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中央教育審議会大学分科会

2001/10/2議事録

中央教育審議会大学分科会制度部会(第3回)議事要旨


中央教育審議会大学分科会制度部会(第3回)議事要旨

日   時 平成13年10月2日(火)10時〜12時30分
     
場   所 文部科学省分館特別会議室201,202
     
議   題
(1) パートタイム学生について
(2) その他
   
配付資料
  資料1 制度部会(第2回)議事要旨(案)(略)
  資料2 パートタイム学生に関する主な論点
  資料3 大学分科会の今後の日程について(略)
     
5 出席者
   
(委         員) 鳥居泰彦(会長),岸本忠三(部会長),高倉翔(副部会長),寺島実郎の各委員
(臨 時 委 員) 天野郁夫,生駒俊明,黒田壽二,佐々木毅,島田Y子,関根秀和,M田道代の各臨時委員
(専 門 委 員) 生越久靖,清成忠男,倉内史郎,武田結幸,舘  昭,長田豊臣,森脇道子,山内昭人,四ツ柳隆夫の各専門委員
(文部科学省) 御手洗文部科学審議官,結城官房長,林大臣官房審議官,工藤高等教育局長,石川私学部長,清水高等教育局審議官,板東高等教育企画課長  他
     
6 議 事
   
(1) 事務局から資料についての説明があり、その後パートタイム学生について自由討議を行った。
     
  (○:委員,●:事務局)
     それぞれにシステムの違う高等教育機関におけるパートタイム学生受入れの適否も含めて議論していただきたい。現状として、科目等履修生制度では必要な単位を修得しても学位にはならない。パートタイム学生の受入れは、社会人の再教育や、短期大学が地域に貢献していくための一策としての考え方もあるだろう。現制度との兼ね合い等様々問題があると思う。
     
     短期大学協会ではパートタイム学生について以前から具体的な研究や試算を行っている。短期大学は地元密着型という性格を持っているが、この観点からパートタイム的に学ぶ学生も迎えて育てていきたい。ただ、授業料は普通の学生と見合う物でないと不公平感が出るのではないかと考えている。総単位では授業料が同じ位になるようにすべきではないか。奨学金は、公的な扶助の問題であるが、考えていくべきである。
     
     通常の年限在学し学習する学生と、通常の年限を超えて在学し学習する学生とが、トータルとして同じ授業料になるようにということか。
     
     そうである。
     
     奨学金の問題は難しそうだ。単位当たりで奨学金の金額を決めるようなことが出来るのかどうか。在学年限をどこまで伸ばしてよいことととするかも、議論が必要だと思う。
     
     例えば62単位を4年間で修得するとすれば年間15〜17単位を取ることになる。1年間に修得する単位数をあまりにも少なくすると、学習効果に問題があるのではないか。
     
     パートタイム学生の受入れは、社会人の受入れを推進・促進するものとして賛成だ。社会人は、在学途中で転勤等仕事の都合でパートタイムに切り替えたいという者もいると思うので、このようなケースにも対応できるようにする必要があるのではないか。また、在学中には社会も本人の考えも変わっていくので、きめ細かな履修・キャリア支援等が不可欠だと思う。そうすると、相当負荷がかかってくるので、定員外の扱いでも良いのではないか。
     
     4年を超えて在学することが予め予定される者として考えられているようだが、3年編入でパートタイムという形態は想定されているのか。
     
     様々な形態のパートタイム学生が考えられる。例えば、アメリカでも2年制のコミュニティースクールから、4年制の大学にパートタイムで編入する者がいる。
     
     現在、高等専門学校の専攻科は大学3年編入のレベルと同じような状況にある。パートタイム学生を受け入れる学校種として高等専門学校を含めるかどうか御議論いただきたい。現状として、高等専門学校の本科修了後に社会に出てから学士取得を目指す時に専攻科に戻ってくるケースがあるが、今後増えると思う。工学系では学士レベルで国際的に通用するエンジニアの資格を認定するアクレディテーションシステムが始動しているが、国際相互承認がされるようになると、本科を卒業したエンジニアが国際的通用性のあるエンジニアに育っていく過程で、パートタイム学生として履修できることは重要になってくると思う。
     
     高等専門学校の本科は学年制なので、編入する場合には融通が利かないと思う。学年制から単位制に移行するのであればパートタイム学生の受け入れも可能かと思う。
     
     医学部の場合には、パートタイムで週に数日学び何年間か続けるということはなかなかできないのではないかと思う。理工系では実習があるが、可能と考えるか。
     
     座学であれば融通が利くと思うが、実習・実験等は学年が上がると増えてくるので、時間の継続性がないと非常に効率が悪いと思う。単位毎にある程度集中的に取ってもらわないと受入れは困難なのではないか。
     
     パートタイム学生の受入れは可能な大学や課程のみが行うべきで、全てに適応するものではないということを答申でも明確にした方が良いのではないか。また、日本においてパートタイムという概念は、「非正規」という意味で使われていることから、パートタイム学生は非正規学生であると受け取られかねない。従って、名称を考慮すべきである。「社会人学生に許される特別な履修形態」ということでよいのではないか。アメリカでパートタイムでの履修が許されるのは、フルタイムで学習できない条件がある場合に限られる。社会人は一日8時間のフルタイム学習は出来ないので、履修を少なくすることが許される。社会人の履修形態の要求は在学中に変わる可能性があるので、1年または学期毎に修得単位の負荷を低くすることが出来る制度を構想する方がよいのではないか。
     
 

   基本的に問題提起の仕方が全くアメリカとは違うように思う。ここでの議論は、登録時にパートタイムというカテゴリーを作って、その学生は特別に長期間学ぶことを認めるようにしよう、授業料も別の取り方をしようという発想だと思う。アメリカでは登録を認めた上で、学生の各々の事情に応じた単位の取り方によって、フルタイム・パートタイムを分けているだけである。初めから分けて登録させているわけではない。これは制度を考えていく上で、基本的に重要な問題ではないか。学習者のニーズに応じたフレキシブルな制度にするのであれば、事情によってどの年度でも単位数を変えられる方が制度としての柔軟性が高いと思う。この点を含めて制度設計の基本的な考え方について議論する必要があるのではないか。
     
     一般論で言うと、いわゆる形による秩序形成から中身による秩序形成という方向に社会全体が動いている。従って、実態に合わせてフレキシブルな制度を取るという観点で、パートタイム学生についても考えるべきではないか。
     
     社会的なニーズから大学の制度設計を柔軟にすることは、世の中の流れとして正しいと思う。その際、社会的に大きな雇用形態となっている350万人といわれるフリーターの問題を考える必要がある。彼らは「自分探し」をしており、それを見つけるまで食いつなぐ程度の仕事をしているが、35歳位になってもそのまま存在していることも多い。彼らの心構えだけが問題なのではなく、社会学的に見ると、産業・経済及び雇用に与えるインパクトがないことに問題がある。IT化によって仕事内容自体が、平準化あるいはマニュアル化してきている。従って、組織社会の中で自分を高めることが少なくなっていて、組織人であるよりも、自由なフリーターを選んでしまう。未組織で未熟練の低賃金の労働者として一生過ごしていくと考えられるいわゆる低級フリーターが増えている。また、高級フリーターと呼ばれ、大学院を出て、特定のスキル部分だけを企業に買われて、どんどん転職していく一群もある。パートタイム的な学習形態を柔軟に制度設計していくことは、フリーターの人達を教育に触れさせる機会となり得る。教養を身に付けたり専門性に触れたりする中から、自分の社会的な役割を認識させるという装置が必要な時代が来ていると思う。アメリカのコミュニティカレッジはそういう面を持っている。このような観点を視界に入れた議論が必要ではないか。
     
     大学で真剣に学ばない学生が多い現状において、さらにフリーターの人々を受け入れていくことについてどう考えるかということについては、議論もあると思う。
     
     個人の事情にあったペースで学び学位を取得できるシステムを導入することは重要だと思う。そのためには、段階に分けて考えることが必要ではないか。現行のシステムでも8年在籍して勉強できるが、授業料の問題は大きく、解決する必要がある。授業料の課し方は各大学に任せるのか、方向性を示すのか、制度設計するのか。入学定員、教員数、私学助成などについては、具体的にどこに問題があるのかということを示してもらえると考えやすい。しかしながら、あらかじめ期間を全く定めないという在り方を認めるのか、ある程度枠を設けるのかということについて、まずは考えるべきである。
     
     パートタイムとフルタイムをある程度区別して考えるのか、両者の履修形態を行ったり来たり出来るようにするのかは重要な問題だと思う。たとえばパートタイム学生を受け入れることによって、フルタイムの学生の授業料の在り方も影響を受けると思うが、双方に整合性がないと行ったり来たりは出来ない。社会人をパートタイム学生として囲ってしまってはいけないと思う。
     
     アメリカではパートタイム学生と教育投資との関わりが非常にはっきりしている。学士や修士を取れば生涯所得が上がるので、教育投資として考えられるわけである。日本の社会人にそういう考え方があるのか。今の社会人は学部よりも大学院での学習ニーズを持っているので、むしろ在学期間を縮めることの方が重要ではないか。一方で現在、教育投資と無縁の存在の層が拡大傾向にあると思う。また、いわゆる高級フリーターが短期集中で教育投資しようとする傾向がある。従って、社会人といっても動機が随分違う。教育投資に関わるのは高度専門職業人の教育だろう。学部・大学院を問わず、制度設計やカリキュラムや教員の意識等を含めて大学側の対応が変わらないと意味がないと思う。ドイツでは、以前は在学年限が定められておらず、学生間・大学間の競争が働かなかったが、法改正し在学年限を決めて、アメリカンスタンダードの学士・修士・博士を導入し、短期集中教育投資という考え方を取り入れていった。日本とは逆の方向である。日本でパートタイム学生のニーズがあるのか、あるとすればそれはどこなのかを議論すべきである。
     
     米国の大学はエリート型・マス型・ユニバーサル型の3種類に分類されるといわれている。エリート型の大学は、フルタイムで入った人がほぼ全員卒業していく。マス型の大学は州立の大学で、パートタイムの学生がいる。コミュニティーカレッジはユニバーサルアクセス型で、誰でも自由に出たり入ったりして何年かかっても修了でき、その中に2年で修了する人達もいるという形になっている。日本の4年制大学と短期大学は、それぞれの大学や専門領域毎に、自らの判断でパートタイム学生を受け入れるか受け入れないかを決めればいいと思う。日本の大学院は研究者養成なのか、職業人養成なのか、分からない形になっている。また。学位取得が目的ではなく、資格取得に関係した分野について短期集中型で学びたいという場合には、今の制度では対応できない。制度全体の設計と中身のメリハリを付けて考えていかないと問題の解決が進まないのではないか。
     
 

   産業界ではスキルミスマッチが起こっていて、失業が多くなっている。キャリアチェンジという観点では主に修士レベルが対象だが、短期間で学ばないと間に合わない。そういう意味での需要は産業界側に非常に多い。しかし、今議論しているパートタイム学生は観点が違い、むしろ教養や文化を身に付けるということで、短期大学を対象にしているのではないか。短期大学でのパートタイム学生は、何を期待しているのか知りたい。
     
     私どもの短期大学はパートタイム学生は受け入れておらず、社会人学生をフルタイム学生として受け入れている。一般の学生と同様の方法で受け入れるので、社会人に取っては様々な制約があり入って来にくい。その制約を修業年限や履修形態の面で取り払うことをパートタイム制度に期待しており、社会人の受入れがより活発になるのではないかと考えている。
     
     社会人学生が短期大学で学ぶようになってそれほど年数が経っていない。これまで大学に目を向けていなかった人達が、「このままでは将来の様々な環境の変化に対応できない」ということを自覚して学び始めている段階だと思う。従って、制度を導入すればすぐに社会人学生が急激に増えるということは考えにくい。社会人の受入れに当たり大事なことは、きめ細かな対応だと考えている。短期大学でも1年で卒業できないのかという意見がある。社会人のニーズは多様であり、それを踏まえてきめ細かく対応していかなくてはならない。
     
     「パートタイム学生」という名称より、「社会人学生」の方がふさわしいのではないか。また、制度的には大枠のみを決めて、基本的には大学に任せるべきだ。いくら制度を作っても人が集まらなければ意味がないので、大学がそれぞれ知恵を出して設計すると良い。ITコーディネーター、介護、看護等、様々な国家資格があるが、高度な職業人教育の一環として、大学が知恵を出してその種のカリキュラムを作っていくことがあり得るのではないか。
     
     名称は問題があると思うが、ある程度長期間学習を積み重ねていって学位を得る制度はないので、そういう制度は必要だろう。特に短期大学では有効に活用できるのではないか。全部の大学に措置せよというのではいろいろと問題が起こる。どう有効に使うか、使わないかは各々の大学の問題である。しかし、大学によりあまりにばらつきがあり混乱するのも良くないので、いくつか決めておくべき点はないか。
     
     名称については、「社会人学生」という方がまだ適切かと思う。社会人学生については、生涯学習という観点が必要ではないか。これまでの例から見ても社会人は自分のニーズに合わせて、大学を利用するなど選択的に学んでいると思う。その場合に大学として考えるべきことは、社会人が選択しやすい教育課程かどうか、社会人にふさわしい内容を備えているかどうかということだろう。大学側に、積極的に社会人向けの講座やコースを設ける努力が必要だ。学士の学位を持つ人は相当多いと思われ、大学院の学位を求める人が多いと考えられるので、これを踏まえてパートタイム制度を考える必要がある。また、学士の学位は、大学評価・学位授与機構が授与できるようになっているので、これとの関係も考えるべきだ。
     
     若い人には、即戦力を修得する場として、短期大学や大学より専門学校の方が魅力的である。フリーターも短期大学や高等専門学校を出た後のオプションとして専門学校を重視する。今後、高等教育の在り方を考えるに当たって、専門学校についても考慮する必要があるのではないか。
     
     高等教育制度は自由化や規制緩和の方向にあるが、新たな需要が出てきた時に、自由にする部分と最低限公教育としてフレームワークを維持する部分を整理する必要がある。単位の取り方や授業料等は大学等設置者の判断に任せられるのではないか。在学年数も、現在、各大学で決めている。しかし、死ぬまで勉強したいという人もいるので、どう考えるべきか。フレームワークとして整理すべきと考えられることは2点ある。一つは、収容定員の考え方である。教育の水準の維持向上という観点から、学生と教員、施設・設備、校地校舎の関係などで基準を設定しているが、毎日来るわけではない学生を受け入れる場合にフルタイムの学生と同じ基準を適用するのか、あるいは何分の1かにするのか。もう一つは、大学院レベルの課題として、現在、夜間や通信による大学院や長期在学コース、1年制コースがあるが、それらは大学が教育課程を用意し、それに学生がマッチングする形となっている。一方、パートタイムはいつどう学生が勉強するのかわからず、非常に多様な形であり、これまでは予定していなかった。平成10年の大学審議会の答申では、このような人々は長期在学コースに来てもらうことを考えているが、平成12年の答申では、パートタイム学生の受入れを検討してはどうかという意見である。大学院でどのような形態でパートタイム的に履修する人を受け入れるのか、検討する必要がある。
     
     それぞれの大学で自由にやるとしても、ある程度のアウトラインは必要だろう。社会人と言っても死ぬまで勉強したい社会人とキャリアパスとして勉強したい社会人と、様々なケースがあるので、最低限何を決めなければならないかが問題だと思う。
     
     中央教育審議会では各部会が様々な議論をしているが、最終の目標はそれらがまとまることにより、日本の教育制度が変わることにある。そういう観点から議論していることを念頭に置いていただきたい。現在は、就業していて、一定時間は給料をもらって拘束されている人が、同時に学校で学びたいと思うときに就業先との折り合いを付ける仕組みがない。どちらかが潜りになり、それを黙認することになる。この問題を解決する仕組みをつくらないといけないということが課題である。また、日本の教育が変わっていかなければならないときに、大学では一人一人の学生とディベート的な会話を交わしながらその人の能力を引き出したり、考え方を補正していったり、新しいテーマを引き出していったりというような教育があまりにも欠如している。パートタイム学生が入ってきたときに、講義を聴いていれば単位を取得できるということでは改革にならない。大学を競争させ、学生が満足できる教育を選んだり、資格をもらえて良かったと思えるような環境をつくっていくことが必要である。
     
 

   名称については、生涯学習などの観点から考えると、「社会人学生」と言うより「長期在学生」という方がいいのではないか。「社会人」という定義は難しいと思う。
     
     ただ在学年数を長期化し、予め決められている単位数を学生がニーズに応じてアトランダムに取得していくだけでは学習効果があがらない分野もあると考えられる。その場合には、社会人向けの教育課程を組むことも必要ではないかと思うが、各大学の判断で社会人向けとそうでない課程を全く自由に作ってもいいものか。
     
     アメリカのパートタイムの実態はいろいろである。予め社会人向けのコースを作っている場合もあるし、一つのコースに社会人もそうでない学生も在籍しているケースもある。共通の特徴をあげるとすれば、パートタイムで学ぶ学生はフルタイムの学生より1年間に修得すべき単位の負荷が低いが、学位(準学士を含む)を目指すコースの学生ということである。設置基準レベルでは、大枠を決めればいいと思う。パートタイムの受入れは、大学毎というより、目指す教育課程の目標によって変わってくるのではないか。例えば、同じ学部でもいろいろな教育課程を提供するわけで、様々な形がある。このことを踏まえて考える必要があるのではないか。
     
     死ぬまで勉強したいと期限を定めないで入学する者を認めるのかどうかについては、学位を目指して計画的に勉強することが本来の在り方だと思うので、認めないこととしてもよいのではないか。また、入学定員や教員数、施設については、パートタイム学生の在学年数を考慮して単純に計算すれば済むのではないか。授業料については様々な考え方があると思うが、これは大枠で決める必要はない問題だと思う。大学院修士課程の長期在学コースと同じようなものと捉えればいのではないかと思うので、長期在学コースがどのような扱いをしているのか教えてほしい。
     
     現行においても、在学年数は各大学で決めている現状にある。したがって、各大学が判断すべき事柄であると思う。パートタイム的に学ぶ場合、履修の在り方は、学生によって違うと考えられる。修士課程で言えば、3〜4年で修了したいと予め設計している人もいるだろうが、その年々によって取れる単位数が異なりうるので、予め年間修得単位数を設定できるかどうか、設定した場合修得できない者を排除するかどうか、などの問題もある。各大学で決められることに枠をはめるのはどうかと考える。
     
     基本的に大学と学生が個別契約で在学年数を決めるというイメージを持っている。個別にオーダーメイドで対応することは無理だが、ある程度の定型を設けて選択させるということはできるのではないか。基本は個々人のニーズによるが、最長の在学年数を約束して入学することだけは前提の大枠としていいのではないか。そうすると、入学定員や施設の計算上も対応が容易なのではないか。
     
     パートタイム制度を導入すると、大学評価・学位授与機構が影響を受けることとなる。短期大学や高等専門学校等を卒業した人が科目等履修生として単位を積み上げることにより学士を取得できる。一生学び続けるという場合には、一大学で長期間学習するよりは、科目等履修生制度を活用し、学位が取得したければ大学評価・学位授与機構を利用するという方がよいのではないか。その際、現状では短期大学・高等専門学校卒業以上が対象であるので、高等学校卒業者を対象にできないかという課題はある。パートタイム制度については、学位取得を目指して、一大学で教育を受けるという観点で整理した方がいいと思う。名称については「社会人学生」が適当ではないか。これには、家事労働を行う主婦も含まれる。名称を長期在学コースとすると、そのコースに入学し卒業しないと学士が取れないと言う整理になってしまうと問題だと思うので、大学と学生とが契約で、通常の修了年限に比べ長期間在学するのだ、ということを前提に、名称を決めたら良いと思う。
     
     収容定員・入学定員等の基準は、教員一人が何人の学生をケア出来るかという観点で決まるものである。実質的に丁寧に教えられるのであれば、相当の幅を持って柔軟に扱ってよいのではないか。死ぬまで勉強し続ける人は、楽しみでやっているのであり、そういう人々を排除することは実際的には困難である。柔軟に対応するしかないのではないか。
     
     名称については引き続き考えることとし、基本的にはそれぞれの大学・短期大学である程度の自由度を持って対応していくということでよいと思うが、これだけは歯止めをはずすと駄目だというものはあるだろうか。
     
     理系の場合は実験施設の制約がある。このため、登録しても選抜されて受講できないということがあるが、通常の履修形態の学生とそれ以外の学生が在籍する時、責任ある教育体制として、キャパシティとしての問題が出てくる。通常の履修形態でない学生が、通常の学生と同じ授業料を一度に納めたからといって、履修上もまったく同じ扱いとなると問題がおこると思う。したがって、パートタイムの場合には、科目等履修生のように科目毎に授業料を徴収する方法を考えた方がよいのではないか。
     
     私学の立場からは、定員をどうカウントするかということは補助金につながるので非常に重要な意味を持っている。パートタイムの学生については、フルタイム学生との比較で、一定の係数を掛けるという考え方もあるが、入学後始めの2年(短期大学の場合)、4年(4年制大学の場合)を計上することとしてはどうか。
     
     現在大学・短期大学の在学者は220万人位いるが、科目等履修生は1万5千人位、社会人学生も1万人に満たない状況だ。従って、パートタイム制度は履修形態を柔軟にするだけで、パートタイム学生が殺到するようなことは起こらないだろう。非常に局所的な問題になる可能性があると思う。むしろ、問題は大学院の方で、パートタイム学生の在学を認めた場合、教員が学部の教育も担当している現状ではやっていけないのではないか。
     
     収容定員、施設の問題は重要な問題だと思う。自由化が進めば進むほど、物差しは厳密化・統一化が必要になるのではないか。カウントの仕方としては、単に数値的な計算で対応できるのであれば、各時点でカウントするという方法を重視して行くべきではないか。
     
     何かの事情で勉学意欲は強いが退学する者がいるが、多くの私学は復学を認めている。今考えている新しい制度は、これまでは退学せざるを得なかった人々が、一定期間学籍を置きながら働き、また戻ってくることが可能になるという点で、意義が大きいと思う。
     
次回の日程
  次回は、10月23日(火)に開催することとなった。

 

(高等教育局高等教育企画課)

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