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中央教育審議会大学分科会将来構想部会

2002/06/20
中央教育審議会大学分科会将来構想部会(第13回)次第

中央教育審議会大学分科会
将来構想部会(第13回)次第

日時    平成14年  6月20日(木)13:30〜15:30
   
場所    文部科学省別館大会議室(郵政事業庁庁舎11階)
   
議題
(1) 大学等の設置認可の望ましい在り方等について
(2) その他
   
配付資料
資料  1 将来構想部会(第12回)議事要旨(案)
資料  2 「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について」答申案
資料  3 大学分科会の今後の日程について
   
 
(机上資料)  
 
  「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について」(中間報告)に対する団体等の意見等
  「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について」「大学院における高度専門職業人養成について」「法科大学院の設置基準等について」(中間報告)
  大学設置審査要覧
  将来構想部会関係基礎資料
  文部統計要覧
  教育指標の国際比較
  高等教育関係基礎資料集
  大学審議会答申・報告集
  中央教育審議会答申「大学等における社会人受入れの推進方策について」
   
出席者  
(委員) 木村  孟(副会長),吉川弘之(分科会長),高倉  翔(副部会長),中嶋嶺雄,茂木友三郎の各委員
(臨時委員) 天野郁夫,石  弘光,荻上紘一,黒田壽二,島田Y子,関根秀和,山崎正和の各臨時委員
(専門委員) 大南正瑛,越原一郎,鈴木  忠,中津井泉,松本浩之の各専門委員
(文部科学省) 御手洗文部科学審議官,結城官房長,工藤高等教育局長,石川私学部長,清水高等教育局審議官,板東高等教育企画課長 他
   
議事
   
 
(1)   事務局から資料について説明があり、その後「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について(答申)案」について審議を行った。
   
  (○:委員,●:事務局)
   
 
  資料2の5に、大学の存続が困難になった場合の学生の就学機会の確保等についての記述がある。その場合に大学や学生に対して文部科学省や私学団体が行うべきことは支援という形でよいのか。学生に対する責任は、大学の認可者である文部科学省にもあるのではないか。何らかの法体系がなければ学生を他大学等に移すこともできないだろう。設置認可の責任については、つぶす場合の法令等がないので、それについての何らかの法整備が必要だと思う。
   
  学問・教育の自治を行うことも含めて、この問題は大学固有のものだと答申案にも表現するべきだということか。
   
  それは分からないが、「支援」という表現はよくないのではないか。この項目は落としてもよいと思う。この答申案で記述するには問題が大きすぎる。
   
  評価機関への大学の関わり方として、評価に対する自発的行為を義務化するという考え方がこの答申案に残っている。これについては他の委員からも批判が出ていたので、表現を検討するべきではないか。例えば世界的な資格の一つに ISO(International Organization for Standardization)がある。これはスイスの民間機関が世界共通の規格等の設定を行い、様々な事業所が取っている。第三者評価についても、そのように誘導できないだろうか。日本の代表的な優れた大学が20〜30校集まって評価機関を作り、そこに入るために資格審査を受ける必要があるとすれば、大学等もそれを受けようとするのではないか。審査を受けることを強制するよりは、審査を受けられることが一つの特権だという方向に誘導できないか。
   
  ISOの規格等は世界的に定着した、実質的な実績を持っている。そのように、民で誘導していくのがオーソドックスな気がするが、今はまだその前段階であることを認識した上で、義務化や国の認可等をせざるを得ない状況にある。
   
  例えば、現在市場で人気のある有機食品の認定は、日本では農林水産省だがアメリカでは民間で行う。アメリカにはそのような認定機関が幾つもあり、その中で消費者が判断する。今の日本の大学をいきなり評価するのは不安なので、少し時間をかけるということも現実的な考え方だが、それを続けているといつまでも不安だということになりかねない。従って、答申案に将来展望的なものを表現するべきだと思う。
   
  その辺りについては、資料2の3の部分に書かせていただいている。ただ、将来についての記述は少し薄いかと思う。
   
  認定については、大学コミュニティーの合意が先行してそれに各々の大学がついていく形から、各大学の努力が先行して後から大学コミュニティーの合意が取れる形への一種の切り替えがどこかで起こるのではないか。その場合には文部科学省の役割も変わり得るが、現在は多様なものが各々進んできており、後から合意がついてくることにはほど遠い。まだその水準まで到達していないということを、ここで記述してもよいのではないか。
   
  第三者評価は大学評価・学位授与機構や大学基準協会が行ってきたもの以外にも様々なものがあり、その中で新たな第三者評価制度の導入を考えている。この答申案では、国の認証を受けた認証評価機関が行う第三者評価を、新たな第三者評価制度と呼ぶという理解でよいか。そうであれば、第三者評価や第三者評価機関という表現について、それが新しい制度によるものだと限定しないと議論が分かりにくいと思う。アメリカのアクレディテーションはある団体の会員資格かどうかの判定基準という意味の言葉である。その訳語として、不適格なものを認めないという意味を含んでいる適格認定という言葉を使うことは分かりにくいのではないか。適格認定よりも、基準判定や評価判定等の言葉を訳語として使うべきではないか。アクレディテーションの訳として、これまで使われてきた適格認定という言葉が、この答申案の中でこれまでと全く同じ意味なのかどうかが問題だと思う。
   
  積極的なフィードバックがかかるような評価は避けるべきで、あるレベルまで到達したことだけを示すプラス評価を行うことが、適格認定だと思う。世界的な意味での適格認定について、その言葉の意味や使い方も含めて検討をお願いしたい。例えば、第三者評価機関では、様々なコメントを出し、改善するべき点を指摘するので、それは当該大学には助言的な効果を持つことになる。そして、それが改善されれば適格となるのだろう。ルール違反は、設置認可サイドの考え方で指摘することになるのではないか。
   
  第三者評価機関を認証評価機関と置きかえた方がよい箇所が幾つかあると思う。例えば、資料2の3の(第三者評価の結果を踏まえた措置)では、冒頭の「第三者評価機関による適格認定」を「認証評価機関による適格認定」としないと、一般的な第三者評価機関のことではないので意味が通りにくい。(第三者評価機関に対する支援)の部分も、認証されたものについて国が支援するということなので、(認証評価機関に対する支援)になるのではないか。適格認定や第三者評価制度が、どの程度の意味を持つかが問題だと思う。一定の基準に基づく評価の結果が問題だろう。例えば私立大学協会が認証評価機関を作り、そこが適格認定をする場合に、協会のメンバーが適格と認定されないことが当然起こり得るが、それを想定してこの制度は適格認定という言葉を使っているのか。それとも、大学同士で教育研究の質を高めるために集まって互いに評価をしても、適格かどうかの認定行為とは無関係なのか。この二つの言葉は似ているように見えるが、微妙に違っていると思う。
   
  その二つの言葉については、矛盾のないように表現させていただきたい。
   
  国の支援について、非常に簡単な記述になったがこれでよいのか。私立短期大学協会のヒアリングでは、第三者評価機関と評価を受けるものの両方をにらんだ発言だったので、その辺りもご検討いただきたい。
   
  個別の大学が評価を受けるために必要な費用はそれほど大きな額にはならないと思う。評価機関や大学への支援については、その内容を事務的に検討させていただきたい。
   
  適格認定という言葉は、いわゆるアクレディテーションと全く同じ意味ではないということになるのか。違うのだとすれば、その違いをここで明記するのか。
   
  個人的には適格認定よりもアクレディットという表現がよいと思う。アクレディットとはプラスの場合にのみそれを公表し、そうでない場合には改善すべき点を助言として審査を受けた大学に明示することだ。いずれにしても何らかの形で、事後チェックが必要だろう。
   
  第三者評価とは別に自己点検評価は継続されるが、法令に違反しているかどうかはその段階で分かると思う。その段階で法令違反が分かった場合、速やかな報告義務等があるのか。
   
  第三者評価や認証では法令違反のチェックはできないと思う。法令違反かどうかは設置認可に関わるので、それは第三者評価や認証とは別の形でしなければならない。設置認可を緩和するのであれば、フォローアップとして評価の定期的な見直しが必要だ。法令違反になる場合の具体的な記述が必要ではないか。
   
  第三者評価機関価は、仮に適格認定されなかった場合でも、その評価機関が独自に定める基準で評価を行う。第三者評価機関が評価をする中で、設置基準を満たしていないことが判明することもあると思うが、法令違反を見つけ出すことはその仕事ではない。法令については、学校教育法に定める体系や、大学設置基準等がイメージされている。
   
  本来、大学自身の責任において大学の質を保証しなければならないという文脈が、今回の答申案では弱まった印象がする。資料2の1の(大学の質の保証の必要性)に、各国の共通の施策としてヨーロッパの例が出ているが、アメリカの評価システムのアクレディテーションの例も後々の検討のために記述するべきだと思う。資料2の3(機関別第三者評価)の部分については、「社会的責任を負う大学が本来は自発的に受けるべきものだが、現段階では定期的に受けつつ、自発性を踏まえながら進んでいく」というように変える方がよいのではないか。大学は本来第三者評価を受ける責任を持つので、自発的に評価を受けるべきだが、定期的に受けることを必要とすると、大学側の責任の自覚が強まるのではないか。
   
  この文脈では、第三者評価を受けることにより大学の責任を明確にしていくとなっている。つまり、現状の認識では自発的か非自発的かに関わらず、評価を受けることが大事だとしている。本来は自発的に受けるべきだが、それは将来の目標で、現実的には全ての大学が受けなければいけないとしている。
   
  現状の問題意識を示したという点では、今回の答申案は文脈が明確だと思う。ただ、この問題は大学側がその自治により進めるべきだという本来の意味が弱まったので、それは弱めるべきではないと思う。
   
  大学関係者は、アメリカの評価機構を強く意識しているので、この答申案にヨーロッパの大学の評価の例を出すことは違和感があるのではないか。資料2の3(第三者評価機関に対する支援)について、第三者評価機関に国が支援することは、私立大学の独自性に踏み込むことになるのではないか。
   
  資料2の1(大学の質の保証の必要性)に、アメリカの例がないのは、アメリカでは既に大学評価が定着しているからか。
   
  その部分は、近年、先進諸国においても大学改革に取り組んでおり、その共通の中身が大学評価だという説明である。アメリカでは、何十年も前からこのような制度が定着しているので、ここでは記述していない。
   
  以前にも教育に品質保証を取り入れるべきだという話が起こったが、その時には学生を製品扱いすることに対して激しい拒否があった。アメリカのアクレディテーションは約100年の歴史を持っているので、最近出てきたヨーロッパの品質保証の流れでもむしろアメリカのものが主流である。それが背景にあって、この答申案のような表現になっているのだろう。
   
  ヨーロッパの場合には、大学の教育研究活動の活性化として、事実上国立大学だけを対象にしている。しかし、日本のように私立大学も対象であり、専門分野別の評価システムを導入するとなると、モデルはアメリカになるのでその状況をこの答申案に書いたほうがよい。資料2の3(第三者評価機関に対する支援)について、自発性の前提から支援すべきではないと考えているが、私学関係者からは財政的な支援をすべきだというご意見もあった。
   
  アメリカの例については、その評価の仕組みにも触れて、記述させていただきたい。
   
  評価には大変な人力と財力が必要なので、第三者評価機関に対する支援は必要だと思う。大学の自発性を考えると、国の支援とは無縁であることが望ましいのかもしれないが、日本で第三者評価が十分に発達し得ていない要因の一つは財政的な面だと思う。
   
  アメリカの認証の現場は、教育活動の一環である。講義を休んでそれに参加するのは当然で、それがなければ大学は保たないようになっている。立ち上がりの時期の財政的な支援は必要だと思うが、本来的な最終の姿を明確にするべきだろう。
   
  確かに日本ではアクレディテーションを適格認定と訳している。アメリカの公式の定義では、アクレディテーションを質の良い教育機関あるいは専門課程を認定する制度としている。世界的にはアクレディテーションの実態は多様である。従って、多数の私立大学を持つ、世界でも特異な大学設置形態になっている日本も独自のものを作り上げる必要がある。
   
  適格認定の基準は頻繁に変わり得る。これは変化するものなので、担当者が柔軟に適応するように考え直すことになるのだろう。この答申案はそれを踏まえて、幅のある書き方になっている。問題は、これで踏み出せるかどうかということだろう。国が認可する第三者機関の基準等を具体的に詰める作業を行う必要があると思う。
   
  資料2の5の大学の存続等が困難になった場合に関する記述は落とすということでよいか。
   
  いずれ高等教育のグランドデザインの中にもその事柄は入って来るが、この答申案に書くべきかどうかは、この部会の判断に任せたい。
   
  この答申でそう記述することは、学生に対する最終的な責任を取る主体を曖昧にしたまま、責任を取ることのみを認めることになる。これについて将来議論するのであれば、その議論を縛らないためにも、この答申案から落とすべきだと思う。
   
  責任の所在と、設置認可や認証とが関係あるのだとすると、グランドデザインを議論する時のために、今回の答申にリンクを作っておいた方がよいのではないか。
   
  そうであれば、将来考慮する、あるいは検討しなければならないという文章を入れるべきだ。ここでは細かい部分についての定義をしておかない方がよいと思う。
   
  資料2の3(専門分野別第三者評価)に専門職大学院(仮称)という言葉が出てくるが、大学院部会では専門職大学院を専門大学院に置きかえる方向で議論が進んでいるので、そこは注意していただきたい。専門大学院(仮称)にしておいた方がよいのではないか。
   
  その辺りについては、今後の大学院部会や大学分科会等で調整させていただきたい。
   
  資料2の3(第三者評価の結果を踏まえた措置)では、大学が第三者評価機関に適格認定されなかった場合にも、行政処分を課されるものではないという定義になっている。法科大学院部会の議論によっては、この部分が変更になり得るのか。
   
  法科大学院の場合は、司法試験との関係で特別に考える必要がある。法科大学院は特殊なケースなので、この答申案には書かないという選択肢もあるが、法科大学院に関する答申にそのようなことが書かれた場合を想定して、ここに言及している。この部会自体については、この答申に関する議論は今回で終わりだが、今後高等教育の規模やグランドデザインの問題をご議論いただきたいと思っている。
   
次回の日程
  次回は、日程調整の上、決定することとなった。


(高等教育局高等教育企画課高等教育政策室)

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