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参考2

第13回基本問題部会における主な意見の概要(案)

1  日  時   平成14年9月13日(金)  14:00〜16:00

2  場  所 ホテルフロラシオン青山「ふじ」(1階)

3  議  題 教育振興基本計画および教育基本法について

  配付資料
資料1   新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について(中間報告柱立て案(メモ))
資料2 教育の課題と今後の教育の基本的方向について(論点整理メモ)
資料3 教育基本法・日本国憲法(条文)
資料4−1 地方分権改革推進会議文部科学省ヒアリング資料(抄)
資料4−2 義務教育費国庫負担制度の見直しについて
資料5 今後の日程(案)
参考1 「教育振興基本計画・教育基本法について」の意見募集の中間集計について
参考2 教育に関する主な国際条約・宣言・勧告等
参考3 第12回基本問題部会における主な意見の概要(案)

出席者
委  員 鳥居会長、木村副会長、茂木副会長、市川委員、佐藤委員、鶴田委員、永井委員、中嶋委員、西室委員、森委員、渡久山委員
事務局 小野事務次官、間宮文部科学審議官、御手洗文部科学審議官、結城官房長、近藤生涯学習政策局長、矢野初等中等教育局長、工藤高等教育局長、遠藤スポーツ・青少年局長、有本生涯学習政策局審議官、加茂川初等中等教育局審議官、金森初等中等教育局審議官、名取主任社会教育官、磯田総括会計官、布村生涯学習政策局政策課長、前川財務課長、高橋主任教育改革官、その他関係官

6  概  要

◆鳥居部会長より挨拶

  資料1のように、中間報告は3章立てとしてはどうかと考えている。資料2にあるように、第1章は、基本法や基本計画についての問題意識、課題、及び教育をどの方向に持っていくかの共通認識をもち、広く訴えていけるものにするとの観点からまとめたもの。
  本日は、この第1章の柱立てについて審議していただきたい。第2,3章は、後日審議することにする。
  これまでは、視野が広がっていかないもどかしさを感じながら審議してきた面があった。また、ついつい初中教育段階を想定しながら議論してきたきらいがあった。資料2を見ていただくとわかるが、日本の社会全体の変化をにらんだときに手を着けるべきことの半分以上は高等教育になっている。この資料を作るに当たり、幼稚園やそれ以前から高等教育、生涯学習社会までを考えて視点の転換を図らないといけないことに改めて気が付いた。
  論点整理メモ(資料2)については、基本法や基本計画についての提言をする際には、冒頭に両者を貫く基本認識があってしかるべきであると考え、その下敷きとなるものとして作成した。

自由討議

  1頁の教育の課題について、「過度の学校教育への依存」「過度の平等主義」は主として大人の視野に立っているが、同時に「子どもの過度の学校離れ」「子どもの過度の学校不信」という子どもの視点も必要であり、両面に課題がある。
2頁の「21世紀初頭のこの10年で我が国の将来が決まる」は、以前も言ったが、何を根拠にしているのか。根拠がないなら書かない方がよい。
「不易の価値」についても、あまり書かない方がよい。同じ国であっても、時代によって価値は異なる。また、同じ時代でも例えばイスラム社会とは価値が異なる。ここに挙げられていることは、国民国家ができて国民教育制度ができて以降に初めて言えることであり、たかだか19世紀以降のこと。「時代を超えて」というタイムスパンをどのくらいと考えるかにもよるが。
6頁の「自己実現」は、現行基本法の「人格の完成」に匹敵するコンセプトだと思うが、印象としては個人主義的。この言葉と人格の完成とはどのような関係になるのか。また、憲法27条や基本法1条の「勤労の精神」といったこととの関係はどうなるのか。「自己実現」は、バブルの頃からよく使われるようになった言葉だが、10年を経た今日、そのままスローガンとして掲げてよいのか考える必要がある。
 
鳥居部会長  P6の「自己実現」については、タイトルはともかく、委員の発言と1に列記した具体的な項目を考えると、矛盾しないものと考えるが、何か相容れない点はあるか。「人格の完成」と比べると「自己実現」は狭いとも思えるが、基本的な考え方として、実際、中身はさほど変わらないと考える。
 
  「人格の完成」という言葉について、田中耕太郎氏は、単に個人の実現ではなく、あるべき人間像を示すものとして使用していたはずであり、それに向かって努力するのが教育だと言っている。もう少し理想主義的な、あるべき姿を書くべき。
 
鳥居部会長  田中耕太郎氏や教育勅語を作った当時の人達の見事な言葉の選び方がうかがわれるが、我々も、それに倣って、最後には「これで決まり」というキーワードを決めないといけない。今のご意見は、その前段階で徹底的に言葉の吟味が必要との趣旨と理解する。
 
  資料2には、教育にかかわるあらゆる要素が盛り込まれているが、この枠内で教育基本法のコンセプトを考えていくことは賛成。が、もっとアクセントやプライオリティをつけないとアピールが弱まる。
自己実現について、「困難に立ち向かう意志の強さ」とあるが、自分なのか他人なのか、抽象的。むしろ、表現はともかく、日本人に欠けているのは社会正義や社会悪に敢然と立ち向かう勇気。
「逆境にあっても人生を楽しむゆとり」は、私にはわからない。逆境は苦しみであり、その中で楽しむというのは、今の社会には受け入れられにくいのではないか。
 
鳥居部会長  最後の部分は、確かに直さないといけない。社会正義と勇気の関係もどこかにぜひ入れたい。
 
  基本法の冒頭にある民主主義や平和主義は、非常にいい基本理念だが、若干軌道がずれてきている。すなわち、権利がやや強く打ち出され過ぎている。権利はもちろん主張していいが、同時に義務も十分認識することについても、どこかに入れてもいいと思う。平和主義も、若干、一国平和主義の方に行ってしまっているとの指摘もあり、国民に本当の民主主義・平和主義を理解してもらうことが必要である。
不易と流行については、入れた方がよい。流行のみを追うと、うっかりすると不易の価値が忘れられてしまう。例えば、国際化の進展の反面、日本独特の文化・伝統を忘れがちになるとか、科学技術の進展の反面、倫理がおろそかになるなど。
「流行」のこれからの流れの中では、「自由な競争」がこれから更に進むことを示すべき。その流れがあると、人への思いやり、倫理が不易として必要になる。
大学教育は相当のウェイトを置いてよい。日・米・欧の若者を比較すると、日本の大卒者は大人になっていないと思う。採用してすぐ役立つのは米・欧の大学卒業者。日本の高等教育には反省すべき点が多いと思う。
コミュニティ、家族について。家族を大事にし、コミュニティを大事にする気持ちは大切。これは、特に戦後の日本に欠けてしまったものではないか。サンフランシスコの大地震のとき、日本の駐在員はいつも通り出勤したが、米国人はまず地域の復興を手伝ったという話がある。コミュニティを大事にする気持ちは盛り込むべき。
 
鳥居部会長  自由競争と倫理の関係については、アダム・スミスも著書の中で触れている。自由競争とルールは裏表であることを、どこかで確認することが必要。
くり返し出てくる議論に、「民主主義」のことがある。今まで、権利のことは書けても、それに伴う義務や心の中に自覚すべき責務のことが書きにくかった状況がある。そこを乗り越えられるかが課題である。
 
  今の委員の意見は重要である。これからの日本・世界の状況を考えると、今の憲法の下で議論を行うことは当然としても、「一国平和主義」や「過度の平和主義」というのはうまい表現だと思うが、そういうものは問題である。教育基本法について議論して改訂する以上、慎重にしないといけないが、そこまで踏み込まなければ意味がない。
高等教育について、特に大学院は、欧米と比較して、院レベルの人材が空洞化している。特に人文科学系にそれが言える。
4頁の「グローバル化」の部分。「海外進出」という表現だと、それをサポートしていく方向なのか人材流出を問題視しているのかわかりにくい。それから、「内輪の論理」という表現は意味が分からないので不要ではないか。日本のアイデンティティ・伝統文化を重視しようとする考えと整合性がとれない。また、世界を相手に「対話」するだけでなく、「行動」も入れてほしい。青年海外協力隊などで活躍する日本の若者もいるので、そういう人達への励ましにもなる。
英語力を身につけるために国語力が必要だというのは最近よく言われ、文部科学省でも取り組み始めた。口先だけでなくて、中身を持つかどうかが重要であり、そのためには日本人としての伝統・文化を理解しなければならない。しかし、ここで言いたいのが「日本人の外国語運用能力が低い」ということであるならば、日本語と並列にしなくてもよいのではないか。なお、重要な外国語は英語だけではないので、「外国語運用能力」として、7頁との連関も考えてほしい。
 
  現在の教育が悪いから変えろという議論は結構だが、この中間まとめの論点メモには大人の話が出てこない。今の社会が悪いのは大人の責任と考えるべき。大人に道徳教育をしても手遅れで、子どものうちにすることが必要なのに、企業は学校教育に「創造性の育成」を求めるばかりで「道徳教育をしてくれ」とは言わない。大人のモラルの低下についても盛り込んでほしい。
2頁の「個人」は集団との対比で説明しないとわかりにくい。自分は、本当の自己実現は社会に貢献することであると考えている。「自己実現」という概念はバブル期に出てきたものではなく、マズローが提唱するなど、昔からあった。個人と集団・公共をセットで書くとよい。
3頁の「家族の変化」という表現は、「多様化」「孤独化」の方が適当。また、「子育て支援」という言葉は至る所に出てくるが、この言葉だと、育児が安易なもの、軽いものであるように響く。きちんと「子どもを育てる・教育する」と言ってもいいのではないか。子育てと仕事の両立というのもよく言われるが、自分は子育て以上に大事な仕事はないと思っているので、この言い方にも違和感を覚える。
先ほど出た「逆境の中のゆとり」に関連するが、このまとめでは、忍耐心や耐性の低下が書かれていない。先ほどの委員が言われた強い意志、勇気というのもそうだが、今、精神的な耐性がないのだと思う。
5頁3の「倫理観・生命観」はいちばん大事であるから、もっと前に書いてはどうか。
 
  鳥居部会長は一度全体に戻っての議論をと言われたが、自分は、ひとつずつの問題への討論を深め、項目それぞれについてしっかりと議論をして共通認識を形成していくことが必要であると考えている。
まず、憲法、教育基本法は主権者主義、平和主義を普遍のものとしている。主権者としての国民を育てる主権者教育が重要である。
この論点整理には出ていないが、どこかで学力問題を子どもの社会の問題として捉えないといけないのではないか。問題としてあげられている職業選択のミスマッチも、結局は基礎基本ができていないから、しっかりとした進路選択ができないということではないか。学校のあり方として、きちっと基礎基本の教育をすることが大切である。
「不易」について。変わらない価値というのは本当にあるのか。生きるためにより高い価値を求める、つまり価値を変える・価値を深めるということがある。不易という言葉は適当か。
3頁、「少子高齢化」について、地域の外国人子女やニューカマー、帰国子女などに対しどういう手だてを取るか、現状の分析に入れて対応を考える必要がある。また、少子化のメリットに触れているが、少子化をよいこととして捉えていいのか。今まで少子化をどうやって止めるかという話をしてきたはず。少子化によって、若い世代が高齢者を支えることが困難になるとか産業の発展が阻害されるなどの問題があるので、はっきりデメリットとする方が適当。教育に金がかかるから子供をあまり産まない、という現象もあるので、教育の側面から少子化を考えるべきである。
職業選択のミスマッチについては、憲法・教育基本法にも書かれている勤労の精神をもっと大切にすべき。
4頁の「機会均等」については、情報格差にどう取り組むかという問題がある。リテラシーだけでなく、情報の質・量の問題。
宗教・民族の問題について。これからは、共生社会として、多様性を前提に異質なものを包含する社会を考えていかないといけない。
「外国語」について、なぜ英語についてしか書かれていないのか。英語が苦手な子には別の言葉を学習させればいいし、将来的には複数の外国語を学ばせるシステムが必要である。
 
  教育の中だけで考えると、社会の中で自立した人間が育っていないことが問題である。メディアに拮抗する力、社会に貢献すること、自分がどの職業に適しているかを決めることができるなど、色々な意見が出されているが、全体をもう少し集約できないか。
「過度の民主主義」「過度の平和主義」という表現について、民主主義・平和主義それ自体は価値のあるもののはずなので、こういう表現は曖昧であり避けるべき。
「個人主義」は、エゴイズムとは違う。今の日本人には、個人主義ではなくて集団主義・妥協的な面が見られる。もう少し表現について繊細な配慮が必要であると思う。
 
  これまでディテールについての議論が多かっただけに、全体的な視点にかえるという点で今回の論点整理がされたことはありがたい。
「不易」について、戦前やイスラムの社会に普遍的に通用する価値観はない云々という議論があったが、そもそも基本法が制定された当時の社会は混沌としており、現在の年功序列型雇用などのシステムすらなく今と全く違っていたが、その中で未来を考えて現在の教育基本法が作られた。そこには、将来にわたっての教育基本法を制定するという意志が感じられる。私たちも、この先これだけは変わらないだろうという価値観を摘出し、骨組みとして提示する必要があると感じている。民主主義や平和主義についても、この先30年〜50年を見通し、現在の我々の価値観でなく、永続性を有する価値観として書き込んでいくべき。
 
  今の人達に分かりやすい表現方法を考えるべき。「人格の完成」について、どういえば分かりやすいかを考え、今よりも適切な表現があるならば、新しい書き方に改めた方がいい。同じことを目指すとしてもより適当な表現を工夫すべきである。
民主主義や平和主義については否定しようのない価値だが、これまでは、誰かが問題に取り組めばよく、自分はその恩恵に浴そうという態度が強く、それをどのように実現するのかを自分の問題として考える力が弱かったことが現在の困難を生んだ。「新しい公共」についても、自分の力で何をすべきかという文脈から考えていくべき。自由で公正な社会を作るためには何を考えるべきなのか・いかにして実現すべきなのかということを訴えないといけない、ということを表現できないか。
高等教育についていろいろ触れていただいたことはありがたい。これまで日本は人文社会科学をネグレクトしてきたが、公正な社会を創出するには人文社会系の高等教育が大切である。全体として、論点としてはこれで結構だ。
 
  企業倫理の問題については経営者として痛切に反省しなければならない。企業は企業としての矜持をもって、しっかりとした倫理観を持たねばならない。「社会全体の自信喪失とモラルの低下」との指摘があるが、社会全体のモラルが低下したからと言って、個別企業のモラルまで低下していいというわけでは絶対にない。
 
  先程の発言についてだが、自分は不易として挙げられた価値に反対しているわけではなく、確固とした信念をもって長期にわたり努力することは大事だが、事実認識として「時代をこえて不変」というのは不正確と言っただけ。健やかな体や豊かな教養や公共心は流行のところにも不易のところにも挙げられているが、その関係は明確にすべき。また「自己実現」という言葉についても、マズロー自身も「個人主義ととられることは自分の本意ではないが、誤解される表現だった」と認めているし、これまで多くの思想家により個人主義と解釈されてきている。そのように誤解されるような表現は避けるべきではないかというのが自分の発言の真意だ。
 
  企業から学校に対して、道徳教育をもっと充実するよう要求してほしい。
全体的な整理として、生涯学習という観点はよい。そこには、生まれてから死ぬまでという個人的な生涯学習の視点と、あらゆる機会や場所を通じてという社会的な生涯学習の視点があると思う。ならば、学校教育、家庭教育、地域における教育と並んでいるが、家庭は教育の原点であるということも踏まえると、家庭教育が最初に来る方がすわりがいい。教育改革国民会議ではそのスタンスで、まず家庭のことを報告の冒頭に書いた。
また、義務教育という語が出てこないが、基礎基本の徹底は義務教育の問題である。これはたいへんいい考え方で、今後とも変える必要はないと思われるので、義務教育費国庫負担制度の見直しの件も視野に入れながら、義務教育にもっと権威を与えるような書き方をしてほしい。
 
  今後のスケジュールはどのようになっているのか。
 
事務局  今後とも21世紀の教育をどうすべきかについてのご意見を賜って、秋には中間まとめをいただきたいと思う。それをもとに法律をどうするかという具体の議論については、政治日程や、教育改革国民会議からいただいた宿題のことも考慮しなければならないが、中教審のまとめをまずいただいてから作業をしていく。法案提出時期については、次期通常国会以降を目指している。国立大学独法化法案などの課題もにらみながら、検討していく。
 
  そろそろ方向性を打ち出すべき時期にきている。今後は、その方向性に基づいて議論を進めていくべきだ。

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