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大学院部会(第37回) 議事録

1.日時

平成19年1月18日(木曜日) 14時~16時

2.場所

三田共用会議所 第4特別会議室(4階)

3.議題

  1. 大学院教育振興施策要綱のフォローアップについて
  2. 専門職大学院における諸課題について
  3. その他

4.出席者

委員

(委員)黒田玲子、中嶋嶺雄(部会長)の各委員
(臨時委員)天野郁夫、有信睦弘、荻上紘一、黒田壽二、菱沼典子、矢崎義雄の各臨時委員
(専門委員)伊藤文雄、白井克彦、福田康一郎、堀井秀之、山田礼子の各専門委員

文部科学省

清水高等教育局長、辰野高等教育担当審議官、村田高等教育担当審議官、小松高等教育企画課長、中岡大学振興課長、藤原国立大学法人支援課長、永山専門教育課長、佐藤専門職大学院室長、伊藤大学改革推進室長、鈴木高等教育局企画官、他

5.議事録

(○:委員、●:事務局)

(1)事務局から、委員の異動について説明があった。

(2)大学分科会の審議状況について、事務局から説明があった。

(3)大学院教育振興施策要綱のフォローアップについて、事務局から説明があった後、質疑応答が行われた。質疑応答の内容は以下のとおりである。

○所定年限内の人社系の学位の授与率が低いという数字を初めて見た。人社系の学位取得に要する年限はアメリカ等でもかなり長くなっており、自然科学系では大体5割前後になっている。ただ、人社系も5割にならなければならないのかどうかは、個人的には疑問を持っている。人社系の学問の性格から、特に人文科学系では長くかかる場合が少なくないのではないか。留学生の場合にも同様で、5割まで達しないといけないと尻を叩くようなことを行い、学位のレベルを下げてしまうようなことはしない方がいい。所定年限内の授与率が非常に低いという印象を持つかもしれないが、頑張ってもそこまでしか達しない理由も考えていただきたい。
 もう1つ、可能であれば、大学院生に対する経済的支援の状況を調査していただきたい。7ページの表から見る限り、各大学ともいろいろ取り組みをしているようだが、院生の数に対して、どの程度カバーできているかが重要だと思う。先ほどの特別研究員を5%から6.5%ぐらいまで引き上げるというプランは、非常によいと思うが、これは一握りの選ばれた人たちの話である。どのくらいの学生が援助を受けているのか数字でわかるような調査を是非していただきたい。

○社会科学系は、確かに低いとは思うが、アメリカでも学位取得までの期間が長いということは知られている。私自身はアメリカで学位を取得し、UCLAの場合でもはっきりと数字が出ており、学位を取得するまでの期間は7年だった。最も長いものでは、ポリティカル・サイエンスという分野が平均9年という数字が1990年頃に出ていた。
 ただし、学位を取得するまでに非常に時間がかかる場合、学位ではないが、ABD(オール・バット・ディサテーション)という、あと残すのは博士論文の受理だけというような称号を出して、それが分野によっては認められているような事例もある。
 分野によってばらつきがあることは、学位審査のプロセスが明確になっているアメリカでさえ起こっている。ポリティカル・サイエンスなどの分野ではABDが、就職の際にかなり認められているようなことがあったと思う。

○今の話のような途中段階の制度が重要ではないかと感じる。
 社会科学系の方ともいろいろな話をして、学位取得までの期間が長いのは当然だと思う意見もある。
 アメリカでも長い時間がかかっている。ただ、奨学金制度がそのような設計になっていない。仮に日本学生支援機構の奨学金を相当長くもらった場合、そのような人が途中でやめたらどうするのか、就職口もないのにどうやって返すのか。現実にそのような問題がたくさん生じている。
 したがって、学位取得までに長くかかる場合に、どのような理由や条件で学位を出していくのかという問題もあると思う。また、学生の経済的な負担やキャリアをどのように支援していくかということについての制度設計も必要ではないか。
 人社系、とりわけ社会科学系の大学院生は、大学院重点化のなかで多くなったが、そういう学生が決していい状態にあるとは思えない。その点は少し考える必要がある。

○ここにあるデータは、修業年限内に学位を取得した者のデータである。長くかかってでも、最終的に学位を取得したという状況がわかるデータはあるのか。修業年限プラス1年又は2年まで見た場合に、学位取得が非常に高い率で見込まれるのであったら、それはそれで重要なことを示唆していると言っていい。また、もしそうであれば、現状での人社系の修業年限の設定が、妥当でないともいえるのではないか。修業年限を超えて、どのぐらいの者が取得しているのか。また、いつまでたっても、取得できない人の数というデータもあれば、示していただきたい。

●大学院答申の136ページに、博士課程学位授与数の推移と授与率というものがある。ここでは、授与率は当該年度の博士課程の学位授与数を3年前の入学者数で割った数値であり、入ってくる人に対して何割ぐらいが学位をもらっているのかを非常にマクロで見た場合のデータである。
 平成14年度のデータでは、今回明らかになった数値と比べると大分高くなっているが、他の分野と比べると人文系・社会系はやはりかなり低くなっている。ただし、平成3年度と比較すると、大幅に変わっている部分もあるので、工夫をしながら、改善しつつあるということが言えるのではないか。もし、今後も現在の数値で留まるようであれば、それが妥当かどうか、さまざまな観点から考えなければいけない課題である。

○医療系も含めて、保健系の学位取得率がもっと高い値だと考えていたが、全体的に非常に低く、その中で分野別のバランスがあるとのことだが、学生が期間内に取得できない何かがあるのか。例えば充足率との関係はどうなっているのか。単純に修業年限延長と片付けていいのか。その原因がどこにあるのか、もし、推測できるようであれば、教えていただきたい。

●個々の大学の積み上げの数値なので、個々の大学ごとに詳細な分析が必要だと思う。今の段階で明確に分析できる状況ではないが、この数字について議論をしていただくというよりも、ここをスタート点として、それぞれの大学院で工夫しながら、数値がどうなるかを見ていくべきではないか。単に数字がひとり歩きすることのないよう、施策とのセットで考えていきたいと考えている。

○博士課程の学位取得の問題に関しては、100%が理想だという想定は全く間違っている。どこの国でも、博士課程にレジストレートした人が全員学位を取って出ていくという話はない。アメリカでは学部段階ですら半分程度しか学位を取らない。博士に入った人が全部取るべきだというのはナンセンスな議論であり、50%というのは既にかなり高い数字だと感じる。
 むしろ問題は、学位を取る能力がないのに、いつまでも大学院にしがみ付かねばならない日本社会の状況である。一度、人社系で博士課程に入れば、民間企業に就職する口は全くない。マスターを終わった段階で見切りをつけないとならない。ところが、ドクターで定員を増やし、ドクターを確保すべきという話にもなっている。
 従来は研究者になれそうな人たちを定員に関わらず少数セレクトし、一生懸命育てる方向でやってきたが、定員があるから取れというプレッシャーが強くなり、登録する学生に責任転嫁されるようになった。学位が取れるか取れないかは学生個々人の責任の問題にもなっている。博士課程においては、以前は面倒を見るシステムがなかったが、現在はつくられてきているので、かなりいい方向に向かっている。
 それでもなお問題がある。大学院が広がり学位を取得する人が増えても、受け入れる就職口がない。1つのポストに200人、300人という応募者がある。このような状況の中で学位を取れと尻を叩くことの意味は何なのか。非常に危機感を抱いている。一方では、何年もかかって博士号を取ったがマーケットがないという状況があり、また一方では、借金をしてでも大学院に行きなさいという状況がある。マーケットなどの関係も含め、どこかできちんと大学院政策について考えないと大量のポスドク浪人を輩出することになる。受け皿はどこにもない。自然科学でも、工学で博士号取得した人でさえ採用しないという企業は多いというのに、人社系に至っては特に悲惨な状態にあることをご理解いただきたい。

○今後の知的基盤社会と言われる中で、Ph.Dを持つことの意味とそのプロセスを考えなくてはならない。アメリカの大学院の場合は博士号取得するまでのプロセスが非常に厳しい。アメリカの大学院の場合、教育課程、つまりプロセスの密度の濃さは、日本の多くの大学院の場合とは、雲泥の差がある。Ph.Dという肩書だけではなく、プロセスを経た者と経ない者との格差がここまであると、果たして日本はこれから国際社会で本当に知的リーダーシップが取れるのかどうか危惧される。
 また、専門家はPh.Dを持っていることが常識になるような社会につくり変えていかないといけない。大学教員だけではなく、国際機関にしても同様である。国際機関の職員はみな、Ph.Dをもっているから、日本人には国際機関に行くべき人がいない。その点をどう考えるかは非常に根本的な問題を含んでいる。
 それから、新時代の大学院教育の中で、アメリカの場合は、ファイナルエグザムが終わり、審査委員会が構成され、通常はその後にPh.Dキャンディデットになる。そのキャンディデットになるかならないかが一つの区切りになっているが、日本の場合、それが余りない。そのような制度もきちんと導入していくことも必要だと考える。

(4)専門職大学院における諸課題について、事務局から説明があった後、質疑応答が行われた。質疑応答の内容は以下のとおりである。

○1つの問題は、いわゆるPh.Dコースに対し、大学院全体の設計としてPh.Dコースとマスターコース、それと専門職という区分けをしたときに、修士課程あるいは学部卒後2年程度の教育を修了して世の中に出る人たちに、どういう訓練を与えるべきかという問題である。もう1つは、Ph.Dという高度な専門家あるいは研究能力を持った人たちを社会でどう活用するかという設計上の問題がある。それから、社会に出てからの行き先に関する制度設計である。専門職というのは専門職学位と不可分であり、その専門職学位が、日本社会の中である程度認められる必要がある。この専門職学位群と専門職課程とがある程度リンクをしていく形にならないと、専門職コースの修了そのものの意味が、社会側とうまく繋がらない気がする。
 それと大きな問題は、日本の企業の中で、専門性や専門職に対する評価がまだ確立されていない。人社系の大学院修了生が企業に受け入れられがたいというのは、人社系の専門性が企業活動の中でうまく活用し切れていないため、企業サイドの評価に繋がっていない。また、日本の社会そのものがそのような専門性をうまく活用しきれていない部分があるので、新しい専門職学位のようなものを考え、日本の中でプロフェッショナリティーが生きるような仕組みをあわせて考えていかなければいけない。
 日本の中の専門職学位群にどのようなものがあって、今の専門職大学院とどういう形でリンクをしていくか、いける可能性があるかについて、バックグラウンドとして調査し、整理していただきたい。

○専門職大学院のガバナンスが大きな問題である。専門職大学院は、機動力がなければやっていけない。機動力を発揮するためにはオートノミーと独立性、個別性を持っていなければいけない。
 実際に各専門職大学院では、それぞれの大学の中に学則や規定を設けている。1研究科1専攻の中では、かなりオートノミーも独立性もあるから、かなり臨機応変な対応ができる。中には1研究科の中に複数の専攻があり、その中に専門職学位課程があると、既存の大学院の学則と専門職大学院の学則を持ちながら、研究科は教授会一本でやっている。環境が変化していくのにもかかわらず、その意思決定ができない仕組みがある。
 組織構造的な面での専門職大学院の大学の中の位置づけということもちょっと考えていかなければいけない時期に来ていると感じている。
 自大学の場合の意思決定のプロセスから考えると、既存の学部の上に研究科を持っているものと、専門職大学院ではビジネス、ロースクール、会計の3つがある。その中で意思決定を行うとなると、結局大学の中で共通性が求められるため、専門職大学院は他の既存の研究科と合わない面がでてくる。本当は専門職大学院を完全に切り離し、独立採算制をとるべきだと思う。学部、研究科でできないものを、専門職大学院で扱い、そのかわりとしてガバナンスはしっかり育てていくべきである。
 特に一研究科で複数専攻を持って、その中の1つが専門職大学院となっていると、必ずそれは保守的な既存の大学院に引きずられてくる。認証評価の問題もある。日本のMBAが国際的に通用するものにしていかなければいけない、そういう国際的な視点から考えていかなければいけないと考えるが、現状維持的な保守的な意見も多数あるのが現状である。

○専門職大学院に関して、状況が大分見えるようになってきているので、再検討がされるタイミングとしてふさわしいと感じている。教育の実質化にどのような問題があるのか。学位名が「○○修士(専門職)」はよくないと感じてきた。「専門職修士」などとし、普通の修士と違うことを明確にすべきである。
 このように違いを明確化していれば、教員の資格についても、実務家教員を3割以上としたら、4割、5割でもよいのではないかという話になる。
 したがって、教育の実質化と教員の資格をしっかり整理する必要があると感じる。

○教員の問題は非常に重要である。特区で株式会社立大学が認められているが、最近、国会で文部科学省がやり玉に上げられるような、おかしな展開になっている。確かに設置の審査を経て文部科学省が認可したことになっており、責任はあるが、同時に、内閣府や特区の自治体などにも大いに責任を感じてもらわなければいけない。
 また、教員に関していえば、資料に教員組織という項目があり、実務家教員担当授業科目数など、いろいろフォローできるようになっているかと思うが、実際に専門職大学院を見に行った経験からすると、これだけの項目で専任教員に関する把握ができるかどうか心配である。
 実態は、専任教員が居室が与えられているケースはほとんどない。のみならず、専任教員に机すら与えられていない状況である。したがって、大学あるいは大学院に来て、そこに長い時間いるということがまずない。学生に聞いても、先生に質問しようと思っても、先生は大学にいないとのこと。大学に聞くと、テレビ電話などできちんと対応できるというが、それで専任教員として機能しているとは到底思えない。
 したがって、この専任性を把握するためには、もう少しいろいろな視点が必要ではないかと感じている。

○法科大学院は別にして、どの大学院も極めて小規模であり、100人を超える規模を持っている専門職大学院は早稲田や立命館など幾つかしかなく、15人、20人という非常に小規模の専門職大学院もある状況である。
 ガバナンスの話があったが、ガバナンス以前に、どうやってコスト負担をしているのか。コスト計算なしでやっているところがほとんどではないか。専任教員についても同じであり、例えば1学年15人の専門職大学院で専任教員は何人いるのか疑問である。
 平成25年度までは経過措置等もあるとのことだが、小規模大学院での専任教員とは一体何なんだろうか。実務家教員3割というが、本当にその3割を占めるのであれば、逆に言えば、例えば15人のところで10人の専任教員が必要となるが、とても考えられないような話である。何か工夫がされているのだと思うが、その実態がはっきりしないと、専任教員を調べても意味がないと感じる。
 このような小規模大学院が乱立している状態で、とても教育の水準が上がるとは思えない。国立大学は特にそうだが、コスト計算した上で何か新しい事業をやらなければならない状況になってくれば、ガバナンス以前にファイナンスの問題で行き詰まる危険性もある。
 表面的には発展しているように見えるが、実は大変深刻な問題を抱えているように感じる。もう少し実態に触れた調査をしないと、判断ができない問題が多い。

○月給が1万円の教授という実態もあるようだ。

○外から見た感想を述べると、人社系はカバーする領域が理系に比べると極めて広いと感じる。その中で、国際的に通用する高度専門的な知識能力を持った人を育成するという高等教育の基本的な視点に立ったときに、人社系としてどのような全体の制度的設計するか。Ph.D、マスター、専門職大学院の修士をうまく組み合わせていかないとこれからの時代のニーズに対応するのが難しくなってくる。
 専門職大学院で10名とか20名の学年定員のところがあるとのことだが、どこか大きな組織に附属して存在するのならいいが、そうでない場合にはガバナンスということはとてもあり得ないのではないか。
 専門職大学院の使命は、国際的通用性のある人の育成という日本社会のニーズに応えることである。一律的に大学院も専門職大学院も制度設計するのではなく、ここではこういう人を育てるというようにフォーカスを絞っていくべき。現実は、理系に比べ人社系は極めて深刻な課題になっている。これからのグローバル化で我が国のステータスを上げるためには、人社系に頑張ってもらわないといけない。

○専門職大学院のある特定の分野というのは、日本というよりもグローバル化した社会の中での通用性の意味が大きのではないか。専門職大学院を修了した人たちは、恐らくグローバル化した企業の中で、世界に通用するという意味があると考える。
 学位の名称をみると、英訳で見ると比較的統一性があるが、日本語の名称は非常にばらばらである。そろそろ整理していく時期。例えばビジネスについては、グローバル化社会の中でのビジネスということになると、コアカリキュラムがほとんど一緒であるからこそ、国際通用性があるといえる。そう考えると、今のような各大学が出してきた専門職の前についている学位で審査をする形は非常にわかりにくい。国際性やグローバル化した中での通用性も考えて整理していく時期と考える。

○この大学院部会でも何回も私自身も問題提起している。前回の議事要旨にも、日本の学位の名称が多様化し過ぎたために、国際的通用性が失われているとある。賛同意見が多い。グローバルスタンダードにたった場合、日本の余りにも多様な学位がほとんど通用性を持たないという問題もあるので、引き続きこの大学院部会でも検討していただきたい課題である。

○専門職大学院のあり方、検討は是非やっていただきたい。専門職大学院ができるとき、工科系は既存の大学院の中で専門家も養成しているので、専門職大学院はやらないと言ったのは、正解だったと思う。
 実際に今の現状を見ていると、ほとんどの専門職大学院は専門学校の延長線上にしかない。学位(専門職)を専門学校とした方がいいくらいに内容がよくない。この専門職が高邁な理想を掲げてやったのにも関わらず、内容が崩れてしまっているのが現状である。既存の大学で専門職大学院をやっているところは、後ろ盾があるので、しっかりしているが、専門職大学院だけのところは成り立たない。全然採算がとれない。ファイナンスは全く成り立たず、そのような状況の中で専門職大学院の設置を認めていくこと自体が無理がある。
 したがって、後ろ盾がないところには、専門職大学院は認可しないくらいの意気込みでないと、今後本当に専門学校の延長線上で終わってしまう。高邁な理想を掲げてつくった専門職学位が、世界に全く通用しないことになりはしないか危惧している。今後十分に検討をしていただきたい。

○専門職大学院の問題の背景は、既存の大学院が社会の人材養成にマッチしたものをつくってこなかったことが最大の原因ではないか。既存の修士や博士がそれなりの対応をしようということが、平成17年に出た答申では明確にされたと思う。原点に立ち返って検討することが必要であり、それは大学教員の責任である。制度が悪いのではなく、大学院の教員が対応してこなかったことが最大の原因だと考える。
 もう一回謙虚に反省し、人材育成にどうかかわっていったらいいか考えるべきで、分野ごとにやらなければいけないのではないかという意識を強く持っている。

○ここ数年間いろいろな実験が行われてきたが、それをきちんと総括していかないと、我が国の将来も大変なことになりかねない。
 今の事務局の報告にもあったが、専門職大学院に関しては5年後にきちんと認証評価をしなければいけないので、そのときにきちんとスクリーニングをやり直すべきと思う。

(5)教育基本法の概要、教育再生会議の動向、これまでの審議経過等について、事務局から説明があった。

(6)高等教育局長より第3期最後の大学院部会の閉会に当たって挨拶があった。挨拶の内容は、以下のとおりである。

●今期最後の大学院部会の閉会にあたり、御礼を申し上げたい。
 大学院の機能強化については、戦後の大学制度の中でずっと抱えてきた課題であり、おまとめいただいた大学院答申の中で謳われている「大学院の実質化」という言葉が象徴しているような状況でもある。
 今日いただいた御意見も踏まえ、国際競争力のある大学院というものをどう考えるのか。あるいは、お示しいただいた方向性を十分踏まえながら、一般の方々に十分理解、納得がいただけるような政策と、財政的な裏づけができれば良いと考えている。いずれにしても、今後また大学院についてはフォローアップをさせていただきながら、新しい段階に向けて進んでまいりたい。
 委員の皆様方のこれまでのご尽力に感謝を申し上げ、また今後さまざまな形でご指導、ご助言をよろしくお願いしたい。

お問合せ先

高等教育局大学振興課大学改革推進室

大学院係
電話番号:03-5253-4111(内線3312)

-- 登録:平成22年07月 --