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中央教育審議会

1998/12 議事録   
少子化と教育に関する小委員会(第1回)議事録

  議  事  録 

平成10年12月11日(金)  13:00〜15:00
霞ヶ関東京會舘35階  ゴールドスタールーム

 1.開    会
 2.議    題
      少子化と教育について
 3.閉    会

出  席  者

委員
    小林座長代理、森(隆)委員

専門委員
    安藤専門委員、鈴木(り)専門委員、楢府専門委員、広岡専門委員、牧野専門委員、森(正)専門委員、山口専門委員、山谷専門委員、山脇専門委員

事務局
    富岡生涯学習局長、御手洗初等中等教育局長、小松幼稚園課長、本間総務審議官、寺脇政策課長、その他関係官


○根本会長  それでは、定刻になりましたので、第1回の少子化と教育に関する小委員会を開催いたします。
  後ほど皆さんの御推薦を得まして、座長を決めたいと思いますので、それまで私が議事を進行させていただきます。
  今回、新たに13名の専門委員の皆様に御参加いただくことになりまして、大変お忙しいところを恐縮でございますが、大変に重要な問題でございますので、何とぞ御協力を賜って、いい意見をとりまとめていただきたいと、特にお願い申し上げます。
  本日は、森田政務次官に御出席いただいておりますので、政務次官のほうから一言御挨拶をお願いしたいと思います。

○森田政務次官  どうも皆さんこんにちは。委員、専門委員の皆様には、大変お忙しい中御出席を賜りまして、誠にありがとうございます。
  本小委員会で検討していただく少子化についてでございますが、これは今後の教育施策に大変重要な影響を及ぼすものとして、私自身も大変関心を持っております。その意味で、中央教育審議会がこのことを取り上げ、また新たに専門委員の先生方に加わっていただいたということは、大変に意義深いものと思っております。どうぞ諸先生方、大変御多忙とは思いますが、ひとつ英知を結集し、幅広い観点から御検討をいただくよう、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

○根本会長  どうもありがとうございます。
  御参考までに、この小委員会設置までの経緯を若干御説明いたしますと、11月6日に中央教育審議会の第223回総会がございまして、そのときの話の過程で、少子化問題というのは非常に大きな問題だ。現在、この問題につきましては、総理の下に有識者会議というのが既にございますけれども、教育のアングルからこれをどのようにとらえて、どう考えていくべきかということを、中央教育審議会のフレームワークの中で検討すべきではないかという御提案がございました。それを受けまして、今回、この小委員会が発足するという経緯になったわけでございます。
  それでは、座長をお選びいただきたいと思いますが、どなたか御推薦お願いできませんでしょうか。

○  座長には、河合委員を御推薦したいと思います。河合委員は、先ほど会長がおっしゃいました総理大臣の下に置かれました少子化への対応を考える有識者会議の座長代理をしておられますし、また臨床心理学を御専門とされておりまして、心の発達などの問題に造詣の深い方でございますので、少子化と教育をテーマといたしますこの小委員会の座長として最適ではないかと、私は御推薦いたしたいと思います。よろしくお願いいたします。
○  どうもありがとうございました。
  河合さんにお願いすべきだという御意見がございます。特に異論はございませんですか。御賛成いただけますか。

○  それでは、河合さん、よろしくお願いいたします。

○河合座長  それでは、御指名によりまして、座長をさせていただきます。少子化の問題は非常に難しく、いろんな要素が絡んでおりますので、いろんな角度から論議ができると思います。今御紹介にありましたように、私は総理の下での有識者会議のほうにも出ておるんですが、ここでは教育ということを考える  ―いろんな考え方がありますが、少子化と教育ということで絞っていきたいと思います。
  その中で考えられますのは、少子化ということが教育に与える影響、それに対してどう対応できるかという一つの問題。
  その次には、少子化という要因に対して何か対応できることが、教育の施策の中で考えられるだろうかという二つですね。
  少子化が教育に与える影響とそれへの対応ということと、少子化の要因への対応という二つの側面があると考えております。
  そのためには、具体的なデータとか、そういうことも要りますので、審議の途中で、専門委員の方あるいは外の方からも話を伺うことがあると思いますけれども、皆さんのお助けを得まして、何か意味のあることを見出していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
  私が座長をさせていただきますけれども、やはり座長代理の方がいてくださるとよろしいと思いますので、私の一存でございますが、小林委員にお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
  それでは、配付資料の確認を事務局からお願いいたします。

<事務局より説明>

○  それでは、本小委員会の公開の方法について確認したいと思います。
  小委員会の公開につきましては、資料のとおり、11月に開催された第223回総会において決定されたところであります。すなわち、総会と同様にこの小委員会におきましても、まず一つ目として、詳細な議事録(匿名)による公開を行い、会議そのものは非公開とする。
  二つ目として、会議終了後の座長の記者会見に際しては、座長の責任でその会議の審議の概要を簡潔にまとめた資料を作成・配布する。
  三つ目として、議事録の公開の手順としては、原則として次回会議において事務局案を提示し、次回会議の欠席委員も含めて確認した上、速やかに公開するということになりました。
  今後、こうした方針で対処してまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。よろしいですか。
  それでは、少子化と教育ということについて、自由に御意見をいただきたいと思いますが、その前に、事務局のほうで参考となる資料を用意されているので、まずそれについて説明をお願いしたいと思います。

   <事務局より説明>

○  各委員の方々に御自由にこれから御意見をいただきたいと思っております。
  本日は、最後に本小委員会の今後の審議の進め方などの検討がありますので、14時50分ぐらいまでをめどにして、皆様から御意見をいただくことにしたいと思います。きょうは初めですので、申しわけありませんが、順次それぞれの立場や御経験を踏まえて、あまり時間がございませんので、少しですけれども何か一言言っていただくということで、まず委員の方から、御発言をお願いします。

○  それでは、どうしても気になることについてだけ申し上げたいと思うんです。
  ただいま説明を伺った中でも、例えば家事・育児の楽しさ、すばらしさというものを知る必要があるとか、あるいは学歴偏重というものを変えなければいけないんだという話が出てくるんですが、そういうことを聞くたびに、私がひねくれているせいもあるんでしょうけれども、本当にそうなのかと。つまり、家事・育児が本当にすばらしくて楽しいという方もいらっしゃれば、全然楽しくないという方もいらっしゃるんだろうと思うんです。それから、学歴偏重は大変困った現象じゃないかという方もいらっしゃれば、今、こういう世の中だから、一人そんなことを言ったって始まらない、それを認めてやったほうがいいのではないか。少なくとも自分の子どもにはそうさせるよみたいな話があるわけですね。そういうことをもう少し率直に言う必要が、少なくとも教育についてはあるのではないかという気がするんです。
  私の経験ではないんですけれども、これは外国に長く駐在している人から聞いた話で恐縮なんですが、日本は子どもに何でも買ってあげ過ぎるのではないか。これが欲しいと言えば、すぐ買ってあげる。これはカナダで聞いた話なんですが、カナダではそんなことは絶対しない。必要があれば自分で働いて、アルバイトでも何でもして買いなさいというのが、この地の親の考え方だということをおっしゃるわけです。
  そういうことを考えると、一般論としてはあるべきものはこうだというふうになるんでしょうけれども、いざ自分の子どもなり何なりになると、その辺が非常に弱い。私は、子どもを大切にしろというのは大いに賛成なんですけれども、大切にするということと、甘やかすといいますか、わがままにするというのは全然別の話だろうと思っております。体験が必要だというような御説明も聞いたんですが、確かに必要なんですが、それも親や保護者、あるいは先生が全部準備万端整えて、「さあ、いらっしゃい」という体験では体験にはならないのではないかということを強く感じました。まとまりのない意見で恐縮ですが、以上でございます。

○  少子化の問題につきましては、我が国だけの問題ではなく、国際的にも大きな問題となっています。
  例えば、1995年の統計によると、スウェーデン(1.74)、フランス(1.70)、イタリア(1.17)となっており、少子化は諸外国でも起こっている問題であります。
  スウェーデンやフランスなどでは、家族が子育てをしやすいように社会的な支援を行っています。なお、こうしたことに取り組む積極的な取り組みが必要であるとか、あるいは80年代後半には2.13まで高まったこともあるとか、そのためには有給の出産・育児休業制度とか、児童手当、保育サービスといった子育てと就業との両立ができる環境を整備したらどうかとか、いろいろなことが検討されています。
  こうしたことは、我が国でもこれは取り組む必要のある問題であり、諸外国の事情も聴取して検討する必要があると思われます。

○  今まで中央教育審議会で子どもをめぐる問題について、どういう問題があるか、それを直すためにどうすればいいかという提案を随分してきたんですが、日本の社会を見ていると、私は少子化という現象が起きても仕方がないのではないかと思っているんです。
  ヨーロッパしか知りませんけれども、ヨーロッパの子どもたちに比べると、日本の子どもたちはものすごいストレスを受けていますね。先ほど、学歴社会が悪いと思わないのもいるのではないかという御指摘もありましたけれども、ただ全体としては大変なストレスを受けていて、殊に都会では、地方でもそうですかね、子どもたちがほとんど外で遊んでいませんね、日本は。去年10月からことしの3月まで久しぶりに英国に長期滞在したんですが、英国ではロンドンなんかでも、冬でも子どもたちがとにかく公園みたいなところで遊び回っている。日本と随分違うんですよね。どこが違うんだろうかといろいろ考えているんですが、やっぱり子どもたちにいろんな意味で社会がストレスを与え過ぎているんではないか。これはわかっていたことなんですが、何とか少しでもこのストレスを子どもたちから取ってやることを我々は考えていく必要があるのではないかと、そんなことを考えております。

○  私の今考えていることは、少子化問題というのはかなり女性問題にかかわっているのですから、今回専門委員に女性の方がかなり入ってこられたのは大歓迎で、その方からそういうお立場からいろいろご意見をぜひ聞かせていただきたいと思います。
  まずはじめに私は、子育てが楽しいことなどを文部省が説かないほうがいいと思います。そんなことをいったら笑われてしまう。子どもを育てるのは疲れるしたいへんです。しかし楽しい。そんなことを今さら説くことはないし、この審議会でもそんな議論をする必要はないでしょう。
  問題を二つに分けますと、少子化に起こった物理的・経済的な問題と、それから道徳的といいますか、社会慣習、モラルにかかわる問題と二つあると思います。
  物理的・経済的な問題は何かというと、私はこの間まで女性がほとんどの文学部の教師をしており、その前の大学でも女子学生が少数ながらおりましたから、見ておりますと、一口に言うと、優秀な女性を育てていくのが本当に彼女たちの幸せになるのだろうか、不幸を作っているのではないかと考えたことがあります。というのは、世の中に受け入れる基盤がない。たとえば就職でも、男子学生ならばかなりつまらない人でも採用される同じ職場に、優秀な女子学生でも採用されません。これが第一の問題です。それを突破して入っていくと、特に企業がそうですが、みんな必ず男性社会だと言っています。次に、結婚して子どもが生まれたときに、やめるかやめないかという問題がまた起こる。それをどうするか、保育所を充実するとか、そういった経済的・物理的な問題は政策としてできると思います。
  もう一つのモラルの問題というのは、以上の社会を異常と思うか思わないかで、そういう社会があたりまえだと思っている人が多い限りはだめでしょう。意識の改革というのは容易なことではないと思います。人の考えを変えろというのですから、大変な努力が要るわけで、どういうふうに一番短い間に考え方を変えてもらうかというモラルの問題です。
  この二つの中間に、混じった問題があります。つまり経済的には解決がつくけれども、モラルが残っているために、なかなか進まない問題があると思います。例えば、私の見たところでは、大体日本の教科書の家族の挿し絵では、お父さんが先頭に歩いて、お母さんが次に歩いて、子どもが歩いているのですが、フランスではお母さんが先頭に歩いて、お父さんが次に歩いている絵が20年前から平気で出ています。そういう細かいことまでの配慮が普通だという意識を持たないと、この問題は解決できない。それを教育でどう実現するかでしょう。

○  私は有識者会議というほうの議論にも参加をさせていただいておりまして、いろんなことを感じさせられてまいりましたが、親のサイドへのいろんなアプローチという切り口で考えるものと、子どもサイドへのアプローチということで考えるものが、どうも有識者会議というのはバタバタ仕事みたいなことになっておりますから、若干混濁しておりまして、具体的なアクションにどうつながっていくのかなということで、懸念を持たざるを得ないような印象が少し残っております。
  そういう意味では、この場は中央教育審議会の中でやる議論でございますから、その辺、もう少し詰めて精緻に議論ができればいいんではないかなと、そんな印象だけ申し上げて、とりあえずのことにさせていただきます。

○  中央教育審議会で少子化を取り上げると聞いたときに、一つは少子化にどう歯どめをかけるかという点を話し合うのか、それとも少子化の時代が来ることはわかっているので、それを前提として教育はどう対応するのか、そのどちらなのかなと思ったんですが、座長のお話だと両方の観点からということで、最初の少子化に何とか歯どめをかけたいということだとすると、私なんかは35でひとりで、その原因の一つかななんて思うんですけれども、私の世代では本当に多いです、結婚しない人が。友人なんかを見ても、してるほうが少ないという感じが実感です。東京ということもあるんでしょうが。
  その中で、大変よく聞く意見というか多いのは、結婚はあんまりしたくないけれども、子どもは欲しいという人が大変多いですね。特に生物学的なタイムリミットということもあるとは思うんですけれども、そういう人が大変多いです。ですから、そういう人たちが子どもを産むことに関しての環境というか、シングルマザーでも生きていけるというか、全然おかしくないという環境づくりというのはすごく大きなポイントかなと思います。母子家庭という暗いイメージを背負ったそういうことではなくて、そういう女性たちを応援してほしいなと思います。

○  何か良い名前ありますか。明るい名前がございますか。

○  シングルマザーという言い方は、とても前向きなイメージはあるように思うんですが。それは先ほども言われたように、ちょっと上の世代の方からすると、モラルとか、今までとは違うという保守的な方から見るとちょっと受け入れにくい形かもしれないですけれども、少なくともこれからの子どもたちには、そういういろんな形の家族があるんだという見方ができるような子どもになってほしいと思います。何かイギリスではそういう人が増え過ぎて、財政を圧迫しているというニュースもこの間聞いたんですけれども。
  でも、産むのがいい、産んでほしいという気持ちはわかるんですが、一方で産みたくても産めない人もいるし、産まないということを選んでいる人もいるので、そういう人たちに対して産むのがいいということをあまり強く言い過ぎると……。そういう人たちへの配慮も必要かなという気がします。
  それともう一つの子どもの数が少なくなるというのは、今もう既に起こっていることです。そうすると、一人っ子というのは、昔、特別だから一人っ子という言い方があったんですが、今は3人兄弟がいるなんていうほうが珍しいぐらいですから。そうすると、子どもが最初に出会う同世代とか、小さな社会というのは兄弟ではなくて、少し広い社会という形になってくると思うので、隣近所にいる子どもが兄弟というふうな、子どもは本当に社会の子どもという形で、新しい人間関係をつくる勉強を、兄弟じゃなくて、学校や地域社会で学んでいけるような環境が大事かなと考えます。

○  今、報告書を伺って、いろいろ考えがわき上がってきているので、まとまるかわかりませんけれども、私は今、3歳と10ヵ月と子どもが2人おりまして、育児休暇中で、おっぱいが張ってきているような状態なんですけれども、2人産むと、「国に貢献したね」とよく年配の方から言われたりするんですが、別に国のために産んでいるという意識は全くないんですが、実際はそういうことにだんだんなっていくのかなという気もするんです。
  教育相談所で子どものプレーセラピーをしたりという経験をしていますが、そこで母親の面接をしたり、子どもと遊んだりしたときに自分が感じていたことと、実際に子育てをしてみた感じというのは随分違って、子育ては楽しいこともたくさんついてきますけれども、実際は子どもがものすごく周りの者を巻き込んで、たくさん要求してくるということを肌で感じているところです。
  一方、専業主婦になっていると家事も大変ですが、これで仕事が始まったら子どもは保育園に預けられますが、家事のほうはだれがやるんだろうということで、今、主人が単身赴任になりましたので、一挙に重荷が私にかかってくるという気持ちがあって不安でいっぱいなんです。
  子どもを2人育ててみると、上の子と下の子は随分感じが違っていて、たぶん子どもは一人一人違うというのは本当だと思うんですが、子どもを預けて仕事をするのが正しいという社会になると、子どものそれぞれの個性というのがまたあるので、上の子は預けるときに随分泣きまして、なじむのに苦労しました。1歳で預けるのはちょっと早いのではないかという感じがしたんですが、下の子は今10ヵ月ですが割とニコニコして預けることができます。その辺のチョイスも画一的ではなくてできるようになるといいかなと思っています。
  それから、子どもが生まれないんですけれども、私の周りで妊娠をしている若い子は割とたくさんいます。ただ、みんなあまり産まないでしまっているんです。自分で妊娠したことに気がつかないでいて、産めないということに気がついて、子どもをなくしてしまうということが、割と若い子の中では多く起こっていると思います。それは自分で自分の体についてよく知っていないことも一つ原因だと思うんですけれども、子どもを育ててみると、自分が大切にされた経験が子育てに反映されると思うので、子どもはかわいいものだと教えるというよりも、学校に行った子どもたちがすごく大切にされる経験が積み重なっていくことが、子どもを育てる人たちを育てることになるかなと思います。
  それには、学校という場で働く先生方も大切にされなければいけないのではないかと思います。教育相談所で仕事をしていて、先生方をわきから見ていると非常に忙しくて、御自分でお茶を飲む時間もないような、8時から、部活までやると6時、7時まで立ち働いていらっしゃいますので、その辺、先生方についても考えられたらいいのではないかと思っています。

○  私は、農村地帯に住んでおります。農業を専業としており、子どもは3人おります。自分では子どもは大変好きだと思います。先ほど、少子化の問題で、経済的な負担があるといった話も出ておりますが、現在は母親が外で働く機会が多く、男女共同参画社会を目指しているということもあって職場の中でも女性の地位の向上や、女性が社会に進出する機会も多くなり、昔と比較してだいぶ優遇されていると思います。子どもを産みにくいあるいは育てにくいと言いますが、女性たちが、少子化問題を現実に非常に大変なことだと認識したり子どもに対して好感や愛情があれば子どもは育てられると思います。経済的負担が大きいとか、時間がないというのは、言い訳だと思います。
  私の場合は、結婚を機に今の仕事に専念しました。農村社会は、少なくとも私の体験においては仕事に関してほとんど男女の差がありませんでした。3人の子育てをしながら、仕事をしてきました。仕事は忙しいが親としての責任と愛情で必死に子育てをしてきました。家事、育児は女性として当然の事とも思っていました。体験から思うところは、真剣に女性たちが少子化問題に取り組み生活環境の中で工夫をすれば子育てはできると思います。その辺の一番大事な点が意識改革だと思います。
  放送大学の入学時に長男10才、長女は6才、次男は2才でした。子どもをもつ親にとっては子育ての真っ最中、加えて養豚業は年々経営規模拡大をして大口の借り入れ金をかかえ休日はありませんでした。それでも今思えば毎日が非常に充実していました。時間の使い方、健康管理、農場の機械化、省力化を目指し創意工夫を心がけて、家事、育児はもちろん仕事も学習も頑張れたのです。放送大学が多種多様な講義やユニークな講義あるいは通信を利用した大学のため私のような境遇の者の学習が可能であったことにとても感謝しています。我家の多忙で貧しい時代に育った上の2人は親の仕事や大変さをしっかり見ていました。家事の手伝いもしました。本人は意識せずに体験学習をしていたのです。
  子どもをもつと親の自由がない、したいことができないと思うのは親の利己主義だと思います。自分の場合も親が産んで育てたからこそここに自分がいるのです。また親は子どもがいるからこそ奮起することもできます。経済や生活水準が低いことでむしろ良い子が育つケースも多いと思います。子どもを育てることにより、子どもから学ぶ事も多く親も親として育つと思います。産む産まないことに関わらずすべてのことに個人の自由が優先しても集団や組織あるいは町や村、国家が安泰でなければ社会不安や危機感に脅かされるものです。
  少子化対策として、意識改革に加えて子どもを育てやすい環境を整えることも大切だが、マクロ的な社会背景をとらえ大人が正論を貫き社会構造を変えることと地域全体で子どもを育てる重要性も認識すべきだと思います。
  確かに多様な生活形態や女性の生き方も多様化していると思いますが、やはり子どもを育てるのは父親がいて母親がいるいうことが望ましい。女性にしかできないこと、男性のほうが子どもを育てる上で大切なこと、重要なことなどがあります。また逆に女性のほうが  ―確かにいろいろな報告の中では、父親がミルクをやったり、おむつをかえたり、入浴させたり、様々な実際の場面において要求されることがあると思いますが、親だから当然といってもそういうことが果たして女性と同じに男性にできるかどうか心配です。ある程度のことはできてもやはり女性に適している部分だと思います。そういう意味では、基本的な昔の日本の家庭の在り方を見直すことも大事だと思います。

○  少子化の問題については、私自身も子どもが一人っ子でございますし、それから都会の真ん中に住んでいるということがございまして、子ども既に少子化の中で  ―先ほど少子化が教育に与える影響というお話が出ましたけれども、たぶん我が子は少子化が教育に与える影響の中で育った子どもだろうと思います。今、娘は18ですけれども、小学校のとき、既に1年生から6年生まで全員で126名、都会の真ん中の過疎学校というような中で育ちました。
  そうした中で子どもを見てまいりますと、盛んに学歴社会だとか、競争社会だとかというように世の中では言われているんですが、実は少子化の中で子どもが育つと、126人というような小さな学校で育つと、自分のポジショニングというのがはっきりわかってしまって、それぞれが自分の立場に納得して、親の目から見るとハングリーさがなくて、何かを努力してかち取ろうとか、何かできないことを自分なりに頑張って身につけようということが少なかったという気がいたします。何となくそれぞれが自分が持っているものをお互いに認め合って、それで1年生から6年生まで仲良くやってしまうというようなこと、あるいは自分の興味のあることは非常に関心を持ってやるけれども、そうでないことはそのまま終わっていてもそれで済んでしまうというような感じが、少子化の教育という中ではあるのではないか。
  その中で顕著なことは、友達とのつながりを子どもが非常に大切にしようとする意識が、我々が子どものとき以上に、お友達との接点を何とか一所懸命つなごうという努力は、子どもながらにみんなやっていたのではないかと思います。それが今のポケベルとか、携帯電話というようなことにもつながっていくのかもしれないですし、また友達とのつながりがうまくできた子どもは、それなりにハッピーなんでしょうけれども、そこで友達とのつながりが心ならずもうまくいかなかった子どもは、その中で孤独感等いろんな問題が現実には出てきてしまっているのかなと思います。
  少子化の中でやはり1番は、今まで兄弟がいれば、子どもが小さな子どもの面倒を見るというような、下の子どもの面倒を見てあげるというような、だれかに何かをしてあげるというような、人に何かを与えるということを自然に経験の中でやっていることが、どちらかというと何かを与えるということが非常に少なくなっているのではないか。むしろ大人に何かをやってもらうという形が増えてきているのが現実ではないかと思います。
  先ほど、少子化への対応を考える有識者会議「働き方分科会」の報告の中で、少子化はなぜ問題かという中で、少子化は必ずしも人々が喜んで希望した結果ではなくて、結婚や子どもを持つことを伴う様々な制約によるというのを聞いたときに、果たして人々が喜んで希望した結果でなくて、制約だけならいいんですけれども、むしろそういうものを選び取っている世代というのが、実はもう出てきているのではないか。豊かな社会という中で、自由に生きるとか、束縛されない。その結果は、だれかのために自分の人生を我慢したくないというような、豊かな社会の自己実現欲求みたいなものの中で、むしろ喜んで希望した結果ではなくて、かなり選び取ってそういう道を選ぶ人たちができている世の中になりつつあるのではないかということも感じております。
  それから、仕事をしている中で、非常に実感していることは、結婚して働いている仲間はいっぱいいるんですけれども、むしろ旧世代の我々のあたりは、1人なり2人なり何とかやっているんですけれども、若い世代に、子どもは欲しいんだけれども、できないという方が増えているのではないか。それはむしろ厚生省のほうの話になってしまうのかもしれないですけれども、何か実感として私より若い世代で、実は聞いてみると、子どもができないというようなことも、働く女性の中に現実にはかなり出てきているのではないかなというのが、数値ではわかりませんが、実感でございます。
  あともう一つは、人事等もやっていると、男性が弱くなったなというか、やさしくなったなというのは痛感しています。女性はむしろ変わらないのかもしれないですけれども、お母様が一人っ子の中でいろいろ育てている結果、やさしい男の子がかなり育っているのかなという気がします。先日も学校で教員をしていらっしゃる私と同世代の人と話をしていると、中学校で男の子が泣くと。我々のときは、たたかれても泣かなかったのが男の子なのに、中学校で授業中に男の子が友達に何か言われただけで泣き出してしまい、学校の先生もどのように対応していったらいいのか困っているんだなんていう話を聞きました。そういう中で、子どもたちが我々のころに比べるとだいぶ変わってきているなというのが実感でございます。
  結論からすると、だれかのために何かしてあげるというような体験ですとか、そういったことがもっと行われていかないと、いろいろな問題が生じてくるのかなという実感を持っております。以上です。

○  私は研究所に勤めておりまして、昨年から少子化について研究をしております。研究所での主な研究テーマは「価値観」についてですので、少子化についても価値観という面から調べてみたいと思いました。これまで研究したところ、私にとっては少子化というのは価値観の問題であるという結論に達しました。
  日本の少子化や価値観を変えていくには教育しかないのです。この10月には「男女共同参画社会」の視察団に参加して北欧諸国を回ってきました。ノルウェーやデンマークの政府担当者は、「男女平等社会を実現するには教育が一番大切だ」とおっしゃっていましたが、「それは本当だ」と実感したところです。
  先ほど、どなたかから「少子化は女性問題だ」という発言がありましたけれど、確かにそういう面が大きいと思います。ただ、私の偏見を交えて話をさせていただきますと、少子化は男女ともに価値観の問題で、日本人が自分の国に誇りを抱いていないということが、少子化の遠因となっていないだろうか、と考えています。私の所属する研究所では、世界37ヵ国の価値観調査のなかで日本を担当しています。最新のデータは1990年のものですが、「自分の国に誇りを抱いている」と答えた日本人は35位だったのです。少子化が進んでいる国は、イタリア、ドイツ、日本などですが、これらの国々は敗戦国でもあります。そして三カ国とも「自国に誇りを抱いている」と答えた人の割合が、他国と比較して非常に少なかったのです。敗戦国ということと少子化との関係について、人口問題の専門家に聞きましたところ、「実証するデータはないけれどもおそらく関係はあるでしょう」とおっしゃってくださいました。
  価値観を変えていくには、幼児期から大学卒業後までの生涯学習が重要だと思います。男女共同参画社会のレポートや中央教育審議会答申の「新しい時代を拓く心を育てるために」なども全部読ませていただきました。感心するくらい各省庁が問題を把握していらっしゃるので、私などが何かを言う必要はないと思います。
  ただ、ひとつ、何とかこのストレスの多い世の中を変えていかなければならないこと、それから中学生・高校生の8割が「自分は人生に失敗した」と考えている世の中を何とか変えていかなければならない、それをこの場で具体的に考えていかなければいけないと思っています。
  うちの研究所で先ほどの世界価値観調査とは別に価値観国際比較調査を実施しています。そのなかで「自国が他国に比べて優れている点は何か」という質問があります。日本人が一番誇りに思っているのは「治安」で71%の日本人がそう答えている。次ぎに「教育水準」で50%だったのです。日本人が自国に誇りを感じているのは、この2点だけでした。その次にあげられているものは「歴史・伝統」、「経済力」などでしたが、誇りとあげる人の比率はたいへん低かったのです。それに比べて、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデンの諸国では国民の過半数が誇りとする美点がいくつもありました。
  国民が誇りとする「高い教育水準」の教育のあり方の問題ですけれども、偏差値の高さではなくて自分のできることを活かせるような、他人と討議できるような人間を育てていくという面での水準の高さを目指していかなければならないと思っております。
  自分の国に誇りを持つということをお話していて今思い立ったことですが、人間も国家も完璧ではありませんから、いろいろと悪いことをすると思います。しかし、過去にこだわりすぎず、過去を過去として見据えた上で積極的に生きていけるような価値観を持てるように教育していただきたいと思います。
  「だめだ、だめだ」とか「自分のお父さんはこんな悪いことをしたんだよ」といつも家で聞かされていたら、「なんだ、自分の親はこんなもんか」と思って「どうせ自分もろくな人間にはならないだろう」と思うでしょう。親を超えて自分はもっと良いことをしよう、と思ってくれればいいのですが、なかなかそうはいかない。ですから、教科書にも悪いことを書くことも大切ですが、いいこともたくさん書いていただきたいと思います。

○  今、教育のことがいろいろ話題になっているんですけれども、現場で中学生と高校生に家庭科を教えております。男女共修が始まって随分たちますので、現場の子どもたちにはあまりそういう差は  ―例えば被服の実習なんかですと、中学生は男子も女子もショートパンツをつくり、高校生ではカッターシャツ(開襟シャツ)をつくっているんですが、電動ミシンを全部使いこなして、しつけから何から裁縫を一通り、男女の区別なくやっております。
  ですが、その一方で、例えば家庭生活分野などを扱った場合はどこかかしこに、学校では一見平等に、かえって女子のほうがしっかりと仕事をしていたりして、男子はその後ろからついていっているような姿もあるんですが、おうちに帰ると、やはり男の子、女の子というような育て方があることが、意見の端々に見られたりします。
  そういう子どもたちに、例えばライフサイクルプランを書かせてみますと、大学を出て少ししたら、みんな30前ぐらいに結婚するような形になって、その後子どもをつくってという、ごく標準型の家庭を描いております。ところが、その先、私の周りなどを見回しますと、職場もそうなんですけれども、意外と結婚している人が少ないのかなという実感を思います。以前はお見合いというような形もあったかとは思うんですが、最近、そういうこともなくなってきますと、仕事中心の生活をしていて、会社と家を往復している。仕事もそこそこ忙しい。認められている。そういうふうになってきますと、経済的にも問題はない。それぞれそこそこ仕事は認められる。自由にやっている。みんな結婚はそんなに否定的ではないんです。いい人がいたら結婚する。だけど、現在の自分の生活を捨ててまでそこに入っていくというほどの人がいない。
  私は女性の立場なので、女性ばかりそういうつもりなのかなと思っていたら、男性のほうからも「いや、今だって御飯をつくってもらわなくたって、コンビニに行けばいい」ということで、お互いに今のそこそこの生活を乗り越えて、「やっぱり2人じゃなくちゃ」という、そこのところを打ち出すような強いものを見つけきれないで、結婚しないでいるような現状があります。だから、その辺の「やっぱり家族じゃなくちゃ」「家庭がいいんだ」という、自分たちがつくっていく家族のよさというようなところをどこかで訴えられるとか、そういうのを感じられるような場面があればいいなと思います。
  また、個人的には私は今子どもが2人いるので標準を上回っているんですが、実は双子なんです。今思い返すと最初の数年間は、「よく、まあ」というか、例えば夜中に2時間おきにミルクをあげるんですけれども、2人だと8回なので、8時間寝ている間の8回起きるということになると、それが1分で終わるわけではないので、8回ということは30分置きぐらいにというような生活をしていたので、大変ではあったんですが、今思ってみると「ああ、2人いてよかったな」と。
  1回目の出産休暇は何とか取れたんですが、その後、もう一度2人の子どもを保育園に連れていったりしながら、学校の仕事も一日こなして、なおかつもう1人おなかの中で育てるということは、ちょっと私は怖くてできませんでした。また子育てとか、いろいろ余裕ができると変わるのかもしれませんが、結局、今、年長にいるんですけれども、その子どもたちが2人で、ひょっとしたらこれでうちは終わってしまうのかななんていうことを思っています。先ほど、できないということがあったんですが、そういう意味でもできないというか、おなかの中で育てられないなという状況があります。特に東京だとラッシュなんかも本当に大変ですが、仕事へ行かなきゃいけないとか、具体的な切実な問題で詰まっているようなところがあります。
  そういう中で、じゃあうちの主人はどうしているかといいますと、仕事が忙しいのは認めます。ほんとに夜中にしか帰ってきませんが、忙しいからできないという時間的なことを盾にというか、言われてしまうと、私のほうは、まるで教員は早く帰ってこれるもののような仕事に決めつけられているんですけれども、合宿あり、引率あり、遠足あり、下見にも行かなければならない。日曜日だって試合の引率とかあります。試合の引率だったら子どもを連れていっても、学校だとちょっといいかなというふうにしてもらったり、そういうところまで目をつぶってもらってやっとやっているという状態なのに、主人は会社に行ったら会社の顔しかない。家庭のことは一切出せないと。
  独身の方々も結構仕事が忙しい、認められている、楽しい、そこそこの生活をしているそういう社会にあると、少子化の第1の原因は社会構造の仕組みではないか。みんな6時になったらうちに帰って、ここからは家族の時間だ。仕事のために人生生きるのではなくて、自分の余暇のために、自分が楽しむために、家族のためにというか、余裕のある生活を楽しむために、経済的な力を得るために仕事をしているという、そこら辺のところも含めて、社会制度というか、意識というか、その部分の改革が一番大切なのではないかと、最近は思っております。以上でございます。

○  今の御意見と同じような感想を持っておりまして、産みたい女性がたくさんいるのに、子どもの数がどんどん減っていくのは、何といっても社会の仕組みの問題だろうなと思っています。
  翻って私はどうかといいますと、実は5人子どもがおりまして、猛烈に少子化に貢献してないんですけれども、なぜ子どもが5人いるのかなと思って振り返って考えてみますと、別に宗教的な理由があるわけでもないですし、一つだけ思い当たるのは、どえらい早婚だったということなんです。晩婚化がやはり一つは、その晩婚化のもとに社会の仕組みということがあるんでしょうけれども、少子化の大きな原因だろうなと思っています。
  私の連れ合いは中学校の同級生で、17年間、5人の子どもで、ずうっと専業主婦みたいな状態だったんですけれども、それから仕事を始めています。今、大変元気なんですが、それを思うにつけても、リカレントといいますか、人生のコースが一方的に順番が決まっているのではなくて、あちこち順番を入れかえることができる。子どもを産んでから就職をするとか、あるいは就職をしてから学校へ行くとか、そういった生き方ができる仕組みになっていかないといけないのではないかと思います。
  具体的な話ですけれども、子育てに関する哲学がちょっと弱いのではないかと思っています。社会的な合意と言ってもいいのかもしれませんが。例えば、子育てサークルのお母さんたちが公民館を利用しようとすると、ちっちゃい子を連れているお母さんが何でそんな公民館なんかで遊ばなきゃいけないのか。まるで「3歳児神話」ですよね。子どもをほっぽらかしてお母さんたちが遊ぶみたいなイメージで、対応する職員の方がいらっしゃる。あるいは、小さい子どもが病気でお医者さんへ連れていくと、「やっぱりお母さんがちゃーんと子どもを見てなきゃいけませんよ」といったような言い方をされるような小児科のお医者さんがいたりする。これは別に悪いわけではないんですけれども、働きながら子どもを育ててきた経験のおありの、3人お子さんがいらっしゃって、3番目の方は障害をお持ちの方なんですけれども、そのお母さんはずうっと働きながらきたんです。そのお母さんが、「私は、子育ての節目、節目で、働きながら育てることを励ましてくれたそういう人に出会った」と言うんです。例えば小児科のお医者さんが「頑張りなさいよ。子育てはそんなに長くないんだから、もうじき楽になるんだから、頑張って仕事を続けなさい」と言って励ましてくれたと言うんです。そういうことを考えてみますと、子育てに関する哲学といいますか、社会的な合意といいますか、それが広がっていくことが、社会構造とともに重要だろうと思っています。
  もう一つ感じますのは、学校と地域ということですけれども、最近、学校の教育が荒廃してきて、地域でもってそれを支えるなんていう話をよく聞きますけれども、猛烈に弱まっているのはむしろ地域のほうで、学校にある意味では過重な負担がかかっていて、先生方が大変だなという感じがするわけであります。大体若い人は、中学校、高校あたりからだんだん地域から切れていき、大学に入って生まれ育った家庭を離れたりですね。私の子育て中のことを考えてみましても、若いうちは地域に新参者で、隣近所とのつき合いがないんですね。それが子育てから人々を遠ざけている大きな原因の一つではないかと感じています。地域の子育てを社会的に支える力は、我々が子どものときは年齢が5歳、6歳違っている子どもの集団で遊んだものですけれども、最近は同じ年で、しかも1人2人で、それが家の中で遊ぶという状態になっていて、あるいは地域で子どもにつき合ってくれるおじさん、おばさんもいなくなってしまいました。駄菓子屋のかわりがコンビニなんでしょうけれども、コンビニの店員さんたちは子どもにマニュアルに応じた対応しかしてくれないわけで、そこが子どもの受け皿になるというわけではありませんので、少し地域ということを考える必要があるのではないかと思います。
  もう一つ、私は今、NPOの調査をしておるんですが、子育てサークルとか、ああいうのはある意味では大変おもしろいNOPだと思うんです。ところが、子育てサークルをやっていらっしゃるお母さんたちは、自分がNPO活動をしているという意識は全く持っておられないわけです。地域の非営利的な活動をやっていくことが、地域をある意味では強くしていくわけでありますし、そういう活動の意義を社会的に啓発、宣揚していくことが必要なのではないかという感じがしております。

○  きょう、今までの方々の御発言を聞いておりまして、これは私に学習の機会を与えていただいたと。すべてのお話が新鮮で刺激的でありまして、まさに生涯学習の時代かと思っております。
  私、大学におりますので、その観点から二、三申し上げたいと思います。
  第1は、先ほど他の委員の方が、少年少女、子どもたちにものすごいストレスがかかっているというお話をされました。それは恐らくそのとおりだと思うんですが、大学のキャンパスで学生諸君を見ておりましても、そこでもかなりストレスがかかっているのではないかと思っております。大学は今、高校を出る年代の進学率が非常に上がっておりますので、大学生の比重は同年代の人口の50%近くなっておりますし、その大学を経て社会に出ていくわけですから、大学での教育とか、生活は、少子化の問題にとっても重要な要素を占めるだろうと思います。
  ストレスを感じるというのは、どういうところか。これは直感的なところもありますし、データに基づくところもありますから、なかなか簡単には言えないんですが、データ的なことを申し上げますと、最近、各大学のサークル活動に参加する学生の数は減少しつつあるのではないかと思っております。東京工業大学は、私は、スチューデント・サービス、学生生活の支援体制が非常にしっかりできている大学だとかねがね思っております。その東京工業大学のサークルに参加している学生の率が、最近のデータで全学生の50%ぐらいだと私は認識しております。それから、三重大学の参加率が50%。ところが、名古屋大学では30%、それから愛知県立大学でも30%ということであります。これは春ごろに登録した数でありまして、実際見ていきますと、例えば愛知県立大学の本当に30%の学生が生き生きとサークル活動をしているかというと、必ずしも長続きしていないようにも思うわけです。
  それから、今申し上げました三重大学というのは、「サークル命」というほど、学生が熱心に活動をする大学として知られていたと思うんです。これが四、五年前は60%でした。この間に10%ほど減ってきております。恐らくひょっとしたら東京工業大学も若干の減少があるかもしれないという気がしております。
  それがどこからきているのかということは、なかなか分析が難しいんですが、例えばきのう本学のESSの学生が東海地区の英語の演劇部門のコンクールで、チームとしての1位と、主演、助演の俳優賞としての1位を取ったということで報告にきてくれて、いろいろ話してみたんですけれども、このESSは数年前に比べると人数が6分の1ぐらいに減っております。少人数で必死になっていろいろ取り組んで、いい成果を上げたんですが、聞いてみますと、最初は関心を持って英語を話したいと思って入ってくる。ところが、演劇の練習、あるいはスピーチの練習という、サークル活動のルーチンの苦しい活動に触れた途端に、みんなだんだん去っていく。何をしているのかというと、アルバイトをしている学生も多い。それから、ぼんやりと過ごしている学生も多いんですが、それぞれバラバラに自分の関心によって生活するようになるということを言っております。
  そのように考えますと、日本の大学の学生のキャンパスライフの一つの活動の中心であるサークル活動に、何か異変が起きているのではないかと思っております。これは就職協定が廃止されたので、その圧力で学生が一所懸命就職勉強をしているからそうなったなどどいうことを私は申し上げるつもりはありませんし、恐らくそうではないと思っております。
  たまたまことしの秋短期間カナダとアメリカの大学に、私自身は、課外活動、自治会活動やサークル活動の実態とか、それに対する大学当局の考え方を調べに行ってきました。また、数年前も北欧の大学とカナダの大学を回ってまいりましたが、これからの大学ではサークル活動なりキャンパスの空気は、大学祭のときでなくても、活気がございます。例えば、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学では、ことしの9月14日、火曜日ぐらいだったと思いますが、昼休みの時間、日本でいえば大学祭レベルのバンドが出まして、たくさんの学生がそれを楽しんでいるという光景がございます。その数日前、アメリカのメリーランド大学では新しくできました大きな体育館で、ウイークデーですが、授業時間のあいている学生が、たくさんのプールやトレーニングルームやジムで、一所懸命自分の体を鍛えているわけです。そんなふうな感じというのは、日本の大学にはなかなか見当たらないわけであります。それが象徴するような、大学生活の中にあるある種のアクティビティーの低下がどういうものかということを、もう少しきちんと調べたいと思っております。
  私の大学は、今、女性が70%占めておりますが、昼夜開講制でありまして、下校のピークが二つあります。5時にたくさんの学生が学校に乗り入れたバスに乗って帰っていきますが、また9時になりますと、バスに乗る学生、車に乗っている学生が一斉にライトをつけて帰っていきます。その大多数は女性でありまして、もう一度こうした学生たちの考えていることや直面していることを、こういう場に参加させていただいたものですから、これから調べていきたいと思っております。
  第2の点は、たまたまきょうのお話の中にも、学歴偏重の傾向に関連して、大学に入るために親の経済的な負担を増やさなければいけないということがございました。これは確かにそうだと思っております。授業料はますます高くなっていきます。国立、公立においても、入学金等が私学のレベルとほとんど肩を並べるまでに至っております。私は平成8年から平成10年にかけて、文部省の育英奨学問題に関する調査研究会に出させていただきましたときに申し上げましたのは、親の収入を担保にするのではなくて、先ほどおっしゃったことですけれども、子ども自身が大学を卒業してから働くことを担保にして返すような、もう少し幅の広い低利のローンを組むべきであると申し上げたんですが、その考えは今でも変わっておりません。
  ただ、それだけではなくて、もう少し日本の大学あるいは高等教育に対して、国なり財界なり地域社会が思い切った投資をしてほしいと思っております。カナダのブリティッシュ・コロンビア大学でたまたま得ましたファクトブックを見ておりますと、1人当たりの国内総生産に対する1人当たりの高等教育にかけるお金の比率において、日本は世界のレベルで低位にあります。むしろアメリカとカナダ等、北米の諸国は60%ぐらいのレベルを占めておりますし、スウェーデン等はもっと高いレベルにあります。東欧の中にも高いレベルのものがあります。アジアの諸国は概して低い位置にあるわけです。決して日本の高等教育にかけられているお金は大きな額ではないと思います。そのことがキャンパスの中のゆとりと関係しているのかもしれません。
  3番目に申し上げたいことは、中央教育審議会のもう一つの初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会でございますけれども、そこのところで恐らく大学入試のことが問題になって、大学入試の競争の激しさが、3歳児のころから子どもに密着してきた親に影響を与えて、非常にストレスを与え続けているというような御議論にあるいはなるかと思います。私はそのこと自体は完全に間違っているとは思いませんけれども、それだけでは問題が解決しないと思っております。偏差値だけでない、総合的な丁寧なテストをアドミッション・オフィス等を設けてやったといたしましても、大学の教育そのものに対する考え方、それこそ価値観の問題でありますけれども、それを変えていかない限り問題解決しないのではないかと思っております。いろんなタイプの大学があります。そのいろんなタイプの大学が、それぞれに等しい価値を持って、日本の社会や人類社会にかかわっていくんだという価値観がむしろ一般化するようなことがない限り、入試方法の技術的な改善だけでは問題解決しないのではないかと思っております。

○  私は、子どもを産むか産まないかは完全に個人の自由だと思います。結婚しようがしまいが、それはあくまでも個人の自由ですから、国が何かを言うものではないと思っております。ちなみに、実は私、6人の子持ちで男が3人、女が3人おります。そして、子どもを育ててみると性差が随分あるなと思っております。
  私は、発達臨床心理学が専門です。その立場から考えてみますと、今の日本の社会そのものの構造の中で、子どもたちとお年寄りに出番がないんだと思うんです。そして、働き盛りだけがバーッと走っているわけです。要するに、両方置いておいて走れば、速く走れますよね。しかし、もう少し社会全体のスピードは、スピードダウンしてもいいから、お互いに頼み上手、任せ上手になることです。お年寄りに上手に頼む、そして認め合う。それが、生きがいにもつながります。そして、子どもたちにも出番があることが必要なのです。今の子どもたちは、「してもらってあたりまえ人間」なんです。親や他の人にしてもらうことだけに貪欲なんです。これではいつまでたっても赤ちゃんです。子どもが成長するといろんなことができるようになるのに、家庭や社会の中で出番がないのです。今の若者たちもそうなんです。私はそういう意味では、「貢献感の育成」ということを考えなければならないと思います。すなわち、もっともっと子どもたちも老人たちも社会の中に組み込んでいかなければいけないのです。親は、子どもに対して「してあげて」「してあげて」「してあげて」なんですね。「してもらって」「してもらって」のみで育った子どもには、感謝の気持ちなんて全然育たないです。そして、出てくるのは「不平不満」だけなんです。そういう意味では、子どもたちに、家庭でも、地域社会の中でも、もっと出番を与えていかなければいけないのではないかと考えています。
  それから、他の委員の方が言われたとおり、戦後の教育の中で、私たちは日本人としてのプライドというものを失なわさせられたのではないでしょうか。私はドイツに2年留学していましたし、オーストラリアの大学に1年、交換教授として行っていました。そして、今までに50ヵ国ぐらい旅して回っているんです。例えば、パプアニューギニアや、ミャンマーなど、いろんなところへ行ったんですが、貧しくても、それらの国の子どもたちはプライドを持っているんです。生き生きしているんです。ひとみが輝いているんです。ですから、物じゃないと思うのです。私はある方の講演をこの前、北海道で聞かせていただいたときに、アフリカでも、その方が一番最初、30何年前にいらしたときに、非常に貧しかったけれども、それぞれの集落では、本当に人々が生き生きしていたそうです。それがその後、物質文明が入れば入るほど、泥棒がはやるし、いろんな形で人心が荒廃してきているのだそうです。
  そういう意味では、子どもたちにもっと家庭や社会の中で出番を与えることと、私たち自身が自分を卑下することは何もないと思うんです。どんな国や社会だって、やっぱり人間としてのプライドを持っているんです。何のために生きるかとか、働くとは何か、生きるとは何かということがわかれば、少々のストレスには耐えられると思うんです。現在の日本では、それがなくって、今の子どもは、ストレスが多いと受け身になっているのではないでしょうか。そうじゃなくて、これはフランクルがアウシュヴィッツの収容所の中での体験に基づいて言っているように、「いかに生きるか」がわかっている人は、あのアウシュヴィッツの収容所の中でも生き残ることができたのです。私は、そこに今の日本の子どもたちのことを考える一つのヒントがあるような気がしています。

○  私どもの会社で、私のすぐ下に、ことし4月、新人が入ってまいりまして、それが東大の法学部卒だったんです。この中に東大の法学部卒の方がいらしたら申しわけないんですけれども、これがまさに今の現代っ子の象徴のような子でして、非常に成績が良くて、ペーパーテストもほぼトップに近いもので入ってきた。礼儀も正しい。何か軍隊調でしゃべるのがどうも気になったんですけれども、礼儀正しい。その男の子が入社して1ヵ月ぐらいしましたら、「やめたい」って言ってきたんです。やめたいって言ってくる前に、どうもキレたらしいんですけれども、どうしてやめたいのかって話を聞きましたら、「自分は精神的圧迫を上から受けるのが嫌だ」と。どういう意味かといったら、結局、怒られたり注意されたりするのが嫌だということだったんです。原稿はまだ全然書けないものですから、毎日、毎日、注意されている。それが嫌だと。
  「でも、怒られるとか、注意されるって普通のことでしょう」「僕は注意されたことなんかありません。怒られたことはありません」「親にないの?」「子どものころから僕は成績が良かった。不良だったこともない。だから、1回も怒られたことなんかないんです」「私なんか今でも親に怒られるのに」と言ったら、すごくびっくりしていました。
  それで、一応慰留しろという話だったので、2時間ぐらい得々と「新聞記者はね……」なんて言って話をして、それじゃ1週間時間をくれというので、1週間後聞いたら、「いや、続けます」と言うんです。「私の2時間の話が効いたかな」と思いましたら、「いや、この1週間だれからも怒られなかった」と。「怒られないっていいですね」って言って、続けると。結果的に、その1ヵ月後またキレまして、結局やめていったんです。その子は本当にしかられない、つまり勉強さえできればいいという価値観のもとに育ち、一人っ子だったんですけれども、だれからもそういうことでは何も怒られない、しかられなくて育ってきたという子だったわけです。
  その間、彼の先輩に当たる記者が入院して、ちょっと病院に仕事の件でお使いに行ってもらったことがあるんです。「彼、ぐあいどうだった?」と言ったら、「わかりません」と言うんです。「わかりませんて、どうしてわからないの。会ったんでしょう」「会って、ちゃんと仕事をしてきました。だけど、ぐあいはわからない」。つまり、病状は聞かなかったと言うんです。「病院に行って、病状を聞かないの」と言ったら、「いや、人の生活に踏み込んでいくことはしない」と。つまり、自分さえよければいいんだ、人のことは何にも考えないという、典型的な子だなと思って、最後やめていったのは、めでたしめでたしだったんですけれども。
  その話をしますと、「いや、そういうの、いるいる」ってどこの人も言うんです。つまり、今、そういった子どもたちというか、その子は早稲田の政経から東大の法学部に編入学したので、卒業したとき24歳だったんですが、子どもとは言えないような24歳がそういった状態。つまり、日本の学歴偏重社会とともに、一人っ子で何も注意されないで育ってきたという子ども、それは親の価値観にも非常に問題があるとは思っているんですが、そういった子どもが大人になりつつあるということなわけです。これは大変な問題だと思うんです。
  子どもが減っているということは、社会自体も問題ですけれども、食糧問題とか、エネルギー問題を考えるとそんなに悪いことではないと思いますが、それでもそういった子どもたちをつくっているということは非常に問題なわけで、それをどうすべきかということで考えるのは、本当に大きな意義があることだと思います。
  子どもを産む産まないは本当に個人的なものですので、産めや増やせよというのを国が言うことはないんですけれども、少なくとも持ちたい人が持てる社会というのは必ず必要で、私も子どもが2人いるんですが、1人目は20代に産んで、2人目は立派な高齢出産と言われた時期に産んだんです。かなり離れていた。その経験から言いますと、企業の中における出産適齢期というのはないなと思うんです。ペイペイならペイペイなりに仕事がありますし、中堅になれば仕事盛りと言われ、高齢出産のときには中堅管理職みたいな感じになっていて、それではまたそれで責任があるということになりますと、仕事上で子どもを産んだらいいという時期はない。
  そうしますと、自分の責任というか、エイヤッで産むしかない、神様に任せるしかないなと思っているんですが、じゃ3人目を産めって言われたら、生物的な限界はもう超えていますので、それではなくて、産めと言われてやっぱりちゅうちょするというのは、新聞記者という仕事が特別ではあるんですが、保育園が17時、今、延長して18時、19時。私たちが帰れるのはそれをはるかに超えた時間です。そうしますと、私は今も親離れしていないだらしのない娘なんですが、私の両親の家に家族ごと住まわしてもらっている。親がいるから、私が帰るまでの間、子どもを見てもらえるけれども、これがベビーシッターであった時代もあったんです。そうしますと、他人に任せているという不安もあるんですが、やはり経済的なこともなかなか大変であるということで、様々なクリアをしなければいけないことがあると思うんです。
  ただ、その前に、他の委員の方々がおっしゃったように、社会として、7時、8時、9時、10時、夜中に帰るということはよくないことであると。それは母親はもちろん、父親もよくないことである。せっかく今不況ですし、残業がなくなっているわけですから、これは一杯飲みに行かないですぐ帰る。それから、社会全体でこの時期を奇貨として、仕事をし過ぎない社会をつくり上げることが必要なのではないかと思います。
  私はちょっと先ほどの方と意見が違いまして、男と女で違うことというのは、子どもを産むことと母乳をあげることだけだと思っていますので、育児というのは完全に男でも女でもできると思っています。そういう意味では、男性も働き過ぎない、女性も働き過ぎない。社会がそういった意味で少しスモールサイズになって、子どもたちを育てられる社会になっていくことが、最終的な目的として必要なのではないかと考えています。

○河合座長  ありがとうございました。働き過ぎないように、我々の委員会も時間を延ばさないようにしたいと思いますが、ちょうどいいぐらいの時間じゃないでしょうか。
  私の意見を言っていますと時間が過ぎてしまいますので、またいつかと思いますが、非常に簡単に言いましたら、皆さんの御意見を聞いておって、この問題の広さと深さというか、それが非常に出てきたと思います。その中で、教育ということで結びつけて何ができるか考えていきたいと思っております。
  今後の審議について、事務局に何かお考えがあるそうなので、説明をお願いいたします。

<事務局より説明>

○  今後の審議の進め方についての御提案をいただいたんですが、私としましては、今後の審議の進め方は、基本的にただいまの事務局の提案に沿いながら、当面、ヒアリングとか、プレゼンテーションを行いつつ、適宜進めていってはどうかと思っております。そのような点で、今後の進め方で何か御意見がございましたら、どうぞ遠慮なくおっしゃってください。ございませんでしょうか。こういう方にプレゼンテーションを願ったらどうかとか、こういうことがあるとか、ありませんでしょうか。何か積極的にございますでしょうか。
  それでは、ただいま申し上げましたような形で、小委員会の審議を進めていくことにさせていただきます。詳細については、今後、会長と事務局と相談して、また審議の進捗状況を踏まえながら決めさせていただきたいと思います。
  次回は、まず少子化が教育に与える影響についてのほうで総括的な議論をすることにしたいと思います。さらに、ヒアリングやプレゼンテーションをどなたにお願いするかにつきましても、会長や事務局とも相談しながら、私のほうで決めさせていただきたいと思います。
  審議の進め方について、皆様から具体的な御提案がありましたら、今後とも私か事務局へお伝えいただければ検討させていただきたいと思いますが、最終的には私に決定を一任させていただきたいと思います。
  専門委員の方には、後日、プレゼンテーションをいただくこともありますので、よろしくお願いいたします。
  それでは、会長から一言、お願いいたします。

○根本会長  大変に貴重な御意見を伺いまして、現場に真理があると言いますけれども、皆様それぞれの現場からの真理を、河合座長を中心にしてより普遍的なものにおまとめになるということを期待しているわけでございます。
  その際に、きょうもいろいろ出ましたけれども、基本に返るというアプローチが私は必要ではないかと思っております。基本に返るというのはどういうことかといいますと、今の時代をどのように認識するのかということが第1でございます。
  その上に立って、私たちはどういう価値を追求すべきかという問題がございます。この価値に関連して、我々が来世紀構築すべき社会像ないしは国家像というものをどう考えるべきなのか。
  その前提の上に、それを実現するための少子化社会を前提として、どういう処方せんをもってアクション・プログラムをとっていくのか。
  特にどなたか委員の方もおっしゃいましたけれども、価値観の問題ですね。私は、これを相当討議する必要があるのではないかと思っております。
  いろいろとさらに申し上げたいことがございますが、これからの社会はなかなか不安定な社会がまいりまして、ストレスというお話もでましたが、これはまさに子どもばかりではございません。大人もストレスを感じる。これを別の言い方をしますと、人間性が疎外されるエントフレムドゥングの世界、そういったような社会に入りつつある。この人間性疎外というものを一体どうやって克服していくのかという大問題があるのではないかと私は思っておりますので、ひとつよろしくお願いいたします。

○河合座長  どうもありがとうございました。
  それでは、どうも御苦労さまでした。これで本日は終わります。

(大臣官房政策課)

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