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資料1の40~50の項目は、高等教育の在り方に深い関係があると思う。グランドデザインと言う以上、各項目の関係を明らかにする作業も必要だろう。高等教育に関する様々な規則が個別問題に対応して作られてきたために、全体的な構造に矛盾があるのではないか。 |
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日本の大学の歴史を振り返る必要があると思う。戦後の学生改革の影響や、その後の大学・大学院の著しい大衆化以外にも、生涯教育の必要性やグローバル化等の様々な問題が出てきた。その中で何が問題になるかを考えなければならない。また、平成3年の設置基準の大綱化が現在の大学に大きく影響しているが、それ以降の大学の状況もきちんと捉えるべきだ。大衆化の進む中で、大学の学部教育における一般教育や教養教育をどう考えるのかは非常に重要だ。大学院の位置付けについても、研究と高度な専門教育を含めて明確にする必要があるだろう。問題は非常に多いが、教育研究の在り方に重点をおいて議論をしていきたい。 |
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大学においても、社会の変化に伴う学生のニーズや学生数の変化がある。社会人が生涯学習として大学に再度入ってくることもあり、従来型の大学のグランドデザインとは異なるものが必要だと思う。量的・質的な変化を踏まえた大学に対するニーズに応え得るグランドデザインを描くべきではないか。また、特に産業社会のニーズが重要だ。国際競争時代には、企業はどの国からでも人材を採ろうとするし、海外の大学のビジネススクールに自社の社員を派遣して勉強させることもあり得る。日本人が日本で生まれ日本の大学を出て日本の企業に入るというものから、日本人が海外へ出ていき、また海外からも日本に学生が来るというものにしていくべきだ。外国人学生が日本の大学に満足を覚え、帰国後に大きな仕事ができることが重要だと思う。国際競争に打ち勝つための大学のデザインを考える必要がある。 |
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議論の方向性とそのスケジュールを伺いたい。国立大学の法人化や法科大学院を始めとする専門職大学院等の制度改革に伴い、学校教育法や大学設置基準等が改正されると思うが、その法的な改革とここでの議論を結びつけるのか。大学院の位置付けは非常に重要だと思うが、学校教育法によると大学院は大学の一部になっている。大学院を学部中心の大学とは別に位置付けるのであれば、早急に議論する必要があるのではないか。日本の大学は徹底的にグローバル化しなくてはならないと思う。国際通用性という言葉はよく使われるが、例えば現在の設置基準では開学は4月にしかできないそうだ。開学を9月にすれば留学もしやすく、海外でも受け入れやすいだろう。4月に開学して学生の大部分を9月入学にすることはできるが、日本の大学・大学院を秋からの始業にしないと無駄が多いと思う。そのことは国際的にUMAP等の単位互換をしようとする時も、いつも問題になる。優秀な学生は日本の大学へ行かずに欧米でPh.D.を取るようになってきており、その結果、日本の大学は空洞化しつつある。海外の大学も日本に参入してくるので、日本の大学も英語で大学名を付けて認可されるようになれば国際的通用性につながるのではないか。国際社会の変化に対応できるように、国内的な規制を早急に撤廃するべきだ。 |
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8月5日の答申に関する設置認可や第三者評価、専門職大学院等の制度改正に必要な法改正は、今秋の臨時国会に提出させていただく予定である。従って、ここでの議論とは切り離して考えていただきたい。 |
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以前から日本の大学はそのような法改正を継ぎはぎでしてきたために、大学院自体も継ぎはぎになっている。それが今後も続くということか。 |
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グランドデザインについては旧大学審議会発足以来ご議論いただいているが、新中央教育審議会における大臣からの高等教育関係の諮問を踏まえ、包括的に議論していただきたい。グランドデザインに関しては、鳥瞰的に様々な個別の議論をしながら、答申にまとまっていくのだと思う。例えば、学校教育法の規定には学部・大学院の目的規定も含め、現状に合わない部分があると思う。教育基本法の理念の在り方や見直しを含め、具体的には学校教育法等の実体規定を更に議論しながら、解析する必要があるだろう。ここでの議論を具体的な答申につなげ、それを法改正等の制度改正に反映させていきたい。 |
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高等教育においても自由化・規制緩和を推進し、制度の枠組みに阻まれずにスムーズに動きがとれるようにするべきだ。しかし、他方では規制は強化しなければならないと思う。その際に重要なことが情報の開示で、各大学が責任を持ってきちんとチェックする仕組みを作る必要がある。大学が公開する情報が正しいかどうかのチェックは、国できちんとしなければならない。また、公開された情報に誰でもアクセスできるシステムを構築する必要がある。また、信頼できる評価システムをどう作るかという問題がある。その際に、評価自身もまた評価されるという仕組みを作ることも忘れてはならない。評価の結果は必ず公表され、それが議論の場に提供されることが原則であるべきだ。更に、教育を受ける個々人がその費用を負担する現在の制度でよいのかという問題がある。日本が世界の競争に伍していくための国力の源が教育であるとするならば、そのための強力なサポートシステムが必要なのではないか。これまでは国立大学がその役割を担っていたが、それにどう修正を加え、どう強化するのかが大きな問題だと思う。 |
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グランドデザインは人によってそのイメージが異なるので、まずその合意を得るべきだ。学生側と大学側の双方向から議論し、問題点をクリアにしなくてはならない。資料1の項目の範囲は広過ぎるので、その中の何をグランドデザインとして議論するかについて選択する必要がある。大学の概念や理念、政府の役割、制度の基本構想等を規定した大学基本法を作り、その基本法の下に基本計画を作るべきではないか。この基本計画がグランドデザインで、それに沿って財政的な措置を伴う政策を行うべきだと思う。その中でも、日本全体のシステムとして実行する部分と、個々の大学に任せる部分は切り分けるべきだ。グランドデザインとは大学をどう変えていくかという政策である。それは、人材育成の面では今後十年間にどの学問分野に、どの位の人材を輩出するかということと、学部・大学院を含めた質量両面での予算措置を行うことだ。また、今後重要だと思われる学問分野が、日本の高等教育機関で研究されているかという問題もある。21世紀COEプログラムは正にそれで、重要な分野を決めるのは大変な作業だが、専門家集団でその分野を決め、それによりきちんと研究されなければならない。 |
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『21世紀の大学像と今後の改革方策について(答申)』が平成10年に出たが、これはグランドデザインだったのではないか。可能な限りシステムを柔軟にし、最終的には競争と評価による流動化を目指すことが、自由化、個性化、多様化というキーワードとしてあったはずだ。中央教育審議会大学分科会になってからの答申も、基本的にはその延長線上にあったと思う。自由化、個性化、多様化とは、各大学で自由に判断することであり、そのための政策を次々に行ってきた。それにより伝統的な支柱が崩れつつあり、今は先が見えない状況にあると思う。グランドデザインの問題は、現在行っている改革の最終的な見通しがないという不安感から出たものではないか。従って、各大学の各々の秩序ができるまでの時間が必要になると思われるので、グランドデザインを現時点で議論することはあまり意味がないのではないか。今後の議論に先だって、従来少しずつ改革をしてきた結果、齟齬を来している部分について調整を図るのか、もっと先まで見通して改革の着地点を見通す作業をするのかを明確にするべきだと思う。 |
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これまでの大学審議会以降の報告では、高等教育の枠組みを作ってきたと思う。それは、随分制度的に改革されているが、政策としての内容の問題は議論されていない。グランドデザインとは、その内容のことだと思う。 |
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21世紀型の高等教育の全体規模や学問分野のバランス、国公私立の役割分担等をグランドデザインとして議論するべきではないか。また、各分野における国公私立のバランスの在り方を考えれば、それにより財政的な援助の在り方も明らかになるのではないか。 |
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この大学分科会でグランドデザインとして、あるべき大学を想定し続けるのか、あるいは各大学が社会のニーズを見つつ個々に行動するのか。大学のグランドデザインは社会のニーズに応えて変化していくものなので、正確なニーズの把握と、ニーズに応えられているかどうかの社会的な判断の仕組みが必要だと思う。 |
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学部教育の在り方が明確にならないと、日本の高等教育全体のフォーカスが定まらないと思う。そのためには、学部教育を種別化して捉える必要があるのではないか。国際的通用性や国際競争力、社会貢献や国際貢献についても、種別化を基本として問題を捉える方法が現実的だと思う。それにより、短期高等教育や短期大学の在り方、地域との関わりの育て方等についても自ずから明確になるのではないか。 |
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グランドデザインを考える場合には、国家戦略としての高等教育の在り方が重要だと思う。国際的に通用する大学作りや、今後の人材養成等の問題は、大学院の充実や多様化に結び付くだろう。学問分野の伝統的部分と先端的部分をどのように分け、かつ育てていくかが重要だと思う。流行の分野や先端分野は今後も更に伸びるだろうが、基本となる分野は切り捨てられる恐れがある。また、e-Learning 等の問題に対する高等教育の対応方策が重要だ。教育研究分野の国家財政の在り方を明確にしなければ、グランドデザインの策定も上手くいかないのではないか。従って、例えば答申の書き方としては、国家戦略的なグランドデザインを枠組みとして第1章に書き、それに基づく政策的なグランドデザインを第2章以下に書くべきではないか。資料1の例示の内容は全て重要な問題であり、各々が非常に緊迫している状態なので喫緊に議論する必要がある。改革の進展により大学自体の方向性が見えなくなり、大学が社会の変化に対応しにくくなっている。それにより広がった産業界と大学との距離をいかに早く縮めるかということが、今後の改革の基本ではないか。 |
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高等教育の国家政策的な面は非常に重要だ。私立大学等では学生が集まりそうな同じような学部等が出てきている状況なので、現在では競争の意味が非常に薄れていると思う。無駄な競争にエネルギーを使うことを避けるために、もっと大きな国家的・国際的な観点からきちんと枠組みを作るべきだ。短期大学までを最低限として生涯教育の中で保障し、学部教育をしっかりすることが高等教育のベースだと思う。また、国際化が進んでいる中では、海外から留学生を受け入れるだけではなく、その留学生の卒業後の役立て方についても考えるべきだ。 |
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グランドデザインとは、具体的な大学像を示すのか、あるいは一種のインフラストラクチャーでの基本方針は国が定め、各大学がその中で障壁なしに自由に競争できるようにするのか。各大学が自由にできる範囲はどの程度なのか。その辺りの合意を取らないと、グランドデザインの概念が違い過ぎるのではないか。 |
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高等教育のグランドデザインについて、具体的なイメージが湧いてこない。義務教育の上にあるものが高等教育ならば、現状がましになるようにお金をつぎ込むだけでもよいだろう。しかし、知的職業に就いて才能を発揮できる人間の数に限りがあると考えるならば、その数を決めることが根本的なグランドデザインだと思う。20世紀の後半以後育てようとしてきたのは中間層の知識人であって、現在もそれは変わらないのではないか。多様な高等教育の現状を直視した上で議論するべきだ。大学に関する評価には、絶対評価なのか、相対評価なのかということ以外にも様々な論点があり、非常に難しい問題だと思う。 |
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高等教育のグランドデザインとは、現在人類が所有している知識をどのように社会全体で使いこなしていくかというソーシャルキャパシティーと、その仕組みについての問題だと思う。教育投資の成果として、現在の日本社会が持っているキャパシティーの中で、どういう人材が必要なのかという問題もある。我々は答申の形で次々と時代の変化をかなり正確に表明してきたが、今後も時代の変化を注視していく必要があると思う。 |
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グランドデザインの対象が高等教育機関であることを忘れてはならない。グランドデザインという言葉の使い方についても、きちんと整理する必要がある。 |
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国の在り方と教育は非常に密接に関係しているので、高等教育のグランドデザインについては教育効果の変化を踏まえた議論が必要ではないか。法科大学院に関する動きは教育効果の変化に対応した大変重要な出来事であり、それをきちんと受けとめた上でグランドデザインの議論をしなければならないと思う。 |
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法科大学院については、社会の喫緊の必要性に応えるために専門職業人を育てるということに大方の賛同を得られたので話が進んできたが、他方では大学に対する非常に強い不信感がある。法科大学院に関しては、国として財政面でも本格的に取り組む必要があるが、依然としてその辺りが曖昧なままだ。これは法科大学院についてのイメージと、それをプッシュする政治的なコンセンサスができていないからだと思う。法科大学院とは、大学審議会や教育改革国民会議等で出されたことに対する一種のグランドデザインかもしれない。この場で高等教育の目指すべき方向性が出てくることが、法科大学院が成功するかどうかの重要なポイントだと思う。法科大学院は学部教育をどうするかという問いも含んでいる。学部教育については、法律等に捕らわれないで、法律以前の人間や社会についての基本的な見方を身に付けさせる必要があるだろう。従って、学部間の垣根をもっと低くしなくてはならない。その辺りについては、法科大学院だけの問題ではないので、高等教育全体の中での問題としてご議論いただきたい。 |
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法科大学院は、高等教育のグランドデザインのフロンティアになると思う。非常に伝統的な法律教育がフロンティアになることにより、様々な問題が明らかになると思う。そして、この問題に財政がついてこなかったために、教育に対する我が国の政策的な意思が、実は誰にも把握されていないことが明らかになった。そのために、グランドデザインが必要だと言われているのではないか。 |
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高等教育のグランドデザインについては、一時に決めて報告書を書くのではなく、毎年、10年先を見越した議論をし続ける必要がある。 |
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職業には定数の決まっているものと、決まっていないものがあり、例えば医者や獣医、あるいは法曹関係の大部分の仕事は定数が決まっている。定数が決まっているものに関しては、競争の構造ができている。従って、その競争が公正であるか、あるいはその競争にたえる人材をいかに育てるかが教育の課題になる。他方、小説家や役者等のように定数という概念のない職業があるが、これは完全な市場原理に従っている。その中間に、定数の有無が不明確な膨大な数の職業人がいると思う。例えば、企業に就職する大部分の人達は定数はないとも言えるが、多くの企業は4年制大学卒というような枠を設けているので、柔らかな定数があると言えなくもない。また、銀行であれば、文学部以外の文科系の学生と限定されることもあるだろう。これらの定数の不明確な中間層の問題が一番難しいと思う。 |
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ソーシャルキャパシティーは、どういう専門・能力レベルの人間が、その社会にどの位いるかで判断できる。従って、ほとんどの職業が定数化され得ると思う。日本には工学系の人間が多過ぎるという意見もあるが、それはある種の日本のキャパシティーを象徴しているのだと思う。法科大学院もキャパシティーの象徴なのではないか。キャパシティーの問題からグランドデザインの議論を始めてもよいのではないか。 |
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グランドデザインについては、これまでの日本の大学の変化の受け止め方が重要だと思う。学問内容だけでなく、教員集団の自浄作用の在り方も非常に変化した。教員集団の自浄作用が働かなくなった結果が1967年以後の学生による大学解体論であったが、その後には学生側からも教員側からも大学の自浄作用現象がほとんど起きていない。それは大学組織だけではなく、学問分野についてもそうである。その代わりに、大学審議会等の議論が改革の浄化作用を担ってきたと思う。現状では、大学の教員も学生も自浄作用を起こす可能性はほとんどない。従って、この分科会が非常に重要な役割を果たすのではないか。 |
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グランドデザインについては、これまでも様々な提案があったが、それらは大学人の一方的な考え方によるものではなかったか。日本では、例えばレストランのシェフになる場合にも大学へ行った方がよいという考え方があるが、ヨーロッパではその場合には初めからそういう道を選べばよく、その分のリソースを本当に高等教育に参画したい他の人に使えばよいという考え方が一般的である。国としてどのような分野でどのような人材を養成するのかについて議論しないと、グランドデザインはできないと思う。 |