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資料2

第31回〜第35回の審議における主な指摘事項

(1)青少年の意欲を高めるために重視すべき視点について

基本的な考え方

  【心と体の相伴った成長を促す意義】
青少年期は、体を動かすことでの達成感や喜び、悔しさなどを感じて心が動き、心と体が一体となって成長する。

  【本審議における「意欲」のとらえ方】
積極的に活動する子どもも自分の好きなことに取り組む子どもも、ともに「意欲的な子ども」ととらえるべきか。
子どもが抱く「夢」とは立身出世といったなんらかの向上を求めるものである、という固定観念が大人側にある。現在はこうした夢を子どもが抱いていないため、「子どもには意欲がない」と大人がとらえてしまっているのではないか。
成熟した社会・変化のある社会において子どもがモチベーションをもてるためにはどうすべきかを議論すべき。
アスピレーション(向上意欲、目標に向かって高めていこうとする価値観)が大切である。

青少年の意欲をめぐる現状

  【青少年の意欲の現状】
今の課題は、勉強も運動もゲームもしないといった、反社会的行動もしないが漫然と何もしない子どもの存在である。
今の問題行動は反社会的行動ではなく「すべきことをしない」ということである。
スポーツの世界では、成長過程においてある程度我慢を強いられる時代がないと成功しないと考えているが、最近、寄宿生活などでの我慢が嫌でスポーツをやめてしまう子どもが増えている。
今の学生はスポーツをする者、しない者の二極分化が甚だしいと感じている。

  【家庭の現状】
今の親は集団の中では個人の意見は言わないなど、未熟化傾向がみられる一方、子どもは早熟化傾向にあるのではないか。
豊かさでは同様な先進国間において、日本は親の働きかけが最も少ない。
家の中で子どもが自由奔放にふるまっていても、親が子どもに注意するのを遠慮している。
昔の家族には運命共同体的集団生活という機能があったと考えるが、今の核家族にはないのではないか。

  【大人の関わり方の現状】
子どもの生来持っているものが発現される時期まで待てず、大人側でレールを敷いて子どもを載せてしまっている過保護な面がある。
これまで大人は問題行動を起こす子どもや優秀な子どもには関わってきたが、その中間にいる、いわゆる目立たない子どもとあまり関わってこなかった。
子どもの意見を聞くこととそれに従うことは異なる。教育の基準がはっきりしておらず、その基準に基づいて判断すべき立場の大人が適切に判断できていないため悪循環に陥っている。
子どもは現状に合わせて考え方や価値観を変えているのに対し、大人側が構造的に対応できていないのではないか。

生活習慣の乱れや直接体験の減少等が青少年の意欲に与えている影響

  【生活習慣の乱れと意欲の現状との関係】
青少年の成長が順調でないのは、サーカディアンリズム(1日24時間という環境変化の周期に対応するように備わっている生体活動のサイクルを調節する機能)に沿っていない生活をしているからではないか。乳幼児期の生活の乱れが生涯にわたって影響するとの指摘もある。

  【外遊びの減少と意欲の現状との関係】
子どもの外遊びが極端に減っているのは、親・社会が子どもにそう仕向けているのではないか。
一人遊びをしつつ集団遊びを眺める期間を過ごし、集団での遊び方を身につけることが重要である。にもかかわらず、子どもがこれを身につける前に大人の意向で一足飛びに集団遊びをさせてしまうため、子どもは集団遊びへの自信を失っている。

  【情報メディア接触と意欲の現状との関係】
青少年にとって何が有害かという結論が出ない中で、青少年がインターネットの世界に突入している。
インターネット利用の低年齢化が進んでおり、その点の考慮も必要。
テレビがなかった時代と現代の違いは、暴力の直接体験の有無ではないか。昔の方が身近で暴力を受ける体験があり、よって子どもに痛みの経験があった。今はテレビ上などでの疑似体験のみで痛みを感じないまま経験したような気分になっている。また、疑似体験としても、暴力の種類が変わり過激化している。
メディア暴力の長期的効果に関する循環モデル(暴力表現視聴により「暴力を振るう」ことを正当化する行動様式を体得し、暴力を振るうことにより周囲からの孤立を深め、一層暴力表現にのめりこむ、という悪循環)については、実際の学校現場で当てはまる事例がある。

青少年の意欲を高めるための視点

  【総論】
意欲は自然に出てくるものではなく育てていくものである。
青少年の意欲の問題は政治・経済に携わる大人の問題であるという視点も必要。
意欲を個人内の問題であると限定的にとらえすぎると、社会的期待などが「外発的動機づけ」として否定されることにつながりかねない。社会的期待について社会がもっと発揮すべき。
従来は外発的動機づけが効力を持ち大勢の子どもに一律に働きかけることができたが、現代は内発的動機づけによる成長実感を求めており、これからは子ども一人一人への個別の働きかけが必要。
意欲は内面の問題であり、その高まりについては外側から測定することとなる。よって、意欲が高まる環境づくりを目指すために必要な対策を考えるべき。
子どもの体力向上の答申や食育、栄養教諭の答申を受けて新たに導入した制度の活用等が、青少年の意欲や体力、耐性の向上にどう寄与するかを議論すべき。

  【生活習慣】
特に、学校の影響を受けにくいような環境の家庭に対する働きかけが課題である。

  【体験活動、スポーツ・外遊び】
現代はシミュラークル社会(現実と模倣や空想との境が曖昧な社会)であり、その中に生きる子どもを昔の社会環境に戻すことは不可能。

  【対人関係】
学校卒業後に社会に適合するためには、学校時代にいい仲間・集団関係をつくり、そこを基盤とするとよい成果が出る。したがって、社会教育など学校外において青少年に集団力をどう保障するかということを議論すべき。
保護者、教職員に次ぐ、子どもたちにとっての「第三の大人」の存在とその子どもへの関わりが重要である。

  【情報メディアとの関わり】
メディア視聴によって価値観やものの見方が変化する自分に気づくことが重要である。
暴力表現の影響については、表現の自由があるといえども発信者側も責任は免れないと考える。
人としてのバランスを取るためにも、情報メディアへの接触だけでなく外遊びなど多様な体験が大切である。

(2)青少年の意欲を高める方策について

青少年の望ましい生活習慣

個人や家庭での取組だけでは限界があり、国民運動や地域での取組が必要。

スポーツや体験活動の実効性を高めるための方策

  【全般にわたる事項】
  (大人の関わり方)
子どもを伸ばすためには、介在する大人がどう関わるべきかを検討することが重要。
大人の関わり方としては、親世代より子どもに身近な年代の方が子どもの意欲向上効果が高いことから、親が子どもの兄弟の立場を果たす必要があるのかもしれない。

  (集団活動の効果)
集団体験活動の効果を提示すべき。
条件が不利な子どもに集団的な営みを行えば意欲が高まっていくということを実証する施策を展開し、子どもたちの二極分化を防ぐべき。

  【体験活動】
  (自然体験の意義のとらえ直し)
自然体験活動には「自然とのふれあい」と「集団生活」の2つの要素がある。子ども全員に自然とのふれあいを経験させるのは難しいが、集団生活についてはある程度可能である。
自然の「不便さ」が鍵ではないか。生活が便利となった代償を自然体験活動といった教育で補わなければならないのが現代ではないか。
自然体験の「非日常性」が鍵ではないか。日常的な環境の中で、子どもにどのようにして非日常的な新しい体験を行わせるかを検討すべき。
郡部の子どもは豊かな自然に囲まれているのが日常であるため、自然に対して特に感動しない。郡部の子どもにどのようにして感動の機会を与えるかを検討すべき。
幼児教育における身近な自然体験の大切さを痛感している。自然の変化が子どもの知的好奇心をひきだしていると感じている。

  (青少年教育施設の意義)
意欲を育てるための仕掛け、財源措置として青少年施設は非常に重要。
青少年施設については、当初の目的を活かしながら時代の変化に合わせつつ地域の核としての機能を発揮すべき。

  【スポーツ、外遊び】
  (スポーツ)
体力が重要であるというのならば、極論かもしれないが、教育制度・社会システム(入試・採用試験など)に体力(試験)を導入すべき。
小学校の女子は運動、スポーツに抵抗感を感じるようである。スポーツ・競技ではなく運動「あそび」として取り組ませれば彼女達の興味をひくと考える。
日本は英国と比較してコミュニティのスポーツ施設が少なく、また利用に工夫がないのが一因と考える。スポーツ施設の活用を図る国としてのしくみづくりが必要ではないか。

  (外遊び)
外遊びの減少を是正するための社会システムが必要である。その際、官民合同の自然体験活動推進協議会(CONE)など従来の枠にとらわれない新しいシステムを構築する必要がある。

青少年の情報メディアとの適切な関わり方

  (発信者への働きかけ)
社会全体の子どもへの関心が低くなっている中で、テレビ番組制作者がテレビの影響を踏まえた上でのよりよい制作方法を学習することが必要ではないか。
子どもは無防備にメディア環境にさらされており、受信者側の自助努力では限界があるため、発信者側の責任を重視すべき。

国民一人ひとりの取組を促すための方策

  (全般にわたる事項)
個人での取組みでは限界があり、国民運動・地域での取組が必要ではないか。
関係者がうまく協働するにはどうしたらよいかというところまで踏み込んだ議論が必要。
教育分野は取り組みが成果を上げるまで時間がかかるため、ある程度長期に取り組む必要がある。当初考えた概念が全員で共有できるよう、本来的な意味をよく説明することが必要。

  (「第三の大人」の関わり方)
少子高齢化社会において、定年退職者がボランティアとして様々な活動に参加する中で子どもと関われば、高齢者の健康と子どもの教育双方にメリットがあると考える。
学校給食を子どものためだけではなく地域の高齢者のためにも活用すべき。高齢者の意欲を高め健康を増進させるだけでなく、高齢者と子どもとの関わりを通じての学校教育への効果も高い。


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