の問題との絡みはいつも問題になりますけれども,そういったものを核にして村の教育運動ということで,これは今やっているかどうか知りませんけれども,10何年前からある村では行われておりまして,市町村の教育委員会と親の部会と学校部会という三つに分かれながら,お互いに新しい教育の在り方を探っていこうということを継続的にやっているところもあります。 それから,この前,生涯学習局で行われましたボランティアの協議会なんかでは,学校支援ボランティアが大変盛んな学校もありまして,親が勝手に学校のものまでつくってしまうぐらいに,大変積極的に学校を支援していく。教師はどうでもいい,教師は一住民として自分の住んでいるところでやりなさい,この学校は私たちがやるという形での支援。そこに親と学校との新しい核づくりをして,町おこしが行われていくという形で,さまざまそういった芽が出てきているわけであります。 そういうふうな方向で,新しい地域コミュニティーづくりに,教育委員会,特に市町村教育委員会はかなり重要な役割を今後果たしていかなきゃいけないんではないか。そういう意味で,学校の問題もありますが,学校外のところで,それが学校をまた包み込むという点もありますけれども,重要な役割を今後担わなければならないのではないか。そこらあたりが地方教育行政の今後の非常に大きな問題かなと受けとめました。以上です。 ○ これまで発言なされた方から貴重な意見を出していただいて,大変ありがたく思っていますけれども,前回なりその前に申し上げたこととできるだけ重複を避けて,二,三意見を申し上げていきたいと思います。 「主体的かつ積極的な地方教育行政の展開」というところにかかわりまして,「教育行政における国,都道府県,市町村の役割分担と関与の在り方の見直し」ということで,要はこれからの地方教育行政は,一つは大きな流れである教育における分権・自治という観点から,子どもの教育に直接かかわる学校とか,それに一番近い市町村の裁量といいますか,創意工夫を凝らして,特色ある学校づくりなり,本委員会で言っているすべての子どもに「生きる力」をはぐくむという意味から言っても,できるだけ子どもに近いところに裁量の余地を拡大することにいくべきだと基本的に考えているわけです。 その場合に,もちろん国と都道府県,都道府県と市町村,それぞれの指導ということで,今の地教行法なり,あるいは学校管理規則等では,指導・助言・援助というふうにたぶんなっていると思うんですけれども,それを「必ずするものとする」となっているんですが,もちろん指導・助言も必要ですけれども,今,皆さんからもありましたように,できるだけ学校なり子どもたちの好ましい発達を促すという意味での支援といますか,サポートというところに,これからの行政の力点を置いた形で,現行の法令,条例等も含めて,そのあたりのところの見直しをすべきであると,一つは考えております。 それから,「地方教育行政に地域住民の意向を反映する仕組みの導入」というところは,先ほども大変貴重な意見がありました。「オーナー会議」等の問題提起があったんですけれども,できるだけ地域住民の意向を反映するという意味で,まず教育委員会が公選から任命制に変わったということもありますけれども,いろいろ総合的に考えて,今,またもとに戻して公選が全国的に行えるかといったら,私は実態として非常に無理があるだろうと思います。首長選挙だって投票率が過半数にいかないという状況の中で,教育委員の権限,その他を考えて,教育委員に多数が立候補して選挙を行えるような意識が全体としてあるかといえば,それはなかなか難しいだろうと思います。 ただ,どうやって住民の意向を反映するかということで,例えば推薦母体とか,そういうものを幾つかつくって,一体どういう基準で教育委員を選んだかということを,単に各党の代表者会議に首長が「この人を」というだけの説明ではなくて,もう少し丁寧に選考経過なり基準というものをある程度議会の各派代表者会議等に示して同意を得るし,また教育委員にだれがなっているか,教育長さんがどなたで,教育委員が何人で,どなたかと聞かれても,即座には答えられないぐらいですから,恐らく一般の住民の方からすると,教育委員の方に悪いですけれども,それほどみんなが関心を持って見ているという状況ではないと思うんです。学校で何があれば教育委員会に投書したりということがありますけれども,ふだんはそうですから,議会で選任するときに,さっき言ったような形のものをどこまで取り入れられるかということで,できるだけ住民の意向を反映する。 それと最近,女性をどれだけ登用するかということが,政府の審議会でも問題になるんですけれども,この前もらった資料を見ても,若い人とか,女性の方の教育委員は,比率からいって一般世間から見るとまだ低いように思われるんです。そういうところを,これから教育委員会を活性化させる意味では,子どもがまだ小・中学校とか高校に通っているような方とか ―65歳以上とか,高齢の方が比較的多くて,名誉職的なものになっていますから,そういうところを勘案していけば,住民から選ばれた首長のもとで,住民から選ばれた議会で同意をするということですから,公選とか,準公選がいいという意見は,まだかなり根強くありますけれども,今,全体的に考えれば,直ちに公選に戻すというような状況にはないだろう(一部可能な地方自治体はあるにしても)というのが私の考えであります。 それから,数の問題も,200万,300万という政令都市なんかで5人といっても,本当にごく少数でありますから。例えば,町や村の場合は3人でいい場合もあるかもしれませんけれども,必ずしも5人というふうに限定しないで,市町村で200万,300万の市であれば,七,八人とか,10人ぐらいまでは私は登用可能ではないかと思うんですが,そういうところは弾力的に自治体ができるような規定の仕方をすればいいのではないか。 それから,教育長に適材を得るということで,これは戦後間もないころ,教育長の免許制度というのがありましたし,その後,任用資格制度になり,現在の任命承認制に変わっています。そういう経過等も考えて,ただ,協力者会議の意見の中に,特に市町村の教育長さんなり教育委員の処遇といいますか,端的に言って,私は報酬が非常に低いんじゃないかと思います。もっと本当に働いてもらうためには,私の先輩が一,二教育委員になっていますけれども,聞いたら,中核市のような人口10万ぐらいの市で,月1回行って8万円報酬をもらっている。今ごろ8万円とか,10万円ぐらいでは,本当にやる気を起こして,教育委員の仕事を精いっぱいやるという態勢にはなかなかならないんじゃないかと思います。その辺のところは,文部省だけでどこまでできるかというのはあるんでしょうけれども,自治省あたりの交付税の積算単価をもっと引き上げるとか,いろんな機会に首長さんの協力を求めるということをやる必要があるのではないかと思います。 それから,学校と教育委員会との関係について,最終的に私は,学校に現在よりは権限を拡大できる部分は拡大したほうがいいと思っているんです。その場合に,御指摘のように,学校を代表する代表権を持っている校長さんと職員会議との関係とか,そういう点で,非常に危惧される御意見があったことは,今までの経緯に照らせばある程度理解はできるんです。 教職員団体でも,それまで職員会議を最高議決機関とか,議決機関というふうにしておったのを,やはり校長の代表権というのを最終的に認めるという立場に立って,いろんな教育問題について一致結束して学校が協力し合える関係をつくる,そういう意味での協議の場であるという方針を決定しているということで,徐々に変わりつつありますのでね。その辺のところは,これからの校内組織,校務分掌等を含めて職員会議をどうするか。奇妙なことに日本の法律上は,職員会議というのは,大学の教授会以外は何の規定もないわけです。 だから,一定程度こういう場で議論が進み,職員会議の性格,位置づけについて,もしある程度の合意ができるのであれば,一つはモデル的にでも示すことがあってもいいのじゃないかと思います。これは私もまだ最終的に詰めて,きょう意見を言っているわけではありませんけれども,そういう考え方を私自身は持っているということを,この機会に申し上げておきまして,主任制の問題等についても,ある程度議論をこういう場でできるのであれば,また次回,発言の機会を見て,私の意見を申し上げたいと思います。 ○ 私は演劇を通して,地域のコミュニティーづくりの文化活動にずっとかかわってまいりましたんですけれども,そこで出会うのは主に首長部局の方々か,あるいは地域の社会教育施設の担当者の方か,あるいは個々の先生方が御参加ということで,校長先生や教育委員会の方とお目にかかったことが全くないんです。実際その地域で,例えば県単位,あるいは市や町やいろいろな規模の施設で十数年やってまいりましたが,そこに教育委員会がかかわったということは,直接お話しして,相談しながらつくっていったことがないのは,どうしてかなというふうに思っておりました。 今回,専門委員に加えていただきまして,教育委員会や学校の校長先生のことを含めたことを考える場だと伺ったときに,私に全く力が及ばないところじゃないかと実は最初思ったんです。それは地域の文化活動にこれほどかかわっていても,それが見えなかったからだなと思いまして,逆に言うと,そこのところに大きい問題があるんじゃないかと今感じております。 先ほど学校の創意をサポートするシステムとして,教育委員会がもっと活性化されるべきだとおっしゃいましたが,私の側からしますと,地域の文化活動を活性化し,なおかつ子どもたちや現場の先生方や親御さんや,そういった地域に住んでいらっしゃる方々の文化活動を活性化していくためにも,教育委員会はもっともっとサポートの役割を果たし得る,あるいは果たしていかないといけないのではないか。つまり,学校と地域とその両方をつなぐ真ん中のかなめとして,とても重要なポイントに教育委員会は実はあるのに,学校,地域,双方に対してうまいぐあいに機能をしていない。だからこそ,つなぎ目がまずくなっていて,地域と学校がつながれなくなっているんではないかというふうに感じたわけです。 実際,そういう文化活動をして,個々の先生方や子どもたちと触れ合っていますと,学校側の行事と地域の文化活動の行事が話し合われていないものですから,お互い同士が縛られ合って動きにくくなっているんです。これはとてもかわいそうだなと。地域での活動もしやすいふうに学校で何とかできないか,あるいは学校に地域の人たちが入っていきやすくする,そのことによって風通しをよくしていくことができないか。それができるのは教育委員会というお立場なのではないかと思っております。 けれども,今の教育委員会の形では,決してそこが地域とか学校とか非常にたくさんの人々が切実な要望を抱いている場所をサポートしていくだけの人の数,あるいは情報の量,そして実際の行動力,それを支えていく報酬というお話もありましたけれども,それがいずれも足りていない。教育委員会が通達を出すということではなしに,サポートしていくシステムになるんだとすれば,今よりももうちょっと規模が大きく,なおかつ柔軟で,いわば地域の中に教育委員をサポートする人たちがたくさんいらっしゃって,意見を出し合って,学校と地域をつないでいくというふうになっていかなくては,今のような断絶した状況は変わっていかないのではないかと思いました。 ○ 中教審の第一次答申,第二次答申というものが出て,そこでうたわれていたことを集約すれば,これからの学校教育 ―教育というのは学校だけではありませんけれども ―をどういうふうに多様化して,創意工夫に基づく多様な取り組みがこれからの教育で実現できるかということ,まさに学校教育の主体性とか,自律性という,今まで多くの皆さんが言っていたそれをどう実現するかということが1点ありますし,それをサポートする教育委員会の役割はいかにあるべきか,そこに尽きると思うんです。この会議も,非常に多様な地方教育行政の取り組みという広範囲な取り組みでありますけれども,まず今言ったところから焦点化して会議を進めていかないと,漠然としたものになるのではないかと思っております。 その場合に,確かに学校の主体性,自律性を確保する,あるいはそれをサポートする教育委員会の取り組みといった場合,一つには,今,学校の自律性や主体性を妨げている制度は,どういうものが本当にあるのか,何がそういったものを妨げているのか,その辺を明確にしなければいけないのと同時に,校長を初めとする教師の力量とか,運用面によって,解決すべきものもあるんですね。そういったものはどういうものなのか。その辺が明確でないと,言葉だけで主体性,自律性なんて言ってみても,なかなかはっきりしない面があるんです。それが第1点です。 ですから,学校の主体性,自律性を強調することは非常に大事なことであるということを前提にすると同時に,では学校の主体性,自律性を高めれば,本当に教育はよくなるかというと,そんな簡単なものじゃないということを私は申し上げたいんです。それはどういうことかというと,今,例えば創意ある学校教育の創造とか,教育課程の弾力化・多様化とか,あるいは中学校でいえば選択履修の幅の拡大とか,入試の多様化とか,それを叫んでいるのはだれかというと,学校現場ではないんです。本来なら学校現場がそういうものを叫び,そして行政が「まあ,そこまではちょっと待ってくれ」というぐらいにちょっと抑える。それが本来なのに,そうじゃなくて,今言ったようなことを声高に叫んで改革に燃えているのは,むしろ国や教育委員会なんです。学校現場はしょせんは横並びで画一で,今までどおりのことをやっていればいいと,そういう感じなんです。そこに学校の主体性なんかを生かしたときに,本当に改革なんかできるのかという,そこまでせんじ詰めていかなければいけないと思います。 中学校の理科で,皆さんは光とレンズの関係というのを勉強したと思うんです。例えば日本という国の国民性というのは,黙っていれば,どちらかというと横並びで画一で,一つの価値観に収斂する傾向を持った国民なんです。それを多様化,弾力化,個性化というふうに分散するためには,どういうレンズを入れるかというと,凹レンズを入れなければいけないんです。凸レンズじゃなくて,凹レンズを入れて分散化している。その凹レンズを入れることが,国とかなんかの役割になっている。国のそういう強力な権限があるからこそ,個性化とかなんかが開かれているんです。これはアメリカは逆です。アメリカは黙っていても広がる国なんです。だから,国は凸レンズを入れて,何とか共通性を図ろうとしているということなんです。 ですから,主体性とか,自主性をそのまま認めれば,多様化するかというと,逆にもっと画一化していく可能性もあるんだという,そこまで詰めて考えないと,地方分権,規制緩和をやれば,何か多様なものができるなんていうこともありましょうけれども,そう簡単なものではないということです。そういったことを詰めた上で,学校の主体性,自律性を確立する。このことは決して悪いことではありませんから,そういう面で追求していく必要があるかなと思っています。以上です。 ○ ちょっとまた違ったところでお話ししたいと思うんですが,校長先生の権限の拡大というところにも関係すると思います。いろいろな教育活動を行うには,人,物,金。これは行政でも同じように,そういったものがあって初めて活性化する,活動そのものがよいものになるということですが,例えば学校事務の集中管理ということがここにあったんですが,これはたぶん一つの学校で事務処理をするというのではなくて,集中管理ということですから,何校かの事務職員の行う仕事を一つにまとめて処理することを意味していると私は取ったわけです。 そうしますと,現在の学校の事務職員は,子どもたちが活動する上で,特に予算ということでお金関係,活動するにも物が必要です。そういうところにおいて,学校の状況をよく把握して,なおかつ長期的に来年度に向けてどのような予算を組んだらいいのか,教頭先生,校長先生との話し合いの中で,的確なアドバイスができると思います。 集中処理ということで効率化を図るのも一つかもしれないけれども,それ以上に,学校現場の中においての事務の役割というのは,教育活動を行う上で大切ではないかということから,事務の点については,今後,考えていく必要があるという感じがしました。 2点目に,学校が地域住民の意向を把握するという意味で,何か組織のようなものをつくったらどうかと。小学校の場合もそうでしょうが,小・中,上にいくほど学区が広い。広範囲なところから子どもたちが来る。もちろん保護者が関係してくる。そういう中で協力関係をつくるのは,失礼ですが,上ほど本当に必要なのかなという気がします。かといって,小学校では必要でないということはないと思います。駆け込み寺だとか,いろんな問題においても,今,地域の方の協力が,保護者だけではなくて必要ではないかということなので,これは本当に大切だと思うんです。 ただ,一方では,学校内にいろんな組織があり,行事があり,その中で,先ほど教頭先生のお話がありましたが,校内,渉外ともに忙しいというところで,また教員も子どもとの交流が少なくなっている。そういう非常に容易ではない中で,スリム化がうたわれている。では,組織づくりとスリム化という両面から,どういうものをつくったらいいのか。片方では子どものためによくならないというか,そういう仕事が増えるのもまずいだろう。その辺,自分自身もはっきりわかりませんが,矛盾といいますか,難しさを感じています。 3点目ですが,地域住民との連携協力ということで,これは学校の教育活動をより活性化するという意味において,地域にいる方の教育力を学校現場に生かすという意味で,指導者の情報といったものは,学校で把握できる部分もあるけれども,さらに広い町や市の中で,よりよい指導者を選択できるようにするために,大きな情報網を持った教育委員会の力が必要になるのかなと思います。人材の把握,情報を流すということで,教育委員会の教育活動の支援が必要になってくると思います。以上,3点ほど感じましたので,述べさせていただきました。 ○ 大きく二つのことを申し上げたい思います。 実はきのうと一昨日,東京で日本教育行政学会という学会がございまして,その延長で今ここにいるんですが,シンポジウムのテーマが「教育における規制緩和の在り方」ということであったんです。いろんな御意見を御発表の方とか,フロアからいただいたんですが,結論的に申しますと,教育における規制緩和というのは,要するに地方分権の問題じゃないか,おおよそそういうところに収斂していったわけです。 要するに規制緩和は,例えばタクシー運賃の問題であったり,大店法の問題であったり,いろいろ言われているんですが,言ってみると,こういうのは官対民の規制の問題を取り扱っている。教育ももちろん,私学とか,いわゆる私的な部分はありますけれども,メーンの部分はやはり学校の問題であったりしてくる。これは言ってみると,官・官関係である。この官・官関係の規制は一体何かというと,地方分権の問題じゃないかという話になったわけです。 私も二,三ヵ月前に,京都で規制緩和フォーラムというのがございまして,教育の問題で話をしろということで出たことがあるんですが,その折に規制緩和小委員会の宮崎委員長とちょっとお話しする機会がありまして,いろんなことが言われているけれども,結局何のための規制緩和なんでしょうかという御質問をしたことがあります。そうすると,彼はすぐに,あちこちでそういう質問がたぶんあったと思うんですけれども,「要するに,国民消費者にどれだけ利益をこれから与えていくのか,これが最大の眼目です」と,こういう答えをすぐに出されたわけです。これは大変すっきりしている。今言ったように,タクシーの運賃が画一化されていて,安くしたいという会社があっても,足を引っ張ってはだめだと。あるいは,安い商品を提供したいところがあっても,大店法で店が出ない,こういう問題になろうと思うんです。 そうしますと,教育においてはこの問題をどう考えたらいいんだろう。先ほど何のための改革というか,どこに問題があるんでしょうというお話がありました。前回,私はその前提になるような話をした記憶がございまして,答える義務があるかなと思ったんですが,言ってみますと,まさにだれにとって今教育というものが行われていて,だれが不利益をこうむっているのか,これを洗い直さなければいけない。というよりも,そういった不利益を感じている人が増えているんじゃないだろうかという問題があります。親は子どもはもちろんのことなんですけれども,例えば学校という単位を考えた場合,教師も何らかの形で閉塞状況に陥っている。自分の専門性が生かされない,あるいはやる気がなかなか起こらない。教師のバーンアウトなんていう言葉がありますけれども,大変悲惨な形で退職する方も増えてきている。どこかが異常なんだろう。 今の学校のシステムや学校教育のシステムは,大きな問題もありましょうが,一つには行政のシステムというところで問題がネックになっているのではないかという気がするわけです。具体例を挙げれば切りはありませんけれども,そういった見方が一つは必要ではないかという気がいたしております。 二つ目の問題は,「論点整理」とのかかわりなんですが,少し整理をさせていただきますと,三つのダイメンションといいましょうか,次元設定で,とりあえず枠組みの整理がつくんじゃないだろうか。 一つは縦といいましょうか,バーティカルの問題で,言うまでもなく国・都道府県・市町村・学校という,我々は「重層構造」なんていう言い方をしているんですが,これがハードなものに作用してきている。要するにフレキシビリティーを欠くようになってしまったのではないか。こういう問題が一つあろうと思います。 二つ目は,それに対する横の問題で,親,あるいは子ども,地域というようなところと,学校はどういう接点を持つんだろうかという部分で,今言ったように,親や子どもがメリットを感ずるような教育のシステムにしていったらいいんじゃないか。これはたぶん参加の問題ということで,一つ大きな焦点ができるんじゃないかと思います。 先ほど,公選の問題で,かなり否定的な御意見があり,私,びっくりしちゃったんですけれども,その場合も,確かにおっしゃるような状況があると思いますが,かといって,では日本全国的に3,300市町村,47都道府県全部,公選は意味がない,今の任命制でいいのかというと,私はそういう問題ではなかろうと。問題なのは,いろんな地域でいろんな運動が起こっている。これはかなり政治的な問題もありますけれども,今言ったように親が大変閉塞感を持っていて,何とかしなきゃというところで動いている問題もあろうと思うんです。 その場合に,成熟した地域ならば,準公選とか,公選とか,私は協力者会議の中で言ったんですが,もっとフレキシビリティーを持たせて,委員の数を増やすということもあったんですけれども,例えば今の5人ならば,2名は公選にする,3名は従来どおり任命にするとか,いろんな在り方があるし,そういったことを地方の判断にゆだねられないだろうか。日本という国は,学校教育はこうですよと。相対的にといいましょうか,諸外国と比べて大変高度の教育水準を維持している。これは誇っていいだろうと思っています。だけども,今,問題になっていることは,国民自らが意識しての問題となって起こっているわけですから,国民に返す形で解決を見なきゃいけない。そうした場合に,日本の今の状況というのは,フレキシブルなものにしていけるだけの状況になってきたのではないだろうかという見方をしております。 ですから,私も,公選か,準公選か,任命かという教育委員の選任方式で,どれがいいという言い方はしたくありませんし,すべきじゃないだろう。だけど,もしそういったニーズが高まり,成熟した状況にあるならば,国の制度がこうだから,公選は絶対だめですよ,あるいは逆に,みんな公選にしなさいという形の解決策というのは,もう必要がなくなっているんじゃないだろうという認識を私はしております。 三つ目は,縦・横にならいますと,むしろコアの問題だろう。これは教育委員会のいろんな先生方からお話がありましたように,いかに教育委員会について専門的な職務を果たす組織にしていったらいいだろうか。指導主事の確保の問題も,単なる量の問題ではなくて,質の問題があるでしょう。教育長の承認の問題がありますけれども,これも担保するものとして,どれだけ専門的に仕事ができる教育長さんを確保できるのか。事務局の問題が前回もありましたが,教育委員会組織の中身の問題として,例えば専門性という一つのキーワードを設定してまとめ上げたら,一体どんな絵が描けるんだろうというような枠組みが,とりあえず「論点整理」を一歩広げたときに出てくる見通しではなかろうかと思います。 ここにも何人かの教育委員の方がいらっしゃいますからあれなんですが,私,大学で教育行政学という授業を持っておりまして,最初の4月の第1講時に言うんです。学生は多いときは100人ぐらいおります。100人の学生を相手に,「君たちの中で一人でも,自分の住んでいる居住地の教育委員の名前を知っている人がいますか。もしいたら,もう授業に出なくてよろしい。100点あげますよ」と,半分冗談ですけれども,そう言うんです。「そういう冗談が言えるということは,だれも言えないから」と,こう言うんです。もちろん,お父さん,おじさんが委員だったら困るんですけれども,それはおいて,一般的な意味で「いるか」と。当然,これは知りません。かく言う私も,今,京都府に住んでいますけれども,知り合いが何人かおりますから,全部知らないわけではありませんけれども,要するにそれほどそういうようなものになってしまっている。 ところが,大変口はばったいんですけれども,御存じのように,教育基本法の第10条で,教育行政というのは国民に直接責任を持って行わなければいけないという文言があります。この「直接」をどう解釈するか。大変多義的ではありますけれども,素直に読めば,できるだけ国民の意思決定に近いところで教育が行われる。そのためのサポートシステムが行政だろうと,こう理解をしております。ですから,協議会の話,あるいは選任の話,いろんな問題がありますけれども,原点としては国民が自分の子ども,自分自身の教育が行われている一番近いところで意思決定者になっていくという,これを原点としてもう1回確認していいんじゃないか。 この50年の歩みの中で,いろんな条件があって,制度も変わってきたんですけれども,前回申しましたように,今の日本はその意味では大変豊かになったし,成熟しようとしている。この成熟にお手伝いをするのが,今回の改革のねらいではなかろうかと,私はこう理解しているわけです。 そういう意味では,「論点整理」で前の委員会のほうにかかわった人間ですから,いろんな御意見がここに網羅されておりますけれども,言ってみれば,この方向で描ける図面は一体何だろうかというところで,答えを出せればありがたいなと考えている次第です。 ○ 先ほどお話がありましたが,校長には結構権限が与えられている面が今までもありましたということであります。私などは,校長さんに思う存分好きなようにというか,やりたいようにやってくださいということで,ほとんど学校のことは校長に任せているというのが現状であります。ですから,運用の面等で,あるいはまたはたから見て,校長先生に何も権限が与えられていないのではないかという極端な見方ではなくて,これからどういう権限を与えると,学校がもっと生き生きしてくるのかなということを,もう1回見直してみる必要があると思っております。 それから,教育長にどういう人を,という話がありましたが,やっぱり教育長というのは首長部局と密接な連携が必要な仕事だと思っておりますし,一方では学校とか,地域,親,そういう人たちへも非常に近いものを持っている。両面を持っていなければならない。だから,首長さんたちは,そういった選任には十分意を用いているものと思っております。何かで間違わない限りは,大抵はしっかりした教育長の選任に当たっているのではなかろうかと思っております。 最後に,指導主事ですけれども,どんなに小規模な市町村でも,私は,指導主事は1名以上必ず必要であろうと思っております。ただ,指導主事の在り方ですけれども,うっかりしますと,先ほどこれもお話がありましたが,画一的横並びで,指導主事の言ったとおりに何でもなってしまって,いつの間にか校長のアイデアとか,そういったものまでも固定化させてしまう嫌いがあるので,指導主事の実際の動き方については,これからはもっと弾力的な柔軟性のある,そういう考えを行政のほうで持っていく必要があるだろうと思っておりました。 校長への権限委譲につきましても,地方の覚悟はできているかということが,先ほど話がありましたが,校長の覚悟ができているかということにも置き換えられるような気がしてなりませんし,特に校長については相談相手が必要であるという話がありましたが,私も全くそう思います。ただ,この相談相手はどこの市町村でも教育相談員という形で今は置いているんですが,残念ながら行政の中に教育相談員がいる形なものですから,本音をなかなか校長が言わない。これでは教育の相談員にいろんな問題を相談するのにうまくない。ですから,行政から切り離した形での相談員等も,これからは考えていく必要があると思っております。 ○ 中教審の小委員会の役割というのは,私なりに考えましたのは,仕分けの問題だなと思いました。というのは,先ほど,規制緩和が官・官の関係だという御指摘がありましたが,私は必ずしもそう思わないんです。と申し上げますのは,国の教育と民主主義のかかわりということで考えてみますと,大きく二つあると言われております。一つは共和制度というやつで,フランスがその典型ですが,革命政権が地方の反革命に対応して教育制度をつくって,それを徹底する。ですから,国の言うとおり,全国すべてそのとおりにするというのが民主主義だという考え方であります。一方,英米等に発生して成熟したいわゆる多元的自由主義という考え方。地域,地域から出てきた考えを大切に積み上げて,教育をしていく。それが自由主義,民主主義を保障するという考え方がある。この二つがどうも日本では混乱されているんじゃないかという気がしてしょうがないわけです。 現状を見ますと,かなり地域の考えを生かして文部省はやっていると思っているんですが,実態は運用面,それから現場の考え方が画一的なほうがやりやすいということで,画一的になってしまっているという面が非常にあるのではないか。その辺は,規制緩和を単なるシステムの問題とか,何といいましょうか,簡単に片づくというふうには考えないで,日本人の国民性にかかわる問題という踏み込んだ議論をして,実効を上げるためには仕分けをする。つまり,国がやるのは全体の何割,何割は任せるみたいなことを言ったほうが,むしろ効果が上がるのではないかという気がしております。その辺をちゃんとやらないと,どんなことをやっても何の効果も上がらないという結果になるような気がしてしょうがないんです。 ○ 教育の改革というのはいろんなレベルがあると思うんです。大きく言えば二つ。基準とか,決まりとかを変えて改革するということと,それからきょうのお話のかなりの部分がそうだと思いますけれども,運用を上手にするという形の改革がある。今まで第一次,第二次答申をしてきた中でも,その二つが絡まっていまして,例えば17歳から飛び級というのは,何か決まり的なものを変えなければいけない。だけども,入学試験を多元的・多角的にやろうというのは運用の問題です。決まりを変えるほうの提言と,それから運用を上手にしようという勧告といいますか,お勧めというようなことが合わさって,今回も進んでいくのではないかと思うんです。 その際に,私,基準を変える場合には,今,ギリギリこれを変えなければ地方行政はうまくいかないんだというものが本当にあるのか。あるとすれば,これとこれだというのを出していただいて,その理由を教えていただいたら,それから議論が進むのではないか。ほとんどの場合は,私の浅い,地方の先生方,教育委員会,公民館等とのおつき合いと,きょうのお話からも伺うところでは,運用次第でよくも悪くもなっているんじゃないかという気がいたします。 例えば,私は情報の教育を推進するとか,学習指導についてということで,小・中・高等学校に行ったり,公民館で地域の人に話したりするんですけれども,例えばある県で補助金を出して,コンピュータ用のいい教育ソフトをつくった。これはすばらしいから,全国の皆さん方が使えるようにデータベースに入れましょうというと,ある県では「オーケー,入れましょう」,ある県では「これは県の費用でつくったんだから,県の人たちだけにしか使えないんだ」というお話がございます。それから,幼稚園と保育所が一緒になって放送教育をやったらいいなというのは,幼稚園は幼稚園,保育所は保育所,これは文部省と厚生省の関係になります。文部省の中でも,教育の方法とか,視聴覚教育関係ですと,社会教育の分野と学校教育の分野があって,そこが担当が違っていて,なかなか協力がうまくいかないというところもあるし,一緒に協力するところもあるし,地域を越えて協力してうまくやっているところもあるわけでございます。指導主事の指導についても,事務所の指導主事が上手に地域を回って指導されている部分もあるし,市町村の指導主事がお持ちのところのほうがうまくいっている場合もあるし,本当にさまざまだという気がしております。 概して小さな町,村のほうが,教育に取り組んで御熱心な場合がある。授業なんかも進んで参観をされますし,何か全国的な先生方の集まりを持とうと思うと,地域の住民がガードレールまで磨いてお客さんを迎えるということもあります。東京なんかそれは絶対ありませんけれども。そういうようなところがあって,小規模のほうは教育委員会というよりも,首長さんが学校と一緒になって先頭に立ってやっておられる。上にいくと,だんだん教育委員会が強くなって,首長さんの力が弱くなるのかなと思うと,必ずしもそうでもなさそうです。ある県ですと,一斉に全県にインターネットをつないじゃうというようなことだって起こってくるわけですから,運用の仕方でいろんなことができちゃうのではないか。 そうすると,今の制度の中で,うまくいっているところ ―どなたかからもお話がありましたけれども,アイデアとか,プランとか,うまくいっているところの情報のデータベースをつくって,学校レベルから都道府県レベルに至るまでのうまくいっている事例と,それを検索できること,それからこれもどなたかおっしゃったけれども,それのコーディネーターとか,コンサルタントというのを,これは文部省でもいいし,都道府県でもいいんですけれども,かなり広域に物を見られる人がコンサルタントで出かけていく。銀行が経営の建て直しに,いい知恵者を送って経営建て直しなんていうことがありますけれども,それがうまくいく場合,うまくいかない場合があるんでしょうけれども,そういう形の役職をして,皆さんが助け合っていけばいい。これは,現実の決まりの範囲の中でうまくいく方法についての勧告とか,お手助けをする種類の議論だと思います。 もう一つ大事なのは,21世紀を迎えて,新しい教育改革をしたいと我々は言っている。そうすると,地域と家庭と学校を連携して,学校5日制の中で新たに生み出されたゆとりの時間の中での地域・家庭・学校の協力体制を持っていく。これは新しい事態でございますから,そういう新しい事態に対応して,今までの運用だけでいけるのか,決まりも変えなければならない点が出てくるのか。決まりを変えて直さなければならない点をギリギリ詰めていただいて,あと運用ならば運用を実際にどうして役に立てるかということで知恵を絞っていけば,現行の中でこうやればうまくいく,こうやればうまくいくよというものの集大成をまとめるということの意義も非常に大きいのではないかと思っております。 ○ これは大変だなとやっと気がつきだしたところとなのですけれども,一つは,自分の区の教育長の名前を知らない,教育委員の名前を知らない。どうしてだろうと考えたんです。私,例えば区の手伝いをいろいろやっているんですけれども,教育,文化という問題について,教育委員会及び教育長というのは非常勤的で,それに対して区の部局の区民文化課とか,男女共生政策室とか,そういったものが非常に活発に動いているときに,教育委員会というのはどうしても地味になるんです。学校の運営と相談というわけで,特に現在,小・中学校に子どもを送っていない親にとっては,無縁になってくるのですね。私はたまたま子どもが30代末で,孫が来年小学校というわけですから,しばらく小・中学校というのは御無沙汰しているんですが,しかしそれだけではないようで,如月委員のお話を聞くと,やはり教育委員会の影が薄いということもある。 そこで教育だけでなくて,文化とか,女性の問題とか,そういう重大な問題に教育長がどんどんかかわるべきではないか。教育委員会もだから,どんどんかかわっていったほうがいいのではないかという,教育委員会の在り方ですね。一つは,地道に従来方式でやるという考えもありますけれども,同時に幅を広げていくというのは,地方分権の中で,地方の中では大きな存在になる必要があるのではないかという気が私はしました。それがいいかどうかはちょっとわかりませんけれども,それが大きな意味で教育の活性化につながるのではないか。 もう一つの点は,私立学校の問題が,ここではあまり出ていない。この「論点整理」を見ますと,どうも公立が視野に入っているような気がするんです。例えば東京の場合,私立学校というのは非常に強力なわけです。むしろ逆に問題点は,親が私立学校に入れたがっていて,公立が寂れてくるという問題があるわけです。そうしますと,私立学校をどうするんだと。私立学校はコントロール ―もちろん今もコントロールされているわけですが,今程度のコントロールでいいのかどうかという問題が,一つ大きな問題として考える必要があるのではないかという気がいたします。 ○ 「心の教育」と「地方行政」とは,根っこのところでは同じだと思うんですけれども,表面的にはかなり違った問題だと思います。 「地方教育行政」をどうするかを議論していますが,結局は学校の現場をいかに活性化させるかということだろうと思います。そこのところが日本の教育にとって一番大切なことだろうと思います。そういうことからいいますと,リーダーといいますか,長といいますか,そういう人のリーダーシップが一番大事なのではないかという気がするんです。大学では,正直申し上げて,学長の権限というのはほとんどありません。いつも私は精神的な象徴だと申し上げているんですけれども,本当に何もないのです。そういうことからすると校長先生も似たようなものではないでしょうか。 私は英国で子どもたちを地方の学校へ入れた経験があります。その経験からしますと,彼らはシステムを非常にうまくつくっている。私の子どもが入った小学校の校長は大変なリーダーシップのある人で,私,本当に感心いたしましたが。これは,一つにはヘッドマスターというものの社会的なステータスが高いということからきているのかもしれません。もう一つ,校長をサポートする仕組みができている。はっきり覚えていないんですが,アドバイザリー・ボードみたいなものが校長のそばにありまして,地域の有力者から構成されていました。しかも,子どもが学校に行っていない人が主体だったように思います。この人たちが,学校をどうするかということをしょっちゅう議論している。 何で私がそういうことを知ったかというと,たまたま昔から知り合いだった人が私の近くに住んでおりまして,かなり大きな事業をやっている人ですが,その人がアドバイザリー・ボードの長をやっていたからです。私は1年しかいない,しかも外国人なんですけれども,「おまえもそこに入れ」と言われたことがあって,イギリスってどういう国だろうと驚いたことを覚えています。もちろん断りましたが,システムとしてうまくできているなという感じがしました。日本でもそういう仕組ができないものかなと思っています。もっとも,もう20年前のことですから,英国も状況が変わっているのかもしれません。 ○ 運用と改革というか,規制緩和。具体的に法律を変えていかなきゃならないのかと。この問題はやはり大きな問題で,運用をうまくすれば済むものはそれでいいと思います。しかし,やっぱり変えなきゃならんものはあると思うんです。それは整理していくべきだろう。 例えば,教育委員の数の問題が先ほどから出ていたと思うんですけれども,人口とあまり関係ないですね。5ないし3と言って,小さいなところは3でもいいよ,本質的には5人だよということであって。例えばもっと大きなところは10人にしてもいいと,そういう規制緩和を必要とするのではないか。 もう一つ,数町村まとめたらどうかというお話がありましたが,これなんかもかなり法律改正を要するのではないか。単に運用では済まないかもしれないと思います。 その次に,長にリーダーシップがないという問題は,予算権と言わなくても,予算編成をするときの中心的な役割を演ずるとか,ある程度の人事において中心的役割を演ずる。そういうことがあって初めてリーダーシップが出るであろう。 イギリスの例が先ほど出ましたが,アメリカの例ですと,ここはまた大問題があるんですが,校長は博士でなきゃならないんだと思うんです。教育学博士かなんかね。そのために非常な権限があって,例えば外国語を2年から教えるか,3年から教えるか。その外国語はスペイン語にするか,ドイツ語にするか,フランス語にするか,こういうことは完全に校長の権限に与えられている。そういうところを今後,果たして日本でもやれるのかどうか。 今までやってきたことでは,「総合的学習の時間」に何をやるか決めるときには,まさに校長先生が主導権を握って決定することができるようになってきたんじゃないか。そういう意味で,相談するブレーンをつくることは大いに賛成ですが,そういうものを使いながらでも,本当にリーダーシップを取れるように,運用だけではなく,体制を整えてあげなければならないだろうと考えているということを申し上げておきます。 ○ いろいろ貴重な,充実した鋭い視点を出し合って考えていただきました。いろいろ伺いながら,日本の教育改革ということにつながっていくような,実りのある成果を出すことができるのではないかと思っておりますので,よろしくお願いしたいと思います。 ○ 進め方の問題で,11月5日から12月17日まで年内にあと5回。現地視察は別にしてなんですが,関係団体のヒアリングをするとか,そういうのはいつごろからするというのが決まっておれば,ちょっと教えていただきたいと思います。 ○ それでは,きょうの審議は以上にさせていただきまして,今後の審議の進め方でございます。この小委員会の今後の審議の進め方についてお諮りしたいと思うんですが,年内の会議日程及び当面の審議の進め方については,前回,御了承いただきました。 まず,10月27日の教育委員会等の現地視察については,資料のとおりでございます。御都合のつく委員,専門委員の方に御参加いただいて,2班編成で,県,政令指定都市,中核市及び町村,具体的には神奈川県と横浜市,宇都宮市及び国分寺町 ―栃木県でございます ―の教育委員会において,職員等との意見交換及び学校,公民館等所管施設の見学等を行っていただくことにしたいと考えております。現在のところ,15人の方に御出席いただけるとの回答をいただいております。御多忙のところお繰り合わせをいただきましてありがとうございます。よろしくお願いしたいと思います。詳細については,追って御連絡いたしますので,よろしくお願いいたします。 なお,これは会議そのものではございませんので,一昨年の学校視察の場合と同様に,報道関係者に対しては公表することにしたいと考えておりますので,よろしくお願いいたします。 次回からの日程については,そこに差し上げてあるとおりでございます。 11月5日の第3回小委員会以降は,論議の焦点を絞りながら討議を行って,必要に応じてヒアリングも実施していきたいと思います。その取り進め方については,具体的に事務局とも相談しながら,私に考えさせていただきたいと思いますし,これに関連してもいろいろ御意見をお寄せいただければありがたいと思っております。 ただ,次回以降の進め方に関連して,きょうのいろんな御論議を伺いながら考えさせていただきたいと思いますが,きょうのところで考えましたのは,中教審の第一次,第二次答申において示された「今後の教育の在り方」を実現していくための教育改革ということを考えてみますと,まず何といっても各学校の創意工夫に基づく多様な取り組みが欠かせないのではないかというふうな御意見では一致していたと思います。このような観点に立って考えますと,国と地方の役割とは何かというような問題から議論をすることも必要かもしれませんけれども,そういった問題から入っていくことになりますと,どうしても抽象論になりやすいということもあろうと思います。 そこで,まずは学校の自主性を確立する。私はこの自主性という言葉に,責任性という言葉を使ったらいいと思います。地域コミュニティーの形成,あるいは地域に開かれた学校ということも考えながらの,学校の自主性と責任性を確立するためには,どのような点を改善すべきか。そのために,学校を支えるための教育委員会はいかにあるべきかといったようなことから検討を始めていって,あわせて市町村と都道府県の関連,そして国との関連,役割はどうあるべきかといった問題について,さかのぼって検討していくというような形で審議を進めていくほうが,議論が地についたものになるのではないかというふうに,きょう,いろいろ御意見を伺いながら考えてまいりました。こういう点も考えながら,次回については,論点を絞ったものをお出しする。それについてヒアリングが必要であれば,それも考えさせていただく。また,そのための資料なども整えさせていただくという形で進めたらばどうだろうかと思っております。 これで,きょうの会議は終了いたします。先ほどお願いしましたように,こんなことを取り上げて,こんなことを考えたらどうかという御意見については,ひとつぜひお聞かせいただきたいと思います。 次回の小委員会は,11月5日,13時から,ここ霞が関東京會舘のロイヤルルーム,34階で開催したいと思いますので,よろしくお願いいたします。 |
(大臣官房政策課)
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