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中央教育審議会

 1999/3 議事録 
初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会 (第7回)議事録 

 中央教育審議会初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会(第7回)

  議  事  録


  平成11年3月23日(火)  13:00〜15:00
  霞が関東京會舘    34階  ロイヤルルーム


  1.開    会
  2.議    題
      大学入学者選抜の改善について
  3.閉    会


  出    席    者
  委  員   専門委員   事務局
  根本会長   荒井専門委員   佐藤事務次官
  木村座長   安齋専門委員   梶野生涯学習官
  薄田委員   岡本専門委員   辻村初等中等教育局長
  川口委員   小川専門委員   御手洗教育助成局長
  田村委員   工藤専門委員   佐々木高等教育局長
  土田委員   黒羽専門委員   高   総務審議官
  永井(多)委員   小嶋専門委員   杉浦政策課長
  横山委員   小谷津専門委員   廣瀬調査統計企画課長
  高鳥専門委員   その他関係官
  永井(順)専門委員
  橋口専門委員
  久野専門委員
  山極専門委員
  山口専門委員
  四ツ柳専門委員


○木村座長
  それでは、時間になりましたので、ただいまから中央教育審議会「初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会」、第7回になりますが、開催させていただきます。
  本日も、「大学入学者選抜の改善について」御審議いただくこととなっております。前回申し上げましたように、これに関連いたしまして専門委員としてお加わりいただいております荒井克弘先生から御発表をいただくとともに、事務局から諸外国の入学者選抜についての資料の御説明をいただきたいと考えております。
  それでは、まず最初に配付資料の確認をお願いいたします。

<事務局から説明>

○木村座長
  資料、よろしゅうございましょうか。  
  それでは、荒井克弘専門委員から、「大学入試センター試験について―現状と課題―」というタイトルで30分ほどプレゼンテーションをいただきたいと存じます。その後、10分程度質疑応答をお願いする予定でございます。
  それでは、荒井専門委員、よろしくお願いいたします。

○荒井専門委員
  それでは、御報告をさせていただきます。
  私の資料(※1)は、「大学入学センター試験について―現状と課題―」というものでございます。四つのパートに分かれております。第1が「大学入試の現状」、第2が「センター試験の制度的性格」、第3が「センター試験の問題点」ということでございます。コアの内容につきましては、この三つでほぼカバーしているとお考えいただきたいと思います。第4の「従来から提案されている主な改善内容について」は、すでに提案されている主な改善提案につきまして、時間の許す限りで触れたいという趣旨からつけ加えたものでございます。
  それでは、まず1枚目をめくっていただきまして、「 図1.大学短大入学者の状況」のグラフを御覧いただきたいと思います。「大学入試の現状」ということでございます。大学・短期大学の入学者の状況を棒グラフの形で示してございます。棒グラフの下二つの層は、下が4年制大学へ入った現役入学者の数、上の層が4年制大学に入った浪人の数でございます。それから、下から3番目の層が短期大学の現役入学者、一番上の薄い層がございますが、これが短期大学に入りました浪人生と申しますか、現役以外で短期大学に入った学生たちの数でございます。
  御覧いただきますように、1975年から5年置きにグラフを示しておりますが、76年に高等教育計画が出まして、それから量的に抑制された時期が続き、60万人程度に大学・短期大学の入学者がコントロールされてきたという事実がグラフからも伺えます。その後、80年代の後半に、第2次ベビーブームに対する人口急増対策がとられまして、それから入学者数もまた急速に伸びてきたという経緯がございます。95年に注目すれば、1985年から95年の間に約20万人が増えてきたということでございます。
  このグラフで御覧いただきますと、浪人生の数というのは案外変わってないという事実が注目されるかと思います。俗説で“浪人数不変の原則”というのがあるようでございますが、大体17〜18万人から20万人相当の浪人生は常に存在する。浪人生は決して学力下位層ではなくて、むしろ中位から上位の層から出てくる。ですから、一部の大学で定員割れ等が起ころうとも、浪人はそれとは無関係に出てくる。そういたしますと、17〜18万人の浪人生というのは、今後も恐らく変わらないと推察されます。そういう意味で、志願倍率の高い大学と定員割れをするような大学との2極分化は確実に進んでいくと考えられます。
  したがって、2009年には志願者が大学を選ばなければ全員が入学できるということでございますが、浪人生が必ず17〜18万人ぐらい出てくると考えますと、まさに今の時点で大学・短期大学の収容力と志願者とがほぼ釣り合ってしまっているのだということを御理解いただけるのではないかと思います。
  つぎに、「 図2. 大学短大入学志願者の状況」のグラフですが、志願者の方はさてどうであったのかということで、少し補足したいと思います。志願者の方も1985年までは大体80万人という規模のままで推移してきています。1990年は、この時期はバブルの終わりの方ということもございましたが、110万人台で約30万人ぐらいの志願者の増加がありまして、その後急速に減少傾向になっている。とりわけ浪人志願者と短期大学の現役志願者の部分で規模の縮小が起こっております。先ほど浪人の入学者はさほど変わらないのだと申し上げましたが、浪人の志願者の方は減ってきております。この中で、一定数が大学へ入学していくということになります。以上が大学・短期大学に志願し、入学していくという量的な状況でございます。
  全体の構造を大づかみしていただくために、資料の3枚目の図を御覧いただきたいと思います。この間の入試状況の大きな変化、10年から17〜18年という年月になるかと思いますが、推薦入学の増加が顕著に進んできています。1998年度をケースにとりますと、推薦入学者の数は16万2,000人に達しております。これ以外に帰国子女であるとか、社会人入学という特別選抜がまたございますので、そういうものも合わせますと、特別選抜自体で約17万人の規模に達することになります。4年制大学入学者は59万人でございますが、そのうち現役は42万人です。通常、推薦入学はほとんどが現役でございますので、16万人という数をここから差し引きますと、一般選抜は26万人ということになります。現役入学者の約4割が推薦入学で入ってきているというのが現状でございます。2人に1人とは言いませんけれども、3人現役の入学者がいたら、そのうちの1人は確実に推薦入学で入ってきているということになります。
  一方、浪人等  ―この中には帰国子女であるとか、あるいは社会人入学も特別選抜の中に入れてございますが、彼らが約1万人と数えますと、一般選抜のほうが16万人ということになります。ですから、現役、浪人、すべて含めましても、大学入学者の約3割が推薦入学者で占められるという現状でございます。
  一方、短期大学入学者ですが、1998年度で19万人ございます。このうちほとんどが現役入学者で占められております。「浪人等」と書いてあるのは、約1万人でございますが、これは必ずしも短期大学に入学するために浪人しているわけではなく、むしろ就職をしたとか、あるいは専門学校に進学した人が進路変更をして短期大学に入っていく場合がこれに該当すると考えてよいのではないかと思います。短期大学入学につきましてはほとんど現役者で占められるというのが実態です。
  下の図は、入学者ではなく、入学志願者のフローを見てみようということでございます。やはり1998年度のデータでございますが、入学志願者はこのところ減少して100万人を切っています。1998年度は99万人ということでございます。このうち4年制大学へ志願した者が79万人、短期大学が20万人でございます。
  4年制大学について、さらに選抜方法によって分けますと、特別選抜が17万人。仮に特別選抜と一般選抜の掛け持ちがないと考えれば、一般選抜は62万人と推定されます。この62万人の内訳は、現役志願者が44万人、浪人等志願者が18万人ということになります。
  さて、ここで今日の本題である大学入試センター試験とのかかわりでございますが、大学入試センター試験の志願者は約60万人でございます。一般選抜志願者62万人のうちの60万人近くが大学入試センター試験を志願しているということですから、4年制大学一般選抜志願者の97%がセンター試験を志願していることになります。実際は、志願者の中で5万人ほどは出願しておいて受験をしない者も出てまいりますので、実質受験者ということになりますと、55万人、89%程度に減ることになりますが、志願者につきましては一般選抜志願者の約97%が大学入試センター試験を志願しているという現状でございます。大学入試センター試験志願者のうち、現役、浪人の内訳は、そこに書いてございますように、42万人と18万人。浪人につきましては、そのほとんどが大学入試センター試験に志願しているという状況でございます。
  さらに、もう1枚めくっていただきまして、今申し上げました大学入試センター試験志願者及び共通第1次学力試験志願者がどのように増えてきたか。これは途中で制度的な変更がございましたので、そのまま単純に増えてきたということにはなりませんが、共通第1次学力試験の頃に35万人前後であった志願者が、大学入試センター試験に変わりましてから、約60万人の規模に増えてきたことが御覧いただけると思います。棒グラフ先端にある薄い層は、欠席者、出願して受験しなかった者でございます。
  それから、下のグラフは、センター試験になりましてから、私立大学も国公立大学と同じようにセンター試験を利用できるという制度に変わったわけでございますが、その中でどのように利用大学の数が増えてきたかという変化でございます。そこに数は付してございませんが、1999年、今年度でいいますと、国立大学が95大学でございます。それから、公立大学が61大学、私立大学が217大学でございます。合計373大学が現在、センター試験をいろいろな形で利用しているということでございます。以上が大学入試の現状の説明でございます。
  資料の1枚目の項目の2番目「センター試験の制度的性格」ということで若干御説明を致します。戦後、日本では4回ほど大学入試のための統一的な試験が試みられてきました。最初は「進学適性検査」です。それから、1960年代には「能研テスト」が実施されました。そして1979年から共通第1次学力試験、1990年からセンター試験というふうに展開してきたわけでございます。
  この中から、特に大学入試センター試験の性格を浮彫りにするために、共通第1次学力試験と対比させていくつかの側面を比べてみました。七つの側面をあげて両者を比べてみますと、資料の1枚目に書きましたような整理になります。
  まず「実施主体」でございますが、共通第1次学力試験は国公立大学と大学入試センターが協力して実施することになっていました。当初は国立大学の入試改善のための方策として提案されたものですが、公立大学が利用参加するということで、国公立大学と大学入試センターで実施をすることになったわけでございます。他方、センター試験は御存じのとおり、利用するすべての国公私立大学と大学入試センターで実施をするということでございます。
  次に、「受験者」でございますが、国公立大学の志願者約34万人。これは共通第1次学力試験がスタートして数年間の平均的な規模でございます。年度別に多少の揺らぎがございますが、対比のために標準的な数字を挙げておきました。一方、大学入試センター試験の方は、現在、減り始めておりますけれども、約60万人が志願しているということでございます。2倍とまでは言えませんけれども、この間に大量な受験者の増加があったということでございます。
  さらに、「目的」でございますが、センター試験が共通第1次学力試験の延長上でとらえられるということがしばしばありますが、この両者ははっきりとした目的の違いを持っております。共通第1次学力試験は大学教育に必要とされる基礎的学力の判定ということを謳っております。但し、ここで大学教育として意味されているものは、国立大学、あるいはその後の経過を考慮しても国公立大学の範囲に限定されるものと思われます。しかしその中で、はっきりと述べられておりますのは、「高等学校の段階における一般的かつ基礎的な学習の達成の程度を判定する」ということでございます。この「一般的な学習の達成の程度」という文言が入っているところにかなり重要な意味がございます。これに対して、センター試験のほうは「大学に入学を志願する者の高等学校の段階における基礎的な学習の達成の程度を判定する」という内容になっております。
  それから、「位置づけ」でございますが、共通第1次学力試験の場合には、まさに1次試験であったわけですから、「入学者選抜のための試験」というものでございます。選抜のための試験という性格をはっきり持っていたわけでございます。しかし、センター試験のほうにつきましては、「多様な入学者選抜の基礎資料」ということになっております。「基礎資料」ですから、例えば高校でおつくりいただく調査書等と同等に、入学者選抜のために役立てる資料の一つということの位置づけでございます。
  「出題科目」につきましては、共通第1次学力試験が18科目でございました。それから、大学入試センター試験になりましてから増えまして、現在は31科目ということでございます。この出題科目の内容でございますが、共通第1次学力試験が始まりましてから現在に至るまで2度、学習指導要領の改訂がございました。その都度、共通試験の出題範囲をどのように決めるかということで大きな議論があったわけでございますが、共通第1次学力試験の場合には、1985年から新たな出題科目で実施するという段になりまして、共通第1次学力試験の出題範囲を次のように決めております。「高等学校教育課程の必修科目のほかに選択科目を加えて出題する。外国語はこれに準ずる」ということでございます。これだけでは理解がしにくい面がございますが、高等学校の必修科目にはとらわれないという趣旨が実はこの中に含められております。むしろ大学教育にとって必要な学力レベルを尊重して、それを試験するために必修科目と選択科目を指定する。そういうものを出題範囲とするんだということの趣旨でございます。
  一方、大学入試センター試験につきましては、「学習指導要領に即して、出題科目を検討する」ということになっております。実は大学入試センター試験の場合、1997年から新しい教育課程に基づく出題科目になったわけでございますが、その出題科目の内容からこの意味を推測いたしますと、あくまでも高校教育の必修科目を基本とする、実際、2単位の選択必修の科目等が現行の教育課程にはたくさん用意されておりますが、それらを含めて必修科目から出題科目を構成することが基本になっています。共通第1次学力試験の当時と比べますと、大学入試センター試験は大学教育よりも高校教育に主眼を置いたものに変わったといえます。
  それから、「出題水準」というのがございますが、これはどちらの試験も科目得点の平均点が60点となるように問題作成を行うということでございます。御覧いただきましたように、共通第1次学力試験当時は約35万人程度、センター試験は60万人程度の規模でございますから、これが両方同じように平均点60点ということの目標になりますと、おのずと問題のレベルは変わってこざるを得ない。結果的には大学入試センター試験の問題は共通第1次学力試験当時に比べれば、かなりやさしくなってきたと申し上げていいのではないかと思います。
  また、「受験科目」、受験科目数でございますが、共通第1次学力試験当時は5教科7科目でスタートいたしまして、途中で5教科5科目、あるいはこれ以下に減ずることも可能という改革が1987年に実施されました。一方、大学入試センター試験のほうはスタート時からア・ラ・カルト方式ということで、1教科あるいは1科目でも利用可能になったわけでございます。
  この比較を通じまして申し上げたいことは、共通第1次学力試験から大学入試センター試験への変化というのは、実は入学者選抜のための試験から高校教育の到達度評価のための試験へシフトしてきたということでございます。決して共通第1次学力試験の延長上にセンター試験があるわけではないということでございます。
  それから、資料の1枚目の3番目の項目にまいります。「センター試験の問題点」でございます。ここでは、三つの問題点を挙げておきたいと思います。
  第1は、先ほど大学入試センター試験志願者数が60万人に近いと申し上げましたが、受験者数の増加は当然のことながら受験者の多様化をもたらします。受験者の多様化によって識別力がどうしても低下をしてくる。とりわけ学力上位者において大学入試センター試験の問題レベルでは識別力がない、識別力が低下したという批判がございます。これが問題の第1点でございます。
  2番目に、大学入試センター試験になりまして、ア・ラ・カルト方式による受験が可能になったわけでございますが、現状では教科・科目の難易差を調整することに大きな技術的な困難がございます。端的に言えば、教科・科目間の難易差を調整できないままに試験を実施せざるを得ないという事情がございます。もしこの難易差調整を可能にしようとすれば、つくりました問題を事前にプリテストして、その項目特性の分析と調整を行わなくてはならないということがございます。その場合には試験問題は、現在のように公開ではなくて非公開という形で実施せざるを得ない。もっと別の方法を選びたいというのであれば、尺度化のための共通試験を全員が受けるというのも1つの方法です。つまり、ア・ラ・カルト方式を採用するためには、本来これだけの用意が技術的に必要なのです。ところが、実際にはこうした条件を欠いたまま大学入試センター試験がスタートしたという現実がございます。
  3番目の問題点でございますが、大学入試センター試験は高校教育の到達度評価に目的を置いていると申し上げました。しかしながら、利用している大学は大学入試センター試験をどのように見ているかといえば、これは明らかに選抜試験の一部、あるいは選抜試験の本体として利用しているということでございます。そういたしますと、制度的な理念は到達度評価である―高校教育の到達度評価という理念の下では様々な科目があって、その評価は多次元にわたっていて当然構わないわけでございます。しかしながら、選抜試験ということで試験の成績を扱うということになれば、これは公平性の観点から当然それらを一次元に並べることが要請されてまいります。
  繰り返しになりますけれども、高校教育の到達度評価という理念と、各大学が利用している実態には食い違いがある。各大学は到達度評価である大学入試センター試験を実は選抜試験として利用しているという事実があるわけでございます。これが果たして、選抜主体である大学の側が按配できる教育的あいまいさの範疇にあるものかどうか。そのことはだいぶ議論のあるところかと思います。いずれにしても制度的な理念と利用実態との間に食い違いがあることは否定できない事実でございます。
  申し上げました点を具体的な形で申し上げれば、資料の5枚目、6枚目に、平成10年度と平成11年度の大学入試センター試験の科目、受験者数、平均点等が示してあります。例えば国語で申し上げますと、「国語  I  」「国語  I  ・国語  II  」という科目があるわけですが、「国語  I  」は、御存じのように必修科目で4単位科目でございます。「国語  I  ・国語  II  」というのは合計8単位になる科目でございます。両科目の間には、教育内容の範囲に違いがほとんどなく、難易度だけが異なる科目といって良いと思います。現状ではこの4単位科目と8単位科目が選択科目としても配点上も同列に扱われています。高校教育の到達度評価であるから、4単位科目も8単位科目も両方同じ200点で構わないのだという見方もございますけれども、この4単位科目と8単位科目を同じに扱うことについては、やはり問題が残されていると言わざるを得ません。
  地理歴史、あるいは理科についても同様のことがあります。「世界史A」あるいは「日本史A」というA科目は2単位科目、それから、B科目というのは4単位科目でございます。この2単位科目と4単位科目が同列に置かれている。そして同じ100点が配点されている。これもまた到達度評価としては結構だけれども、果たしてこのA・B科目を同列に選抜試験の科目として扱うことができるのかどうか、かなり困難があると言わざるを得ない。こういう問題がございます。
  以上が、センター試験の三つの問題点でございます。
  ここで時間がきてしまいましたが、「 4.従来から提案されている主な改善内容について」につきましてはどういたしましょうか。よろしいですか。では、簡単に申し上げたいと思います。
  センター試験について幾つもの改善提案がこれまでにもあるわけですが、その中から四つの提案をとり挙げてみました。第1は複数回実施、第2が成績の段階的利用、第3が総合問題の導入、第4が個人成績の事前通知の問題でございます。利点は改めて申し上げるまでもないと思いますので、むしろ改善の難しさ、問題点のほうを述べたいと思います。
  大学入試センター試験を複数回実施するという提案ですが、これに非常に高い社会的な要請が寄せられているのはご存知のとおりです。しかし、これを実現するには、例えば年2回やる試験の間に難易差がないということが条件です。つまり、試験問題の等化が技術的にクリアされませんと、この複数回実施は事実上困難であるということになります。
  これに加えて、個人の能力の変化ということも考えなくてはなりません。アメリカの例えばSATという試験の場合は、適性テストといいますか、非常に変わりにくいもの、個人の資質に近いものを測定するための試験ですから、測定回数を増やせばそれだけ信頼性を高めることにもなるわけですが、日本の大学入試センター試験はアチーブメントテストですから、これは時期が下がれば下がるほど学力が高くなっていく可能性がある。つまり変化する学力を複数の時点で測ることになるわけですから、これはまだまだ相当大きな検討課題を残しているということになります。
  2番目に、成績の段階的利用ということでございますが、これは当然のことながら素点では段階的な利用は困難でございます。したがって、試験成績をパーセンタイル表示にするのか、あるいは標準化をするのかということになります。端的にいえば偏差値を使うということでもよいわけですが、偏差値を使おうとした場合に、例えばB科目を受けるよりもA科目を受けたほうが、標準化した場合にはるかに成績が高くなるという場合があります。その場合、受験生は自分の受けたい科目、受けるべき科目よりも、むしろ高い偏差値を取れる科目に移動するという、そういう行動をとる者が多くなるという心配もでてきます。
  さらに、段階的にAランク、Bランクと分ける場合には、この区切りのAとBの境に当たったところでは、1点の違いでAに入った、あるいはBに入ったということで、むしろ部分的な不公平感が増幅される危険があります。これをどのようにクリアするのか、これも問題としてございます。
  3番目の総合問題の導入でございますが、これは現在のように高校教育が多様化してきた場合に、浅くともできるだけ広く学ばせるという方向で、高校教育への影響等も考えて、望ましいと考える方も多いと思います。この総合問題というのは大きく分けまして三つのタイプに分けられる。「教科複合型」というのは、複数の教科を合わせて一つの総合問題といいますか、一つのテストをつくるものでございます。それから、「問題解決型」の試験というのは、資料あるいは必要な情報を与えて、その場で考えて問題を解く能力を測るものでございます。それから、「能力試験型」と書いてございますのは、アメリカで実施されているSATが代表的かと思いますけれども、アビリティテストとか、コンピテンシーテストと言われているものでございます。学力としてはかなり基本的といいますか、個人の資質に近い部分を測定しようというものでございます。
  それぞれのタイプごとに利点なり問題点がありますが、いずれにしても、現在、教科・科目別の試験が持っているような信頼性を獲得するためには、相当程度の長い時間を要するということがございます。十分な準備なく総合問題を導入いたしますと、何を測っているのかわからない。SATという試験でさえ、あの試験は何を測っているのかという批判が、現在もなお続いているわけでございます。そういう意味合いにおきまして、「教科複合型」であれ、「問題解決型」であれ、「能力試験型」であれ、日本でこういう総合問題を実施した場合に、どういう能力を測っているのかという疑問に対して、信頼性、妥当性が十分な説得力を持つまでには相当な時間が必要になると考えられます。
  最後に、4番目の個人成績の事前通知でございますが、これが試験問題の公開、自己採点制度の実施という現在のシステムをそのままにして、出願前に得点通知を実現するということであれば事実上不可能と思われます。それは、得点を通知した場合に発生するクレームの内容と量、その処理に要する時間を確保することができないからです。試験実施から2次試験出願まで最短でも4週間は必要になるでしょうから、現在の2週間では到底不可能です。
  もちろん、では現状のままでいいのかということにはなりません。出願前の受験生たちがどんな情報を一番欲しているのかということを研究する必要があります。受験者氏名、受験番号、それから科目マークをきちんとミスせずに記したのかどうか、そういう受験スペックを規定どおりこなしてきたのかどうか、受験生はそれを最も不安に感じているかもしれません。そういたしますと、点数そのものは無理でも、受験スペックの情報だけでもバックしてやることはできないものか、今後検討する余地があります。受験スペックの記入を間違っていなければ、自己採点の信頼性は非常に高いものですから。そんな形の改善も可能ではないかと、個人的には考えております。4番目だけ何かポジティブな提案を加えてしまって、やや公平性を欠く話になってしまいましたが、これまでに提案されている改善内容について若干の解説を付して申し上げた次第です。以上でございます。

○木村座長
  どうもありがとうございました。大変詳細な御報告をいただきました。
  それでは、御質問等ございましたらお願いをしたいと思いますが、いかがでございましょうか。

○  センター試験と共通1次というのを明快にコントラストをつけてお話しいただいてありがたかったのですが、一番中心の問題について伺います。つまり、選抜試験と到達度評価との矛盾、資料の1枚目「3.センター試験の問題点   」の「(3)到達度評価と選抜試験の矛盾」でございます。私がお伺いしたいのは、大学入試センター試験に到達度評価という理念があったとしても、それが実現できるのかというと、非常に難しいような気がいたします。到達度評価というのは、基本的には教育目標がきちんと明確化され、教育の問題としては本当は全員が100%到達できたら、言うことはないんですね。しかし、そこまでいかないにしても、例えば「この人はこれぐらいまできました」ということを、一人一人について明確にすると同時に、この学級なりこの学校なりでどこまでいったかということの評価ができる、これが到達度評価だと考えます。
  そうしますと、絶対的な基準を立てなければいけない。当然教科や科目によって基準は違うわけでございます。この科目に関してはここまでできればよろしい、別の教科・科目はまた別のことだということになるのですが、そのような点は今の大学入試センター試験に反映されていないと思います。
  荒井専門委員に、到達度評価という方向にセンター試験を持っていくような可能性があるかどうかということをお伺いしたいと思います。

○荒井専門委員
  私はないと思います。先ほど制度的な理念と利用実態との乖離というふうに申し上げたのは、できない試験を実施していると言ったのでは少し言い過ぎになると思ったからです。現在の大学入試センター試験の科目の並びを見ていきますと、A・B科目、先ほど言いましたように4単位と8単位、あるいは2単位と4単位という科目が同列に置かれているわけです。なぜこのようなことが可能なのか。選抜試験の内容としてはこのようなスペックはあり得ないことですけれども、これが許容されている背景というのは、制度的な理念が到達度評価を志向しているからということになるわけです。このできない相談を実はやっているというのが現状だと思います。
  そういたしますと、制度的な理念と利用実態とをやはり分けなければいけない。到達度評価というものは到達度評価としての新しいシステムをつくらなければいけないし、大学入学のための共通試験を目的にするのだというのであれば、大学入試センター試験はその目的と矛盾のない、公平な試験制度をつくっていかなければいけないということになると思います。

○  その場合の公平さの意味なんでございますが、専門委員はやはり一次元のやや一般的な学力水準というのがあると考えられて、それぞれの教科・科目の成績がそこにプロジェクトされる、それが公平であるとお考えですけれども、大学の立場から考えますと、先ほどの純粋の到達度評価でも、例えばこういうふうな目標をどこまで到達した人かというのを一人一人見て、そして判断するということも不可能ではないような気がいたします。ですから、公平さというのが、これが非常に難しい概念でありまして、今のような一般的な学力水準を一次元で並べるということを公平さというふうに考える必要があるのかということをもう一度お尋ねしたいと思います。

○荒井専門委員
  それもおっしゃるとおりだと思います。学力というものは決して一次元ではない。ですから、各大学では大学入試センター試験に加えて様々な選抜資料、あるいは学力評価を加えて、それで教育的な観点から、あるいはその大学の学部学科の特性に応じて評価を行うことが必要なのだろうと思います。
  しかしながら、大学入試センター試験の場合には共通に使う物差しでございますから、その条件の中でできるだけ客観的に明快な形での物差しでなければならないと思います。そこにある種のあいまいさを持ち込みますと、それを利用する大学は二重のあいまいさを抱え込むことになる。教育的(評価)なあいまいさを入学者選抜に持ち込むとすれば、それは共通試験の結果とそれ以外のものとを合わせるときに意図的に果たされるものだろうと思います。ある種のあいまいさを導入することによって能力測定の偏りと不備を何とか保障しようとする努力なのだと思います。いずれにしても共通に使うものは、なるだけ明快な、そして明確な物差しでなければならないと私は考えております。

○  二つ質問があるんですけれども、一つは、これはそもそも大学入試センター試験ありきというところでの議論をしているわけですが、私の記憶では、はるか昔、私が大学の入試を受けたころには、共通第1次学力試験も何もなくて、大学がそれぞれ試験をやっていたと思います。ですから、そもそも何でこういうものが必要なんだろうかというのが一番最初の質問でございます。大学側の理由からいけば、自分がやらなくてよそ様がやってくださるほうが、例えばコストが安くて済むとか、そういう事情はいろいろあるだろうと思いますけれども、今、受験者数は増えているかもしれませんが、大学の数も増えているわけで、それぞれ自分のところでやるということでは何でいけないんだろうかというのが一つです。
  2番目の質問は、高校教育到達度評価への重点シフトということになっていますけれども、もしそれであるならば、資料の1枚目に問題点としてお書きになった「(1)受験者の多様化による識別力の低下   」と「(2)ア・ラ・カルト方式実施のための条件確保(教科科目間の難易差調整) 」というのは問題点ではなくて、別にだれがどれぐらい上位かということを識別する必要はなくて、ある閾値を超えればいいというふうに考えればいいわけでしょうし、難易度も調整する必要がなくて、その受けた科目について高校教育として望ましいレベルに達したということを証明しているだけであるということだろうと思います。問題点の「(3)到達度評価と選抜試験の矛盾   」というのは、むしろ二つがはっきりしない、あいまいな状態で存在をしているから生じているということにすぎないのではないだろうかという気がいたします。以上の2点です。

○荒井専門委員
  2番目の御指摘をもう少し……。

○  2番目の質問は、おっしゃるような高校教育到達度評価であるというふうにこの試験を観念するのであれば、「(1)受験者の多様化による識別力の低下   」「(2)ア・ラ・カルト方式実施のための条件確保(教科科目間の難易差調整)」は別に問題ではないだろうということです。「(3)到達度評価と選抜試験の矛盾   」というのは、結果的に入学試験のための選抜であるというふうなあいまいさを残しているがために、そういうふうに利用する大学があるということが問題であって、どちらかに性格がはっきりしていれば、それも問題としてそもそも生じないであろうということです。

○荒井専門委員
  そういう意味合いにおいては、御指摘のとおりです。「(3)到達度評価と選抜試験の矛盾 」については実は「(1)受験者の多様化による識別力の低下   」と「(2)ア・ラ・カルト方式実施のための条件確保(教科科目間の難易差調整)」の問題を含み込んでいるわけです。現状が到達度評価であることを志向しながら、現実は選抜試験であるということの矛盾。そのことによって、「(1)受験者の多様化による識別力の低下」と「(2)ア・ラ・カルト方式実施のための条件確保(教科科目間の難易差調整)」の問題が生起してきているということは御指摘のとおりです。
  では理念どおりになぜできないかということが問題になるわけですけれども、それは後で審議していただければよろしいかと思います。なかなか理念どおりにいかないということの問題がまさしく問題であると言えるかと思います。
  最初の方の、なぜ共通テストをやるのかということでございますが、第2回目のときにも若干触れたかもしれませんけれども、大学というものが多様になってきた、量的にも拡大した。一方で高校教育が多様化してくるというときに、この両者をどのように接続させるかというときに、個別大学がそれぞれにハンドメードの試験をやっているというのでは、このための接続が非常に複雑になる、困難になり過ぎる。教育がコストパフォーマンスで片づくのかと言われれば、それまでのことになるわけですけれども、欧米先進国を含めて共通テストが支配的になっているのは、中等教育も拡大した、高等教育も拡大した。しかも、両方が多様化し複雑化していく中でもって、この両者をどのように接続させるかというときに、共通的なテストあるいは共通のスケールがどうしても必要になってきた。そういう歴史的な要請の中でこういうものが生まれてきたと理解しております。

○木村座長
  まだたぶんたくさんお手が挙がりそうな気配でございますが、今も話題になりました外国ではどうしているかということについて、事務局のほうで資料を若干そろえていただいておりますので、事務局から御説明いただき、その後、全部まとめてまた議論をしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

○事務局
「諸外国の大学入学者選抜の状況について」でございます。
  説明は、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ドイツという順番に御説明を申し上げたいと思います。
  最初にアメリカ合衆国でございます。
  まず、大学入学者選抜におけます後期中等教育と高等教育の状況ということでございます。その概要としまして、後期中等教育でございますが、1960年代ぐらいからハイスクールの進学率が9割を超えてきたわけでございます。したがって、その役割も変化しましたし、また生徒のニーズも多様化してきたということが言われておるわけでございます。現在のハイスクールの役割といたしまして三つございまして、一般教育、職業教育、それから進学準備教育というのが指摘されているわけでございますが、大学への進学率の大幅な上昇に伴いまして、大学への進学準備という側面が強調されているようでございます。
  次に高等教育でございますが、大学の役割は教養人の育成、高度な教育研究活動、専門性の高い職業教育などでございます。現在の進学率は、フルタイムでございますが、50%に近くなっているということでございまして、学生の多様化とか、あるいは入学者の学力低下が指摘をされてきているわけでございます。ちなみに、大学の進学率で見ますと、1946年段階で12%、1967年段階で41%、最新のデータであります95年で47%というように進学率が向上しているということでございます。
  2番目の後期中等教育と高等教育の連携というところでございますが、教育面と学生募集と二つに分けております。教育面の連携といたしまして、代表的な取組が三つあるわけでございます。
  一つはAPプログラムというのでございまして、これは大学加盟の民間機関であります大学入学試験委員会というのがございますが、そこが実施をしているプログラムでございまして、ハイスクールの在学生徒に対しまして大学レベルの学習機会を提供するということをやっておるわけでございます。およそ32科目あるそうでございまして、このプログラムに参加しているハイスクールの数は1,200校、全体の約35%、生徒数にいたしまして58万人、全体の約6、7%ということでございます。
  それから、補習教育でございますが、大学が学生を対象にいたしまして、ハイスクールレベルの英語と数学の教育を提供しているということでございます。実施している大学は77.8%という数字が出されております。
  それから、二重登録制度でございます。これはハイスクールに在学をしながら、州立の大学に履修登録をするということでございまして、この単位につきましてはハイスクールの単位としても認定しているということでございます。これは州レベルでやっておりますので、約20州以上が実施をしているというようなデータでございます。
  学生募集につきましては、大学職員がハイスクールを直接訪問し、進学希望者に関する情報収集等を実施したりしております。
  3番目の高等教育機関における編入学でございますが、この背景といたしまして、1960年代以降、短期大学が非常に発展をしたわけでございますが、短期大学の発展に伴いまして、短期大学におきまして4年制大学の第3学年への編入という課程が設置されてきてございます。また、4年制大学間での編入学も見られますが、編入学によります学生の流動性とか、あるいは入学者選抜の在り方を含めた議論は、現在のところは見られてございません。
  2番目の大学入学制度でございます。入学制度の概要でございますが、全国統一的な法令の規定はなく、各大学がそれぞれの状況に従って定めているということでございます。しかし、共通している部分も多いわけでございまして、一般的に三つの方式に分類をされているわけでございます。「開放型」「基準以上入学型」、それから「競争型」でございます。
  まず「開放型」でございますが、ハイスクール卒業資格を持った全員入学ということで、主に州立の短期大学などの方式でございます。
  それから、「基準以上入学型」ということでございますが、これは各大学が定めます基準以上のハイスクールの成績等をおさめたものを入学させるということで、これは多くの州立大学で実施をされてございます。
  それから、「競争型」でございますが、これはハイスクールの成績等により選抜するもので、有名私立大学などでございます。ただ、個々に別途、筆記試験等による入試はないということでございます。
  なお、州立大学の授業料は大体30万〜40万円でございますが、競争の激しい私立大学は約250万円前後でございます。ただ、授業料の多寡と入学者選抜の在り方を含めた大学教育の在り方ということにつきましての議論は見られてございません。
  それから、入学要件でございます。まず年齢要件でございますが、特に年齢による入学制限はございません。飛び級などで早期入学も可能と書いてございますが、極めて少ないということで、1%に満たない状況であります。
  それから、学歴要件でございますが、通常はハイスクールの卒業あるいはこれと同等の資格取得ということでございます。
  科目履修要件でございますが、「開放型」以外の大学につきましては、特定の科目の履修あるいは5段階評価の「3」以上の成績を要件としている場合が多いようでございます。
  3番目、入学者の決定方法でございますが、ハイスクールの学業成績、ハイスクールからの推薦状、適性テストの得点、それから小論文等をもとに、各大学のA・O(アドミッション・オフィス)の専門職員が入学者を決定するということでございます。
  この中で特に重要な要件とされていますのは、ハイスクールの学業成績と適性テストということでございます。適性テストにつきましては、「学力評価検査  I  (SAT  I  )」あるいは「アメリカ大学テスト(ACT)」を各大学で受験生に課していると聞いてございます。
  「SAT  I  」でございますが、これは大学入学試験委員会が実施をしておりまして、言語と数理の2領域ということでございます。マークシート式による多肢選択式でございまして、年間5回から7回実施されておりまして、年間受験者数で約200万人ということでございます。
  それから「アメリカ大学テスト(ACT)」でございますが、これはアメリカ大学テスト事業団が実施しておりまして、英語、数学、読解、科学的推論の4領域からなってございます。これにつきましても多肢選択式で、年間4回から6回実施をしておりますが、受験者数は大体100万人ということでございます。
  4番目の大学入学者選抜の時期・期間でございます。ハイスクール第3学年・後期の3月から始まって、同年の9月で11学年が終わって、ここからハイスクールの最終学年である12学年に入るわけでございます。次年の9月が大学の入学時期ということになっております。
  ハイスクール第3学年・後期の3月から4月にかけて、先ほど言いました適性テストでございますSAT等を受験する。あるいは、12年生になりまして9月から10月にSAT等を受験する。普通は高校で受験をする例が多いようでございます。その後、12年生になりまして、11月から願書を提出する。願書は11月から2月までに提出し、締め切りが2月ごろでございます。それから3月、4月に合格通知がまいりまして、9月に入学をするというのが一般的でございます。
  そういうことで、年間5回から7回、あるいは年間4回から6回、それぞれのテストを実施しているわけでございますが、先ほど申し上げましたように、11年生の3月、4月、あるいは12年生の9月、10月ごろに受けるのが普通だということでございます。
  5番目の大学入学者の選抜の課題でございます。これにつきましては、現在のところ特段大きな問題は指摘されていないということでございます。
  次に、イギリスに移ります。
  まず、後期中等教育と高等教育の概要でございます。大学進学の準備を行いますシックスフォームと職業準備教育を行う継続教育機関の2つのタイプの後期中等教育機関がございます。イギリスにつきましては、中等教育というのは最も一般的な中等教育機関としての総合制中学校というのが置かれているわけでございますが、総合制中学校は前期5年間でございまして、この期間は義務教育になっております。その後の後期2年間、これをいわゆる後期中等教育機関が担うわけでございまして、シックスフォームと呼ばれているものでございます。したがいまして、この2年間におきまして大学進学のための準備教育が実際行われているわけでございます。
  近年、後期中等教育の進学率が上昇してまいりまして、1985年49%だったものが1995年69%と上がってきたわけでございます。これに伴いまして、生徒の能力、適性、あるいは志望進路の多様化が進んでまいりまして、そもそも進学のための準備教育でありましたシックスフォームの中にも、最近は職業資格課程というのが置かれるようになってきているということでございます。
  また、高等教育でございますが、最近まで学問研究を行う大学と実学的な専門教育を行いますポリテクニク、高等教育カレッジの二元制をとってきたわけでございますが、1990年代の初めになりまして、ポリテクニク等が大学に昇格をして一元化が図られてきたということでございます。
  こういうこともございまして、従来、イギリスの大学につきましては、中途退学は少なかったようでございますが、進学率の上昇等に伴いまして、学生の多様化と中退が増えるのではないかという可能性が指摘をされてきておるところでございます。
  それから、後期中等教育と高等教育の連携でございますが、シックスフォームにおきましては、大学における専攻の基礎的教育を担う機関というような性格を持っておりまして、志望専攻に関連した3科目程度につきまして集中的に学習するということと、それから後ほど説明いたしますが、GCE試験というのがあるわけでございますが、それを照準に合わせました教育が行われているということでございます。
  3番目、高等教育機関における編入学でございます。これも統一した編入学制度はございませんで、これを認めるかどうかにつきましては、大学によって異なるということでございます。また、編入学によります学生の流動性あるいは入学者選抜の在り方を結びつけた議論は、現在のところ見られておりません。
  次に、大学入学制度でございますが、まず概要でございます。これも統一的な法令上の規定はなく、各大学が定めた要件あるいは基準に従いまして、それぞれの入学者の選抜を行っているところでございます。外部試験の成績を主たる選抜資料とするのは各大学に共通しているということでございます。
  それから、入学事務につきましては、大学・カレッジ入学サービスというものがございまして、一括処理する全国機関が設置されておるところでございます。
  また、授業料でございますが、1998年度入学者から年額最高約20万円の授業料が導入されておりますが、入学者選抜の在り方を含む大学教育の在り方とこれとが結びつけられた議論はなされていないということでございます。
  2番目、入学要件でございます。年齢は、通常17歳または18歳でございます。それ以下でも例外的に認められている場合がございます。また、学歴要件は、一般要件としまして後期中等教育修了時18歳の大学入学資格試験でありますGCE試験というのがあるわけでございますが、これを2ないし3科目、それから義務教育修了時16歳に受験をする中等教育修了一般資格試験(GCSE試験)がございますが、これを1ないし3科目合格することが必要でございます。さらに、進むべきコース(専攻)要件というのがございまして、大学が示しますGCE試験の科目の受験と、その試験における一定成績が必要ということになってございます。
  GCE試験でございますが、これは試験機関が行う外部試験でございまして、100科目以上の試験を提供してございます。記述式の筆記試験が中心でございまして、通常年1回、5月から6月に行われてございます。
  3番目、入学者の決定方法でございますが、GCE試験の受験科目と中等学校長によるGCE試験の予想成績、一部大学につきましては面接に基づきまして合格  ―仮合格でございますが  ―を決定するわけでございます。その後、GCEの試験の結果を待ちまして、最終合格者が決定ということでございます。
  4番目、大学入学者選抜の時期・期間でございます。
  まずシックスフォーム第2学年(最終学年)第1学期の9月から願書の受付が始まるわけでございますが、願書は11月に締め切られるということで、9月から11月が出願時期になってございます。願書につきましては、大学・カレッジ入学サービスセンターに一括出願いたしまして、同機関が各個人が希望します志望大学に送付いたします。志望先は6専攻まで認められているということでございます。
  そして、1月から4月にかけて、各大学におきまして送られてきた願書について書類審査等が行われまして、4月末までには仮合格というのが出されるわけでございます。なぜ仮合格かといいますと、この段階におきましては、一般的にGCE試験をまだ受けておりませんので、受かったら合格という仮合格通知が出されるわけでございます。その後、5月から6月にかけましてGCE試験を受けていただきまして、8月のGCE試験の合格を待って最終合格というのが確定をするわけでございます。この段階で、先ほど言いましたように6専攻まで出せますので、六つとも受かった場合につきましては、本人がどこの大学がいいというふうに自ら決定いたしまして、10月に入学するという手続を踏むということでございます。
  5番目に、イギリスにおける大学入学者選抜の課題でございますが、今申し上げましたように、GCE試験の前に仮合否の決定が出される現在の選考を見直して、GCE試験の決定後に仮合格ではなくて合格を決めましょうという議論がなされているようでございますが、結論は出ていないということでございます。
  次は、フランスでございます。
  後期中等教育と高等教育の概要でございますが、普通教育中心でありますリセ、それから実践的職業教育中心の職業リセというのがございます。後期中等教育の進学率はおよそ90%でございます。進学率の向上に伴いまして、生徒の多様化に対応し基礎学力の向上を目指すという改革が実施をされておるところでございます。
  また、高等教育につきましては、幅広い専門分野の教育を行う大学、それから高度の職業専門教育を行い各界幹部の養成をするグランゼコール、それから各産業分野の実際的教育を行います短期高等教育機関がございます。これらの高等教育機関の進学率は約46%でございます。大学におきましては、入学者につきましては無選抜というのが原則でございます。中途退学が非常に高くて、前期2年間の間に40%の者が退学するという数字が出ております。また、大学におきましては、学生の学力の多様化に対応する改革も現在実施されておるところでございます。
  2番目、後期中等教育と高等教育との連携は一般にないと言われてございます。
  3番目、高等教育機関における編入学でございますが、これは原則的には可能でございますが、国の一般的基準はなく、各大学が個々に判断しているということでございます。同じ学部で他大学への編入学はしばしば行われていることでございます。なお、こうした編入学による学生の流動性と入学者選抜の在り方を結びつけた議論はなされておりません。
  次に、大学入学制度でございます。高等教育機関への入学につきましては、バカロレア取得が基本的な条件になってございます。大学はバカロレア取得者が原則として無選抜で入学できるということでございます。グランゼコールにつきましては、各学校ごとにバカロレア取得者を対象にいたします学力試験などによりまして入学者選抜を実施してございます。
  授業料につきましては、大学では徴収しておりません。グランゼコールの場合につきましては、私立校では徴収しておりますが、一部の国立校では学生は国家公務員になりまして、授業料がないだけではなくて、給与が支給されるということでございます。
  2番目、入学要件でございます。年齢要件につきましては、バカロレア取得の試験の受験に当たりまして、試験実施年度の12月末までに17歳に達していることとされておりますので、高等教育機関への入学はおおむね18歳ということでございます。もちろん、飛び級などによる例外は認められているということでございます。
  それから、バカロレアの取得試験でございますが、これは国家試験でございまして、三つございます。「普通バカロレア」「技術バカロレア」、それから「職業バカロレア」でございまして、18歳人口に占めますバカロレア取得者は61.2%でございます。
  それから、時期でございますが、リセ最終学年の修了時の6月でございます。全国一斉に行われまして、1次試験及び2次試験がございます。ただ、2次試験につきましては、1次試験におきまして一定の点数は取っているんですが、合格点に達していない者にのみ2次試験を課しているということでございます。1次試験で十分な点数を取れなかった人が2次試験に進むということでございます。
  それから、形式・内容でございますが、大学区が22あるわけでございますが、大学区ごとに問題を作成している。ただ、大学区ごとで連携いたしまして問題をつくっている例はございますが、原則は大学区ごとに問題を作成するということでございます。1次試験は筆記と口述、2次試験では口述ということでございます。
  3番目、入学者の決定方法でございますが、大学は無選抜型で、先ほど申し上げたとおりでございます。グランゼコールと短期高等教育機関につきましては、選抜型でございます。特にグランゼコールにつきましては、高度な水準の論述式の試験を実施しているということでございます。
  なお、グランゼコール、短期高等教育機関におきましては、先ほどの三つのバカロレアの種類によって入学を制限しているのが一般的でございますが、大学につきましては原則としてどのバカロレアを取ってもどの大学にも入れる。バカロレアの種類によって行く大学の制限はないということでございます。
  4番目、大学入学者の選抜の時期と期間でございます。いずれも年1回、10月入学でございます。大学入学者は6月のバカロレア試験を経まして、10月の入学時までに決定をするということでございます。
  現在の課題でございますが、大学進学率が向上したことに伴いまして、無選抜というのが大学は原則だと言ったわけでございますが、居住地による制限とか、あるいは取得したバカロレアの種類によりまして制限をするとか、あるいは学力による制限が行われるようになっておりまして、無選抜入学の原則が崩れつつあるということであり、これに対しては訴訟も起きているということでございます。
  次は、ドイツでございます。
  後期中等教育と高等教育の概要でございますが、後期中等教育につきましては、大学進学準備を行います第5から第13学年の9年制の中等教育機関でありますギムナジウムのほかに、各種の職業教育学校がございます。
  なお、ドイツでは全日制課程に進学しない者につきましては、義務教育修了後、18歳まで職業学校に週1回あるいは2回通学をする義務がございます。
  それから、高等教育でございますが、これは大学と高等専門学校でございまして、高等教育進学率約31%でございます。ギムナジウムで一般教育は修了するというのが基本的な考えでございまして、大学は専門教育の場であるという位置づけになっているようでございます。中退は2割強という調査がございます。
  それから、連携でございますが、高等教育機関というのは入学者選抜に関与しておらないわけでございまして、教育上の連携もほとんどないということでございます。
  それから、高等教育機関における編入学でございますが、転学・転科というのは従来比較的自由でありましたが、在学者の増加によりまして定員の余裕がなくなってきたということもございまして、以前ほど頻繁に行われなくなってきたということでございます。なお、こうした編入学による学生の流動性とか、入学選抜の在り方を結びつけた議論は、今のところないということでございます。
  それから、大学の入学制度でございますが、ドイツの中等教育というのは、10歳で初等教育レベルの基礎学校というのがあるわけでございますが、初等教育のレベル、4年間の基礎学校を修了いたしますと、三つ進む道があるわけでございます。一つは、先ほど言いましたギムナジウム、9年制の学校に進む。もう一つは、実科学校(6年制の学校)に進む。さらに、ハウプトシューレ(5年制)に進む道がございまして、いわゆる三分岐型になっておるわけでございます。この中で、大学入学資格はギムナジウム修了者のみに与えられているということでございますので、10歳の段階で、ギムナジウムに進む人は大学へ進む、それ以外の人は進まないということになっておるわけでございます。
  また、高等専門学校入学者資格につきましては、実科学校修了後に、次に進みます上級専門学校というのがあるわけでございます。したがいまして、6年制の実科学校を終わりますと、2年の上級専門学校に進みまして、そこを修了いたしますと高等専門学校の入学資格が出てくるわけでございます。これは無試験だそうでございます。
  これらの資格を取得いたしますと、原則希望の高等教育機関に入学が可能になるわけでございます。ただ、定員を超過いたします場合につきましては、中央学籍配分機関(各州による共同設置)というのがございまして、ここが生徒を配分、決定をすることになっておるわけでございます。
  ドイツの大学につきましては、一般に無償でございますが、1998年から一部の州で、特定の学生から約14万円の授業料を徴収しているところも出てきたということでございます。
  2番目の入学要件でございますが、年齢要件は定められていません。定められていないんですが、飛び級なんかによりまして、通常の年齢、大学は19歳、高専は18歳でございますが、これ以下でも入学は認めているということでございます。
  それから、大学入学でございますが、大学入学資格「アビトゥア」というのがございまして、ギムナジウム最終学年のアビトゥア試験を300点と、それから平常成績540点を取得することによって、入学資格が出てくるということでございます。これを取得することによって初めてギムナジウム修了が認められるとともに、大学入学資格を与えるという両面を持っているということでございます。合格は各3分の1以上の得点を取れば資格が取れるということでございます。この試験につきましては4科目ございまして、3科目が筆記、1科目が口述試験ということでございます。州によりまして州全体の統一試験と、各ギムナジウムが出題する州があるということでございます。
  アビトゥア試験というのは、州ごとに行われている試験でございまして、資格も州ごとに認められた資格でございますが、各州は相互に承認し合ってございまして、国内どの州におきましてもこの資格を持っていれば入学できるという仕組みになっておるわけでございます。
  なお、高等専門学校におきましては、アビトゥア資格は必要はございません。
  3番目、入学者の決定方法でございますが、入学資格取得者は、原則として希望の高等教育機関に入学が可能ということでございます。先ほど言いましたように、行きたい専攻課程が定員超過しているときには、次の二つの段階がございます。専攻課程の定員が一部の大学で超過しているけれども、全大学で見た場合は収容が可能であるという場合につきましては、家庭的・経済的事情に配慮しまして、志願者の配分を行う。これは一次的な事情等が多いようでございますが、配分手続をします。
  ところが、全大学でも自分の希望する専攻が満員であるというような場合につきましては、外国人など一定の志願者グループの定員を留保した上で、残りにつきまして、アビトゥアの評点で定員の60%、もう一つは待機期間  ―大学に入りたいけれども、入れなかったという待ち時間でございますが  ―で定員の40%により選考、配分をしているということでございます。これが一般選考手続と呼ばれているものでございます。
  配分手続、それから一般選考手続、いずれにいたしましても中央学籍配分機関というのが実施いたしまして、各大学が関与しているものではございません。
  それから、大学入学者選抜の時期・期間でございますが、冬季学期、それから夏季学期がございまして、いずれからも入学が可能であるということでございます。アビトゥア試験は、ギムナジウム最終学年の2学期、2月初めから7月まででございますが、この間に行われるということでございます。
  夏季でも冬季でもいいですよという背景といたしましては、すぐに大学に入る者もいるわけでございますが、自ら職業訓練を終えて数年後に入学するということもございまして、夏に入っても、冬に入ってもいいという様々な入学時期を認めているということでございます。
  それから、大学入学者の選抜の課題でございます。1つ目は、先ほど言いましたように、中央学籍配分機関が決定するということで、大学が関与していないわけでございますが、入学者決定における大学の関与をどうするのかということが一つ課題になっているということでございます。
  もう一つは、専攻に関する基礎学力の確保についてで、アビトゥア試験の科目と大学の専攻と一致していない  ―先ほどどんなアビトゥアを取っても入れると言いましたが  ―ということもございますので、大学で学ぶ専攻に関する基本的な学力をどう確保していくかというのが課題になっているということでございます。

○木村座長
  ありがとうございました。
  きょうはたぶん御議論というよりも御質問のほうが多いかと思います。30分強時間がございますので、先ほどの荒井専門委員のプレゼンテーションも含めてお願いいたします。

○  2点ございます。一つは、今の御説明について確認ですが、イギリスの場合はスコットランドはちょっと違うやり方をとって、今、どちらがいいかというので  ―御説明いただいたスタイルはイングランドのスタイルですが  ―その議論が進んでいるということで、GCEの改正も議論されているということを、一昨年、現地で話を聞いたんですが、その辺のところは調べられているのかどうか、もしお分かりでしたらということが1点でございます。
  もう1点は、荒井専門委員にお伺いしたいんですが、御説明によりますと、大学入試センター試験は6割を取らせる水準を考えておられるということでございます。ちょっと意地悪な質問になっちゃうかもしれないので申しわけないんですが、浪人生が大体17〜18万人でかたまっているということでございますが、浪人生の平均点は何点ぐらいになっているんでございましょうか。もしこれを調べてわかっておられるようでしたら、仮にこれが高いとすれば、6割という出題に無理がある。つまり、もっと難しい問題を出さないと対応できないということが放置されていたことにならないのかなという気がするわけであります。
  もしそうであれば、これから先は私の個人的な考えになるんですけれども、複数回実施は難しいということがあるんですが、同時にやる複数回実施、難しいやつと易しいやつを同時にやる。どっちかを選んで受験して、どれを選ぶかは各大学が決めるということが可能かなとちょっと思いまして、御質問させていただきます。

○荒井専門委員
  浪人生の点数がどうかというのは、一部は明らかになっているかと思いますが、私、今すぐにこの科目はどうかというふうには申し上げられません。ただ、以前分析しましたときには、浪人することによって得点が上昇する科目と変わらない科目がございます。これは当然のことですけれども、マクロ的に見れば、国語あるいは社会というのは比較的変わらない科目です。実は最も点数が上がるのは数学です。次に英語、理科、社会、国語という順番になります。
  それから、浪人生でもし点数が高ければ、もっと難しくするべき点を怠ってきたのではないかということの御指摘ですが、これは私はちょっと理解が行き届きませんので、もう一度説明していただけますか。

○  高等学校における教育の到達度の評価という観点からしますと、高校を終えた後さらにもう1年、自分で選んで勉強して、それで受験するということですから、高校教育の到達度評価という観点からすると少しずれているわけです。しかも、いわゆる難関大学と称せられるところは、ある一定のパーセンテージで浪人が入っているということは、私が感じていることを裏づけているのではないかと思うんです。ですから、3年で受ける試験と4年、5年やって受ける試験とは本質的に違っていいのではないか。4年、5年やって受ける試験を3年で終わった生徒が受けても構わないのではないかと思うものですから、そういうことが可能なんでしょうか。

○荒井専門委員
  それは3年で受けても、あるいは浪人の期間を経てから受けても、点数がさほど変わらない試験であるべきだという御意見でしょうか。

○  現実には変わっているんでしょう。

○荒井専門委員
  浪人というのは高校教育の延長上でもってトレーニングしているわけです。ですから、その間もいわば傾注したエネルギーと時間によって、高校教育のその個人の達成度というのは伸びているわけですね。それを高校教育と言っていいのか、予備校教育の成果と言っていいのかわかりませんけれども、トレーニングしている内容は紛れもなく高校教育の延長上での努力ということになろうかと思います。そういう意味では、もっと難しい試験をつくるべきではなかったかというのは、私、ちょっと理解しかねるのですが。
  もう1点の、やさしいテストと難しいテストを実施するというのは、御質問ではなかったかもしれませんけれども、この難点というのは、例えば二つの種類のテストがあったときに、各大学が選べるわけですけれども、受験生の側からすれば、複数の大学を受けようとしたときに、こちらの大学はやさしいほうのテストを選んでいて、こちらの大学は難しいほうのテストを課しているという場合には、両方を受けなければいけなくなるわけですね。そうでないと、複数の大学を受験するということはできませんので。あるいは、その間のコンバージョン、成績の変換をどうするのかという問題が解けないと、やさしい問題と難しい問題の二つのテストを同時に実施するというのは実は非常に困難な問題を引き出してしまうことになるのではないかと思います。

○事務局
  先ほど述べられたスコットランドのことについては把握しておりませんが、スコットランドにも資格試験に相当するようなものがありまして、その受験科目数を比較しますと、イングランドのGCEが3科目程度なのに比べまして、科目数を多く取るような形になっております。それから予想しますと、今、イングランドのGCEで一番問題になっているもう一つの課題に、あまりにも3科目では専門化し過ぎているということで、もう少し科目数を増やしたらどうかという議論は、特に労働党になってからまた議論が起きておりまして、たぶんそこと結びついた話かと思います。最近のニュースでも、来年度あたりからGCE・Aレベルも4、5教科取らせたらどうかという議論もされておりまして、そこと結びついた話かと思われます。

○  これは荒井専門委員と、それから事務局の方の説明と両方にひっかかると思いますが、センター試験の問題点の中で、学力上位者における識別力の低下というお話が荒井専門委員からございましたが、これへの対応をお考えになっていらっしゃるのかいないのかという点。たぶん問題を難しくするということなのかもしれませんが、何らかの対応をお考えかどうかをまずお聞きしたいと思います。
  もう一つは、これは事務局に質問ですが、アメリカのSATの場合、これは成績上位者に関してはほとんど差がないぐらいハイスコアを取ってしまうという話を聞いておりますが、そういう場合に、大学側の選抜対策として、これも若干仄聞しておりますが、お調べになった範囲でどういう対応をとっているのかデータがございましたらお教えいただきたい。2点お願いいたします。

○荒井専門委員
  検討はしておりますが、そのためにより難しい試験を開発するという努力は開始しておりません。むしろ学力上位者における識別力は低下しているかもしれませんが、中位者と下位者は識別できているんだから、これはこれで機能としては果たせているのではないかという評価も強くございます。

○事務局
  アメリカについてでございますけれども、先生がおっしゃいましたように、学力上位者がSATを受けた場合、ほとんどの方が満点に近いハイスコアを取るわけでございます。ただ、そういう人が進学する大学はほとんどの場合、競争型の大学でございまして、競争型の大学におきましては、ハイスクールの成績と適性テストの点数だけではなかなか差がつかない。したがって、その人のやる気とか、創造性とか、人物面といいますか、適当な表現が思い浮かばないんですが、学力以外の部分も含めて、そういう総合的な評価で、大学に入学後その人がどれだけやっていけるかというところまで、評価の対象にしているというふうに把握しております。

○  そうすると、面接のようなものが主になるんですか。

○事務局
  面接を行っている大学もあるんですけれども、むしろエッセーとか、あるいは推薦文とか、ハイスクールの校長先生とか、あるいは担任の先生の推薦文等から判断する。その判断は、各大学の入学専門の担当機関の専門職員に任せられているということでございます。

○  そうすると、日本流の公平性という概念とは若干違う、担当者の識別眼といいましょうか、そういうものに依存するシステムになっている……。

○事務局
  詳細な部分につきましては把握が至らないところもあるんですけれども、以前調査に行きました大学におきましては、日本のシステムは公平である、それはそれでいいのではないかということを向こうの人は言うわけでございます。主観的な部分は向こうの大学の入学者決定にはあると思います。

○  これも荒井専門委員にお聞きいたします。今日の話でもありましたように、今の大学入試センター試験が高校教育の到達度を測るのを建前としながら、大学側の入学者選抜の性格を色濃く持っているという隘路をどのように解決するかということにかかわってというか、これからの検討の方向ですけれども、基本的にはこの性格を明確に分けるためには、高校サイドのほうに到達度をチェックする仕組みをつくれるのかつくれないのかということだと思うんです。
  これは荒井専門委員の一つの持論で、私自身も共感しているんですけれども、これまであまりにも高校と大学の教育を含めた接続の在り方が、大学入試に特化して議論されてきているところに大きな問題がある。例えば2009年ごろから希望者と定員が同数になって、希望者全員が大学に入れるみたいな状況がだんだんできていく中で、単なる入試の在り方以上に、高校教育の目的は何なのか。高校教育で最低限何を身につけさせるべきかという問題こそ優先して議論して、その上に立って入試の在り方を議論すべきだということを、荒井専門委員はずっと述べられてきていると思うんです。
  私自身も基本的にはその方向だろうと思うんですけれども、その際、高校側がイニシアティブを取って、高校教育の水準を的確にチェックする仕組みを、高校の制度の側にどうつくれるのかつくれないのかということが、一つ大きな議論の境目だと思うんです。例えば高校卒業予定者に高校卒業認定試験を課すというような議論もあるんですが、今の日本の状況を考えるとそれはほとんど不可能ですよね。少なくとも高校を出て高等教育段階に進む人については、例えば今の大検制度をもう少し充実して、大学受験資格制度をつくるとか、そういうものが高校サイドに装置できれば、大学入試のところがもう少しクリアになると思うんです。でも、果たしてそういう制度が本当に可能なのかどうか私もよくわからなくて、その辺の交通整理ができなければ、今のセンター試験は先ほど述べた二つの側面を矛盾しながら抱えていかざるを得ないし、結局、それをうまく並列調節していくというところに落ちつかざるを得ないのかなと考えてもいます。その辺、どのように交通整理したらいいか、今後の議論にかかわることですので、もしも何かサジェスチョンがあればお聞かせいただければと思います。

○荒井専門委員
  難しい御質問といいますか、御意見ですけれども、実際に高校の中にということは不可能に近いわけですが、これはこれからの地方教育行政をどうするかという問題とも関連しているかと思います。地域的な教育行政の体制をどうつくっていくのかということと、それから全国的な教育行政のありようをどのように考えていくのかということと不可欠に結びついていく問題と思います。
  高校教育の出口といいますか、その評価をどうするのかというのは、やはり地域的にいろいろな工夫をすべきなのだろうと思います。現実問題として高校教育の課程を多様化していく。その中で新しい科目をつくったり、あるいは総合学習についても新しい科目として努力をしていくことになれば、それぞれのことをどう評価していくかというのは地域に還元される問題です。例えば、ボランティアをしたかどうか、あるいはそのことの教育的な意義といったことは大学入試で評価できるようなことではないと思います。それぞれの現場でどういう工夫がされたかということは、その地域なり、あるいはもう少し広いくくりの中でその評価をどうしていくか考えられるべきであって、その工夫された結果を、選抜資料の一部として大学がもらい受け、どのように使うのかということは、その後の問題だろうと思います。
  したがって、高校教育の評価をどうするのかというのは、これはまさしく地方教育行政の課題であって、そのことに関連させながら独自に考えていく必要があると思います。

○  荒井専門委員の入学者選抜から高校教育到達度評価へのシフトはよく分かります。センター試験が割合そういう雰囲気になってきている。そのために、第16期の中央教育審議会でも答申したように、大学入試センター試験の運用にあたって高等学校関係者との緊密な連携を行うなんていうのは、まさにその一つのあらわれかと思うんです。
  同時に、到達度評価、クライテリアですね、そういう評価というのはどういう性格を持っているかというと、選抜試験の場合には横軸に点数をとって、縦軸に受験生をとった場合には、いわゆる正規分布みたいに上も少ないし下も少ないという感じで選抜していくと思うんです。到達度評価となるとそういうカーブではなくて、横軸に100点で点数をとったときには、むしろ100点のほうに向かって上昇していくカーブ、これが到達度評価の一つのイグザンプルだと思います。そうすれば、当然、学力上位者で識別能力がないというのは当たり前で、むしろそれはいい問題ではないかという感じがするわけです。そういったことを将来どう考えていくのかということが一つあります。
  もう一つは、初等中等教育と高等教育との接続という場合に、センター試験、個別試験をどう改革するかというのは大事な問題ですけれども、同時にあわせて、初等中等教育から高等教育への接続プログラム、移行プログラムをどう考えていくかということも大事かと思うんです。アメリカのAPもそうですし、前にここでやった例外措置もそうですし、そういうプログラムをあわせて考えながら移行をより一層多様化するために、どういうものがあるかというのも大事かなと思っています。

○荒井専門委員
  最初のほうの先生の御指摘は、到達度評価というのはJカーブ的なものが一つの典型だろうとおっしゃるのは、そのとおりだと思います。大学入試センター試験の問題作成も、制度的な理念に沿ってつくっていますから、それが成績上位者において識別力低下の結果になるということも、実は当然の結果だと思います。ただ、それが問題だというのは、一方で選抜試験としてそれが使われるということの現実があるわけですから、この矛盾が現実としてある以上、それはやはり問題として無視できないという事情があります。
  それから、接続プログラムに関しましては、この小委員会においては審議するべきもう一つの領域と思います。今日事務局のほうからお話のあった補習教育の問題とか、高大一貫の教育プログラムを、これだけの量的規模になってきた段階でどう考えるのかということは、高校と大学のコミュニケーションをどのように活性化していくかということも含めて議論されなければならないと思います。センター試験の問題と接続の問題は関係は深いのですけれども、同時にはちょっと議論しにくい部分がございます。むしろ先ほどの矛盾がこういう形で解消できるんだという体制といいますか、見通しができたところでもって、高大一貫の接続プログラムに関してもどう考えていくのかというところに議論が進むのではないかと思います。

○  荒井専門委員の資料を見ますと、3枚目で、現役志願者が44万人も受けているわけですから、ごく一部の大学ではセンター試験による識別は困難になってきているかもしれませんけれども、大半の大学では識別能力もあるということでしょう。到達度評価と能力評価の矛盾というのは、これだけ受ければ当然出てくるわけですから、今の識別能力があるかないかという問題は、私はあまり心配することはないと思うんです。さっき荒井専門委員が、ごく一部の大学で識別能力が下がっているけれども、それに対応する何かをしているかという質問に対して、今は特にそういう作業はしていませんというお答えでしたが、それでいいと思うんです。そこのところはあまり問題ないと思うんです。
  問題があるとすれば、先ほどのお話で一応の説明はついているわけですけれども、2単位科目と4単位科目ですか、A科目とB科目とを、これも実質的に大学側がクレバーに利用されているのではないかと思いますが、建前上は同じように利用しなさいと言っている、そこが問題なのではないか。また、前は5教科7科目で18科目ぐらいだったのが、今、31科目になっているわけですが、ざっくばらんに言ってしまえば、高等学校の教育課程の改訂に合わせて31科目にもしたことに問題があるんですが、これは仕方がないとして、今度高等学校の教育課程の改訂があるとしても、その機会に高等学校の教育課程に合わせてA科目とB科目と一緒にするとか、論理的につじつまの合わないような方向にいくのではなくて、もうちょっとそこのところを、簡単に言えばあまり増やさないという形で処理していくことのほうがいいのではないか。
  現役志願者44万人というのは、現役の大学希望者で推薦入学とかそういうのに頼らないで、学力試験でチャレンジしようという人が、先ほどの荒井専門委員のお話にもありましたように、8割ぐらいカバーしているわけですから、この構造を大事にしていきたいと私は思います。ほかの幾つかの矛盾点は、ざっくばらんに言えば目をつぶってもいいと思うんです。というのは、100%あらゆる要求を満たす試験というのはないのでありますし、まして共通試験ではそういうことはあり得ないわけです。

○  簡単に質問申し上げます。先ほどアメリカの教育制度の中で、二重登録制度というのがございました。飛び入学が日本でも始まっているわけですが、この点に関して、これは高等教育と中等教育の接合の一つのポイントだと思うんですけれども、まず学部間でといいますか、学問領域間でこの二重登録制度は、アメリカの場合は差があるかどうかというのが1点。
  2点目は、私立大学で中等教育、高等教育、両方のシステムを持っていることがありますけれども、その間でもこういうケースがあるかどうか。
  3点目は、実際に非常に強い志望で入ってこられる生徒もいれば、社会的な自分の立場を考えて希望してくる社会人もいるかと思うんですけれども、中途で挫折してやめるようなネガティブなケースがもしありましたらお教えいただきたいと思います。

○事務局
  学部間の相違ということについてでございますけれども、そこまで詳しい資料を入手しておりませんで、把握しておりません。

○  大ざっぱで結構ですが、直感では自然科学的なものと社会科学的なもの、人文科学的なものというぐらいに分けて、何かわかっていることがあったら教えてください。

○事務局
  申しわけございません。ちょっと情報が……。
  それから、第3点についてですけれども、これを利用する利用者につきましては、ハイスクールの学校長の推薦、受け入れ側の大学の承認等が必要でございまして、その際、やはり本人のやる気とか、意欲ということが重視されるわけでございます。したがって、向こうの大学関係者に話を聞きますと、やってくる生徒はかなり意欲的に取り組んでいるという状況を聞いております。

○  私立大学と州立大学について。

○事務局
  基本的にはこれは州立大学の生徒でございまして、むしろ大学というよりも、ハイスクールの学校選択の一環ということでございます。つまり、ハイスクールの教育水準では飽き足らない生徒が、ハイスクール以外のところに自分の教育機会を求めていく、その場がたまたま大学であるというケースでございます。それを制度化している州が、今、20数州あるということでございます。ただし、私立大学でも同じようにハイスクールの生徒に教育機会を提供しているところがございまして、そういう場合は州が同じように制度として承認しているようであります。

○  私、お話を伺っていて、大学入試センター試験が到達度評価なのか、選抜試験なのかというこの矛盾は、やはり整理して考えなければいけないのではないかと思います。先程お話がありました2単位だろうと4単位だろうとという話も、両方がまざっているがゆえの矛盾なのだろうと思いました。
  もう一つ、大検というのがもう一つございますね。この三つの制度というのはやはり整理して、要は接続に絡んで、未来ある学生たちが自分が本当にやりたい、勉強するということを、なるべく合理的に勉強できるような準備のスパンというようなことを考えてやらないと、日本社会全体としてロスになるということなのではないかと思います。大検というのはやはり到達度を測っているわけでしょうね。この辺、どうなんでしょうか、文部省の方。要するに高等学校の中退が多いわけですけれども。高等学校に行かずに、大学入学資格を得るという制度があるわけですよね。

○事務局
  はい、いわゆる大検、大学入学資格検定制度でありますが。

○木村座長
  到達度を測っているかどうかという、そういう御質問だと思いますが。

○事務局
  高等学校の学習指導要領に沿ってやっておりますので、趣旨としてはそういうことになろうと思います。

○  点数というよりも到達したかしないかですから。まさに一定以上。

○  一方では、高等学校別にバラバラに高等学校を卒業しましたよという卒業証明書を出しているわけですけれども、その高等学校でどの位の学力を身につけたのか大学側が信頼できないという矛盾があるわけですね。

○事務局
  大検の場合はそれは一本でやっていくということです。

○  先程の意見にこだわっているものですから、お伺いしたいんですが、一つはイギリスが、大学進学率が非常に低かったのが、ここへきて急上昇しているわけです。先ほどGCEの御説明があったわけですが、それ以外に職業教育を受けて、職業教育にかかわるGCEテストの創設等をやって、つまり大学入試の入口にかかわる試験をやさしくするという言い方はおかしいんですが、多様化したと。それがいろいろあって難しいとは言っても、努力をしていると聞いているわけです。
  我が国も同じように希望者が全員入るという状況が近くにある中で、これは荒井専門委員にお伺いしたいんですが、大学入試センター試験は従来どおりの到達度試験しかないのかどうか。さらに申し上げると、高等学校段階でいわゆる大学入学資格試験のようなテストを全国的に一律にやる  ―例えばオーストラリアはそれをやっているわけですが、オーストラリアでも問題が起きているんですが、日本でやると学校間の格差が明確になってくるわけでありまして、そういうことに耐えられるのかどうかということがあります。そういうものを導入できないとすると、一般的なセンター試験を多様化するよりしょうがないのではないかと私は考えているんですけれども、その辺のところについて、もし御意見があったらお教えいただければと思っております。

○荒井専門委員
  私は、大学入試センター試験の到達度評価の性格というのは放棄する方向で考えているものですから、先生と対照的です。この二つの性格、選抜試験であるのか、到達度評価であるのかということであるとすれば、限りなく先ほどの委員の方の御意見に近いんですが、大学入試センター試験というのは高等教育局で所轄している事項であるということから考えても、高等教育サイドの問題として考えるべき問題だろうと考えます。そのために、両者の矛盾のどちらを捨てるかということであれば、入学試験としての共通テストをどうするかということで大学入試センター試験の性格は考えるべきであって、到達度評価というのは御指摘の高校間格差とか、いろいろな問題があるかと思いますが、これは別に全国一律である必要はなくて、全国を7ブロックに分けても何でも構わないと思いますが、そこでもって多様な評価の方法を考えるべきであって、その後の調整をどうするかということは、むしろ21世紀の課題として十分に考える余地があるのだろうと思います。新しい踏み込みというのは、むしろ地域に対してどれだけの教育的な主体性を任せるかというところにあるので、その意味での格好な材料として問題を提起すべきではないかと思います。

○  先ほどそもそも何で大学入試センター試験が必要なんだろうかということについて、荒井専門委員から、幅が非常にできて多様化している中で、共通の尺度が必要だと言われましたけれども、どうもよくわからない。
  と申しますのは、アメリカやイギリスなどと違って、日本の教育には小学校から高等学校まできちんとした基準があって、それにのっとって教育が行われているという現実があるわけですね。アメリカのように州でバラバラとか、そういうお国柄とは話が違うわけです。ですから、既にホモジニアスな集団であるということを前提にしますと、これから大学がもっともっと多様化することが望ましいし、国際化とか、社会人の入学とか、そういうことを考えると、日本の大学入試は多様化が今でもしたりないというふうにも思うわけです。そういう中で、何で大学入試センター試験が必要なんだろうかというのは、私、どうしても理解できないところがございます。私立の大学なんかから、コストが人的、経済的に節減できるからやってほしいという声があるんであれば、まだこれは理解できるということなんですけれども、そもそも評価をするために必要だということはどうしても理解できないので、初めに大学入試センター試験ありきということの議論ではなくて、そういうものが必要なんだろうかということから議論をすべきではないだろうかという気がします。
  高等学校を卒業するレベルに達しているかどうか、まだ地方差があったり地域差があったりするから、ということをテストするんでありますということであれば、これもまだ理解しやすいということだろうと思います。これも先ほど申し上げた国際化とか、年とってからまた大学に入りますとか、年とってから初めて大学に入りますとか、そういうことを考えた場合には、高等学校を卒業した資格があるかどうかということは、たくさんの評価のシステムがあっていいだろうと思うんです。例えば国立大学を受けるにはこれが必要だそうですけれども、そういうことではなくて、もっともっと自由であるべきではないだろうかという気がいたしまして、多様化しているので、標準合わせが必要なんだというところがちょっと理解できないものですから、恐縮ですがあえてもう1回伺わせていただきたいと思います。

○荒井専門委員
  先生の認識と私の認識と根本的に食い違っているようですので、むしろほかの方にご意見をいただいたほうがいいのかもしれませんが、私は中央教育審議会において初等中等教育と高等教育の接続ということがテーマに挙がった基本的な状況は、ヘテロジニアスになり過ぎてしまった状況をどうやって整序していくのかということの課題と受けとめております。
  したがって、ホモジニアスであるというふうに認識されているのが、それは日本人がホモジニアスだとか、あるいはみんな同じ発想をする傾向があるということでの御認識であれば、それはそうだろうと思いますし、あるいは大学の関係者がみんな同じ大学像しか持っていないということで、ホモジニアスであるというふうにおっしゃればそのとおりなのかもしれません。しかし、現実に学力的な側面をどのように見るかということでは、もう覆うべくもなくヘテロジニアスな状況に突入していると思います。21世紀を担う人たちの基本的な学力が非常に危ういという状況に対して、入試あるいは接続がどうあるべきなのかということで考えております。
  現実に、4年制大学が約600校あるわけです。600の大学に目がけて80万人が受験していく。その中で、約60万人が大学に入っていくわけですけれども、現在のところ2ヵ月ないしは3ヵ月の間に彼らを割り振らなければいけない。たかだか10万人をどうさばくかという話ではなくて、短期大学を入れれば100万人近い人間をどういうふうに配置していくのか。その人間たちの教育達成あるいは教育機会をどう用意するのかということが接続の部分に求められているわけです。その場面で、確かに個別の大学がもっと個性を持つべきだという御主張も、それから上位の10大学、20大学がどういう入学者選抜をするべきかということも、それはそれぞれおやりになればいいことだと思いますが、例えば60万人のうちの上位10万人を除いても、残り50万人をどのように配置するか。このことに対する政策的な検討は極めて遅れていると言わざるを得ないのです。それがために、多様化という意味合いが、先生がおっしゃる意味と私の言う意味とに若干ズレがございますが、その多様化した部分に対してどういう有効な方法をとるのか。その中でもって、別に大学入試センター試験をア・プリオリに考えているわけではありませんが、そのための仕組みとして、この20年間一定の役割を果たしてきた共通試験の意義を高く評価します。向かうべき問題に対して、その手段が大学入試センター試験でなければならないというふうなことは決して思いませんが、共通テストが必要な状況にあるのだというのが私の認識です。

○  荒井専門委員と私は認識がそんなに違っていないと思うんですけれども、日本人が同じだからホモジニアスだと申し上げているわけでは全くありません。これからの時代、社会がどういう人間を要求しているかということから始まって、多様な人間が日本にいなければならない。これは国際化も含めて、ということであると思うんです。それをやるために、何で大学の入学試験のところで共通の尺度を通さないといけないんだろうかということを申し上げているわけでして、上位10校とか、そういうことではなくて、真ん中の辺の大学、あるいはそれよりも  ―何の基準で真ん中とか何とか言っているかというのはまたありますけれども、それぞれの大学が自分はこういう人を育てたいというところがなければ、大学もやっていけないということを申し上げているわけです。
  ですから、学力の差が違っていいということを申し上げているわけではなくて、日本人として高等学校を出たらば、ある程度の学力がなければいけないというのはおっしゃるとおりです。私もまさに高等学校を出るだけの学力を持っているということのためであるならばまだ理解ができるということを申し上げているわけです。ただ、その場合もそれ1種類ではなくて、何種類かの試験の道が必要だろうということを申し上げているわけです。やっぱり違う人間がいませんとこの社会は成り立っていかなくて、さらに言えば先ほど申しましたように、そもそものベース合わせの仕事は、日本の場合は文部省がちゃんとそこはやっていらっしゃるということであるわけです。ということで、基本的にあまり違っていないと思うんですけれども、何でそういうある一つの、特に国立大学とか公立大学の場合にそれを受ける必要があるということは、ホモジニアス性に重点を置き過ぎているのではないか。それが問題ではないかということを申し上げているわけです。

○荒井専門委員
  私とそれほど認識に差がないと理解いたしましたが、ただ、先生が御理解になっているよりも日本の教育の状況は多様化が進んでいるということを一つ申し上げたいのと、もう一つは計画と自由とをどうバランスさせるかということで、基礎学力をどう担保するか。そのための措置としてこの共通テストの意義があるのだということだけ申し上げたいと思います。

○  先ほど他の委員の方からアメリカの二重登録制のお話が出まして、あのとき手を挙げたのはそこがポイントだったんです。それから、今の荒井専門委員の議論の中で、もう1点だけコメントさせていただきたいと思います。
  二重登録制の問題は、接続点に関して大事なポイントだと思いますが、日本の現体制の中ではかなり難しかろうと思います。ただ、高等学校がゆとりを持つ教育体制をこれから組む。具体的には30%ぐらい学生のロードを減らすという状況のもとでは、余力の出た30%を学生たちがどのように使うかという意味で、余力のある学生は大学との二重登録制をうまく生かすことは重要だろうと思います。
  もう一つは、大学審議会の方で大学を3年間で卒業できる可能性を答申しておりますが、それとの関連でも、アメリカの場合は二重登録制の、ハイスクールの単位として認めたあるものを、大学入学後再評価してそれがちゃんと力になっていれば、「あなたは大学の2年生のクラスから始めていいですよ」というふうに、大学の期間を短縮するのに使っているんです。そういう意味で、まさに接続の多様性。1点の接続でなくて、途中、大学の1年課程を飛べるような接続制として、これは検討に値する重要なシステムだろうと思います。ただ、日本の中では、大学のロケーションとか、ローカリティとかいろんなことを考えますと、必ずしも容易ではないかもしれません。東京地区のようにたくさんの大学があるところは、これはかなりおやりになれるような状況と思います。これが1点目のポイントです。
  もう一つ、私が先ほどハイレベルの学生の評価をどうするかという話をしたのが、少し理解の仕方がずれて議論されているような気がするものですから、再度ポイントを申し上げたいということと、今もお話がありましたなぜ大学入試センター試験をやるかという点とダブるんですが、A、B、2種類ある問題をうまく使えば、2種類のレベルの試験をやっていることになるのかなと。ですから、大学の指定の仕方で使いようがあるのではないかというのが言いたかった点であります。
  もう一つ最後に、なぜこのような共通テストをやるかというポイントに関してですが、かなり長い間積み重ねてこられた大学入試センター試験の在り方に対して、私は敬意を払っております。というのは、問題の質と内容が非常にいいんです。大学の先生方が各大学独自にやるつもりでつくっている問題に比べますと、よっぽど練れた問題が出ていると思います。そういうことがありまして、うちの大学でもつい先日入試の関係者で議論をしたんですが、いわば作題のプロでない、先生方が問題をつくるような現状にある大学の作題の仕方は、ある意味で大変な負担と限界を持っていると思うんです。
  というのは、実は私どもの大学は、数えてみましたら、工学研究科と工学部だけですが、35種類の入学試験をやっているんです。高等学校の入学試験1種類でなくて、大学院まで入れ、それから編入学とかいろんなのがありますし、社会人への門戸も開いております。数えてみましたら、35種類ある。これだけの入学試験に対応していくために、18歳のところの入口だけにどれだけ力が割けるかという問題を考えますと、楽をするためにこれがいいという意味では毛頭ありませんが、よくよく考えてみますと、大学入試センター試験には大変いい問題が出ているというのが私どもの感想です。そういう意味で、高等学校レベルの修了水準を判定する日本全体の基準としては、大変重要な役割を果たしているという現状認識を持っております。
  それから、国際化の問題も含めて、私どもは多様な試験をやりながら、外国からの帰国子女の特別選抜とか、いろんなことをやっております。そういうのを見ておりまして、特にイギリス、アメリカから来る学生たちの受け入れに当たっての向こうのシステムを見ておりまして、日本の大学入試センター試験はかなりのレベルのものであると私は評価しております。質問ではありませんで、感想を申し上げました。

○  私、お話を伺いながら感じたことでございますが、問題は一体大学というのは何なんだと。日本の大学のあるべき姿というのがまずありまして、その大学に入るために、この接続の在り方が問題になっているということではないかと思うんです。したがいまして、大学審議会でもそれらの問題について討論しているんだと思うんですが、一度どなたか大学審議会のトップの方に、日本の大学のあるべき姿について一体どういうことを考えているのかということを伺いたいということが一つでございます。
  それから、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会という系列の中で、大学の入試問題、接続の問題が非常に大きな問題になって、それがちょうど漬け物の押さえ石のようになっておって、それがずうっと下に浸透して、見ていると子どもたちが「忙しい、忙しい」と。私のところも娘の子どもが小学校へ行っておりますけれども、これも塾へ行っているんです。そういった状況は、私は決してノーマルな状況だとは見ておりません。したがって、その辺を単なる接続問題として考えるのではなくて、大学、高校、中学のそれぞれの在り方についても考えなければ、我々が問われている問題の解にならないのではないかという感じがしております。
  その次に、先ほど国際的な比較のお話がございましたけれども、もう一つ、先進国における近代化の過程において、一体どういうふうに接続問題というのが変化してきたのかという点が、もしわかればかなり参考になるのではないかと思います。私自身は、旧制高校のシステムは非常にいいシステムであったと考えておりますけれども、この問題をさらに突き詰めていけば、6・3・3を終えて、2プラス2へ入っていく。そのシステムでいいのかどうかという問題にまで行き着くのではないか。
  さらに教育問題を論ずれば、教育的な機能と選別的な機能と二つあるわけでございまして、基本になるのは教育的機能。そこに至るために、それだけの能力があるのかというのを判定するために、選別機能としての今の大学入試センター試験が出てくると思うんでございます。それではその選別機能としての大学入試センター試験の在り方が、今、いろいろお話がございましたが、今のスタイルでいいのか、あるいはそれに対していかなる改良を加えるべきなのか。そして、大学入試センター試験以外の面で、口頭試問の問題とか、あるいは適性検査の問題とか、ボランティア活動とか、いろいろあると思うんでございますが、そういったトータルの観点から接続の問題を一体どうするのかということを考えてみる必要があるのかなと。
  先般、NHKの教育テレビを見ておりましたらば、昨年度のノーベル賞の経済学賞をもらったインド人のセン教授が、今、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジの学長をしておりますが、出ておりました。その前の年に二人のアメリカの経済学者がデリバティブの研究でノーベル賞をもらいまして、その二人がヘッジファンドにひっかかって大損をしたわけです。それにノーベル賞が反省して、去年は道徳経済学を主張するセン教授をノーベル賞受賞者に選んだわけです。そのお話の中で日本の教育制度を非常に注目しておりまして、特に識字率が非常に高い。日本が近代化でここまでやってきたシステムを自分はもっと研究したいんだと、こういう発言をしているんです。ちょっとくすぐったいような発言でございましたけれども。サッチャーはサッチャーで、だれかからさっきお話がございましたが、イギリスもここのところへきて読み・書き・そろばんというようなものに随分ウエートを置き出したという話もございます。我が国の教育制度には大変すばらしい面もあって、ここまでやってこられたわけでございまして、その光と影の影の部分をいかにして切除するか。そういった観点からこの接続問題を考えないと、これは単なる大学入試センター試験の在り方だけを論じていてもしょうがないのではないかという感じを私は持ちました。どうも失礼しました。

○木村座長
  どうもありがとうございました。
  それでは、20分ほど時間が延びてしまいましたが、議論が大変活発でよかったと思っております。本日は以上とさせていただきます。


※1  この資料については、文部省大臣官房総務課広報室にて閲覧できます。

(大臣官房政策課)

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