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基本問題部会(第14回) 議事録

1. 日時    平成14年9月20日(金)  14:00~16:00
   
2. 場所    グランドアーク半蔵門「富士(東)」(4階)
   
3. 議題    教育振興基本計画および教育基本法について
   
4. 配布資料
資料1 教育の課題と今後の教育の基本的方向について(素案)
資料2 教育基本法・日本国憲法(条文)
資料3 今後の日程(案)
   
参考1 新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について(中間報告柱立て案(メモ))
参考2 第13回基本問題部会における主な意見の概要(案)
   
5. 出席者
委員: 鳥居会長,木村副会長,市川委員,梶田委員,加藤委員,黒田委員,國分委員,永井委員,中嶋委員,山本委員,渡久山委員
   
事務局: 小野事務次官,御手洗文部科学審議官,田中総括審議官,近藤生涯学習政策局長,矢野初等中等教育局長,工藤高等教育局長,永野国際統括官,銭谷文化庁次長,有本生涯学習政策局審議官,金森初等中等教育局審議官,木谷高等教育局審議官,名取主任社会教育官,徳重主任体育官,小田大臣官房政策課長,布村生涯学習政策局政策課長,高橋主任教育改革官,その他関係官

6. 議事

鳥居部会長  それでは、ただいまから中央教育審議会基本問題部会第14回を開催させていただきます。
  お忙しいところを御参集賜りましてありがとうございます。
  今日は、議事に先立ちまして、9月1日付で新しく委員に就任されました加藤裕治委員が御出席でございますので、御紹介します。どうぞよろしく。
   
加藤委員  加藤でございます。よろしくお願いします。
   
鳥居部会長  早速ですが議事に入ります。
  前回も申し上げたことでありますが、この基本問題部会は昨年11月に教育基本法、それから教育振興基本計画、両方について審議することを文部科学大臣から諮問を受けたわけでございます。以来、基本問題部会をつくりまして審議を重ねてまいりました。今日で第14回になるわけです。そのほかにその都度、総会にも諮ってまいりましたので、総会には8回お諮りしていると思います。
  というわけで、いろいろ議論を重ねてきのですが、どこが足りないのか、どういうふうにしたら新しい前進ができるかということを考えたとき、やはり今日までの日本の教育全体が抱えている問題をきちんと総括して、その上で、新しい方向はどういう方向であるかということ、つまり、一番基本的なところについて徹底して審議をして、その基本理念を最初に掲げて、その理念に基づいて基本法についての考え方、あるいは振興基本計画についての考え方を打ち出していこうということで、前回、3章立ての中間報告の素案のたたき台というのが出てきたわけです。
  3章立てといいますのは、今日の資料の参考1を御覧いただきますと、「はじめに」というのがありまして、その次に「第1章」となっておりまして、「教育の課題と今後の教育の基本的方向について」、「第2章」が「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」、「第3章」が「教育振興基本計画について」というふうになっています。一番上を御覧いただきますと、「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について(中間報告柱立て案(メモ))」となっています。「メモ」といいますのは、本文ではなくて、スケルトンという意味でございます。そういうふうにして、前回はまさに柱立て、スケルトンをお示ししたわけでございます。それについていろいろな御審議をいただきました。
  参考2という資料が前回の審議の概要でございまして、皆さんから、このやり方はいいじゃないか、ぜひこれで中間報告の柱を立ててまとめていこうという御賛同をいただいて、進んでまいりました。
  今日は、その御審議の皆様の御意見を受けまして、前回の資料は柱立てでありましたので、その「第1章」をある程度文章化したものをつくっていただきました。それが今日の資料1でございます。ようやく「第1章」の本当のたたき台ができましたので、今日はそれを御審議いただきたいということでございます。
  繰り返しになりますけれども、そのようなわけで、資料1は3章立ての「第1章」に相当し、そして全体として今回の諮問にお答えするための基本理念について、徹底して我々の考え方を述べる場所だというふうに御理解いただきたいと思います。というわけで、御審議を賜りたいと思います。
  事務局から、ひとつ御説明をいただきたいと思います。よろしくお願いします。
   
事務局  配付させていただいております資料につきましては、既に鳥居会長から御紹介いただきましたが、資料1が「教育の課題と今後の教育の基本的な方向について(素案)」として、今日はこれを中心に御審議いただくことになります。
  資料2として、教育基本法の条文全体と、2ページ目には憲法の教育関係部分の条項の抜粋をお配りしてございます。
  資料3は、後ほどの議題としての今後の日程の資料です。
  参考1が、先ほど御説明がございましたが、章立てを書いたものでございます。
  参考2が、前回の主な意見を記させていただいたものでございます。
  資料1、参考1を御覧いただきながら、資料1の説明をお聞きいただければと思います。
  「第1章」に相当する部分でございますが、1ページ目の「1」番が、戦後教育を大きく振り返りながら、「教育の現状と課題」ということを取りまとめた案になってございます。
  最初の「○」でございますが、昭和22年3月に教育基本法が制定され、戦後の教育改革がスタートしてございますけれども、真ん中あたりから、「教育基本法及び同法の精神に則って制定された学校教育法などの法体系の下で、各般の教育諸条件の整備が進」められてきており、これらにつきましては「教育の量的拡大と国民の教育水準の向上が、……我が国経済社会の発展の原動力となった」という形で、まず記してございます。
  二つ目の「○」でございますが、昭和50年代中ごろからということで、非行の問題、いじめの問題など、教育問題が社会的に大きな関心を集めたということを背景として、政府全体の教育改革の取組として、昭和59年9月に臨時教育審議会の設置を見ております。この臨教審におきましては、戦後教育改革につきまして、その「成果を高く評価する一方で、戦後教育改革も大局的に見ると明治以降の追いつき型教育の延長線上にあり、深刻な教育荒廃を生むとともに、個性の尊重、高等教育の個性化や高度化、創造性や国際性の涵養等の観点からの改革が必要」という提言がまとめられております。
  三つ目の「○」でございますが、臨教審におきましては、21世紀に向けた教育改革の基本的な考え方として3点、「1」番が「個性重視の原則」、「2」番が「生涯学習体系への移行」、「3」番が「国際化、情報化等変化への対応」という形に集約された提言が出されております。この臨教審の提言を受けまして、教育改革がさらに進められてきたということでございます。
  「例えば」ということで、一つ目の提言項目であります「個性重視の原則」の観点にのっとり、「自己教育力の育成を重視した学習指導要領の改訂、個に応じた指導を実現するための教職員定数改善、高等学校総合学科の創設、6年制中等教育学校の制度化、大学設置基準の大綱化、大学院制度の弾力化、大学・大学院への飛び入学など様々な施策が実現」されてきております。
  四つ目の「○」でございますが、このような形で教育改革が進められておりますけれども、一方では社会の変化も教育の変化を上回るスピードで変化を見ているという形でございます。
  2ページにお移りいただきたいと思います。最初のほうからですが、社会の大きな変化を受けまして、「大転換期の試練の中で」ということで、「国民の間では、これまでの価値観が大きく揺らぎ、自信の喪失とモラルの低下という悪循環が生じ、……閉塞感が広がっている。」、そして「教育の世界に目を転じると」ということで、「物質的な豊かさの中で子どもたちはひ弱になり、将来の夢や目標を描けぬまま、次第に学ぶ意欲を低下させ、学力の問題が懸念されている。」こと、また「基本的なモラル、倫理観を身に付けることができなくなり、教育の現場は、いじめ、不登校、いわゆる『学級崩壊』など深刻な危機に直面している。」。
  次の「○」でございますが、このような社会、教育の危機の背景といたしまして様々な要因が考えられるけれども、教育が社会の存立基盤であることをかんがみると、教育の責任は大きい。そして、「例えば」としてでございますが、「大人は子どもの教育について学校教育に過度に依存する実態があったこと、その学校教育がややもすれば過度の平等主義や画一主義に陥りがちになり、時代や社会の大きな変化に対応していく柔軟性に乏しかったこと、……教育の現状や成果を適切に把握、評価し、その評価に基づく改善措置を自ら講じていくという取組が十分ではなかったこと、」。
  「さらに」といたしまして、家庭、地域につきましても、「教育力が十分に発揮されていなかったことなど、これまでの教育の在り方そのものに関わる大きな問題を指摘することができる。」。
  次の「○」でございますが、そのような認識の下に、平成12年3月には教育改革国民会議が総理大臣の下に設置され、教育改革国民会議からは15の具体的施策と並びまして、「教育振興基本計画の策定と教育基本法の見直しの必要性が提言され」、この中央教育審議会の審議にも引き継がれているところでございます。
  一番下の「○」でございますが、世界に目を転じますと、世界の諸国におきましても、「教育が国民の未来や国の行く末を左右する重要課題と認識される」、そして下から3行目ですが、「各国において『国家戦略としての教育改革』が急速に進行しており、さらに、地球的規模での調和ある発展の観点から、持続可能な開発の実現や発展途上国の自立の支援のためにも教育は重要な戦略となっている。」という形でございます。
  3ページ目になりますが、一番上の「○」につきましては、教育の世界におきましては現状認識の下、「危機感を持って、教育の在り方を根本にまでさかのぼって見直していかなければならない。」という形で「1」番が構成されてございます。
  大きな「2」番は、「21世紀の教育が目指すもの」という形で、大きく「(1)」から「(3)」までの三つの構成になってございます。
  「(1)」につきましては、「教育の役割と継承すべき価値」ということで、前文のほうでもかぎ括弧つきで「時代を超えて変わらない価値のあるもの」と、「時代の変化とともに変えていく必要があるもの」という形で、二つに分けた形でございます。
  最初の「変わらない価値のあるもの」につきましては、「(1)」でございますが、「教育には、人格の完成を目指すという目的のもと、個人の能力を伸長し、自立した人間を育てるという役割」と、「国家や社会の構成員として有為な国民を育成するという役割があり」、これらの二つの役割は、「これからの時代においても引き続き変わらないものと考える。」。
  「また」といたしまして、「個人の尊重、自律心、義務をしっかり果たそうとする責任感、他人を思いやる心、公共の精神、規範意識、伝統や文化を大切にする心、幅広い教養や健やかな体などの豊かな人間性を育むことは、世代から世代に伝えていくべき価値あることであり、いつの時代の教育においても大切にしなければならないものである。このような教育の役割と継承すべき価値については、21世紀の教育においても、しっかりと踏まえていかなければならない。」という形が「(1)」でございます。
  「(2)」は「激動の時代への挑戦」ということで、「時代の変化とともに変えていく必要があるもの」について論じた場所になります。「(2)」につきましては、「これからの教育には」、社会の「大変革の波に挑み、激動の時代を切り拓いていく日本人を育成することが求められる。」、そして最後のほうの行ですが、「新しい時代の教育を考える上で重要な時代の潮流は次の通りである。」ということで、全体として四つの観点、7項目につきまして、大きな社会の変化について論じていただくことになります。
  最初の「1」が4ページ目の一番上にございますが、その中は大きくローマ数字の「i」から6ページの「iv」まで四つの項目で構成されております。
  4ページ目の「i」が「少子高齢化社会の進行と家族・地域の変容」についてでございます。最初の「○」でございますが、「女性の高学歴化・就業率の上昇による晩婚化」という要因、それから「子どもを生み育てることに対する夫婦の意識の変化、子どもを育てにくい様々な社会的条件などを背景に少子化」の進行がある。それから、高齢化の数字も真ん中のほうに書いてございます。最後の3行目のあたりですが、「平成18年にピークに達した後、以後長期の人口減少過程に入るものと予想されている。このように、我が国の人口構造は、今後とも急速に少子高齢化の度合いを強めつつ、総人口は極めて近い将来に減少期に転じると見込まれている。」。
  二つ目の「○」でございますが、「少子化とともに」ということで、「親のライフスタイルや職業生活の多様化等が進む中で、親の子どもに対する過保護、過干渉や逆に親子の触れ合いの欠如による家族内の孤独化といった家庭教育の機能の低下が顕在化している。」。
  二つ目には「また」として、地域につきまして、「人間関係が希薄化したため、友達や異年齢集団の中での豊かな遊びの体験や切磋琢磨の体験の機会が減少し、大人も他人の子どもに積極的に関わろうとしないといった地域の教育機能の低下の問題が一層深刻化すると考えられる。」。
  そして、「さらに」ということで、「高齢化の中で社会の活力を維持するために、高齢者が……生きがいのある長寿を楽しむことができる社会の形成が、極めて重要な課題」という形で、最初の少子高齢化の点がまとめられてございます。
  「ii」が「就業構造の変貌」でございます。4ページ目の一番下の「○」になりますが、「バブル経済の崩壊以降、……我が国の就業構造も急速な変貌を遂げている。」、3行目あたりからですが、「年功賃金や終身雇用など従来型の日本的雇用慣行はゆらぎ、即戦力となる専門知識や技能を持つ人材を求めるなど従来型の新卒一括採用制度も変わり始めている。」ということ、「特に高校新卒者にとっては就職が極めて厳しい状況」にある。一番最後のあたりからですが、「学歴と就業のミスマッチの状況が顕在化している。さらに、……就業に関する意識の変化から定職に就かないフリーターの問題も顕在化してきている。」という現状をまず示しております。
  次の「○」でございますが、「新たな経済・産業の在り方を求めて模索する過程」という形で現状を示しながら、「就業構造は、少子高齢化社会の進展がもたらす労働人口の年齢構成の変動などにも影響を受けつつ、今後とも大きく変貌を遂げていくものと予想される。」。
  そして、二つ目の「○」ですが、「これからの教育には、職業や実際生活との関連をより一層重視していくことや、大学院等で専門的職業にかかる学習機会の充実を図ることなどの取組が一層求められるようになると考えられる。」ということです。
  「iii」点目は「知識社会への移行」についてでございます。最初の「○」については、「21世紀は、知識や情報が社会を動かす原動力となる『知識社会』化が一層進行する」、その「『知識社会』においては、個人にとっては知識や技能の習得が就労機会の確保やキャリア・アップの重要な要因になるとともに、社会にとっても新たな知識や情報技術の活用が新規産業の創出や既存産業の効率化など産業の発展をもたらす重要な契機となる。」。
  二つ目の「○」でございますが、「知識社会」におきましては、「まず、国民一人一人が基礎・基本を身に付けることが何よりも重要で」あること、そして「学習により実際に身に付けた能力が従前にも増して重視される社会となる」、そして「基礎・基本となる力としては、知識・技能はもとより自ら学ぶ意欲や思考力、判断力、表現力がなどが大切である」こと、そして最後の2行ですが、「大学院等で最先端の高度な知識を学ぶことなどにより、常に自らの知識や技能を、より広め、深めていくことが求められる。」。
  一番下の「○」になりますが、「このように『知識社会』化が進行し、それとともに生涯学習機会が充実していくことは、職業人のさらなるキャリア・アップを促進する効果を持つ」、それから「一旦は職業から離れた女性や退職後の高齢者にとっても自らの能力を社会において発揮するさらなる機会を獲得する可能性を高めることにもつながっていくものである。」という形で記してございます。
  6ページ目が、変化の「iv」番目になりますが、「高度情報化社会の進展」についてでございます。
  最初「○」ですが、情報通信技術は、一層の発展と高度化を遂げていくものと考えられる。それから、4行目の半ばあたりからですが、「このような高度情報化社会の到来は、知識や情報を獲得することを通じ、誰もが自らの能力を最大限に発揮する可能性を広げ、また、現在の学校教育の枠組みを大きく変える全く新しい学習形態をもたらす可能性を持つなど極めて重要な意義を有する」、その反面、「情報通信技術の利用機会及び活用能力の格差(デジタル・デバイド)の発生、コンピュータ上の仮想体験の拡大による現実の世界からの遊離や人間関係の希薄化などの影の部分も持ち合わせている」こと。
  二つ目の「○」におきましては、「コンピュータなどの情報通信機器を使う技能の習得と併せ、情報を主体的に収集、活用できるなどの情報活用能力を身に付けること」、それから著作権、「他人のプライバシーや自己情報のセキュリティなどに関する情報モラルを育成することが重要な課題」である。「また」といたしまして、「人間同士の触れ合い」、あるいは「直接体験」などが重要であること。「したがって、これからの教育においては、このような直接体験の機会を十分に提供していくことが重要な課題となってくる。」という形で、一つ目の「○」の変化になっております。
  6ページ目の下のほうから、「2」番目に「グローバル化の進展」でございます。
  最初の「○」につきましては、2行目の後段からですが、「グローバル化は、今後もその潮流を一層強めていくものと考えられる。このことは、経済のみならず、研究活動、文化、芸術、スポーツなど幅広い分野で、日本人が世界において活躍できる可能性が広がるとともに、……地球的規模での大競争時代が到来することを意味する。」、「このため」といたしまして、「我が国社会にとっても、国際競争力の基盤である国民全体の教育水準の一層の向上を図るとともに、大学の競争力を高め、21世紀の知の大競争時代に積極的にチャレンジし、これをリードし、国際的にも貢献できる人材を育てていくことがますます重要になってくる。」としてございます。
  7ページ目に移らせていただきます。最初の「○」ですが、後段のほうからです。「一方」といたしまして、「イデオロギーに基づく対立に代わり、民族や宗教など文化の違いに根ざした様々な問題が顕在化している今日、……国際協調の必要性も増大して」いる。そして、3行目の後段ですが、「このため」としまして、「民族、文化の多様性を再認識し、異なる文化を尊重する精神を涵養することの重要性も高まっている。」、「また」ということで、「グローバル化の陰の部分」についてでございますが、「貧富の格差の拡大」の懸念もあるということ、それから「このような格差問題を含め、大量破壊兵器の拡散問題など、今後一層顕在化する国際的な課題の解決のために英知の結集を行う必要性も増大していくものと考えられる。」。
  続きまして、「3」番目の変化の潮流として、「科学技術の進歩と地球環境問題の深刻化」についてでございます。
  最初の「○」は、「科学技術の進歩は、人々の生活の豊かさや幸福をもたらし、産業や社会の発展の原動力となるものである。」、「それゆえ」ということで、「主要先進諸国では、科学技術の重点化や競争力の強化を図っているところであり、我が国としても、独創的・先駆的領域の形成を図るなど、科学技術を重要な国家戦略と位置付け、その発展を促していくことが極めて重要な課題」である。「一方」といたしまして、「ライフサイエンスの進展がもたらす生命倫理の問題など」ということで、「これまで社会が想定していなかった新たな課題を提起しており、新たな倫理観・生命観の涵養が求められている。」。
  二つ目の「○」になりますが、2行目のあたりから、「地球環境の変化がもたらす人類規模の課題が深刻になるにつれ、その解決のために、科学技術の創造力への期待が一層高まるであろう。」、「さらに」といたしまして、「自然と共生する生活スタイルや社会を構築するために、あらゆる世代が地球環境問題について正しい理解を深め、責任を持って環境を守る行動がとれるようにすることが、ますます重要」であること。
  そして、大きな「4」番目の「国民意識の変容」についてでございます。こちらは明確に変化が読み取れるわけではありませんので、文章化するのは難しかった項目かと思います。
  最初の「○」でございますが、「我が国社会は、活力のみならず、心の健全さも急速に失いつつあるのではないか。」、そして3行目ぐらいからですが、「経済的な豊かさの中で、国民は夢や希望を持てない閉塞状況に陥ってしまっている。また、国民の価値観は、こうした社会の深層で、静かに、しかし確実に変容を続けている。」。例えば、「フリーターの増大の背景には、勤労に対する価値観の変容がある」こと、そして最後の行ですが、「不祥事件の背景には、遵法意識、倫理観や社会的使命感の喪失があり」、また、「こうした不祥事件がさらに国民の正義、公正、安全などへの信頼を蝕み、国民全体のモラルの低下を加速させている。」、「さらに」といたしまして、「若年層の中では、現在の社会を築いた世代に対する尊敬の意識が薄れたり、世代を超えて価値観を共有できなくなる傾向が見られる」こと、そして「家庭や地域の教育機能の衰退ともあいまって、国民の社会への帰属意識が希薄化し、個人が社会に背を向け、基本的なモラルや社会規範を軽視したり、自らの殻の中に閉じこもるなどの現象が進行することになれば、共同体としの我が国社会にとって重大な問題を生じることになる。また、多くの国民が社会の風潮に無批判に流されるような事態も、健全な社会の発展のためにはならない。」。
  次の「○」になりますが、「国民意識の変容には、……憂慮すべきものがある」、その一方で、「心の豊かさを求めたいとする国民世論は大きい。また、……地域社会で行うボランティア活動などのように、互いに支え合う互恵の精神に基づき、利潤追求を目的とせず社会的課題の解決に貢献する活動が、従来の『官』と『民』という二分法では捉えきれない新たな『公共』のための活動とも言うべきものとして広がりを見せていることは、注目に値する。」。
  次の「○」でございますが、「最後に」という形で、大競争時代において、「自己実現を図るチャンスをもたらすものであるが、決して競争に勝ち抜くことだけを是とする社会であってはならない」ということで、3行目の後段からになりますが、「激動の時代の主人公として自ら考え行動する確固たる自己を磨き、困難にも立ち向かうたくましさを育みながら、同時に、他者に対する思いやり、他者の痛みを理解する温かい心、美しいものに感動する心などの豊かな心を涵養し、家族との団らん、趣味、スポーツなどを楽しむ時間も大切にするなど、かけがえのない自分の人生をより豊かにしようとする心のゆとりを大切にしなければならない。」ということで、以上が「(2)」の「激動の時代への挑戦」とうことでございます。
  「(3) 」といたしまして、「これからの教育の目標」を全体として「1」から「5」の5本で構成してございます。
  「1」は「自己実現を目指す自律した人間の育成」でございます。8ページ目の一番下の「○」になりますが、「全ての人間は、一人一人が尊厳ある存在であり、自由と責任の自覚の下に、自立し生涯にわたって成長を遂げていくことが何よりも肝要である。」、「自分だけのかけがえのない個性があり、その個性を最大限に生かし能力を伸ばすことは、極めて重要である。」、そして「これからの教育は」といたしまして、「個人一人一人の人間としてのかけがえのない価値を尊重し、個人の能力を最大限に引き出すことを重視し、個人一人一人が生涯にわたって自らの能力を高め、あるいは自らの得意とする分野にその才能を伸ばし、自己実現を目指そうとする意欲、態度や自発的精神を育成することが大切である。」、「そのためには」といたしまして、「豊かな教養を身に付ること……教育の方法は可能な限り個に応じたものとすること、学習の機会は可能な限り生涯にわたって広く提供されるようにすることなどが必要となる。」。このような取組により、活力ある社会が実現できるということが最後の「○」でございます。
  これからの目標の「2」番目が、「豊かな心と健やかな体を備えた人間の育成」についてでございます。
  「我が国では、豊かな心を育むことが時代を超えて大切にされてきた。」、「例えば」といたしまして、「自己との関わりでは、自律心、誠実さ、責任感、倫理観など」、そして「他者との関わりでは、感謝や思いやりの心、他者の痛みを理解する心や礼儀など」、そして「社会との関わりでは」ということで、「勤労の大切さや公正さなど、自然や崇高なものとの関わりでは、自然を愛する心、美しいものに感動する心、生命を大切にする心、人間の力を超えたものに対する畏敬の念などである。」。「しかしながら」といたしまして、「現代社会」におきましては、「モノ・カネ本位の価値観や自分にとって得か損かの価値観が蔓延し、心の豊かさの価値が軽視された結果、個人の人格形成にとっても、健全な社会の維持にとっても憂慮すべき深刻な事態を招いていいる。」。
  「一方」といたしまして、「個人が……長寿社会の中で、生涯にわたって生き生きとした人生を送る上で、健康の保持や健やかな体づくりの重要性は言うまでもない。これからの教育は、心の豊かさや健やかな体づくりの大切さを確かに次代に引き継いでいく機能をより積極的に果たさなければならない。」。
  二つ目の「○」におきましては、「今後求められる重要な資質には、他者を思いやる心や美しいものに感動する心、自然を愛する心、倫理観などがある。そして、このような資質の育成を重視することが、個人の健全な心身の発達を促すとともに、ひとにやさしい心豊かな社会を実現することにつながる。」。
  「3」番目が「知の世紀をリードする創造性に富んだ人間の育成」についてでございます。9ページ目の一番下の「○」におきまして、「新たな知が新たな産業を起こし、……知の大競争時代において」ということで、「高度成長期には有効であった画一的な追い付き型教育を変革し、基礎・基本を習得し、それを基に、探究心、発想力や創造力を伸ばし、知の世紀をリードしていく人間を育成する教育に転換する必要がある。」。そして、「これからの教育には」ということで、2行目からですが、「教育内容の不断の見直しや新たな教授方法の開発が要請されるとともに、世界水準の知識・技能や高度な専門性を身に付けるための多様な学習機会の提供が求められる。」、「とりわけ」といたしまして、「大学や大学院の教育研究機能を飛躍的に高めていくことが極めて重要となる。このようにして、……知の創造を推進する人材が育っていく中で、……独創的な学術研究や科学技術も数多く花開いていくことになる。」。
  次の「○」でございますが、今後重要な資質として、「創造性、チャレンジ精神の涵養、リーダーシップの育成、そして世界水準の知識・技能などがあると考えられる。そして、このような資質の育成を重視することが、国際競争力と価値発信力にあふれる人材教育立国日本を実現することにつながる。」ということ。
  「4」点目の目標として、「『新たな公共』を創造し、21世紀の国家・社会を主体的に形成する日本人の育成」。この「新たな公共」というのは、7月に奉仕活動の答申をいただいた際にも、中教審から提案いただいておりまして、一人一人の個人が能力・適性を生かしながら、ボランティア活動などを通じて新たに社会、国家に貢献していく行為をもって、新しい公共を創造していくことが提言として打ち出されています。それを踏まえたものとなってございます。
  最初の「○」になりますが、「教育は、国家、社会の形成者としての国民の育成を期するという重要な機能を担っている。」、3行目の後段あたりからですが、「国民は、現在ある国家、社会の在り方に消極的に順応せざるを得ない存在ではなく、より良い国づくり地域づくりのために主体的、積極的に参加することを求められている存在なのである。しかしながら、これまで日本人は、ややもすると国や社会は誰かがつくってくれるものという意識が強く、自分自身の問題として考え、そのために積極的に行動するという努力を怠りがちであった。21世紀の我が国において自由で公正な社会を実現するためには、国民一人一人の自覚と行動が極めて重要である。」、「そのためには」といたしまして、「社会全体のモラルの低下、公徳心、公共心、規範意識の欠如などの問題をゆるがせにすることはできない。」、「一方」といたしまして、「ボランティア活動など『新たな公共』の創造に主体的に取り組もうとする国民の意識は高まりを見せており、このような潮流は是非とも加速する必要がある。」。
  二つ目の「○」になります。「今後求められる重要な資質には、自らが公正な国づくり、地域づくりの主体であるという自覚と行動、社会悪に敢然と立ち向かう勇気、公共の精神、社会規範の尊重、我が国の伝統・文化の理解と尊重、国や郷土を愛する心、などがある。このような資質の育成を重視することが、我が国が健全かつ持続的に発展するための基盤を構築することになる。」。
  そして、11ページになりますが、「5」番目の目標といたしましては、「国際社会を生きる教養ある日本人の育成」で、最初の「○」で2行目の後段あたりからですが、「我が国の今後の教育の在り方を考える上でも、国際社会を生きる日本人という観点は極めて重要である。豊かな教養は、個人の人格陶冶の旅の道標であるのみならず、国際社会の大海原を進む船の羅針盤である。」、そして「国際協調の精神の下、……異なる文化や歴史に立脚する人々と共生していくためには、特に自国のみならず諸外国の文化をも大切にする姿勢が重要である。」。また、「環境・エネルギー問題……といった地球的規模の問題など人類が直面する大きな課題の解決に向けて人類の英知を結集することが求められており、こうした問題について正しい理解を深め、解決のための取組への積極的参加を通じて国際社会に貢献することも重要なことである。」、「したがって」といたしまして、「これからの教育は、広く国際社会を相手に対話し行動できる能力の育成を重視し、世界を舞台に活躍する教養ある日本人の育成を目指していくことが重要である。」。
  二つ目の「○」として、「今後求められる重要な資質」といたしまして、「国際社会の一員としての自覚、豊かな教養、他国の異なる文化を尊重する精神、日本人としてのアイデンティティ、外国語によるコミュニケーション能力などがある。そして、このような資質の育成を重視することが、国際社会から信頼され、尊敬される日本を実現することにつながる。」。
  以上が、5本の大きな目標を整理してございます。
  そして、「また」以下ですが、これからの教育の目標を実現していく上で、以下の4点に挙げます事柄につきまして、教育の方針として大きな課題であるということを示してございます。
  一つ目が、「生涯にわたる学習機会の充実」でございます。「これからの生涯学習社会においては、あらゆる世代において、一人一人の生き方、在り方に応じて教養を広げ、新たな知識や技能を身に付け、自らのキャリアアップにもつなげ得るよう、いつでも、どこでも、誰でも、何でも学べる学習機会の充実」が重要である。
  2点目は、「一人一人の個性に応じて、その能力を最大限に伸ばす学校教育」という形で、「これからの学校教育においては、基礎・基本はもとより、……学び方、調べ方の習得を重視するとともに、自己の生き方や目指す職業につながる幅広い教養、職業意識、実用的な技能、高い専門性が、発達段階に応じて形成できる」ことが重要であり、「一人一人の個性に応じてその有する能力、適性を最大限に伸長することを強く意識しなければならない。」、「そのために」ということで、「個に応じた指導の充実と、学びの選択の幅の拡大に一層の配慮が必要である。」。
  今後の課題としての3点目は、12ページに移りまして、「知の世紀をリードする大学改革」でございます。「知的国際競争力と価値発信力あふれる人材教育立国の実現」に向けて、「大学、特に大学院の教育研究機能を高度化させることが喫緊の課題である。専門職大学院の拡充、産学官の連携の促進などを通じて、高い能力を有する多様な人材を輩出することが重要であり、そのことが人類共通の課題の解決に向けた知の結集へとつながる。」。
  4点目が、「家庭や地域の教育力の向上」についてでございます。「教育の原点である家庭や地域社会において、……世代を超えた多彩な人々との交わり、多様で本物の体験活動や経験を通じて、心身両面にわたる人間形成と成長を促すという本来的な教育力が、必要なときに、確かに発揮されることが大切である。」、「このために」ということで、特に「高齢者の有する貴重な知恵や経験が、子どもを育てるときに生かされるようにするなど、行政として押しつけとならないよう十分留意しながら、家庭や地域の教育力に対して支援に努めることが必要である。」。
  以上が、「第1章」の素案でございます。よろしくお願いいたします。
   
鳥居部会長  ありがとうございました。
  今、「第1章」を読み上げに近い形で説明していただきましたが、御一覧いただきまして、先ほど申し上げた意味での、つまり、全体の中間報告の構成を3章立てにした場合を想定して、全体の柱立て、枕となる部分として、どのような過不足があるかという観点から御検討いただき、今日はだいぶ文章化してはきていますが、この視点が全く抜けているということがありますればそれも御指摘いただき、この表現は適切でないとか、このようにしたほうがいいというところがありましたら、それも御指摘をいただきたいと思います。そんな形で御審議をいただければと思います。よろしくお願いいたします。
   
  非常によくできていて、これはいいなと思ったのです。ただ、これをどういうふうにするか、具体的なところはあれなのですけれども、最初のところに何かパンチが欲しいなというのがあるのです。
  なぜかといいますと、教育振興基本計画をつくらんといかんというわけでしょう。教育基本法も変えにゃいかんというわけでしょう。その必然性をわかってもらうためには、世の中が変わってきたとか、教育についてこういう課題があるというだけでは、それなら毎年毎年、それに応じて文部科学省は頑張ってやっておられるわけだから、それに応じた予算でもつけましょうで終わってしまうわけです。
  そうでなくて、いわば画期的な振興基本計画をつくらなきゃいけない、あるいはそれを全部支える基本法まで変えにゃいかんというふうになりますと、「教育の現状と課題」の前のところに、短くていいと思うのです、「今の子どもの姿はこれでいいのか」とか、「若者の姿はこれでいいのか」という声が、社会全体で高まっているというか、そういうところから始まっていく。中のほうに若干ありますけれども。
  書くとすれば、成人式のときに市長さんの前でクラッカーを鳴らすようなのが出てきたり。つまり、二十歳といっても中身として言うと、社会的常識もない、あるいは自分自身をコントロールする力もついていない、そういう姿が散見されるという。これは全部ではないわけですけれども。あるいは、暴走族の問題にしても、10代から二十歳前後の子たちの多様な犯罪行為にしても、「このままでいいのかという社会的な声の高まりに応じて、もう一度抜本的に考えなければいけないのだ」という、ちょっと煽りみたいなので、どのように言うのか、これはお任せいたしますが、最初のところにインパクトの強い表現を、短くていいですが、これでいくと半ページぐらいやって、それをしてこういう分析といいますか、全体に入っていくというのがあれば、それは基本法も、振興基本計画もつくらにゃいかんな、という一つの伏線になるかなと思いながら、見せてもらいました。内容的には、私は非常によくカバーされていると思って聞かせてもらいました。
   
  今の意見と全く同じと言ってもいいかもしれないのですが、資料は非常によくできていると思うのです。昨日送っていただいてずうっと読んでみると、よくできている、そうだ、と思うのですが、何で今、教育基本法の改正とか、こういうことをやっていかなくてはならないのかという疑問がやはり出てくるのです。それに答えるようなものが頭に必要なのだろうと思います。
  考えてみたのですが、例えば明治維新のときには、国の仕組みがああいうふうに変わります。そうすると、スローガンとして「文明開化」と言いました。それに向かっていくというのがありました。第2次大戦後はまた国の体制が変わる。そのときは「戦後復興」でした。いろいろな言い方はありますけれども。今、21世紀の初頭に当たって何だといいますと、私は、「日本社会の建て直し」とか、「日本社会再建」とか、そういうことなのかとも思うのです。あるいは、「新しい日本をつくる」。いつも「新しい日本をつくる」というのは出てくるのですけれども。
  その場合には、諮問にもあったのですが、急激な社会の変化に対応しなくてはいけないということが言われ、その点も資料1には実によく入っているのです。しかし、全部並んでいますので、いろいろな事項が並んでいるだけになっています。その中から内包性の豊かな項目を三つぐらい選んで、それを頭に持ってくる。
  今は多くの学問で公理系をつくりますよね。今の公理系のつくり方は、いろいろな命題があって、その中で一番内包性のあるものを選んできて公理にすればいいというだけです。それと同じように、ここに挙がっているものの中から、ほかのものが導き出せるようなものを三つぐらい―「主なものを三つ」とよく言いますけれども、三つぐらい持ってきて、それに対応していけるように日本社会を建て直すとか、そういうことが必要なのかなと思います。
  それで見ていきますと、一つは「知識社会への移行」というのが入っていますが、これの中には「情報化」とか、いろいろなものが後ろにくっつけられますし、「職業関係」も入ってきますし、非常に内包性があると思います。ですから、「知識社会への移行に対応できる日本社会をつくっていく」と考える。
  その次に、「少子高齢化社会の進行」というのがありますが、これもいろいろなことが全部ここのところに入ってきますし、日本の場合にはそれが深刻ですから、それも取り上げられるのではないか。
  それから、「グローバル化」というのがあります。それがいいのか、「国際化の進展」がいいのかわかりませんけれども、「グローバル化の進展」というのがあります。
  この三つぐらいを頭に持ってきて、先ほど申し上げたような「日本社会の建て直し」と言うのか、「再建」と言うのかわかりませんが、それを言って、さらにそういう社会を支える人間を形成していくということがバチンとあって、内包性の豊かな事項があれば、あとはそこから関連して導き出せますから、論理的に整理されて、何で今こういうことをやらなくてはいけないのかというのがわかりやすくなるかと思います。
  これは私が考えただけのことですから、それがいい悪いということではなくて、何かそういう整理が必要かなと思います。一般の国民の方々にわかりやすい、聞いて、ああ、そうか、とすぐわかる形にしていかないと、こういうものはいけないのかなと思って、発言させていただきました。
   
  「1」の「教育の現状と課題」では、基本的なトーンが、臨教審以来、関係者によって教育改革の努力がなされてきたにもかかわらず、なお深刻な危機に直面しているというふうに書かれているわけであります。
  その理由は、改革以上に社会の変化が早かったというようなことのようでありますが、こういった認識は間違っているとは言いませんけれども、世間には、誤ったもしくは不適切な教育改革の結果、むなしく失われた10年という認識もあるわけでございます。
  したがいまして、教育改革がなされたにもかかわらず、なお先ほど来出ていますように、抜本的な基本法の改訂とか、振興計画の策定を必要とする理由としまして、どちらが原因なのか、あるいは両方が原因なのか、議論の余地があろうかと思います。
  無論、中教審としましては、これまでの教育改革が誤っていたという見解は採用できないでしょうけれども、特に初等中等教育に関しましては政策転換がなされたという報道がマスコミを通じて広く流されているわけでございまして、そういったことから言いましても、この点を全く無視するわけにはいかないのではないかと思うわけでございます。
  次の「21世紀の教育が目指すもの」では、いろいろな客観情勢の変化が書かれているわけでございますが、万遍なくいろいろなことが書かれている点で、よく書かれているといえば書かれておりますが、なぜか一番肝心なことが書いていないのではないかと思うわけです。
  その第1は、例えば「少子高齢化社会の進行と家族・地域の変容」とありますが、ここでは総人口がどうなるかとかいった話でございまして、一番肝心な在学者数が急速に減っていって、学校教育が危機に陥っているという問題が全く触れられていないわけでございます。
  また、2番目といたしまして、大競争時代、「知識社会への移行」ということが書いてあるわけでございますが、このことは当然、国民の間に各種の格差が拡大するということを―既に拡大しておりますが、その点につきましてデジタル・デバイドの問題が指摘されているだけでありまして、それ以外の社会的格差、知識・教養の格差、所得の格差、様々な格差が拡大しているわけでございますが、そういった点が全く指摘されていないわけでございます。
  それから、比較的上層部と申しますか、大学院等で最先端の高度の知識を学ぶというようなことは書かれておりますけれども、大競争社会、知識社会から落ちこぼれた人間ははるかに多いはずであります。そういう人々がたくさん出るという指摘があまりなされていないわけでございます。したがいまして、それにどういった手を差し伸べるかということが書かれていない。
  それから、3番目といたしましては、国・地方を通じます財政の逼迫の問題が出ておりません。そうしますと、結局、いろいろな社会変化に応じて様々な教育の改善策が考えられますが、財政上の制約との関係をどうするのか。それをあらかじめ考えておく必要があるのではなかろうかと思います。
   
  先ほど委員が、「まえがき」的なところにある種の基本的なコンセプトをとおっしゃっていまして、私もそれが必要だと思います。というのは、前回の議事概要が出ていますけれども、現時点で教育基本法を改正するモチベーションが、今まで議論したように、いろいろあると思います。そのモチベーションの中で、この間、非常にうまく整理されて発言された委員がいらっしゃったと思いますが、前回の議事概要の3ページで、私もそれをセコンドするような発言をしております。
  基本法の冒頭にある民主主義や平和主義は非常にいい理念である。しかしながら、民主主義の中でも権利の面の主張がやや強過ぎて、義務が必ずしも十分ではないとか、平和主義もいわゆる一国平和主義のほうにいってしまっているという指摘もあって、本当の意味の民主主義、平和主義についての理解が、果たして教育基本法の時点と現在でいいかという御指摘があったと思います。
  この問題は、ある意味ではコントロバーシャルな課題ではありますけれども、そこを知性的にクリアすることによって、何かうまく書き込むことが必要ではないかと思います。それでないと、なぜこの時点で教育基本法を改正するかという、ある種の国際環境あるいは国内的なモチベーションがどうしても希薄になってしまうという気がしますので、そこのところをぜひお考えいただきたいと思います。
  それはいわゆるイデオロギー的な論争を避けて、知的に書けるのだろうと思います。それが書けないとすれば、今の基本法を改訂する意味がないと言っても過言ではないわけで、そこを避けて通ってはいけないと思います。アピールするものが伝わっていかないと思います。国民も、今の国際社会の変動が非常に激しいこと、あるいは科学技術の進展がものすごく急速なことに、ある意味では驚き、あるいはおののいているわけで、そのときに日本としてどういう教育が迫られるかという問題意識を明確にしていかなければという気がいたします。
  その前提のもとで、今日の資料1の細かいことを申させていただいてよろしいでしょうか。気がついたところだけ、発言させていただいたついでに申し上げますけれども、まず1ページの一番最初の「○」の終わりから3行目ですが、「高等学校進学率や大学進学率の上昇などにみられるように教育は著しく普及した。」ということなのです。だけど、数字の上での普及が、実は教育の形骸化をもたらしている。さっきどなたかからありましたけれども、そのことがありますので、「進学率」をとって教育の普及ということが言えるのかどうかということです。「進学率」が少ない時代のほうが、より教育は充実していたかもしれない。しかしながら、進学率の上昇は避けられない社会的現実があるわけで、そこをどういうふうにとらえるかということがあるといいと思います。
  それから、同じ1ページの終わりから2行目です。ここは私の専門にもかかわるのですが、「東西の冷戦構造の崩壊後」ということなのですけれども、冷戦というのはそもそも自由主義と独裁とか共産主義、資本主義と社会主義との対立であって、アジアにはまだ冷戦が残っているのです。だからこそ、最近のいろいろな問題が起こっているわけです。「米ソ冷戦構造」は終焉しましたけれども、「東西の冷戦構造の崩壊」という言葉は事実としてもおかしい。最近はまた「新しい冷戦」ということも言われるわけです。そこのところの字句について、いわゆる米ソ冷戦は崩壊したのですが、そういうことをちょっと気をつけていただければと思います。
  それから、少し飛びますけれども、気がついたところで恐縮ですが、9ページの終わりから3行目、「新たな知が新たな産業を起こし、国や社会の発展を支える知の大競争時代において、我が国の繁栄を確保していくためには」という書き方ですけれども、「新たな知が新たな産業を起こす」ことは事実であったとしても、いわばかつての産業革命の時代とか、科学技術の急速な発展がそのまま産業立国をもたらしたという時代とちょっと違うわけで、「新たな知が新たな産業を起こし」という表現は私自身はちょっと気にかかりましたので、「新たな成熟社会につながる」とか、何かほかの書き方があるような気がいたします。
  そんなところですけれども、全体的には大変よくできていると私も評価させていただきます。
   
鳥居部会長  「米ソ」でなければだめですか。
   
  「米ソ」と言ってもいいのですけれども、あえて「米ソ」と言わないで、「東西の」と言うのですが、ちょっとそこのところを考えていただけるとという気がします。「米ソ」でもいいのですが。
   
  改めて柱立てについて申し上げますと、私は大変いい柱立ての体系ではないかと思います。
  今日、議論の対象となっております「第1章」は、具体的に「第2章」「第3章」を導くための分析ということになろうと思うので、本当は2章、3章も一度やった上で振り返ってみないといかんだろうという気がいたします。
  それはそれといたしまして、先ほど来議論がありますように、教育基本法を検討する、あるいは振興計画をつくるというための一つのインパクトというか、導き出すあれが弱過ぎるのではないか、何かそういうのがあったらどうなんだという議論で、それは私も賛成いたします。
  ただ、そのことを言うために、問題がある、あるいは課題がある、だからこうしなければならないという論理だと思うのですけれども、その問題提起がちょっと極端に言っているところもあるのではないかという気が、これを見てするわけです。特に日本人の現在の精神構造については、こっぱみじんにやっつけているわけですね。例えば、2ページの一番最初のパラグラフのところなども総論的にそうですし、さらに具体的に言えば、7ページの一番下のほうに「国民意識の変容」というのがあります。これは救いのない国民ですね、この辺は。これから8ページの上のほうにかけて。もちろん確かにこういう面もあるし、反省しなければならないのですけれども、ここまでひどいのだろうか。後の結論を出すために、それはわかりますけれども、ちょっと激しくはないか。
  それから、9ページの中ほどで、「我が国では、豊かな心を育むことが時代を超えて大切にされてきた。」なのですね。「……きた」というのは過去形ですね。そして、問題があるというのは現在形なのですね。
  こんなところが、あとの2章、3章を導き出すためにある程度のことはあると思うのですけれども、ちょっとそこのところは工夫がないかという感じが率直に言ってしましたので、意見を申し述べておきます。
   
  皆さんの御意見を今伺っておりましても、教育基本法の見直しと振興基本計画をつくる、それが教育改革国民会議からの流れで大前提であるという御議論のように承っていますけれども、この場で例えばさんざん議論をした結果、やはり基本法の見直しまでは必要ないのではないかという結論があるのかどうかという、その点については大前提としてお聞きをしたいというのが、まず一つございます。
  それはそれとしまして、皆さんがおっしゃったように、「第2章」以降で見直しの必要性というところが述べられるのでしょうけれども、そうは言っても大前提としての「第1章」の部分でありますから、ここに書かれている課題及び分析が、基本法のところに根源があるというふうに思えないという部分が、私も感じられるわけです。
  それがなぜかということで少し思っているのですが、今も御意見がありましたけれども、個々人の意識や価値観を変えていけばいいものなのか、それとも社会システムのほうに問題があるのかというところが、やや区分をしないままに書かれていて、そこが説得力をやや欠いているところがありはしないかと思いました。
  例えば、8ページのところでも、「国民全体のモラルの低下の加速」でありますとか、「国民が社会の風潮に無批判に流されるような事態」と書かれておりますが、そういった意識を私たちが表現をする手段として、選挙でありますとか、行政に対するいろいろな申し立て等があるわけですが、それらの仕組みが国民の声を反映できるような仕組みになっておらない。例えば、選挙制度等もそうですが、そういう仕組みのほうの要因もあると思うわけですが、ここでは個人の意識のところにすべてその要因があるかのように書かれているという印象がするわけです。そこの切り分けのところですね。
  先ほど委員がおっしゃいました、大事なことが書かれてないじゃないかと。財政の逼迫とか、大学の入学者がそもそも減少していくのだとか、そのような事例をお挙げになりましたけれども、これも私が言わんとしているところとたぶん同じことだろうと思います。社会システムの部分が原因でそうなっているところは、もう少し書き分けていったほうがいいのではないかという気がいたします。
  もう一つは、先ほども出た意見でありますけれども、今日までの教育改革の在り方に対する批判の声は現実にあるわけでありますが、特に今行われようとしている、いわゆるゆとり教育のところが両説ある部分だと思います。それについて申しますと、11ページの「一人一人の個性に応じて、その能力を最大限に伸ばす学校教育」の最終行に、「個に応じた指導の充実と、学びの選択の幅の拡大」という表現がございます。このようなところでも、個性に応じた指導ということで、これについても実は両論あると思うのです。そのことがかえって子どもたちの本来あるべき基礎的な能力を育てていないのではないかという見方もあると思いますが、そういう部分が見受けられるということで、またもしそういう場面があれば、後ほどそういう部分は御指摘したいと思いますが、そのような観点でも感じるところがございました。
  それから、これは今申し上げたことと必ずしも結びつかないかもしれませんが、7ページの「3科学技術の進歩」の一つ目の「○」の最後の3行ですが、「新たな倫理観・生命観」という表現がございます。これは新しいライフサイエンスの進展、バイオテクノロジー等々の進展のことを指摘しているのだと思いますが、それだから倫理観・生命観というのは新たなものになるのかどうか。これはむしろここで言えば、変わらない倫理観・生命観が重要なのではないかと思います。そういう意味で、これはちょっと抽象的な言い方ですが、現状を変えなければいけないというところに、倫理とか、あるいは個人の価値観、思想のところに踏み込むがゆえに、やや強引に論理立てがされている部分がありはしないかという印象を持ちましたので、その点を申し上げておきたいと思います。
   
  私も皆様おっしゃっていらっしゃいますように、とてもいいところのある文章になっていると思いまして、ありがたいことだと思っております。
  一つ、ここがポイントだなというところが私なりにございまして、4ページから5ページの「就業構造の変貌」というところでございます。確かに今、産業界に地殻変動みたいなものが起きておりまして、専門知識や技能を持つ、即戦力となる人材を求めるという情勢になってきております。こういう中で、つまり、ここの下に書いてあることがちょっと論理矛盾といいますか、そうなってきたから、中高年齢層が離職を余儀なくされるわけですけれども、こうならないためにどうするかということが書いてないですね。高卒の就職が極めて難しい状況だということと、後段のフリーターの存在が書いてあるわけですが、ここのところは一つのポイントだと思います、「学歴と就業のミスマッチ」というテーマは。
  今、若者は逆に生きがいと働きがいを一致させようとあがいているところもありまして、それが産業界の実態と合わないところもあるわけです。その中で生き残っていく、自分の生きがいと結びつけながら資本の論理と戦って生きていくためには、どういう人材を養成しなければいけないのかというところをもう少しきちんと書いていけば、いいポイントになるのではないかと思います。それだけです。
   
  一つは現状と課題ですから、サラッと書かれていることについては評価をしたいのですけれども、原因の分析をもう少しやる必要があるのではないかという気がいたします。
  大きなところで言いますと、「日本人」という言葉がやたらに使われているのです。これは日本民族を指しているのか、それとも国籍を持った異民族まで含めて言っているのか、あるいはやっぱり今のグローバルあるいばボーダーレスの時代における日本人という立場でとらえているのか、これは個々の場合によって随分ニュアンスが違うような気がしているのです。これはもう少し深く議論する必要があるのではないかという気がします。
  もう一つは、トータルとしては、片仮名を使い過ぎているのではないか。美しい日本語を使ったらどうだろうかという気がします。
  各論みたいなもので私の感じたことを申し上げますと、2ページ目は、先ほど委員からもございましたが、「価値観が大きく揺らぐ」というのは、「価値観の多様化」と見るべきではないだろうか。「価値観全体が揺らぐ」ということではなくて、「価値観の多様化」とか、あるいは「出口の見えない閉塞感」も言い過ぎているような気がしているのです。
  ただ、このパラグラフでは、せんだっても委員からもありましたように、大人社会のモラルハザードの問題は、ここにも若干書いておかなくてはいけないのではないか。何か子どもたちだけが悪いというふうになっているような感じがします。
  次のパラグラフで、「学校教育に過度に依存する実態があった」とありますが、それはなぜだろうかというと、一時期といいますか、今でもそうかもしれませんが、学歴社会ですね、学歴主義の社会の中で受験教育があって、受験のための教育というか、そこに学校教育が随分傾斜していっていた状況がありますから、それはやはり書かれたほうがいいのではないかという気がします。
  それから、「教育の原点である家庭や地域」とありますが、「原点」と言うよりは「重要な役割を担う」と言ったほうがいいのではないですか。それはなぜかというと、学校も含めてそのように考えられたほうがいいのではないかという気がいたします。
  それから、3ページです。3ページだけではございませんけれども、「国家や社会の構成員」というのがありますが、基本的に「民主的で文化的な」という形で、国家や社会の一つの形を示したほうがいいのではないかと思います。そこで、「人権を尊重する心」というのが第15期の中教審で使われた言葉ですが、この欄にそういうことばも入れていただいたらどうだろうかと思います。
  4ページが一番気になるのですが、4ページの少子化のところの最初の「我が国社会では」というところがあります。これは女性の高学歴化と就業率の上昇によって晩婚化したり、あるいは少子化の原因だと言わんばかりの書き方になっています。これはちょっと認識が異なるような気がいたします。これと同時に、この中で全体的にそうですが、男女共同参画社会的な視野とか、視点が割と少ないのではないかという気がいたします。これを入れてもらったらどうだろうかと思います。
  それから、次の人口比率で数量的な記述がございますが、これはそれほど要らないような気もいたしますが、どうでしょうか。
  それから、地域の変容や家庭の変容の中で、私が一番気になっているのは、今、多くの外国人が日本に住んでいる。だから、社会そのもの、地域そのものの中に、外国人との共同生活が既に出てきているということですので、例えば学校における外国人子弟の教育の問題にも反映してきていますので、これを何らかの形で入れていただければどうだろうかという気がいたします。
  それから、9ページに、「我が国では、豊かな心を育むことが時代を超えて大切にされてきた。」と言うのですが、戦前は果たしてそうだっただろうか。戦前の教育の中において、豊かな心を育む時代だっただろうか。これは過去になっていますけれども、そういう書き方ではなくて、まさか「一時期」と書くわけにもいかんだろうから、この部分は書き換えて、「例えば」から以降が主文に生きるようにしてもらったらどうかなという気がしています。
  それから、先ほど委員からもありましたけれども、例えば世界水準の知識や技能、あるいは人材育成ということがありますが、これに対する財政的な裏づけをどうするのか。そのためには、財政的なきちんとした裏づけが必要であるという意味のことも書く必要がある。あるいは、システムとして必要なことについて、どんなシステムが必要だということを入れていただければ非常にいいのではないかという気がいたします。
  それから、11ページですけれども、最初のパラグラフの中の4行目に「豊かな教養は」というところがあります。この2行は、何となく書き過ぎていないか。ちょっと事大主義的な感じもするのです。「個人の人格陶冶の旅の道標であるのみならず」というのはどうだろうかという気がするのです。「大海原を進む船の羅針盤である」というのはちょっと……。
   
  では、この教養とは何かということが問われてないから、ちょっとそこのところね。
  ついでに、今のお話の中で、要するに「異文化との共生」とか、そういう視点だと思います。それは国内もそうですし、対外的にまさにそうであって、そのことが、細かいことで恐縮ですが、7ページの一番上に出ているのです。「一方、グローバル化が進展していく中で、イデオロギーに基づく対立に代わり、民族や宗教など文化の違いに根ざした様々な問題が顕在化している」。ここのところは「イデオロギー対立」はあえて入れなくてもいいような気もします。「民族や宗教など文化の違い」と言ってしまう。つまり、文化の違いそのものがということですから、民族の違いとか、宗教の違いがいろいろの問題を起こしていますから、「民族や宗教や文化の違いに根ざした」という表現のほうがいいかもしれません。
  それから、ついでに申し上げますと、さっきの1ページのところですが、「東西の冷戦構造」と「東西の」言ってしまうからあれなので、「の」をとれば、「東西冷戦」でも、「米ソ冷戦」でもいいと思います。
   
  今いろいろと伺っていて改めてまた勉強するところがたくさんあったのですけれども、皆さんのお話も出ておりますが、教育基本法として何を改正のときのポイントとすべきかとか、振興基本計画で何を打ち出すポイントとすべきかということをある程度考えてやらなければいけないと思うのです。この部分から。
  私、何度か申し上げましたが、どうしても網羅的になるのです。大事なことが全部あって、抜けてないという形になるのですが、結局、インパクトがなくなってしまうのです。全部入ってていいけれどもというね。
  そういう意味で言いますと、基本法の問題では私は何度か申し上げてきたのですが、一つ、戦後の平和主義、民主主義、国際主義、あるいは非宗教化というものが、戦後のある時期、極めて戦後的な在り方を出しているし、新しい方向に向かっている。つまり、新しい民主主義、新しい平和主義、新しい国際主義、新しい宗教共生といいますか、信教の自由ですから、新しい信教の自由といいますか、こんなものに向かわざるを得ないということが一つあるだろうと思います。
  もう一つ、子どもの権利条約が批准されたわけですけれども、今の基本法に何も書いていないわけです。子どもの権利というのは、子どもは常に教育されるもの、育てられるもの、何々を涵養されるものという受け身の形になっているけれども、同時に生きている一人一人として、固有の人間としての権利を持ってということが、視点としては今の基本法はないのです。そういうことがとても大事だしと。
  いろいろな形で、何度か韓国の新しい基本法を引用されましたけれども、「学ぶ権利」という形で書いてありましたね。でも、もう一歩進まなきゃいけないと思っています、あそこからはね。しかし、いずれにせよそういうものがある。
  あるいは、男女雇用機会均等法のもとで、新しい男女の在り方といいますか、単なる女性の解放でなく、ただ単に男と女を同じように扱いますというだけでなく、子どもを産むというのは男にはできないわけですからね。そういう母性の重要性まで含めた新しい男女の在り方を教育の全体の中でどう貫くか。同じだなんて、そんな何十年も遅れたようなことを今言っていたってしょうがないのです。ですから、新しい在り方ね。母性という問題を含めた問題があるはずだし。
  ただ、基本法だったら、はっきり言うと、基本法の原理が実現していないから、それをやるのが先だなんて、私はとんでもない暴論だと思っているんです。基本法を読んでないから言える話なんで。今の時代に、新しい時代に向かって、新しい理念を打ち出さなきゃいけない。これをここに伏線としてきちんと流しておかなきゃいけないです。
  教育振興基本計画は、日本国憲法がいっているように、文化的にも、倫理的にも、経済的にも、国際的に尊敬される、社会の中で尊敬される立場をとっていくには、今のままでいいだろうかということがあると思うのです。これは経済的なことだけ言っているといかんので、文化的にもそうだし、倫理的にもそうだし。そういうものをもう一度、21世紀になったから、教育の力で新しくつくっていこうと。まさに日本国憲法がいっているような話なのだけれども。まあ、あおによし奈良の都になっているわけです。枕詞にしかなってないわけです。とすると、経済の面は書いてあるけれども、もう少し書かなきゃいけない。
  同時に、教育振興基本計画か、教育基本法か、あるいは両方かでどうしても書いてもらわんといかんのは、日本列島に住んでいる人たちが、より一層連帯を深め、共通の目標をみんなで探し求めながら、手をつないで努力していくというこの機運を強めなきゃいけない。これがいわばナショナル・アイデンティティの問題になるわけですね、言葉で言っちゃえば。ナショナル・アイデンティティというのはみんなでつくっていく話なのでね。
  とすると、ナショナル・アイデンティティをつくっていくという意味での、例えば元何人でもいいのですけれども、それが20、30、40で、例えばサッカーの応援で、日本人になってもらったら、この日本列島の運命共同体として、みんなで一つのものをつくっていこうという方向を目指す。そういうものがやはりなきゃいけないわけです。これはそういう意味でのダイナミックな訴えとして、ちょっと弱いですよね。そういうものを導いてくるようなね。基本法においても、振興基本計画でも、その視点は必要だと思うのです。みんなが連帯しながら一つの共通の目標を探し求めながら、みんなでつくっていくという。この日本列島の中で、利害関係を異にするいろいろな集団の戦いの場になったらしょうがないわけだから。
  そういう意味でのナショナル・アイデンティティをみんなでつくっていきましょうというその訴えが、この辺で出ていて、だから振興基本計画ではとか、あるいは基本法の改正ではというふうに、次の各論、2章、3章にいかなきゃいけないのではないかと思いながら、皆さんのおっしゃっていることを聞かしていただいておりました。
   
  読ませていただいて、一つは、もしこれが「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」という題がなかったとしたら、そういうものの「第1章」だと思えないというか、現状の問題点を書いてある普通の答申の1章と思ってもいい。つまり、何のためなのかということがあまりよくわからない書き方がされているような気がいたします。
  いろいろな問題点はあるのですけれども、その問題点は、すべて社会が変わってきたことが大きな原因なのですが、それだけなのか。あるいは、今までの私たちの反省することが何かあるのか。あるいは、教育基本法自体はいいのだけれども、それがやられていないということに問題があるのかないのか。その辺の考察も2章に結びつけていくときには必要なのではないかと思って読んでおりました。そういうことが全く書かれていないので、現状の問題点がたくさん書かれていて、それはそれで非常によくまとまっているのですが、普通の答申、今までのいろいろなところに出てきている答申とあまり変わりがないと思うのです。
  全体のトーンとしては、今までこういうことがあって、それはそれなりによくやってきたのだけれども、社会が変わったのだからということなのですが、本当にそれだけでいいのかなというのが、全体の流れとしては気になるし、一般の国民が受け取ったときに、それで納得できるのかなという気がいたしました。
  それから、トーンとして、過去はよかったのだけれども、今はひどいのだというようなトーンがあり過ぎであるということと、大きなことが全部書いてあるのですけれども、長過ぎて、読んでいるうちに、何のためにこれが書かれているのかがわからなくなってしまう。もうちょっと短く、こういうことはよかったけれども、こういうところは私たちも反省しなきゃならない、あるいはこういうところがいいんだということが、スパッと頭に入るようなやり方でないと、すごく大部に現状を解析していただきましたが、「フウッ」といって、「それで何でしたっけ」という感じにどうしてもなってしまうような気がいたします。
  細かなことは、先ほどいろいろな委員が御指摘されたところが、気持ちはわかるのですけれども、何となく原因と結果が強引に結びついちゃっているかなという気がするところもあります。それは気持ちはわかるので、ちょっとした表現の問題かもしれません。
  新しいパブリックの持ち方とか、自己と他者、社会のかかわりとか、そういうところが入ってきたのはすごくいいと思っております。
  大きな点と細かな点について、感想ですが、述べさせていただきました。
   
鳥居部会長  今、委員が、文章が長過ぎるという話をされたのですが、確かに冗長なところは全部、これから切ったり削いだりしていくわけですが、前回の資料を見ていただいたほうがいいと思います。要するに箇条書きで書いてあったのです。それを今日は文章にしたのです。
   
  1章何ページぐらいで何とかって、そういう構想は決まっているのですか。
   
鳥居部会長  いや、1章何ページって決めてないのです。
   
  そうですか。では比率として、何対何対何ぐらいで書き込むのかとか。
   
鳥居部会長  前回の第13回基本問題部会の資料2の項目立て、要するにスケルトンを今日文章にしたので、相当の量になっています。
  前回の資料2の中で、この項目は要らないとか、この項目は足りないという御意見もいただけると、これから修文し、かつ修文のときに短く、簡潔にしていくプロセスの中では、もう一つ大事な仕事ができるということになると思います。
  これを素材にしたものですから、「子どもや社会の問題」という項目立てをそのまま文章にすると、だめなところだけ全部文章になってしまったということになりますので、書き方が非常に難しいと思います。
   
  今日の資料1の12ページの「知の世紀をリードする大学改革」の1行目のところに、「人材教育立国の実現」といって「人材教育立国」という言葉が出てきます。これは諮問の中では「人材教育大国」となっていたのです。「今、国は人材教育大国の実現に取り組むことが強く求められている」と入っていました。「人材教育立国」でも、「人材教育大国」でもいいのですけれども、これについての説明が必要なのではないかと思います。今の時点でこれが求められるときの、その「人材教育立国」とか、「人材教育大国」の中身は何なのか。日本は昔から教育立国と言ってきましたけれども、その時その時で違いがあるわけです。今の時点でこれを言わなくてはならないときの中身は何だということを説明していかないといけないのではないかと思います。
   
鳥居部会長  わかりました。ありがとうございました。
  先ほど来、何人かの方からの御発言の中に、「第2章」、「第3章」、つまり基本法、振興基本計画についての考え方に1回踏み込まないと、「第1章」は完結しないのではないかというお話がありまして、それはおっしゃるとおりなので、恐らくそういうプロセスをたどることになると思います。
  今日御審議いただいた結果をもとにして、とりあえず資料1の素案をある程度修文いたしまして、来週、30日の総会で1回御審議をいただきたいと思っています。本席におられる方の中で、総会にも御出席いただく方が大部分ですけれども、そこでまた御意見をいただいて、そのときにも恐らく同じようなことになると思いますけれども、基本法と振興基本計画について次に踏み込んだ議論をしたときに、「第1章」をもう一度言及しなければならないものが浮き上がってくると思います。
  とりわけ振興基本計画については、参考1という目次を見ていただきますと、今のところは「第3章」の目次はたった3行でありまして、「教育振興基本計画の策定の必要性」「教育振興基本計画の基本的考え方」「教育振興基本計画に盛り込むべき施策の検討の視点」、これだけしか書いてありませんが、具体的にここへ踏み込みますと、学校制度、教育制度、教育の仕組み、中身をどんなふうにしていくのか、先ほど来何人かの方から御指摘があります財政の問題についてどういうふうしていくのかとか、いろいろなことをここで議論することになると思います。それを議論した上で、「第1章」に戻ってきて、そこにまた若干の書き加えが必要になるということではないかと思います。
  そんなわけで、次回総会にこれを諮らせていただくということで、もし最後にこれだけはぜひ言っておきたいということがありましたらお願いをしたいと思いますが、いかがでしょうか。
   
  総会の持ち方ですけれども、総会はたしか臨時委員の先生方には御案内してないのですよね。これは事柄によると思うのですけれども、基本法とか、振興基本計画のときは、基本問題部会の臨時委員の先生方にもぜひ御出席いただいて、御発言いただいたり、情報提供もしていただいたほうがいいような気もしまして。
  これは非常に大事なものですから、基本問題部会でやったことを総会でやってというときに、一部そういう意味で齟齬が生じないように、積み重ねていけるようにするには、そのほうがいいのではないかと思いますけれども、いかがでしょうか。
   
鳥居部会長  ありがとうございました。そのようにさせていただきます。
   
  たしかこれを遠山大臣から諮問を受けたのは去年の11月ですよね。こういう議論を重ねていって、次回は総会でこの「第1章」が出る。「第2章」「第3章」もまたここでやって、また総会。肝心の基本法の改正バージョンみたいなものを審議するのは、もっと先になるわけですか。非常に大事な問題だけに拙速は避けるべきだとは思いますが、答申を受けてから1年間たって、今後、これは単に中教審だけではなくて、恐らく国民的な議論とか、国会であるとか、いろいろあると思うのですが、その辺の見通しはどうなのでしょうか。
   
鳥居部会長  考え方として申し上げると、中間報告を1回出したい。その中間報告は、参考1という資料にあるような目次立てで、「第1章  教育の課題と今後の教育の基本的方向について」という、要するに理念に関するところがまずあって、「第2章」で「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」とあります。「第3章」は「教育振興基本計画について」です。この「第2章」と「第3章」はそれぞれが従来の言葉でいうと、教育基本法の新しい姿についての要綱のような形になっている、そういう性格を持っている。振興基本計画についても、その基本的な考え方を示す要綱のような役割を果たすという形で、1回、中間報告を出す。そういう形だと思います。
  それをまず中間報告の形でお出しすれば、教育基本法の改正の大きな柱になるところが全部提示されたと。教育振興基本計画についても、「第3章」という形ですけれども、策定要綱が提示されたという形になって、その要綱をたたき台にして、中教審が基本計画の最終版を提案するのか、それとも別の形をとるのか、まだそこは決まっていないのです。
   
事務局  会長がおっしゃったとおりでございますが、要するに基本法の在り方、方向性を、この基本問題部会で次回以降御論議をいただいて、ある程度の方向性をお示しいただければありがたいと思っております。
  教育振興基本計画につきましても、中教審としての基本的な考え方ということで中間報告のような形で、いずれ近い時期に公表していただいて、それに対して様々な各界各層、それから碩学泰斗の方の御意見とか、いろいろお聞きしていただいた上で、最終的な方向性を出していただくことをお願いしたいと思っております。少し時間がかかっているという御指摘はあるとは思いますけれども、事柄は非常に大きいことでございますので、御審議をいただければと思っているところでございます。
   
事務局  今後の日程は、資料3には9月30日の総会の御案内しかできておりませんけれども、参考1でお示ししております「第2章」の「教育基本法の在り方」、「第3章」の「教育振興基本計画」につきましては、10月に部会、そして総会の御審議をいただいて、できればという状況でございますが、10月に中間報告という形で取りまとめをいただいて、11月あたりには鳥居会長もおっしゃられました、この部会の場で教育関係団体、あるいは経済団体の方々からのヒアリング、それから地方に出かけていっていただいて地方公聴会という形の一日中教審、それからパブリックコメントと称しておりますが、国民の方々から幅広く御意見をいただくという形で、幅広い御意見をいただいた上で、11月の終わりぐらいから審議の再開ができて、取りまとめ、答申に向けて審議をいただければと考えているところでございます。10月の日程については、固まり次第、先生方に御連絡を差し上げたいと思っております。
   
  大体わかりましたけれども、そうしますと、遠山大臣から諮問を受けた、我々中教審の役割は、教育基本法の在り方についての我々の意見なり答申の最終報告をまとめるということであって、教育基本法そのものの新しいバージョンを議論するなり、アイデアを出すということではないのですね。
   
事務局  答申としては基本的な考え方、方向性をお出しいただいて、法案自体の作業としては、政府提案の場合には内閣法制局で逐条の審査、法技術的な審査がございますので、文部科学省の段階でも確定することはできません。また国会での審議もございますので、改正の基本的な方向を中教審としてお取りまとめをいただくということかと思います。
   
  イメージは、まあまあ、これでいけるだろうと、今おっしゃったような形で。ただ、私は繰り返しお願いしたいわけですけれども、中教審の鼎の軽重を問われないようにしていただきたい。どういうことかというと、例えば教育基本法を改正するということであるならば、この辺にこういう手直しをしてはどうでしょう、こういう手直しをしたらどうでしょうと、こういうものを幾ら並べたって、中教審の最終答申でなくても、中間報告としてでも、「何で」ということになると思うのです。
  やはりラショナーレですね。教育基本法を何で今問題にしないといけないのか。これは諮問の理由づけがありました。これを踏まえて、諮問の理由づけを別にそのままやらなくても、この点は中教審としては考えない、しかし、この点はやはり大事だと思うとか、あるいはそれに加えてこういうことがあるとか、そういうものが骨太であって、その上で、この辺は、この辺は、とならないといけないだろう。
  基本計画もそうなのです。もし基本計画をおつくりになるとすれば、こういう点、こういう点、こういう点なんていうニュアンスでは、全く中教審で論議する意味がないだろうと思いますので、といいますか、ここは表現があまりよくないのですけれども。私のお願いしたいのは、せめてラショナーレね。つまり、「何でこれをやらんといかんのか」と。そういうものまで出せば、ここでも論議が出てくるだろうし、あるいは出してから後も論議が出てくると思うのです。それを恐れちゃいけないと思うのです。
  まあまあ、大方がこの辺で落ちつくのではないかというものを、ともかく大胆に原案としてお出しいただいて、それを巡ってここでまたみんなで議論すればいいと思います。ぜひ大胆にラショナーレをはっきりさせたものを出していただきたいと思います。
   
鳥居部会長  ありがとうございます。
  もう1回、参考1という資料、つまり、1枚紙の目次を御覧いただきたいのですが、この「第2章」というところを御覧いただきますと、まず最初に「教育基本法見直しの必要性」、第2番目が「具体的な見直しの方向」として、項目を今のところ五つ挙げてあります。一つが「教育の基本理念」、2番目が「教育を受ける権利、義務教育等」について、3番目が「国・地方公共団体の責務等」、4番目が「教育の主体」としての「学校、家庭、地域社会の役割」、それから5番目が「教育上の重要な事項」諸々と、こうなっているわけです。
  つまり、これだけ見ていただいてもわかりますように、かつて我々が何回も繰り返してきた審議の過程で、何となく現行の教育基本法の第1条をどう直すか、第2条をどう直すかとずうっといってみると、第9条・宗教教育、第10条・教育行政、第11条・雑則と、そこまでいっちゃう。1条から11条までなぞっている形とは全く違うものが今ここに出始めているという感じをおくみ取りいただけると思います。
  そんなわけで、「第2章」の目次立ては、まだ全くザクザクのものですから、事務局に、オケージョナルにでも結構ですから、どんどん御意見をいただいて、ここのところを育ててやっていただきたいと思います。
   
  つまり、「第2章」の「1」、「第3章」の「1」を、インパクトの強いといいますか、焦点のはっきりしたものでつくっていただくと。そういうことですので、大変だと思いますけれども、よろしくお願いいたします。
   
  前回、教育の役割と不易の価値ということで、この表現が妥当ではないというような御意見があったかと思うのですが、そのかわりとして、今回、「時代を超えて変わらない価値のあるもの」と「時代の変化とともに変えていく必要があるもの」と、「教育においては」ということで二つに分けられているのです。
  そもそも前回、項目立てで言われたかった部分は、教育で教えるべき変わらない価値と、変えていく必要があるものと、それ以外に、教育では教え込めないような部分もあるということをおっしゃりたかったのではないか、この「不易の価値」というのは。
  例えば、生きたいとか、食べたいとか、そういうものを別に教育の場で教えなくていいわけで、そういう価値観なりがある。したがって、「教育においては」という前提があるので、こういう書き方なのかもしれませんが、教育においても教え込めない分野があるというか、そういうところは一つ前提として認識しておかないと、何でもかんでもすべて教育で解決ができるという方向に論理がいっているような気もしますのでね。先ほどから、システムの問題と個人の問題が不分明になっているところがあるという御指摘をしましたけれども、こういうところにもそういうものがあるような気がするのです。
  それと関連があるのですけれども、例えば「(1)」の「継承すべき価値」のところで、「個人の尊重、自律心、義務をしっかり果たそうとする責任感」云々とあって、これは「世代から世代に伝えていくべき価値」というふうにしか書いてないのですが、伝えなくてもある価値があるわけです。例えば、今いいものが思い浮かびませんけれども、「規範意識」という言葉がありますが、規範意識というのは法があって、社会慣習があって、それを守る規範意識だと思いますが、その前にジャスティスとか、公正とか、人間の本質的な価値観のようなものもあると思うのです。ここには書かれてありませんけれども、そういうところが少し感じられます。今後、これを論理展開していくときに本質的なところかもしれないと思いましたので、あえてちょっと申し上げておきたいと思います。
   
鳥居部会長  ありがとうございます。
  前回、不易と流行という表現について、この表現が適切かどうかについての御意見や、「いや、不易と流行は大事だから入れろ」との御意見など、両方の意見があったのです。ただ、そこのところは意見が決して対立したのではなくて、実は次元の違う話が入っていたと思います。
  というのは、「不易流行」という言葉は、日本の教育学が伝統的に使ってきた言葉で、「不易」というのは変わらざるもの、「流行」というのは変わらなければならないものという意味で使われたわけですが、今、「流行」という言葉をここに持ち出したとき、「不易」のほうはわかっても、「流行」というと、「はやり」という意味にしか国民はとらないだろうと思うわけです。むしろその言葉にかわる、その内容をあらわす言葉で置き換えてはどうかというふうに御意見を受けとめまして、また、中身は大事なことなのだから中身は外すなとおっしゃっている意味だととって、こういう表現に事務局はしたと思うのです。
  ただ、それと別のことを今委員はおっしゃって、その意味の「不易」と「流行」、つまり、「変わらざるもの」と「変わらなければならないもの」というのが指している意味内容の外に、あるいはもうちょっと次元の高いところに本来人間が持つべき本性としての徳とか、あるいは規範があるじゃないか。それらをどういうふうに入れるのかという問題があるかもしれないと、そう御指摘されたのだと思います。
   
  ええ。そういう意味です。
   
  さきほどインパクトのある導入部分をということ意見がありましたが、やはり妥当な、胸にスッと入る前文章といいますか、それも大事だと思います。「教育の現状と課題」というところに。
  私は、1ページの「○」三つは、これまでの経緯を書いてあるのですけれども、これは資料的なものですからサッと落として、四つ目の「○」の「教育を取り巻く社会は時に改革を上回るスピードで急速に変化している。」と、この辺から入ったらどうかと思うのです。この大転換期の試練の中で、いじめだの何だのというのは、国民は聞き飽きていると思うのです。
  次の「○」の、こういう現状の中で、「教育の責任は大きいと言わざるを得ない」という、「学校教育に過度に依存した」というこのあたりを生かして、サラッと胸に落ちる文章も大事ではないか。
   
鳥居部会長  場合によってはかなり書き直してでも、よろしければ今のようなことを参考にさせていただいて、取り入れさせていただきたいと思います。
   
  いい文章がとてもあると思うのです。すっきりさせることも大事だと思います。
   
  「不易」のほうだけが残っていますけれども、僕個人としては「不易流行」は好きな言葉なのですけれども、「流行」を消したから、「不易」もほかの言葉で言い換えたほうがあるいはいいかもしれませんね。
   
鳥居部会長  それでは、今日の審議を受けとめさせていただいて、木村副会長と私とで責任を持って見させていただくということで引き取らせていただきたいと思います。
  それでは、今日は終わりにさせていただきたいと思います。ありがとうございました。