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資料11

これまでの主な意見の概要

1. 現状と評価
(1) 現状
(5年一貫の実践的教育)
 5年一貫の技術者教育を担う本科を削減し、専攻科を増やすのであれば5年一貫課程による完結した技術者育成の意欲が薄れてしまうのではないか。この点について、これまでの高専教育の評価からどう見るか再検証が必要。
 人格教育も含め高専教育は5年一貫教育というところが一番重要。エンジニアである前に人間力−人格形成が重要。高専では課外活動参加率も高く、場合により高校よりも高い(85パーセント以上という高専も)。
 高専の特徴は準学士課程。15歳の柔軟な頃から技術者としてのトレーニングができる点が、ほかでは絶対にまねができない強みである。
 大学は3,4年生で工学の基礎を行うが、高専の準学士課程ではそれはほとんど済んでいる。
 使いこなしの徹底指導ができるのが高専と大学の大きな違い。大学ではこれはマスターコースで実施する。若い頭に実践的な技術力を身につけさせることができるという点が高専の長所。
 高専の特徴は、高大一貫教育であるため、大学受験のへこみがないこと。
 本科の5年間でどこまで育てるのかということについて、世の中で通用するレベルまで育てるのはなかなか難しい。本科を卒業する段階で中途半端な学生は出すべきではないが、社会で独り立ちするまで育てるのは難しい。基本的な部分は本科だけでも専攻科へ進んでも同じであるが、応用的なところは企業で指導・訓練を受ければ色々な仕事ができるというレベルまでは本科で育てたい。
 高専の最大の特徴は、中学を卒業した15歳に5年間で実践的な技術者教育を行うことが重要であると認識している。

(少人数教育、寮生活等を通じた全人教育)
 高専出身者は様々な事象に対処する知恵を相対的に高く持っている。これは、中学時代からの目的意識と少人数一貫教育や寮生活による。このような点が人格形成に寄与していると思う。

(2) 評価
(高い求人倍率)
(幅広い分野で活躍する人材(今後のイノベーションを担う人材)を輩出)
 受験を経ていい大学を卒業してきた者は、言われたことはうまくやる。高専出身者はルーティーン業務は、場合により必要なのかといろいろ工夫する能力を持っている。
 ロボコンを見ると、大学生のものより高専生のものの方がずっと面白い。
 高専出身者の高い評価が、高専教育のどこから来るものなのかを踏まえた検討が必要。
 高専は実験を多くやっており、すぐに使えるところを一生懸命やってきた。逆に、大学に入っても基礎的なところにはあまり興味を持たない。
 高専から大学に編入学した者が大学の教授になっている者はざらに10人はいる。基礎的なものへの興味の有無は個人によって異なるのではないか。
 東北大学在任中は13講座中3講座は高専出身者の教授だった。優秀な学生こそ、エンジニアタイプと基礎タイプとばらつきがあるので一概に言えない。
 工学部出身者と高専卒業生で、地元企業のオーナーになっている割合が異なるというある県でのデータがある。
 以前文部科学省の協力者会議で、理工系人材の創造性を涵養する教育プログラムの事例を集めたことがあった。
 技術者養成を行っているのは高専だけである。人数は少ないが日本が高度成長期に最も必要とした人材を育成してきた。大学は技術者養成か研究者養成かはっきりしない。高専は技術者を育成するという、明確な育成人材像をおいてきたという点が非常に特徴的。
 日本は大学院重点化を行ったところは、学部は通過点で、修士でそれらを行えばよいということになっている。その点高専は工科系に関しては一番しっかりしたエンジニア教育を行っており、その位置づけを明確にしていけば、存在意義も非常に明確になっていく。
 高専の評価をする場合の指標は、学力ではなく総合的な技術者としての力であるべきである。高専教育は、例えば全寮制がその例であるが、人格的な教育に非常に力を注いでおり、教員もそのために忙しいのである。技術者に必要なものは学力だけではないということが高校との違いである。高専を評価するためには、その部分が明確になるように示さなければならない。
 高校の教育コンテンツがゆとり教育の導入で3割下がったが、一方で高専は能力を下げずに、従来通り、準学士課程及び専攻科のゴールを目指している。高専は早期に創造性を育成する教育を行うなど、高等学校では教育しない付加価値がある。
 ある大学の工学部長は、今は高専からの編入学者が頼れると言っていた。自分の大学の学生にモチベーションがつけられないから、モチベーションの高い学生を編入学生として高専から受け入れるということには多少疑問があるので、その辺の問題も解決しなければならないだろう。

(地域の人材育成において重要な役割)
 認証評価の結果が出ているが、ものづくり教育や地域への科学技術の貢献で高専が目立った特色を持っている。
 東京高専がある八王子地区には特色ある企業が多いが、後継者をどう育てるのかが重要。
 東京都では、東京の産業振興に資するということを設置理念として高専を設置している。技術者教育の1つの目標として、地域に根ざした技術者を育成するということを打ち出さなければならない。また、高専では実践的技術者の特徴として、知識、技術、工学及び技能面を持っているということを打ち出すべきである。
 工業高校は中堅技術者の育成を目的として設置されたが、現在は技能者の育成というスタンスに変わってきており、それに代わるのが高専ある。東京は特に顕著だが、ここ4〜5年では、工業高校の卒業生は大企業に就職してしまう。しかし工業高校側としては本当は中小企業に就職してもらいたいと思っている。これらの中小企業を支えているのはやはり工業高校や高専でなければならない。

(企業、卒業生の意識)
 マスターを取得した高専出身者は優秀な者が多い。
 企業からの立場で見ると、高専出身者は非常に礼儀正しく協調性がある。一般に社会人として即戦力というのは有り得ないことで、数年して伸びる人は協調性とやる気のある人。高専出身者はこの点が優れている。
 卒業生へのアンケートでは、高専時代に学んだ知識自体は必ずしも役に立たないという意見が比較的多いが、知識は忘れたが方法論が知恵として身についているということだと思う。
 日立では新卒の8〜9割が修士終了、30歳位で主任となるため、基礎を学ぶ時間がない。高専修了者の場合、20歳で入社で10年学べる。
 製造と言うと、「設計」「製造技術」「品質管理」があり、どうしても設計に目が行きがちだが、「製造技術」「品質管理」も不可欠であり、ものを実際に作りながら学んで来た高専卒業生に期待している。
 我が社では高専出身者は大卒と同じ給与体系。
 入社してから伸びる人間は知識よりもモチベーションの高さが必要であり、この点で高専についてはいうことはない。
 本科卒業5年後アンケートの中で、再度中学生になったら高専を受験するという学生は46パーセント、普通校が48パーセントとのことであるが、これは高専卒は優秀であるということを社会全体がそのように評価していないため、卒業生が高専を良かったと思わないのではないか。
 サイエンスはおもしろいというバックボーンがないまま、工業高専は就職率が高いからということで入学してきた学生がいるのではないか。そのような学生は根っこに、バックボーンとしてビルトインされておらず、高専の勉強に必ずしもついていけないので、高専に不満をもつのではないか。
 短大の九州地区でも卒業生アンケートを行っており、そこでももう一度同じ学校に行きたいという意見が思いのほか多い。よって高専の46パーセントという数値が一概に高い数値とは言えないのではないか。結局、高専を知っている人からは評価が高いということになり、それならばもっとPRして認知度を高めればよいかというとそうでもないようである。大学との差別化だけでなく、専修学校との差別化も考慮に入れる必要があるのではないのか。
 卒業5年後アンケートで高専に再度入学したいという者が46パーセントだったことについて、例えば兄弟に高専生がいるというような入学生もいて、このような一種のリピーターも多い。
 再度高専に入学したいという卒業生が46パーセントであるということについては、少し低い数値であるという印象。高専卒業生のそうした数値は、社会的な認知度が今ひとつということと、処遇的な問題ということが、不満の原因としてあるのではないか。
 本科の卒業生で不満足の内容としてあげたうちの約30パーセントが、大学より評価が低いというデータがある一方で、高専を卒業して大学院へ進んだ者の90パーセントは満足している。社会には色々な業種があるが、一生研究職・技術職としていくのであれば高専の人は非常に優秀であるし、そういう点では企業の評価は大卒と変わらない。しかし15〜20年くらいたつと技術職の立場から、今度は企画を担当したり管理職といった地位に就くことになる。そうしたときに個人の知識・能力以外に人間関係のネットワークが必要になるが、高専はそれが弱い印象がある。高専から大学院へ進んだ場合は、そのようなネットワークを持っているので卒業生の大体が満足するのかもしれない。
 データの中の「満足」という中ではこれらの不満足の原因は出てこない。数少ない「不満足」の中での数値である。よって大勢がこう思っているわけではなく、ただ、そういう側面もある、不満に思っている部分はここですよ、ということで理解していただきたい。
 企業の賃金体系が年功序列の場合、大卒と同じような仕事をこなしていながら、給料体系で低く扱われている。高専卒業者は起業家が多いが、それはそのような制度に不満があり、それならばと自分で起業することが動機としてある。それは昔の卒業生に顕著に見られるが、最近の高専生は色々な選択肢が保証されるようになっており、だいぶ解消されている。
 自分の経験から言うと、会社では給料に差があるというが、大企業ではそれはない。そのような年功序列は崩れていくから心配ないので偏見はもたなくてよい。
 国際競争にさらされている企業は年功序列を採用していない。社会の扱いはけしからんと、高専の学生は特に思っていると思うが、これから変わっていくだろう。
 技術の基本となる数学や物理はきちんと教えなければならないから、ある程度の技術的な多様性をどこで子どもに与えるのかというと、その方法の1つは専攻科である。大学編入をさせるとそこでしぼんでしまうが、専攻科であれば自由度もあり、学生も少ないので良い教育ができる。
 企業が学生を選ぶ際は、基礎的な能力が一定レベル以上あるかどうかということに加え、気力と体力があるかどうかを見る。また、人間を大きくするのは成功体験ではなく、失敗体験や汗をかいた体験であり、そういう点点では高専は色々な実験をしているし、色々な汗をかき、工夫もしている。これが優秀な人間を作っていると思うので、そこを更に強化していただきたい。

2. 高等専門学校が直面する課題
(1) 社会経済の変化に対応した新たなニーズへの対応
(科学技術の高度化、2007年問題への対応、科学技術創造立国の実現)
 IMDの国際競争力調査では、日本は科学技術はトップクラスだが、その技術を使って社会を変えていくことが遅く、この両者にギャップがある。
 処遇面について、日本では国際競争をしている企業は2割くらいで、それらの企業は能力主義を採用しているが、残りの8割の企業はいまだに年功序列型である。だから2007年問題のようなことが起こっている。今後、このような年功序列は必ず崩れていくと考えている。
 卒業生が不満に思っていることの理由としては、処遇が影響しているのではないか。高専卒業生は仕事をする能力が高く、大学卒と同じくらいの仕事をしているのに、短大卒と同じ処遇であるというようなことがあるのではないか。

(2) 入学者の質の確保
(15歳人口の減少(入学志願倍率の低下)、理科への関心の薄れ)
 中学からいい学生を取ることの方が課題。入り口の競争力が迫られている。
 中学生の数は減少する一方、本科の定員は変わらないので学力は相対的に下がってきている印象。他方、工業高校としては、高専に優秀な生徒を取られているが、昔はもっと優秀な生徒がとられていた。
 同世代の中での高専志願率は比較的一定。他方15歳人口の絶対数が減少する中、間口がこのままでいいのかという課題はある。
 中学生の国際学力調査の結果では、学力の低下よりも深刻なのは「学校の勉強がわかるか、面白いか」という問いに対し日本では「面白い」と答えた者が3割しかいなかったこと。本来サイエンスは面白いもの。他方、中学の教員が調査や部活指導で忙しくて教材研究が出来ず、面白い授業の研究ができない。初等中等教育の理科教育が重要であり、それを改善すれば結果的に高専への進学も増える。
 どこの高専でも、現在の本科に入学する学生の半分はしっかりしているが、あとの半分は意欲や学力の低下が見られる。しかし今の定員枠ではそれでも入学させざるを得ないような状況になっている。特に東京では、中高一貫や小中高一貫という制度が制定されて、優秀な子どもをそちらにとられている状況である。地方でも少子化で中学生の数が少なくなっているので、公立高校との競争になる。そのような中で本当に技術を学びたいという学生をどう選ぶのかということが、高専にとって死活問題になっている。昭和57年度頃であれば、技術者はある程度道ができていたし、親も本人もその道で進むつもりでいたと思うが、最近は多様な環境にあり、必ずしも技術者になるとは限らない。例えば本科ではベンチャーを目指す学生もいれば、もう少し技術を勉強したいという学生や、コンサルタントになりたいという学生もいる。よって、そのような多様性は本科の教育では認めていかなければならないだろう。

(3) 進路の多様化
(進学率の高まり、進路の多様化)
 本科・専攻科の進路では、都立高専の場合城南地域を中心とする中小企業への人材育成の要請があるが、実際は大企業への就職が多くなっている。専攻科のような複線的な進路も必要だが本科教育も特に重要。
 昔は技術科学大学には高専のトップ層しか入ってこなかった。今は各大学も編入学定員を増やしていることもあり、入ってくる学生は中位までになってきている。大学としてはある意味危機感を感じている。
 少なくとも編入学の受入人数が少ない大学では高専出身者はどこも評価は高い。他方、進学者数が多くなったことにより以前と比べると様々な課題があることも事実。
 最近、工学分野以外に進路変更を希望する学生が少ないながら存在する。中学卒業時にはあまり進路選択について考えずに高専に入学することもあり、高専の中では進学分野の選択肢が限られてしまい、この点でメディア系学科は変更し易い分野と入ってくる学生もいる。優秀なトップ層でない学生にも議論の焦点を当てる必要がある。
 学力の広がりは高専でもないわけではない。また15歳の段階で進路選択して入ってきているので、途中で方向が変わって来るのは当然であり、それを前提に柔軟な進路変更を可能とすることも必要。
 専修学校と高専は全く違う。高専にとって専修学校は競争の対象ではない。専修学校では高専の内容を行うのは無理。専修学校との差別化より、名称が「専門学校」となっているため、この点での差別化が必要。
 本科だけで世の中に出た人は、やはりネットワークが少ないことも含め、自分の専門のところだけはしっかりしているが、他の人との共同研究や、自分がリーダーとなって事業をしなければならないときに少し力が弱いようである。
 ほとんどの学生が大企業へ就職していて、中小企業にはなかなかいかないのが悩み。地元の小さい企業にはそこそこ就職しており、技術開発を行っている。そこで色々修得して起業家にもなれるし、高専の卒業生は融通無碍である。進学先は専攻科でも大学でも大学院でもよいが、専攻科は大学とは区別されたものになってほしい。
 長岡技術科学大学ができたばかりの頃は、高専の卒業生が大学へ編入学する割合が非常に少なく、ほとんどが豊橋と長岡の両技術科学大学に行ったこともあり、高専での成績が高順位の学生が入学していたが、最近は上位の学生の入学が非常に少なくなっている。例えば40人のクラスでいえば、10位から25位くらいの学生が技術科学大学には多く入ってきて、それ以上の成績の学生は旧帝大に入学していることもある。国立大学の中には、定員が若干名と言いながら40名とっている某国立大学もある。親の意識とか色々あると思うが、高専の学生は旧帝大の名前にひかれてそちらへ進学してしまったりしているし、あるいは地元の国立大学にも多くの学生が入学している。そのような状況を踏まえて、両技術科学大学も改善しなければいけないと思ってはいるが、技術者教育というものをどのように位置づけて、社会にどのように訴えていくかというところがないと、高専生は名前にひかれてしまう。
 両技術科学大学は高専卒業生を多く受け入れるから、そのような観点からいうと、高専が改革をしっかりやってくれると、両技術科学大学もそれに乗って反映できるのではないかと思うし、そういったことを踏まえて進めないと、技術科学大学の状況を変えるのはなかなか難しいだろう。
 2つの技術科学大学は高専の卒業生を受け入れることを目的に、高度な技術者養成を行うことになっている。しかし、文部行政の変化だと思うが、高専から一般の大学へ多く編入学できるようにしてしまったため、高度な技術者養成から研究者養成へ転換してしまった。高専を卒業してから研究者養成の方へ進む者がいてもよいが、高専生が名前にひかれていってしまうと、技術科学大学の努力が報われなくなってしまい、いくら努力しても無駄である。大学へは研究者として能力のある希望者が進み、高度技術者になる者は専攻科へ進むという2つの道が自然に生まれてくるので、その中で技術科学大学を文教行政の中でどう考えるのかということになるのではないか。行政としてこれをどのように考えていくのか。このままではモチベーションが下がった者が技術科学大学に入学することになり、学生の質がますます低下する。とはいっても、一般の学生を入学させながらということになると、一般の大学とあまり変わらなくなってしまうので、この辺りを検討する必要があるのではないか。
 多くの企業で問題になっているのは、次の技術トップをどのように育てるのかということであり、高専卒業生のような高いモチベーション、あるいは少し経営的なセンスをもった者を企業に送り込んでもらえないかと言われる。本科では地元の地域産業と連携した教育を行い、そこからすぐ企業に入る学生もいれば、大学院に行く学生もいる。これは地域によって違うと思うが、我々としては色々な学生がいるので、ある程度幅を持たせた教育が必要であると考えている。
 高専関係者として困っているのは、卒業生のうち約7割が就職するが、そのほとんどが大企業に就職することである。高専は四十数年間、地元の支援や指導で支えられており、それにお答えする意味でもとにかく地元の中小企業等に就職してもらいたいと思っているが、学生本人の希望を優先すると、皆大企業に行ってしまう。国策として科学技術創造立国を目指し、かつ製造業を発展、振興しようとすると、中小企業が発展するように、技術協力の面でも支援することが絶対に必要であると考えている。そういう点から、中小企業へ就職してほしいという希望があるが、なかなかそうはいかない。
 高専ではインターンシップを通して地域の中小企業に色々指導してもらっているが、実際に就職となると大企業に行ってしまう。それでも地元の方は中小企業はおもしろい、あるいは他社にはない技術開発もできるということを根強く指導していただいている。

(4) 行財政改革の進展

3. 今後の高等専門学校教育の在り方
(1) 高等専門学校が果たすべき役割
育成する人材像
 高専が育てるのは技術者であり研究者ではない。しかし技術は学校だけでは育て切れず、高専はこの点でインターンシップを行い、地域で学生を育てようとしていることも大学とは異なる特色である。「品質管理」「製造技術」を教え込めるのは高専ならではである。
 「学問」は教え易いが「技術」は現場でしか教えられない。本科では学問の基礎を学びエンジニアの卵となり、専攻科では、本科教育を元に複合的な幅の広い知識を使いこなせることを目指している。
 工業高校では、15歳から匠を教えようとしている。高専と異なるのは会社における 役割と進路。工業高校卒は技能で評価され、高専卒は技術を期待される。
 高専制度が世界的にもユニークなのは、中等教育と高等教育がまたがる点。人格教育も大事にしてほしい。
 企業からみて、一般論としては、業種により求められる専門知識は異なる。何を専門とするかが問題ではなく、それを背景とする創造力が必要。かつての大量生産に関する技術や、それにより果たされる役割は中国に移っている。それよりも創造力が求められる。
 「研究開発」「設計・製造」「品質管理」の分野のうち、製造から設計部分はアジアに移転している。このため技術分野は高度なものが必要であるが、大学では難しい。
 本科5年間、本科プラス専攻科7年間でそれぞれ高専が育成する人材像の検討が必要。日本の教育体系全体の中で大学は各界のリーダーの育成を目指すとしたら、高専が養成する人材はどのような実践的技術者なのかを明確化すべき。
 卒業生は大企業への就職も多いが、これからの卒業生は地域における特色あるベンチャー企業の担い手の役割も果たしてほしい。単なる歯車ではなく、技術、経営センス、人間性を兼ね備えた技術者の養成もこれからは必要。
 今は知的基盤社会の中で新しいイノベーションを継続的に起こしていかなければ日本の将来はない、ということが議論されており、今後は新しい種類の技術者を育成していかなければならない。そのような状況の中で、高専をどのように位置づけていくのか、即ち高専としての独自性をどこに求めるのかということが重要な課題である。
 大学と高専をどのように切り分けるのか。あるいは大学を凌駕するような教育を高専で行うのかを明確にする必要がある。
 高専の学生には、ソフトや機械をうまく作るということだけではなく、コミュニケーション能力や指導力を身につけさせることが必要である。
 東京都は、高専と産業技術大学院大学が密接な教育連携をとることによって東京都全体の産業振興に貢献するような技術者を養成する、ということを計画している。
 本科の教育をしっかりするということが前提であるということは当然である。社会に輩出した技術者の中で、高専の卒業生でこれまで40数年間活躍しているのは本科の卒業生が多い。そう意味で、東京都の高専では本科の5年間をしっかり行って、社会で経験を積みながら実践的な技術者として成長していくということを行いたい。
 高専の出身者は、ものづくりなどを全部知っているので、理科の先生にふさわしいのではないか。このような人が先生になれば理科離れも解決するかも知れないし、あるいは理科の授業を通して、例えば高専はこんなおもしろいことをやっている、ということを伝えれば、遠い話にはなるが、最終的には高専に進学することにもつながっていくのではないか。理科の技術者、研究者、教育者はそれぞれ分かれているのではなく一体化しているものであるから、例えば高専では技術者、大学では研究者、教育系大学では教育者を育成するなど、その辺を明確にすべきではないか。
 高専生の学力の差は少し開いていくのではないかと思っているが、その際に、高専の評価は学力は高い方がよいということではない。成績が下位の学生であっても日本の技術の進展に役立つのであって、彼らのモチベーションを捨ててしまうのは損害である。よって、学力でレッテルを貼らず、技術者としてのマインドを持った学生を育成するような教育体制にするべきである。

(2) 質の高い入学者確保
質と量のバランス(地域性も踏まえ)
 高専から大学に編入学してくる学生の質の問題は、学生の母体が減っている中でどのように質を確保するかと関連している。このため、大学では編入学定員を減らすことも考えないとならないかと考えている。
 中学卒業生の高専への進学率は1.6パーセントというのが現状であり、こんなことでは科学技術創造立国とはいえない。工業高専は教員が足りない。そもそも工業高専は求人倍率が15倍も20倍もあるのだから、もっと工業高専を増やすべきである。

中学生や保護者へのPR
 高専があまり知られていないという課題はあり、高専を選んで来る学生は親や親類に高専出身者がいる者などが多い。中学生や小学生に高専のすばらしさを教える機会が必要。
 高等学校の特色づくりが進む中、ややもすれば高専の特色が伝わっていない。いかに中学生に広報しているか。その過程で選抜方法の工夫も考える必要。
 高専の理解について、最終的には保護者にいかに訴えていくかが課題。またマスコミでも工学部離れなど負の部分ばかりが焦点が当たる。一般国民にどう訴えるかが課題。

(3) 高等専門学校教育の充実
1 組織体制
社会経済の変化に対応した学科等の再編

専攻科の位置づけ、充実
 専攻科の捉え方について、「高度なものづくりをやらせる」という意識が高いとうまくいく。
 高専から専攻科に進むか3年次編入に進むかは各校により異なる。カリキュラムの連続性という面では、本課と専攻科は整合性が取れているが、3年次編入では重複があり、技術科学大学ではその中間。
 専攻科については創設以来ずっと伸びてきているが、いつかは一定になるということか、また設置する際に一定のコントロールをしているのか。
 国立高専については、高専機構の中期計画において本科入学定員のの1割程度と設定。
 準学士課程での教育を最もうまく生かす課程が専攻科であり、例えば準学士課程から大学へ行くと、授業科目が高専の科目と重複してしまうことなどがあるが、専攻科であれば全くロスなしにエンジニアを育てる体系をつくれる。
 現在は技術の複合化が進んでおり、その複合化まで準学士課程でこなすのは難しいので、専攻科を拡充して学士水準の技術者を育て、ここで育てた人材が開発型中小企業の中核を担う人材となり、これからの日本の産業を支える基盤となる。技術士をもった博士の育成は他にお任せし、専攻科できっちり基盤をつかんだ学生たちには、その基盤をベースにして、修士や博士を目指せる人はめざせばよい。
 本科で床柱をしっかりつくり、根を張ってもらい、専攻科で少し枝葉をつける。そのような技術者を輩出したい。このような技術者教育というのは、大学ではできないことである。
 専攻科の2年間では、大学学部との差を広げる教育が重要である。
 分野の複合化に対応するためには専攻科における教育が向いており、高専本科卒業生の半分が進学するという中で、専攻科の入学定員を本科の入学定員の25パーセントとすることを目標にしたい。
 都立高専の専攻科を卒業した者を産業技術大学院大学などに優先的に推薦制度を設けて頂くようにしたいが、具体的な内容はまだ決まっていない。35人の定員のうち成績の良い15〜20人くらいは推薦で入れていただきたいと思っている。
 研究については、実践で役立つ研究なのか、大学院でやるような研究を真似しているのかがあいまいであり、もし大学院の真似であれば高専の専攻科としての意味がなくなってしまう。高専では、現場で役に立つ、延長線上での研究、インターンシップなども含めながら現場と連携してやっていく研究をやるべきである。そういう意味で高専の専攻科というのは重要。大学の真似をしないでほしい。
 高専では、世の中で「これから何とかしないと」というニーズがあって、普通の大学が取り組まないような地味な基盤技術を掘り下げた研究を専攻科のときに取り組む。そうしてニーズがあるものに取り組んでいるうちに、学問としての芽が出てくる。それを育てながら上の学校へ進学することもあるし、現場に出ることもある。どちらにしても高専の専攻科ではニーズのある仕事を解決していくための研究をトレーニングする、というのが大前提である。
 高専の専攻科の発展と、一般の大学の動向は連動していくことになるであろうし、技術科学大学と高専がどのように連携するかということで、色々な形ができてくると思う。一般大学も、入学定員をどこで確保するのか、あるいは3年次編入をどうするか、大学院をどうするのかということは十分考えなければならない。
 専攻科を増やすのであればそれと同時に日本の経済の中で98パーセントを占めているといわれている中小企業にも目を向けさせる教育を続けていただきたい。

2 教育内容・方法等の充実
産学連携による教育の充実(共同教育の充実、インターンシップ等校外で行う教育 の充実)
 インターンシップについて、個々の企業にとって高専生を受け入れることにどのような良い点があるのかということも考えていかないと、いざ企業に「受け入れてください」と言っても難しい。長期間のインターンシップを実施する仕掛けが必要である。
 企業の方と話すと、インターンシップでは3〜4ヶ月まとまって来てほしいという要望がある。これくらいの期間があれば戦力として期待できるので、企業にも学生にもメリットがあるということを言われる。
 カナダでは親に頼らずとも長期インターンシップの手当のみで学部を卒業できる。企業、自治体は次世代のエンジニアを一緒に育てるメリットがあり、また当然の義務であるというコンセンサスが形成されている。このようなことは一朝一夕でできることではないが、我々も進めていかなければならない。
 インターンシップについては、豊橋技術科学大学も長岡技術科学大学も、開学時から国内なら4ヶ月半、海外なら6ヶ月くらい実施している。これは高専卒業後技科大へ編入学して修士までの4年間の一貫教育でなければできない。社会的にも高い評価を得ている。
 インターンシップの実施方法については、高専の立地条件によってだいぶ異なる。中小企業は学校に入り込んで一緒に考えることができるが、大企業ではそれはできない。
 現在の単位認定は一般教育科目の比率が高い。かつての大学設置基準の大綱化では、一般教育科目を弾力的にして、大学の特色を発揮するように自由裁量で単位を活用してください、ということが行われた。高専でも同じように自由裁量の単位を認め、実験・実習・インターンシップ等の単位を充当して実践的な技術者教育をやりたいという高専にはそれに使う。あるいはもう少し専攻科・大学院の方向に重点を置いた教育を行いたいという場合には、一般教養や工学の基礎科目を厚くするなど、自由な教育システムを是非高専制度の中にも取り入れていただきたい。本科5年の教育を大前提にしっかりやりつつ、実技・実習の時間数を増やしたいと考えている。
 東京高専が提案する新しい産学連携教育「COOP」の例として「指導社員と指導教員が共同で指導」とあるが、これが現実に機能すれば、学生だけではなく、教員が技術を知る意味で非常に効果がある。また同時に指導教員が学校へ戻った際には技術者教育の核として非常に大きな意味があるのではないかと期待している。
 産学連携教育「COOP」の「指導社員と指導教員が共同で指導」が実際に実施されるのはおそらくまだ先である。大学と企業の間では共同研究や連携関係があるが、高専と企業の間では2つの高専と研究所が実施している例があるだけで、高専と共同でやるところまではなかなかいかないようである。実施するためには単にインターンシップの期間を延ばしただけでは難しいので、なかなか思った通りにはいかないのではないか。
 共同研究を制度として定着させるための取組について、このような共同研究に歴史を持っている国では、国や自治体や産業界が、次世代のエンジニアを育てるためには当然自分たちもそこへ参画、負担しなければならないという意識があるし、仕組みも整っている。
 現在は高専ではなく、大学教育とどのように連携するのかという段階であって、共同研究を制度として定着させるための具体的な取組として何をするのかということまではいっていない。例えば、最先端の技術について、大学に行って講義をするという産学連携教育の例はいくつかあるが、共同で研究しながら学生も育成するということはまだ例がないし、もしあるとしてもごく少数である。例えば大学の中に会社の研究室を置く、あるいは会社の中に大学の研究室を置いてそこに学生に来てもらい、企業の人と一緒に共同研究しながら学生の育成に寄与するという例がいくつかあるだけである。
 まずは次世代のエンジニアを育てるのに、国や地方自治体、学校、企業が一体で何かをしなければならないというコンセンサスを作る必要がある。その上で制度づくりを含めた検討が必要である。これは多くの国では制度の構築が既に終わって活動しているが、日本だけが圧倒的に遅れている状況にある。
 企業にインターンシップで高専卒1万人をすべて受け入れろというのはとても無理である。モラルのしっかりした学生を送り出さないと企業に迷惑がかかるので、ヨーロッパでは選ばれた学生を送り込んでいる。そのようなことも含めた制度づくりが必要。
 高等教育と社会的なニーズの関わりについて、企業では現実にどのようなことが問題になっていて、それがどのように応用できるかということを、学生に勉強してはどうか、ということを募集をしたところ、80名の学生が参加し、中小企業400社くらいを回ったことがある。ここではまず、中小企業が抱えている問題について我々がオリエンテーションをする。その問題意識、着眼点をもって学生が中小企業でヒアリングを行い、中小企業が困っている問題点や技術の問題、後継者の問題、資金の問題などを持ち帰ってくる。そして、企業の色々な経験者と大学の教員、商工会議所などが一緒になって、その企業に対して学生と一緒にゼミナール方式で討論して答えを出す。その答えを企業に持って行き、ディスカッションし、フォローも行い、最終的に1年間かかってその企業を経営改善の軌道に乗せる。これをある県立大学に紹介したところ、正規の授業として単位を与えることになった。
 中小企業でのインターンシップであれば経営者が直接対応してくれて、その会社で行っていることについて直接話が聞けるので、まず会社全体のマネジメントというトータルのものが見えてくる。よって、企業の色々な問題について、企業全体との関わりをもって対応することができるので、モチベーションが高まると同時に実践的なプラクティカルな知識も得ることができる。これが大企業でのインターンシップの場合、会社としてどのような問題があるのか、なぜこれをやるのかということがわからない。
 団塊の世代がこれから700万人出てくるが、そのうちの6割は給料はもらわなくてもいいから、これまでの知識や経験を社会に還元したいと言っている。そういう人を引っ張ってくるという方法が高専でもできるのではないか。
 インターンシップについて、大企業であれば主任クラスと話す機会がある程度だが、中小企業なら社長と話ができる。ある大企業では入社後3年で3割が辞めてしまうが、その理由は、自分がやりたいことをやらせてくれない、あるいは話が違うということである。よって、在学中に実際に中小企業に行って目を開かせるということが大事である。
 COOPを実際に進めるにあたって、4月からコーディネーターを1人雇って周りにどんどん御用聞きをするようなシステムをつくったところ、現在では10〜15社くらいがCOOPをやろうと言ってきている。よって、そのような人材の手当もしていただく必要がある。これを教員にやってもらう場合は、教員の労働は少し増えるが自分にとってもキャリアアップになるのでよい、と思えるように意識を変える必要がある。また、本科である程度基礎を学んで、専攻科で少し時間的余裕ができて、色々なことができるようになるので、そういった面での財政的、人材的な手当てもいただきたい。

その他教育内容・方法等の改善・充実
 15歳の脳には適切な教え込みと発達の過程が必要で、それを「勝手にやれ」といってもうまくいかない。ある程度のキャリアパスで指導が必要。高専は教えたり、わからなくてもどったりといった、内容のスイッチバックをしながらの指導をしている。大学は出来ていることが前提の指導をせざるを得ず、この点で、専攻科は(大学との対比において)学びなおしが利く仕組みである。
 教育心理学の分野で「熟達曲線」という用語があるが、高専教育システムはそれにフィットしている。
 高専から大学へ編入学する者は概して優秀。高専教育では、卒業研究が効いている。座学でなく身についた知識が、大学に編入学した後も研究ですぐに応用できる。
 高専から大学を志向するのか、高専教育で完結型を目指すのかであるべき教育内容は異なってくる。
 進路の転進の機会の確保も必要。例えば高専から芸大に進学した者もいる(デザイン系)。
 学生を満足させるためには、ホームルームやキャリア教育など、教育の仕方に工夫が必要。また、教員の質についても重要であるが、教育手法の改善によってある程度解消できるのではないか。
 複合的な分野の教育を行うには2つのタイプがあってよいと思う。最初は単独の分野を学んで、途中のどこかのタイミングで融合・複合に移るのが一つ。又は最初から複合分野を選択するのが一つ。それは適材適所とか学校のコンセプトとかがあり、それでいくんだ、ということであればどちらもうまくいく可能性はある。
 複合教育では、機械も電気も両方やったメカトロ、というところもやって、ロボットを造れるというところまではいくが、それを使いこなすというところまではいかないし、単独分野に比べるとやはり学生の負担は大きい。しかし学生の8割近くが複合教育を受けて良かったかと答えている。学生のときはきついが、カリキュラムの組み方をうまくやって、必要な部分だけを取り出してうまく教えることができれば、学生が社会に出たときに役にたつ。
 徳山高専は30年以上前から複合教育を行っているので、そのくらい経つとうまく消化されて効果が出てくるのだろう。
 国立高専として、徳山と八代の2つが初めての複合学科の設置だった。その分、教員もたくさんいる。実験校的に始まったものだがうまくいっている。これらの高専がある程度うまく行っているという背景があるので、他の高専もスタッフを増員したい、ということにつながっているのではないか。
 高専教育を議論する場合は、高専だけで完結するのではなく、大学との役割分担やネットワークとかも考える必要がある。また、本科の入学生には、色々な選択肢がありうる、大学と連携していけるんだ、ということを十分PRする必要があるのではないか。
 総合化については、色々なことを広く勉強することによって新しい発想の知識・モチベーションを高くもつことになり、伸びていける。中小企業にいくと、マーケティングもあるし経理も財務もあるし人事もあるし、色々なことがあって勉強になる、即ち総合化である。中小企業にどんどん行って、大学で縦割りで習ったことを自ら学ぶ。総合化は必ずしも学校でやらなくても、特に高専はモチベーションがしっかりしているので、身につけることは可能。
 大学の先生には教育と研究は分けてほしいと思っており、お互いに連絡し合って学問の総合化を目指して学生に教えてほしいが、それはなかなかできない。
 技術者と科学者は基本的に違うが、技術者を育成する仕組みが日本では複雑に混乱している。高専はそれをある程度クリアにしているとは思うが、社会ではこの仕組みがあまり明確ではなく、それぞれ目標の設定が明確にしきれていない。例えばドイツではTechnische Fachhochschuleという、いわゆる高等工業高校が工科大学になったところの学位は、Ph.Dではなく、Dr.Ingという職位である。これは昔からあるマイスターの職位として認められているので、企業ではPh.Dとは全く違う受け入れられ方をしている。日本では、工学博士といってもPh.DとDr.Ingの区別が全くないので、技術者と研究者という、サイエンスをやる部分があまり明確でない。日本の大学では、旧帝大のような非常に限られたところを除いては、工学部といえどもほとんどサイエンスをやっているような構造になっている。それに対して、技術科学大学が独自の技術者育成を行うというスタンスを明確にして、そのために高専からの教育をきちんと継続的にやっていくということは非常に重要なことである。そしてこのような仕組みをどのように生かすかというと、その一つは、高度の専門性をもった者に、ある種の資格を認めることである。日本には技術士という資格があるが、技術士の資格をもう少し明確に位置づけて、例えば技術科学大学の学位との連動性を明確にする。日本では専門性というものに対する評価が非常にあいまいなままであることについて、社会的に認められる資格と連動した形の職位や学位という構造にすることを考えていく必要があるのではないか。そうすると教育の目的が明確になり、学生のモチベーションも変わってくる。受け入れる側の企業としても、役に立つことが明らかな人を受け入れられるという意味で、非常にありがたいことになる。
 問題は、それを社会がそれをきちんと理解して扱っているのかということである。具体的には、技術士はある領域では非常に高く評価されているが、ある領域ではほとんど意味がないような状態である。よって、社会の職位に対する評価の在り方が定まっていけば、また社会的なステータスとしての位置づけが明確であれば、それを志向する学生が出てくるのではないか。中教審はこのような考え方の基盤をつくることについて議論ができるほぼ唯一の場であるから、是非今回はそこまで議論を深めて、何か社会に発信するものを固めていきたい。両技術科学大学については、高専と技術科学大学の間の学生、あるいは教員の交流をもっと密にして、ともに学士水準の技術者を育成していく。また、学位授与機構は学問体系で学位を出すのであって、技術者教育に対して学位を出すという考え方ではない。学位をどの機関が出すのかということは別問題として、この辺の整理をしながら議論する必要がある。
 大手企業や関連企業では、歴代のトップは入社試験が下位の者が就任している例がある。よって学校秀才と生きる力、経営力は相関関係がない。PISAの件についても、問題は順位ではなく、勉強がおもしろいとか将来の夢を持っているかという質問に対して、他国では7〜8割が該当すると回答しているのに比べて、日本では2〜3割の学生しか該当すると回答していない点である。これはペーパー秀才ばかりをつくっているからである。
 宮城高専では、2つの専門を修めて卒業させる、2専修課程という課程を正式に実施した唯一の高専であり、電気工学科を卒業後、更に2年間、今度は機械を勉強して社会に出すというコースを4年間くらい行った。このときは、前の学科では下位の成績であった学生が、入り直した学科ではトップクラスになっている。これは電気工学科を卒業してからすぐに機械工学科に入学したわけではなく、一旦企業へ出てから、再度高専へ入学した例であり、勉強する上で押さえなければならないポイントを承知した上で勉強しているので非常に成果もあがった。高専はもともと中学校での成績の上位3分の1くらいが入学しているので資質はある。あとはやる気、インセンティブがあれば、それだけのびる能力が十分にある。
 ある大学では、キャリアガイダンスができる人を、教授のポストを使って導入した。それによって学生の就職分布が全く変わったという。

3 多様な学生への支援
 国立高専は授業料は大学の約半分。このため経済的に恵まれない学生が1〜2割いることも事実だが、この点でも一定の役割はある。

(4) 高等専門学校教育の発展
財政的支援(民間資金等も含む。)の在り方
 高専卒業生への求人倍率が16倍とは大変な数字。出口の観点からは、もっと高専を増やすことも考えられないか。技術革新に必要なの先行投資はものでなく人間。教育投資が必要。
 教育振興基本計画の議論でも、同様に今の日本は何でも先生にやらせすぎるという意見があった。これは例えば不登校の問題であれば、本当は先生ではなくカウンセラーがよいが、専門家を高専で雇うとなると財政的にも大変なので、それに対する財政措置が必要である。

高等専門学校教育の
高等専門学校制度の活用を検討する地方公共団体等への支援の在り方
地域との連携の強化
高等専門学校の認知度向上方策


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