ここからサイトの主なメニューです
 |
教 育 基 本 法 の 規 定 の 概 要
| 第 | 9条(宗教教育) 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。 |
 |
国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。 |
|
◎本条の趣旨
・本条は、憲法第20条第3項を受けた規定。
・第1項は、すべての教育を通じて、宗教教育が重んぜられるべきことを前提として、宗教教育の在り方を示すもの。
・第2項は、憲法の政教分離の規定を受けて、国公立学校の宗教的中立性、すなわち宗教教育の限界(特定の宗教のための宗教教育ないし宗教的活動の禁止)を示すもの。
(参考法令)
日本国憲法
| 第 | 20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 |
 | 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 |
 |
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。 |
○「宗教に関する寛容の態度」
宗教を信ずる又は信じないことに関して、また宗教のうち一定の宗派を信ずる又は信じないことに関して、他宗教ないし他宗派をそれと認めつつ、侮べつ、排斥をしないこと、ゆるしいれることであり、さらに反宗教者に対しても寛容の態度をとること
○「宗教の社会生活における地位」
宗教が歴史上社会生活において果たしてきた役割、過去の偉大なる宗教家の人格、宗教が現在の社会生活に占めている地位、及びその社会的機能、及び宗教の本質等を、一宗一派に偏することなく、客観的態度で教材の中に取り入れること
○「特定の宗教のための宗教教育」
学説上、以下のいずれも禁止されると解するのが有力。
a.特定の宗教のための宗教教育
b.すべての宗教のための宗教教育(宗教一般を宣伝する目的で行われる教育)
c.宗教を排斥することを目的として行われる教育
○「宗教的活動」
「宗教的活動」の意味については、「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助言、促進又は圧迫、干渉等となる行為」(昭和52年最高裁判決)とされている。
(参考)
帝国議会における第9条に関する主な答弁
【第9条第1項は憲法に違反するのではないか。】
○昭和22.3.14 衆・教育基本法案委員会
<辻田政府委員答弁> 第九条と憲法の第二十条との関係でございますが、これは第九条の内容をお説明申し上げますとよくおわかりくださると思いますが、「宗教に関する寛容の態度」というのは、宗教を信じておる者相互における寛容の態度を包含することはもちろんでありますが、そのほかに反宗教者、無宗教者に対する寛容の態度ももちろん包含されております。宗教に対すると書かず、「宗教に関する寛容の態度」と書きましたのは、要するにそういう意味でありまして、憲法の第二十条信教の自由は何人に対しても保障するというのにも矛盾せずに、むろし強調したものだと存じておる次第であります。
次に宗教の社会的地位ということでございますが、宗教が社会生活の上においてこういう地位をもっておるということを、知識的に説明するだけでありまして、これは憲法第二十条の信教の自由を保障されることについて矛盾しないものと存じておる次第でございます。
【第9条第1項は、堕落した宗教も含めて社会上の優位性を認めるものではないのか】
○昭和22.3.14 衆・教育基本法案委員会
<高橋国務大臣答弁> 宗教に関する寛容の態度は、教育上これを尊重しなければならない。宗教の社会生活における地位は教育上これを尊重しなければならないというより、むしろ重点は寛容の態度に置かれておるのでありまして、宗教の社会生活における地位を尊重していかなければならぬ。その地位を特に重んずるというのでなくして、その地位がいかにあるかということを重視していかなければならぬ、こういう意味に解釈すべきものと考えております。この法案成立の歴史を申しますると、最初はむしろ宗教的情操の涵養を説くということになつておつたのでありますが、かくのごときものは改めたらよいだろうという意見が強くなつてまいりまして、そうしてここには、特に宗教に関する寛容の態度を尊重しなければならぬ。かくのごとく改められた次第でございます。
【第9条は宗教的情操の重要性を無視していないか。】
○昭和22.3.22 貴・教育基本法案特別委員会
<高橋国務大臣答弁> 此の点に関しましては少し歴史がございまするので、最初は宗教的情操の涵養云々と云ふ文字になつて居つたのでございます。寧ろ宗教的情操を涵養せしめることを謳つて居つたのでありまするが、去る方面の意見に依りまして、之を削りまして、単に宗教に関する寛容の態度が記されることになつたのであります。積極的に宗教的情操を涵養する必要を説いて居つたものでありまするが、其の後になりまして寧ろ消極的な規定になりましたのでありますが、併しながら其の次に宗教の社会生活に於ける地位を尊重しなければならぬと云ふことが述べられて居るのでありまして、宗教の社会生活に於ける地位が尊重せられるに連れまして、自ら又其処に宗教的情操と云ふやうなものも湧いて来ることになりはしないか、こんな風に考へて居るのでありますが、只今申しましたやうな経緯を経て居るものでありますことを、御了承願いたいと考へるのでございます。
【宗教教育を教育上尊重するとはどういう意味か。】
○昭和22.3.19 貴・教育基本法案特別委員会
(「第九条に宗教教育と云うことをお決めになつたのは、宗教と云うものを教育上重んじて、そうして宗教心と云ふものを成るべく国民に持たしむる、さう云ふものとはこの規定は関係ないのでございすね、所謂宗教教育其のものを重んずると云ふのではなしに、宗教に付いては皆、無宗教でも宜し、如何なる宗教でも宜いと云ふ、憲法上の精神を唯此処に梢々具体的に謳われたと云ふのであるのでありませうか、或いは宗教と云ふものは重大なものであるからして、宗教を重んずると云ふやうな思想を入れる、斯う云ふことになるのですか、その点を伺ひたいのです。」との質問に対し)
<辻田政府委員答弁> 御答へ申し上げます、只今先生の先きにお話になつた通りであります。
【所謂宗教的情操とは何か。】
○昭和22.3.19 貴・教育基本法案特別委員会
<稲田政府委員答弁> 公立の学校に於きまして所謂宗教的情操の涵養と申しますのは、前段に於て御引用になりましたやうに、宇宙の神秘でありますとか、生命の不可思議でありますとか云ふやうようなことに対しまして、非常に敬虔な念を起すと云ふやうな所迄導いて参る訳であります。其の上に於いてさうした気持から一人々々が或は仏教に進み、或はキリスト教に進む、是は公立学校の領域ではございませぬので、其の素地を培ふと云ふ程度に致したいと思つて居ります。
【第9条第2項の宗教教育とはどのような意味か。】
○昭和22.3.19 貴・教育基本法案特別委員会
<辻田政府委員答弁> 御答へ申上げます。此の基本法の第九条に宗教教育と云ふ言葉がございますが、新憲法の第二十条の第三項に「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と云ふ此の宗教教育を承けて居るのでありまして、宗教に関する教育は、全部と云ふ意味ではございませぬ、特定の宗教に関する教育と云ふ風に考へて居ります。従つて宗教に関する知識、例へば宗教学と云ふ風なことに付きましては差支ないと思つて居ります。
【宗教教育は信仰心を養う教育か、知識を養う教育か。】
○昭和22.3.19 貴・教育基本法案特別委員会
<稲田政府委員答弁> 一般の宗教教育と申しますか、宗教情操の涵養と云ふ点に付きましては、御話のやうな歴史でありますとか、或は宗教の偉人の伝記其の他、其の上の方の段階になりますと、世界には現在色々な宗教があつて、それぞれの宗教は斯うした教養を持つて居ると云ふやうなことを、今辻田委員から申しましたやうに、知識として教へると云ふことがあり得ると思ひます。是はまあ広い意味の教育でありまして、是は公の学校で許される部分であらうかと思ひます。此の基本法にありまする「特定の宗派のための宗教教育」と申しますると、只今御話の後段でございますが、そこに一つの信仰に導き入るやうな宗教教育、此の基本法の第九条の第二項にあります意味のやうな本当に真剣に特定の宗教に導く宗教、之を指定してあるやうであります。
【第9条第1項は、信仰を養ふ意味の信仰教育について奨励的態度をとるのか。】
○昭和22.3.19 貴・教育基本法案特別委員会
<稲田政府委員答弁> 第一項の方は先般も申上げましたやうに、例へば宇宙の神秘と云ふやうなものに対して非常に敬虔な態度を養う。是は児童の知識、興味等に依りまして段階はございますけれども、極く下の段階に於ては、例へば種子を蒔いてそれが段々成長する、是は蒔いた人の力だけだらうか、或はそれ以上何かお天道様と土の力、それ以上の何かあるのだろうかと云ふ位に導きまして、所謂宗教心の素地を養ふ、上の方の段階に於きましては、現在の社会生活に於て宗教と云ふものがどう云ふ役割を歴史的にも又現在的にも果たして来たか、又果たしつゝあるかと云ふやうなことを考へさせると云ふやうなことで、広い意味の個々に囚はれないやうな宗教心を養うと云ふことは、是は大いに教育上努めなければならぬことだと思つて居ります。更に又先程申しましたやうな歴史であるとか、或は芸術であるとか云ふやうな面から、宗教が人生社会に於て大きな役割を演じて居ると云ふことを知識としても教へると云うことは、教育上大いに努めていかなければならぬと考へて居ります。
一日中央教育審議会及び教育関係団体ヒアリングにおける主な意見の概要
◎宗教に関する教育
【宗教教育全般】
○日本人には、自分の背骨である宗教心が欠けており、宗教教育は必要。
○教育現場で宗教をタブー視することなく、大切な教養の1つとして取り上げ、子どもが人生観を構築する上での選択肢として提示することが大切。
○道徳観、倫理観の根拠を示す意味での宗教的な価値は、各宗教、宗派を超えた普遍的なものが共通項としてある。
○生き方についての普遍的な真理はどこにも通じるものがあり、普遍的な教義、真理については学校教育の中で学ばせるべき。
○国公立学校での宗教教育の禁止の規定は存続させるべきだが、宗教の持つヒューマニズムの精神、生命の慈しみ、他者へ奉仕する理念は重要であり、一般的な価値あるものとして学校教育・社会教育の中でもっと展開されるべき。
○一つの宗教に肩入れせず、宗教の普遍的価値を子どもたちに教えることが重要。ただし、戦前の日本のような国家神道に戻れということではない。
○宗教は本来公共的・社会的なものであり、正当に評価して、寛容と理解力を持って接することが大事。
○宗教的な教養を持つことは、異なる文化、宗教を有する人たちと相互理解と寛容さをもって接する上でも重要。
○現行法9条2項により宗教教育がタブーになってるが、宗教的な心情が哲学、芸術、科学等、人間文化の根源にあることに自然に気づかせるべき。
○現在は、9条1項の精神が十分に生かされておらず、宗教への寛容や尊重の精神が損なわれている状況がある。
○特定の宗教でない、一般的な宗教心の涵養は、現行法9条1項の寛容の精神の中に含まれる。
○子どもが宗教的な体験をする機会を提供することが大事。
○文化・伝統・倫理意識の深層において人間の営みの基盤を形成している部分にまで掘り下げて宗教を理解できるような教育(宗教文化教育)の導入が必要。
○日本人は特定の宗教を持たないことを、他国のしっかりとした宗教をもった人に理屈立てて説明できるだけの何かを自分の中に持てるような教育が必要。
○日本の伝統、文化の根底を支える日本の宗教の真理観、生き方は、これからの時代の日本人を育てる教育理念として、価値あるもの。
○宗教教育に関する規定については、据え置きにすべき。
【宗教知識教育】
○我が国の歴史の中で貴重なものとしてある宗教に関する基本的知識をきちんと教えることが重要であり、国公立の学校でも、キリスト教、仏教などを全部混ぜた宗教概論的なことを教えるべき。
○「宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重」を「日本の宗教に関する基本的知識及び理解は、教育上これを重視」に改正すべき。
【宗教情操教育】
○宗派宗教ではない、宗教的な情操の涵養や生命に対する畏敬の念の育成は、人格の形成に欠かせない。
○公教育における宗教に関する教育は、畏敬の念や豊かな心をはぐくむ観点から大切。
○子どもの健全育成に宗教史は欠かせないもの。宗教的な情操を重視する方向で基本法を改正すべき。
○学習指導要領の道徳の目標に掲げられている「生命に対する畏敬の念」という宗教的な情操を基本法に位置付けることで、指導要領に記された内容の習得の根拠が明確になる。
○「宗教的情操」とは何かが基本法制定当時も議論となったが、間違えば特定の宗教の流布になる危険性があり、現行条文を維持すべき。
○現行規定を維持すべきとの意見や、宗教的情操の涵養の重要性を指摘する意見など、様々な見解があるため、引き続き慎重な検討が必要。
【宗派教育】
○現行法第2項は、「特定の宗教のための宗派教育」のことであるのに、「特定の宗教のための宗教教育」という言葉が使われているため、宗教教育全般を禁止するとの誤った解釈を生む余地がある。基本法改正の際も含め、「特定の宗教のための宗派教育」といった表現を用いるべき。
【その他】
○自分が生きているのは先祖がいるからであり、祖先崇拝の考え方や祖霊に対する慰霊といった宗教的行為の尊重を盛り込むべき。
○宗教について教えられる教師が少ないのは事実だが、適切な教材や副読本、丁寧な学習指導要領の作成、教師の研修等で対応すべき。
○教育資格取得課程・教員養成課程で、国内外の宗教について幅広く学ぶことができるカリキュラムの導入が必要。
○私立については、幼児期からの宗教教育を推進する方向で議論すべき。
○各国に独自の宗教事情があり、そのことを理解することが重要。 |
| ※ | 宗教に関する教育については、中間報告で一定の方向性が示されていないので、「積極的意見」「消極的意見」の分類は行っていない。
|
「宗教的情操教育」に関する新学習指導要領の記述
【小学校学習指導要領】
第1章 総 則
| 第 | 1 教育課程編成の一般方針 |
| |
2 道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、人間尊重の精神と生命に対する畏(い)敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、豊かな心をもち、個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓(ひら)く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。 |
第3章 道 徳
第2 内容
[第5学年及び第6学年]
3 主として自然な崇高なものとのかかわりに関すること。
(3)美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。
【中学校学習指導要領】
第1章 総 則
| 第 | 1 教育課程編成の一般方針 |
| |
2 道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、人間尊重の精神と生命に対する畏(い)敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、豊かな心をもち、個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓(ひら)く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。 |
第3章 道 徳
| 第 | 2 | 内容 |
| | 3 | 主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること。 |
| |
(1)自然を愛護し、美しいものに感動する豊かな心をもち、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深める。
|
【高等学校学習指導要領】
第1章 総 則
第1款 教育課程編成の一般方針
| 2 |
道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、人間尊重の精神と生命に対する畏(い)敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、豊かな心をもち、個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓(ひら)く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。
|
第3節 公 民
第2款 各科目
| 第1 | 現代社会 |
| 2 | 内容
| (1) | 現代に生きる私たちの課題 現代社会の諸問題について自己とのかかわりに着目して課題を設け、倫理、社会、文化、政治、経済など様々な観点から追究する学習を通して、現代社会に対する関心を高め、いかに生きるかを主体的に考えることの大切さを自覚させる。 |
|
| 3 | 内容の取扱い
| (1) | 内容の全体にわたって、次の事項に配慮するものとする。
| オ |
政治及び宗教に関する事項の取扱いについては、教育基本法第8条及び第9条の規定に基づき、適切に行うこと。 |
|
| (2) | 内容の取扱いに当たっては、次の事項に留意すること。
| ア | 内容の(1)については、次の事項に配慮するものとする。 |
| (イ) |
現代社会の諸問題については、地球環境問題、資源・エネルギー問題、科学技術の発達と生命の問題、日常生活と宗教や芸術とのかかわり、豊かな生活と福祉社会などから、地域や学校、生徒の実態に応じて、二つ程度を選択して取り上げ主体的に課題を追究させるよう工夫すること。 |
|
|
| 第2 | 倫理 |
| 2 | 内容
| (1) | 青年期の課題と人間としての在り方生き方 自己の生きる課題とのかかわりにおいて、青年期の意義と課題を理解させるとともに、先哲の基本的な考え方を手掛かりとして、人間の存在や価値について思索を深めさせる。 |
|
| イ | 人間としての自覚
人生における哲学、宗教、芸術のもつ意義などについて理解させ、人間の存在や価値にかかわる基本的な課題を探究させることを通して、人間としての在り方生き方について考えを深めさせる。 |
| ウ | 国際社会に生きる日本人としての自覚
日本人にみられる人間観、自然観、宗教観などの特質について、我が国の風土や伝統、外来思想の受容に触れながら、自己とのかかわりにおいて理解させ、国際社会に生きる主体性のある日本人としての在り方生き方について自覚を深めさせる。
|
| (2) | 現代と倫理 現代に生きる人間の倫理的な課題について思索を深めさせ、自己の生き方の確立を促すとともに、よりよい国家・社会を形成し、国際社会に主体的に貢献しようとする人間としての在り方生き方について自覚を深めさせる。 |
| イ |
現代に生きる人間の倫理
人間の尊厳と生命への畏(い)敬、自然や科学技術と人間とのかかわり、民主社会における人間の在り方、社会参加と奉仕、自己実現と幸福などについて、倫理的な見方や考え方を身に付けさせ、他者と共に生きる自己の生き方にかかわる課題として考えを深めさせる。
|
3 内容の取扱い
(1)内容の全体にわたって、次の事項に配慮するものとする。
| イ |
先哲の基本的な考え方を取り上げるに当たっては、内容と関連が深く生徒の発達や学習段階に適した代表的な先哲の言説等を精選し、細かな事柄や高度な事項・事柄には深入りしないこと。また、生徒自らが人生観、世界観を確立するための手掛かりを得させるよう様々な工夫を行うこと。 |
| ウ |
政治及び宗教に関する事項の取扱いについては、教育基本法第8条及び第9条の規定に基づき、適切に行うこと。
|
(2)内容の取扱いに当たっては、次の事項の配慮するものとする。
ア 内容の(1)については、次の事項に配慮するものとする。
| (イ) |
イについては、ギリシアの思想、キリスト教、仏教、儒教などの基本的な考え方を代表する先哲の思想、芸術家とその作品を、観点を明確にして取り上げるなど工夫すること。
|
◎「宗教的情操」に関する過去の総理答弁
○第150回国会・参議院本会議(平成12年9月26日)
→「総理所信」に対する質疑
▼森喜朗内閣総理大臣の発言
|
| ○ |
宗教的な情操を深める教育は大切であります。学校教育においては、児童生徒の発達段階に応じ、道徳や倫理等において、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めることや、人生における宗教の持つ意義を理解させることなどを指導することといたしております。今後とも、道徳や倫理等の中で、宗教的な情操を深める教育を大切にしていきたいと考えております。 |
|
○第134回国会・参議院本会議(平成7年11月22日)
→「宗教法人法の一部を改正する法律案」についての趣旨説明質疑
▼村山富市内閣総理大臣の発言
|
| ○ |
宗教教育についてのお尋ねでありますが、教育基本法第9条第1項において、「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。」と規定されております。学校教育におきましては、宗教の持つ意義について理解をさせ、人間としてのあり方、生き方を考えさせることなど、宗教的情操の涵養に努めているところでございます。 |
|
○第41回国会・参議院予算委員会(昭和37年8月27日)
→「予算の執行状況に関する調査」についての質疑
▼池田勇人内閣総理大臣の発言
|
| ○ |
やはり学校教育におきましても家庭教育におきましても、社会教育におきましても、あらゆる方法を通じて、やはり凡夫でございますから、敬虔な気持で神、仏(中略)に、反省を加えていって、人間性をみがかなければ、私は、りっぱな社会、りっぱな国家というものはできないのじゃないかという気持を自分の体験から持っておるわけでございます。(中略)私は、お互いにみんなが自分を尊重すると同様に、あるいはそれ以上に他人を尊重する、卑近な言葉で言えば、お互いに常時反省をしながら、お互いによくなっていこうという気持が起きてくれば、そこに道徳心の涵養もできると思う。それには、何と申しましても、私は、反省、宗教的情操を養うことは、これは人間の重要な部分だと考えておる次第であります。 |
|
◎「宗教的情操」に関する過去の文部科学大臣・文部大臣答弁
○第154回国会・衆議院文部科学委員会(平成14年5月29日)
→「文部科学行政の基本施策に関する件」についての質疑
▼遠山敦子文部科学大臣の発言
|
| ○ |
宗教につきましては、先生ももとより御存じのとおり、日本の国公立の学校におきましては、憲法、教育基本法によりまして、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動を行うことを禁止しているわけでございますけれども、その一方で、先ほど申しましたような、人間を超えたようなものに対する畏敬の念を深めるということは非常に大事でございますし、また、宗教的な情操を養うということも大変重要でございます。
高校段階になりますと、宗教の本質でありますとか、どのような宗教があるかという宗教についての知識についても教えるわけでございますが、いずれにいたしましても、宗教のことを論じますと、本当にさまざまな宗教が世界各国にあり、しかも非常に長い歴史を持っているということで、なかなかそれをどのように子供たちに宗教的情操という角度で教えていくかということは大変難しいことかと思います。 |
|
○第151回国会・衆議院文部科学委員会(平成13年2月27日)
→「文部科学行政の基本施策に関する件」についての質疑
▼町村信孝文部科学大臣の発言
|
| ○ |
教育基本法の中にも宗教に関する規定がございます、ごく当たり前のことですが、公教育の場で特定の宗派のプロパガンダをやってはいけませんと。しかし、宗教に関する理解を深めたり、宗教的情操を養ったり、あるいは、自分よりもはるかに超越したものが世界にはあるんだ、世の中にはあるんだということを身をもって感ずるということはとても大切なことでございまして、そのようなことを、学校教育の中で宗教には触れてはいけないということで、余りにも、あつものに懲りてなますを吹くというような感じで、およそ宗教的なことを一切話題にもしないというのは、私は、今の学校教育、そこは少し行き過ぎた部分じゃないのかなと思っておりまして、適切な宗教に関する学習というものはやはりそれぞれの学校教育の中でも行われてしかるべきであろう、私はこう思っております。家庭の中においてはもとよりでございます。 |
|
○第147回国会・衆議院文教委員会(平成12年4月19日) →「文教行政の基本施策に関する件」についての質疑
▼中曽根弘文文部大臣の発言
|
| ○ |
人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めるというようなお話がありましたけれども、そういうもの、あるいは人生における宗教の持つ意義のようなものを理解させて、人間としてのあり方とか生き方、そういうものを考えさせるということは、私は非常に大切なことだと思っております。宗教的な情操を深める教育につきましては、教育基本法や学校教育法に基づいて、学習指導要領において児童生徒の発達段階に応じて指導しているところでございまして、学校教育の中で、現在そういうような情操を深める教育をやっております。こういうものを大切にしていきたいと思っておりますが、先ほどから申し上げておりますように、この教育基本法についての御議論が行われる中でこういうことについても検討していくということは、大変いいことだと私自身は思っております。 |
|
○第143回国会・参議院予算委員会(平成10年8月20日)
→「予算の執行状況に関する調査」についての趣旨説明質疑
▼有馬朗人文部大臣の発言
|
| ○ |
教育において徳育というのは極めて大切なことと考えており、道徳性を身につけた子どもたちを育てることの重要性はいつの時代でも変わらないものだと思っております。現在の学校教育においても、正義感であるとか基本的な倫理観、他人を思いやる心、信頼などということは道徳の時間を中心に教えることになっております。(中略)私も中央教育審議会の会長時代にこの問題について大変心配をいたしまして、日本人が培ってきた美徳というものを大切に家庭や地域社会の協力を得て教育をさらによくしていくべきだということを常々言っていた次第でございます。そういう点で、中央教育審議会の答申の中でも、そういうふうに正義感であるとか倫理観であるとか道徳であるとか、あるいは宗教的な情操という言葉を使っておりますが、自然の中で人間が大変尊敬すべき力があると思いますので、そういうものに対する真摯な気持ち、そういうものを子どもたちに育てるべきであると考えている次第でございます。 |
|
○第140回国会・衆議院決算委員会第2分科会(平成9年5月26日)
→「平成7年度一般会計歳入歳出決算」についての趣旨説明質疑
▼小杉隆文部大臣の発言
|
| ○ |
我が国の国公立の学校では、憲法とか教育基本法で、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的な活動を行うことは禁止されております。この辺が特に戦後は強調され過ぎた嫌いなきにしもあらずですが、しかし、宗教的な情操を深める教育というのは大切であると考えております。もちろん、光の部分と影の部分、今おっしゃったように宗教にもあるわけでございますから、そういったこと、宗教に対する認識というものを深める教育は大切だと思っております。
現在、具体的には、学校の学習指導要領におきまして、小学校の「道徳」5年、6年では、「美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。」というふうに教えておりますし、中学の「道徳」では、「自然を愛し、美しいものに感動する豊かな心をもち、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めるようにする」ということ。また、高等学校の「倫理」でも、そういった「人生における哲学、宗教、芸術のもつ意義などについて理解させ、人間としての在り方生き方を考えさせる」などと定めているところでありますが、先ほどの御指摘のように、オウムのああいう事件を一つの反省材料として、やはり宗教に対する認識を深めるという見地からの教育はぜひ必要だ、こう考えております。 |
|
○第134回国会・参議院本会議(平成7年11月22日)
→「宗教法人法の一部を改正する法律案」についての趣旨説明質疑
▼島村宜伸文部大臣の発言
|
| ○ |
公立学校における宗教教育についてのお尋ねでありますが、日本国憲法及び教育基本法においては、国公立の学校が特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動を行うことを禁止しております。しかしながら、教育基本法第9条第1項において、「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。」と規定されております。 学習指導要領においても、宗教的情操教育に関連して、例えば中学校の道徳では「自然を愛し、美しいものに感動する豊かな心をもち、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めるようにする」、高等学校の倫理では、「人生における哲学、宗教、芸術のもつ意義などについて理解させ、人間としての在り方生き方を考えさせる」などと定めでいるところであります。
今後とも、宗教的な情操を深めるための教育を充実することにより、心身ともに健全な児童生徒の育成に努めてまいる所存であります。
|
|
○第102回国会・衆議院文教委員会(昭和60年3月29日)
→「文教行政の基本施策に関する件」についての質疑
▼松永光文部大臣の発言
|
| ○ |
(臨教審の委員の一人が教育基本法に教育の目的として、宗教心、国を愛する心、伝統文化の尊重の3項目をつけ加えるべきであると発言していることについて問われて)
これは教育基本法が制定されるときにも議論になったことだそうでありますが、結局教育基本法の規定としては、第9条に「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。」こういう規定が書かれております。これは人間が幸せな社会生活を送っていく上で、表現はどうするかは別といたしまして、やはり宗教に対する寛容といいますか、こういったことは必要なのだということで、教育基本法の第九条に掲げられておるわけでありまして、有田先生の御発言も、この9条の延長線上での御発言だろうと私は思うのでありまして、教育基本法の精神に反する発言とは私は受け取っていないわけであります。 |
|
○第85回国会・参議院文教委員会(昭和53年10月19日)
→「教育、文化及び学術に関する調査」についての質疑
▼砂田重民文部大臣の発言
|
| ○ |
宗教的情操ということを考えてまいりますと、大学生の段階ではむしろもう遅い。やはり小、中、高を通じて、宗教的な情操についてもっと力を入れていかなければいけないという気持ちが非常に強くいたすわけでございます。現在でも高等学校の倫理社会、小・中学校の道徳等の中で、人間が有限なものであって、人間の力を超えたものに対する畏敬の念というようなことも、まさに宗教的情操というのを中学校等でも指導をしているところでございます。しかし、教える側の教員、教えられる側の児童、生徒たち、その間に真剣にこういう理解の上に立っての教育指導というものが私は大切なことであろうと思うんです。小学校でも「美しいものや崇高なものを尊び、清らかな心を」教えることにしておりますけれども、それがどれだけ生かされているかということが一番大切な問題点であろうと思います。そして、学校教育の場だけで解決できるものでもないような気がいたします。家庭におきますしつけの中においても、社会教育の場でも、やはり同じような宗教的な情操というものを国民の中に広く涵養をさせていかなければならない。一昨日も先生にお答えをした中で申しましたけれども、国際社会の中で尊敬される、愛される日本人、やはりそういう情操を身につけた人たちこそが、そういう資格を与えられていくことでございましょうから、岩上委員の御指摘の点私もよくわかることであります。非常に重要なものであるという認識に立ちまして、このような宗教的情操というものが、言葉だけではなくて、小、中、高を通じて定着していく努力をさせていただきたいと思います。 |
|
○第76回国会・参議院文教委員会(昭和50年12月9日)
→「教育、文化及び学術に関する調査」についての質疑
▼永井道雄文部大臣の発言
|
| ○ |
人間は動植物というものによって生きていくと、そういう意味において感謝の気持ちを持たなければいけない。同時に、動植物に、命なきものに対して敬意を持つべきである。第三には、大自然の尊重ということだと思います。私はそのいずれも、恐らくいろいろな宗派の宗教がすべて考えているものだと思います。同時に、まことに共通なものだと思います。(中略)三つの点を宗派的でなく教えていくということは、私はまことに当然のことであると考えます。事実、私の理解いたしますところでは、たとえば公害というものが発生するようになりましてから、わが国民一般の自然に対する認識というものは、相当変わってまいりました。また、これに応じた教育についても、私は文部省の方でも配慮を始めてきたというふうに理解いたしております。 |
|
○第46回国会・参議院予算委員会(昭和39年3月19日)
→「昭和39年度一般会計予算」についての質疑
▼灘尾弘吉文部大臣の発言
|
| ○ |
教育基本法には宗教教育に関する規定がありますことは御承知のとおりであります。これは宗教を尊重するとかあるいは宗教に関する各自の寛容の態度を求めておる。それからまた学校教育等における宗教教育、こういうふうな関係のことを規定いたしておると思うのでございます。もちろん教育基本法の趣旨に従って行なうことは当然のことであります。ただ私どもとしまして、またお尋ねの趣旨もその辺にあるのじゃなかろうかと思うのでございますが、学校教育におきまして、私立の学校を除いては、特定の宗教についての教育をするということは、これは許されておらないのでございますが、しかし、人間を形成していく上におきまして、道徳、宗教的情操というようなものは、非常に大きな苦心味を持っておるということは、みなさん言われるところであります。昨年の教育課程審議会の答申によりましても、私ども今日重視いたしております道徳教育におきまして、人間としての豊かな情操をつちかい、人間性を高めるということが道徳教育の基本である、そこで、今後宗教的あるいは芸術的な面からの情操教育を徹底する必要があるというふうなことを答申において述べられておるのであります。われわれとしましても、宗教的な情操というものが教育の中に含まれるということは、非常に意味のある大事なことだと、かように存じている次第であります。 |
|
○第40回国会・参議院予算委員会(昭和37年3月23日)
→「昭和37年度一般会計予算」についての質疑
▼荒木萬壽夫文部大臣の発言
|
| ○ |
(人間が、他の)動物と違うのは、自分以外の人間のために、人類のために、一人でも多くのためになって一生を終わるということが終局の一つの少なくとも心がまえであってしかるべきであるという気持がするわけですが、ほんの一斑を指摘するにすぎないことを万々承知いたしますけれども、さような一つの人生観というようなものが、子供のときから、学校教育を通じ、あるいは家庭を通じまして、理屈抜きに浸み通っておるものがないならば、青少年の将来に対する希望というものは私は期待できないと根本的には思うのであります。昔は大臣宰相を目指すという希望があったとよく言われますが、それは一つの自分以外の人に対する奉仕の手段にしかすぎないのであって、目的そのものではないと私は思うのであります。その点につきましても、学校教育の大事さを思いますと同時に、先刻も申し上げたような意味合において、日本における宗教家が、宗教・情操を通じての青少年に対する将来の希望、理念、目標というものを与えてほしいものだ。学校教育と相ともに、それが協力が充実し、初めて本質的に青少年の希望の源泉がつちかわれるものと思うのであります。 |
|
○第16回国会・参議院文部委員会(昭和28年7月10日)
→「教育、文化及び学術に関する調査の件」についての質疑
▼大達茂雄文部大臣の発言
|
| ○ |
学校教育の面におきましては特定の宗教を教育の内容に盛り込むということはできないのでありますが、宗教はそれぞれの民族の道徳観念と申しますか、倫理生活に従来非常に密接な関係を持つておつたことは、これは申上げるまでもないことであります。その意味から宗教の社会生活におけるさような地位につきましては、全般の教育としてこれを無論尊重して行かなければならんと考えております。
|
| ○ |
宗教的な情操を涵養するということは、国民のそれぞれの人格の完成という点から言えば極めて重大でありますので尊重しなければならないと、こう考えておりますが、(中略)文部省といたしましては勿論特定の宗教というものに偏つた態度をとることは許されないことであります。一般的に見て宗教的な情操を涵養するということが大切であるということは異論のないことでありますが、従つて文部省といたしましては、いわゆる宗教団体、民間宗教の活動せられることに遺憾のないように期したい、こういうふうに考えておりまして特定の宗教に偏ることは勿論許されないと思います。その辺が宗教的情操の涵養と申しましても極めて漠然としたことであつて、空想になりやすいという点があると思われます。これらの点は今後なお実際問題としてさような制約の下に宗教的情操を涵養するということに努めて参りたいと、こう思います。 |
|
○第10回国会・参議院文部委員会(昭和26年3月27日)
→「宗教法人法案」についての質疑
▼天野貞祐文部大臣の発言
|
| ○ |
一定の宗教的信仰を教えないで、宗教的情操を持たすというようなことはできないという議論も成立ちますけれども、これは教育基本法を作りますときにそういう議論があつて、宗教的情操を養うといつたところで、一定の宗教を教えないでは養えないという論もありましたけれども、併し消極的には宗教というものを、否定するとか、宗教というものをひどく侮るような言動を教育者がしないで以て、宗教に対して敬意を持つた、理解を持つた態度を以て教育者がやつて行くということによつて、教育的情操も養えるということも教育基本法にも入つておるわけでございます。一定の宗教の信仰を官公立の学校で養うということはできないと思つております。 |
|
○第8回国会・参議院文部委員会閉会中審査(昭和25年11月18日)
→「教育文化施設及び文化財保護に関する一般調査の件」についての質疑
▼天野貞祐文部大臣の発言
|
| ○ |
文教と宗教ということが專ら問題になるかと私には考えられますが、宗教というものについては、日本には西洋のように行届いた宗教というものがないのであります。現に学校教育においても、歴史、宗教を教えてはならないということになつておるのでありますが、併し結局は私は文化とか文教とかということそれの根抵において宗教的なものを持たなければならない。歴史宗教にそのままよるというのではなくても、何かの意味において宗教的なものを持たたなければならないという考えであります。(中略)歴史の根抵に何と申しましようか、一つのロゴス的なものとか、或いは道理とか、道とか、或いは神の意思とか、そういうものが歴史の根抵を支配しているのだ、要するに真理が最後の勝利を持つているのだ、歴史の上においては、不道理は到底その審判に耐え得ないのだ、いわば歴史に対する信頼といいましようか、実在の根抵におけるそういう一つの道とか、神の意思とかといわれるような絶対者とか、そういう言葉でいわれるようなものを自覚するとか、或いはそれに対する予感を抱くとか、それに対する崇敬の念を持つとか、そういうようなものが教育の根抵にもなければならないと思うのであります。けれども、だからといつて直ちに歴史的な宗教を日本の学校がすべて教育の根抵にしなければならないという考えではございません。教育基本法にある宗教的情操を重んずるという趣意は、即ち私の述べたような趣意ではないかと理解いたしております。 |
|
○第1回国会・衆議院文教委員会(昭和22年9月25日)
→「戦後の教育と宗教問題」についての質疑
▼森戸辰男文部大臣の発言
|
| ○ |
學校教育は平和主義を重視しなければならぬ、宗教が平和主義についての重要な力であるとすれば、學校教育に宗教をもつと積極的に認めたらよいではないかというお話でありますけれども、これは他の側面から言えば、民主主義の立場から、一宗一派の宗教でなく、國立、公立の学校においては、これを教えてはならぬという建前をとつておりますので、政治宗教との分離ということの立場から、國立、公立の學校において宗教を教えるということは、それがいかに平和主義の強い力でありましようとも慎まなければならぬことと存じております。しかし特殊の一宗一派の宗教でなく、宗教的の情操というものが、學校教育において無視されるべきであるとは考えておりません。日本の憲法はそうは規定してありませんので、むしろ宗教的な情操というものが児童の中に育成せられるように、または寛容の精神が子供たちの間に伸びていくように、また宗教について、宗教の本質、あるいは宗教の現在の状態、または教祖の傳記その他について學校で教えられるということは、公平な立場から否定するべきものではないのでありますけれども、宗教が公立學校の教壇から教えられるということは、新しい教育制度の上から望ましきことでなく、禁ぜられておるものであることを率直に申し上げたいと思います。 |
|
ページの先頭へ
|
 |
Copyright (C) Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology