| 1. | 日 時 平成15年3月3日(月) 14:00〜17:00 | ||||||||||
| 2. | 場 所 グランドアーク半蔵門「華」(3階) | ||||||||||
| 3. | 議 題 教育基本法及び教育振興基本計画について | ||||||||||
| 4. | 配付資料
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| 5. | 出席者
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| 6. | 議 事 |
| ○ | 鳥居部会長 ただいまから中央教育審議会の基本問題部会、第28回を開催させていただきます。 お忙しいところを御参集賜りましてありがとうございます。 今日は、前回の資料で「第1章」と「第3章」について御審議いただきまして、これについて委員の皆様からたくさんの御意見を御提出いただきましたので、その問題を扱うことにします。まず、御意見を賜りましたことに、心から御礼を申し上げます。 それから、今日は「第1章」「第3章」だけではなくて、「第2章」についても審議をしていただきたいと思っております。 時間を3時間とってございますので、まず最初の30分ほどは「第1章」、つまり教育基本法について、また、教育振興基本計画について、両者にまたがる基本的な理念について記述したものが「第1章」でございます。これについて、最初にまず御審議をいただきたいと思います。 それから、「第3章」も前回御審議をいただきましたが、後ほどお願いしたいと思っています。 先ほどの繰り返しになりますが、「第2章」が教育基本法の改正の考え方について、あるいは在り方について書いたものでございますが、これを今日は十分時間をかけて御審議いただきたいと思っております。 それでは、「第1章 教育の課題と今後の教育の基本的方向について」につきまして、意見交換をお願いしたいと思います。実はこの「第1章」は、前回、文章の推敲等、副会長の木村先生と私とでお預かりいたしまして、十分検討いたしまして、文章そのものは推敲させていただきました。ただし、骨抜きにしたところは全くないつもりです。大事なところは全部入っております。そして、冗長であったところ、あるいは文章上もう少し上等な表現はないかというところにつきまして直してきたつもりであります。まだ上等でないという御意見がありましたら、ぜひお聞かせをいただければ幸いでございます。 最初に、事務局から簡単に「第1章」について御説明をお願いいたします。 |
| ○ | 事務局 お手元に配付させていただきました資料1と参考1の二つの資料を御覧いただければと思います。 最初に、参考1につきましては、2月10日に鳥居会長から御提案をいただきまして、委員の方々に御了解をいただきました、最終的な答申の取りまとめに向けての大きな方向性を記したものになります。この参考1に基づきまして、できるだけ簡潔でわかりやすいものということで、資料1を取りまとめさせていただいてございます。中間報告は全体で50ページほどございましたけれども、今回の取りまとめ素案は28ページという構成で、少し簡潔化を図っているところでございます。 最初に、「第1章」について御説明をさせていただきます。今、鳥居会長からお話がございましたように、「第1章」を中心に9名の委員の方々から文書で御意見をいただきました。それを前回の資料に反映させていただいて修文を図ってございます。 「第1章」の1ページ目を御覧いただきたいと思いますが、1ページ目につきましては、中間報告では「序章」と、「第1章」で、「教育の現状と課題」、そして「21世紀の教育が目指すもの」という構成でございました。それらを一つの章に取りまとめて、5ページという構成になってございます。 そして、「1」番の「教育の現状と課題」は、中間報告では「(1)」で「我が国社会と教育の危機」、「(2)」で「教育理念までさかのぼった見直しの必要性」という形で構成されておりましたけれども、それらを「1」番にまとめてございます。 1ページ目の最初の「○」が戦後教育の展開、二つ目の「○」で我が国社会の危機を中心に、そして三つ目の「○」では教育の危機的な状況について御説明いただくという構造になってございます。 「第1章」につきましては、文書でいただきました御意見で、大きな点で2点ございまして、本日はその2点につきまして中心的に「第1章」について御議論いただければと考えてございます。 2ページ目の二つ目の「○」のところを御覧いただければと思います。複数の委員の方々から、教育基本法が教育危機の原因であるかのように読める面がある。教育の荒廃は世界各国に共通する現象であって、教育危機が教育基本法に起因するという証拠はないのではないかという点でありますとか、同じような趣旨で、今日の危機を招いたのが教育基本法の理念が不十分であったからなのか、法の理念がしっかり生かされていなかったのかという疑問に、はっきり分かるように記述してはどうかという形で御意見をいただいたところでございます。 2ページ目の二つ目の「○」のところでは、2行目の後段あたりからですが、教育基本法に定める普遍的な理念は大切にしつつ、今日的な視点から教育の在り方を根本までさかのぼって、今後目指すべき理念を再構築することが必要と考えるということで、教育基本法の普遍的な理念は大切にしながらも、今後の教育の在り方、特に後ほど五つの教育の目標を掲げていただいておりますけれども、それを実現するという観点から、今後目指すべき理念を再構築するという形で、教育基本法見直しの必要性を謳うという形の案とさせていただいておりますので、この点をまた重点的に御議論いただければと存じます。 2ページ目の最後のほうからは、大きな「2」番で「21世紀の教育が目指すもの」という構成になってございます。 3ページ目の前半部分につきましても、複数の委員の方々から御意見をいただきました。3ページ目の後段から「 3ページ目の四つ目の「○」のところでは、上からずっと不易・流行の話でありますとか、3ページ目の二つ目の「○」は、今回新たに書面でいただいた意見を踏まえて追加したものでありますが、四つ目の「○」のところを読まさせていただきますと、「本審議会は、教育の実現すべき普遍的な価値を再認識しつつ、新しい時代の大きな変化の潮流の中で、それぞれの多様な個性や特性を生かしつつ、人格の完成を目指し、国家や社会の責任ある形成者として新しい時代を担う個人を育成する観点から、以下の5つをこれからの教育の目標として提示し、『21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成』と集約することとしたい。」ということで、文章としては、それぞれ多様な個性や特性を生かしつつという形で、一人の人間の中でこの五つの目標を達成するという誤解のないようにということで工夫してみたところでございます。 3ページ目から、その五つの目標につきましては、中間報告と基本的に同じ趣旨で、少し簡潔にしたという文章形式になってございます。 4ページ目の「 5ページ目の「目標実現のための課題」は、中間報告とほぼ同じような文章となっております。 この「第1章」につきましては、先ほど申し上げました2ページの前半の教育の危機の原因が教育基本法と(の関係で)どのようにきちんと整理されているのか、それから3ページ前半の五つの目標は、すべて一人の人間の中で達成するというような誤解のないように十分配慮した記述となるようにと、その2点が複数の委員の方から御意見をいただいたところで、その辺をまた十分御議論いただければと存じます。 以上でございます。 |
| ○ | 鳥居部会長 それでは、「第1章」は1ページから5ページまでですが、修文の過程でもう少し短くできるかなと思ったのですが、4ページまで押し込めるとかなり無理があるように思いまして、このぐらいの長さになってきました。そして、今、説明していただきました2点を中心に、皆様からの御意見を踏まえて書き換えをしたところがございます。 いかがでしょうか、この点についてまず御意見を出していただければと思います。 たびたびいろいろな方から私も質問を受けて戸惑うところですが、「教育基本法が悪いから、日本の教育問題が起こっている。だから教育基本法を直すんですね」と決めつけられる質問が非常に多いのですが、そうではないと思います。教育基本法そのものが法律として不備である、あるいは時代が変わったので直さなければならない。新しい時代に向けて直さなければならないというところを、まず私たちは中心に考えるべきだと思いますということを、たびたび御説明してきたところです。 ちなみに、後ほど「第2章」でいろいろなところをあたっていただくとわかりますけれども、「何にも書いていないことがありましたね」とか、あるいは「ほんとにあっさりとしか書いてないところがありますね」というところを直しておかないと、法律としておかしいのではないかということをむしろ重視して考えてきて、また、ここでも議論してきたと思います。そんなわけで、「第2章」の第2文節は、このような形でそのことを多少でもわかっていただけるようにするという趣旨なのですが、いかがでしょうか。 |
| ○ | 山本委員 2ページの二つ目の「○」ですけれども、全体的によく整理してくださっていると思いますが、事務局から説明があったように、2行目からは「普遍的な理念は大切」にしながら、「教育の在り方を根本までさかのぼって、今後目指すべき理念を再構築」とあります。ところが、頭のほうは「普遍的な理念」と言っているのですが、後ろのほうは「今後目指すべき理念」と言って、その前に何もないのです。 そこがわかりにくいので、結局、会長からお話があった、これからということでいきますと、何が欠けているのかというか、今必要なものは何かといえば、普遍的な理念は入っているわけですから、今一番欲しいというか、これから欲しいのは、変化に対応して新しい道を開く人間の育成だと思うのです。変化のことというのは従来の基本法に入っていないのです。普遍的な理念だけしか入っていないのです。 ところが、これからは変化の激しい時代です。したがって、この「今後目指すべき」の前に、例えばですけれども「変化に対応し、新しい道を開く人間の育成のために、今後目指すべき理念を再構築する」とか、理念再構築は何のためだということがあってもいいのではないかと思います。それが1点です。 ついでに、それに関連することで言わせていただきますと、1ページですが、この前、会長からも格調高くというお話がありました。1ページの「1」の最初の「○」は、これで結構だと思いますが、最初の「○」の次に、2ページの今問題にしているところの次の「○」をここへ持ってきてはどうか。2ページの次の「○」というのは、「現在、我が国社会の再構築に向けて、……」という「○」です。これはレベルからすれば、同じようなレベルですので、先ほどの1ページの一番最初の「○」の次に持ってくると、次元は合うのです。 1ページの二つ目の「○」の「教育基本法は、制定から55年が経過したが、」というのがございます。その二つ目の「○」の最初の段落はそこでいいのですが、その次の「今日、我が国社会は大きな危機に直面していると言わざるを得ない。」というところから、その次の「○」全部について、これは現在の教育の危機のことを言っています。教育の危機というのはいつだってあるのです。その時代、時代であるわけですから、ここでガクンと次元が落ちるのです。事象のことを言っているのです。それは確かに必要なのですが、これは「第3章」に持っていってはどうなのか。「第1章」の後ろのほうでもいいのですが、ここにくると途端に現在の危機のことを言うようになってしまいますから、例えばこれは今日の資料でいきますと、後ろのほうですけれども、23ページの「第3章」の「政策目標の設定」云々ということがございますが、その中のどこかにおさめるか、あるいは24ページの「計画の策定……の必要事項」のどこかにおさめる、ないしは25ページの例示の前に入れ込むとか、何かの工夫ができないかという印象を持ちます。 戻りますが、「第1章」の「1」の部分については、必要な部分は残してもいいのですが、タイトルとしても「教育の現状と課題」となっていますが、「第1章」は「教育の課題と今後の教育の基本的方向」ですから、「現状」は後ろへ持っていって、振興基本計画を立てるところでそれを取り上げる。むしろここは大きな流れの中で、これから50年、100年、どうしていくのかということを簡潔に触れてはどうかと思い、先ほどのような意見を申しました。以上でございます。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 もう1回整理しますと、山本先生の提案は、まず2ページの下から2番目の「○」、「現在、」云々という4行を1ページの第2番目の段落として持ってきたほうがよくわかる。これが第1点ですね。 |
| ○ | 山本委員 はい。 |
| ○ | 鳥居部会長 その上で、それを持ってくると、次は「教育基本法は、制定から55年が経過したが、」云々という、つまり、大きな世界的な規模での変化、それから競争の激化の中で、「……我々の社会の未来の基軸を形成する教育の在り方は転換を迫られている。」というのを残して、そこから後ろはどこかへ持っていきましょう、もう少し考えましょうということですね。 |
| ○ | 山本委員 はい。ですから、今の2番目の「○」の「転換を迫られている」から、一番下の「○」、「我が国の教育の改革については」というところへ飛ぶということです。 |
| ○ | 鳥居部会長 わかりました。 |
| ○ | 中嶋委員 3ページ、4ページ、5ページにかけてのところですが、全体的に大変よくなってはいると思うのですが、これまでの様々な機会での論点として、「21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」という、いわば今回の改正の一つの基本的なトーンが出てくるわけです。私もこれ自身は結構なことだと思いますが、いろいろな意見の中に、「たくましい日本人」という日本人像が出てくるわけです。ここは、もちろん「たくましい日本人」が必要なのですが、必ずしも「たくましい」というところだけで21世紀の日本人像を求めていいかどうかということについては、若干気になるところなわけです。それに関連してです。 それを受けるような形で、「 そこで、3行目は「自国の伝統、文化についての理解を深め、豊かな教養を身に付けるとともに、」、ここは大変結構だと思います。いつも異文化理解のことが出ている。 その次に「諸外国の伝統、文化をも大切にする態度を身に付けることが必要である。」という、この「大切にする」というのが今回の修文でたしか初めて出てきたような気がするのです。自分たちの国の伝統、文化について理解を深める。それが同時に豊かな教養につながるということは、皆さん異存がないと思いますけれども、「諸外国の伝統、文化を大切にする」という言い方がちょっと気になります。 つまり、「諸外国の伝統、文化」というのは、今、例えばイスラム原理主義も一つの伝統、文化でしょうし、いろいろなものがあるわけで、それを「大切にする」と言ってしまうと、自分たちの主体を離れて、同感するとか、共感するということをもっと踏み込んだような表現になりますので、ここはむしろ「尊重する」と。自分たちの国については「理解」で、あるいはここももう1回「理解」でもいいと思いますが、そのほうがいいのではないかと思いました。 それから、その後のところもいろいろ議論になった大事なところだと思いますが、「我が国の伝統、文化を深く理解し尊重する態度は、郷土や国を愛し、誇りに思う心をはぐくむ。」と。私も今まで発言させていただいたように、郷土愛というものは「愛国心(パトリオティズム)」の一番健全な発露であるということを申し上げましたから、表現上、「愛国心」をあえて避けて、「国を愛し」という言葉を使っても、英語あるいは中国語に直せば「愛国心」ではないかと申し上げました。 ただ、ここはかなり議論もあった言葉で、私は前に申し上げましたように、「愛国心」というのは、民主主義や個人主義によって担保されている現在のような場合と、戦時中とは全く違うので、それをあえて怖がる必要はない。つまり、今の我々の時代は戦時中と全く違うわけですから、そういう持論を持っているのですが、文章は割合に素直にきていますから、ここはこれでいいと思うのです。 その次に、「誇りに思う心」となりますね。ちょっと飛躍があるような気がするのです。「誇りに思う」ということを言うよりも、そこはむしろ「日本人であることを誇りに思う」とか、何か入ったほうがいいと思います。 この場合の「日本人」とは何かという議論は、実は今回はしていないわけで、ある意味では「アメリカ人とは何か」という議論につながりますから、そこは全体的に、あえてこの場合、皆さん議論は避けていいと思います。しかし、「アイデンティティ」という言葉を「日本人であること」と置き換えたほうがいいという識者の意見もありましたし、「日本人であること」というのをそこに入れるのは、むしろそのほうが自然ではないか。どこにも「日本人」という言葉が消えてしまっているわけです。 それで最後の5ページのところへいくのですが、ですから、自分たちの主体性については、そこをきちんと胸を張って言ってもいいと思うのですが、さて、では教育基本法全体が、さっき言いましたような「たくましい」とか、「 |
| ○ | 鳥居部会長 まず確認しておきたいのですが、「第1章」は教育基本法そのものの内容を規定するために書いたものではありませんので、この書き方の「世界を舞台に活躍し」云々というのが、そのまま教育基本法の中に入るとは毛頭言っていないということです。 それから、御指摘の4ページの下から2行目でございますが、「誇りに思う心をはぐくむ」というのは、表現は自動詞、他動詞という考えで読んでいただきたいのですが、これは自動詞の「はぐくむ」なのです。ですから、自動詞であることがよくわかるような表現に置き換えたほうがいいことは、わかります。 もう1回読んでみますと、「我が国の伝統、文化を深く理解し尊重する態度は、」何々をはぐくむ。別の言い方をすると、「我が国の伝統、文化を深く理解し尊重する態度は、郷土や国を愛し、誇りに思う心をひとりでに引き出す」、おっつけてはぐくむつもりは毛頭ないという自動詞なのですが、それがちょっと理解していただきにくいかもしれませんので、後で工夫させていただきたいと思います。よろしゅうございますか。 |
| ○ | 石委員 別なところでよろしいですか。 |
| ○ | 鳥居部会長 はい、結構です。 |
| ○ | 石委員 これまで随分議論されて、生き残っている言葉でありますから、たぶんそれなりの意味があると思いますが、今の段階で読んでみてわかりにくいのは、1ページの上から三つ目の「○」で、「高度経済成長期には有効であった従来型の教育の限界」という言葉がありますよね。これは一体何かというと、よくわからない。 つまり、成長、成長という形で、日本国民が一直線に、今の中国みたいのでしょうか。そのように一目散に行ったけれども、今、バブル崩壊後、様々なカオスがあって、混乱があって、それに対して新しい教育観が出てこないというニュアンスなのでしょうけれども、高度成長期にそんなに有効であった教育があったのですかね。ここは何か議論があって残ったのだと思いますから、議論を御紹介いただいて、よりいい言葉があれば換えたほうがいいと思います。これは経済学をやっている身からいうと、何となく違和感があるのです。鳥居先生もそうだと思いますけれども。 |
| ○ | 鳥居部会長 石先生がおっしゃるとおり、表現は若干工夫したほうがいいかもしれないと思います。 というのは、むしろ大きな問題は、実は1980年ごろから、イギリスやアメリカ、ドイツ、フランス、大体して、教育がどこかおかしいぞということが出てきたわけです。そのときに、振り返ってみると、イギリスの場合が典型的ですが、1944年法、つまり相当古い教育法に基づいてすべてが行われてきたとか、あるいは社会の仕組みが戦後いろいろな歴史を経てきた。その歴史一つ一つは今挙げませんが、それらの結果、世の中が変わり、文化が変わり、若者文化も変わった。それから、学校の中も変わった。それに追いついてないではないかということを言っているわけです。それをこの言葉で表現しろと言われると、ちょっと無理だというのは、先生のおっしゃるのは……。実は、私、ここに幾つか代案を書いた紙があるのですけれども……。 |
| ○ | 石委員 お任せします。 |
| ○ | 鳥居部会長 ちょっと工夫してみます。 |
| ○ | 石委員 ターニングポイントがあって、1980年代に変わったというのは全くそのとおりですから、それは恐らく日本が国際化したことかもしれないし、成長率が落ちたことかもしれないし、環境問題が出てきたことかもしれない。ということですから、お任せします。この表現ではちょっとわかりにくいと思います。 |
| ○ | 梶田委員 私も一つ、今のところで申し上げようと思っていたのです。これは「青丹よし」的な、常套句過ぎるのではないか。今、1980年ぐらいに変わったとおっしゃいましたけれども、その前にも変わっているのです、1950年代から60年代。つまり、戦後50何年取り出しただけでも、少なくとも二度ぐらい大きなターニングポイントがあるわけです。ですから、こういう言い方では、表面の一部を印象的になぞっただけではないかと私も思います。 同じように、その前に、1ページの二つ目の「○」の一番下、「少子高齢化による人口構成の変化が、社会の活力低下を招来している」。活力低下も招来するかもしれませんが、「成熟した社会をもたらす」ということも言えるわけです。これも常套文句で、こういうのはやはり気をつけて使わなければいけないのではないか。 同じことは、「新規学卒者の就職は極めて困難となり、青少年は夢や希望を持ちにくくなっている。」かもしれませんが、今の若者はある意味でみんなハッピーですよ。例えば、我々の大学卒業のころのほうがはるかに夢や希望が持てなかった、60年前後というのは。 というようなことがありますから、この辺、語弊があるといけませんが、言葉の使い方が印象批評的な常套文句的なものに流れてはいけないなと。流れているとは私は断定はしませんが、流れてはいけないと思います。 そういうことを踏まえて、最終段階ですから、もう一つ言っておきたいと思います。「第1章」というのはやめて、「はじめに」ぐらいにして、つまり、基本法と振興基本計画が大事なのですから、もう少しそのことを浮き彫りにしないといけないのではないか。「はじめに」で、「教育の課題と今後の教育の基本的方向」、あるいは「21世紀の教育の基本的方向について」にして、「第1章」と「第2章」にしてしまうのではどうか。 そうすると、1ページの「教育の現状と課題」と、2ページの一番下の「21世紀の教育が目指すもの」は、内容的にダブっている部分がかなりあるように思うのです。これを一緒にして、「教育の現状と21世紀の教育が目指すもの」にしてしまうと、分量的に半分になると思っています。今日はどこをどう削ってというのは言いませんが、半分になるのではないか。あとのところに、「 それから、小さいことですが、3ページの「 もう一つ、これは論議があるところだと思いますが、例えば7ページ、基本法に入りまして、理念を書いている「 したがって、「日本の伝統、文化を理解」でもいいし、「尊重し」でもいいですね。それが入って、「国際社会を生きる力を」というね。これは生きなくたっていいのです。しかし、力は欲しい。「国際社会を生きる力のある日本人」ということです。 「教養」というのは多義的です。今、マンガ文化も理解しなければ教養ではないという話が、前の総会であったりしましたので、そういう言葉は多義的な言葉ですから、削ってもいいかなと。 要は、4ページのほうの「 |
| ○ | 森委員 2点あります。 第1点は、理念と現実といいますか、理想と現実の問題ですが、今まで教育基本法をなぜ変えるかというときに、社会が変化したからという意見が非常に多かったのですが、社会が変化したから理念を見直すというだけでは弱いのではないかと思います。 といいますのは、理念を実現するには、方法、政策が必要なのですが、教育の危機がきたのは教育基本法の理念が悪いのかという設問をよく聞くのですが、私は理念も、やり方も両方見直すべきだと思います。つまり、50年も教育基本法の理念でやってきて、これだけしか成果が出ていないとすれば、やり方も問題だし、理念にも何か欠けているものがないか。だから、理念が悪いのではなくて、欠けているものがないかという発想が必要ではないかと思います。 マルキシズムの人はよく、「マルクスの理念は正しいけれども、やり方がまずかった」と言うのですが、70年もやってきて、大きな声でそんなことが言えるのかと思うのです。基本法も50年もやってきて、やり方を反省しなければいけないということで、基本計画が必要だという論理の展開になるのではないかと思います。 そういう意味で、先ほど山本さんが問題にされていた、2ページの2番目の「○」の上から3行目ですが、「今後目指すべき……」というところを、「今後新たに加える理念」とか、そのほうがわかりやすいのではないかと思います。 第2点は、4ページの先ほどから問題になっています「伝統、文化」ですが、「 |
| ○ | 鳥居部会長 「 |
| ○ | 森委員 4ページの「 |
| ○ | 鳥居部会長 わかりました。ありがとうございました。 |
| ○ | 江上委員 2ページ目の教育基本法の理念のところですが、2ページ目の一番下の「○」、「今回の教育改革は、国民一人一人が、国家、社会の形成者、」というくだりです。「社会の形成者」ということは、教育基本法の「第1条」に既に言葉としては入っているわけでございます。しかしながら、実態は国や社会が誰かつくってくれるものという他人任せの依存意識が青少年に蔓延しているという実態がある。 ということを考えますと、上から二つ目の「○」の「教育基本法に定める普遍的な理念」の箇所については、「教育基本法に定める普遍的な理念は大切にしつつ」という文章ではなくて、むしろ「教育基本法に定める普遍的な理念が十分に実現されてきたのかを検証しつつ」という文言にしたほうがよろしいのではないかと思います。 さらに、「教育の在り方を、社会、経済システムとの関連において根本までさかのぼり、今後加えるべき理念を再構築し、法的枠組みを整えることが必要と考える。」というふうにしたほうが、現実の条文と議論している中身で整合性があると考えます。 もう一つ、5ページぐらいまでの間に、「社会規範意識」「責任感」「倫理観」「勇気」「公共」「道徳心」という言葉がかなり繰り返し出てまいります。特に「規範意識」については相当出てまいりますので、少し文言の整理をしたほうが良いと思います。 それから、今申し上げました2ページ目の一番下の「○」の上から3行目の「被統治者意識」という言葉ですが、私は個人的には「被統治者意識」が青少年期に定着することは、個人の自主性に基づいた民主主義の根幹を揺るがすというような認識を持っているので、個人的には言ってもいいと思いますが、今までの報告にはなかった新しいインパクトのある文言であり、誤解を招きやすい言葉です。その辺、皆さんのフィルターを通してここまできたのかどうか、細心の配慮が必要です。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 今の最後の「被統治者意識」というのは、いろいろな文章を詰めて詰めていくと、こうなってしまったという程度のことでありまして、後でまた検討させていただきます。 |
| ○ | 加藤委員 3点ほど申し上げたいと思います。 1点目は、1ページの三つ目の「○」ですが、これは多くの方が指摘された「従来型の教育の限界」なり、「高度成長期には有効であった」という表現ですが、ここは私は結論を言えば、この2行はカットしてしまったほうがいいのかなと思っております。と言いますのも、ある時期有効であった教育というのを静的にあまりとらえると、教育は幅広い、もちろん幼少期から高等教育まで含むわけですし、高度成長をもたらしたものはもちろん教育も寄与していたと思うのですが、それを支えたのは何も戦後教育だけではなくて、戦前の人もいたわけです。そういう意味で、違和感があるのは、そういう特定の期間に今日の教育システムが通用していたと表現するから、違和感が出るのかなというのが私の感想です。 現在の結果としての「学校教育への過度の依存」というこの傾向は間違っていないということだと思いますので、それはいいと思いますので、2行はやめたらどうか。 二つ目には、中嶋先生が言われたのと同じなのですが、3ページから4ページまである「 例えば、これは一つの手だと思いますが、四つ目の「○」のところに、「以下の五つをこれからの教育の目標として提示し、その中からこういう人が出現する」というか、「こういう人が育ってくるものにしていきたい」というトーンにされたら、「 三つ目は、4ページの「 「新しい『公共』」という概念は何も新しいものではなくて、必要な国民国家の主体として生きていかなければいけないというある種の公共心といいますか、そういうものは別に新しいものではないのではないか。もともとすべての人の気持ちの中にあって、それがある意味では「官」の役割の仕組みが十分に機能しなくなったといいますか、あるいは国民のほうが多様化してきた中で、それを発揮しなければいけない局面、もっと有り体に言えば国や地方自治体だけに任しておけないのだという気分が横溢して、ボランティアとかが広がってきたと見ることもできるわけであります。そういう意味で、「新しい『公共』」というのは私はすごく気になるのです。全くこれまで考えられなかったようなものが出てきているということではないのではないか。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 |
| ○ | 市川委員 「第2章」は教育基本法でございまして、これは改正された教育基本法が何年間持つかわかりませんけれども、少なくとも数年ということはないと思います。10年、20年、あるいは30年ぐらい持つかもしれない。そうすると、これはいわゆる超長期的な計画であります。一方、「第3章」の教育振興基本計画は、5年と規定されております。これはいわゆる中期計画でございます。 このように、超長期的な基本法と中期的な基本計画ではタイムスパンが非常に違います。それを策定する場合の展望すべき視野といったようなものも大きく違わなければならないわけでございます。ところが、この素案では、「第1章」で両方の言葉と申しますか、そういったものを兼ねているわけでございまして、これは少し無理があるのではなかろうかと思うわけでございます。 先ほど梶田委員がおっしゃいましたように、「第1章」を「はしがき」としまして、その中に書いてあることを「第2章」と「第3章」に振り分けたらどうかということも考えるわけでございます。それが一つでございます。 もう一つは、1ページの三つ目の「○」でございます。この段落は先ほど来いろいろ御指摘がございますが、やはり文章を短くする必要があったせいだと思いますが、見方が特定の見方に偏っているのではなかろうかと思うわけでございます。 一つは、先ほどありましたような「高度成長には有効であった従来型の教育」云々というのがありますが、「家庭が子どもの教育を学校教育に過度に依存する傾向が強まっている」というのも一方的でございまして、最近は学校教育を信用しない家庭がどんどん増えてきているわけで、「過度に依存する傾向」というのは少し前の時代の傾向だと思います。最近これだけ塾などがはやっているのは、学校教育に対する依存度がなくなってきた。学校が信用されていないということでありまして、少なくともそういう面があるということを認識しなければならない。 また、「機会の平等を超えて結果の平等主義や画一主義に陥りがちで」あるということも一方的な見方でございまして、我が国の例えば高校などは、極めて多様化しているわけでございまして、画一的ということは言えないと思うのでございます。 このようにすべての問題につきまして、必ずしも一つの見方で決めつけることはできないのではなかろうか。少なくとも相反する二つの傾向があるということを書くなら書くべきですし、書かないならカットしてしまうということが必要ではないかと思います。以上です。 |
| ○ | 梶田委員 市川先生の御意見は非常に賛成するところがあるのですが、その辺の書き方が、歴史認識の点でまずいのではないかと思うのです。つまり、これはアメリカやヨーロッパだったら、70年ごろに言われた話なのです。結局、従来型のということで定型的な教育をどう壊していくかということで、自由で、個性豊かなと、これをやったのです。 今どうやっているかというと、80年代終わりからバック・トゥ・ザ・ベーシックです。教育の重要性をもう一度社会の基礎に置いて、教育の力によってその社会を再建しようと。だから、国家戦略だとまで言い切っているわけでしょう。 これは、文部科学省も今から10年以上前におっしゃっていた話なのです。文部科学省もこの数年はおっしゃっていない。例えば今度の『文部科学白書』は、私は、ようできていると非常に感心しているのですが、でもこういう認識ではないと思っております。 ましてや私たちは21世紀に向かって、20年後、30年後、40年後の日本の社会の姿は教育によってしかつくれない、という決意を込めてやってきたと思うのです。国民会議での議論も少なくともそういう空気だったと思うし、中教審はそれを引き継いできていると思います。つまり、教育の大事さということです。例えば憲法があって、国の見える姿は憲法でつくるでしょうけれども、そこで具体的に生きていく人間の姿は、今の教育の営みによってしかつくれない。だから、教育基本法をそういう意味でもう一度再検討しようということだと思うのです。 そうすると、市川先生がおっしゃったように、こういう書き方ではなくて、少なくとも1ページで、どうしてもこういうことを言いたければ削ってしまうべきでしょう。これでは次の時代に向かって教育を再建するという決意が出てこないです。一度緩んでしまった教育を再建しなければどうにもならないのではないかというところがあると思うのです。といって、先ほど加藤先生がおっしゃったように、全面発達論ではないけれども、こういうすばらしい力、こういうすばらしい力、そういうことを列挙するという意味ではないのです。一人一人が自分のところを得て、自分なりに自分の人生を生きていくというベースがあって、それにはいろいろな生き方があって、別に表へ出なくたっていいのですが、その中で、しかしこういう人間もこの社会で必要とされているのではないかというので、幾つか挙げていく。 1番目の人格の完成とか、自己実現というところをもう少し敷衍して、一人一人が自分の人生を自分なりに生きていくということが出た上で、2番目からの世の中との関連で力を発揮していく、そういうことが書けたらいいかなと思ったりいたします。 |
| ○ | 小野委員 少し違った意見なのですが、最初のところの現状認識でございますけれども、我が国社会が、今、重大な危機に直面していることは、そのとおりだと思います。 そのことについて、では教育に責任がなかったのか、あるいは教育をどうしたらいいのかということの、ここはイントロダクションですから、表現はこだわりませんが、現在の社会の危機と、教育の置かれている現状に対する危機、そのことはしっかり書くべきではないか。それを書かないと、「第2章」「第3章」、なぜ教育基本法までさかのぼっての改正が必要なのか、あるいはなぜ教育振興基本計画が必要なのかというところに結びつくのが、少し焦点がボケるのではないかと思います。 表現はこだわりませんけれども、今の日本の社会は本当に大きな危機に直面していると思う。これは何とかしなければいけないのではないか。そのためには、教育の果たすべき役割、それから今までの教育が本当によかったのかどうか、そこは厳しく検証していくべきではないかと思うのでございます。 |
| ○ | 田村委員 同じような流れの意見になるかもしれませんが、実はかなり優秀な人たちが集まる会で冗談話に出てきた話があります。それはどういうことかというと、日本を本当によくするには、総理大臣に外人を入れるのがいいのではないかという話をしていました。つまり、日産がカルロス・ゴーンで革命的に変わったということの延長線から、こういう議論が出てくるわけです。 前に申し上げたかもしれませんが、国際会議で日本人の役割はどういうところに発揮されるかというと、それぞれの国の特徴があるわけですが、イギリス人が司会するには一番うまいそうです。タイムキーパーはドイツ人だそうです。会議のデザインは誰がやるのがいいかというと、フランス人なのだそうです。プレゼンテーションはアメリカ人だというのです。日本人の出番はどこにあるかというと、バックデータを整理するには最高だというのです。 戦後の日本のやり方が、要するにそれぞれの司、司で、専門のところを各省がしっかりやっていれば、国全体がよくなると考えていたわけです。ですから、バックデータをちゃんとやっておけばよかったわけです。ところが、やっても、やってもうまくいかないということに気づきだしたわけです。どこかで気づきだしたわけです。 それで、日本人はどうしたらいいのか。だから、同じ意味かどうかわかりませんけれども、小野委員の発言には全く賛成なのです。今、大変な危機だろうと思います。バックデータをつくるのに向いている日本人を育成したのは、やはり教育だと思います。教育は善意でやっていますから、始末に悪いわけです。悪いことをしているとは誰も思っていないわけです。では今のまま何もしなくていいかといったら、21世紀はやはりまずいだろうと思います。少なくとも国は、各省が省益を守って、それぞれが一所懸命やっていれば国全体がよくなるというふうには、今、霞が関のトップは誰も考えていないわけです。そこの境をどうやって乗り切るかというその乗り切り方の考え方の基本が、これは佐藤先生が最初に言い出したと思いますが、「新しい『公共』」という発想だと思います。「新しい『公共』」という発想がどうしてもこの中に入ってこないと、基本法改正につながらないのです。 いろいろな言い方がありますし、間違っているとは思いませんけれども、今のままやっていたら沈没してしまうというふうに危機感は持つべきだと思います。それが基本法改正の原動力だと考えるべきだと思います。書き方は別にこだわりませんけれども、やはり危機だからちゃんとやろうではないかと。5点が目標になっていますが、この5点を見ると全部、一人の人間として生きる力をこれで身に付けるということなのです。集約するとすべてそれです。一人一人がちゃんと判断して行動できるようになろう。頼りにしないで、自分で判断するところから始めようというところが、この考えの基礎にあると思うのです。 ですから、基本法は間違っていないのですが、確かに欠けているところがあった。欠けているところはどこかというと、今申し上げたようなことが欠けていたのではないか。当事者意識がなくなっていたと思います。 |
| ○ | 佐藤委員 今日の御議論は、私、行政改革会議で関係したとき、それから司法制度改革会議に関係したとき、皆同じような議論が出ました。それぞれの部門においてはそれぞれ一所懸命やっていらっしゃる。改革をしようとすると、改革されるほうが「おれたちは間違っておったのか。これだけ立派なことをやってるじゃないか」、そういう思いがやはりある。それはそれで私もよくわかりますけれども、今、田村委員がおっしゃったように、日本の今の危機というのは、部分、部分がよくても、全体社会がうまくいっていないということです。部分、部分は、世界にも精緻であるということを誇ってもいいと思いますけれども、一番の問題は、その精緻な部分、部分が全体から見るとうまく機能していない。そのうまく機能していないのはなぜなのか。そこを考えるべきだと思います。 教育改革も決してこれだけポツンとあるわけではなくて、行政改革や様々な改革の一連の中で出てきているのものだということを、我々は明確に認識すべきではないかと考えております。 総論として、「第1章」をどのように書くかということなのですけれども、書き方、表現についての細部はこだわりませんが、なぜ今回この教育基本法に手をつけるのかという基本的な考え方、問題認識は出すべきだと思います。 ただ、総論というのは、性質上非常に難しくて、いろいろな哲学やなんかがあるものですから、各人がそれぞれ言い出せば、一つでまとまるということは極めて難しい。ですから、そこは今日の御議論を踏まえて、会長のほうで総論の書き方、トーンについてはおまとめいただきたい。基本的な考え方というのは、既に中間報告で我々は出しているわけです。中間報告以後ものすごい変化があればそれはまた別ですけれども、中間報告を出して、それを踏まえて、最終的な答申をまとめようとしているわけですから、その前提で今日の御議論を踏まえて、会長、副会長が中心になっていただいておまとめいただければという感じがいたします。 |
○ | 永井委員 似たようなことでございますけれども、教育というのはどこかが全面的に責任を持って、部分的にやるというものではないのだろうと思います。結局、連携・協力がうまくいっていないというのが現状ではないかと思います。 先ほどいろいろ御指摘があった1ページ目の3行目の「家庭は子どもの教育を学校教育に過度に依存する傾向が強まっている。」というのは、これは社会全体がというところがあると思います。塾とか何とかの問題はありますけれども。例えば、刑法犯などで補導されるようなときに、まずその責任のマイクを向けられるのは、学校にいくわけです。ちょっとおかしいのではないか。そういう社会全体の意識を変えなければいけないと考えます。 そういうことから考えますと、「第2章」のところの「 「 「 「第2章」ぐらいまでですね、今のところ意見は。 |
| ○ | 森委員 簡単に申し上げます。2点です。 先ほど来の学校への過度の依存ですが、塾が出ましたけれども、塾も学校に依存する、学校の準備の塾なのです。塾があるということ自体、学校への過度の依存だと思うのです。現代というのは、制度依存度が高いので、制度信仰がありますから、それから自立することをどうするかということを考えるべきだと思います。 第2点目は、3ページ以下の云々ですが、「たくましい日本人の育成」、五つ挙がっているのですが、この五つはとても実現できないという御議論が先ほど来ありますし、超人的だというペーパーも出たようでありますけれども、なかなか実現できないことを書くのが理想なので、できることなら書く必要はないのです。以下、五つのうち一つでもおやりくださいと書いてしまえば、その一つもできないと思うのです。五つ書いてあるから、一つでもやっとできるのであって、理想というのはなかなか実現できないという、理想の概念をもう一度考え直していただきたいと思うのです。 それと、「たくましい」が困るとおっしゃいますが、まず自分がたくましくなくては思いやりが生まれないと思うのです。今、何か「美しい心」とか、「心豊か」とか、きれいなことばかり言っているのですが、もう少し「忍耐」とか、「たくましい」とか、この「たくましい」という言葉はぜひ入れておいていただきたいと思います。以上です。 |
| ○ | 渡久山委員 最初に会長が言われたように、今の教育荒廃の状況と言われる、いじめとか、不登校の原因が教育基本法にあるのかないのかという最初の問いは、非常に大事だと思うのです。ですから、そのようなことをきちんと分析して、今幾つかありましたように、日本の教育をめぐっての状況は非常に危機的だという認識は大事だと思います。これが直接教育基本法に結びつくか結びつかないかは別として、何をどうしなくてはいけないかということをきちんと議論すべきだと思います。 ここにも書いていますけれども、青少年が今、夢や希望を持ちにくくなっているという分析をしています。これは事実だと思います。文部科学省に配っていただいたパンフレットを見ますと、希望とか、夢が持てない。外国の子どもたちに比べて、日本の場合はその数値が非常に高いのです。これは文部科学省の統計でちゃんと出ているのです。そのように子どもたちが夢や希望を持てない状況をどういう形で改革し、改善していくか。もう一度そういうきちんとした視点に立って整理したらいいのではないかという気がするのです。まさにアメリカのように「Nation at Risk」という基本認識を持つべきだと思います。 例えば、1行目にありますが、「自信喪失感や閉塞感が広がっている」というようなネガティブな表現がすごく多いのです。必要以上にネガティブな表現はしないでいいのではないかという気がしてならないです。そういうことが一つあります。今のような考え方でもう一度整理してみたほうがいいと思います。 もう一つ、先ほども出ましたが、規範意識とか、倫理観とか、社会的使命とか、そういう徳目的なものが羅列されていて、それをすればいじめが直るのだと言わんばかりのやり方できていますよね。教育基本法は、最初に読んで新鮮に感じたのは、ロマンがあるのです。理想があるのです。そこの中に希望がある。そういう形がやはり欲しい。特に倫理法としての教育基本法にはぜひともそういうものが欲しいという気がいたします。 4ページ目に、「公共」というのがございますけれども、「官」と「民」の二分法という形ですが、二分法というのは、もともと数学的な用語でいうと、二つに分けることによって物事の概念が明確になってくるのです。概念が明確になってくるという形ですから、それではとらえきらないというような「公共」ではなく、例えば今よく言われている、「協治」という言葉で訳されてもいますが、ガバナンスですね。ガバナンスの状況という概念は、「公共」という言葉でもつくり得るのですが、そういうことを含めて考えていったらいいのではないかという気がいたします。 そこで、4ページの、先ほど中嶋先生が言われた、「諸外国の伝統、文化をも大切にする」というところです。これは皮肉な言い方をしますと、我が国の文化については理解をする。他の国の文化は大切にするというと、表現としては変ですよね。やはり我が国を大事にして、他の国を理解するならまだいいのでしょうけれども。これは言葉の綾だと思いますから、それはそれなりに換えていただいたらどうかと思います。 5ページで、私はこれも何回か書いたのですけれども、これからの社会をつくる一つのキーワードとしては「平和」という言葉が非常に大事だと思います。「世界平和と人類の福祉に貢献する」ということが一等最初に出てきますけれども、もう少し我々は国際人として新しい国際秩序のために努力し寄与し得る平和を積極的につくり得る日本人、あるいは日本の国をイメージしてみたらどうだろうか。そういう意味では、その言葉はもっと大事にして、必要なところではもう少し使っていただいたらと思います。以上です。 |
| ○ | 鳥居部会長 最後のことは、渡久山さん御自身もおっしゃったように、1ページの1行目にまず出てくるのと、それから後で御議論いただく「第2章」—なるべく早く「第2章」に入りたいのですが、6ページから始まる「第2章」の冒頭の2番目の「○」の「(i)」の冒頭に出てきますので、その辺で全体のバランスを考えてまた御議論いただきたいと思います。 |
| ○ | 中嶋委員 先ほど佐藤委員も言われたのですけれども、中間報告と最終答申との整合性という問題があるわけですね。その点で、いろいろな意見を取り入れるのはいいのですが、中間報告の生かすべきところは生かしてほしいのです。その中に、さっきも申し上げましたけれども、「アイデンティティ」という言葉が、中間報告にもさんざん出てくるのです。これはカタカナ英語をやめようということで、それは結構なのですけれども、すっぽりそれが抜けてしまっているわけです。したがって、さっき永井さんがおっしゃったように、全体的に主語がない文章になっていると思います。その点では、「日本人であること」というようなことを、「アイデンティティ」のかわりにどこかに一言入れてほしい。 一方では、「国際社会の一員」とか、「国際貢献」とか、「国際社会で活躍する日本人」も出てくるのですけれども、私は当初から言っていましたように「国境を超える義務」という感じをどこかに入れてほしいのです。ということは、何も国際社会の第一線で英語を使ってやる人材だけではなくて、日本の国内にいて、自分が少しでも環境を大事にするとか、エネルギーを消費しないということも、実は「国境を超える義務」なのです。そういうことをどこかにぜひ入れてほしいと思います。 その2点です。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 「第1章」についてたくさんの御意見をいただきました思います。中には組み換えをしたほうがよろしいのではないかという御意見もありました。そういったことも含めて、修文をさせていただきたいと思います。そこのところは私に御一任をいただきたいと思います。 次回また持ってまいりますので、よろしくお願いします。 続きまして「第2章」、教育基本法の部分ですけれども、これについて御審議をいただきたいと思います。 まず、簡単に事務局から御説明をお願いいたします。 |
| ○ | 事務局 資料1の6ページ目からが「第2章」になります。 従前の中間報告でもおよそ14ページを用いておりましたが、今回の取りまとめ案でも14ページと、量的にも、構成も大きくは変わってございません。 「1」番として、「教育基本法改正の必要性と改正の視点」につきまして、これは中間報告での大きな「1」番と「2」番をここで一つにまとめた形になっております。内容としては簡潔にした点がありますが、そう大きくは変わっていないということになります。 7ページ目を御覧いただければと思います。7ページ目は教育基本法見直しの視点の柱の二つでございますが、従前、「 8ページ目からが「具体的な改正の方向」になります。御覧いただいてわかるとおり、四角で囲んだところが、各検討課題につきましての教育基本法改正の基本的な方向をわかりやすくまずお示しするというスタイルをとってございます。今回、中間報告から大きく変わっておりますのは、「前文」についてでございます。最初の「○」二つを新たに加えてございまして、前々回などの基本問題部会での御議論を踏まえまして、「前文」につきましては、教育理念を宣明し、教育の基本を確立する教育基本法の重要性を踏まえて、その趣旨を明らかにするために引き続き前文を置くことが適当。 二つ目の「○」としては、法制定の目的、法を貫く教育の基調など、現行法の前文に定める基本的な考え方については、引き続き規定することが適当。 そして、一つ「○」が飛びまして、「新たに規定する理念」ということで、その趣旨を前文あるいは教育基本法の各条文にわかりやすく簡潔に規定することが適当ということで、「 「 そして、枠の下につきましては、それぞれの枠の中の基本的な方向、考え方、あるいはその理由を説明するという形をとってございます。「前文」「第1条」「第2条」の関係につきましては、説明文章につきまして8ページから、9ページ、10ページ、11ページと続いていく構成になっております。それぞれの内容につきましては、中間報告を簡潔にするという変更がございます。 12ページからは、前のページから続きます「(2)」の「教育の機会均等、義務教育」に関する「 「 それから、この関係で、中間報告の23ページの段階では、「教育を受ける機会」とあるのを「権利」と規定してはどうか、あるいは「生涯にわたり学習する権利」の規定は引き続き検討ということになってございましたが、これらの課題につきましては、18ページからの「その他留意事項」というところに論点として整理させていただいてございます。18ページの最後の行からが「教育を受ける権利等」につきましての論点の整理、19ページにその具体的な内容を示してございますが、2行目の後段あたりから現行法の規定が、憲法上の権利を具体化して憲法上の権利をより実質化するためには、教育を受ける機会が確保される施策を進めることが重要である。その趣旨を表現したものであることに十分留意する必要があるということ。 また、生涯にわたり学習する権利を規定することにつきましては、教育全体を貫く基本的な理念として、条文でいうと「第1条」「第2条」等に該当するところに位置づけることが適当という形で、こちらのほうで整理させていただきました。 また、義務教育に関する課題として、義務教育制度の弾力化について中間報告で御議論いただいた点につきましても、この19ページで同じような趣旨で位置づけをさせていただいてございます。 12ページのほうにお戻りをいただければと思います。「(3)」としては、「国・地方公共団体の責務等」ということで、枠の中の基本的な考え方としては、最初の「○」が、教育は不当な支配に服してはならないとする原則は、引き続き規定することが適当。 次の13ページになりますが、国・地方公共団体の適切な役割分担を踏まえて、教育における国・地方公共団体の責務について、適切に規定することが適当。 教育振興基本計画の策定の根拠を規定することが適当。 ということで、「(3)」につきましては、中間報告と基本的に同じ趣旨で整理させていただきました。 「(4)」については、「学校・家庭・地域社会の役割等」でございます。 「 最初の「○」が、学校の基本的な役割について、教育を受ける者の発達段階に応じて、知的・道徳的・身体的能力の伸長を図るとともに、生涯学習の理念の実現に寄与するという観点から簡潔に規定することが適当。その際、大学の役割及び私立学校の役割の重要性を踏まえて規定することが適当ということで、条文上の学校の基本的な役割につきましては、中間報告では「例えば」とございましたが、ここでは御議論を踏まえて、少し具体的な役割の規定を想定してございます。 次の「○」が、学校の設置者の規定については、引き続き規定することが適当ということで整理させていただきました。その考え方、理由につきまして、13ページの後段から14ページまで説明するという構造をとらせていただきました。 そして、14ページの「 15ページの一つ目の「○」ですが、中間報告で子どもの学習の責務に関して規定するかどうか検討という課題がございましたが、その点につきまして位置づけてございます。2行目の真ん中あたりからですが、子どもが教育を受ける際に、恣意に任せて規律を乱す等の言動は容認されるものではなく、教員その他の指導に従って、規律を守り、真摯に学習に取り組むという態度をはぐくむことが重要であるという形で、枠の中に条文の基本的な改正の考え方としてではなくて、ここは重要な課題ということを示すことを本文の中に位置づけることにとどめた形に整理してございます。 次の「 次が、家庭教育の充実等を図ることが重要であることを踏まえて、国や地方公共団体による家庭教育の支援について規定することが適当という形で整理させていただきました。 16ページから「 また、学習機会の充実等を図ることが重要であることを踏まえて、国や地方公共団体による社会教育の振興について規定することが適当。 「 17ページが、「(5)」で「教育上の重要な事項」として、「 また、二つ目の「○」が、学校における特定の党派的政治教育等の禁止については、引き続き規定することが適当ということで、基本的には中間報告を踏まえたものでございます。 「 宗教的情操の涵養につきましては、次のページの18ページの一番下の「○」のところで規定してございますが、そこを読ませていただきます。 人格の形成を図る上で、宗教的情操をはぐくむことは、大変重要である。現在、学校教育において、宗教的情操に関連する教育として、道徳を中心とする教育活動の中で、「人間の力を超えたものに対する畏敬の念」を深めるための取組が進められているところであり、今後その一層の充実が期待される。 また、宗教に関する教育の充実を図るため、今後、教育内容や指導方法の改善、教材の研究・開発などについて専門的な検討を行うことが必要である。 ということで、改正の基本的な考え方の枠の中に位置づける形ではなくて、本文のほうで、宗教的情操をはぐくむことは大変重要であるという形で整理し、具体的に見直しという形のところには踏み込んでいないという形で整理してございます。 18ページにつきましては、これまでの御議論を踏まえて、大きな四つの側面に分けてとらえるという形で、寛容の態度について、教育において尊重することが必要であるということ。 それから、三つ目の「○」におきましては、教養を養うこと、あるいは社会生活において持つ意義を理解することの必要性。 その次の「○」におきましては、4行目あたりからですが、最終的に、教育において宗教に関する寛容の態度や知識、宗教が人間の社会生活に果たしてきた意義を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定することが適当であるという形で、先ほどの枠の基本的な考え方をここで整理してございまして、その後に宗教的な情操に関する考え方を述べるという形の構成をとってございます。 18ページから19ページ、その他の留意事項は、先ほど申し上げました教育を受ける権利と、義務教育制度の弾力化に関することをここで整理しまして、大きな「3」番として「教育基本法改正と教育改革の推進」ということで、「第2章」の最後の部分につきまして、答申を踏まえた後、審議会として政府に何を期待するかという形で、「第2章」の最後に教育改革の推進という課題を位置づけていただくという構成でつくってみてございます。 「第2章」につきましては、以上でございます。 |
| ○ | 鳥居部会長 それでは、早速ですが、「第2章」につきまして御意見をいただきたいと思います。 |
| ○ | 梶田委員 私の率直な印象ですが、本当によくここまでまとめてもらった、おとなしい形でまとめてもらったという気がします。最後の機会になりますので……。 一つは、子ども一人の生きている主体とか、生涯にわたり学習する権利というふうにしてはどうかと19ページにもありますが、その主体としてとらえる、つまり、教育される客体としてだけではなくて、一人の生きている主体であって、一人の人生を担っている主体であってという点。四角囲みの中でなくていいのですが、どこかにこういうことに留意して、ということを書いていただければありがたいというのが第1点です。 もう一つだけ。私、実は繰り返し言ってきたのですが、17ページ、18ページの宗教教育のところです。「寛容の態度」というのは、日本語としてはまずいと思うのです。『広辞苑』によれば、「寛容」というのは、嫌なものをあえて我慢すると、こう書いてあるのです。私は宗教を持っているものですから、私はクリスチャンなものですから、そういうふうに宗教をとらえられたらかなわんなというのがずっとあるわけです。宗教についての寛容の態度というのが17ページの下からありますけれども、この「寛容」という言葉、もう一つ「宗教的情操」という言葉も多義的で難しいと思いますが、そういうちょっと問題のある言葉は、できるだけ削ってもらってはどうか。例えば17ページの下のほうにある「宗教及び宗教的活動に関する関心や知識」、「態度」と言わないで、「関心や知識」ぐらいにしてしまうと、もう少しおとなしくなると思うのです。 あるいは、それに関連して18ページのいろいろな説明も、あまりにも多義的なものはとってしまう。それから、宗教に対するネガティブなニュアンスを持つものはとってもらう。特に「寛容」という言葉については随分こだわって、何度も何度も申し上げたつもりです。その言葉が今は入っておりますけれども、説明の中でも使わないでいただきたい。できれば「情操」という言葉も、多義的ですから、場合によっては考え直してもいいのではないかと思います。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 私も何人かの方とお話をして、「寛容の態度」というのは、「日本語として率直に言って下手ですね」という意見を聞いています。我々がここまでずうっとこれをひきずってきたのは、何といっても現行法が55年前に考えた上でつくらたときに採択された言葉であるということに敬意を表してきたのですが、梶田委員がおっしゃったような感想を持っておられる方が結構おられると思うので…… |
| ○ | 梶田委員 『広辞苑』にもそう書いてある。 |
| ○ | 鳥居部会長 できれば梶田先生から、かわる言葉として、何かグッとくるのが出るかと思ったら、「関心と知識」というのですが…… |
| ○ | 梶田委員 「関心や知識」。 |
| ○ | 鳥居部会長 「関心や知識」。もう一息何かという方がおられたら、もう一声、後でお願いします。 そのほかの御意見で結構です。どうぞ、森委員。 |
| ○ | 森委員 教育基本法の理念は非常に立派なのですが、飾りものではいけないので、理念法の限界をどの程度克服できるかというのが「第2章」「第3章」だと思うのです。そういった意味で、今まですばらしい理念がなぜ現実に実現されなかったかということを、具体的に考えてみたのですが、先ほど渡久山委員が、平和の理念は大切だと。私もそのとおりだと思うのです。ただ、その平和をどう理解するかというところが違うのです。平和を戦争反対、反戦が平和と、物事を反対概念だけで考えるのはやさしいので。もしそれだけに終わると、平和都市宣言をしている都市にも、いじめや非行があるわけです。8月になると、暴走族が街の中心で暴動のようなことをやっている。これが平和都市宣言なのです。だから、平和というのは反戦だけではなくて、平和の概念を積極的に規定する、定義するきっかけを、理念を通じて読み取れるような理念の書き方が大切だと思うのです。非常に難しいのですが。 平和というのは、積極的に定義すれば、これは心の問題で、ユネスコも言っていますが、心の教育が一番大事なのですが、心の教育と言うと、反戦主義者は反対とこうくるのです。現実に『心のノート』が配られていないとある新聞に書いてありましたけれども、先生が頭が重い。なぜ重いのか。「いや、机の上に『心のノート』が山積みになっている。税金でつくられているのに、こんなものを配ってもいいのか」なんていうのを新聞で私は読んで、切り抜きも持っていますけれども、そういう実態なのです。 そう考えると、教育基本法の改正でいじめがなくなるようにするには、心の教育が大切だというスタンスで書いていただきたいということが、第1点です。 第2点は、いつも同じことを言っていますが、家庭教育の問題です。15ページの四角囲みの中で、「第一義的に責任がある」、これは非常に結構ですし、そうだと思います。 その四角の枠の下に、「家庭は教育の原点であり、すべての教育の出発点である。」、これはいいのですが、前の14ページを見ていただきたいのですが、14ページの「教員」のところの一番下の「○」印ですが、「学校教育の成否は、教育の直接の担い手である教員の資質に大きく左右される」、まさに学校教育は教員次第だということをここで言っていると思うのです。学校教育で教員が大切なら、家庭教育でも家庭における教員が大切なので、それは親であり保護者なのです。そうすると、「親は人生最初の教師」と。学校のところで教員を大切にするなら、なぜ家庭で親とか、保護者と書かないのか。 民法第820条では、「子の監護及び教育をする権利と義務」は親、保護者にあると明記されているのです。家庭教育とか、親の教育については、教育関係の法規には「親」が出てこないのです。全く民法に依存しているのです。ですから、教育基本法の改正によって、社会教育とか、家庭教育とか、生涯学習、何でもいいのですが、法律の上で「親はもっとしっかりしろ」ということが、民法以上に踏み込んだ規定が出てこなければいけないと思います。そういう書き方をしていただくためにも、ぜひ「人生最初の教師である親の」という言葉を入れていただきたいと思います。以上です。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 |
| ○ | 江上委員 10ページの終わりから11ページにかけての生涯学習の理念についてですが、生涯学習についてもっと力強く踏み込んで書いていただいてもいいのではないかと思っております。 11ページの最初の文章の中で、さらに強調していただきたいことは、今、生涯学習については、社会教育を通して文化的な側面に関する限り、かなりの水準まで効果を上げてきていると思いますが、経済活動に資する領域であるとか、社会的活動に資する領域では、これからもっと大きな役割、ニーズが非常にあると思っております。 今まで日本は労働力の流動化が低いわけですから、社会人を対象とした教育分野では、企業内教育を中心に、各企業、事業所を通した教育を行ってきたわけです。ところが、今、企業内教育から主として個人主導型の自己啓発に実態として推移してきております。これは厚生労働省のほうも政策転換を図ってきておりますし、実際に企業においてもそのような動きになっております。また、能力開発助成に関する補助金のつけ方も個人に給付する枠組みに変わってきております。 そういう労働力の状況、あるいは企業社会の状況も踏まえて、個人主導型の自己啓発になっていくのだということを明確に打ち出していくべきでしょう。それから日本は女性の雇用への参加比率が低いわけで、これからの女性の雇用への社会参加ということについても、さらに学習のニーズが高いということです。 なぜこれからの雇用社会で生涯学習のニーズが高くなるかというと、職業生活で今まで得た実践的な知識を、教育の場で理論化したり、方法論として整備したり、高度化する、また体系化するというニーズが非常に切実だからです。ですから、産業と学習の場のデュアルな仕組みをもっと推進していくことが重要です。 さらに、日本はいまだもって企業の廃業率が開業率を上回っているわけです。新しい開業が増えていかない。アメリカは90年代初頭から開業率が増えてきている。その背景には、一旦仕事を退職して、1年なり2年なり、地域やいろいろな自治体が提供する生涯学習を経て、高度な資格を取って起業するという流れがありました。 そういう意味では、これからの経済に資する起業であるとか、新領域の産業創造にも、生涯学習は非常に重要である。 さらに、高齢社会においては、人間が持ち得る潜在力を生涯にわたって開発できる学習環境の整備が国家的に必要なのだということをぜひ強調していただいて、教育予算も生涯学習についてさらに増やしていくことが必要なのではないか。そういう振興計画につながるような基本法改正への理論づけをして、強調していただけたらありがたいと思います。 |
| ○ | 中嶋委員 先ほどの私の発言とも関連するのですが、10ページの「 もしそのような意見が出たら、「いや、全くそれは違うのだ。時代錯誤も甚だしい」ということをちゃんと言えばいいわけです。私も教育改革国民会議の報告は尊重したいと思いますが、ここだけをあえてこういうただし書きをつける必要はないのではないかと思います。 もう1点、14ページですが、大学の役割ですが、これは「大学(大学院を含む)」となっているのです。将来、学校教育法も改正の方向にあるとすれば、いつも「大学」で括弧して「(大学院を含む)」なのですが、それでいいのかどうか。現行はこういうふうにせざるを得ないとすれば、大学及び大学院というか、高等教育は重要ですので、3行目から4行目、「大変重要な役割を果たしてきている。」というような書き方ではなくて、そこはもうちょっと「決定的に重要な」とか、形容詞を補強して強化していただければと思います。 もう1点ついでに申し上げますと、「知的・道徳的・身体的能力」という言葉が中黒であちこち出てくるのです。これは私自身も使うのですが、「知的・道徳的ヘゲモニー」というのは、かつてアントニオ・グラムシが盛んに使った言葉で、文科省の中にイタリア・マルクス主義の影響が残っているとは思いませんが、言葉遣いとして「知的・道徳的」という言い方はちょっと注意が必要かなという気がいたしました。以上です。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 三つおっしゃったうちの1番目は、中間報告のときにも若干問題になったのです。これを残したのは、中間報告のときは、これは諮問文に入っているものですから、諮問文に答える形で残そうということで一応残したのですが、今の御意見は大事な御意見だと思いますので、ほかにまたいろいろ御意見があれば聞かしていただきたいと思います。 |
| ○ | 石委員 6ページから7ページにかけて「 最初の「 それから、後のほうの8項目は、新たに規定する理念だというけれども、新たに規定しなくても、前から規定しているのもあるような気がします、言葉をかえれば。 ここは一体どういう仕切りで、これだけオーバーラップしつつも—オーバーラップというのは、ある意味で強調するということでしょうからね。片方が基本理念で、片方がこれから規定する理念という話でしょうけれども、正直言ってちょっとわかりにくいですね。これは整理が必要ではないかと思います。 もう一つ、ある意味では老婆心ながらなのですが、お役所の文章は何々「等」というのがやたらと入るのです。私は幾つもお役所の文章を読む立場にあって、「等」というのは何だというと、あまり「等」というのが意味がないのに書くのが多いのです。特に行政改革なんてしょっちゅうそれをやっているのですけれども。 ここでも、例えば12ページの下から2行目の「国・地方公共団体の責務等」の「等」を入れる必要があるのか。あるいは、15ページの囲みの中の「家庭教育の充実等」は、「充実」で十分ではないかと思います。「等」が入ると、後でいろいろ言い抜けできる手段にはなるのですが、文章が冗漫になりますよね。そういう意味で、「等」ははっきり何かとわからないときは、使わないのが原則だと思います。これは比較的少ないですわ、ほかのお役所の文章に比べると。そういう意味では努力されていると思いますが、もう一段の努力が必要ではないか。ほかにもいっぱいありますよ、「等」は。以上です。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 最初の問題は、実はほかの人に説明するとき、私自身もなかなか難しいところだったのです。公聴会なんかでも説明するときに、資料でちゃんとお見せしながら説明しないとわかりにくかったのですが、6ページをあけていただきますと、真ん中辺に小さい小文字の「( だけれども、石先生がおっしゃるように、必ずしも欠落を埋めているようなものではないところもありますから、どうしますかね。確かに9ページ以降とむしろ一体化させていくほうが…… |
| ○ | 石委員 すっきりはします。 |
| ○ | 鳥居部会長 すっきりはしますね。 |
| ○ | 石委員 大手術ですよ、それは。 |
| ○ | 鳥居部会長 大手術になるのですよ。とりあえずその問題はお預かりということにします。 |
| ○ | 黒田委員 今のと関連しているのですが、前の基本法と今とで非常に大きく変わったことの一つとして、高等教育の重要性が挙げられると思います。それは大きく時代が変わっているし、やはり世界の国々においても、そこに対する認識は非常になされていると思うのです。6ページにはそれが書いてあって、今、石先生もおっしゃったのですが、8ページに新たに規定するというか、重要な中にそれが抜けてしまっていると思うのです。これはやはり学校という一つではくくれない。特に大学院教育まで含めますと、関連している重要なことだと思いますので、前も発言したと思いますが、埋もれさせてほしくないし、それがまた生涯教育ということにも、実はその一部としては非常に重要な役割を果たしているのだと思います。ですから、埋もれてしまうことは残念だと思いますし、状況が変わった大きなことのワン・オブ・ゼムではないかと理解していますので、何とかそこは取り入れていただけたらと思います。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。石先生と同じ文脈でそれは受けとめなければいけませんね。 |
| ○ | 渡久山委員 一つは、現行教育基本法で補強というか、非常に薄いなと言われたのが今の大学院です。この文章も、事務当局から「知の世界」、あるいは「知識社会への移行」という形で、高等教育を大事にするというところが出ているのです。6ページ、7ページもそうですけれども、その辺で大学と並べて、高等教育で具体的に大学院を大事にしていく規定が欲しいという気がいたします。ただ、今、国立大学が法人化していきますね。その際にどのようになるのか。それもフォローしてできないだろうかという気がします。 それから、7ページ、先ほど江上委員から指摘がありましたが、「生涯学習社会の実現」のところです。豊かな職業選択の部分も入れてみたらどうかという気がするのです。アメリカあたりでは、職業選択、転職のために、あるいはやむを得ずやめたときに、新しい職業に就くために新しい学習をして、その中で知識や技術や技能を得て、新しい職を得るという形のところが量的には非常に増えてきているということで、日本でもミスマッチの問題等を解消するために、こういうのを入れておいたらいいのではないかという気がいたします。 もう一つは、私学ですね。これも14ページに出てはいるのですが、項を起こしたらどうかという気がするのですが、いかがでしょうか。この辺はそう思います。今までの基本法の中にその部分が非常に弱かったような気がするのです。その部分の項を起こして、私学教育をきちんと規定するということが大事ではないかという気がします。以上です。 |
| ○ | 野中委員 むしろ「第3章」が終わったところで申し上げるべきかと思ったのですが、中嶋委員が「3行、ないほうがいいんじゃない」という御指摘があったのを受けて、ここで少し発言をさせていただきたいと思います。 10ページのところです。とりわけ今回の教育基本法の改正に当たっては、この部分と宗教の問題がわかりやすいし、具体的に変革を要求されているところなので、ジャーナリズム的にも書きやすいし、国民的にもインパクトが強いところだと思います。 私としては、3行残してほしいという立場の意見なのです。なぜかというと、先ほど黒田先生から、大学、大学院、高等教育の指摘がありました。それから、今回これを変えるとすると、当然、20年後、30年後、あるいは40年後の日本をどういうふうにしていきたいかということに資するものだと思うのです。そのときにどうしても印象としては、「第1章」「第2章」まで読み進むと、閉じていく方向で「日本人であること」であるとか、「伝統、文化」であるとか、そこを閉じていく方向を強化して、誇りをという方向だけが強調されていく。 ところが、20年後、40年後の日本は、当然、地球がどうなっているかというところから、私たちの次の子どもたちが地球人になっていけるかというところを考えないといけない。それを考えますと、ローマテリアルはないし、石油もなければ、私たちにあるのはこの過去50年—石先生がいらっしゃるけれども、高度経済成長で世界1・2位の債権国にはなったけれども、国民一人一人がどうも幸せではない。これはおかしいというところでだから、日本人とは何か、と、自身を閉じていって、個の中を見詰めるということ、これは当然大事ですが、それだけではもうダメなのです。それは孤立への道。 同時に開いていくこと。システムも、コンテンツも、そして、人の流れもです。子どもの数は減る。それから、年齢は高くなる。そのときに海外からの人々を受け入れなければやっていけない。それから、中嶋先生は「国境を超える義務」とおっしゃった。でも、これは中を養ってから、「国境へ出なよ、みんな」ではなくて、向こうから来てくれる流れも流れやすくしなければならない。こちらからもどんどん出ていけるようなこと。つまり、開いていくという教育のいろいろな決まり事を整理していかなければいけないと思っています。 例えば、サッチャー政権のときに、ビッグバンをやりました。あれはとりわけ金融の世界においてのみよく語られるのですけれども、あれでウィンブルドン効果といってプラスのことを言う人もいれば、「何がウィンブルンドンだ。イギリス人はどこへ行っちゃったんだよ」と言う人もいる。ところが、あれをやったおかげで、今のシティの経済が一つの核をなして、地球の経済の一つのポジショニングをゲットできたわけです。 あのとき彼女が何を崩したかというと、シティの歴史ある金融のそれぞれの専門で、大英帝国がこのようにしてなったのだという経済システムの仲買とか、いろいろなところの既得権益をばらしたし、知恵がある人、力がある人は自由に入っていらっしゃいというふうに広げたわけです。 それでいろいろな知恵が集まって、金融のみならず、実はサッチャーが、「大英帝国のときは地球のへそだったのに、どうもアメリカさんが出てきて、おれたちはこんなにだめになっちゃった」といったときに、何に気がついたか。水は高きから低きに流れる。人の知恵とか、あるいはスパークするエネルギーを集めるためにはどうしたらいいかということで、例えば釈迦に説法ですけれども、シティのすぐ近くのロンドン・シティ・ユニバーシティーだったと思います。アカデミアが持っていた縦割りであるとか、国家で縛ってきた教職員の国籍条項であるとか、そのシステムの自由度をかなり上げたのです。 シティに近いところで、本当につまらい、ちっちゃな、ハロッズのすぐ近くでございますが、そこでバイオであるとか、ITであるとか、いろいろなアカデミアのときに、シティで証券化したいのだけれども、キャピタルを流していいよと。アカデミアと経済の部分においても壁を取っ払う方向にした。ですから、日本の某メーカーでアルツハイマーの薬を非常に短期間で世界の特許をダッと押さえることができたのは、実は日本ではできなかった。それを向こうへ投げて、ロンドン・シティ・ユニバーシティーで世界中からのアカデミアを集めて、「これに興味ある人、来ない?」と言って、それに対するキャピタルをお隣のシティからドンと入れて、「はい、オーケーだ」と言って、知的なものはイギリス国家の財産として担保できるという形をとったわけです。 長くなりましたけれども、つまり、日本人であることの誇りがどうのこうのということを今議論するのは、今年と来年ぐらいだったらいいけれども、20年、40年先の日本人は、地球市民として生きていけるかどうかということを、誇りを持って言えるような子どもたちに育てておいてあげないとだめだと思うのです。そのためには、一番ローカルであるところの日本人、あるいは村町に属する祭りのことを誇りに思うという伝統のことは必要だと思うのです。 ですから、過激かもしれませんが、5ページ、「第1章」に戻ってしまいますけれども、一番最後、中嶋先生がおっしゃっていた、国際社会を生きる教養ある日本人というのは、最後の5ページのところで、「世界に貢献する教養ある地球市民の育成を目指す必要がある」と、「日本人」のところをあえて「地球市民」という言葉にしてもいいぐらい、言わずもがな日本人でなければ地球市民になれないのであるからという、そういう開いていく教育基本法という。世界の知のコアになるというところの人材を育てていくために、今、変えなければならないのだという。東大の経済学部でしたか、教授をリクルートするのに、アメリカに門戸を開いたという報道がございましたが、「グローバル化」「国際化」という単語が出てきますが、これは何も国連の職員になって「国際人」として出ていく、あるいは留学生の数が増えたから「国際化」したという話ではないと思います。 天丼のふたをあければ、これは立派な国際関係でございます。今や日本はエビからおしょうゆからお米から何から、日本のドメスティックでサバイブしていけるような状態ではない。2秒で世界一周してしまう道具を入れて、通信の技術を一人一人の国民が持ってしまった。そういう時代に合った地球市民として誇りを持った日本人という、その開いていく部分を、具体的に文言のアイデアはございますが、今は申し上げませんが、何かどこかで入れたいというのが私の意見です。 |
| ○ | 鳥居部会長 今おっしゃっていることは、8ページの新たに規定する理念というところに、どういうふうに表現するかという形で、後でまた御提案をいただければと思います。そことは限りませんけれども。 |
| ○ | 田村委員 今の野中委員のお話は大変参考になりました。私の友人のお嬢さんがロンドン・シティ・ユニバーシティーの教授をしていますので、よくわかるのですけれども、その際、実感として宗教からは逃げないのです、イギリスが開くというときに。宗教をきちんとやっているのです。ですから、宗教教育に少し踏み込んでいかないと難しいと思うのですけれども、逃げてしまうと大変なことになるのではないかという気がしております。私は個人的には宗教教育にもう少し踏み込んだほうがいいのではないかと思っております。 もう一つございまして、先ほど渡久山委員から御指摘がございました14ページのところに、学校の部分で私立学校の役割が出ております。教育基本法がきて、50数年の間に大きな変化があったということがございます。その大きな変化の一つが私立学校の振興だったのではないかと思います。その理由に、文部省が学校法人という制度をつくって、民間の力を教育の中に生かすという制度をきちんと整備したことが、その背景にあると考えております。 私、個人的には小さいころ、あるとき財団法人から突然学校法人に変わりまして、学校法人に変わったところで、学校の運営その他がガラッと変わったことを覚えております。小さいころ私の親父がやっていたものですから。 学校法人の実感からしますと、今、いろいろ問題はあるけれども、学校法人という制度は非常によくできていまして、ほかの国では学校法人という制度がありませんので、ノンプロフィットの株式会社で学校をやるということが行われておりますが、それではなかなか普及しないのです。この制度は非常によかったと思います。 いずれにせよ、戦後60年近くの間に、私立学校は非常に増えた。内容も、大学、高等教育については、量的にも我が国の中でいろいろな意味で凌駕して活躍している。初等中等教育にあっても特徴のある教育をしてきた。パーセンテージとしては少ないのですが、例えば帰国子女の教育とか、それから中高一貫教育とか、体験学習といったようなものは、私立学校が先鞭をつけてやれた。その実績が公立にいい意味で刺激になったと思います。ですから、私立学校があって、日本の教育はよくなったと言えると思います。 もう一つ忘れてはいけないのは、就学前教育なのです。幼稚園という仕組みは、ほぼ私立学校が、なかなか学校法人に切り替わらないのですが、中心は学校法人になっておりますので、幼稚園という教育がきちんと就学前教育で成り立ってきているというのは、私立を無視しては考えられないわけであります。 その意味で言いますと、14ページのところに、そういったことまで多少触れていただく必要があるのではないかという気がします。もう少し踏み込んで、基本法ができたときにはなかった私立学校が、その後何十年かの間に活躍して、今日、日本の教育を考える場合には私立学校という役割を無視するわけにいかない。しかも、そういうものがあったから、今回の特区の問題もうまくできたわけであります。これが全部公立だったら特区はそう簡単にいかなかっただろうと思います。そういう意味では、今後もこういう仕組みは残しておく必要があると思います。それは日本のためにはよくなることになるのではないかと考えて、宗教教育と一緒に、私学教育についても、私立学校の重要性、振興という意味で書き込みをお願いできればと思っております。 就学前教育でいうと、今回のこのレポートのどこに書いてあるのかと思って見たのですが、24ページに書いてあるのです。まだ議論されていない箇所ですが、発言ついでで申し上げさせていただきますが、就学前教育、「幼稚園と保育所の連携・協力」という形で唯一ここに書いてあるわけです。これは幼稚園の教育内容をもう少し触れる必要があるのではないか。幼稚園教育というのは、今、保育所を含めると、ほぼ全員が就学前教育を受けていますので、何らかの言葉をここに書いておく必要があるのではないか。 例えば、私は何と言ったらいいかなと思って考えてきたのですけれども、「幼児期から長期的見通しを持ち、すべての子どもに対して生きる力の基礎を育成する環境を整備するため、幼稚園と小学校等との連携・協力を推進する」ということを入れる必要があるのではないかと思います。そして、「幼児教育への多様なニーズに対応するため、幼稚園と保育所との連携・協力を推進する」というような、もうちょっと前のところで、幼児教育についての幼稚園の教育的な内容、つまり、小学校との連携ということを触れておく必要があるのではないかと思いますので、発言させていただきました。 |
| ○ | 鳥居部会長 最後におっしゃったのは、24ページの表現の修正案としてのお話で、それはありがたいことなので、テークノートさせていただきますが、問題は13ページから始まる学校についての記述については、13ページの下の四角の中に書いてあることをもう少し具体的に整理したのです。それは学校の基本的な役割について、まず一番下の行を読んでいただきますと、「現行法は、学校の役割について一切規定して」いないのです。 御存じのとおり、現行法は「第6条」で「法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。」、それだけなのです。これでは学校は何をするところか何も書いていないし、困るというので、いろいろ議論があって、先週整理したのは、13ページに戻っていただいて、四角の中をこんなふうにあのときは言ったのです。「学校の基本的な役割について」、今ここに「教育を受ける者の発達段階に応じて」と書いてあるところは、幼年期、少年期、それから青年期、そういう「発達段階に応じて、知的・道徳的・身体的能力の伸長を図る」というか、育成をするために、学校を置く。その学校は、国・地方公共団体、あるいは私立学校法が定める私学が担うことが段階的に書いてあるというようにしてはどうかという形で整理したのです。 その言葉を、ここでは「発達段階に応じて」という言葉で書いていますが、場合によっては具体的に「初等中等教育、高等教育を行うために学校を置く」「学校は国、地方公共団体、どこどこが置く」というような二段構えの考え方でで整理したらどうだろうかというのがこの文章です。 それ以外のことは先生がおっしゃったのでわかりましたので。 |
| ○ | 小野委員 2点ございます。13ページの今の学校の役割の部分でございますが、「知的・道徳的・身体的」というのは、いわゆる「知・徳・体」ということが言われているわけですが、例えば芸術的なひらめきとか、人間関係とか、友情とか、これも道徳に入るのかもしれませんが、知・徳・体だけではなくて、プラスアルファの部分が学校の役割としてはあるように思いますので、ここは人間関係とか、環境問題とか、知・徳・体プラスアルファの部分もあるのだというニュアンスをぜひ生かしてほしいというのが1点でございます。 もう1点、17ページの宗教の部分でございますが、これは前々回に私は申し上げたのですが、宗教の役割といいますか、宗教の意義といいますか、そういったものをもう少し、いわゆる「寛容の態度」というだけではなくて、「宗教を大切にする心」と言うと言い過ぎかもしれませんが、宗教が現実に国際社会その他で果たしている役割といいますか、そういったものが少し読み込めるようなニュアンスにしていただければと思います。以上、2点でございます。 |
| ○ | 市川委員 これまで「第3条」、あるいは「第4条」については、議論がされてこなかったわけでございまして、素案でも現状を維持するということになっておりますが、私は「第3条」につきましては、「教育の機会均等」でございますが、「何々により差別されない」ということがあるのですが、この中で、例えば「門地」などというものは、現行法が成立したときには貴族院がありまして、「門地」があったわけですが、現在は「門地」というのがありませんし、今の若い人には「門地」なんていう言葉は全く理解できないと思いますので、これは要らないのではないかと思います。 かわりまして、中間報告では改めて検討するとなっておりました障害者教育、あるいは障害者に対する支援教育という問題がありますので、ここに「障害の種別及び程度」を一つ入れたらどうか。 もう一つは、これまでも、また、現在も非常に大きな差があるものは、地域間の教育界の差がございます。例えば東京や京都と沖縄や青森を比べてみますと、大学進学率など倍ぐらいの差がございます。この「地域」も入れたらどうかと思うわけでございます。 次の「第4条」の義務教育につきましては、これは佐藤先生の御先祖の佐々木京大名誉教授が現行法制定当時の貴族院で御指摘になったことでございますが、憲法第26条第2項に抵触するのではなかろうかという御指摘がございました。当時の政府委員の答弁は、当時の厳しい財政状況からいって、それは望ましいけれども、とても不可能であるので、日本経済の回復をまって逐次、授業料無償をより広い範囲の学費無償に近づけていきたいということをおっしゃっています。 また、同じく憲法の規定によりますと、単純に義務教育無償となっておりまして、設置者による差はないのでございます。そういう点から考えましても、私立の小学校、中学校段階の教育費負担をどうするかという問題があるわけでございます。こういった義務教育無償の範囲及び対象の拡張を、これは石先生から御案内が出るかもしれませんが、難しいことは重々わかっておりますが、少なくともそういう方向に向かって努力すべきだということを書くべきではなかろうか。これは制定当時からの宿題でございますので、政府委員もそのように、将来はやりたいというふうに答弁されておりますので、お書きになったらどうでしょうか。全くこれについて何も触れないのはおかしいのではないかと思います。 それから、国と地方の関係でございますが、素案では「教育における国と地方公共団体の責務を適切に規定する」とございます。適切に規定するのは当たり前のことでございまして、不適切だったら大変なことになります。しからば、適切とは何か。適切に規定すると言われましても、これは賛成も反対もできないわけでございまして、どのように規定するのかということをぜひ次回までに明示していただきたいと思います。以上でございます。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 先生が言われた最初の地域格差、あるいは障害を持っている方に対する格差という問題の御提案はテークノートさせていただいて、「門地」をとるかどうかは、とるのが当たり前だろうと思いますが、検討したいと思います。今は確かにおっしゃるとおり、門地なしですけれども、まだ門地を誇りにしておられる方もおられますから、霞が関ビルの中にもまだそういうクラブもありますから、いろいろ検討していただくことにしましょう。 もう一つのお話は、これは教育基本法のところにどうしても書かなければいけないのかどうか、事務方に検討してもらいます。というのは、おっしゃるように、義務教育無償の話は、私学についてどういうふうに応用していくかというのは、既に昭和50年、私学振興助成法に書かれていることであるにもかかわらず、その達成目標の2分の1助成が、今は12%ぐらいでとまっていますので、それを引き上げるといったたぐいの具体的な策を後ろの「第3章」の振興基本計画のほうで扱うほうがやりやすいかもしれないので、その場合、そのフックになるものをここに書くのか書かないのかということの御提案だと思います。ありがとうございました。 |
| ○ | 加藤委員 今、障害者のお話があったものですから、私もそれを申し上げようと思っていたのですが、12ページです。これは書面でも私は申し上げたのですが、障害者だけを取り上げるというのは、この基本法の趣旨からいえば、こういった福祉的な観点というのは、恐らく国によってとらえ方はいろいろあると思いますが、私もうろ覚えの知識で申し上げますので、間違っていれば指摘してほしいのですが。 障害も能力の一つだというとらえ方で、例えばアメリカでは障害者のことを「ハンディキャップ」と言わないで、「ディスエイブル」と呼ぶとか。そういう面で言えば、教育の機会均等の中に、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないと書いてあるわけで、障害者のみをここに取り出して、それがある種のハンディキャップということで、それに配慮するというのは書かないほうがむしろいいのではないかと思います。それが1点目です。 それから、先ほど梶田先生が宗教のところで、「寛容」という言葉は嫌いと言ってはいけないのですかね、ふさわしくないということでした。私は逆に、これも間違っていたら訂正してほしいのですが、「寛容」というのは、例えばキリスト教でいう広い心を持つという感じの言葉で、今の教育基本法の中ではかなり考えられた表現ではないか。他の宗教文化教育とか、その辺の概念が入ってくるだけに、「寛容」という心の持ちようというのは、むしろこの場に残しておいたほうがいいのではないかという気がいたします。それ以上いい言葉というのはなかなかないのではないか。 3点目ですが、これはお願いなのですが、11ページのところとか、先ほど江上委員も言われたのですが、以前、ほかのところで「やり直し」という言葉を考えてほしいと。学び直しといいますか、社会の中に一度出た人が、また学ぶ。そういう柔軟な教育は、恐らくこの後にも具体的な部分でまた出てくると思いますが、考え方として、例えば11ページの「職業生活との関連の明確化」のところで、「学び直しのきく仕組み」というようなものを入れていただけないだろうか。そういう意味では、生涯学習のところにもこれが関連してくるかもしれないのですが、そこはぜひ御配慮いただけないかと思います。 それから、これも前に申し上げたのですが、「子どもへの的確な職業観の育成」の中に、日本のものづくりといいますか、日本を成り立たせているある種伝統的なものが必要だという概念で、一つ代表的に入れていただくわけにはいかないだろうかということでございます。 最後ですが、先ほど野中委員が言われた「開いていく」という観点は、非常に重要なのだろうと私も思います。先ほど最後に申し上げようと思って、言う機会を失ってしまったのですが、中間報告でももちろんあったし、「第1章」のところでは、「日本人の育成」という言葉があります。そこで、もちろん日本人なのでしょうが、私も企業の役員と話をしておりますと、最近では、日本人というよりも、日本の大学ではなくて、海外の大学で学んだ人を入れたほうがいいのだと言われる方が大変増えておりまして、事実そのようになっております。そういう人を会社は求めているのです。 そういう意味で言いますと、「開いていく」というか、同時に日本で学ぶ外国人もイメージに入れておかないと、特に高等教育まで視野に入ってくれば、日本人というのもいいのですが、トータルとして開かれた、つまり外国人にも機会をというところはちゃんと視野に入っているのだというところを、基本的な部分で入れておく必要があるのではないかと思います。以上です。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 宗教に対する「寛容の態度」というのは、今、お二人から全く違う御意見が出ましたので、よくよく検討してまた次回までに案を持ってきます。 それから、学び直し、やり直しについては、再三これも考えて、結局、「やり直し」という言葉自体が差別語になってしまう可能性があるので、避けて避けてきたのですが、今お話の中にいろいろなお言葉がありましたので、ちょっと検討させていただきます。 |
| ○ | 橋本委員 今、日本のものづくりというお話がありましたけれども、私もぜひこういった文言等は必要だなということを感じております。 別の件ですけれども、14ページのところで、教員の内容にかかわることですが、こちらに「○」印が二つありますが、一つ目の「○」印の後あたりに、ここにやはり必要かなと思えることは、先ほどお話を伺っておりますと、子どもたちに夢や希望が少ないというお話もありましたけれども、大人がどうしても「今の子どもたちは」と決めつけるような文言が大変多いなということを最近感じております。その中で、毎日、子どもたちと過ごしていながら、子どもから大変大きなエネルギーを私ども大人がもらっています。その力を引き出しているのが教員なのです。 そのようなことから考えてみたいことなのですが、子どもたちは基本的に希望や夢は持っています。ただし、10代の年代というのは大変自信の持てない年代で、自分が今何をやったらよいのか、また、やることによってどのように進めることがよいのかということがわからない子どもたちもかなりおります。したがって、意欲はあるけれども、それをどのようにということを考えたときに、それを大人が手助けしていくわけですが、認め、また褒め、支えるとか、自信を持たせていく。前回ちょっとお話しさせていただいたのですが、力を引き出すことがとても大事なのではないか。「意欲」という言葉でくくるならば、「生きるための意欲」であるとか、それからこれは大きな目標になるわけですが、「学習への意欲」であるとか、さらに「生活をするための意欲」であるとか、それをどのように引き出していくのかということがとても大事だと思っております。 そこで、教員のところの二つ目あたりに、そういった教員は大きな役割があるというマイナスイメージだけではなくて、本当に今の子どもたちに接していながら、教員は大きな役割がある、そういったことを触れる必要があると思っています。 その前のところに、学校ということについて触れてありますが、学校はやはり社会性を育てる役割もあるということが文言として書かれています。「社会性」という言葉では触れておりませんが、そういった役割があると思います。 もう1点だけ、家庭教育のことについてなのですが、私も今、毎日のように、今日も夕方戻りましてから、三者面談といって、家族の方、子どもと面談をします。今、毎日のように教員の面談と家族の方と子どもとの面談をしております。その中で一番感じることですけれども、今、人と人との温かいかかわりが大変希薄になっているということを感じるわけです。いわゆるかかわり方が親も子どもも、親といったらいいか、文言としては保護者になるのだと思いますが、かかわりが上手ではありません。 そういった中で、家庭教育のことが書かれているわけですが、その中の一つ目の「○」印の2行目に、「他人に対する思いやり」という言葉があるのですが、その前に「家族の思いやり」といいますか、それは大変重要だと思っています。家族のかかわり、支え合い、それから励まし合い、こういったことが今大変欠けている。子どもたちはまだまだ子どもですので、子どもというのは、小・中学生のことを子どもとくくって言っておりますが、それが家族のかかわりの中で育てられることが大変多いのではないかと思っております。 それから、ここの一つ目の「○」印の6行目でしょうか、一番最後に「父親の家庭教育へのかかわりが社会全体として十分ではない」という一文がありますけれども、子どもとの温かいかかわりをしていただきたい。すぐ暴力を振るうとか、すぐ大きな声で話をするとか、子どもがおびえることばかりをするのではなくて、幼児期から父親、母親、または保護者というくくり方がいいのか。父親はあえて「父親」という文言を出してもらいたいと思っているわけですが、もっともっと温かいかかわりを持ってほしい、そのように思っております。 今、母親と接している中で、一番感じることは子育てへの自信が持てない。おろおろしている。それをどのように学校で支えていくのかということが大きな課題でもあります。そういったことで親子関係の難しくなっている年代。だけれども、一番重要なことを幼児期から行ってほしい。そういった文言がどこかに入るといいなという思いがいたしました。 |
| ○ | 鳥居部会長 どうもありがとうございました。 今おっしゃったのはとても大事なことだと私も思っていまして、私も実は下書きがあるのです。その下書きを見ながら先生のお話を伺っていたのですが、とにかく子どもたちに私たちの責務というか、親と学校の責務を語りかけることで、彼らに幼い人生を行き先を照らしてやることで、彼らの中にある力を引き出してやる、励ましてやることで、勇気づけてやる必要があって、彼らと共に生きてやることが大事だと書いてみたのですが、それをこの中にどうやって押し込めようかという段階になって、押し込めようがなくなっているのが現状なのです。おっしゃることはとてもよくわかりますので、何とかしておっしゃるようなことをどこかに入れたいと思います。 |
| ○ | 江上委員 具体的な条文についての問題提起ですが、「第3条」の「 そのとき、具体的に奨学の方法を講じる運用の制度的手段としては、学力、能力等々の仕組みがもちろん必要かと思いますが、法律の理念としては、ぜひここは「意志」「意欲」という方向を検討していただければと思います。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。大事な御指摘だと思います。 |
| ○ | 永井委員 先ほど加藤委員から御指摘がありました「学び直し」という点ですけれども、これにピッタリ合っているかどうかわかりませんが、私は現状を見ますと、テストの成績などによって機械的に進学するという傾向がある。これを何とかしなければいけないと思っていまして、個性の伸長とか、いろいろ理念を実現するためには、高等教育に進む前の一定期間、猶予期間の設定ということを考えてはどうかと思います。 これがどこに入るのか、11ページの「職業生活との関連の明確化」なのか、その辺はさっきの「学び直し」という文言と一緒にどう書くのかというところが一つ問題になるわけでございます。それの具体的な施策として、たぶん「参考」と書いてある、「今後の審議において計画に盛り込むことが考えられる具体的な政策目標等の例」というところが重要なのかなと思っております。27ページの下から二つ目のところに、「安易な卒業をさせないよう学生の成績評価を厳格化し」という、ある意味では当然なのかもしれませんけれども、非常に厳しい政策提案があるわけです。その下あたりに、進学決定までの猶予期間を設けるために、例えば「センター試験の成績の3年間から5年間の有効化」ということを考えではどうかと思います。 高等学校卒業ぐらいの時点で、進路について日本の学生はあやふやで、つい成績の順に医学部、法学部というふうに考えて、動機づけがはっきりしないまま学んでロスが大きいと思います。その辺のところを盛り込んでいただければ大変うれしいと思います。 それから、全体の中で、11ページの「職業生活との関連の明確化」を書いていただいたことはとても感謝いたします。アメリカでは、小・中学生からキャリア教育を始めておりまして、具体的な職業人が教室の中に登場したりいたします。大多数の人間は、何度も申し上げているように、研究ではなくて、職業との関連で人生を追求していくわけですので、その辺のところももう少し書いていただければうれしいと存じます。 |
| ○ | 中嶋委員 先ほど私は「日本人であること」という言葉が「アイデンティティ」のかわりにどこかに入ったほうがいいということで、そういう状況認識から、一方では「国境を超えた義務」とか、これからの国際社会を展望したわけです。その点は、状況認識としてはさっき野中さんがおっしゃったこととか、加藤さんがおっしゃったことと全く同じだと思うのです。だけど、この3行を入れることによって、我々は従来型のイデオロギーで議論しているわけではないし、一部のメディアとか、一部の人たちの意見を意識しているわけではないのです。これを入れると、全体の議論がレベルの低いところにあるような感じを受けるのです。 そういう意味で、中教審の最終報告としては、こういう断り書きを入れることによって、何となく品位が落ちるような気がするものですから、ちょっとこだわっているわけです。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 それでは、大体御意見をいただいたと思いますので、いただいた意見をもとにいたしまして、「第2章」を次回までに修文して、もう一度お諮りをしたいと思います。 次に、「第3章」にいきたいと思います。資料1の21ページからが「第3章」になります。 中間報告では全体で19ページを費やしてございましたが、今回は全体で8ページという形で、特に中間報告では、計画に盛り込むべき施策の基本的な方向、中間報告でいう33ページからですが、27ページにつきまして12ページ半ほどのページを使って記述しておりましたけれども、具体的な内容につきましては、具体の計画策定段階で十分御検討いただく事柄ということで、今回の答申の中では大きく削除した形でページの圧縮となってございます。 21ページからが基本計画策定の必要性という事柄で、これまでの御意見を踏まえて、21ページですと、二つ目の「○」の最後の3行ほどを追加してございます。「当審議会では教育振興基本計画そのものではなく、その骨格となる基本的考え方について以下のように提言し、詳細な審議は当審議会の関係分科会等において今後続けることとしたい。」。 また、次の「○」につきましても、「第3章」がどのような内容を持っているのか、その性格づけがわかりやすく、今後の審議の進め方などを丁寧に記述する形で少し修文を図ってございます。 22ページからの2番の教育振興基本計画の基本的な考え方につきましては、中間報告に沿った形で取りまとめをさせていただいてございます。 23ページのところで、「(3)」が「政策目標の設定と施策の総合化・体系化、重点化」ということで、二つ目の「○」のところが、先ほど具体的な施策の基本的な方向という27項目を削除したということを申し上げましたが、二つ目の「○」のところで、それにかわった形で、3行目の後段からですが、「例えば」ということで、「以下に掲げるような基本的な教育条件の整備について、その方向性を明確に示していくことが必要である。」ということで、「『確かな学力』の育成」の以下、5本につきまして、骨太な形で基本計画の骨格になるようなものをここに掲げさせていただいております。 そして、24ページの「計画の策定、推進に際しての必要事項」は、中間報告を引き継いだ内容となってございます。 そして、25ページからが、中間報告にありましたものを踏まえて、参考として「今後の審議において計画に盛り込むことが考えられる具体的な政策目標等の例」という形で、中間報告の段階ではアトランダムに掲載させていただいておりましたけれども、今回は「第3章」に掲げた教育改革の基本的な方向で示していただきました構成に沿った並びに替えてございまして、その並び替えの際に幾つかの柱で補うべきものを新たに追加しているという形で、4ページにわたります「参考」の欄を全体で構成させていただいております。 先ほど森委員がおっしゃられました幼稚園と小学校の連携のお話は、26ページの上から四つ目の「○」のところで少し触れているところでございますので、先ほどの御意見も踏まえた形で対応させていただければと思います。 「第3章」については、以上でございます。 |
| ○ | 鳥居部会長 「第3章」は、これから修文をまだまだしなければならないと思いますが、何か御意見がありましたら承って、次回に備えたいと思います。 私自身も、悩んだのは最初の21ページの4行目の「近年」から「……られている。」まではとってしまおうかなと何遍か思ったのですが、ほかでもやっているのだからということを強調するためには、これも必要なのかなと思って残してみたり、何度かとったりつけたりしたものであります。そういったところも含めまして、御意見を賜りたいと思います。 |
| ○ | 市川委員 23ページ、「(3)」の最初の「○」のところに、「施策目標のうち可能なものについてはできる限り数値化する」と書いてございますが、数値化にはメリット、デメリット、両面があるということは、御案内のとおりでございます。25ページ以下の「政策目標等の例」というところを見ますと、例えば「国際的な学力調査でのトップクラス」とか、「授業が分からない子どもの半減」とか、「いじめ、校内暴力の『5年間で半減』」とか、「高校卒業段階で英語の日常会話ができ、大学卒業段階では英語で仕事ができる」「世界的平均水準の英語力」など、すべて教育活動については数値目標が課されているわけであります。 その反面におきまして、一番数値目標が期待されております教育条件の整備、充実につきましては、整備を推進するという方向性は示されておりますが、数値は一切目標として示されておりません。また、教育投資額についても同様でございます。 このように教育条件の整備、充実のほうは、単なる方向性であって、目標がない。一方、教育活動のほうは非常に厳しい数値目標が示されている。これで苦しむのは現場の教職員でございまして、条件整備が一向に進まないのに、教育活動の成果だけは非常に高いハードルを課せられていることになるわけでございまして、この辺はもう少しバランスがとれるようにお考えいただいたほうがよいのではなかろうかと思います。 |
| ○ | 奥島委員 御存じのように、教育基本法という考え方は、「ロア・ドリアンタシオン」というフランスの「方向づけ法」をまねた法形式として出てきたわけでありますので、先ほどのいろいろな夢と理想と具体的な手段が織りまざった御意見をこの中に全部入れるのは無理なのです。そのあたり、できるだけ手段的なものは「第3章」といいますか、基本計画のほうに切り離していただいて、基本法のほうは鳥居先生の美しい言葉でできるだけ全体として理想を語っていただくという形の取りまとめにされないと、先ほどから聞いております御意見を全部基本法の中に入れようとしたら、非常にアンバランスなものができると思っております。ぜひともその点を考えていただいて、手段的なものを「第3章」に持ってきていただきたいと思います。 ところで、手段的なところでありますけれども、これは市川先生が御指摘のとおりなのです。数値目標が入るところと入らないところがあるというのは、非常にやりにくいところがあります。さりとて数値目標を明確に出せるところを出さないのはおかしいと思われるでしょう。そのあたりをどういうふうに考えるのかということが、まとめる上で非常に難しい問題で、その点を御指摘なさったわけで、私もなるほどと思うわけであります。 しかし、所詮財布の中身が決まっているのでは、パイの大きさが定まっているようなもので、パイが同じであるため、切り分け方でもってしか予算の作成ができないという時代において、そこのところを数値目標化するのはなかなか難しいので、課題として残さざるを得ないという点はやむを得ないということになります。私も市川先生のおっしゃる点はよくわかるわけでありますが、そのあたりは乱暴に切り分けていくよりしょうがないのではないか。そうでなかったら、ここの基本計画のところは具体性が全くなくなってしまう。基本計画では具体性がなければいけない。基本法のほうは夢を語るということで、そのあたりをもう少し明快に、乱暴に推し進められたほうがよろしいのではないかということを意見として申し上げます。 |
| ○ | 渡久山委員 今お話がありましたように、ここでは数値化をどうするかということが大きな課題になってくると思います。もちろん教育基本法ができて、計画をこれから具体的につくっていく段階でできていくものという部分もあると思います。だがしかし、23ページには、この5年間で重点的に取り組む分野、それから政策を明確にする必要があるという形ですからね。その5年間をいつからスタートさせるのか。この計画そのものが5年間を含めているのかという形になれば、その二、三行上にあるように、できる限り数値化という問題も出ておりますから、この辺は明確にしていく必要があると思います。 何かというと、具体的に政府予算はどんどん進むわけです。例えば、義務教育費国庫負担法による負担金も随分変わった形が出てきています。そうなってくると、今後の5年間で何をどうしていくのかという部分は、もっときちんとしていく必要があろうかと思います。 それと同時に、23ページの「 それから、先行投資の部分が非常に出ていますけれども、先行投資というのはどれぐらいやるのか。例えば、1971年、46答申によると、9年間で約70兆円、単年度で13兆円使えという、わざわざそういう中教審の答申があるのです。中教審で数値を出していけないということはないと思うのです。過去に出ていますから。そうであれば、ここでも具体的にそういう形を出すのか出さないのか、あるいは次の計画でしていくのか、これはきちんと明確にしておいて進めたほうがいいのではないかという気がいたします。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 私の頭の中にあるイメージですと、「第3章」を受けて、中教審の中だけでも、今、五つの分科会があります。それぞれの分科会が、つかさ、つかさで初等中等教育とか、高等教育とか、それぞれ受け持ちが違いますから、そこへ宿題を出して、その宿題をできるだけ早く返してもらう形で、それぞれの分野ごとにやらなければならないことを出してもらって、そこで初めてトータルとしての基本計画がつくられていくのだろうと思います。その段階では積み上げて、何兆円必要ということもあるかもしれませんが、今、それをここで出すことはちょっと早いという感じを持っているのですが、いかがでしょうか。 |
| ○ | 梶田委員 「第3章」はよく書けているのですけれども、おとなしいなという印象がありましてね。今、渡久山先生がおっしゃったようなお金の問題、例えば過去5年間の2倍以上の教育投資をとかね、まさにそこでは数値目標を出したらいいと思うのです。というようなことで数値的なものを最初のところに書くべきではないか。2倍がいいのか、3倍がいいのか知りませんが、そんなことを思いながら私も文章を見ていました。ちょっとおとなしくて迫力がない。 前にも申し上げましたが、既に文部科学省の各局がやられていることを羅列したようなものになるのだったら、何にもインパクトがないです。そうではなくて、新しい大幅な教育投資の拡充につながらなければいけないだろうと思いますので、そういうニュアンスが出るような数値目標は入れてほしいと思います。 ついでに、25ページで、この辺ずっと書いてあるのですが、二つほど気がつきましたので。 一つは、例えば学習到達度の問題が書いてあります。これは大事なことですが、今、一番問題なのは、学習意欲が大幅に低下しているということです。90年代の半ばから、いろいろな調査でガタ落ちなのです、小・中・高校生が。OECDの調査でもそうでしたし、IEAの調査でもそうです。今、子どもたちの国際比較調査で一番問題なのは、学習意欲が主要国で一番下のほうだということです。ですから、学習意欲の新しい喚起を図るとか、勉強の喜びとか、努力の楽しさとか、克己の大事さとか、この10年ほど、文部省もおっしゃってこなかったし、マスコミも言ってこなかったけれども、これがなかったら勉強なんかできるわけがないのです。毎日毎日その日暮らしをやっていたらね。というようなことで、25ページの「○」の一番初めか2番目に、学習意欲の問題を書かなければどうにもならないだろうな、と思っております。 もう一つだけ言いますと、25ページの五つ目の「○」に、「教員養成、研修の」というのがありますが、これは言われ過ぎてきたことで、例えば20年前からやっていますよ、というような話になると思うのです。もしこれに加えるとすれば、この目的のために各都道府県で教員養成大学、教員養成学部の再編を通じて、新しいセンターをつくるとか、具体的なことを書かないといけない。これはいわば当然であり、いつも関連の答申で出て、既にいろいろなところで手が打たれていることですから、そのようなことを思いました。 |
| ○ | 野中委員 今、学習意欲のお話も出ましたけれども、大体ここに来ている委員は、そんなことを言われなくても、よくお勉強した世代だと思うのです。なぜかというと、社会全体が焼け野原から、それこそ学習したら偉くなって、いい先生になって、子どもたちといい国をつくろうとか、お金をもうけられるとか目標の背中が見えていた。今、中国へ行くと、子どもたちは本当に学習意欲にあふれている。その先に背中がちゃんと見えているから。これはいい悪いは別にして。 それを考えますと、実はこれは、「行け行け!頑張れ!、よしっ」という学びとか、あるいは社会の一員として、あるいはお父さんみたいになりたいとか、「よしっ、頑張るぞ」という社会状況が終わってきて、いろいろな問題が起きてきているという中で、むしろ学校教育か、それとも生涯教育か、両方必要だと思っているのです。 今、例えば“日本丸”が元気をなくしている。なぜか。不景気だ、経済状況が悪いから。これが一番の理由だと思っているっしゃる方が多いと思うのですが、ここにブレアさんとシュレーダーさんとシラクさんが3人寄ってたかってやってきて、「おいおい」と言っても、その3人分のGDPを合わせたよりも、この不景気で出口なしと言われている我が国のほうがまだ国力は強いのです。為替を125円ぐらいで計算すると、3国合わせたよりも大きい国力をまだ持っている。 ところが、これだけ自信をなくしていたり、また景気が下がった、8,000円切ったらどうしよう。これでウロウロして、東京証券取引所というところでの一つのインデックスでしかない株式市場が振れると、失業者がドーッと出てくるような気がしてしまう。これはなぜなのだろうと思って、私はある金融関係のシンクタンクの仕事を始めて気がつきました。 高度経済成長のときには、善良な市民はお金のことに疎いほうがよりピュアな人間みたいなところがあって、とりわけ株式だとか、債券だとか、そういうお金に絡まったことは、そこに疎いことのほうがよかった。確かに銀行もつぶれなかったし、郵便貯金にお金を預けておけば、国の足腰づくりはできましたから。ところが、経済がこれだけ1日に何百兆円というのがデリバティブというところだけでも動いているという時代にあって、はたとお金のことを私たち日本国民はどこで習っているのだろうかというのを調べました。 びっくりいたしました。初等中等教育で、青物市場、魚市場、株式市場でございます。株式市場で資金調達メカニズムについて、どういうふうに行われていて、今の資本主義経済が成り立っているというようなことについて教えているところが、本当に三、四行ぐらいしかなかったのです。 今、目を転じてみますと、まだ国が幸いなことにそれだけの国力を維持することができている。「最後の年だ」と言うエコノミストもいますけれども、その中で、例えば年金の問題、それから退職金の問題が、御案内のように日本が今まで高度経済成長のときにやってきた厚生年金のパラダイムが、昨年1年の運用が平均でマイナス7.5%でございます。つまり、今までのままをやり続けられないのです。個人一人一人が自己責任という形で、何かやりなさいと言われている。 ところが、先ほど永井先生から、職業において人生を選択しているというチャネルのお話がありましたが、人生を担保していくのに必要なお金が、実は机の上に置いたお金の身長が高いほど、幸せがシンクロすると思って走ってきたのが我々の世代でございます。これがそうではないということがわかって、年金にしろ何にしろ、とにかくお金のこと、金融経済の知識をやはり学校教育のところで、例えば26ページのところで、「学校における司法教育の充実」という文言を入れてくださいました。私は法制審もやらせていただいているので、これは非常に大事なことだと思います。法治国家としの基本を学校で教えておく。 それと同時に、世界一、二の債権国になった我が国で、金融の知識、経済の知識を非常にわかりやすく、「リスクってなあに」「コストってなあに」「株式ってなあに」「年金ってなあに」ということを、すぐアメリカ型のストックリーグで、「株のポートフォリオを小学校から組ませなきゃいかん」というよりも、もう一歩前、自分の人生とお金のつき合い方について、平仮名で平らかに学べるという、これをぜひ学校の教育の現場でもやっていただきたいし、とりわけ生涯学習でもって、社会的にお金がマキシマムで、これとシンクロして幸せな人生が送れるなんてとんでもなくて、これはただのクーポン券。だけど、とてもパワフルなクーポン券なのだよということ教えてあげるのが、今、ひょっとすると今まで“日本丸”になかったことかなと思いました。 実際、私がそういう形でいろいろ調べると、いろいろなところでそういう動きが、NPOであるとか、あるいは各企業がソーシャル・リスポンシブルな活動として、そういうコンテンツづくりにも、金融庁などからもお金がつくようになってまいりましたので、ぜひとも教育の現場からもそれを入れていただければと思います。 |
| ○ | 加藤委員 25ページ以下の具体的な政策目標のところで、幾つか申し上げたいことがあるのですが、書面で出してもありますので、代表的なことだけ三、四点申し上げたいと思います。 一つは、前のところとも関係しますが、幼稚園、保育所の問題で、連携・協力をさらに踏み出して、融合とか、一元化とか、その辺までを視野に入れているということは書いていただけないのか。当面は連携・協力かもしれませんが、そのように思います。 それから、25ページ、五つ目の「○」ですが、教員養成や研修の効果的実施のところで、教員の採用に当たっての年齢、国籍制限の撤廃とか、そのような話も入らないのかと思います。 それから、年金教育が必要だという野中委員の意見には私も大賛成です。 それから、先ほど申し上げた26ページの「職場体験学習」というのが五つ目の「○」に出てきますが、「学び直し」ということはここらあたりに入るのかなと。もし具体的にといえば、誰でも学べるというか、そのような単語を入れていただくと、ここに入るのかなと思います。ここでは体験学習のほうだけ言っていますが、学校と職業生活との接続、あるいは将来の職業や働き方ということを言っていますので、ここで述べていただくとわかりやすいのではないかと思います。誰でも学べるというか、そういう概念。 あとは28ページのところの「(3)」の「学校・家庭・地域社会の連携」というところで、一つ目の「○」にもかかわるのですが、学校協力員制度と申しますか、アメリカなどで結構例があると聞くのですが、少人数(指導)を達成するために、授業にお母さん方が入ってサポートする。非常に効果があるというふうにも聞いておりますので、ぜひそういうことを検討していただけないだろうかということでございます。 |
| ○ | 野中委員 今、加藤委員がおっしゃっていただいたので、補足で。年金教育ということよりも、アメリカでは年金が401に移っていく20年前に、教育現場でERISA法というのですが、すべてのアメリカ国民は経済教育を受ける義務と権利があるというのを担保しておいて、みんなが「お金ってなあに」ということがわかって、90年代からスタートするのです。ですから、国を変えていくときに、年金教育ではなくて、金融知力、「金融の力をつけること」という表現にしてくださるとうれしいと思います。 |
| ○ | 橋本委員 23ページの一番下の「○」の「計画の策定に当たっては」のところの「・」の一つ目です。「『確かな学力』の育成」の2行目ですが、「習熟度別指導の推進により」という文言でありますが、ここでは25ページとの関連がありますので、「習熟度別指導、個に応じたきめ細かな指導などの推進により」のほうが、整合性が図れてよろしいのではないかと思います。これは基礎・基本の徹底は、少人数指導または習熟度別指導だけではない。日常の本当にきめ細かな指導がとても重要だと思っていますので、そのように感じました。 また、同じ行なのですが、「『確かな学力』を育成する」というところで、この「確かな学力」のとらえ方ですが、知識理解も大変重要。しかし、知識理解だけではないということで、学力のとらえ方で以前も発言したことがあるのですが、やはり「学ぼうとする力」であるとか、「学んで得た力」であるとか、また「学んで生かそうとする力」であるとか、知識理解とともに、技術も技能もそうですし、また、創意工夫であるとか、想像工夫であるとか、そういった力も大変重要なのですが、さらに「学ぶ力」ということを考えたときに、先ほど申しました三つの力も重要だと思います。「確かな学力」のとらえ方—これは文言を入れるとか入れないの問題ではなくて、そのようなとらえ方を私自身はしております。 それから、24ページのところです。上から3行目のところ、「幼稚園と保育所の連携・協力」、これは大切なことだと思っています。それと小学校との連携、これも重要だと思います。その次のページにかかわることなので、25ページをお願いいたします。ここでちょっと疑問に思ったことがあります。一つ目の「○」の2行目からです。「国際的な学力調査でのトップクラスを維持すること等を目指し、『確かな学力』を育成する。」。目的はトップクラスを維持するためなのでしょうか。「確かな学力」を身に付けるということは、子どもたちにとってどうなのか。子どもだけではないですね。学生さんもおりますので、長いスパンで教育ということを考えるわけですが、この文言が納得できませんでした。 その次の「○」印のところ、これは先ほどの23ページとの整合性を図る意味で、「習熟度別指導」の前に「少人数指導や習熟度別指導、個に応じた指導などを推進して」という形で、同じトーンで書いていったほうがよろしいと思います。 それから、「○」印の四つ目です。これが最後になります。「当面」というところですが、この中の1行目のところに「中高一貫教育校の設置を推進するとともに、小中一貫」云々と書いてありますが、「小中一貫、幼少一貫」、この一貫教育ということよりも、今、すごく重要なことは、一貫教育を行う学校も地域にあってもいいと思います。しかし、大事なことは幼少の連携教育、また、小学校と小学校、小・小の連携、小・中の連携、中・中の連携、また、中・高の連携教育。一貫教育の前に連携教育が必要である。そのことを今、身にしみて感じております。以上です。 |
| ○ | 奥島委員 私、聞いておりましてますます心配になってきますのは、今次々と出ているような意見を全部入れていったら、一体どういうふうな基本計画になるのだろうと思います。私は法律家ですから、端的に申し上げますと、「シービス ・パーケム , パーラ・ベリューム 」というローマ人の法諺がありまして、「平和を欲するのであれば戦いに備えよ」という意味です。例えばの話ですけれども、「平和を欲する」という目標が教育基本法であって、「戦いに備えよ」というのが恐らく基本計画であろうと思うのです。そこのところを詳しくやればやるほど、ほかの審議会やなんかでどのような形で目標を具体化していくか。非常に具体化されていますと、基本計画は必要なくなってくる。しかし、基本計画ということが大事なのだと思います。この基本というところをどのようにとらえるかという視点を、これは時間がありませんので、会長のほうで腰だめでもって決めていただいて、その基準でもって全体をそろえていただきたいということだけ申し上げたいと思います。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございます。 大体こんなところでよろしゅうございましょうか。特に御意見がございませんようでしたら、奥島先生の最後にまとめてくださったことで、私にとっては大変気が楽になってきましたけれども。 ただ、いただいた宿題は非常に大きいと思いますので、慎重に、また大いに頑張ってやってこようと思います。 次回のスケジュールについて、事務局からお願いします。 |
| ○ | 事務局 長時間にわたりましてありがとうございました。 資料3にお示ししてこざいますが、次回からは総会と基本問題部会の合同会議という形で、3月6日、午後10時半からと、3月10日、10時からをとりあえず予定させていただいておりますので、引き続きよろしくお願いいたします。 |
| ○ | 鳥居部会長 どうもありがとうございました。 それでは、今日はこれにて散会をさせていただきます。 |
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