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鳥居部会長 それでは、ただいまから中央教育審議会の基本問題部会第2回を開催させていただきます。
皆様、大変お忙しいところを御参集賜りまして、誠にありがとうございます。
今日は、これからの審議の二つの柱であります教育基本法と教育振興基本計画、どちらかというと教育振興基本計画のほうにウエートを置きまして、その中で教育の目標、それから教育改革の基本的な方向をどのように考えていくかということについて、御審議をいただきたいと思います。
初めに、事務局に資料の説明をしてもらいたいと思います。よろしくお願いします。
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事務局 まず、資料1でございますけれども、教育振興基本計画を考えます際に、そのイントロといたしまして、今後の人材養成あるいは教育の目標についてどのように考えていくかということで、前回御議論いただいたわけでございますけれども、前回の御議論を踏まえまして、教育の課題というもの、それから今後目指すべき社会、その二つの観点から考えて、21世紀における教育の目標をどのように考えたらよいかということを整理したものでございます。
前回、教育の置かれております緊急の課題に対する対応が必要という御意見、それから教育の目標を今後考えていく上において不易な部分、それから社会の要請にこたえていく部分、その二つの観点から整理したらどうかという御意見等がございまして、それを踏まえて作成したものでございます。
左がまず現在の「教育の課題」ということで、子どもあるいは社会が置かれている問題ということで書かせていただいております。これは中央教育審議会の答申でございますとか、いろいろな答申等で触れられている部分も多いわけでございますけれども、人間関係をつくる力とか、社会性が弱いとか、あるいは権利と義務、あるいは責任といったバランス感覚や規範意識が希薄化している。苦しみに耐える力とか、欲望を抑える力、他人への思いやりが不足といったような点。これは子どもたちについて言われているところが多いところでございます。
あるいは、社会全体につきましても、下のほうの三つ目でも、物質的豊かさ、あるいは社会経済の急激な変化の中で、社会の目的・目標が失われているとか、あるいは社会を牽引するリーダーが不足している、あるいは家庭や地域の教育力の低下といった点が指摘されているところでございます。
また、学校あるいは教育行政の問題点ということで、社会の変化に柔軟に対応できないとか、横並び意識の問題、あるいは改善のための努力を促すようなシステムとか、評価システムが不足しているのではないかといった問題、あるいは大学の閉鎖性、教える機関としての大学が機能していないといったような点が指摘されているところでございます。
これに対して、これまでの教育の成果ということで、経済水準の向上とか、あるいは進学率が上昇している、あるいは教育の著しい普及ということで、戦後の教育の機会を達成して、全国的に一定水準の教育内容、方法、あるいは教員の質も確保してきたというところは評価されているところでございます。
それから、将来的に目指すべき社会ということで、ここでは持続的に発展し、世界をリードし、世界に貢献できる国ということをまとめてみましたが、前回の資料等いろいろなところから社会の目標をここにまとめてみたものですけれども、各個人が能力・個性を発揮できる社会、あるいは新しい挑戦が可能な、頑張りがいがある社会、あらゆる時期に学ぶことができ、評価されるような生涯学習社会といった個人としての目標。
社会の目標としまして、活力ある高齢社会、男女共同参画社会、あるいは循環型社会、安全で安心して暮らせる社会、国際的競争力のある社会、あるいは科学技術、ITといったもの、あるいは文化、芸術の香り高い国づくりといった点が挙げられているところでございます。
このような現在の課題、それから将来の目標をあわせまして、今後の普遍的な教育の目標ということで、自律心、公共の精神の育成、あるいは豊かな心、健やかな体、伝統・文化を尊重する態度、基礎知識・基礎学力の習得、個性、才能を伸ばす教育といったものを挙げてございます。
それから、今後の21世紀の社会の変化にこたえる教育の実現ということで、創造性に富んだリーダーの育成、柔軟な学校システム、学校や教員への評価とその反映、国際競争力のある大学の実現、大学の教育機能の強化、教育における国際化・情報化、科学技術・理科教育の推進、家庭や地域の教育力の向上、個人の生涯を通じた体系的な生涯学習システムの整備といった点を挙げたところでございます。
資料2―1、2―2は、そのバックになるような資料でございます。
資料3でございますけれども、今後検討してまいります教育振興基本計画の柱立てということで、前回お示ししたところでございますが、特に「第二」の柱でございます「教育の目標を達成するため総合的かつ計画的に実施すべき施策」というところに、資料1の教育の目標というところの真ん中に掲げられてあります事項をおおむね盛り込みまして、柱としてみたというものでございます。
| 一つは、 |
「確かな学力の向上」ということで、この面では基礎学力の問題とか、個性、才能とか、創造性の問題。 |
| 2番目は、 |
「豊かな人間性」ということで、心と体、それから伝統・文化とか、公共の精神の尊重の問題。 |
| 3番目に、 |
教員の問題。 |
| 4番目に、 |
柔軟な学校システムの問題。 |
| 5番目に、 |
国際競争力のある大学づくりという点。 |
| 6番目に、 |
教育の国際化・情報化の推進。 |
| 7番目に、 |
家庭や地域の教育力の向上、あるいは学校と家庭、地域の連携といった点。 |
| 8番目に、 |
生涯を通じた体系的な生涯学習システムの整備を柱として整理したもの |
でございます。
前回、教育白書の項目みたいだということもございまして、先ほどの資料1の教育目標と対応させた形で柱をつくったものでございます。
右側に「※」印でつけておりますけれども、「1」と「2」はどちらかといいますと、教育の内容とか、方法といった問題。
「3」番目の柱が、人の問題。
「4」番目が、教育のシステムの問題。
「6」番目や、高等教育等、すべてにかかわりますけれども、そういうものを実現するための施設設備といったハードの問題になろうかと思います。
「第三」の「施策を推進するために必要な事項」というところで、こういうことを実現するために必要な教育投資の在り方、それから国、地方公共団体の役割といったところで支えるという構造になると考えております。
以上が教育振興基本計画についての一応の柱立ての素案ということでございます。
あと資料4―1、4―2でございますけれども、これは諸外国でどういう形で教育改革について取り組んでいるかを、簡単に概要をまとめたものでございます。
資料4―1は、A3の横長のペーパーでございますが、一番上が「背景・経緯」というところでございますけれども、主にアメリカでみますと、国際競争力の低下に対する憂慮とありますように、これは20年前の話でございます。1980年代に、アメリカ、イギリス、あるいはフランス、中国、韓国等がそういう状況にあったということでございます。アメリカ、イギリスで見ましても、学校の荒廃とか、学力の低下というところが非常に大きい問題になったわけでございます。
アメリカで見ますと、1983年に連邦教育長官の諮問機関が「危機に立つ国家(Nation at Risk)」というレポートを出しまして、それ以降、レーガン政権からブッシュ大統領になりまして―今の大統領のお父さんのほうのブッシュ大統領ですが―ブッシュ大統領が1989年には、全米州知事による教育サミットを開いたりしまして、そこにアーカンソー州知事として参加したクリントン大統領が、さらに教育改革の方向性を引き継ぎまして、1994年には連邦の教育改革法をつくったりしました。それ以降、「目標」のところにありますように、学力を引き上げる、あるいは教育の質の向上ということで、いろいろな手を打ってきております。
初等中等教育という欄が下から二つ目にありますが、「教育スタンダード」をそれぞれの州で導入して、学力試験を実施する、その結果を公表する。あるいは、学校の選択制度を導入しまして、親が学校を選べるということで、アカウンタビリティを高める。あるいは、公立学校の刺激策という形でチャータースクールというものが導入されるという動きがございました。あるいは、社会の変化の中で、子どもたちの社会性が非常に失われている。暴力が多いとか、あるいは麻薬の問題とか、いろいろな問題がありまして、公民教育を重視するという方向がアメリカでも出てきております。
イギリスでも同様に、1970年代、いわゆる「英国病」と言われたような時代があったわけですけれども、1979年にサッチャー政権が誕生いたしまして、親の学校選択を広げる、あるいは学校に対する権限を移譲するという形での教育改革を進めまして、1988年には教育改革法を成立させまして、この中で、全国共通カリキュラムを導入することを決めたことと、全国学力テストを実施するということを決めたわけでございます。
下から2番目に「初等中等教育」というところがございますけれども、「全国共通カリキュラム」の導入、全国テストの実施、あるいは学校別の成績一覧表を公表する、親の学校選択の拡大、あるいは公民教育の充実といったところがポイントとなっております。
フランスでも、1970年代、基礎学力の不足の問題、若年の失業率が高いということがございまして、それ以降、教育水準を向上させるということで、下から2番目にありますようないろいろな施策がとられてきているところでございます。
中国は、特に1966年から1976年に文化大革命がございまして、その影響が非常に大きくて、それに対して学力を向上させるという政策を打ち出しているところでございます。
各国も1980年代、特に初等中等教育での学力が低下している。今後、来るべき情報化社会に備えて、国民の学力を上げていかなければならない。例えばブレア首相ですと、21世紀というのは知識社会(ノレッジ・ベースド・ソサエティ)であるということで、知識を基盤とした社会の中で成功するためには、学ぶことに対する全く新しい態度で、親、学校、政府が臨む必要があるということで、教育重視という施策をとってきたわけでございます。いずれの国でもそういう形での教育改革に取り組まれているという状況でございます。
資料4―2でございますが、具体的にどのような形で教育目標のようなものを掲げて、各国で教育改革に取り組んでいるかという最新の幾つかの例を挙げたものでございます。
初めがアメリカですけれども、アメリカは2ページ、3ページ目にありますけれども、これはブッシュ大統領が昨年の1月、大統領になりまして、そこで落ちこぼれといいますか、一人も取り残される子どもをつくらない(No
Child Left Behind)という政策を掲げまして、学力の差の縮小、あるいは読み書き能力の向上、あるいは成功に対する報酬と失敗に対する制裁、親に対する情報提供と学校選択の拡大、教員の資質の向上といったものを掲げたところでございます。
3ページ目でございますが、こういう政策を実現するために法律を提案いたしまして、それが昨年12月に国会で通りまして、今年の1月8日に大統領が署名することによって成立したというのが、3ページ目の「No
Child Left Behind Act of 2001(落ちこぼれを作らないための初等中等教育法)」というものでございます。教育はアメリカの場合、州の専管事項ですので、連邦政府が行うのは、州が「これをやりましょう」と言った場合に、それに対して補助金を出すということでございますけれども、実際にはすべての州がこれを受け入れてやろうという状況になっていますので、法律に掲げられたことはすべての州で実施されていくという流れになっております。
一つは、学力テストの実施と結果の公表ということで、第3学年(小学校3年)から中学校2年まで、英語と数学について州の統一テストを実施して、その結果を公表しようというものでございます。
あるいは、「 」番目で、教育の成果が上がらない学校に対する措置も考えられておりまして、2年連続で成績が上がらなかった公立学校の場合、生徒がほかの学校に転校できるとか、あるいは4年連続で上がらなかった場合には、教職員を総入れ替えしようとか、そういう措置をとるようにということも入れられております。
4ページ目からはイギリスでございますけれども、イギリスの場合、現在、ブレア政権で、労働党政権でございますけれども、サッチャー政権以降とられてきた方向性を大体承継しております。ブレア政権になりましてから、2001年10月に「教育と技能:成果の達成、2006年への戦略」というものを公表いたしまして、教育の目的といたしまして、競争力のある経済と社会参加を実現することを一つの大きな目標に掲げて、そのためにすべての者が学べる機会をつくる。自己実現のための可能性を引き出す。教育水準と技能レベルの向上を果たすという目標を掲げまして、そのために具体的に何をするかということで、まず小学校段階、その次に中学校段階という形で、それぞれの目標を書いております。
例えば、「目的1(フェーズ1)」は、一番下にありますように、「レベル4」という小学校段階の全国共通テストで達成すべき目標を、英語で80%、数学で75%の子どもが達成するという数値目標等も掲げております。
また、「目的2」でございますと、1枚めくって5ページ目でございますが、一番下のところで、2007年に、14歳の段階で、「レベル5」以上を、英語、数学、情報教育で85%、理科で80%の生徒が達成するようにしようということです。
あるいは「フェーズ3」で、一番下にありますが、2010年には、18~30歳の50%が高等教育を受けるようにしようといったような目標を掲げているところです。
7ページ目は、フランスでございますが、フランスは1989年、ジョスパン法という法律の中で、今後10年、つまり2000年までに同一年齢人口、18歳人口の80%をバカロレア水準に達成させることを目標とするということを掲げています。あるいは「2000年のコレージュ」ということで、中学校についての改革計画をつくっておりますが、個別指導体制の確立、あるいはフランス語、外国語の強化、あるいは合科活動―これは「総合的な学習の時間」のようなものですけれども、こういうものによって、子どもたちが総合的な学習ができるようにする。インターネットの促進、あるいは公民教育の充実といった点を掲げております。
中国もございますけれども、御覧いただければと思います。
いずれにしましても、ここで掲げておりますのは諸外国が教育改革の目的としているところでして、20年前からこういう形でやっているのですが、まだ似たような目標を掲げているというのは、教育は、やったからといってすぐ実現できない課題も多いものであるということと、さらに非常に難しいと感じているところを課題として挙げておりますので、ここに書いてあることはそれぞれの国にとっても目標でございまして、その課題のために、今、さらに進行形で改革に取り組んでいるという状況でございます。
以上でございます。
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鳥居部会長 今いろいろ説明していただきました資料を、お手元で御覧いただいたと思いますが、諸外国それぞれに教育基本法と呼ぶべきもの、あるいは教育改革基本法と呼ぶべきもの、いろいろなものをこの20年ほどの間に次々と世に問うてきた歴史がございます。日本の場合には、御存じのとおり、戦後57年たちますけれども、教育基本法の成立からは55年たちますが、その間、こういったたぐいのものは、教育基本法に関してはそのままずっと続けてまいりましたし、それから今回策定しようとしております教育振興基本計画は、今までまだ一度もそういう形ではつくったことがない。ただし、様々な審議会の答申を通じて、その時代、その時代に必要な改革は行ってきたということでございます。
今説明してもらいましたように、いろいろな切り方ができると思うのですけれども、何といいましても、我々が今直面している一番大きな問題の一つは、日本という国の全体としての共通理解になるであろう国家目標といいますか、そういうものをどのように掲げていったらいいのか。それは教育基本法や教育振興基本計画にどのように盛り込み、表現していったらいいのかというところから考えていかなければならないという問題が一つあります。
2番目には、現実の問題として、これは日本だけではありませんけれども、いつの間にか学校教育の荒廃の現象が広がってきて、日本はそれがとりわけこの数年、深刻な問題になってきております。
同時に、単なる学校の荒廃だけではなくて、学力の低下とモラルの低下という現象が起こっております。
それから、システムといいますか、学校制度ですね。かつて明治5年には学校の制度を短くして学制と呼んだわけですが、その学制なるものが今日では6・3・3・4という制度になっておりますけれども、それがこれからの新しい時代に果たしてどんなものかということも御審議をいただきたいと思います。
それから、教育の基本的な考え方として、かなりの程度地方分権をするという考え方で公教育は行われてきておりますけれども、そこのところをこれからどのように考えていったらいいかという基本的な問題があります。福澤諭吉は『分権論』という本の中で、教育はどちらかというと地方分権に任せるべき事柄の中に分類しています。さはさりながら、全部を地方分権化してしまうのが本当にいいのかどうか、今まで地方分権の教育のもとでも、文部省が果たしてきた役割がありました。また、我々中央教育審議会が果たしてきた役割もありました。そこのところの切り分けをどのようにしていくかという問題がございます。
それから、教員の養成の問題も、つい先週、答申を出したばかりでありますけれども、ここにもまた様々の問題が累積しておりますので、答申が1回出てはおりますが、当部会としてはさらに御審議を続けていただくのは一向に構わないと思っています。
それから、資料3にありますように、右のほうを見ますと、今申し上げましたようなことを、「※」印で、「教育内容」「教育方法」「人」「システム」「ハード」という言葉で呼んでいますけれども、それらのそれぞれの問題について、とりわけハードについて言いますと、長い間に随分古くなってしまった校舎があちこちにたまり始めておりまして、いわゆる老朽化校舎問題、さらにはその老朽化校舎をただ建て直すのではなくて、中におさめるべき様々の施設は最先端のものでなければならない。子どもたちが自由に、子どものときからコンピュータに取っつくという時代になっていますので、そういうものが十分に装備された新しい時代の教育施設というハードを考えていかなければならない。いろいろなことがあろうかと思います。
今日は、事実上の最初のフリートーキングになりますので、御自由に御審議をいただければ幸いでございます。どんな切り口からでも結構でございますので、よろしくお願いいたします。
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今後、スケジュールの関係でなかなか出られないかと思いますので、申し上げたいと思います。
今まで教育基本法などにも書かれている中で、なかった言葉は「参加」あるいは「参画」ということではないかと思っております。教育というのは、今までどちらかというと教育委員会、学校というような、ある一つの専門領域のところでやるものと受けとめられておりましたけれども、それは高度産業化社会の中で、その方々の専門にゆだねるというところは、依然として強力なのですけれども、これだけ情報化社会になってまいりますと、気づくことがいろいろございますし、それから改めて本質的なことを考えると、様々な人々がかかわって教育というのはなるものだなということをつくづく感じるわけでございます。
前回の御意見のレジュメなどを見ましても、市民社会として経済界に求めることも必要という御意見も出ておりましたけれども、今、実際に経済界がボランティア活動に支援するということも盛んでございますが、こういうところの支援も必要ですし、昨今よく指摘されております地域社会も、それから、まず一番考えなければいけないのは、家庭そのものが学校にすべてゆだねるという形になってきておりますね。その辺のところを一番考え直すことが、一つ大きなポイントとしてあるかと思っております。
もう一つは、たぶんやり方が変わってくるのだろうと思いますけれども、その評価をどうするかということですね。評価のシステムについては指摘があるのですが、評価そのものの研究というのは日本では非常に遅れているのではないかと思います。どう評価するのかということによって、教育の現場は変わってくると思いますので、ここが「生きる力」とか何とかいいましても、結局は何を知っているかということをテストするというのでは、現場は困ると思うのです。変わりようがないという。どういうことを評価するのかというところが示される―研究はしていらっしゃるのだと思いますが、もっと示されるべきだと考えます。
また、評価というのは、どういうことが力だと。これからいい社会というのは、環境に優しい循環型経済社会とか、これは目的と手法がかなり重なり合ってきているわけですけれども、活力ある高齢社会とか、そういう目標に対してどういう人々を育てるのか。そのことに対してはどういう学力、能力を培えばいいのか。そのことについてももっと言及する必要があるかと思います。
今、学力についても、私が感じますのは、暮らしていくことの基礎・基本の学力と、それから学問をするための基礎・基本が若干ごっちゃになって論じられている。大学の先生方からの御発言の学力低下というのは、学力の高い大学の研究者としての学力のことをおっしゃっていらっしゃるのかなという感想も持ちます。そのようなところもきちんと論議を仕分けていくべきであろうと思います。
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鳥居部会長 ありがとうございました。
今、三つほど大事な論点を出していただきましたが、一番最初におっしゃった「参加」という言葉で言い出された問題点は、いろいろな問題を実は含んでいると思います。経済界のフィランソロピーという考え方から出発して、ここ10年ほど経済界のコントリビューション(貢献)というのは何なのかということを考えてきましたが、最近では経済財政諮問会議をはじめとする、何々国民会議とか、何々会議という、主として官邸に位置づけられている会議の中で議論されるようになってきた問題の一つが、一旦税で集めた国民のお金を、政府の行政の責任で実行に移していくだけではなくて、例えば寄付減税というようなものを用意しておくと、国民が自分はここに参加をしたい、自分はここに互恵のシステムとして入っていきたいというところに寄附をするだろう。それが新しい国民の選択の道なのだということをしきりと議論するようになってきて、日本にもミクロの分権の在り方みたいなものが議論されるようになってまいりました。
教育の在り方についても、そのことはいずれ議論しなければいけない問題だろうと思いますが、その点について非常に重要なことを問題提起していただいたと思います。
学力の低下の問題、評価の問題についても重要なことをおっしゃっていただきました。
今、委員から三つの問題が提起されたのですが、そのことに関連してでも結構ですし、それ以外の点でも結構でございますが、どうぞお願いいたします。
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いろいろ歴史的な経緯で、教育は政治に冒されないということで、日本では教育委員会が教育を主にやってきたわけですけれども、固定観念とか、なかなか動きが悪いとか、柔軟性がないというようなことは、もしかするとこの教育委員会制度の中にあるのではないかという疑念がちょっとございまして。最近は首長部局といいますか、そういうところと歩調をとるような地域社会も出てまいりましたけれども、この辺の権限といいますか、そのすみ分け、体質みたいなものをどうするかという問題も、ほかの者が参画できるのだというときに、あるいは障害になっていないか。その法律的なこととか、携わる人々の固定概念に深くかかわっていないかという疑念を持ちます。これもでも、相対的なものでして、それでも教育委員会の独自性みたいなものを認めるのが、教育の自由だということであれば、またそれはそれでいいのですけれども、俎上に乗せて考えてみるのもよろしいかなという感じがいたします。
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鳥居部会長 これも大変重要な問題を出していただきましたが、ここ1ヵ月ぐらいを振り返ってみましても、去年からでき始めている小学校、中学校の一貫化とか、中高の一貫化といったような様々な新しい試みの提案に対して、実際にやろうというところが出てきて、最も最近でいうと、川口市が幼稚園から小・中までの一貫校的なものを試みようとしているわけです。例えば、そういう新しい学校、新しい教育内容のようなものを公立の学校がやろうというときに、教育委員会がどんな役割を果たしているのかというのは、過去のやり方ではたぶん追いつけないものがあって、たぶん新しい対応をしているに違いないのですが、まだ実態が我々にもよくわかっていませんので、ぜひ情報を集めながら審議していくべきことだろうと思います。
ぜひこの点についても御意見がありましたらお出しをいただきたいと思います。
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教育振興基本計画の「第二」の柱でありますけれども、ここはできるだけ数値化できるものはしたほうがいいだろうとこの前申し上げたのですが、これを拝見していますと、殊に英国の「2006年への戦略」というところには随分数値目標が入っておりますね。ですから、「第二」の柱の「確かな学力の向上」の中で、数値化のできるものは数値化なさるように御努力いただくと、大変わかりやすいし、また後でチェックするときに、教育振興基本計画で幾らの投資をした、その結果、こういう成果があったということがはっきりしてくると思うのです。そういう点で、教育予算が効率的に使われるということにもなるわけでございまして、ぜひそうなさっていただければと思います。
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鳥居部会長 今のお話は、資料4―2の4ページのあたりをおっしゃっているのだと思います。
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そうです。
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鳥居部会長 これは若干私見を申し上げますと、極めて基礎的な事柄については、こういう数値目標は非常に有効で、大切です。一方、今度はこれにだけみんなが拘泥してしまうと、複雑多岐ないろいろな職業に最後は分岐していかなければならない若者集団が、みんな同じところを目指してしまうという可能性もあるので、そこは難しいところですが、基礎的なことは間違いなく必要だと思います。
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確かに基礎部分は完全に数値化できると思います。もちろん定性的なものもかなり入ってくると思います。
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3点ばかり申し上げたいと思います。
一つは、「確かな学力の向上」とあるのですが、この「確かな学力」とは何かということです。「学びのすすめ」ではかなり説明があるようなのですが、そこではねらいとして「確かな学力」を向上するために、自主的、創造的な「考える力」とか、「生きる力」を身に付けさせるねらいで、確かな学力を向上するに至るのですが、この「確かな学力」がはっきりしないのです。
それは後でお伺いするとして、大事なことは、そこでは教育改革のポイントは、「確かな学力の向上」と「心の教育」、この二つが重要なポイントだと明記されているのですね。そういう意味では、振興基本計画の資料3の「第二」の「1」と「2」は、それに見合っているのではないかと思います。ですから、目標としてはいいのですが、「3」「4」「5」「6」「7」「8」までが「1」「2」と一緒になっていると、どうも頭の中の整理がしにくいのではないかと思いますので、これは「第三」にするとか、そうでなければ、「第二」の「1」「2」を「第一」のほうへ入れるとか、何かなっていたほうがいいのかなという気がするのが一つです。
第2点は、今日の説明の資料の中で、「家庭や地域」「家庭や地域」と4、5回出てくるのですが、これは別々に明記してもらいたい。「家庭の何とか」とか、「地域の……」と。家庭教育と地域の教育というのは全く違うのです。ですから、先ほど委員から家庭が崩壊していると。おっしゃるとおりなので。私は、「家庭」というのを独立させてこれから書くようにしていただきたい。これは要望であります。
それから、イギリスの計画を見ますと、目的が三つに整理されているのです。これはすっきりしていていいと思うのです。あと学校段階別に、何.何%とか、数量化されているのですが、段階別もいいのですが、私は前回も申し上げましたが、「教育は人なり」ですから、やはり教師と、家庭の場合には親、地域の場合は大人ですから、人間をターゲットにした振興計画が立てられないかという気がするのです。
確かに教員養成については、教員養成部会で出たのですが、養成というのは将来のことなのです。現在の教員をどうするかなのです。地方へ行きますと、今、盛んに教員を臨時に雇って、雇用対策にもなるからというので、少人数学級が流行ですから、地方独自でやろうという話をよく聞くのです。そういうときにも量のことだけを考えて、教員の質のことはあまり考えていないのではないかと思いますので、あえてですが、現在の教員の質をどうするのかということを視野に入れていただきたい。
それと親の教育ですね。それから、地域社会では大人の生き方、在り方になるのですが、そういうことの計画は立てられないのかということが若干疑問です。
家庭のところでもうちょっと補足しますと、教育基本法に、国家意識が薄いという指摘は多いのですが、国家意識が薄いのは、家庭がないからなのです。家庭における意識があれば、国家というのは国の家なのですから、自然に生まれるはずなので、家庭の崩壊が国家意識を薄くしているのではないかという、非常に短絡的な意見を申し上げました。
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こういうテーマは、非常に大きくて、どこの間口から意見を申し上げたらいいかわからないのですが、おいおいいろいろな方の御意見で話が煮詰まってくると思います。
2点ほど申し上げたいのは、教育振興基本計画というのは、どのぐらいのタイムスパンを使うかというのが実は重要なので、委員がおっしゃった数量化の問題と絡めて議論しなければいかんのですよね。数量化すると、計画というのは短命化するのですね。というのは、イギリスを見ていますとわかるように、これは「2006年への戦略」とかいって、せいぜい5年ぐらいのタイムスパンを置いて書いているから、目的の「1」とか、「2」で、2004年、2003年というように、ある意味でターゲットが決まってくるのです。我々も5年ぐらいのタイムスパンでやるのは現実化できると思いますが、定性的に書けば書くほど寿命は長いですよね。どっちを選ぶかということが、たぶん非常に重要になると思います。
5年置きぐらいに基本計画をこういう審議会をつくってやるということならば、それはそれでいいけれども、あまり変えないほうがいいよというのだったら、10年とか15年持たせるような形の書き方で、21世紀になったところですから、21世紀初頭といったような意味合いのほうがいいのかなと思ったり、これはわかりませんが、問題提起としてはタイムスパンが重要ではないかということを申し上げます。
特に「第三」の教育投資であるとか、政府とか地方公共団体の役割云々になると、どうしても予算獲得という絡みで議論すると、何となく数量化をしたいという誘惑はあります。17兆円とか、24兆円ということを言うと、何となくそれが引力をもって、吸収する可能性があるかもしれないけれども、仮にそれが実現しないと、この計画はぶっつぶれるのですよね。その辺ちょっと難しいので、どうしたらいいかわからないのですが、頭の真ん中にとめ置くべきテーマではないかというのが一つです。
もう一つ、細かいのですが、資料4―1ですが、韓国を見ていたら、案の定「過度の受験戦争」なんていうのが教育問題で出てきているから、こういう教育問題が出てくるのですね、あの国は。恐らく中国もたぶんそういうことになってくると思いますが、これはオリエンタルの国特有の現象でありまして。恐らく受験とか、人の選び方というのは、今の青少年の心を必ずしも伸び伸びと育てないような要因は、「第二」の「1」から「8」ぐらいの背後に隠れたテーマなのだと思いますが、それを表に出すかどうか。しかし、出したところで、いい説明の仕方はなかなか得にくいと思います。
今、AO入試が始まったり、大学入試も随分変わってきましたので、いっときほどの受験の深刻さは社会的になくなってきたかもしれません。あるいは、2009年に全入時代と言われますから、大学は試験などはどうでもいいから来てもらいたいという風潮になる。逆に言えば、大学にとっては人の選び方が非常に難しいわけです。そういうこともしかと書くべきで、恐らく今、大学の教育サービスはオーバー・サプライですから、大学の数が多過ぎると思います。中国はオーバー・デマンドです。そういうことからいうと、人の選び方が、受験というものを物差しにして、いろいろ変わってくる状況があり得ると思いますので、そこもしかと書かないとまずいと思います。以上、2点です。
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私も別にまだ頭の中を整理しているわけではないのですけれども、今までのお話などを踏まえまして、アトランダムに二、三申し上げてみたいと思います。
今日の審議の中心は、どちらかというと教育振興基本計画にウエートを置いたものであるというお話がありましたけれども、教育基本法にしても、振興基本計画にしても、教育の目標というか、何のためにどういうねらいで教育をするのか。目的の概念を少しはっきりさせる必要があるのではなかろうかと思うのです。資料1を見ると、「持続的に発展し、世界をリードし、世界に貢献する国」と、これは一つの考え方で、こういう方向に進めなければいけないだろうと思いますが、それだけでいいのかどうかという疑問も残ります。
何といっても21世紀、よく言われることですけれども、地球国家という姿にだんだん変わっていくと思いますが、そういう地球国家の中で日本はどういう役割を果たすべきなのか。経済的に貢献するというのも一つの方法ですけれども、そういう目的意識というか、それを一つはっきり出す必要があるのではなかろうかという気がいたします。
それから、「人材養成・教育の目標について」と見出しに書いてあるのですけれども、「人材養成」と「教育」というのはイコールかなという疑問があるのです。「教育」はより普遍的なものであり、「人材養成」というのはやや専門的な分野に属するのかなと、私個人の考えですけれどもね。これは分けて考えたほうがよろしいのではないかという気がするわけです。
なぜかと申しますと、教育振興基本計画をどのように収斂されるのかまだわかりませんけれども、今の教育の悪い点は何か。いわゆる「教育改革」という言葉がいろいろ出ていますけれども、改革しなければいけない点は何なのか。それを表に出す必要があるのではないかという気がするのです。例えば、現在の教育の制度、あるいはシステムは、どこが足りないのか。どこが行き過ぎているのか。そういう考え方を1回は整理してみる必要があるのではないか。いろいろ問題があるかもしれませんけれども、新しい方向を打ち出すということであれば、現在の状況のどこが問題かというのは1回洗い出してみる必要があるのではなかろうかという気もするわけです。
そういった意味では、例えば6・3・3・4制度というのは、万古不易のものなのかどうなのか、直す必要があるのかないのかということも踏まえて考えてみてもいいのではないかという気がするのです。
非常に大きなテーマで、文部科学省だけでやれるかやれないかわからないほど大きなテーマも含んでいると思いますけれども、何らかの形で教育振興基本計画はつくったほうがいいと私は思います。教育振興基本計画と教育基本法との関係をどうするかという問題も次に出ると思いますけれども、それらを踏まえながらやっていかなければいけないのではないかと思うのです。
大きなことはそんなことなのですけれども、狭い範囲のことで申しますと、例えば資料1の真ん中の「人材養成・教育の目標」の上から三、四行目のところですが、「豊かな心と健やかな体の育成」の「健やかな体の育成」というのはだれでもわかると思うのですが、「豊かな心」というのは一体どういう心なのか。これはちょっとね、人によってどういう心を豊かな心というのか、理解は千差万別になるかもしれない。例えば、どんな心が豊かなのか。豊かな社会というのは大体見当がつきますよね。物にある程度恵まれた社会が豊かな社会だというのは、大体見当がつくのですけれども、心の豊かさというのは一体どういうことなのだろう。例えば、弱者に手を差し伸べるような心を豊かな心というのか、そういうのも私は入ると思います。それからすれば、今度は悪に立ち向かう心だって豊かな心じゃないかと思うのです。悪に対してどうするかというのは、これからの社会で非常に重要な問題になってくると思います。そういうことも少しはっきりさせていったほうがいいのではないかという気がするわけです。
もう一つ、「目指すべき社会」のほうに、技術の専門家ですけれども、「科学技術創造立国」、これは非常にいいのです。「世界最先端のIT国家」、これもこのままなのですけれども、「世界最先端」はITだけではなくて、最近はナノテクとか、バイオテクとか、そういうものも入ってくるわけです。その辺を一くくりにして考えることも必要ではないか。
いろいろなことを申し上げましたけれども、どこをどう論議するかというのをブレークダウンしてやる必要があるのではないか。皆さんそれぞれの考えがあるでしょうから、そういうのが出尽くしたところで方向づけをしていったらどうかという気がするのです。以上であります。
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三つばかりお尋ねしたいのですが、一つは先ほど振興計画の数値目標とか、期間というお話が出ましたが、基本計画は今までございませんでしたけれども、教員の定数計画をはじめ、様々な分野において既存の計画がたくさんあるわけでございまして、それぞれ目標年次も違うわけでございます。もしこの基本計画ができた場合に、既存の各分野ごとの計画と、学習指導要領は一つの内容に関する計画と思うのですけれども、そういうものとの調整はどのように行われるのかということが一つでございます。
もう一つは、資料1には、教育の目標とか、目指すべき社会とかにつきまして、たくさんの目標が掲げられているわけで、それぞれ結構な目標だと思いますが、この間に優先順位をつけるのかつけないのか。中にはよく考えてみると、相矛盾するような目標も並んでいるわけでございますが、そういった場合に対してどういう態度でこれを処理するのかということであります。
それから、資料1の「教育の課題」には、子どもや社会の問題というか、先ほどの委員のお話でいけば、子どもや大人、親の問題ということになるかもしれませんが、並んでおります。こういう社会の問題は教育に関係してきますから、教育の問題ではありますけれども、教育政策が改革目標として引き受けるべきことなのかどうか。例えば、社会経済の急激な変化の中で、社会の目的や目標が失われているというのが教育の課題になっておりますけれども、こういう問題に対して教育政策として対処できるのかどうか。これは難しいのではなかろうかと思うわけでございます。やはり教育の目標は、目指すべき社会と教育の課題を複眼的に見据えながら考えるわけでございますから、最初から対応できないようなことをここに書くと回答が難しくなるのではなかろうかと思います。以上でございます。
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| ○ |
事務局 第1点の全体のいろいろな計画、既に教員の定数改善計画とかあるではないかという御指摘はごもっともでございまして、もちろんそういう既存の計画をにらみながら、今回、例えば10年なら10年、5年なら5年という目標を決めて、全体の計画をつくろうではないかということでございまして、もちろん全体の計画の中には、例えば教員定数改善計画も入ってくるでしょうし、ほかの既に走っております計画も入ってくる。一方が5年であって、一方が10年であっても、それは構わないわけで、全体として教育振興基本計画としてこういうものをつくりたいということが出てくればいいのではないかと思うのでございます。
それから、資料1は、議論のための素材でございまして、我々も目指すべき社会―これは我々事務局でいろいろ議論してつくったものではございますが、これですべてだともちろん思っているわけではなくて、素材として提供して、先生方にいろいろ御意見をいただいて、目指すべき社会をどうするのかということは、教育をどうするかということに当然絡んでまいりますし、そのためには、今の教育がどんな課題があるのか、問題があるのかということも必要でございますので、とりあえず左側に教育の課題を書いて、目指すべき社会の一つの案ですけれども書いて、それで教育をどうしたらいいのかということを御論議いただければと思います。この目標の中には、それぞれ優先順位の違うものも当然ありましょうし、それから目指すものが全然違う部分もございますので、それはそれとして、トータルとしての計画なり基本的な考え方をおまとめいただければと思うわけでございます。
3番目におっしゃいました社会の目標なりでございますが、もちろん文部科学省だけで対応できるものでもないし、教育だけでしょい込むべきものではないわけでございます。しかし、人材が日本の資源だということを考えますと、教育の面で文部科学省が担うべき役割はあると思いますので、ある程度目指すべき社会なり未来の社会に向かって、どういうことが教育の分野で考えられるかということを考えていけばいいのではないかと思っています。
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| ○ |
「科学技術創造立国」と「世界最先端のIT国家」という部分については、実は今、国家目標として小泉内閣が掲げているものを二つ並べたということにすぎないのだと思いますし、先ほど委員がおっしゃられた技術としてのナノテクとか、バイオとか、それに並んでITというのは、最初の「科学技術創造立国」のほうに含まれる。後半の「世界最先端のIT国家」という部分は、インフラとしてのIT国家を建設し、それをソフト的にも有効活用する。教育もそれを有効活用する一部である。こういう意味で、IT国家というところをなお述べたのだと解釈しております。
ついでですから、先ほど委員から御指摘がありましたように、資料3の「第二」の一番大事なところは上の二つだ、「1」と「2」だというお話の、「2」のほうですけれども、これは質問なのですが、「2」の「(2)
」の「伝統文化」と書いてあるところは、「伝統」と「文化」の間に「・」が入るということだと思います。
先ほど、せっかく各国の状況についてお話をいただいたのですけれども、各国の状況の中で、1の学力向上の部分については、非常に詳しく各国状況のお話があったのですが、2番のいわば人間性の問題の部分について触れている部分というのは、1ヵ所だけイギリスの例のところの「目的2」のところで、「人格」というところがあります。「すべての若者が人生と労働に必要な技能・知識・人格」と。ここだけがどうも人間性の問題に関連するように思うのですが、各国の教育のこういう計画の中で、人間性の問題についてどのような考え方をしているかというのを、もしもお持ちでいらっしゃったら説明をしていただきたいという気がします。特にイギリスで「人格」とわざわざ言っているところは、その中の補足説明のほうには出てこないものですから、一体どんなふうなことを考えているのかというお話を聞かせていただければありがたいと思います。
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事務局 人格と申しますか、倫理性とか、社会性の問題でございますけれども、資料4―1の大きい表のほうで、アメリカ、イギリス、フランス、いずれも初等中等教育の一番下のところに、「公民教育の充実、強化」というのが項目として入っておりますけれども、ここでございます。今、先進国どの国も、子どもたち、あるいは青少年の犯罪が増えている、あるいは社会性が失われている、あるいは失業率の増加ということもありますけれども、非常に反社会的な行動があるということがありまして、従来の教育だけでは対応できない。やはり社会の仕組みを学ぶ、あるいは社会人としての意識をつける、あるいは民主主義社会を担っていく子どもたちをどう育てていくかということが大きな課題になっております。
例えば、イギリスでございますと、全国共通プログラム、教育課程をつくっておりますが、2002年、今年から導入される新しい教育課程の中で、中等学校、中学校・高校の中には公民教育、シチズンシップ・エデュケーションを必修科目にするということを取り入れております。その中では、社会のいろいろな制度、仕組みを学ぶということもありますけれども、プラス、ボランティア活動とか、社会に出ていって体験型の学習をして、社会にどう貢献できるのか、あるいはどういう役割を果たすべきかということを学ばせるということを、学校教育のプログラムの中に取り込もうという動きがございます。これはアメリカでも同じでございますし、あるいはフランスでもそういう公民教育を強化していこうという方向が出てきているということがございます。
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| ○ |
今の委員の御質問は大変難しいところだと思います。中教審で「心の教育」についての議論をしましたが、あれは小杉文部大臣のときで、例の神戸の事件が起きたということで、大臣が随分そのことを憂慮されて、急に諮問をされたのです。あのときに英国から一種の調査団が来まして、私、その連中と話をしたのですが、英国では教育の中に、心を教育するという概念はないのだということを、はっきり言っていました。つまり、ここにありますように、「目的1」に「子どもたちに質の高い教育のスタートを与え、将来の学習の基礎を作る」、それから世の中に出たときに困らないような武器を与えるというのが教育で、人格というのは教育でやるものでないのだということを彼らが言っていました。私は多少英国のことを知っていますので、納得をいたしました。
ただ、やはり彼らも少し変わってきておりまして、心の部分についても多少教育しようということで、宗教教育を随分取り入れて、少なくとも世界の4大宗教についてはきちんと教育するということまでシフトしてきているようです。そういう意味で言うと、何となく英国の教育の中にも「心の教育」の部分が入ってきたのは、社会が乱れてきて彼らが困っているのかなということを私自身は感じております。
それから、お話にありましたシチズンシップ・エデュケーションというのは、前にハイアー・エデュケーション・インクワイアリーの委員長をやられたデアリングさんが、既に97年のころから、これは英国人にどうしてもやらせなければいかんということを個人的におっしゃっていました。
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今の委員のお話で、ここで何を話し合わなければいけないのかということを一つ、私なりにちょっと思ったのですが、日本というのはやはり中国文化圏なのです。どういうことかというと、人格とか、心とか、すぐ出てくるのですね、包括的に。これは大事なのです。カテゴリーの立て方がイギリスやアメリカやフランスは違うのです。私はそういうことに関心がありまして、随分資料を集めたのですけれども、例えばバリュー・エデュケーションとか、アフェクティブ・エデュケーションというのは、イギリスやアメリカはずっとやっているのです。バリュー・エデュケーションはわかりますがね。結局、価値観をどう形成するかというあれです。日本でそれを道徳教育とか、人格の教育と言ってしまうと、何かちょっと違うなあという感じがします。しかし、人間として大事にされてきた価値観とは何かというのを教えているのですから、ある意味では道徳教育なり心の教育になりますわね。あるいは、アフェクティブ・エデュケーションというのは、意訳になりますけれども、基本的には感性の教育なのです。物の感じ方。これも、先ほど御指摘がありましたが、豊かな心の一部分ですわね。これは本当にいろいろな体験を通じて、アフェクティブなものをね。しかも、感性から、アングロサクソン的に言うと、必ずバリューまでいってしまうのです。感性から入って、バリューまでいってしまうのだけれども、いずれにせよ、感性だけで終わらないところがあるのですからね。そういう形で、随分昔からやられている。
それと並んで、今御指摘の宗教教育ですね。これは昔から当たり前のことで、家庭でやられる、あるいは公立の学校というか、いわゆる公教育から宗教教育を追放しましたわね。ヨーロッパはどこでも政教分離で。しかし、まさに宗教的情操、宗派教育にならない、ドグマを教えるのではない、宗教というものについての教育がいろいろな形で入っているわけです。これはアングロサクソン、イギリスなどなのですが。
ここから私の意見を言わせていただきますけれども、先ほど数値目標ということをおっしゃったのは、ある意味で非常に大事なことだと思います。教育振興基本計画が理念ばかり論じていたら、空回りして、また人格の完成という、何万年かかっても実現しないような夢を語ることになってしまうので。最初に御提案いただいたように、10年後、どういう教育が実現せんといかんのか。そのために、その真ん中の5年ぐらいでは何がというね。例えば、心の教育というのをやめて、いじめが10年後に今の3分の1になる。今はたしか小・中で3万件でしたか。あるいは、50日以上学校に来れない子が、今、12~13万でしたか。これが10年後には2~3万人まで落ちる。これは十分に数値目標ができると思うのです。
あるいは、英語教育でも、中学校3年で英語で日常会話ができる子が8割を超すようになるとか、何でもいいのだけれども、この辺の立て方についてはまた議論があると思いますが、その手のものを考えていかないと。例えば、「基礎学力」という言葉であらわしたり、「心の教育」ということであらわしても、結局は、皆さん蘊蓄を傾けて話は盛り上がるとは思うのだけれども、あまり政策論にならない。つまり、財務省を丸め込むのにどっちがいいのか、ストラテジーはわからないけれども、煙に巻くほうがいいのか、具体的な目標を出したほうがいいのかわからないけれども、教育基本法と違う意味で教育振興基本計画をもし出すとすれば、数値は難しいものであっても、例えばこのぐらいのという具体的なもの、逆に言うと「心」とか、「人格」とか、「基礎学力」という、中身で詰まってこないようなものは用語としてできるだけ避けるというようにしないといけないのではないかということを思っております。これはまたこれからいろいろと出てくると思います。
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| ○ |
資料3の「三」をさっきから眺めていて、どういうことが議論になるかなというのが大体頭に浮かんでくるのですが、一つわかりにくいのが、「第二」の「4」に出ている「柔軟な学校システムの実現」ということです。「柔軟」というのはどういうことを言っているのですかね。要するに、学校システムが6・3・3でずっときたが、これをもう少し広げるのか、あるいはフランスなんか結構複雑になっていますけれども、高等教育をもう少し複線的にするのが柔軟というのか、あるいは別の視点で、現行の学校システムで飛び級を認めたり、もっと自由に編入学を認めたり、あるいはプロフェッショナルスクールを新たにつくって、そこに自由に行かせるとか、このイメージがわきにくいのですがね。仮に「4」の下に、「(1)
」「(2) 」「(3) 」と入れるとすると、何が入るのですか。
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| ○ |
これはアドホックに出てきたのですか。
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| ○ |
「柔軟な学校システム」というのは教育改革国民会議で出ていますね。
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| ○ |
事務局 日本の制度がガチガチの、6・3・3・4で固過ぎるという批判がありましたから、それを柔軟にというのは今までの教育改革の方向で出しているものですから、たぶんそれが出てきていると思います。これだというイメージはないかもしれません。
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| ○ |
ガチガチをやめようという程度の話ですか。
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| ○ |
事務局 今まではそうだったのですが、それをこの基本計画ではさらにどうするかという話で、これからの課題でしょうけれども。
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| ○ |
まだ深い意味が付与されていないのですな。そうですか。その程度でいいのですか。
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| ○ |
鳥居部会長 みんな深くは考えていると思いますが、具体的には。ただ、いつの間にか上手に中高一貫化は導入されましたよね。さっき申し上げましたように、幼稚園から中学まで一貫にするという地方自治体があらわれてしまいましたよね。現実には動き始めているのです。それを我々のほうが逆にどの程度制度として提案できるかなのです。
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| ○ |
現行制度の中の運用でやるか、それとも制度自体を何か広げていくのか、それは両方あるでしょうね。それもまだこれから議論ということでしょうね、そうすると。
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| ○ |
鳥居部会長 これからですね。
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| ○ |
2点ほど関連した意見なのですが、「心の教育」なのですが、私はこれは日本独自のものとして世界へ発信してもいいのではないかと思うのです。といいますのは、日本は宗教教育を学校でやってはいけないということになっていますから。ヨーロッパは宗教教育をやっていまして、宗派にとらわれない教育とか、いろいろな方法でやってきましても、結局、無神論者が増えているわけです。ドイツではアテイストが増えたので、道徳教育をやらなければいけない。そうすると、日本の道徳教育が先進性があると、こういうわけなのです。ですから、日本は宗教に基づかない道徳教育が「心の教育」なので、これは外国でやっていないからということではなくて、委員がおっしゃるように、日本人の宗教性、八百万の神、あんまり神のことを言っちゃいけないのですが、そういう国柄では仕方のないことではないかということが第1点です。
第2点は、先ほど委員がおっしゃった文部科学省の守備範囲のことですが、社会変化にまで文部科学省が口を出しても、これは手も足も出ないのではないかという御意見なのですが、それは確かにそうなのですが、逆にいろいろな省庁から教育に対する発信は多いので、文部科学省からも他の省庁に発信しなればいけない。よく制度が悪い、社会が悪いという意見があるのです。だけど、突き詰めて考えれば、制度を構成しているのは人間なのです。社会を構成しているのも人間なのです。人間を変えるのが教育なのです。そうすると、ちょっと道のりは遠いけれども、今の企業の人とか、そういう人たちの教育をするのも文部科学省の対象なので、それこそが生涯学習なので。
だから、地域の教育とか、社会の教育が大事だというのは、そういうことなので、それを家庭や地域というふうに一緒に並べちゃうから、軽視されたように見えるので。ですから、社会を構成しているのは人間なのだから、人間を変えるのが教育だという考えに立てば、少しは委員がおっしゃったことに対する私の意見になるのではないかと思います。
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| ○ |
鳥居部会長 ありがとうございました。今、委員のお話にあった宗教教育ですが、実際には宗教教育は学校ではやらないということで、50数年きたのですが、これは皆さんの机の上にあります青いファイルの、「第13回」に教育基本法があります。その下から2段目に第9条がありまして、実に微妙なのです。まず最初は、こう書いてあるのです。「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。」というのだから、宗教についてはちゃんと教えなければならないということが書いてあるのです。ところが、「 」のほうを読むと、「国及び地方公共団体が設置する学校は、」、これは私学は除いて、「特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」だから、公立学校では宗教教育をしてはならない。ただし、これは「特定の宗教」なのです。それが今、先生が表現されたような一般的通念になって走ってきたというので、これから先、それをどうするのか。つまり、第1項のほうにウエートを置いた教育界をつくるのかどうかという問題が一つあるのではないでしょうかね。
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| ○ |
今まで出てきた御意見をもとに考えていることを申し上げたいと思います。
基本計画という場合には、資料3の最初にございます、目標を立てるというところですね。目標をしっかり区分けする必要があるのではないか。つまり、21世紀全体にかかわるような抽象的な目標―目的か目標がわかりませんが、それと、先ほどお話が出ていますように、参考資料1のところですと、計画期間としては「10年後の教育の目指すべき姿を想定しながら、その実現のために概ね5年間に実施すべく施策を盛り込んだ計画とするか。」と書いてあるところですね。10年後をある程度想定しながら、5年というのを考えていくとなると、今いろいろ出てきているような御意見とか、既に資料として出ているものを、どう仕分けしていくのかということがすごく大事で、そこのところの手続きをあいまいにしておきますと、また抽象的な目的、目標みたいなものになると思うのです。
もう一つは、それに基づいて、それを計画におろす手続のところがほとんど今までないような気もするのです。そこのところも厳密に検討していく必要があるのだろうと思います。
たまたま私が今思っていることだけで申し上げるので、これがどうということではないのですけれども、例えば10年後ということですと、既に資料1で出てきていますように、社会変化の激しさとか、速さとか、知識社会の進展とか、高齢化のすごい進み方とか、そういうことが社会のほうにありますから、教育としてそれにどう対応するのかということがあって、教育の自由化とか、柔軟化とか、選択幅の拡大をしようとか、そういうことが出てきているように思います。それに伴って、当然ほかの国にも出ていますが、格差是正をどうするのだという問題が―これをやれば必ず格差が出てきますから、格差是正をどうするのだということがあるわけです。そういう考え方をもとにした目標をどう立てていくのかということがあると思うのです。
先ほど委員から出たのですが、例えば、評価が非常に大事だというお話があります。私もそうだと思いますが、格差の問題というのは、教育界で自由化とか、柔軟化を進めていけば必ず出てくるのです。ところが、この格差というものをよく考えてみますと、一方で我々は多様化を図っていくと言いながら、格差是正というと、画一的なところで格差是正、同じように並べようとするわけです。これはおかしいわけです。おかしいけれども、そこのところはあまり問わないで、厳密に検討しないで進んできているから、どうもちぐはぐになる。
多様化を図るのであれば、多元的な尺度を設けなければいけないと思います。例えば、学習成果の評価にしましても、多元的な尺度で成果を測っていかなければうまくいかない。にもかかわらず、今のところ、学(校)歴のところを大体中心にしていくものですから、幾ら学校を柔軟にしていろいろなことができるようにしようとしても、親の見る目は最後、学歴の最後のところ、幾らだれが言っても、内心ではみんなそう思っているというところへきてしまうわけです。そこのところを、例えば職業的な資格とか、社会的な活動をする資質能力とか、人間の内面性とか、―これは今お話が出ていたように大変難しいところですけれども―いろいろな面もあるではないか、足の速い子もいるし、手先の器用な子もいるじゃないかとか、多元的に評価する仕組みをつくらなければ、幾ら途中のところとか、教育のところを一所懸命やっても、世の中の人はあまり動かないと思うのです。それが非常に大事だと思いますが、そういうことを目標のところから計画のところにおろしていくという手続をよほどしっかりやらないと、また教育はそもそもの論で、あとのところは現状に合わせて、妥協的な計画でいってしまうことになるかもしれないわけです。
そういう点からいきますと、資料3の「第二」のところで、「1」に「確かな学力の向上」というのがあるのですが、今、学力のことがごちゃごちゃ言われていて、どうもみんなイメージがそれぞれ勝手にあるわけです。これは「これからの社会で求められる学力」とか、「これからの社会で必要な学力」としておいたほうがいいのではないか。そうすると、これは学力だけでいいのか、創造性の育成とくれば、これは資質能力のことなのかとか、そうなってきますから、これを目標のほうに上げるのか、先ほどのように計画の中で具体的にいくかとか、いろいろあると思いますが、そのあたりの目標と計画の間のやりとりというか、上げる下げるということも含めた手続をしっかりやらないといけないのではないか。
先ほどの評価のほうは、「8」の生涯にわたるという中に評価のことは入れていけると思うのです。
したがいまして、いろいろ意見が出てきますけれども、それをどこにどう仕分けしていくかということを絶えず議論していく必要があるように思います。
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| ○ |
1点はお尋ねで、2点はさっきのことに関連していろいろ申し上げたいと思います。
ちょっと前に委員のほうから出された基本法と基本計画の関係ですけれども、基本計画をしなければいけないということを、基本法の中に位置づけるということが一つあると思います。さらに、基本計画として具体的にどういうものを考えるのか。これは5年、10年、それはいろいろ時点によって変わり得るわけで、基本計画といっても二つのレベルがあると思います。ですから、基本計画を基本法の中に位置づけるとすれば、現在の基本法のままでいいのか、有機的に関連づけるとすれば、基本法のどこをどのようにいじるのか。その問題と、基本計画自体の中身をどこまでここで我々は議論するのか。その辺のことをどのように事務局のほうで整理してやっていられるのか、ちょっと伺いたいのが第1点です。
第2点のほうですけれども、先ほど憲法という話でしたけれども、宗教教育の話が出ましたが、これは御存じの和辻哲郎さんが、戦前から日本の国民の特性として、秩序というものはだれかから与えてもらうものであるという傾向が非常に強いということを、つとに指摘されておりました。現在の教育基本法の9条を見ると、先ほど会長のほうからも宗教教育に触れられましたけれども、政治については8条にあります。「政治教育」とあって、2項にまた「特定の」何とかというのが入っているわけです。そうすると、政治や宗教というのは、一応意味を認めながら、2項にいくと、政治はちょっと警戒すべきものだ。それから、9条のほうの2項にいくと、宗教というのは何か警戒すべきものだ。非常にディフェンシブになっている。そして、これが教育の現場でどういう機能を果たしているのか。
これはだいぶ前でしたけれども、委員が中教審で、9条があるために、教育の現場では宗教はタブーになっているという趣旨のことをおっしゃったのが私は鮮明に残っているのです。一体、この8条、9条というのが、どういう機能を果たしているのかということを、少し何かうかがえる資料ないし何かがあれば伺いたいということ。それについてちょっと考えてみたいということがあります。
そして、政治に対して、さっきの和辻さんのあれですけれども、政治というものに対して我々は何となくマイナスイメージでとらえている傾向があるのではないか。そうである限りは、公民教育とか何とかいったって、本当の身に付いたものにはならない。政治というのはいろいろな面がありますけれども、我々が生きていく、よき社会をつくる上で、政治抜きにはできないわけです。そういう政治をもっと我々自らの問題として考える何かきっかけを、今回考えるのか考えないのか。公民教育というのは中身が難しいと思うのですけれども、幸いというか、司法制度改革審議会の意見書で、今度は裁判員制度を司法で取り入れましょうと。司法というのも結局人ごとではなくて、自分の問題だということにしようとしているわけですね、国民参加で。これなどはようやくにして和辻先生の考え方に対する我々のレスポンスの一つだと考えております。
そういう意味で、公民教育といいますか、政治あるいは宗教の教育というものを、この機会に少し基本的に考え直してみるきっかけになるのではないかという、そんな思いがしております。ただ、問題は難しいので、どうするかというのは非常にあれですけれども、どのように我々としてこれにスタンスをとるかというのは、私にとっては非常に重要な問題だという理解をしております。
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先ほど来、心の問題とか、人格の問題というお話が何人かの委員から出ておりますけれども、私もまだ具体的な形をとっていないのですけれども、現時点で何となく感じていることを申し上げたいと思いますが、資料1は、これは先ほど事務局から、議論の素材として出したものにすぎませんというお話がございましたが、一つの手がかりとしてこれを見てみますと、真ん中の「人材養成・教育の目標」というのが資料1にあります。これを見てみますと、下のほうの「社会の要請」等でやっていくということは、かなり具体的なのです。例えばシステムをつくる、法律制度をかえる、あるいは予算を投ずるというようなことで、そういう性格のものだろうと思います。上のほうの「不易な教育の目標」を見ても、ちょっと違うのは、例えば下二つの「基礎学力」云々と「個性、才能」というのは、例えばこれは「基礎・基本の充実」というようなことで、学習指導要領やなんかで授業時数を減らすとか何とかということもあるでしょうし、「個性、才能」といえば、やれ習熟度別編成とか、選択科目を増やすということで、かなり具体的なのです。
ところが、上三つは、どうもちょっとそれらと違うという感じがするわけです。このうち、例えば「豊かな心」というのは、先ほど心の豊かさが何だかわからないという、定義がいろいろというお話がありましたけれども、まさにそうなので、一ころバブル盛んなころに、「物の豊かさから心の豊かさへ」というのをスローガンとして非常に言われました。しかし、経済が今日の状況になると、みんな忘れちゃったように、やれ財政再建がどうだとか、景気浮揚策がどうだとかということばかりになってしまうのです。心の豊かさというのはせいぜいその程度のものだということですが、少なくともスローガンにはなったことはあるのです。
ところが、あとの例えば「自律心、公共の精神の育成」というのは、これは社会規範とか、あるいは道義心というたぐいのものだろうと思います。それから、下のほうの「伝統・文化を尊重する態度の育成」というようなものは、スローガンにすらなったことが今までなかった。むしろ場合によってはタブー視されておったという要素だろうと思うのです。ただ、例えばこれも学習指導要領レベルでは、いろいろなことが書かれて、これをやるべきことだということは書かれておりますが、具体的にこれをどういう形で実現するかという方法論なり、具体的施策はないと言っていい。やっとスローガンに昇格した段階という気がするわけです。
したがって、今回の基本問題部会で基本法なり、あるいは振興計画ということを議論する中で、最も大事なものの一つ、全部とは言いませんが、一つはこの辺をどうするのか。それは基本法の問題なのか、振興計画の問題なのか、あるいは別の問題なのか、その辺を吟味して、もう少し具体的な形で実現できる方途はないかというのが現時点での。じゃどうしたらいいかは、これからの議論だろうと思っております。
もう1点は、先ほど委員から、教育委員会制度について、政治的な中立を確保するという観点から、スピードに欠けるとか、あるいは柔軟性に欠けるというお話がありましたけれども、そこは考え方として教育委員会制度に何を求めるか。私は結論からいうと、スピードに欠け、柔軟性に欠け、多少頑迷なほうがいいのではないかと思っております。それは通常は批判の対象になるわけですけれども、やはり教育委員会というものは合議制の機関であるけれども、どうも最近の風潮として首長にちょっとこびているところがありやせんか。何でも物わかりがよ過ぎて、どんどこどんどこよく吟味もしないでやっているという傾向がありはしないか。それがそうでなくてするならいいのですけれども。そういう意味で、むしろ頑固であり、場合によっては守旧派と見られるというようなところがあったほうが、委員会制度としてはいいのではないか。そうでないならば、首長部局の一部局にしてしまえば、一貫性もできるし、スピードがあるし、物事は簡単につく。それでいいのだろうかという気がいたしますので、ちょっと委員の御発言に関連して、そのことだけ一つつけ加えさせていただきます。
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私どもは最良の策と思っていろいろ御提案申し上げるのですけれども、やっぱり制度となったときには、せいぜい次善の策、いろいろ今まであった制度がいいのよということになるのかもしれないのですね。その辺のところは議論して、見直して、それでもやっぱりこれがいいのだというふうに、もう1回フレッシュな感覚で見てもらうことも必要ではないかと思っております。それが今の御意見に関してのあれなのですけれども。
一つ、最初に私は評価のことを申し上げて、それはすごく重要だと思うのです。他の委員の方にフォローしていただきまして、多元的な尺度をはっきりさせていただきたいのです。何をどう評価するのかということによって、高い理想はあるのですけれども、具体的に現場がどう動くのかということを見据えてほしいと思うのですが。結果を見ると、結構世界1、2位の学力を誇っている現状はあるわけですね、小学校、中学校で。ただし、算数でもこれを将来やりたいという人が少ないという結果があるのは問題だと思います。
私はずっと考えて感じておりますのは、今、大学を出て、さらに大学院でなければということになって、非常に長期化するわけですね。教育という一つの閉ざされた、保護された囲いの中にこもって学ぶという期間が、若い人は非常に長くなっていく傾向にある。そうすると、社会との接点がどうも希薄になってきているのではないかと思うのです。
総合学習というのも、総合学習という言い方がぼやっとしているのですけれども、はっきり言って合科だと思うのです。社会のいろいろな問題について、問題点を探って解決するために、どのように勉強するかということだろうと思うのです。ですから、現実的には文部科学省を中心にして変えようとしていることはわかるのですが、それとまた社会人が教室に入ってくるということで改善はされているのですが、やはり社会が一体どういう動きをしているのかということに対する関心が子どもたちに低いのではないかと思うのです。
これは前にも教養のところのワーキング・グループで申し上げた資料なのですけれども、高等教育に入る、つまり大学に入るという年齢が、日本の場合は非常に若い。18か19歳で入ってしまう。しかし、フィンランドを見ますと、たしか23歳。ヨーロッパ、EUは大体22歳が平均なのです。18から22まで何をしているかというと、一応社会に出てしまって、勉強をして、本当に何がやりたいのかということがわかっていくから、結局、高等教育みたいなところに入っても、効率がいい。動機づけがはっきりしていれば身に付くのも早いというわけで、動機づけをきちんとしてもらうためにも、これは別に国民会議で出たボランティアを1年とか、そういうことに必ずしも賛同するわけではないのですが、社会活動みたいなものをどこかで1年なり半年なりやるということの制度化みたいなことができないのかなと。これは強制してはまずいので、非常に才能があって、数学ですぐにでも大学、大学院に行ってほしいみたいな人もいるでしょうし、様々で、やり方もいろいろ検討しなければいけないのですけれども、もっと社会のことの接点を持って、学問というか、学力を極めるということをやってほしいということが一つあります。こうすれば、少し若者も変わってくるというような気がしております。とりあえずそれだけです。
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今まで御議論の出ている切り口と若干違うかもしれませんが、今、経済はデフレで、このデフレの一番根っこにある真因というか、深層の理由は何かなと考えることが最近時々あります。どうも少子化というのが国民の深層心理の中に埋め込まれつつある。少子化ということは、昨年の暮れから今年にかけてまとめられた新しい人口推計だと合計特殊出生率は1.39。これは1985年に生まれた方々が50ぐらいになられるときに、どれぐらいの子どもさんをつくられるかという、たまたま1985年のコホートをとったらそういう数字だったということで、特異なのかどうかもこれから見ていかなければいけませんが。
ただ、いずれにしても少子化の背景の中に、子どもを育てることは非常に大変、忍耐が要り、努力が要ることだという子育てに対する受けとめ方があり、ついてはそんなにたくさん子どもは要らないんだというつながりになっている。少子化のために、子どもをたくさん産んでくださいという論理が難しいことはよく承知しておりますが、そういう中で、教育の現状が、子育てに対する逃避感みたいなものと連動しているところがありはしないか。その辺の掘り下げがないままに、仮に数量化、定量化して目標をセットすることができても、どういう仕上がりの社会になるのかなというのが、どれだけ見えるようにつくれるのか。
資料1を拝見して、「父母」とかいう言葉は一つも入っていないのです。今、日本の社会は、「おやじ、おふくろ」の世界は若干あるのかもしれませんけれども、子どもの呼び方として「パパ、ママ」の世界があるのかもしれませんが、両親というか、父母の役割論みたいなものを、我々は「家庭」という言葉でオブラートに包んで逃げてきている。家庭の中心軸は、父と母、親です。
それから、前にも申し上げたかもしれませんが、企業と父母である社会的市民の関係も日本の教育に非常に大きな影響を与えてきたのではないか。そういう意味では、私どもも組合で企業とかかわっておる一人として同じような反省も持つわけでございます。その辺のとらえ方の問題をどうするかで、だいぶ絵が違うのではないかという気がするのが1点でございます。
それから、先ほどの柔軟な学校システムですが、柔軟という言葉が語られる反面、画一的だとか、古くなったからとかいう議論であります。先ほどの科学技術創造立国の話ですが、これは、結局、天才論をいろいろやられまして、飛び入学とか、大学の飛び級とか。天才論も議論としてはわからぬではないのですが、セレクティブな意味でのフレキシビリティではなく、ある意味では極端に振れた時代の極端な印象論で特異な制度をつくって、それがフレキシビリティの一つだという印象を、当時、私その議論に参加をしておりまして感じたことを覚えております。本当に天才論というのが、国の教育の原則を考えるときに、例外的にあり得ることは私も否定しませんが、社会の基礎になるべくベーシックなことがきちんとできていない上での天才論はいかがなものかという印象を、科学技術創造立国論の中で感じたことを覚えております。
「世界最先端のIT国家」はインフラの話ですから、このことを別に否定するものではもちろんございませんが、これは時々、経団連も同友会の皆さんも、日本の科学技術のレベルが心配だ、特に理科系の教育が心配だというお話をよくされるのですが、その前に、そのようになった背景について、日本の企業社会がどういう認識をしておかなければならなかったかというその辺の議論があまりないままに、ちょっと手前勝手な議論が多過ぎやしませんかという印象は、日ごろからあるわけでございます。その辺のことも踏まえて議論をお願いできたらと思います。
取りとめない話になって恐縮ですが、最後に、中学校、高校、大学、まあ中学校の3年ぐらいからでしょうか、人生の中で、詰め込みと言われようと勉強しなければいけない時代だと思うのです。それを勉強はそんなにしなくてもいいよという人が多く、世の中、大人が、ほどほどにしてやれという議論をし過ぎてきたのではないかなと感じることがあります。
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お二人のお話は、社会とのかかわりで教育をどうするかという視点をえぐり出して言われたと思いますが、確かに日本は18~19歳で入って、22~23歳で出て、これで教育は終わりと。お父さんもお母さんもそう思っているわけです。卒業式になると全員が出てきて、私の役目は終わりという顔で卒業式に参加しているわけです。私も祝辞のときに御苦労さまという感じで言っちゃうのだけれども、問題だと今反省しておるのです。
要は、大学生が相変わらず子ども扱いでね。欧米の大学というのはギャップイヤーというのがありますよね。ギャップイヤーというのは1年ぐらい休学して外国へ行くとか、会社へボランティアで出るとか、そういうことが別に制度化しないのだけれども、社会的慣行で成立しているのです。そういう意味では、社会が大学生に対して、高等教育を受けている者に対して、ある教育を施してやろうという視点があるのです。それをまた学生も受け入れて、交流しながら高等教育を受ける。だから、何も22~23歳で出ることはないという社会慣行があれば、みんなそっちに行くので、そういう慣行をつくるべきだという意識が重要です。
もう1点、やはり就職して、子育てして、子育てということに対する抵抗の一番大きいのは、大変だと。それから教育費がかかると。それから、受験勉強も大変だし、そんなことをやっていると、自分の人生も何か暗くなるという感じで、要するに子育てを敬遠している女性がいっぱいいるわけです。そういう意味で、社会的に見て、子育てが容易にできるような、言うまでもないですけれども、保育所をはじめいろいろなことをやるような環境をつくる必要があるし、また、欧米へ行って、ちっちゃい子どもがバスに乗って座っていると、その辺のおばさんに怒られていますよね。「あなた、立ちなさい」と。御老人も、年配の人もいるのに、社会的なしつけができていない子どもはだめだという形で、平気で怒りますよね。ああいうのが全然ないですよ。そんなことを言ったら、蹴飛ばされてしまうのですね、日本では。社会が教育に参加するという面も、これから制度的にやってもいいけれども、そういう慣行がおのずから出てくるような雰囲気をこれからつくっていくような努力が必要ではないかと。今、お二人の発言を聞きまして、補足しておきます。
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先ほど教育目標で、自律心とか、公共心は理念だけで、具体的でないと。確かにそうなのですが、道徳教育に確論がないから、私も何でもいいと思うのですが、国民会議で奉仕活動と言ったら、そこだけに目が向いて反対されましたけれども、あれは道徳教育活性化の確論の切り口の一つなので、そこまで読み取っていただけなかったのは非常に残念なのですが。そういう意味では、道徳教育の確論、これは評価と関係するのですが、規範的な価値をどう評価するのかというのはこれからの課題だと思うのです。ですから、数量化の場合に、最近、学校評価基準で、道徳教育を年間30時間以上やっていることとか、そんな学校が出てきましたけれども、校庭に花が10種類以上あることとか、どこから出てきたのかよくわからないのですが、数量化への努力の苦心の後だとは思いますけれども、そういう規範的価値をどうするか。
イギリスのガボールはIQに対してEQ(エスカル・クオーシェント)を提供しているのですが、これは一つの試みだと思いますが、私はそれが必ずしもいいとは思いませんけれども、そのくらいまで考えないで、数量化というのは軽々に言えないのではないかという気がするのが一つ。
もう一つは、評価は確かに大事なのですけれども、評価の後どうするかという議論があまりないのです。評価したらその結果を生かすというのは、次の計画の反省の材料でなければいけないと思います。そういう意味で、アメリカの計画を見ますと、4年間成果が上がらないところは教員全部を入れ替えるという、これは非常に大胆で、国民会議ではそこまで考えられなくて、不適格教員を排除する方法とか、その程度だったのですが、アメリカぐらい言わないとだめなのかなという気もするのです。では、そういう人たちはどこへ行くのか。これは現に東京都でもそうだったのですが、問題教師がいると、転々と替えるのですが、その行く先行く先でみんな困っているです。だけど、替えるときに、「この先生は悪い」と言わないで、「いい先生だ」と言って押し出しちゃうのです。ですから、そういう問題をどう解決するかということがありますので、大事なことは、評価の後どうするかということも視野に入れないと基本計画にならないのではないか。以上です。
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先ほど委員のおっしゃった、教育について企業も反省するところが多いのではないか、これは誠にそのとおりだと思います。具体的にどうするかということは、今申し上げませんけれども。
それから、さっき委員から政治教育の問題が出ましたが、私も全く同感でございまして、今、とにかく投票率が非常に低い。それから、1票の格差があるにもかかわらず、国民は平気な顔をしているということは、日本の民主主義の将来を考えるときに心配なことでございます。教育基本法の8条、9条ですね。これはさっきどなたかが、第2項のほうが強過ぎ、第1項のほうが何かおろそかになっているというお話がございましたが、私も全くそうでございまして、ここら辺はかなり前向きにどう変えるべきかということを考えていかなくてはいけないのではないかと思います。それが1点です。
もう一つは、教育振興基本計画ですが、10年を見据えて5年の計画という話でございますが、そのとおりでいいと思いますが、見直しですね。この規定がどこかに入っているのかどうか知りませんけれども、入っていないとすれば、やはり3年ごとに見直すとか、毎年見直す必要もないと思いますが、それをぜひおやりになっていただきたいと思います。殊に私が数値目標云々ということを申し上げたのですが、数値目標を入れる場合に、3年ごとぐらいに必ず見直していくということが必要だと思います。そうじゃございませんと、例えば一部の道路の計画とか、ああいう形になって、硬直化してしまって、むだが出てくるということだと思います。これは世の中の変化が激しければ激しいほど、3年ぐらいに見直すということをぜひ計画の中に入れておくべきだと思います。
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私、10年後ということに、今の3年ごとということも含めてですが、こだわるのですが、ぜひ次回でも、その次でもいいですが、10年後の想定される日本の社会の在り方について、きちんと資料を準備してほしいと思うのです。例えば、豊かで寛容な社会であり続けると思うのです、10年後も。景気対策が少々失敗したってこれでいくでしょう。そうすると、我慢することとか、規律を指導するというのは、豊かで寛容な社会では、特別に親とか教師がやらないと絶対できないです。そうすると、10年後、こういう社会であればこれをやらないといかん。
国際化は進展するでしょうね。今、外国人登録が、日本の総人口の1%をちょっと超えたぐらいです。ドイツ等々が大体10%近くになっている。あるいは、スウェーデンとか、デンマークは20%から30%になっている。そうすると、日本がさあ、どのぐらいいくか。例えば3%になるとすれば、あるいは5%になるとすれば、子どもたちはかなりいろいろなことをせんといかんですね、今以上に。まさに文化の多様性、あるいは異文化への寛容性等々やらんと、やっていけなくなりますわね。
あるいは、高齢化社会というけれども、これはほとんど予想がつくわけです。65歳以上でも、70歳以上でもいいですけれども、何%になる。例えば学齢期の子どもが何分の1になっていく。そうすれば課題が出てきますわね。
というようなことで、ぜひできるだけ早い機会に、そういうことで、政府のいろいろな審議会で数字を想定していると思うのです。ですから、それを整理していただき、同時に教育課題、ここでいろいろなことが挙がっていますわね、どのように変わってくるかということをぜひ出していただきたいと思います。
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事務局 委員から御質問がございました、基本計画を基本法に位置づけるのかどうかという点ですが、これは基本法の見直しを行う場合には、ぜひとも教育振興基本計画の条文を基本法の中に入れたいと思っているわけでございます。そのときに、どこまでを基本計画に入れるかというのは、御質問がございましたけれども、それは議論していただいて、ほかの基本計画がいろいろございますから、そういったものを見ながら考えていきたいと思っております。
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豊かな人間性とか、豊かな心のことに戻りますけれども、私これを中教審で担当して、本当にこういうことができるのだろうかと思ってずうっと考え続けておりました。先週、前から行きたくてしょうがなかったのですが、とうとう時間を見つけて、宮崎県の五ケ瀬中等教育学校へ行ってきたのですが、そこの生徒と話をして、これは意外に簡単にできるのではないかという気がしてきました。
とにかくまともな子どもたちに育っているのです。私どもが校舎に入っていきますと、皆挨拶するのです。全く強制されていない。「おはようございます」「おはようございます」と挨拶される。それから、全寮制なのです。寮の仕切りとか、そういうのは子どもたちが全部やっている。夜はテレビを見ない。入学した当初はテレビを見たいという子がいるらしいのですけれども、みんなと群れて遊べるものだから、テレビなんかおもしろくなくなると言うのです。その辺にいる普通の中学生とは全く顔が違うのです。ですから、政策としてああいう学校作りを推し進めていくと、「心の教育」で言っているようなことは意外に簡単にいくのではないかという気がしたのです。
ただ、いろいろな仕組みがありまして、生徒数が240名ですから、40名×6ですね。先生方が45人から50人いらっしゃる。しかも、若い先生ばかりで、話してみると、みんな優秀な先生方です。随分な金がかかっていますね。パブリックマネーでああいうものをやることはどうかということを言っている新聞記者もいますけれども、効果は絶大ですね。
さきほどの委員の子育ての話に関連しますが、全て学校に預けて、月3万円なのです。家から通うより安いのです。親はものすごく喜んでいる。子育てのプレッシャーがありませんから。1ヵ月に一遍ぐらいしか家に帰らないようですが、その成長の度合いに親が感激するそうです。ぜひ皆様いらっしゃって下さい。目からウロコが落ちると思います。
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鳥居部会長 あれは本当にいい学校です。
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今のことで、やはりここで話題になるのは、普通の国公立の学校なのです。そうでないところは、日本でも極めて違う姿なのです。例えば、全部がお辞儀するというのは、それは聖心とか、雙葉とか、白百合へ行ってごらんなさい。それは「ごきげんよう」ですけどね。私立というのはいろいろなことをやっている。例えば、私の大学のキャンパスに来ていただいたら、3人に2人はたぶん挨拶すると思います。
それから、先ほど委員がおっしゃいましたが、4年で女子学生がみんな卒業したいということではなくて、うちの大学ですと、年間40~50人は1年間アメリカへ行っていますから、これは初めから5年計画なのです。というような、日本の教育というのは、意外と実際問題として多様性を持っていると思います。大事なのは、しかしここでは、基本的には国が責任を直接持たないといけないところについて論議しなければいけませんから、委員がおっしゃったように、ちょっと違うところは、何が効いてそういうことが実現しているのか。私は私学についても、やはり配慮の仕方があると思います。先生の揃え方から始まってですね。そういうこともぜひ話題に出していただきたい。もう、普通の公立の小・中・高の話を出すと、どうしてもしんどい話が多くなりますので、今、いい話を出していただきました。
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鳥居部会長 ありがとうございました。
まだほかにも御意見はおありかと思いますが、今日はここまでにさせていただきます。
随分たくさんの貴重な御意見をいただきました。その御意見を論点といいますか、問題点、ポイントという観点から整理をすれば、かなり幾つかの重要な論点が整理できるだろうと思います。次回、再来週になりますが、お集まりをいただきますときには、それらを整理した形で、もう少し突っ込んだ議論ができるように準備をしてもらうように、事務局にもお願いをしておきたいと思います。
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事務局 今後の日程でございますけれども、資料5でございます。
基本問題部会第3回は、3月13日(水)午後2時からということで予定しております。また、第4回は、3月29日(金)午後2時からということで予定しております。
次回におきましては、今回の御議論を踏まえまして、委員から御要望がございましたような10年後の社会、前回、高齢化のところは資料でお示ししましたけれども、できるだけ用意できるものは用意したいと思います。
また、今回の柱立てで、資料3で教育の目標とか、資料2で具体的な施策を出しましたけれども、これはまだ柱でございますので、さらに具体的な教育目標というところでブレークダウンしたものを、幾つかの項目について、今日の皆様の御議論も踏まえまして御用意できたらと思っております。
なお、総会の委員の皆様には、3月7日に中央教育審議会総会を開催いたしまして、木曜日、午後2時からでございますが、今までの議論をまとめたようなところで、教育振興基本計画を中心に御議論をいただけたらと思っております。
以上でございます。
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鳥居部会長 それでは、本日はこれにて閉会とさせていただきます。お忙しいところをありがとうございました。 |