| 1 | 日 時 |
| 平成14年3月13日(水) 14:00~16:00 |
| 2 | 場 所 |
| ホテルフロラシオン青山「孔雀の間」(3階) |
| 3 | 議 題 |
| 初等中等教育の在り方について議論 -主に学力の向上、人間性の育成について |
| 4 | 配付資料 | ||
| 資料1 | 教育振興基本計画(柱立て) <素案> | ||
| 資料2 | 教育の目標を達成するために総合的かつ計画的に実施すべき施策(たたき台素案) | ||
| 資料3-1 | 確かな学力の向上」と「一人ひとりの能力・才能の伸長と創造性の育成」に関する現状について | ||
| 資料3-2 | 「豊かな人間性と健やかな体の育成」に関する現状について | ||
| 資料4 | 関連した主な提言事項 | ||
| 資料5 | 第16回中央教育審議会総会における主な意見の概要 | ||
| 資料6 | 今後の日程(案) | ||
| 参考1 | 基本問題部会(第2回)議事概要(案) | ||
| 5 | 出席者 | ||||
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| 6 | 概 要 |
| ○ | 鳥居部会長 それでは、定刻でございますので、ただいまから開会させていただきます。 本日は、基本問題部会の第3回ということです。今まで既に総会で2回、それから基本問題部会で2回、教育振興基本計画の基本的な柱立てについて御審議をいただいてきたのですが、資料1に柱立ての素案というのがあるのですが、今日はこの柱立てをどんなふうにしていくか。要するに、我々は何を教育振興基本計画として計画していくかということについて御審議をいただき、それから、今のところ今日も入れて3回、我々が一応の素案としてきた柱立ての「第二」章のところについて、とりわけ「第二」章の頭の部分について御審議をいただく予定になっています。よろしくお願いしたいと思います。 まず、事務局から資料の御説明をお願いしたいと思います。 |
| ○ | 事務局 では、資料1でございますけれども、第2回でお示しいたしました教育振興基本計画の柱立てに沿ったものでございます。これまでこの柱立てのうち、「一」の「教育に関する施策の基本的な方針」、これからの教育の目標について御議論いただいてきたわけでございますが、先日の3月7日の中央教育審議会の総会におきましても、これからの教育の目標のところも御議論いただいたところですが、その中でも、具体的な政策目標とか、あるいは具体的な方針、そちらのほうの検討に入る時期ではないかという御意見もあったところでございます。 それも踏まえまして、資料2でございますが、ここで資料1の「第二」に掲げました「確かな学力の向上」、それから「豊かな人間性の育成」という初めの二つの項目につきまして、それぞれ具体的な政策目標、それからそれを達成するために必要な施策についてのたたき台素案ということで、あらあらのイメージを御検討いただけたらということで、材料として出したものでございます。 まず、資料2の1ページ目でございますが、これは1番目の柱、「確かな学力」という問題と「一人ひとりの能力・才能の伸長と創造性の育成」という観点から、政策目標として考えられる事項の例を幾つか挙げたものでございます。具体的な政策目標ということになるわけでございますが、このようなものでよろしいのかどうか、あるいはほかのイメージがあるのかどうか。 また、政策目標として具体的なものとして掲げる場合、こういう事項なのか、あるいは別の切り口があるのか、あるいはこういう点はぜひ盛り込むべきであるという事項があるのか、そういうことについて御検討いただくとありがたいと思っております。 ここで、「例えば」ということで掲げております「政策目標」の例でございますが、これは大体10年程度を見越しながら、政策目標として具体的なものを考えてみたというものでございます。中学校卒業時に、学習指導要領の目標の標準的な学習到達レベル以上を達成できるようにする。できれば、このため具体的な数値目標といったものも設定してはいかがかということでございます。高等学校卒業時でも同様でございます。 次は、学ぶ意欲を持った子どもを育てる。 あるいは、小・中・高で国語力をしっかりと高めていく。 その次は、外国語でございますが、高等学校を卒業すれば、英語で日常会話ができることを目指す。これはほかの外国語でもよろしいわけですけれども。 あるいは、数学、理科・科学技術に興味・関心を持つ子どもの数を増やす。高等学校を卒業すれば、コンピュータやインターネットの活用などの情報を適切に活用できる能力をつけさせるという点でございます。 また、学力的な能力もございますが、高等学校卒業までに、スポーツ、文化、社会奉仕活動、ものづくりなど、少なくとも一つの分野で自信を持つことができることを目指す。 あるいは、児童生徒に職業観・勤労観をしっかり身に付けさせることを目指していく。 あるいは、トップレベルの学力、例えばこの前ございましたOECDの調査のレベル5というようなことが考えられますけれども、そういう子どもの割合、あるいは将来、国際社会において活躍、リーダーとなり得る子どもたちを増やしていく。 また、ゆっくりと学ぶ子どもに対する指導を手厚くする。 障害がある子どもに対する指導を手厚くし、能力を最大限伸ばすといったようなところを政策目標として掲げていくことはいかがという、そのたたき台としての例ということでございます。 資料2の2ページ目でございますが、そういう政策目標を実現していく意味で、その実現のために具体的に取り組む施策の例ということで、ここでは現在取り組んでおりますところを中心に例示ということでお示ししたところでございます。 少人数授業、あるいは習熟度別指導といったことで、個に応じたきめ細かな指導ができるような教育環境の整備、教員の問題、あるいは指導方法・教材の問題、それから教育の施設・設備の問題があろうかと思います。 また、学力をしっかりつけるという意味で、各学校段階におきます学力の評価システムもしっかりと確立していこうということでございます。 あと国語とか、外国語、理科、科学、あるいはITといったものに対応いたしまして、外国語でしたらネイティブ・スピーカーの活用とか、あるいは理科教育でございましたら大学の研究機関との連携とか、あるいはIT関係ですとコンピュータの整備とか、教員の研修といった点を挙げているところでございます。 また、下から4番目あたりからは、特に高校を中心といたしました中等教育の多様化ということで、中高一貫教育とか、あるいは高等学校でのインターンシップの推進、あるいは高・大連携といった点を挙げております。 また、一番下のところは、障害のある子どもたちに対する対応ということで、自立して社会参加ををするための力を培うという観点からの、一人一人のニーズに応じた教育の推進といったことも施策の例ということで掲げているところでございます。 それぞれの目標につきまして、「3」でございますが、計画では、目標の指標化が可能なものについては、具体的な指標を設定することに努めることにしております。 3ページ目でございますが、これは2本目の「豊かな人間性と健やかな体」という面で、同じような形で、まず3ページ目のところで具体的な政策目標として考えられる事項の例を掲げまして、その次に、そういう政策目標を実現していくための施策の例を掲げたものでございます。これもあくまでもたたき台の素案というものでございます。 政策目標といたしましては、どうしてもこれは定性的なものが多くなりますけれども、基本的な倫理観、あるいは規範意識をしっかりと身に付けさせる。 2番目では、高校卒業までにボランティア活動など、社会奉仕体験活動を一定期間経験して、社会貢献の精神を身に付ける。 あるいは、自国の伝統・文化を尊重する心、あるいは他者との共生、異質なものへの寛容の心を身に付ける。 若干具体的になりますけれども、いじめ、校内暴力のない明るく充実した学校生活の充実を目指す。 体力・運動能力の向上、健康な心身といった点を、政策目標ということで挙げてみたものでございます。 4ページ目でございますけれども、豊かな心、健やかな体という大きな政策目標実現のために取り組む施策の例ということで、道徳教育の充実とか、学校内外を通じました社会奉仕体験活動を充実していく。あるいは、我が国の伝統・文化に対する教育の推進ということで、武道とか、華道とか、伝統・文化に触れる活動を体験するようにする。あるいは、問題行動への取組という意味で現在行っておりますのは、上のほうの体験活動とか、そういうところも柱になるわけですけれども、教育相談体制の充実とか、あるいは出校停止制度の適切な運用、あるいは家庭教育に対する支援、あるいは地域で子どもを育てていくという地域での環境づくり、スポーツ活動、健康教育の充実といったところを取り組んでいるところでございます。 こういうものにつきましても、目標について指標化が可能なものについては指標化に努めていくことを考えておるところでございます。 以上、本日、一つの素材として御議論いただけたらと思っております、それぞれの教育目標を達成するための政策目標とその具体的な政策の例ということでございますが、資料3―1と資料3―2は、それぞれ今御説明申し上げました学力の向上と能力・才能、創造性を伸ばすものにつきまして、資料3―1のほうが、その事柄につきまして、現在、どんな形で取り組んでいるかについての資料でございます。資料はあらかじめお送りしてあったと思いますので、簡単に御説明いたします。 資料3―1の初めのところは、学力についての現状の調査でございます。 また、4ページ目でございますが、これは現在、教育課程の実施状況につきまして、学力についての調査を全国的に行っておりまして、今年の1月と2月に、小学校5、6年、中学校1、2、3年で、約50万人を対象に学力試験を行っております。また、高等学校については、来年、再来年と実施したいと考えております。 また、5ページ、6ページあたりは、学級編制の改善ということで、教員の定数の改善の状況。 7ページ目は、英語でよく言われますTOEFLの試験の状況でございます。下のほうの表にありますが、1,000人以上受験している国で見ますと、日本は今、平均点が183点ぐらいでして、アジアの19ヵ国中16位という状況になっています。ただ、上を見ていただきますと、平均スコアが10年前は160点ぐらいだったのが、5年前には170点ぐらいになりまして、現在は180点ぐらいになっておりますので、日本人のスコアとしては上がっているのですけれども、全体的に見ると低いレベルにあるという状況でございます。 8ページは外国人の指導助手の状況とか、9ページは数学、理科に対する関心度でございます。上のほうの数学で見ていただきますと、平成11年、48%が数学が好きまたは大好きとありますが、IEAという国際的な平均値が72%でございますので、日本は非常に低い状態にあるという結果でございました。 10ページは、理科とか、あるいは科学技術に対していろいろと取り組んでいる政策。 11ページは、ITについての推進の計画。 13ページは、中高一貫教育の推進の状況でございます。現在、51校で中高一貫ということで取り組んでいるという状況でございます。 14ページは、高等学校で、従来、普通科と職業学科、普通高校と職業高校でございましたけれども、これにもう一つ区分を加えまして、普通科、職業学科のほかに、総合学科という両方を統合した学科をつくれるということが平成6年から始まりまして、それがどんどん伸びているという状況でございます。 あと専門高校、職業高校の状況につきまして、15ページあるいは16ページにございます。 また、17ページは、インターンシップの実施の状況でございますけれども、公立の高等学校でございますが、学校数としては全体の32%ぐらいが実施しております。ただ、これは生徒の数で見ますと7.6%ということで、低いという状況でございます。 18ページは、高等学校ではほかの高等学校あるいは大学での授業、あるいはボランティア活動などにつきまして、自分の学校の単位として認定できるという仕組みに平成5年からなっておりまして、平成10年からさらに拡大しておりますが、その状況でございます。 最後は、特別支援教育ということで、障害があり、通常の学校での指導では能力を十分伸ばすことが困難な子どもたちのための指導の状況でございますが、障害の種類、程度に応じまして、盲・聾・養護学校で教育する、あるいは小・中学校の特殊学級で指導する、あるいは通常の学級の中に在籍して、障害に基づく特別の指導のときに別のところで指導するといった通級による指導という形で教育が行われているところでございます。 以上が資料3―1でございます。 資料3―2のほうは、豊かな人間性に関する資料でございます。1ページ目はよく使われます規範意識についての小・中学生の資料でございます。 2ページ、3ページ目は、現在行っております道徳教育の実施の状況でございます。学習指導要領では小・中で35時間、道徳をやるということにはなっております。 4ページ目でございますが、道徳教育をやる場合に、その教材といたしまして今年の4月からすべての小・中学生に「心のノート」というものを教材として使っていただこうということで、配布することにしております。その資料でございます。 5ページ目でございますが、先生が教えるというだけでなくて、地域の方に来ていただいて道徳教育を担当していただくといった、「心のせんせい」配置事業というものを去年から実施しているところでございます。 6ページ目では、子どもたちのボランティア活動などに参加する状況ですけれども、平成13年度調査で、学校が休みの日にやっているかということですが、小学生ですと10%弱、中学生で6%ぐらい、高校生で5%ぐらいの数字になっております。 8ページ目は、日本の伝統・文化等の学校教育の中での取り扱いの状況ですけれども、例えば武道について見ますと、上から2番目の「○」ですが、中学校1年生では武道かダンスのうちから選択必修、2、3年でも球技、武道、ダンスの中から二つを選ぶことになっております。また、高等学校では、武道、ダンス、いずれかを履修するという形で、武道等の扱いが決められているところでございます。 11ページ以下は、スクールカウンセラーとか、12ページ、家庭教育の支援策等が入っております。 資料4でございますが、これはこれらの事項に関連します今までの中央教育審議会とか、教育改革国民会議等で行われた主要な提言を簡単にまとめたものでございます。 資料5は、前回、3月7日に行われました中央教育審議会総会での主な意見の概要ということでございます。 以上でございます。 |
| ○ | 鳥居会長 今日の議論の進め方を整理して、大きく二つに分けてみたいと思います。 一つは、骨太の方針といいますか、要するに基本計画の柱をどのように立てていくかということについて、皆さんに徹底した御議論をいただきたい。 2番目は、とりあえずの基本的な柱立てとなっている資料1の柱立てで言えば、「二」章の「1」番、「2」番のあたりを少し議論していただきたいと考えております。 それで、骨太ではありませんけれども、全体の構造ですが、1回この辺でおさらいしておきたいのですが、皆様の机の上に「中央教育審議会配付資料 平成13年11月26日~」というバインダーがありますね。ここには、この基本計画と教育基本法を審議した経過に関係する総会と部会だけが収録されています。 まず、文部科学大臣からいただいた諮問をおさらいしておきたいのですが、諮問文の2ページ目に、「2 教育振興基本計画の策定に当たっては、計画に盛り込むべき内容として、次の事項について検討」してほしいということで、「第一」「第二」「第三」「第四」とあるのです。 「第一」が、「教育に関する施策の基本的な方針として、教育の目標やその目標を実現するための教育改革の基本的方向について検討」、だから要するに、今回やるのは教育改革なのです。その教育改革の基本的方向について述べてほしいと大臣がまずおっしゃっているわけです。 「第二」は、「その目標を達成するために」、つまり、教育改革の基本的な目標を達成するために、「政府が総合的かつ計画的に実施すべき施策として、例えば」というので、「(1)」から「(5)」まで書いてあります。 「第三」は、「総合的かつ計画的に教育施策を推進するために必要な教育投資の在り方について」ということで、財政的な問題について議論することを我々は求められていると思います。 「第四」に、「計画の推進に関して、政府及び地方公共団体の役割、政府及び地方公共団体の連携等について検討」と。つまり、教育の仕組みというのは、特に公教育についてはある種の地方分権が既に50年間行われてきているわけですから、地方分権という観点からもこれを1回検討すべしということを求められています。ですから、これがまず一番最初に与えられた柱なのだろうと思います。 そうしますと、その「第一」というところで言っている改革というのは、なぜ教育改革が必要なのかを議論する必要があって、事務局のほうで教育改革の目標、あるいは教育基本計画の目標というところを審議してほしいというふうに、最初に我々に球を投げてくだすったわけです。 この「第10回」を受けまして、この中教審の構造が総会、分科会、部会というふうになっているものですから、特に今回我々が受けとめている基本計画と教育基本法については、分科会抜きで、総会直属のこの部会でやるものですから、総会で議論してもらってはこの部会で議論し、この部会で議論しては総会に戻すというやり方をとることになるわけです。 そこで、次はどうしたかというと、第11回総会というのが開かれまして、第11回総会で、戦後教育の改革の流れをおさらいしたわけです。その戦後教育改革の流れの中で最新版のものは、昨年の初めに文部科学省が打ち出されました「21世紀教育新生プラン」でありまして、この「21世紀教育新生プラン」は七つの重点戦略ということで、第11回総会の資料のすぐ2枚目から始まっています。7ページほど横書きでついているわけです。この「21世紀教育新生プラン」も包含するというか、包摂する形で、我々の教育振興基本計画は考えていく必要があるわけです。 次に、その直後に、その他もろもろの、それこそ農業から何からいろいろな分野での基本計画と称するものの紹介をしてもらったのが、前回の総会でありました。この部会でも紹介してもらいました。特に関係の深いものが、第11回総会の資料の5ページというページ番号が振ってあるところに、「主な基本計画の構成について」という数枚のものがありますが、科学技術基本計画というものが載っておりまして、これが教育基本計画をつくるに際しては、姉妹関係になる基本計画であります。 しかも、この科学技術基本計画は、第1期5年間が17兆円、第2期5年間は24兆円という大きな予算を伴った基本計画になっていることを、あのときおさらいしたわけでございます。 それから、第11回総会の後で初めてこの部会が開かれまして、「部会第1回」という仕切りを御覧いただきますと、そこでも「主な基本計画の構成について」という同じ紙を入れてありまして、そのおさらいから始まったわけです。 その後に、今日もお配りしてあるような資料がいろいろと配られましたが、右肩に「資料6」という四角囲みがついているページがその少し後ろのほうにありますが、非常に重要なものが載っております。それは何かといいますと、「臨時教育審議会及び中央教育審議会答申における教育の目標について」です。ここを読んでいただきますと、我々が今議論しているほとんどのキーワードは、この臨教審以来、繰り返し繰り返しいろいろな審議会や臨教審等に登場していることがわかっていただけると思います。そこから3ページほどがその紹介になっています。 さらに、事務局のほうで、資料7というページに、「最近の各種報告・提言等で示された教育の目標の例」ということで、キーワードを整理してくれておりますので、これが今日の御議論の参考になるのではないかと思います。 次に、第2回部会が開かれましたが、「第2回部会」の仕切りを1枚繰っていただきますと、横長の大きい紙があります。これが人材養成、教育の目標についての第1回目の素案です。これについては、あのときいろいろと御議論がありまして、もう少し突っ込んでいろいろ考えようということで、これをたたき台にして議論を進めていこうということになったわけであります。 その後、第16回総会が開かれました。第2回部会で議論したことをむしろ総会に御紹介したというのが実態でございます。以上のような経過を経て、今日に至っております。 というわけで、以上のような資料を御覧いただきながら、今日配付した資料1でいうところの柱立てを、こう直すべき、こういうものをつけ加えるべきという御議論をまずしばらくお願いして、それから資料2以降の議論に移りたいと思います。よろしくお願いします。 要するに、教育振興基本計画の骨太の柱立てといいますか、要するにあらあらの柱立てを少し御議論いただければと思います。 |
| ○ | 毎回、何となく私は苛立たしい思いがするのですが、教育の問題というのは多岐にわたるわけです。多岐にわたるものですから、大事そうなものを全部洗い出していったら、いっぱい項目が出てきて、結局は羅列して総花的になって終わっちゃうわけです。この問題が一つ。 それと関連しますけれども、同じような中教審答申や臨教審答申がいっぱい出ていまして、それもみんな並べてあるわけです。では今回、新たに何を出さなければいけないのか。国際化、情報化なんていうのは、このところずうっと言われていますわね。それにこたえるための施策もずっとあるわけです。 あるいは、伝統の問題は極めて重要な問題だと思っているわけですけれども、伝統・文化の問題。これもこのところずっと挙がっていて、しかも、今日出されたやつで、学校でやっています、やっていますという資料も出ているわけですね。そうすると、片方でこれをうたいながら、学校でもやっていますということを言ってみて、どうなるのだろうか。 例えば、今日の資料でも、指導要領で、中学校で標準的な学習到達レベル以上を達成できるようにする。これは結構ですけれども、そんなことはできっこない話ですしね。それから、標準的なということの中身を言わなければどうにもならない。 そうすると、よほど詰めていかないと、まあ、作文してまた終わりというね。みんなお忙しい方々が集まって、また変な言い方ですけれども、何とか概論みたいなものを、これまでとあまり変わり映えしないようなものをつくって終わりになるのではないか。私は何となく苛立たしい思いをしながら見ております。 具体的に私は二つ提案をしたいのですけれども、一つは大胆に優先順位を絞り込まなければいけない。例えば、中・高だと9教科ありますわね。小学校で8教科ありますけれども、とりあえず国語の読み書き能力を最優先して考えるのだとかね。それは大事なものといえば、すべてあるわけですよ。九つの教科全部大事だと言えば、全部大事です。外国語も大事だし、理科も大事だし、数学も大事だし、社会科も大事です。それはあるのだけれどもというね。私が国語と言うのは、例えばの話ですから、これはいろいろと議論したらいいのですけれどもね。とりあえず、当面、このあたりに最優先課題を置かなければいけないという絞り込みをしなければ、また羅列になるのではないか。 あるいは、もっと大きく言いますと、学校教育、家庭教育、それから生涯学習等々あるわけですけれども、ここはもう一度、学校教育の再建にこれから5年かけるのだとかね。今まで生涯学習とか、家庭教育が言われたけれども、まあ、私は家庭と地域と学校の連携なんて、あんな空疎な言葉はないと思っております。地域なんていうものがあるのかどうなのかね。言うのは勝手ですけれどもね。だけども、お役所が本当にコントロールしてやっていける、国のお金を集中的に投資してやっていけるというのは、やはり学校だと思うのです。例えば、学校教育の再建にこれから5年、本格的にやるという優先順位を置くとか、そういうことがあるのではないか。 もう一つ、優先順位の問題と同時に、既にやっているけれども、抜本的に変えなければいけないこともあると思うのです。例えば、伝統や文化の問題ですね。確かに高校の教科書でお茶やお花が出てくるかもしれません。それでチラッと出ただけでいいのかどうか。むしろ実習というのが東京都も入っているようですね。そうすると、例えば年間30時間ぐらいをとって、中学や高校でお茶でもいい、お花でもいい、書道でもいい、邦楽でもいい、日本の伝統・文化にかかわるものを一つ選択してやるような、そういう科目なり教科なりを設定する。これなら新しい、今までにないものになるわけですね、例えばですけれどもね。 そのために、例えば教員としてどういう人をお願いするのか。専任にはなれないでしょうけれども、今までの教員資格の問題との関連がありますね。お茶の先生が教員資格を持っているということはほとんどないでしょうから、そういう場合にどうするかとか、そういうことをやっていく上での人件費だけでなくて、施設設備にお金がかかるわけですよね、お茶室一つつくるのでも。いろいろな学校、高校で武道館を建てられましたけれども、あれは大変だったと思います。これを全国の高等学校、中学校がどのぐらいの割合で整備するとか、例えばですけれどもね。 そんなことを論議していかないと、ここに挙がっているのは、みんな「なるほど」で、同時に文部科学省で既にこれだけのことをやっていますというのが出ていますわね。これでいいのだったら、ここでみんな集まって論議する必要はないわけだし、というふうなことをちょっと思います。 |
| ○ | 今の御発言とほぼ似たような感じになると思います、表現は違うかもしれませんが。 先ほど会長が、骨太のと。私もあまり好きじゃありませんけれども、他に用語がないから言いますが、どうも先ほど来の説明を聞いたり、議論をしていくと、骨太どころか骨細の、たくさんある細い骨の議論をどうもやってしまうような気がしないではないわけです。これからの議論の仕方の問題ですけれども、森を含めたいろいろな景色をきちんと押さえることが骨太だと思うのですが、議論していくと、森どころか、森の中へ入っていって、木どころか、小枝の議論をどうもしちゃいかねない。小枝自体はみんな大事なのですね。先ほど委員もおっしゃったように、大事なことがいっぱいあって、それを羅列的、並列的に議論しても困るわけですから、それをどう大括りして、森の議論をし、景色の議論をするかということ。 それから、あれもこれもというのは無理があるので ―あれもこれも大事なのですね。あれもこれも大事だけれども、今は何をやると。ほかのはやらないでよろしいという意味ではなくて、力を入れてやる。そういうウエートの置き方をやっていかないと、あらゆることをここで議論して、全部大事だと、こうやっていたのでは、時間があっても足らないし、現実として不可能だし、また、処方せんとして十分なものでもないという、個別の議論に入る前に、全体の印象としてそんな気がいたします。 もう一つ、3月7日に総会があって、そこに出ていた委員の方は御存じなのでしょうけれども、この部会での議論の進め方についてのいわば注文的な発言はなかったのでしょうか。 |
| ○ | 事務局 注文という感じはなかったと思います。ただ、あそこで掲げられております教育目標は、すべて重要であり、いいことであるから、早くそれを実現するためにどうするのか、具体的な政策目標とか、具体的に何をやるのかという議論に入っていく時期になっているのではないかという御発言が幾つかあったと思っております。 |
| ○ | 私、この会議、今日で3回目なのですけれども、あまり議論が前に進んでいないという感じを持っているのです。堂々めぐりのような議論を毎回繰り返していてもいいのかどうかということなのです。せっかく今日は、かなり具体的な、骨太か骨細かわかりませんけれども、ある程度絞った考え方が出されているということで、レジュメに沿った形で二、三申し上げてみたいと思います。 一つは、資料2の上から5項目目でしょうか、ほかは全部よろしいのですけれども、こうしたほうがいいのではないかという点ですけれども、「高等学校を卒業すれば、英語で日常会話ができることを目指す(英語以外の外国語も可)」と。これではちょっと遅いのではないかと思うのです。だから、高等学校ではなくて、中学校を卒業すれば、英語で、あるいはそのほかの外国語でもいいのですが、日常会話ができるというぐらいにスピードを早めたほうがいいのではないかという感じがいたします。 それから、「大学卒業時には、仕事で英語が使えるようになることを目指す」とありますけれども、これは高等学校でその水準はマスターすべきではないか。例えば具体的に申しますと、高等学校を卒業すれば、英語で手紙が書ける、そのぐらいの語学力をつけたほうがいいのではないかと思います。これはちょっと遅いのではないかと思います。 それから、7項目目、「高等学校を卒業すれば、コンピュータやインターネットの活用など」云々とありますけれども、今、小学生でも全部パソコンをやっていますよね。だから、高等学校ではなくて、むしろ中学校を卒業すれば、コンピュータやインターネットの活用などの情報を適切に活用できるようにする。そのぐらいまでこれは引き上げていかなければいけないと思います。現実に私の周りを見ても、小学生でどんどんパソコンにアクセスしてやっています。インターネットを自由に引き出して見ているし、高等学校を出てからというのではちょっと遅過ぎるのではないか。この辺は、世の中の科学技術の進歩のスピードに合わせて早めていったほうがよろしいのではないかと思います。 もう一つ、ここの議論は今日はしないのかどうか、後にするのかどうかわからないのですけれども、資料2の3ページ、「豊かな人間性と健やかな体の育成」は非常に大事だと思います。しかし、この中でもう少し具体的に実際は書いていったほうがいいと思うのです。豊かな人間性というのは何だということになると、これはまた相当幅の広いとらえ方ができると思うのです。これまた豊かな人間性と同じように抽象的な表現で申し上げますと、私は「人間として生きるルール」と置き換えてもよろしいのではないかと思います。 そういった視点で個々の項目を見てみますと、例えば政策目標の例の3番目に、「自国の伝統や文化を尊重する心、他者との共生や異質なものへの寛容の心を身に付ける」とありますが、これはそのとおり正しいのですけれども、「伝統や文化を尊重する心」というのは回りくどい表現ではないかという気がするのです。「人間として生きるルール」ということになると、「人間を愛し、地球を愛し、国を愛していく心を育てる」ことが最も重要なのではないかと思います。 私の断片的な例ですけれども、年に何回か外国のいろいろなところへ行って見ているのですけれども、例えば日本くらい国旗を立てているのが少ない国はないです。アメリカはやや過剰かもしれませんけれども。そういうところに象徴されているように、国というものをどう考えているのかと。そういうことを言うとすぐ保守だ、反動だとか、今まではそういう議論が出ましたけれども、私はそうではない。そういう議論を出していかなければいかん時期がきていると思うのです。人間を愛する、地球を愛する。環境問題なんかは、まさに地球を愛するということです。それから、国を愛する、これも「人間として生きるルール」の基本として大事だと思います。そういうのを具体的に書いていいのではないか。 ただ、幼児から各段階においてどういう教育の仕方をするかそれは別です。どういう倫理観をそこで育てていくかということは別で、小学校、中学校、高等学校、それぞれ当然内容が違ってきてしかるべきだと思いますが、自分が生きるためのルールというか、自分の隣の人でもいいし、自分の地域でもいいし、自分の郷土でもいいし、そういうものを愛していくということ、それが人間として最も必要な基本ではないか。それからボランティア活動も出てくるし、いろいろなものが出てくるのではないかと思います。それを何か遠慮して書いているのではないかと思うのだけれども、遠慮しないで正面から書く時期に来ているのではなかろうかと思います。それはいろいろ御議論があるかと思いますので、その点はあれしますけれども、それを一つ申し上げておきます。以上です。 |
| ○ | 最初の問題は、素案に沿って書かれている内容の骨組みですね、これがどうかという点で御下問があったと思いますが、これが何でこういう格好で出てきたかというと、鳥居会長のおまとめでありましたように、諮問文に沿って項目がそのままそっくり出てきたような感じですね。あるいは、この項目があって諮問を出しているかもしれませんけれども、どっちがどっちだかわかりませんが。 「第一章」「第二章」「第三章」と並んでいるのを見ますと、「第二章」と「第三章」は施策というもとに、実は目標と目的と手段がごちゃごちゃに入っているのですね。「第二章」と「第三章」は、あえて言えば民間的なものと政府のやるべき仕事というくくりで、施策といったものが何かあるのでしょうけれども、これは例えば今日の後半の話題だと思いますが、「確かな学力の向上」とか、「豊かな人間性」、これは目的ですよね。あるねらいですよね。ところが、「優れた教員の養成」とか、「柔軟な学校システム」、これはどちらかといえば手段なのですよね。区分けが難しいのが「国際競争力のある大学の実現」ですが、これは目的でもあるのでしょうけれども、これを少し整理しないとごちゃごちゃになっているのではないかと思うのです。 そういう意味で、ねらい、目標・目的、これを三つか四つに―今、多過ぎるという御批判もございますから、絞り込んだ形のものを並べて、その後、官であれ民であれ、やるべき政策手段ですね、それを「第三章」に持ってくるやり方のほうがすっきりすると思いますけれどもね。私の見た感じではそういう感じがいたします。内容については、第2のところで一、二申し上げたいことがありますので。 |
| ○ | 今の御発言に関連しまして、先ほどの素案の柱立てについての議論でいえば、「第二」の「1」と「2」は、「確かな学力」と「人間性」の問題で、これは大きな柱だろうと思います。 ところが、それを実現するために、教員の養成があり、学校システムのあれがあり、あるいはその中身としての国際化・情報化の問題がある。あるいは、大学なども「1」「2」の一つの行き着く先といいますか、そういうとらえ方もできるというので、大きなくくりとすれば「1」と「2」ではないか。 ただ、残るのは、家庭教育とか、学校外での卒業後の生涯学習というものをどうとらえるか、あるいは三つ目の柱としてそれが立つのかもしれませんけれども、そういう大くくりの議論の中でやっていくのも、これは私の意見ですけれども、一つではないかという気がいたします。 |
| ○ | 先ほど、委員がおっしゃった二つの点は、私も共鳴するところが多いのです。前半の英語ないしは外国語教育のことに関して言うと、おっしゃるとおりですね。もう一つステップが低いところまでいっていいのですが、最近、中央教育審議会が出した教養教育の答申では、高校卒で日常会話ができるくらいというふうになっているのです。ですから、そこもついでに直していただければと思います。 文科省発の最近の英語教育に関するものがみんなそうなっていますのでね。それで我々は、例の「英語指導方法等改善」について大臣に出した答申でも、十分それができるような英語指導方法の改善を提案しております。現に私もそのプロセスで教科書なんかに当たってみましたが、昔で言うと、今それは使っていないと思いますが、ジャック・アンド・ベティなんかのアンダースタンディング・ザ・ワールドという文章を中学でやれば、日常の会話どころか、中学の教科書で普通の知的な会話は十分できる内容を持っている。ただ、それでしゃべれないのではなくて、しゃべらないということですから、それは幾らでも指導方法で改善できると思います。 それから、後半の部分は私も身につまされる問題なのですが、1999年8月に国旗・国歌法案ができて、たしか8月13日かな、次官通達がきたのです。あの次官通達も、最後のところで文部省に迷いがあるのか、あとは現場の責任者に任せるという形になっているものだから、現場がいかに困るか。そこは国旗・国歌法案が国会で通ったということは、賛否があっても一つの大きな意味を持つのだから、現場が迷わないように、そこはきちんと遠慮せずにそういう文言にしていただいたほうがよろしいのではないかと私も思います。 |
| ○ | 柱立ての問題ですけれども、最初に会長からお話があった諮問で、諮問理由のところに書いてあるのですけれども、「教育振興基本計画の策定について」ということで書いてあるのを見ますと、「教育は、子どもたち一人一人に確かな学力を身に付け、豊かな心をはぐくみ」まではいいのですが、その次に「自らの能力を最大限に発揮して自己実現を図るために重要であるとともに、社会や国の将来を左右するものであって、我が国が活力ある国家として発展していくためには、国家百年の計たる教育の振興が不可欠」だと書いてある。この「自らの能力を最大限に発揮して」というところをやっていないのではないですかね。それで「自己実現を図る」は個人で、それが国の活力を高める。 この前、資料もいただきましたけれども、10年後には65歳以上人口が700万人から800万人増えるのです。医療の発展で、もっと増えるかもしれない。それを抱えてどうするのですかという問題もあるわけです。ですから、もちろん子どもから高齢者までですけれども、「能力を最大限に発揮する」というところも入れて、その三つの柱立てぐらいで、あと初等教育とか、中等教育とか、あるいは社会教育とか、全体にわたって、これは生涯学習という観点から見るしかしょうがないというのもあると思います。今の点、「自らの能力を最大限に発揮」するようなというのは何なのかというのを割って書いていかないと、先ほどからお話が出ているように、従来どおりの計画案が出て、何やったのだというようなことになるような気もいたしますので、発言させていただきました。 |
| ○ | いろいろとあるのだろうと思います。先ほどから英語の問題が出ておりまして、私も趣旨には賛成をいたしますが、結局、言葉ができないと国際的なつき合いもできませんので、例えば高校卒業時にとか、それは賛成するのですが、気をつけなければいけないのは、私自身も含め、私の周りの人にとっては、少々のことをやったって、英語の力も何もつかんということを実感してきているわけです。 そういう目で見ますと、今、アメリカで2億の人口がおりますが、2,000万人は英語ができないわけです。移民が多いせいもあります。2,000万人というのが少な過ぎる推定だという話もあります。もっと多い、4,000万人、5,000万人であろうというあれもあります。アメリカのように英語ができることをアメリカ国民の一つの不可欠な条件としているところでもそういうのがあります。 あるいは、80年前後、「ファンクショナル・イリテラシー」ということがよく言われました。イリテラシーは御存じのように、読み書き能力がないということです。ファンクショナルというのは、一応読んで書けるようだけれども、社会生活上の必要な域に達していない。これが当時の高校卒業生の半分以上がそうだと言われました。例えば、高速道路でパトカーに止められて、交通違反の切符を切られても、それが何のことやらわからん高校卒業生が半分以上いるというね。アメリカでさえそういうことがある。もちろん、83年の「ア・ネーション・アット・リスク」以来、その辺に非常に力を入れてやってきて、私の知るところではかなり改善されたとは言っておりますが、アメリカで高校卒業生でまだ2割も3割も、やはりファンクショナル・イリテラシーが残っているというのが、少なくとも私の知っている状況です。 ここで目標は掲げなければいけない。先ほどからおっしゃっているあれは、私は大賛成です。大賛成なのだけれども、よほどそれを裏づけする具体策が、例えば現場での英語指導法の改善なんていう抽象的なことを言ったってだめなのです。それはもうみんな改善してきたのですから。10年に1回ずつぐらい、例えばパターン・プラクティスがはやったときもあれば、何とかがはやったときもある。10年に1回ずつ英語教育の流行が変わっているわけです。でも、日本の英語教育はなかなかである。そこのところをやらないと、結局これも絵に書いたもちになってしまう。 ついでに言っておきます。アメリカで「スクール・フレンチ」という言葉がありましてね。何かというと、役に立たんものの象徴です。学校で習うフランス語は、やったという思い出が残るだけというね。外国語というのはそれほど難しいのですよ。 繰り返しますが、ほんとここにいるのは優秀な方々ばかりだから、ちょっと頑張ればできるものだという頭があるかもしれませんが、普通の人たちにどういう力をつけるかという論議をしているわけです、普通の。ごくまれな方ではなくて。というふうに思いますので、私は先ほどからの話は全部大賛成ですが、よほど具体策をそこで言わないとどうにもならない。 ついでに言っておきますと、まあ、最近は少し少なくなりましたが、2年前まで文部省の文章というのは、ほとんど形容語であふれていた。「確かな」とか、「豊かな」とか、言ってみたってしょうがないでしょう、そんなもの。ここでも若干残っていますけれども、それはぜひ全部抜いてやっていただかないと。「確かな」「豊かな」等々、形容語抜きでやらないと具体的な施策はできてこないのではないかと思います。 |
| ○ | ちょっとそれはかなり誤解があるので、僕らがつくった答申をぜひ読んでいただきたいのですがね。要するに、英語をもう学ばなくていいというなら、今の議論は成り立つのです。英語を学んでいるわけですね、普通、12年ぐらい。それでも話せないというところに問題があるわけで、それを直そうということですからね。しかも、外国語というのは決してそんなに難しいとは思いませんし、ちゃんと指導方法さえよければ、そのまま話せるように必ずなるのです。そこに英語の指導方法の問題があるということですので、ぜひそこは御理解いただきたいと思います。 |
| ○ | この前、アメリカの西海岸に行って、アーサー・コーンバーグという人とお話ししたときに、日本からやってくる人は英語をしゃべることができないのだということを非常に言って、日本の将来ということをお話しされました。彼はノーベル賞を57年に取った方です。そのときに、どうしたらいいのだろうということを随分お話をされました。この先生は日本のポスドクを何人も教育している方です。結局、彼は何遍もおっしゃっていることだそうですが、小学校にネイティブの若い人を、そんな全然高給を払う必要はないのだから、1クラスに1人か1学年に1人でもいいからおくということをやれば、そんなにお金がかからなくて解決するといって、その値段が幾らかということまで計算していてださっています。私は、外国の人がそこまでやってくれているのに、日本は全然それに応えていないなとちょっと反省をしたのです。本当にそんな高給な人でなくて、彼らも日本の文化を学ぶということもあって、メリットになるわけですから、そんなにお金がなくてもできるのではないか。これで一挙にすべてが解決するとは思わないけれども、指導法の教育原理なんか考えているより、バサッとそれを入れるとかなりインパクトがあるのではないか。逆に日本のこともわかってもらえるという、英語だけではないメリットがあるのではないかと考えていましたので、今、偶然にチャンスがありましたので、具体的なことですね。今、その話をする場ではないのですが、申し上げさせていただきました。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 先ほど委員の御発言の中に、学校教育の再建というお言葉がありましたが、再建と言うからには、どこが悪いのだという話があろうと思いますが、どう整理しますかね。例えば、何かキーワードになるところがありましたら。 |
| ○ | それはこの10年、不登校がこれだけ増えていますでしょう。これだけ力を入れてこられて、子どもに即して、子どもに寄り添って生き生きした授業をつくって、目が輝いてってやってこられたのにね。それだったら子どもはね、どんどん学校へ行きたくなるはずですよ。少なくとも2倍にはなっていますでしょう。これは統計を、年間30にしてとるか、50にしてとるか、いろいろとありますけれども、少なくとも2倍以上になっているのです。あるいは、非行やらいろいろなものについても、やはり増えていますわね。 あるいは、学力問題がこれだけうるさくなったのは、久しぶりじゃないですか。20年前にありました、20年前にね。七五三教育というやつがありましたけれども、久しぶりだな、20年来だなと思っています、学力問題は。 等々、今の学校ということについて、一つここで、全部悪いという意味ではないですよ。大筋は私はいいと思っているのです。これは言っておかんといかんですけれども、大筋はいいと思っている。でも、この辺で気持ちを学校ということに集中しなければいけないのではないかと思っております。 別のことから言いますと、例えば地域のいろいろな人が入ってくるのもいいけれども、学校の先生自身がしっかりしなければ、例えば運営にも、授業にも、ほかの人が入ってきたら、結局はどうにもならなくなっているところがたくさんあるわけです。あるいは、教育相談でもそうですけれども、これは実態を調べてみてください。兵庫県で大震災の後、ほとんどの学校にカウンセラーを入れましたけれども、うまくいっているところのほうが少ないというふうに、少なくとも市教委レベルでは聞いております。私は、これでシャンシャンで、すべてうまくいっている、万歳三唱というのであればいいと思いますが、あまりうまくいっていないということなのです。 もう一つついでに言っておきますと、非常に不幸な時代が長く続いたために、日の丸、君が代について、今、ほとんど認識されていない。これは日本ということも大変ですが、これが外国に行ったときに、外国の国旗が揚がるとこに、知らん顔しておしゃべりしている。国歌が鳴っているとに、知らん顔して大騒ぎする。こういう若者の姿がいろいろなところで指摘されているわけです。そうすると、これも一種の学校教育の再建ではないか。この再建はパースペクティブが長くて、50年のまずかったところを反省して、国旗や国歌というのはシンボルなのだから、外国へ行ったって―これは日本のことだけ言ってるのではないですよ。例えば、そういうことを思ったりします。挙げ出したらきりがないのですけれどもね。 少なくとも今の学校教育が順風満帆でこのまま、去年の続きは今年、今年の続きは来年やっていったら、それでうまくいくというのだったら、こういう会もつくる必要は全くないし。この辺でお互い気持ちを引き締めて、本当に抜本的に考え直さなければいけない時期に来ているのではないかと思うわけです。これは今のトレンドをどのように違う方向に持っていくかという基本的なことで、例えば思います。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 もう一つだけ皆さんにお考えいただきたいのですけれども、「第13回」という仕切りを1枚あけていただきますと、教育基本法がありまして、教育基本法に照らしてみて、ここは直さなければいけないという見方も一つ大事だと思います。 わかりやすいところを言いますと、まず「第一条」に「教育の目的」というのがありまして、そこでは大体言われてきたことが書いてあります。平和、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任―これは教育勅語以来書いてあることですけれども、勤労と責任、自主的精神等々が書いてありまして、あと何がつけ加えられなければならないかという観点で見ると、「第一条」についていろいろな意見がたぶんあると思います。 「第八条」「第九条」あたりも、「第九条」を読んでみますと、宗教については「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」と書いてあるにもかかわらず、50年間、宗教タブー教育をやってきている。これをどうするのかという見方で見ると、やはりそこに問題があるように思います。政治教育についても同様であります。 こういった資料を一覧されながら、ここは柱として取り上げろということがもしありましたら。これも一つのリファレンスとして見ていただきたいと思うのです。 あとは義務教育の問題が「第四条」に書いてありまして、言い換えると6・3・3・4制、実は義務教育ではないのですけれども、学校教育法第1条で、幼稚園もれっきとした学校でありますので、幼稚園の教育も含めてどう扱うのかという問題ですね。それも柱としてこういうふうに取り上げろというお考えがありましたら出していただきたいと思います。 それから、「第三条」の2項は地方分権の問題がありまして、ほかにも地方分権のことは「第四条」の2項と両方あるのですけれども、この辺のところもどう扱うか。 |
| ○ | 先ほど委員が学校の再建の必要ということを言われて、別に異議はございませんけれども、これだけ情報化・国際化が進んだ時代に、学校の地盤沈下―今、子どもは不登校というだけではなくて、不登校は一部ですけれども、全体として子どもにとっての学校の重みがなくなってきている。学校が軽い存在になってきているということのほうがもっと普遍的だと思います。しかし、それを重くするように持っていくのか、それともこれは情報化・国際化の過程で必然的なものであると受けとめるのかというところから決めていく必要があると思います。 御案内のように、グーテンベルクが印刷術を発明して、バイブルの値段が500分の1に下がったそうですが、それと同時に教会の地位と権威と神父さんの地位が下がってきた。パソコンネットワークが普及すると、学校の権威が薄れ、教員の地位が下がっていくという、これはパラレルな関係にあるのではないかという気もするわけです。そうなりますと、子どもの人生にとって、学校の重みを取り戻すようにしていくか。それとも軽くなるのはやむを得ないというふうに受けとめて、ほかの手だてを講じていくかということから考えていく必要があるのではないかと思います。 |
| ○ | 実は全く同じことを考えていまして、指標とかなんかって書いてありまして、教育の目標を達成するって、だれが達成するのかというところが全然入っていないのです。さっき家庭だ何だってちょっと批判はあったのですが、学校だけが教育をする時代ではたぶんなくなっていると思うので、今、委員がおっしゃったのと全く同じなのですが、学校は何を求められているのか、あるいは何を達成しようとしているのか。この達成するというのは学校だけではないはずなのです。その辺のことをやらないと、指標をどうするとか、そういう字句も全くあいまいになってくると思います。 それから、学校ということも、文科省なのか、あるいは地方レベルでイニシアティブをとることなのか、その辺のことも考えないと、達成するといってもそんなに簡単ではない。そこのところを本当はやっておかないと、細かなことを議論しても困るのではないかという気がしております。以上です。 |
| ○ | 私もよくわからないのですが、いわゆる学力、例えば読み書きの力だとか、英語をいつごろまでにどういうレベルで仕上げればいいのだという、学力サイドのスコープと、もう一つは、2番目の豊かな人間性―「豊かな」とか、「健やかな」とか、そういう人間性サイドにかかわるアプローチ論と、両方で見ていかないといけないから、こういうことになっているのだろうと思います。特に人間性サイドで議論すべきだと言われている項目については、この50数年の来し方がいろいろあって、皆さんあまり踏み込んだ議論をすることに全部で躊躇してきた歴史の中で、最近、15年ぐらいの間で、例えば国際化の時代なんていうのは実質的には終わりかかっているとか、世の中のいろいろな時代の認識の仕方で、昨今、いろいろな議論が起こっているのだろうと思います。そういう意味で、片一方のサイドの議論が日本の衰退論みたいなこととともにいろいろ議論されているのだろうと思います。 私どもの連合でも、結構ややこしい議論もあるわけです。ですから、タブーでオブラートに包んで済ますのか済まさないのか、その辺のコンセンサスを得て議論していかないと、また、空中論に終わりかねないと思います。私は今、どちらがいいのかよくわかりませんので、これからいろいろ考えたいと思いますが、どうもこういうのを拝見していても、どうなのかなと思います。委員の苛々はどうもその辺からきておられれるのかなと拝察するのですが、議論する二つのスコープのバランスみたいなものですかね。 |
| ○ | 委員がおっしゃられたお話で、さっきの教育基本法の中で、学力についてはどこにも触れてなくて、何年間義務教育でやりなさいと書いてあるだけです。そしたら一体どうなるんだよということで、あとは精神論しかないというところは一つの問題点で、果たしてそういうものをこういう基本のところの法律に入れるのかどうかという議論はしっかりやっておかなければいけないような気がいたします。 もう一つ、学校というのが教育の基軸であるという考え方をとるのか、先ほど委員がおっしゃられたような、そうではなくて、もっとブロードに考えるというのと、二つ当然あるわけです。一つは、学校というものについては、ダイレクトに行政関与ができるものでもあり、その中における中身をつくることができるという観点から見ると、やはり学校は一つの基軸であるということは打ち出しておかないと、話がおかしくならないか。 そして、学校というものを魅力あるものにする。それは一体どうすれば魅力があるのかということ。つまり、喜んで学校に行くというお話が先ほどありましたけれども、何しろ魅力がないから喜んで行かない。そして、学力もつかないということになると思います。どうやったら学校というものが魅力あるようになるのか。つまり、そこにおける勉学が魅力があるのか。学校に全く行かなくてもいいという議論でしたら、これは正直なところ、基本法そのものを全部変えなければいけない話になります。そういう点で、私も割り切れていないのですけれども、そんな感想を持っております。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 最後に委員からお話があったのは、アメリカのここ10年ほどの、特に1983年の「ア・ネーション・アット・リスク」以来の動きの中でいろいろな試みがなされまして、ある地方、例えばカリフォルニアなどではチャーター・スクールのようなものをいろいろやったり、あるいは民間の手にゆだねてみたら、逆にゆだねられた民に近い経営体が制服を制定したら、子どもたちが突然楽しくなっちゃった。我々が考えていなかったようなことがいろいろ起こっていますので、恐らく地方それぞれの運営主体の考えとか、私立学校なり公立学校の設置者の主体がいろいろ自由に考えられるとか、あるいは運営者が自由に考えられるという、いろいろなことが可能になるような仕組みを何か考えていくと、おっしゃる魅力ある学校をそれぞれが考えるということなのだろうと思います。何かそういうことを柱の中に組み込めるとよろしいのではないですかね。 ありがとうございました。次回までに、今日いただきましたお話を取り入れさせていただきながら、あらあらの柱を1回構成してみて、次回御提示する。それは本当のたたき台にするように努力してみたいと思います。木村副会長とも御相談しながらやってみようと思います。 それでは、後半の議論に入りたいのですが、今の柱立てを前提とした上で、先ほど委員の方々が整理してくださったのですが、資料1の「二」章の「1」番と「2」番が教育の目的といいますか、教育改革の目的と言ってもよろしいと思いますが、にかかわることだと思います。「3」番以降は、それを実現するための手段の中の幾つかがピックアップされているという書き方にどうもなっているようだということでありまして、「1」番と「2」番の部分は、これをたたき台として、この範囲にとどまらず、もっと広くお考えいただいて結構でありますので、資料2以降に、学力の向上という問題と人間性の涵養といいますか、この問題について、これは明らかに日本のこれからの教育改革で必要なことだと思いますので、幼稚園から大学、大学院に至るまでのすべての段階においてどう考えたらいいかということで、今日は御議論をいただければありがたいと思います。 資料としては、資料2以降にいろいろな資料をつけて、先ほど説明が終わっておりますので、御参照いただきながらお願いしたいと思います。既に委員からは高等学校ではなくて、中学段階で国際語については使えるようにするべきであるというお話もありました。どうぞひとつよろしくお願いいたします。 |
| ○ | 資料2に関して意見を持っているのですが、今、英語の問題がだいぶ問題になりましたよね。英語の前に、日本語でちゃんと表現できないやつが多いので、僕は自己発言能力の涵養なんていうのが重要な問題になると思ったけれども、どこにも入っていないのでね。あるいは、当然だから入らないのかという気もしますが。外国へ行って、ゼミに出てもいいし、クラスに出てもいいし、講義してもいいのですが、連中は、欧米人を含めて、アジアの人も含めて、極めてディベートに長けていますよね。だから、英語をやる前に、自国語でちゃんとお互いのコミュニケーションができる能力がないのですよ、日本人の学生は。この間、たしかソルトレークシティで選手が、感想を言わしたらだれも言えなかったというのでしょう、通訳がいるにもかかわらず。ところが、他国の運動選手はとうとうと自分のいろいろなことを言ったと。ああいう人前でしゃべるという訓練がないのですね。今後、国際社会に出ていくときにゆゆしき事態だと、かねがね思っているのです。 だから、英語の前に、まず自己発言能力というのは、語学にかかわらず、人前でちゃんと正確に自分の意見を言うというものが、当たり前だから書かないのかなという気もするけれども、現状を見ると、そこはゆゆしき事態だと学生を見ながら思っているのです。 もう一つは、後半のほうの「2」に入るのかもしれませんけれども、今、新聞やなんかでも21世紀に入って、日本が非常に混乱していますから、日本人いかに生くるべきかという形の問いが随分出ているのです。そこで、新渡戸稲造の『武士道』が再度議論されているということもあって、言うなれば義であるとか、仁であるとか、礼であるとか、あの種の基本的な道徳律が再度見直されている時期なのです。だから、そんな古くさい言葉は全然使う必要はないし、単にモラルと言ってもいいし、道徳と言ってもいいし、あるいはここにもその種の議論はだいぶ入っているのだと思いますが、いかに生くべきか的なガイドライン的な、ガイダンスみたいな、方向みたいな、そういうのが必要ではないかと思っているのです。どういう形で入れるか、具体的なものはありませんが、再度そういうことを議論する時期ではないかという気はしますがね。以上です。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 実は今朝、委員のお一人から、昔の小学校の1年生の国語の教科書の復刻版をもらったのです。改めて見てハッと思ったのですが、1ページ目は「ハナ」なのです。2ページ目は「ハト」「マメ」なのです。「ハナ」「ハト」「マメ」なのだけれども、その次のページは、いきなり「ウシガイマス」「ウマガイマス」なのです。そこへいきなり飛んでいるのです。まだ「アイウエオ」を全部教える前に、「ハナ」「ハト」「マメ」の次は、いきなり「何々がいます」という言葉を教えているのです。今はどうなっているのですかね、国語の1年生の教科書は。考え方としてね。全く違う教科書だったな、いい教科書だったなと思いながら、今朝いただいたのです。どのように考えたらいいですかね。先ほど委員がおっしゃった表現力の問題ですが。 |
| ○ | この30年ぐらい、あるいはもちろん50年、60年前は当然ですけれども、5歳児、6歳児の言語能力は全く違うのです。発達加速前現象とか、発達前傾現象というのですがね。ですから、例えば私が小学校に入ったころは、9割が初めて平仮名を習った。今は田舎であっても、ほとんど全員が既に読み書きできるのです。そういうことを踏まえて、実はそういうのもいろいろなデータがあるのですが、これが国の行政に本当に反映しているかどうか。戦前に比べれば2年ぐらい早くなっていると言っていいのです、5歳児、6歳児は。これは数的な能力もそうです。それから、道徳判断もそうです。いわゆる結果道徳から動機道徳に変わるというのですけれども、それはいいのですけれども。したがって、言葉の教え方、あるいは自己表現のさせ方も随分変わってこざるを得ない。 今、確かに委員がおっしゃるように、まだまだ日本の若者のあれは弱いかもしれませんが、今、小学校や中学校でどれだけディベートの活動が入ってきているか、あるいはこれは社会科、国語だけでなくて、ほかのところでもどれだけやってきたかということも、わかっていただきたい。なぜわかっていただきたいかというと、これを踏まえてね。しかし、もしもっと進めるべきだということであれば、今やっていることを抜本的に前進させるような手法なり、時間数なり、何かなければだめなのです。今やっていないわけではないです、随分やっているのです。自己表現とか、自己主張とか、ディベートのあれはね。その辺も考えなければいけないと思います。 もう一つは文化の問題がありまして、例えばインドでも、中国でも、あるいは欧米でも、心理学では外罰的と言うのですが、外罰的な文化なのです。外の人に自分の意思を押しつけるという文化なのです。日本の文化は内罰的で、内側に受けとめて、その中で咀嚼してというのが伝統的にあるわけです。そういう文化の問題を踏まえないで、欧米と同じようにとか、インドとか、中国と同じように、自己主張がといっても、それは言うのは簡単ですけれども、ほぼ無理だろうし、また、やってみたって意味があるかどうか。日本人の自己主張の仕方があるわけです。欧米の方ではない、あるいはインド人ではない、中国人ではないというね。自分の意思の通し方というのがね。内罰的な文化と外罰的な文化の違いということが、しかもこれは5年、10年の話ではなくて、これは何百年続いてきた話ですから、この辺も考えなければいけない。 したがって、この辺の問題は、結論的に委員がおっしゃるのは私はよくわかるし、ぜひいろいろな場で自分を表現する人が出ないといけないとは思いますけれども、よほど考えなければいけない問題だと思います。 |
| ○ | 国民性の問題ということですよね。確かに私もそう思いますね。ただ、国際化し、国際社会がこれだけ広がって、グローバル化されちゃうと、やはりグローバルスタンダード的なある基準が出てくるのですよね。国際会議に出ても、いろいろな交渉をしても。となると、従来のやり方で日本人的に、引っ込み思案的に、あるいは相手がわかってくれるだろうという形でやるスタイルで、わかってくれる人はいいのですが、大体わかってくれない人が圧倒的に多いので、これをどう変えていくか議論したほうがいいと思います。おっしゃるとおり、日本人と韓国人かな、講義しても、全然表面的に質問してこないで、後からこそこそ出てくるのは。そういう国民性はもう拭いがたいですよね。どこまでこれをやるかですけれども、僕はある程度おしりをたたいてもいいから、引っ込み思案という言葉はよくないかな、とりあえず堂々と自分の意見を言うような姿勢を小さいころから備え付けるという目標を持ってもいいのではないかと思うのです。 |
| ○ | その目標はずっと持っているのです。戦後ずっと言われ続けてきたことなのです。そして、おしりもひっぱたいてきているのです。 |
| ○ | 上がってないんだな、効果が。 |
| ○ | そして、そういう実践的なものも、小学校、中学校で随分やられているのです。私は反対しているのではないですよ。ですから、それをやるのだったら、新しい何かを打ち出さなければ、これは幾ら言ってみても意味がないということになる。全くナンセンスということになる。そこの論議をしなければいけない。 もう一つは、グローバルスタンダードというのは、欧米の一つの行動様式を日本がそのまま身に付ければいいおつき合いができますよという話ではないはずなのです。もしそういうことだったら、亡国の論なのでね、まさに。そういうことではなくて、日本の文化を生かしながら、新しい形で国際社会で貢献するにはどうしたらいいかということを論議しなければいけないので、日本と違うところにスタンダードがあって、それを日本人全部がそれに合うように大急ぎでやっていきましょうと。それは明治維新のときはそういう論があったのです。あるいは、大正ぐらいでも日本の国語をフランス語にすれば国際化できるって、志賀直哉も言ったわけですよ。結構な話なんだけれども。だから、言うのはいいのだけれども、実際の実効性を持つもの。 もう一つは、国際的につき合うということがどういうことなのか。アメリカ人やヨーロッパ人に、同じような形でおつき合いできますといって、拍手してもらうのが国際的につき合うことなのか、それとも違う形でやって、なおかつ一つの新しいコントリビューションの仕方が国際社会でやれるのか、ここのところは議論しておかないとどうにもならなくなるだろうと思います。 |
| ○ | 今の御議論は私も大事だと思いますけれども、やはりしゃべるとか、発信するとか、自己表現をする場合には、言うまでもないことですが、それだけの中身をその本人が持ってなければだめなのですね。ですから、私は英語がしゃべれるようになるというのも、その前提で申し上げているわけです。 そういうことからすると、この間の教養教育の在り方の答申でも、まさにそのことが出ているわけです。それから、英語指導方法の改善も、単なるテクニカルな改善ではなくて、日本語をどうするかとか、今言った国際社会で活躍する人のための英語と、もっと日本人全体の土台を上げるための英語と分けて考えていますし、その辺の議論を随分しているのです。本当にこれはさんざん議論した上で、まあ、タイトルは「英語指導方法等改善」ということで、それにはALTもたくさん入れるとか、そういうことを含めて、それから一貫性の英語教育ということもやっていますのでね。 文科省がせっかく答申を出すのだけれども、いろいろな答申が、次々に出るのではなくて、この間の教養教育なんかまさに同じ柱で組み立てていますので、そういうものをきちんとフォローアップをしていただいたほうがいいと思うのです。そうでないと、またいろいろ答申が出たかというだけで、みんな同じような中身じゃないかと見られることもある。ところが、最近出た答申はかなり違っていますよね。 |
| ○ | こういう会議でエピソードの紹介をするのは恐縮なのですけれども、今のお話に関連して、シンガポールのリー・クアンユーがよく言っているのは、日本という国はまず当分の間、国際社会においてリーダーシップをとれるような国になれないだろうと。理由は極めて単純に二つあって、一つは英語の能力と、もう一つは自己表現力、この二つである。これを直すのにたぶんツー・ジェネレーションはかかるだろうと、こうぬけぬけと言っているので、非常に腹が立った覚えがあるのです。 そうすると、日本人は性格が違うので、それで直らないかということで、極めて最近体験したことですが、韓国の人は日本と同じようなメンタリティ、育ち方をしている。私どもが七、八年前に、DVDの規格の話で韓国と台湾の方を集めてセミナーをやったのです。そうしましたら、セミナーの会場で、明らかに韓国の方と台湾の方と態度が違う。台湾の人は最前列からズラズラッと並んでいきます。韓国の人は、会場に入ってくると、周りを見回して、後ろのほうに席をとって、「あなたのほうが先輩ですから、どうぞ前のほうへ」と。真ん中が本当に空間ができちゃったという体験があるのです。 その体験が非常にインプレッシブだったのですが、去年の暮れ、同じような会議をやったのです。そうしましたら、韓国の人が全く変わっていました。これは一番最前列に出てきて、積極的に発言をする。韓国という国は、今度のIMF、98年以降、大変な苦難を通り過ぎた後で、国際会議に出てくる人たちの基本的な態度もやり方も全部変わっちゃった。しかも、同じ人がいるのです。その人が変わっている。 ですから、日本が変われないのではなくて、やり方によって、体験によって、人間は結構変わるものだなという気がして、それをあえて誘導できるとすると、その体験をどんな形で持てるかということ。これが教育の一つの側面ではないかという気がします。 |
| ○ | 話題が違ってしまうかもしれませんけれども、最初に事務局が問いかけてくださったのは大変大事なことで、資料2のこういうのでいいのかという話ですね。皆さんおっしゃっていましたけれども、また従来と同じようにいろいろなアイデアを出して並べて、それでいいの悪いので終わってしまうことが恐ろしいと思うのです。 私はここのところ、枠とか、そういうことを申し上げるのですけれども、根本的に物の考え方を変えるには、枠組みのところを変えて、その中で議論しないとなかなかうまくいかないと思うのです。ここのところについては、大きな目標の項目と、それを割っていったようなものと、もう一つは診断が必要だと思うのです。こういう計画を考えるときには、最初に診断ありきだと思うのですが、診断項目とか、診断の観点があって、それとのかかわりで目標を立てなければ、目標を立ててから診断というのはできないです。 そういうことを考えたときに、例えばというので、資料2の1ページで申し上げますと、先ほど委員が言ったように、「確かな」は除いて、「学力の向上」というのが一つありますね。それから、「一人ひとりの能力・才能の伸長」というのが二つ目にあります。3番目が「創造性の育成」です。これを三つに分ける必要があると思います。 「学力の向上」のところは、その下に、これはあくまで事務局がおっしゃるように例ですから、それでいいのですけれども、「1」、「学力とは」というので、「基礎的・基本的な内容の……」、これは「学力」ではなくて、「学力の向上」でしょうけれども、それは別として基礎・基本。それから、「自ら学び、考える力」というのがあります。 ところが、下をずうっと調べていったのですけれども、「(2)」の「自ら学び、自ら考える力を身に付ける」というのが、下の中に一つもないのです。「意欲」はあります。今日の御意見でも、学び方に関することが出ているのですけれども、ないのです。昭和56年の中教審のときも「学び方を学ぶ」というのが出て、それ以降、学校でやって、私どもも研究授業で引っ張り出されますけれども、ほとんどできていないです。なぜかというと、教師がこのようなことを習ってきてないから。知識をたたき込むことだけを教育学部の教員養成でやってきていますから、できないです。しかし、これからはそれがすごく大事なのではないかと思います。 先ほど診断項目と言ったのは、そのようなものを目標の大項目、中項目にしていきながら、例えば2枚目の最後に「指標について」というのがありますが、教育の場合には、数量的な目標値を設定できるものもあります。それから、目標値は設定できないのだけれども、経年的にわかってくるというのがあるのです。つまり、積み上げていって、どうなったと。これは指数でいくしかしょうがない。ある年を参照基準にして、翌年は150いったというように押さえるしかない。目標を数値では立てられないというのがあるわけです。3番目は、質問式のデータをとるしかない。意識とか何とかですね。4番目は、どうにも数量的に対象が把握できないというのもあるわけです。 それらを診断項目として考えながら、見ていかなければ、ここのところは従来どおりで終わってしまうという可能性があるわけです。ですから、枠を持ちながら、ここのところをどうするかというのを考えなくてはいけないのではないか。 それから、2枚目の「政策目標の実現のために取り組む施策の例」、これも例ですから、こういうのでよろしいかという問いかけだと思いますけれども、これと今の1枚目の政策目標の例を対応させますと、二つにも三つにもまたがるものがあったりして、わからないのです。それは対応ですから、一つのものが二つに対応していてもいいと思うのです。ただの対応でいいと思うのですけれども、それははっきり対応させていなければ、これと目標とが切れてしまうわけです。そこら辺のところで従来どおりという話になってしまうということがありますので、そういうものを考えていく。今いろいろ御意見がありましたけれども、そういうものを考えていく外側の枠をしっかり考えて、こういうのでいいのかということを検討しておかなくてはいけないのではないか。 私は、繰り返しますけれども、診断項目を最初に考えて、自己診断でいいと思うのです。これを5年なり何なりやって、あるいは途中でもいいのですが、場合によればいわゆる教育白書で発表してもいいですし、何も第三者機関で見てもらうなどとお金をかけなくてもいいと思うのです。絶えず国民の御批判をいただくというのでやっていけばいいと思うのです。それがないと計画にはならないのではないかと思います。以上でございます。 |
| ○ | これは政策目標として考える事項の例と、実現のために取り組むための施策の例というのが、それぞれ相対でということではないですが、トータルでは相互補完のものということでお考えになっておられるのだろうと思います。こういう目標を達成するのに、先ほど来議論になっています、例えば英語の問題でネイティブ・スピーカーの活用と小学校の「総合的な学習の時間」における国際理解教育の推進と書いてあります。それをどの程度、どういうレベルを予定してやるのかにもよるのでしょうが、率直に申し上げまして、高等学校を卒業すれば、英語で日常会話ができることを目指すという、このレベルさえこれで大丈夫なのだろうか、本当にそういうことができるのかなと、感じます。 「総合的な学習の時間」も“ドラえもん”のおなかになっていまして、この「総合的な学習の時間」であれもこれも全部やるみたいな議論がありますが、どれぐらいのことが小学校の「総合的な学習の時間」でできるのか。先ほど中学校云々のお話がありまして、お気持ちはよくわかるのですが、とてもではないなというのが率直な私の印象なのです。 そういう意味で、こういうことも含めましてターゲットを、それは全部大切なことが書いてあるのでしょうが、これから向こう5年ぐらいは何を一番のキーになるターゲットとしてやるのかというのも絞り込んで、それを徹底してやるためにはどういう手段があるのかというアプローチではないか。これは皆さんおっしゃることだろうと思います。 今、委員がおっしゃったことで、日本の社会が縄文的なものでずうっとやってきて、いろいろ壁にぶつかってきている。今、日本の社会が一番求められているのは弥生的なアプローチが求められているというおっしゃり方をする方がおられます。そういう意味で、それぞれの時代、時代の中で、たまたま今、ここ二、三年、閉塞感の強い時代だから、この二、三年の影響を過度に受けたらいけないのだろうと思います。その辺、今の50数年を経た戦後を総括しながら、これから来るべき5年、10年、あるいは20年、どんなことを力点として志向していくのか。これは議論すればいろいろな御意見があるので、合意が得られるのは難しいかもしれませんが、その辺の議論をぜひ一遍してみた上で、ターゲットをどう絞るのかということにする必要があるのではないか、そんなふうに思います。 |
| ○ | 諮問の御趣旨と違うのかもしれませんが、ちょっといただいた資料を見ていて妙なことに、ある意味では当然なのかもしれませんが、気がついたのです。それは例えば資料1で、先ほど私が申しましたように、「第二」のところで、学力と人間性というのが「1」番、「2」番に出てくる。これは対等の地位を占めているのです。 ところが、資料2になりますと、学力については政策目標の例としてずうっとあります。恐らくこれはあくまで例だけれども、いろいろな例の中のごくわずかだと思うのです。ところが、人間性のほうは、例が非常に少なくて、いっぱいある中のほんの少しということではなくて、かなりな部分を占めている。 それから、資料3―1が学力なのです。これはまた膨大な資料の中のほんの一部を抜粋しても、これだけの分量になるわけです。 ところが、資料3―2を見ますと、心の問題ですけれども、豊かな心って何かありそうですが、規範意識についての調査と、あと道徳教育に関する資料がここへ載っているだけなのです。あるいは、「3」番の「伝統・文化についての具体的な取扱い」というのは、学習指導要領にこう書いてありますということと、あと部活動でこれだけのパーセントの生徒がお茶やお花を学んでいますと、これだけの資料なのです。 これは何を物語るのかというと、やはり学力については、行政機関も、学者さんも、マスコミも、あらゆる角度から議論をし、データをそろえ、議論してきているのです。蓄積がものすごくあるわけです。ところが、「2」番の心とかなんかの問題については、先ほどタブーというお話がありましたけれども、ほとんど議論をしたくないというか、しないというか、そういう雰囲気の中で、何か議論をすると道徳教育というだけで絡げちゃって、あるいは伝統、あるいは文化を尊重しようというスローガンで片づけてしまって、それから先へ進んでいないということを物語っているという意味合いもあるのだろう。この資料だけからは言えませんけれども。 そこで、もちろん基本計画ですから、先ほどの言い方と矛盾するかもしれませんけれども、ある程度網羅的になるのは基本計画ですから、やむを得ないと思いますが、もう少し従来以上に心の問題等に踏み込んだ、単に道徳ということでとらえただけでなくて、もう少し踏み込むとか。変な例ですけれども、江戸時代の庶民、あるいは明治の人たちと、現代の日本人と比べてみると、学力差は、平均のレベルでは圧倒的な差があるわけですね。では、心の問題、規律の問題、あるいは日本人としてのアイデンティティに関する意識の問題を比べたら、昔のほうがきちんとしていたのではないだろうか。むしろそういう意味では現代は退化しているのではないかという気がいたしますので、そういう視点も、会長の御諮問に答えていないかもしれませんが、大事ではないかと思います。 |
| ○ | 学力の向上と人間性の育成という二つの基本目標があるわけでございますが、いずれも極めて望ましいことが書かれているわけではございますが、これがどこまで達成できるか。これが言いっ放しだといいのですが、到達目標をつくって、数値目標がどれだけ達成されたか測定するというのですから。そうなりますと、先ほど委員から七五三の話が出ましたが、あれは随分昔の話ですが、いろいろな調査を見ますと、今も相変わらず七五三だと思うのです。そうすると、なかなかこれも達成が難しい。 ですから、柔軟な学校システムの実現とか、いろいろな話がありますが、今の9割以上が高校に行き、5割が大学へ行っているという前提が崩れるのかどうか。つまり、学校システムをもう少し複線化するとか、あるいは選抜、原級留め置きをもっとやるとか、そういうことが前提になっていれば、この目標でいいと思うのですが、前提条件が変わらない限りは、理想論だと思うのです。 人間性のほうも、これは人間性というよりも、何か神性みたいなところがありまして、人間性というのはもっと獣的なものもあるわけで、また、もっとおもしろおかしいこともあるわけですが、これは極めてストイックな、豊かな人間性というよりもストイックな人間性だと思うのです。私が親しくしていた教授が週刊誌に女性問題を書かれまして、そのときに私におっしゃったことは、我々学生のころ、例えば河合栄治郎先生がいろいろ風評が立った。そのころは、そういうことは、「あの先生は人間味があるといって評価された」と。いかに時代が変わったかということを、私に酒を飲みながらおっしゃったことがあります。豊かな人間性というのはそういうものも含んでいるのではないかと思われますけれども、ここにはそういうものが全くないわけで、極めてストイックな人間性が書かれているわけであります。 これはこれで結構なのですけれども、果たしてどれだけの人間がこういった目標を達成できるかということを考えませんと、これを数値目標を設定して、結果を測定するというのは大変なことである。しかも、期間が5年か10年ですから、これは大変なことではなかろうかと思います。やはり結果を予測してから、目標を考えたほうがいいのではなかろうかと思います。 |
| ○ | 鳥居部会長 たびたび申し上げていますように、総会で議論して、ここへ持ってくるというやり方をとっていますと、総会のほうは、これは部会でやってくれるだろうと思って、部会でやってくれという感じでおしまいになってしまう。ところが、部会のほうは、総会でやっていると思ったり、あるいは逆に総会で議論していることを知らなかったりというのが幾つかありまして、私は両方を見ていますので、気になることがたくさんあるのです。 時間がありませんので、一つだけ、もし御意見があったら伺いたいのですが、資料集の一番上に「第16回」というのがありまして、その「第16回」の一番最後、つまり、第2回部会のすぐ手前のところを2枚繰っていただきますと、絵が出ています。絵が3枚か4枚ありまして、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス等の学校制度なのです。これは実は前回の総会では、この絵はみんな見ているわけです。ただし、議論していないのです。なぜかというと、総会では、どうせこの部会へ持ってきてやるだろうと思っているから、議論してないのですね。 この問題、つまり、6・3・3・4とは一言で言いますが、実はそれはよその進んだ国、あるいはいろいろ苦労してきた国では、いろいろな形で複線化されているわけです。複線化されている状況を、日本は単線化してしまったまま50年きた。50年の総括ということをしきりと委員は言ってくださっているのですが、ここのところはどのように触れていったらいいか。一言でも御意見をいただければありがたいのですが。 |
| ○ | 先ほど会長が、基本法と現行制度とのいろいろな歪みといいますか、関係についてというのとも関連すると思うのですが、教育基本法で義務教育は9年とするという規定があります。これが今までそう目立った議論ではないのですけれども、学制について議論をしようとすると、ここでとまっちゃうのです。つまり、何か議論しても、「これは教育基本法を改正しなければなりません」と言うと、今までのあれだと、「あ、それじゃ無理だ」ということで、議論がストップという嫌いがあったと思います。そういう意味で、学制をどうするかということとはまた別として、少なくとも議論をそこでストップしちゃうような規定は考えたほうがいいのではないかと思いますし、義務教育も、今、複線化というお話がありましたけれども、人によって違うという考え方だって―私は必ずしもそうも思いませんけれども、あり得るだろうと思います。そういう意味でも、9年というふうに固定した考えた規定はどうだろうかと思います。 |
| ○ | 諸外国と日本と比べて、日本が単線かどうかというのはなかなか難しいと思います。もう中等学校ができていますでしょう。あるいは、高校じゃなくて、高専に入って、大学の3年次から入るというのを、今、随分やっているわけですわね。あるいは、大学に入るのも年限が引き下げられるようになった。大学院に行くのも年限が低くなった。だから、あまりここのところの複線ということを目標に論議しても、あまり意味がないのではないか。 それよりは、昔の話になりますが、46答申、昭和46年中教審答申ですが、あのときに言われたのは何かというと、子どもの発達の現実と学校の器としての年限がうまく合ってないじゃないかと。先ほどちょっと言いましたけれども、例えば、4歳、5歳の子が幼稚園へ今はほとんど行っているわけですが、この子たちにやらせるべきかどうかというのは別ですが、やらせれば、少なくとも5歳児から、今、小学校1年でやっているようなことはやれるわけです。既にイギリスでは5歳児からやっているわけです。それをどう考えるかということ。 あるいは、幼稚園の年長、つまり、5歳、6歳、7歳というのは、いろいろな意味で発達的につながっていましてね。認識能力でも、道徳判断でも。ところが、小学校の5、6年というのは非常に違っているわけです。指導法を同じにしてはいけないのです。5、6年と中1がつながっているわけです。中2あたりが一つの過渡期になって、中3から高校はつながっている。これは既にたくさんの資料を添えて、46答申でも指摘されていて、その後、文部省も研究開発ということで随分お金も出して、その辺の資料をいろいろなところから集めて整理をしたという経緯もあるわけです。 例えば、そういう発達の現実ということと、学校の括りが齟齬を来している。一番大きいのは中学校3年間です。あれは思春期発達に対応するためにもともとはできたあれなのです、アメリカでも。これはどういうことかというと、児童期というように、小学校のときはあまり体も変わらない、安定しているわけですけれども、1年に10センチも大きくなるような思春期発達の時期をどこでカバーするか。これが中学校だったのです。今や中学校に入る段階で、ほとんど女の子も初潮がきていますし、男の子も声変わりがしている。ものの考え方が変わっているわけですわね。 例えば、そういう原理的な論議をして、データを添えてやらないと、この問題は、みんな思いつきをね。私はこの前、総会でも申し上げましたが、思いつきで「こうやったらどうでしょう、おもしろいじゃないですか」「どこどこではこういう例があります。おもしろいじゃないですか」という四方山話を集めて、噂集みたいなものを、結局、答申という形で出すことになってしまうのではないか。やはり原理的なきちんとした論議と、それを裏づける資料がないと、特に学校制度というのは極めて重大な問題だと思っているのです。軽々にこういうおもしろい話を、というふうにはいかないのでないか。もしその気に皆さんがなられれば、そういうことを裏づける資料は、今からでもいろいろと集めて整理することができるだろうと思います。 |
| ○ | 全く委員のおっしゃるとおりだと思いますが、46答申ですから、30年前にある程度結論が出ているのです。ただ、学校制度は国の問題であると同時に、設置者の問題がある。なぜ46答申ができなかったかという一つの原因は、私立幼稚園の問題で、この手当てをしないと、そこでブロックされてしまうのではないかと思います。だから、制度の問題と設置者と関連づけて考える必要があると思います。 |
| ○ | 鳥居部会長 ありがとうございました。 まだいろいろ御議論は尽きないと思いますが、今日はここまでにさせていただきます。次回はいつでしたか、アナウンスしていただけますか。 |
| ○ | 事務局 次回でございますけれども、資料6でございます。 基本問題部会第4回は、3月29日(金)午後2時~午後4時までということで、場所は同じこのフロラシオン青山でございます。 |
| ○ | 鳥居部会長 そういうわけで、3月29日まで2週間ほどありますので、今日いただきましたお話を整理させていただきまして、新しく少しバージョンアップした柱立てをつくって、御審議をいただくことにしたいと思います。今日は随分新しい視点を出していただきましたので、それらを盛り込みたいと思っております。 また、途中でお気づきのことがありましたら、事務局にメモやなんぞで、事務局に声をかけていただければ大変ありがたいと思います。よろしくお願いいたします。 本日は、どうもありがとうございました。 |
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