| 6 議 事 |
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事務局から、将来構想部会で審議中の大学等の設置認可制度の望ましい在り方について説明があり、意見交換が行われた。 |
| (2) |
本年11月22日に出された国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会報告書について事務局から説明があり、意見交換が行われた。 |
| (3) |
留学生受入の概況について事務局から説明が行われた。 |
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| (○:委員,●:事務局) |
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| 【大学等の設置認可制度の望ましい在り方について】 |
| ○ |
将来構想部会での前回の議論は、評価制度と設置認可制度を各々独立には議論できないということだった。設置認可に関して分野別に原則抑制をしているが、このような政策的要因は品質保証とは別問題だろう。設置認可と評価を切り離した議論が可能か、また両者をどう調和させて議論するのかが大きな論点だ。国立大学には法人化等の問題があるが、これにより私立大学も含めて大きく変化する可能性がある。その辺りの時間的な見通しを含めて設置認可の弾力化の方向性について議論すべきだ。 |
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| ○ |
校地・校舎面積についてだが、よりよい教育のために少人数制を組み込むべきで、それには小教室が多く必要になる。キャッチアップ時のように大量の学生を大教室に入れるのではなく、自ら問題を発見し課題を定義していくのであれば教室の在り方自体が変わってくる。大教室で講義をした後、フォローアップのための部屋が必要だ。教室面積を増やせないことにより、教育の質が低下するおそれがある。アメリカでは長い間教育政策が連邦政府になく、一定水準のプログラムがあればそれでよかった。日本では政策を重要としていたが、政策が間違った時に早く修正できることが大切だ。政策的介入には不断のチェックと改善できる体制が必要だと思う。政策と認可を連動すべきかどうかではなく、連動した場合の政策についての問題はどう発生し、それを是正するにはどういうシステムが必要かが問題ではないか。 |
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| ○ |
日本の私立大学の設置認可行政は、当初自由放任だったが質の向上のために政策的な措置を採る形で進んできた。明治36年に専門学校令ができるまでは全ていわば各種学校だったが、その中で一定レベルを満たすものを専門学校として認めようとしたわけだ。当時の設置認可基準は教育課程に関わるもので、専任教員がいない専門学校も多かった。大正期にできた大学令で初めて様々な施設設備を含めた基準を作った。日本はアメリカとは異なり、政府は高等教育、特に私立大学のレベルを上げるためにイデオロギー的なものも含めて様々な規制の枠をかけてきたと思う。戦後は設置基準を新しく作ったが、規制と言うよりは一定の質を確保する基準を設けるという発想で今に至っている。その過程の政策的配慮として、量的規模が拡大する中で教育の機会の平等化を図るために、地方分散政策を採り大都市集中は望ましくないとしてきた。これはナショナルポリシーとして国土計画の中で地方分散化を進める一翼を文部省が担い私立大学を中心に地方分散をしてきた。私立大学の助成等様々な政策を採りながら質の維持・向上を図ってきた中に、高等教育機会の平等化という政策目標が加わっていたと思う。高等教育の量的な規模拡大のピークを過ぎてどうすべきかが問題だろう。私学の質も向上しているので規制を緩和してもよいという考えもあるが、現時点で規制を大幅に緩和すれば政策の大転換となるので、高等教育システム全般に大きく影響するのではないか。総合規制改革会議では設置認可制度を全てやめるべきだと言っているのではないと思う。基準を満たせなかった時は是正措置を講ずるべきだとしており、国が全く規制しなくていいという主張ではないと理解すべきだ。大学・学部の設置認可に対する抑制方針や校地面積基準、工業(場)等制限法における規制等については、文部科学省の政策であると同時に国土計画政策等が関連しているが、国全体の政策が変わった時に文部科学省として高等教育政策をどうするのかが重要だと思う。 |
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| ○ |
事前規制から事後評価という日本全体の動きを高等教育政策も採るべきだ。設置認可制度は質を上げる方向には行かず、外形的な資格があれば教育内容が変でも認可せざるを得ない状況になっている。大学間でその内容にかなりの違いがあるが、一般にはそれを知らされない部分が多い。アクレディテーションは評価方法の一つに過ぎず、他の評価も多く存在する。高等教育は社会全体の問題なので、評価が公開・流通し最終的に国民が評価するようにすべきではないか。国の政策としての高等教育を考えると、産業界の望むスキルセットと大学卒業者のスキルセットのミスマッチが日本の競争力低下の大きな問題になっている。今までは国の戦略的部分は国立大学が担うという考え方があり、私立大学は質が悪くなければいいという考え方だったと思う。実質的には私立大学の方が大勢の卒業生を出しているので、国公私を問わず大学は国家戦略を担うべきだろう。日本全体としてどう大学を設置・改編していくのかについて、将来構想部会で議論していただきたい。 |
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| ○ |
事前規制にも限界があるので、現状を評価していく方が質の向上が期待できるのではないか。また、大学の現状を知らせる情報公開を果たす仕組みを強化する必要があると思う。このような情報が提供されることは、事後評価をする上で重要だ。最終的に国民が事後評価を行う者自体を含めてチェックするためにも、誰もが簡単にアクセスできる情報公開の仕組みを作っていただきたい。 |
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| ○ |
今後何を日本の大学のターゲットや理想とするのかをイメージとして明確にしなくてはならないと思う。大学がその自治や自主性を持って自ら変わることが基本なので、その方向性を与える制度変更が有効だろう。アメリカ型か、日本的なものを温存しアメリカとは全く異なるものにしていくのかについて、まず決断する必要があるのではないか。それに伴い、多様化や自由競争の問題も考えなければならない。設置基準をやめて全てアクレディテーションにするのは不可能だと思うが、両方残すべきか、設置は単純な届出制にして全てアクレディテーションにするべきかについてはっきりさせないと議論が進まないと思う。 |
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| ○ |
アメリカ型の制度を日本で作ると、多くの問題を生み出すおそれがあり効率的でない。今の社会にあるよい物を21世紀に発展させることが大切で、それがアメリカの制度と比べても競争力があることが必要だ。日本の企業は、日本的運営によるプロダクトでアメリカ的運営の水準を凌駕し、その結果日本は経済大国になった。大学も同様ではないか。よい学生を育てることに集中して考えるべきだと思う。設置の在り方を弾力化・規制緩和して、ボトムラインは国が維持すべきだろう。全大学がアクレディテーションを一定の期間毎に受けることが重要で、これはむしろ委託先を入札で決めて民間委託した方がよいのではないか。ランキングやレイティングをする会社は金融分野ではかなり発達しているが、そういうものが大学についても企業として出てくると思うので、見直しの際に複数の委託先を決めればいい。NGOや半官半民、民間企業等形態を問わず、調査能力を重視して決めればよいのではないか。そして提出されたランキングやレイティングの実績を見てその結果を比較し、どの評価が実態に見合っているのかを競争的に比較することも考えられる。アクレディテーションの担当機関が一つでなければ相互チェックも出来るだろう。一度悪い評価を受けるとずっとそのままではないかという不安があるので、評価やアクレディテーションについては様々な機会を設けるべきだ。認可は国が行い、アクレディテーションの委託先も国が選び結果を公表すれば、国が評価されることにもつながるので、真剣に委託先を選考し競争原理も働くのではないか。 |
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| ○ |
私はその意見とは全く違うイメージを持っている。まず日本社会に何が出来るかを考えるべきで、アメリカ型という意味はアメリカのような自由なボトムアップ型のものが出来るかどうかを考えることだ。日本にも教育者や科学者のコミュニティが必要だと思う。教育者としての理念と責任感を持ったグループが運営するものが大学だという定義をすれば、様々なことがはっきりしてくるだろう。コミュニティは自主的に出来るものだが、その概念や輪郭をどう作るかということと利益団体ではない団体がどこまで育ち得るかということが問題だ。将来の日本についての方向性なしでは何も決めることが出来ないのではないか。 |
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| ○ |
大学設置基準は最低基準で、それ以上の教育水準を達成するために各大学の努力を求めている。大学基準協会で評価を受けるという制度的な構想が実現しなかったのは、設置基準が最低基準ではなく最高基準扱いされてきたからだろう。日本では私立大学に規模の拡大・抑制や地方分散等での政策を負ってきたと思う。アメリカでは各州で高等教育機会を保証するために学校を作り、政府で国家の重要ポリシーとして私立を含めて大学に研究費を出してきた。日本の大学の設置認可は、学校法人と大学の認可の二つがある。学校法人が大学を設置する時の規制緩和については既に様々な部分でなされているが、これ以上何をどうすべきかについて私立大学の立場から意見を聞くべきだろう。 |
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| ○ |
設置認可の規制と事後評価は切り離せない問題だ。認可制度の緩和は評価制度が整備されていないと出来ないと思う。評価制度は国の組織だけではなく、他の機関でも評価してもらうべきだろう。現在の私立大学の社会的評価の状況は、評価を行う受験産業への貢献に大きく左右されているので正確とは言えない。従って、評価機関を評価するシステムが必要だ。そういうものを構築した上で、規制を外すのがよいだろう。今後の規制緩和についてだが、全般的に規制は十分に外れていると思う。定員の増減に関しては、ある程度の認可が必要だと思うが、学部の中の学科の移動は規制を外して各大学で自由にすればよいだろう。学部に関しては、学校のポリシーそのものが変わるので認可が必要だろう。学校法人の認可は規制がほとんどなくなって、元金無しで学校法人ができる状態まで来ている。学校法人の一番の原資は土地だが、それが担保されていない学校法人の認可は軽々にすべきではないのではないか。現状は十分に緩和されており、これ以上の緩和は必要ないと思う。 |
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| ○ |
大学設置について、学科は自由にして学部では認可が必要だというが、それが最も望ましい姿だという考えなのか、それとも現在ではそうするしかないという考えなのか。 |
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| ○ |
現在では全て開放するよりはそうするのがよいだろうと考えている。今後学問が学際的になっていくと時代に合わない学部も出てくると思われるので、それをどう変えるかについて考えるべきだ。今の段階で学部についても開放してしまうと、大学の姿が見えなくなるのではないか。学部名だけが変わって教員がそのままという形では問題があると思う。 |
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| ○ |
学部が古くさくなっている現状は悲惨だが、カリキュラムのモジュール化を提唱している所もあり、それは非常によいと思う。私立大学ではそういうことをしているのか。 |
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| ○ |
私の所では本当のモジュール化をしている。工学部の単科なので、工学部という中での様々な学科があるが、それがコア制度になっていて、どのコアを選ぶかによって専門が変わってくるということになっている。学科というのはあまり必要ではなく、工学という学部が必要である。工学部を理工学部にするか、名称を変更して理学部を増やすかどうかということが問題だが、その時に工学部を理工学部にする時に勝手にしていいのかというと疑問が残る。 |
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| ○ |
学部の問題については、学部の枠を外して各大学で自由にすると学部の中身が幅広になりすぎる気がする。学科であれば各大学で決めてもある程度の範囲に収まるだろう。学部はある一定の基準を作ってコントロールするべきで、その基準は教育の専門家が決めるのがよいと思う。意思決定の仕組みの問題だが、大学側の決意が足りないのではないか。大学が自分で決めるのだと言い切るコミュニティを持っていないことに教育の問題があると思う。調整役として文部科学省が何かをする場合にも、それを決めるのは大学であるべきだろう。文部科学省の過保護のために、そういうコミュニティ側の意思決定が出来る仕組みが育ってこなかったのではないか。将来のターゲットが見えないまま、個々の問題に応じて各制度を変える方法では今後行き詰まってくると思う。この大学分科会で将来の我が国の大学制度のイメージについて合意できなければ、次のステップが見えてこないのではないか。 |
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| ○ |
総合規制改革会議で何か決まると、その決定と中央教育審議会の関係はどうなるのか。 |
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| ○ |
意思決定の仕組みが不充分だと感じるのはその辺りにある。様々な所で様々な提案が出て、各々日本社会をよくしようと考えているが、現実の矛盾を解消する仕組みが見えないので現場の大学が困惑することになる。 |
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| ○ |
様々な所で議論しても、議論しただけでは意味がなく、議論が形として結実しなければならない。その場合に様々な所での議論をどう集約するかが問題だ。 |
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| ● |
総合規制改革会議では近く方向性を出すことになるが、この分科会での意向も議論に反映させるために意見を出している状況だ。総合規制改革会議で大きな方向性についての提言を出した場合に、その具体的な制度設計はこの分科会での仕事だと考えている。 |
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| ○ |
この分科会は教育の専門家が集まっているが、総合規制改革会議はそうではないと思う。事前チェックから事後チェックに移行した場合や民間評価をさせた場合に何か問題があるかどうかを専門家の立場で考えておくべきではないか。 |
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| ○ |
基本的に最終的な制度を提案するのはこちらだが、そのためにはこの分科会で将来の大学のイメージについての統一的な見解がなければならない。 |
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| ○ |
百貨店等大型小売業においては、かつては新店を出す時には通路の幅や商品の配置についての規制があり全て届出制だった。それが改正され、今では消防法や建築基準法を守れば後は自由になっている。高等教育も同じで、ミニマム基準があれば大学が残りを主体的に判断するだろう。文部科学省ではなく大学が、主体的・機能的に社会の変化や学問の進展に的確に対応し判断するべきだ。大切なことは大学間の自由競争の環境を作ることで、それを阻害するものはなくすべきだ。枠組みを残してマネジメント機能を文部科学省から各大学に移すのか、あるいはルールを全て文部科学省で決めマネジメント能力や大学の主体性が発揮できないようにするのか。各大学が主体的・機動的であるために、不都合なものを外すことを考えた方がよいのではないか。評価制度については、目標がないところに評価はなく、評価はその大学が何を目指すかを市民に訴えるものだと思う。民間企業でも経営目標や数値目標を出すが、大学が理念・哲学等を持ち、その目標に向けた態度が問題であり、各大学が個性豊かであるべきだ。各大学が目標を持たないと評価が出来ないのではないか。 |
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| ○ |
大学が変質してきたために様々な問題が起こっているのだと思う。大学院の重要性が増しているが、大学院問題は人間形成的な機能を持つ学部教育とは分けて考えるべきだ。日本では学部段階で専門・職業教育をしているが、医学部・薬学部・看護系等は厚生労働省の枠が別にあるのでここで規制緩和をすることはできない。受験産業の評価等は、評価の一部ではあるが重要と考えるべきではない。アメリカのアクレディテーション団体は各団体が専門的職業人の集まりで、プロフェッショナルなアカデミックな団体である。その団体が大学院を作り、その質を担保する仕組みだ。日本では大学卒業者が専門職になるだけなのでアメリカのようにはならないだろう。今後アクレディテーションの団体を作る場合には、公平な評価をする団体をどう作り、どう担保するのかという問題が出てくると思う。JABEEのような民間の評価団体が更に必要で、国が政策を変えればすぐに出来るというものではないと思う。学部と大学院のアクレディテーションの問題は別に考えた方がよいのではないか。 |
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| ○ |
日本全体としてどこまで規制するかという問題と、それを誰がするかという問題がある。時代の変化に対応して両者共各々変わりつつあると思う。JABEEというコミュニティを見てみると、職業人集団は学会しかない。工学の学会は多いが、それらが各分野で教育に責任を持たなくてはならない。JABEEという機構が学会と連携しながら行動する所にコミュニティが育つのだと思う。コミュニティがなければ学問研究・教育の主体性が育たないので、そこを意識しなければよい結果が生まれないのではないか。 |
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| ○ |
現時点ではある程度の規制が必要だが、外形的な基準で行われるだろう。ある大学が意欲的な新しいカリキュラムを組むと、設置審議会の専門委員が古い固定的な形態に変えようとすることがあるが、それはよくないと思う。定員の概念は終局的には取り払うべきだと思う。評価については、学界の代表としての団体を作り、そこがヘゲモニーを握りながら各学会に下ろしていく仕組みが日本全体として定着すれば本来の意味での評価になるのではないか。大学の評価は、目標に対してする評価ではなく、学生がどれだけきちんと教育されてきたかという評価にすべきだ。評価の評価に関しては、オープンに議論できる場で評価の結果を評価するのがよいと思う。一般の人が参加できる場を作り評価が正しいか、またアクセプタブルかを議論できなければならないだろう。 |
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| ○ |
外形的な設置基準は残るという意見には二つの意味がある。外形しか出来ないだろうという意見と、学問内容を完全に開放すべきだろうという意見だ。設置審査で学問内容にまで意見がつくのは好ましくなく、基準というレベルではなくもっと日常的な形でするべきことだ。そうするとアクレディテーションが絶対的に必要になる。設置基準については外形審査だけにした場合に、アクレディテーション評価には何が必要かが重要ではないか。 |
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| ○ |
我が国でも評価が行われ始めているが、やや混乱を起こしている。大学審議会答申で「競争的環境の中で個性が輝く大学」を作るとしているが、各大学が目的・目標を持って個性を出す努力をすればそれに対して評価をすることが出来る。アクレディテーションは、一定のボトムラインを決めてそれをクリアすれば世の中にディクレアするもので、入っているアクレディテーション・ソサエティーにより判断される。前者の評価も大事だが、まずアクレディテーションのシステムをどう作るかを考えるべきだと思う。大学人のコミュニティが健全であれば事前基準は必要ないが、そうでなければ一定の基準を作りその後の大学が機能しているかどうかをアクレディットするシステムが必要になる。日本にはアクレディテーション団体がないので、民間に任せるかも含めて国としてきちんと考えなければならないと思う。最終的にはアメリカのように様々なアクレディテーションボディが存在するのが望ましいが、当初は大学人のコミュニティを作り、そこで工夫しつつ進めていくのがよいのではないか。 |
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| ○ |
分科会として具体的な制度の提案をするのか。例えば設置基準について、現在ある項目を全てあげてみて外すべきものを外した時に、品質について起こる具体的問題に基づいてアクレディテーション的なものをしようとするのか。アクレディットする場合には大学人のコミュニティがないので、当分は審議会形式でまとめることになるのか。そのような時系列的な提案が出てくれば議論しやすいと思う。 |
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| ● |
まず部会の方で具体的な案を議論し、次以降の分科会で議論していただきたい。 |
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| ○ |
アクレディテーションについては、工学ではJABEEがあり、そういうものが進んでいるようだが、他の分野ではどうなっているのか。 |
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| ○ |
アクレディテーションに向けての動きは聞いているが、現実には少ないだろう。 |
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| ● |
大学基準協会はこれまで総合評価だったが、第三者評価に向けて様々な改革案を考えている。専門的な分野としては法科大学院が立ち上がるが、法科大学院は事後的な評価を最初からシステムの中に組み込む方向で議論が進められている。また、大学院部会では通信制博士課程について議論しているが、それにはアクレディテーションシステムが必要だという提案もある。専門大学院についても、各分野でアクレディテーション的なシステムが必要ではないかという議論がある。 |
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| ○ |
基準と認定の問題を有機的に絡めて部会で具体的に議論したい。分野による違いや他の規制との関係、学部と大学院の問題等についてどこまで議論が出来るかは難しいが、問題点は指摘していく方向で議論を進めていきたい。 |
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| ○ |
評価については、公開したランキングで違う結果が出た場合にその理由を議論すればよい。裏取引のあるようなランキングが世に出回っている場合に指摘することも出来るだろう。予備校ではなくきちんとした調査機関が必要だと思う。民間の評価機関がいい加減な情報を流さないためにも、大学のランキングを公開しなければならないだろう。委託先は複数あるべきだが、その中に民間が入ってはならないということにはならないと思う。 |
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| ○ |
民間の評価機関が育たなかったのは風土がなかったからで、評価はこれまで日本では重要ではなかった。最近では評価が注目され始め、現実に幾つかの小さな研究グループが出来ているので、将来的にはそういうところが育っていくと思う。 |
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| ● |
評価には3つの側面があると思う。ランキングという意味での評価には、どこがするか、どういう形がいいかという問題がある。いわゆるアクレディテーションは、各大学の加入資格として相互牽制し励まし合いながら水準を上げていくやり方で、大学の団体が様々あるが、アクレディテーション団体としてどういう評価や仕組みがよいのかが問題である。資金の配分との関係の評価、つまり国の資金を大学の教育や研究に分配する時の評価で、イギリスやフランスでは専門家集団で評価をしているが、日本の場合にはどうするのか。規制緩和と事後チェックに移行する流れの中での大学の認可体制の扱いは大きな課題だが、事後チェックにした場合に具体的にどうなるのかは十分に議論されていない。大学行政については規制緩和によりかなり自由になったが反省点もある。例えば大学審議会の大綱化の指摘を受けて大学のカリキュラムはほとんど自由になったが、専門に押されて教養教育が疎かになったという反省がある。各大学の自己責任で個性輝く大学になればいいのだが、そうでなければ後押しするようなチェックシステムを作ることを考えるべきかもしれない。規制が悪で規制緩和が善だというだけではない評価の仕組みがあるので、それも含めて議論していただきたい。 |
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| ○ |
制度を変えることに伴って起こる反省を、再度制度で改善しようとするのではコミュニティが育たない。大学全体として教養教育を増やす動きが出ているので、それを自ら出来るような制度が必要だ。 |
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| 【国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会報告書について】 |
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| ○ |
この問題を巡ってマスコミ等では再編・統合の所にスポットをあて様々な論評をしているが、全体の狙いは教員養成を目的とする国立大学・学部のパワーアップをいかに図るか、そのためのカリキュラムをどう用意し改善するかで、その手段として再編・統合もやむを得ないという考え方だ。また、広く教員教育と言う場合には養成・採用・研修の一貫性が強調されるが、学部と大学院の改革・改善の問題を切り離しつつ、その一貫性を担保することが重要である。大学分科会との関係については、教員の審査基準の改革を促す意味で大学設置・学校法人審議会における教員資格審査の在り方についても検討されることが望まれる。専門大学院に関しては、大学分科会の動きを視野に入れ協力をお願いするという形にしている。その辺りを踏まえて今後の議論をしていただきたいと思う。 |
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| 7 次回の日程 |
| 次回の日程は、調整の上決定することとなった。 |