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教育振興基本計画部会(第10回) 議事録

1.日時

平成23年10月6日(木曜日)9時30分~12時30分

2.場所

学士会館「210号室」

住所:東京都千代田区神田錦町3‐28

3.議題

  1. 次期教育振興基本計画に係る有識者からのヒアリング・審議
  2. その他

4.出席者

委員

三村部会長、安西副部会長、小川副部会長、相川委員、衞藤委員、大江委員、大日向委員、金子委員、木村委員、國井委員、篠原委員、白波瀬委員、竹原委員、田村委員、中橋委員、森委員

文部科学省

清水事務次官、森口文部科学審議官、金森文部科学審議官、前川総括審議官、河村文教施設企画部長、板東生涯学習政策局長、小松私学部長、伊藤大臣官房審議官、上月生涯学習政策局政策課長、森友教育改革推進室長、他

5.議事録

【三村部会長】

 それでは、定刻でございますので、ただいまから教育振興基本計画部会第10回を開催させていただきます。お忙しいところお集まりいただきまして、ありがとうございました。
 本日は有識者の皆様からのヒアリングを行います。本日お越しいただきました皆様方におかれては、お忙しい中、本当にわざわざお越しいただきまして、ありがとうございました。
 前回の部会では、四つの基本的方向性のイメージについて共有化を図り、方向性ごとに考えられる論点などについて御議論いただきました。それを踏まえて、今回は四つの基本的方向性について、有識者の皆様の知見をお借りしながら論点の洗い出し、あるいは既存論点の深掘りなどを行ってまいりたいと存じます。
 本日のタイムスケジュールを作成しておりますので、事務局から説明よろしくお願いします。

【森友教育改革推進室長】

 失礼いたします。お手元に運営骨子がございますけれども、おおむね今回につきましては、前半と後半に分けさせていただいてヒアリングを行いたいと思っております。
 前半では、山野先生、柳沢先生、青山先生、三人の先生方からヒアリングを行った上で、意見交換をその後行い、その後5分ほど休憩をお取りする予定です。その後、加藤先生、金子先生から同様にヒアリングを行わせていただいた上で、意見交換を行ってまいりたいと考えております。
 配付資料でございますけれども、資料1が基本計画部会の当面のスケジュールでございます。資料2が、本日の有識者の先生方の御紹介の資料です。資料3につきましては、有識者の先生方からのそれぞれの配付資料でございます。資料4が、前回、本部会における委員からの主な御発言。資料5が次回以降の日程でございます。また、参考資料として、前回までにお配りした資料を見繕って用意させていただいております。
 資料2につきましては、今回の有識者の先生方から御意見をいただく内容と、前回の会議までに御議論いただいている四つの教育の方向性につきまして、どういった関わりがあるのか、主な関わりについて御紹介をしている資料でございます。
 以上でございます。

【三村部会長】

 ありがとうございます。
 それでは最初に、前半の3名の方々から御意見を伺いたいと思います。3名の御意見を続けて聞かせていただいた上で、委員の皆様との意見交換の時間をとりたいと思います。
 まず3名の先生、御紹介いたしますけれども、まず大阪府立大学人間社会学部教授、山野則子先生、よろしくお願いいたします。
 それから、筑波大学人間科学研究科教授、柳沢和雄先生、よろしくお願いいたします。
 それから、全国高等学校会会長並びに都立国際高等学校校長、青山彰先生、よろしくお願いいたします。
 なお、恐縮でございますけれども、お話は15分程度におまとめいただきたいと思います。誠に失礼ながら、時間が押している場合には、事務局から紙を差し入れさせていただきます。どうぞ御了承いただきたいと思います。
 まず山野則子先生、よろしくお願いします。学びのセーフティネットという観点からのお話をよろしくお願いいたします。

【大阪府立大学教授・山野則子氏】

 御紹介いただきました大阪府立大学の山野です。どうぞよろしくお願いいたします。
 たくさんの資料を出しましたが、15分で簡潔にポイントだけをお伝えしたいと思います。後でゆっくり見ていただけたらと思います。
 まず今日は、本日のポイントと書いております、子どもをめぐる状況、親、学校の状況、それからソーシャルワークという手法、それから必要性を伝えるために御紹介させていただいて、最後に、いろんな地域の資源とか、活用したネットワーク、ソーシャルワークの視点のネットワークのことを御紹介させていただこうと思います。
 まず、子どもをめぐる状況という、今まで議論されてこられた、「個々人の社会の参加保障について、子どもたち一人一人がスタートラインに立つとか、ニーズに応じた必要な知識、能力を身につけて、誰もが社会で活躍できるようにする」という内容部分で、子どもたちの現状が一体どうなっているのかを、私自身、学校に入ったりしながら研究、実践活動していることもありますので、御紹介させていただこうと思います。
 まず児童虐待。これは皆さんの資料にもありますが、年々増加しております。それが、児童虐待防止法というものが平成12年に成立しましたので、そこからスタートと考えても、もう約3倍に伸びてきているということです。それから、学校事例が、岸和田事件以降、学校からの通告がどんどん増えてきています。
 つい最近、大阪市の新聞にもコメントを出させてもらったのですが、大阪市の小学生の事件、死亡例もありました。そういった学校からのニーズとか、虐待事例が増えてきているということ。
 それから、次のデータは不登校で、文科省が出しておられるデータですが、全児童数に対する割合を見ると、倍増しているということが見てとれます。それから、親の意志で学校へ行かせないとか、親御さんがたくさん働いておられて、朝起きることができなくて、送り出せないというような不登校も増えています。
 それから暴力行為です。これも軒並み増えているわけですが、この暴力行為の背景に、児童自立支援施設、少年院という非行少年が入る施設ですが、虐待を経験した子どもたちが6割から7割という実態があります。学校の中で、非行事例でケース相談にも行かせていただきますが、ほとんどが愛着障害ではないかと思われる非行事例、元々は虐待を受けていた経緯、傾向が非常に強いということです。
 では、親が非常にひどいかといったら、親の抱える状況も、次のパワーポイントですが、大変深刻な状況がありまして、人格障害等精神的な不安定、診断名がついていないけれども非常に大変だという事例が67.2%。一時保護した事例の中でですが、そういった数値が出ています。
 それと、親の経済的な問題です。こちらの審議会でも議論されていると思いますが、非常に深刻な状況で、就学援助率は全国で13.74%が平均ですけれども、私のいる大阪では非常に高く、3割ほどの就学援助率であるということです。母子家庭の平均年収が、ここに書いています213万円で、これは一般家庭の3分の1という数値です。こういった子どもたちがクラスの3分の1、あるいは大阪のなかの大変な地域だったら、半数近くいるというような状況です。
 先ほどお話ししたように、母子家庭でやむなく三つも仕事をかけ持っておられという中で、学校どころではなく朝送り出せないようなことが起きています。その大きな問題点は、貧困が見えにくいことではないでしょうか、パワーポイントで、ここに掲げさせていただきました。
 もう一つは、細かくはちょっと飛ばしますが、20年前と比較調査をしましたが、孤立と不安というのが倍増、3倍になっているというデータです。時間がありませんので飛ばしますが、後でゆっくり見ていただけたらと思います。孤立状態とか、ここに挙げているいらいら、不安であるとか、周りの目が気になるとかというようなことがどんどん増えていって、3分の1から、やはり半数ぐらいのお母さんたちの実態がそういった状況にあり、非常に閉塞した状況にあります。因子分析をしていますが、そういったことが、育児負担感というものにまとまってきました。
 そして、この今お示ししたような育児負担感が、そのまま不適切な養育、つまりマルトリートメント、児童虐待、グレーゾーンも含めて危ない要素がある、リスク要因があるという結果で、この相関係数がコンマ89でした。つまり、1が最高ですので、かなり高い相関で関係しているという状況でした。
 なので、もう一度繰り返すと、3割から半数ぐらいの親御さんに育児負担感があって、そのまま虐待に直結するリスクがあるという状況です。児童虐待が一部の問題ではないということが見てとれるかと思います。
 これは皆さんに机上に配付したリーフレットにあるものですが、今までにも言われていたこともありますが、お母さんへのインタビュー調査の分析結果です。周りの四つが虐待の影響要因ですけれども、この右端の“子どものため”のとらわれ感というのが、今まで言われていなかったことです。周りの批判を気にしておられる。学校の先生や幼稚園の先生からの視点は子どものためっていう批判的に聞こえ、あるいは子どものためと御自身も思われて、プレッシャーがかかっていくということが、虐待に影響していたという調査結果でした。
 そういった状況から、親御さんや、あるいは子ども本人が自信を持つことや、対処能力をつけること、つながりをつくることが大事ではないかとまとめています。
 これはちょっと時間がないので飛ばしますが、親御さんのニーズ調査をした結果も載せています。実際には、非常に金銭的ニーズを直接書かれた人というよりは、人のつながりを求めているという結果でした。また、外には見えないですが、貢献しようとか、子育てを大切に思っている人たちもかなりいらっしゃったという、うれしいデータでもありました。
 そういったことで、ぜひ親御さんの自信をつけていくようなプログラムが必要ではないかということで、Nobody’s Perfectに取り組んでいますが、このプログラムの事前・事後で、親としての自信がかなり上がっているというような結果も出しています。
 そういった今までのお話から、学校で課題となる子どもという家庭の背景を、特別なものとしてではなく、半数から3分の1あるんだということで、しっかり見ていく必要があるのではないか。学校の中に福祉的な視点が必要ではないかと考えました。
 学校の実態は、ではどうかというと、非常に厳しい状況にあります。先生方、毎日、大変苦労されていて、こういった事例、今紹介したような事例に対応されておられるということから、病気休暇をとられる方も、たくさん増えています。
 先生方の困り感というのは、ちょっと飛ばしますが、この十字の中の縦軸が親御さんの問題意識の有無で、下の矢印がモチベーションがないというもの、上が、親御さんが問題意識がある、相談を利用しようと思っているという方です。横軸が専門職、学校の先生が、これは大変だと思っている、あるいはそうではないというものです。横軸と縦軸とセットにしたときに、この第4領域と私たちが呼んでいるんですが、親御さんにはモチベーションがなくて、でも周りから見たら児童虐待であるとか、非行問題も、全部というわけではないのですけれども、かなり多くは、この第4領域にあてはまり、親御さんに問題意識がない場合の事例に学校が困っているという状況が、因子分析をして、ここに困り感が集まったというデータからわかりました。
 先ほどの子どもや親の実態、一部ではないんだということ、それからモチベーションのない事例に先生方は非常に困っていて、そこにアプローチする必要があるんじゃないかということから、スクールソーシャルワークを提案して、文科省も2008年から全国で実施をし始めてくださっています。まだまだ数が少ないのが実態なんですが、学校を拠点にして、福祉的な視点を入れる必要があるんじゃないかということです。
 ソーシャルワークとは何かということを、これも説明していますが、ちょっと飛ばして、要は、A君の不登校を解決するだけではなく、社会の変革を進めていく、学校自体が機能していくように働きかけたり、そのクラス、市の全体が良くなるように働きかけていくのが、ソーシャル、社会に働きかけるソーシャルワーカーの仕事でもあるということです。
 ミクロ、メゾ、マクロのそれぞれのシステムサイズに働きかけるというのは、そういう意味です。そういったことを図解しているのが、この図です。
 一番上が個別事例、二番目が学校校内体制づくり、それから市全体に働きかけているという、そんな取組を2008年から、始めています。文科省が2008年に全国で研究事業として始められる前から、例えば大阪では、2005年から組織的に始めて、スクールソーシャルワークという名前も大々的に大阪で初めて使って、始まっていったという経緯もあります。
 全国で今展開しているスクールソーシャルワーカーの実態、人数は、それでも2009年度552名しかいないという実態があります。
 学校に福祉の視点を入れるということで、先生方に、子どもや家族がなぜこんなことになっているんだろうということを見立てをし、プランを立て、見直し、モニタリングをしていくようなことを学校に取り入れていっているという、そんな動き方をしています。
 関係機関との連携といったことも、スクールソーシャルワーカーがかなりやっています。ここのパワーポイントが、生活保護のワーカーとか、いろんな人を学校へ取り込んでいって、みんなでチームを組んで援助を考えていっているということを表しています。
 いろんな人とチームを組んで位置付けて強化していく、1足す1を3にしていくような働きかけをしていくということで、どんな人とチームを組んでいるかを一覧で紹介をしています。
 次に、効果というところでパーセントを挙げていますが、事例の改善に効果があるということと、あと学校の先生のチーム力がアップしたということ、これは先ほどの学校組織にも働きかける結果で、それを図示しています。学力についても、ワーカーが入っているところと入っていないところを、比較していますが、モチベーションのなかった親御さんが学校に目を向けてくださる、先生とチームを組めるようになった結果として出していて、学力の向上につながっているという結果が出ています。
 ソーシャルワーカーは、さまざまな機関と、あるいは地域のボランティアさん、あるいは家庭教育支援員の人たちとチームを組みながら、学校の中で福祉の視点で、生活レベルから広域な専門レベルまで視野に入れてチーム対応をしていく、ここのシステムをつくっていくという働き方をしています。ネットワークを機能させていく役割です。
 最後のパワーポイントですけれども、今何が必要なのかということで三点にまとめます。一点目は、初めにお話しした、半数から3分の1の孤立や貧困を背景にした課題があるという状態から、教育や社会のひずみへの対応が必要ではないか。そこを、学校が子どもたちの全数把握をしているという視点から、学校に拠点を置いていく意義があるのではないかということです。学校を拠点にして当事者交流をした、先ほどの自信を獲得するようなプログラムであるとか、今日はちょっと詳しくお話しできませんでしたが、効果もたくさん出しています。親御さんたちの交流を強めていくためにも学校を拠点にするということに意義があるのではないかと考えます。
 二番目ですが、問題意識のない家族の存在であるとか、いろいろ支援やサービスをつくったとしても、必要な人になかなか届いていないのが実態です。それを届けていくような仕組みを考える、それがアウトリーチということです。アウトリーチはソーシャルワークの手法ですが、自然な形で家族と触れられる人材、例えば家庭教育支援のメンバーの人たちとチームを組んで出向いていく、そういうことが有効です。つまり、誰もが通う学校にソーシャルワークの導入することに、もっと力を入れることでさまざまな現在の子どもや家族の抱える課題、社会のひずみであり今後の社会へも多大に影響する課題の改善につながるのではないかという点です。
 最後にですが、教員の方が、知識や技術を持たずに難しい家族や子どもといきなり出会い結果対応できず病気休職される方がたくさんいらっしゃる中で、こういった子どもたちや家族の問題に向き合っていけるように、教員養成段階から福祉系科目を教職課程に入れる必要があるのではないかということが、強く訴えたいことです これは、リーフレットをたくさん机上配付させていただきましたが、大阪府立大学で、教員養成と福祉専門職養成をコラボレーションさせて幅のある学生を養成しようと、、文科省のGPをいただいて取り組んでいるところです。
 パワーポイントは、全て説明しきれていませんが、以上で御報告を終わらせていただきたいと思います。御静聴、どうもありがとうございました。

【三村部会長】

 どうもありがとうございました。本当は、あと1時間ぐらいお聞きしたかった内容でございますけれども、申しわけございません。
 それでは、次に柳沢和雄先生、よろしくお願いします。絆づくりと活力あるコミュニティの形成ということでお願いいたします。

【筑波大学教授・柳沢和雄氏】

 まずは、本日は教育振興基本計画部会のヒアリングにお招きいただきまして、どうもありがとうございました。
 本部会では、今後の教育行政の方向性を四つの柱で検討なさっているとお聞きしております。生涯スポーツの推進は、おそらく、どれにも関連しますが、四番目の絆づくりと活力あるコミュニティの形成に関わっているのではないかと認識しているところでございます。
 本日は総合型地域スポーツクラブ政策の現状と課題ということで、生涯スポーツ、地域スポーツの振興政策として、これまで15年間展開してまいりました総合型地域スポーツクラブについてお話をさせていただき、この政策が絆づくりと活力あるコミュニティの形成に密接に関連している施策であるということを御理解いただければいいなと思っています。
 総合型地域スポーツクラブといっても、実際には、なかなか御理解していただくことが非常に難しく、前半は、まず新しい形のクラブをイメージしてもらいたいということで、お話させていただきます。
 その前に、今後の生涯スポーツ振興の方向性を簡単に確認しておきたいと思います。御存じのように、本年6月にスポーツ基本法が成立しました。そして、地方スポーツだけではなくて競技スポーツもそうですが、日本のスポーツは新しいステージに上がろうとしているところです。この基本法の前提として昨年度、スポーツ立国戦略という報告書が出されています。その立国戦略を下敷きに基本法がつくられたわけですけれども、この戦略では、人を重視し、多様なアクターが連携・協働を推進するということが強調されています。
 言うまでもなく、「新たな公共宣言」を引き受けたものですが、この立国戦略の中では、五つの戦略が提示されています。その中で、本日の総合型地域スポーツクラブに関連する記述を見ますと、成人のスポーツ実施率の向上を目指して、総合型地域スポーツクラブを中心とした地域スポーツ環境の整備がまず第1に記載され、そのクラブが「新しい公共」を担うことが期待されています。
 関連しまして、戦略3、あるいは5につきましても、広域市町村圏に約300ほどの拠点クラブ、拠点となる総合型地域スポーツクラブを育成して、引退後のトップアスリートなどを配置して子どもたちに指導をするといった循環をつくっていくという方向性が示されています。そのような施策を通して、これまでの行政による無償の公共サービスから脱却し、地域住民が出し合う会費や寄附によって自主的に運営されるNPO型のコミュニティスポーツクラブが主体となった「新しい公共」を形成するということが期待されています。
 加えまして、今年の6月に成立しましたスポーツ基本法においては、「スポーツ権」が明文化されました。スポーツを行うことは全ての人の権利であるという権利が明文化されるとともに、住民が主体的に運営するスポーツ団体、「地域スポーツクラブ」が行うスポーツ振興のための事業を支援するというように、総合型クラブへの支援が法律に明記されているところでございます。
 以上のように、生涯スポーツの推進をめぐりましては、総合型地域スポーツクラブの育成や、その自立がますます今後、重要視されているところです。とりわけ「新しい公共」、あるいは支え合う社会、連携・協働の仕組みとしての総合型クラブには、コミュニティの再編に連動する仕組みとして、単に個人的にスポーツを楽しむだけではなく、ある意味、地域社会のニーズに応えるという意味で、公共的な性格を持った仕組みとして機能することが期待されているとみることができます。
 次に、この総合型地域スポーツクラブ構想について、その経緯や仕組みを少しお話ししていきたいと思います。
 この総合型地域スポーツクラブ育成は、平成7年から文部科学省で開始されています。当初はモデル事業として、幾つかの自治体でクラブ育成が試みられましたが、平成12年、2000年に公表されましたスポーツ振興基本計画によって全国展開されることになります。
 基本計画では、成人の週一回以上のスポーツ実施率を二人に一人、50%という生涯スポーツ社会の姿を描き、平成22年までの10年間で、全国の市町村において、少なくとも1つは総合型地域スポーツクラブを育成するという目標を立てました。
 ちなみに、10年過ぎましたけれども、近々の統計では、成人の週1回以上の実施率は45%から46%ぐらいまで向上しています。
 そして、このクラブは、従来のママさんバレーのチームとか、お父さんたちの野球のチームというような単一型のクラブではありません。一つの総合型クラブの中に複数のスポーツ種目が用意され、子どもからお年寄りまで、初心者からトップレベルまで、さらには障害の有無に関係なく、だれもが会員として参加できるクラブを目指しています。
 もちろん、このクラブは行政主導ではなくて、地域住民が主体的に運営するクラブであり、受益者負担を原則にしています。
 そして、完全学校週5日制時代における地域の子どものスポーツ活動の受け皿の整備にもつながる。さらには地域の連帯意識の高揚、世代間の交流等、地域社会の活性化や再生に寄与するものという期待が込められてきました。
 それを図にしたものが、このスライドですが、これは平成7年にモデル事業を始めるときに、ある大手の新聞に掲載されたものでございます。細かい説明は省略しますが、バレーやバドミントンやインディアカ、いろいろな種目があり、青少年からお年寄りまで多世代で、多様な特徴を持った人たちが会員になってきます。それを有資格の指導者が専門的な指導をする。あるいは、地域スポーツセンターといった活動の拠点を持ち、クラブ員の代表とか住民によって自主的に運営されるという構想です。
 またこの構想で重要になるのは、このクラブは中学校区程度の範囲の地域住民を対象にしているという点です。この中学校区、あるいは日常生活圏と言ってもいいかもしれませんが、その地理的な範域を想定するといった発想がコミュニティの再生、あるいは地縁の復活につながるのではないかと考えております。
 総合型クラブの育成は、そう簡単ではありませんが、クラブの育成数の変化から見ますと、比較的順調に進んでいるかのように思われます。昨年度の段階で、準備段階のクラブも含めますけれども、3,114のクラブが既に成立しています。計画の目標にありました市町村に一つはという目標に関しては、設置率が71%となっています。ただし、まだ30%の市町村には、このクラブが育成されていないということで、今後ますます育成支援が望まれます。
 このような経緯で展開してきたクラブですが、なかなかイメージが伝わりにくいため、幾つかのクラブを紹介してみたいと思います。
 まず私が長年関わってきました、かしまスポーツクラブを紹介したいと思います。設立まで3年、今年10周年記念をする予定のクラブです。古い施設ですが、体育館、野球場、テニスコートとか、そして温水プールなどを持つ総合運動施設、住友金属製鉄所の緩衝地帯に建設された総合運動施設を拠点に活動しているクラブです。
 これは古いプールですが、市の介護長寿課から高齢者健康推進事業とか機能訓練事業なども、クラブが委託して、高齢者を対象に展開をしています。
 これは21年度のクラブの様子を抜粋したものですけれども、会員数が約1,300人で、年会費が約1万円です。事業としましては、エリアサービスと呼んでいますが、テニス、グランドゴルフ、フットサルとか、誰でも参加できる、時間を区切ったサービスです。あるいはスポーツや文化の教室、イベント、そして先ほど申しました介護長寿課からの受託事業とか、さらには高齢者筋力トレーニングといった文化スポーツ振興事業団からの事業とか、あるいは児童クラブ、放課後クラブといったこども福祉課・生涯学習課からの事業などを受託して、スポーツに限らず、多様な事業を地域に提供しているクラブです。
 ちなみに、かしまクラブは、総合運動施設の指定管理者になっており、年間予算が非常に大きくなっていますが、実際には年会費と参加費で、約1,500万くらいの規模で動いているクラブです。
 しかし、かしまスポーツクラブは予算規模がかなり大きなクラブですので、平均的なクラブとは言えません。文部科学省の調査を見ますと、会員数の平均は300人以下のクラブが約70%です。また予算規模を見ましても、100万円以下のクラブが約30%、200万以下が20%。要するに、200万円以下で1年間活動しているクラブが約半分、それが実態です。
 これは和歌山県のクラブですが、私は関わってはいませんが、クラブハウスに特徴があるクラブです。人口約1万5,000人くらいの小さな町ですが、このクラブに100社以上の企業が支援をしていると聞いております。
 設立の趣旨を見ますと、個人主義化によるコミュニティの崩壊、地域のつながりによる教え、地域の教育力の低下、子供の体力低下などに対して危機感を持っていることが分かります。
 これは近くにある朝来駅ですが、昭和61年に無人化されることで、駅に落書きされたり、窓ガラスが割られるなど、荒れ放題になっていた駅だったようです。町は駅舎を譲り受け、コミュニティハウススポットをつくっていましたが、このクラブがそれを請け負って、クラブハウスとして現在活用しているようです。駅舎ですから、いろいろな人たちが行き交い、出入りしまして、社交の場になっていると聞いています。
 向陽スポーツ・文化クラブ、これも東京のクラブですが、時間の関係上、これは省略したいと思います。ここはスポーツだけではなくて、水琴窟をやったり、万葉の植物園をつくったり、いろいろな活動を行っているクラブです。
 さて、スポーツの推進やコミュニティの再生や活性化に大きな期待が寄せられている総合型クラブですが、その設立や運営には多くの課題があります。
 例えばスポーツ少年団や既存の団体との施設利用の調整がうまくいかなかったり、総合型クラブに対する理解が進まないため会員が伸び悩んだり、財源の確保が難しかったり、クラブの関係者は現在、悪戦苦闘しているところだろうと思います。
 特に心配な点は、日本体育協会を通して総合型クラブの設立の補助金として毎年200クラブ程度のクラブに補助がなされていますが、補助金が切れたときにクラブが自立化できるかが今後大きな課題になると思います。会費は低額に設定されている一方で、指導者への謝金は比較的高額なお金が支払われています。このような会費や謝金でクラブの活動が継続できるかが、これから大きな課題になると思います。
 しかしながら、幾つか課題はありますけれども、設立した効果も確認することができます。スポーツの参加の機会が増えたということは言うまでもありませんが、世代を超えた交流が生まれた、地域住民間の交流が活性化した、元気な高齢者が増えたというように、住民間の人間関係の形成や活性化に寄与していること、健康づくりに寄与している様子がうかがえます。
 さらに、会員と非会員の住んでいる地域への愛着、地域での近所づき合いを比較しましても、会員のほうが愛着度が高く近所づき合いもよいといったデータもあります。もちろん、愛着のある人や近所づき合いのよい人がクラブの会員になっているという読み方もできますが、地域スポーツやこういったクラブと地域でのライフスタイルには何か関係があるのではないかということが感じられます。
 以上、雑駁ですが、生涯スポーツ、地域スポーツの推進をめぐる総合型クラブ育成政策の経緯やその仕組み、実態、課題についてお話しさせていただきました。
 総合型クラブの育成や自立化、そして現在進められている拠点クラブ構想は、容易に進むものではないと思いますが、更なる環境整備や行政の支援が必要だと思います。
 しかし、この政策の重要性は、クラブの数を増やすということだけではなく、そのクラブが「新しい公共」を育成する可能性を持っているということであり、そのクラブが支え合う社会、連携・協働する社会をつくる糸口になることにあるかと思います。
 ボランティア活動も同じですが、スポーツには肩書や学歴に関係なく住民を繋げてゆく可能性があると思います。そのような可能性を、より具体的に総合型クラブに落とし込むとするならば、私は三つ必要な条件があると考えています。
 一つは、なぜこのクラブをつくるかという共通の課題を関係者が持つということです。なぜこのクラブをつくるのか。国が政策として提示しているクラブをつくるのであるならば、それは形だけのものになってしまうでしょう。地域生活をめぐる危機的な状況を感じ取った人々が、何とかしなければならないと、そういう課題が共有化できるかが重要だと思います。単にスポーツを行うだけであるならば、従来の仕組みでも不可能ではないはずです。
 次に、地域住民の日常生活圏での関わりです。これは先ほど中学校区程度という話をしましたが、クラブは歩いて行ける範囲とか、自転車で行ける範囲でなければ、日常的には活用されません。したがって、日常生活圏に総合型クラブをつくることは、日常生活圏という地縁の中での人間関係を再構成する可能性を広げることになると思います。
 三つ目は、総合型クラブ関係者の市民性が、クラブの育成や継続に欠かすことができないと思います。現在、多様な考え方を持った他者を引き受けられる住民や地域が育っているかが非常に大きな課題ではないかと思います。
 そういった多様性を認め合い地域をよくしようという気持ち、これではまずいといった大人の内発的な義務感の発露が総合型クラブであってほしいと願うところです。
 ぜひ今後とも、生涯スポーツ社会の実現に向けて、総合型クラブの育成に御理解いただければ幸いです。本日はどうもありがとうございました。

【三村部会長】

 どうもありがとうございました。
 次に青山彰先生、よろしくお願いします。社会を生き抜く力の養成というテーマでございます。

【全国高等学校長協会会長・青山彰氏】

 おはようございます。全国高等学校長協会並びに東京都立国際高等学校の校長をしております青山と申します。
 本日は、本部会のヒアリングにお招きをいただき、誠にありがとうございます。限られた時間でございますけれども、そしてまた私が用意させていただいた資料、かなり概括的で雑駁な資料でございますけれども、これに基づいて、まずお話をさせていただき、後ほどの委員の皆様との意見交換の場で、さらに補足、付加をさせていただければと思っております。よろしくお願いいたします。
 まず高等学校はどういう位置付けなのかというのは、法令等にも記載されているところでありますので、学校教育法を取り出しまして、その第50条と51条をもう一度、私なりに頭の中を整理するために、まとめさせていただきました。
 やはり、第50条に示されている中学校における教育の基礎の上に立って、さらに心身の発達、進路に応じて、高度な普通教育及び専門教育を施すことが高等学校教育の目的であるという、これが大変重要な方向性であることになります。
 51条で三つの項目がございますけれども、第51条への対応ということで、私なりにそれぞれ1、1対応でまとめてみたものが、この第2のところでまとめさせていただいたものでございます。
 まず第1は、「志」を高めるということでありますけれども、なぜ高等学校に所属するのか。これは中学校で進路指導をしていただく際にも、適切に指導していただいているわけでありますけれども、やはり高等学校に入学をして、それから3年間、高校で生活を送っていく中で、生徒が見失う場合が非常に多いわけでありまして、初期段階からこれを継続的に指導していくことが高等学校にとっては課されていることであります。
 高等学校は、やはり入学選抜という節目を経て生徒が入学して高校生になりますので、そこで一度、中学との延長線と言いましょうか、関係性が、ある意味では絶たれ、そしてそこから高校生が自律的に高校生活を始め、そして自分の進路目的を達成していく、実現させていくという流れの中に入ります。ということで、中学校での進路指導を、やはり高等学校も的確に把握した上で、高等学校での進路指導を続けていく必要があると考えております。
 現在の若者は、どうもエネルギーがないのではないかという御心配がおありになると思いますけれども、やはり、そういうことはなくて、高校生も大変元気で、そして自分自身、様々なことを考えながら生活を送っているということを申し上げたいと思います。そこに学びというものの楽しさを、高等学校で教えていくことが重要になってまいります。
 第2の項目としては、そこにまとめさせていただきましたけれども、学びの楽しさを知るためには、やはり教養を身につけること、これが必須である。背景理解をより奥行きを深くして、幅を広げることによって、学びに対する興味、関心、そして意欲というものも高まっていくと考えております。
 それから、高等学校は普通教育、専門教育がございますけれども、普通科、専門学科がそれぞれ持っているリソースや、それぞれの専門教育の指導のノウハウというものを生かしながら、生徒個々の時間割に応じた、言ってみると、生徒が動きながら学習に取り組んでいくと、そういう枠組みが今後必要になってくるのではないだろうかと考えています。総合学科高校というのは、一つ、その目的でつくられた学科でございますけれども、それがさらに、例えば普通科の中に取り込んでいくことができるということが重要であると思っています。
 生徒が籍を置いている学校、そして教科、科目を受講するために、自分が、これが学びたいという目的の学校に、例えば生徒が移動して、そして学習することができる。そこで単位を取っていくという流動的な動き、これが出てくることも一つ大事なことではないだろうかと考えている次第でございます。
 3点目に対応するものとしては、やはり、これは個性を磨いて社会体験を積んでいって、自分の幅を広げていく上でも、課題研究に取り組むということは、これは大変重要なことであると思っております。資料の収集、分析、構成、そしてプレゼンテーションというプロセスを経て、その訓練を積み上げていく。また体験学習を通して、物事に対処する意欲、あるいは発想を養っていくことができる。共同作業を行うことによって、グループや、あるいはチームでの結束を養っていくことができるという点で、課題研究、課題学習の重要性を認識しております。
 次の第3でございますが、高等学校の進学率が98%になっている。そして、その今後の行方ということでまとめさせていただきました。
 東京都では、都立高校教育白書、平成23年度版を出しまして、高校改革の検証、評価、課題をまとめた上で、今後の改革に向けての方向性をこれから示していくという時期に向かっておりますが、これは全国で、各自治体で今後、この形が出てくると思っております。改革の今後の方向付けへのステージが形成されていくということを、私ども高等学校としては認識しているところであります。
 高等学校のミッションの形成ということは、やはり、これは先ほど申しましたが、それぞれ高校がどういう役割を持っているのかを再度明確化、特色化した上で、ある意味では差別化を図っていく必要があるのではないかと思います。それによって高等学校の教育が活性化されていくということも考えております。
 その際に、個別化に耐える体力を学校が持たなければならないということがございます。複線化を実現するということも、これも必要なファクターではないだろうかと考えます。
 東京都では進学指導重点校、進学指導特別推進校、進学指導推進校といったような形でのグループ化、カテゴライズがされているわけでありますけれども、これが更に適正に、適切に行われていく必要があると思っております。
 授業といたしましては、講座型学習からグループ型・個別型学習へ転換していくということが必要であると思っています。高校3年間の中で、そのプログラムを組みながら、課題研究やプレゼンテーション等のプログラムを活用して、生徒に総合的に、自律的に考えていく力をつけていくということが重要であると思っています。
 それから、必修単位数の増加ということも、これは一つ考える余地があるのではないだろうか。やはり学びというのは、もちろんこれは主体的にできる部分もありますけれども、枠というものがあって、そのどうしても必要な枠、これを確実にクリアした上で学びを深化していくことになると思います。
 教育課程も、私、常々思っておりますのは、Simple is the bestということでもあるのではないだろうかと思っています。選択と集中ということでありますけれども、それを、その時代に応じてバランスを考えながら教育課程を編成していくことが重要であると考えている次第でございます。
 高等学校でも今、大学でアドミッション・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、ディプロマ・ポリシーというものを整備して、具体的にお示しをいただいているわけでありますが、高等学校においても、中学校に対してアドミッション・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、そしてまたディプロマ・ポリシー、あるいは保護者の皆様に対して、それから社会に対して、この三つのポリシーを明確に示していくことは今後の責任であると思っています。特に高校においては、ディプロマ・ポリシーを明示していくということが、これが課題であると考えております。
 大学入試の改革ということは、大学入学試験の圧力が下がった。それによって進学に対しての高校の目的意識でありますとか、あるいはベクトルが曖昧になった。それが学力の低下につながっているのではないかといったような御意見もいただいているわけでありますけれども、これについては、やはり高校と大学が連携をして、次の新しい策を出していかなければならないのではないだろうか。大学だけでも、高校だけでも、これはやっていくことができないものだと考えております。このことにつきましては、また委員の皆様からもいろいろ御意見をいただき、御教示いただいて、私としては全国高等学校長協会に持ち帰りたいと考えております。
 今後の高等学校教育を考えるということにおきましては、義務教育と高等教育の間に高等学校、高校教育があるわけでありますけれども、独立的な立ち位置を確保することは、骨が折れることだと思っています。周囲を説得しながら、納得をしていただきながら成果をもたらさなければならない。これは、高校が与えられている課題であり、やはりクリアしていかなければならないものであると考えております。
 その他、あと白丸で用意させておりますけれども、大学入試センターのセミナーなどではPull FactorとPush Factorという表現を伺ったことがありますけれども、現在は、そのPull Factorに左右される時代であるということが言われておりますが、やはりPull FactorとPush Factorが効果的に、有効に連携しながら、バランスをとりながら作用していくということが、大切なことではないだろうかと考えている次第でございます。
 あと、リカレント教育でありますけれども、これも日本の社会的な価値という価値観もあると思うんですが、必要なときに必要なところからエントリー、あるいはリエントリーできる柔構造、これは今後必要なことであると考えております。一回で必勝の緊張感を排除するということは、これは高校生にとって、若者にとって、一つ救われるところではないだろうかと思います。それと同時に、このリエントリーができることのベースになるのは複線化であり、例えばトラッキングの承認ということにもつながるのではないかと思います。
 あとは、グローバル化の推進のための指標としては、例えばプロセスの重視ということがあります。教育課程の中の個々の要素ではなくて、その要素の一連のつながりをしっかりと見きわめる。それをしっかりと管理しながら高校教育を進めていくということ、これを高校教育としてはさらに意識をして改善をしていかなければならないと考えております。
 最後に、ここに書かせていただきましたけれども、義務教育をリードするというのはちょっとおこがましいところなんですが、義務教育ときちんと連携をとりながら、そしてまたつながりを今まで以上にしっかりしましょうというつもりでございます。それからまた、高等教育との連携をとって、高校教育の今後のあるべき姿を実現していくことが、我々にとっての役目であると考えております。
 最後に申し上げたいことは、大学入試につきましては、これは構造的なことで、高校が声を上げてすぐに動いていくものでもないと思いますので、このデザインにつきましては、やはり高大で連携するとともに、我が国にその方向性を示していただくということが、重要なところではないかと考えております。
 以上、雑駁でございますけれども、私からの意見とさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

【三村部会長】

 どうもありがとうございました。
 それでは、これから意見交換をさせていただきます。どなたからでも、いつものように名札を立てていただいて、御発言願いたいと思います。
 それでは、最初に立った大日向委員、よろしくお願いします。

【大日向委員】

 ありがとうございます。お三方の先生から貴重なお話をいただきまして、ありがとうございました。
 私からは山野先生に特にお尋ねしたいと思います。半数から3分の1の親がいろんな困難を抱えているということは非常に衝撃的な御報告だったと思います。私は、大阪レポートは貴重な御研究としていつも拝見しておりますが、これは主に乳幼児を持つ親を対象とした調査だと思います。そこでまず、お尋ねしたい第一点は、学齢期の親を対象とした同様の調査、あるいはこの大阪レポートの親たちが学齢期の子供を持つようになった年齢を追跡しておられるのかどうかをお尋ねしたいと思います。
 1点目は、SSWの対象は主に学齢期の親でいらっしゃると思うんですが、乳幼児の親も含んでいらっしゃるのか。また、先ほどの質問と重なりますが、学齢期の親を対象としたプログラムを組まれるときに根拠とされる調査、つまり学齢期の親の困難に関してはどのような調査に基づいておられるのかというのが二つ目のお尋ねです。
 最後2点目は、いろいろ困難を抱えている親たちが、一番求めているのは人との絆だというお話がございまして、そのとおりかと思います。大阪レポートは2003年に実施された調査と伺っておりますが、その後、特に大阪地方は、NPOとか自助グループが質量ともに全国でも群を抜いていて、活発に活動していらっしゃる地域と思いますが、そうしたNPO、自助グループが地域の中で、困難を抱えている親御さんたちに対して、人との絆という点でどういう効果を上げていらっしゃるのか。その効果測定を、もしされていらっしゃるのであれば伺いたいと思いますし、SSWの中でネットワーキングも大事にしていらっしゃるということですが、こうしたNPOとの連携をどういう形で取り組んでいらっしゃるのかも教えていただければ大変ありがたいと思います。
 以上です。

【三村部会長】

 これは1対1で、よろしくお願いします。山野先生のほうから御回答、よろしくお願いします。

【大阪府立大学教授・山野則子氏】

 御質問どうもありがとうございました。
 まず追跡。この大阪レポートは、1980年と、それから兵庫レポートという形で2003年に、全く同じ調査をしています。先生は、熟知してくださっていると思うのですが、この二回の調査を比較をして、三倍になったということがすごく衝撃的だったわけですが、その後、追跡をしているわけではないです。この親御さんが、小学校に上がってどうなっているかということをやっているわけではないですが、ただ、この2003年の4か月の赤ちゃんをお持ちだったお母さんたちは、小学校2年生の保護者になってきている。2003年の調査の4か月の赤ちゃんは小学校になっていっているわけです。
 小学校現場で、いろいろ先生方の聞き取りであるとか、ワーカーの活動の中で、かなりこれに近い状態があると言われます。例えば懇談会で、こんなことも御存じないのかとびっくりすることがあります。昔、パンパースが水色になって、おしっこが水色だと思っていたというようなお話がありましたけれども、小学校に上がってきて、えっと思うような、御存じないことがたくさんあると知る場面に教員が遭遇するというお話をたくさん私も聞いていますし、ワーカーが相談にのっているというような状態はあります。
 それから、学齢児のプログラム。先ほどもちょっと家庭教育の文科省の方ともお話ししていましたが、Nobody’s Perfectはカナダ生まれのプログラムですけれども、カナダでは学齢児とか、たくさんのプログラムがありますが、今、日本で就学後のプログラムを、Nobody’s Perfectの就学後版をやっているわけではないです。実際にはないです。その開発を考えないといけないですねと、先ほどもちょっと御相談していたところです。
 それから、親の困難の調査は、教員を通して、親御さんがどんな困難を抱えているかという調査はさせていただいたのですが、親の困難の調査は、今すぐ私がお示しできるものを持っているわけではないです。
 それから、NPOの件ですけれども、ご指摘いただいたように、大阪はスクールソーシャルワークの活動にしろ、NPOの活動にしろ、実践的な活動が活発な地域とよく言われています。ただ、私がずっと提起していて、今、文科省や厚労省の方に力をいただいて、こども未来財団から調査をしていますが、そこのリンクがまだまだです。例えば教育の中で福祉的な視点のNPOさんと一緒に協働ができているところまでいっていません。なので、教育にこの福祉的な視点が要るのではないかということを提示させていただいています。
 例えば、要保護児童対策地域協議会であるとか、福祉の分野の虐待を中心にしたネットワークのところにはNPOが参画されたりとかということはできている地域もあります。全部ができているわけではないですが、親御さんや子どもに困難があるところで、教育というフィールドで、福祉のNPOとリンクしていることはなかなかありません。今からつくり上げないといけない課題があるという状態だと思います。
 よろしかったでしょうか。以上です。

【三村部会長】

 ありがとうございます。
 大江委員、よろしくお願いします。

【大江委員】

 ありがとうございます。
 私も山野先生にお伺いしたいんですが、子どもをめぐる現状で、虐待とか育児負担感という部分で、学校で保護者の相談を受けていますと、パートナーからの孤立という背景もあったり、そういう中で、保護者が、自分の子どもの問題について、パソコンで記録をして分析をして、自分の対応をきちんとまとめてお出しになる例が、校長会の中で少し話題になっています。あるいは研究発表のように非常に難解な言葉を並べて、みずからの子どものことを分析をして相談に来る。いや私はこうしているんだという説明が多く、難しい言葉を羅列する保護者が気になっていまして。素直に子供が暴れて困っているんですと言えば済むところを、非常に分析的なお話されるレポートを出すという、まるでウェブ上のブログのような文章を持ってくるんですね。こういうのは心理的な背景、何かそのようなケースがあるのかという部分が気になりますし、学校でどう対応すればいいのかという部分が気になっているわけであります。
 ぜひ、統計とか、情報とか、事例とか、もしあれば御指導賜りたいと思います。よろしくお願いします。

【三村部会長】

 ありがとうございました。
 たくさん札が立っておりますので、全部まとめて質問させていただいて、それを一番最後にお答えいただきたいと思います。
 次は小川委員、よろしくお願いします。

【小川副部会長】

 私も山野先生と青山先生に質問させてください。
 私も、最近、学校教育の中に福祉的な要素というか、問題が非常に増えてきている中で、教育と福祉の連携というのはすごく大きなこれからの課題だと考えています。そういうことで、スクールソーシャルワーカーの育成、配置に関しては私も非常に関心がありまして、山野先生の色々な文献等も勉強させていただいてきているんですけれども、ただ、教育委員会とか学校に入っていくと、一つは、スクールソーシャルワーカーよりも、むしろこの間、スクールカウンセラーの配置の方が非常に優先順位が高くて、なかなかスクールソーシャルワーカーの配置まで、自治体レベルでは手が回らないということがあるようです。それに、もう一つは、きちっとした資格を持った人材がいないということで、結局、学校の現場の先生とか教頭先生が、そういう外部の福祉機関との調整を請け負ったり、社会福祉士がそうしたことをやるとか、なかなか人材がいないということもあって、現場ではスクールソーシャルワーカーが、必要性が言われる割には、なかなか配置が拡大していないんですね。
 どういう仕掛けをすれば、スクールソーシャルワーカーの配置の普及拡大が進められるのかというのを、非常にシンプルな質問なんですけれども、現実はそこにあるような気がするので、それについてお考えをお聞かせ頂ければと思います。
 二つ目は、そのスクールソーシャルワーカーを新たに導入しようとしている自治体もなくはなくて、少しずつ検討を始めているところも出てきています。特に、今度の東日本の震災で地域が非常に崩壊しているところでは、スクールソーシャルワーカーの必要性ということも感じて、いろいろ検討を始めているんですけれども、特に東北地方というのは、ほとんどスクールソーシャルワーカーの配置がないし、そういう伝統もないところで、実はスクールソーシャルワーカーを配置しようと県の教育委員会が決めても、周りに人材がいなくて、今、いろいろ悩まれているような現状があるんですけれども、そういう、ほとんど伝統のないようなところで新たにスクールソーシャルワーカーを導入しようとする際に、何か特に留意すべきこと等々があれば、御教授をいただければと思います。
 あと、青山委員への質問ですけれども、最後の今後の高等学校教育を考えるという箇所で、リエントリーを可能とするためには複線化とかトラッキングが必要ではと、何かさらっと言われたんですけれども、もう少し分節化、具体化して教えていただきたいんですが。

【三村部会長】

 ありがとうございました。
 次は白波瀬委員、お願いいたします。

【白波瀬委員】

 ありがとうございます。大変貴重な御報告ありがとうございました。たくさん勉強させていただきました。
 基本的なところで、山野先生と青山先生に特に質問があります。まず山野先生の資料の中の9枚目のシートなんですけれども、貧困が見えにくいというメッセージが書かれているんですが、何をもって「見えにくい」とされているのか、そこのところをもう少し伺わせてください。就学援助率が3分の1あって、母子家庭の平均収入が一般世帯の3分の1の下という数字についても、もう一度確認させていただきたいと思います。
 数値という点では、まとめのところで半数から3分の1の者が深刻な困難を抱えているということで、この値の高さが気になります。確かに、数として多くなければ無視してよいといったことではありませんので、いくら少数派でもこのような状況にある子どもに対して緊急に対応していかなければならないことに違いはありません。ただ、数値は一人歩きしがちですので、ここでの半数から3分の1の孤立とおっしゃっているところの数字の根拠について、もう一度確認をさせていただきたいと思います。
 三つ目、山野先生に対して質問です。今、小川先生からもソーシャルワーカーとかカウンセラーとかいうお話があったんですが、やはり学校でのソーシャルワーカーということになると、学校に来ない人への対応が行き届かないという問題がでてきます。それはアウトリーチという形で先生もおっしゃったと思うんですけれども、どちらかというとアウトリーチのケースの方が深刻で、見えにくい問題を探るという点でも大変になってくる。そのときに、このような学校からアウトリーチとなるケースに対応できる体制が必要になると思いますが、そこの具体的なメカニズムは、どういうものがよろしいとお考えなのかというのを伺いたいと思います。私は基本的には、いろんな場面や段階において、カウンセラーを配置することが必要で、そのための専門職の養成と雇入れの予算を確保する必要もあるのではと考えます。
 4点目なんですけれども、フルタイムで学校に常駐するスクールカウンセラーという形では、どれぐらいの学校が採用しているのかどうかと、そういう実態の数をお持ちなのかどうかをお伺いしたいと思いました。ありがとうございます。
 あと青山先生になんですけれども、考え方として私、すごく賛同できるところが大きいんですけれども、1点、高等学校進学率98%の行方というところで、とても興味深かったお話の一つに、講座型学習からグループ型・個別型学習へということと、必修単位の増加。これは多分、組み合わせの問題だと思うんですけれども、ここは、うまく多層的に組み合わせないと高校間の格差が生まれるという弊害もでてくるように思います。学校教育の差別化については、ニーズがないこともないと思うんですけれども、選択性と基礎学習の保証と抱き合わせでないと、かなり滑ってしまうという状況があるように私は思います。この二つの先生がおっしゃった御提案の組み合わせ案について、何か具体的なお考えがあったらお伺いしたいと思います。
 以上です。

【三村部会長】

 ありがとうございました。この後の御質問につきましては、今、名札を立てている方で打ち切らせていただきます。
 次は中橋委員、よろしくお願いします。

【中橋委員】

 貴重な発表、どうもありがとうございました。山野先生と柳沢先生に質問させていただきます。
 山野先生にスクールソーシャルワーカーの件なんですけれども、私たち地域のNPOが、学校であるとか、乳幼児の施設と関わるときに、明確な資格がないということで、NPOだから受け入れてくれるところと、NPOだから受け入れられにくいところがありますので、資格がある強みとか、信頼があるということの強み、すごくうらやましいなと思うんですが、一方で、NPOは割と自由に動いていて、活動範囲が、中学校区で活動しているNPOもあると思いますけれども、例えば市のレベルであったり、県域ぐらいで活動しているところもあるので、ある分野においては、いろんな市の中の、あるいは県の中の事例などもよく知っていたり、あるいはキーマンである人を知っていたりすることもあるので、NPOとしても、スクールソーシャルワーカーの人と一緒に事業、何か組んで動くことのメリットもありますし、スクールソーシャルワーカーの人たちも、中学校区である事例だけではなくて、市の市域で、あるいは県域で起こっているような、うまくいっている事例をNPOから聞くことで、こんなふうに対処して、こういうネットワークをつくっていけば、こういうこと対応できるんだというような発見もあるかなと思うんですが、NPOとスクールソーシャルワーカーが連携して何か取り組んでいったような事例があれば教えていただきたいと思います。
 柳沢先生に質問なんですけれども、この総合型地域スポーツクラブの件なんですが、例えば私の住んでいる香川県の田舎のようなところだと、子どもが少なくて、子どもの取り合いになってしまっていて、子ども会に入るとスポーツ少年団の行事に出られない、スポーツ少年団の行事に入るとあれが出られないということで非常に問題になっていまして、新しくこういうスポーツクラブをつくる、スポーツクラブに入ることで、子どもが取り合いになって、逆にもめてしまわないのかということが1点気になります。
 もう一つは、実は私の夫が柔道の世界チャンピオンになったこともあるスポーツ選手なんですが、このトップスポーツと地域スポーツの好循環のために、引退したトップアスリートを指導者に配置するというようなことが打ち出されていますけれども、往々にして学校の先生とか、警察官とか、柔道家とかですけれども、そうした職にある人は、割と地域で力を発揮することもできるんですが、民間企業に、そうしたトップアスリートが引退後就職した場合に、うちの夫もそうなんですけれども、例えば世界のそういうスポーツを子どもたちに見せてあげたい、保護者の人も、若干の旅費や交通費だったら出してでも子どもを経験させてあげたい。しかし、引率するために1週間ぐらい会社を休まないといけないとなると、会社の理解とか協力がないと、そうしたせっかくの人脈だったり経験だったりを活用することができないというジレンマで悩んでいる知り合いたちもたくさんいるんですが、企業に、協賛金、スポンサーシップとしてもそうなんだけれども、そうしたトップアスリートが、元トップアスリートを雇用している場合に、どう地域に吐き出すこととしての貢献ができるかといったことを企業にどう提案しているか。あるいは、金銭面もそうなんですけれども、協力してくれたときの企業のメリットみたいなものも打ち出さないと、企業も社会の一員だからお金を出して応援してください、人材も出してくださいということだけでは、企業はなかなか理解できないかなと思うんですが、その辺の働きかけ、どのようにされているか教えていただきたいと思います。
 以上です。

【三村部会長】

 ありがとうございました。
 木村委員、よろしくお願いします。

【木村委員】

 日本が出資してフルブライト・メモリアル・ファンドというのをつくり、一昨年まで合計6,400人のアメリカの先生方、主に小中の先生方ですが、を3週間日本にお招きしていろいろな経験をしていただくというプログラムがありました。来日する前の彼らのほとんど全員の大きな期待は、さぞ日本の学校ではコンピューターがあふれていてICTの対応が進んでいるだろうというものでした。セガだとか任天堂といった企業がアメリカで大きな存在感を示していますので、日本はコンピューター大国だと思っていたようです。ところが来てみると、驚くほど学校にコンピューターがない。もっと驚いたのは、学校と家庭がコンピューターで一切結ばれている例がほとんどないという事実です。
 イギリスで、私が見たのは、非常に経済的に難しい地域においてですが、ほとんどの家庭に、ある工夫をしてコンピューターを持たせて、学校のサーバーと結びつけて、それで絶えず学校と家庭がコミュニケートできるようにしている。それによって、ものすごく親の学校に対するコミットメントが増えて、教育の質を抜本的に改善したというケースです。
 スクールソーシャルワーカーも非常にいいアイデアだと思うのですが、これは一人一人の人間に頼る方法ですね。それも大事だと思いますが、むしろITを使って家庭と学校を結びつけるほうが、私は、効率がいいのではないかと思っています。私の知る限り、まだほとんど日本には例がないと聞いておりますが、その辺りをどうお考えになっておられるでしょうか。山野先生に対する御質問です。
 次に、柳沢先生に対する御質問です。3,400の総合型地域スポーツクラブというお話ですが、これはパーヘッドでは、スポーツ先進国に比べると、極めて少ない数だと思います。イギリスの例を多少知っていますが、例えば、ラグビークラブだとか、サッカークラブだとかが、すばらしい施設を持っていまして、そこへ子どもたちを呼んで、スポーツ関係のいろいろなアクティビティーをやっています。パーヘッドにすると膨大な数になると思うのですが、その辺のデータをもしお持ちでしたらお願いします。
 それから、今後の日本の行き方としては、地方公共団体がつくったものを自主管理する、あるいは指定管理者を決めて管理するというスタイルになると思うのですが、将来はどういう姿が、先生としては理想的と考えておられるのか、お伺いしたいと思います。

【三村部会長】

 ありがとうございました。
 最後の質問になりますが、國井委員、よろしくお願いします。

【國井委員】

 ありがとうございます。
 まず、柳沢先生への質問です。総合型地域スポーツクラブの件ですけれども、スポーツ立国戦略に基づいて、非常に有意義な、重要なお話だと思います。クラブを設立するに当たっての課題というのが挙がっておりましたけれども、一つは既存団体との調整です。これは既存団体が活用できる施設が少なくて、時間の調整がぶつかっているのかと思いますが、地域のスポーツクラブとして、地域の他のいろいろな設備と連携していく必要があると思うんですけれども、そういうところがどうなっているかということをお伺いしたい。
 それから、会員の確保の課題にとういて、前回御説明がこのスポーツに関してあったときに、スポーツを週に一回はやる人口を増やそうという計画に対して、20代の男性と30代の女性がやっている率が少ないというお話がありました。
 例えば30代の女性だと、育児が忙しくてそうなのか。もしそれだったら、地域の保育所とか、あるいはこういうところに託児所や、ベビーシッタープログラムでもないと、うまく回っていかないのかどうか。総合型地域スポーツクラブだけではなく、周りのいろいろな設備も含めて考えることが重要かと思います。なかなかスポーツをしない人、特にスポーツの不得意な人は忙しい等の理由で、なかなか活用されないと思うんですけれども、そういう不得意な人に対する仕掛けなんかも、どう考えていらっしゃるのかとお聞きしたいと思います。
 二つ目の質問は、青山先生の高校のお話なんですけれども、私は、理系の女性をもっと増やすという活動を支援しています。企業の中でも、理系の女性が少ないことが問題となっています。そこで、進路指導ですね。この進路指導について、いろいろ問題ありだと思いますが、それについては特に問題として挙がっておりません。しかし、偏差値の高い有名校に生徒を進学させたいという力も働き、理系に向いているような女性でも文系に進路指導される傾向があると聞いております。このあたりについて、社会的ニーズもいろいろ変わってきており、ジェンダーバイアスに対しても、進路指導をきっちりと対応していく必要があると思うんですけれども、そういうことに対してどのように施策をとられているのか、問題はないのかどうか、問題と認識されているのかどうかをお伺いしたいと思います。
 以上です。

【三村部会長】

 ありがとうございました。
 随分たくさんの質問が出ております。最初に青山先生から、その次に柳沢先生から、最後に山野先生から、よろしくお願いいたします。

【全国高等学校長協会会長・青山彰氏】

 ありがとうございます。
 まず小川委員から御質問いただいた件でございますけれども、生涯学習の観点から、リカレント教育のことを私も考えているところなんですけれども、リエントリーの問題と、それから複線化とトラッキングというのは、これは実は全部、どれを1つとっても非常に規模の大きいものだと思っています。
 まず私が申し上げたいのは、リエントリーできる柔構造が社会の中に構築できるか、これが重要なことだということを申し上げたかったんです。そのためには、複線化というのは、昔の教育制度の中に複線化の図がありました。戦前、そういう複線化がありましたが、戦後はそれが単線化されたということなんですけれども、またここに来て、大きな枠の中で、要素として、細かく分かれてきている部分もあると思います。それを広げていこうというところもありますので、どこまで明確に複線化が図れるのかは、これからの御判断だと思うんですけれども、そのリエントリーをするときに、窓口が幾つもある、チョイスの選択肢がある、それが確保されているということが大事なことだと思っています。
 トラッキングというのは、申し訳ありません、私の言葉の使い方の語義のずれがあるとしたら、これはお詫びしなければいけないんですけれども、トラッキングというのは社会上、一つのトラックから次のトラックに移行していく。上がっていったり下がっていったりと、とにかく渡っていくところでのトラッキングということもあるんですけれども、私としては、柔軟性を持たせる意味で、このトラッキングというのを考えさせていただいているところで、ちょっとはっきりしないところはありますけれども、まずエントリーする、あるいはリエントリーする柔構造を教育の中に生み出していくといいますか、保障していくことを求めたいというつもりでお話をさせていただきました。
 それから、白波瀬先生からいただいた御質問に対して、講座型の授業からグループ型あるいはチーム型の授業ということなんですが、これは、例えば一つの授業、50分の1単位の授業の中での授業形態、主導形態で多展開というのを一つ具体的に今やっていますけれども、一つの授業の中で、こういう形を積み上げていくようにしていくことを、今、全部できているかというと、できていませんので、それを主とした形で授業が構成されていくように持っていくことが必要であると考えています。
 それと、必履修を増やすことは、先生おっしゃった基礎学習をきちんと保障するということになると考えています。昔で言いますと、例えば理系と文系があって、それは数学と英語の単位数をお互いに取り換えることで行っていったという時代もあるわけですけれども。これは進学指導の面ですけれども。今、選択の時間帯、それから必履修の時間帯というのは、必履修が、やはり今、ぐっと少ない状態でありますので、必履修を拡大をして、その基礎学習を確実に生徒に施せるという枠組みをつくった上で、あとは1こま1こまの授業の中での形態を工夫していくことをさらに続けていくことが必要だというつもりでお話をさせていただきました。
 それから、國井委員からの御質問の進路指導のことですけれども、これは私のレジュメの一番最初の「志」を高めるというところで、なぜ高等学校に所属するのか、高等学校に進学してきたのかというところから始めるわけですが、当然ここは生徒自身の進路目的、これを認識させて、その進路目的を達成するためにどういう指導を施しているかは、進路計画の中に落として、3か年間の中で指導しています。
 今御議論いただいて、報告も出てきているキャリア教育を、特に普通課程で行うこと。専門教育では、これは必須ですので、初めの段階から資格取得のことも含めながら指導しているわけですけれども、それを普通教育の中でどう効果的に指導していくのかが今求められていることで、これについては全国高等学校長協会も、就職対策委員会、進路指導委員会の中で検討を続けているところです。最重要のことと位置づけていまして、専門教育でのノウハウを普通教育の中に取り込んで、そして普通教育の進路指導、キャリア教育指導を活性化していくということで今、取り組んでいるところです。今後また、貴重な御示唆をいただきながら取り組んでまいりたいと思っています。
 以上でございます。

【三村部会長】

 どうもありがとうございました。
 柳沢委員、よろしくお願いします。

【筑波大学教授・柳沢和雄氏】

 幾つか御質問いただきました。最初の子どもの取り合いになっているという現状は、多くの地域に見られます。特に、新しいクラブができてくると、例えば、スポーツ少年団の指導者からは、せっかく私たちが育てた子どもたちを新しいクラブはとってしまうのかといった反発が出ることがあります。ただ、それは基本的には組織をつくる、あるいは運営する側の目線であって、子どもの生活という目線ではないと思います。子どもは一人なわけで、その目線に立ったときに、今の子どもに何が必要かということを、関係者が話し合う場面——討論とまでは言いませんが、話し合う場面、空間をつくらないと折り合いがつかないと思います。ですから、それぞれの持ち味が出せるよう、子どもを中心とした討論空間をつくっていく必要があると思います。
 二つ目の御質問のトップアスリートの派遣についてですが、これは従来から行われてきた活動です。これまでも、単発的にトップアスリートを派遣するということはありました。ただし、これからやろうとしているのは、少し長期的に引退後のトップアスリートを、雇用とまでは言いませんが、クラブが抱えてアスリートを派遣するという形を想定しているようです。しかし現実は、先ほどのクラブの予算の話をしましたが、200万円以下のクラブで引退後のトップアスリートを雇い入れることはできないでしょう。そうすると当然、参加費用を取りながら、事業の中で収益を上げる仕組みをクラブが工夫しなければならなくなります。
 今、文科省が行っている事業では、現役のトップアスリートを拠点クラブで抱えるケースは多くはないと思います。むしろ引退して、40歳になりました、50歳になりました、でも何か地域に恩返ししたいという方が来てくれているようです。ですから、拠点クラブは大変だという話をしましたが、どういう仕組みをつくるかが大きな問題かと思います。
 企業にとってのメリットについてですが、これも企業スポーツが今どんどん衰退している状況をみると大きな課題です。その背景には、スポーツ界が、投資をしてくれる企業やスポンサーに対してROIを示せなかったことにも大きな原因があると思います。リターン・オン・インベストメント、これだけ投資したらこれだけの見返りがありますよということを客観的なファクトで示せていないのが、おそらく今の現実だと思います。ですから、選手も困っているし、企業側も株主に説明責任が果たせないということで困っていると思いますが、なかなかその課題がクリアできない。トップスポーツも含めた全体の問題だと思っています。
 ただし、CSRの問題などを御理解いただきながら、活動をソーシャルレポートのような形で情報発信してもらうなど、会社にとってもメリットがあることを御理解いただければと思います。
 次の御質問、20代、30代の若者の参加が少ないというお話がありました。確かにそうです。これは、どの年代もそうなのですが、私は、スポーツという言葉、概念に対する考え方が非常に狭くとらえられている傾向があるのではないかと感じることがあります。スポーツというと、体を鍛えて、技術を身につけて、大会に出て勝敗を競うものというイメージがあるのではないかと思います。身体的技量の競争というのがスポーツの狭い意味の定義なのですが、現在では広く、健康づくり、ダンス、野外活動から、全部スポーツ活動として含まれています。多くの方々のスポーツに対する考え方が、まだ非常に狭いとらえ方をしていると思います。
 加えて、やはりスポーツ事業の展開にも課題があるでしょう。お話にありましたように、子育て世代のお母さん方が参加できる事業がない、家族単位で参加する事業がないとか、特に小さな女の子がスポーツをする機会は非常に少なくて、そのようなスポーツ環境が中学校、あるいは大人になってからのスポーツ離れにつながっているのではないかと思います。その意味で、早い段階からスポーツ体験を可能にする環境が必要だと思っています。
 それと、総合型地域スポーツクラブの理想像というお話がございました。確かにヨーロッパなどに行きますと、非常に多くのクラブがございます。客観的なデータ、今持ち合わせておりませんが、ドイツでは、おそらく9万を超えるスポーツクラブが協会に登録されています。
 ただし、両国ではスポーツの歴史が全く違います。ドイツなどは、幕末からスポーツクラブを作っているわけで、それだけの歴史があります。また、制度が違っています。特に日本の場合には、学校を中心にスポーツが発展してきましたので、公共スポーツ施設数は伸び悩んでいますが、学校体育施設はかなりの数があります。日本の体育・スポーツ施設の内、7割ぐらいは学校体育施設ですから、そういった意味でもスポーツが展開されてきた制度が違います。その意味で、個人的には、総合型地域スポーツクラブがヨーロッパのスポーツクラブを目指すと言われることがありますが、まずハードの面で、ヨーロッパのように芝生のサッカーグラウンドが3面も4面もあるようなクラブというのは、日本ではちょっと実現不可能だろうと思っています。夢を語らなきゃいけないのでしょうけれども、現実を考えるとかなり困難な実態であると考えています。
 そのような中で、昨今の財政状況などをみますと、やはり日本は日本の特徴を持ったクラブづくりをしていく必要があると思います。それは、おそらく学校ベースでやるしかないと思います。現実に今のクラブも、半分以上は学校をベースに活動をしております。
 学校というと、何かクラブのスケールが小さくなるようですけれども、私はむしろ、学校であるがゆえに、いい面もかなりあると思っています。公共スポーツ施設の増設は重要な課題ですが、そこに来るのは、スポーツをやる人しか来ません。ところが学校は、音楽をやる、調理をやる、絵を描く、いろんなことをやる、生涯学習施設としての社会資本が整っているわけで、むしろ、その学校施設を、わずかな予算を投資して共同利用化できるようにすることで、近隣レベルの生涯学習の環境は、もっと整うのではないかと思います。
 そのような意味で、ヨーロッパにはうらやましい部分もありますが、日本は日本の総合型地域スポーツクラブの在り方を目指していくべきだろうと思います。中にはヨーロッパにあるような大きなスポーツクラブがあっても、もちろんいいでしょう。そのようなクラブは、例えばNPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブといったクラブになっていくかと思いますが、近隣の小学校区とか中学校区では、なかなかそういう大きなクラブはできづらいのが日本の現実だろうと思います。

【三村部会長】

 ありがとうございました。
 山野先生、よろしくお願いします。

【大阪府立大学教授・山野則子氏】

 たくさん御質問いただき、ありがとうございました。一つ一つ丁寧にフォローしている時間はないかもしれないですが、可能な限りお話しできたらと思います。事例を教えていただきたいというところは、ちょっと難しいかもしれません。
 まず初めにいただいた、心理的背景があるのではないか。データで自分の子どもさんのことを記録的に書いて来られる方があるというお話ですが、私たちが見ている中でもあります。それは1つの現象であって、子どもに過剰なプレッシャーをかけておられたり、客観的に見ておられるという心理的虐待に入る事例もあったり、誤解を招いてはいけないので、一概にそれが全部、心理的虐待だとは言っているわけではありませんが、一つ、過剰なプレッシャーという心理的虐待も今、話題になっています。かなり子どもを客観的なところに置きながら、実は非常にプレッシャーをかけていっているというようなことが起きています。
 もちろん、原因背景に、いろんな家族の問題であったり、地域とかいろんな問題があることがあります。ソーシャルワーカーの仕事は背景を考え、環境に働きかけるところですから、スクールソーシャルワークの話でいくと、なぜこんなことになっているのか探っていきます。
 次に、御質問いただいた仕掛けについてです。まさに私たちが頭を抱えているところで、どうやって拡大していったらいいのかという点、人材がいないという点です。
 まず一つは、学校の文化と福祉の文化がなかなかなじまなかったりとか、先生方は、自分たちが責任感が非常に強くて、自分たちが全てやらなければいけないと思われるところがあります。なので、虐待の新聞報道などでも、先生方が全然知らんふりしていたわけではなく、非常に自分たちでやらなければと逆に思っていらっしゃるという例も少なくないと思っています。
 そんな中で、まず先生方に、こんな手だてができるとか、学校だけでは難しいんだということとか、いろんな教育へのメッセージ、何でも自分たちで抱えがちな学校文化に変化をもたらすようなメッセージを投げていかないと、なかなか難しいのではないかなと思っています。そういう意味で、教育にぜひ福祉の観点を、先ほどの養成課程から、当たり前のように福祉があるんだという仕組みをつくっていくということは重要ではないかと思います。
 昨日も、アメリカのイリノイ大学と交流事業があり、来日されていましたが、向こうでは100年前からスクールソーシャルワーカーがいて、各学校に一人、あるいは二校に一人という、保健室の先生がいらっしゃるように学校にワーカーがいらっしゃるわけですから、そういう当たり前のことをどうやってつくっていくかということは、非常に課題だなと。単に予算が投げられるだけでは、なかなか難しい。御指摘のとおりだと思います。ですので、仕組みとして教育に福祉を入れるという大きな構造、枠組みの変化が必要ではないかと思っているところです。
 それから、岩手の例も、私も文科省の方と今月行かせていただくのですが、なかなか人材がいないということを聞いています。それで、このパワーポイントの56に、スクールソーシャルワークの養成に、私も言い出した一人として、社会福祉士養成校協会とともに、このスクールソーシャルワークの養成カリキュラムをつくってきました。2009年から始まったところで、まだ今年度26の大学しか養成校として存在しておらず、追いつかないという現状があります。御指摘のとおりだと思います。是非バックアップしていただきたい。
 それから、机上に配付させていただいたスクールソーシャルワークのハンドブックの都道府県教育委員会と市教委、学校、スクールソーシャルワーカーの関係性についての図があります。先ほどから何度か言っており、アウトリーチの御指摘もいただきましたが、仕組みをうまくつくっていかないと、サービスができましたよ、どうぞ利用してくださいと言っても、利用しない人がクライアントの多くであり、学校の中でも、先生方が意識を持ってつないでいくような、先生方の意識の変化がないと、これは機能しないということです。市教育委員会と県教委と学校、スクールソーシャルワーカーの関係性の図、5ページの図ですが、このような、学校をバックアップしたり、それから教育委員会をバックアップしたりしていくような仕組みづくりから始めないと難しいのではないかと思っています。そういったことを文科省から研修をしていただいたり、情報発信していただいたりというのは、現在スクールソーシャルワーク事業を実施しているところでも参考になるかと思います。
 それともう一つ、実施しているところは、先ほどのパワーポイントのスライドの37番で、全国で552名しかいない状況ですから、現在実施されているところも機能的になっているとは言い切れないので、御指摘の仕組みづくりは非常に重要課題だと思っています。
 それから、アウトリーチの御指摘をいただいて、そのことと関連して、どんな仕組みをつくっていったらいいのかということを合わせてお話しします。児童相談所もあるじゃないかということではなく、私がなぜ学校に目を向けたかというと、数字の根拠も御質問いただいたんですが、数字と関係があり、なぜ数字を言っているかと言うと、学校では児童相談所にいく事例は特別な子という見方をされているし、実際児童相談所につながる事例は、学校から見るとごく一部の特別な事例。でも、背景から考えると視野に入れる必要のある子どもたちは、「特別」という低い数字ではないということです。それは表面的には見えにくいから特別と思いがちになるけれど、全数把握可能な学校では見ようと思えば見える可能性がある。例えば貧困が見えにくいということも、貧困をSOSとして援助していかないといけない事例として見るというよりは、困った問題を起こす問題事例として上がってくる。虐待もそうですけれども、SOSを必要としている人なんだという上がり方をしない。そこで、学校だと全数の子どもたちを見ているところですから、視点を変えてみれば、早期対応にもなり、問題が大きくなる前の予防になるのではないかということです。アウトリーチの方法も先生を中心にして発見したり、アウトリーチに出向いていくときも、先生方の力を借りながら、地域の資源を使ってアウトリーチしていっているというのが現状です。
 だから、ワーカーだけがスーパーマンのようにあるのではなく、学校にいる意味として、先生方とリンクしながら、教育と福祉が連携しながらアウトリーチもできるんだと、そういうメカニズムが必要ではないかと思っています。現在も、そういうことで動いている。先生方は非常にノウハウを持っておられる。先ほどのNPOの御指摘もいただきましたが、NPOの皆さんも非常にノウハウを持っていらっしゃいます。ソーシャルワークというのはカメレオンみたいなところがあるので、相手の皆さんが持っておられるノウハウを活用させていただいたり、つながることで1足す1を3にしていく。なので、NPOとの連携も、随分力になっていただいています。
 次にワーカーの勤務状況についてです。先ほど御指摘があったように、フルタイムのワーカーというのはいます。全国に一人、二人という数です。それも常勤で配置されているだけであって、給料形態は、もちろん補助事業ですから、公務員の給料形態ではないです。日給で計算しているという感じ。それ以外は、ほとんど週1回とか週2回という勤務ですから、そういう意味でも、現状は特にNPOさんとか学校の先生方と、1足す1が3になるような機能をしていくしか、時間的にもない状況だということです。
 最後に、コンピューターのお話もいただいたのですが、ケースの援助プランの中で、家族背景から直接会話というよりもコンピューターを活用して、メールでやりとりをして、先生とお母さんやお父さんが交流が増えるようなプランづくりをしていくというようなことは、今現在あります。なので、先生が御指摘のように、コンピューターも一つのツールとして使っていけるのではないかと、私も御意見には賛同したいと思います。
 それと、3分の1から半数と私が言った、数字の根拠は、PPTの大阪レポートと兵庫レポートの比較をしたデータの中で、全体の半数から3分の1のデータがあるという意味で、総括りで言わせていただきました。焦点を当てたものではありません。御指摘ありがとうございました。
 以上ですが、抜けたところがあるかもしれません。

【三村部会長】

 どうもありがとうございました。実にお三方とも見事な回答、本当にありがとうございます。いろいろ勉強させていただきましたし、今後の我々の議論にぜひとも役立てたいと思います。今日は御出席、本当にありがとうございました。
 それでは、ここで5分の休憩をとりたいと思います。午前11時12分 休憩 午前11字18分 再開

【三村部会長】

 それでは、着席いただきたいと思います。
 それでは、続きまして後半の二名の方からのヒアリングに移りたいと思います。前半同様、二人から御意見を続けてお伺いした上で、意見交換の時間をとりたいと思っています。
 二名の先生を簡単に御紹介いたしますが、まず加藤嘉一先生。中国を拠点に執筆活動をされておられます。それから、いま一人は金子元久委員であります。いつも一緒に議論させていただいていますが、国立大学財務経営センター教授でございます。
 それでは、加藤先生、未来への飛躍を支える人材の養成ということで、よろしくお願いします。

【北京大学研究員・加藤嘉一氏】

 皆さん、おはようございます。加藤嘉一と申します。よろしくお願いします。このような厳粛な会議にお呼びいただき、大変光栄です。
 昨日、北京から帰ってきまして、僕、実家が伊豆なんですけれども、羽田から向かう過程で、なぜか喉の辺りの神経がいかれてしまって、若干話すのに苦労していますけれども、その辺は気合いでやりたいと思います。
 非常に恐縮ですが、資料とかパワーポイントとかできなくて、口頭の発表になってしまうんですけれども、これまで中国で8年間やってきたということで、私自身も27歳ということで、これまでの経験を踏まえて、これから日本の人材、どうやって育成していったらいいのかを外から見てきたという立場から、ぜひ皆さんと議論させていただければと思っています。
 毎回、日本に帰ってきて思うのは、地下鉄に乗っていても、主催者側が作成された資料を見ても、非常に精密だと感じます。地下鉄に乗っていても殴られないとか、平和な社会で、これほど豊かで安心して暮らせる社会はほかにないなという現実を再認識します。僕自身も、普段から中国だけじゃなくて、香港とか、台湾とか、シンガポール、ヨーロッパ、アラブ、中東、いろんなところを回っております。同じ場所に三日以上いることがないという漂流的な生活をしているんですけれども、そういう中で日本に帰ってくると、やはり安心できます。
 先ほど皆さん、いろんな議論されたと思うんですよね。社会的なセーフティネットとか、つながりとか、絆とか、非常に問題視されている。安心して暮らせる日本でもこれらの点が問題視されているんだなというところにレベルの高さを感じます。中国とかに行けば、もうセーフティネットとか、絆とか、つながりとか、それ以前の問題である場合がほとんどで、弱肉強食、ゼロ・サムという社会です。国際社会に政府はありませんし、基本的にはアナーキーですから。そういう中で、日本という社会が、特に3.11の後も、これだけ国民が足を揃えて平然と生活をしている。こういった国民性は日本をおいてないなと、毎回、日本に帰ってきて感じます。
 人材という問題を考えた場合、僕自身の経験を踏まえて申し上げますと、まず生存があって、その後に成長があって、そのあとに幸福がある。日本語的にいうと「豊かさ」ということだと思うんですね。おそらく今、僕が拠点にしている中国は、まさに、この生存から成長という過程にあって、日本はおそらく今、成長から幸福の岐路にある。両国の発展プロセスは異なるんです。3.11の後、被災地に行きました。廃墟ともいえる背景を目にして、日本の戦後はこういう状況だったんだなということを僕なりに現場で感じました。経済的にも日本を抜いて世界ナンバー2となった中国には規模では抜かれました。日本人が今まさに考えるべきことは、次の目標は何なんだということではないでしょうか。政治的、軍事的にいわゆる大国を目指すのはなかなか難しいし現実的ではない。歴史的にも、国情的にも限界がある。ただ、経済的にも、やれることはやってしまったみたいな、そういった感が国民の中にもあって、じゃあ次なる目標はなんなのか。外から見ればグローバリゼーション、中国の台頭という新しい変化があって、国内には少子高齢化という構造的問題があって、こういった客観的な状況の中で、日本人として、次なる豊かさ、次の国家としての目標は何なんだというところを今、議論している。そうした中で20年が過ぎたということだと認識しています。
 先ほど皆さんは社会的なつながりに関して議論されましたけれども、皆さんが必要だ、こうすべきだとおっしゃられてきたものを、僕はおそらく、これまでの26年間、一つも持っていなかったです。そもそも自分は、非常に貧しい家に育って、小学校ぐらいのころから農村に出て、畑に出て、仕事をして、本当に貧困、孤立、苦悩とそういう状況の中で育ってきた。何も持たない自分が単身で中国に行った。18歳でした。向こうに行ったら行ったで、先ほど皆さんが議論されたセーフティネットとか、つながりとか、そういったものとは無縁の環境で8年間やってきました。これまでの生存から成長という、僕自身はそこを追い求めてきたと思っています。おそらく皆さんが議論されている内容って、僕みたいな、あるいは僕の下という言い方は変ですけれども、続く代がどう社会に出ていくかという議論をされていると思います。自分がこれまで少なくとも生きてこられて、成長を求めようとモチベーションを持って現状を見据えて、未来を見据えてこられた理由は何なんだろうなということを先ほどから考えていました。理由は五つあります。
 一つは、幼年時代から外を意識していたこと。僕、小学校入学時に150センチぐらい身長があって、そもそも人と違うということが当たり前になっていた。常に世界地図を見ながら外に行きたいな、外の人はどう見るんだろうなということを意識していた。5歳ぐらいの頃からですね。
 二つ目は生死をさまよった経験があること。僕は3歳のころに車にひかれ、移植手術をしました。大きな手術をした。幼いころから飢えとの闘いだったので、常に生死をさまよっていた。
 三つ目、スポーツをやっていたこと。僕は毎日、7歳ぐらいの頃から、父親の指導のもと弟と一緒に走っていた。この習慣は今でも変わっていません。
 四つ目に、理解者がいたこと。どんなに追い込まれても、中高時代、家族、先生、友人であれ、理解者が学校にいたことは大きかった。
 五つ目に、家庭が崩壊しなかったこと。常に、両親、兄弟含めて、みんな仲が良かった。生活は苦しかったけれど、家族は一致団結していた。家族の支えがあったからこそ、自分はここまで来れたんだなと思います。
 元々話そうと思っていた三つのことがあるんですけれども、一つ目は、海外から見ていて、日本の教育の長所と短所について。二つ目に、中国の教育から思うこと、インプリケーションを含めて。最後に日本、今後どうあっていくべきかという僕なりの考えを述べます。
 先ほど申し上げたように、日本人の礼節とか触れ合い、相互補助の精神、チームワークの精神、これは世界に抜き出ていると思うんですね。これから強化していくというよりは、きっちり、そういった日本の長所を国民、若者を含めて自覚して、内外に発信していく過程で自信にしていくべきです。プラットフォームをつくっていくしかしようがないと思っています。
 僕も、イスラエルとか行くと、やっぱり日本人だと優遇されるわけですね。信頼に値すると思われる。一方で、中国の人たちは、そもそも信用されないわけです。これは、我々の先人が、企業がつくってきた日本という大きなブランドが背景にあります。国際社会では、日本人が思っている以上に、日本は尊敬されています。ただ、そのことを日本の若者は知らない。常にコンプレックスを持って、中国が台頭してきた、グローバリゼーションだ、日本人は英語話せないからと、そういった側面だけで自分を卑下してしまう。中国との比較すると真に正反対で、顕著なんです。日本人はこれだけ尊敬されているのに知らない。国内世論でも円高不況が問題視されています。確かに円高は企業の人にとっては不利かもしれない。でも我々、若者が外に出るのに有利なわけです。何で、そういったところを見ないのかと思うわけですね。だから、その辺は、大人というか、社会が、一種の世論づくりも含めてしていくべきだろうと。
 ガラパゴス現象なんていう言葉があります。確かに、中国では今、物も、情報も、お金も、人もダイナミックに集まっていますから、中国から見える国際社会というのはある意味ユニークでオープンなんですけれども、日本人は、協調性があって、空気も読むし、チームワークの精神に富んでいると見える。30人31脚とかチームワークの賜物です。中国人は絶対できないですね。最近、中国で流行っているんですよ。日本では、人によっては、自分一人で走るより30人で走ったほうが速いという人もいますよね。あんなこと、日本人にしかできないです、中国人がやったら、50メートル走るのに5分ぐらいかかるでしょう。
 ただ、それは内向的に協調性があるわけであって、外向的に見た場合に、例えばパーティーに行って、各国のいろんな価値観がごちゃまぜになっている中で、日本人がぽんと飛び込んでいって、そこで彼らと協調性を持てるかというと、日本人は協調性って全くないですよね。だから、内向的には非常に協調性があるけれども、外向的に見た場合には疑わしい。インターナショナルなパーティーに行っても、酒の場に行っても、何か非常にオープンな場所に行っても、日本人で、自分たちだけでつるんでしまうという。
 もちろん、和の精神とか、儒教の和をもって貴となすとか、中国から来たのかもしれないですけれども、こういう部分は、中国でも尊敬されている。日本の商品、サービスとかは中国の将来性を見た上でも、多くの示唆に富んでいるものだと思います。日本人は今こそ自分たちが外からどう見られているか。メリットとデメリットはどこかという問題を考える必要があるでしょう。
 日本人にとって中国は大きな存在です。中国の教育の現状を簡単に申し上げますと、まず家庭教育は相当問題だと思います。そもそも、一人っ子政策という大きな政策環境の下で、親が子どもを溺愛し過ぎる、子離れができていない。僕も以前、高校で教えていたんですけれども、親が送り迎えするのは当たり前でした。集団登校なんてあり得ないですね。与えるものは全部与えて、何をそんなに怖がっているんだと思いました。家庭教育では、道徳心とか、人との共存とか、そういったものは教えられないですね。とにかく勉強、勉強、勉強。3歳のころから英語、5歳から数学オリンピック、極端な状況ですね。スパルタで、激しい競争力でやってきている。
 教育って、家庭、学校、社会と三つあると思うんですけれども、学校教育を見た場合に、まず、非常に成功しているなと思うのは、義務教育ですね。義務教育から高等学校までは素晴らしい。中国では基礎教育というんですけれども、みんな伸び伸びとしている。実際に国際競争力とか、数学オリンピックとか、ああいったものを見てみても、中国の学生、中高生の実力というか、伸び伸びとした姿は際立っている。
 逆に問題になると思うのが、幼稚園教育と大学教育。僕はいつも中国の人たちに、幼稚園教育は絶対に義務教育化すべきだと言っている。中国では、生まれた次の日から幼稚園に入るために列に並ばなければならないくらい供給が需要に追い付いていない。幼稚園が少な過ぎる。生まれてくる子どもも少なくなっていますけれども、幼稚園が少な過ぎて、本当に賄賂とか、コネみたいなもので、政治的に動かないと幼稚園に入れないですね。両親は共働きでないと家族は食べていけないわけですから、幼稚園インフラの整備はかなり重要になってくる。
 逆に今、大学教育は、中国では高等教育と言うんですけれども、教育部が全てを牛耳っていて、それぞれの大学に自主的に大学運営をするスペースがない。だから、僕は、いつも中国には教育部大学しかないと揶揄している。北京大学とか、清華大学とか、世界でも人材をつくっているような、そういった大学がある。中国では高考(ガオカオ)という大学入学試験制度がある。中国は一発勝負で、日本と違ってアドミッション入試とか、推薦入試とか、多様化したシステムが不足している。そういった状況の中で、やっぱり育つべき人材が育っていないですよね。高校生まできっちり多様性を持って文武両道でやってきた。芸術にも興味があって、放課後に人とバスケットボールをやったりとかいろんな興味があった人間が、大学受験という壁に当たってしまうがゆえに同質化してしまう。大学に行ったら、それはそれで社会的になりすぎる。皆さん御存じのように、中国って今、経済成長が顕著ですが、一方で、社会矛盾、格差とか、セーフティネットとかが滞っている。そんな中で学生たちが保守的になっているというか、同質化していっていますよね。特に僕の周りの北京大学のエリートですね。北京大学というのは、1,000万人の中の3,000人しか入れないわけですから、本当の意味でエリートなんですけれども、もがき苦しんでいます。北京大学に入ってから、価値観とか、ライフスタイルとか、将来に対する思いとか、みんな同じになっちゃうんですね。
 そんな中国で今問題になっているのが社会の公平性。一種のメリトクラシーですね。頑張った人間が評価されるというシステムが、なかなかない。一方で、流行っているのは移民ですね。つまり、移民できるものなら移民したい。この国の体制とか国情は、非常に問題があるからとにかく外に逃げたいという意識。人材がどんどん流出していっている。
 北京で情勢をウォッチしながら思うのは、幼稚園、小学校、中学、高校、大学と抱えている問題は複雑な国情のもとで起こっているということ。マクロ的なバックグラウンドがあって競争も激しいし、都市の生活コストも上がっているし、将来も見えないし、社会保障も欠如している。お先真っ暗なんだと思ってしまう。教育の全般のなかで、小学校から大学まで、各時期の成長過程が相互に乖離しているというか一貫性を持ったものとしてつながっていない気がします。この辺に中国の難しさがあるのかなと僕は思っています。
 中国の若者は、一人っ子政策ですから、わがままで、自分勝手です。日本の大学生がやっているようなアルバイトって、非常にいいと思うんですね。僕は、いつも中国の学生、特に北京大学の学生に、あなた方はもう本は読んだ、やるべきことはやった。あとはバイトだ。マクドナルドへ行ってバイトでもやってこいと言っているんですね。僕もやったことあるんですけれども、とても勉強になる。助け合う精神とか、自分から率先して物事に取り組むとか、お客様に対するサービスの精神とか、そういったものを育む文化って、日本の社会では当たり前にあるわけですね。
 繰り返しになりますけれども、まず我々は、外から見たら、外では当たり前にできていることが日本でできていない。そういったことはあるかもしれないんですけれども、日本で当たり前にやっていることが、中国とか、アメリカとか、いわゆる大国と言われる社会で当たり前じゃなくて、逆に必要としている、そういった側面をきっちり認識する必要があるなと思っているんです。
 中国の大学は全寮制だったり、国情は全然違うんですけれども、その辺はお互いに学び合えると思っています。
 三つ目に、私から見て、今後の日本の教育、どうやっていったらいいんだということに関して、四つ申し上げます。
 一つは、僕は27歳ということで、そんなに経験もないんですけれども、我々は「ポストバブルの世代」です。子どものころから日本のいいニュースを聞いたことがない。おそらく、御在席の皆様と、これは全然違うと思うんですね。むしろ、今の中国の若者は、おそらく高度経済成長で、いろんな問題はあるけれども、押せ押せムードで前に進んでいる世論を感じながら生きている。逆に、僕らの世代は、いいニュースを聞いたことがない。だから、国を信頼しろとか、政府を信頼しろとか、そういう前提がない。日本漂流、日本孤立、バブル崩壊、パッシングとか、そういう暗くなるニュースしか聞いていない。
 戦後の教育があって、ゆとり教育があって、では今とるべき措置というのは、僕から見れば明白です。やっぱりグローバルという視点に立った場合に、特に日中韓というフレームワークに立った場合には、韓国の学生は今すごいです。勢いというか、中国とかアメリカだけじゃないんですね。切り返しが早くてフットワークも軽い。
 この間イスラエルのヘブライ大学へ行ってきたんですけど、ヘブライ大学で一番輝いていて、人数も、規模も、質も高いのは韓国人留学生でした。この勢いというのはすごい。日本と比べてフットワークが軽い、エンジンが軽いというのはあると思うんですけれども、教育を見ても、韓国から日本は取り残されているなと感じる。韓国に対抗しろというわけではないですが、国際競争力を考えた場合に、今の日本のゆとりも、つながりも、絆も、助け合いもいいんだけれども、ある程度のスパルタを復活させる必要はある。戦後とゆとりの経験を上手くミックスさせる具体的なアプローチを再考すべきだと思います。というのは非常に感じます。
 一方で、特に中国なんか見ていて思うのは、先ほどスポーツの話もあったと思うんですけれども、日本の部活という文化、文武両道という精神は外に対して発信していく価値があると思う。部活とか格差って、日本語を国際化して広めたらいいなと思っている。中国には、そもそも文武両道という文化がなくて、文武対立なんですね。部活とか、学校の中でスポーツが育つとか、こういったところというのは、日本の教育のいいところです。中国はぜひこのシステムごと取り入れるべきです。日本的な触れ合いとか、和をつくるとか、そういったところは残しつつも。運動会とか素晴らしいです。
 二つ目として、日本では、僕も含めて、いわゆるKYとか、空気読まないとか、角が立っているとか、そういった人間に居場所がないですね。僕なんか、非常に思うのは、確かに日本は人口が減って、生産人口も減っていくと思うんですけれども、まだまだ眠っている、活かされていないパワーってたくさんあると思うんです。
 僕は三つあると思っている。女性、若者、外国人です。たまに街頭調査も兼ねて、街中でぶらついている不良の人たちとか、暴走族の人たちと話をするんですけど、彼らは気合いをすごく持っているんです。やりたいことがたくさんあるんですよね。ただ表現できていないだけなんですよ。だから、ああいう眠っているパワーをどうやって活かすのかという問題を考える必要がある。
 僕なんかも、18歳のとき、日本を飛び出したときに、居場所がなかったわけですよ。もう環境を変えるしかなかったんです。僕は、たまたま幼いころから外を見ていたとか、インスピレーションとか、主観的、客観的な理由があって出ましたけれども、個性はあって、やりたいことはあって、それでも社会の流れに対応できなくて、でも居場所を求めている人間は、たくさんいると思うんですね。僕の周りにもいますよ。
 例えば東大を出て、省庁に行きたいんだけれども、あれは違うと思うとか、でも自分がこうあってとか、もがいている人間たくさんいるんですよね。こういった人間をどう生かすかということは大きな問題です。いずれにせよ、イエスマンを育てる教育だけは間違っていると思います。日本を衰退に落とし込む決定的要因になるでしょう。
 三つ目に、これは提言なんですけれども、外にいて思うのは、日本の若者ほど国民としての意識、国民としての義務意識、責任意識みたいなものを持っていない若者っていないと思うんです。例えば中国、韓国、台湾含めて、シンガポールもそうですけれども、そもそも徴兵義務があるわけです。徴兵義務があるということは、30歳まで、25歳までに、国民として、どんなことがあってもクリアしなければならない壁なんだということをみんな意識しながら生きている。実際に朝鮮半島の38度線に行って、韓国の留学生に聞いてみると、彼らは、やっぱり2年間を徴兵に使うわけですから、いろいろ人生設計するわけですね。みんな嫌だ嫌だと行くんですけれども、結局帰ってくると、筋肉もついているし、自立心もついているわけです。別に僕は徴兵しろと言っているわけじゃないですけれども、こういう機会が今の日本の若者には圧倒的に足りない。日本の若者は外が見えない、先が見えない、だから現状に対して後ろ向きになるわけです。僕が提案したいのは、老人ホーム、あるいは介護施設で若者を一定期間働かせること。この辺なんかは文部科学省だけじゃできないと思うので御在籍の皆さん真剣に考えてほしいんですけれども。省庁の縦割り主義を超えてやらなきゃいけない。老人ホームか介護施設に30歳までに若者に1年間、国民の義務として送り込む。これは労働力の解決にもなるし、若者が先を予測するきっかけにもなる。我々、先が見えないわけですから。高齢者になったらどうなるのか全く見えないです。だからこそ、先取りして、体験して、労働力を補って、一方で、こういった若者を、世代を超えたコミュニケーションを通じて、あっ、日本ってこういう国なんだなということを実感してもらう。皆勤で1年間、きっちりと働いてもらう。たった一年です。大したことないですよ、徴兵に比べたら。
 1年間きっちり働いた人には、国がボーナスを出して、海外旅行に行く権利を与える。海外に行って、若者たちに「あっ、こんなところもあったんだ」と発見の旅をしてもらう。解放感を持って、いろんなことを学ぶと思うんですよね。僕は、この「老人・介護施設労働+海外旅行」プログラムは今すぐにでもやるべきだと思っています。機会があれば、ぜひ総理大臣にも言いたいです。
 四つ目として思うのは、日本の今の社会って、特に世界から見ていて思うのは、本質的なところで勝負しないですよね。例えば僕なんか、先ほど文部科学省の方には、名刺が足りなかったので、北京大学の名刺を差し出したんですけれども、基本的に名刺は名前だけです。名前と連絡先と電話番号だけでいいと思っているんですね。日本だと、どうしても肩書だけで勝負する傾向がある。そこが本質的になってしまう。もちろん肩書があれば、コミュニケーションコストは下がるし、ああ、こういう人なんだと分かるかもしれないけれども、そこで失っているコミュニケーション、相互理解、あると思うんです。こういったリスクを考えたら、小学校1年生の頃から、自己プレゼンの特訓をホームルームで、別に1日に二人でもいいと思うんですけれども、自分の名前はこういう名前で、こういうことを考えていて、こういったことをこれからやろうと思っていて、それでも、こういったところで壁にぶつかっているから、こういうところであなたと議論したいというようなことを1分間でできるトレーニングを、小学校1年生もからやるべきです。高校からは日本語と英語でやるべきです。日本人に最も欠けているプレゼン能力が付きます。世界で勝負していく基礎ができます。そうすれば、肩書とかそういったところで勝負するんじゃなくて、海外に行ったって勝負できるわけです。海外に行ったら、肩書なんて誰も見ないです。実力と現場が全てです。
 僕は海外に行って、ゼロから北京に行って、自分自身で育んできた力というのは、おそらく人間力と突破力です。人間力と突破力で、自分の口で、自分の目で相手を説得する、相手に自分を理解してもらうと、そういった努力を怠らないという、そういったところが非常に大事だと思います。
 最後、まとめですけれども、今後の日本の将来を考えた場合に、私自身は外交と教育だと思っています。もう少し砕けた言い方をすると、いかに外と交わる中で人を育てるか。僕は、日本の将来はそこしかないと思っている。
 だから、自分自身は、そういったことを考えて若いうちから外へ出たわけですけれども、省庁とか、縦割り主義を超えて、外務省とか、いろいろな省ありますけれども、外交と教育を充実させていきたいと思っています。
 特に中国なんかを見ていると、教育の問題を単独で孤立的に解決するのは難しいと思うんですね。だから、きっちり縦割り主義を超えてやっていく必要があると思いますし、最後に一言申し上げますと、日本の今後の若者を育てていくと考えた場合に、自分が思っているのは、共同作業に競争原理を持ち込むこと。僕は、これしかないと思っている。
 共同作業、これ、日本人たるもの、得意分野です。ただ、共同作業に競争原理がなくなると、これは単なる堕落でしかない。これが僕が中国から日本を眺めながら、8年間考えてきたことです。
 御静聴ありがとうございました。

【三村部会長】

 ありがとうございました。
 次は金子委員、よろしくお願いいたします。社会を生き抜く力の養成ということです。

【金子委員】

 私は、この部会にも参加しておりますけれども、今日は、高等教育は今どういう問題に直面しているかということについて、基本的な問題を申し上げてみたいと思います。
 お手元に用紙をお渡ししております。この用紙に従ってお話ししたいと思います。
 日本の大学生、日本の高等教育の第1の問題は、やはり学習時間が少ないと。これは前から言われていることではありますが、しかし、ここの問題はきちんと認識しておかなければいけないだろうと思います。
 左側に学校段階別の生活時間を載せました。これは社会生活基本調査からとったんですけれども、御覧のように、小学校6年から中学3年に学習時間が上がるんですが、大学・大学院になると下がってしまう。4時間を切ってしまう。小中高、本来、逆でなければいけないと思うんですけれども、むしろ、そうではない。逆に他の、買い物、娯楽といったものが少し上がってしまうということです。
 右側は、日本の大学生、大体4万4,000人、約120大学について私どもが調査したものですけれども、1日の生活時間、寝るのとか雑用を除いて8時間ぐらいあるんですけれども、その中でどういう分布をしているかを見ているわけですが、授業に3時間弱、それから授業関連の学習で1時間、卒論等々、これで0.7時間。これらを合わせますと4.6時間で、5時間を切ってしまう。あとは読書、趣味、それからサークル、アルバイトということですけれども、しかし、学習時間を厳密に規定すれば5時間を切ってしまうということであります。
 ついでながら、先ほどの加藤さんのお話、おもしろくて、アルバイトいいんじゃないかという話でしたけれども、そういう話は日本でもかなりあるんです。ただ、これは程度問題でありまして、アルバイトをしたらどういう影響があるかを調べたんですけれども、やはり日本はやり過ぎています。一定の時間、経験はいいんですけれども、時間をかけ過ぎ。
 ただ、さっきお話を聞いていて感じたんですが、日本の若者は、大学の中であまり実感を感じられないので、アルバイトでもって社会的な実感を獲得しようというところは確かにあるんです。ただ、それは、逆に言えば、他の手段がないからとも言える。
 いずれにしても、問題は、本来は大学という教育機関は、そういったものを含めて教育しているはずなんですが、実際には、そういう時間、5時間弱しか使っていない。
 ところが、日本の大学設置基準は、4年間で124単位取ることを求めています。それは1単位、授業1時間、2時間、受講、学習時間。これを4年間でならして計算してみますと、大体1日8時間勉強していなければいけないことになると思います。実際、この制度が入ったのは、戦後アメリカから入れたんですけれども、そのときの設計は、1日8時間という設計で入っています。
 それから、最近になって、ヨーロッパからの単位互換の制度を今つくっていますが、そこでも、計算してみますと、大体1日8時間。要するにフルタイム、8時間勉強するというのが大学制度の根幹であるわけです。
 それを基準として考えてみますと、基本的にその半分の時間。日本の学生は、そういう意味では、極端に言うと、全員フルタイム学生ではない。そういう状況になっているということです。
 実はアメリカでも、学生は勉強しなくなっているという傾向は見られるのは見られるんですが、それでも、下のほうを御覧になっていただきますと、これはアメリカの最近の調査と私どもがやった調査を比べてみたものですけれども、日本ですと毎週5時間、特に授業以外に、授業に関連して行う学習時間は、毎週5時間以下というのが、日本は6割をはるかに超えるんですが、アメリカでは2割弱でありまして、非常に大きな差があることは事実であります。
 問題は、何でこういう結果になるのかということですが、世間一般には、2ページですけれども、大学が大体、全体としてさぼっているのではないかという見方もないわけではないと思いますが、これは私どもが全国の大学の教員約5,000人に聞いた調査でまとめたものですけれども、1学期間の担当コマ数は、日本の大学教員は8割ぐらい、8コマぐらい担当していまして、アメリカの大学は、普通の大学で1年間で4コマ、1学期2コマ、もっと低いところもあります。それと比べると倍以上で、授業の担当数はべらぼうに多い。
 ただ、これ、御覧になっていただいて分かりますが、その中で多いのはゼミ論文指導です。特に国公立大学では、大学院の負担は非常に多いということです。
 ところが、大学の先生がどう時間を使っているかということについて、これは文科省がやった調査の結果ですけれども、日本の先生は決してさぼっているわけではなくて、1日の労働時間、大体11時間ぐらいですから、決して低いわけではありません。ただ、教育にかける時間は3時間弱で、これは非常に低い。これはアメリカのデータは出しませんでしたが、大体5時間ぐらい1日にかけていますので、かなり少ないんですね。
 なぜ、そういうことが起きるのか。それは、かなり日本的な特質があるからだと思います。それは、ゼミや論文指導といいますか、少人数でのインフォーマルな学習に非常に大きなウエートを置く。それを非常に重要だと考えているということだと思います。
 ここでデータを出しておりませんが、日本の大学の先生に、大学教育をどういう方向で良くすべきかと聞きますと、少人数の教育で学生とのコンタクトを増やすというのが一番目なんですね。二番目が、授業をもっときちんとやる。やはり、大学の先生はそれを信じているんです。実際、いろいろな改革は提案されていますが、大学の先生というのは、やはり研究室での少人数でのインフォーマルな教育、それが卒業論文、あるいは卒業研究で完成するというプロセスが、非常にワークしている。それで、また、それが人間的にも、学術的な成長にもつながるんだという信念を持っている。
 実際、確かに、今までの日本の企業の在り方を考えてみますと、職場でもって、集団の中で知識を共有することによって生産性を上げてきたわけでありまして、そういうものとこういった考え方は対応、レスポンドしているわけです。ですから、それはある程度ワークしてきたことは事実だろうと思います。
 しかし、現実的に、結果として何がそれをもたらしているかというと、この3ページの上の方のデータでありますけれども、授業時間につきましては、左側が授業時間ですけれども、大体1日当たり、普通に典型的に10とっていますと、2.7時間ぐらい出ていなければいけないんですが、これは実際に学生は出ているわけです。授業時間については確かに出ている。授業をさぼっているということは、そんなになくなっている。
 しかし、授業の予習、復習、あるいは授業の関連の学習時間というのは、この2.7時間の倍ですから、5.3時間やっていなきゃいけないんですが、実態としては2時間切っている。人文社会系では特に1時間ちょっとぐらい。理工農系でも高いと言われていますが、しかし、それでも2時間弱です。日本の大学の非常にいいところは卒論だとおっしゃる方も多いんですが、これもならしてみますと、0.7時間ぐらいと大したことはない。総計として、基本的に自分で学習する時間が少ないという構造になっているわけです。
 こう考えてみると、日本の大学というのは、必ずしもさぼっているわけではないんですけれども、授業の数がやたらに多くて、自主的には研究室などの帰属集団においてインフォーマルな学習をするのが非常に強いといいますか、それを大事にしている。
 先ほどのお話にもありましたけれども、日本の学生というのは、やっぱり、そういう特性を持っていまして、私はアメリカの大学へ行きましたが、中国人の学生は共同して、例えばコンピューターのやり方なんか、互いで教え合うなんてことは、まずめったにやらないですが、日本人はすぐ、そういうことだと固まって、いろいろと教え合ったり、非常に、そういう意味では、集団で努力することは、たけているわけです。
 ただ、もう一方で問題は、本来は、大学教育全体としては、個々の授業できちんと基礎的な知識を教えて、修得させることという建前になっていて、そういう形でデザインされているんですが、実際には、そちらの方にはあまり教員も時間をかけていないし、学生も時間をかけていない。それが基本的な今の状況だろうと思います。
 結果として、授業の、言ってみれば密度みたいなものを考えると、密度が低い。同時に、体系的、標準的な知識を修得している、その修得の度合いが不完全である。結果として、自分が大学教育で何を達成したかという実感を持たない人が多い。それは結果として、現在の大学に対する批判にも、自分の経験からしても、つながってくるということだろうと思います。
 それと、今の加藤さんの話を聞いて大変私もおもしろかったんですが、基本的に、そういう構造だと、一定の自分が帰属する集団の中でのコミュニケーションはできるように、あるいは非常にうまく対応できるんですが、そうした集団を超えて、人と異質のものと話し合う基礎みたいなもの、あるいは、そういった自信のようなものが、どうもできない可能性がある。
 やはり、そういった意味で、今までうまくいってきたところ、あるいは日本の大学は勉強しないと言っていたけれども、それを実はカバーするところがあったことは事実ですけれども、そういう構造が、もうワークしないのではないかと思われるところはあるわけであります。
 実際、これまでもそういった観点から大学改革が行われて、GPとか、様々な取組が行われてきているわけですけれども、それなりに、私は日本の大学の先生の考え方は、ここ50年ぐらいで非常に大きく変わってきたと思いますけれども、しかし、やっぱり、今申し上げたような構造的、あるいは基本的な考え方での問題は非常に大きく残っていて、今、そういったところに対処しなければいけない時点に差しかかっているのではないかと思います。
 ただ、ここで注意しなければいけないのは、これで標準的な解決モデルはないんだと思うんですね。やっぱり個別に、いろいろと模索していくしかない。そういった意味で、一つのモデルでもって、こうやれというわけにはいかない。
 でも、問題は、この4ページですけれども、どうしたら革新を生じさせるメカニズムが形成されるかということですけれども、私は今、日本の大学について、かなりクリティカルなことを言いましたが、非常に重要だと思いますのは、逆に言えば、非常に伸びしろがある。これから、やろうと思えばやれるところがある。
 それから、産業構造が非常に大きく変化している中で、どういった新しいことをやっていけば、産業構造の変化に貢献できるのか。これは非常に考え方はあるところで、しかも私、昨日、非常に影響力のあるアメリカの人とちょっとしゃべっていましたんですが、財政的な制約の中で高等教育を変えなきゃいけないというのは、これは国際的な問題でありまして、アメリカでも相当困っていて、なかなか動かないんだそうです。逆に言えば、ここは知恵の出しどころで、政策ないし大学が動けば、日本はそれなりの新しいモデルをつくっていくことは可能ではないかと思います。
 その際に三つ重要な点があると私は思うんですが、一つは、やっぱりマクロなフィードバック。大学はどういうことをやって、それをどのように大学自身のガバナンスに戻していくのか。経営、教育に戻していくのかということが一つの問題。
 2番目は、個別大学の中でどうしたら、そういった教育革新のイニシアティブをつくっていくことができるのか。この際、非常に問題といいますか、今、非常に大きな制約になっていると思いますのは、日本の大学は、やはり学部教授会が相当大きな力を持っている。あるいは学科が力を持っている。そのために大学全体が社会的なニードに対応するというイニシアティブが働きにくい。そういった、非常に組織の根源にさかのぼる問題がある。そこをどのように変えていくのかが問題だと思います。
 3番目の問題は、社会的なニードと個別大学の変化をどのように結びつけていくのか。そういう意味で、大学教育改革の支援の組織といいますか、中間組織のようなものをつくって、大学教育の改革を促進していくということが非常に重要な時期に来ているのではないかなと思います。
 そういった点を、教育振興基本計画を考える際に、ぜひ入れていただければと思います。私の話は以上でございます。

【三村部会長】

 ありがとうございました。
 それでは、質問セッションに入ります。一番最初に田村委員から、よろしくお願いします。
 お答えは、委員の質問が終わってから一括して、それぞれお願いいたします。どうぞ。

【田村委員】

 ありがとうございます。大変いいお話をお伺いさせていただきました。
 二つございまして、一つは加藤さん、それからもう一つは金子先生ということなんですが、加藤さんにお伺いしたかったのは、あなたにとって日本での小中高教育というのはどんな意味があったか。何かお感じになっていることがあれば、できるだけ具体的にお答えいただければ大変ありがたいと思います。お話には感激しました。ありがとうございました。
 それから金子先生にお伺いしたかったのは、大学入試をどういう形であるべきなんだろうかということについての御所見をお伺いできればと思います。よろしくお願いいたします。

【三村部会長】

 ありがとうございます。
 次、篠原委員、よろしくお願いします。

【篠原委員】

 加藤さんのお話、なかなかリアルで、やっぱりメディアの中でもまれているだけあって、非常にわかりやすい話、ありがとうございました。
 そこで、加藤さんに2点ばかりお伺いしたいんですが、一つは、中国の教育現場に今いらっしゃるということで、先ほど中国の教育のことをお話しいただいたんですが、中国共産党という存在が中国の教育政策にどういう影響を与えているのか。それをどう御覧になっているかということですね。
 私は常日頃から、いろいろ問題はありながらも、国家の指導者を育成していくという機能が、中国共産党が担っているという認識を持っているんですね。日本のように、ぽっと出の政治家なんていうのはほとんど出てこなくて、大変きちんとした教育がなされ、エリートがつくられて、その中から、もう次、次の次という候補者群が生まれて、非常にそういう面では、指導者を中心とした統治機構というものがしっかりしているという印象を持っています。これは中国共産党の役割が非常に大きいと思うんですけれども、それが隅々の教育に今どういう影響を与えて、どういう流れで、そういう人たちが養成されていっているのかということについて、もしお感じになっているところがあったら教えていただきたい。
 それから、もう一点は、先ほど、1年ぐらい老人ホームでの経験を日本の若い人たちもしたらどうだというお話がありましたけれども、今、東大を中心に、秋入学という流れがございますね。例えば4月に受験が終わって、秋まで半年。これを、そういう何かボランティア的なものに活用させる、あるいはグローバル人材を取り込むということが秋入学の最大のねらいだそうですけれども、たまたま半年間あくのならば、そういう形で活用していくのもいいのかなと思いますけれども、その辺はどうお考えですか。
 その2点、ちょっと教えていただきたい。

【三村部会長】

 はい、分かりました。
 次、森委員、よろしくお願いします。

【森委員】

 私自身も、12年前になりますけれども、中国に2年間いました。加藤さんのお話、よく分かります。全部腑に落ちます。
 それで、帰ってきまして、長岡市の教育は、熱中!感動!夢づくりということを目標に掲げております。この意味は、最後は志とか意欲をどう育てるかが決め手だという考え方で、先生方と十分議論をして、熱中したり感動できる体験学習を強化しようと、こういうことです。それは、どういうことかというと、そういう教育を通じて、生きていく意味とか、何か頑張る意味とか、あるいは将来の夢を持つ、肯定感を持つということを掲げておりまして、そこのところは多分、一致しているんだろうと思うんです。
 そこで質問ですけれども、老人ホームに1年間というのは私はいいと思いますが、長岡市は、むしろ自主的に熱中したり感動するという、つまり楽しくやるということをかなり重視していまして。僕は二つともあると思うんで、老人ホームとおっしゃったときに、見返りをきちんとおっしゃったというのは、そういう意味だと思うんですが、つまり、楽しくやることも必要ではないかということについて、どうお考えなのか。
 それから、一つ申し上げてみると、最近、脳科学者の茂木健一郎さんがお見えになりまして、人間というのは感動するたびに脳が育つとはっきりおっしゃいました。処理できない情報が脳に入ることで感動する。そのことによって脳が育つということをおっしゃって。
 それから、金子先生のことは、同じ文脈なんですが、大学でなぜ勉強しないかというのは、大学だけの問題ではなくて、中学、高校時代に十分遊んでいなかったということが一つ。もう一つは、目的意識がしっかりしていない。大学に入ることが目的なので、そういう学生が勉強するわけないというのが、私の結論からいくと、そうなので。大学に入ってステータスを得ることが目的の人がいっぱい行っているから学習時間が少ないというような気がします。
 そうすると、先ほどの御質問にもありましたけれども、私はやっぱり人生に肯定感を持ったり、ある目的を持ったりした子供さん、若者を企業がまず、そういう人を採用する。今、もう私は始まっていると思いますけれども、長岡市は絶対に協調性のない人間は採用しません。ある種の目的を持った人間しか採用しませんけれども、まず企業が、そういう人間しか採用しないということをはっきり言って、大学入試も、学力だけじゃなくて、そういう、もっと教養とか人格的なことを重視して入試をするようにしたらいいんじゃないかというのが私の意見であります。そうすると、ずっと川下まで変わっていくような気がいたしますけれども。とにかく遊びとかそういうことを犠牲にして、勉強だけやって育った子供が一流大学の資格を得て、その人が幸せにならないということを。なる人もいますけれども。なるわけじゃないということを徹底的に日本の社会の中でやっていくべきではないかというのが私の意見。そのためには入試を変える必要があると思っていますけれども、そのことについて、どう思われるかということを質問したいと思います。

【三村部会長】

 ありがとうございました。
 あと何人か立てておられますが、これで質問は、今立てておられる方で打ち切りにしたいと思います。
 次は國井委員、よろしくお願いします。

【國井委員】

 ありがとうございます。
 まず最初の質問は加藤さんになんですけれども、大変感動的なお話、ありがとうございました。本当に日本に居場所のない人材が、能力を日本の中で発揮できず、一方で、企業ではイノベーティブな人材を非常に求めています。多様性のある教育、多様な人が全て健全な教育を受けられる環境をつくっていく必要があると思うんですけれども、老人ホーム等々で働くという話については、それは、どちらかというと教育が終了する頃の話だと思います。
 今の義務教育なり、あるいは高等教育の中で、多様性を発展させるような教育について、何かサジェスチョンがございますかというのが一つ目の質問です。
 それからもう一つは、金子先生の方ですけれども、日本の大学での先生方の教育時間というのは海外と比較して、米国と比較して少ないというお話がありました。実際そうだと思うんですけれども、少人数での卒論とかの教育で、ある程度カバーされているという点については、その先生の御専門の中の話だけです。米国では、きっちりと、一つ一つの科目について、先生がオフィスアワーを設けてアポイントメントなしで質問や議論ができて、1コースに関する教育の中身が非常に濃いのです。自分の経験なんですけれども、日本の大学と米国の大学で教育を受けましたけれども、そこが違います。日本でももっと中味の濃い教育をしていく必要があるんですけれども、最後は先生方の評価の仕方次第だと思うんですね。
 先生の教育に対してかけている時間なり、教え方等が評価されないと、回っていかないと思いますので、それに関して、どのようになさっていこうとされているのか、お伺いしたいと思います。
 以上です。

【三村部会長】

 ありがとうございました。
 相川委員、よろしくお願いします。

【相川委員】

 私から加藤さんに質問というか、聞きたいことがありまして。私ども日本PTAは、毎年120名ほど中学生を北京の附属中学校に連れていって交流をさせているんですね。それで、集まった中学生は二、三日のうちに子供たちが溶け込み、北京に行って、自由に交流をするのですが、中国側から言われたことは、これはどのようにして選抜をしてくるのですかという質問をされたんです。私どもは全国の都道府県から2名ずつ適当に参加者を募ってくると説明しました。向こうの生徒は、よりすぐった生徒と交流させるようですから、おそらく、そういう疑問があったと思うんです。
 それで、教育の話から、日本人はすぐ協調性を持って非常に明るく行動する。そういう話になったんですが、向こうでは個人主義、利己主義が進み過ぎて、一人っ子政策などで、家族との関係、友達同士、なかなか溶け込めないということがあり、これから問題になってくるという話をされていました。それについての教育は今、中国ではどのように進めていますか。人間関係の問題ですね。

【三村部会長】

 ありがとうございました。
 最後の質問になりますが、白波瀬委員、よろしくお願いします。

【白波瀬委員】

 ありがとうございます。お一人ずつに一つずつ質問させてください。
 加藤さんのお話、とてもおもしろかったし感動しました。ありがとうございます。
 最後の点で、共同作業に競争原理が必要だと思うということで締めくくられたんですけれども、私はどちらも大切だけれども、究極的には両立し得ないと思っているところがあります。だから、具体的に、その二つの相異なる概念というか方向性を、これからのグローバルな時代における若者なり子供たちの育成を考えた場合、どういうやり方が望ましいと思われているのか、というのが質問です。
 次に金子先生に質問があります。日本の大学生の勉強時間が少ないという点ですが、アメリカの大学ですと、授業においてかなりホームワークというか課題が出されて、授業の評価についても事前に学生たちに周知されるのが一般です。つまり日本とアメリカの大学を比べた場合、カリキュラムの内容をはじめ評価の在り方についても違いがあるのではないかと考えます。それで今、評価というお話もあったんですけれども、大学での評価が、次なる自分の将来に向けたステップに直結するところがアメリカの大学にはあって、授業への取組や評価が緻密に体系づけられた教育体制が一方にあります。他方で、ヨーロッパ型というか、イギリスでは指導教員と一対一、あるいはかなり少人数制のゼミ形式で指導が行われているところもあります。そこでは二つの方向性があって、大規模的に平均値を上げるというところでやるか、少数精鋭的に何年かに一回の傑出した学生を育てていくといった方向性があると思います。かなり極端な比較であると思いますがこれからの日本の高等教育ということになると、ある程度大量生産型で標準化された高等教育を目指すべきなのでしょうか。このあたりのお考えを伺いたいと思います。
 以上です。

【三村部会長】

 ありがとうございました。十分な質問量だと思いますので、金子委員から最初にお答えいただきたいと思います。

【金子委員】

 ありがとうございます。
 まず教員の評価ということですが、これは、やはり、ある程度必要なんだろうと思いますが、これはどこでも非常に苦労していまして、特に教育面に関しては非常に難しい。それは、やはり、教員のかなり自主的な努力が非常に重要だと思います。
 さっき私が申し上げていたのは、日本の大学教育自体を、少し考えをシフトしなければいけないのに、そのシフトがないままに努力していて、私は大学教員の努力が足りないとは必ずしも思わないんですが、それをもう一回考え直すというきっかけが欠けている。そういったことをつくるメカニズムをつくっていくことが必要だというのが私の考え方です。
 それから、入試の考え方についてですけれども、これまで入試というのは、日本の大学教育というと、すぐ入試の問題に直結してしまいました。それは特に、よりよい入試があるのかという議論になってしまうんですが、私は、よりよい入試などというものはなくて、大学は、自分が必要だと思う人材についての基準を示す。その基準というのは少し、大学によってある程度違ってもいいんだろうと思います。
 ただ、問題は、むしろ今、非常に大きな問題だと私は思いますのは、大学入試が非常に細分化されて行われているということです。学部、あるいは学科、ひどいところはコース。しかも、非常に違う仕組みの入試を何回もやって、非常にメカニカルな面からいえば、大学の先生の労働力。先ほどグラフをお示ししましたが、かなりの部分は、特に私立大学は入試で使われているんですね。1年中やっているようなものです。それは非常に錯綜してしまったために、非常に大きなコストが今かかるようになっている。
 もう一つ、しかし、もっと根源的なのは、高校生が、今の社会で18歳の段階で、自分が将来、何をするのか決められるかということです。先ほど、わからないやつが大学に来るのはおかしいというお話がありましたが、私は、それは今の社会がそうだと思うんですね。大人だって、大学卒業して、どういう仕事なのか、よくわかりません。話を聞いて、ちょっと名前を聞いただけで。その仕事がどんどん変わっていきます。それについて明確な意識、目的を大学入学の時点で持つことは難しい。これは私は、むしろ当然だろうと思います。
 日本の大学の学生に聞きますと、卒業生のうち、卒業したら何をするのか考えありますかと聞きますと、大体4割ぐらいは、ないと言います。これ、唯一例外は、保健関係なんですね。保健関係に進む人と教育関係、これはかなり将来のイメージがあるという特別なグループなんですが、それは全体の1割ぐらいしかありません。あとの人たちは、むしろ大学の中に入ってから考える。要するに、そういう人たちに、何を今度は将来やって、それがどういう意味があるのかということを考えてもらうような教育を大学でやる。今、そういう時代なのだろうと思います。
 それから、これは、先ほどの高校のお話がありましたが、高校との接続、関係も非常に大きくて、高校卒業の段階で、いくらキャリア指導をやっても、非常に明確に、具体的に、どの学科に行けといったことは言えないのは当然であって、そういった意味では、私は間口をもっと広げるというのが非常に重要な課題だと思うのですが、なぜそれができないかといえば、やはり大学の教授会というものが、下からの積み上げでできていますから、そういったことを統合するような力を決定をしにくい。これは率直に言って、私は、ここのところは今までタブーといいますか、あまりいじりたくなかった部分ではありますけれども、やはり、今の大学教育全体の在り方から見て、下からの積み上げの学部教授会の決定のみでもって大学教育課程、あるいは入試といったものを決めることはできるのかということは考えなければいけないと思います。
 非常に多くの場合、やっぱり、それぞれの専門科目が自分たちの教員数、学生数を確保するという、そういったインセンティブによって入試の窓口を決めている。そういう力学がどうしても働いているということは否定できないと思うんですね。そういう意味で、そこのところは、やはり大学の自省も非常に必要だろうと思います。
 それから、先ほどの二つのパターンというお話でしたけれども、日本の大学は、形式的には、もう大衆化しちゃったんです。戦後すぐ、大衆化モデルをとってしまったわけです。しかし、内心では、やはり、信念を持っている。それは、先ほどもおっしゃられた調査とか、授業の出し方にあらわれているんだと思うんですが、私は、その大衆型の中で、しかも、やはり自分で探求するといいますか、そういうプロセスを入れていく。それによって、開かれた社会の中で、みずから進んでいろんなことを経験しつつ、視野を広げていくような教育を探求していくということは、これからの課題ではないかなと思います。
 以上です。

【三村部会長】

 ありがとうございました。
 加藤委員、よろしくお願いします。

【北京大学研究員・加藤嘉一氏】

 御質問ありがとうございます。質問七つあったと思うんですけれども、簡潔にお答えします。
 日本での小中高教育、田村先生だと思うんですけれども、自分にとってどういうものだったか。これは基礎だと思うんです。僕は駅伝をやっていました。基本的な60分ジョックができない人間がインターバルトレーニングしても、故障して終わるわけですね。ですから、基礎トレーニングという意味で、端的に申し上げれば、息苦しかったけれども充実していたと、そういう時期だと思います。
 本当に僕、常に物事を主張して、加藤嘉一だから、KYで空気読まないというあれなのかもしれないんですけれども、その息苦しさが、逆に本当にばねになったというか。もがいたという意味では、本当に基礎づくりになったし、大きな経験値もらったなという意味で、両親に感謝しているし、逆に言えば、あのときの経験があったから、中国に行って、本当に公に言えないようなことばかりですけれども、何とかやってこれたし、中国での経験が、最近、日本でいろんな方と、有識者と議論する中で、逆に生きているなということで、本当に歴史は1本の糸でつながっているなということを今、実感しています。
 二つ目ですけれども、中国共産党の教育の影響ですね。僕も、これは決定的だと思うんですね。もちろん日本と中国はシステムは違いますし、今、中国は、まさに勢いで、乗り乗りの状況だと思うので、いろんな矛盾がカモフラージュされている。ただ、よく中国の人と議論するのは、日本は民主主義国家で、民主主義のというシステムの中で、表向きは政治を志す人間が、基本的には非常にバランス感覚にとれていて、人格がすばらしくて、我々が選んだ人間なんだから尊敬してしかるべきだとよく質問されるんですけれども。ただ、よく中国の人たちは、日本人は総理大臣のこと、ばかだと思っていないかと聞いてくる。思っている人、少なくないかなと僕は特に帰ってきて感じるんですけれども。
 じゃあ、逆に中国を見た場合に、中国の胡錦濤さんは、国民が選んだわけじゃないですよね。国民が選んだわけじゃないけれども、先ほど私が申し上げた、いろんな国情とか、いろんな状況がある中で、だれも彼のことをばかなんて思っていない。おそらく中国共産党は、中華人民共和国株式会社みたいな感じなんですね。国家主席は日本でいう事務次官です。人脈とか、背景とか、処世術とか、能力とか、いろんな要素がある中で、それでも最後に残った人、すなわちバランス感覚のある人という人が胡錦濤さんなんですね。僕も胡錦濤さんにいろいろお世話になっているんですけれども、非常にバランス感覚のとれた、そつのない、すきのないテクノクラートというイメージです。
 ああいった人間が上に行くようなシステムになっているという意味では、共産党としてのガバナンス、統治機構としては成熟しているんだと思います。ただ、それは、今、中国共産党がガバナンス力、GDP、成長、そういったところを共産党の正当性というか、合法性にしているからであって、仮に、歴史的に見た場合に、そうじゃなくなったときに、どうなるんですかという部分はまた問題だと思います。一方で、先ほど申し上げた移民ブームの問題がある。ポジティブな移民ではなくて、ネガティブな移民です。お国の体制に嫌気が差して、こんなところじゃメリトクラシーで公平に評価されないから出ていってしまうとかいう人間。エリートが政治を志さなくなっている。この辺は日本と一緒だと思うんですけれども、ゴールドマン・サックスとか、マッキンゼーとか、ああいったところに行くという人間は僕の周りには非常に多い。共産党の現在のエリートを育成して、生かして、少なくとも国民を納得させるというシステムが、これからきっちり続いていくのかというところに対しては疑問視しています。
 三つ目ですけれども、東大を中心に今、秋入学というのがなされていると。ボランティア的なものに力を入れる、グローバル人材を育成するためとあると思うんですけれども、制度として必要だと思います。
 例えば北京大学で、バイリンガル、トリリンガルで優秀な後輩とか、いるんですけれども、僕が最初、北京に行ったころの2003年とか、完全に日本企業から無視されていたんですね。僕から見れば、特に商社とか製造業に関しては、これだけ言葉ができて、いろんなバックグラウンド持って、人脈持っているのに、日本の株式会社が紙くずのようにしか思われないわけですね、ただ2005年ぐらいから変わってきたなと感じています。
 制度と観念ということだと思うんですけれども、制度設計の段階で遅れているようじゃだめです。秋入学とか、時期を遅らせるとか、採用の幅を広げるとか、できることをやらないと話にならない。制度設計というのは、観念の成熟より先に行くべきだと思うんですね。観念とか国民性というのは、なかなかついてこないというのは僕も感じています。
 最近、日本によく来ることもあって、小学校時代に比べれば、何か自分、丸くなったかもしれないんですけれども、受け入れられているなという感じはあります。制度設計も含めて、もう少し幅を持たせてやっていったらいいんじゃないかなと思います。「忍」と書くように、日本人は忍耐性のある国民性だし、もっと思い切ってトップダウンでやったらいいんじゃないかなというのは思っています。
 四つ目として、長岡市の件ですけれども、「もしドラ」ってあるじゃないですか。「もし高校野球の女子マネジャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本。去年、日本で一番売れたと思うんですけれども、最近、僕はそれを中国語に訳して、台湾と中国で出版しました。中国じゃなかなか売れないかなと思ったんですが、なかなか売れていて、まさにあれって感動だと思うんです。甲子園というプラットフォームがある。何で甲子園という、たかだか高校野球に、企業も、スポンサーも、政府や、ああやってサポートして、NHKが生中継で放送するのか。やっぱり社会全体が「感動」を求めているからです。もしドラが去年、日本でベストセラーになった。僕思うんですけれども、ああいう本が売れるということは、やっぱり日本という社会がそういったものを欲しているということだと思うんですね。
 自主的に楽しくやるもの。確かに楽しいというのも必要だと思うんですけれども、ただ、僕が北京に行って感じたことは、僕がなぜボランティアというか、楽しさよりも、ちょっとした締めつけとか、義務というか、ミッションにこだわるのかというと、やっぱり今の日本人に一番必要なのは多分、自信だと思うんですね。何で自信が欲しいかと考えた場合、やっぱり人間は自由になりたいわけです。じゃあ、自信が欲しい、自由になりたい、だったら自律しろという話ですよ。己を律するということを教育環境の中で、家庭でも、社会でも、学校でも感じられない、それでも楽しさを求める。そんなの、僕からしたら間違っています。おまえ何様だという話です。それがグローバル社会の常識です。
 日本人はミッションに適応する能力を持っていると思います。それなりの締めつけの中でやっていけると思う。国民の間できっちりコンセンサスもとれると思う。日本企業だって、そういう環境の中でやってきたわけですから。
 と思うので、僕は自律、自信、自由、三つの自を合い言葉にやっていくべきだなと思っています。
 五つ目ですけれども、多様性のある教育と居場所がないという一方でイノベーティブな人材を欲している。小中高の中で多様性を育めるようなサジェスチョンということですけれども、僕は中国とか韓国、いろんな教育現場を見てきて、これから制度的に思い切りがーんとひっくり返すようなシステムをつくるのは難しいと思いますしその必要はないと思います。
 僕が非常に問題だと思うのは世論です。社会的な教育が問題だと思う。視聴率とか、新聞1,000万、いいかもしれないけれども、1,000万売れているということを、逆にネガティブに見た場合には、1,000万人に売れる新聞しかつくれないということです。1,000万人をとる一方で何を犠牲にしてきたかという話ですよね。イギリスの『エコノミスト』みたいな、ああいったエリート向けのミドルなメディアで、それでも100万部売っている媒体だって世界にはあるわけです。
 世論づくり、社会的な教育を通じて多様性を小中高の中にも浸透させていくことができないかと考えています。家庭は難しいかもしれないですね。少子高齢化の問題もあると思うので。
 学校としては、それなりの選択肢といえば、少なくとも僕が小中高時代に、もう少し求めていたのが選択肢ですね。例えば僕、山梨学院大学附属中学高校の出身で、当時、特進科というところで、一応、大学受験を目指すところにいたんですけれども、そもそも、なぜかわからないんですけれども、特進科の人間は強化部に入れないという慣習があった。これは僕がぶっ壊すしかないと思い、自分が率先して取り組んだ。だれかがそうやってやれば、みんな続くんです、後輩も続いていますよ。当時、我々は、少なくとも山梨学院大学附属高校特進科では、勉強かスポーツかという、まさに儒教の精神に完全に反するような、こういった意味不明な慣習が蔓延していた。ルールじゃないんです。空気なんです。僕は後輩のためにも、あの環境のなかで命がけで文武両道を心掛けた。があっとやって、僕は結局つぶれましたけれども。ただ、僕がつぶれたおかげで、犠牲者が減ったわけです。
 異端児にチャンスを与えられる、希望を持たせられる選択肢。僕はたまたま理解者がいたから何とかなったと思うんですけれども、そういった選択肢を少しずつ増やしていくというのが現場の役割かなと思っています。
 六つ目ですけれども、PTAのお話で、中国では個人主義が行き過ぎていると。僕は全くそのとおりだと思うんですね。少なくとも教育の現場、あるいは社会教育も含めて、問題視はされていますね。問題視されているというところでスタートラインには立ったのかなと思っています。
 確かに中国の学生って、そもそも弱肉強食で、自分の喜び、自分が得た知識みたいなものを相手と共有することによって一緒に頑張っていこうという文化は乏しいですね。生きるか死ぬかの戦場ですから。個人主義、競争主義、あるいは悪い意味でのプラグマティズムがはびこるというのは、ある意味、相当の程度で国情というか、今の発展という成長の環境の影響を受けていると思うんです。自殺も横行しています。北京大学でもこの間、新入生が自殺しようとしたりして、大きな問題になりました。中国は、何といっても儒教とか道教とかに根源を持つ国ですから、やっぱり最後は、みんな一生懸命、みんなで一緒にやろうよと、そういった回帰の動きがこれから出てくるのかなと思うので、そういったところに日本はコミットしていくべきですね。中国と1,000年以上の交流の歴史を持つ国として、和の精神とか、つなぐとか、助け合いとか、相互扶助とか、我々が古代において中国から取り入れたようなところをオールジャパンで中国に発信していく。発信していく中で自信を深めていく必要があると思う。
 僕は、日本人に今必要なのは、共感力、結束力、発信力だと思います。共感して結束して発信する。そういった中で自信を育めると思っています。
 七つ目、最後ですけれども、共同作業と競争原理は矛盾する、両立し得ないと。僕は、社会は矛盾の中でしか発展しないと思います。これは原則問題です。やっぱりグローバリゼーションと多様化だって、そもそも矛盾する関係にあって、でも、これは矛盾すると言っていたら始まらないし、逆に、今、最近、僕は結構、中国のナショナリズムも含めて、研究しているんですけれども、当時、愛国主義と国際主義は矛盾しない、結合するんだということを毛沢東さん言っていますけれども、おそらく日本人だけで共同作業すると今みたいになってしまう。ただ、競争原理だけを持ち込もうとすると、おそらく日本人の国民性に合わないという中で、僕は外圧を使うしかないと思う。だから、僕は外交と教育だと言っているんです。外圧をうまく使う。
 その例として、最後、個人的な宣伝になっちゃうんですけれども、京論壇という、北京大学と東京大学の選抜した学生が、今年6回目になりますが、僕はファウンダーなんですけれども、合宿を通じて、英語で、毎年北京と東京を往復して徹底議論し合うというプラットフォームを立ち上げました。幾つかセッションはあるんですけれども、安全保障とか、ナショナルイメージとか、食の安全、企業協力、環境問題、歴史認識など毎年変わるんですけれども。各大学15人の選抜で、スタッフ入れれば双方で60人ぐらいなんですけれども、北京に1週間、東京に1週間。同じプログラムを組んで、英語でやるというものです。実践を大切にします。フィールドワークに行きます。最終報告会を東京でやります。
 双方の学生に発見があるんです。東京大学の学生は、「自分たちは甘んじていた、民主主義の国にいて、自由な国にいるにもかかわらず、中国人のほうが情報に通じている。世の中のことを知っている。そもそも英語力が全然違う。プレゼン能力が違う」と自己反省する。北京大学の学生は確かにすごいんです。意識も高い。東京大学の学生は、自分たちは何やっていたんだと思うわけですね。一方で、北京大学の学生に話を聞いてみる。合宿中も、彼らは自分のミッションが終わって、あしたの準備ができれば、みんな帰って遊びに行っちゃうわけですよ。東京大学の学生は、一人が終わっていなければみんなで最後まで徹夜するわけです、チームワークの精神で。こういったところを見て、中学の学生も感動するんです。新しい発見なんです。この発見はおそらく国境を越えないと何もないですよね。
 国民国家というシステムが依然続いている。僕は日本を愛している、国境を越えると尚感じる。日本人は国内では、政府がどうのこうのと批判しているけれども、外国人に言われたら腹が立つわけです。これは愛国心です。
 京論壇では、国境を越えて、中国人、日本人という中で、英語という第三者的言語を使って交流しているんですけれども、競い合う中で生まれるお互いの愛国心、「こんちくしょう」というスピリッツ。これは健全なナショナリズムじゃないでしょうか。共同作業に競争原理を持ち込んだからこそ生まれる精神です。
 共同作業と競争原理は矛盾しないと確信しています。むしろ相互補完的な関係です。日本の内情を変えるために、外圧をうまく使いたい。そこには外交と教育の相互の力が不可欠なんです。
 御静聴ありがとうございました。

【三村部会長】

 どうもありがとうございました。
 このヒアリングの前と後とでは随分、我々も利口になったと思います。本当にありがとうございました。エキサイティングな時間を与えていただきました。
 それでは、次回も有識者の皆さんからのヒアリングを行い、引き続き論点の洗い出し、論点の深堀りをしてまいりたいと思います。お二人とも、ありがとうございました。
 最後に今後の日程、よろしくお願いいたします。

【森友教育改革推進室長】

 次回の日程でございます。資料5でございますけれども、10月20日木曜日の15時から18時で、会場はこの会場になります。
 今回に引き続き、有識者からのヒアリングの2回目ということでございます。よろしくお願いいたします。

【三村部会長】

 それでは、この会、これで終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

── 了 ──

お問合せ先

生涯学習政策局政策課

-- 登録:平成23年12月 --