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資料2
中央教育審議会大学分科会
大学の教員組織の在り方に
関する検討委員会(第4回)
H15.12.19



教員組織検討委員会(第3回)における意見の概要


【若手研究者の職について】
   学校教育法第58条の助手に関する規定をまず変えないといけない。この規定は事実上空文化したので是非改めるべき。

   社会科学の領域では、従来、助手の職は、学部を卒業した者を採用しており、若手研究者のキャリアパスという扱いをしてきたが、今後は、残さなくても、研究員のようなものを作ればいいのかもしれない。

   アメリカでは、教育研究にある程度独立して従事する人をプロフェッサーとして、ひとくくりにし、その中で、若干のランクの差があるという捉え方をしている。日本の場合は、教授・助教授はいいが、講師・助手の名前がかなり違っている。その辺りがすっきりとした名称に統一できれば、一貫性がとれる。

   助手という立場である必要があるかどうかは議論の余地があるが、やはり若手の研究者・教育者がパーマネントな職に就き、学生の側にいるシステムをつくることは、学生にいい影響を与えるものであり必要。

   若手教員の新しい職については、研究だけするタイプもあれば、教育にウェイトを置くタイプもあってもよい。大学が、より教育にウェイトを置いた若手教員が必要であれば、そういう基準を設けて、採用すればいい。

   若手教員にとって、研究と教育の両方とも大事である。アメリカでポスドクからテニュアトラックに行く際も、やはり教育のファクターも大事であり、きっぱり分かれるというものではない。

   学校教育法や大学設置基準について、改正するにあたっても、ざっくりとした改正の方がいい。各大学が自由度を高められるような配慮の方が重要。

   若手教員が、上にプロモートされる際の評価がきちんと行われるというのは非常に重要。それをやらないとあまり努力しないまま居続けるということが起こりうる。

   助手を廃止して新しい職を設けるのなら、その職はテニュア制が望ましい。5、6年やらせ、そこできちっと評価をして、初めてパーマネントな職に進むのがいい。

   テニュア制度は日本でかなりの人が間違えて理解している。テニュアというものをきちんと定義した上で議論すべき。

   テニュア制については、法文に書く必要はないが、報告書には、日本でテニュア制度を導入した方がいいのということを書いて、それをエンカレッジ、定着するようにしたらいい。特に、真っ先に導入すべきであるのは研究大学。

   アメリカのように定年のないところではで能力がないのに居る者が出てくるので『ローリングテニュア』を採っているが、日本でも考えてみてはどうか。

   医学部における助手の在り方というのは、病院における診療というものも加わってくるので、任用の在り方の場合、基礎医学と臨床系でかなり差がある。そういう複雑なシステムの中でプロモートしていく上での評価基準は、領域によって、臨床能力も判断基準の一つに入れる場合を設けるなど、いろいろな基準を設けて対応しなければいけない。

   医学部や病院の教員構成は尖ったものになっており、助手に依存しているが、医員という制度があり、個人的には、それがきちっとあれば、他の分野と特に異なった扱いをしなくてもいいのではないかという気がする。

【若手研究者以外の助手について】
   大学の教育研究活動の周辺には様々な業務があり、助手がいないと直ちに滞るであろう教務事務とか研究事務が明らかに存在する。その事務を、助手という職務の人が対応するか、専門職的な他のスタッフが対応するかは別にして、そういう純然たる事務や技術とは違った業務を補助する人は必要。

   アプローチとしては、各学問分野にどういう業務を行う人がどれだけいるかという逆のアプローチをし、その中で助手の位置付けをするという議論をすべき。

   教員でもなく事務職員でもない専門職みたいなものも必要ではないか。それについては、各大学や各分野で異なっており、細かく議論してこういう者が必要だと定めることは難しいのではないか。

   研究者・教育者として、将来キャリアにのっていく若手教員のための新しい職以外に、教務事務や技術事務の職員としての助手が必要なら、それはそれで名前を考えて残してもいいのでは。

   ポスドクは自分の研究だけに専念するということであって、助手に置き換えられるというものではない。

   日本は大学院生はあまり学生らしくないく研究助手みたいな感じであり、ポスドクは、助手の空席待ちの待合室になっている。途中でパーマネントのポジションがあれば、給料が安くとも行くような状況にもある。


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