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基本問題部会(第1回) 議事録

日   時
  平成14年2月8日(金)  15:00~17:00

場   所
  東海大学校友会館「朝日・東海の間」(霞が関ビル33F)

議   題
  (1)教育振興基本計画の枠組について
(2)これからの教育の目標、教育改革の基本的方向について

配付資料
 
資料1   中央教育審議会基本問題部会委員名簿
資料2   基本問題部会の会議の公開について(案)
資料3   主な基本計画の構成について
資料4   教育振興基本計画の主な枠組みについて(検討メモ)
資料5   教育振興基本計画(柱立て)〈素案〉
資料6   臨時教育審議会及び中央教育審議会答申における教育の目標について
資料7   最近の各種報告・提言等で示された教育の目標の例
資料8   教育基本法制定当時と現在、将来の社会状況に関するデータ
資料9   戦後教育改革の流れ
資料10   今後の日程(案)


参考1   諮問文
参考2   教育基本法
参考3   総会における主な意見の概要
参考4   教育の現状に関する資料
   
出席者
 
委   員: 鳥居会長、木村副会長、茂木副会長、梶田委員、國分委員、佐藤委員、髙木委員、中嶋委員、森委員、山本委員、石委員、市川委員、黒田委員、鶴田委員、横山(英)委員
事務局: 小野事務次官、青江文部科学審議官、御手洗文部科学審議官、結城官房長、近藤生涯学習政策局長、矢野初等中等教育局長、工藤高等教育局長、遠藤スポーツ・青少年教育局長、田中総括審議官、寺脇生涯学習政策局審議官、玉井初等中等教育局審議官、加茂川初等中等教育局審議官、徳重主任体育官、山中生涯学習政策局政策課長、桒原主任教育改革官、その他関係官

6  議    事
事務局  ただいまから中央教育審議会第1回基本問題部会を開催させていただきます。
  本日は、御多忙のところ御出席賜りまして、大変ありがとうございます。
  これから部会長を御選任いただきますけれども、それまでの間、便宜的でございますが、事務局のほうで、司会を務めさせていただきます。
  それでは、まず委員の皆様方の御紹介をさせていただきます。資料1でございます。名簿がございますので、名簿に従いまして、御紹介させていただきたいと思います。
  まず、中央教育審議会会長の鳥居先生でございます。
  副会長の木村先生でございます。
  副会長の茂木先生でございます。
  梶田委員でございます。
  國分委員でございます。
  髙木委員でございます。
  中嶋委員でございます。
  森委員でございます。
  山本委員でございます。
  臨時委員の石委員でございます。
  市川委員でございます。
  黒田委員でございます。
  鶴田委員でございます。
  このほか、本日は御欠席でございますが、永井委員と西室委員でございます。
  また、オブザーバーとして横山英一委員が参加されておられます。
  以上でございます。
  それでは、本部会の部会長の選任に入りたいと思います。
  部会長の選任につきましては、中央教育審議会令によりまして、部会に属する委員の互選により選任することになっております。いかがでございましょうか。

  基本問題部会でございますので、会全体をおまとめになっていらっしゃる鳥居会長が最適任かと存じます。推薦いたします。

事務局  よろしゅうございますでしょうか。

〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

事務局  では、鳥居会長にお願いするということで、よろしくお願いいたします。
  今後の議事の進行は鳥居会長のほうでよろしくお願いいたします。

鳥居部会長  委員から御指名いただきまして、皆様から御賛同いただきましたので、基本問題部会の部会長をさせていただくことにいたします。よろしくお願いいたします。
  早速、議事に入らせていただきますが、部会長が決まりますと、副部会長を決めなければなりません。これは中央教育審議会令の第6条第5項に書いてございまして、部会長に事故あるときは副部会長がその役をしてくださることになっておりまして、これは部会長が指名することになっております。私としては木村副会長にお願いをしたいと思いますが、よろしゅうございましょうか。

〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

鳥居部会長  ありがとうございます。
  それでは、木村先生、よろしくお願いいたします。
  次に、この基本問題部会の公開の件についてお諮りをしたいと思います。事務局で原案を持っていると思うのですが、お願いします。

事務局  資料2でございます。基本問題部会の会議の公開について、案ということでお示ししてございます。
  中央教育審議会の公開については、総会のほうも決められておりますけれども、それにならいまして、部会につきましても、「1」といたしまして会議の公開ということで、「1」の人事に関する案件、それから文部科学大臣の諮問に対する答申、あるいは意見の案を審議する場合、このほか特別の事情により部会が必要と認める場合を除きまして、公開して行うということでございます。
  それから、傍聴の場合はあらかじめ登録していただくということで、また、会場の都合等ございますので、当分の間、マスコミ関係の方に限るとしてございます。
  あと、議事要旨につきましては、議事概要を記載した書類を作成して公表することになっております。
  以上でございます。

鳥居部会長  ただいまの事務局の説明のとおりでよろしゅうございましょうか。

〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

鳥居部会長  それでは、そのような方向で進めたいと思います。なかなか難しい問題でございますけれども、透明性はできるだけ確保したほうが、むしろ国民全般に理解していただけると思います。
  では、ただいまから会議は公開といたします。報道関係者の入場をお願いしたいと思います。

〔報道関係者入場〕

鳥居部会長  では、最初に、部会の第1回目でございますので、私から簡単に御挨拶を申し上げたいと思います。
  第1回の基本問題部会開催に当たりまして、一言御挨拶申し上げます。
  昨年の11月に文部科学大臣から諮問をいただきました。中央教育審議会はいろいろな諮問をいただいているのですが、その一つでございます。今回いただきました諮問は、「教育振興基本計画の策定について」及び「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について」という諮問でございます。
  21世紀を迎えまして、社会が大きく変化し、教育の担うべき使命も大きく変わりつつあります。その中で、教育の振興のための基本計画が今まで存在しませんでした。また、教育基本法も、いろいろと議論があるところでありますけれども、制定されたのが昭和22年3月、昭和22年5月3日の憲法発布より前ということでありますので、やはりこれを見直していく必要があると思いまして、この諮問をお受けしたわけでございます。
  これから中長期的な視野で、今後の我が国の教育の基本的な方向を展望せよという今回の諮問は、非常に重要な課題と受けとめ、皆様と御一緒に審議を進めていきたいと思います。既に、総会のほうで3回ほど全般的な議論を行ってまいりました。その上で、これから具体的な問題に入っていくに際し、この部会を設けたわけでございます。というわけで、これからの新しい時代にふさわしい、よりよい教育の姿を描くことを目指して、密度の濃い御審議をお願いしたいと思います。
  委員の皆様方、本当にお忙しいところを恐縮でございますが、何とぞ御協力のほどよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
  今日初めて御参加の委員の先生方もおられますが、中央教育審議会は、いろいろな教育関係の審議会を一つにまとめて、平成13年の1月6日から新中教審になったわけです。現在、総会のほかに五つの分科会があります。教育制度分科会、生涯学習分科会、初等中等教育分科会、大学分科会、スポーツ・青少年分科会でございます。そのそれぞれの分科会がまた中にさらに部会を持ちまして、いろいろなテーマを審議しておりますが、現在、進行中の大きなテーマといたしましては、教育制度分科会におきまして「新しい時代における教養教育の在り方について」、それから生涯学習分科会では「青少年の奉仕活動・体験活動の推進方策について」、それから初等中等教育分科会では教員免許制度の在り方について審議をしておりまして、間もなく答申をするところに至っております。そのほかにも大学分科会では法科大学院の問題でありますとか、大学設置基準の問題でありますとか、いろいろな議論をしておりまして、大学分科会は全部で四つの問題に取り組んでいます。スポーツ・青少年分科会のほうも子どもの体力向上について、今審議をしているところでございます。
  さて、今日できました基本問題部会ですが、これは総会直属の基本問題部会という位置づけでございます。非常に重要な事項でありますので、総会直属の基本問題部会で、教育振興基本計画と教育基本法について御審議をいただきたいと思うわけでございます。
  今日は、主として教育振興基本計画について、事務方から若干説明をしていただいて、いろいろな経緯について教えていただいた上で、御審議をいただくことにしたいと思います。
  教育振興基本計画と教育基本法というのは、両者密接な関係にあると思いますけれども、本日のところは教育振興基本計画に関する議論を先行させて、教育基本法の在り方についてはあわせて議論を進めることにしたいと思います。
  早速でございますけれども、教育振興基本計画の枠組みについて、事務局から配付資料を説明してもらいたいと思います。よろしくお願いします。

事務局  では、教育振興基本計画につきまして、資料3、資料4、資料5に基づきまして、簡単に御説明させていただきたいと思います。
  会長のほうからもございましたけれども、いろいろな分野の基本計画が立てられているわけでございますけれども、教育についてはそういう振興基本計画のようなものがないということがございまして、国民の皆さんにわかりやすく教育の目標を提示するという形で、計画的・総合的に教育の施策を進める必要があるのではないかということで、教育振興基本計画を作成してはどうかということが諮問されたわけでございます。
  それでは、ほかのいろいろな基本計画がございますけれども、ほかの計画がどのような内容になっているのかということについての資料が、資料3でございます。
  「e―Japan計画」でございますとか、「食料・農業・農村基本計画」でございますとか、いろいろな基本計画がございますが、1枚目にございますように、おおむね計画期間は5年あるいは10年程度の計画が多いという感じでございます。
  また、計画の構成といたしましては、それぞれの分野につきまして、施策についての基本的な方針、あるいは基本的な方向が第1章でまいりまして、そのような目的を達成するために、総合的かつ計画的に講ずべき施策が記載されております。また、その計画の推進のために必要な事項、あるいは留意事項とか、財政の問題等、いろいろな体制等が書かれていることになっております。
  そういうことを踏まえまして、教育振興基本計画について御議論を深めていただけたらと思っているわけでございますが、資料4でございますが、また資料5とあわせて御覧いただくとありがたいと思いますが、教育振興基本計画というものを考えていく場合、諮問文とも照らし合わせまして幾つか整理したものが資料4でございます。
  「1」として意義でございますけれども、教育振興基本計画を策定することによりまして、これからの教育の目標、あるいは教育改革の基本的方向を明らかにして、総合的・計画的に実施すべき施策、あるいは必要な投資の在り方、国、地方公共団体の役割等について明らかにするものにしてはいかがかということでございます。
  また、計画期間でございますけれども、ほかのものと比べまして、おおむね10年後程度の社会、教育の目指すべき姿を考えながら、5年間程度で具体的施策を盛り込むことはいかがかということでございます。
  また、教育振興基本計画の対象範囲でございますが、教育に関する事項にしてはということでございます。科学技術、文化、スポーツ等、いろいろ関連する分野がございますけれども、教育に含まれる分野は盛り込みますけれども、あるいは言及するという形で、これらの分野にはそれぞれの基本計画等がございますので、関連するところは含めていくということを考えてはいかがかということでございます。
  盛り込むべき事項でございますけれども、これからの教育の目標、あるいは教育改革の基本的方向といった事項。これは資料5で御覧いただきますと、柱立てのイメージを素案ということで簡単に示させていただいておりますけれども、「第一」といたしまして、「教育に関する施策の基本的な方針」ということで、これからの教育の目標、教育改革の基本的方向というようなもの。
  「第二」の柱に、「教育の目標を達成するため総合的かつ計画的に実施すべき施策」を書いてございます。
  「第三」の柱といたしまして、そのような「施策を推進するために必要な事項」ということで、1番目には施策を推進するために必要な教育投資の在り方、また2番目に、施策を推進するための政府及び地方公共団体の役割とか、連携について記述していく。
  おおまかに言いまして、柱としてはこのような3本の柱で構成してはいかがかということを考えたところでございます。
  以上でございます。

鳥居部会長  ただいま資料説明していただきましたように、いろいろな基本計画と称するものが我が国には存在します。本日御出席の委員の方々の中にも、それらの他の基本計画の制定にかかわられた方もおいででいらっしゃいます。とりわけ我々がこれから審議しようとしている教育振興基本計画に非常に縁の深いものとして、科学技術基本法に基づく科学技術基本計画がございまして、既に第1期の5年間を経過し、今年から第2期目に入っています。第1期目が5年間で17兆円、第2期目が5年間で約24兆円の予算を伴うという非常に特殊な、日本では珍しい基本計画がつくられ、進行中でございます。
  そのようなわけで、我々がこれから審議する教育振興基本計画をどういう姿に持っていくかというのは非常に重要なことだと思います。
  今日は、教育振興基本計画の資料が、資料4と資料5と出てまいりました。今日はまず教育の目的、それから教育改革の方向、教育振興基本計画に書くべき冒頭の部分をまず御議論いただきたいと思います。
  教育の目的というのは、教育基本法のほうとも密接な関係があります。と申しますのは、国がまだ発展途上国であった時代にできた基本的な教育の指針となるもの、それは聖徳太子の十七条憲法から始まって、五箇条の御誓文、そして教育勅語と、いずれも教育というのはかくあるべしということをうたった部分がありまして、言ってみれば教育の理念といいますか、国民にそれを理解してもらうべきことを書いてあったわけです。我々はそういう理念法的な部分と、それから制度としてしっかりと構成しなければいけない制度法的な部分と両方を考えていかなければならないわけでありまして、その意味では、今日御審議いただく教育の目的というのは、教育振興基本計画のみならず、日本の教育の在り方全体の柱になる部分だと考えられると私は思います。そういうことも踏まえまして、御審議をお願いしたいと思います。
  なお、資料6と7は今までに教育の目的、あるいは教育の目指すべき方向について、たくさんの教育関係の審議会等で議論されたものの抜粋なのです。これを事務局から簡単に説明していただければと思います。

事務局  では、資料6及び資料7に主に基づきまして、御説明させていただきたいと思います。
  教育振興基本計画の中で、柱立ての1番目といたしましては、教育の目標とか、教育改革の基本的方向が記述されることになるかと思いますが、参考といたしまして資料6でございますが、これは昭和59年から62年に開催されました臨時教育審議会及びその後の中央教育審議会で数々の答申が行われておりますけれども、その中で、21世紀を見通しました教育の目標を検討いたしました主な中央教育審議会の答申について簡単にまとめたものでございます。
  まず、社会全体の方向ということでございますけれども、臨教審では、成熟化、科学技術の進展、国際化というところを三つの大きな方向として挙げております。
  平成8年の中央教育審議会「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第一次答申)」でも分析しておりますけれども、国際化、あるいは情報化、科学技術の進展、地球規模の環境、あるいはエネルギー問題、高齢化・少子化の急速な進展、男女共同参画社会というような社会の変化を見まして、これからの社会というのは変化の激しい、非常に先行き不透明な厳しい時代であるという認識でございました。
  そういう認識をもとにいたしまして、これからの人材養成あるいは教育の目標がどうあるべきかという点につきましては、臨教審では第二次答申、第四次答申で述べておりますけれども、21世紀のための教育の目標といたしましては、ひろい心、すこやかな体、ゆたかな創造力、あるいは自由・自律と公共の精神、世界の中の日本人という点を掲げております。このような目標のために、大きな視点として三つ、個性重視、生涯学習、変化への対応、国際化、情報化といったものへの対応を挙げております。
  このような臨時教育審議会の基本的な方向も踏まえまして、平成8年の中央教育審議会で「21世紀を展望した我が国の教育の在り方」を議論したわけでございますが、第一次答申で、まず教育の基本的な方向といたしまして、豊かな人間性など不易の部分、変わらない部分、それから社会の変化に適切に対応するといった、流行という部分、この両方が教育には必要であると言っています。また、これからの変化の激しい社会には、「生きる力」を養っていかなければならないといいまして、「生きる力」といいますのは、自分で課題を見つけ、学び、考え、主体的に判断し、行動し、問題を解決する能力、あるいは自らを律し、他人と協調し、他人を思いやる心、感動する心など豊かな人間性とたくましく生きるための健康、体力を述べております。こういう「生きる力」をはぐくむということをこれからの教育の目標といたしまして、これからの教育においては、学校・家庭・地域の連携でございますとか、子どもの体験の重視、あるいは「生きる力」を重視した学校教育の展開、あるいは子どもと社会全体で「生きる力」をはぐくむことができるように、「ゆとり」の確保といった点を挙げておりました。
  平成9年に、第二次答申を行っておりますが、この中で、「ゆとり」の中で「生きる力」をはぐくむことを目指して、個性尊重を基本とする。あるいは形式的な平等の重視から個性の重視へ、あるいは社会の変化に対応した個性的・独創的な人材の育成、それとともに思いやりや社会性、倫理観、正義感等の豊かな人間性、伝統・文化の尊重といった、時代を超えて変わらない価値の重視を挙げ、また、教育における選択の機会、あるいは学校や地方公共団体のほうの裁量の範囲の拡大という方向性を挙げたところでございます。
  また、平成10年には中央教育審議会から「新しい時代を拓く心を育てるために」という答申も出しておりまして、未来に夢、目標を抱き、創造的で活力に充ちた国、社会をつくる。地球規模の課題に積極果敢に取り組む、世界の中で信頼される日本人が育つよう、社会全体で子どもたちの「生きる力」をはぐくむことが重要だとしまして、美しいものや自然に感動する心、豊かな感性、正義感、公正さ、あるいは倫理観、社会貢献の精神、自立心、責任感、他者との共生とか異質なものへの寛容といったものを挙げたところでございます。
  また、平成11年には、「初等中等教育と高等教育の接続の改善」という、入試の関係の答申、その中でも初等中等教育あるいは高等教育の役割ということで、今までの中教審の答申も踏まえた答申が出されている状況でございます。
  このような形で、中央教育審議会の中で、今後、21世紀を展望しながら、我が国の教育をどのような方向に持っていくのかという目標について検討してきたわけでございますが、資料7、これは中教審以外の、最近の各種の政府関係、あるいは経済団体等での報告書、提言等で示されました、社会全体の展望でございますとか、教育の目標について触れたものから、幾つか主なものを拾ってきたものでございます。
  1ページから御覧いただきますと、社会全体の方向といたしましては、例えば平成13年、昨年6月の経済財政諮問会議でございますが、21世紀の日本が目指すというのは、国民が自信と誇りに満ち、夢と希望を持って、ルールと社会正義が重視される、あるいは自然との共生でございますとか、安全・安心とか、世界に開かれ、魅力ある社会。
  あるいは、同じく諮問会議の今年の1月でございますが、中長期に目指す経済社会といたしまして、人を何より重視する社会、あるいは世界の人々にとって魅力ある国、あるいはいろいろな課題に国民が積極的な挑戦ができる社会をつくろうというものを挙げてございます。
  それから、2ページ目でございますが、例えば経団連では、平成12年の「グローバル化時代の人材養成」という観点では、個性や創造性を生かし、倫理観や責任感を持って新しい経済社会の構築をしていくという点。
  あるいは、経済同友会でございますと、新しい日本の姿というのは、それぞれの可能性に積極的に挑戦し、生きがいを実現する、あるいは多様な個人のエネルギーを生かすことのできる社会ということを言ってございます。
  3ページ以下でございますが、ここではそういういろいろなものに掲げられました人材養成とか、教育の目標といった点を幾つか拾い出したものでございます。
  経済財政諮問会議の今年の1月では、国際競争力のある大学の実現とか、自ら考え創造する力を持った人材の育成、初等中等教育の多様化、活性化といった点を挙げております。
  あるいは、一昨年の平成12年の教育改革国民会議の報告では、子どもの社会性をはぐくみ、自立を促し、人間性豊かな日本人を育成する、あるいは一人一人の持って生まれた才能を伸ばし、それぞれの分野で創造性に富んだリーダーを育てる、また、新しい時代にふさわしい学校づくりをするといったような点が挙げられておりました。
  そのほか、「21世紀の日本の構想」懇談会、総理の懇談会でございましたが、人間として生きるために不可欠な基本的約束事、あるいは社会人として生きるための基礎的な知識、職業人として必要な基礎知識と技能が教育の目標ということで掲げられていたところでございます。
  一番下は、OECDの教育大臣会議、これは2001年4月でございますが、万人のための生涯学習という考え方とか、生涯学習への投資は、国及び国民の将来への投資であるといったようなことが、国際的にも挙げられているところでございます。
  4ページでございますけれども、ここでは幾つかの経済団体からのものを掲げてございます。
  経団連の「グローバル化時代」の中でも、必要とされる人間像として求められる基礎的能力、あるいは国際的に通用する能力を持った、指導的立場の人材が必要であるといった点でございますとか、経済同友会の「21世紀宣言」、昨年の12月では、競争力の源泉としての人材育成の重要性を指摘して、具体的には基礎・基本、教養、あるいは生きる力、問題発見・解決能力、グローバルなコミュニケーション能力、多様な個性の伸長と創造性の育成といったこと、あるいは社会の一員としてのパブリック・マインドといった点を挙げているところでございます。
  資料7の最初のページに、簡単にキーワードになるようなものをピックアップさせていただいておりますけれども、「人材育成・教育の目標」という点では、ここにありますような「豊かな心」とか、「伝統文化」とか、「基礎知識」とか、「個性、才能」「創造性に富んだリーダー」「多様な学校システム」「国際競争力のある大学」「国際化・情報化」「家庭や地域の教育力」「生涯学習」といったタームが、一つの教育の目標という中で、既存のものの中で挙げられていたという御紹介でございます。
  それから資料8は、前回の総会で、50年後に人口も大きく変化するので、そういう資料も出してはいかがかという御意見がございましたけれども、ちょうど最近、人口推計もありましたので、資料8ということで出させていただいております。現在、1億2,692万人おりますが、将来推計では、50年たちますと、これが1億人ぐらいになるということで、下に表が簡単にございますが、0~18歳人口がかなりと減っていくという形でございます。
  2ページ目は家族類型ということで、単独世代が増えるということとか、その下には、今、日本は人口が世界で9位ぐらいですけれども、17位ぐらいになるという状況がございます。
  資料8の3枚目は、参考までに教育基本法を制定した当時と現在との社会状況の変化を簡単にまとめております。
  資料9は、戦後教育の改革の流れについて簡単にまとめました改訂版でございます。
  以上でございます。

鳥居部会長  今日、この御審議をいただきますと、この後は2月25日(月)にこの部会をまた開かせていただくつもりでおるわけでございます。そのときにはまた、さらにいろいろな資料をお出しできると思います。例えば、他の各国においても、教育基本計画に相当するようなものがいろいろございますので、それを今用意してもらっております。そのようなものも、お気づきのことがありましたら、こういう資料を用意するようにというようなことも、今日の御審議の中で御指摘いただければと思います。
  資料は以上でございますが、最初でございますので、フリートーキングという形でいろいろな御意見を出していただければ幸いでございます。どうぞよろしくお願いいたします。どんな点からでも結構でございます。

  今、いろいろな報告書やら何やらの基本認識、そこから出てくる教育の目標の一覧を見せてもらいましたけれども、例えば我々が5年、10年先を考えるときに、社会がいわば構造的に変化していく。少子・高齢化であるとか、科学技術の進展であるとか、あるいは科学技術とも関係しますが情報化であるとか、あるいは国際化等々、これにどう対応するかという視点はあるのですけれども、実は私たちはそれ以上に考えなければいけないのは、今既に子どもたちの現実の姿に重大な問題が出ているということです。これはたぶん1970年以降の、豊かになって、自由になって、寛容になって、物わかりのよくなったこの社会の中ではぐくまれてきた、それが今出ていると思うのです。
  具体的に言うと、学校嫌い、あるいは出会い系サイトなんかでのああいうこと、あるいは凶悪犯罪が青少年に非常に増えているということ、挙げ出したら切りがないのですけれども、つまり、成人式のああいうTPOがわからない、おもしろければ何をやってもいいような、そういう若者がたくさん育っていて、このあたりで、社会が高齢化するからとか、社会の科学技術がどうとか、あるいは国際化が進むということと別の視点から、何か手を打たなければ、このままネガティブな方向にどんどんいくのではないかという視点が非常に弱いのでないかと思うのです。ただ、教育改革国民会議の初めのほうには少しそれが書いてあるのです。
  どうしてもお役所から出てくる資料は、今までのトレンドをそのまま延長した、国際化とか、科学技術とか、少子・高齢化とか、等々は出てきやすいのですが、これはもちろん議論せんといかんけれども、もう一つ、一人一人の生活者の立場に立ったら、それ以上に脅威に感じているのは、今いる子どもたちがこれで大丈夫かということだと思います。あるいは、自分でもし親として子どもを持っているとすれば、ほんとまともな大人になるだろうか。
  これはくどいようですが、これからの10年のトレンドをどうのこうのだけではだめであって、今ここでどういう手を打たなければいけないのか。心理学でいえば、母性原理的なものと父性原理的なもの、両方世の中には必要なのですが、母性原理的な物わかりのいいものばかりが表に立って、人間として大事にしなければいけないことがあるじゃないかとか、「だめなものはだめ」とかね。そういう父性原理ですね、切るものを切るという。あるいはきちんとした筋を通していくという、これがやはり失われてきているのではないか。これは見えるシステムの変化をこれから5年、10年先に延ばしていってもなかなか出てこないので、ここで私たちは危機意識を持って、これをいわば食いとめる、逆転させる、どうしたらいいかということを少し話さんといかんのかなと。最初ですので、印象を申し上げました。

  私は委員のおっしゃったことに全く賛成でございましてね。企業でも、我々は計画を立てるときにどうするかというと、恐らく鶴田さんのところも同じだと思いますが、どこの企業も将来展望と同時に現在解決しなくてはいけない切実な問題を抱えているわけでしてね。それは両方計画の中に入るのです。それは非常に大切なポイントで、夢ばかりを追っていますと、足元がうっかりするということで、全く同感でございます。
  もう一つ申し上げるのは、これは企業の例でございますけれども、この前も一、二回申し上げたのですが、この柱立ての、「第一」「第二」「第三」とあるうち、「第一」は定性的なものでいいと思います。「第二」の「教育の目標を達成するため総合的かつ計画的に実施すべき施策」のところにいろいろ書いてありますけれども、これはできるだけ数値化したほうがいいと思います。数値目標にしませんと、後でそれを評価するときに非常に難しいということになりまして、数値化できるものはできるだけ数値化したほうがいいのではないかと思います。

  資料をいろいろお配りいただいて、ざっと目を通した感じなのですけれども、教育の問題は大変難しい問題ですけれども、二つの側面があるのではなかろうかと思うのです。
  一つは、教育の理念というか、どういう考え方で人を育てるか。逆に言うと、どういう人を育てるためにどういう教育が必要かと。どちらかというと哲学に近いようなとらえ方ではないかと思います。ひっくくって言うならば、教育の目標ですね。
  その問題と、では最近における社会・経済情勢の変化にどう対応するかという問題は、技術論と言っては失礼ですけれども、そういう側面もあるのではないかと思います。
  だから、教育の理念、哲学というものについては、これはどちらかというと教育基本法にかかわる問題なのかなという気がしますし、振興計画のほうは当面の教育の在り方をどうするかという技術論に近い問題なのかなという気がするのです。
  中国の古い言葉ですけれども、今もって生きていると思いますが、「1年のことを考えるなら、食糧をつくりなさい、食べるものをつくりなさい。10年のことを考えるなら、木を植えなさい。100年先のことを考えるなら、人を育てなさい。」。中国にそういうことわざみたいなものがあるのです。これはなかなかいい文句だと思うのです。教育の理念は超長期のものではないかと思います。
  ですから、先ほど振興計画で10年、あるいは実施計画5年というお話が出ているようですけれども、実施計画はそれでいいと思いますが、理念は万古不易とは言わないけれども、かなり長い期間にわたって、非常に極端なことを言うと、日本の民族がこれからどう生きるのかという基本問題ですよね。それに触れたものでなければいけないのではないかという気がするのです。それを言い出すと振興計画とごっちゃになってきますから、仕分けは難しいかもしれませんけれども、頭の中でそれは整理していく必要があるのではないか。
  私は今まで教育基本法というのがあるというのは知っていましたけれども、読んだことがないのです。教育基本法というのを斜めにね、ちょっと見ましたら、すさまじく古風で、何を本当に言わんとしているのかよくわからんというようなところもあるしね。教育振興計画が基本法にのっとってとか、基本法の枠内で何かやるということになると非常に難しいのではないか。むしろ基本法は無視していいですよ、基本法は関係ありませんと。今の現実に即して、今起こっているいろいろな問題を現実的に解決する教育の方法が必要なんですということであれば理解できますけれども、基本法の精神にのっとって云々ということになると、いいものができないのではないかという感じがいたします。
  しかし、それを議論していると、たぶん元にまた戻ってしまうのではないかという気がするのです。先ほど御説明いただいたように、いろいろな機関で教育の在り方について提言というか、方向づけを出していますね。およそすべて網羅しているのではないかという感じがしますね、ずうっと読むと。つけ加えるところはないのでないかというくらいの感じですよね。それにどういうプライオリティをつけてやるかという、そういう今や段階にきているのかなと思います。例えば、国際化の問題は非常に重要だし、それから先ほどから出ている少子・高齢化の問題、科学技術、これは目前に迫った問題ですよね。そういう問題にどう対応していくか。
  委員も先ほどちょっと触れられましたけれども、少子・高齢化で、一体だれが日本人としてこれから労働人口になって働いていくのだということを考えた場合に、例えば労働人口はこれから減ることがあっても増えることはない。そうすると、日本の経済成長をどうやって図っていくのか。それでは、今、6・3という問題があるけれども、そういうものに触れるのか触れないのかとか、そういうものを議論すると大きな問題にはなりますけれども、問題は出尽くしているから、どうやってこれを整理して、実行計画というか、振興計画に盛るか。プライオリティをどうつけるか、そういう段階にきているのかなというね。感想だけ申し上げておきます。

  基本計画というものは、平成に入ってから各分野でどんどんつくられてきたわけでございます。それ以前はあまりなかったと思います。二、三ありましたけれども。そうしますと、計画というと、何となく社会主義思想の感じでございまして、経済計画、あるいは国防計画というようなものをすぐ頭に浮かべるわけでございますが、冷戦が終結して、規制緩和が叫ばれる時代になって、かえっていろいろな分野で基本計画というものがつくらられるようになった。この背景をどう解釈したらいいのでしょうか。これをぜひどなたかにお教えいただきたいと思うわけでございます。そうでありませんと、例えば科学技術基本計画が成功したというようなことを言われますけれども、今まで10何本、基本計画があるわけですが、そのすべてが成功したわけではないと思います。そうすると、これは基本法をつくったり基本計画をつくるだけではなくて、それにプラス様々な要因とか、背景というのがあって、そういうものが成果を生んだり生まなかったりするのだろうと思います。こういったものが平成に入ってからどんどんつくられるようになった背景と申しますか、理由と成功例あるいはあまり大きな成功を生まなかった例の要因をお教えいただければ、今後、基本計画を考えていく上で有益なのではないかと思います。

事務局  確かに委員が御指摘のように、土地基本法というのが平成元年にできまして、それ以後、環境、高齢社会、科学技術、ものづくり、男女共同参画、食料・農業・農村、循環型社会形成、高度情報ネットワーク、水産、そして一番新しいのが文化芸術振興基本計画というのができるはずでございますけれども、確かに平成以降、たくさんできているというのはそうだなというのを、今、改めて感じています。
  科学技術基本計画は、お金を入れたわけでございますね。お金を入れて、あのお金をもってして、背景にやや予算確保に非常に使った、そして実を上げた。もちろんその前に、道路整備関係のいろいろなものが、数字の入ったものがあったわけでございますが、あれは道路等のある限られた領域のお話でございましたですね。それがわっと広がったのは、確かに17兆円という数字がある実効を上げたというのが見えたことというのが、一つの要因であったような気がいたします。
  一昨年、スポーツ振興基本計画というのをつくったのですが、何でできたかといいますと、実は昭和30何年かにできたスポーツ振興法という法律がございまして、そこで文部省はスポーツ振興基本計画をつくるべしということがあったのですけれども、実はできてなかったのです。その時々の保健体育審議会の答申等、そういったようなものがいわば計画のようなものだということできたのですけれども、スポーツ振興くじ、サッカーくじ、totoの仕組みが、いろいろな議論のもとで、国会でもいろいろな審議があって、昨年から始まって、平成14年度からその収益をと、こうなっています。その論議の中で、スポーツ振興くじをつくるのだったら、そのお金をスポーツ振興に充てるというけれども、どんなスポーツ振興に当てるのだ、見えないじゃないかということで、それではこういうことでスポーツ振興を図るのですと、そういった計画をつくるべしという国会での議論がございまして、そこで保健体育審議会でいろいろ議論をしていただいて、それまで長い間、これはこういうことをしたらいいというのがいっぱいあったのですけれども、それの集大成のような形であの計画をつくったという事情がございます。

  今までの御説明は、霞が関で実際にポリシーに参加されている方の御感触だと思いますが、私はいろんな審議会で、土地基本法と土地基本計画と環境法での環境絡みのところと二つ見ていて、結局、基本法というのはある意味で基本設計ですよね。もう一つの計画のほうは、詳細設計ですね、家の建築に例えれば。恐らく基本法では何も出てこないわけですね、やりたいことの具体例が。これは釈迦に説法的なことを言うのですが、例えば土地基本法であれば、土地を下げなければいけない、何だかんだ言いつつ、地価を下げるために地価税を入れたとか、規制をしたとか、あるいは融資でどうしたとか、具体的なことが出てくるというイメージなのです。
  今回、これに参加して、基本法というのはまさに昭和22年にあって、延々として、その間、何で基本計画をつくらないでほっておいて、基本計画に従わない形で様々な教育施策が出てきたわけですね。したがって、そこの食い違いは他の基本法と基本計画と随分違うのだろうと思います。これからどのようにそのギャップを埋めていくのかなと思って、興味津々で見ておるのですが、埋まるのか埋まらないのかもわからないけれども、その辺は他の基本法と基本計画とは随分違うのですよね、その点は。
  そこで、私は皆さんの御議論を聞いて、一つだけつけ加えておきたいのは、確かに足元がおかしいというのはまさにそのとおりですよね。したがって、将来を眺めてもいい案が出てこないのではないか。あるいは、出てくるのかもしれないけれども、空虚になるだろう。私は思いますけれども、足元がおかしいというのは、やはり過去がおかしいからですよね。要するに、我々は50年間、灰燼に帰した中からよみがえって、日本を一流国にした、その過程において人材育成も含め、教育も含め、様々やってきたのですが、私ぐらいの世代になると全部その過程を見ていますから、その過程で何が起こったかというのがある程度実感的にわかるのですが、そうでない世代が、今、圧倒的に多くなったわけです。恐らく豊かな生活の中で失われたものが圧倒的に多くなった。それは恐らく公徳心であったり、全く社会に対する無責任な対応に対してしかる人もいないし、野放しにするとか、いろいろあったと思います。足元がおかしいというときは、全部フォローするのは難しいとしても、根っこはそこにあるという意識のもとに、もう1回さらってみないと先が見通せないと思います。
  と同時に、考えたらここの審議会は、将来を語るような若い世代の方はあまりおらんのですな。大体昔のことを振り返ることしか、たぶん我々の功績はないのだろうと思いますよね。これであと10年、20年、あるいは50年やっても、責任を持ってそれを見届けるというわけにいかんわけだから、やはり過去のほうの経験なり記憶をもう1回整理して、将来の世代に残すといった作業も一つは必要である。それだけでは困ると思いますが、必要ではないかと思います。

鳥居部会長  私も感想めいたあれですが、申し上げますと、私学の立場でずっと考えてみますと、計画を立てないわけにはいかない問題がだいぶたまってきたということがあります。一番わかりやすい例は、老朽化校舎です。老朽化校舎というのは、今、概算ですけれども、私学全体で約4兆円分の建設計画になるのです。ほぼ同額が、本気でやると国立大学、公立大学にも老朽化施設がたまっている。特に旧七帝大のように、できたのがそもそも大昔という学校は、老朽化校舎の塊の学校なのです。これを建て直していくのに、国立、公立の場合にはそれぞれの単年度予算ではありますけれども、やはり計画がないとお金の出しようがない。私学の場合には、なおのことかなり長期の計画を立てないといけない。その計画を提示して、例えば国の補助を仰ぐとか、あるいは財界の寄附を仰ぐという場合には、計画が不可欠になります。
  だいぶ解決はしてきているのですが、私学の場合には税制上のいろいろな、税金を払わなければならない行為が生じてしまうのです。委託研究を受けても今までは税金が一部かかっていたわけです。それを今度、減免税が実現したのですが、減免税をしますと、それは国のほうから見ると歳入減になるわけです。その歳入減は幾らぐらいになるのかということがはっきりしていないと、つまり計画がないとうまくいかないということで、今回はある種の計画値を出して納得をしていただいたわけです。
  そういう意味で、いろいろな面で計画が必要なのだなということはわかりますが、委員の御質問のように、なぜそれが平成8年ごろからと言われると、全体としては私にも答えはないのですが、私学の場合にははっきりしていまして、老朽化校舎問題が本当に深刻になり出した時期とほぼ一致しているのです。ですから、私には納得がいくのですが、一般論としてはあまりすっきりした説明はちょっとないわけです。

  今のお話で、私の考えを申し上げますと、要するに基本計画というのは中長期的な計画なのですが、やはり単年度予算で政府のタックスペイヤーズ・マネーが使われると、非効率になる場合があります。先を考えないで、整合性がなく使われるということが起こり得るわけです。それをなくすために、最近、政府でそういう中長期的な計画をつくり始めたのではないか。また、一般の国民も、毎年の単年度予算だけではおかしいのではないかという考え方が強いのですね。もちろん、実際に執行するのは単年度予算ですけれどもね。ですから、さっき事務局が言われたように、タックスペイヤーズ・マネーを使う一つの説明資料として、単年度予算だと無駄が出るから、こういう長期的計画も必要であると思います。ただ、それはある程度見直さなくてはいけないのです。ある時期、見直さないと、今の道路計画みたいになってしまうわけですよね。ですから、見直さなくてはいけませんけれども、ある程度先行きを見ながら、単年度予算の中に反映させていくということで、効率的にお金を使おうという動きではないかと思ったのですが、いかがですかね。

  何を今後やりたいかという具体的なイメージが政策論として出てこないと、恐らく基本計画というのはつくりにくいのです。従来、教育というのは抽象的なレベルを基本理念的なレベルで、ある意味では何かカッコいいことばかり言っていたわけですよ。人づくりとか、国際化に対応するとか、情報化が大事でどうだこうだということを言っていましたが、ただ、教育の中に、今言った予算獲得要求みたいなものを生々しく出すと、これはまたちょっとイメージダウンになるのかなという心配もしていましてね。これはどうするんですかね。私はわからないということで、問題提起をしているのですがね。ただ、ほかの基本計画というのは何かやっぱり施策としてやりたいということが背後にあって、前面に出ているものなんです。それと同じふうにするのか、それともまた超越したところで何か論ずるか。

  委員の問題提起についてですが、ほかの基本法、基本計画と科学技術基本法、基本計画とは少し違うのかなという気もしています。アメリカの元国務長官のペリーさんが日本へ来られたときに講演をされたことがあります。「アメリカの成功、日本の失敗」というタイトルだったのですが、冒頭、彼は、日本が大きく失敗したのは、通産省が産業競争力を増そうと思ってセットしたターゲットが間違ったのだということを言ったのです。つまり、マイクロチップ、高品位テレビ、次世代コンピュータにターゲットを絞ったが、それが大間違いであったということを言ったのです。
  それを聞いて、通産省の人たちは驚いてしまって、我々はそんなことをセットした覚えがないと言うのですが、外国から見るとそのように見えるのですね。要はそのような場当たり的なポリシーを出したことによって、とんでもない間違いをしてしまったという反省から、省庁横断的に科学技術に関するものは全部ひっくくって議論すべきだという考えが、科学技術基本法、基本計画の背後にあるのではないかと思います。
  それぞれの基本法、基本計画が出てきた理由は違うのでしょうが、委員のおっしゃっているように、そのような背景があるのではないかという気がしています。そういう意味で言うと、教育も今まで一所懸命やってきたのだけれども、それぞれのポリシーが、バラバラであったために、このような結果になってしまったという側面があると思います。やはり、脈絡のあるようなポリシーを出していく必要があるということから、こういうことは必要ではないかという感想を持っております。

  私も、委員がおっしゃったようなことと同じ印象を持っているのですけれども、平成9年12月に出した行政改革会議の最終報告で、一つの重要なことを言っているのは、従来の各省割拠主義が不可能になってきた。それは高度経済成長が終わって、厳しい価値選択、政策選択をしなければならなくなってきて、従来のような各省割拠主義体制ではちょっとうまくいかないだろう。そこで、国家としての総合戦略、総合調整力を強くしなければいけない。それで内閣主導、内閣総理大臣の主導性云々と言っているわけです。やはりそういう背景があって、国として相当厳しい価値選択、政策選択をせざるを得なくなってきた。その選択をするときに何を基軸にして、どういう選択をするのかというのが、まだ途上にあって見えていないところがあるのだろうと思いますが、そういうかつての各省割拠主義体制ではやれない状況が大きな背景としてあるのではないか。
  そういう中で、これまでの基本計画がどう位置づけられるべきなのか、個別に評価したらどうなのかというのは別にあると思いますが、大きな背景としてはそういうのがあるのではないか。
  今度、我々がここでやるときに、さっき委員がおっしゃったように、何を具体的にやろうとしているのかということを相当示さないと、何かこんなことを考えたということだけで済むようであれば、あまりエネルギーを使った割には意味のない作業になるのではないか。今の段階では抽象的なことしか申しませんけれども、そういう印象は持っております。だから、ここで全体の絵としてどういう絵を描いて、どういう順番で何をやるかということを、ある程度具体的に示す必要があるのではないかと思っています。

  具体的に示すということで申しますと、資料7で、各経済界からの教育の目標についての提言、要望があるのですが、これを見ていまして、経済界からいろいろな教育目標についての要望はあるのですが、教育界から経済界への要望というのはないのです。つまり、教育は社会的ないろいろな機能の中で、一番弱者なのです。
  そういう意味で、たぶん具体的に申さないと誤解を招きますので申しますと、例えば資料7の1ページに、経済財政諮問会議のところで、「豊かな自然との共生」とあって、これはだれも反対しないのですが、本当に「豊かな自然との共生」を考えるなら、ロボットの犬なんかつくって、あれはロボットとの共生なので、「豊かな自然との共生」に反する。例を挙げれば切りがないのですけれども、そのように教育というのは社会的な弱者で、資料3の男女共同参画社会の基本計画の中を見ましても、「5」で、「仕事と育児の両立」と「仕事」が先にきているのです。「育児」が後にきている。順序は私は大事だと思うのですが、文部科学省だったら「育児と仕事の両立」と言うべきだと思うのです。
  そのように、教育というのは常に社会的弱者で、今ある先ほどおっしゃったいろいろな問題も、経済界からの要求だけではないのですけれども、政治の要請とか、そういうものの要求を全部受け入れて、場当たり的にやってきたということもあるのではないかと思います。その典型は、ローレンツが既に言っています文明の発達といいますか、便利さが人間をだめにしているので、便利というのは依存心の増大ですから、人間というのは知らず知らず依存心が増大して、依存心が増大しているということは、自立できないということです。教育は自立を目指しているのに、経済あるいは文明は便利になって、教育の足を引っ張っているのが現状なのです。
  今日、私、午前中、あるところへ電話しまして、毎月雑誌を送っていただいている方なので、丁寧に「住所が変わったので変更をお願いします」と言ったら、「あ、それならファクス」で送ってくださいと言うのです。びっくりしましてね、「おたく、ファクスはないのですか」と言う。「いや、今、電話しているのですから、すぐ電話で言えるじゃないですか」と言ったら、しばらく沈黙して「あ、そうですか。どうぞ」と。既にファクス依存症なのです。こういうことがどんどん進めば進むほど教育はだめになるので、人間というのは不便なときに努力する習性を持っている。学校も便利になり過ぎているのです。自立のための便利さが教育の便利なのですけれども、教育の便利と経済の便利と違うと思うのです。そういうことを考えますと、安易に経済界の要求だからやりましょうというわけにもいかない面もあるのではなかろうかということが1点です。
  もう一つは、目標に関してですが、何か新しい人間像とか、これからの社会像を考えなければいけないと言われて、いろいろなことをおっしゃるのですが、その中身を見ますと、半分ぐらいは不易の補完なのです。教育における不易と言われるものが実現できていないから、それを今からやりましょうということが、新しいもののように映っている。本当はちっとも新しくないのですが、我々はそれを新しいと思っている。そういうものがありますから、目標を設定する場合でも、不易の補完、不易を実現するためのものと、新しい時代的な要請ということを考えなければいけないのではないかという感じがいたします。不易というのは、言うまでもなく知・徳・体の調和的発展です。いろいろなアンバランスがありますが。
  最後に、基本法と基本計画の関係でいろいろ議論されていますが、基本計画を先にやるのは逆だとか、いろいろな意見もあるようですが、基本法と基本計画の関係を見ますと、基本法があって基本計画があるものと、基本法がなくて基本計画があるものと、それから基本法があるのに基本計画がないものと、いろいろなタイプがあるし、基本計画の中身も多様なので、そういう議論にはあまり振り回されないほうがいいというのが私の考えです。

  参考資料3で、既に総会でいろいろな御意見が出ていますので、それと重複するところもあるということを初めにお断りして、私なりの考えを申し上げてみたいと思います。
  今日いろいろお話があったことの中でも、私も計画が絶えず診断ができるようなものでなければいけないのだろうと思います。従来のこうあるべき論だけではとてもうまくいかないのではないかということが、最初にあります。
  その次に、教育の恩恵というのは、個人に帰するとともに社会に帰するという両面があるのだろうということを前提にしたいと思います。個人と社会の両方に帰する。それは相互に関連があるけれども、個人の側からと、社会の側から見ていく必要があるのだろうと思います。
  個人の次元で見てみますと、これからの少子・高齢化が進むということは非常に大きくて、そのことを頭に置いて、人の一生ということを考えなくてはいけないのだろうと思います。高齢期になっても能力を柔軟に保たなくてはいけないということがあります。そういうことで、人の生涯ということでいえば、まず若いときには成熟を目指す。何か自立できるというのが成熟でいいと思うのですが、非常にファジーな概念です。成熟したら、その次に自分の能力を思うように発揮できるような完成を目指す。完成という言葉がいいかどうかわかりませんが、人生の完成を目指すということで、人の一生を描くというのがあります。
  それから、社会的次元のところになると、今度は歴史的背景というのがあるのだろうと思います。歴史的な背景のもとに言いますと、日本の場合には物的資源がそんなにあるわけではないですから、人的資源を非常に大事にしなくてはいけない。明治以降のところ、あるいはそれ以前も見ていると、日本というのは経済の面と道徳の面との調和を図って何とかやってきているというのがあるのですが、今、道徳ということは、言っても受け入れてくれないですから、経済的価値と人間的価値のバランスを保つということを社会的な次元では考える必要があるのだろう。経済的な価値ということで言えば、生産面での創造性を高めるとか、ものづくりの問題があります。人間的な価値のほうで言えば、心の豊かさとか、人間的なつながりとか、あるいは教養の重視とか、そのようなものが入ると思います。それをうまくバランスを保っていく必要があるのだろう。それが社会の次元です。
  これからの場合にはビジョンが必要だというお話がございましたけれども、生涯学習社会の構築、さらにはそれの発展を図るというあたりのところですと、大体何とかコンセンサスが得られるのかなと思うのであります。その生涯学習社会の考え方というのは、中教審で最初に出て、その後、生涯学習審議会で修正してくださっていますけれども、生涯のいつでも自由に学習機会を選択して学ぶことができ、その成果が適切に評価される社会です。理念と言っていますけれども、実際にそれを検討したときには、具体的な計画というか、システムまで考えていたわけでございます。例えば、自由に学習機会を選択してというと、そこには教育とか、学習の自由度とか、選択幅があります。これをどうするのか、大変な問題だと思います。最初に御意見があったようなことですから、小学校、中学校あたりでどうするのか。上まで上がっていって、さらに生涯にわたりというと、どうするのかという問題があります。これは今、情報化のインパクトが大きいですから、確実に増大・拡大されていくと思います。なぜかといいますと、情報化のインパクトというのは、我々のほうでいくと、教育・学習の機会とか、資源の増大をもたらしておりまして、これはこれからますます増えるだろうと思うからです。
  生涯にわたって自由に学習機会を選択して学ぶことができるという、その学ぶことができるというところは、教育・学習の機会とか、資源の増大ということで非常に豊かになっていくということがあると思いますし、それを追求していく必要があるのだろうと思います。
  次の、その成果が適切に評価されるというところが、今のところ一番弱いと思いますが、従来、学(校)歴できて、我が国は学歴社会と言われていますけれども、どうしても生涯にわたって先ほどのようなことを考えていきますと、学(校)歴を含んだ学習歴のほうにシフトしていかなくてはならないのだろう。この点が遅れています。今、文部科学省のほうでもいろいろ調査研究をやってくださっているのですけれども、そのあたりのところをこれから考えていく必要があるのだろうと思います。それらを追求しながら、最初に戻りますけれども、絶えず診断をしながら、方向性を生み出したり、修正したりしていくということをやっていかないと、形骸化してしまうということがあると思います。

  科学技術基本計画と教育振興基本計画とは、確かに共通点と異なる点があるのだと思います。科学技術というのは、国として例えば何年先のエネルギー政策はどうしたらいいのだろうか。みんなバラバラにやると困ることがたくさんあるわけです。例えば、イネゲノムだったら、みんなが同じようなことをやったら困るわけで、やはり国としてちゃんと何番染色体はどこでやろう。あるいは、どのように効率化してやっていかなければいけないか。それは経済活性にもつながるし、みんなの健康とか、食糧問題につながることです。
  もう一つは、研究者の独自の自由な発想による研究、基礎研究やら学術研究を進めていかなければいけないという二つの大きな柱でもって、いろいろ考えているわけです。
  科学技術というのは、皆さんあまり関係ないと思っている人にも実は関係があるし、これからますます私たちの生活に関係してくることです。例えば、クローニングにしろ、いろいろな問題が出てきている。それで「重要なのですよ」と言っているのですが、その比はやはり教育の比ではないと思うのです。教育というのは、教育を受けてこなかった人はいないし、皆さん大体お子さんがいる。どういうことかというと、みんな自分の教育論みたいなものを持っているのです。これは上から押しつけるものなのだろうかという意見がまず出てくるのだろうと思います。そこのところが私自身、よくわからない。こうあるべきだという、あるべきだということに多様性があるのではないかということ。
  もう一つは、学校だけ考えていてはいけないのですね。どうしてもこういう話になると、学校のシステムをどうするとか、クラスをどうするとか、早く上に上げるにはどうするとか、そういうことだけではない。たぶん社会も、家庭も、そのことも含めて議論しなければ、学校の制度だけをいじっていても、いい教育基本計画というものは、具体的なことを盛り込むのであろうと思いますが、できないであろう。そこまで踏み込まなければいいことはできないのではないか。
  3番目は、一番最初に申し上げたことと関係しているのですが、これは上から押しつけたら絶対にうまくいかない。国民の盛り上がり。私たちは今、何か教育がおかしくなっているという危機感みたいなものを持っている人が結構いると思いますが、みんなの盛り上がりの上にやっていくのでなければ、これは成功しないと思っています。教育改革国民会議のときにも、それは随分議論したと思いますが、こうあるべきだと言って単純に押しつけることではないだろうと思います。

  資料5の「柱立て」というところですが、これの「第二」を見ますと、「1」の「初等中等教育」云々から、「5」まで並んでいるのですが、これを見ていると、何となく文部科学省の白書を見ているような感じがするのですけれども、やはり施策をもっと重点化したほうがいいのではないかと思います。
  教育というのは人間形成ですから、教育に関する人間といえば、親と教師なのです。親と教師に重点的にどういう施策をしたらいいのかとか、あるいはテーマ別に「心の教育」とか、「生きる力」の何とかにはどうすればいいかとか、そのほうが国民にもわかりやすいのではないかと思います。ここに書かれているのはヘッドラインですから、具体的には変わっていくのだと思いますが、そんな感じがいたします。
  最近、文部科学省からも「学びのすすめ」というのが出ましたが、なかなか具体的なのですけれども、あれを突き詰めれば教師への「指導のすすめ」がないといけないので、一人一人の教師にどうすすめるのかといった。あれを読んでも、どこにも「一人一人の教師」という言葉は出てこない。「一人一人の児童生徒は」というのは何回も出てくるし、「各学校においては」とか、「教育委員会では」とかは出てくるのですが、「教師は」と出てこないのです。そうすると、先生方からは、「教育改革の嵐の中で、木の葉のように揺れている」という年賀状をいただきましたけれども、そういう中で何をしていいか困っているのですから、教師をターゲットにして何か施策をするとか、あるいは人生の最初の教師は親ですから、親を対象にやるとか、私は国民会議で、教育問題の原因の原因の原因は大人の幼児化なのだから、幼児化対策からと言ったのですが、なかなか取り入れてもらえなかったのですが、少なくとも重点化ということで、「第二」のところを考えていただければ幸いだと思います。

  先ほど委員から、経済界は教育界に求めるばかりだというお話がありましたが、それはそもそもの成り立ちからいってしょうがない話でして、経済界はやはりよき働き手を得たい。よき社員、よき働き手を求める中で、当然、よき働き手はよき市民であり、国民であるだろうという思い込みがあるのかもしれませんが、基本的にはジョブなり、ビジネス・オリエンテッドな発想でいろいろ求められている。そういう意味では、もう一つ社会政策的な感覚のところやら、市民社会的な意味での教育が果たすべき役割みたいなことで、逆に企業社会がこういうことを求めるのだということも、もっとキャッチボールして言われたらいいんじゃないですかと思います。
  あと議論の進め方として、確かに同じことをターゲットにしても、1年のタームで考える計画と10年ぐらいのタームで同じことを考えれば、具体的にやる施策もだいぶ違ってくるだろう。単年度現金主義とか、ただ、最近、国庫債務負担行為みたいな発想もありますし、そういう発想の中では償却の概念も入れた議論もできるわけだろうと思います。
  そういう意味では、一つ一つの、例えば資料7の一番最初のページの「豊かな心の育成」以下、こういうスコープの分け方がいいのかどうかわかりませんが、それぞれについて、最初に生涯学習の振興を言うなら、10年タームで考えるとどういうことがやれるのだというのをずうっとブレークダウンしながら、テーマごとにデッサンをして、そういうことを広い領域にわたってやって、その中で、今の時代、何が一番プライオリティ高く求められているのかということで絞り込んでいく。もし能書きが入るのなら、その能書きはどっちか先か後ろかはともかくとして、どういう能書きでそういうことを考えるのだと。そんな議論の仕方ではないかと思ったりしています。

  今のお二人の意見と似ているのですけれども、事項としては分けていただいたほうがいいかなと思います。変化の激しいこれからの時代で、流動化に対応する事項というのは、今お話のようなことでいろいろ必要で、それは絶えず柔軟性を持たせながら検討していかなくてはいけない。教育のほうはそれがあまり得意でないかもしれないけれども、これからはそれが必要だと思います。
  それから、恒常的な事項といいますか、例えば教育基本法の中できちんと定められているような領域で、計画になじむものはここにおろしていただいて、絶えずこれも充実を図っていかなければならない。

  この時期に申し上げていいのかどうかわかりませんけれども、行政改革とか、いろいろ携わりながら感じたことは、日本の社会というのは縦割り的な形になっている。これは行政だけではなくて、企業も、大学も、学問自体も、そういう面が非常に強いのだと思います。なぜそうなっているのかということは、これは難しい議論をしないといかんのでしょうけれども、全体についての批判的な精神を育成することに、日本の社会は欠けていたところがあるのではないか。文系・社会系の高等教育の在り方が、自然系の教育に比べて環境的にはセカンダリー、日本の社会全体としてはセカンダリー。さっきのどういうのが理想的な働き手なのかということもいろいろ関係してくるのですが、文系・社会系の位置づけ方がややおかしかったのではないかという反省。
  これは今、司法改革で、法科大学院とか、具体的にいろいろやっているわけですけれども、それをやろうとすると、従来の発想からすると、例えば老朽化のお話が出ましたけれども、建物をつくるときでも、「いや、従来と同じような基準で」とか。そうすると、従来の発想のワン・オブ・ゼムに位置づけられて、なかなか突破できない。文系や社会系をこれから大事にしてやっていこうというときに、なかなか突破できない、いいものをつくることが難しい状況にある。そういうものを基本計画の中で―もちろん、いろいろ大事なことがたくさんあるのを同時に実現できればいいのですけれども、やはりプライオリティをつけながらやっていかざるを得ない。そのときに、どういう観点から順番をつけてやっていくのかというあたりのことを相当具体的にこの計画の中で考えるということが必要ではないか。そうでないと、結局、ワン・オブ・ゼムになって、まあまあのものしかこれからもできていかない。教育の内容だってそれにつきまとっていると思います。だから、その辺を、せっかくこういう機会なのですから、文系の利害的な発言だと受け取られると非常にあれなのですけれども、私自身はそこは非常に強い危機感を持っておりまして、その辺はぜひ具体的に検討の中に盛り込んでいただきたいと思っております。具体的なことはまた折に触れて申し上げますけれども、そこは私自身にとってはポイントだと考えております。

鳥居部会長  冒頭に私が御説明いたしました、現在の五つの分科会からなっている中央教育審議会の他の分科会での審議事項の中にも、ただいま皆様から御発言がありましたいろいろなことにかかわる審議が既に進行しています。中には、委員のお話に関係して申しますと、そもそも学校の設置を認可するというのはどういうことなのか、本質的には何をしているのだろう。チャータリングというのは学位を授与することを認可しているのだろうか、それとも学校そのものの教育行為全体を認可しているのだろうかというところまで考えないといけないというところへ、ちょうどその議論が差しかかっています。言い換えると、日本の学校制度、義務教育、義務教育には入っていない幼稚園教育、それから高校以上の教育をどう考えるのかというところも、これからそっちの部会では真剣に議論することになると思います。
  一例を申し上げましたが、そういったこれからのこの部会での議論に大いに関係するところは、一度また何かの形で御披露して、御一緒にそこのところの状況理解を共有していただいて、進んでいこうかと思っています。

  私も文科系で今まできますと、教育改革の発想に、世の中の仕組みのほうからの発想がどうしても強過ぎるのではないかと思います。もちろん必要です。日本は食べていかないといかんわけですからね。経済社会を支えるための教育も必要だし、考えなければいけない。あるいは、高齢化にどう対応するかとか、あるいは科学技術の進展にどう対応するかとか、全部必要なのだけれども、しかし、もう一つ教育というのは、個人に帰着するというか、一人一人が充実した人生を送るというこれが不可欠だと思うのです。だから、社会の側からの発想もあるけれども、個人の一人一人のという成熟と言っていいのか、あるいは人生の充実といっていいか、文科系というのは大体それをある程度どこか念頭に置いて、ずっとやっていくわけです。研究もやっていくわけだし。
  ただ、明治以降ずっと、それがセカンダリーで、まあまあ余裕があったら一人一人の人生のことも考えないわけではない、ぐらいできているのではないか。例えば、問題の取り上げ方でも、社会の側からのものももちろん大事だけれども、同時に、一人一人の今の中で、長生きするようにはなったのだけれども、生きているというだけではだめなのですね。年とっても胸わくわくさせながら、目をキラキラさせながら生きなければ意味がないわけです。そのためには、どういう生涯学習が必要かとか、あるいは小学校からどういう物の見方、考え方を育てておかないといけないのかとか、そういうのもあるはずだと思うのです。ぜひ忘れないようにしていただきたい。
  こういうことをつくづく思いましたのは、資料5を見ますと、「第二」のところに、「1」「2」「3」「4」「5」とあるのですが、何となく各局でおやりになっていることとか、これから予算を取りたいということを、下手するとここでずうっと挙げていって終わりになりそうな感じで、いや、そうじゃないとは思いますけれども、それだとせっかくの教育振興基本計画がしょぼいものになるのではないか。もちろん、私は文部科学省を応援するということにはやぶさかではないのですけれども、もう一度社会の側からと、一人一人の人生の側から、原理的なところをきちんと押さえないで2番目のところへ入ってしまうと、結局、今の政策の既に発想されているものの枠から出なくなるのではないかという気がちょっとしましたので、蛇足だと思いますけれどもつけ加えさせていただきました。

  「教育」という言葉は実は漢語なのですね。御案内のとおり、ラテン語の「エデュカシオ」から「エデュケーション」がきた。「教育」という言葉が最初に出たのは、四書五経の『孟子』の中に出ているのです。「教えてこれを育つ」、そこから「教育」という言葉がきた。私に間違いがなければそうなのです。この「教えてこれを育つ」、あるいは「教えてこれをはぐくむ」というのは、教える側に主体があったと思います。古来、孔子と弟子たちの関係を見ても、教育というのはものすごく牧歌的な行為で、成人、つまり大人が幼体に知識を伝達するとともに、人格を形成する、人間性を形成する。教えられる側に主体があったのではなくて、教える側に主体があったのです。
  ところが、その辺が実は教育基本法との関連があって、私は本当はこれは憲法と連動すべきであって、教育基本法だけ直すのはどうかという意見を持っているのですが、これは明治憲法と教育勅語で半世紀、日本はやってきた。いわばその反省の上に、新しい戦後の体制があった。新憲法があり教育資本法。だから、本来、政治家はまさに憲法論議をきちんとやるべきだ。そこに日本の国家のありようがあるという意見なのです。
  それは別においておいて、教育基本法を見ると、主に教育基本法の中で重点が置かれている言葉を見ると、「われらは、個人の尊厳を重んじ」とあり、つまり、この場合に「個人の尊厳」というのは、教育を受ける側の尊厳だと思います。教師の尊厳ではないのです。それから、「自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」、この「自主的精神」というのも、教育を受ける側の自主的精神です。その後に「自発的精神を養い」、この「自発的精神」というのは教師の自発的精神ではなくて、教育を受ける者の自発的精神です。
  その次のところも私はよく引用するところですが、「国民は、ひとしく、能力に応ずる教育を受ける機会を与えなければならない」というのですが、ところが、能力に応ずる教育ではなくて、つまり、習熟度別のクラスとか、能力のある者をもっと伸ばすのではなくて、いわゆる平等教育、みんなが同じという教育になってしまったところにかなり問題があると私は思います。教えるということの意味をきちんと強調することが教育としては重要で、主客転倒したような戦後の教育ではないのか。
  鈴木鎮一さんの「どの子も育つ、育て方は一つ」という才能教育、ヴァイオリンもそうですが、今年も3月27日にグランドコンサートがありまして、私はその大会委員長であり、学術委員会の議長でもあるので、いわゆる才能教育とはどういうものなのかということを定義しなければいけなくて今やっているのですけれどもね。私の経験を踏まえて言うと、もちろんいい先生がいなければいけないけれども、基本は反復と暗記なのです。これ以外にないのです。暗記させる。これはすごく大事です。ところが、今、小学校でも、例えば『論語』を暗記させるとか、ワーズワースの詩を暗記させるということをほとんどやらないのです。
  それから、反復。外国語教育だって、基礎はきちんと反復しないといけない。絶対、暗記と反復が教育の原点であり、真理だと僕は堅く信じている。それができると、今度は暗記とか反復から解放されて、自分がそれを使う喜びができてくるわけです。そこで初めて自主性とか、個人の尊厳が出てくるのだけれども、要するに幼体に対して厳しく教え込むというその精神が、実はほとんど忘れられてしまっているところに、初めから奔放な自由画なんて描けないですよ。言うまでもなく、ピカソにしたって、ああいう芸術家はものすごいデッサンをやっていて、初めてああいう抽象画の世界になるのだけれども、何か個性を伸ばすためにといって、みんな初めから抽象画を描かせても、デッサンの基礎がないものだから、それは全く何でもなくなり、今の教育の荒廃を招いているのではないかと思うのです。だから、「教育」という言葉が、そもそも『孟子』に発するというその精神を、もう一遍取り返す中で、教育基本法を位置づけていただくことが必要ではないかと思うわけでございます。

鳥居部会長  ありがとうございました。
  今のお話に若干つけ加えて、「エデュケーション」という英語を何という日本語に翻訳するかという、明治の初めに当時の文部大臣の森有礼と福沢諭吉の論争がありまして、福沢は若干新しがり屋で、森文部大臣が「教育」という言葉を当てはめるべきだとおっしゃったのに対して、「自己開発」という言葉に近い言葉を何か考え出そうよと。要するに、自分が持っている能力を開発してやるという側面もあるのだということで、彼らは論争しているのです。森有礼の仲人を福沢諭吉がやっていたので、仲良く解決して、「教育」という言葉になったらしいと僕は聞いているのですが、両側面があるのでしょうね。つまり、教えてやらなければわからないことを教える。それから、大人の知恵を伝達する。それには反復とか、これは中教審のほかの分科会でも出ましたけれども、教えられる場合には忍耐ということをまず教わっていなければできないのだということも、我々は中教審のほかの分科会で議論しましたよね。それは先生のおっしゃるとおり非常に大事なことであると同時に、片一方の側面で、能力を開発してやるという側も大事なのでしょうね。恐らく両方なのでしょうね。
  それと委員がいつも引用される文部省認定教科書ではなくて、文部省著作教科書の話をちょっとお願いしたい。

  『民主主義』ですね。あれなんかは一遍、皆さんも見ていただけるとありがたいと思います。あれは戦後のいわばバランスのとれた、自分の主体を失わずに、つまりアメリカ的なある種の占領下の検閲的な政策に対して、文部省がかなりきちんと問題を提起した。あれはだから、だれが書いたのか、「文部省著作」となっているのです。我々はその世代なものですから、まさに新憲法の世代で、すごくみずみずしい感覚を受けたのですけれどもね。

鳥居会長  「教育」というところに漫画のような挿絵がついていて、「教育は就職のためではない」という漫画がついていますよね。では何なのかというのを、後ろを読んでみると、今おっしゃったことが書いてあるのです。要するに、『孟子』のいう「教育」の意味の、教育を受けることと、自己の能力を開発するという意味のことと両方だよという。

  ただいま会長から、教育は就職のためでないというお話がございましたが、そのとおりでございますが、実際問題としましては、学校教育というのは就職産業でございまして、受験競争、その他の問題も、結局、より良好な労働市場に参加するかどうかということで、受験競争というのは生まれてきていると思うのでございます。ところが、資料7の「社会全体の展望」のところは、従来の社会的なトレンドと、それからこうありたいという社会目標があるのでありまして、あまり現実の展望がなされているわけではないわけです。ところが、実際問題として、最近はこれまでのようなポストの積み重ねによる企業組織が揺らいでくる、あるいは解体してきております。そうしますと、これまでのようなキャリア展望ができなくなってくる。これは「社会全体の展望」の中で、就職産業としての学校教育により身近な切実な問題だろうと思うのであります。
  もう一つは、これは国際化の中に入るのかもしれませんが、基本的に我々が問題とすべきものは、個人の教育ということもございますけれども、国民教育の問題だと思うのでございますが、国民教育の制度は、国民国家が成立してつくったものでございます。ところが、今日、地方分権化もありますし、NGOの問題もありますし、NPOの問題もございますし、あるいは国際条約、国際機関、その他がございまして、国家の権限が下のほうでも上のほうでも圧縮されてきている。その結果、国民国家が従来よりも権限を狭められて、揺らいできているという問題があると思います。国民国家が揺らげば、国民教育の制度も当然揺らぐわけでございます。そういう点で、先ほど委員からお話があったような社会的な崩壊現象を立て直す場合に、国民教育制度を基本的に再建することだと思いますけれども、その主体であるべき国民国家が揺らいでくる。そういう状況のもとにおいて、どうしたらいいのかということを考える必要があるのではないかと思います。

鳥居部会長  ありがとうございました。
  ほかにもし特段御意見がないようでしたら、今日のところは御意見をこの辺で打ち切らせていただいて、随分いろいろな御意見をいただきましたので、少し事務局で整理をしていただいて、今日の論点を整理したものをつくります。
  同時に、今後の審議の進め方について、ある種の下地になるものを用意したいと思っています。いろいろな切り口があると思いますが、しょせん我々が現実に持っているものは既存の、現在行われている教育制度、それからその教育制度の上に乗っかっている教育文化といいますか、そういうものだと思います。さらに、そこには、先ほど来御議論の中に出てまいりましたように、変容しつつとにかく社会が存在しているわけです。それをどう評価するかということを改めてまた議論しなければならないと思いますが、そのもう一つ向こうには、既存の制度を生かしつつ、どれだけの改善ができるのかということと、既存の制度とは若干違うものでも新しい制度をつくっていくところまで踏み切るのかという問題があろうかと思います。そういうことも含めて、これからの議論の方向を皆様に次回御審議をいただきたいと思っております。どうかひとつよろしくお願いしたいと思います。
  それでは、事務局のほうから、次回のスケジュール等についてお願いします。

事務局  資料10に、今後の日程を配らせていただいております。次回、基本問題部会の第2回は、2月25日(月)16時~18時ということで、場所は文部科学省分館の201特別会議室を考えております。
  第3回は3月13日、第4回を3月29日という形で、予定させていただいております。
  以上でございます。

鳥居部会長  ありがとうございました。
  それでは、本日はこれにて閉会させていただきます。お忙しいところをありがとうございました。