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大学教育部会(第8回)議事録・配付資料

1. 日時
  平成18年11月8日(水曜日)16時〜18時30分

2. 場所
  如水会館(3階)富士の間

3. 議題
 
(1) 高等学校との接続の改善について
 
【意見発表】 荒井 克弘氏(東北大学大学院教育学研究科長)
  濱名 篤氏(関西国際大学学長)
【自由討議】  
(2) その他

4. 配付資料
 
資料1   第3期中央教育審議会大学分科会大学教育部会(第7回)議事要旨(案)
資料2 大学入試関係資料
資料3 大学入試センター試験の改善に関する懇談会 −意見のまとめ−
資料4 高等学校学習指導要領について(PDF:187KB)
資料5 GPにおける初年次教育関連の取組例
資料6 大学への早期入学及び高等学校・大学間の接続の改善に関する協議会について
資料7 米国連邦教育長官諮問委員会報告書と連邦教育省の行動計画について
資料8 OECD(経済協力開発機構)の動向について
資料9 「大学入学者選抜の改善」(PDF:136KB)
 (東北大学大学院教育学研究科長 荒井 克弘氏)
資料10 「初年次教育の現状と課題 −“移行”問題を中心に−」(PDF:297KB)
 (関西国際大学学長 濱名 篤氏)
資料11 平成19年度の学生の就職・採用活動について
(※報道発表へリンク)
資料12 教育再生会議の設置について
資料13 大学分科会関係の今後の日程について(案)

(机上資料)
  大学教育部会関係基礎資料集
高等教育関係基礎資料集
大学設置審査要覧(平成18年改訂)

5. 出席者
 
(委員) 木村 孟(部会長),江上 節子(副部会長),相澤 益男(分科会長)の各委員
(臨時委員) 天野 郁夫,石 弘光,黒田 壽二,菰田 義憲,永井 順國,中込 三郎,菱沼 典子の各臨時委員
(専門委員) 北原 保雄,黒田 薫,小杉 礼子,竹内 洋,平野 眞一,本田 由紀,山根 一眞の各専門委員
(文部科学省) 林文部科学審議官,清水高等教育局長,磯田私学部長,辰野高等教育局担当審議官,村田高等教育局審議官,小松高等教育企画課長,藤原国立大学法人支援課長,中岡大学振興課長,村田学生支援課長,安藤私学部参事官,伊藤大学改革推進室長,加藤大学入試室長 他

6. 議事
 
(□:意見発表者,○:委員,●:事務局)

(1)  事務局より,「高等学校との接続の改善」について説明があった後,有識者から意見発表があり,その後,質疑応答が行われた。意見発表と質疑応答の内容は以下のとおりである。

  【事務局説明に対する質疑応答】
委員  AO入試による入学枠が近年増えているが,目的意識を持った学生を選抜するのが,AO入試の基本的な考え方だと考える。卒業後,AO入試で入学した学生が目的に合致した職業に就いているかどうかについてのデータはあるか。

事務局  重要な観点だと思うが,現時点では把握していない。

【荒井 克弘氏(東北大学大学院教育学研究科長)の意見発表:「大学入学者選抜の改善」】
 進学構造の変化について,昭和35年(1960年)と平成17年(2005年)の学校システムを比較すると,前者では学校ピラミッドが形成され,厳しい受験競争の時代であったが,後者では,長方形型の学校システムとなり,誰もが高等教育を享受できるようになりつつある。
 しかしながら,平成17年度には51.5パーセントが大学・短大に進学し,さらに27パーセント(過年度卒業者を含む。)が専門学校に進学する時代である。一方,小,中,高で生徒が学習内容を修得している度合いはそれぞれ7割,5割,3割だと言われている。大学・短大の入学者数は最近15年で大きく変化し,特に,平成2年(1990年)から平成17年(2005年)の15年間で4年制大学の現役入学者が約20万人増加している一方,短大への入学者は激減している。
 他方,高校教育の多様化による全入化に伴い,科目履修の多様化が進行した。どの科目をどの程度履修しているかについて,教科書の購入数を生徒数で除して概算値を出したところ,例えば「物理2」は,生徒の約12パーセントが教科書を購入しているに過ぎず,実際に学んでいる生徒はもっと少ないと考えられる。また,「数学3」「数学C」(微分・積分,確率・統計)も,履修率の推計値では2割を切っており,これは理工系学部の入学者率にも及ばない。文系でも心理学,経済学では微分・積分や統計学を必要とするが,そういった者の数を大きく下回る者しかこれらの科目を学んでいないことになる。この傾向はここ3〜4年間殆ど変化はない。
 大学入試センター試験(以下,「センター試験」と言う。)の志願率は,概算で約81パーセントである。センター試験は1科目から受験できる試験であり,平均点が60点になるよう問題が作成されている。平均点の設定については,かつての共通一次試験でも同様に設定されており,受験者数が約2倍のセンター試験で平均点を同様に設定していて良いのかという根本的な問題が存在する。また,平均点以下の者は大学に進学していないという錯覚に陥りやすいが,実際はそうではなく,平均点以下の者も殆どが大学に進学している。基礎学力を保つため,基礎的達成度を測るために始められたセンター試験で,平均点以下の者が20数万人おり,その者の殆どが大学に入学するという状況を鑑みれば,受験者の学力レベルの問題が浮上してくる。
 「世界史」の履修率については,以前から研究者間では注目してきた。かつて,約3万3,000名を対象に大学生の学習意欲に関する調査を行った。その中で「高校時代に世界史を履修したか」という設問に対して「履修していない」と答えた者が医学系で25パーセント,全体で17パーセントいた。
 高等学校の教育課程について,戦後日本の高等学校普通科の教育課程はどのように変化してきたのか。かつて,最低卒業単位数は85単位であったのに対し,平成15年(2003年)以降は74単位となっている。その中で国語,社会(地歴・公民),数学,理科の4教科についてみると,現在の教育課程ではこれらの科目は14単位に過ぎない。この状況の中でなぜ必履修科目が履修できないのかについては,必履修科目が何であるべきかという議論とともに高校の教育課程を消化していくプロセスに注目しなければならないだろう。
 我が国の大学入学者選抜の状況については,現在,大学入学者の約42パーセントが推薦で入学しており,学力選抜とは切れた形での入学ルートになっている。また,私立大学の4割が定員割れの状況では,事実上,入学者選抜が成立しない大学が増加しており,推定で約10万人がこのような状況で入学している。そうすると,4年制大学入学者約60万人のうち,30数万人,つまり過半数が学力選抜と直接係わらない形で入学していることになる。
 かつて中央教育審議会の場でも「アメリカのように入りやすく出にくい大学」ということが話題に挙がったことがある。アメリカの大学入学制度については,平成14年(2002年)の"collegeboard"のデータに参考資料がある。それによると,4年制大学については公立,私立とも約15パーセントが競争選抜制であり,約75パーセントが資格選抜制を取っている。競争選抜,資格選抜では,各大学が細かく入学に必要な要件を課している。一方で,いわゆるオープン・アドミッション(開放入学制)となっているのは10パーセント程度である。この結果と比較しても日本の大学はアメリカの大学よりも入りやすくなったと言えるだろう。
 大学側の入学者選抜と入学後の課題として,1カリキュラムの水準,目標を明確にする,2学生確保(経営)と教学のバランスについての棲み分けを明確にする,3入学基準(アドミッション・スタンダード)の公表が必要である。一方,高校側の進学準備教育の課題としては,1大学での学習に必要な基礎学力の養成,2高校教育における過度な受験シフトの抑止,3「多様な高校教育」の実質化と達成評価が挙げられる。これらを踏まえ,1高校卒業試験(到達度評価;出口試験)の実施,2大学個別学力試験の共通化(難易度の異なる複数の科目試験の開発と利用),3学士課程教育の卒業試験の実施,4入学者選抜単位の解消(大括り化,入学後の学部振り分け),5大学院入学者選抜の改善を提案したい。

【荒井 克弘氏の意見発表に対する質疑応答】
委員  日本の大学はAO入試で入学しやすくなり,このままでは荒廃してしまうのではないか。それに対し,今挙げた5つの提案で解消することができるのか。特に,出口の問題は重要であり,大学の質を高めるためには,優れた卒業生を出すことが必要である。また,大学院の入学者選抜の改善の必要性については同感である。

意見発表者  出口の問題は大学だけでなく,高校でも考えなければならない問題である。

委員  大学院入学者選抜の改善について,具体案はどうか。

意見発表者  学部の入学者選抜に比べ,大学院のそれは個別性が高い上に,対応が様々である。入試問題についても,共通化を図るような努力があっても良いのではないかと考えている。

委員  「大学入試の問題は受験競争の問題」と言っている間に時代が変化し,受験競争そのものが崩壊するような状態になってきた。また,大学,高校も多様化し,それを進めるために個性化が進展している。先ほど「今後はアドミッション・スタンダードが必要」とのことだが,このような状況だからこそ,各大学なり大学群なりの「アドミッション・ポリシー」が必要なのではないか。1つの平面で大学と高校が接するという状況ではなくなったため,現在では,大学がどのようなアドミッション・ポリシーを持つかということについて制約が極めて大きい状況にある。例えばセンター試験の利用や,5教科7科目の問題がそうである。また,試験の種類が1種類しかない点も制約になっているのではないか。そうすると,文部科学省としても入学者選抜政策全体を見直す必要があるのではないか。その中で各大学のアドミッション・ポリシーをどうするかについて考えなければならない。このように,アドミッション・スタンダード以前にアドミッション・ポリシーの問題の方が大きいのではないか。

意見発表者  アドミッション・ポリシーというと文学的な表現になりがちな傾向があり,より明確に技術的に入学要件を表現すべきだという主張である。もはや,「知性輝く学生を」というようなアドミッション・ポリシーの時代ではなく,むしろ,いくつかのスケールに従って学生を評価できる仕組みを示す必要があるという意味から,また,ポリシーという言葉が抽象化した理念を掲げるという意味に受け取られがちであるということを避けるという趣旨で「スタンダード」という言葉を使用した。

【濱名 篤氏(関西国際大学長)の意見発表:「初年次教育の現状と課題−“移行”問題を中心に−」】
 本日は,1移行(transition)問題の深刻さ,2初年次教育とは何か,3初年次教育という観点から考えた学士課程教育を考え直す上でのインプリケーションは何かについて述べたい。
 移行問題とは,高校から大学,大学から社会人といった発達段階での移行の問題であり,新しい環境への社会的な適応,対人関係の構築,場に慣れること等を含め,大きな課題となっており,その中には人生観,世界観自体が大きく揺るがされる,あるいは目標や動機をどのように獲得するかという能力の問題が総合的に含まれている問題でもある。
 大学生が直面する移行問題は,大学から社会への移行の困難さである。大学教育がユニバーサル化し,学力が多様化している。このほかにも,OECDのデータベースによれば中退率は平成12年(2000年)で約11パーセントであり,平成17年(2005年)の学校基本調査によれば,進路未決定者の割合は14.7パーセントとなっている。また,平成18年(2006年)の学校基本調査速報によれば,大卒後に一時的に就業した者の割合は3.0パーセントであり,大卒後の3年未満の離職率は平成17年(2005年)に35.7パーセントであり,10年前の24.3パーセントに比べて10ポイント以上上昇している。これらの状況を総合すると,大学進学者の半数以上が大学から社会の移行の途中で挫折している。
 また,挫折後により有利な立場に上昇移動する者はごく少数しかいない。さらに,この状況については,分野によって大きく異なり,人文系の状況は深刻である。人文系では,18歳から25歳までの間に半分以上の者が予定外の進路変更を行う「キャリア挫折」を経験している。これは,社会への移行時の摩耗率の高さからくる社会問題(少子高齢化問題と連動した労働力,国際競争力,社会保障,治安等の諸問題)に直結し,あらゆる面でステーク・ホルダーの利害と相反するが,意外と社会問題化していない。
 では,入学者選抜の改善で移行問題は解決するのか。私は解決しないという仮説を立てている。それはなぜか。「我が国の高等教育の将来像(答申)」の7つの機能別分化の類型自体が高等教育の多様性を想定したものであり,これらを一括りにして問題の解決を図るのには無理があると考えるからである。また,定員確保の問題は国公私立を問わず深刻化していくことが予想され,入試のハードルを高くすることは,事実上不可能である。さらに,リメディアルについての関心が高まっているが,リメディアル教育とは補習の観点で行われるものであり,入口段階での能力や選択科目が多様化すればするほど,リメディアルでの対応は困難になる。アメリカではAO入試はSAT(Scholastic Assesment Test)という外的基準があるが,日本ではそのような基準がない。調査書しか外的基準がないことが,初年次教育を必要とする背景になっている。このようなことからも,高校修了時の「基礎学力到達度」テストは必要であると言える。また,「リメディアル教育は高等教育なのか」という問題も存在する。これに単位を出すことで,高等教育の質保障にも問題が生じる。このため,高校−大学間の有機的な構造化が必要ではないか。
 初年次教育はなぜ発生したか。これは,「高校からの円滑な移行を図り,学習及び人格的な成長の実現に向けて,大学での学習と生活を成功させるべく,総合的につくられた教育プログラム」という主観的なものである。しかし,1初年次教育の有効性は定着しつつあるが,解決すべき課題は「学習適応」だけなのか,2初年次教育が成功すれば,問題は解消するのか,3教育内容が改善されれば,問題は解決するのかという疑問もあり,これについて検討する必要がある。
 初年次教育に類する用語として導入教育がある。初年次教育は,学生を導く方向性は,必ずしも一方向でも明確でもないことを想定しており,大学教育への円滑な移行を目的とし,汎用的でジェネリックな内容を重視し,人文・社会科学系に多い。また,正課教育以外の体験や入学者のミスマッチも想定している。一方,導入教育は学士課程における到達目標が明確であるという前提に立ち,当該学科の専門教育を到達目標として導くという発想である。導入後の発展,展開,完成というステップを想定しており,国家資格や免許と連動した医・歯・薬,工学等の分野で多用されている。しかし,移行の問題を考えたときにこの枠組で問題が解決できるのかという疑問もある。
 さらに最近では,初年次教育とリメディアル教育を混同している場面が見受けられる。アメリカでは,現在リメディアルという用語は衰退に向かっており,ディベロップメンタル・エデュケーションへと移行途上である。Googleでの検索結果をみると,リメディアルが1,500万件であるのに対し,ディベロップメンタルは630万件である。しかし,初年次教育(first year experience)が5億3,500万件であることを考えると全く市場規模が異なる。リメディアルに比べ,新たな大学教育のプログラムとしての初年次教育は市場の価値の置き方も異なることの証左である。
 では,初年次教育は何を行うのか。それは,1大学生活への適応(大学教育,学習,対人関係等),2大学で必要な学習技術の獲得(読み,書き,批判的思考力,調査,タイム・マネジメント),3当該大学への適応,4自己分析,5ライフプラン・キャリアプランつくりへの導入,6学習目標・学習動機の獲得,7専門領域への導入である。そして,これらは教育内容だけではなく,教育哲学,ペダゴジー(教育方法)に特色がある。日本での初年次教育の類型では,単独科目のスタンドアローン型の方が,複数科目のプログラム型よりも多い。目的については,社会適応に重点を置いたもの,学習適応に重点を置いたもの,双方に重点を置いたもので類型化できる。内容面では,汎用性を重視したものと専門性を重視したものとがある。類型によって,カリキュラム上の位置付け,コンセプト,方法論が異なるが,少人数教育である点,Active Learning志向である点は共通している。事例としては,金沢工業大学が専門重視型の総合型で評価が高い。一方,汎用性重視型では関西国際大学や国際基督教大学の評価が高い。
 初年次教育の重要性については,「高等学校から大学への移行と適応過程に関する調査」において,検証を行った。本調査では,学習,対人関係,生活全般について,高校生活又は大学1年次と比べ,うまくいっている場合は「適応」,うまくいっていない場合は「不適応」とした。入学直後の6月と10月の調査を比較した場合,対人関係,生活全般についてはあまり変化はないが,学習面については,徐々に適応していることが分かる。日本の大学教育はうまくいっていないと言われることが多いが,学習面で自分はうまくいっていると思う学生は増加していく傾向にある。1年次の6月から10月にかけての「適応持続,上昇,下降,不適応継続」について分析をすると,対人関係,生活全般については適応持続が5割を超えているが,学習面については不適応継続が3分の1程度存在する。また,適応持続も3分の1程度しかいない。つまり,学習面に関して,学生たちは非常に不安定な状態であり,常に適応状況が変化している。適応,不適応については,高校の成績,居住形態,入試形態,性別等で統計的な有意差は見られない。つまり,どの学生も適応しうる一方で不適応になるリスクを背負っている。
 研究成果から判断すれば,対人関係を含めて,早い段階で大学生活に対する期待を持たせられるかどうかが重要であるといえる。また,初年次の適応については持続性がある。そのため効果がある初年次教育は有効であるといえる。また,適応持続期間ごとに,その時点に応じた支援を継続していくことも必要である。結果では,初年次に適応すると,それが持続し,3年の段階でも比較的うまくいく傾向がある。
 初年次教育を学士課程教育に継続していくための課題については,1教育内容の観点から専門教育への接続,2学習動機・目的との関係からみた,卒業後へのキャリア教育との接続,3既存隣接教育プログラム(教養教育等)とどのように連携していくか,4「学士課程教育」と初年次教育の理念的関係と構造化の必要性,5担い手となる教員へのFD・ワークショップの必要性がある。1については,専門教育への適応を突然求めるのではなく,初年次教育で大学という環境に慣れさせ,対人関係をつくらせた上でどのように専門教育につなぐか,つまり1年生でうまく適応した学生を卒業に向けて導く接続の仕方が課題である。また,初年次の動機付けとライフプランをどのように結びつけるか,これらと教養教育をどのように結びつけるか,初年次教育という非伝統的なプログラムを理念的にどのように取り込み構造化していくかについても検討しなければならない。
 初年次教育から学士課程教育の解決に繋げるものとしては,1学生自身の自律・自己管理に向けたphilosophy2ペダゴジーも含めた教育基準の改良の可能性,3学生の発達段階に見合った継続的支援,4中長期的視野に立った評価がある。1については,アメリカで初年次教育が注目されてきたのは,初年次教育でモチベーションや目標が獲得できれば,自発的に勉強するようになるからである。現在,世界各国で27,8か国が導入しており,フィロソフィーが共通している。学生が自己分析し,適応し,自発的に勉強するようになれば,効率的であるというフィロソフィーがある。2については,Active Learningの手法はどこでも使えるため,知識の定着等が強調され,学生自身のメタ認識スキルの重視から,Active Learningペダゴジーが初年次教育に埋め込まれており,効果を上げている。3については,キャリア教育について教員は関心がなく,講演会を開いても専門スタッフが参加し,教員が来ない状況であるため,教員をどのように取り込んでいくかが課題である。4については,個別大学がベンチマークに基づき,どのような目標を持ち,何を学生たちに達成させるのかラーニング・アウトカムを作成している状況であり,アウトカム評価のためには,目標・尺度の明示が不可欠である。

【濱名 篤氏の意見発表に対する質疑応答】
委員  大学が行政の関与なしにできることは多数あるのではないか。そうすると,行政の関与なしにできることの範囲を明確にする必要がある。また,国の制度の変化を待っていては遅いという感じを受ける。今の大学生は,職業等に対する教育を受けていないために意欲が薄く,「なぜ働くのか」「何をすれば良いのか」が理解できていない大学生が増えている。それを解決するためにできることから始めることが必要である。行政の関与なしに大学ができることには例えば何があるか。

意見発表者  私の提案の中でもっとも行政の支援が必要なのは,高校卒業試験や高校の出口評価をどのように行うかである。これについては,高校単位よりも地域,地方単位で考えていくことで実現性が高まるのではないか。その点で行政のサポートは必要であるが,全てを行政に依存しては,かえって達成が困難になると考えられる。大学の個別学力試験等をどのように合理化するかについては,大学入試センターをどのように再生するかに関係してくるのではないか。学士課程教育の卒業試験をどうするかあるいは入学者選抜の大括り化については,大学間の連携(連合)組織が協力しなければ解決は困難ではないか。よって,これらの事項について,各大学が個別の改善提案を出すというよりも,むしろ,今後の新しい学校システム全体をどのようにするのかというビジョンが必要であり,その認識のもとに入学者選抜の問題を考えていく必要があるのではないか。学校システム全体の改革の問題であるという認識に立てば,大学,高校あるいは自治体がそれぞれ努力しなければならない部分が相当ある。それに対して,国からの支援があることが望ましいと考える。

委員  高等学校部門との合同会議等が必要だと考えるがどうか。

事務局  必要に応じ,初等中等教育分科会との調整を行うことが可能な仕組みとなっている。

意見発表者  個別大学でできる余地はかなりあると考えるが,そのためにも前提条件をどのように構築するかが重要である。現在,センター試験だけでは私立大学の入試の選抜性を上げることが不可能であるため,到達度テストのような形で共通の到達度を示すことが必要である。少なくとも最低限,国民としての学力保証の上に大学教育が工夫できることが必要条件である。また,目標設定について,日本の場合,大学ランキングや定量的な評価尺度に依存してしまう傾向がある。このままでは,様々な形で個別の目標設定を具体化させる仕組みやインセンティブがないと,大学が自発的に質保証を図るという行動は起きないだろう。つまり,今の状態では,ランクが下位の学校はできるだけ能動的に行動したくないという形になるため,情報公開のインセンティブを与える必要があるのではないか。初年次教育については,中退者を減らす効果があり,これは現在の私立大学にとっては切実な問題であり,そのためからも初年次教育に関心が集まっているのではないか。

委員  移行の問題については,高等学校,大学,社会それぞれの代表者が集まり,人間の成長や学びについて,議論する場が必要ではないか。

委員  日本の初年次教育は,アメリカとはかなり状況が異なっているとのことだが,今になってみると,高校教育が多様化する一方で,一般教育課程や教養部を廃止してしまったことが悔やまれる。初年次教育については,何らかの責任組織が必要ではないか。日本では,学部自治が強く,総合大学になれば,学部間の利害調整も難しい。しかし,初年次教育は誰がどのような形で責任を負うのかについては明確にしておく必要がある。その中で,特に総合大学がとるべき施策としてはどのようなものが考えられるか。

意見発表者  もっとも参考になるのは,オーストラリアの事例ではないか。オーストラリアの場合は日本の国立大学と同様に学部自治が非常に強く,学部自体がアトリビュートをつくる際にも,全学共通のものを各学部がデフォルメしており,日本の学部に近い発想である。オーストラリアでは,全学の教育方法,FDを担当する部局があり,そこが情報提供し,各学部がデフォルメした上で初年次教育を展開している。よって,学部のオートノミーをある程度尊重することが可能である。
 初年次教育は組織的に行うことが必要であり,少なくとも学部単位でないとうまくいかないと言われている。一方,初年次教育をどのように行ったら良いのかわからない教員が多いため,提供される情報に対して比較的抵抗感がない。一定のワークショップやFDを行えば初年次教育を導入することは可能である。神奈川大学では,キャリア教育をアウトソーシングし,初年次教育を大学教員が行うというように役割分担を行っている。その点では,国立大学でも総合大学でもある程度導入は可能である。現在では,立教大学や早稲田大学でも導入準備を進めていると聞いている。

委員  専門学部への細分化が進んだ際には,専門科目の教員が初年次教育から専門教育までを一体的に責任を持って行うのが望ましいと考える。大規模私立大学では,そのような取組を行っている。しかし,国立大学のような研究者養成に重点を置いている大学では,専門教育への特化が進み,初年次教育に関心を払わない傾向があるのではないか。その意味では,オーストラリア的な方法をとっても,日本では解決しないのではないか。

意見発表者  FDの出席率は,比較的教育熱心だといわれている大学でも1割程度である。この問題は,話を聞いてもらわなければ始まらない。FD等において情報を共有することから始める必要がある。
 初年次教育を導入している大学は,比較的トップダウン型が多いが,FD等について同様に行おうとすると,教員の反発を招きやすいため,ワークショップのような仕組みがないと,なかなか根付かないのではないか。

委員  我々の世代は初年次教育を受けていない。その経験から言えば,大学でここまでやらなければならないのかという印象を受ける。一昔前までは,大学の質を保つためには,いわゆる「悪貨が良貨を駆逐する」的に悪貨には退場を促すという議論も成立したが,現在ではそのような議論は成り立たないだろう。
 今,国公私立合わせてどのくらいの大学が,初年次教育に関心持ち,実施しているのか,それについてのデータはないのか。また,初年次教育は,学生を教育するという真摯な視点もある一方,中退者を少なくして学校経営に役立てようという側面もあるのではないか。さらに,初年次教育において学習適応を扱うのはわかるが,生活指導や対人関係を扱うとなると,そのための専門家が必要ではないか。

意見発表者  初年次教育は必要かと問われれば必要である。統計については,リメアディル教育を含め,導入教育,初年次教育の概念整理が十分できていないため,あくまで推計であるが,全大学の3分の1以上の大学で実施されているようである。その中で,学習技術について初年次教育で扱っている大学が多い。また,アメリカの例では,ハーバード大学では,8割の学生が初年次教育クラスに在籍している。数年前の15パーセント程度から急速に増えた。
 初年次教育はアメリカで普及した時には,もともと経営的な側面が強かった。1年で3分の1以上の学生が中退してしまうため,それを防ぐための切実な問題であったが,最近ではその状況が改善され,学生が満足し,大学としての評価を上げるのに効果的だという認識になっている。
 大学教員は,実はゼミを通じて双方向のディスカッションを行っており,そこで人間関係を構築している。アメリカの初年次教育の手法は,もともと,同じ人間が共同で行動して,学習行動をとることから始まったとされる。日本では双方向授業を行っている者は少数であり,この点を改善しなければ,日本の大学教育は改善しないのではないか。

委員  適応・不適応が入口に関係なくリスクがあるとのことだが,リスクについては,大学固有の問題ではなく,世代に特有の問題ではないか。もしそうならば,解決不可能なことを大学固有の問題として解決しようとしているのではないか。大学進学率の上昇により,今まで見え隠れしていたことが社会全体に平均的に現れていると見るべきなのか。

意見発表者  これは大学固有の問題ではないと考える。しかし,大学が解決努力をする必要があり,また,社会システム全体で設計しなければならない問題でもある。これは成熟社会が共通して抱えている問題で,イタリアでは大学中退率が67パーセントとなっている。成熟社会では,社会が共通して豊かになる,幸せになるという共通目標というのが持ち得なくなっているようだ。
 アメリカでは「ヘリコプター・ペアレンツ」が大学関係者共通の話題になっている。大学に入って,寮で自立生活をしていくことで,独立心旺盛な個人主義のアメリカ人が育成されるはずが,最近では,親が毎週のように寮にやってきては,身の回りの世話を行い,何かあればヘリコプターのように子供の上を旋回している様子を風刺したものである。このヘリコプター・ペアレンツは日本の親にも共通している。つまり,独立心がなく,目標も明確にない世代の問題である。
 しかし,だからといって問題を先送りするのではなく,高校から大学の間に発達段階のハードルをつくるべきである。そして,大学でも,社会的損失を生まないような学士課程教育の設計の見直しが必要であると考える。
 最大の問題は,社会的損失が大きいことである。新聞報道にあった,企業側が内定者に対して在学中に資格取得を推奨するという話は本末転倒ではないか。

委員  昔はアーティキュレーション(学校間進学の接続関係)がないからこそ教育的な意味があり,大学入学後の驚きに教育学的意味があった。例えば,クラブや寮生活といったインフォーマルな形で教員との接触があったり,ヒドゥン・カリキュラムが存在した。初年次教育の導入は,これら全てをフォーマル・カリキュラム化することか。

意見発表者  そうではない。

委員  そうすると,これまで日本の高等教育のキャンパスの中にあった,インフォーマルな部分をすくい上げるようなことについてはどう考えているか。

意見発表者  アメリカではラーニング・コミュニティというグループ単位で学習や生活を行う形態ができている。そのような例からもわかるように,ヒドゥン・カリキュラム自体も教育資源だと考え,それらを取り込むかどうかという問題だと考える。よって,自発的な能力がないならば,ある程度サポートする必要があるのではないか。
 初年次教育については,例えばハーバード大学のそれには生活面についてのカリキュラムが多く含まれているかというとそうではない。つまり,優秀な大学になればなるほど,問題の発生リスクが低いため,アカデミックなウエイトが高くなる傾向にある。しかし,そのような情報や目標が明確になっていないため,それを明確にする必要がある。大多数の学生は以前に比べて脆弱になっているため,意図的な支援が必要であり,それを学部単位で行うのか大学単位で行うのかを検討しておく必要があるのではないか。

委員  適応と不適応がどうして分かれるのかについての分析がもう少し必要ではないか。例えば,大学教育の違い等についての分析も必要ではないか。適応,不適応はどの学生にも起こりうると述べているが,実際には,大学が行っている教育の質によって,何らかの差があったのではないか。初年次教育を行えば適応する学生が増えるという前提で議論されている気がする。特に,初年次教育が本当に必要なのかについてを論証する必要があるのではないか。例えば,高校時点で大学教育のような形態の授業を受けていた学生ならば適応しやすいということであれば,これは初年次教育の効果ではなく,高校教育の効果になる。不適応者が生まれる原因について,幅広くとらえた上で対策を考える必要があるのではないか。

意見発表者  パネル調査の困難さは,時間が経過するにつれて回答数が徐々に減ってくることである。現在,4年生に対する調査を行っているが,その中で,高校での履修状況等についても調査しようとしている。しかし,これまでの調査の中で,大学による差や高校の成績による差は認められなかった。高校の成績によって初年次教育の効果が薄れてしまうほど,調査分析が粗いとは考えていない。

委員  最近「大学で何をやりたいか」という目的意識を持って入学してくる学生は10数パーセント程度であると言われている。目的意識がはっきりしている学生に対しては,導入部分の教育はあまり必要ないと考えるが,自分の分野をどのように広げるかという教育は必要だと考える。昔は,この役割を国立大学では教養部が担っていたのではないか。最近では,学生の裾野が広がり,目的意識が非常に曖昧になっていることは事実である。現場で見て,夢が語れない学生が多いことからも初年次教育の重要性は理解できる。
 私が所属する大学では,教養教育委員という制度があり,約8割の教員が何らかの形で教養教育に携わっており,FDも強化している。その中で,教員が学生と接する機会を増やす必要があると痛感している。現在「基礎セミナー」と称する初年次教育を行っているが,今後,かなりのケアをしない限り,学生が不適応に陥る可能性があるということをしっかり認識しておく必要があるのではないかと考えている。

委員  大学の初年次における教育が問題になっているのは明らかである。学生の高等学校での履修状況を見ると,基礎が全くできていないのは明らかである。現在のように,大学・短大進学率が50パーセントを超えるような状況では,本来進学すべきではないような学生を大学が受け入れているという現実がある。この現実を踏まえれば,初年次教育の重要性は分かるが,これを大学教育の中で行う必要が本当にあるのか。大学には大学としてのポリシーがあり,それぞれの成果,目標があり,それに入学した学生がどのように対応,適応していけるかが問題になっている。そして,どのような教育をすれば,卒業時に大学が目指す卒業生を輩出できるかが問題となっている。
 大学は4年間どのように教育し,学生を育て社会に送り出すかについて,明確な目標を持つべきである。初年次教育については,他大学が導入しているから,我が大学でも導入するというのでは意味がない。
 高等学校・大学間の関係を改善するのは困難であるが,大学がどのように対応するか,現行の枠組の中で対応できることは何かについてを検討すべきである。そうしなければ,社会に出ても全く役に立たない大学生が輩出されてしまう。そうすると,大学そのものが必要かという議論に発展しかねない。
 現在,専門職大学院の質が問題になる事例があるが,学部教育でも同様のことが言えるのではないか。各大学が自らのポリシーを社会に対してはっきり打ち出すことが必要であり,それがなければ,この問題は解決しないのではないか。初年次教育の在り方は重要であるが,それ以上に各大学の目標,目的をはっきり打ち出す必要がある。

意見発表者  かつて国立大学には教養部があったが,高校教育や入試制度の多様化に対し,大学の受入態勢をどうするかについての議論の最も必要な時期に解体されてしまった。教養部の在り方には問題がなかったとは言わないが,現在,多くの国立大学では,初年次教育に限らず,学士課程前期教育の責任組織をどのように構築するかという問題に直面している。一つの打開策として,教養教育組織の再組織化とは言い過ぎであるが,初年次教育,あるい専門教育と初年次教育との間の接続の構築のために,東北大学では高等教育開発推進センターを創設した。ここには教員が約60名が在籍し,学生の学力面だけではなくメンタルな問題についても取り扱っている。このような組織をさらに拡充し,初年次教育の責任組織としての役割を果たしていくことが必要ではないか。
 また,専門学部が全学教育に取り組むことが不可欠である。問題は,そのためのインセンティブをどのように作り出すかが重要である。それなしには,高校・大学間の接続あるいは大学・社会間の接続についても,具体的な骨格を作ることができないのではないか。また,国として具体的なアイデアを発信しなければ,現場である大学には伝わらないのではないか。

委員  産能大学では,初年次教育を早くから導入してきたが,中小企業の子弟の教育という目標があったため導入しやすかったという背景がある。現在,多くの私立大学でも初年次教育が実施されており,これらは,民間企業に例えれば経営ゴールを達成するために大学が積極的に行うべきものであり,方法論は大学の特性に合わせて様々な方法があるのではないか。
 行政の政策として何を議論するのかという観点に立てば,職業教育や適応教育についても,アウトカムをどのような観点で評価するのかについて,インセンティブ等を含めた議論が必要ではないか。

委員  初年次教育の内容の7項目を見て,企業の人材育成の項目と類似している印象を受けた。企業の人事担当者との会話では,これらの項目が必ずと言って良いほど出てくる。現在,大学生がこれらの7項目について,しっかり教育を受けずに社会に出るため,企業の教育担当者は悩んでいる。また,半数の者がキャリア挫折を経験していることは,もはや社会問題であり,何らかの形で手当てが必要なのではないか。この問題の原因が初等中等教育の部分に関連するのだとすれば,中学,高校,大学,社会の関係者が一堂に会し,人間力を高める人材育成のためには,どのような政策が必要かについて議論する必要があるのではないか。
 また,入試については,既に約半数の者が一般入試を経験しないで入学しているが,これは社会に出てからのキャリア挫折と大きな関係があるのではないか。競争にさらされていない状況で実競争社会の中に入った者は競争に弱くなっているのではないか。

委員  「大学入試センター試験の改善に関する懇談会−意見のまとめ−」については,ただ今の議論とずれがあるのではないか。大学入試センター試験には,高校の学習到達度の測定と大学入学選抜の手段としての2つの目的があるが,推薦入試やAO選抜の割合が高くなった状況では「別試験についても検討すべき」という意見があるにもかかわらず,このまとめでは,依然として入学者選抜の側面しか触れられていない。そして,2つの目的の1つである高校の学習到達度をどのように測定するのかという視点に乏しい。この問題についてはどのように考えているのか。

意見発表者  高校の学習到達度を測定する別試験については,センター試験のスキームに合わせる必要性はないと考える。これまで高等学校は,大学入試を生徒指導の一つの手段として利用してきた。ところが,いわゆる大学全入時代の到来により,生徒に対して「このままでは大学に行けない」という指導ができなくなったため,高等学校側は別試験を立ち上げることについては,恐らく反対しないのではないか。その意味で,社会全体の大きな移行の仕組みの中で考えなければならないのではないか。また,この問題は政策的なインプリケーションから,大学入試や大学教育という枠だけでは解決しないだろう。特に,社会が一元的な尺度のままであるときに,多元化・多機能型になっているということに対する情報発信がうまく行われていない。移行の問題については,イギリスのPDP(Personal Development Planning)という手法が参考になるのではないか。これは,学生のキャリア形成の記録を自分自身で管理するという仕組みである。そのため,高校生のうちから進路指導や適性検査が行われている。しかし,高校の進路適性検査の結果は,大学には引き継がれない。一方,アメリカのSATでは,そのようなデータが継続してつながっている。高校教育から大学,大学から社会への移行の段階で,情報が共有されるという仕組みがないことが,社会的損失が高くなりやすい原因になっているのではないか。

意見発表者  私は,大学入試センターは一度解体して再発足すべきだと考えている。平成2年(1990年)に共通一次試験からセンター試験に変わった際,高等学校の学習到達度を測る機能は放棄したと考えている。既に,その機能を維持できなくなったにもかかわらず,センター試験が未だ続いているのは理解に苦しむ。高等学校の学習到達度については,地方ごとに評価センターを創設し,そこで評価を行い,解体後の大学入試センターは,技術的に継承すべき部分のみを残し,新しい大学入試改革のために活用する必要があると考える。

委員  英国では,子供たちの学習に対するインセンティブが非常に下がっており,従来どおりの教育では,学生が全くついて来られなくなってしまった。そのため,ケンブリッジ大学でも従来では考えられないくらい,カリキュラムが易しくなった。一部には,イギリスの教育は地に堕ちたと言う人がいるが,それでも日本の学生と競争したときに,まだイギリスの学生の方が強いのではないかという印象を受けた。また,イギリスでもっと深刻な問題は,大学が個別の入学試験を課すことができず,学習意欲が低い学生も,オックスフォード大学やケンブリッジ大学に入学してしまうという状況がある。このことからも,世界中で初年次教育が必要とされるのは分かる気がする。

(2)  事務局から,学生の就職・採用活動に係る問題について,報告があった。
 
委員  これまでも企業の理解により,倫理憲章に基づく就職活動が行われてきたことには感謝している。しかし,ただ今の事務局説明にあるように,学生が精神的負担を感じるような状況があることを残念に思う。学生の学業については,今後も十分な配慮をお願いしたい。

(3)  事務局から,教育再生会議の動向について,報告があった。

7.  次回の日程
   次回は,12月1日(金曜日)13時30分〜15時30分に開催することとなった。

(高等教育局高等教育企画課高等教育政策室)


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