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鳥居部会長 それでは、ただいまから第5回基本問題部会を開催させていただきます。
お忙しいところを御参集賜りましてありがとうございます。
今日は、基本問題部会で既に4回議論を重ねてまいりました教育振興基本計画―念頭には基本法のことも置きながらでございますけれども、教育振興基本計画について御審議をいただくことになっています。
前回もちょっとお示ししましたが、柱立てについて少し御審議をいただきたいということと、その柱立ての中には、当然、初等中等教育とか、高等教育とか、いろいろなものが登場するわけですけれども、前回は柱立ての審議と並行して初等中等教育について御審議をいただきました。今日は高等教育につきまして少し突っ込んで御審議をいただきたい。もちろん、柱立てそのものについても御審議をいただきたいと考えております。というわけで、両方の資料を用意させていただきました。
前回お示ししました柱立ての資料は、大変重複のある私の試案でありましたので、事務局のほうでいろいろなところを調整して少し減らしてあります。しかし、これはあくまでも試案でありますので、むしろ皆様に柱立てをしていただきたいということから、最後にもう一度申し上げますが、次回に備えまして、委員の皆様からも柱立ての案を出していただくということを、最後にお願いをしようと思っております。
それでは、事務局から配付資料の説明をお願いいたします。
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事務局 それでは、本日の配付資料でございますけれども、高等教育に関しますところを事務局のほうで用意させていただいておりますので、特に資料1を中心にいたしまして、御説明申し上げたいと思います。
資料1の「総合的かつ計画的に実施すべき施策(たたき台素案)」というものでございます。これは現在、文部科学省が進めております高等教育機関の個性化の推進、それから国際競争力のある大学の育成ということで、いろいろな施策を進めております。そこを現在の考え方で幾つかの項目に沿いましてまとめたものでございます。この中から、さらにつけ加えるべきもの、あるいはここはもっとやるべきといった議論をしていただければありがたいと考えております。
政策目標でございますけれども、現在、高等教育機関の個性化、多様化を進めるということ。
2番目の柱といたしまして、競争的な環境の下で、国際的な競争力のあるような教育研究活動を展開するのだということ。
3番目の柱として、高等教育機関の社会的貢献を積極的に進めていこう。
この三つの柱を考えているところでございます。
「2」番目以下が、具体的に取り組むべき施策の例ということでございますけれども、それぞれの項目につきまして共通的な施策といたしまして四つほど挙げております。
一つは、大学・大学院の卒業時における学生の質の確保ということでございます。これは教育改革国民会議の指摘でも、勉強していない学生を安易に卒業させるという批判が大学に対して根強い、一向に改善されていないという指摘もございましたが、学部の進学率が5割、あるいは大学院生が増えているという現状を踏まえて、本気で取組んでいく必要があるということでございます。
それと関連いたしますけれども、高等教育機関の教育内容・方法といったものもしっかりと改善する必要があるということで、ファカルティ・ディベロップメントとか言われておりますけれども、今年の2月の教養教育についての答申の中でも、感銘と感動を与え、知的好奇心を喚起するような授業ということも提言されておりますが、教育の方法・内容の改善という点でございます。
もう一つ共通的な事項として、教員・学生の流動性の確保ということでございます。具体的な内容としては、例えば大学の教員の中で、自分の学校の出身者の割合を一定割合以下にするような数値目標を設定するということを求めてはいかがかということがございます。この点に関しましては、資料2で高等教育に関する資料ということで用意させていただいておりますが、その5ページを御覧いただきますと、「本務教員の自校出身者の占める割合」を書いてありますが、国公私を合わせますと36%ぐらいが自分の学校の出身者という状況になっております。これを見ていただきますとわかりますように、国立大学のほうでその出身者の占める比率が割合と高く43%、公・私ですと31%程度という状況になっております。
また、学生の流動性という意味では、大学院入学者の他大学の出身者の割合について数値目標の設定を大学に求めるということを挙げております。現在、ほかの大学から大学院に入学してくる学生は、修士課程ですと30%。ということは、全体の70%は自分の大学から自分の大学のマスターに行くということでございます。博士課程は33%で若干増えております。この辺の資料は、資料2の6ページに各専門分野別にございますが、修士課程で自分の大学から進学するのが8割を超えているのは、工学とか、商船といったことがわかります。
また、四つ目の柱といたしまして、高等教育機関の情報を社会に対して積極的に公開ということが挙げられております。この辺も7ページに資料がございますが、現在、大学では外部の第三者評価とその評価の公表を進めておりますが、外部評価の結果を公表しているのは国立大学で79%、公立で10%、私立で11%という状況でございます。
このあたりが共通的な施策ということで取り上げたものでございます。
1枚めくりまして、個別の個性化、多様化、あるいは国際的競争力という点でございますが、個性化、多様化を進める施策として4本挙げてございます。
一番初めのところは、今後の高等教育機関の設置認可等の在り方として、設置認可の在り方を弾力化する。各高等教育機関の自主性を拡大するとともに、高等教育機関の教育研究の質を確保する新たなシステムを導入するということを挙げております。
具体的には、学部・学科の設置の弾力化と質確保のための第三者評価システムの構築が挙げられております。これは3月26日の中教審の総会でも議論されたところでございますが、従来は入り口を厳しく、あとは評価が制度的にないというところがありましたが、今後は入り口の規制は緩和する、そのかわり事後的なチェック体制、第三者による定期的な大学の教育の質のチェックに移って、大学の質の改善を促すシステムに変えていこうという基本的方向でございます。
そのほか取り組むべき課題として、短期大学、高等専門学校、専門学校を含みました、今後の将来像も踏まえた高等教育機関の在り方、あるいは学生の多様な学習ニーズに対応した柔軟なシステム、情報化に対応しましたe-Learningとか、いろいろな多様化、柔軟化という点が挙げられるかと思います。
2番目の柱でございますけれども、競争的で創造的な環境の創出と国際競争力のある教育研究活動の展開という点でございます。
これは研究的なところが多くなりますが、社会から高く評価される教育研究機能を有する大学院を整備しなければならないということを一つ掲げてございます。このあたり、日本の大学院の状況につきましては、資料2の14ページ、15ページにございますが、14ページで見ますと、日本の大学院の学生在学者数は21万6,000人という状況でございまして、アメリカの207万人は桁違いに多いわけですが、イギリス39万人、フランス20万人という状況でございます。
15ページで見ますと、学部学生に対する大学院生の数を見ましても、アメリカの13.6%、イギリスの16.6%に比べても、日本は8.7%で低いという状況がございます。
そういうものを踏まえまして、国公私を通じた世界最高水準の大学育成ということで、現在、21世紀COEプログラムといった形で、人文、社会、自然の博士課程を単位にいたしまして重点的に支援しようということで、今年度の予算で182億円を用意いたしまして、5年間継続的に年間1億円から5億円ぐらいを、まずは5分野でございますが、重点的に支援しようというプログラムが始まっております。
また、評価に基づく効率的・重点的な資源配分の実施ということでございますが、これは例えば科学研究費の補助金というような、競争的資金を充実するということで、一律にまかれるのではなく、競争的に配分される資金を充実することによって、より切磋琢磨する環境をつくっていこうということになっています。現在、資料2の19ページにございますが、科研費で申しますと伸びてきておりまして、平成14年度では1,703億円という金額が科研費の総額になっております。
また、システムの点では、国立大学の「国立大学法人」への早期移行と再編・統合というものがございますが、これも3月26日に調査検討会議のほうから「新しい国立大学法人像について」という報告書が提出されたところでございますが、各国立大学ごとに法人格を持つという形での国立大学法人をつくっていくということで、その際、そこにありますような非公務員型の能力主義、業績主義に立つ人事システムとか、あるいは民間的発想の経営手法の導入、具体的には重要事項は大学の中の役員会で―役員会には外部の方も入るという形の中で、そこで決めていって、トップマネジメントを実現していく。あるいは、国立大学につきまして、より力をつけていくという意味での再編・統合を推し進めるということも行っておりまして、平成14年度は2組4校でございますけれども、平成15年度、来年度は7組14大学、あるいは現在協議中が7組15大学という形で、具体的に国立大学の再編・統合の動きが出てきているという状況でございます。
3ページ目でございますが、そういう競争的環境の中で、優れた若手研究者の育成のためのポストドクターの支援の充実、若手研究者の支援策につきましては、資料2の22ページから書いてございます。あるいは、外国人教員・研究者の受け入れの拡大、留学生の交流拡大といったことを行っております。留学生につきましては、留学生受入れ10万人計画が立てられたところでございますが、これは資料2の24ページにございますが、平成13年度で7万8,812人ということで、ここ数年、大きく伸びてきているという状況でございます。
3番目の柱でございますけれども、これは高等教育機関の社会的貢献の推進ということで、一つは社会のニーズに対応した人材育成機能を強化しようという柱と、もう一つは産業界との新しいパートナーシップということで分けて整理してございます。人材養成の強化という意味では、法科大学院について、これは平成16年4月からの学生受け入れを目標に置いて整備しているわけでございます。それから、それにあわせて高度専門的な職業人養成大学院を整備していく。あるいは、社会人の再教育機能、リカレント教育といいますか、社会人がさらに職業能力をアップしていくための教育機能を充実していくところに取り組んでいるところでございます。
また、大学と産業界の新しいパートナーシップ、産学の連携ということでは、例えば2番目の産業界への技術移転と大学発ベンチャー企業の加速というあたりですが、これは資料2の33ページに具体的な産学連携の実績が掲げられておりますが、特に平成10年にTLO(テクノロジー・ライセンシング・オフィス)についての法律制度ができまして、現在、26機関のTLOができております。特許出願もTLOから1,306件、実施許諾の件数も223件という形で進んできております。あるいは、大学発のベンチャーの設立件数も3年間で166社以上という形で、具体的な動きが出てきているところでございます。
最後の知的クラスターですが、日本版のシリコンバレーといいますか、大学を核とした知的なものの集積をつくろうということで、これは平成14年、今年の予算から新しく取り組んでいるところでございますが、各地に10ヵ所程度そういうものをつくっていこうという形で取り組んでいるところでございます。
以上、三つの柱に即しましての取組の主なところでございます。
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鳥居部会長 ありがとうございました。
それでは、早速ですが、皆様から、先ほど申しましたようにこの基本計画の全体像といいますか、柱立てといいますか、その問題と、その中の高等教育について事務局から説明がありました考え方と、両方について御意見をいただきたいと思います。
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今の資料1を見せていただきまして、あんまりまだ新しいものは出てないなという感じがするのです。せっかくだから、高等教育でもう少し新しい面が出るといいなと。つまり、これまでの文部科学省でいろいろと取り組んでこられた、既に10年前から大学設置基準の大綱化から始まってずうっと取り組んでこられたものが網羅的に出ているので、これはこれでいいのです、ベースですから。何かもう一発、世界の中での日本の学問の水準、科学技術の水準をということとか、あるいはいわば国民全体としての知的レベル、あるいは人間的なレベルを高揚させるために高等教育をというような、もう少しアピール性のあるものを一つ出してほしいというのが一つあります。
もう一つ、まだこれは高等教育というと国公立の感じがどうしてもします。御存じのように、700近くある大学のうちで、500以上が私立なのです。それは何が今一番問題かというと、財政問題です。例えば、アメリカのナショナル・ユニバーシティと言われるような10の有名大学のほとんどが私立なのです。カリフォルニア大学のバークレイ以外は私立でしょう、スタンフォードでも、ハーバードでも。それは何によって成り立っているかというと、国の政策誘導云々ではなくて、むしろファンドがきちんとあるからです。教育でも、研究でも、社会貢献でも、自由に工夫できるファンドが十分にある。
日本の高等教育の政策で、国公立が独立行政法人になるということも、ちょうど大事な時期で、国公立も含めて財政的な土台をどう確立するかというね。毎年、毎年、国に予算をおねだりしないと700近くの大学がやっていけないということではいかんと思うのです。そのために、例えば税制の改革が非常に必要だということを、思っております。
例えば、今、企業から私立大学が寄附金を受けるときの手続がどれだけややこしいか。目的をきちんとして、それに着手して、というようなものを出さないとだめなのです。あるいは、アメリカやヨーロッパがやっているように、大学に寄附すれば、その何倍かの金額が相続税から控除されるとか、いろいろまだ工夫の余地があると思います。
国に、毎年毎年、予算をおねだりしなければやっていけないような高等教育政策をやっていたのでは、結局はこれからどうにもならない。大学というものがごくわずかしかなくて、学の蘊奥を極めていたときはいいですけれども、大衆化した大学教育の時代にはそれができないとを思います。これが2点目です。
3点目です。1ページにあります「教員・学生の流動性の確保」で、「大学院入学者中の他大学出身者の割合について数値目標の設定等」とありますが、これは分野によると思うのです。私も大学の先生を長くやってきて、学部2年、マスター2年、博士課程3年の7年間かけて、やっとものにできるというのが、少なくとも私のやってきた心理学とか、教育研究です。20年近くそういうところにおったのです。だから、ある程度は入れてもいいのですけれども、他大学からマスターコースに入れたほうがいい、ドクターコースへ入れたほうがいいという分野もあるかもしれませんが、少なくとも私が関わってきた分野では、ある程度は入れてもいいのですが、多くなったら年数が経ったからマスターを出します、年数が経ったから博士号を出しますと。今、いいかげんな博士号の出し方が非常に増えております。そうなってしまうと思うのです。
博士号というのは昔と違って、ある学問の成果が上がったからではなくて、学問のスターターとしても、その方法論といいますか、基本的なアプローチの仕方を身に付けさせるためには、かなり時間がかかるのです。必ずしも技術者養成ではないのだから、ここのところはあまり数値目標で、院生のほうも流動性があったらいいというふうにあまり誘導しないほうがいいのではないか。分野によってはこういうことも考えてほしい。ただし、一番初めの教員のほうの流動性はどんどん高めなければいけないと思っております。
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委員のおっしゃる問題は非常に大事な問題だと思うのです。ただ、流動性を高めるというのは、教員の場合はとにかく、学生をできるだけ他大学というか、日本の大学は大学院がきちんとしていないから、どうしても1人の指導教官を頼って、1人の指導教官のもとで育てられる傾向が多かったのではないかと思うのです。大学院がもうちょっと本格的にきちんとしたシステムで、例えば文系でもある一定の論文を発表する、そしてある種の集団的な指導体制ができている。そして、同時にそれに対して経済的にもRAとか、TAがしょちゅう出されるということを含めて、大学院の制度がきちんとしていると、むしろどこから入ってきても、その大学院がどういう指導教官を持っていて、どういう特色があるかによって、学生は移っていっても、何ら差しさわりがないのですけれども、どうも日本の場合は御案内のように大学院自身が、私どもは今その検討をしているわけですけれども、きちんとしたシステムとして、教官の意識もそうですし、すべての面で十分でないところに、今言ったような問題があるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
アメリカの場合は、学部もマスターもドクターも、同じ大学というのはほとんどあり得ないですよね。ハーバードの優秀な学生がカリフォルニア大学に行くとか、そういう移動性がしょっちゅうあって、学生、院生はそこである種の武者修行をやってくる。学会に行っても大変コンペティティブな状況の中で学会の発表がある。最後にテニュアを取る段階では、もう一つの大きな試練がある。
アメリカの場合も、委員がおっしゃったように、一部には確かに安易に学位が出されている傾向がありまして、いろいろ調べてみると、人文社会系でも有数な大学は、マスターからPh.Dを取るまでに7年くらいかかっていますね。テーマによってもっとかかるのもあります。ですから、そんなに簡単にPh.Dも粗製乱造しているわけではないし、そのかわりそれなりの大学院のPh.Dはかなり価値があるという状況があって。
私は委員のおっしゃったことはよくわかるのですが、現行の日本の大学院はこれまでそうであった。学部の延長にあって、先生がいてという、そこに問題があったのではないかと思うのですけれども、いかがでしょうかね。
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それもよくわかるのです。ただ、一言申し上げたいのは、特に私は文学部出ですから、文学部というのは極めて課題が多様なのです。例えば京都大学の文学部に、トマス・アクィナスとか、アウグスティヌスをやる中世哲学―今は言い方が変わりまして、古典文献何とか学というのですけれども、これをやろうと思って、マスターから入っても無理なのです。というのは、マスターに入るときはギリシャ語とラテン語ができなければいけないから。
私の友人もたくさんあそこに行きました。みんなほかの学部を出て、もう一度3回生へ入るのです。ずうっと行かんといかんです。もちろんそれであるところまでやって、どこかほかの大きなところへ行ってもいいのでしょうけれども、なかなかトマスとか、『Summa theologica(神学大全)』をやっているようなところは、ほかになかなかないでしょう。というような、文化系の一つの学問領域ではあっても、課題が細分化されている部分があって、なかなか安易にやれない場合がある。
ですから、私は、流動性があったほうがいいとか、なかったほうがいいという論議をするのではなくて、今おっしゃったように大学院を整備するということ、それから博士号とか、修士号を出す仕組みについて、一つの外部評価なりをなさるということで出したほうがいいので。分野によってかなり事情が違うにもかかわらず、流動性云々というと、ある部分が崩れてしまうのではないか。私も人があんまりやっていない、アイデンティティとか、セルフコンセプトの問題をやっていますけれども、そういう領域だけでも、ある基礎的な勉強をしておいてもらわんと、マスターに入ってきてからといってもほとんど難しいなという感じがします。やはり学部のときにかなり本を読ませたり、いろいろなリサーチをやらせたりしないとというところがあるわけです。私は心理学ですけれども、心理学の中でも7年は最低かけないとという感じもする場合があります。ですから、私はこれを一般化したいということではないのです。
大学院というのは極めて個別性、専門性が強いですから、それに合うような政策的表現をしておいてもらわないと、ある部分は非常にうまくいくかもしれないけれども、ある部分はそのおかげでポシャっていってしまうということが起こるのではないかという心配だけなのです。
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鳥居部会長 分野によって問題は様々だと思いますが、今たまたま例に引かれたような分野、古典文献、特に西欧の古典文献を源とするような分野は、考えてみるとある時期に、明治時代であったり、大正時代であったり、昭和の初期に、死に物狂いで外国で勉強して、日本に総括的に知識を持って帰ってきた大先生がいて、その先生が生きているうちや、その先生の次の弟子ぐらいまではよかったけれども、その3代目ぐらいになって、同じことをやるやつがいなくなってしまったという問題がありはしませんか。それを今、日本の大学がどうしたらいいのか、だれも考えなくなっているのではないですかね。一方、自然科学の分野なんかだとそうではなくて、最先端のことを次から次と若い人がやってくれないと困るという話と、両方議論すべきなのではないかという感じがしますね。
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今の御指摘のところはとても大事だと思うのですけれども、今日の資料は大変よくできていて、これで今までの議論が入っていてすばらしいと思うのですが、今の点、特に人文系ですね。この前、委員が文系というお話をしてくださいましたけれども、史・哲・文というところは競争力がないので、それをどうするかというのを考えていかないといけないと思います。大学院の受験者は少なくなっていますし、出た後、ポストがないというようなことが起こってくるわけです。競争力でいけば、どんどん追い込まれますから。
日本の学問とか、文化を考えたときに、会長が御指摘の消えていってしまうところをどうするのだろうというあたりを考えなくてはいけないのではないか。特に人文系というのは、いざとなると大事なところがあるのですけれども、ふだんはむだ飯を食っていると言われます。とにかくむだ飯を食わなければだめだともいわれます。先の委員のお話ではないですけれども、7年でも何でも時間をかければかけるほどよくなるという話できていますから、今の若い人には受け入れられないようなところもあるのです。
今日の資料1の3ページのところで、一番上の「優れた若手研究者の育成」は大変ありがたいのです。ポストドクターへの支援で、私どももそれをいただいたりしているのですが、ポスドクの後のポストがないというようなことがあるわけです。
それを考えますと、下の「3)」で「高等教育機関の社会的貢献の推進」という柱を立ててくださいましたから、日本の場合もようやく教育、研究、社会への貢献ということで、3本柱になりそうですけれども、その中の三つ目の「○」に「社会人の再教育の強化」というのがございます。社会人になりますと、人文系とか、社会科学はもちろんですが、割合とこちらへ来ることはあるのです。
例えば、資料2の27ページに「大学院における社会人学生の占める割合」というのがございます。修士と博士のところの人文科学を見ますと、14とか、11というようなことで、修士のほうですと平均より多少は上回るところもあるぐらいということが出てくるわけです。教育の方は、社会人といっても、その方面の関心のある人が来ますからこれはいいのですが、人文のほうへも来ている。
それから、公開講座でも、生きがいとか、哲学とか、歴史に結構関心を持つようになるわけです。学習にはグッドタイミングがあって、これらはある程度の年齢にならないと無理だということもあります。いろいろ社会経験をして、職業生活をいろいろやった中でそういうことにぶつかるとか、あるいは定年退職後、社会的な活動をしようというときに改めて哲学とか人間を考えてみようとか、そういうことも出てくると思うのです。
そういうことを考えますと、資料1に戻りますが、3ページの「社会人の再教育の強化」に体制整備ぐらいのことを少し盛り込んでいただいて、キャリアアップのところでも、キャリアアップをするときに教養教育と抱き合わせてもらえないものかという感じがするのです。キャリアアップというと大体実務的なことになりますから、それにちょっとでも教養的なものが入ってくると、人文系のほうは救われるところがあるわけです。それから、遠隔教育もそうなのですけれども、ここら辺のところに少しそういうものを入れることができないか。もちろん社会人対応でいずれそれなりの独自の体制ができれば一番いいとは思いますけれども。
その下の「大学と産業界の新しいパートナーシップ」の最後の「○」の「大学等を核とする知的クラスターの創出」の2番目の「・」に、「地方自治体と大学の連携・協力の強化」というのが入っています。「地方自治体」をもう少し拡大して、「国・地方自治体」にして独立させられないか。大変厄介なのかもしれないのですが、例えば文化庁も、結構宗教学の人と連携したりとか、そういうのがあるのです。大学側からするとこれは非常に助かるのです。ある程度行政でないと、パトロンになってもらえないような文化の領域ですね。そういうところで、大学を出たポスドクの連中に数年間でもいいからポストを与えてくださるとか。宗教関係のことであれば、実務的なことをやれば本人にも結構プラスになると思うのです。そういう領域というのは幾つかある。歴史もそうかもしれませんし。そういうところで、今の人文系へのテコ入れを少し考えていただけないものだろうかと思いましたので、発言させていただきました。
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資料1の2ページの「○」の二つ目のところに、「進学率・進学者数の将来展望を踏まえた高等教育機関の在り方」というのがございますが、これは学校種別による高等教育の構造化を意味しているのだと思いますが、これと「高等教育機関の個性化、多様化」というのは同じ意味なのでしょうか、あるいは違う意味なのでしょうか。私は違うのではないかと思っているのです。
違うとした場合には、構造化と個性化、多様化のいずれを優先して行うのかという問題が出てまいるかと思います。本来であれば、構造化のほうが先行して、それぞれの種別の中での個性化、多様化が進むべきだと思いますが、我が国の場合はずっと、いわゆる学部本位制でございまして、高専は発展せず、短大は縮小して、学部だけがどんどん肥大していくという関係になっておりまして、これでいいのかどうかということを考えさせられます。
もう一つは、資料1は全般的に、大学、短大だけで1,000以上ありますが、高等教育機関の上澄みのほうに重点が置かれていると思いますが、圧倒的多数は裾のほうにいるわけでございまして、毎年、日経新聞が国公私立大学長にアンケート調査をやっておりまして、「日本の大学は多過ぎるか」というと、ほとんどの学長さんが「多過ぎる」と答えておられるわけであります。もしこの判断が正しいとすれば、育成策もいいのですが、これからの18歳人口の減少に応じて、倒産、閉学する大学、短大が出てくるのはやむを得ないことであろうかと思います。それに対してソフトランディングさせる対策は、この振興計画では、これはあまり振興とは言えないかもしれませんけれども、社会的混乱を起こさずにソフトランディングさせるのは大事な政策ではないかと思いますが、そういうものを入れなくてよろしいのでしょうか。
もう一つ、先ほど来何人かの方からお話が出ておりますが、社会のニーズに対応せず、あるいは産業界の役に立たない研究・教育をどうするかということでございまして、いわゆる趣味道楽のたぐいをそんなにたくさんつくる必要はありませんけれども、ごく少数、高等教育の片隅につくっておく必要があるのではなかろうか。趣味道楽と申しましても、非常に高度の、今まで文学部や理学部が中心になってやってきたようなものを、外部資金をあまり当てにせず、また、世間の評価を気にせずに研究・教育できるようなところをどこかに置いておく必要があるのではなかろうかと思いますが、いかがでございましょうか。
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| ○ |
鳥居部会長 ありがとうございました。
これもなかなか難しい問題なのですが、何か御意見があったら聞かせていただきたいと思います。私の経験でも、私の大学で通信教育でマハトマ・ガンディーの自叙伝―とてもぶ厚いものですが、ヒンズー語から直接に訳して、日本で出版した人がいるのです。だれも評価できない。つまり、やっている人がいないのです。結局、東京大学に持っていってお願いして見ていただいて、京都大学に持っていってお願いして見ていただいて、すばらしいものだと。だけど、うちの大学には専門家がいない。そういう程度の大学でいいのかと。今、それを委員は趣味道楽のたぐいも残せとおっしゃった、まさにそういう部分が日本では扱えない大学があまりにも増えたという感じだと思うのです。振興計画の中でどんなふうな政策でそれを打ち出していったらいいのか、とても難しい問題だと思います。今日は、人文科学的な分野で危機的な状況にあるということを、いろいろな方がおっしゃっておられますので。
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いや、理系もあると思います。理系のことですと、数学でも情報数学とかそういうほうへは行きますよね。基礎的なところはどんどん追い込まれてしまう。今、委員がおっしゃったように、みんな基礎的な分野は同じだと思うのです。ですから、文系と理系もあわせてどうするのかということだと思います。
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これまで皆さんがおっしゃったことの繰り返しで、また、私自身が前に申し上げたことの繰り返しかもしれませんけれども、最初に委員がおっしゃった「政策目標として考えられる事項の例」として、抽象的に書くとこういうことなのかなとは思うのですけれども、文系の位置づけ方がもう少し何か鮮明に出るような工夫の余地がないか―理系のことはどなたかおっしゃるでしょうから―という気がするのです。
これは前にも何回か申し上げたのですけれども、日本の社会というのは文系の教育については、社会としてあまり期待していない。要するにいい大学へ入った者は早く採って、徒弟社会なのです。早く採って、自分の会社でも、官庁でも何でもいいのですけれども、なじませて、鍛えていってということですから、全体社会について批判的に、横断的に分析して、社会の在り方についてクリエイティブに発想していくという人材を輩出しなかったし、また、大学でそんな余計なことを教えないほうが、自分のほうで早く引き取って教育したほうが手っ取り早いという傾向が強かったと思うのです。
極端に言うと、大学について、あまり余計なことを教えないほうがいいとさえいうところもないわけではなかった。しかし、その結果が今の日本の直面している状況なので、そこを突破しなければこれからの21世紀の日本はないというそのぐらいの発想で、文系の教育、横断的な、全体社会について批判的に見る人材を多く輩出しなければいけないというあたりをもうちょっと鮮明に……。
これは既に社会も要求していると思うのです。これは官庁でも、企業でも、今までの採用の仕方では本当の批判的、創造的な人材がいないと言ったら強過ぎるかもしれませんけれども、もっと批判的にクリエイティブに発想する人材が欲しいのだと。そうでないと、組織防衛的にそういう人ばかりになってしまって、それが今の困難のあれだと言われる。社会のほうもそう言われるわけで、その辺の日本の社会の在り方にこたえなければならない大学、大学院の在り方をもう少し鮮明に出せないかなという気がしております。その一例として、法科大学院というのは先導的な役割として、それがどうなるかというのは重要な意味を持っている、責任が大きいと思っているわけです。
ここであわせて申し上げたいのは、さっきから出ていますけれども、なぜ法科大学院というものにしなければならないのか。ロイヤーの養成をなぜ大学でしなければならないのかというと、それはやはりこれまでの大学が持ってきた知的雰囲気だと思うのです。文学、芸術、様々なものを含めたそういう中で、自分と違うような学生と接触する、あるいは他学部の先生と接触する、そういう知的雰囲気の中でロースクールが位置づけられて、そこで本当の専門教育をやるということで、教養の豊かないい人材が輩出されるわけであって、法科大学院をつくる、決してそれを特化して、それだけでいいという趣旨ではなくて……。やはりほっておけば、さっき消えていくようなものという話がありましたけれども、そういうものを抱えた大学の中で、ロースクールが位置づけられて、そこでロイヤーを育てることが非常に重要だと思うのです。
そうでないと、例えばロイヤーを育てるのだったら、司法研修所を大きくやって、全国で一つでやればいいじゃないかという発想もあったのですけれども、私はそれは絶対反対だと。大学でやらなければいけないのだということを申してきましたけれども、その理由は、まさに大学が伝統的に持ってきた知的雰囲気、これは目に見えないのですけれども、貴重である。その中で、ほっておけば消えるものというのは、これは国策と言ったらなんですけれども、国策的に育成していくよりしょうがないと思うのです、意図的に。そういう一面をこの中にどのように盛り込むかということが重要な事柄だと考えています。それをどのように表現するか問題なのですけれども。
決して法科大学院だけを考えているわけではなくて、なぜ法科大学院は大学に置かなければいけないのか。もちろん法科大学院の中には、単科的なものもあってもいいのです。全部がそうでなければならないとは申しませんけれども、相当数は全体的な大学の中で、知的雰囲気の中で法科大学院を位置づけなければいけない。そのように考えているということをちょっと申し上げておきたいと思います。
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大体皆さんがおっしゃったのですけれども、大学の多様化と大学の理念型といいますか、どういう大学がこれから出ていくのだろうかという整理が足りないような気がするのです。多様化・個性化していろいろなことをやれば、どんどん結果的に何かできますよといったスタンスのような気がするのです。そうではなくて、大学は大衆化しても、学の蘊奥を極める大学も必要ですし、先ほどから趣味道楽も出てきておりますけれども、一応そういう理念型といいますか、そういうものを押さえておかないと、現在必要なものだけが突出してくる。例えば、創造的な人材育成の大学が必要だと。非常に即物的で、ザッハリヒなのですけれども、しかし一方では、学の蘊奥を極める大学も必要なので。大衆化ということと多様化ということ、あるいは文系と理系ということ、全部総合してどういう大学が出てくるのかなということを整理する必要があるのではないかと思います。
国立大学の再編・統合が進む、その再編・統合が多様化とどうかかわるのか。みんな全国どこもかしこも再編・統合で、また同じようなものができるのでは意味がないので。あるいはまた、多様な学習プログラムの提供というのは、システム全体として多様な方法を提供するのであって、それぞれの大学が多様なプログラムが提供できるわけがないので、そういったことの整備がもう少しあってもいいのではなかろうかということが一つ。
もう一つは、学位を取った人の就職の問題ですが、就職と学位を結びつける考えを変えないと、大衆化した大学で生きていけないのではないかと思います。アメリカに『オーバー・エデュケーテッド・アメリカン』という本があるのですが、これは日本語にも翻訳されていますが、「大学出の価値」という訳だったのではないかと思います。それを見ますと、学位を持った人がタクシーの運転手をしている。ところが、一方で公立学校の教師が足りない。つまり、タクシーの運転手の給料のほうが公立学校の教師よりいいから、教師にならないのです。そこで、アメリカの大統領は教育にもっとお金を出そうと言い出したりしているわけですが、それはともかく、学位を取った人はそれにふさわしい職業といっていたら、これはそれこそ大工さんまで学位を……。どのように考えたらいいのか。そのリンケージを断ち切る必要があるのではないかと思うのです。
最後にもう一つは、大卒者の認定とか、多様化した場合にどうなるかということですが、資料3のほうですが、3ページの「(3)」の上から三つ目の「○」で、「社会人の再教育」の問題です。この前、総会でお伺いしたら、社会人の定義がはっきりしないのですが、主婦も入るのだということのようです。そうすると、大学へ行かないで、独学で勉強した人の認定を認めないといけないのではないかと思うのです。例えば、ユネスコのフォール委員会の報告書では「インビジブル・ユニバーシティ」という概念を提起しているのです。これは建物もない大学、入試のない大学で、そこでは授業料は取られないけれども、教授は古今東西の偉人、哲人、学者。そういう大学に入学して、1人で勉強した人はどう評価するのか。そういう問題があるので、社会人の定義とともに、そういう独学者と高等教育との関係をどう考えたらいいのか、どなたか教えていただければと思います。
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委員の皆様の御発言は共通点で収斂しているような気がするのです。これをどのように制度化するかということが、今後の高等教育の我が国の課題だと思うのです。
私、若干具体的な例を引きながら申し上げさせていただきたいのですが、今、委員がおっしゃったような専門家にどういう学位を与えるかという問題は、たまたま私、昨年、ある必要があって、ベルリンでピアノ製作者のマイスターを訪ねて懇談する必要がありましてね。ヴァイオリンにもいわばヴァイオリン製作者がいるのですけれども、ドイツのマイスターというのはものすごい社会的地位を持って、ものすごい尊敬も受けていて、それから彼とたまたま音楽談義をしてみると、すごい学識を持っているのです。そのようなものが日本の場合、恐らく専門職大学院みたいなところで必要な、委員のおっしゃったようなところではないかという気がします。
専門職大学院をつくろうということで、今、法科大学院との関連もあっていろいろやっているのですが、それは従来の日本の大学院に大きな転換をもたらす要因だと思います。だけど、それだけやってしまうと、大学院がみんな職人とか、技術屋だけで、テクニカルな学問だけを教える傾向になるので、そこで皆さん今日も、そうではなくて、本来の学芸の蘊蓄を極めるようなアカデミズムが必要だということだと思うのです。私もまさにそう思います。
ただし、それは従来の大学院の、あるいは大学の古色蒼然たる権威ではやっぱりいけないのであって、それを外部評価とか、外国からの評価によって、しょっちゅう評価をし直すような開放的な、透明感のあるものにしていかないといけないと思うのです。それについては、こういう例がありました。京都大学の文学部ですけれども、雑誌『諸君!』を舞台に2年ぐらい前に展開されたことですので、一遍皆さんに資料を配付していただいてもいいと思うのですが、東京外大のイタリア語を卒業して、京都大学の大学院に入った博士候補が、初めから京都大学の―イタリア語というのはもともと東京外語と京都大学の文学部なのです。東京外語には昔はダンテの『神曲』を訳したような本当の学者がいたのですが、だんだんいなくなって、いわば語学屋さんというか、そうなってきているのです。ところが、京都大学も何となく今度は逆に、学問的な権威だけで、言ってみれば一種のアカデミックハラスメントでしょうかね、ものすごくいじめられて、自分は学位に値すると思っていたけれども、京都大学からは学位を出してもらえないことになって、最終的に私が学長のときに東京外語で学術博士を出したのですが、その顛末を彼が雑誌『諸君!』に微に入り細に入り投稿しましてね。それに最終的には京都大学の文学部長が反論をして、一件落着したのです。
そのプロセスを見ますと、本人にも若干問題があったかもしれないけれども、京都大学の古い、まさに学問的な権威で固まったところで、ものすごく古色蒼然たる密室なのですね。全く外部の人が近寄れないような権威みたいなものが依然としてあって、それに本人が反発してね。そんなものも参考にしていただいて、それをもうちょっと透明感のあるものにするような仕組みをどうつくるかということだと思います。
今、ちょうど国立大学の法人化もこういう状況にありますので、何とかそれができるのではないか。あるいは、文学部的なものは、例えて言えば東京大学と京都大学でもいいと思うのです。そこにものすごくきちんとした枠組み、あるいは私学であれば慶應とか、そういうところ。あるいは教養教育だって、東大の駒場も教養学部が逆にテクニカルな側面だけを追求した大学院生が大勢になって、従来の教養学部の良さがなくなっていると思うのです。例えば、私学であればICUとか、そういうところをして教養大学の拠点をつくるとか、そういう設計をすれば・・・。
そしてそれは、自分の大学の出身者だけをインブリーディングするのではなくて、だれが見てもきちんとした人文学の権威だというところがこの機会にできれば、意外にこの問題は解決するのではないか。
一方では、従来の大学だけをやっていますと、従来の大学の伝統ではできない学問で必要な学問があるのです。例えば、私の専門からいうと、日本の大学には安全保障学とか、防衛学なんかをやっているところがないのです。これはまさにある種の安全保障に対するアレルギーとか、そういうものもあったりして、なおさら大学の中にはそんなものはないけれども、ロンドン大学には「ディフェンス・エコノミックス」というちゃんとした講座があります。多くのアメリカの大学にも安全保障とかいくらでもありますが、何も戦争をやることが安全保障ではないので、そういう意味では、ディフェンスとか、安全学というのがありますよね。
それから、僕がよく言うことですけれども、人口学(デモグラフィ)はものすごく大事だと思うのです。日本にこんなに大学があるのに、デモグラフィできちんと講座を持っているところがないのです。こういうことを含めて、新しい分野も必要であって、そこをこれから我々が制度設計しながら、少し具体論をやれば意外にこの問題はできると思います。それには文部科学省がきちんとした設計をしていただかないと、大学に任せておいたら、そんな設計はとてもできませんから、この機会にそれらを含めてぜひやっていただくには、本当に千載一遇のチャンスではないかという気がしています。
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| ○ |
鳥居部会長 委員の今の話は、今の日本の大学のシステム全体にとって非常に深刻な問題だと思います。先ほど委員も、学部何とおっしゃったか、私の言葉で言うと学部帝国主義なのですけれども、それはどのように行われるかというと、例えば今の人口学を一例としてとると、かつて一橋の森田人口学と慶應の寺尾人口学がそびえ立つ人口学だったはずなのに、何で消えていったかというと、それはカリキュラムから外すからなのです。こんなものは必修科目じゃないよ、こんなものは必修選択でもないよと。最後に選択科目にして、その次には選択科目からも外しちゃうわけです。要するにそうやって、学部民主主義の中でみんなが要らないと決めつけると、要らなくなっちゃう。消滅する。弟子がいなくなる。弟子の残りようがなくなるという形をとってきたように思うのです。それに対して、委員は、新しい仕組みでそういう人たちを集める、次の受け皿をつくれと言っていらっしゃるのですが、どうしたらいいのですかね。
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| ○ |
今のことは全部、かみ合うかどうかわかりませんが、私、こういうものをつくっていくときに、最初にグランドデザインみたいなものがはっきり出なければいけないと思うのです。つまり、「高等教育というものは」というのがね。例えば、今も出ていますけれども、どうしても社会的なニーズにこたえるというところから出てしまうでしょう。これは百何十年、日本ではずっと教育の話はそれから出てきたのだけれども、それがあって悪くはないけれども、それだけではないというのが、今出てきた話ですね。
そうすると、高等教育というのは非常に高度な社会的要求にこたえる面と、もう一つ、文化や学問の土台を養成し、同時に一人一人を豊かにするという面、そういう両面があるのだということをね。つまり、後者のほうはあまり世の中には役に立ちそうにない、さっきの趣味道楽のたぐいになるわけですけれども、その二つがあるのだということをはっきり書いておく。
つまり、フランス系の大学は、御存じのようにユニバシテートとグランゼコールははっきりと分かれている。グランゼコールというのは、世の中の要求にこたえるものなのです。しかし、ユニバシテートは、もともと神学とか、いろいろなものから発達したのであって、まあ、趣味道楽のたぐいです、基本は。両方を大事にしていこうというのがフランス系の高等教育だと思うのです。
それを書いておいて、その後に、例えばそういう土台からいうと、高等教育機関の個性化・多様化の推進をする中で、例えば類型として言うとということで、専門大学院の問題、高度専門職業人の養成の大学の問題とか、あるいはせっかくこの中教審で出したのですから、教養専門大学みたいな、リベラルアーツ的なものとか、あるいはという、幾つか。その中にアカデミックなものをあえてキープするようなね。世の中に役に立たんようなものも、一つの類型として出していく。六つか七つぐらいそういう類型が出てくる。
やはり評価をして、それに基づく予算の配分をするときに、国は、例えば社会的な要求という中でも、国全体として考えたときに、必ずしも十分でないところに傾斜的に出していくとかね。人口学がもし本当に必要なら、そこに政策誘導的にお金を出さんといかんですわね。これをやったら得になるよというのだったら、いろいろな大学が乗るでしょうから。
もう一つ、政策誘導的に出していかなければいけないのが、お金にならないやつです。それこそ今、ラテン語やギリシャ語をやったってお金にならないわけです。就職もないわけです。そういうものにはお金を出していくとかね。
少なくともそういう原理原則だけ。細かいことはまたそのとき、そのときで役所で考えられるわけですから。しかし、原理原則は一つのグランドデザインとして、最初にうたっておかんといかんのではないか。そうしないと、個別の今まで10年積み重ねてこられた政策を、もう一度要約しただけのものになってしまうのでないかということを、皆さんがおっしゃったのを聞いていて、私もちょっと思ったものですから、繰り返しになりますけれども申し上げます。
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| ○ |
先の委員のお話、今のお話も本当にそうで、例の『諸君!』は私も読みまして、あれは大変だなと思いました。ですから、旧体制を何とかしなくちゃいけないというのはそのとおりで、例えば私の個人的な例で申し上げますと、アメリカの日本研究をやっている第三世代の人が、東大に来た。ところが、タコツボで、ほかのところと情報交換ができない。ですから、留学生が集まると、どこへ行ったらだれがどういうことをやっているのだというのを一所懸命情報交換をする。
では、何か新しい制度化を図っていったらどうなるのだろうか。高等教育の制度化ではなくて、学問の制度化というのがあって、経済学は制度化されていますよね。で、学派ができる。そうすると、下のほうから順番に序列を上がっていかなくてはいけないわけです。各学派の教科書があって、それを使わなくてはいけないとなる。そうなってくると、オリジナルな、独自なユニークな発想を持っている人たちが出にくくなってしまう可能性がある。新しくできてきた学問が制度化されると、旧体制と似たような仕組みがまた下手するとできてしまう。経済学なんか競争力があるからと言いますけれども、しかし我々が外から見ていると、あれで我々の領域をつくったらおかしくなるなと思うわけです。
そこで考えらるのは、今回出ている国際競争力は大変結構なのですけれども、これを国際第何位というのと同時に、国際的にほかにはない、日本にしかないのだという希少価値を高く評価して称賛するような、つまり、それがほかの国にないために、国際的にも貢献し得るところが出てくるのだというような、評価の仕方でもう一つの軸を立ててもらう。前に言ったのですけれども、ナンバーワンを目指すのではなくて、オンリーワンを目指すべきで、例えばアメリカなんかは、オンリーワンだというとみんなすごく注目しますよね。そういうところが欲しいのだろうと思うのです。それはこういう評価をしていくとき、物を見ていくときに、今みたいな観点が入ってくるかこないかで随分違ってくるのではないかと思うので、その辺を検討していただければありがたいと思います。以上です。
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| ○ |
鳥居部会長 今の話に関連して、たしか四、五年前に、あれは産経新聞の方が書いた本で、『透視されている日本』という本があったのです。それは約30人の、大体30代のアメリカのトップ中のトップの日米問題の専門の経済学者や政治学者の若手が紹介されている本なのです。読んでみると、一人一人がものすごいことをやっていて、それに触発されて、その方々の論文そのものを読んでみるとすごい研究をしているのです。何でアメリカ人が、例えば大正時代に日本は―よく政府の規制、政府の規制と言うけれども、規制をつくり上げたのは実は業界規制のほうがよほど重大問題で、日本の産業主義をぶっ壊したのは業界の規制だというのを、女性の研究者が書いた論文なんかがあるのです。読みながらつくづく思うのは、これが向こうで飯の種になるのはなぜなのだということなのです。要するに日本でその論文を書いても飯の種にならないわけです。ところが、アメリカではそれが評価されると、その人はちゃんとした待遇を受けて、学者暮らしができるわけです。そこが何ともならないのですね。どうしたらいいのでしょうかね。
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| ○ |
委員がおっしゃった趣味道楽の部類については、皆様方のお話をうかがっていると、文部科学省、つまり国が音頭を取るべきであるという話が主流になっているような気がするのですが、私はそれは無理だと思います。今度独法化して、各大学が自由にやりなさいということになるわけですね。そうすると、委員が言われたようなオンリーワンの分野とか、それからデモグラフィの分野が大事ですよ等メッセージは出せても、国立大学が独法化して自由裁量でいろいろ出来ますから、評価の問題もあって、大学は効率的な部分へ行かざるを得ない。そうなると、今議論されているような部分が切り捨てられるということになりかねないと思います。
英国の事情を見ていると、そこで非常に賢明な学長が出てくるのです。さっき委員がおっしゃったように、おれのところは絶対数学をやるのだということで、例えばウォーリック大学は、カタストロフィセオリーのゼーマンがオックスフォードへ移ったために数学群が壊滅状態になってしまった。そこで他の分野例えばベンチャーで金を稼いで、それを数学の分野へ大量に投入して、一挙に15人プロフェッサーを雇った。それでまた基礎的数学の学値が上がった。道楽については、こういうことに待つ以外に方法がないのではないでしょうか。それぞれの分野で、これが大事ですよ、あれが大事ですよと、国が支援していくことは可能なのでしょうかね。
確かにオンリーワンに資金を援助していくというスキームは可能だと思いますが、それは刹那的にならざるを得ない。やはり長く抱えていくためには、大学が主体性を持たないといけない。委員が言われましたように、教養教育については、ここでも議論しましたけれども、上智とか、ICUとか、南山はものすごく優れています。それは彼らがそういうところに価値を求めて、大学の学長をはじめそういう人たちが努力してきた結果だと思います。
私は今の議論を伺っていて、国でそういうものを残すという議論は、殊に独法化を踏まえて無理ではないかという気がしてしょうがないのです。というのは、評価をやっている立場からしますと、そういうものは評価にのってこないからです。評価でファンディングを決めるとなったら、そういうところへファンディングはいかない。しかし、今度独法化すれば運営費等はまとめて資金を渡すことになるから、学長が特定の分野が重要だと思えば、そういうところに投資していけばいい。それ以外に方法はないのではないかと思います。切り捨ててはいけませんよとメッセージは出せると思いますが。
それから、委員の言われた大学院の流動化のことですが、先生の言われたことは十分理解した上で申し上げると、だけど、先生の言われたのはやはり特殊ケースだと思うのです。日本の社会がダイナミズムをなくしているのは、大学院レベルで固定化してしまっていることが一つの原因となっていると思います。英国でもケンブリッジとか、オックスフォードは比較的固定化していたのですが、それでも最近ものすごく流動化しています。そういう意味でいうと、私は委員の御意見に賛成で、大学院のシステムがきちんとできていないと思います。それができれば、委員のおっしゃったような特殊なケースはお認めするとして、全体的には流動化する方向へ持っていかないとダイナミズムは出てこないのではないかと思います。
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| ○ |
今日はメンバーの方がほとんど大学人でございますし、大学審で様々な提言が出て、私もあまりフォローしていないものですから、聞き役に回ろうかと思っていたのですけれども、お話を伺っていて、全く別の視点で考える必要があるのではないかということを感じました。
それはどういうことかというと、従来といっても、かなり前と言ってもいいかもしれません、高等教育を考えるときには、念頭にあるのはどちらかというと学部だったのです。学部教育はどうしたらいいか。国際競争力も含めてそういう議論だったと思うのですが、今日は全く様変わりして、今日の議論でも、あるいはこのペーパーでも、大学院レベルの話に、言う言わないは別としてもそういう議論になっているわけです。それが国際的な競争力をつけなければならんと。これは大事なことです。それにどう投資していくか、これも大事なことだと思います。
ところが、学部というものは何だろうかというふうに逆に思ってしまうわけです。先ほどもお話がありましたように、平成3年でしたか、大学設置基準が大綱化、弾力化された。あまりに画一的、あるいは硬直的である。大学の工夫を生かす道がないということで、弾力化されたわけですが、それはそれで意味があったと思うのです。それに加えて一つの規制緩和が表へ出てきて、極端に言うと、学部レベルでは何でもありみたいになってしまって、それがいわば多様化・個性化という美名のもとに、これは極論的な言い方をしておりますのでお許しいただきたいと思いますが、どんどん進められていった。先ほどありました学問の蘊奥を極めるなんていうのはどこかへ行っちゃっている。そんなものは学部はどうでもいいんだという形になってきた。
それでもなおかつ、どういうレベルになるのかは別で、担保は何だ、出口を厳しくすればいい、あるいは評価、特に外部評価をきちんとやればそこのところはやれるのだということで、現実には出口は一向に厳しくなっていない。外部評価もそういう意味での外部評価がきちんとなされていない。しかし、大学の学部レベルで付加価値が与えられて、世の中がそれを評価してくれるかというと、先ほどお話がありましたように、学位の種類と職業の種類とが一致しない。要するに企業サイドは、特定の大学に入ったということでもって能力を測って、それは文学部であろうが、法学部であろうが、経済学部であろうが、特に文科系においては何の専門生なんか問わないで、会社の入社試験なりで人材を集めている、こういう状況ではないかと思うのです。
しかし、学部のレベルがそんなものであるならば、先ほど私学の経営の話が出ましたけれども、国立大学も含めて国費なんかそんなに投入しなければならんのかという議論になってしまうわけで、大学院に進んで日本の学問を支える研究者、あるいは高度の職業人を養成する大学院に進む者については、育英奨学等で手厚くきちんと見つつ、その他の人はほっぽらかしだと言いたくなるような実態ではないだろうかと思うものですから、そういう視点も少し……。
また一方で、これは現実の問題としても必要だと思うのですが、倒産の問題が出てきますね。18歳人口はまだまだ落ちていくわけですから、それを無理やり支えることが果たしていいのかという問題も、嫌ですけれども避けて通れないのではないかと思いますので、今までの議論と別の角度になるかもしれませんが。
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| ○ |
さっきの委員のお話も私は大賛成なのです。繰り返しになりますけれども、国がやる高等教育政策というのは、単にお金をどこにつけるかだけではないと思うのです。一つは認可とか、そういうものがありますわね。あるいは、危なくなったときにどう救うかという問題が一つあります。もう一つは、繰り返しになりますが、財政基盤を個別の大学が確立するために、いろいろと役所として工夫してもらえるところがあるのではないか。先ほど挙げられた上智でも、ICUでも、南山でも、あれがやれるのはなぜかというと、外国からのものすごいお金が入っているのです。
上智なんかは長年にわたってドイツ、そのほかから、あれはケルン教区というのですけれども、ケルンを中心として財政援助を長くやってきたのです。つまり、国内の普通の私学でやっていたら、上智は成り立たんのです、はっきり言うと。
そういうことがありますから、財政基盤をどのようにするか。つまり、お金が集まりやすい仕組みづくり。それから、もちろんその使い方については監査とか、監督の仕組みづくり等々を考えていただかないと、先程委員がおっしゃったとおりで、お金にならんようなことを国が「やれ、やれ」と言ったって無理なのですから、それは個別大学の判断でやればいいけれども、それをやれるフリーハンドが個別大学になければいけない。
つまり、お金にならんことをやろうと思ったら、大学のほうはお金が要るのです。これから独立行政法人に国立大学がなるとしても、このままほっておいたら、ほとんどが目先の要求だけのものに絞っていくのではないか。日本の学問やいろいろなものの水準が、下手すると落ちるのではないか。よほどそこでのサポートの体制をつくらないと怖いなという気はしているのです。といって、これに反対ではないですよ。独立行政法人にしたらいいと思っております。
全体としてもう一つだけ申し上げたいのは、自然に起こっていく話。いわば進学率、進学者の将来展望を踏まえた高等教育の在り方なんて、これはいわば市場原理で自然に決まっていっているのです。4年制大学だって3割は定員割れしているのですから、定員割れしないようにしようと思ったら、将来展望を踏まえて、ニーズを踏まえてやらなければ来ないわけですからね。だから、多様な学習ニーズへの対応、こんなものは役所が言わなくたっていいことなのです。自然にそうなるのです。だけども、2ページの一番上は、役所がやらんとだめな話でしょう。
だから、操作可能な話とそういうことをやらなくても自然にあることが推移していく、予定調和的にという話をはっきり分けてやらないと、こういうものは悪いのだけれども、概論というか、教科書というか、おもしろいけれども、全然インパクトがなくなると思うのです。どこかに与件として幾つかのことは書いておいていいけれども、操作しなければいけないのは何なのか。工夫して手を打っていかなければいけないのは何なのかということを絞って、絞って、項目を出していただきたい。
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| ○ |
前に戻ったような形になってしまいますけれども、希少価値の評価をするように、我々のほうの考え方を変えていかないといけないのではないかと思います。
たとえば、標本作成をしないと遺伝子の研究ができないのです。しかし、標本作成のできる人たちが今いなくなってきているのです。地味ですから、評価されないのです。標本作成をして、借りていかれても、謝辞さえ書いてくれない場合がある。論文に共同研究者として名前が載らないのです。どんどんいなくなって、今、科博だけであとは民間業者に頼むしかしょうがない。このように希少価値のあるそういうものを高く評価するようにこちら側の考え方を変えていくようなことをやっていかないと、なかなかうまくいかないのではないかと思います。
それとあわせて、さっき委員のほうから出た、学部の問題はすごく大きくて、これからは高齢化しますから、そちらのほうもうまく取り込んで再編成とは言わないまでも、何かできないのだろうか。ただし、その場合に、学部の場合には、18歳の若い人は基礎的なところから入ってきますから、それはいいけれども、高齢の人たちとか、仕事に従事している人たちは、まさに応用的なところが必要なわけです。カリキュラムとしては並行型で、2本立てにしないとうまくいかないのです。そこのところを1本でやろうとしているところに非常に問題があって、高齢者の人とか、現職の人は物足りないということになったりするのです。大学院のほうはそれが分かれてきていますけれども、そのあたりのところまで踏み込んで、考えなくてはいけないのではないかと思っています。
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| ○ |
先ほど委員がおっしゃったことで、資料2の13ページに人口の推移が出ていますが、これを見ると寒気がしますね。2000年で18―21歳、大学学部生が600万人いる。それが2050年には半分になってしまうのです。大学院も半分になってしまいます。大学院の重点化をやってみたのに一体それがどういうことになるか。やはり委員が言われたように、抑制みたいなことを国として考えていかざるを得なくなるのではないでしょうか。
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| ○ |
鳥居部会長 この問題は非常に深刻な問題でありまして、割り切って言うと抑制するのか、乗り越える何らかの手を打つのか、要するに自然消滅型でいくのか、抑制型でいくのか。一昔前に抑制で走ってきて、学部の性格によって抑制をしてきたわけですね。それを果たしてどうするのか。その選択をしておかないと、当審議会の計画論にならないので、そこはできましたら今日御議論をいただければありがたい。
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| ○ |
今の13ページのグラフですが、これは18歳人口の統計ですが、これと高齢者の統計を重ね合わせてみると、高齢者が増えているわけで、そうすると、おのずから大学の在り方がどこへシフトすべきかということがわかるのではないか。そういう観点から検討したらどうなのですかね。
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| ○ |
そうなのですけれども、うちの大学はちっちゃい大学ですから、5年、10年持つかどうかというのを、実は一所懸命みんな本気で考えているわけです。そういう立場から言うと、レッセフェールの政策は少し考えなければいけないのではないかという気がします。ですから、私は先程の委員のお考えと近いところを持っているのです。それはどういうことかというと、酒田短大の問題が非常に問題になりましたね。我々のところもあれについていろいろと論議したのですが、結局、あそこの経営者が悪いというふうにたたくのは簡単なのです。中国の人だけを入れてね。でも、学生が来なくなれば、背に腹はかえられませんから、結局はああなるでしょう。だから、今、私のところにもいろいろなところが、年間1億、2億の赤字が出て、どうしましょうと。私の大学の理事長さんとかがようく言ってくださるのですけれども、結局、一緒に泣くよりしょうがないのです。どうしようもないです、そんないい話はないですから。でも、そういうところの話を聞いていると、これまでいい教育をしてこられたけれども、場合によっては生き残るために、いろいろなことを考えないといかんのではないかと口走られる人が出てきますよ。
そうすると、今まではレッセフェールで、結局、自己責任でいいのです。だから、基本は自己責任でいいのですけれども、ただ、自己責任ではあっても、ある意味でのハードルを、つまり5年、10年は持つようなハードル。まずくなっても、中国人を入れてもいいのですけれども、国際教育協会からもらったお金も払わんとか、等々詐欺まがいのことに走るようなことがないようにしていかなければいけないのではないか。だから、抑制するという言い方をすると、またたぶんしかられると思うのです。
ただし、これからの若い人の減少の中で、大学経営が5年、10年持続できるように何か担保されるという、そういう条件をつけて認可するとか。このところ、認可が非常に多いでしょう。下手すると個別の大学がとんでもないことに走るのが、これから3年、5年、出てくるのではないか。そうすると、日本の高等教育全体の評判を国際的に落とすことになりますので、そこのところは2ページの設置認可の在り方を弾力化するのは賛成だし、自主性を拡大するのは賛成なのですが、健全な経営を担保するような諸条件を新たに考えてもらう必要があるのではないか。結果として、レッセフェールをちょっと軌道修正する必要があるのではないかと思います。
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| ○ |
事務局 資料2の13ページの人口推移で、一番減りますのは2000年から2010年なのです。したがって、これは今までの私学助成も含めて、どういう形でとりあえずのこの厳しい状態を支援していくかということは真剣に考えなければいけないと思っておりまして、文部科学省の私学部と私学振興事業団、それから私学関係の団体ともいろいろな協議会をつくって、個別のケースについては再建策を相談していくシステムもつくっていかなければいけない。
それから、18歳人口は減ることは確実でございますから、スリム化を大学にも図っていただかなければいけない。それから、今、定員割れすると直ちに私学助成が急激に減ってしまうわけでございますが、例えば、難しいのですが、一所懸命努力してもなお定員が充足できないところは、何らかの措置を考えるべきではないかということもございます。様々な形で、この急変をどうするか。改組転換も積極的に進めていって、なるべく自己努力で私学が活躍できるシステムをつくっていかなければならない。その辺はまさに大きな課題でございます。
もう一つ、先ほどの希少価値の分野の問題でございますが、国立大学を法人化した場合に、交付金がございますから、目に見えて効果が出なければいけないのではないかという議論もたぶん出てくると思いますが、原則としては、大学の自主的な判断で、うちの大学はサンスクリットを一所懸命やるとか、この分野はギリシャ語も一所懸命やるというところに対しては、そういう努力に対して何らかの交付金で措置をするシステムをつくっていく。文化財保護のように、国が全部抱えてしまうのは難しいわけで、各大学の自主性で、うちの大学はこの辺が強い、ギリシャ語が強いというので、そちらを頑張っていらっしゃれば、交付金を少しオンするようなシステムをつくっていくなど、今の大学の先生方の良識と国の支援をうまくかみ合わせていくことを考えていくしかないかなという感じがいたします。いずれにしても皆様方が一致しておっしゃっています通り、大きな課題だと思っております。
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| ○ |
2ページの設置認可の在り方の弾力化ですが、緩和は緩めるほうばかりで、抑制は難しいという御発言もあったのですけれども、弾力化の中に設置認可の更新制というのをお考えになったことがあるのかどうか。事前に認可基準を決めておけば、10年ごとに更新しますとかとすれば、それに満たないものは自動的にやめていただきますというのが、自主性、自己責任の原則ではないかと思いますが、どうでしょうか。
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| ○ |
鳥居部会長 そのような制度は今までには存在しません、更新制は。
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| ○ |
ですから、そういうことをお考えになったのかどうか、弾力化の意味を考えられるときに。
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| ○ |
鳥居部会長 提案したときには考えてないと思います。今、先生がおっしゃったことは議論していませんけれども、設置の認可の仕方については、将来構想部会で今、議論中なのです。
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| ○ |
今の私学を含めて大学の18歳人口との関連の問題ですけれども、この問題でどうするかという議論は深刻な問題で、かなり検討をしないと、うかつなことは言えないわけですね。したがって、例えばここで議論するならば、そういうことをどこかで議論しようということを決めて、大学審かなんかで過去にその辺をやったのかどうかわかりませんが、詰めてもっと具体的な形で、先ほど委員から御提案があった更新制なんていうのも一つの方法だと思うのです。それから、事務局の「支援する」という支援だけで果たしていけるのかどうか。それはいければ申し分ないですけれども、それは無理だろうと思います。場合によっては、言葉は適当でないですけれども、上手に安楽死していくのをどういう基準でやっていくかというところまで踏み込まないと、この数字を見れば歴然たることです。これは私学だけではなくて、国公立も含めての話だろうと思います。
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| ○ |
酒田短大の話から、もっと高度な学術をどうするかという話まで、バラエティーに富んだ議論が進んでいるのですが、例えばさっき委員がおっしゃったように、各大学が今後法人化すると、切り捨てていくだろうと。恐らくそうだと思うのです。それに対して事務局は、例えばサンスクリットならサンクスリットは、国がというわけにいかない。各大学がそういうものをやってくれるところに支援をする。それも結構だと思うのですけれども、とにかくそういうものが国際的にも見えてこなければいけないですよね。そうすると、それでうまくいくかなという感じがあるのです。
僕の体験では、フランスにはCNRS(国立科学財団)の傘下で、ナショナル・ファンデーションなのですけれども、レイモン・アロンなんかがいた人文社会科学のビルが一つありまして、そこではユニークな学問を国がやっているのです。ですから、あまり大上段に振りかざさないで、文部科学省もいろいろ研究所を持っていますよね。それをもうちょっと再編して、文部科学省主体で人文社会科学の殿堂をつくる。人文学でもいいし。そんなことも考えられないですかね。
というのは、今度、沖縄に理工系の大きな大学院大学ができる。それが成功することは大変結構だと思いますけれども、それがもし成功すれば、自然科学とか、理工系はそちらで注目されるにしても、各大学でそういうことをやっても、果たしてそれが日本の何か目立った形になるかどうか。私の大学にはモンゴル学の伝統があったのです。私も国際モンゴル学者会議なんかでウランバートルにお手伝いして出てみると、今、世界で絶やしてはいけない学問にモンゴル学があるのです。日本にそれをきちんとやれる人は5人もいないというのです。モンゴル語ができる人はいます。だけど、そういう学問は国際的に見ても10人ぐらいだというのです。そういうものを含めて、サンスクリットでもいいし、インド哲学でも、いろいろあると思うのですけれども、そういうものを何か設計したほうが、あるいは手っ取り早いかもしれない。
例えば、外務省なんか見ていると、日本国際問題研究所があります。それをもうちょっと文科省の教育機関、研究機関と整合して、それから、これから国際化が進むと、文科省自身も外務省にゆだねられない国際協力とか、文化交流とか、もっと文科省が主導的にやらなければいけない部分が出てきますよね。そんなものを何か一つにできればと、そんな考え方もあってもいいのではないかと思うのです。それはそんなに膨大なコストではなくてできるかもしれない。国立大学に任せておいたら、それはなかなか無理かもしれないですね。
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| ○ |
委員のおっしゃったことは私も同感で、フランスの日本研究は、本当に国がそこに集中的に気の長い金を出して、研究を持続させているということを聞きましたけれども、委員のお話と共通するものがあると思います。私が先ほど国策と言ったのは言葉は適当ではないのですけれども、そういうことを考えなければいけないだろうということを申し上げておきたいと思います。
それと先ほど来出ておって、18歳人口が減少して、大学がどうするのかという非常に難しい話と、もう一方では、これから大学の教育の質を高めなければいけない。高めるために金がかかる。国としてその覚悟を持ってもらうメッセージをどう出すか。例えば、審議会でいろいろ議論になったのですけれども、以前東大にいらっしゃった英米法の先生のお話で、要するに日本の法学教育は安かろう悪かろうだと。それは国立だって研究教育のサポーティングシステムを見たら、それは京大なんてまだ恵まれているほうかもしれませんけれども、客観的に見たら惨憺たるものだと思います。それはもう学生もかわいそうになります。
要するに、そういうことでやってきたのですね。これからもその発想で日本はやればいいと。18歳人口が減ってきて、大学をどうするか。その発想とゴチャゴチャになりますと、変わらない、旧態依然たるものが続いていく恐れが非常に強いと思います。だから、この二つの問題をきちんと整理して、学部も大学院もそうですが、教育の質を高めるために、国としてどういう考え方で何をすべきなのかということを、どれだけ強くメッセージとして出せるかということが、今回は教育基本法の改正絡みのことですから、それとリンクして理念から方法まで何か出せないものかと思うのです。その二つの線がゴチャゴチャになると、旧態依然たる状態が続いていく。それを非常に懸念します。
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| ○ |
2ページの一番下の「○」ですが、独立法人化でいった場合に、将来的に地方分権推進会議とか、いろいろなところでやっている地方分権の問題と、独法化の地方の大学との関係はどうなるのでしょうか。連邦国家の場合ははっきりしていまして、アメリカの連邦政府が補助金を出す大学と、州政府が補助金を出す大学というふうにランクづけができますが、日本の場合の将来展望として、国が出す大学と地方自治体が出すところはどうかという、そういうビジョンというか、そういう見地からの検討は今までなされたのでしょうか。
ドイツなんかは連邦政府ですから、本来、国立大学と言っていますが、州立大学なのです。ところが、連邦に教育科学省ができましたから、そこの予算が今どんどん増えているのです。そういうことを考えますと、独法化した大学への国と地方の補助金の分配のビジョンはどんなふうにお考えなのでしょうか。
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事務局 今まで突き詰めて議論していない切り口なのでございますが、ドイツ、アメリカのような連邦制の場合の高等教育行政と、フランス、イギリス、日本のような単一国家の場合とは違うのですが、国立大学の法人化というのは、国立大学には違いないのですが、法人格を付与して自律性を高めていこう。それに対する財政措置は、国立ですから、既に先行しております美術館、博物館なんかもそうですが、国として一定の交付金をお出しする。お出しする仕組みとして事前関与、事後チェックというのがあります。
それと地方の関係をどうするかというのがございまして、現在は昭和30年の法律によって、地方自治体から国には寄付できない。国がおねだりしなくても、国立大学がおねだりしなくても、地方自治体が差し上げたいといってももらえない仕組みなのです。ところが、実際は今、それぞれ地方大学の動きで、幾つかの県で相当な関心を寄せてくださっていまして、戦後、日本の場合は公立大学は少なかったのですが、近年、看護、福祉などの分野を中心に単科系の大学が随分増えてまいりました。そういう県立大学、市立大学自身の教育の豊富化なり、高度化のために、このままではちょっとというのがありまして、いずれ公立大学の法人格をどうするかという議論なのですが、公立大学とせっかく法人化する国立大学をもっと連携させてくれないかと。つまり、地方からも金を出しやすい仕組みにして、国立は国立でいいけれども、国からも出す、県からも出せる分は出す。それで地域貢献をしてほしいというような御要望がございます。
視点としては、受益者といいますか、受験生とか、教育サービス、あるいは技術移転を受ける立場の方々がハッピーであればいいわけですから、勝手に国と地方で仕切りを設けるというよりは、お互い不自由な財政事情の中で、お互い出せる分を持ち寄ってサービスの充実をどう図るかという視点が大事だと思いまして、私どもそういう方向で、今、総務省とも勉強会などをやりながら、新しい制度改正をしたいと思ってございます。具体的にはこの間の3月末の法人化のレポートの中にも、そういう方向での御提言がございます。
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2ページの「1)」の最後の「○」ですけれども、情報化の進展に対応した遠隔教育の拡大のところは、開発がまだほとんどなされていないので、ここのところは「・」一つで「e-Learningの推進」だけなのですが、もうちょっと入らないか。
具体的には、例えばアジアの諸国との遠隔教育というのがあると思うのです。中国なんかは日本に留学生を送るよりは遠隔のほうが費用もかからないから、そうしてくれというお話も聞いていますし、例えば我々でも、大学院で恐縮ですが、東南アジアから来て、ドクターを取るといっても5年間ではなかなか取れない。一旦帰るわけです。そういうときに遠隔の仕組みがあれば、向こうにいて指導ができるのですけれども、今のところですと、また日本に来なくてはならないです。それはすごく大変なので、そういうのがあればもっと留学しやすいという話も聞いているのです。
もう一つは、遠隔教育をやるために、インストラクショナル・デザイナー、IDと言っていますが、要するに講義をする人と、それ以外にいろいろなことをセッティングしてくれたり、プログラムを考えてくれる人がいないと無理なのです。これは専門家なのです。アメリカでそれを大学で養成していると、半分は日本人だというのです。日本は企業が派遣して資格を取らせているということらしいのです。そういう養成も必要です。
それから、最初に申し上げたことですが、今、各地の地域にとって大学は支えなのです。それがつぶれていくというときに、その社会的な影響がどれだけ大きいかということを考えていただきたい。サテライト教室でもいいですから、何か置いておいて、後ろのほうの社会人対応とあわせて、正規の授業も出せる。例えば、この前申し上げた網走でも、ある大学の一学部がございます。「それがなくなったらどうですか」と聞いたら、「市としては真っ暗だ」と言うのです。それが支えてくれている。地域の人たちはそれを心の支えにしたり、実際に若い人も来ますから、いろいろな活力になっているところは多いのだと思います。
そういうことを考えると、この遠隔教育の拡大というところの研究開発かもしれませんけれども、これだったらこれから先、コンセンサスを得られるのではないかと思いますので、情報化のところをもう少し大きくしていただいたらと思います。今、エルネットオープンカレッジというのをやっていますけれども、その全国組織をつくったらどうだという検討を始めております。教養教育関係だとお金は出しにくい、資格だったらお金を出しますというのが多いのです。双方向でやっていますと、地域の、例えば青森なら青森の高齢者の方々は、出てきて熱心ですよ。そのようなところで、修了書が出せるとか、そういう仕組みもまた考えれば多少は違ってくると思うので、先ほど来のいろいろな問題もありますけれども、ここら辺のところも考えていただければありがたいと思います。
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私も13ページの表をただひたすら見ながら、委員がおっしゃるまで、一体どうするのだろうと思っておりました。
学部教育のことが私の主な関心でございますが、大学というところは研究と教育とよく言うのですが、研究と教育のかかわり、その比重の置き方、それから教えることのローテーション、研究とのかかわり、その辺のところをはっきりさせる必要があるのではないでしょうか。大学にいらっしゃる方は、研究に御興味があるのはわかります。どちらかというと、大学そのもののアンケートなどを見ますと、教育にはあまり関心がないというところが非常に大きな欠陥かと思います。
研究に関しては、しなければならない研究というのがあって、それはタコツボ的にならざるを得ない。専門性をアカデミックに極めていただきたいと思いますが、例えば学生に対する講座のアウトプットの仕方には、もう少し運営的に工夫が要るのではないかと思っております。例えば横串で刺して一つのテーマを決め、専門性の高い研究にはとても1年間とか、半年とかついていけないような学生でも、横断的なテーマに対しては、例えば6ヵ月の間に2講座、講義を聞くとか、いろいろな工夫があるべきだと思うのです。そういう点で、まだまだ大学というのは工夫が足りない。学生はおもしろくないわけですね。そういうことをしながら、希少価値のある研究も守るという方向が必要なのではないでしょうか。
そのように考えますと、例えば東京大学の場合でも、東京大学に総合文化研究所というのがございまして、これは財団法人でございますが、これは生涯学習ということで横断的なテーマで、例えば「アイショウ」というテーマを設けまして、理系から人文系までそれこそタコツボ的なものも総合的な横串に刺して、高度なおもしろいアウトプットになっていると思うのです。そういうところは運営にもう少し工夫すれば、大学は競争に生き残っていけるのではないか。そうでないと、大学に行かなくても、地方自治体の出すいろいろな文化センターであるとか、いろいろなプログラムもメディアにも多数ございますし、大学に次第に魅力がなくなってくるのではないかという感想を持ちます。以上でございます。
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研究と教育が統一されているというのは、フンボルト的大学の理念で、これは大学が大衆化した時点で分解しているのです。大学によって違いますが、今、研究型の教授と教育型の教授がいると思うのです。昔は研究していることを教育すれば大学教授だったのです。旧制の大学は大体そうでしたね。ところが、今は概論というのは、教授が研究していることとは別に、シラバスを出せとか言われますから、教えなければいけない。それが片手間で教育している教授と、それから教え方の上手な教授もいるのです。だから、ドイツなんかでもウニベジテイツ・ディダクティークという大学教授法学とか、そういう学問が出てきたのです。ですから、物理学の研究者と物理教育学の研究者といいますか、そのように分化しているのが現状ではないかと思います。1人でそれができれば理想ですが、今、なかなかそれはいかないのでしょうね、大衆化しちゃったから。
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法科大学院の宣伝みたいになりますけれども、法科大学院は本当に教えることに専念してもらうという前提で考えています。
ただ、研究のほうはどうなのかということですけれども、それは5年か6年に一遍、サバティカルリーブでちゃんと充填して、研究ができるようなことを組み込まないと、みんな疲弊しちゃうと思いますので、法科大学院というのは教育に真剣に取り組まないといかん。
それを担保するために、第三者評価機関、これは本当に第三者です、これに評価してもらって、最終的に出口は司法試験になりますけれども、そこのところで成果がきちんと出ないようであれば、御退場願う。これはさっきの話ですけれども、設置のほうは弾力的にやるけれども、クオリティのほうは継続的に審査しますと。そして成果が上がらなければ例えば閉鎖命令とか、最終的には認可の取り消しということになるのか、その辺の仕組みはともかくとして、新しい仕組みをこの法科大学院は導入しようとしております。そういう意味で、今までにない仕組みをつくろうとしているものですから、大学人の発想の転換が実際についてくるかどうか、難しいところがあるのですけれども、これは相当責任感を持って遂行しないと責任は重いと考えています。
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今の点で、大学評価の中にそういう視点をはっきりと出してもらうといいなと。つまり、教育の点ですね。今、教育というと、学生による授業評価とか、ああいうのはあるのですけれども、カリキュラムの面ですね。例えば、私は京都大学におったときに、七、八年前に、共通教育の各学部がみんな集まってやるののまとめ役をさせてもらったことがあるのですけれども、そのときに発足させた仕組みが、1年生なんかは専門にかかわりなく教養ゼミを発足させる。つまり、つく先生と、学生が将来やる学問が違うわけです。反対の声はありましたけれども、プラスアルファになりますから。まさに自分の専門でやっていることと全く違うことをやるわけです。ですけど、これは定着したと思っております。京都大学で、1年生、2年生の教養ゼミ。
私も今の大学に行って、3年前から同じことを始めまして、半年ごとに組み替えのある教養ゼミですね。そこでは、うちは4学科あるのですが、各学科の学生が相乗りでやるというね。そのかわり土台になりそうなことを1年次からやっていく。これを私は調べてみましたら、今、いろいろなところでやっているのです。
御心配もいろいろとあるとは思いますが、個別大学からいいますと、例えば京都大学みたいな頑迷固陋と言われそうなところでさえ、既に7年前ぐらいから教育と研究を分けて、そして研究は研究でやるわけだけれども、教育ということで新しい試みをやろうということで、先生方が苦労して取り組んでいるという現実もわかっていただきたいし、同時にそれをこれからの大学評価の中で、そういう視点をぜひ大事な視点として評価項目に入れていただきたいと思いますので、ちょっと申し上げておきます。
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ちなみに、委員は大学評価・学位授与機構の評価委員でいらっしゃいますから、その辺のことは十分御存じであります。御存じの上での発言だというふうに御解釈いただきたいと思います。
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委員がおっしゃったとおりだと思うのですが、ただ、私がいつも気になりますのは、昔の大学は教授はかゆいところへ手が届くような教え方をしていなかったわけです。学生も研究者の一部だと。ですから、学問の自由の中には、学習者の学習の自由も入っていたのです、昔は。だから、学生と教官もそういう点では共通の根を持てたのですが、現状の大学のようにシラバス、カリキュラム、コアカリキュラムとか、カリキュラムを多様化して、どうぞ、どうぞという感じで、学習に便利になってくることが本当にいいのかどうか。大学が多様化したのだから、カリキュラムに頼らないで、もっと自由におれはやりたいのだというコースも多様化の中に含める必要があるのではないかという気がします。
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鳥居部会長 それでは、大体御意見は出尽くしたように思いますので、時間もまいりましたから、今日はこの辺にさせていただきます。
最後に、皆さんのお手元に1枚の紙で「1」「2」「3」と書いてある、ほぼ白紙に近い紙があります。これは冒頭に書いてありますように、今日の第5回の基本問題部会でいろいろ御議論をいただきましたが、次回は4月19日(金)を予定しているわけです。そのときには学校教育を中心に10年先を見越して、教育施策として何に取り組むべきかについて、骨太な審議と書いてありますが、もうそろそろ基本計画の全体像を浮き彫りにしていく必要がありまして、そういう意味で、学校教育を中心にして教育施策をどういう柱立てにするかということを書こうというわけでございます。
私が仮につくりました試案及びこれまでの資料等も参考にしていただきながら、皆様からも柱立て試案をいただきたい。重点的な柱となる具体的な施策、ここでは3項目程度ということで、紙も1枚とは限りませんで、2枚、3枚にわたっても結構でございます。ぜひ御記入を賜りまして、4月12日(金)、今週の金曜日までに御提出をいただきたいというのが、事務局並びに私からのお願いでございます。皆様から御提案いただきたいと思います。
いつまでも基本計画の下地になる議論ばかりしているわけにいかないタイミングになってきています。基本計画の骨組みをどこかで中間取りまとめをし、それを見ながら基本法の問題も考えなければいけない。それを考えてみた上で、もう1回基本計画のほうに戻るのかどうかもそのあたりで決めていかなければならない。それらのことをあと一、二ヵ月ぐらいのタイミングで見通しをつけていかないといけないというところにきております。そのようなわけで、皆様から御提案をぜひいただきたいと思うわけでございます。よろしくお願いしたいと思います。
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事務局 今後の日程でございますが、資料5にございますように、次回の第6回の基本問題部会でございますけれども、4月19日(金)午後2時から4時ということで、場所はフロラシオン青山のほうで開催ということを予定しております。
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鳥居部会長 それでは、よろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました。 |