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中央教育審議会

2000/2 議事録    
少子化と教育に関する小委員会(第12回)議事録

  議  事  録  

平成12年2月29日(火)13:00〜15:00
ホテルフロラシオン青山  1階  ふじの間

 1.開    会
 2.議    題
      少子化と教育について
 3.閉    会

出  席  者

委員
    小林座長代理、森(隆)委員

専門委員
    安藤専門委員、鈴木(り)専門委員、楢府専門委員、広岡専門委員、牧野専門委員、森(正)専門委員、山口専門委員、山谷専門委員、山脇専門委員

事務局
    富岡生涯学習局長、御手洗初等中等教育局長、小松幼稚園課長、本間総務審議官、寺脇政策課長、その他関係官


○小林座長代理  それでは、ただ今から中央教育審議会の「少子化と教育に関する小委員会」第12回の会議を開催いたします。
  皆様方におかれましては、御多忙な中、御出席いただきまして誠にありがとうございます。
  それでは、今回の配付資料の確認を事務局からお願いいたします。

<事務局から説明>

○小林座長代理  それでは、審議に入らせていただきます。

○  「大学・学部の附属幼稚園・小学校」のところですが、これは別に国立大学というふうにしなくてもよろしいんでしょうか。つまり、私学も含んだ形ですか。

○小林座長代理  附属学校のことですか。

○  ええ。附属幼稚園・小学校のことは、私学についても言及して構わないのかどうかというのが、ちょっと判断がつかないのですが。

○事務局  御指摘のとおり、御議論があったときには、ああいった事件が起こったということもあって、国立の、というようなことの意識のもとで御議論があったわけでございますけれども、問題としては私立においても同じことだろうと思われます。ただ、もちろん私立に対してどれだけ国が言えるのかというのは、国立とはやや違う部分があるかもしれませんが、事この事柄に関しては公私を通してお願いしなければならないことではないかという前回の審議を踏まえたものと考えております。

○  何点か気づいたところがあったので。「させる」という表現が多いような気がします。「子どもに冒険をさせたり」とか、「自然の中に連れ出してのびのびと遊ばせる」というように、こういうふうにさせたほうがいいんだという、内容としてはとてもよくわかるんですけれども、子どもとともにいて、子どもとともに育っていくのが楽しいとか、子育てから得る喜びみたいなことを伝えたいという観点からすると、「ともに遊び」とか、「ともに冒険にチャレンジし」というような表現にしてもいいのかなというふうにも感じました。
  きちんと倫理観を教えるとか、けじめをつけさせるとか、しつけの問題について触れられていますけれど、その辺にトラブルのあるお子さんたちは、あなたはそのままでいていいんだよという、生まれて一番最初のころの「いや、いや」と言っている時期なんかに、「『いや、いや』と言っちゃだめ」じゃなくて、「『いや、いや』と言ってるあなたもそのままでいいんだよ」というあたりのところを大事にしてもらっているという経験が不足しているかなという感じもします。子どもを規制するとか、何させるという方向と同時に、子どもとともにいて、子育てしてて楽しいんだというか、子どもが生き生きできる場所をつくるんだというニュアンスがほしいかなと思うので、「何々させる」という表現がちょっと気になりました。

○  若い人たちが子どもと接する体験をたくさんするようにということがあちこちで書かれて、とてもよくなったと思っております。
  それに関連してなのですが、高等学校ですべての生徒が幼稚園・保育所などで保育体験学習をするようにということをぜひ推進していただきたいんですが、受け入れる幼稚園や保育園も大勢の人を受け入れていくことはなかなか大変と聞いております。そのときに、この報告の趣旨である、地域の人がみんなで子育てをしていくという趣旨を生かせば、幼稚園や保育園の先生だけに負担がかからないように、親たちが受け入れのコーディネートを手伝うというような趣旨のことをできるだけ入れてほしいんです。先生方がそれを指導できるようにというんですか、どういう表現にしていったらいいかわからないんですけれども、幼稚園や保育園も、子どものためにも、それから若い人たちのためにもそれがいい経験だということを理解して、大いに受け入れる体制を持つということをどこかに入れていただきたい。
  幼稚園のほうに入れていただいてもいいですし、場合によっては地域全体で子どもを育てるという高齢者、子育てを終わった人たちが地域の子どものために活動するなんていうことを、ここの中に入れていただいてもいいですし、幼稚園や保育園に子どもをやっている親が手伝うことはありますが、保育所はちょっと手伝いにくいわけなので、高齢者などが手伝うというような形で、地域全体、社会全体で協力するということを入れていただきたいのが1点です。
  それから、大学生に対しても、そんなような活動を単位にするということも書いていただいて、これも進めば非常にいいと思うのです。いつでも幼稚園や保育所となっていますので、児童館とか、学童保育とか、子どもセンターという言葉も出ていますが、もうちょっと広げておいてもいいのではないかと思いましたので、言葉を変えていただければ、全体的にそんな動きがより進みやすくなると思います。

○  言葉を少し補っていただければと思います。「家事の手伝いなどを通して家族の一員として分担すべき仕事の重要さ」の後のところに、「……や、人の役に立つ喜びについて学ばせる」という、「人の役に立つ喜び」というのをぜひ入れていただきたいと思います。
  というのは、今回の幼稚園の教育要領の改訂の人間関係のところにも、「人の役に立つ喜び」という文言が入ったんです。といいますのは、少子化になってくると、してもらうことだけで、「貢献感」と私は何度も言ってきたんですが、それが重要なポイントの一つだと思うのですが、その辺のところで考えていただければと思います。

○  先ほどの家庭科のところですが、「全ての高等学校で」とあるんですが、これはいいんですが、高等学校に対することだけでいいのか、小学校・中学校では何か新しい提案とか提言はないのか、それがちょっと気になったんです。
  また、「家庭生活は男女が協力して」とありますが、ここで「男女」というのは、「家族全員が協力して」とか。少しそこのところが気になったんですが。
  「幼稚園と小学校との連携・接続」とあります。普通、幼稚園・小学校関連のとか、よく連携等は言ってきたんですが、「幼稚園・小学校の接続の充実」と言うといろんなイメージが浮かぶんですが、どんなことをお考えなんでしょうか。

○事務局  「幼稚園と小学校との連携・接続」の言い方につきましては、従来の幼稚園と小学校との連携を深めるということとともに、それぞれの発達課題はありますけれども、例えば幼稚園と小学校低学年とか、そういったところについては共通性がかなりあることから、従来からそのあたりの子どもの発達の連続性に着目をした取り組みが必要だということになっております。この文言自体は、昨年12月の中央教育審議会の「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」答申の中で、初等中等教育の中の課題の一つとして「幼稚園の連携・接続」という言い方でそれをとらえておりますので、一応それを受けている次第でございます。

○  「させる」という表現についてです。ご発言の主旨は確かによくわかるのですが、これはこの報告の視点の問題だと思うのです。今の日本人は、子どもがいてよかったと思うのはどういう点かと聞かれて、自分が成長したというのが最も多い回答になっています。確かに子どもができて親も成長するという話はよく聞きますし、ともに成長しなければいけない未熟な両親が多いのは確かです。けれども、この報告書の視点をどこに持っていくかというと、子どもと同レベルのところに持っていく必要があるのでしょうか。秩序を教えていかなければいけない教育の一面を考えますと、子どもより高いところに立った視点に基づく表現をしたほうがいいのではないでしょうか、その辺を一度話し合っていただきたいような気もいたしました。

○  「時には厳しく心身を」ということで「時には」とありますが、これは「常に」と言いたいくらいなので、「時には」では弱いんじゃないかと思うのです。前回出ましたのは、父性原理というか、切断の原理というか、厳しさが今はない。それは父権とか、父性と言われたんですが。母性という包摂の原理、やさしさですが、それと切断の原理というのはバランスをとっているのが理想なんですが、今こちらが弱いので、少し強調してもいいのではないかと思うのです。「時には」となると、まあ時々という感じがするんですが、いかがなものでしょうか。
  それから、「親の過度の安全志向」とありまして、「安全志向」という意味は、何が安全なのかですね。表現を少し工夫したほうがいいのではないか。
  それから、「親の負担感を軽減するため、今後は高等教育を受けるための費用は、これを受ける本人も負担する方向に変えていくことも重要である」、これを受けて「奨学金の充実などが必要である」とあるが、「重要である」と「必要である」のどっちが重要なのか。

○  前回、婚外子の比率とか、あるいは家庭の定義とか、いくつかの角度から、いわゆるシングルマザーなりシングルについて積極的に言及すべしということについて若干発言をいたしました。ほかにも何人かの方々から、同趣旨の御発言がありましたが、逆に、そうした考え方の過度の展開をたしなめるという御意見もあり、また、スウェーデンの社会保障費の比率が高いということについて御専門の立場からの御意見もありまして、平行線の状態で終わったと思います。家庭の定義というのはとても難しいし、またこうした文章においてそれにこだわることは必ずしも生産的でないと思います。
  ただ、いわゆるシングルの問題について、この文章をおまとめになるときに、実質的にはここで言っているとか、ここでカバーしているということをたぶんお考えになったのではないかと思うので、そういう点がありましたらお教えいただきたいと思います。
  なお前回スウェーデンでは社会保障費の負担が高いというお話しがありましたが、それはおそらく国民所得における租税負担と社会保障費負担と合わせた比率が高いということだと理解いたしまして、関係の統計を見てまいりましたところ、確かに1996年ごろのスウェーデンは70%台であります。今日、ひょっとしたらおっしゃるように80%台になったかもしれないと思いまして、その点は大変学ぶべきだと思いました。しかしながら、この統計を見ますと、イギリス、フランスなどでは婚外出生の比率は高いのですが、必ずしも高福祉高負担ではありません。
  大変恐縮でございますが、この間御発言がいくつかございましたシングルをどのようにとらえるかという点につきまして、御教示いただけたらありがたいと思います。

○事務局  確かにこの点につきまして、前回御議論があったわけでございますが、その結果として、中央教育審議会としてこれがいいとか悪いとかいうことは適切ではないのではないかということで、事実としていろんな状態があるということはあるわけでございますので、そこのところを具体的な表現というよりは、「現状と要因」という場面の中で、様々な状況があるということと、様々な状況があるということを前提に議論をしていったことは事実なんだけれども、その状況のどれがよくて、どれが悪いということは差し控えたということをおくみ取りいただければというのが、まとめていただいた趣旨でございます。
  なお、「婚外出生割合の国際比較」というグラフは、この資料等を通して、今後、様々な議論を促していく。今後また時代も変わってくれば、新たな議論も必要であろうという含みは感じていただけるのではないか、という感じでその点についてはまとめさせていただいておるところでございます。

○  ごく単純な文言のことで二、三お話ししたいんですけれども、先ほど他の委員の方がおっしゃった「親の過度の安全志向」というのは、「安全」という意味が、ちょっと違和感がありました。
  それから、私の語感なので、これがいいかどうかわからないんですけれども、「『生きる力』を育成する」という、この「育成」というのがちょっとひっかかる感じがします。私の語感なので、こだわる気はないのですけれども、「涵養する」とか、「伸ばす」とか、そんな言葉のほうがいいのではないかという気がしました。御検討いただければ幸いです。
  それから、全般にわたる感想ですが、これから少子化の問題に対応していくためには、男女共同参画の視点がどうしても不可欠だと思います。全般的にいろんなところにそれがちりばめられていて、私は結構なことだと感じました。ただ、高等教育のところで、最近はいろんな学校で「女性学」というプログラムが入ったりしております。最後のところに「少子高齢社会や男女共同参画社会に関わる問題について」それでいいのですが、前の例示には課外の体験ということがあって、「女性学」のような学問のことに触れる必要はないかと思いました。

○小林座長代理  メッセージというのはどういう形で公表、発表するのですか。

○事務局  はい。今のところ考えておりますのは、これが「報告」として文部大臣に提出されます。メッセージは文部大臣に報告として提出するわけではなくて、報告するに当たって、一般的には他の答申などの場合でも会長談話のような形で、会長がこれを出すに当たってこういうことを考えたというようなことを、文部大臣に答申するのではなく、会長談話として公表していくという形がとられておりますので、それをもう少し幅の広い形でと思っております。

○  素朴な疑問で恐縮ですが、主に大学についてですが、大学というのはこういうことをする場なのかどうか。つまり、大学というのは専門的な学問をするところなのではないかと思うのです。学校でこういうことをするのは必要なことだと思いますし、今、日本で欠けていることだと思うのですが、大学は専門的な学問をするというイメージが私にありまして、大学で家族とか、結婚というものを扱うのが正しい姿なのか。大学像が私とちょっとずれているものですから、これはどなたかにお聞きしたいと思います。つまり、こういうことをやるのが反対なわけではなくて、大学のあるべき姿とちょっと違うのではないかと思うのですが。

○  大学のあるべき姿は専門教育にあるという、極端に言えばそういう方向からのお話だと思うのですが、今、1990年代に入ってからそれぞれの大学として苦労しておりますのが、実はいわゆる教養教育をどのような形で実施するかというところなのです。確かに1990年代の改革に際しても、高校から大学に入っても従来のいわゆる一般教育では、高校で習ったのと同じことを習う。そうではなくて、もっと早く専門に入りたいという学生の間からの要求があったこともたしかです。これが、1990年代の学部教育の改革、一般教育と専門教育の固定的な区別の撤廃を基調とする改革と結びついているわけです。しかし、それと同時に、1990年代に入って基本的な人間としての知識、あるいは倫理観、あるいは人間性の陶冶にかかわる部分が欠如しているということもますます明らかになってきました。ですから、様々な工夫を凝らして、今、各大学でそれを追求しているところであります。
  すなわち、一方で、専門をより早期から深く広くという要求が学生の間にあったことは確かでありますけれども、もう一方で、教師から学生を見たときに、学生の間で人間性にかかわる部分が年一年と欠如していくということも確かだと思います。ですから、教養教育ということが改めて問われているのです。そうした状況のもとで、教養教育の中でインターンシップや、少子高齢社会や男女共同参画社会にかかわる問題について彼らに提起していくことは非常に重要なことではないかと思います。
  今、おっしゃった方向だけ突き進みますと、一方の人間性にかかわる部分が非常に多く欠如していく。そうすると、ラーニング・エンバイロンメントがゆがんだ形で形成されることになる。日本だけでなくて、ほかの先進諸国でも改めて教養にかかわる問題が問われております。必ずしも教室内教育だけではなく、教室外教育や様々な活動を通して、人間性を陶冶していきたいということでみんな努力しているのではないかと思うのです。高等教育の場面で少子化の問題、男女共同参画社会について問題提起できないかという問題提起を、今回教養教育という形で受けとめて整理していただいたということは、私は大変適切だと思います。

○事務局  補足させていただきますと、従来から大学教育は一般教育と専門教育を適当なバランスを保って提供するということで、大学設置基準という教育の枠組みを決めたものがございます。ただ、従来は固定的に、一般教育科目というのは人文科学、社会科学、自然科学、保健体育科目、外国語科目ということで、それぞれ単位を決めまして、卒業単位124単位のうちで一定部分については、どんな専門学部であってもやりなさいということにしてきたんです。大学教育が非常に普及してきまして、大学の数も増えてくる。それから、大学に進学する学生の中にも将来に対する意欲とか、関心とか、多様化してくるという状況の中で、平成3年度、今から9年前に、こういう固定的な縛りは外して、大学の教育理念や目標に応じて自由に大学教育の中身を設計してもらいましょうということで、いわゆる大学設置基準の大綱化ということが行われたんです。
  その後は、一般教育科目は縛りがないわけですから、大学教育をどのように設計するかというのは大学の自由ですけれども、それから10年近くを経て、いろんな試みをやってきたけれども、現在、教養教育というふうに言っておりますが、専門教育の基礎として、例えば人間としての倫理観ですね。例えばエンジニアになる場合にも、自分がやろうとしている土木の工事が環境に対してどんな影響を及ぼすか。工学倫理というようなことを言っておりますが、そういうものが必要ではないかという反省とか、あるいは専門教育というのはどんどん中身が増えてきておりますので、専門教育に傾斜した大学教育の設計がどんどん進んでいってしまう。そうなってきますと、専門知識ばかりになっていってしまう。世の中が変わっても応用のきくような広い教養といいますか、諸学の基礎が必要だという見直しになってきております。そういう中で、男女共同参画とか、少子高齢社会への対応といったような問題も、教養教育の一部として取り上げていいのではないかという考え方で、大学教育の大きな流れからすると、一貫性のある考え方であると私どもは考えております。

○  関連してなのですが、新しい科目名を大学で独自に教養教育として設置することができますので、「ジェンダーに関する講義とか、女性学などの講義を設けるなど」ということをちょっと入れておきますと、教養教育でそういう問題に触れるとよりいいんだということが出てくるのではないかと思いました。
  ここでは「少子高齢社会や男女共同参画社会に関わる問題について、学生が自らの問題として考え」というのは、大学教育と関係なしに自分で考えればいいという話のようでもありますが、大学としてもそういうことを取り上げていくというのはとても大事なことであろうかと思います。特に法学や経済学をやったり、工学の専門的なことを学んで、やがて将来、公務員としてこの国のトップを担うような人材こそ、こういう人間的なものを学ぶ必要がありますし、会社の経営者、トップなどがこういうことを学んでおくことは非常に大事になると思うのです。アメリカなどでは「マリッジ・アンド・ファミリー」とか、いろんな科目を設けていますし、具体的な問題で人気があったりするという点で、それを専門的にきちんと学んでおくことが、社会的に人間の問題、子どもの問題、家族にかかわることを学んでおくという意味で大事だと思います。
  もう一つの面では、非常に忙しい学部・学科もありますけれども、結構時間的に余裕のある大学生もいっぱいいたりしますので、そういうエネルギーを子どもとか、高齢者のために向けるように、在学中に体験するということを大学が積極的に行って、それを認定していくこともとても大事ではないかと思います。教員免許を持つ人とか、教育にかかわる人なんかはそれをたくさん学びますが、どの学部のだれが学んでもいいようにオープンにしていくことはとても大事ではないかと考えています。

○  今おっしゃったとおりだと思うのですが、具体的に「女性学」とか、「ジェンダー」とか出ましたが、アメリカでも男性学会というのがありまして、女性が発表したりしていますから、「ジェンダー」のほうがいいのではないか。両方含みますから。そういう気がいたします。
  それから、大学がどうあるべきかというのは、もう決まってるんで。ただ、大学が多様化し、いろんな大学がありますので、少子化に伴って特にこういうことが必要だということが書かれているんで、本来の大学の在り方を何も否定していない。この少子化の報告では、少子化の立場からこういうことを要求しますということを書いているので、大学はこうあらねばならないと言っているのではないという気がするんです。
  それはそのくらいにして、別なことですが、「安全志向」ですが、「安全志向」にかわる言葉として、さっきから考えていましたが、「過度の安全志向」も「安易な安全志向」とすれば「安全志向」という言葉が生きるのではないかと思います。
  もうちょっと大事なことは、中央教育審議会が出す「教育面以外からの方策」というときのスタンスですが、その場合には教育を中心に、教育がほかの行政をリードするような姿勢というか、心意気がないといけないのではないかと思うのに、「仕事と子育て」となっているんです。「子育てと仕事」となるべきだし、「仕事と子育ての両立」となっているんですが、これは「子育てと仕事」というように、「子育て」が第1で、「仕事」は第2と。きのうのどっかの新聞の夕刊に、乳幼児のいる人は在宅勤務を可能にするという企業の一覧表が載っていました。そういう意味で、ここには「在宅勤務」とかそういうことを書いてないんですね。そういうことも入れたらどうかと思うのです。要するに、労働省や厚生省が教育について一所懸命やっているというのは、労働条件改善のためという面も非常にあるので、文部省がやるのは少子化の教育条件、育児条件を改善する、その結果として労働条件をこうしてくれと言わないといけない。労働省や厚生省がやっているのは、効率を考えながら労働条件を改善して、結果的に教育にも役立ちますよというものです。その違いがどの程度整理されているのかわからないのですが、せめて姿勢だけでも、「子育てと仕事」というように順序を変えていただきたいというのが希望であります。

○  先ほどの、大学についての話に、私のほうから一、二つけ加えさせていただきますと、実は先日、勤務先の大学で学外評価委員会を開いていただいて、議論の焦点になったのが「教養教育とは何か」ということであります。とても難しい問題です。
  実際問題として、さきほど事務局の方がおっしゃいました1991年の大学設置基準の大綱化以来の教育改革の中で、新しいカリキュラムがつくられていきました。そのカリキュラムの中で、「課題探求能力の育成」にもかかわるのですが、人数を20人とか10人に絞って実施する低学年の少人数セミナーが学生に非常に支持されているのです。それにはどの大学でもいろいろな専門の先生がかかわりますから、それぞれの御専門に即したアプローチがあるわけです。
  例えば、ある大学の中での基礎セミナーの一つの主題として、学生の非常に強い支持を得ておりましたのが、脳の発達についての医学的接近と重度心身障害児の療育を結びつけて学生に問題提起をされましたある先生のセミナーであります。このセミナーは特に医学部の学生とか、あるいは教育学部の学生が参加するわけではないのですが、これを通して学生が深く現代の問題や学問の方法の基礎を学んだということが明らかになっております。また、いろいろな分野からの専門家が参加し、「女と男」という主題の総合講座が開講されておりました。これは人数は多いんですけれども、非常に好評でありまして、教養教育の中で学生が支持をするテーマになっておりました。
  一方では課題解決能力のためのセミナーと適切な課題の提示が、他方ではより人数の多い総合講座形式の講義における少子高齢社会、男女共同参画社会にかかわるテーマの設定が、いずれも新しい教養教育の一つの実践として学生の支持を得ております。試行錯誤の一つでありますが、そのような実践も今日の大学教育の中で行われていることを知っていただきたいと思っております。

○  ここにあります「社会生活を送る上で必要な基本的な知識が身に付いていなかったり、社会の一員として求められる倫理観が希薄であったり」というのは、事実そうなんですが、こういうことは小学校・中学校・高校のうちにきちっとやっておくべきことだろうと思うわけです。ですから、希薄だから、では大学がやりましょうというのではなく、本来はきちっと高校以下でやるべきことで、大学が教養課程としてやるべきことはまた別にやるべきことがあって、少子化に関することでもやるべきことはあると思うのですが、こういうことだと、本来もうちょっと下でやるべきことがやられないでいるのを是認した上で、では大学で対処しましょうという感じがします。

○  先ほどから「仕事と子育て」にこだわっていたんですが、ほかをずっと見ていますと、「仕事と育児」という表現もあるんです。「育児」と「子育て」、どっちかに統一したほうがいいのではないか。これは区別して使っているのか、聞かれたときに困るんじゃないかと思うのですが。前のほうの文章でも「仕事と育児」というのが多いですから、「育児と仕事」にぜひ変えていただきたいと思います。

○  子ども観とか、視点の問題かもしれませんが、「子どもをどのような人間に育てていくのか」ですけれども、「どのような人間に育てるのか」という視点は大事だと思うのですが、どういうふうに育てたいかということが行き過ぎると過干渉になったりという認識も持っております。子どもは育ちたいように育って、それを手伝うというような感覚も私は持っておりますので、「人間」を削除して「どのように育てていくのか」、あるいは「どのような人間に育てたいと考えるのか」というニュアンスのほうがいいのかなと思います。
  また、「理念が人々の間で共有されることが」大事で、「利便性の追求に応えるだけのものにすぎなくなる可能性があることに留意すべきである。」の後に、翻って「利便性の意義も多様なものとなっている」ので、「多様な志向を持った親が自らの生き方を充実するよう」に「子育て支援を考えるという視点も必要となる」というと、流れがねじれているかなという感じもするんです。理念は大事だということが前に書いてあって、その後に多様な利便性にこたえることも大事だというふうに並列してあるのか、流れがねじれているのか。この辺、私はねじれているように読めたのですが、いかがでしょうか。

○  「未婚化の進行が」とあって、たぶん平成12年はもっと晩婚化が進行していて、したがって不妊のカップルが多くて、不妊治療の数がすごく増えているんです。「未婚化・晩婚化」というのは「晩婚化」を入れてもいいのではないかと思います。
  あと未婚化といっても、婚外出生の割合というよりも、むしろパラサイト・シングルで、結婚もしたくない、子どもを産みたくないという感じの未婚化ではないかと思うのです。婚外出生を認めたら出生率が上がるかといったら、日本の場合はそうではないのではないか。もう少しデリケートな表現が必要と思います。
  それから、「婚外出生割合の国際比較」というところですが、どれを見ましてもキリスト教の国で、連帯感とか、命は尊いというのが社会のベースにあって、日本も命は尊いとは言っているのですが、妊娠中絶が年間数十万件で、実は尊いと思っていないのではないか。一人一人に神の恵みがあるという社会であれば、シングルマザーにみんな寄り添おうという気持ちになりますが、日本の場合、それが本当にできていないところで、こういう表を入れるというのは私自身としてはどうかなという感じがいたします。婚外出生を認めて、シングルマザーの再就職プログラムを充実させるとか、男女共同参画社会に一挙にいこうとか、そういうものがあってこういうのを載せるという議論があったのかどうかよくわからないので、私はこの表は違和感を感じます。

○事務局  付属資料をつけることの是非についても、御意見をちょうだいして、不必要だという御意見が大勢であれば、またそのことは考えてまいらなければならないわけでございますが、趣旨としては、様々な形が出てきていることを客観的に示しておくことは必要なのではないかという考え方に沿っているものでございますが、それらの点についても御議論をぜひいただければと思います。

○  大学生に何を要求するかといったときに、一つは高校の現場で考えることは、例えば高校生に結婚の話をしたとしても、それは10年後の話でしかないということがありまして、本人の中に結婚するとか、社会に出て働くという意識を持つことが遅くなった分、現実感を持って問題に対処するためには、大学教育でも多少こういうようなことを入れてもいいという背景があるのではないかと思います。単に倫理観が幼いときに教えられなかったから希薄というだけではなくて、ライフサイクルの変化と合わせて大学教育でもこういうことが必要になったという観点で書いていただけるともっといいのではないかと思いました。

○  婚外出生の表ですが、この小委員会の議論が始まったころに、よく自己決定と自立が基本なんだということを強調されていたと思うのです。自己決定の中身は、言葉の使い方で多少の解釈のズレはあったけれども、その流れからすると、こういう表があったほうがむしろ結論的にいいのではないかと思います。国際基準だとか何だとかって言われてて、これは金融の分野なんかで進んできたわけですが、いろんな分野で国際比較の視点を我々は持っていないと、とりわけ国の、文部省のように施策を決める中央官庁には国際比較の視点がどうしても不可欠だと思いますので、私はあったほうがいいのではないかと思っております。
  それから、大学の問題ですけれども、少子化はイコール大学教育の大衆化ですよね。従来大学へ行かなかった者がどんどん入ってきます。いわゆる偏差値の低い子どもたちの場合には、最初から授業を受けるのは大変なことだとか、退屈なことだとか、そういう姿勢が濃厚に見られます。全部が全部というわけではありません。勉強する学部や勉強するクラスでは、全然出てこない学生なんかよりずっといい答案を書きます。一般的にそういうのがあって、びっくりするような行動を時々するわけです。教室の中で携帯電話が鳴ったり、注意するとプッと出ていったり、ふてくされてしまったりということがある。そういうことに限らず、いろんな形であって、大学教育というのは今や全人格的な教育という側面は不可欠だなという感じがします。
  いろんな学校があって、しかも少子化の中での高等教育ということを考えると、教養教育という言葉でいいのかどうかはまた別としても、少なくとも全人格的な教育はこれからますます必要になるのではないかという気がしています。
  リーダーシップだの、社会的な正義だの、公平だのに対する観念とか、従来、秩序と規律なんて言われていたものですけれども、秩序と規律というのではなくて、ある種の積極的な社会貢献の意図ですよね。これが今、日本の若者の間には著しく欠けているような気がします。一方では、それが偏差値の低い子ばかりにあるのではなくて、偏差値の高い子にも、孤立した受験勉強をずうっと経験してくることによって、みんなで社会をこしらえていくんだという意識が随分希薄になっているような気がするんです。ということで、センテンスが長過ぎるというのが何となく気になるんですけれども、結果的にはこういうことなのではないかと思っております。

○  「婚外出生割合の国際比較」は、私はこれでいいと思うのです。戦後、私たちが持っているコンプレックスみたいなものがあって、要するに外国がいいみたいな思い込みがすごくあるわけです。私の得ている情報の中では、そういう面での大きな問題を抱えているわけで、むしろ日本の社会のほうがまだそこまで壊れていない。家族というのは社会のユニットになる基本の集団、形だと思います。そういう意味では、それが壊されていく、壊れていくのはすごく大きな問題だと思います。
  問題提起としてはいいと思いますが、この表を見て、日本がおくれているみたいなとらえ方をされるのは、非常にまずいと思います。そうでなくて、子どもを育てるということは、夫婦であり、社会であり、みんなで協力していかなければ難しい。この間も宇都宮である事件がありましたけれども、あれなんか見てても、すごく孤立してしまうし、そういう意味で難しい。できるだけ多くのネットワーキングの中で子どもは育てられるべきであり、そこにはやさしさと厳しさのバランスもあると思います。
  そういう意味では、これぐらいに抑えた表現の中でとどめておいていただきたいと思います。

○  少子化になって、幼稚園では子育てネットワークとか、子育て支援とか、いろいろおやりになるんですが、大学の公開講座で妊婦を対象に保育の問題とか、栄養・食べ物とか、そういう教育をもっとやったほうがいい。学習効果が一番上がるのは、人間のライフサイクルの中で一番真剣な時期なんです。一番真剣な時期というのは、妊娠している時期らしい。私、妊娠したことないからわかりませんが、妊娠した方に聞くと、本当にあのときはおなかの子のことを考えて真剣になる、好きな酒もやめてとか。そういうときに勉強させるのが一番効果がある。
  これは幼稚園のところで書いたほうがいいのか、子育て支援のところで、大学でもっととか何かそういうことを書くと、「あ、少子化の教育対策でこういう目新しいことがあるのか」ということでわかるのではないかと思うのです。そうでないと、「何だこんなことは当たり前じゃないか」ということになってくるような気もします。教養とか人格形成について言えば、これは幼稚園だけでも、小学校だけでも、中学校だけでも、大学だけでもできないので、あらゆる教育機会を通じてもできないのが人間です。だから、大学でも言ってもいいとは思うのですが、書き方は別としいたしまして、40歳ぐらいまではやらざるを得ないので。孔子も言ってますが、「年40にして悪まれる。それ終わるのみ」ですから、40過ぎたらもう不可能なような気もするんです。余計なことを言いましたが、「公開講座」という言葉をどこかに入れていただければと思います。

○  以前、「明日の親のための学級」という結婚が決まった若い男女のための講座がありました。私もかかわりましたけれども、二人だけの時は人が集まらない。でも、一旦赤ちゃんがおなかの中に宿ると、そういう意味ではおっしゃるように身につまされるということがあります。今のところ、妊婦教育はお産のところまででとまっているんですが、赤ちゃんがお腹にいる280日の時間に、生まれてから子どもがどう育つのかという育児のいくつかのポイントというんでしょうか、そのことをきちっと伝えておくことが有用なのではないかと思います。そういう情報が欠けているような気がします。

○  「婚外出生割合の国際比較」のグラフについてですが、これはきれいなわかりやすい表になっておりまして、結婚と出産の分離が進んでいるということを肯定的にとらえる立場からも、否定的にとらえる立場からも、また欧米を肯定的に見る立場からも、日本の在り方の積極的な側面を見出す立場からも、有用だと思うのです。私は、この表は残しておいた方がよいのではないか。どちらにも使えます。

○  公民館とか、保健所なんかの講座で、よく妊娠中のカップルのニュー両親学級みたいなものに講師として呼ばれています。10年前に比べると、ほとんどカップルで来られて、昔はお母さんばっかりだったので、ものすごく様子が変わったと思います。ところが、赤ちゃんが生まれてしまうと、その途端に父親学級みたいなものに男性は全く来ません。たまに公民館が、この時代ですから、父親学級みたいなことをやろうとすると、募集人員50人で3人とか、その程度です。公民館には男性が足を運びにくいという面もありますが、いざ子どもが生まれてから後の家庭教育になるのでしょうか、社会教育になるのでしょうか、そういう問題がこれからかなり重要だなという気がします。
  地域でどうやったら取り組めるのかと思いますが、「心の教育」関係で、企業対象の出前講座に何回か行ったことがあります。そうすると、男性の従業員の人はものすごく真剣に聞きます。後で職場のあれがあるから、本当に個別的に来られるんですけれども、かなり深刻な悩みを相談されたりすることがあります。企業関係というか、何というかわかりませんけれども、地域の男性、お父さんたちに働きかけるときに、どういう手段が必要かということを考えなければいけない時代だなとつくづく思います。子どもさんが生まれてから後のお父さんたちにどう働きかけるか。例えば、企業への出前講座とか、そういった手段が必要だと思います。報告書に書くかどうかはまた話は別として、思ったことを一つ述べさせていただきました。
  ついでに、国際比較の話ですけれども、例えば企業の人の採用でも、欧米と日本ではそのルールがものすごく違いますよね。もし欧米の会社で、採用の対象を日本人に限るなんてやったら、これはたちまち大問題になると思います。そういう国際的な違いを、我々これだけ大きな国力を持つ国になった以上は、常に念頭に置く必要があると思うので、なるべく国際比較の視点は持っていなければいけないと思います。

○  先ほどから出ている、妊婦から出産以降の父親をどう巻き込むかという話はとても興味があって、出産のときの立ち会いをするためには、父親も講座を受けなければいけないというような決まりがあると、夫も会社から出てきやすいようなんです。何かそういう決まり事をつくらないと、公民館なり地域での勉強会に父親が出てくるのはなかなか難しいのかなと思いましたが、とても必要なことだと思いますので、どこかで考えていけたらいいのではないかと思います。
  それから、女性の再雇用の問題についても触れられていますが、女性の働き方についての国際比較の資料も目にしたことがございますので、そういうものも入ればと思いまして、パートタイムの働き方についても、もしあったら御連絡したいと思います。

○  国際比較の関係で、婚外出生ができるというのは、一つには女性が稼げるからということが大きいわけで、これを入れるのだったら、女性の日本における働きにくさみたいなのも入れないと、フェアじゃないなと。それから、もしできれば妊娠中絶の数の国際比較があれば、そういうのも載せて、これ1枚だけの国際比較というとすごく違和感を感じます。

○  子どもをたくさん産むという少子化対策では、未婚とか、婚外とか、晩婚を考える必要があると思うのですが、働きにくいというのは確かにそうだと思うのです。家庭の中で子どもはどういう環境がいいのかということは、どんなふうに表現するか難しいんですけれども、国際比較のこういうデータもいいんですが、子どもにとってはどうなんでしょうか。いろいろな本を読んでいると、親というのは子どものために何ができるのか。仕事と両立できると思っているけれども、してないことが多いのではないかとつくづく感ずるんです。だから、こういうデータがあるのはいいと思います。あるというのでいいのではないか。言いたかったのはそういうことです。

○  母親の立場、父親の立場。でも、未来をつくるのは子どもたち。そして、教育の問題というのは、未来を語ることだろうと思うのです。その意味では、子どもの立場といいますか、子どもがどういう育ちをすることが一番幸せな形であり、そういった視点は、特に文部省の場合は非常に重要な、ここが一番かなめになるポイントの一つだろうと思います。それぞれの立場によってそれぞれの考え方があると思うのですが、この審議会の委員の中には子ども代表がだれもいませんね。だとしたら、その点をきちっと視野に置いて、こういうものを書かなければいけないのではないかと思います。

○  少子化対策で、家庭教育、学校教育、地域社会、いろいろあるんですが、行政の対応といいますか、教育委員会なんかどうすればいいのかとか、そういうのはなくてもいいのか。文部省が来年から組織が変わり、児童生徒課という課ができるそうですが、これは画期的だと思います。文部省で今まで子どもが見えなかった。そういうところが今度は少子化対策をやるんですかね。行政の対応をこの報告でどう考えるのかということです。

○  婚外子のことに関連して、あまり新聞の見出しになってなくて残念ですが、今回の報告のキーポイントは、「社会全体で宝である子どもを育てよう」ということなんだと思うのです。そうしますと、婚外子がいいだ悪いだということではなく、子どもは婚外子だろうが婚外子でなかろうが、自分の子だろうが自分の子でなかろうが、何しろみんなで大切にしていこうよということが基本なので、この表の是非を言うことは意味がないと思います。つまり、どういう生まれ方をしようと、家族の形態がどうあろうと、それを大切に育てていこうということがベースにあれば、こういう表があっても何の不思議もない。踏み込んで言えば、ここには全く書きませんでしたけれども、海外からの子どもをもらうことだって、もしかしたら少子化を少しは緩和する方向かもしれないし、日本の子どもではない子たちも含めて、「社会の宝」なのだと思うのです。つまり多様などんな子たちも大切にしようということが基本的な精神なのですから、婚外子も、私は十分しかるべきものであると思っております。

○  「少子化に対応するための政策的視点」のところの問題ですけれども、「少子化の現状と要因」は少子化の現状について書いておられるわけですが、「少子化が教育に及ぼす影響」「教育面から少子化に対応するための具体的方策」「教育面以外からの方策」は、全部「教育」という言葉が入っているわけです。「少子化に対応するための政策的視点」ということで、特に「教育」というふうには言及しておられないわけです。しかし、実際中身を読みますと、中央教育審議会の「21世紀を展望した我が国の教育の在り方」、それから生涯教育審議会の答申もございます。それから、教育に限定したわけではありませんが、有識者会議とか、少子化対策推進基本方針とか、それから少子化対策の具体的実施計画、新エンゼルプランについても、教育に関する政策的なことが比較的ピックアップされているように思うのです。そうしますと、「教育」という言葉をどのように入れるか難しいんですが、「政策的視点」と言っても、この場合の「政策的視点」は少子化と教育の問題に対応するための政策的視点ということで理解して、そのように表明するということでよいと思います。

○  婚外出生割合の統計は、私はいくつかの理由でつけたほうがいいような気がするんです。
  まず一つの理由は、未来予測なんですけれども、未来予測って当たらないことが多いんですが、どうも将来増えざるを得なくなってくるのではないかという感じが私にはあるんです。
  もう一つは、私の小さな経験を申しますと、私自身は血族主義的な考えを持っていました。今から30何年前に北欧に行きましたら、子どもをもらうというのが非常に多いんです。そのときに私は非常に幼稚かつ愚かな質問をしてしまったんです。「自分の子どもで産まなくてもかわいいですか」と言ったら、「子どもはみんなかわいい」と簡単な答えが出て、あるショックを受けたんです。子どもとか、家族というものについての考えが、ヨーロッパのいくつかの国と日本で違うのではないかとそのときから思いだしています。今、私も、「家族とは何か」という大シンポジウムをフランス相手にやってみようかと思っているところですが、日本自身の家族観がどうも変わってきているのではないかと思うのです。家族とは何か、その表現である家族法も随分違ってきているみたいな気がするので、法律の専門家にも伺おうと思っています。
  そんなことを考えますと、どっちが進んでいるか進んでいないかとか、いいか悪いかでなくて、ちょっと顔を出しておいたほうがいいのではないかという気がするんです。この統計ぐらいは出して。ほんとはちょっと何か書いておくともっといいというのが私個人の意見なので、今度の報告のある意味で目玉みたいなもので、世の中の宝だという視点で、血族主義ではない。この統計を見ますと、血族主義の国ほど低いです。ですから、ヨーロッパの中ではドイツが低いです。国籍を取るのに血族的志向の強い国です。比較的強くない国はフランスとかですね。日本はどっちへいくかということを考えると、わからないですけれども。ですから、いい悪いということでなくて、この表はちょっと捨てがたいと私は思っています。

○事務局  一点御指摘申し上げたいのは、「少子化への対応を考えるに当たっての留意点」というのがございまして、婚外出生の問題については、この「報告書」で考え方がかなりはっきり示されているのではないかと思うのです。「第一に、『結婚をするか、しないか』及び『子どもを生むか、生まないか』についての判断は、個人の自由な選択に委ねるべき問題である」とはっきり言っております。これは結婚をしても、子どもを産むか産まないかというのは自由な選択。結婚をしなくても、子どもを産むか産まないかは自由な選択だということをはっきりさせた上で、ここでの立場は、子どもを産みたいと考えている個人が「社会的な環境が十分でないために生むことをためらっているという状況を改善し」となっていますので、仮に結婚をせずに子どもを産みたいと思ったときに、社会的な偏見とか、あるいは法制度なんかも入るかもしれませんが、環境が十分でないためにためらってしまうという状況については改善をしましょうと言っているわけですから、ここはかなり明確にその立場を出していることは、事務方としては御指摘をしたいということでございます。
  それから、社会全体で育てていくんだということですから、その二つをつないでいけば、出自にかかわりなく、社会全体で育てていく。それから、そもそもどんな形で子どもを産むかということは個人の自由な選択だということを言っているわけですから、ここではその立場が明確ではないかと読者は思うのではないかということを申し上げたいと思います。

○小林座長代理  それでは、時間の都合もございますので、討議はここまでとさせていただきます。

(大臣官房政策課)

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