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中央教育審議会

 1999/4 議事録 
初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会 (第8回)議事録 

初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会(第8回)


議    事    録



平成11年4月27日(火)  13:00〜15:00
ホテルフロラシオン青山    1階  ふじの間


1.開    会
2.議    題
  「大学入学者選抜の改善について」及び「その他関連する施策について(中学校と高等学校の接続について等)」ヒアリング及び討議
3.閉    会


出  席  者

委員 専門委員 事務局
鳥居副会長 荒井専門委員 梶野生涯学習官
木村座長 安齋専門委員 辻村初等中等教育局長
河野委員 岡本専門委員 御手洗教育助成局長
坂元委員 小川専門委員 高  総務審議官
田村委員 工藤専門委員 寺脇政策課長
土田委員 小嶋専門委員 その他関係官
永井(多)委員 小谷津専門委員   
松井委員 杉田専門委員   
横山委員 高鳥専門委員   
   永井(順)専門委員   
   橋口専門委員   
   久野専門委員   
   山極専門委員   
   山口専門委員   
   四ツ柳専門委員   


  意見発表者  
    丹  羽  建  夫  氏(学校法人河合塾進学教育本部長)
    坂  井  貞  雄  氏(埼玉県伊奈町立南中学校長)


○木村座長
  それでは、時間になりましたので、中央教育審議会「初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会」、第8回になりますが、第17期としては初めての会議を開かせていただきます。本日は、お忙しい中、御出席を賜りましてありがとうございます。
  4月19日に行われました総会におきまして、引き続き本小委員会の座長を務めることとなりました。よろしくお願い申し上げます。
  本日の予定でございますが、本日は「大学入学者選抜の改善について」及び「その他関連する施策について」  ―これは具体的に申し上げますと「中学と高校の接続について」ということでございますが  ―審議を行う予定でございます。これに関連いたしましてお二方、河合塾進学教育本部長の丹羽健夫様、それから埼玉県伊奈町立南中学校長の坂井貞雄先生から御意見を伺うことになっております。
  それでは、まず配付資料の確認をお願いいたします。
<事務局から説明>

○木村座長
  まず、座長代理についてお諮りをしたいと存じます。第16期同様、坂元先生に座長代理をお願いしたいと思いますが、よろしゅうございましょうか。
  ありがとうございました。
  それでは、小委員会の公開方法についての確認をしたいと存じます。
  4月19日に開催されました第225回総会におきまして、小委員会の公開の方法については、第16期と同様の扱いとするということが決定されました。かいつまんで申し上げますと、
  1点目は、詳細な議事録を匿名にて公開し、会議そのものは非公開とするということ。
  2点目が、会議終了後の座長の記者会見に際しては、座長の責任でその審議の概要を簡潔にまとめた資料を作成・配布するということ。
  3点目、議事録の公開の手順としては、原則として次回会議において事務局案を提示し、次回、会議の欠席委員も含めて確認した上、できるだけ速やかに公開するということでございます。この方針でまいりたいと思いますので、よろしくお願いを申し上げます。
  それでは、早速でございますが、予定をいたしましたヒアリングに入らせていただきます。
  まず、最初は、先ほど御紹介申し上げました丹羽様でございます。丹羽建夫先生は現在、学校法人河合塾進学教育本部長をお務めになられておりまして、その立場から大学入学者選抜に長くかかわってこられております。本日は、「大学入試の試験問題の改善について」と題しまして、25分程度を目安に御発表をいただきたいと存じます。
  それでは、丹羽先生、よろしくお願いいたします。

○丹羽意見発表者
  河合塾の進学教育本部長しております丹羽でございます。よろしくお願いいたします。
  きょう、私のレポート(※1)は、今お話がありましたように、最近の大学入試問題の中身の問題と、もう一つ、大学入試に関しまして私どもから見ておりまして、つまり予備校から見ておりまして、こういう方法もあるのではないか、こういう見方もあるのではないかという、この二つについて報告させていただきます。
  ほぼレジュメに沿って御報告させていただきますけれども、ここにありますように、この四、五年、高等学校の先生と話をしていたり、あるいは予備校の講師と話をしておりますと、「どうも最近の大学入試問題は変だぞ」という話が随分出てまいりました。それで実物などを持ってこられまして、「おまえ、これは変だと思わないか」という出来事がいっぱいございました。
  昨年の7月に、それでは一度、高等学校の先生と予備校の先生が集まりまして、問題を評価してみようではないか。事前の準備がございませんでしたので、全部というわけにはいかない。国公私立の4年制大学で影響力の比較的大きいところ、つまり定員が多かったり志願者が多かったりする影響力の多い大学、これを100校分、各教科ごとに分析いたしました。結果といたしましては、良問ももちろんございました。しかし、悪問が大変多かったのです。良問か悪問かの評価の基準でございますけれども、レジュメの「4.評価の基準」にありますように、まず指導要領を著しく逸脱していないかどうか。
  それから、単に知識を問う問題でなく、その教科の学習を通じて獲得した思考力・知的攻撃力を問う問題か。
  それから、完成度  ―非常識ではないか。変な表現ですけれども、実際非常識な問題もあるんです。それから、複数の出題者が十分な時間をかけて検討しているかどうか。
  それから、入試問題の持つ意味を考えて、大学としてどういう能力を持った人材を必要としているのか、これを十分織り込んだ出題であるのか。ここのところはちょっと議論が多かったところですが、いずれにいたしましても、このような評価基準でもって分析いたしました。先ほども申しましたように、良問も確かにありました。しかしながら、悪問が大変多かった。
  お手元の参考資料のところに、良問、悪問を載せてございます。資料の9枚目のところを御覧いただきたいと思います。良問、悪問ございますけれども、これが高校、予備校の先生が評価した良問である、あるいは悪問である。これがついておりますので、また後ほど御覧いただきたいと思いますけれども、重立ったもの、特に悪問に絞って  ―良問は御覧いただければわかると思いますので、悪問に絞って見てまいりますと、まず資料の9枚目の問題です。
  時間がありませんので、これを全部読んで解いてくれという注文はいたしません。資料の11枚目を御覧ください。資料の11枚目のところはこの問題に対する解答です。試験が終わりますと、御承知のように、出版社などが解答を出します。この解答を御覧いただきますと、各社の解答というところですが、1番の問題については、例として答えを書いておりますから、それは飛びます。2番のところで、A社の解答は選択肢「2」番目、B社が「3」番目。3番のところでは、A社が「4」、B社が「3」。4番も違っています。5番、6番、7番は合っていまして、8番がまた違っています。それから、9番が合っていまして、その次が違っております。
  つまり、はっきりした解答が出ないという問題です。これに私共の解答を入れますと、めちゃくちゃなことになりまして、要するにちゃんと考えて問題をつくっているのか。こういう問題は、生徒が試験を受けに行って大変苦しむんです。帰ってきて、「あっちのほうにマークしてしまったけれども、よかったんだろうかどうか」思い悩む問題でございます。
  それから、英語が続きます。資料の12枚目でございます。これも読んでいただくということではございません。資料の12枚目〜16枚目までございます。要するに、120分の時間で大量な問題が二つ出ております。高等学校の先生方はほとんどの人が、単語を見ましても、量的に見ましても、指導要領をはるかに超えた問題ではないかということで、一応悪問となっております。しかしながら、これは議論が大変ございました。この大学が飛びっきり英語の能力にたけている生徒を必要とするならば、指導要領もへったくれもないではないかというところで、随分議論を呼んだ問題でございます。同様の問題が数学にもたくさん出ております。指導要領を飛び越えた問題で、悪問とされたけれども、やはり議論がありました。ここでは一応悪問となっておりますけれども、そういう前提を踏まえての話でございます。
  少し飛びまして、数学のところがありますけれども、これは数学の得意な方はやってみてくださいませ。申しわけないんですけれども、私は説明する資格があまりないので、飛ばさせていただきます。
  資料の24枚目のところから、日本史に入ります。資料の24枚目は良問とされているものでございます。これも御覧くださいませ。
  資料の25枚目も日本史の問題で、高等学校の先生、予備校の先生方が悪問とした問題です。これは1から5の人名を就任の年代順に並べ、古いほうから2番と4番に当たるものを選べ。「大蔵卿または大蔵大臣」云々というのがあります。下のほうには「陸軍卿または陸軍大臣」「海軍卿または海軍大臣」。今の子たちがこういうことを知らなければならないのかというところで、要するに知識だけの問題であるということで、悪問とされております。
  次の資料の26枚目でございますけれども、これも日本史の問題でございますが、数字に形容された名辞を名数という。これは物は付けみたいなものですね。「三」から始まりまして、「三介」。次の「四」は「四大師」、それから「五」のところで「五大改革指令」、それから「南都六宗」、「七卿の都落ち」、こんなふうに、要するに物は付け的に名数を追っかけております。これもひどく高等学校の先生方は怒っておられました。資料の28枚目のところにありますが、これは歴史学とも高校日本史の教育内容とも異質の、何やら「歴史マニア」「歴史カルト」的な異様な感じを受ける出題である。ちなみに、この大学の出題者の方はたぶん長年同じ方だろうと思います。前にも同様のものが出ております。
  それから、資料の29枚目にまいりまして世界史でございますが、これは高校、予備校の先生方が良問として選んだ問題です。第一次大戦と第二次大戦の死者がめちゃくちゃ多くなっている。中でも市民の数のほうが兵士の死者よりも多い。この数字を見て、いささか書けという問題です。
  資料の30枚目のところでございますが、世界史の悪問です。問題は、「下記の五つの引用文(  I  〜  V  )を読み、それぞれに付されている設問(1〜6)については……その記号をマークしなさい。」。まず出てきます引用文でございますけれども、「王よ、あなたは一つの大いなる像が、あなたの前に立っているのを見られました。その像は大きく、非常に光輝いて、」云々。設問といたしまして、「この文章は旧約聖書からの引用であるが、これはその中のどの書に記されているのか。」、下の語群から選べというやつです。
  2番が、「ひとりの御使いが、底知れぬ所の鍵と大きな鎖とを手にもって天から降りてきた。」云々。「設問3  この文章は新約聖書からの引用であるが、これはその中のどの書に記されているのか。」、下の語群から選べ。解答は「旧約」の「ダニエル書」だそうです。それから、「新約」の「ヨハネ黙示録」だそうです。もちろん、聖書というのは人類の貴重な文化遺産であります。しかしながら、世界史を勉強したら必ずきっちり聖書を読めという指導要領は聞いたことがございません。
  次に資料の49枚目でございます。これは地理の問題です。途中でかぎ括弧をつけてあります。この問題は、「私は昨年の夏休みの終りに15日間アメリカ旅行をした。」、サンフランシスコへ行って、ニューヨークへ着いたところです。「空港からタクシーで、予約しておいたホテルへ向った。」、この空港の名前を言えというんです。それから、「セントラルパークに面した由緒あるホテルだった。ニューヨークでは地下鉄以外の乗物には乗らず、出来るだけ歩いてニューヨークを楽しむことにしていたので、ホテル着後早速夕暮近い町へ出て、近くのロックフェラー・センター、何々、ネオンの輝きだしたブロード・ウェイを散策した。」、何か広場なんですね。「翌朝、銀行に勤める友人に会うため、マンハッタンを南に下り、金融街へ行き、」、ウォール街なんでしょうね。「その友人にニューヨーク証券取引所を案内してもらった。3日目は朝からセントラルパークにある美術館へ行き、」、これを選択しろというわけです。「ゆっくりと絵画を楽しんだ。いろいろな所を見物したが、メジャー・リーグの野球も見た。地元チームの何々に対する熱狂的声援には驚かされた。」。これはやっぱりニューヨークの地元チームの名前を知っていないと、地理ではいい点が取れないということです。
  ずうっとあと読んでいただきますと、頭のほうもそうですが、これが地理の問題であるのかということです。これを御覧いただいて、非常に特殊であろうと思われるかもしれません。しかしながら、こういう例を出せと言いますと、幾らでも出せます。最近、特に地理では旅行記みたいなものが多いです。人間だれしも海外旅行をすると、人にいろいろ吹聴したくなるものですけれども、この人は吹聴する相手がいなくて、受験生に向かって吹聴したのかもしれません。
  資料の43枚目のところで、どんな設問が出ているかというと、「傍線部B『彼が、何を証明したいのか』とあるが、ここで『彼』が明らかにしたかったのは、どのようなことと考えられるか。本文全体の内容をふまえて、最も適当なものを、次の(1)〜(5)のうちから一つ選べ。解答番号は16。」、こんなふうに問題が出されます。
  申し上げたいのは、帰ってきた受験生がみんな泣いておりましたということです。私もやってみました。結果としてはできませんでした。資料の50枚目を御覧いただきたいと思います。今の解答番号「16」番の正答率がどうかということです。先ほど御覧いただきましたように、選択肢が「(1)」番から「(5)」番までございます。正答とされたものは、「(2)」番のところにアスタリスクがついておりますが、これが正答です。この受験者は7,000名でしたかね。私ども独自で調査したものです。成績上位者、中位者、下位者と分けてチェックしております。成績上位者は設問番号「16」番では、27.7%が正解であった。中位者は20%、下位者は19%。
  「(1)」番のところ、正解でないところを見ていきますと、正解よりも多いパーセンテージで生徒はマークしております。つまり、これは問題をやってみても、どうにもこの正解は出てきようがないという問題です。
  それから、「17」番は正解が「(1)」番です。これも正答率が低いです。特に成績中位者のところでは、正解マーク率が「(2)」番のマーク率と逆転しております。
  それから、「19」番でも正答率は、成績上位者で25%と大変低いです。
  これは「国語  I  ・  II  」の問題で、例えば漢字を書けとか、読みをさせる問題でしたらどうってことはないんですけれども、内容について考えさせて、マークしろと。これは生徒はうんと時間をかけるわけです。ここで時間を大変失ってしまったという生徒が多いです。
  これは問題を御覧いただきますと明らかですけれども、だれが見てもおかしい。これがつまり、問題を検討する段階で、たぶん多数の人たちが検討しているんでしょうけれども、変だなと思いながら通り過ぎてしまったという感じです。だれもがおかしいと思う、そのことをはっきり言って、50万人の生徒が受けるんだから、それだけの責任があるぞ、そういう気概で問題がつくられたのかどうかという意味での悪問であります。
  以上、ざっと良問、悪問ございますけれども、実態は一応こうであるというお話をいたしました。
  資料の3枚目のところに戻っていただきまして、これは全国となっておりますけれども、1,500人近い高等学校の先生方に対するアンケートの集計結果です。資料の3枚目は、今の大学入試問題に問題点があるか否かについて問うております。大学入試センター試験につきましては、トータルで「改善を要する」が73.8%、「改善の必要なし」が26.2%。国立大学の2次試験に関しては「改善を要する」が69.3%、それから私立大学の入試に関しましては80.7%が「改善を要する」としております。
  その後のところで、どんな点で改善を要するか等が出ております。要するに、「考える力を試していない」とか、「高等学校の学習指導要領を逸脱している」とか、いろいろ理由があります。これだけの先生方が改善を要するというふうに考えている。
  ただし、これは数字が少しオーバーであるということをお含みください。と申しますのは、この大学入試問題の中身についてレポートをしたその会場でアンケートを取ったわけです。ですから、悪問を見せつけられて、改善の余地がないとはなかなか言いにくいわけです。そういう意味では、これが実態だと言うには私ども気がとがめるところがありますので、むしろ量的な問題よりも質的な問題としてとらえていただきたいと思います。
  何でこういう悪問が出てきたのか。資料の1枚目にもございますけれども、教養部がなくなった。昔は教養部が入試問題を担当しておった。それで学部の専門家に、例えば「あなた、領域はちょっと違うけれども、日本史の問題をつくってくれ」と。これは問題を見ていると、ものすごくよくわかります。そういうことが一つ。
  それから、私立大学が大変複雑な入試の様相を呈し始めました。日程にいたしましても、この日にちが都合が悪ければ、ここでも試験をやりますから、どうぞお受けください。それから、地方試験会場などは、一番多い大学では48会場つくっております。同一日であるならばよろしいんですけれども、職員さんの数の関係等もありまして、幾つかつくらなければならない。そうこうしているうちに、英語で申しますと、試験問題をつくっている大学で一番多いところは、一つの試験期に20本もつくらなければならないということになっております。要するに、粗製乱造になってくるということなんでしょうね。
  それから、それとも絡みますけれども、お手元の資料の48枚目のところですが、それだけ試験がたくさんあると、要するにマークシート式は便利であるということで、私立大学はどんどんマークシート式に走っておる。ここにありますように、英語と現代文の例ですけれども、ほとんど客観式になってしまっている。これがいろいろな問題を投げかけているということであります。
  以上が、入試問題の中身のところについてのレポートでございますけれども、最後に、ペーパーテストというのはいろんな意味で限界がありますけれども、ペーパーテストを行うがゆえに、はみ出してしまっている人々がいるぞという話です。
  資料の5枚目の左のほうから説明していきますと、予備校というところは多種多様な生徒がおりまして、例えば学校といいますと、高等学校の場合ですと勉強のよくできる生徒を主に抱える高等学校、それからそうでない高等学校等、学力別で割合固まっています。ところが、予備校の場合は、ものすごくよくできる子、それからできない子、雑多でございます。現役の子もいます。それをずうっと見てきてだんだんわかってきたんです。講師と話をしておりますと、だんだん学習形態みたいなものがわかってきた。
  どういうことかといいますと、比較的勉強のよくできる子の多い、例えば東大クラス、京大クラス、医進コースですね。この人たちの学習形態は、どっちかというと理解型である。これは、どちらかというとです。それから、勉強のできない子の学習形態というのは、どちらかというと納得型である。
  どういう違いかというと、理解型の場合は、先生の言うことはとにかく正しいという前提で吸収していく。それから、今おれたちが習っているものは人間のつくった教科だから、必ず整合性がある。今、答えがわからなくても、横へちょっと置いておけば、いつか答えが見えてくるであろうと。この子たちはどの教科も平均的に成績がいいです。
  一方で、納得型というのはどういうのかといいますと、大変疑問をよく持ちます。細かいことでも、「これ、何だ」って聞きます。それがわからないと先へ進めないという性質があります。そのかわり納得すると猛然と走り出すという性質もあります。教科間の成績の波が多い。
  もう一つわかってきたことは、例えば理解型の子たちは、先生が問題を出します。その問題にミスがあったとしても、たぶん先生はこういうふうに問題をつくりたかったんだろう。それで答えをつくります。ところが、納得型の子は、問題ミスがあると、先生のほうへ言って「これ違ってるじゃないか」と。あるいは、これも実際にあった話で、小学校でのことですけれども、「『遠(とお)い』の反対を書きなさい」。先生は「近い」という解答を要求したんでしょうね。ところが、「とおい」の反対、「いおと」じゃないかといって、「いおと」と書いた子がいる。間違いだと言われて、先生のところへ激しく食いついていった。納得型の子というのは、疑問を持つと、それを納得するまでなかなか先へ進めない。
  先生の目から見てどちらの子がかわいいかといえば、あるいは扱いやすいかといえば、先生も大変ですから、それは理解型の子のほうが楽です。自然、理解型の子のほうに目がいく。理解型の子はうれしいですから、ますます勉強する。逆の現象が納得型で起こっている。
  つまり、予備校でてっぺんからうんと勉強のできない子までずっと見ていくと、そういうことがだんだん見えてきました。だけど、納得型の子は、納得すると本当にすごいです。この例は、きょうは時間がありませんので出しませんけれども、むしろ天才的なやつがいます。恐らく日本の近代化を支えてきた、追いつき追い越せの時代を支えてきたのは、理解型の子だろうと思います。ですけど、一応いろんなフィールドで頂点に立ったときに、独自性が必要になってくるとなると、これは納得型を、今、必死になって見つけていかなければいけない。そういう子も大学へ吸収しなければいけないのではないか。こういう思いが予備校におると強くしております。
  誤解のないように申し上げておきますと、できるやつは全部理解型かというと、そういうことではありません。できる子にも納得型がいて、いい仕事をしています。それから、逆も言えるわけでございます。
  以上でレポートを終わらせていただきます。

○木村座長
  ありがとうございました。
  それでは、20分ほど御質疑等をお願いしたいと思いますが、どなたからでもいかがでございましょうか。

○  今の資料の5枚目の、「納得型」の下の「コスモ」と何とかというのがありますが、それをちょっと説明してください。

○丹羽意見発表者
  「コスモ」というのは、私どもは「大検コース」のことを「コスモコース」と読んでおります。そういう意味です。それから、「ベーシックコース」というのは、これは自慢じゃないけれども、おれは今は勉強できない。高等学校の3年間は思い切り遊んできた。だけど、これから1年間頑張って、来年大学へ入るぞ、そういう決意のあるやつは来いといって、試験をやります。勉強のよくできる子は全部落とします。逆選抜のクラスです。という意味です。

○  現場の先生方からアンケートお集めになったわけですけれども、このときの先生方というのは進路指導かなんかの方、それとも教科の専門家。

○丹羽意見発表者
  進路指導の先生も若干おられますけれども、その都度テーマを設けて参加を呼びかけております。ですから、この場合は大学入試問題の研究会でございましたので……

○  そうすると、教科に詳しい先生方ということですね。

○丹羽意見発表者
    はい、そうです。

○  年齢的にはどんな感じですか。バラバラですか。

○丹羽意見発表者
    年齢的にはバラバラですね。

○  複数回そういう催しがあって、それをトータルにまとめたということですか。

○丹羽意見発表者
    これは地域的に複数回です。つまり、1ヵ所では入り切れないので。

○  そうすると、全国にわたって。

○丹羽意見発表者
    はい。

○  資料の1枚目の下の御提案のところでございますが、大変いい御提案をいただいていると思いますが、下の二つでございますね。「ペーパーテストによる思考力重視型テストの工夫−新テスト」、それから「ペーパーテストの限界。理解型学習人間・納得型学習人間。あるべき推薦」、これを測るペーパーテストですね。そういう可能性とか、このようなたぐいのものだと新テストになるとか、納得型の学習人間を測れるというようなお考えがございましたらお聞かせいただきたい。
  それから、今度「生きる力」をもとにした指導要領の改訂が出てまります。「生きる力」を測るペーパーテストの可能性について、御意見を伺わせてください。

○丹羽意見発表者
    まず資料の1枚目の「6.提案」のところで、三つ目の「ペーパーテストによる思考力重視型テストの工夫―新テスト」とありますけれども、これは時間がなくて説明できなかったんですが、私どもで講師の衆知を集めまして、実は予備校の側から見ていて、入ってくる生徒が年々音を立てて正解引き出し型といいますか、要するに正解は何だと。途中のプロセスとか、その教科の本質とか、そういうものをどんどん失ってしまって、結果だけを求める。ですから、知識はよく知っている。単語も割合よく知っている。だけど、その教科がねらいとしている思考力の点ではボンボン落ちている。
  予備校ですから、大学に合格させなければなりません。いつも生徒に対して今欠けているものは何だと目を見張っていて、そこを補っていくわけです。そういう観点から、思考力をもっと伸ばすテストはないのかということで、新テストをつくりました。
  いろんな工夫がありまして、どんなものかといいますと、例えば数学でいいますと、こんな工夫があります。思考力を試すというところでは、例題を出します。その解答をずうっと書いていきます。それをまず読ませる。次に、同じような類題を出して、この例題を見て解いてごらん。その例題というのは、生徒がまだ習ったことがないものです。
  これはセレクトするテストではないのですけれども、こういう工夫もあります。マークシート式の部分もあります。選択肢が仮に五つある。教師というのは、必ず正解のほかに、正解すれすれの選択肢をつくります。生徒がそこへ落ち込むと、ニタッと笑ってうれしがるわけです。だけど、それは変ではないか。せっかく正解のギリギリのところまでアプローチしたんだから、それにも点をやるべきではないか。これはセレクトのテストではありませんので、点をやると生徒は喜んで、何で間違えたかを考えるという仕掛けのテストです。
  いま一つ、国語の問題ですけれども、国語というのは日本語によるコミュニケーションの手段である。文字だろうと言葉だろうと、いずれにしても日本語によるコミュニケーションの手段である。だから、日本語が使われるすべての領域に関しての素材がなければならない。しかしながら、日本の国語というのは大変変で、大学入試センター試験に代表されますように、現代国語といいますと、文芸的なもの、評論的なものに決まっている。これはごく一部ではないか。大学入試から離れてちゃんとした言葉の勉強をしてもらおう。そのために、新テストでは、例えば取扱説明書とか、理科的なものも入っていれば、いろんな領域の問題を入れましょうということになっております。そういう意味で、生徒をスクリーニングするテストとは違いますけれども、工夫すればペーパーテストというのはまだまだいろんなことがやれますよという意味です。もし必要でしたら、この新テストは後ほどお届けさせていただきたいと思います。
  その下の「ペーパーテストの限界。理解型学習人間・納得型学習人間。あるべき推薦」ということがあります。ペーパーテストで納得型人間が探せるかといいいますと、私は探せないと思います。例えば、スクリーニングにかけるという問題が一つありますけれども、私どもでこういう例があります。1991年、大学入試が一番難しくなったときに、浪人してもバカバカ落ちていきました。18校受けたけど、全部落ちたとか、それは大変つらかったわけです。だから、臨時定員増などをお願いしたときです。
  そのときに、日本の大学でだめならば、アメリカの大学へ送ろう。先ほど申しましたように、言ってみるならば納得型というのは日本の教育の中でうまくいかなかった子たちです。その説明をアメリカの大学にしまして、400の大学に手紙を出して引き受けてくれるところはないか、個性を引っ張り出してくれるところはないか。手を挙げてもらって、いきさつはありますけれども、一つのところに決めました。その大学は、受け入れましょう、成績が悪い子たちだそうですから、試験はやりません。だけど、ちゃんとした指導をしてみせますと。試験はやらないかわりに、一つ条件がある。それはパワーを持った子、意欲を持った子を送ってください。テストはしません。おたくの予備校を信じてやります。これは紳士協定です。もし成績も悪いわ、全然意欲もないわ、そういう子が来たら、この契約はおしまいです。そういう紳士協定です。
  そのときに我々は考えてしまって、パワーがある、意欲があるというのはどういう子か。バリアを設けなければならない。そのバリアの一つは、日本の大学を全滅してアメリカへ行くまでに、アメリカは9月に始まりますから、少し時間があります。3ヵ月間を区切って、その間にできるだけ体を使ったアルバイトをやれ、それで渡航費の30万円を稼げ。これが第1のバリアです。女性は大変だったですね、もうギリギリで。後で聞いた話ですけれども、本当に朝から晩までくたくたになって。男性のほうで一番稼いだやつは、3ヵ月間で108万円稼ぎました。彼は何をやったかというと、道路の線引きです。炎天下で線を引くのは大変ですけれども、彼は嫌とも思わずに線引きをやりまして、108万円稼ぎました。その会社から「おまえ、アメリカなんかやめて、ここで働け」とか、沖縄旅行へも連れていってもらったりしてグラグラしてましたけれども。それが第1のバリアです。第1のバリアでかなりの子が落ちました。
  第2のバリアは、山奥の農園へ連れていきまして、1週間そこで農作業をさせたり、豚小屋の掃除をさせたりします。
  こういったところで彼らのパワーを見て、それを一つのスクリーニングにしました。こんな方法もあると思います。納得型人間でパワーがあるかどうかというのは。ちょっとずれたかもしれませんけれども、納得型人間というのは、いずれにしてもいろいろ注目していかなければならんと思います。
  ペーパーテストでは測れないと申しましたけれども、教室で常日ごろ生徒を見ておりますと、先ほどのアメリカの大学へ送ったのも、最初の選び方は講師が選びました。あいつはパワーがありそうだけれども、勉強ができない。これは講師がみんな知っているわけです。私どもの予備校の場合、生徒と講師の間が大変近いので、講師に「あなた、納得型のやつを二、三人出してくれ」と言えば、これはパッと出します。要するにペーパーテストではなかなかつかみにくい。常日頃つき合っているとよくわかるということです。で、よろしかったでしょうか。

○  お話を大変おもしろく伺いまして、特に予備校の先生方の教え方が大学や短期大学の先生に比べてうまいということはかねて聞いておりました。ただ、それには理由があって、予備校の場合には、合格という目標がすぐ間近にある、よほど教え方をうまくしないとみんなを引っ張っていけないということがある。それに比べて、大学、短期大学の側では、今までは入学試験をしましたために、あるレベルでそろっていました。教え方がある意味では比較的容易だったわけですけれども、それが最近になってまいりますと、大学、短期大学に高校生が入りやすくなったために、多様な学生が入学してきますので、教え方を一層これから気をつけなければならないと言われているわけでございます。
  逆に予備校の側の教え方と申しますか、予備校生の内容について、こういう時代になってまいりますと何か変化があるのかどうか。例えば、できる子とできない子の割合がどうなってきたのか、あるいは納得型と理解型の生徒の割合といいますか、そういうものに変化が起きつつあるものでございましょうか。その辺をお教えいただければ大変ありがたいと思いました。

○丹羽意見発表者
  一昨年の春でございましたけれども、先生方が新しく来た生徒を迎えて、教室から帰ってくるわけです。みんなものすごく消耗しておりました。一昨年です。講義の途中でフラッと立ってどっかへ行っちゃうとか、私語がやたらに多かったり、急に廊下で座り出すとか、遅刻なんかしてきても何の罪の意識もなく、前の扉から友達に「ヤーッ」とか言って入ってくる。それまでももちろん少しずつつありましたけれども、一挙におととしの春、吹き出しました。もちろん、うちの予備校の講師はほとんどの教室でどなったんです、「帰れ」とか。そしたら、次の日、生徒がものすごく少なくなっちゃいましてね。〈これはまずい〉というので、もう一度仕切り直しをしまして、説明したんです。
  遅刻してきたときの作法を教えて、ごめん、ごめんというように、ちょっと手を前に出して、後ろの扉から小さくなって入れと言ったんです。何で遅刻するとそうしなきゃいけないかというと、先生のパワーというのはやはり落ちる、気が散る。みんなせっかく授業を受けにきているのに、あなた一人で壊したらだめでしょうと、当たり前の話を一所懸命説明するわけです。そうしたら次のときから、遅刻したらこうやって、申しわけなさそうに入ってくる。理由をちゃんと言うと、あれ変な話ですけれども、コロッとわかっちゃうんです。何でこんなことを知らなかったのか。だけど、これは丹念に言っていくと、言うことをちゃんと聞いてくれます。変わり方の第1点として、その辺が一昨年の春、劇的に変わりました。
  それから、勉強時間云々とかは、私ども毎年データを取っておりますけれども、あまり変わっておりません。ただし、春、夏、秋、冬、入試の直前、これが以前のデータを調べてみますとコンスタントであったんです。最後のほうになると、少ししり上がりになる。これが春のところではほとんど勉強しなくて、最後のところで急激に上がってくるというふうに変わりました。今お話しできるのは大体そんなところでございますが、よろしゅうございますか。

○  御質問させていただきます。私どもの研究所でも、国立・私立の中学校の入試問題の分析をしておりまして、ねらいは学習指導要領の範囲を逸脱した問題があるかないかというチェックをしております。きょうお伺いしたようなことと同じような問題がございまして、やはり決まった学校が繰り返し難問を出すわけです。中学校入試に高等学校入試程度の問題が出てくるということでございます。先ほどおっしゃいましたように、入試の機会が増えているとか、採点の期間が短いとか、入試問題の作問体制が弱いとか、いろいろな事情が考えられると思います。恐らく大学の中で作問をされたチームに対して、その問題についての評価の情報が届いていないということが一つあるのではないかと思います。そこら辺のことで何か御存じのことがあったら教えていただきたいと思います。

○丹羽意見発表者
  つくられた問題に対する評価がちゃんとしていない……。

○  問題自体について、いろいろなところで評価はある程度はされていると思うんです。この大学のこの教科の問題は、今年はこういう難問が出たとか、予備校さんのほうでもいろんな情報を分析しておられますから。そういう情報が、作問された先生でもいいんですけれども……

○丹羽意見発表者
  届いていないと思います。

○  目に触れていないのではないか。振り返って評価する機会がないのではないかと思いますけれども。

○丹羽意見発表者
  はい。私どもここにも書きましたように、できるだけ大学さんに、正解答、それからできれば正答率等を出していただきたい。国立大学といえども出していただきたい。これは何らかの形でお願いするつもりです。
  それから、去年、ああいう形で大学入試問題評価をやりましたけれども、さらに続けてやっていきたいと思います。多くの高等学校の先生方は、ベストテン、ワーストテンを大きく公表しろとかいう話もありますけれども、それはいろいろ問題がありましょうけれども、少なくとも入試問題の評価をして、去年の場合、冊子に一応まとめたんですが、今年もまとめてお配りしたいと思います。
  それから、もっと大きな問題は、先ほど英語の長文の問題がありました。恐らくこれは大学側の意図があるんであろう。指導要領をはるかに超しているけれども、大学側の意図があるんであろう。であるならば、大学側はそれを表明すべきではないか。したがって、単に高等学校の先生と予備校だけではなくて、大学の先生方も入った形での「大学入試問題とは何ぞや」あるいは「どうあるべきか」というディスカッションの場があるべきではないか。これも提案したいと思います。よろしいですか。

○  提案の一番最後の点について、提案の意図を理解したいと思います。「理解型学習人間」と「納得型学習人間」ということで対比されたわけです。確かに直観的にはそういうふうな対比はわからないでもない。この子どもはこちらのタイプに属する、この子どもはこうだということを理解するのは、学習指導の上では非常に意味があると思うのです。つまり、共通の目標に到達するとしても、「理解型の学習者にはこのような指導法が適切である」、「納得型にはこのようなものが適切であろう」と。これはよくわかるのです。
  しかし、今ここでは、主として大学入試ということでおっしゃっているわけで、入試でそのようなスタイルを分けて考えるということにどのような意味があるのか。普通の試験問題、従来型のペーパーテストでしますと、こちらが有利である、こちらは不利であるということは十分わかるのですけれども、御提案の意味をよく理解したいと思いますので、よろしくお願いします。

○丹羽意見発表者
  今までの大学入試問題というのは、どちらかというと理解型の学生にとって比較的有利な問題が多かったのではないか、あるいは納得型の子どもたちを採るというのはペーパーテストでは無理であったかもしれない。だけど、日本の若者の人材について考えていくと、ペーパーテストの限界ではあるかもしれないけれども、こちらの能力を持った人間はペーパーテストだから採れるけれども、こちらの能力を持った人間はなかなか採りにくい、そういう構図が今あるのではないか。そのことこそが接続の問題としては大変大きな問題なのではないか。
  しかも、今、ペーパーテストにひっかかりにくい子どもたちというのは、これからの日本にとってものすごく重要な能力なのではないか。それを採る工夫を接続の問題としてはしなければいけないのではないか。しかしながら、それはペーパーテストではなかなか採りにくい。最後に「あるべき推薦」と書いておきましたけれども、そういう意味でございます。やっぱり推薦入学に一工夫すべきではないかという意味でございます。よろしゅうございますか。

○  そこで非常に大事にされている納得型というのは、結局、アシミレーション(同化)型で、自分で非常にこだわって、こなそう、こなそうと考えるのではないかと思うのです。これは学習のスタイルというよりも、態度みたいなものと考えますので、認知的にどのように情報処理するかということよりも、そこに態度が関与している。その態度で細かいことにこだわって、どうしてもそれを消化しないと次へ進めないというのは、結局もう少し上から見ると、メタ認知、つまり、自分の課題解決過程を上部でモニターしながら、このときにはこれが適切である、このときにはこれは不適切であるという切り換えがうまいことできない人のような気がします。
  ですから、こういうスタイルがあるんだということも大事ですけれども、そういうスタイルの人をより適合的にするために、どのような課題解決法をとったらいいかという、課題解決法自体を変えていくということもあり得るのではないか。すっかり変えろというのではなくて、こういう状況ではこういうやり方をとります、この状況ではこういう仕方でやります。課題解決状況、それから自分の特徴の両方をよく知って、それを自己モニターしながらやっていくというのが、やはり今後とも大事なことではないか。

○丹羽意見発表者
  それは大事でしょうね。

○  ですから、こういうスタイルの学習者があるので、これはペーパーテストにひっかからないのだと言うよりも、そのスタイルの中身を知って、それを場合によったら変えたり、あるいは課題状況に応じて切り換えられる融通性のあるものにしていくというようなことですね。

○丹羽意見発表者
  今おっしゃっておられることは、自分を相対化できない、あるいは客観化できない、対象化できない子がこれではないかとおっしゃっておられるように聞こえますが……

○  自分の課題解決過程を一つ上のモニターから見ながら、自分はこういうふうにやったらやれるという……。

○丹羽意見発表者
  つまり、対象化あるいは相対化に近いと思います。それではございません。

○  ちょっと私は違うことを言っているんです。

○丹羽意見発表者
  その辺のディテールになりますと、現場の例とか、いろいろ出す必要があると思いますので。ただ、これは行動の領域と申しますか、態度にも当然関係するわけです。ですけど、これはとても誤解を受けやすい話ですけど、同じ学力レベルでも理解型の子と納得型の子としゃべっていますと、理解型の子のほうがつき合っていてはるかに気持ちがいいケースが多いです。そうでないケースは、なかなか難しいですね。そういうことはあります。
  ですけど、恐らくそこのところですごく疎外されたものがあったのではないかという思いがしております。もちろん、私はそのことでセンチメンタルになっているつもりは全然ございませんし、能力の問題として、割合発想が豊か、あるいはここに「知的攻撃力」と書きましたけれども、こういうパワーは納得型の子がすごく秘めておるよと、そのことを申し上げたかったわけです。

○木村座長
  それでは、だいぶ時間も過ぎましたので、次に移りたいと思います。丹羽先生、ありがとうございました。

○丹羽意見発表者
    どうもありがとうございました。

○木村座長
  それでは、引き続きまして坂井貞雄先生にお願いいたします。坂井先生は、先ほど申し上げましたように、現在、埼玉県伊奈町立南中学校の校長をお務めでございます。これまで昭和63年から平成元年にかけまして、文部省の「進路指導に関する総合的実態調査」の研究協力者をお務めになりましたほか、平成10年度の埼玉県進路指導リーフレット作成委員長もお務めになっておられます。中学、高校の接続の問題に関して大変優れた専門的な知見をお持ちと伺っております。本日は、「中学と高校の接続について」25分ほどお話をいただき、その後、質疑応答をお願いしたいと思います。
  それでは、坂井先生、よろしくお願いいたします。

○坂井意見発表者
  ただいま御紹介いただきました埼玉県伊奈町立南中学校の坂井でございます。どうぞよろしくお願いいたします。(※2)
  それでは、「中学校と高等学校の接続について」意見を述べさせていただきます。
  まず、中学校教育の役割と課題について申し上げます。中学校教育は義務教育の最終段階としまして、小学校における教育の目標を踏まえながら、基礎的・基本的な内容を確実に習得できるよう指導の徹底を図る、そんな役割を担っております。中学校においては、生徒一人一人が自分の個性を発見し、そして伸ばすことができる指導を展開することが重要であります。新しい学習指導要領では、教育内容が基礎的・基本的なことに厳選され、しかもゆとりをもって確実な定着を図ることとされました。個性を生かす教育を充実させるために、学習の選択幅が拡大され、「総合的な学習の時間」が創設されたことは積極的に評価できることであります。この趣旨の実現については、校長のリーダーシップの下に、所属教職員の創意工夫を生かして、学校の教育目標や重点目標などと関連させながら、一丸となって取り組んでいく必要性を痛感しております。
  21世紀前半の日本の社会を担う現在の中学生にいわゆる生きる力をはぐくむためには、変化に対応する教師の意識改革も不可欠であります。教員の高齢化が問われておりますけれども、教師は生徒の主体的な学習活動を促すことができる学習過程や指導方法の工夫改善を行うとともに、学習に対する評価の在り方について工夫をして、生徒が目的意識を高めて、自己実現を図れるよう支援していかなければならないと、こんなふうに考えております。
  生徒たちが学校生活を通して、人と人とのきずなを築いて、自他のよさを発見し合い、違いのある者同士が共に生きるという人間尊重の精神を醸成することも大切なことであります。集団生活を通して、生徒一人一人にお互いが周囲に生かされている、こういうふうな自覚を持たせることが必要だと考えております。
  さて、生徒の実態はといいますと、言われておりますように、自然との触れ合いや異年齢集団との交流などの直接体験が少なくて、忍耐力不足とか、自制心の欠如が見られる、あるいは他律的というような精神的な脆弱化が見られる、こんなふうにとらえております。少子化傾向が進んで、生徒によってはなかなか仲間意識をうまくはぐくめないで、規範意識が低下している現状もあります。そこで、道徳的な心情を育成したり、集団の一員としての在り方を学ぶなど、正しい価値観を育てて、心の教育を充実させる必要があると考えております。その第一歩は生徒を知ること、生徒理解から出発すると考えます。
  私は今年度、全校生徒との面談を実施する予定であります。本校生徒は今年度、現在350名ですけれども、恐らく生徒は限られた時間内ではありますが、様々な表情をのぞかせ、きらきらした表情で、夢とか、希望を語ってくれるものと期待しているところであります。その面接を通して、親とか、地域の考え方、在り方などもうかがい知ることができるだろう。そして、教員との会話の中にも、生徒に関する共通の話題が生まれて、子どもたちの健全育成に役立つはずだという見通しを持っております。
  次に、中学校と小学校との連携についてでありますけれども、本校では吹奏楽部が学区内の小学校で演奏会を開催しております。3月の中旬には、本校に入学してくる小学校6年生を対象にした体験入学を実施し、本校1年生との交流会を持つとともに、1年生の授業を公開しております。この3月に行ったんですけれども、小学校6年生が輝いた目で授業を見詰めている姿が印象的でありました。その場で、終了後、小学生の質問に答えるなどの場も設定しまして、小学校・中学校の教員同士が意見交換をしながら、小学校教育と中学校教育との相互理解を深めております。さらに、小学校及び中学校を会場として、地域の区長さんとの懇談会を行いまして、学校教育への理解と協力をお願いしているところであります。
  学校週5日制の完全実施も間近になりまして、中学校が小学校及び地域社会と積極的な連携を図って交流を深め、学校の教育方針や現状について率直に伝え、生徒たちをどう育てていこうとしているのか、将来の社会人としてどう生きていってほしいのか、こういうことについて、目標の共通化を図る場を設けることは大変重要であると考えております。
  次に、中学校における進路指導の現状と課題について申し上げます。ほとんどの生徒が高等学校へ進学する今日、中学校における進路指導は、卒業期における進学指導になっている現状があります。現実に目の前にいる生徒の思いや願い、保護者の子を思う複雑な心情を考えますと、入れる学校はどこかということが大きな関心事になっていることは否定できないのであります。平成5年以来、文部省が示した進路指導の改善のための四つの視点であります一つ目の、学校選択の指導から生き方指導への転換、二つ目の進学可能な学校の選択から進学したい学校の選択への指導の転換、三つ目の100%合格可能性に基づく指導から生徒の意欲や努力を重視する指導への転換、そして四つ目の教師の選択決定から生徒の選択決定への転換、これらについては、それぞれについてかなり改善されていると考えます。
  とりわけ、かつての教師の選択決定から生徒自身の選択決定への指導の転換については、確実に進んでおります。高等学校への適応を考えますと、生徒が自らの意思において進学先を決定するということは、目的意識を高め、進学後の学習意欲や責任感を強めることにもつながってきております。中学校においては、生徒が将来の生き方を考え、目的を持って進路を選択することができるよう、自己の個性を理解し、伸ばそうとする意欲・態度を養う学習が必要であります。そのためには、学校における指導ばかりではなくて、家庭や地域社会に対しても進路指導の基盤は生徒一人一人の個性や能力の伸長を図ることであるということを、十分に認識させる啓発活動を行っていくことが大切であります。
  実際に、保護者の学校への進路指導への期待を見てみますと、自分の個性や適性を考える学習及び学ぶことや働くことの意義を考える学習が多いのであります。学級担任の進路指導上での悩みといいますと、保護者の進路指導に対する期待が進学先の選択や合格の可能性に偏っているというふうな複雑な胸中がかいま見られる現実があります。さらに、卒業生に対するアンケートを見てみますと、中学校の在学時に指導してほしかった事柄については、自己の個性・適性について考える学習をもっとしてほしいという生徒からの声があります。
  そこで、日ごろの進路の学習については、生徒の主体的な活動を重視しながら、学級活動の時間を中心として、知識の伝達に陥らないよう留意し、生き方にかかわる指導をより一層充実する必要性を痛感しているところであります。生徒が充実感を持って今を生き、そして将来の生き方を考えて、進路を設計し、適切な進路選択ができるようにするためには、個人と職業、社会とのかかわりについて情報提供したり、収集させたりすることが重要でありますが、生徒の抱く夢とか希望から、いきなり可能性について検討するのではなくて、目的や方法、生きがいなどについて思索を深め、意思決定させていく指導・助言のステップが必要であります。
  進路指導の活動の中で必ず行うこととしまして、進路希望とか、将来の夢を語り合うことがあります。この課題は、自己価値観を獲得できる機会ともなりまして、自信を持つことにもつながりますので、ひいては将来展望をはぐくむことにもつながってまいります。進路学習においては、生涯にわたり自己理解を深化させ、進路についての興味・関心・意欲を高め、生徒が気づいていないよさや可能性を発見させていく手だてを講じることが必要であります。中学校では、家庭教育との連携を図りつつ、計画的・継続的に系統性を持たせて意思決定能力を養う学習を展開しているところであります。
  こうした指導を展開することで、進路選択時には生徒や保護者に対して適切な助言や援助を行うことができるよう、生徒一人一人を複数の尺度によって多面的に評価をしていくことが必要であると考えます。本校では3年間を見通しまして、職業や社会とのかかわりについての啓発的な経験を深めるために、1年生で近隣の職場訪問を行い、2年生では上級学校を訪問し、3年生では高等学校への体験入学に積極的に参加をさせております。また、親子で生き方について語り合えるきっかけとなるよう、全学年を対象にした進路便りを毎月発行しております。さらに、地域の職業人を招いた進路講演会を開催しておりますが、講師の先生が話をしているときの表情が生き生きしていて、「とてもすばらしかった。これからはきょうの話を思い出して、自分の進路に役立てていきたいと思います」と、こういうふうな感想を述べ、「生きる意味について、真剣に考える機会になった」という生徒がたくさん出現しております。
  青年期前期に当たる中学生が生涯学習というライフステージに立って、自分はどう生きるべきかについて、一人一人が真剣に考えられるようなガイダンス機能を充実するとともに、幅広く社会生活や職業生活について学んで、望ましい職業観やら生きがいについて思索をめぐらすことができるような、体験的な進路指導を充実することが必要であります。情報や資料を提供する中で、生徒自身が自らの進路情報を検索したり、情報を活用することができる態度を身につけさせることが大切であります。学年の発達段階に応じて自己理解を深め、職業観を培い、進路選択力と意思決定能力を育てていく必要があると考えるものであります。そのためには、企業などとの連携も不可欠でありまして、中学校教員が企業において社会体験研修を推進することが必要であると考えます。
  次に、高等学校の入学者選抜の改善方策について申し上げます。高等学校においては、いわゆる進学校を含み、学力検査で1点刻みに選抜するのではなくて、各学校の教育理念にふさわしい入学者選抜をする必要性があると考えます。そのため、推薦による選抜や小論文、面接などの実施に加え、技能試験を重視したりボランティア活動などの学校内外の様々な活動を積極的に評価したりするなどして、選抜方法の多様化、評価尺度の多元化をより一層進めてほしいと念願をします。学力試験の結果もコースや学科ごとに、その扱い方に弾力性を持たせるなどの手だてを講じてほしいと思います。
  高等学校の入試問題については、一部の高等学校において学習指導要領の範囲を逸脱した難問が出題されることがあります。そのことがいわゆる受験知識を詰め込む傾向を招き、本来の中学校教育と高校入試のための受験勉強が結びついていかない状況を生んでいる要因にもなっております。中学校の教育に影響を及ぼしておるわけでございます。これらのことは中学校だけの問題ではなくて、大学に至るまでの各学校段階における入学者選抜では、学習指導要領に基づく学習指導に配慮した適正な出題内容とする必要があると考えます。単に知識の量や短時間での受験テクニックを競うような出題はなるべく避けて、思考力や分析力を問う問題を一層工夫することを求めたいと思うわけでございます。
  高等学校教育の役割と課題を考えてみますと、高等学校教育は義務教育の基礎の上に立ち、基礎的・基本的な知識・技能を身につけるための指導を行いつつ、生徒一人一人が自己の興味・関心あるいは将来の進路希望などに応じて教科・科目を選択し、学習を深めて、自分の得意とする分野を伸ばすことができるよう指導・援助することが重要であると認識しております。各高等学校におきましては、特色ある学校づくりを進めているところではございますでしょうが、中学校から見まして、どの高校に進学をすればどのような個性を伸ばせるのかということが、はっきりとわかるような高校づくりを期待するのであります。中学校段階では、自己の生き方や進路についてまだ十分には定めることができない生徒が少なからずいることを考え、生徒の多様な個性や学習ニーズに対し効果を上げている総合選択制や単位制、総合学科の高等学校あるいは学科の設置について、さらなる促進を望むものです。生徒によっては、選択と決定の修正を繰り返しながら、自己理解を深めていく場合も多いのであります。
  また、将来のスペシャリストを育成する上で、大きな役割を果たしている専門高校につきましては、教育内容への十分な理解と評価が得られていない状況があり、学科の転換を検討するのも一つの方法だと思います。専門高校での教育は、完成された教育を目指すのではなくて、将来的に専門性を深めるための基礎的・基本的事項を学ぶことに重点を置くことになるのだろうと考えます。あわせて、専門高校から大学などへの進学の機会を拡大していく必要もあると考えます。
  これらの方策を推進することにより、高等学校教育において個人の能力・適性、興味・関心などに応じた多様な学習の機会が充実されるとともに、中学校においても生徒の個性を重視した教育が実現すると思います。生徒の学校選択幅の拡大は、学習意欲の向上にもつながり、生徒が将来の生き方を展望できる進路指導の実現にも寄与すると考えるわけであります。
  高等学校が期待をしている生徒像は、自ら学ぼうとする意欲を持った生徒であろうと考えます。入学した生徒の中には、入りたかった高校ではなく、入れる高校であった者もいるわけでございまして、入学後の所属感とか、帰属意識を高め、自信を深め、向上心を持たせていく場でなければならないと思うのであります。どちらかというと、来たくなかった高校であっても、入学した以上はその日から通学している高等学校が、毎日の生活の場となるのであり、自信を持って生きていける場となるための援助が不可欠であります。生徒自らが常に生き方を問い、現在及び将来の目標を設定し、その目標に向かって意思決定していく能力をいかに育てていくかが問われていると思うのです。これからの進路指導は、自ら主体的に進路を選択する能力を育てる指導内容を工夫することが重要であると思っております。生徒たちが学び続けていく態度さえ身につけていれば、いつでも学べる、いわゆる生涯学習社会を構築していくんだというふうな見通しを持って、学ぶことと生きることが乖離しないような指導・助言を展開し、社会に貢献できる力を育成していく必要があると考えます。
  最後に、中高一貫教育の推進についてでありますが、中学校と高等学校との円滑な接続を図る中高一貫教育の制度は、一貫教育の実施の形態及び選抜方法などの条件整備が確立されれば、ゆとりのある学校生活の中で計画的・継続的な教育指導が展開できると考えます。今日、学校教育においては、教育内容や方法のみならず、学校間の接続を改善し、教育制度の面で柔軟な対応が求められていると認識しております。特に心身の成長が著しい時期である中等教育の在り方については時代の要請でもあると考えます。
  そこで、中等教育全体の多様化・弾力化の一環として、児童生徒一人一人の能力・適性、興味・関心などを生かす教育の一つであり、児童生徒や保護者が学校を選択できる幅を広げるという観点からも導入することが適当であると考えます。現実的に可能なところから6年間の一貫教育を選択的に導入することは、生徒の個性や創造性を伸ばすこが容易になるという観点からも、意義のあることと考えております。ゆとりを持った期間で、異年齢集団による活動を通じて、生きる力をはぐくみ、体験的な学習や自ら課題を設定して解決を図る学習が展開でき、個性重視の特色ある教育内容が実現できるという利点もあると考えております。全国の児童生徒にとって、実質的にその選択が可能となるよう児童生徒及ぶ保護者のニーズとか、地域の実情にも配慮し、中高一貫教育導入の促進を期待するものであります。
  時間ですので、以上で私からの意見発表を終わらせいただきます。ありがとうございました。

○  先ほど坂井意見発表者が学校の進路指導の問題について幾つか述べられておりましたが、坂井意見発表者の学校だけではなくて、現在、中学校が一方では新しい学習指導要領に掲げられている理念に向かって、中学校教育の再構築をしようとしております。しかし、もう一方では、坂井意見発表者の御発表の中にありましたように、とにかく高校に入らなければ、入れなければという実態があります。そうした中で、今、多くの中学校では一体どういったことに取り組み、それが展望があるのかないのか、そのあたりのお考えを御発表いただければ大変ありがたいのですが、いかがでしょうか。

○坂井意見発表者
  各学校とも、今、中学生が抱えていることについて、子どもたちのまず目の前にある高校進学ということについては、96%の高い進学率を誇っている現状にありまして、とりあえず高校に入ればいいという現状があることは否定できない。そうすると、高校に入ることが目的となってしまうと、入学した途端に目的がなくなるんですね、達成してしまいますので。あくまでも入口、出口の問題があるわけでございますので、恐らく私の学校も含めて各学校が、長いスパンで物を見て考えて、自分はこれこれについては自信が持てる、私は僕はこのことについてもう少し自分の能力を発揮するためにこういうことをやってみたいと、そういう目的意識をはぐくむような進路学習を展開しているはずなんですね。その辺のところは各学校の実情に応じて、子どもたち及び保護者の願い等も踏まえながら、いわゆる学級活動という時間があるんですが、その時間を中心にしながら鋭意取り組んでいると考えております。
  実際にそういうふうな授業を展開すると、子どもたちは目を輝かして一所懸命に物事を考えているというふうな光景をしばしば見ておりますので、今問われているような子どもたちの課題等もあるわけでございますが、その辺のところはまず学校側のほうでやるべきことをきちんと押さえて、将来の社会人としての育成をしていくんだという教師自身の気構えをまず求めていくことが大変重要なんだろうと考えております。

○  2点ほどお聞きしたいと思います。私自身は進路指導というのは本来保護者、親がやるものだと思っているんですが、特に進学指導というと、親の価値観とか、生徒の価値観に伴って、学校が指導していただいているということですけれども、現在、大変困った問題が起こっていると思うんです。学校においても、いわゆる進学指導ができない。
  どういうことかというと、例えば私学の先生が塾へ来て、塾の結果の偏差値に基づいて、子どもたちに合格を確約してしまうということが、最近、かなり多くなってきているということも聞いております。その中で、先生方のほうでもそちらのほうが早いからということで、学校では進学指導ができないということが最近多くなってきているのではないか。それが事実かどうか。私のほうにはかなり多くなっているということで聞いておりますが、現場の先生方としてはどうなのか。それを1点お聞きしたいと思います。
  それから、中高一貫に関連してですけれども、これは生徒指導という点をみると、中学校までの年齢のときにはいろいろな形で、子どもたちの規範とか、身だしなみとか、マナーというのはある程度整っているんですが、高校へ行くと急に乱れてしまう。大変乱れてしまって、これは公立、私立によって違うと思うんですけれども、どうして中学を卒業して高校へ行ったらそんなに変わってしまうのかという思いがあります。そこら辺は、直接学問とは関係ないんですけれども、生徒指導という問題において、中学の現場の先生として、中高の連携という問題の中で何か問題があるのかどうか、お聞きしたいと思います。

○坂井意見発表者
  1点目の学習塾のいわゆる指導といいますか、学習塾の受験生へのかかわりが学校の指導を超えてしまうということについては、そういう面がないとは言えないというふうに認識してはおりますけれども、学校教育の果たす役割というのは、あくまでも将来の職業人としての在り方を真剣に考えさせることが第一義でございます。偏差値が廃止をされまして、その現状の中で私たちがやっていることは、まず学校生活の中で意欲を持っていろんなことに取り組んでいく、そういうふうな姿。汗を流して子どもたちが学校生活に一所懸命取り組む姿を高く評価していきたいということを、常々いろんな交流会または中高連絡会等で意見を出しているわけでございます。このことにつきましては、実際に地域の学習塾との連携等も必要かと思うんですが、学校としては、学校教育の果たす役割をしっかり押さえて、それを保護者に啓発していくことが役割だと考えております。
  2点目の、高校に行くと、どうしても服装等の問題について乱れが生じるということについてでございますけれども、実際に子どもの中には、高校に行けば何でも自由になれるというふうな認識があるのかもしれない。このことについては、高校側と近隣の高校を育てようということでよく話し合いを持つわけでございますが、送る側と送られる側との中で、偏差値は消えたけれども、保護者の意識の中にいわゆる学校の様子をつぶさに見ている状況等がありまして、そのことを通して、ここより学力的に高ければそういった問題も多少は少ないだろうという意見がやはり隠然としてあるのではないかということも考えられます。
  私たち学校の考え方としましては、まず地域の高校を育てる視点からも、高校へ入学するための目的意識を育てながら、3年後どういうふうなことを考えているのか、高校に行けばどういうふうなものを伸ばせるのかということについて、これからも大きな課題として鋭意取り組んでいかねばならないと考えているところでございます。

○  適正な入試問題という説明のところで、一部高校で逸脱した問題が出ているということは、これは公立高校でもそういうことがあるのか、私立高校での内容なのか、ちょっと教えていただきたいと思います。
  坂井意見発表者が今、中学校から高校への接続について、いろいろな思いを語ってくれましたけれども、これは私たちが高校から大学への接続のときに思う思いと全く同じでざいます。高校入試のときの入試の出題等が中学校教育に大きく影響を与えているということをおっしゃいましたけれども、公立高校ですと5教科のところが多いかと思うんですが、一部、選択して3教科とかいろいろなところも出てきておりますが、そういう弊害というのは具体的にどんなことがあるのか。高校でもそういうことをよく、大学で1科目入試とか、2科目入試をしているから困っているんだということをよく言うわけです。
  それから、高校入試改善につきまして、例えば今、高校から大学に入学するときには、大学のほうも入試改善をいろいろ工夫してくださって、例えば一芸に秀でた者を採るとか、あるいはアドミッション・オフィスとか、面接を重視するとか、いろんなことが言われてきているわけですが、中学校から高校への接続といったときに、今、一番特色ある入試改善としてどんな願いがあるのか、もうちょっと具体的にお話をしてくださればありがたいと思います。

○坂井意見発表者
  逸脱した入試問題については、私が先ほどお話ししましたように、一部であるというふうに認識はしておるんです。公立高校についてはそういうことは見られないと考えております。
  2点目の弊害のことですが、これについては、子どもたちがどういうふうな志願を持っているかによって変わってくるのかなととらえております。公立高校については、いわゆる学習指導要領にのっとった出題範囲でございますので、学校の授業について理解していれば問題はないわけでございます。そうではなくて、中学校から高校に入学した途端に、大学までもある程度保障されるようなところを目指す子どもたちにとっては、教科書のスピードよりははるかに進んでいる状況で学習していることが十分考えられまして、そのことが授業の中でちょっとやりづらいかなという声も、教員の中には上がっているのも事実であります。そんなふうに現状があるということを御理解いただければと思います。
  それから、中学校・高等学校にかかわることでございますけれども、中学校の教育というのは国民として必要な教育の基礎として共通のことを学んで、高校においては子どもたちの多様なニーズにこたえられるよう、つまり子どもたちが自分で選ぶことが前提となる教育過程を組むことが、子どもたちにとって今後のことを考えた場合に得策かなと考えるわけでございます。中学校の中で、このことについて、一つ能力を発揮できる、それをさらに伸ばしていけるような高校の学科の転換とか、みんながみんな普通科志向で、自分の特色を出し切れないような選択でなくて、ある程度そういうことについて大きく選択の幅が広がるような高校との結びつきを期待しているところでございます。つまり、生徒の持ち味を生かすような、しかもそれを伸ばすことができるような学校選択の幅を広げられるような入学者選抜ができれば、中学校としては子どもたちの多様性にこたえることができるのかなと認識をしております。

○  どうもきょうはいいお話をありがとうございました。一、二お伺いしたいことがございましたので。
  坂井意見発表者の御説明の中に、今回、中央教育審議会が提言をいたしました学校評議会のことについて触れておられなかったものですから、その辺をどうお考えになるか。実現性といいましょうか。つまり、学校の運営を先生方がこう考えるというのはよくわかったんですけれども、地域なり、あるいは社会一般的な考え方をどのように学校の中に取り入れようとなさっているのか、もし御意見があればぜひお伺いさせていただきたいと思っております。
  2点目は、今回の新しい学習指導要領ですと、確実に中学卒、高校卒の多様化が進行していくわけです。多様化の進行というのは、生徒の実態に合わせてというよりは、社会そのものが今そういうものを求めているんだろうと思うんですが、この多様化の進行と、先生がおっしゃられた学校の姿勢がどのように結びつくのかなということで、お伺いしたかったわけです。例えば高校入試ですと、たくさんの教科を平均的な問題で全員に受けさせたほうがいいというニュアンスで受けとめたものですから、これが実際できるのかなという気がします。その辺のところをどう考えたらよろしいのか、あるいは多様化に応じて社会が必要とする人材をどのような観点で育てようとしておられるのか。中学校・高等学校のところでそのことがこれから厳しく問われていくと思いますが、その2点、お伺いできればと思いました。

○坂井意見発表者
  地域社会のいろんな声を時々聞く機会があるわけでございますが、今、いろんなところで問われている中高一貫制の問題も含めまして、果たしてその地域における学校の状況がどうであるかということについて、実情が違いますので、本校の場合は、例えば小さな町に中学校が3校あるわけですが、そのことを考えましても、いわゆる学校の立場とか、地域における保護者とのかかわりの中で、条件整備をするものがたくさんあるんだろうと考えます。子どもたちの受験競争が低年齢化してしまうと、ますます過熱することも十分考えられますし、そこのところの条件整備を慎重に検討することが必要になってくるんだろうと思っているわけでございます。生徒の発達段階やらそんなことも考えながら、教員が今おっしゃったようなことについて、研修等を深めて資質の向上を図っていくことも必要でしょうし、子どもたちの知識詰め込み型の教育に偏るのでなくして、基礎・基本をしっかりと身につけさせてあげるような形で進めるような教育を展開したいと思っておるところでございます。
  校内のことについてなんですが、多様化の進行によりまして、各学校とも取り組んでおりますことは、現在、選択教科を2年生、3年生等で展開しているわけでございますが、このことについてもさらに拡大をしながら、子どもたちの良さとか可能性を発見しながら、子どもたちが持っているものについて、時折知的好奇心を刺激するような場面をたくさん設けて、褒めたり認めたりするような機会をたくさん持っていきたいと思っております。このことについては、子どもたちの学習に対する評価の問題と深く結びついておりまして、基準ではなくて、規準的な評価の在り方を工夫しながら、子どもたちの持っている持ち味をさらに発展的に認めてあげるような体制も必要なんだろうと思っております。お答えになったかどうかちょっとわかりませんが。

○木村座長
  最初の質問は、学校評議会、つまり外の意見を聞く体制を我々は提案しているんですが、それについてどうお考えですかという御質問だったように思いますが。

○坂井意見発表者
  本校でもそのことは検討しているわけでございますけれども、人選が非常に難しいんですね。公募をした場合に、学校の主体性とか、学校がこれから求めている教育方法等が別な方向に持っていかれても困るわけでございまして、そういったときに学校評議員さんの人選について慎重に配慮していかないと、学校の主体性とか、校長が求めているものが、かえってゆがめられてしまうことも考えられないことはない。しかし、そういうことを時代の要請の中で取り入れていきながら、開かれた学校づくりのためにも、どうすれば学校にとって、または地域の教育振興につながるかということについて慎重に検討をしながら、取り入れていく必要性はあると考えます。

○  高校入試にかかわって、私の記憶に間違いがなければ、たしか全日本中学校長会の高校入試プロジェクトチームが、平成8年6月に高校入試制度の廃止というような提言を出していたという記憶があります。その問題を今の時点でどう考えるかというのを少しお聞きします。
  これまでこの中央教育審議会では、高校と大学の接続ということで、入試もその一つにつけ加えて議論してきたわけですけれども、高校と大学の接続という問題で考えた場合、大学入試の役割というのが従来の選別から教育的な機能、つまり一人一人の高校生にふさわしい教育の場を探し出し斡旋していくというか、そういう方向に大学自体が変化していくという話は、この中でいろいろ議論されてきていたと思います。そうした高校と大学の接続以上に中学校と高等学校というのは、97%の進学率という状況の中で、高校と大学以上に選抜における教育的な機能はもっと普遍的な課題になっていると思います。
  そう考えたとき、これまでとってきた多元化とか、多様化という高校入試改革のみでは対応しきれない、もっと違った質の問題が出てきているのかなと思います。特にこれが今度、中高一貫教育ということで中高一貫校がどういう形で進むかわかりませんけれども、文部省としても全国の高校通学区域に一つつくりたいという考えもあるようにお聞きしておりますが、そうなると、3,000校ぐらい当面つくる方向ですよね。量的にもそれだけ増えていくと、中高一貫教育でない中学校、高校の接続に対しても、いろんな意味での影響を及ぼすと思われます。
  中学校校長会あたりではその辺をどう見通しているのかということと、高校入試の廃止というものを平成8年当時打ち出したときの趣旨ですよね。また、現時点、そして中高一貫学校が増えていくという見通しの中で、高校入試の廃止を含めて、中学校と高校との接続の問題をどのようにお考えなのかということを、少しお聞かせいただければと思います。

○  平成7年、8年と教育課題検討専門委員会というのを設置いたしました。その中の三つの分科会の中の一つが望ましい高等学校入学者選抜の在り方というものでした。当時の中学校側からの高等学校入学者選抜の在り方についての提言には、調査書をどうするとか傾斜配点をどうするかといったような小手先の改革論が多かったように思います。しかし、それでは高等学校入学者選抜が中学校教育の在り方にとって極めて重要なんだという問題提起にはなり得ないだろうということで、快刀乱麻を断つようなすばらしい案はとてもとても出せないが、抜本的な別の案を出し、それを一つのたたき台として大いに議論してもらうことが必要なのではないかと考えました。
  この教育課題検討専門委員会は、あくまでも全日本中学校長会会長の諮問に対して答申をするという内部機関ですが、報告書の内容が一部のマスコミ、それから幾つかの地方議会、革新政党等で取り上げられ、全日本中学校長会が高校入試全廃を言っているというように、我々の本意と違う形で取り扱われたと思っております。
  報告書の内容についてお話を申し上げます。「選抜から選択へ」というキーワード、生徒本人が選択をするというキーワードを入試改革の根本に据えよう。物を買うときに、お金を払う側が物を選ぶはずだが、授業料を払う人間がなぜ学校を選べないのかという単純な発想から検討を始めました。自分に合った学校を子どもたちはどうやって見つけたらいいのか。これは、何日間かその学校の授業を受けてみれば見つかります。25年ほど前になりますか、上智大学の渡部昇一さんが義務教育廃止論の中で、東大に入りたい者は全員入れればいい。雨が降ったら外で傘さして講義を聞けばいい。その上で、「これじゃ自分は進級できないな」「こんなところに授業料を払ってもしょうがないな」ということを本人が考えて、方向転換すればそれでいいというようなことを言っておりました。検討委員会でも、入りたい者は全部入れておいて、その上で、何週間かのモラトリアムの期間を置き、その間に幾つかの学校で授業を受け学校生活を送ってみて進学する学校を決めればよいと考えました。最終的に定員の中でおさまれば結構だし、おさまらないときには何らかの意味で選抜をやらざるを得ない。いずれにせよ、高等学校への入学は簡単でも卒業や進級は厳しいということが制度としてできないだろうかということを、考えたわけであります。
  このことと入試全廃、全部入れろというのとはちょっと違います。例えば入ったけれども、いいかげんにやっていては卒業はできないといったこともあります。友達が行くから自分も行こうという感覚で高校を選ぶ子もいるだろうけれども、最終的には自分に合った学校を子どたちは選ぶことになるだろう。その合うというのは、初期の段階では自分の学力といったことかもしれないけれども、長期的には自分の進路とか、そういうことで合った学校を選んでいくだろう。このように生徒の選択に重点を置いた案を一つたたき台として出すから、その上で、どうでしょう、みんなで高等学校入学者選抜の在り方を検討してみませんかというのが、当時の私どもの提言でございました。

○  簡潔に申し上げます。高校の入試に中学校から調査書を上げていきます。そこで、できるだけ調査書のいい評価をもらうために、生徒が日常的にそのことを意識して、先生の目を非常に意識して、例えば授業時間中に意欲的な姿勢を見せなければならんとか、あるいは生徒会活動に対して積極的に参加しているというポーズをとらないと不利になるというようなことを考えているとか、そういうことをよく聞くんですが、そういう事実はあるんでしょうか。

○坂井意見発表者
  調査書そのものについては、こういうことが記載されるということについて、子どもたちはほぼ知っておりますので、絶対ないとは言い切れないと思います。しかし私は、たとえそういうことが動機であったとしても、結果として子どもたちが生徒会活動やら学級活動やらに燃えて、そして学級の成員の一人として学級に貢献する力が発揮された場合には、集団の一員として大きな力になるんだろう。そのことによって子どもたちが自信をつかんでくれるきっかけになると思いますので、そういう子どもたちがいないとは言えないけれども、結果としてそれでもよしとしようと考えておるんですけれども。

○  もう時間もきているようでありますので、一つだけお伺いをしたいと思います。高校入試というのは、義務教育の段階で最も保護者の皆さんも関心のあることだと思っております。教育の世界は、よく理想と現実の差の大きな世界だと言われておりますが、高校入試は親御さんの気持ち等を考えますと、そういうものが如実にあらわれているところではないかと思います。
  私はいろいろ見ております中で、例えば学習塾と学校との関係がよくとりざたされるわけでありまして、学習塾のある意味でいいところは、データをオープンにして、子ども、保護者に接していく。学校となりますと、データを示すことにいろいろな影響もあり得るものですから、これをおもんぱかってなかなか示しきれない状況がある。しかし、これからの学校というのは開かれた学校にいずれ進むであろうと思うし、そういう方向に行くべきではないかと個人的に思っています。おたくのお子さんはこういう特性を持ったお子さんだと学校では思うとか、お母さん、お父さんはどんなふうに思われますかというようなところに進んでいきますと、もう少し中学校・高等学校の連結もスムーズにいくのではないかと、理想のようなことを考えております。何かその辺のところでお考えがあればお教えいただければと思います。

○坂井意見発表者
  私も保護者と話をしていて、ともかく高校には入れたい、それからできれば子どもの入試教科の学力がより高い高校に進学させたいというふうな現実があります。そこで、そういう現状があったとしても、私は保護者会及び地域社会等の集まりのときに、全人教育ではないか。そのことによって、知的学力が高い子どももある意味では特性ですから、それを伸ばすのも可なり。しかし、そうではない、自分の子の持ち味をもう一歩前進させて発展できるような高校選びもあっていいはずだ。だから申し上げるんですが、保護者の皆様、第1志望、第2志望というふうなものはいい、少なくとも「滑りどめ」という言葉はやめましょうと。A君が「滑りどめ」と言っていながら、B君は「滑りどめ」が第1志望ということもあるわけでございますので、そういうふうな啓発をしていきながら、子どたちが自分の進学する高校について、「僕はここに行くんだ」ということを堂々と発表できるような学級風土を醸成していこうではないかということを、職員にも保護者にも今も呼びかけておりますし、これからも呼びかけていきたい。同時に、学習塾とのかかわりについては、機会があればぜひ意見交換をしながら、互いに共存をしていく時代なんだろうと思っております。

○木村座長
  以上でよろしゅうございますか。
  丹羽先生に一つだけ御質問したいのですが、先ほど、3年前でしたかね、生徒の社会性が変わったとおっしゃいましたね。変わった子どもたちが急に増えたと。どうしてだと思われますか。直接本日の議題には関係ない質問で恐縮ですが。

○丹羽意見発表者
  私どももよくわかりません。一昨年の春、劇的に変わりました。

○木村座長
  一昨年ですね。

○丹羽意見発表者
  はい。一昨年の春です。これはひょっとしたら高校の教育課程の問題であるかもしれんし、そのほかの社会的な問題かもしれません。すいませんけれども、事実だけしか申し上げられません。

○木村座長
  できればぜひお調べいただきたいと思いますが。

○丹羽意見発表者
  わかりました。

○木村座長
  ありがとうございました。
  それでは、時間も少し過ぎてしまいましたが、本日の討議は以上とさせていただきます。
  今後の審議の日程でありますが、資料7に、第9回、第10回の予定が記載してあります。5月11日は、ヒアリングをお三方からいただく予定であります。九州大学の吉本先生から「高校教育と職業生活との接続について」、広島大学の茂里先生から「大学教育と職業生活との接続について」、それからまだ決まっておりませんけれども、「学校教育と職業生活との接続について」ということで日経連からお一人ということになっております。
  5月31日については、特に予定は書いてございませんが、この辺から論点整理等をさせていただいて、それに基づいて御議論をいただくことになろうかと思います。
  次回は第9回、5月11日で、35階でございます。14時〜16時となっております。
  5月31日、第10回で、34階でございます。
  それでは、本日の会議はこれで終了させていただきたいと思います。
  お二人の先生方、本当にありがとうございました。


※1、※2  この資料については、文部省大臣官房総務課広報室にて閲覧できます。

(大臣官房政策課)

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